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Monday, May 21, 2018

自らの植民地主義に向き合うこと―カナダから、沖縄へ:『ヘイト・クライムと植民地主義』(三一書房)から転載 Facing my own colonialism - from Canada to Okinawa: Satoko Oka Norimatsu

今年1月に三一書房から刊行『ヘイト・クライムと植民地主義 反差別と自己決定権のために』(木村朗・前田朗共編)に書かせていただいた一章「自らの植民地主義に向き合うこと―カナダから、沖縄へ」(94-112頁)を、許可をいただいて転載します。
はしがきより: 
朝鮮半島、及び在日朝鮮人に対する差別とヘイトはもとより、特に先住民族アイヌと琉球(沖縄)に対する民族差別問題、「沖縄ヘイト」、米軍基地問題をめぐる「構造的差別」などの問題を「反差別、反ヘイト、自己決定権」の視座から問い直すことが本書の課題である。
アイヌモシリ及び琉球は、近代史を見るならば典型的な植民地である。にもかかわらず、日本ではそのことさえまともに認識されていない。アイヌモシリ併合及び分割や琉球併合及び分割は、イギリスによるアイルランド分割・北アイルランド併合と同じで、植民地の代表例である。植民地化に続く構造的差別の根源を解明しつつ、現在のアイヌ差別や琉球差別を照らし出すことが必要となる。東アジア全体の文脈に照らして日本植民地主義とは何だったのかを問う必要がある。。。。

本の紹介、書評、目次などは三一書房のウェブサイトで見てください。

(転載ここから)


自らの植民地主義に向き合うこと ―― カナダから、沖縄へ

乗松聡子

トゥルードー首相、異例の演説

20179月下旬にニューヨーク国連本部で開催された第72回国連総会での各国指導者による演説は、日本のメディアにおいては朝鮮民主主義人民共和国を「破壊する」と喝破した米国のトランプ大統領や、最初から最後まで同国の非難に終始した日本の安倍首相のものに注目が集まる傍ら、921日、カナダのジャスティン・トゥルードー首相が自国の植民地主義に正面から向き合った演説が脚光を浴びることはなかった。

通算22年カナダに住む私の経験では、カナダは一般的に多様性を認め合い人種差別も少なく、人々は気が優しく住みやすいというイメージを持っている人が多いようだ。私は、そのようなイメージの陰で見えなくなりがちな、この「カナダ」と呼ばれる地の史上最悪の人権侵害といえる先住民問題がもっと知られるべきだと思っていたが、まさかこの国の首相が、世界の檜舞台ともいえる国連総会での演説30分の大半を、自国の汚点をさらけ出すことに費やすとは予想もしていなかった。[1]

トゥルードー首相は冒頭から、「カナダはおとぎの国ではありません」と言い、今日はカナダが犯した過去の過ちから得た厳しい教訓について話したい、と切り出した。以下、抜粋する。

・・・カナダは先住民の先祖代々の土地にできた国ですが、残念なことに、最初からそこにいた人たちの意味ある参加なしに成立した国でもありました。先住民族とカナダの間のしっかりした関係を築くために条約が締結されましたが、それらの条約は約束通り施行されないできました。(中略)これらの初期の植民地的関係性は、多様性を強みとしたりお互いの相違を称賛したりといったものではありませんでした。カナダの先住民の人々にとって、一連の体験はほとんどが屈辱、無視、虐待に値するものでした。

先住民の人々は自分たちの伝統、自分たちの性質、自分たちの政治のやり方を尊重しない政府の被害者であり、自分たちを否定し、自分たちの権利と尊厳をないがしろにする法律の被害者でした。先住民の人たちは、植民者の習慣ややり方を強要することによって自分たちの歴史を書き換え、自分たちの言葉や文化を根絶やしにしようとした政府の被害者でした。先住民の人たちは、自分たちが認めていた土地や水域を守ること、そして、自分たちが受け継いできた、いつも7世代先のことまで考えるという原則を守ること政府は拒絶しました。つまり、私たちは、この間を通じて、代々の先住民の人たちが自分たちのことは自分たちで決め、尊厳と誇りをもって生きるという概念自体を否定したのです。(中略)歴代のカナダ政府がカナダの先住民族の権利を尊重することができなかったことは非常に恥ずかしいことです。そして今日も、多すぎるといえる先住民の人たちにとって、この尊重の欠如は現在においても続いているのです。

