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Sunday, February 18, 2018

浦島悦子「山の桜は泣いた――2018名護市長選」Urashima Etsuko - A Reflection on 2018 Nago Mayoral Election

浦島悦子さん
先の名護市長選では、辺野古新基地に反対の姿勢で2期務めた後の現職・稲嶺進候補を、基地を推進する勢力が推薦した渡具知武豊候補を破って新市長となりました。この市長選について、名護市在住の作家、浦島悦子さんが振り返った文をここに紹介します。これは『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』用に提供され、ガバン・マコーマックらが翻訳した英語版の記事

Five Okinawan Views on the Nago Mayoral Election of February 2018: Implications for Japanese Democracy

の浦島さんの分の日本語版です。沖縄から5人の声ということで、浦島さんの他に山城博治さん、吉川秀樹さん、宮城康博さん、伊波洋一さんが寄稿しています。吉川さんのものは元の原稿が英語でした。日本語で提供された4原稿はまとめてこのリンクで読めます。

名護の桜 (提供 浦島悦子)


山の桜は泣いた――2018名護市長選

浦島悦子


 
「山の桜が泣いている 金か誇りか 名護マサー」。 

20 年前の「(新基地建設の是非を問う)名護市民投票」(1997 年 12 月 21 日実施)の頃、名護市街地 の入口に、こう書かれた大看板が掲げられていたのを思い出す。桜(ヒカンザクラ)は、日本一早い「さ くら祭り」(毎年 1 月最終週末)で知られる名護の象徴であり、「名護マサー(勝り)」はナグンチュ(名 護人)の気質を表す言葉だ。

2 月 4 日に投開票された名護市長選をめぐる熾烈な攻防の真っただ中で 20 年前の看板を思い出したの は、あれ以来、今回で 6 回目を数える市長選のたびごとに、有権者数 5 万足らずの小さな地方都市の選 挙に時の政権が直接、総力を挙げて介入する異常事態が繰り返され、今回はとりわけその異様さが突出 していたからだ。



 昨年 12 月 26 日、辺野古のキャンプ・シュワブゲート前で開かれた「座り込み 5000 日集会」で挨拶 した稲嶺進市長は、新基地建設に終止符を打つためになんとしても 3 選を勝ち取る決意を述べるととも に、「あちこちに『魔の手』が伸びている」と指摘した。それは決して比喩ではなかった。選挙期間中ずっと、私は、大好きな名護が汚い泥靴で踏みにじられていく悔しさ、得体のしれない黒いものが至る所 に触手を伸ばしてくる気味悪さを感じ続けていた。

年末から年始にかけて、菅官房長官や二階・自民党幹事長が名護入りし、振興策の大盤振る舞いや新 基地計画の地元・久辺 3 区(辺野古・久志・豊原)への直接補助金などを口約束したのをはじめ、安倍 政権の大臣らが自公推薦の渡具知武豊候補の応援に次々と来沖した。彼らは表に出るのではなく企業回 りを徹底し、ふんだんなカネ(官房機密費 10 億円が使われたという噂もある。その源泉はもちろん国民 の血税だ)を使って水面下でさまざまな工作を行った。

企業動員・締め付けや、事実とは真逆の謀略ビラを大量にばらまくなどはいつもの手口だが、今回は、 私の住む「二見以北」地域(久辺 3 区に隣接する稲嶺市長の出身地)にも分断の手が伸びた。「市長や知 事が反対しても基地は造られてしまうから、代わりに振興策を」という趣旨で「二見以北を考える会」 という団体が昨年末に発足。二見以北の各区(10 区)に役員を置く住民団体という体裁を取っているが、 その事務所は渡具知候補の地域事務所内にあり、住民が自発的に結成したものでないことは明らかだ。しかし、新基地建設に向けた工事が目の前で進む様子を日々見せつけられている地域住民への影響は小 さくなかったし、地縁血縁の濃い地域に動揺と亀裂、疑心暗鬼を生んだ。



