Peace Philosophy Centre, based in Vancouver, Canada (est. 2007), provides a space for dialogue and facilitates learning for creating a peaceful and sustainable world. ピース・フィロソフィー・センター(カナダ・バンクーバー 2007年設立)は平和で持続可能な世界を創るための対話と学びの場を提供します。피스필로소피센터(캐나다·밴쿠버 2007년 설립)는 평화롭고 지속 가능한 세계를 만들기 위한 대화와 배움의 장소를 제공합니다. 欢迎来到和平哲学中心!我们来自加拿大温哥华,我们致力于促进对话及建立可持续发展的和平世界。欢迎您留下宝贵的评论。Follow Twitter: @PeacePhilosophy / "Like" Facebook: Peace Philosophy Centre メールEmail: peacephilosophycentre@gmail.com
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Saturday, May 31, 2008
Film Rokkashomura Rhapsody 子育てママさん達が主催した 映画「六ヶ所村ラプソディー」上映会
Peace Journalist 菊野由美子
今回の東京出張の荷造りをしているとき、ある種の荷物が10年前に比べると、明らかに増えている、いや、10年前はなかっただろう荷物に気が付いた。それは、電気機器製品とその備品である。パソコン、デジタルカメラ、携帯電話、リコーダー、電子辞書、そしてそれらに必要な電気コード、充電用コードに充電池、それぞれのデータをパソコンに取り込むためのそれぞれのコード、などなどである。このように、どっぷり電気製品に依存することは、たっぷり放射能を撒き散らしてしまうことになるのだと思うと怖くなったが、「必要だから・・・。」というジレンマを感じた。
2008年5月11日、横浜市保土ヶ谷区で映画「六ヶ所村ラプソディー」の上映会と鎌仲ひとみ監督の講演が開かれ出席した。この上映会の特徴は「保育つき」である。主催「妊婦さんと赤ちゃんとママの集いTea Party」のメンバーのプリチャード麻美さんが、「子育て中のお母さんにこそ見てもらいたいのです。メンバーは、赤ちゃんの夜鳴きで睡眠不足の中、チラシの印刷や配布に奮闘していました。」と語るように、会場にはあちらこちらに子供や赤ちゃん、そしてお母さんだけではなく子育て中のお父さんの姿も多く目にした。
そんな穏やかな雰囲気の中、「六ヶ所村ラプソディー」の上映が始まった。ある状況や起こっていることに対して問題提起するドキュメンタリー作品は、その問題点の指摘と反対する側の意見が主になることがほとんどであるが、「六ヶ所村ラプソディー」は、賛成側の意見や状況も伝えている。ここに注目したい。なぜなら、賛成側の意見を聞かずして創造的な解決策には至らないからだ。
青森県六ヶ所村は人口1万2000人の小さな村で、戦後、満洲や樺太からの引揚者が広大な原野を開拓し、牧畜業や農業を営んでいた。政府は、日本最大の工業地帯を築く目的で開拓者からその土地を買収したが、その夢の構想が実現することはなく、やって来たのは核燃料再処理工場である。再処理工場というのは、原発で出た核廃棄物を化学処理して、プルトニウムを取り出す「プルトニウム生産工場」である。この処理過程で電気エネルギーは生産されない。この工場が本格稼動し始めれば、原発1年分の放射能が1日で垂れ流しされる。例えば、高さ150メートルの煙突からは原発の240倍の放射能、そして沖合い3キロまで伸ばされた配管からは毎日300トンの放射能廃液が放出される。(RIZINE, 2007) その核燃施設は風上に建ち、風下には農地が広がる。
「子供が帰ってこれない場所にしたくない。」「チェルノブイリにしたくない。」「自然エネルギー、観光産業や地場産業の活性化が六ヶ所村の生きる道だ。」と再処理工場問題と取り組んでいる村人の話に胸が痛む。その一人の菊川さんは、六ヶ所村でチューリップ農園を開きながら活動している。非国民や過激派だと言われた時期があり、自分の生活を人の目に見えるように、そして自分が楽しめる方法でふるさとを守りたいと始めた。今では、全国から多くの若者が集まってくる。
そして賛成派は、「経済発展を考えるとエネルギーは必要だからしょうがない。」「国が決めた建物だから今さらしょうがない。」「この工場のおかげで仕事をもらっている。」と言う。漁業だけでは子供を二人抱えて食べていけないのでこの処理工場で働いているお父さんもいる。その他、多くの関係者の発言を聞き考えさせられる。そして、約1万2000人の村人のうち反対派は数名ほどである背景が薄皮を剥くように現れてくる。
上映後、「しょうがない」とは思えないのでこの映画を作ったと話された鎌仲ひとみ監督の講演が始まった。1998年にイラク取材に行った際、抗がん剤は大量破壊兵器製造につながるからと経済制裁されたために、イラクでガンに苦しむ多くの子供たちが治療を受けられずに死んでいく。そしてガン多発の原因は、原発から出る核廃棄物で作られた劣化ウラン兵器による体内被曝であることを知り、広島・長崎から60年以上たった今現在も兵器で「被爆」している人を知りショックを受けた。そして電気消費量世界第2位の日本がイラクの人に、電気必要だからしょうがないとは言えないと思ったと語った。さらに、その日本のエネルギー政策問題が六ヶ所村に集まっているのに、国民の多くはこのことを知らされていないことも指摘した。そして、賛成にも反対にもそれに至る経緯があるから、対立を生み出す作品にしたくなかったという。その中で、日本原燃の取材拒否や賛成派の意見を聞けるまでに1年も通い続けたエピソードなどを話してくれた。
このイベントの主催者の一人が、「子供がいるからいろいろと制約ができる、というような壁をどうしても乗り越えたかった。」と話した。ここのスタッフは、「六ヶ所村ラプソディー」を観て、自分の意識を変え、自分のできることを実践し始めた人達だ。私はまず、からまった電気コードをほどきながら、「必要なの?」と自分の意識を変えるために問いかけてみることから始めようと思った。