・・・幸いなことに寄宿学校はもう過去のものになりましたが、いまだにあまりの多数の若者たちが、ほとんどのカナダ人にとって当然と思うような基礎的教育を受けるために家族から遠く離れなければいけないのです。そしてあまりの多数のカナダ先住民の女性たちが、暴力の恐怖の中で暮らしており、暴力があまりにも過酷で頻繁なことからアムネスティー・インターナショナルは「人権危機」と呼ぶほどです。これがカナダの植民地主義の遺産なのです。父権主義的な「インディアン法」の遺産なのです。(中略)5歳からの小さい子どもたちまでをも家族から引き離し、自分たちの言葉を話したら懲罰を下し、先住民の文化を完全に廃絶しようと試みた寄宿学校の遺産なのです。[2]

このような姿勢は日本だと保守派から「自虐史観」と叩かれる類のものだが、案の定、カナダの公共放送CBCは「おかしな動き」と言い、国連安全保障理事会の座席をねらうカナダが国内問題に終始したことを否定的に報じた。[3]首都オタワの新聞には「“全て私たちが悪うございました”手法」と書かれている。[4]トゥルードーは国内から出る批判は想定内であったようで、記者会見では、他国の過ちを指摘する前に自らの過去の過ちに向き合う重要さを強調した。[5]世界の人権問題は足もとから始まる、という考えである。トゥルードーは、全国が祝賀ムードに包まれた連邦化150周年の「カナダデイ」(71日)のときも、「先住民の抗議を尊重しなければいけない」と発言し、[6]先住民の抗議テントに自ら入って30分間過ごすという姿勢を見せている。[7]


カナダの「植民地責任」への取り組み

しかしカナダの先住民問題は「国内問題」だけではない。トゥルードーは、ちょうど10年前の20079月に採択された「先住民族の権利に関する国際連合宣言」に対するカナダの責任を語っていたのだ。カナダは当初、米国、オーストラリア、ニュージーランドとともにこの「宣言」に反対票を投じていたが昨年正式に立場を改め、条件つきではない完全な支持を表明した。今回は国連総会の場でトゥルードー首相が自ら、先住民諸部族とのパートナーシップのもとにこの宣言を実行していくことを誓ったのである。「植民地主義的な官僚的機構を解体」し、先住民の生活や雇用、教育機会の改善、言語の保護、女性の機会向上などの施策とともに、各部族のカナダ政府との関係構築の選択を尊重し、「自己決定権の表現としての自治」を実現していく「前人未踏」の道を歩むと。

『「植民地責任」論―脱植民地化の比較史』(青木書店、2009年)で永原陽子は、「ナチズムを経験し『人道に対する罪』概念を生み出した欧米諸国が、同じ基準を自らの行った植民地支配やそれと不可分の奴隷貿易・奴隷制の歴史にあてはめて論じることは、少なくとも公の場面では、20世紀の間には一度たりともなかった」とする。[8]それだけに、2001年に南アフリカのダーバンで開かれた国連主催の「人種主義、人種差別、排外主義、および関連する不寛容に反対する世界会議」(通称「ダーバン会議」)が「従来の国際社会の常識を破るもの」[9]だったという。その歴史に照らし合わせると、カナダ首相の今回の演説は、2007年の「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を受けた英国連邦の一国として、加害側の代表者が積極的に植民地責任を果たす宣誓をした、ひとつのマイルストーンと呼べるのではないか。


「私」の責任

私はこのスピーチを聞くにつけ、これがもし、日本の首相が国連演説の場でこのように、日本が植民地支配してきた地域や民族に対して行った演説だったらという想像をせずにはおられなかった。私がこれを日本語にしなければという強い動機を感じたのは、大日本帝国が植民地支配、そして現在の日本が植民地主義を行使している土地の人や民族に対して自分は責任を負うからだ。同時に、物心ついてからの人生のうちの半分近くをカナダで生きた人間として、トゥルードーが代表して話す先住民への責任の一端も私は担うのだ。