渡具知武豊候補は名護市議会議員を 5 期務めたものの人望がなく、市長選出馬に自民党本部がなかな か同意しなかったといういきさつもあり、当初、稲嶺支持者の中に楽勝ムードもあったことは事実だ。 私は最初から、相手候補が誰であろうと、これは安倍政権との「全面戦争」であり、4 年前の選挙と違っ て 18 歳選挙権が施行されたため 6 年分の新有権者がいること、基地問題や政治に無関心な若者たちの動 向を考えると相当に厳しいと思っていたし、それを繰り返し言っても来た。選挙戦の中でその危機感はいっそう強まったが、一方で「名護市民の良識」を信じてもいた。勝っても負けても僅差と言われてい た中で、選挙結果(渡具知武豊 20,389 票、稲嶺進 16,931 票、投票率 76.92%)の約 3500 票差はショッ クだった。

敗因は何か。地元紙などでも言われているように、「稲嶺陣営に緩みがあった」のも、「候補者(稲嶺市長)の人望や人気に頼りすぎた」のも否定できないが、辺野古新基地建設を至上命題とする安倍政権が「日本の命運をかけて(翁長雄志県知事の言葉)」、基地建設を阻む稲嶺市長を何としても潰そうと、権力と金力を最大限に使って襲いかかってきたのが今回の選挙だった。その恐ろしさを、一生懸命に選挙活動した人ほどひしひしと感じていたと思う。一言でいえば「嘘とデマで塗り固めたカネまみれの選 挙」だが、その手口は巧妙を極めた。

彼らはまず、「新基地建設工事が着々と進んでいて、もう後戻りできない」ことを印象付けるため、人目に付く部分での工事を加速させ、市長や知事がいくら頑張っても駄目だという「あきらめムード」を植え付けることに一定程度成功した。稲嶺陣営は「埋め立て工事はまだ1%程度しか進んでおらず、十分に止められる」ことを広報し、地元紙も工事の現状を報道したが、一般市民には十分に届かなかった。(私は、名護市長選前に翁長知事が「埋め立て承認撤回」を行ってくれることを望んでいた。そうすれば流れは変わっていたかもしれないと思うが、そうはならなかった)。こうして外堀を埋め、自民党は企 業や職場、公明党は地域へと、それぞれが得意分野で票の取り込みに奔走した。

前回市長選では自主投票だった公明党が、今回は渡具知候補の推薦を決めたことは大きかった。彼ら は、県内はもちろん全国動員で 1000 人とも言われる運動員を恩納村にある創価学会の合宿所に集め、そ こから連日、100~200 台のレンタカーで名護入りした。広い名護市の各地域の隅々まで入り込み、「優 しく」、ある時は強引に説得活動を行い、そのまま期日前投票所へと運んだ。彼らはなぜか、どこの家に高齢者や障害を持つ人がいるか、どこの家が生活保護世帯かなどをよく知っていて、それぞれに見合った説得や対応をしていたという。自民党による「企業ぐるみ」と、公明党による「地域掘り起こし」、こ れに対抗して稲嶺陣営も期日前投票を呼びかけたため、期日前投票数は 21,622 と有権者の 44.4%、当日 投票数の 15,522 を 6000 票以上も上回った。ここにも今回の選挙の異様さが如実に表れている。

渡具知候補は、公明党が推薦の条件とした「海兵隊の県外・国外移転」を政策に入れ、これまでの新基地積極容認の姿勢を封印したため、稲嶺市長との違いが一般市民にはわかりにくくなった。そのうえで、学校給食費や保育料の無料化をぶち上げ(その財源と想定される米軍再編交付金は、基地受け入れ と引き換えであり、しかも経常経費には使えないのだが)、子育て世代の関心を集めた。

渡具知陣営による稲嶺市政へのネガティブキャンペーンもすさまじかった。米軍再編交付金に頼らず とも市の予算を 2 期 8 年間で 508 億円増やし、市内全小中学校の耐震化・水洗トイレの完備、保育所の 待機児童もほぼゼロになるなど、稲嶺市長が「基地問題以外はすべて公約を達成した」と胸を張る実績 を上げているにもかかわらず、「失われた 8 年」「停滞」「閉塞感」などの言葉を大量に流布した。「嘘も 百回言えば本当になる」「悪貨が良貨を駆逐する」ことを思い知らされた選挙でもあった。

各メディアや大学生など若者たちが両候補に公開討論会や候補者対談、意見交換会などを要請したが、 渡具知候補はすべて(8 回も!)拒否し、政策論争は全くしない一方で、人の心理がよく計算された簡潔 で印象の強いチラシ(稲嶺陣営の広報班もよく頑張っていたが、チラシは市長の実績を伝えたいあまり 説明が多かった)を人海戦術で隅々まで配布した。表の選挙活動が終わる午後 8 時以降に動き出す「闇 の部隊」がいて、「1 票 10 万円で買っている」などの噂も流れていた。