Thursday, May 29, 2008
「君が代」強制解雇裁判・控訴審 第3回口頭弁論の傍聴と板橋高校卒業式事件裁判の速報
2008年5月13日午後3時、東京高等裁判所で「君が代」強制解雇裁判・控訴審 第3回口頭弁論を傍聴した。予防訴訟の原告の一人である片山むぎほ先生の計らいで、傍聴抽選に並ぶことなく入ることができた。約100名の傍聴席は満席だった。
控訴人の一人である教師歴31年の都立工芸高校・インテリア科の久保田先生の陳述が始まる。
都立工芸高校では、教師と生徒が納得いくまで話し合うことを重要とし実践してきたことを強調した。その例として、学校での服装の自由を求める運動でも、とことん話し合い自由化にした。卒業式の服装もそれぞれで、卒業生の顔を確認しながら卒業証書を渡していたが、壇上で渡さなくてはならなくなり、それもできなくなった。そして、「日の丸・君が代」に反対するのは、戦時中のナショナリズムのシンボルであったこと、その戦争のために家族がばらばらになってしまったことなどを語った。加えて、内心の自由を信じてきたが、今では教職員会議での採択も取らせないなど、教育の自由を奪われていることを主張した。
続いて、憲法19条に思想・良心の自由が保障されていることを核に新村弁護士の陳述が始まる。
教師は生徒の模範にならなくてはならない、だから日の丸に起立しなければならないと都教委側は主張するが、生徒にも選択の自由がある。ならば、先生はそのモデルになるべく、立つ、立たないの自由があるはずだと説明した。そして、生徒に不起立を教えているのではなく、起立・不起立の両方の選択があるのだとを教えていることを主張した。最後に、証人申請に2人の卒業生を立てる理由を述べた。生徒は、先生が命令されていることに敏感に反応しており、卒業式がどのように変わったかを聞いてほしいこと、また、「裁判官もご自身の高校時代を思い出してください。問題に対して自分なりに考えていこうという思考力をお持ちだったはずです。」と生徒達で「日の丸・君が代」について自主的に議論しており、十分に思想・良心の自由を考え、判断できることを主張した。
約30分ほどの口頭弁論が終わると、弁護士会館で報告集会が開かれた。そこには約50名の弁護団の中の13名が出席しており、約100名もの参加者が報告に熱心に耳を傾けた。
そのとき、カナダ・バンクーバーのピース・フィロソフィー・センターから派遣されてやって来た我々も紹介された。私は、「バンクーバーで“君が代不起立”のドキュメンタリーを見て、今日本でこのようなことが起こっていることに衝撃を受けた。裁判で勝つには世論を高める必要があるので、日本国内だけではなく、海外にも情報を発信していきたい。」と話し、同行していただいたバンクーバー9条の会の岩下美佐子さん(大阪の元中学社会科教師)は、「自分も足が振るえ、心臓が凍りつくような気持ちを抱きしめながら卒業式では着席していた。しかしそのとき、多くの生徒も座っていた。早期退職しバンクーバーで確信したことは、国旗国家の強制は国際慣例ではないということ。皆さんがんばってください。」と力強いエールを送った。
またこの報告会では、教育の自由を守るための様々な裁判が行われていることを知った。中学社会科教師・増田都子さんは、社会科の授業で南京大虐殺、従軍慰安婦、米軍基地問題などを取り上げ、生徒に紙上討論をさせたことなどを理由に、教師としてふさわしくないとされ分限解雇処分を受け、撤回を求める裁判を闘っている。
予防訴訟の進展としては、証人申請に憲法学者の渋谷秀樹先生を予定していることが伝えられた。渋谷先生は、「君が代・日の丸」強制は憲法19条(思想良心の自由を保障)に違反していることを明言している。参考までに証人申請としてではないが、やはり憲法19条に違反していることに同意している憲法学者は、カナダ・バンクーバーにあるUBC(ブリティッシュ・コロンビア大学)の法学部松井茂記教授であることも伝えられた。
最後に、「板橋高校裁判控訴審」の経過も報告された。これは、ドキュメンタリー映画「君が代不起立」にも登場していた元板橋高校教論、藤田勝久さんが、2004年3月、同学校の卒業式で「君が代・日の丸」強制の反対を呼びかけたことが、卒業式の進行を遅らせたとし威力業務妨害罪に問われていた事件だ。5月29日東京高等裁判所で開かれる判決の理由言い渡しが異例の長さの90分かかることや、公正な裁判を求める15000名の署名が高裁へ提出されたことから、藤田さんの無罪判決を期待しているなどの報告があった。
しかし迎えた5月29日、須田まさる裁判長は1審と同じく藤田さんへ「罰金20万円」の有罪を言い渡し控訴を棄却した。加えて、校長の起立を命じる職務命令を「合憲」とした。
弁護団はこれを不当判決とし、直ちに上告の手続きを取った。
大変残念な結果である。しかし、うつむいたままではいられない。多くの支持者や弁護団とともにさらなる世論を高めて、子供たちにとって大事な場所のひとつである教育の場に、自由と楽しさと結びつきを失うことなく築いていこう。
Wednesday, May 28, 2008
根津公子先生の停職出勤レポート
2008年5月7日午後3時過ぎに、東京都八王子市にある南大沢学園特別支援学校へ根津公子先生の停職出勤を訪問した。3月31日処分発令では免職は避けられないと覚悟していたが、処分は「停職6ヶ月」。支援者と抱き合い、喜びをかみしめた校門前に座っている根津先生を見つけた。先生はこの4月からは東京都あきる野学園が赴任先だが、停職中は今までの赴任校にも足を運んでいる。
南大沢学園特別支援学校の回りは閑静な住宅街で緑も豊かだ。校舎もとても立派である。その校門脇で挨拶をし、ご用意いただいた椅子に座ってお話を聞かせていただいた。
日の丸不起立を続けることによって、地域組織やPTAからも非国民呼ばわりされることも多々あったという。しかし、今の日本人の生活は戦地に行った人々、戦争の犠牲者の上に成り立っていることを忘れないため、そして、「日の丸・君が代」の議論がタブー視されていることが、ナショナリズム、その延長線上にある軍国主義への道を知らないうちに許してしまうことに警告を発するために座り続けている。「強制するには目的があるはず。何をやるにも意識なくやるのはおかしい。なぜやるのか?なぜ当たり前なのか?と疑問視することをやめれば、洗脳は簡単に成功してしまう。それがこわいのです。」と言う先生の言葉を理解しようと考えていると例を出してくれた。「ここに出されたお饅頭を、よかったら食べて下さいと言われたら食べるが、絶対に食べなさいと言われたら食べない。」なるほど・・・・。
