tag:blogger.com,1999:blog-35894930.post3204565698805416612..comments2023-12-31T15:40:06.675-08:00Comments on Peace Philosophy Centre: 8月来日予定のオリバー・ストーン:米国の原爆投下と「超大国文化」を批判、日本に根強く残る軍国主義に懸念Peace Philosopherhttp://www.blogger.com/profile/03884294048618803206noreply@blogger.comBlogger1125tag:blogger.com,1999:blog-35894930.post-58122030053743166022013-06-21T11:23:47.960-07:002013-06-21T11:23:47.960-07:00 共同通信のインタビュー、興味深く読ませていただきました。是非、日本、あるいは日米関係をテーマにした... 共同通信のインタビュー、興味深く読ませていただきました。是非、日本、あるいは日米関係をテーマにした映画を撮っていただきたいと思います。<br /><br /> 私がオリバー・ストーン監督を知ったのは1986年のことでした。アメリカの暗部に切り込んだ「サルバドル」という映画が作られたと知り、アメリカからビデオを取り寄せたことを思い出します。<br /><br /> エル・サルバドルでもアメリカを後ろ盾とする政権が「死の部隊」を編成して殺戮を繰り返し、オスカル・ロメロ大司教も暗殺していましたが、こうした状況から日本のマスコミは目を背けていました。<br /><br /> ところで、共同通信のインタビューでひとつ、気になることがありました。「軍国主義」という用語です。<br /><br /> 確かに、戦前の日本、特に1936年に二・二六事件が引き起こされてから軍部の影響力が強まりますが、それでも軍人が独裁者になったわけではありません。<br /><br /> 事件を引き起こした将校たちは、元老重臣を殺害して天皇親政を実現すれば、政治の腐敗や農村の困窮を解決できると信じていたようです。「天皇は悪くない、悪いのは側近だ」ということでしょう。<br /><br /> 同じように、「軍国主義」という用語には、悪かったのは軍隊だという意味合いを感じさせます。が、天皇は絶対的な存在でした。二・二六事件の処理を見ても、明らかでしょう。軍の内部では、階級に関係なく皇室の人間が上だったとも聞いています。<br /><br /> 例えば1937年に日本軍が南京を攻撃、街を破壊し、財宝を略奪し、住民を虐殺したとき、形式的なトップは中支那方面軍司令官の松井石根大将でしたが、実際には上海派遣軍司令官だった朝香宮鳩彦中将が上だったようです。つまり、責任者をひとり上げろと言えば、松井ではなく朝香宮だということです。<br /><br /> よく「関東軍の暴走」ということが言われますが、クーデターは別にして、軍隊で指揮系統が無視されることは考えにくいと思います。そう見えるのは、別の強力な指揮系統が存在するからでしょう。皇室の関係者が関東軍を動かしていたと考えれば納得できます。<br /><br /> その皇室は、遅くとも大正時代からウォール街と密接な関係にありました。そのカギを握る人物は大正天皇の妻、つまり貞明皇后です。<br /><br /> 貞明皇后は子どもの頃にアリス・ペリーというアメリカ人の少女と親しくなりました。後にアリスが結婚した相手がジョセフ・グルーです。1932年から41年まで駐日アメリカ大使を務めた人物です。<br /><br /> ジョセフの親戚、ジェーン・グルーはジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりモルガン財閥総帥と結婚していますので、日本の皇室はグルー夫妻を介してモルガン財閥とつながっていたことになります。1923年に関東大震災が起こり、JPモルガンが復興資金を調達すると、日本経済に対しする影響力は一層、強くなりました。<br /><br /> その一方、1924年に治安維持法を公布、28年に山東出兵、張作霖爆殺、30年にはJPモルガンが望んでいた金解禁と続き、31年には満州事変が勃発、ルーズベルトが勝利した大統領選のあった32年に「満州国」の建国が宣言されました。<br /><br /> 日本経済に大きな影響力を持つJPモルガンが反対したなら、こうしたことはできなかったでしょう。1932年にグルーが駐日大使として日本へ来たことを考えると、その後も日本政府/皇室はウォール街と連絡を取り合っていた可能性が高いと思います。<br /><br /> 戦後日本の進路を決めたのはジョン・フォスター・ダレスと昭和天皇だと関西学院大学の豊下楢彦教授は指摘しています。ダレスはウォール街の大物弁護士であり、アメリカ巨大資本の代理人です。戦前から続く皇室とウォール街との関係が機能したのでしょう。そのウォール街が日本を「右旋回」させるために使ったのがジャパン・ロビーですが、その中心にはジョセフ・グルーがいました。<br /><br /> 日本の支配層は遅くとも大正時代からJPモルガンの影響下に入りました。この関係は少なくとも真珠湾攻撃まで続き、降服直後に復活しています。「軍国主義」という用語を使うと責任を全て軍部に押しつけてしまうことになり、こうした関係が見えにくくなるような気がするのですが、いかがでしょうか?櫻井春彦http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/noreply@blogger.com