ハンナ・アレントは『責任と判断』において、個別の「罪」はあくまでも個人の問題であり、自分の犯していない罪について罪を感じるのは比喩的な意味においてだけであるはずで、道徳的または法的な個人の罪と、政治的な集団の責任を区別することが大事だとしている。このような考え方からは、私が担うのは、自分が所属する「日本」「カナダ」という政治的共同体が担う「集団責任」である。[10]また、アイリス・マリオン・ヤングが『正義への責任』で提唱する「責任の社会的つながりモデル」、つまり「社会の構成員はみな自分たちの行為によって構造的不正義の生産と再生産に貢献しているという事実のために、その不正義を是正しなければならないという、分かち合うべき責任」という意味での責任でもある。[11]野村浩也が『無意識の植民地主義』で強調した、日本の民主主義が容認する米軍基地を琉球/沖縄に押し付ける、という植民地主義を行使する日本の人間の「ポジショナリティ(政治的権力的位置)」を自覚してそれを動かしていく、つまり基地を本来あるべき日本に戻して植民地主義をやめていく責任にも通じる。[12]これらの学者の「罪」と「責任」についての考えとその相互関係をここで精査することはできないが、植民地主義における「私の」責任は何なのかという問いと共に読み、考え続けなければいけないと思っている。

私は日本人として、アイヌ、琉球/沖縄、朝鮮、台湾、樺太、南洋諸島、満州など日本が植民地化および侵略、占領、戦場化した数々の地域や民族に「集団責任」を担うと思うが、それを明確に意識するようになったのは琉球/沖縄を通じてである。それは自分が関わっていた憲法9条を守る活動の中で、日米安保と9条の矛盾が押し込められている琉球/沖縄に責任を果たさなければ9条の活動自体が大きな欺瞞をはらむとわかったからである。[13]その過程において自らの植民地主義の気づきや、日本の琉球/沖縄に対する歴史的植民地支配の責任、戦争責任、戦後から現在にいたる米国との共謀による軍事的搾取に対する責任をより深く認識するようになり、同時に日本が植民地責任を負う他の地域や民族への問題意識も広がっていくようになった。


「植民地責任」の認識欠如

以上のような立ち位置から見ると、日本では「戦争責任」は語っても「植民地責任」を語る人はあまりいないことに気づく。「日本の加害」に向き合う人も日本の満州武力侵攻以降の「15年戦争」という枠組みに留まり(もちろんそこにも満州植民地支配があるのだが)大日本帝国の成立時から始まっていた植民地支配には目がいかない人が多いのだ。むろん植民地支配は武力による威嚇、武力行使、侵略戦争を伴うものなので切り離せるものではなく、日本の「戦争」が「15年戦争」という認識以上に広がらない口実にはならない。実際おおかたの日本人は「15年戦争」にさえも思いが至らず、日本の戦争は1941年末以降大国の米国を相手にしてしまったから間違ったのだ(その時点までは間違っていなかった)といった理解、約310万人という「日本人」の戦争死者だけを意識するような自国中心主義的な歴史認識を持つ。[14]朝鮮半島での権益を拡大するための戦争であった日清、日露戦争を「勝利」したからといって「古きよき時代」の象徴とし、福沢諭吉や吉田松陰[15]のような侵略思想の持ち主を英雄視し、大日本帝国の歴史を通じた侵略と植民地支配の長い歴史に目をつぶるのである。成澤宗男は、12年続いたナチス・ドイツと比べ大日本帝国の侵略の歴史は77年という長さであったと指摘する。[16]永原陽子は「敗戦と同時に植民地を失ったために、日本の戦争責任論においては当初より植民地支配の責任への視点が欠落していた」と分析する。[17]高橋哲哉は、1874年の台湾出兵にはじまる日本の植民地獲得のための戦争における戦死者を顕彰・合祀している靖国神社の本質を踏まえ、満州侵攻以降の戦争を扱う「戦争責任論」という枠組みだけでは「歴史認識の深化を阻む」と問題提起する。[18]