公開の場で政策論争を行い、有権者が主体的に選択するのが選挙なら、こんなものはとても選挙とは言えない。選挙制度も民主主義ももはや死んだ。主権者である私たちがなぜ、選挙のたびごとに「金か 誇りか」を迫られ、人間関係をズタズタにされ、苦しまなければならないのか? あまりにも理不尽だ。



今回の選挙では若い世代ほど渡具知候補を支持した。2 年前に名護出身の 20 歳の女性が元米海兵隊員に惨殺され、この 1 年来、「あわや大惨事!」の米軍機の事故が相次いでいるにもかかわらず、人命や暮 らしが危険にさらされていることを、彼らはあまり感じていないのだろうか? 渡具知氏の娘が今回選 挙権を得た高校 3 年生で、「お父さんを応援して」という彼女の呼びかけがSNSでネズミ講式に広まっ たと聞く。稲嶺支持のある若者が渡具知支持の若者たちの集まりを覗いてみたところ、政策の話は全くなく、「仲間だよね」「仲良くしようね」と、ひたすら情に訴えることに終始していたという。「今どきの若者」たちは優しくて、争いを好まない。政策論争などは求めていないようだ。「稲嶺さんはよく頑張った。かわいそうだから、もう重荷をおろしてあげよう」という「優しい」メッセージが若者たちの間で 広まっていたというが、それは彼らの心情にぴったりマッチしたのだろう。

若者や女性に人気が高いと言われる自民党の小泉進次郎氏が 2 回(1 月 31 日と投票前日の 2 月 3 日) も名護入りしたのも異例だった。名護市役所前にある渡具知候補の選対本部周辺は、街頭演説する小泉氏を一目見ようと、スマホを片手にした若者たちで埋め尽くされ、集まった人たちは集会後、そっくり、 市役所近くにある期日前投票所へと誘導されたという。

しかし、今回の選挙で私が感じた大きな希望は、そんな中で、稲嶺陣営で活動した若者たちの存在だ。それはこれまでの選挙にはなかった新しい動きだった。選対本部には連日、若者たちが夜遅くまで議論し、稲嶺市政の政策について学ぶ姿があった。彼らは自ら主体的に考え、企画し、行動に移した。相手陣営の宣伝にどう対抗するかを徹底議論する中で、なぜ基地に反対するのか、市民のための市政はどうあるべきなのかについて、多くのことを学んだと思う。相手陣営の若者とも話し合い、公開討論会に向けて積み上げてきた努力を土壇場で一方的に反故にされ、努力は実らなかったが、その中で彼らは大き
く成長した。名護の未来のために、この新しい芽を育てていくことが私たち大人の責任であり、仕事だ。 稲嶺進さんにはその中心を担ってほしいと願っている。



誠実で公平無私、市民の幸せを阻害する基地建設を断固として阻み、子どもたちの未来、名護の未来のために奮闘し、基地に頼らない市政運営、経済を実現してきた稲嶺進という稀有のリーダーを、私たちが全国からの応援を得つつも力不足で落としてしまったことは痛恨の極みだが、これに負けてはいられない。考えうる限りのあらゆる卑劣な手口を使って彼らが手に入れた「勝利」は、いずれその正体が 市民の前に明らかになるだろう。

投開票の夜、私は、市長選と同時に行われた名護市議会議員補欠選挙の開票立会人として開票所に詰めたが、結果が出ての帰り道、渡具知選対本部の前を通った。「勝利」に沸く黒い人だかりに「名護が乗 っ取られた」ような違和感を覚え、この汚い手から「名護を取り戻す」決意を胸に刻んだ。

今年は選挙イヤーだ。息つく暇もなく、沖縄県内でも各市町村の首長選が続き、9 月には名護市議会議 員選挙、そして 11 月には「天王山」の沖縄県知事選挙が行われる。名護市長選挙で味を占めた安倍政権 が同じような手口で襲いかかってくることは目に見えている。この 6 月にはいよいよ、辺野古の海に埋 め立て土砂の投入を開始すると報道された。知事選前に県民の「あきらめ」を促したいのだろう。

