Pages

Saturday, April 28, 2012

成澤宗男:米軍の「イラク完全撤退」が意味するもの ―世界は侵略と殺戮をこのまま容認するのか―

月刊『社会民主』2月号に掲載された成澤宗男氏の記事を紹介します。


米軍の「イラク完全撤退」が意味するもの ―世界は侵略と殺戮をこのまま容認するのか―  

成澤宗男(ジャーナリスト)

 報道によれば二〇一一年の一二月一八日をもって、イラク駐留の米軍は正式に「完全撤退」した。〇三年三月二〇日のブッシュ前政権によるイラク侵略から数えると、八年以上にわたった軍事占領が終結した形だが、米国がイラクから手を引いたのではまったくない。撤兵によってイラク支配の実態がより見えにくく、かつ複雑になったのは確かだが、別の形態を伴って侵略が継続していると考えていいだろう。

 もともとオバマ大統領は水面下で、一一年末で切れる前政権時代に決定された米軍駐留期限後も、二万人規模の兵力を恒久的に残留できるようイラクのマリキ首相に圧力をかけ続けていた。最終的に三〇〇〇人規模まで妥協する案を示したようだが、違法行為を犯した在イラク米軍人の国内法適用免除特権をマリキ首相が最後まで認めなかったため、やむを得ず「完全撤退」を選択したというのが実情だ。

 二〇一二年秋に再選がかかった大統領選挙を控えているオバマ大統領にしてみれば、雇用や景気対策で失政を繰り返し、人気が低迷している以上、「イラク戦争を終結させた」という「外交成果」でもなければ選挙を闘える状態ではない。そのため、当面の軍事的利害よりも、ともかく再選に向けた「ポイント稼ぎ」を優先せざるを得なかったといえる。

 そしてメディアの「撤退」報道によって、米軍がイラクでゼロになるかのような幻想が生じているが、すでに後述するバグダッドの米国大使館内に「イラク安全保障協力局」(OSC-I)という部局が設置されており、ここに米軍人一五七人(二〇一一年末段階)が常勤として残る。彼らの任務は、①イラク政府軍の訓練②同軍の米国製武器購入の際の補助③同軍のアドバイス―等であり、政府軍を支配下に置き続ける点にある。

 バイデン米副大統領は「完全撤退」直前に訪れたバグダッドで一一月三〇日に演説した際、「米国とイラクは、互いに新たな道を進もうとしている。……両国のパートナーシップは、固い安全保障上の絆で結ばれている」と強調した。ここでの「安全保障上の絆」とは、具体的にはイラク政府軍の「米軍仕様」化に他ならない。

 すでに二〇〇五年から米国防省による政府軍の武器供与が始まり、これまでM1戦車一四〇輌、M117装甲車一六〇輌を始め、C-130J輸送機六機、軍用ヘリコプター二四機など総計二〇六億ドル分の米国製兵器が引き渡されている。さらに、米軍はF16戦闘爆撃機を最終的に九六機イラクに供与する予定で、二〇一六年をメドに一八機からなるF16の編隊が実戦配備される予定だ。

 こうした結果、旧ソ連製の武器が主流を占めていたフセイン前政権からの影響を残していた政府軍は、中東でも米軍兵器を装備した有数の近代的軍隊に生まれ変わる。このことは同時に、イラク政府軍が他の中東諸国と同様、米軍製武器の供与とその使用のための訓練・教育を通じ、一層の米軍の「同盟軍」として純化していく過程をたどるのを意味しよう。こうした理由からエジプトを典型に中東諸国ではほとんどの軍部が「親米」的だが、今後イラクだけが例外となる可能性は乏しい。

 米軍にとってみれば、最終的にイラクの恒久駐留を断念し、侵略後に手に入れたイラク国内五ヶ所の巨大基地を含む計四〇〇近い大小の基地群を放棄せざるを得なかったのは損失だろう。特にイラクの中東における中心を占める地理的条件を考えると、当初目論んでいたイラクからの他国・地域への軍事出動ができなくなったというのも失点のはずだ。だが、中東から「反イスラエル」の軍隊を消滅させ、世界有数の石油埋蔵量を誇る国の軍隊を新たに手中にした意義は限りなく大きい。

 しかもペネッタ米国防長官は米軍撤退直後、「今後も中東に四万人規模の兵力を配置するのを望んでいる」と述べている。イラクから撤退した米軍兵力のうち、四〇〇〇人の陸軍部隊が隣国のクゥェートに再配置される見通しだ。クゥェートには中東最大の米陸軍の補給基地もあり、米軍のイラク侵略にとってこれまで欠くことができない重要な役割を果たし続けている。現在も二万五〇〇〇人の部隊が駐留しており、もしイラクが米国の意思に反した行動を取ったり、あるいは内戦状態になったら、直ちに米軍がクゥェートから軍事介入する可能性が強い。

 ただこれからは、米国のイラク支配の実態を中心的に担うのは、米占領軍ではなく国務省となる。その象徴がバグダッド市内にそびえる「世界最大の大使館」であり、人口が二八〇〇万人ほどの国家の米国大使館としては異様なまでに巨大なその姿は、侵略で得たイラクという「戦利品」を絶対手放さないという不退転の決意を示しているようだ。アメリカンフットボールの競技場が九四個も入る膨大な敷地面積のこの「大使館」は、周囲が壁で囲まれた一種の都市国家に等しく、敷地内には二二ものビルが林立している。大使館で勤務する人員は一万六〇〇〇人に及び、うち半数近くが、「警備会社」と称した傭兵部隊だ。 「大使館の主要な任務は、イラク政府を常に監視下に置き、米国企業の利害を守り、イランの影響力を追跡調査して削ぎ、シリア情勢から切り離し、中国やロシアを寄せ付けず、情報を収集して反イスラエルの動きをさせない、といった点にある。……米国はイラクが従属的な同盟国にならない限り、独り立ちさせるつもりはない」(注)

 だが、今後米国の思惑通りにイラクがムバラク時代のエジプトのような「親米親イスラエル」の「同盟国」になるのかどうかは不透明との指摘が多い。その最大の要因は、隣国イランの存在にある。

 マケイン上院議員は今回の「完全撤退」について、「イランへの最大のプレゼントになる」としてオバマ大頭領を批判しているが、この種の発言はタカ派の中では珍しくない。イラクから米軍が撤退すれば、その後にイランの影響力が入り込むという論法だが、しかし事態はそう単純ではない。

  確かにイラクは、イランの「国教」であるシーア派が人口の過半数を占め、アラブ世界では最大の「シーア派国家」だ。マリキ首相もフセイン政権時代はイランへの亡命経験があり、シーア派が多数を占める現政権を支え、数年前までは「マハディ軍団」と呼ばれる民兵組織を率いていた「反米」と目されるサドル師も一時イランに居を構えるなど行き来を繰り返しており、こうした面からも両国の関係は浅くはない。このため、マリキ首相が在イラク米軍人の国内法適用免除特権に最後まで抵抗したのは、「イランの指示」という見方も存在する。また在イラク駐留米軍もこれまで、シーア派の武装組織に対し、イランの革命防衛軍が武器を供与しているとの批判を続けてきた。

 だが同じシーア派でも、アラブのイラクとペルシャのイランは互いのナショナリズムを有し、常に一体ではない。中東における戦後の戦争で最長となった八〇年代のイラクとイラン間の戦争では、双方に計一四〇万人もの戦死者を出している。イランのアフマディネジャド大統領は米軍の「完全撤退」を前後し、対イラク軍事協力を申し入れるなど秋波を送っているが、当面具体化した事項は存在していない。マリキ首相も訪米中の一二月一三日、オバマ大統領と会談した際、「今なお、イラクは安全保障やテロリズム対策で米国の協力を必要としている」と述べ、「協力」の継続を要請している。

 前述した武器供与など、国を再建する上で必要な「実」の面でイラクは米国を頼らざるを得ず、このため米国のタカ派が述べているような「イラクがイランの影響下に入る」といった事態は、予見しうる将来、可能性は低いだろう。問題はイラク自体が、今後どのような国家として進もうとしているかにある。

  一九九〇年の湾岸戦争でイラクは、米国を始めとした多国籍軍に一〇数万人の民間人を殺傷され、続く経済制裁によって医薬品などの輸入が禁じられたため、六二万人の五歳以下の幼児を含む一五〇万人が死亡した。以後も米英両空軍はイラクに対し様々な名目で違法な空爆を繰り返した挙句、再び約一〇〇万人ともされる民間人が殺害された今回の侵略戦争である。戦後、これほどまで集中的かつ執拗に一国の国民が大量に殺傷され続けた例は稀で、放射能の害毒を絶望的に長く残す劣化ウラン弾を始め、気化爆弾など核以外のありとあらゆる大量破壊兵器や化学兵器まで投入された。同時に、かつては中東で最高レベルを誇った教育や医療・福祉制度、そして民間インフラはすべて灰燼に帰されてしまった。

 オバマ大統領は「完全撤退」の模様について、「兵士たちは顔を高く上げ、任務の成功に誇らしげだ」などと称えたが、人類史上に残るこれほどの国際法違反と戦争犯罪、都市が丸ごと壊滅させられたファルージャに象徴される残虐極まるジェノサイド(民間人大量殺傷)を繰り返しておきながら、何という発言だろう。 

 だがその米軍に対し、イラクでは〇三年以降の侵略戦争において、ついに全国民的な抵抗運動は組織されることはなかった。当初、史上最強の軍隊に四〇〇〇人以上の戦死者を出すのを余儀なくさせたスンニ派主体の武装レジスタンス組織は、〇七年から〇八年にかけて米軍の買収工作などにより自壊を余儀なくされ、この時点で組織的な抵抗はほぼ終結する。一方で、サドル師の「マハディ軍団」などシーア派武装組織は初期を除き米軍に反攻はせず、スンニ派と協力するどころか、バグダッドでは「民族浄化」を思わせるスンニ派住民の追い出しに狂奔し、米軍の武装レジスタンス壊滅作戦に協力した。

 もしこのままイラクが、米国の思惑通りに何事もなかったかのように「普通の中東国家」並みの「親米親イスラエル」に傾斜したら、ナチスに匹敵する米国のどのような戦争犯罪も「やり得」になるしかない。米軍「完全撤退」後のイラクの前途は、予測困難な混迷の要素はおびただしく存在する。だが明確に断言できるのは、今後のイラクのあり方が、国際法も正義も道義も存在せず、血と資源に飢えた犯罪国家が好き勝手に振舞える世界へさらに転落していくのか否かの試金石にならざるを得ないという点なのだ。

(注)Jack A. Smith 「Iraq“After” the War: What is Iraq’s Future? What are America’s Intentions? 」URL http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=28333 


成澤宗男1953年、新潟県生まれ。中央大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了。政党機関紙記者を務めた後、パリでジャーナリスト活動。帰国後、衆議院議員政策担当秘書などを経て、現在、週刊金曜日編集部企画委員。著書に、『オバマの危険』『9・11の謎』『続9・11の謎』(いずれも金曜日刊)等

このサイトの成澤宗男氏関連の投稿はこちらをご覧ください。

Friday, April 27, 2012

福島県甲状腺検査、35%が「5ミリ以下の結節、20ミリ以下の嚢胞」-ゴメリ以上の甲状腺異常の可能性

(追記 5月2日「福島甲状腺検査 その2」も併せてお読みください。)

福島民報(4月27日)より。
しこり「おおむね良性」 甲状腺検査 18歳以下の県民健康調査   
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=4107&blockId=9966191&newsMode=article
東京電力福島第一原発事故を受けた県の甲状腺検査で、3月末までに検査を終えた3万8114人のうち、「直ちに2次検査を要する」と判定された県民はいなかった。26日、県が福島市で開いた県民健康管理調査検討委員会で示した。  警戒区域などに指定された13市町村の18歳以下を対象に検査しており、受診率は79.8%。直径5.1ミリ以上のしこりなどが確認され、2次検査の対象となったのは186人だったが、検査している福島医大は「おおむね良性。通常の診療では想定内」とした。  県は県外避難者が検査を受けられるよう、本県を除く46都道府県に検査実施機関を設ける。県内は福島医大以外にも検査拠点を整える。平成24年度は放射線量が比較的高かった12市町村の15万4894人を対象に検査する。  対象市町村は次の通り。  福島、二本松、本宮、大玉、桑折、天栄、国見、白河、西郷、泉崎、郡山、三春(2012/04/27 09:54)
「おおむね良性」という不審な表現が気になり、探したら、福島県のHPにこのような書類が出ていた。
第6回福島県「県民健康管理調査」検討委員会  次第

これにに今回の甲状腺検査の手続き、結果が出ている。下記は14ページの結果の表を転載した。これを見ると現実には上の報道が与える印象とずいぶん異なることがわかる。

報道されていないのが、検査を受けた38,114人のうち12,460人(35.3%)が、「5.0mm以下の結節や20.0mm以下の嚢胞を認めた」とされることである。「5.1mm以上の結節や20.1mm以上の嚢胞」は186人、二次検査を要するとされている。


