tag:blogger.com,1999:blog-35894930.post4802345841793004783..comments2023-12-31T15:40:06.675-08:00Comments on Peace Philosophy Centre: 「岡まさはる記念長崎平和資料館」理事長・高實康稔さんを偲ぶ Remembering Yasunori TAKAZANE, director of Oka Masaharu Memorial Nagasaki Peace Museum Peace Philosopherhttp://www.blogger.com/profile/03884294048618803206noreply@blogger.comBlogger1125tag:blogger.com,1999:blog-35894930.post-23302670098951458442017-05-10T09:06:12.068-07:002017-05-10T09:06:12.068-07:00ヨーロッパという地域が、お互いのあいだで戦争をくりかえしてきたことは、「世界史」で習うところです。け...ヨーロッパという地域が、お互いのあいだで戦争をくりかえしてきたことは、「世界史」で習うところです。けれどお互いのあいだでやっているうちは、戦争は、いわゆる国境紛争です。ヨーロッパが中東やアフリカなどの「外地」に軍を送り始めたとき、侵略戦争が始まりました。国境紛争においては、争う双方の住民が加害も被害も、我が身の事として経験することになります。けれど、侵略戦争の場合、侵略先は、「外地」ですから、戦場にならかった侵略側の人々は、侵略先の人々の悲惨、被害を目にすることがないばかりか、あたかも侵略先に非があったから侵略したというように、侵略を合理化する、侵略者の宣伝に同一化することになります。<br /><br />日本人が自己の加害者性を意識できない理由は、日本が明治期以降してきた戦争が、欧米諸国に倣ったまさに侵略戦争だったからです。侵略戦争だったから、日本人にとっては戦争とは「外地」でするものになりました。<br /><br />今多くの日本人が現内閣の方向性を支持したり、やむなしと思っているとしたら、どうせ戦争は「外地」でするのものだから、「外地」であるものだからと思っているのでしょう。というか、そこまで考えている人が多いかどうか。多くの日本人にとっての「内地」とは、じつは、自分の家の中だけなのかもしれません。<br /><br />私もその一員である日本人には、自分の家族や趣味の領域 から一歩でも離れた行動について、自分が選択し決断して実行しているという意識がないように思えます。「お上」とか「世間」に従って、やむなくやっていることと思っている。全て自分が選択したり決断したりことではないのです。<br /><br />中国にせよ、朝鮮半島にせよ、沖縄にせよ、「あちら」から日本に攻め込んできたり略奪したりしたことはない。その反対でした。「あちら」からはずっと、文化的に高い文物や物資を日本に届け続けてきてくれていた。 それなのに・・・その、ほんとうに単純な事実を、日本人の多くが認める日が来てほしいと願うこと、切です。小林はるよnoreply@blogger.com