辺野古新基地反対運動は今後ますます厳しくなり、国家権力による暴力も強まるだろう。しかし、大浦湾の海底地盤の脆弱さ、活断層の存在などの自然条件も含め、工事がそう簡単に進まないことも明ら かになりつつある。私たちが 20 年間決してあきらめなかったからこそ、基地はまだできておらず、大浦 湾はその美しさを失っていない。海と陸双方で現場のたたかいによって工事を遅らせること、国内外の世論を高めること、そして、ズタズタにされた地域の絆をもう一度結びなおすことで、これからしばらく続くであろう「冬の時代」を乗り切っていきたい。宮古・八重山を含む沖縄の軍事要塞化を目論み、憲法を変えて戦争への道を突き進もうとする安倍政権に何としても歯止めをかけたい。沖縄で起こっていることは、すぐに日本全体に波及するだろう。これは沖縄問題ではない。日本各地、それぞれの場で の反撃を強く望みたい。



今年の「名護さくら祭り」は市長選の告示日と重なった。まさに「戦争」そのものだった選挙戦を経て、投開票日からの数日間、名護もぐんと冷え込んだ。冷たい雨に打たれ、名護城(ナングスク)山の桜は泣きながら散った。しかし、散った桜はまた新しい芽を宿し、来年、美しい花を咲かせてくれるだ ろう。私(たち)もまた、新しい一歩を踏み出したのだ。


花散らす冷雨に 負けるなよ桜
    時来ればまたも 花や咲きゅる

(はなちらすしむに まきるなよさくら
    とぅちくりばまたん はなやさちゅる)

=花を散らす冷たい雨に 桜よ負けるな
    時が来れば再び 花は咲くだろう


17年12月7日午後、キャンプ・シュワブ前で資材搬入に抗議する。後姿だが、中央でマイクを握るのが浦島悦子さん。(撮影 乗松聡子)

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Sunday, February 11, 2018

ジョン・フェファー: 貧しい国々を何十年もクソ溜めのように扱ってきた米国 John Feffer: The U.S. Has Treated Poor Countries Like Shitholes for Decades

 トランプ米大統領は1月11日に、中米やアフリカの移民をクソ溜め」 (shithole) という汚い言葉を使って罵倒した

 今回紹介するジョン・フェファー氏の文章はこれを受けて書かれたものだが、トランプを糾弾しつつ、外交政策においては米国というシステムが継続しているだけだということがよくわかる。

 トランプが『ある意味で米国を侵略し、彼お得意の「炎と怒り」を自国で解き放った』とフェファー氏は書いているが、ウォルマートに代表される巨大ショッピングモールがアメリカの地域経済を破壊してしまったことは1990年代から指摘されていたし、リーマンショックの衝撃はローンで住宅を買った人々を直撃したのに金融機関は税金で救済された。それでも米政府は国民のために政治を行っているというタテマエが、オバマ政権まではあったのかもしれない。このタテマエをトランプは破壊し、米国の化けの皮が剥がれただけのことだろう。

 そして露わになったのは、自分の仲間とは感じられない「よそ者」の住む「クソ世界」を搾取することで成り立っている帝国主義と植民地主義の構造が、入れ子のように自国内にも存在するという米国の姿だ。

 自国民の99%を「クソ溜め」扱いするのは日本も同じだ。沖縄が日本政府にとってのクソ溜めであるのは言うまでもないし、原発もクソ溜め地域に押し付けたのだ。大企業と富裕層を利する政策は明らかで、もはや日本は大量の非正規雇用労働者によって維持される状態になっている。正社員でさえ裁量労働制によって実質的な時間給の切り下げが行われた。それでもなお自民党的政策を支持するのは、「会社を守る政策が自分の生活を守ってくれる」という刷り込みだ。自分を会社にアイデンティファイ(同一視)し盲目的に従うイデオロギーのようなものは、アメリカ第一主義の鏡像のように見える。

 トランプで世界が悪くなったと思っているリベラルは、「昔はタテマエが生きていたから良かった」と感傷的に思っているだけということになろうか。世相が露骨にギスギスしてきたという点ではその通りかもしれないが。

 善良なタテマエの崩壊という現象は、自動車の「顔」がリーマンショックを境に「ワル化」したことによく現れている。自動車のスタイリングは綿密な市場調査に基づいて決定されるので、世相をかなり反映する。
20世紀末までは、能面で言えば「小姫」のような、ふくよかで柔和な顔が主流だったのに、21世紀的スタイルはすっかり「般若の面構えになってしまった。ワルを気取ってヘイトを吐き出すことへの心理的抵抗が失われてしまったかのようだ。

