tag:blogger.com,1999:blog-35894930.post6874844948987076784..comments2023-12-31T15:40:06.675-08:00Comments on Peace Philosophy Centre: 駐米中国大使、崔天凱(Cui Tiankai)のジョンズ・ホプキンス大学講演での発言を日本政府は「プロパガンダ」と言うがPeace Philosopherhttp://www.blogger.com/profile/03884294048618803206noreply@blogger.comBlogger1125tag:blogger.com,1999:blog-35894930.post-91563752587426093262013-10-09T21:08:54.409-07:002013-10-09T21:08:54.409-07:00 日本人の第2次世界大戦に対する見方に対する疑問は、私も昔から感じていました。
日本が大戦で負け... 日本人の第2次世界大戦に対する見方に対する疑問は、私も昔から感じていました。<br /><br /> 日本が大戦で負けたのはアメリカの落とした2発の原爆によると日本の一部政治家が思っていると崔天凱駐米中国大使は語ったようですが、圧倒的な生産力を持つアメリカと戦争するのは無謀だったという主張をマスコミなどではしばしば見聞きします。<br /><br /> しかし、戦争の反省はそこまで。アジアへの侵略、そこでの泥沼化した戦争が思考回路から抜け落ちているように思います。アメリカを敵にしなければ何でも許されると考えているのは政治家だけでないということです。<br /><br /> 原爆か生産力かはともかく、アメリカ支配層の反感を買わなければ全てがうまくいくと思っている日本人は少なくない、多分、多数派でしょう。アメリカの軍事力に対する信奉も強く、圧倒的な軍事力で世界を制覇できると信じているようです。<br /><br /> アメリカと日本との関係を振り返ると、1923年の関東大震災は大きな節目になっています。それ以降、復興資金の調達で頼ったアメリカの巨大金融機関JPモルガンの影響下に入ったということです。<br /><br /> その当時、JPモルガンと最も深く結びついていたと言われているのが井上準之助。「適者生存」を信奉していたようで、現在の表現を使うなら新自由主義者ということになるでしょう。1929年に内閣総理大臣となった浜口雄幸は井上を大蔵大臣に据え、アメリカの金融界が望む政策を日本で推進することになります。<br /><br /> 1932年に井上は暗殺されましたが、それと同時に新しい駐日アメリカ大使が指名されています。その新大使とはジョセフ・グルー。彼の親戚、ジェーン・グルーが結婚した相手がジョン・ピアポント・モルガン・ジュニア、つまりモルガン財閥の総帥です。ジョセフ・グルーの妻、アリスは少女時代に日本で生活した経験があり、そのときに親しくなった九条節子は後に大正(嘉仁)天皇の妻、貞明皇后になります。<br /><br /> アメリカでは1932年に大統領選挙があり、ウォール街の支援していた現職のハーバート・フーバーをニューディール政策のフランクリン・ルーズベルトが破りました。この結果を受け入れられないJPモルガンを中心とするウォール街の勢力は、1933年から34年にかけて反ルーズベルト/親ファシストのクーデターを計画します。この計画はアメリカ海兵隊の伝説的な軍人、スメドリー・バトラー少将の議会証言などで発覚しました。<br /><br /> 当然、JPモルガンの影響下にあった日本もルーズベルト政権とは対立することになり、そうした状況は1945年4月にルーズベルト大統領が急死するまで続いたはずです。鶴見俊輔によると、占領時代、ハーバード時代の同級生だという「リーバマンが、こう言ったんですよ。これからアメリカは、ファシストの国になるって。」(鶴見俊輔、上野千鶴子、小熊英二著『戦争が遺したもの』新曜社、2004年)<br /><br /> ファシストを支援していた勢力が主導権を奪い返したことを理解しての発言でしょう。日本の支配層にとっては朗報であり、この関係が続けば全てがうまくいくと考えたように思えます。ルーズベルト大統領のような人物が出てこないよう、日本の支配層は動いてきたのではないでしょうか?櫻井春彦http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/noreply@blogger.com