北海道深川市立病院内科の松崎道幸医師より以下コメントをいただきました。

1.甲状腺の「結節」には充実性の腫瘍だけを指す場合と、腫瘍とのう胞の両方を指す場合があります。論文によって、定義はいろいろです。
2.今回の福島県調査(事故後12か月まで)では、「結節」と「のう胞」を分けて記述してありますので、「結節」の頻度=充実性腫瘍の頻度とみなすことができます。
3.今回の福島調査の結果を次のようにまとめることができます。:事故から1年後までの検診(18歳以下)甲状腺結節1.0% のう胞35.1%
4.過去の諸外国の未成年を対象とした甲状腺検診の結果と対比してこのデータを検討してみますと、

(1)チェルノブイリ・ゴメリ地方(福島市かそれ以上の汚染地域)における山下氏の検診成績
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/tyoki/bunka5/siryo5/siryo42.htm

1991年5月から1996年4月までの5年間で現地周辺12万人の調査解析を終了。つまりチェルノ事故の5年後から10年後までのデータを見ると、ゴメリ地域のこどもの甲状腺結節検出率は1.74%だった。

ということで、この「甲状腺結節」の頻度が「のう腫」を含む頻度だったなら、福島はチェルノブイリ・ゴメリ地方の36倍も高率に甲状腺の形態異常が発生しているということになります。他方「のう胞」を含まない頻度だったならば、福島県調査とほぼ同じレベルの甲状腺結節出現頻度であると考えられます。ただし、福島調査が放射線被ばくの1年以内のデータである一方、チェルノブイリデータは被ばく後5~10年経った時点でのデータであるので、「福島では、被ばくから1年経った時点で、チェルノブイリ・ゴメリ地方の被ばくから5~10年経った時点と同じ甲状腺腫瘍の発生率となっている」と言うことができます。放射線被ばくから年数がたつにつれて、甲状腺がんが増えるわけですから、未だガンかどうかの鑑別が付かないにしても、甲状腺の中に「しこり」が発生することは、将来の甲状腺がんの発生の恐れを示している可能性があるわけで、注意深く追跡する必要があると思います。

(2)慢性ヨード不足地域であるクロアチアの約5500名の11~18歳児の甲状腺検診
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1029709/pdf/archdisch00562-0027.pdf

甲状腺結節(結節にはのう胞を含む)検出率は0.055%(アロカ社の超音波装置で検査)でした。これは、福島調査の「結節」+「のう胞」検出率36%の70分の1という超低率です。百歩譲って「のう胞を含まない結節だけ」の頻度=1.0%と比べても、20分の1という低率です。10数年前の調査とはいえ、超音波診断技術にそれほど差があるとは考えにくいわけで、クロアチアよりも福島のこどもたちに甲状腺異常が多発している懸念を払拭できません。

以上の検討から、日本人の「平時」のこどものデータがないために、断定的なことは言えませんが、科学的な手法による福島のこどもたちの甲状腺のモニタリングをしっかり続けることが何よりも必要であると考えます。

松崎道幸
 ★転載、リンク自由です。転載の場合は全文でお願いします。転載先に必ずこの投稿のURLを明記し info@peacephilosophy.com かこの投稿のコメント欄に転載先のURLをご報告ください。

Tuesday, April 24, 2012

ECRR2010勧告の概要和訳 矢ケ崎克馬解説・監訳

ECRR(欧州放射線リスク委員会)2010勧告の「概要」 (239-243ページ)の部分の松元保昭さんの訳と、矢ケ崎克馬さんの解説・監訳で紹介します。松元さんによる前文に続き、PDF版へのリンクを記します。寄稿していただいた松元さんに感謝します。またこの勧告の全文訳は、松元さんの前文にもあるように、山内知也監訳『放射線被ばくによる健康影響とリスク評価―欧州放射線リスク委員会(ECRR2010年勧告』(明石書店刊)として出版されております。@PeacePhilosophy




【市民版ECRR2010勧告の概要―矢ヶ崎克馬解説・監訳】

配信にあたって

松元保昭
原発を推進することを「国策」としてきた日本の原子力行政の放射線防護基準は、一貫してICRP(国際放射線防護委員会)およびIAEA(国際原子力機関)の思想とリスク基準に依拠してきました。「安全神話」の根拠であるばかりか、避難勧告、避難区域の設定・見直し・解除、学童避難・疎開、自主避難の理解、水および農酪水産物など食品汚染評価および出荷制限、瓦礫処理、除染(移染)、大気、海洋、河川の汚染リスク評価、そして賠償・補償の基準づくりなど未完の重要な施策にICRPの考え方とリスク基準が用いられ、さらに今後の各種訴訟においても「国際的な参考基準」として適用されることが予想されます。

ICRPのリスク基準は、遺伝子学や分子生物学が確立される以前の段階でつくられたもので、原子力産業の擁護、推進を最優先とし、住民に放射線被曝を受忍強制させるばかりか、なによりも低線量放射線による内部被曝の危険性を「科学的に」無視ないし軽視していることが指摘されています。

IAEAとともに原発を推進するICRPへの根本的批判から生まれた『ECRR(欧州放射線リスク委員会)2010年勧告―低線量電離放射線被曝の健康影響』は、20115月にECRR2010翻訳委員会訳として美浜の会ブログに掲載され、201111月に山内知也監訳『放射線被ばくによる健康影響とリスク評価―欧州放射線リスク委員会(ECRR2010年勧告』(明石書店刊)として全文が翻訳出版されています。おかげで、放射線リスク評価をめぐる歴史的、倫理的、生物学的、疫学的な探求による体系的なICRP批判の全貌をみることができます。しかし山内知也監訳でも300数十ページもあり、多岐にわたりそれぞれ専門的な内容なので放射線学などに素人の私たち市民が理解することは、容易でないことも確かです。

放射線防護にかんする政府の諸施策の矛盾点、電力会社やマスコミの虚偽や虚構を見抜くためにも、このECRRの考え方とリスクモデルを、「市民の立場に立った放射線防護の基本」として理解することが非常に大切だと考えます。昨年から「市民版ECRR勧告」をネット上に登場させることはできないかと探ってきましたが、このたび内部被曝の専門家矢ヶ崎克馬さんが監修してくださり、いくつかの質問に応えるかたちで核心にふれた解りやすい解説を書きおろしてくださいました。お蔭で読みやすく、さらに市民の理解が可能な「勧告と概要」になったと思います。

2003年勧告にもとづく「ECRR2010年勧告」は、ICRPIAEAUNSCEARWHOの諸文書はもとより、5000以上の研究事例にもとづくYablokovをはじめ、RawlsPopperStewart,A,MPetkauSternglassTondelMillerLittleGouldGofmanBusbyBandashevskyなどわが国でもよく知られている哲学者、研究者、および澤田昭二氏はじめ日本人研究者23名を含むじつに655件もの研究論文および文書が包括的に参照されています。(ちなみに、IAEAWHOの報告はほとんどが英文文献による350例の参照にとどまります。)

これらの結論部分を、ECRR理事会が14項目(8ページ)に要約したものがこの「勧告の概要」(Executive Summary 理事会概要)です。勧告本文の最終章、第15.2節の「原理と勧告」12項目の最後には、「本委員会は世界中の全ての政府に対して現行のICRPに基づくリスクモデルを緊急の課題として破棄し、ECRR2010リスクモデルに置き換えることを呼びかける。」とあります。今後、長期にわたる闘いを余儀なくされている日本の市民が、政府や電力会社に対して内部被曝に適用できないICRPリスクモデル基準を撤回させることは重要な目標になっています。

冒頭に述べたように3・11後の、食品暫定規制値、学校放射線基準値、避難区域の解除、除染(移染)、瓦礫処理などをめぐって、方法的に低線量放射線による内部被曝を除外しているICRPのリスク基準に国民的な疑問が湧き起こり、政府関連諸機関がそれに正当に答えられないまま、受忍強制の施策が拡大している現状です。

年間1ミリシーベルトであった日本の被曝許容限度は、事故後、「緊急時年間20100ミリシーベルト」、「事故収束後年間201ミリシーベルト」というICRP基準をもとに拡大され、「直ちに健康に影響を及ぼす値ではない」などと公言したあげく、緊急時なのか収束後なのかをめぐっても恣意的解釈を通じてさらに国民に混乱を与えています。事故後、あわてた政府は首相官邸ホームページに、「放射線から人を守る国際基準~国際放射線防護委員会(ICRP)の防護体系~」(4/27)を発表して「ICRP基準」を強制し、6月には日本学術会議会長が、当時被ばく線量について動揺していた国民に対して、まったく無批判に「国際的に共通の考え方を示すICRP の勧告に従い」ましょう、と押し付ける異例の談話を発表する始末でした。

こうした動きを収束するべく、12月には細野原発事故担当大臣の要請によって元放影研理事長:長瀧重信、および放医研緊急被ばく医療ネットワーク会議委員長:前川和彦を共同主査とする「低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ」に「報告書」を作成させましたが、内容は終始ICRPのリスク基準を参照・追認するだけのものでした。現在の「科学的知見」は「国連科学委員会(UNSCEAR)、世界保健機関(WHO)、国際原子力機関(IAEA)等の国際的合意」であると前置きして、これらの「国際的な合意では、…100 ミリシーベルト以下の被ばく線量では、…発がんリスクの明らかな増加を証明することは難しい、…現時点では人のリスクを明らかにするには至っていない」などと、政府の施策である「年間20ミリシーベルト」を援護している「結論」を国民に押し付けています。この2月には首相官邸のホームページにも再掲されています。

低線量被ばくのリスク管理に関するワーキンググループ報告書:20111222
   http://www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko/info/twg/111222a.pdf


この「報告書」の重大な問題点は、「科学的知見と国際的合意」を意図的に混同し、「国際的に合意されている科学的知見」という偽装を大前提にしながら、「相反する意見、異なる方法やアプローチも含め」などと、「客観性」を装っていることです。私たち市民が目を覚まされた「レスボス宣言」や「ECRR(欧州放射線リスク委員会)2010」の勧告はもとより、「ドイツ放射線防護協会」、「IPPNW(核戦争防止国際医師会議)」、「ヒューマンライツ・ナウ(HRN)」、「クリラッド(CRIIRAD)放射能に関する研究と独立情報委員会」、「ベラルーシ放射線防護研究所」などの国際的市民科学者の提言、およびユーリ・バンダシェフスキー教授らの専門的知見を無視ないし黙殺し、さらに、わが国の誇るべき内部被曝研究者たちの研究成果と科学的知見も一顧だにしていない「報告」が現在と将来の日本の「リスク評価基準」になっているのです。

なお、ICRPIAEAUNSCEARWHOFAOなどの国連諸機関との歴史的な結びつき、癒着については、「ECRR2010年勧告」の第52節に詳しく描かれています。

●第5.2 節 外部および内部被ばくのICRP放射線被ばくモデルの歴史的由来http://www.jca.apc.org/mihama/ecrr/ecrr2010_dl.htm

また、中川保雄『増補・放射線被曝の歴史』(明石書店)に詳しいのでご参照ください。

昨年7月来日したECRRのクリス・バズビー博士は、羽田で次のように述べていました。
『先ず最初に知ってほしいのは、ICRPの基準は役に立たないということです。内部被曝によるガン発症数について誤った予測をだすでしょう。ICRPのモデルは1952年に作られました。DNAが発見されたのは、翌1953年です。


ICRPは、原子爆弾による健康への影響を調べるために設立されました。第二次世界大戦後、大量の核兵器が作られプルトニウムやウランなど、自然界にはないものを世界中に撒き散らしました。このためICRPは、すぐ対策を考えなければなりませんでした。そこで彼らは、物理学に基づいたアプローチをとりました。物理学者は、数学的方程式を使ってシンプルな形にまとめるのが得意です。しかし、人間について方程式で解くのは複雑すぎます。

ついで彼らは、人間を水の袋と仮定し、被曝は、水の袋に伝わったエネルギーの総量によると主張したのです。これはとても単純な方法です。人の形の水の袋に温度計を入れ、放射線を当て温度が上がったら、それが吸収された放射線量というわけです。…』

松井英介氏は「内部被曝問題研究会」の発足記者会見で次のように述べています。

http://www.acsir.org/acsir.php
『放射線被曝は、ひとつ一つ多様で異なっている細胞レベルで考えなければなりません。そして細胞レベルのDNAにどのような傷を与えたかを見なければならないのです。ところが国際放射線防護委員会ICRPは、この内部被曝をまったく無視してきました。

体内に入ったアルファ線、ベータ線は、外部からのガンマ線のように一回ではなく、繰り返し長時間、強い放射線を細胞に照射し続けて、細胞核のDNAの2本の螺旋に傷をつけますし、体内の水の分子がイオン化して毒性を発揮する、あるいは近年の分子生物学の成果で知られたバイスタンダー効果によって直接被曝していない隣の細胞が犯されて遺伝的不安定性・ミニサテライト突然変異を招くということも分かっています。このように細胞という場で様々な有害事象が起こっているのです。