 これは、リーマンショックに典型的に現れた社会の真の姿、民主主義の仮面の下に隠されていた容赦ない金持ち優遇に対する、被害感情や怒りが世間に満ちてきたことの表れだろう。そのような感情を利用して、トランプが大統領にのし上がった、つまりトランプが世界を壊したのではなくて、世界が壊れた結果としてトランプが大統領になったという因果関係なのだと思う。


原文:The U.S. Has Treated Poor Countries Like Shitholes for Decades

http://fpif.org/u-s-treated-poor-countries-like-shitholes-decades/

(前文・翻訳:酒井泰幸)
翻訳はアップ後微修正することがあります。


貧しい国々を何十年もクソ溜めのように扱ってきた米国


トランプの人種差別発言は侮辱的だ。もっと悪いのは、米国外交政策の残忍な横暴だ。

ジョン・フェファー著、2018年1月17日



米国がノルウェーに侵攻したことはない。米国がオスロを爆撃したことはない。米国がノルウェー人を一斉検挙してグアンタナモに送ったことはない。

米国の外交官の中には、ノルウェーの料理が味気なくて夜遊びが退屈だという理由で、この国を「クソ溜め」(shithole) と呼ぶ人がいるのかもしれないが、重要なのは米国がノルウェーを「クソ溜め」として扱ったことはないということだ。

言葉と行動とでは雲泥の差がある。

ドナルド・トランプは先日、米国はアフリカや、ラテンアメリカ、カリブ海の「クソ溜め」諸国からの移民受け入れを止め、代わりにノルウェーのような所から人を連れてくるべきだとコメントして、ますます結束を強める彼の支持基盤を別にすれば、あらゆる人々を憤慨させた。

ボツワナやハイチからエルサルバドルまで、そしてノルウェーさえも、各国政府はトランプ大統領を非難した。国連人権高等弁務官のルパート・コルビルは、トランプ大統領を「人種差別主義者」と呼んだ。数人の共和党議員まで、この最高「誹謗」官から距離を置くようになった。

だがこの怒りの全ては途方もなく的外れだ。トランプは米国外交政策の根底にある原理を言葉にしただけだった。政策立案者が少なくとも公にはそう呼ばなかったとしても、米国は各国を何十年にもわたり「クソ溜め」のように扱ってきた。

トランプは人種差別主義者で、うっかり口走る陰口は侮辱的だ。そこに疑いの余地はない。だが本当に有害なのは言葉よりも、実際の米国外交政策のほうだ。ではなぜ人々は、はるかに残忍な米国外交政策の横暴ではなく、ドナルド・トランプの率直な言葉に憤慨するのだろうか。米国政府内にいる大勢の人種差別主義者たちが同じように考えていることを、ただ口にしただけなのに。


侮辱の後には流血が


あらゆる軍隊では敵を非人間化するように兵士を訓練する。敵を人と思うなら、眉間を銃で撃つのはとても難しい。

同じことが国についても言える。ある国を文明国だと思うなら、そこを爆撃して石器時代に逆戻りさせるのはとても難しい。

米国は1世紀以上にわたる帝国主義的野望の中で、長らく他の国々を「クソ溜め」扱いにしてきた。アメリカ帝国の初期、米国はフィリピンに、よそ者の土地という汚名を着せた。セオドア・ルーズベルト海軍次官が言ったように、そこは「野蛮人、未開人、粗野で無知な種族」でいっぱいの場所だった。このような言葉の上での非人間化によって、米軍は2万人のフィリピン兵を殺しやすくなり、3年間で20万人以上のフィリピン民間人が死んだ戦争は遂行しやすくなった。

朝鮮半島とベトナムのどちらも、北側は冷戦時代に同様の「クソ溜め」扱いを受けた。朝鮮人とベトナム人は、幾世代か前のフィリピン人と同様に、口汚い言葉による非人間化で苦しめられた。もっと悪かったのは集中爆撃を耐え抜かなければならなかったことだ。当時は、村を救うためには破壊するという時代だった。ある場所がそもそも「クソ溜め」ならば、この種の論法に何もおかしいところはない。