そして私の質問に対する根津先生の答えに、今まで気付いていなかったことに気付かされ衝撃を受けた。
菊野 「私の故郷にも先生をしている友達はいますが、今のところ“日の丸・
君が代”は厳しく ないようです。地方にまで厳しくなる前になんとか
できないものでしょうか・・・」
根津先生 「厳しくないのは、もうすでに全員が立ってるからですよ。」
疑問を持たずに従えば波風は立たない。しかしその代償は計り知れずに大きなものになりかねない。今ならまだ間に合う。
話している間に、何人かの生徒たちが下校していく。一人一人に声をかける根津先生。生徒たちは元気に「さようなら。」と返事をしてくれる。中にはまた駆け寄って戻ってくる生徒もいた。根津先生の存在が生徒や私を含めた大人にも、自分の力で考えるという思考力に刺激を与えてくれる。そして少しずつ周りにも変化があるようだ。東京都の職員でも、部署を離れたとたんにビラを受け取ってくれたり、警備員や食堂の職員の中にも支援者がいる。
5時になり、今日の「停職出勤」も終わりである。駅まで根津先生に送っていただいた。私の質問に丁寧にお答えいただきほんとうにありがとうございました。お会いできてよかったです。先生が教壇に立って授業しているところを早く取材したい、と思いながら南大沢駅を後にした。
Wednesday, May 21, 2008
「日の丸・君が代」強制反対をめぐる問題は、教育の自由を守る壮大な戦いである。
強制されるには目的や理由があるはず。それが何かを敏感に疑い、考えることの重要性を突きつけられた。5月6日、東京四谷の事務所で、日の丸・君が代予防訴訟原告のうち二人の先生に会うことができた。10.23通達までの流れとその内容の異常さ、そして多くの裁判事例を詳しく丁寧に説明していただいた。
まず、通達までの流れである。天皇を主とした旧軍国精神を弱めるために、戦後すぐは学校での日の丸・君が代はなかった。東京都立高校では、2000年までは国歌斉唱がなかったのである。しかし、1989年の学習指導要領改訂から国旗掲揚、国歌斉唱の強制がじわじわと存在し始めた。その時、今の混乱を予言するような悲しい出来事が起こった。広島県は原爆被害地であったことから、国旗掲揚、国歌斉唱はなかった。しかし、学習指導要領改訂から教職員の間で、起立するかしないかで分裂し始めた。その結果、広島の校長が板ばさみを苦に自殺した。これがきっかけとなり、1999年に日の丸を国旗とし、君が代を国歌と法律で定めた。その際、多くの反対意見もあったが、敬礼などはしなくていい、強制はしないことを理由に法制化に踏み切った。
その後校長は、思想の自由、内心の自由として起立するしないは本人の判断でするよう指導してきた。だが、強制の色がじわじわと濃くなり、東京都立高校では起立、斉唱せざるおえなくなってきた。それでもまだ、強制でないことを頼りに何名かの教師は座り続けていた。
2003年4月に石原都知事が大勝で再選してから、「やりたいようにやらせてもらいたい。」「内心の自由で歌わない、起立しないはけしからん。」とし、2003年7月に東京都教育委員会が、「都立学校卒業式・入学式対策本部」を立ち上げた。そして、2003年10月23日に日の丸・君が代通達が東京都立高校と養護学校へ出された。(10.23通達)
*その内容の異常さ*
① 国旗掲揚、国歌斉唱の実施は職務命令であるので、それに従わない教職員は責任を問われる。
このことから処分を不当と訴える訴訟では、職務命令の内容ではなく、職務に違反し たという理
由で多くのケースが敗訴している。
② 教職員は、指定された席で起立し、斉唱する。
校長は、起立せず歌わない教職員を正しく報告しないので、都教委の役人がチェックできるよう
に前もって教職員の席を報告しておく。
③ 卒業証書は、舞台壇上で受け取る。 (常に日の丸に向かって礼ができるように。)
養護学校の生徒や車椅子の生徒は、今まで舞台下で受け取っていたが、それができなく
なった。
対面式卒業式もできない。卒業証書をもらう生徒の顔を職員、在校生、保護者が見れなく
なった。
④ 国家斉唱は、ピアノ伴奏が義務付けられ、音楽の先生は必ず強制される。
過去に伴奏を拒否した先生にわざと職務命令する。
10.23通達以降の各訴訟
* 予防訴訟 (国歌斉唱義務不存在確認等請求事件)
通常は処分されてからその処分が不当だとして訴えるが、10.23通達によって処分さ れる前
に、この通達自体がおかしいことを訴える裁判。
東京都立の高校、養護学校の約400名の教職員が原告。
2006年 9月21日 東京地裁で原告全面勝訴の違憲判決が出された。
しかし、東京都は控訴し、相変わらず「職務命令」を出し続け、強制を続けている。
* 「日の丸・君が代」不当処分撤回を求める裁判
日の丸不起立、国歌を斉唱しなかったとして、戒告や減給などの処分を受けた先生方(約300
名)がその処分を不当とし訴えている。(根津先生はこの裁判に属している)
* 東京君が代裁判
2003年10月23日の通達から、2004年3月の卒業式までの間の年周行事が行な われる学校
へ、通達どおりにやるよう命令した。それに従わなかった先生10名が処分された。
2004年、2005年の都立高校と養護学校の卒業式で着席した先生約200名が処分された。
このケースを合わせた処分の撤回を求めた裁判である。
* 「君が代」強制解雇裁判
定年退職後、再雇用職員(嘱託 定年後5年勤務できる)として勤務していた先生のうち 10.23
通達にしたがわなかった先生方約200名が、次の年の嘱託を解雇された。
その不当を訴える裁判→2007年9月 敗訴
* 嘱託不採用撤回裁判
定年退職前に再雇用の申請をし、合格していたにもかかわらず、通達にしたがわなかった ことを
理由に嘱託希望を取り消された。(2005年、2006年の卒業式で)
2008年2月 勝訴 だが、10.23通達の違憲は認められず、一度の不起立で嘱託