人体は内部環境を保つために、免疫ホルモン、自律神経など様々なバリアーやフィルターがありますが、胎盤もその役割を果たしています。ところが100ナノ以下の粒子は胎盤を通過してしまいます。胎児、幼児、子供の細胞の代謝活動は大人以上に活発ですから、子どもは質的に異なる存在とみなければなりません。ICRPは、この子供も大人と一括して扱うのです。

ですからECRRが2003年に提起したように、内部被曝モデルと外部被曝モデルを区別して考えなければならないのです。

ICRPは発足当時、「内部被曝委員会」を設置しましたが、これを2年で閉じてしまいます。その委員長であったカール・モーガンが「ICRPは原子力産業に依拠する立場であったため」と証言しています。つまり通常運転中の原発周辺5キロ圏内にも昆虫や植物の奇形が生まれ、5歳以下の幼児の白血病が2倍以上という結果も報告されています。原子力産業を推進するICRPにとっては、こうした内部被曝の影響を認めるわけにはいかないのです。』


この420日、農水省は食品関連の270団体に国の規制値よりも厳しい独自基準で検査することを止めるよう通達を出しました。事故状況や汚染状況の不作為・隠蔽からはじまり、マスコミを使っての除染の過大宣伝、瓦礫の広域処理宣伝など、市民に無理やりICRP(あるいはそれ以上の)「基準」を押し付ける日本という国は、放射能を封じ込めないで言論を封じ込めようとする挙に出ている状況です。放射能を拡散した責任者を処罰することもなく、子どもたちとその未来を放射能と誤魔化しで覆うことは、許されないことです。

市民のいのちと健康を守る施策を実現させ、賠償と補償を勝ち取り、今後の訴訟に打ち克つために、政府関連機関と電力会社が「基準」と信じ込んでいるICRPへの根本的批判と内部被曝の基本的事実が述べられているこの「市民版ECRR2010勧告の概要―矢ヶ崎克馬解説・監訳」をネット上で自由に活用、普及していただきたいと願っています。20124月松元保昭記)
以下、本文へのリンクです。

市民版ECRR2010勧告の概要本文と解説前半(翻訳 松元保昭 解説・監訳 矢ケ崎克馬)
https://docs.google.com/open?id=0B6kP2w038jEAcE5hZDNnTlp1NjA

市民版ECRR2010勧告の概要本文と解説後半(翻訳 松元保昭 解説・監訳 矢ケ崎克馬)
https://docs.google.com/open?id=0B6kP2w038jEAWE5IVEZwdVI3Zmc

ECRR2010勧告原文(英語)はこちらです。
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/pdf/ECRR_2010_recommendations_of_the_european_committee_on_radiation_risk.pdf


Sunday, April 22, 2012

20年後も大きく広がる汚染地域: 政府被曝マップ発表 毎日新聞報道

毎日新聞より。

放射性物質:高線量域20年後も 政府、初の予測地図公表

毎日新聞 2012年04月22日 22時24分(最終更新 04月23日 00時11分) 
政府は22日、東京電力福島第1原発事故で福島県内に放出された放射性物質を巡り、20年後までの年間空間線量率の予測図を発表した。昨年11月の航空機モニタリング結果を基に▽12年3月末▽1年後▽2年後▽5年後▽10年後▽20年後−−の6枚を公表。平野達男復興相は「理論値に基づいた予測図であり、除染の要素は加味していない」と説明した。
政府が長期にわたる将来予測図を示したのは初めて。各自治体が住民の帰還計画などを作る際の判断材料にしてもらうため、第1原発から北西方向に延びる高汚染地帯を中心に作成した。それによると、原発が立地する大熊町と双葉町の境界付近では20年後でも居住が原則制限される帰還困難区域(年間被ばく線量50ミリシーベルト超)が、両町に加えて浪江町、葛尾村では居住制限区域(同50ミリシーベルト以下20ミリシーベルト超)が残る。
予測図は福島市内でこの日開かれた原発周辺の8町村長との意見交換会で示した。帰還困難区域は賠償が長期にわたるため、細野豪志原発事故担当相は「しっかり検討する地域だと認識している」と述べた。【清水勝、水戸健一】
元の政府の資料が見つからないので記録のために以下、毎日のサイトからの図表を転載する。メディアの報道では高線量の地域に焦点が当たっているが、実際に人が住んでいる年間1ミリシーベルト以上から20ミリシーベルトまでの場所に注目する必要があると思う。20年後までも大きく広がっている濃い青の地域(年間1から5ミリシーベルト)、薄い青(5-10)、緑(10-20)の地域は避難対象とされていないだけに、市民はよく見ておくべきである。政府が長期にわたる予測図を示したのは初めて、と上の報道にはあるが、年間被ばく量予測でこのような汚染地図を発表したのも稀なことと思う。そしておそらくこれは内部被ばくを考慮していない予測であると思われる。

政府はこれを帰還計画の目安として発表したようだが、この地域に住んでいる人たちの今後の避難計画にも役立ててほしい。また、福島東部にだけ限定してこのような予測を発表して他地域を隠していることは大問題であり、一刻も早く東日本全体の図を発表すべきである。@PeacePhilosophy




2012年3月末の予測


1年後(2013年3月末)の予測


2年後(2014年3月末)の予測


5年後(2017年3月末)の予測


10年後(2022年3月末)の予測


20年後(2032年3月末)の予測

Saturday, April 21, 2012

消費者の選択権を奪う農水省「独自基準やめろ」通達 Food Ministry tells private sector to adhere to the government standard of radiation in food

Scroll down for English. 英語情報とコメントを追加しました。

読売新聞(4月21日)より。
食品検査、独自基準やめて…農水省が通知
食品中に含まれる放射性セシウムの検査で、国の規制値より厳しい独自基準で検査をする動きが広がっているとして、農林水産省は20日、食品関連の270団体に、国の規制値に基づく検査を求める通知を出した。
同省は「独自基準は、国の新規制値を形骸化させる」としている。
国は4月から、暫定規制値(一般食品に含まれるセシウム1キロ・グラム当たり500ベクレル)を改め、新規制値(同100ベクレル)を導入。ただ、一部の食品スーパーや消費者団体などは「消費者により安全・安心を届けたい」として、100ベクレルよりも厳しい規制値を独自に設けている。通知は「過剰な規制と消費段階での混乱」を避けるため、新規制値に基づく検査を要望。規制値は世界的にも厳しい基準であることを強調している。
農水省の通知はここにある。
食品中の放射性物質に係る自主検査における信頼できる分析等について (平成24年4月20日付け24食産第445号農林水産省食料産業局長通知)(PDF:442KB)
食品中の放射性物質に係る自主検査における信頼できる分析等について (平成24年4月20日付け24食産第445号農林水産省食料産業局食品小売サービス課長・食品製造卸売課長通知)(PDF:252KB)

それでは、無農薬、低農薬、無添加の食品を売る業者にはどうして同じような通達を出さないのか。どうして放射性物質に限っては政府が定めた基準の通りに汚染を体内に入れさせられなければいけないのか。まったく理屈が通らない。これは市民の選択権を奪う通達である。

特に食品以外からの被曝が多い汚染地域に住んでいる人たちは、少しでも食品による被曝を最小限にしてトータルの被曝を最小化したいという願いがあるのではないか。ある食品を他の食品より多く食べる人は、その特定の食品については基準以下のものを食べたいという希望があるのではないか。

また、乳児用食品の基準値が一般食品の半分のキロ50ベクレルとされている。乳児は「乳児用食品」として売られているものだけを食べるわけではない。親の食べているものをだんだん食べさせる親や、手作りで離乳食を作る親は、国の基準を守ろうとしても、どうやって買う食材がキロ50ベクレル以下であるとわかるのか。

私たちの健康と、特に未来を担う子どもたちを守るためにも、「国の言う通りに被曝せよ」との通達に抗議する。各地の農業漁業関係者、メーカーも小売店も消費者も、このような通達に惑わされず信念に基づいた行動をとってほしい。@PeacePhilosophy

参考資料

ドイツ放射線防護協会から:チェルノブイリの経験に基づき、野菜、飲料等についての提言

新基準値で更新した「こんなに緩い日本の暫定基準値」

From Mainichi Shimbun report on April 21.
Farm ministry asks food industries to abide by gov't-imposed allowable radiation limits
http://mainichi.jp/english/english/newsselect/news/20120421p2a00m0na012000c.html

The Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries has sent a notification to 270 organizations related to the supermarket, restaurant and other food-related industries, calling for them to abide by government-imposed allowable limits for radiation in their products. There are cases of food-related and other industries setting their own standards that are even tougher than the government-imposed limits, and therefore the agriculture ministry said, "The national standards fully ensure safety. Different standards create confusion." With respect to radioactive cesium in food items, the government set new allowable limits in April at 100 becquerels per kilogram of regular food and 50 becquerels per kilogram of milk and baby food. Suggesting that the government-imposed limits are strict by international standards, the agriculture ministry called for food-related industries to apply the government-imposed standards even to voluntary checks on their food products for radiation in a bid to avoid confusion that could be caused by excessive restrictions. Stressing the need for scientifically reliable analysis even for voluntary inspections, the agriculture ministry has been advising food-related companies to use organizations that are registered with the ministry to conduct independent inspections of their food products. The agriculture ministry has come under criticism and complaints from food-related industries for sending the notification. The Seikatsu Club Consumers' Co-operative Union, which sells and delivers food products to its members across the country, has been inspecting almost all products it handles for radiation, and it set its own standards that are stricter than the national standards on April 1. Hiroshi Tsuchida, in charge of product quality control at the co-operative union, said, "It is the consumers' right to select safer food, and the notification is too demanding. The national standards are not considered reassuring in the first place, and therefore if they are forced upon us, the government will lose all the more confidence." Yukiguni Maitake Co., a major manufacturer and seller of mushrooms in Niigata Prefecture, set its own allowable radiation limit at 40 becquerels per kilogram of mushrooms in November last year and lowered it to 20 becquerels this March. The company said it has not confirmed the receipt of the notification from the agriculture ministry. But it said it would continue to use its own standard. "We understand the importance of protecting producers, but our company has received requests from consumers to lower our standard. We have a responsibility to meet the needs of consumers," an official with the company said.

(Mainichi article end) 
By what right would the government deprive citizens of the right of choice? The government does not issue such directives to food growers and manufacturers that produce foods with low or no pesticides, chemical fertilizers, and additives. Why would it force retailers and consumers to strictly abide by the "allowable" standards only for radiation in food? 

People should be able to make informed choices and retailers and manufacturers should have the right to cater to consumers' needs. Those who live in Fukushima and other contaminated areas may wish to minimize their radiation intake, since they already have taken in more radiation than those in other areas, since 311. Those who eat more of certain foods than other foods may wish to minimize radiation intake from those particular foods. Rice and soy beans are good examples. Many in Japan eat rice and soy beans in each meal, and may wish to eat those foods with as low radiation as possible in order to minimize the total intake. Government and industry SELL food. Consumers EAT food. Those who EAT the food should be able to know and choose what to eat, and what standards of radiation in food they can tolerate.

Another government-oriented (not consumer-oriented) approach in the new standards is the 50 Bq/Kg standard for baby food. Has the government ever given thought to the fact that babies eat foods other than those with "baby food" labels?  Many babies eat from the family members' plates, and food specially prepared by their caregivers. Provided that some parents and caregivers trust and follow the government standard of "allowable radiation" (many don't), how can they obtain ingredients below the baby's standard (50 Bq/kg) when all foods up to 100 Bq/kg are allowed on store shelves?