地政学的な理由で、ベトナムは米国のお気に入りの国に復帰した。結局のところ、ベトナムは中国に対して打ち込むくさびの役割を果たしている。

北朝鮮は別問題だ。それは「邪悪な政権」が統治する「地球の災いの元」だと、トランプは昨年の国連総会演説で言った。トランプの悪口は、北朝鮮指導者の金正恩(キム・ジョンウン)を国際刑事裁判所に送ろうという運動とは無関係だ。トランプは人権に関してほとんど関心がなく、どのみちトランプは(ウォール・ストリート・ジャーナルによれば)金正恩と「非常に良好な関係を現に持っている」か、あるいは(トランプ自身によれば)「今後は良好な関係を持とう」と考えている。まったく、誰が動詞の時制など気にするだろうか。肝心なのは「良好な」という形容詞の方だ。この二人は似たもの同士だ。

人権のことなどどうでもいいのだ。トランプは北朝鮮を言葉の上で破壊することで、今後起こるかもしれない北朝鮮への軍事行動にアメリカ国民を備えさせている。-最近の韓国・北朝鮮の雪解けににもかかわらず、トランプが検討し続けている選択肢である。このようにして侮辱 (insult) は流血 (injury) に先行する。

だが米国は「クソ溜め」と呼べる場所を見つけるだけではない。「クソ溜め」を作り出すこと自体が米国の仕事だ。


風の種をまいたなら、刈り取るのはクソの嵐


9.11以降、米国が採った強引な外交政策は、「クソ溜め」国家を次々と作った。

ブッシュ政権はアフガニスタンとイラクに侵攻した。オバマ政権は裏で糸を引いてリビアの政変を起こした。まずオバマが、続いてトランプが、シリアの泥沼に踏み込んだ。米国特殊部隊は、かつて第三世界と呼ばれた(そして今、トランプによれば、「クソ世界」に改称すべき)国々のほとんどに関与している。

アフガニスタンとイラクでは、残忍に統治されていた国々を正真正銘の「クソ溜め」へと作り変えるのに、米国が中心的な役割を果たした。リビアとシリアについては、両国の実質的な崩壊を加速するのに米国政府が一役買った。国作りと紛争後の復興などどうでもいいのだ。過去20年ほどの間、米国は物事を元通りにするよりも壊す方に、ずっと長けていた。

トランプは最近のコメントで、アフガニスタンを「クソ溜め」と名指ししなかった。そうする必要など無かった。トランプのこの国に対する政策は彼の見方を如実に表している。

「本気になった」と、国防総省は喜んだ。アフガニスタンで去年の8月から12月までの間に、2015年と2016年を合わせたのとほぼ同じ回数の空爆を米国政府は実施した。米軍は現在、(オバマ時代の政策だった)アフガニスタン軍の防衛だけではなく、タリバンに対する攻撃をどこでも、そしてあらゆる場所で実施し、これが昨年、16年にわたる戦争のどの時点よりも多くの民間人死者を出すことにつながった。

これをふまえて、私たちはトランプと彼の移民についての惨めな見方へと立ち返る。アフガニスタンは依然として(シリアに次ぐ)世界第二の難民発生地だ。リビアとイラクでは人口流出が続いている。他にも移民を送り出している国々はある。エルサルバドル、ホンジュラス、グアテマラ、ハイチ、コンゴで、人口のかなりの部分が追い出されたのは、暴力や経済的混乱、社会不安のためだが、これを作り出した中心的存在として米国を挙げることができる。原因となったのは、残忍な独裁体制を米国が支持したこと、米国による的外れな経済計画、そして米国内の麻薬市場だ。

言い換えれば、近年ヨーロッパと米国に入ってこようとしている大勢の人々は、米国政府のてこ入れで作り出された状況から脱出しているのだ。

おい、トランプ大統領。なぜノルウェー人ではなくて、この人たちがアメリカに入りたいと強く求めているのか知りたいか? お前のテーブルの周りに座っている軍司令官の全員に聞いてみるが良い。非公式の場ではどれほど粗野な人間であっても(「snafu」〈スナフー〉や「fubar」〈フューバー〉という頭字語が軍隊起源だということを考えてみなさい*)、彼ら職業軍人は決して他国を軽蔑的な表現で呼んで軍の儀礼に反したりしない。今は19世紀ではないのだ。とはいえ、彼らの手は血で汚れている。

*訳註:「snafu」スナフーとは、situation normal all fucked upの略で、「状況はいつも通りめちゃくちゃ」の意。「fubar」フューバーとは、fucked up beyond all recognitionの略で、「原形をとどめないほどめちゃくちゃ」の意。どちらもfuckという汚い言葉が入っている。