合格を取り消すのは、裁量権の乱用であることが勝訴の内容。
* 再発防止研修を取り消す裁判
2004年7月から処分された先生への研修。都議が反省するまでやらせる。
2007年 夏 敗訴
* 教職員による挙手や採択を前面禁止した通知の撤回を訴える
(これは裁判ではないが、参考までに)
2006年4月都教委は、「職員会議において「挙手」や「採決」等の方法を用いて職員 の意向を確
認するような運営は不適切であり、行わないこと」と通知した。
都立三鷹高校の土肥校長が「教育の現場で言論の自由が奪われている」と通知撤回を都立高校
長会で訴えた。それから土肥校長は、1年に7回都教委に呼び出されている。
「君が代不起立」の映画では、予防訴訟が全面勝訴したシーンがあったが、あの裁判は根津さんは原告の一人ではない。なぜなら、10.23通達は都立高校と養護学校に出されたもので、中学の家庭科の先生である根津さんはこの訴訟の原告にはなっていない。なので上記にあげたように、根津さんは不当処分の撤回を求める裁判の原告である。
以上のことからも、訴訟のケースは増え複雑化しており、これは延べ人数1000人以上の東京都教職員の方々の壮大な戦いなのである。
そして、戦い方も様々である。断固として起立することを拒む先生もいれば、起立し、国家斉唱するが、「日の丸・君が代」の強制はあってはならないことを訴えて、予防訴訟の原告となってともに活動している先生もいる。この10.23通達の撤回運動を広めるためには、教育の自由、強制はおかしい、ということに焦点をあてて広めることが世論を高めるのに有効かもしれない。早く世論を高めなければ、真のターゲットである生徒の自由も奪い始めているからだ。2006年、 定時制高校の卒業式で、生徒数10数人のうち、10名が座った。それを理由に、生徒に起立斉唱を指導するように教職員へ通達がでた。
強制されるのは何かの目的がある。その目的がどこに向かっているかを疑問視せねばならない。そして、その強制によって教育の自由や、子供たちまでの自由が奪われる恐れがあるなら、意見しなければならない。そんな状況を懸念して、保護者の中にも集会を開いたりデモをしたりの運動もある。
原告の先生方は言う、
「海外の人達にもこのことを広く知ってもらいたい。人権、思想、良心の自由において、今の日本の教育現場で起きていることは異常だと訴えてもらいたい。」
Tuesday, May 20, 2008
Global Article 9 Post-Conference Event
- Vancouver delegates to the Global Article 9 Conference bring back the success and excitement of the first international conference on the Japanese peace constitution -
Date and Time: 7 to 9 PM, Wednesday May 28th
Place: Main Hall, the Unitarian Church of Vancouver 949 West 49th Avenue, Vancouver
(North East Corner of Oak & 49th)
Organized by: Vancouver Save Article 9
* Fee Admission. Donations to cover the cost of rental will be accepted.
* Free parking, entrance from the north side of Oak St.
* Children are welcome (though no specific activities for them)
Spread the word, and bring your family and friends!
Tuesday, May 13, 2008
Hiroshima/Nagasaki Peace Exchange Tour
July 31 – August 10, 2008
A Special Invitation to UBC Students
Professor Atsushi Fujioka of Ritsumeikan University is pleased to extend a special invitation to up to three UBC students to participate in The Peace Exchange Tour. The Tour has been run successfully for the past 14 years, bringing together Japanese and North American students to learn from the history of the atomic bombing of Hiroshima and Nagasaki. Professor Fujioka offers a scholarship of 30,000 yen (approx. $300) to up to three UBC students.
Program Themes: Canadian participants visit Hiroshima and Nagasaki, join students from Japan and the U.S., and work together to:
- gain first-hand knowledge of the human, historical, and environmental impact of the atomic bombings;
- learn about past and current international initiatives undertaken to eliminate nuclear weapons;
- build close ties with one another to work collaboratively for a peaceful future.
