tag:blogger.com,1999:blog-35894930.post1813210477777116321..comments2023-12-31T15:40:06.675-08:00Comments on Peace Philosophy Centre: 安斎育郎: 原発事故をどう受けとめるか?―次世代への謝罪と期待をこめて―Peace Philosopherhttp://www.blogger.com/profile/03884294048618803206noreply@blogger.comBlogger1125tag:blogger.com,1999:blog-35894930.post-35854410728074255562011-11-16T09:31:52.047-08:002011-11-16T09:31:52.047-08:00安斉氏の自叙伝的な論考を興味深く読みました。私
が学部を出た(1959)後で、安斉氏が入学したよう...安斉氏の自叙伝的な論考を興味深く読みました。私 <br />が学部を出た(1959)後で、安斉氏が入学したようで <br />すが、あの当時の雰囲気は感じられます。原子力とい <br />うか放射線などについては、ちょっと接触があったよ <br />うに記憶していますが、深い関係はありません。たし <br />か、私の属していた学科の教師の一人が、原子力工学 <br />に関係していたと思います。それだけです。私は、大 <br />学院を終了して、助手になったが、それをやめて、ア <br />メリカ・カナダに出てしまいました。大学院時代に環 <br />境問題が持ち上がり、先輩の宇井純氏とか、その後環 <br />境問題の重要な人物になった中西準子氏などとも親し <br />くしていましたが、その後は離れて関係は希薄になり <br />ました。宇井純氏とはしかし、その後も連絡があり、 <br />バンクーバーで1976年に国連のハビタット会議に呼応 <br />して、世界中のNGOが様様な催しをした際には彼と一緒 <br />に、「カナダの水銀汚染問題」のブースを出しまし <br />た。宇井純氏も、安斉氏と同様に、体制に反抗したた <br />めに、東大ではいたたまれず、沖縄でその後の生涯を <br />終えました。まったく、アカデミック分野(特に東 <br />大)も、権力依存で、現在でも、体制に不利な研究に <br />は研究費が出ないということもあります。<br /> 失礼、変なことを長々と書いてしまいました。安斉 <br />氏の回想、有益でした。ありがとう。落合栄一郎noreply@blogger.com