ストーリーを裏返す


トランプはノルウェーのエルナ・ソルベルグ首相と会った後まもなく移民についてコメントした。トランプは当然のごとくノルウェーに心酔した。石油で富を得て白人が圧倒的多数の国を支配できたらいいのにと、トランプが思ったのは疑いない。

米国は現在、好調な株式市況と低い失業率に沸いているが、経済的困難が米国の多くの地域を覆っていることをトランプはとても良く知っている。その地域は大統領選の選挙人団で彼を第一位に押し上げた。その地域を、彼は大統領として訪れるのが大好きだ。そこに行けば大騒ぎの選挙集会を思い出す。そこでは支持率30%ではなくて、全観衆が彼を大好きだった。その地域はまた、富裕層を利するトランプの経済政策のせいで、これからも苦しみ続ける。

その地域は、敢えて言うが、トランプが「クソ溜め」とみなす場所だ。

これは私が言っているのではなくトランプ自身が言っている 。遡ること2015年5月、彼はマスコミにこう語っていた。「私はこの国を再び偉大にしたい。この国は地獄の穴 (hellhole) だ。我々は真っ逆さまに転落している。」

すでに述べたように、まず侮辱があり、次に流血がある。トランプは、ある意味で米国を侵略し、彼お得意の「炎と怒り」を自国で解き放ったのだ。彼は着々と、アメリカを99%の国民にとってのクソ溜めに変えつつある。彼が年中いそしんでいるのは、米国を「救う」ために破壊する仕事だ。

トランプは予言的だった。まさに我々は真っ逆さまに転落している。だがノルウェー人が救援に来ることはない。



筆者のジョン・フェファーは、米国の進歩的シンクタンク Institute for Policy Studies のプロジェクト、フォーリン・ポリシー・イン・フォーカス(FPIF)のディレクターで、ディストピア小説『Splinterlands』(分裂国家)の著者。

記事転載のお知らせ Link to my article on Nanjing Massacre and Lvshun (Port Arthur) Massacre in Shukan Kinyobi, reposted on Japan-China Labor Information Forum

『週刊金曜日』1月19日号に掲載された

旅順大虐殺と南京大虐殺の現場を訪ねてー明治期に遡る大日本帝国の暴虐の系譜

が『日中労働情報フォーラム』に転載されました。
http://www.chinalaborf.org/ryojungenocide/

これでネットでも誰にでも読んでもらえるようになりました。
転載の労を取ってくださった伊藤彰信さん(日中労働情報フォーラム代表)にお礼申し上げます。

乗松聡子 @PeacePhilosophy

Friday, February 02, 2018

稲嶺進名護市長より国防総省へ「辺野古・大浦湾における視察調査の許可の要請」 From Mayor of Nago, Okinawa to Pentagon: Letter of Request for Permission to Conduct Inspection at Henoko-Oura Bay

See below for for the English version. 

ジュゴン保護キャンペーンセンター」、「Okinawa Environmental Justice Project」の吉川秀樹さんからおしらせです!

1月31日、稲嶺進名護市長が米国防総省へ要請文を送付しました。市長選挙の忙し中でも、名護市の未来を考え、市長としての責任を果しているのが稲嶺進市長です。要請文(英文と和訳)を添付しますのでぜひご一読下さい。 
要請文の送付は、昨年8月に連邦地裁に差し戻しされ、現在審理が行われている米国での「ジュゴン訴訟」の今後の行方を視野に入れたものです。特に辺野古新基地建設によるジュゴンへの影響を巡って、国防総省が利害関係者と協議をすることを視野にいれての送付です。 
またこの要請は、昨年12月に名護市議会が出した決議を、市長が具体的行動で反映させたものと言えます。要請文で稲嶺市長は、1) 名護市が利害関係者として協議へ参加する意思があることを示し、2) 協議の準備のためにシュワブの視察の許可を求めています。 
また、ジュゴンの危機的状況はもちろん、埋立て工事の現状、日本政府のアセスの問題も示され、国防総省としても連邦地裁としても無視できない内容が示されています。名護市長の基地建設阻止のための重要な一手となるでしょう。 
今後国防総省との協議が始まれば、名護市長が国防総省に対して何を言うのかが重要になります。稲嶺進現名護市長なら、辺野古新基地建設の問題を明確に伝え、「海にも陸にも基地は造らせない」「豊かな辺野古・大浦湾の自然を守る」と主張していくでしょう。それが真の意味での、名護、沖縄の平和で豊かな暮らしに繋がっていくと思います。 
稲嶺市長の要請文を多くの人に読んで頂けたらと思います。
宜しくお願いします。