Dates: July 31 (Thu.) – August 10 (Sun.), 2008
Destinations: Kyoto – Hiroshima – Nagasaki
Accompanying Faculty and Staff:
Professor Atsushi Fujioka, Ritsumeikan University, Department of Economics
Professor Peter Kuznick, American University, Nuclear Studies Institute
Koko Kondo, Hiroshima atomic bomb survivor, and graduate of American University
Satoko Norimatsu, Interpreter and Canadian Coordinator
Program Description:
The world was shaken by the attack on World Trade Centers in New York, and by the U.S.-led war against Iraq. Tensions remain high in the Middle East and on the Korean Peninsula around the issue of nuclear development, and global military competition has expanded into Space. How can we straighten the tangled strings of hate and revenge, and find a way out from the vicious circle of violence and war?
Nobody can give an easy answer. Hiroshima and Nagasaki can, however, provide fertile starting points for thinking about these issues and can give us courage and wisdom for dealing with the challenges they pose. The objective of this program is to place ourselves squarely in these world-historically important places, commemorate the 63rd anniversary of the atomic bombings, and join with students from around the world to explore what means we have to seek reconciliation among foes, the creation of peace, and the survival of humankind.
The debate over the A-bombing of Hiroshima and Nagasaki, and its historical significance as the the dawning of the “Nuclear Age,” remains contentious. Wide gaps appear to remain among the understandings of American, Japanese and other Asian peoples. Ritsumeikan University and the American University in Washington, D.C. jointly developed and run this exchange program in order to fill these gaps. In 1995, the Smithsonian National Air and Space Museum cancelled its planned A-bomb exhibit. This incident motivated the American University to hold its own A-bomb exhibit and extend invitations to the Mayor of Hiroshima as well as many survivors. This event inspired the birth of this program, which this year marks its 14th anniversary.
The Peace Exchange Tour Program remains student-led: its past participants are actively involved with its planning and coordination. Key concerns for research and discussion include: 1) What happened under the mushroom clouds of the A-bombs? 2) Was A-bombing a ‘necessary evil,’ or a ‘malicious war crime’? 3) Is it possible to abolish nuclear weapons, or are they useful for security? 4) What can we do to overcome the vicious circle of hate and war, and to promote international understanding and cooperation?
There will be 10 to 15 U.S. participants who will apply through the American University. The main text for discussion will be John Hersey’s classic reportage “Hiroshima,” which first informed Americans of the horrific conditions in Hiroshima following the A-bombing. Accompanying this year’s participants will be Koko Kondo, who appears in Hersey’s book as the youngest baby hibakusha. Ms Kondo is the first daughter of Rev. Kiyoshi Tanimoto, leader of the Hiroshima Maiden Project which brought young female hibakusha to the U.S. for treatment of facial scarring caused by a-bombing.
Program participants are expected to be engaged in peace studies, open to an experiential style of learning, and interested in learning more about the language and culture of Japan. The primary language of the tour will be English. Some Japanese participants will have beginner’s level English skills. North American students are requested to join their Japanese peers and communicate with compassion and mutual understanding.
Program Itinerary (subject to change):
July 31(Thu.) Arrival in Japan (Kansai Airport)
August 1(Fri) Sightseeing in Kyoto, and Welcome Party
August 2(Sat) Visit Ritsumeikan International Peace Museum, Workshop/Lecture
August 3(Sun) Visit the War Exhibit at Ritsumeikan International Peace
Museum, Workshop/Lecture, and a field trip in Kyoto
August 4(Mon) Leave for Hiroshima, visit the Hiroshima Peace Memorial Museum
August 5(Tue) Visit sites referred to in John Hersey’s “Hiroshima” / mid-term debriefing
August 6(Wed) Attend the Hiroshima Memorial Ceremony, and visit with hibakusha
and related organizations
August 7(Thu) Discussion with the Mayor of Hiroshima / leave for Nagasaki / visit
the Nagasaki Atomic Bomb Museum
August 8 (Fri) Visit hibakusha / field trips to war-related sites in Nagasaki
August 9 (Sat) Memorial Ceremony at Shiroyama Elementary School / Attend
Nagasaki City’s Memorial Ceremony / visit Gunkan Island (optional)/
Farewell Party
August 10 (Sun) Wrap-up workshop / program ends in Nagasaki around noon
* For July 31st, program staff are able upon request to make meet-and-greet arrangements at Kansai (Osaka) International Airport. Following the end of the program around noon on August 10th participants will be responsible for making their own travel arrangements, though program staff will be available to give basic travel advice.
Required Reading: “Hiroshima” by John Hersey (1946, 1985), Random House
Program Fee: 46,000 yen
(approx. 460 Canadian dollars; will fluctuate according to changes in current exchange rates)
(*) Students who qualify for the Ritsumeikan subsidy of 30,000 yen (approx. $300) will be informed by program staff at the time of registration confirmation. Program fees for students receiving the subsidy will be 16,000 yen (approx. $160).
Program fee includes:
- 10-night accommodation from the night of July 31st to August 9 (4 nights in Kyoto, 3 nights in Hiroshima, 3 nights in Nagasaki)
- Costs associated with all group activities such as museum admission, local transportation, welcome and farewell parties, honoraria to guest speakers and staff, and all administrative and coordination costs.
Participating students are responsible for arranging and paying for the following:
- Return airfare to and from Japan
- Transportation within Japan from the point of arrival to Kyoto, and from Nagasaki to the point of departure
- Overseas Travel Insurance
(mandatory - UBC students, check your insurance coverage with AMS.) - One-week Japan Rail Pass valid from August 4 to 10
*The pass can only be purchased OUTSIDE of Japan. Canadian participants must make their purchase
PRIOR to departure.
