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Monday, April 12, 2010

A Revealing Interview with Ota Masahide, Former Okinawa Governor 元沖縄県知事 大田昌秀インタビュー

This is a transcript of the video interview with former Okinawa Governor Ota Masahide, broadcast on March 11. Interviewers are Jimbo Tetsuo and Miyadai Shinji of Videonews.com. See the left side bar for the list of English-language articles on the issue of US military bases in Okinawa.

「普天間問題のボタンのかけ違いはここから始まった 大田昌秀氏(元沖縄県知事)」ビデオニュース・ドットコム 2010年3月11日放送 聞き手 神保哲生 宮台真司)
http://www.videonews.com/on-demand/461470/001385.php より。テープ起こしは PeacePhilosopherによる。 敬称は概ね省略しています。 また、「ですます」調の文を簡略化するために「である」調にしています。

Q 沖縄の歴史に詳しい先生に登場いただきます。普天間問題、とりわけ歴史的背景をより深く理解をしたい。

ゲストの紹介 
元沖縄県知事 大田昌秀 元琉球大学教授 社会学 マスコミュニケーション 90-98年 SACO合意当時の知事だった

Q 経緯を教えてください。5月に結論出すということだがどうなっているのか。沖縄で聞く話と東京で聞く話がずいぶん違う。今の状況を総覧的に話してください。

いろいろ見ていると沖縄の実態について知らないのではないかと思う。普天間についてはアメリカがどういうプランをたててどういう風に予算を立てて実行しているかというのがすっぽりと抜け落ちている。今再編の過程。ロードマップというのがある。2014までに海兵隊の8000人と家族9000人をグアムに移すということで同意している。そもそも 95年の2月にジョセフ・ナイ 東アジア戦略報告Nye Initiativeを出した 10万人体制を東アジアに10年20年維持すると発言した。橋本に頼んだ。数字を書かさないようにと。当時橋本にお願いした。47000人という数字を書かさないようにと。沖縄の基地の固定化を測っていると危険と思った。47000は書かなかったが10万人は残った。そのときに基地の固定化をはかっているなとピンと来た。これは危険と思いこ以上沖縄に基地を作らしてはいけないと思った。代理署名を断ったのは9月の少女暴行事件がきっかけと思われているがそうではなくナイの報告を見て土地代理署名を拒否した。

暴行事件の後日米がSACO作った。そこでいろいろ合意がされた。その前に県で2001年までに一番返しやすいところから10の基地を返してほしい、そして2010までに次の14を返してほしい、そして 2015までに17返してほしいとの「基地返還行動計画」を作り日米にお願いした。

クリントンが来日するということで橋本総理の友人の諸井虔(けん)が来て「クリントン・橋本で話し合うから最優先で返してほしいとこはどこか」と聞かれすぐに「普天間」と言った。普天間は幼稚園から大学、16の学校が周辺にある。病院も。社会福祉施設も。

基地返還行動計画の中には普天間はなかなか返してくれないだろうということで普天間は二番目に入れていた。(2010)。しかし最優先普天間と言ったら、モンデールと橋本話し合う。それで決定した。そうなると2010年までに11返すことが決定(普天間含め)しかしそのうちの7つが県内移設ということだっ た。それは到底認められないと言った。

普天間の替わりという話は最初なかった。しかし出てきて、沖縄の東海岸に(中城湾にと)。それが煮詰まってきて辺野古となった。96-97年にかけてSACO最終報告があり、96年4月に橋本から普天間返すとあった。96年12月に東海岸というのが出てきて辺野古となった。いろんな理由で到底受けられないと言った。マスコミはふれてないがアメリカの軍事専門家や大学教授が書いた論文は日本の3倍以上ある。ほとんどは普天間即時返還と言っている。日本政府が要請すればいいだけの話。代わりの基地も要らないと。そういうものを読んでいたから。「基地返還行動計画」を創るときに、ワシントンポストやニューヨークタイムズなどの論評を集めた。シンクタンクのアジアにおける軍事問題の論文も集めた。それで2015年を設定した。おおかたが、2015には朝鮮半島も問題も片付いている、台湾も落ち着いているから2015年までには軍隊おく必要ないという論文があった。『2015年の世界情勢』という本さえ出ていた。なので2015に平和な基地のない沖縄を取りもどせると設定した。

従来日本政府ばかりあてにして沖縄の自立性が欠落していた。なので基地を返すと同時に経済問題をどうするかが必要。「国際都市形成構想」といって 香港、シンガポールのように沖縄全土をフリーゾーンにする 日本ばかり見ていないでアジアを見て国際都市を創る。具体的には、言葉の問題が大事ということで同時通訳育成事業も作った。6ヶ国語で。福建省と沖縄は歴史的に関係が深い。琉球王国時代も使者が福建を通って北京に行った。福建省の知事と話し合って土地を提供してもらい、県が建設費を出し、福建省の政府の前に福建沖縄友好会館を作る。12階だてビル作って将来沖縄の事業家が中国に行って事業ができるようにした。ビルの一階では・・・県知事のときに銀座に「わしたショップ」といって沖縄物産の店を出した。国内8店、国外5店。中国との関係も台湾との関係もいい。沖縄が中国に併合されるとか右より雑誌が書くけど我々の関係はいい。福建省の福州にターミナルビルを創っていた。ちょうど那覇空港のビルも作っていた。できたら福州の店を出そうと、福州のにも沖縄の店を出そうと。