The government directive orders citizens to be irradiated as the government regulates, without choice and without knowledge. We should strongly protest such a move, and the food growers and manufacturers should stand firm in their principles of radiation protection and meeting consumers' needs, for the health of people, particularly children. @PeacePhilosophy

Tuesday, April 17, 2012

沖縄についての「誤解」-沖縄県「地域安全政策課」主任研究員の米国シンクタンク寄稿文について


沖縄についての「誤解」-沖縄県「地域安全政策課」主任研究員の米国シンクタンク寄稿文について

2012年4月17日

ガバン・マコーマック 乗松聡子

新設された沖縄県地域安全政策課の吉川由紀枝主任研究員による、米国の戦略国際問題研究所(CSIS)への寄稿文(2012年4月5日付)について以下の報道がされている。

県研究員が県経済の基地依存否定(沖縄タイムス)http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-04-11_32333/

県「統合案支持ではない」三連協に説明(沖縄タイムス)
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-04-12_32376/

普天間移設 県研究員が統合提案(琉球新報)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-189809-storytopic-3.html

原文のリンクはここである。
Misunderstandings on the US Military Bases in Okinawa http://csis.org/files/publication/pac1224A.pdf

報道では嘉手納統合案に焦点が当たっているようだが、この論文には議論すべき重要な論点が他にもある。沖縄や日本の人々の目に触れることは大事であると信じ、以下に翻訳し、我々のコメントを後に記した。この投稿の理由は、この地域安全政策課が目指している、闊達な議論を促すという目的を共有するからである。コメントを歓迎する。

  沖縄米軍基地についての誤解

  吉川由紀枝

海兵隊普天間飛行場の移設問題は、日米間の長期間にわたる論争の種となってきた。関係者全員-米国、日本、沖縄-が、普天間は(住宅地に隣接しているため)危険であると合意し、事故リスクの除去と地元における米軍フットプリントの減少(負担軽減)という目的を共有し、日米同盟を強く尊重している中、この状況は特異なものである。二つの中央政府の大変な努力にもかかわらず、この問題はほとんど20年間も解決されない状態が続いている。

我々は、誤解のこじれを解き、意志疎通の不足を解決し、この問題を終わらせる必要がある。この問題については沖縄からの視点がほとんど語られていない。そこで、ここで沖縄についてのよくある誤解3点について述べ、沖縄が本当に何を欲しているのかを述べる。

誤解1「沖縄は基地経済に依存している」

米軍基地は、米軍資材調達、基地労働者の給与、地代(基地関連収入)によって地元経済に貢献している。このことから、基地収入の減少を懸念し、基地はそのままであるべきだという声がある。しかし実際は県GDPにおける基地収入の割合は低く、2006年には5.4%であった。沖縄返還時の1972年には15.6%だったことに比べれば顕著に減少している。

対照的に、1972年時と比べると、沖縄の主要産業、観光産業は2008年には基地収入より多くの収入をもたらした。1972年時に比べたら逆転したのである。1972年の観光収入は9千万ドル、基地収入は3億1670万ドルであった。2008年には観光収入は41億ドル、基地収入は33億ドルであった。したがって、一般的認識に反し、沖縄では他産業の方が経済効果をもたらす能力があり、基地収入より多くの収入をもたらしている産業もある。2010年には基地労働者は9135人だったのにくらべ情報産業では2万212人であった。

誤解2 「沖縄は米軍基地について『サラミ・テクニック』をもちいている」訳注:サラミを薄く削り取るようなイメージから、少しずつ取り除いて最後には全部取っていくという意味

普天間が返還されたら、沖縄は次から次へと返還を要求し、最後には全部の返還を求め、妥協を全く認めないだろうと思っている人がいる。この議論は、沖縄本島の南北の経済格差、海兵隊に対する強い感情、沖縄人が基地受け入れについて言っていることを無視している。一点目として、一般的に言うと、本島北部は山がちで、80%の人口が住む南部は平地である。沖縄が特定の土地の返還を要求するのは、その土地の経済的可能性を反映しているのである。

普天間と、2006ロードマップで返還されることになっている4基地(キャンプ桑江、キャンプ瑞慶覧、牧港サービスエリア[キャンプ・キンザー]、那覇港湾施設)は全部本島南部に位置し、沖縄の人々に返還されたら高い経済効果を期待できる場所である。野村総研の推計によると、この5基地が返還されたら経済効果は33倍になり得る。たとえば、普天間(481ヘクタール)が返還されたら、年間の商業活動はドル換算では現在の1億5千800万ドルの基地関連収入から激増して56億5千200万ドルとなる。北谷の美浜とハンビー地域(65.4ヘクタール)が返還された後、商業収入は4000ドルから6億9千580万ドルと大きく増加した。沖縄が海兵隊普天間飛行場、キャンプ・キンザーと他の南部の基地返還を要求する正当な経済的理由があるのは明白である。

二点目として、海兵隊削減は、地元住民の反対感情に大きな変化をもたらす。この反対感情は主に、海兵隊は他軍に比べたら犯罪数や事故数が多いということによる。例を挙げれば、2011年には、海兵隊が犯した、または関与した犯罪や事故は50件に上る。空軍は27件、海軍は7件、陸軍は6件であった。この5基地のうち4基地が海兵隊のものであるということは沖縄に歓迎されるもう一つの要素となるだろう-空軍を含め他軍を受け入れている地域はこの強い感情を共有していない。

三点目として、受け入れ地域が何を言っているのかにもっと目を向ける必要がある―宜野湾市は、沖縄県と同様に常に普天間返還を訴えてきた。嘉手納基地(南部のもう一つの重要基地)については、沖縄県と嘉手納基地を抱える地域は騒音を減らすことを欲している。

誤解3 「沖縄は金が欲しいだけだ」

多くの批判者たちは「沖縄は金が欲しいだけである。それで強気の交渉をしてきている」と言う。実際はそれどころか、沖縄は著しい経済発展をしてきており、東京が沖縄の基地への支持を金で買えるという一般認識は有効性を失ってきている。2010年名護市長選で辺野古案に反対する稲嶺市長が当選したことからも、沖縄を説得するのに金は適切な言語ではないことがわかる。政府が寛大な提供をしてきたにもかかわらず、名護市の一人当たりの所得は1997年以来、沖縄のそれよりも常に低い状態が続いている。

沖縄は日本の他地域との基地負担分担において、尊厳と公平性を求める。他の地域が米軍のフットプリント(駐留)を欲していないからというだけで沖縄が基地負担をすべきだ、という中央政府の説明は沖縄人に受容できるものではない。沖縄の「NO」に、どうして他地域からのそれと同じ重みを与えないのか。日本政府は本土25か所を検討したというが、あらかじめメディアにそれをリークして、各地域に「自分の裏庭に持ってくるな!」という反対感情を強化する時間をゆるし、それらの地域の苦情を受け入れ、そのまま先に進んだ。これでは真剣に検討したとは言えない。

鳩山首相は、日本と東アジアの安全保障のためには沖縄の米軍基地が必要であるという政府の主張に対する沖縄の人々の信頼を壊した。沖縄が抱く疑問への、明解で誠意のある回答を求めている。

どうして沖縄が1945年以来ほとんど変わらず、日本全体の74%の米軍基地を負担しなければいけないのか?一つの島に集中させるのではなく、仕掛け線として、沖縄を含め日本の西海岸沿いの何か所かに米軍基地を分散させる方が、オーストラリア、シンガポール、フィリピンを含む東アジア全般に武力を分散させる最近の米軍の戦略に沿ったものとなる。

沖縄は何を欲しているのか

先述の様に、沖縄にとって普天間と他4基地の返還には強い経済的理由があり、日米両政府がこの方向に動くように最大の尽力をすることを歓迎する。沖縄は、普天間返還と部隊移動の件を切り離すという最近の発表を評価する。しかし実際悪魔は細部に宿るというし、まだ細部が公開されていないので、沖縄は何ごとも声高に言うことは躊躇する。

仲井眞知事は、辺野古案を推進するには名護市長と県知事の両方の合意が必要だと信じる。名護市民は辺野古案に反対する市長を選び、知事は、少なくとも任期終了の2014年末までは、知事が立場を変えることのできるような政治的状況になる希望はほとんどないので、知事は日米に案を修正するように要請している。

辺野古案にもっと許容的な政治的状況をつくりだす可能性のある次の名護市長選まで待ったらいいという見方があるかもしれないが、市長選は2014年までないし、沖縄の人々はそこまで待てない。さらに、知事選が同じ年に予定されており、知事と名護市長が辺野古案を支持できるような政治的状況になっているかどうかはわからない。

大ざっぱに言って、沖縄の人々の中で基地に賛成の人(そのうち多くは防衛省からの請負事業から利益を得る人たち)は少数派であり、基地全ての返還を要求する反基地の人たちも少数派である。大多数は物言わぬ多数派であり、その人たちは穏健派で、アメリカ文化と(基地の)経済効果への憧れ(特に過去のそれら)と、米軍兵、特に海兵隊による犯罪と、騒音を含む基地がもたらす不都合に対する怒りと悲しみという感情を併せ持っている。鳩山首相のフリップ・フロップ(ころころ変わること)が、この物言わぬ多数派の人たちを遠ざけてしまったので、この人たちが辺野古案に支持を表明するのには時間がかかると見られる。(訳者注:4月12日の時点でプリントアウトした記事には、「大ざっぱにいって、沖縄では基地賛成は20%、反基地は20%、残りの60%は物言わぬ多数派」と、具体的な数字がついていたが、4月15日の時点でこの部分は削除されている。

沖縄の人々にとっては、沖縄の政治的状況に従いながら、なるべく早くに米軍基地の具体的な削減をすることが一番の優先順位を持つ。沖縄の人々は、ジム・ウェブ上院議員、ジョージ・ワシントン大学のマイク・モチヅキ氏、ブルッキングズ研究所のマイケル・オハンロン氏などが提唱する代替案を知的に探究することを評価する。

次のような案はさらなる検討に値する。
-嘉手納基地のフットプリント(基地影響)を現在より減らしながら普天間の嘉手納基地統合をすること。私は、嘉手納のフットプリントを今のレベルより大きくする案はいかなるものでも地元に受け入れられないことをここで強調する。
-米国の海兵隊削減の線に沿った沖縄海兵隊の相当数の削減
-二段階の方法:まず暫定的に海兵隊を岩国、嘉手納、プラス/あるいは自衛隊基地に移動することで普天間を空にし、日本政府が普天間代替施設として適切な場所を探す時間をかせぎ、そしてその場所に普天間基地を移設する。

2012年4月、沖縄県庁は、地域安全政策課という、沖縄なりの代替案を作成し、それらについて外部の専門家や日米両政府と協議するための新しい部署を創設した。日本の一自治体としては踏み込んだ動きといえる。沖縄県庁は固定観念にとらわれない考え方をし、在日米軍の責任ある受け入れ地域として、地域安全保障に誠実な貢献をする者として、そして長年十分苦しんできて、今も苦しみ続けている沖縄の人々の誇り高き代表者として、この部署を設立した。

(翻訳 以上)

これに対し、我々は以下のような論点を提起したいと思う。

この論文は、「沖縄が基地経済に依存している」とか、メア差別発言に象徴されるように「沖縄が金目当てである」といった理解が間違っているという、重要な指摘を海外に対して発信している。基地負担や普天間移設候補地選びにおける本土の沖縄に対する差別を糾弾し、公平さと尊厳を求めていることも正当な議論といえる。

しかし、この論文は沖縄を在日米軍の「責任ある基地受け入れ地域」と呼び、現状の日米同盟と安保条約の無批判の受容を大前提としているように見える。まずはこの大前提に疑問を投げかけたい。この論文を読んだ沖縄の作家、浦島悦子氏はこう言う(著者へのメールにて)。

そもそも沖縄の米軍基地は、沖縄が責任をもって受け入れたものではなく、日米両政府によって押しつけられたものであり、それが今まで続いていることが極めて不当かつ異常であることが問題の本質です。「物言わぬ多数派」がそのことに気づき、考え、物を言うようになったからこそ、状況が変わり、知事も姿勢を変えざるを得なくなったのであり、彼らはもはや「物言わぬ多数派」ではなく「物言う多数派」となっています。

日米と沖縄が「日米同盟を強く尊重している」、とも述べているが、沖縄についてはどうだろうか。2009年の県民世論調査では、米軍の日本駐留を含む日米安保条約について「維持すべきだ」と答えたのは16.7%に過ぎず、10.6%が「破棄すべきだ」、42%が「平和友好条約に改めるべきだ」、と答えている。安保条約と米軍駐留自体にまったく疑問も呈さない姿勢で「沖縄の欲すること」を代弁できていると言い切れるだろうか。この論文は、被支配や戦争被害の「歴史」を乗り越え「現在」に生きることを訴え、日米軍事同盟の容認を前提にした「基地沖縄」の存在意義を強調し、厳しい批判の対象となった2000年の「沖縄イニシアチブ」の新バージョンように見える。4月2日『琉球新報』には、「沖縄イニシアチブ」で中心的役割を果たした高良倉吉氏(琉大教授)を地域安全政策課のアドバイザーに迎えるとあることからも、そう思えて仕方がないのである。

また、この論文には、南北の経済格差を指摘しながら、80%の人口を擁する平地の南部のために、「山がち」で人口も少ない北部が犠牲になってもいいような論調がある。これでは、日本における沖縄構造差別がある一方、「経済的ポテンシャル」の大きい南部を北部より優先させるという形で沖縄県内の構造差別を強化してしまうのではないか。基地返還の理由を経済的理由に絞り込み、辺野古案の懸念である、ジュゴンを含む大浦湾の生態系への影響や、人口の少ない地域の基地被害、とりわけオスプレイ配備により予想される被害の増大を考慮していないのではないか。この論文は、北部訓練場におけるヘリパッド移設やオスプレイ配備がもたらす地元住民への危険性増大や、やんばるの森の自然環境への影響にも全く触れておらず、北部切り捨て策であると思われるのではないか。

また、一番の問題は海兵隊であり、空軍等他軍の基地受け入れ地域の人々は米軍の犯罪や事故に対する「強い感情」を共有していないという見方も議論の必要があるのではないだろうか。嘉手納のフットプリントを増やさないといいつつも、受け入れ地域が欲しているのは騒音減少であり、海兵隊に対するものほどの強い反対感情はないので、普天間基地の統合をしやすいと論じているようにも読める。