* The cost to participants of the Pass may vary according to Japan Rail price changes and current
exchange rates. As of May 1, 2008, the Japan Rail price for a one-week pass is 28,300 yen, or
approximately C$283. - All accommodation costs, other than the 10 nights included in the Program
- All meals, other than meals for the Welcome Party and Farewell Party
- All costs associated with activities such as sightseeing, small group field trips, and the
optional visit to Gunkan Island in Nagasaki. - All other personal expenses
Eligibility: full-time UBC students (undergraduate or graduate) – up to three students. Program sponsors have limited candidacy to students whose country of origin is not Japan.
* Participants must hold a valid passport and visa necessary to enter and stay in Japan for the duration of the program. It is the responsibility of participants to check if visa is required to enter Japan with the passport that they hold.
Registration Procedure: Submit your CV (not more than 2 pages) and a cover letter describing why you would like to participate in this program and what you expect to gain from the experience.
Submission deadline: June 30, 2008. Send by email to Satoko Norimatsu info@peacephilosophy.com.
Note that the first qualified and confirmed candidates will be chosen to participate, so early registration is strongly recommended.
Program Inquiries:
Satoko Norimatsu, Canadian Coordinator
Hiroshima/Nagasaki Peace Exchange Tour
Email: info@peacephilosophy.com Phone: 604-619-5627
Monday, May 12, 2008
9条ピースウォークレポート 完結編と番外編
Peace Journalist 菊野由美子
28日は横浜港大桟橋でピースボートの帰港を出迎え、横浜公園まで30分ほどのパレードをした。このゆっくりで短いパレードにパンチを効かせてくれたのは、先導車から軽快に聞こえてくる関西弁での呼びかけだった。「9条はええでぇ~。」「皆さん、ここは横浜ですけど関西弁でやらせてもらいますわ!」などなど、その呼びかけは、私たちが自然に沿道のたくさんの人々に笑顔で手を振れるように誘導してくれていたかのようだった。このように、地域ごとの工夫を凝らしたアイデアに感心したり、心のこもったお食事に癒されたり、9条ピースウォークに参加していなければ分からない“裏話”がいくつもある。 その中で、銭湯の楽しさもあった。各宿泊地では、浴室やシャワー室が備わっていないことが珍しくなく、その場合は近くの銭湯を紹介された。その中には、銭湯の番台から男湯、女湯両方の脱衣室が見えるような昔ながらの古い銭湯もあった。ウォーカーの一人の女性が脱衣室で足にサロンパスを貼っていると、番台のおかみさんがみんなで使ってね、とたくさんの湿布をサービスしてくれ、9条ピースウォークの話が脱衣室で始まったりもした。まだ、乾ききらない髪を春の心地よい夜風にさらしながら、みんなとおしゃべりしながら帰る道はなんとも楽しい。 また、今までの報道映像では、デモ隊と警察が衝突する場面を頻繁に見がちだが、9条ピースウォークにそれはありえない。ウォーク中、常に「警察の皆さんに守られている。」と感じて歩いていた。信号で止まっていたとき一人の警官が、「今日はこれが終わったら、一杯いこうか!」と他の警官に話していたのを聞いて、「はい、そうしてください!一緒に行けるといいですね。」と声をかけると私たちは笑い出した。ウォーカーの中にも、警察の方に「お疲れ様です」と声をかけている人を見かけることがよくあった。世界中のあちらこちらでピースウォークがあると聞く。そのほとんどがこのように平和に穏やかに行われているのだ。
29日は、1日で20km以上歩く最後の本格的ウォークだ。横浜の桜木町駅前を8時30分に出発し、総持寺で昼食休憩、そして東京都大田区と川崎市の境を流れる多摩川にかかる六郷橋たもとの神社で休憩し、ここで横浜地区から東京地区へとバトンタッチされた。
9条ピースウォーク横浜地区実行委員長の日巻清次さんにお話を伺った。「白紙の状態から1ヶ月足らずで準備をしてきて反省点もあった。しかし、この9条ピースウォークで各地域の九条の会がネットワークでつながったことは初めてで、これは大きな財産です。そして、自分たちにもこのようなイベントができるのだという大きな自信ができた。次につなげたいです。」と話され、「今、大役を終えられて一番何がしたいですか?」と聞くと、「ぐっすり眠りたい。」と満足そうなお顔でにっこり笑われた。その後ひたすら歩き、今日の目的地の品川区大森海岸駅に到着し、解散した。
5月1日は、御茶ノ水駅近くの東京YWCAで交流会があり、その後30分ほどのパレードを行なった。各地域での交流会でいつもスピーチしているイラク帰還兵のAsh Woolson さん
がここでも壇上に上がり思いを語ってくれた。