ジュゴン保護キャンペーンセンター
Okinawa Environmental Justice Project
吉川秀樹

以下日本語版に続いて英語版です。



See also:
Hideki Yoshikawa,
U.S. Military Base Construction at Henoko-Oura Bay and the Okinawan Governor’s Strategy to Stop It

ミハイル・ゴルバチョフ氏 沖縄へのメッセージ「軍事基地の島ではなく人々の島へ」Mikhail Gorbachev sends a message to Okinawa: Okinawa must be for the people, not for the military

Former leader of the Soviet Union Mikhail Gorbachev sent a message to Okinawa, which continues to suffer from military oppression from the United States and Japan by their forceful construction of a new military base. See below for an English translation.

ミハイル・ゴルバチョフ元ソ連最高指導者が沖縄にメッセージを送った。1月31日の琉球新報に記事が載っている。

「沖縄の核」真実伝えよ ゴルバチョフ氏、沖縄県民にメッセージ 反基地の闘い支持

このメッセージの原文と、日本語訳、英語訳をここに紹介します。英語訳は日本語訳の訳であることをご承知ください。ブログ運営者が、Erin Jones さんの助力を得て行いまいた。



日本語訳

冷戦時代、オキナワに多数配備されていた核兵器に関する情報がNHKの番組等で明らかになったと知ったと同時に、現在もなお、オキナワに保管されているかも知れないという危惧で私は心を痛めている。この問題は県民に真実を公開する必要がある。
ゴルバチョフ氏

私はこれまで「核兵器の削減」もちろん最終目標としての「核兵器の完全撤廃」および「国際問題に軍事力を使用しない」という点を主張してきた。

1985年ジュネーブでのソ米首脳会談(私とレーガン大統領)で、“核戦争は一切起こしてはならない”“核戦争下での勝利者はいない”という共同宣言を採択し、世界に発信した。

こうした観点からオキナワでの軍事基地拡大に対する県民の闘いをこれまでも支持してきたし今後も支持する。

オキナワは世界に類を見ない豊かな自然と独特な文化を有している。従ってオキナワは軍事基地の島ではなく、人々の島であり続けなければならない。

オキナワは自然・文化・観光資源のほか、地政学的にも恵まれており、世界の人々、文化、貿易が行き交うターミナルとしての環境が整っていると私は思う。

オキナワの将来の世代のためにも、この豊かな環境を活用し平和的な発展をめざされることを切に願う。

「戦争の文化から平和への文化の移行が必要だ!」
今年1月のローマ法王のこの言葉に私は心から賛同する。

ミハイル・ゴルバチョフ
2018年1月23日

Here is an English translation by Satoko Oka Norimatsu, with assistance by Erin Jones.

A message for Okinawa from Mikhail Gorbachev

Knowing now about the presence of nuclear weapons in Okinawa during the Cold War era, as revealed in a recent NHK program, my heart aches with concern that there could still be nuclear weapons stored in Okinawa. It is essential that the truth be disclosed to the residents of Okinawa.

I have always stood up for nuclear disarmament and ultimately a complete abolition of nuclear weapons. At the same time I have argued against the use of military force in resolving international disputes.

At the Soviet-US summit in Geneva in 1985, we (President Reagan and myself) issued a joint statement that said, “nuclear war cannot be won and must never be fought,” and disseminated it throughout the world.

From this perspective I have invariably supported the struggle against military expansion in Okinawa by the people of Okinawa, and I will support it from here on out.

Okinawa’s rich nature and distinctive culture make it unique in this world. Therefore the islands of Okinawa must be for the people, not for the military.

Other than the natural, cultural, and touristic resources, Okinawa is also blessed with its geopolitical location, which I believe allows it to be a terminal for international human and cultural exchange as well as trade.

It is my sincere hope that Okinawan people take advantage of this rich environment and aim for peaceful development of the islands, for the sake of future generations.

I wholeheartedly agree with the Pope’s words in January this year: “We need to shift from the culture of war to culture of peace.”

Mikhail Gorbachev
January 23, 2018