さらにこの論文は、2010年知事選でも結果的に辺野古案を支持した候補に投票した人は2%程度だったこと、また数々の選挙、自治体決議、県民大会、世論調査、辺野古や高江で長期間続く市民による反対運動、不正アセスに対する県を挙げた怒りなどに見られるように、辺野古移設案には県民大多数の反対があるということを、民意の表れというより「政治的状況が許さない」という視点でとらえ、沖縄県知事は「政治的状況」さえ許せばいつでも辺野古案支持に戻りたいという姿勢を表明しているように見える。

仲井眞知事は、前知事選の直前に、従来の県内移設容認を翻して県外移設に立場を変えた。それは、県内の大多数が辺野古移設に反対しているという「政治的状況」があったからであった。この論文はそれを否定的にとらえ、その責任は、鳩山首相が沖縄の人々の米軍沖縄駐留への「信頼」を壊し、「物言わぬ多数派」を翻弄したせいとする。辺野古案反対が高まったことを否定的にとらえ、しかも全て鳩山氏の資質-「フリップフロップ」(ころころ変わること)のせいにしているように見える。沖縄のジャーナリスト吉田健正氏は、この論文の沖縄世論についての理解をこう見る(著者へのメールにて)。

吉川氏の「基地全ての返還を要求する反基地の人たちも少数派である。大多数は物言わぬ多数派」というのは、一昨年の県民大会や県議会決議で表明された全県的な基地反対、沖縄県民の戦争体験や占領下の戦後の人権や強制的土地接収の問題などに関する多くの人々の記憶、40年前の「本土復帰」で変わらなかった米軍基地の実態(現在も続く米軍優先の安保、沖国大への墜落ヘリ墜落や少女暴行事件や飲酒運転などの米軍関連の事故・事件、汚染問題)への悔しさを無視しています。世論調査の結果も無視しています。

鳩山氏の「最低でも県外」の公約は、沖縄の多くの人々の、諦めていた本来の希望を呼び起こしたのではないのか。鳩山氏が辺野古案に最終的に回帰して沖縄の多数の人々を失望させたのは確かだが、それは日本の官僚機構や米国が彼の言うことを聞くのを拒んだからではないか。鳩山氏自身にも責任はあるだろうが、彼のように虐待や威嚇にさらされた首相はいなかった。鳩山氏が潜在的な民意の目覚めのきっかけを作ったこと自体を非難し、その民意自体をまた鎮静することによって辺野古案を受け入れる「政治的状況」が生まれることを願う論調は、「沖縄の欲すること」を代弁しようとしているこの論文の目的自体に背くことなのではないか。沖縄の多数派が「辺野古案に支持を表明するのには時間がかかると見られる」ということは、鳩山氏のような「ころころ変わる」人間さえいなくなれば沖縄も名護市も辺野古案で説得し切れるだろうと言っているように聞こえる。「ころころ変わる」と言えば、仲井眞知事が同じくらい、いやそれ以上の「ころころ変わり」人間なのではないか。辺野古移設容認だったのが、2010年の知事選前に立場を変えた。しかし今も県内移設に明確に反対せず、また立場を変える余地を残しているようだ。「県外移設の方が早く解決できる」と言っていることから、辺野古案自体に根本的な問題はないと思っているようだ。

この論文の趣旨は、沖縄県民を代表して、よくある誤解を正し、「沖縄の欲するもの」を伝えることのようだが、県庁の新部署・地域安全政策課の主任研究員として、著者の吉川氏は県庁や知事の見解を読者に提示するものなのか、この課の研究の成果の一環として発表しているのかが不明であり、その辺を明らかにする必要があると思う。特に、県政府やその首長の方向性と、沖縄の市民社会とその自律性の間に横たわるギャップがあるとしたらそれをどうすり合わせていくのか。「沖縄の欲するもの」といった表現をするときの「沖縄の人々」とは誰のことを指しているのか。先に触れた琉球新報の記事や、沖縄タイムスの報道(リンク)によれば、地域安全政策課には、吉川氏の論文でも触れられているマイク・モチヅキ、マイケル・オハンロン両氏に加え、「米外交問題評議会(CFR)のシーラ・スミス上級研究員やライシャワー東アジア研究所のケント・カルダー所長」といった米国のアドバイザーがいるようだが、もっと重要なことは沖縄の市民社会とどのように関わっていくかということなのではないか。沖縄の人々で構成されるアドバイザーのグループというものを設置する予定はあるか。また、この地域安全政策課にどれだけ批判的能力を発揮する自由が与えられているのか。要するに、必要とあらば県庁や県知事を批判的に見ることができるのか。

繰り返すが、この論文が、沖縄経済の基地依存度に関する間違った認識を指摘し、本土が過重な基地負担を沖縄に押し付けている不平等性や差別を是正する重要性について述べていることは評価し、日本本土や米国に対して、何度言っても言い過ぎということはないと思う。県庁の中にできたシンクタンクとも言える地域安全政策課の研究成果が県内外、海外に広く知られ、沖縄の人々の声が政策決定に影響を及ぼしていくことに貢献してほしい。

以上

ガバン・マコーマック(オーストラリア国立大学名誉教授)と乗松聡子(在カナダ/ピース・フィロソフィー・センター http://peacephilosophy.com代表)は英文誌『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』http://www.japanfocus.org (2002年設立、2008年琉球新報池宮城秀意記念賞受賞)のコーディネーターである。2012年7月、共著で Rowman & Littlefield 社から Resistant Islands: Okinawa Confronts Japan and the United States 刊行予定。

PDF版はここにあります。
https://docs.google.com/open?id=0B6kP2w038jEAVFBwSzRLUng0YVU

リンク歓迎、転載は自由ですが、全文と本記事のURL http://peacephilosophy.blogspot.ca/2012/04/blog-post_18.html を明記してください。その上で転載先のURLとともにご報告ください。この投稿についてのコメントや問い合わせ、転載の報告は、info@peacephilosophy.com にお願いします。コメントをいただく場合、公開していいかどうか付記してください。


追記:この投稿についてコメントしているサイトを紹介します。

Project Disagree 合意してないプロジェクト「主体的な安全保障?のつづき」
http://www.projectdisagree.org/2012/04/blog-post_18.html



Thursday, April 12, 2012

沖縄ができる復興支援はがれき処理ではない: 浦島悦子

『沖縄タイムス』3月31日に掲載された、沖縄・名護市の著述家、運動家、浦島悦子さんの記事を紹介します。

福島原発事故が勃発して間もない2011年4月はじめ、浦島さんのメールからの言葉を引用しました。
なんという世界を私たちは作ってしまったのか。水も空気も土壌もすべて汚染され、命を育むはずのものが命を脅かすものになってしまった・・・ 未来の子どもたちに私たちが犯してしまった罪を思うと身震いします
あれから一年。この浦島さんの言葉が一層の重みをもって、のしかかってきます。@PeacePhilosophy
Urashima Etsuko

沖縄ができる復興支援とは?

 東日本大震災・福島原発事故から1年以上経った今も被災地の復興は思うように進んでいません。復興を妨げている最大のものが災害がれきだと、政府はその広域処理を全国的に推進しようとしています。沖縄でも、被災地の痛みを分かち合おうと、がれき受け入れの動きが始まっていますが、それが被災地復興への支援であり、ユイマールの心であるというのは、ほんとうなのでしょうか?

 朝日新聞が今年2月に行ったアンケート調査によれば、被災地域住民が優先すべきと考えている最大の課題は、雇用、原発事故の収束・放射性物質の除染、心のケアなどであり、がれきの処理ではありません。地元はむしろ「1020年かけて地元で片づければ雇用も発生する」(岩手県岩泉長の伊達町長)と広域処理には否定的です。

 福島原発事故による放射性物質を含んだ震災がれきを、政府は1kg当り8000ベクレルまで全国で処理できるとしています。しかし国際基準は100ベクレルであり、それ以上のものは処分場に閉じこめ厳重な管理下に置かれています。日本でも震災の前までは同様でしたが、原発事故後、何の根拠も示さないまま基準を80倍にも引き上げたのです。がれき受け入れを打診された全国各地の自治体が「人体への被害がわからないものを検討はできない」と拒否するのは、地域環境や住民の健康を守る立場から当然です。そもそも放射性物質は発生源からできるだけ近い場所に封じ込め、拡散させないことが原則であり、東京電力と政府はそこに全力を注ぐべきです。  莫大な血税を使って全国に放射性物質をばらまき、安全な場所をなくしてしまうことがユイマールであるとは思えません。

 沖縄はいま、皆無とは言わないまでも国内で最も放射能汚染の少ない安全な場所です。
放射性物質の影響をいちばん受けるのは細胞分裂のさかんな子どもたちですが、チェルノブイリの経験から、汚染のない場所に1カ月滞在すれば子どもたちの体内のセシウムが激減し、健康状態がよくなることが立証されています。夏休みや春休みなどに福島の子どもたちを沖縄へ受け入れる試みが既に行われており、今後、保養地としての大きな役割が期待されています。また、汚染された食物による内部被曝が問題になる中で、亜熱帯の自然の恵みと汚染のない土で育てた安全な食材を、被災地をはじめ全国の子どもたちに届けることこそが、沖縄ができる最大の復興支援ではないでしょうか。     (浦島悦子) 


このサイトの浦島悦子さんの記事:

2012年1月6日
浦島悦子:辺野古アセス評価書、防衛局が未明の「奇襲」-稲嶺名護市長「あきれてものが言えない」 http://peacephilosophy.blogspot.ca/2012/01/blog-post.html

浦島さんの著書は、こちらを

Wednesday, April 11, 2012

ジョン・ハラム:北朝鮮衛星発射に対するダブルスタンダード John Hallam: Double Standard on DPRK Space Launches

今回はオーストラリアの反核活動家、PND(People for Nuclear Disarmament) のジョン・ハラム氏の記事 "DOUBLE-STANDARD ON DPRK SPACE LAUNCHES" の和訳を紹介する。

この記事でも触れられているインドのアグニミサイル発射だが、天木直人氏のメルマガ(前投稿のコメント欄で紹介)にもあるように、今日(4月12日)になって、中国を射程に入れた弾道ミサイル実験計画が報道された。
インド、弾道ミサイル実験へ…中国全土を射程 
【ニューデリー=新居益】インド国防省当局者は11日、読売新聞に対し、核弾頭搭載可能で中国全土を射程に入れる弾道ミサイル「アグニ5」(射程5000キロ・メートル)の発射実験を16~24日に実施すると述べた。 アグニ5は、インドが昨年11月に初めて発射実験に成功した中距離弾道弾「アグニ4」改良型。アグニ4は、射程3500キロ・メートルで、中国の一部しか射程におさめられなかった。アグニ5の発射実験は、潜在的ライバルである中国への抑止力とすると同時に、米露といったミサイル大国の仲間入りを果たし、国際社会での発言力を高めたい狙いがあるとみられる。アグニ5は、射程5500キロ・メートル以上と一般的に定義される大陸間弾道弾(ICBM)に近い能力を持ち、インド国防省はICBMと称している。3段式で固体燃料を使用するという。(2012年4月12日08時55分 読売新聞)
これは堂々と核弾頭搭載可能の弾道ミサイル実験だと言っているのに「国際社会」とやらは全く非難しない。中国が標的ならいいのか。ハラム氏の言う「バランス」とは、北朝鮮を擁護しているのでは決してなく、 核攻撃を想定して実験している全ての国々を非難すべきだと言っているのである。@PeacePhilosophy


北朝鮮の衛星発射に対するダブルスタンダード―バランスを取ろうではないか

ジョン・ハラム(People for Nuclear Disarmament

翻訳 田中泉 翻訳協力 乗松聡子

北朝鮮の人工衛星・ミサイル発射への対応に、またしてもダブルスタンダードが見られる。北朝鮮による人工衛星・ミサイル発射と、米国とロシアによる人工衛星・ミサイル発射、その両方の扱いに対して、PND(People for Nuclear Disarmament)はバランスを求める。

北朝鮮が米国と韓国に対応する際の攻撃的な論法は北朝鮮にとって何の得にもなっていないが、それにしても明らかにおかしいのは、

--年に数回、米国がヴァンデンバーグ空軍基地から西マーシャル諸島に向けて核兵器搭載可能な大陸間弾道ミサイル、ミニットマンⅢの発射実験を白日の下で行う際には、誰もがそれをまったく普通のことだと考える。ヴァンデンバーグ基地で行われる激しい抗議行動だけが例外だ。

--ロシアがトポル-MミサイルやSS-18ミサイルを発射する場合にも同様である。

--インドが最新型のアグニミサイルを発射する時でさえ、ほとんど非難の声はあがらない。

--パキスタンが短距離戦略ミサイル・ハトフの実験を行うことによって南アジアでの核の終末戦争へのハードルを下げても、わずかな非難の声しかあがらない。

強調させてほしいのだが、米国とロシアは、1時間半の準備時間に加えて40分もあれば地球を生存不可能な場所にできる能力に必死ですがりついている。そして核弾頭を運搬することしか目的のないミサイルを実験している。米国とロシアはそれぞれ、1千発以上の核弾頭を厳戒態勢で維持している。そして冷戦が終わったとされてから20年が経つのに、核の終末戦争に向けた演習を定期的に続けている。誰も気にかけない。どうでもいいことなのである。

北朝鮮の実験は少なくとも人工衛星であることになっている。これまでさまざまな理由でおこなわれてきた人工衛星の発射は、どれも成功していない。今回こそうまくいきそうだと思う理由はない。

それでいて、世界の終わりという扱いである。

私たちとしては、米国とロシアがやってきたことの方がよほど世界の終わりではないかという気がするのだ。

人工衛星の発射とミサイル発射に使われる技術を区別するのは不可能であっても、北朝鮮は自分たちの衛星発射は核ミサイルとは無関係であると何年も言ってきている(合っているか間違っているかはわからないが)。

4月15日に予定されている北朝鮮の発射を巡るごたごたは、食糧援助取引および核兵器に関するこれからの交渉をほぼ確実に脱線させるだろう。これはまったく想定内の結果だ。

食料援助はおそらく取りやめになるだろう。そのうえ交渉が完全に軌道を外れてしまったら、もしかすると北朝鮮は第3回目の核実験をやるかもしれない。

北朝鮮はミサイル技術、およびもっていると想定される宇宙技術について、なくてはならない資産と考えている。これを考慮しない合意は失敗するだろう。そしてさらなる核実験とさらなる危険な衝突をもたらすだろう。

これは結局のところ、今までの場合と同様、失敗する可能性があまりにも高い衛星発射に関する大騒動なのである。


原文のリンクはここ

このサイトの過去のハラム氏の記事は以下(英語)。

John Hallam: What Next After New START Entry into Force? ジョン・ハラム:新START条約締結後の課題は?