「私は、戦争は正義のために行われるものであると教育され、そう思っていたのだが、イラクに派兵されてからそれが全くの偽りであったことを目のあたりにした。戦争に勝ち負けはない。市民も兵士もただすべてのものを失い傷つくだけだ。皆が敗北なのだ。イラク駐屯中に、米軍戦車がイラク人の女の子を轢き死亡させてしまった時、ヤギの値段の半分ほどの賠償金を家族に払いに行った。そこでも、仕返しを恐れて家族に銃を向けたまま金を渡す。イラクの子供たちは手榴弾を投げてくるから近寄るなと警告されていたため、いつでもイラクの子供たちに銃口を向けていた。私には2歳半の子供がいる。誰かが私の子供に銃口を向けている場面など恐ろしくて想像できない。今のイラクの内戦では、シーア派とスンニ派両方に武器を渡しているのはアメリカだ。そして今、約30万の帰還兵が戦地での後遺症による心の病やアルコール依存症に苦しみ、毎日平均約17名の帰還兵が自殺している。私たちは、戦争を’乗り越えていかなければらないことを気付いて、その気付きを実現させなければならないと強く信じている。」
5月3日は、バンクーバー9条の会から代表として派遣された学生Yashar とJoshuaを連れて日比谷公園での憲法集会と銀座パレードに参加した。物々しい警官の警備の中、右翼街宣車からの叫び声を浴びながら歩いた。写真(上右)はイラク帰還兵Ashさん(帽子を被っている)とバンクーバーからの学生の様子。
5月4日、9条ピースウォークが幕張に入ってきたところを写真に収めることができた。会場に入るための長蛇の列の横を拍手に迎えられながら入ってきた。皆うれしそうだった。71日を歩き続け、延べ人数7000人という参加者と各地でサポートしてくださった数え切れない方々の平和への思いを携えて、9条世界会議の壇上へとメンバーたちは上がった。「戦争は最大の環境破壊である」と力強く伝えた若者、加藤上人が「平和への祈り」のメッセージをやさしく、かみしめるよう述べられる様子を見て胸が熱くなった。私はこの9条ピースウォークが私自身の心に平和をもたらしてくれたことに感謝したい。
さて、ここで番外編である。これは、5月1日のピースウォークのパレードが終わった後、個人的に7名のお坊さん方と、9名ほどの9条ピースウォークのメンバーで国会近くにある憲政記念館へと急いだ。そこでは、改憲派の議員や著名な方々が集まって、憲法改正に向けた話し合いを行っていたのだ。お坊さんのお一人が言う。「我々は彼らの集会を阻止しに行くのではない。彼らの心の奥底に必ずある善を信じて、仏性を呼び起こす為にひたすら唱えます。もし、何か言われても暴言をはいたりしないように。非暴力で彼らの善を信じてひたすら唱えます。」私はお坊さんの横や憲政記念館の入り口の横にちょこんとただ、ただ座っていた。そうして一つ気が付いたことがる。憲政記念館に入っていく議員さんは、なぜみんな黒いスーツを着ているのだろう?彼らの乗る車はなぜすべて黒塗りなのか?何かに怯えて、黒塗りで防護しているように見えた。それと対照的に9条世界会議では、色とりどりの服を着て、音楽を奏でて、カラフルな照明があたっていた。もしかすると、皮肉にも民衆をコントロールしたいとしているあの黒いスーツに身を固めた人達のほうが、自由がなく、がんじがらめでいつも何かに怯えているのではないだろうか? 彼らたちをそうさせてしまったのは何なのだろう?一緒にカラフルな服を着て、肩を寄せて歌うにはどうしたらいいのだろう?と思いながらお経とともにただ座っていた。
最後に、9条ピースウォーク実行委員として約1年間準備に係わってこられた増井さんご夫婦からメッセージです。
増井信様:初めての9条ピースウォークの企画でしたが、無事に成し遂げる事ができ大勢の方々
も参加していただき本当に嬉しく思っています。昨秋バンクーバーでお目にかかった方々がご参加くださったことも心強く皆様に感謝しています。
増井幸子様:数え切れない方々の支えで9条世界会議も9条ピースウォークも成功しました。
お目にかかれなかった多くの方々にも心から感謝しています。今回9条を大切に思う仲間がこんなにも多く居られる事を知りとても頼もしく思いました。また、バンクーバーなど多くの海外からの参加者のお話に触れ、やはり「9条は世界の宝」である事の確信を得る事ができました。今回繋がる事のできた皆様とのご縁をこれからも大切にしたいと思っています。皆様、平和な世界を目指して共に頑張りましょうね、どうぞお元気で。きっとまたどこかでお目にかかれますように。
草の根運動を育てていくためには、「原始的な方法が一番」と教えてくれたウォーカーの一人の言葉の意味を体験させてくれた9条ピースウォークだった。
Thursday, May 08, 2008
Article 9 Peace Walk Presentation at the Global Article 9 Conference
Sachiko Masui reported Kato Shonin, the Nihonzan Myohoji priest who led the 72-day long Peace Walk recited St. Francis Prayer for Peace:
" Lord, make me an instrument of Thy peace;
where there is hatred, let me sow love;
where there is injury, pardon;
where there is doubt, faith;
where there is despair, hope;
where there is darkness, light;
and where there is sadness, joy.
O Divine Master,
grant that I may not so much seek to be consoled as to console;
to be understood, as to understand;
to be loved, as to love;
for it is in giving that we receive,
it is in pardoning that we are pardoned,
and it is in dying that we are born to Eternal Life.
Amen. "
Kato Shonin also recited:
"Civilization has nothing to do with having electric lights, airplanes, or manufacturing atomic bombs. It has nothing to do with killing human beings,destroying things or waging war. Civilization is to hold one another in mutual affection and respect. " -- Nichidatsu Fujii.
Yashar Keramati, one of the VSA9's delegates told me he was in this photo. It is hard to recognize him, but I am glad that the Vancouver group was part of this amazing experience.