残る差別の火種

植民地責任に目を向けない日本人の傾向は、上記のような背景に加え、根本的には、「琉球は長男、台湾は次男、朝鮮は三男」[19]というような植民地支配における差別ヒエラルキの頂点としての「天皇制」が戦後排除されず、新憲法で「象徴」と再定義されたにもかかわらずいまだに事実上「神聖にして侵すべからず」存在のように扱われている(メディアでは一切批判もされないタブー化、尊敬語の使用、批判する者への国粋主義者によるテロの脅威など)ことと無縁ではないと思う。植民地主義を振り返らない姿勢と、天皇を戦前と同じように押し頂く姿勢は同根ではないか。

ついでに指摘すれば、天皇制の中で制度的女性差別が公然と行われているのも、皇室タブーのもとに家父長制が守られているからである。天皇と女性の地位は新憲法制定のときにもっとも日本側の抵抗を受けた点であったと憲法起草に関与したベアテ・シロタ・ゴードンは証言している。[20]そして、放置された天皇制と家父長制のもと、植民地主義的差別も女性差別も、戦後日本が克服することを拒絶してきたために残ってしまった。
ヘイトスピーチや嫌中、嫌韓「ブーム」を近年の現象として憂えている人がいるが、戦後日本人はアジア隣国に対する植民地主義を意識的に乗り越えようという努力をしなかったせいでヘイトの火種は多くの人の心の中に残存し、それが戦後世代にも引き継がれたのではないか。アメリカのトランプ政権のもとで人種主義者が勢いづいたのと同様、第二次安倍政権が12年末に誕生した頃から日本人の差別の火種に火がついてネトウヨ、ヘイトデモといった形で顕在化の度合いが強まったということではないだろうか。

『植民地主義再考-民族差別なくすため』を書いた小林たかしは言う。

日本の植民地主義は、大日本帝国降伏の日に終わったわけではない。植民地主義は、いまでも日本人一人ひとりの感性の中に支配者意識を育てている。それは、侮辱を侮辱と感じない侵略者の感性であり、イデオロギーとして歴史的に形成されてきたものである。その恥ずべき感性は、実際の侵略、実際の植民地がなくなったからといって、日本人のなかから消滅はしない。それどころか、それは日常的に生産されている。[21]

ヘイトスピーチを批判したり分析したりしている私たち日本人一人一人は心の中に差別やヘイトの火種を持っていないのか。私は「北朝鮮」の悪魔化や、日本軍「慰安婦」を記憶するための少女像を忌み嫌う傾向、在日コリアンへの差別や無関心などを見るにつけ、根強い差別の種が右、左を問わず広範囲で共有されていることを感じ取る。そしてその種は自分自身の中にも見え隠れしていることを感じる。差別との闘いは、自分との闘いだ。


日本の侵略戦争は琉球強奪から始まった

日本の植民地責任の中でもとりわけ不可視化されている現在進行形の植民地主義の対象の一つとして、琉球/沖縄があるのではないか。琉球/沖縄が植民地であると認識していない日本人は多いようだが、琉球/沖縄が日本により植民地支配を受けてきたことは疑いようのない史実・現実である。大田昌秀の『沖縄差別と平和憲法』で、伊波普猷を引用しながら、1609年の薩摩侵攻以前の琉球人は以降に比べると別人種ではないかと思うほど「自主の民」として能力を発揮していたが、それ以降は「奴隷的生活に馴致された結果、致命傷を受け、独立自営の精神が甚だしく減退」させられたと述べる。漢文や琉球文で石碑の碑文を書くなど豊かだった書き言葉の文化も、島津氏に征服されて以来日本文を採用することを強いられ、自国語を使わなくなっていった。大田は、薩摩支配下で琉球は全収入の10%に相当する土地税を収奪されたという説もあると記述している。[22]琉球/沖縄は、1872年の琉球王国への抜き打ち的な「琉球藩」との通達から79年の「廃琉置県」による王国取り潰しにいたるまで、武力をともなう方法で日本に強制併合された。[23]それは上記のようにそのはるか前から植民地支配を受けてきた上でのことであった。

1875年の江華島事件を明治日本の侵略戦争の開始と捉える人もいるが、1871年、宮古の船が台湾に漂着し原住民に多数の人が殺されたことを日本が利用し74年に台湾に出兵、そのときの清国の対応を琉球の日本帰属という理解にこじつけた。そのことから、大日本帝国の最初の侵略戦争は、この琉球を獲るための1874年の台湾出兵といえるのではないか。その2年前の騙し討ちともいえる琉球藩設置もまさしく侵略行為だという見方からは1872年であるともいえる。近代日本の侵略と植民地支配の歴史は琉球の強奪とともに始まっている。