John Hallam "Life, the Universe and (Avoiding) the end of Everything"

以下関連記事。

世界を破滅に導くミサイルの発射実験をしているのは誰か

 北朝鮮衛星発射にあたり、ガバン・マコーマック論考

共同通信記者コラム: 北朝鮮「衛星」発射予告-危機便乗は国民への背信

共同通信記者コラム: 北朝鮮「衛星」発射予告-危機便乗は国民への背信

4月11日『琉球新報』3面「核心評論」コーナーに掲載された、共同通信の阿部茂記者による論説が重要だと思ったが、ネットのどこを探してもないので、ここに書き起こしをする。日本政府も認めている北朝鮮の危機に便乗した軍拡正当化、「北朝鮮」を口実にしているが実際は中国を意識した軍備強化、「北朝鮮がやるから問題」とする二重基準、高価なミサイル防衛システムの「有用性」の鼓舞、沖縄から反発を受けてきた南西諸島の軍備強化など、この問題をとらえるにあたり重要な論点が簡潔にまとまっている。

米国は昨年12月、金正日死去前からこの発射計画を知らされていたこともわかっている(天木直人ブログへのリンク)。結局この騒ぎは、日米韓、北朝鮮、中国双方の軍拡を推進するものであり、本当は関係各国全て合意の下で進んでおり、騙されているのは危機を煽られ、軍産複合体の利益のために税金を搾り取られる各国の市民なのではないかと勘繰ってしまう。@PeacePhilosohpy

危機便乗は国民への背信

北朝鮮が「衛星」打ち上げとしている長距離弾道ミサイル発射実験が懸念される中、政府はミサイル防衛(MD)システムの地対空誘導弾パトリオット(PAC3)を、沖縄県や東京都に配備。石垣島には自衛隊員約450人を配置し、海上配備型迎撃ミサイルを搭載したイージス艦も東シナ海に派遣するなど、自衛隊を大規模に展開している。

北朝鮮の核・ミサイル開発が、極東の平和と安定などにとって脅威なのは確かだが、政府の一連の対応は、「衛星」発射に便乗した過剰反応ではないか。通常なら批判を受けるような軍事的、準有事的な活動を、実態以上に強調した”脅威”の下で行うのであれば、国民に対する背信行為だとも言えよう。

北朝鮮はこれまで、米朝合意に反して核開発を勧めたり、ミサイル発射実験を繰り返してきたりした。日米両国はじめ国際社会の批判は正当なことだ。

だが、私たちは、日本政府が”脅威”を利用してきたことも自覚しておく必要がある。1998年の北朝鮮による長距離弾道ミサイル「テポドン」発射後、政府は高まった危機感を追い風に情報収集衛星の導入を決定。当時の高村正彦外相は非公式発言ながら「情報衛星は金正日の贈り物だ」と言ってのけた。

今回展開されるMDの導入目的についても、かつて外務省幹部らは取材に対し「対中国が本音だが、それは言えないから北朝鮮の核を理由にしている」と率直に認めた。

「ミサイル配備」「迎撃」などの」有事の言葉が政府当局者から平然と語られ、基地の外で自衛官が銃を携行する異常さも意識する必要があろう。

政府は石垣島など先島諸島に初めてPAC3を配備したが、今回の実験は核弾頭など兵器を積んだミサイルの発射ではないとされる。落下物があるとすれば失敗した場合の破片などであり、本島に配備の必要性があるとは考えられない。

「可能性」の問題であれば、韓国や中国の衛星打ち上げに際しても同様の対応が必要なはずだ。

政府の対応はむしろ①沖縄付近を通って海洋進出を図る中国を念頭に置いた演習やけん制②高価なMDの”有用性”の実証や、MDの日米統合運用の”演習”③南西諸島への自衛隊配備を進めるための環境づくり-などと考える方が自然だ。

北朝鮮が発射を強行した場合、日本はどうするのか。北朝鮮はすでに日本を射程に入れた中距離弾道ミサイル「ノドン」を配備しており、発射が日本への直接的な脅威増大となるわけではないことを踏まえる必要がある。

憲法改正論議も再開しているだけに、強調された”危機”が、9条改正論や敵基地攻撃能力の必要性などの議論に安易に結び付けられないよう、国民一人一人にも冷静な判断が求められている。(共同通信記者 阿部茂)

(4月11日『琉球新報』3面掲載記事より)


関連記事

北朝鮮衛星発射にあたり、ガバン・マコーマック論考-朝鮮半島の問題を歴史的にとらえる必要性 (コメント欄に天木直人メルマガより関連記事転載)
 http://peacephilosophy.blogspot.ca/2012/04/gavan-mccormack-north-koreas-100th-to.html

世界を破滅に導くミサイルの発射実験をしているのは誰か:『クリスチャン・サイエンス・モニター』誌クリーガー&エルズバーグ論説
http://peacephilosophy.blogspot.ca/2012/04/krieger-and-ellsbers-call-for.html

Sunday, April 08, 2012

日米政府による原発推進と核兵器政策は最初から表裏一体のものであった: 田中利幸バンクーバー講演録

この講演録は必読です。

広島市立大平和研究所教授・田中利幸さんは3月19日、バンクーバーの「ピース・フィロソフィー・センター」で地元の市民向けに日本語で講演しました(共催:バンクーバー九条の会)。米国公文書館からの最新の資料もまじえて、戦後日本、特に広島をターゲットにした原発推進、「科学立国」を盾にした科学者たちも含む無批判の「平和利用」推進、その背景には日本に原爆を落とした上、戦後も「核」で日本を支配し続けようとしてきた米国と、核兵器製造への野望を抱き続けてきた日本の共謀や駆け引きが行われてきたことを明解に説明してくれました。私にとっては、50年代、米議員イエーツが広島に原発をプレゼントしようとした動機に、被爆者のための病院を作るより「有効」であるという考えがあったということが衝撃的であり、日米の一連の核政策が、結局は市民の命や安全や健康を犠牲にすることで成り立ってきたということを象徴する発言であると思いました。
そして以下の田中氏の結論にもあるように、

・・・かくして、日本の反核運動の主流ならびにその重要な一部を担ってきた被爆者たちのみならず、国民のほとんどが、「原子力平和利用」についてはほとんど本質的な検討をしないまま、核兵器保有・使用・持ち込みにだけは反対という態度をとってきた。しかし、核兵器保有・使用に関してもまた、我々は、これが基本的には単にアメリカをはじめとする核兵器保有国の問題であるとしかとらえず、いつもこの問題を「原爆被害者」の立場のみから見るにとどめ、日本政府自体が核兵器製造・所有を核エネルギー導入の最初から企て、その製造能力維持を長くはかってきたことを、いわば「加害者となる可能性」という観点から直視しようとはしてこなかった。
原発と核兵器が別ものであるとの錯覚によって双方の存続を許してきてしまったことを認識し、原発と核兵器の問題を自分たち自身の問題として捕え、市民が活動・発言していく大事さを改めて確信しました。@PeacePhilosophy
3月19日バンクーバー「ピース・フィロソフィー・サロン」で講演する田中利幸氏

講演概要

「原子力平和利用」と日本の核兵器製造能力維持政策


田中利幸

広島平和研究所

A)はじめに 講義の概略

「原子力平和利用」導入の三つの動因

(1)  米国の覇権戦略としての「原子力平和利用」— とくに日本の被爆者・反原水禁運動への心理戦略を目的とする「平和利用」—

(2)  科学者を含めた戦後進歩的潮流の科学技術進歩志向と近代イデオロギー

(3)  戦後保守政治勢力の改憲・核武装への野心と核持ち込みへの経過

B) 原爆開発と「原子力平和利用」の歴史的背景

1938年、ドイツの化学物理学者オットー・ハーンとリーゼ・マイトナーが、人類史上初めてウランの核分裂実験に成功。そのわずか7年後の1945年7月16日午前5時半、米国アラモゴードで史上初の核実験「トリニティ」。その3週間後の8月6日午前8時15分、広島上空に投下されたウラン爆弾が炸裂し、7万人から8万人の数にのぼる市民が無差別大量虐殺の犠牲となる。その3日後の午前11時2分、今度は長崎にプルトニウム爆弾が投下され、4万人が即時に殺戮され、年末までに7万4千人近い人たちが亡くなっていった。

広島・長崎原爆投下からほぼ2年後の1947年7月26日、米連邦議会で「国家安全保障法」が成立し、これをもって「冷戦」が正式に始まった。戦後の核技術の新しい応用の重要な一つが、潜水艦の「動力源」。原子炉を使い、燃料交換なしで長時間、長距離を潜水航行でき、核弾頭を装備したミサイルを適地近辺の海域から発射することができる潜水艦ノーチラス号の開発。この潜水艦用の原子炉が沸騰水型の「マーク I 原型」=福島第1原発の原子炉と同型。

第2次大戦直後の数年間はアメリカが核軍事力を独占していたが、それも1949年8月29日にセミパラチンスクで行われたソ連初の核実験の成功で終わりを告げた。さらにソ連は、1953年8月12日に水爆実験と思われる核実験を行った。これに対抗して、アメリカ側は、1951年から53年にかけて、合計36回の爆発実験を実施し、軍事力の誇示に努めた。こうした事態のために、近い将来に米ソ間で核戦争が引き起こされるのではないかという不安が高まってきた。

このような緊張した状況を緩和する手段として、1953年12月8日、米大統領アイゼンハワーが、国連演説で “Atoms for Peace”、すなわち「原子力平和利用」なる政策を打ち出した。このアメリカの平和政策の背後には、アメリカ軍事産業による西側同盟諸国資本の支配という野望が隠されていた。

史上初の核兵器攻撃の被害国である日本も、アメリカのこの「原子力平和利用」売り込みのタ−ゲットにされ、アメリカ政府や関連企業が1954年の年頭から様々なアプローチを日本で展開し始めた。その結果、日米安保体制の下で、兵器では「核の傘」、エネルギーでは「原発技術と核燃料の提供」、その両面にわたって米国に従属する形をとるようになった。その結果、日本政府は、核兵器による威嚇を中心戦略とする日米軍事同盟と、原発からの放射能漏れならびに放射性廃棄物の大量蓄積の両面で、これまで多くの市民の生存権を長年脅かしてきただけではなく、そのような国家政策に対する根本的な批判を許さないという体制を維持してきた。

C)広島ターゲット作戦第1弾:「広島に原発建設を」

19543月、ビキニ環礁における米国の水爆実験で第5福竜丸が死の灰を浴びるという大事件によって急激な高揚をみせた日本の反核運動(3千2百万人が反対署名)と反核感情を押さえつけ、さらには態勢を逆転させるため、さまざまな「原子力平和利用」宣伝工作を展開。

1954921日:

