tag:blogger.com,1999:blog-35894930.post7031545073198018172..comments2023-12-31T15:40:06.675-08:00Comments on Peace Philosophy Centre: 『創』4月号の広河隆一氏の「手記」は、自らの性暴力を認めたものではなく、セカンドレイプに他ならない Hirokawa Ryuichi's apologia in monthly Tsukuru is nothing but a second rapePeace Philosopherhttp://www.blogger.com/profile/03884294048618803206noreply@blogger.comBlogger5125tag:blogger.com,1999:blog-35894930.post-90981127482652800842019-03-11T23:57:34.349-07:002019-03-11T23:57:34.349-07:00広河氏に限らない。
よくあるパターン。
そんなつもりはなかったけど、相手にとっては暴力と受け止められ...広河氏に限らない。<br />よくあるパターン。<br />そんなつもりはなかったけど、相手にとっては暴力と受け止められたんですね、分かりました受け入れます、とはいえ自分にはかくかくしかじかの理由があって暴力のつもりはなかった、<br />でも傷つけてしまったので謝ります、自分がどんなに反省して申し訳ないと思ってるかを相手に伝えたい、これから自分の加害性に向き合い、性暴力について学びます………<br />「誠実な」加害者、であろうとする。<br />その文章の長さが、とうとうと自分の葛藤を語れることが、力の濫用だというのに。<br />被害者は、沈黙を強いられ、やっとの思いで告発するのに。<br />「謝罪したい」という欲望を、まだ語るのか。<br />謝罪し、受け入れられたら「ゆるされた」、拒否されたら「謝罪したいが受け入れてもらえない」、どっちに転んでも周囲は「よくやった」と言うだろう。<br />被害者は、謝罪を受け入れたら「これでお終い、もう蒸し返さないで」と語ることを禁じられるか、受け入れなけば「あんなに反省してるのにかわいそう」と非難される。<br />どこまでいっても変わらない力関係。<br />特異な個人の性格の問題ではなく、<br />力関係、力の濫用という暴力の構造だから、似たパターンになる。<br />構造を知れば、同じパターンで暴力が起きることへの手立てをうつことができる。<br />そうしなければ、暴力はなくならない。<br />被害者は、自分と同じようなことが二度と起こってほしくないから、このままだと繰り返すから、告発するのだ。Kurimoto Atsukonoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-35894930.post-37359746194266583432019-03-11T23:55:11.203-07:002019-03-11T23:55:11.203-07:00広河隆一氏の性暴力問題については、文春記事を読んでいませんが、乗松さんのコラムで最初に知りました。吐...広河隆一氏の性暴力問題については、文春記事を読んでいませんが、乗松さんのコラムで最初に知りました。吐き気を催すばかりです。日本の知識人が戦争に協力しても「仕事上の功績は別だ」と免罪されてきたことを想起します。広河氏の被写体となった事柄と広河氏を切り離すことは必要ですが、広河氏の仕事と行動は切り離されるべきではないと思います。むしろ一見健全な社会の底辺に、いかに女性差別と暴力が蔓延しているかに、愕然とします。M.O.noreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-35894930.post-60985908815816585532019-03-11T10:16:08.683-07:002019-03-11T10:16:08.683-07:00乗松さんがご指摘しているようにカッコつきの「性暴力」や、未だ合意があったと主張していることはもちろん...乗松さんがご指摘しているようにカッコつきの「性暴力」や、未だ合意があったと主張していることはもちろん許しがたいですし、さらに彼の語りぶりはまるで悲劇のヒーローであるかのようで、此の期に及んでどうしたらここまで自己陶酔できるのか呆れるばかりです。<br /><br />「30年遅れで学ぶ」というタイトルも、yahooニュースの記事で『創』編集長・篠田氏が「広河さん自身が原稿につけてきた」と書いていましたが、広河には「おまえの“学び”の材料にされる被害者の気持ちを考えろ」と言いたい気分です。<br /><br />この手記を載せてしまうメディアがあるということからも、問題に対する理解が十分でない人が多いことを再認識し、悔しいです。<br /><br />今のところ手記に関して広河を擁護するような発言を見ていないのは救いですが、一方で、そのような性暴力に関して「アウトな」認識の人たちは彼が世間で叩かれているのを見て何も言えなくなっているだけだろうとも思います。<br /><br />同じような被害が今後どこかで繰り返されないためにも、一個人のスキャンダルではなく社会の問題として多くの人に考えられていく必要性を改めて感じました。Akari Kojimanoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-35894930.post-35996923976620296112019-03-11T10:12:57.064-07:002019-03-11T10:12:57.064-07:00『創』、購入して読みましたが、本当にひどい内容と思いました。
この手記は乗松さんのご指摘のように、最...『創』、購入して読みましたが、本当にひどい内容と思いました。<br />この手記は乗松さんのご指摘のように、最初から最後まで自己批判風の自己弁護であり、被害者をセカンドレイプしている点で大問題です。乗松さんのご指摘は全面的に正しいと思います。<br /><br />結局、広河は自分の行為ではなく「被害者の気持ちに気づけなかった」ことしか反省していません。手記やそこで引用されている文献の節々からも、被害者意識や「相手の心を読むことができるエスパーでないと女性と関係も築けないのか」といったどうしようもない本音が見え隠れしています。<br />まるで時代についていけなかったとでも言いたげですが、いつの時代だろうとアウトであることを理解していないし、「最近はなんでもセクハラになっちゃうから息苦しい」などというセクハラオヤジの言い分から少しも出るものではありません。<br />そして、加害者が、性暴力を被害者の受け取り方の問題にすりかえるのは、最大級のセカンドレイプです。<br /><br />掲載したメディアの責任についても厳しく問われなければならないという点も同感です。<br />具体的な被害者が存在するのが分かっていながら、加害者への「バッシング」ばかりに心を痛め、加害者の言い分をそのまま垂れ流すことに何の正義があるのか。<br />建設的な議論を期待するなら尚更やってはならないことだと思いますし、性暴力被害の深刻さや心の傷を少しでも理解していたら出てこない発想だと思います。<br />『創』編集長は、この手記によって生じた二次被害について、どのように責任を取られるのでしょうか。<br />こうした批判すら「両論併記」した上で、『創』5月号で二次加害を続けるつもりなのでしょうか。<br />広河の手記の掲載を取り止めるよう、『創』編集長、および編集部に強く求めます。Yoshiki Kanainoreply@blogger.comtag:blogger.com,1999:blog-35894930.post-66126195584898195832019-03-08T10:55:58.149-08:002019-03-08T10:55:58.149-08:00巧妙ですね。自分に権威や権力があることに気が付かなかった、皆、自由に意見を言っていると思っていたなど...巧妙ですね。自分に権威や権力があることに気が付かなかった、皆、自由に意見を言っていると思っていたなどと書いていますが、彼がオフィスで、男女を問わず、怒鳴り散らしていて、皆ぴりぴりしていたのは、権力も、権威も持っているとは知らない人にできることでしょうか。拒絶はされなかったとしても、合意とは、どういう言葉で合意されたのか聞きたいです。他の用事にかこつけて、ホテルに呼んで、すぐセックスに及ぶのは、立派なレイプでしょうと言いたい。セクハラなんてものじゃありませんよ。でも、パワハラを放置していた周りもどうしたことかと思います。パワハラとセクハラは同根のものだと思います。<br /><br />とにかく、あれほどのことをして、よくしゃーしゃーと自己弁護できるものですねえ。<br />盗人、猛々しいとは、この人のための言葉かと思ってしまします。Sumi Hasegawanoreply@blogger.com