違法の併合から軍事植民地へ

その併合の過程は、上村英明や阿部浩己[24]ら専門家は国際法違反だと言っており、各国と修好条約も結んだ主権を持つ王国の転覆であった。琉球への植民地責任の不可視化の克服には、これらの史実の認識を共有することが不可欠だ。もちろん、知念ウシが言うように、植民地とは公的、学術的に認められて存在するものというよりも、「植民地主義を行使されている側が気づき、発見し、告発する」ことにより存在させ得るものであると思う。[25]

琉球併合の際、中国の外務相の李鴻章が、日本がこのように琉球を取るのなら次は台湾を取るだろう、そしてその次は朝鮮、はては中国も侵略するかもしれないとの懸念を持っていたが、その後本当にそうなってしまった。[26]琉球を侵略の第一歩として膨張し切った大日本帝国が「沖縄戦」で琉球を戦場化することによって壊滅的な被害をもたらし、敗戦とともに帝国が崩壊した後は、米国がアジアの侵略拠点として琉球/沖縄を軍事植民地として引き継ぎ、今にいたることは言うまでもない。[27]現在、「切れ目ない」一体運用が進んでいる米日軍事同盟は中国への威嚇の牙を剥き出しにし、辺野古、高江、伊江島をはじめとする米軍基地強化に加え事実上の日本軍である自衛隊の攻撃基地まで琉球弧全体に配備しようとしている。

日本が琉球/沖縄に対して担う植民地責任の対象は、17世紀初頭の侵略以来の同化政策による社会体制、文化や言語の剥奪、強制併合から現在に至る主権剥奪状態の継続、沖縄戦での大量虐殺、年少者の不法徴兵、奴隷的労働、強制移住(マラリア被害を含む)、戦後の米軍による支配と「復帰」以降日米が過重に押し付ける基地に起因する犯罪、継続する植民地主義によるヘイトスピーチなどの差別行為すべてといえる。[28]

これらの具体的な罪を法的、政治的、社会的方法で裁き、償い、現行の罪はやめさせていくたゆまぬ努力が必要だ。と同時に、琉球/沖縄を差別していることを認識さえしない、どこかで知っていても知らぬふりをしたり[29]、「無意識の植民地主義」を実践したりする日本人[30]、つまりわれわれ一人一人が目を向けたくない植民地主義の罪と責任に敢えて目を向けて取り組んでいかなければいけない。


植民地責任の取り方としての「基地引き取り」

このような琉球/沖縄への植民地責任の取り方の一つとして、私たちが沖縄に置いている基地を本来の場所、日本に戻すという、いわゆる「基地引き取り」(「県外移設」)と言われている方法論は、琉球/沖縄の脱植民地化の道筋をつけるために大変重要であると私は思っている。私にとっては、沖縄への差別をやめるため、日本市民の大半が置くことを容認している基地を日本に置き直すということは当然に思えるが、これについては反発や怒りを表現する人が少なくない。日頃は日本の戦争責任や朝鮮半島などへの植民地責任を真剣に感じ考える人でも、こと琉球/沖縄のこととなると態度が変わるときがある。私には理解し難いが、思うにそのような人にとっては、朝鮮半島などと比べ、琉球/沖縄に対しては日本が植民地化してきたという歴史認識が薄く、また植民地主義が現在進行中のものであるということから、否応なしに加害側のポジショナリティを有するという自分を認識することに抵抗があるのではないか。

「基地引き取り」については、高橋哲哉の『沖縄の米軍基地 「県外移設」を考える』(集英社新書、2015年)に主要論点は提示されている。しかし私は今年になって、ある沖縄の人から、「“引き取り論”は高橋さんが言っていることという風にしてほしくない」と言われ恥じ入る気持ちになった。だから私はこの小文をきっかけにして、日本人が植民地主義に向き合い、その責任を担っていくということはどういうことなのかということをもっと自分の言葉で問い、考え、発信していきたいと思ったのである。「引き取り」という方法論を議論するだけでなく、その背景にある日本の琉球/沖縄に対する歴史的植民地主義と、現在の日米安保支持派が圧倒的多数である日本の民主主義下でどのように具体的に植民地責任を果たしていくのか、という文脈で「引き取り」について共に考えていきたい。