米国原子力委員会のトーマス・マレーが、アトランティック市で開催された米国鉄鋼労組大会で、アメリカ援助による原発の日本国内建設を提唱。

「広島・長崎(原爆投下)の記憶が鮮明にまだ残っている今、日本のような国にそのような(原子力)発電所を建設することはひじょうに劇的なことであり、かつまた、これら二つの都市に対して行われた殺戮の記憶から我々を遠ざけるキリスト教的行為ともなる。」「このようにして、我々は、汝の敵を赦せという十戒に現実的な意味をもたせることができるのであり、暗澹として疑心に満ち、分裂状態にある現在の世界に対して、我々が関心をもっている核エネルギーは、単に兵器にのみ限られたものではないということを知らしめることができる。」

1955127日:

米国下院の民主党議員シドニー・イエーツが広島市に日米合同の工業用発電炉を建設(建設費22,500万ドル、出力6万キロワット、資源はアメリカから持参3年計画)する緊急決議案を下院本会議に提案し、214日の本会議でも再度この決議案に関して演説。

「日本の場合、戦争が産み出した原子が日本人に与えた焼印の傷を消し去ることで役立ちたいという我々の願い、そのような友情を築く上で、原子を平和という形で利用し、自然資源が極めて少ない彼らを助けるという形での奇跡を可能にするほど現実的なやり方はない。」

「(その意味で、)原子力の平和利用に向けての原子炉を、原爆による破壊を初めて受けた場所に建設することは極めて適切であると私は考えます。」

同年24日、イエーツは、上下両院合同原子力委員会およびアイゼンハワー大統領に書簡を送り、同決議案の実現を要請したが、その書簡の中で次の3点を明らかにしている。

. 広島を原子力平和利用のセンターとする。

. 私の考えでは広島の原子力発電所は3年以内に操業できる。

. 私は最初原爆に被災し、いまなお治療を要する6千名の広島市民のため病院建設を計画したが、原子力発電所建設の方が有用だと考えるに至った。 

広島側の反応:

浜井市長:「医学的な問題が解決されたなら、広島は“死の原子力”を“生”のために利用することは大歓迎」。

渡辺市長(5月に市長に就任):「原子炉導入については世界の科学的水準の高い国々ではすべて原子炉の平和利用の試験が行われ、実用化の段階に入っているので、日本だけ、広島市だけいたずらに原子力の平和利用に狭量であってはならない。適当な時期に受入れる気持である。」

長田新((おさだあらた)広島大学名誉教授で、子供たちの原爆体験記『原爆の子』を編集):「米国のヒモつきでなく、民主平和的な原子力研究が望ましい。」

森瀧市郎(当時、広島大学教授、原水爆禁止広島協議会の中心的人物):「アメリカ人に広島の犠牲のことがそれほどまっすぐに考えられることならば、何よりもまず現に原子病で苦しんでいる広島の原爆被害者の治療と生活の両面にわたって一部の篤志家だけに任せないで、国として積極的な援助をしてもらいたい」と拒否反応。のみならず、反対の理由として、原発が原爆製造用に転化される懸念、平和利用であってもアメリカの制約を受けること、さらに、戦争が起きた場合には広島が最初の目標になる危険性を挙げている。

しかし、全般的には、多数の被爆者が「原子力平和利用」に対し、最初から「条件付き賛成」という態度を表明。

アイゼンハワー大統領ならびに国務省の意見:

「広島に原子炉の贈り物をという提案は、ある人々には米国が(原爆投下という)罪を認めたと受け取られ、米国の対日本政策を損なうものとなるであろう。」

「このような提案は、広島で核兵器用の(高濃度)プルトニュウム生産が可能となり、それが米国に輸送されるということであり、そうなれば、我々が広島で生産したプルトニュウムを兵器用のために貯蔵しているという非難にさらされるという、心理的ブーメランについても考慮する必要がある。」

D) 広島ターゲット作戦第2弾:「原子力平和博覧会」

「ホプキンス原子力使節団」訪日(195559日から1週間):

読売新聞社主・正力松太郎が、原子力援助百年計画の提唱者であるゼネラル・ダイナミック社長のジョン・ホプキンスを代表とする「ホプキンス原子力使節団」を東京に招待。滞在中に、鳩山首相と懇談させたり、随行員として連れてきたノーベル物理学賞受賞者、ローレンス・ハウスタッドに「平和利用」に関する講演会を日比谷公会堂で開き、テレビ中継を行ったりした。

「原子力平和利用博覧会」(東京:読売新聞主催、1955111日〜1212日):

この博覧会は、アメリカが当時、“Atoms for Peace”政策の心理(=洗脳)作戦の一部として、CIAが深く関与する形で、米国情報サービス局(USIS)が世界各地で開いていたものであった。

広島での開催(1956527日〜617日の3週間):

東京の後、名古屋、京都、大阪、広島、福岡、札幌、仙台、水戸と巡回。広島の場合には、広島県、市、広島大学、アメリカ文化センター(ACC=USIS)および中国新聞社の共同主催で、予算は728万円を計上。会場=平和公園内に前年8月に完成した広島平和記念資料館と平和記念館(現在の平和記念資料館東館)。

展示物の中で広島にとって「適当」とみなされるものを、アメリカ側が広島平和記念資料館に寄贈=アメリカ側は、最初から「原子力平和利用」宣伝が、広島で、しかも原爆被害の実情を伝える目的で建設された平和記念資料館内で、繰り返し行われることを狙っていた。

展示内容:

1)原子力の進歩に貢献した(湯川秀樹を含む)科学者の紹介(2)エネルギー源の変遷(3)原子核反応の教育映画(4)原子力の手引(5)黒鉛原子炉(6)原子核連鎖反応の模型(7)放射能防御衣(8)ラジオアイソトープの実験室(9)原子力の工業、農業、医学面における利用模型(10)田無サイクロトロン模型(11)マジックハンド(12)動力用原子炉模型(13)CP5型原子炉模型(14)水泳プール型原子炉模型(15)原子力機関車、飛行機、原子力船の模型(16)移動用原子力炉、実験用原子炉模型(17)PGD社原子力発電所模型(18)原子物理学関係図書室

配布パンフレット『原子力平和利用の栞』:

「原子医学が無数の人々の命を救ったことは周知のことである。原子力によって農場では食糧が増産された。商業面では、洗濯機・たばこ・自動車・塗装・プラスチック・化粧品など、家庭用品の改良のために。アトム(原子)は一生懸命はたらいてきた。

豊富な電力は冬にはビルをあたため、夏にはビルを冷房してくれる。だが、原子力はそれ以上の意味があるのだ。医者は本世紀の終わりまでには、ある種の危険な病気は完全になくなるだろうと予言する。もし、われわれが賢明であれば、原子力はすべての人に食を与え、夢想にも及ばぬ進歩をもたらすことになろう。」

「病院では、ラジオアイソトープは奇跡をあらわす名医である。その放射線は腫瘍やガンの組織を破壊する。それは赤血球の異常増加を抑止し、アザをとり除き、甲状腺の機能状態を明らかにして、その機能昂進を抑制する。血液の中に注射されると、その放射線は人間が生きるためには何リットルの血液が必要か、また血球の補充力が低下しているかどうかを医者に告げる。」

かくして、原子力利用は、発電のみならず、医療、農業、工業など様々な分野で、今後飛躍的な一大進歩を遂げることが期待されており、「全人類の福祉のために、その前途は無限に輝いている」というメッセージになっていた。

広島で開催された「原子力平和利用博覧会」への入場者数は記録的な数となり、中国新聞報道によると、「広島会場の総入場者数は109,500名。広島の男女知識層を中心に遠くは長野県、茨城県、北九州からの見学者、全国校長会議出席者、中国5県からの団体見学者など各地のあらゆる階層の老若入場者を集めた。」この博覧会で上映された原子力利用に関する11種類の映画は、広島アメリカ文化センターの管理下に置かれ、学校や文化団体に貸し出すという制度も設置された。

博覧会閉会後、原爆関係の展示物がもとに戻された資料館では、悲惨な原爆展示物を見終わった見学者が、見学の最後には、突然に、「原子力平和利用」に関する展示が置かれた、輝くような明るい部屋に誘導され、そこを通過して退館するような見学コースに変更。

E) 「広島復興大博覧会」

広島復興大博覧会:(195841日から50日間の会期)

平和公園、平和大通り、新しく復元された広島城の三カ所に、テレビ電波館、交通科学館、子供の国といった合計31の展示館を設置。中でも最も人気を集めたのが、史上初のソ連の人工衛星を展示した宇宙探検館と原子力科学館。原子力科学館には、アメリカが期待していたように、「原子力平和利用博覧会」の際に寄贈された展示物が再び展示され、その展示館として広島平和祈年資料館が再度当てられた。

今回は、原爆関係の展示物を別会場に移すことなく、「原子力平和利用」展示物と並列させるというスタイルがとられている。展示物を並列させることで、「核兵器=死滅/原子力=生命」という二律背反論的幻想を強烈に高めた。

『広島復興大博覧会誌』:「近い将来実現可能な原子力飛行機、原子力船、原子力列車などの想像模型が並べられている。人類の多年の夢が、今や現実のものとなってくるかと思えば本当に嬉しい限りだ。原子力の平和利用は、世界各国が競うて開発しているところであるが、ここには各国最新の情勢が写真でもって一堂に集められている。今や日進月歩の発展を遂げつつある世界の原子力科学の水準に一足でも遅れないようにわが国も努力をつづける必要があると痛感させられる。」

この復興大博覧会を訪れた見学者は、「原子力平和利用博覧会」の見学者のほぼ9倍にあたる917千人。

まさに地獄のような原爆体験をさせられ、放射能による様々な病気を現実に抱え、あるいはいつ発病するか分からないという恐怖のもとで毎日をおくっている被爆者たち、しかも被爆者の中の知的エリートたちまでもが、なぜゆえに、かくも簡単にこの二律背反論的幻想の魔力にとり憑かれてしまったのであろうか?

かくも苦しい体験を強いられ、愛する親族や友人を失い、自分も傷つけられた被爆者だからこそ、「貴方たちの命を奪ったものが、実は、癌を治療するのに役立つのみならず、強大な生命力を与えるエネルギー源でもある」というスローガンは、彼らにとっては、ある種の「救い」のメッセージであったと考えられる。

アメリカにとって、とりわけ原子力推進にかかわっていた政治家や企業家にとっては、「毒を以て毒を制す」ごとく、原爆被害者から「原子力平和利用」支持のこのような「お墨付き」をもらうことほど有利なことはない。それゆえにこそ、広島が、とくに被爆者が、「原子力平和利用」宣伝のターゲットとされ、繰り返し「核の平和利用」の幻影が彼らに当てられ、被爆者たちはその幻影の放つ輝かしい光に眩惑されてしまったのである。その意味では、被爆者たちは「核の二重の被害者」とも言える存在である。

F) 「原水爆禁止世界大会」での「原子力平和利用」支持

被爆者を支える意図も含めて立ち上げられた「原水爆禁止世界大会」が、「原子力平和利用」幻想を打ち砕くのではなく、逆にその発足当初から支持してしまい、被爆者の眩惑をさらに強めてしまったのみならず、反核運動にひじょうな熱意をもって全国から大会に参加した多くの市民をも同じ幻想におとしめてしまった。

195586日に広島市公会堂で開かれた第1回原水爆禁止世界大会:

オルムステッド女史(国際婦人自由平和連盟代表、米国人)の挨拶:

「私の国の政府が、人類の生活の向上に使わねばならない原子力を、破壊のために使ったことを深くおわび申し上げます。 …… 原子力は人間のエネルギーと同じく、あらゆる国であらゆる人に幸福をもたらさねばなりません」(強調:田中)。

「広島アピール」に含まれた文章:

「原子戦争を企てる力を打ちくだき、その原子力を人類の幸福と繁栄のために用いなければならないとの決意を新たにしました」。

長崎での第2原水爆禁止世界大会では、「原子力平和利用」に関する独自の分科会がもたれた。しかし、ここでも「平和利用」そのものを全面的に支持しながらも、原子力が巨大資本に独占されていることに対する批判に議論が集中。したがって、秘密主義、独占主義を排除し、「民主・公開・自主」という日本学術会議が打ち出した平和利用三原則を支持するという結論で終わっている。

かくして原水爆禁止世界大会では、「原子力の民主的な平和利用」こそが、様々な経済社会問題を解決する魔法のカギでもあるかのようなメッセージが、1963年に分裂するまで毎年、反復され続けたのである。(原水爆禁止世界大会は63年、原水爆禁止国民会議[原水禁]と原水爆禁止日本協議会[原水協]に分裂。1969年に原水禁が初めて公式に「原子力平和利用」反対の方針を打ち出した。しかし、実質的に原水禁が反原発で行動をとるのは、スリーマイル・アイランド原発事故後の1979年以降である。)

G) 科学者を含めた戦後進歩的潮流の科学技術進歩志向と近代イデオロギー

8月16日に天皇から新内閣の組閣を命じられた東久邇宮((ひがしくにのみや)は、戦時中の日本の最大の欠点は「科学技術」を軽視したことであると述べ、自国の敗北の原因を敵国の最新科学技術=原爆に求めた。新内閣の文部大臣に就任した前田多門は、就任直後の記者会見で「われらは敵の科学に敗れた。この事実は広島市に投下された1個の原子爆弾によって証明される」(強調:田中)のであり、「科学の振興こそ今後の国民に課せられた重要な課題である」と述べた。