Love,
Satoko
Wednesday, May 07, 2008
9条世界会議大成功!岩下美佐子さんより
今 大きな感動が私を動かしこのメールをさせています。
ご存知のように9条世界会議は大成功でした。 しかし、私は、会議に参加している間中いろいろな心配事や問題、私たちの課題を目の当たりにして苦しいこともありました。が、そういうことも含んでも尚、戻ってくる大きな感動を今 手に入れています。それをつかんだのは最終日でした。
最終日6日は午前中だけでしたが、まとめの全体会でした。弟1日目(4日)の基調報告をうけての2日めの分科会、自主企画からの報告があり、その後 大会宣言の内容についての討論をしました。 私はなによりも会場からの発言に感動しました。沖縄に住んで平和活動をする元アメリカの兵士、「沖縄には安保条約があるが9条はない」沖縄からの発言は厳しいもので会場を引き締めたと思います。ベトナム、フイリピン、アフリカ、日本各地からの発言。それは、日々地を這うようにこつこつと仲間を広げ憲法違反9条違反の現状とたたかっている姿でした。(私は「言うだけ」のことには感動しません)
3日間をとうして、外国からの招待客、パネラー、のみなさん、外国からの一般参加者から多くを学んだことも事実です、 貧困、病気、環境問題、暴力、人権、戦争など各国が抱える問題の原因は共通であること、したがって解決のみちすじも細かい手段は違っても方向は同じであること、 その方向とは「9条の精神を実現させていくこと」です。この会議では、9条の精神の実現を求めていくということで、世界はつながったのです。そして私たちの9条は世界から求められていると実感できたのです。 このことを日本中に広めることは、日本の有権者が安心して憲法をえらびなおすことができる力になる。
でも、なによりも私が感動したのは日本の人々でした、多くの若者がボランチィァとして会を支えていました、 会場内で討論を聞く年配者は首を突き出して日本語通訳の言葉を一言も漏らすことなくつかもうとしています。この熱心さは、地元の困難と闘いながら日々活動しているからです。 私は高い場所から会場に入れなかった人々の長蛇の列を見ました、その一人ひとりが9条を守るために、また基地反対、核兵器廃絶、生活保障、教育の自由、などそれぞれの地域でのたたかいをしながら、世界の人々から学ぼうとやってきたのです。もうしわけないですが私はこの日本各地からの参加者の「熱心さ」「必死さ」は他の参加者と、またこれまでの集会と違うように感じました。それは9条をとりまく状況が緊迫していること、日本の参加者はそれを日々活動で実感していると思いました。 参加者は、会場内に1万2千人、会場に入れなかった人3千人計1万5千人。大阪集会では6千人を越えていたそうです。ともに近年にない数字です。
大会の成功を私の大好きなVancouverの仲間のみなさんとshare出来たことを嬉しく思います。ありがとう
岩下美佐子
Sunday, May 04, 2008
世界会議記念バンクーバーイベント An Article 9 Event in Vancouver
Thursday, May 01, 2008
9条ピースウォークレポート パート2
翌日4月26日、午前7時からイエズス会黙想の家の礼拝堂でミサが行われた。ここでも、信仰の違いの壁を越える瞬間を垣間見た。ミサの最後に、イエス・キリストの肉とされるパンのようなものが、神父様より洗礼を受けている信者さんに渡された。そして洗礼を受けていない参加者は、一人一人に神父様より祝福の言葉をかけてもらう。そうすると、お坊さん方は躊躇することなく立ち上がって神父様の前へ行き、神父様は両手をお坊さん方の頭へかざし、短いお祈りをされていた。我々も自然な流れでその後に続いた。後に、日本山妙法寺の加藤上人にその時の自分の感想を述べると、「私たちは多くの教会やモスクでも受け入れてもらっている経験がたくさんあるので抵抗はなのですよ。このピースウォークでも叩きつづけているこの太鼓の音はね、閉じている扉を開くのですよ。」と日焼けされた
8時30分に出発し、ハイランドさくら道という閑静な住宅街を抜けて逗子駅に到着。
ここで逗子・葉山9条の会と合流した。歓迎セレモニーでは、トランペッター歴51年の松平晃さんによる「千の風になって」や、春らしい曲が披露された。松平さんは、平和や環境活動などのイベントで長年トランペット演奏をしながら人々の思いをつないできた。今年10月には、カナダ、バンクーバーでの演奏も予定されている。
この日のお昼は、逗子・葉山九条の会会員の愛 路子さん宅でいただいた。豚汁、おにぎり、コロッケ、手作りコーヒーゼリーなどのおもてなしは、心と体に安らぎを与えてくれた。しかも豚汁のネギは、京都の「九条ねぎ」を使っていたほど9条への想いは深い。
次の休憩地、横須賀中央公園でシャボン玉の歓迎を受け、ここから風船を手にした子供連れのお母さん方も加わり、ヴェルニー公園へと向かった。このヴェルニー公園からは、イージス護衛艦「きりしま」や、米軍の潜水艦2隻が停泊している様子が見えた。テレビのニュース映像からでは、このおどろおどろしさを感じ取ることはできないだろう。
夜は横須賀総合福祉会館で交流会があり、原子力空母の母港化を阻止活動や、2年前、米兵に奥様を殺害されたご主人の痛切な胸の内を直接聞き、米軍施設を抱える町の悲鳴に圧倒された。しかし、彼らはあきらめずに戦っている。我々にもできることがあるはずだ。その後、横須賀九条の会のご婦人方による、旬の食材を使っての夕食でもてなされた。
4月27日、8時30分、宿泊先の船越教会を出発し、追浜公園で横須賀、横浜のメンバーと合流する。今日はそこから約24kmの長いウォークが始まった。途中の夕照橋前では、約100名の列になり、横須賀地区から横浜地区へと引き継がれた。横須賀地区実行委員長の岡本さんに、大役を無事終えられた感想を聞いてみた。「とにかく楽しかった。このピースウォークは今まで交流がなかった横須賀地域の4つの九条の会と、横浜の九条の会をつなげてくれた。もう今はみんな顔見知りです。」とこの9条ピースウォークのキャッチフレーズの一つでもある「つなげる」が実現していることを語ってくれた。
交流会が行われた紅葉坂教会にも飾られ、スピーチや歌のパフォーマンスが教会の淡い光と共に、このキルトのやさしさに包み込まれるように楽しく流れていった。