むろん、世界一の戦争国家である米国と手に手を取る安保体制自体の絶対悪はどこかに移動して済むものではない。[31]世界中の無辜の市民を殺し続ける米軍の基地を日本に置く日米安保を私は容認しない。「米軍基地はどこにあっても悪い」の原則は日本や琉球/沖縄、韓国だけでなくどこにも適用する。米軍基地を日本に引き取ることは当然と思う私たちも、米国が世界中で起こしている大量破壊行為に目を向けることを怠ってはいけないと。それはすなわち、自分たちが引き取ろうと言っている「米軍」がいかに恐ろしいものなのか、そしてむろんそれを沖縄に押し付けている自分たちこそがいかに罪深い存在なのかという、血のにじむような苦しい問いを自らに問うということだ。そういう意味では、日米安保をそもそも容認している人が米軍の暴力や植民地主義を真剣に考えることなしに、容易にこの「引き取り」論に賛同できてしまうのだとしたら、私たちはその容易さに便乗してはいけないと思う。さらに、米日の軍事統合がますます進む今、自衛隊を聖域化して米軍問題だけを扱うことも意味を為さない。私も参加している「沖縄の基地を引き取る会・東京」も、米軍も自衛隊も沖縄に押し付けてはいけないという意味で、「基地」としたと理解している。

この文で論じてきた「植民地責任」という観点から、すでに日本が何百年も植民地支配をした上、沖縄戦や米軍占領時代、「復帰」後を通して日米が軍事的搾取をしつくしてきた琉球/沖縄に基地を置き続ける理由は全く存在しない。日本の民主主義が米国の覇権主義と明確に線を引いて日米安保を撤廃できるようになるまでは日本にあるのが当然であり、琉球/沖縄に対する脱植民地化の責任を果たす最低限の要件であると思う。

私たちはここで脱植民地と脱軍事が相反する選択を迫られているように見えるかもしれないが、軍事主義が常に植民地主義と一体化してきた歴史と現状を踏まえると、脱植民地化を後回しにした脱軍事化などはあり得ない。逆も然りと私は考えるが、沖縄に対する長年の基地押し付けを含む日本の沖縄に対する歴史的植民地責任を考えると、日本全体を非軍事化するのに優先して何よりも先に沖縄を非軍事化しなければいけないと思う。
ここを起点に今後も積極的に議論に参加していきたい。