「科学立国」という基本方針は戦後もそのまま持続され、様々な形で科学教育の推進がはかられた。しかし、それは、占領軍の民主化政策と絡み合いながら、日本独自の展開をみせる。とくに平和憲法の理念と密接に結びついて、「科学技術」は「平和と繁栄」と同義語であるかのような、情緒的とも言える受け止め方が日本社会に急速に浸透していった。戦争があまりにも悲惨であったため、平和の促進と経済繁栄のために「科学技術」の大いなる利用をという極めて短絡的な論理展開で、平和と科学技術を直結させてしまうという現象がみられるようになった。

戦時下の日本でも極めて小規模ながら「原爆開発研究」が行われていた。理化学研究所の仁科芳雄をリーダーとする「ウラン爆弾開発研究」、別名「ニ号研究」と呼ばれるプロジェクトと、京都帝国大学理学部の荒勝文策教授の指導の下に行われた、通称「F研究」と呼ばれる開発研究。この2つの研究プロジェクトには、当時の日本の原子物理学者のほぼ全員が動員されたが、「ニ号研究」の中には武谷三男が、「F研究」には戦後ノーベル物理学賞を授与された湯川秀樹が含まれていた。戦後、武谷も湯川も原水禁運動や核兵器廃絶運動に積極的に関わるようになるが、両者とも自分が「原爆開発研究」に携わったことに対する自己批判はまったく行っていない。もちろん、その当時、仁科や荒勝をはじめ、ほとんど誰も原爆を実際に製造できるなどとは考えてはおらず、原爆開発研究を科学者温存のための隠蓑として利用したことは周知のとおりである。

そのため、原爆開発研究に深く関わったという意識が薄かったためであろうか、湯川、武谷のみならず、多くの物理学者たちは、自分が関与したはずの軍事科学技術開発の批判的検討を行わないまま、1950年代半ばから始まった「原子力平和利用」の動きには、「基本的に賛成」という形で、いとも簡単に「軍事利用」から「平和利用」に横滑りしていく。「原子力平和利用」が、いかに密接に「軍事利用」と連結しており、「平和利用」の実体がいかなるものであるかを十分に検討しないまま、当時のほとんどの物理学者たちが横滑りしていった。しかし、こうした傾向は日本だけに見られた特殊なものではなく、1957年に、ラッセル・アインシュタイン宣言によって発足したパグウォッシュ会議に世界各地から参加した学者たちに、共通に見られた傾向であった。その後、世界パグウォッシュ会議も、また湯川や朝永振一郎がリードした日本パグウォッシュ会議も、中心テーマはあくまでも「核兵器廃絶」であって、「平和利用」の問題は完全に蚊帳の外におかれてきた。

H) 戦後保守政治勢力の改憲・核武装への野心と「核持ち込み」への経過

原子力平和利用の裏に隠された真の目的:

1951年9月8日、吉田茂首相がサンフランシスコで対日平和条約と日米安全保障条約に調印し、翌52年4月28日に講和発効。講和発効の1週間前、4月20日の読売新聞が、「(政府は)再軍備兵器生産に備えて科学技術庁を新設するよう具体案の作成を指令した」と報じた。科学技術庁設置の中心人物であった前田正男(自由党衆議院議員)は、科学技術庁の附属機関の一つとして「中央科学技術特別研究所」設置を提案。その目的は「原子力兵器を含む科学兵器の研究、原子動力の研究、航空機の研究」であったと言われている。[1956年1月1日:原子力委員会発足(初代委員長 正力松太郎)、同年3月13日:科学技術庁開庁(初代長官 正力松太郎)]

1953年夏、中曽根康弘(改進党 衆議院議員)は、米国諜報機関のお膳立てて渡米し、ハーバード大学でヘンリー・キッシンジャーのセミナーに参加。このセミナーには20数カ国から45人が参加。冷戦時代にアメリカの影響力を確固たるものとするため、若い政治家の教育と相互の人脈形成が目的。中曽根は、この時、とくに核兵器に興味を示し、日本の核兵器保有実現を強く望むようになったと言われている。かくして中曽根の「原子力平和利用」も、最初から改憲・再軍備・核武装を狙うための不可欠な手段と位置づけられていた。

1954年3月2日(ビキニ米水爆実験被災の翌日)、原子炉建造のため、2億3千5百万円の科学技術振興追加予算が、突然、保守3党の共同提案として衆議院に出され、ほとんどなんの議論もなく可決された。衆議院本会議で小山倉之助(改進党)が行った提案主旨では、次のような説明が含まれている:

「この新兵器[=核兵器]の使用にあたっては、りっぱな訓練を積まなくてはならぬ信ずるのでありますが、政府の態度はこの点においてもはなはだ明白を欠いておるのは、まことに遺憾とするところであります。……新兵器や、現在製造の過程にある原子兵器をも理解し、またはこれを使用する能力を持つことが先決問題であると思うのであります。」(強調:田中)

かくして、原子炉建設は、新しいエネルギー開発が目的などではなく、当初から「原子兵器を理解し、これを使用する能力を持つため」であったことを、はっきりと小山は述べていた。

1950年代のアメリカ側の核兵器持ち込み政策:

朝鮮戦争で朝鮮半島の政治状況が悪化し、北朝鮮への核攻撃が真剣に検討されていたこの時期、米国ペンタゴン統合参謀本部は、日本にも核兵器への持ち込みを強く要望していた。しかし、国務省がこれを許可しなかったが、核物質を取り外した核兵器がすでに1954年6月段階で持ち込まれていたことを示唆する最高機密書類が存在する。

「1954年6月23日、統合参謀本部は日本に(核兵器の)非核兵器部分を配備する権限を与えられた。この段階では、核物質の配備は許可されなかった。」

「戦争という緊急事態においては、米国支配下にある日本近辺地域に貯蔵されている核物質を即座に日本に配備することを、日本の軍司令部に貴下が勧告する権限が貴下には与えられている。」

国防長官から統合参謀本部宛に送られた最高機密覚え書き 1955年3月3日

「原子力平和利用博覧会」も、最終的には、日本への核兵器持ち込みを可能にさせるための準備手段であったことが下記の資料からも明らかとなる。

「日本の市民指導者たちを、通常兵器による国防という点で教育を行うことが一旦完了すれば、原子兵器を受け入れられるような状態に彼らはなるであろうし、たぶん、最終的には彼ら自身が日本での原子兵器が利用可能になることを望むようになるであろう。………… 短期的には、原子力平和利用に集中したほうが最も効果的であろうし、米日関係の信頼性をもっと高める上で、すでに我々は、その目的を半ば達成した段階にある。」

国務長官特別補佐官ジェラルド・スミスより国防副長官ゴードン・グレイ宛の極秘手紙

1956年12月3日

日本の核兵器生産研究への具体的な動きと「核兵器持ち込み」の裏取引:

1967年〜70年にかけ、佐藤栄作首相の指示で、日本の核武装についての研究・検討が、内閣、外務省、防衛庁、海上自衛隊幹部などによって、半公式、私的形態で精力的に推進。核保有問題を、岸政権以来の法律論、抽象的議論から、製造プロセスへという具体的な政策レベルへと押し進めた。

しかし、日本の核兵器保有を許さず、日本(とくに沖縄基地)をアジアにおけるアメリカ軍事覇権維持のために利用するというアメリカの政策=安保条約のために、佐藤政権は、「核武装カード」をちらつかせながらも、当面は核兵器を保有しないと譲歩。それを「非核三原則」で保証してみせ、それと引き換えに沖縄の「核抜き返還」を承諾させ、さらには核保有断念との引き換えに、日本に対する米国の核の傘を保証させるという取引を成立させようとした。ところが、現実はそう甘くはなく、アメリカ側の「核抜き返還」は全く形式的なもので、実質的には、「核兵器の持ち込み」という裏取引を日本政府は要求され、「非核三原則」は最初から尻抜け状態。

その後も日本政府は、核兵器保有を許さない米国支配の「安保体制」の中で、「核武装カード」を維持し続け、高純度プルトニウムを製造するためのプロジェクトとして動力炉・核燃料開発事業団(動燃)を科学技術庁傘下に設置。再処理工場と高速増殖炉の技術開発を目指しながら、核兵器運搬手段となるロケットの技術開発を国家戦略の下に統合するため、宇宙開発事業団を同じく科学技術庁傘下に設置。

「プルトニウム開発」が核兵器製造目的のものではなく、あくまで「エネルギー政策の一環」であることを、自国民のみならず、海外に向けても宣伝するため、「核燃料サイクル」計画を打ち出し推進してきた。「平和利用」の裏にはこの真実が隠されていたことに、我々は今こそ気づくべきである。

I) 結論 − 反核・反原発を統合的に推進するために

かくして、日本の反核運動の主流ならびにその重要な一部を担ってきた被爆者たちのみならず、国民のほとんどが、「原子力平和利用」についてはほとんど本質的な検討をしないまま、核兵器保有・使用・持ち込みにだけは反対という態度をとってきた。しかし、核兵器保有・使用に関してもまた、我々は、これが基本的には単にアメリカをはじめとする核兵器保有国の問題であるとしかとらえず、いつもこの問題を「原爆被害者」の立場のみから見るにとどめ、日本政府自体が核兵器製造・所有を核エネルギー導入の最初から企て、その製造能力維持を長くはかってきたことを、いわば「加害者となる可能性」という観点から直視しようとはしてこなかった。

このような歴史的背景から、一方では、反原発運動では、スリーマイル・アイランドやチェルノブイリのような大事故が起きた時にのみ、反核運動にはかかわっていないが、身の危険を感じた一般の主婦、母親、環境保護運動家たちが立ち上がるという現象を見せてきた。反核運動組織や被爆者からの支援をほとんど受けないそのような市民運動は、電力会社、原子力産業と政府が打ち出す「安全神話」の反撃によって弱体化され、おおきなうねりを全国的規模で持続させるということができなかったのである。

また他方、反核兵器運動においては、基本的に核兵器は自国の問題ではありえないという態度のもとで、他国にのみ核軍縮・廃絶や核実験停止を求めるだけで、自国の核兵器製造能力である「核再処理施設」に対する問題に対して強い関心を示し、それを自分たちの反核兵器運動の中に深く取り込んでこなかった。

現在、福島第1原発事故による大惨事という経験を強いられている我々市民、とりわけこれまで反核運動に取り組んできた組織に身をおいてきた者たちは、このような歴史的背景を持つ自己の弱点を徹底的、批判的に検討する必要がある。

原爆が無数の市民を無差別に殺戮したのと同じように、核実験ならびに核兵器関連施設や原発での事故も、放射能汚染の結果、予想もつかないほどの多くの人たちをして、無差別に病気を誘発させ死亡させることになる恐れがある。

核兵器使用は明らかに「人道に対する罪」である。「人道に対する罪」とは、「一般住民に対しておこなわれる殺人、殲滅、奴隷化、強制移送、拷問、強姦、政治的・宗教的理由による迫害」などの行為をさすものであり、核攻撃は、そのうちの「一般住民に対しておこなわれる殺人、殲滅」に当たる。核実験ならびに核兵器関連施設や原発での事故は、核兵器攻撃と同じく、放射能による「無差別大量殺傷行為」となりうるものであり、したがって「非意図的に犯された人道に対する罪」と称すべき性質のもの。「人道に対する罪」が、戦争や武力紛争の際にのみ行われる犯罪行為であるという既存の認識は、ウラルの核惨事、チェルノブイリや福島での原発事故が人間を含むあらゆる生物と自然環境に及ぼす破滅的影響を考えるなら、徹底的に改められなければならない。

この最も根本的な点にもう一度立ち返り、我々は、反核兵器と反原発の統合的な反核運動のあり方について深く再考し、今後の運動のあり方について広く議論する必要がある。

参考文献:

有馬哲夫著『原発・正力・CIA』(新潮新書 2008年)

武藤一羊著『潜在的核保有国と戦後国家 フクシマ地点からの総括』(社会評論社 2011年)

槌田敦、藤田裕幸ほか著『隠して核武装する日本』(影書房 2007年)

田中利幸、ピーター・カズニック著『原発とヒロシマ 「原子力平和利用」の真相』(岩波ブックレット 2011年)

田中利幸著「<原子力平和利用>の裏にある真実」『科学』(岩波書店)2011年12月号

米国公文書館所蔵関連資料


このサイトの田中利幸氏による寄稿・関連投稿はこちらのリンクをどうぞ。

関連投稿:

櫻井春彦
日本の原子力村はアメリカが全面核戦争の準備を進める過程で作り上げられた
http://peacephilosophy.blogspot.ca/2011/10/blog-post_02.html

ピーター・カズニック
原発導入の背景に「広島長崎の意図的な忘却と米国の核軍拡」
http://peacephilosophy.blogspot.ca/2011/05/peter-kuznick-japans-nuclear-history-in.html