Peace Journalist 菊野由美子
4月24日、肩に食い込むほど重たいバックパックと持ち運びしにくい寝袋を抱えて電車に飛び乗り、9条ピースウォークに合流するため、東京から神奈川県茅ヶ崎市へと向かった。どんな方々に出会い、どのような思いに触れ、どのように自分が反応するのか楽しみだ。
茅ヶ崎市役所で昼食中の9条ピースウォークに無事合流し、午後1時に茅ヶ崎中央公園を出発した。公園には雨模様にもかかわらず、様々な手作りの垂れ幕や旗を持った参加者が集まり、その時点で100名ほどの行進となった。またその頃、茅ヶ崎9条の会のメンバーを中心に約10名ほどによる国府津から茅ヶ崎へ向けて別のピースウォークが行進中だった。それは、9条ピースウォーク本体がスケジュールの都合上、国府津から茅ヶ崎まで電車移動した行程を“つなぎウォーク”していたのだ。このように参加初日から、9条ピースウォークに関わるすべての人が「自分にできること」でウォークをつないできたのだと感じさせられた。
今日の終点地、藤沢駅前サンパール広場まで、「加山雄三通り」なども経由して参加者の方々の観光ガイドつきで、9条に関する様々な思いを語り合いながら歩いた。神奈川県高座郡寒川町から参加された村田桂子さんは、2003年にイラク戦争が勃発してから、地元で毎月仲間たちとピースウォークを行っている。「マスコミが9条のことをいつまでたっても報道してくれないから、それなら私たちが地元の人達に伝えればいい。」という思いで始めたのだ。ある月は7,8名、ある月は2名だけの行進参加者でもやり続け、58回を数えた。そして村田さんはほがらかに話を続けた。「9条のイベントも、コンサートやワークショップなど、楽しいことと一緒に企画するのよ。自分が楽しくやらなくちゃ、人も集まらないからね!」9条ピースウォークもまさに参加者が楽しんでいるのである。その日の宿泊先の藤沢カトリック教会で夕食と交流会が行われた。広島から通しで歩いておられるお坊さんや、他の参加者の紹介があり、私もバンクーバー9条の会のメンバーとして紹介され、簡単な活動報告とファンド・レイジング・イベントが大成功し、補助金を出して、バンクーバーの学生2名を9条世界会議に派遣し、最後の方でピースウォークにも参加できることを報告すると大きな拍手が沸いた。
25日、早朝6時15分には宿泊者ほぼ全員が「お勤め」に参加する。それは、この9条ピースウォークの中心的存在のアメリカ、マサチューセッツ州に道場を構える日本山妙法寺のお坊さん方のお経が唱えられるのだ。時間の変更はあっても毎日行われるそうだ。その「お勤め」の最中、私は不思議な気持ちを抑えられないでいた。なぜならそこは教会で、十字架の前で南無妙法蓮華経を唱えているからだ。日常の報道ばかり見ていると、宗教は人を分断し、争いごとの元のような印象を受けがちだか、ここにはそれはない。いや、元々宗教は信仰が違っても願いは一つで人をつなげるものなのだと感じた。平和の行進をするお坊さんを教会が受け入れ迎える。これこそお互いの信仰を尊重してつながり、周りに癒しと安堵感を与えるのだ。この気持ちを石橋上人に伝えると、あるエピソードを話してくださった。
9.11が起きてから、ニューヨークの公園の水のない噴水の前でお経を唱えていると、人々が知らず知らずに集まり、それぞれの信仰のお祈りを始めた。そうすると、人々の魂が高まり、上昇しているような不思議な感動する感覚を体験したそうだ。信仰は違っても、平和でありたいと思う人々の願いは同じで、このピースウォークでの「お勤め」でも同じ様な魂の躍動を感じたのでしょう。と話された。
それから鎌倉地域へと歩き出し、江ノ電の乗客に手を振りながら七里ヶ浜沿いの道に出て、太鼓とお経と共に心地よく行進していく。この日の昼食は、鎌倉恩寵教会で約10名のご婦人による豪華で温かく、体に優しい料理がずらりと並べられていた。ご婦人の中には、料理研究家やその生徒さんなどが含まれる。その一人が、「私は足が悪くて歩けないけど、料理だったらできると思って作りました。」とにっこり笑う。一人一人ができることでピースウォークは支えられているのだ。
午後から鎌倉駅前をスタートし、お土産店などが立ち並ぶ若宮大路をパレードした。竹馬に乗って歩くパフォーマンス、歌や民族楽器などが行進を盛り上げ、150名ほどの列になり、
旅行者、学生、子供たちの目を引いていた。パレード終点のカトリック雪ノ下教会では、広島から行進しているプエルトリコ出身のイロック、リベリア出身のオプティマスのアメリカ人ヒップホップグループのパフォーマンスなどで盛り上がった。そして、鶴岡八幡宮を抜けて、今日の宿泊地、緑と澄んだ空気に包まれたイエズス会黙想の家で体を休めた。
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