[1] “Justin Trudeau at the United Nations | Full UN speech from Canada's prime minister,” CBC News. https://www.youtube.com/watch?v=20QqRtLoLFw (accessed September 24, 2017)
[2] カナダの先住民寄宿学校制度とその影響については、乗松聡子「政府と教会による民族抹殺政策『先住民寄宿学校制度』-和解は可能か」を参照。http://peacephilosophy.blogspot.ca/2013/10/blog-post_10.html 
[3] “The National,” CBC, September 21, 2017. https://www.youtube.com/watch?v=ysHadcw4J_s&t=1290s (Accessed September 24, 2017)
[4] Lorne Gunter, “Trudeau’s UN address makes tackling First Nations problems even harder,” Ottawa Sun, September 23, 2017 http://m.ottawasun.com/2017/09/22/trudeaus-un-address-makes-tackling-first-nations-problems-even-harder (Accessed September 25, 2017)
[5] Bruce Campion-Smith, “Canada struggles to improve conditions for Indigenous people, Trudeau tells the UN,” The Star, September 21, 2017. https://www.thestar.com/news/world/2017/09/21/trudeau-to-use-un-speech-to-address-struggles-of-canadas-indigenous-peoples.html (Accessed September 24, 2017)
[6] “Justin Trudeau says respect indigenous people who won’t celebrate Canada 150,” Global News, June 29, 2017. https://globalnews.ca/news/3565693/justin-trudeau-indigenous-people-canada-day/ (Accessed September 26, 2017)
[7] “Trudeau sits down with Parliament Hill teepee protest ahead of Canada 150 celebrations,” Toronto Sun, June 30, 2017. http://www.torontosun.com/2017/06/30/watch-trudeau-sits-down-with-parliament-hill-teepee-protest-ahead-of-canada-150-celebrations (Accessed September 26, 2017)
[8] 永原陽子「序『植民地責任』論とは何か」永原編『「植民地責任」論-脱植民地化の比較史』、青木書店、2009年、10頁。
[9] 同上
[10] ハンナ・アレント著、中山元訳『責任と判断』、筑摩書房、2007年、196207頁。
[11] Iris Marion Young, Responsibility for Justice, Oxford University Press, 2011, p.173.
[12] 野村浩也『無意識の植民地主義 日本人の米軍基地と沖縄人』お茶の水書房、2005
[13] 筆者と琉球/沖縄のかかわりについては「日本は『愚者の楽園』のままでいるのですか?」『沖縄の〈怒〉-日米への抵抗』、法律文化社、2013年、2614頁、乗松聡子『沖縄と九条-私たちの責任』、東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター紀要第2号、20161025日、4350ページ、「乗松聡子の眼 忘れない植民者の立場」、「琉球新報」20175163頁を参照。
[14] 乗松聡子「内向きの戦史観から脱却を」木村朗・高橋博子編著『核時代の神話と虚像』明石書店、2015年、120122頁。
[15] 福澤については安川寿之輔の著書や、雁屋哲作・シュガー佐藤画『マンガ まさかの福澤諭吉』(上、下)遊幻舎、2016等、吉田については纐纈厚「吉田松陰は『偉人』なのか」、『週刊金曜日』2015731日、2223頁を参照。
[16]成澤宗男「戦後69年の『過去の克服』という課題」Peace Philosophy Centre, May 9, 2014 http://peacephilosophy.blogspot.ca/2014/05/blog-post_10.html
[17] 永原、11頁。
[18] 高橋哲哉『靖国問題』、ちくま新書、2005年、8096頁。
[19] 1910年朝鮮強制併合の際、歴史家の比嘉春潮が日記に「知りたきは、わが琉球史の真相なり。人はいわく、琉球は長男、台湾は次男、朝鮮は三男と。ああ、他府県人より琉球人と軽侮せらるる、また故なきに非ざるや」と書いた。出典は琉球新報社・新垣毅編『沖縄の自己決定権 その歴史的根拠と近未来の展望』、96頁。
[20] NHKスペシャル『日本国憲法誕生』、2007429日総合テレビ放映、ベアテ・シロタ・ゴードン『1945年のクリスマス』柏書房、1995年。
[21] 小林たかし『植民地主義再考―民族差別なくすため』績文堂、2016年、26頁。
[22] 大田昌秀『沖縄差別と平和憲法 日本国憲法が死ねば「戦後日本」も死ぬ』、BOC出版、2004年、2123頁。
[23] 前掲『沖縄の自己決定権』4584頁。
[24] 同上、100109頁。
[25] 知念ウシ『ウシがゆく 植民地主義を探検し、私をさがす旅』、沖縄タイムス社、2010年、23頁。
[26]「『壁の向こうに友人を作る』-大田昌秀元沖縄県知事インタビュー」、Peace Philosophy Centre, June 9, 2017
[27] 吉田健正『「軍事植民地」沖縄 日本本土との〈温度差〉の正体』(高文研、2007年)には米軍による沖縄統治、サンフランシスコ平和条約や日米地位協定の「植民地性」が詳しく解説されている
[28]永原の前掲論文(2327頁)では、「植民地責任」論が扱う対象を、「①直接の当事者が現存する個別事件としての「植民地犯罪」とその被害、②直接の当事者の存在しない、過去における個別の「植民地犯罪」とその被害、③植民地体制下の政策等に発する世代を超えた被害、④歴史・文化の剥奪とその被害」と分類している。ここでいう沖縄の植民地責任はこのモデルを念頭に置いて記述した。
[29] 知念ウシ『シランフーナーの暴力』未來社、2013年。
[30] 前掲『無意識の植民地主義』
[31] 乗松聡子監修・翻訳『正義への責任 世界から沖縄へ ①~③巻』(琉球新報社)参照。

(転載ここまで)

『ヘイト・クライムと植民地主義』三一書房刊
  ISBN978-4-380-18003-3
Copyright © 2018 乗松聡子