一方、辺野古の沖合に鉄の柱をいくつも立てて鉄のハコをいくつも作りその上に厚い鉄板を張って滑走路を作るという計画が出てきた。それは橋本からすると、撤去可能な空港となるからみとめてほしいと言われた。そうしたら普天間の副司令官が書いたものに「普天間のかわりを創るのではなく現在の普天間の戦力を20%強化した基地を作る」と書いてる。具体的にはMV22オスプレイを配備する。これを配備すると。大きさは日米政府のは発表だと今普天間滑走路2800メートルあるが、1300メートルにして前後に100メートルの緩衝地帯。長くても1500メートルにちじめると書いていた。アメリカには会計検査院があり、それががチェックしたのには日米合意と全然違う。建設期間が日米政府は5-7年と言っている。費用も5000億いないと言っている。しかし会計検査院は10年、MV22オスプレイはよく墜落があって危険。安全に運行するには二カ年追加、使えるようには12年かかると出た。普天間の司令官「航空母艦35艦の大きさになる」と書いてある。

自衛隊OB論文「関西空港並みになる」海兵隊の砲兵の中隊長ハミルトンという技術やがいて科学技術庁に研修も行った人。海兵隊の広報誌「Marine Corps Gazette 」で6回発表。「辺野古の基地は世界で二番目に海に沈む基地」になるという。一番目は真珠湾。二番目は辺野古。鉄の柱をたててハコをつないで作るが、ハコとハコをつなぐリングが日本でもアメリカでも発明できていない。北欧で発達している。アメリカ海軍省が委託していてまだ仕上がっていない。普天間副司令官「普天間の年間維持費は年間280万ドル。新基地は2億ドルかかる。日本政府にもってもらいたい」と言ってる。決定はしてないが。ハミルトン「パートナーシップというが、海上基地は、兵舎を海上に作らなければいけなくなる。弾薬庫とか食糧庫とかが全部海上になる。そうなると広がり、関西新空港並みになる」

また、辺野古住民は「イノウ」といって戦争の厳しいときにも魚を取って生活してきた。戦後も。そこに影響が来る。なのでとうてい認められない。県で3年かけて環境調査をした。沖縄全域にわたって全面開発いい、半分は開発いい、絶対に手をつけてはいけない、とランクづけしてきた。大浦湾は現状のまま(手をつけてはいけない)第一位にランクづけされている。なのでこれはできませんよと首相に行った。抵抗運動も激しい。住民の生活がかかってる。その話出てから十何年も座り込みが続いている。並大抵のことではない。普通座り込みは1-2カ月で終わる。しかし十何年続いている。

もう一つ大事な点。当時防衛庁沖縄司令官佐藤まさはるの論文「政府は合意の中身を知らないんじゃないか。ヘリコプター海上に作ると 合金でできてるから海水で腐食する。一度練習して帰ってきたら真水で洗浄しないとだめ。一機洗浄するには2万トンの真水が必要。100機いる。今52機いるが100機といわれる。沖縄はずっと水飢饉。海水を淡水化してる。どこから水を持ってくるんだ」 と言っている。いろんな事情があってできないと言った。そうしたら案の定沿岸部に変わってきた。県の方では軍民共用とか。1500メートルというのが必ず2000メートル以上になると思っていたら案の定なった。おかしい。15年といってもコンクリートのものを作ったら耐用年数がつきるまで使うだろう。具体的にSACOが会計検査院報告書の中で辺野古基地「運用年数40年 耐用年数200年の基地を作る」とはっきりと書いてある。そんなことされたらたまらない。絶対できないと表明。

Q そもそも辺野古にひあ66年からアメリカは作りたかったようだ。最初から辺野古に来たかったのかという疑いがある。96年4月に橋本から普天間を返すとの電話があった。

電話ありました。はじめてのケース。

Q そのときに別の基地という話は?

私は大学時代から公文書館に通いつづけた。知事になって県立図書館作って職員を旧館に配置して機密文書も移してきた。66-67年にかけてアメリカは「復帰したらいろいろ制約がある」と。それまでは自由に沖縄使ってた。那覇軍港今米陸軍が管理。戦車や大砲を積んで58号線(当時1号線)に積んでいく。住民が戦争思いだして怒る。66年の時点で日本が復帰したらますます障害が起こる。66年の時点、復帰したら不都合ということで那覇軍港を含め嘉手納以南の海兵隊を全部キャンプシュワブ北部の大浦湾に集約する計画があった。そのころ安保が沖縄に適用されないので移設費も建設費も全部米軍持ちになる。ベトナム戦争も終わっていなかったかし、ドルも下落してしていて、おじゃんになった。放置となった。今も移設費、建設費は日本が持つからこんな米軍に都合のいいことはない。だから「辺野古、辺野古」と言う。だから「到底できない」と言った。

Q辺野古について橋本からの話は当時どうだったのか。

最初は辺野古はなかった。「モンデールと話して普天間基地返すことになったから協力頼む」と言われた。「できることとできないことがある」と言われた。県には部長会議とか三役会議とかものごとを決めるときには手続きがあると言った。むっとされた。「俺もモンデールと決めた。だから知事も独断できめろ」と言われたが「県ではできない」と言った。12月になると最初は東海岸となっていたのが辺野古になった。

Q普天間返還の話があったとき代わりの基地の話は?

そんな話はそのときなかった。協力頼むと言われただけ。そのとき、11返すことにしたけど7つは県内ということだったからひょっとしたら普天間も県内かと思い警戒した。

SACO合意のときは辺野古というのはすでに煮詰まっていた。残念ながら総理も住民が強い感情を持っていること、生活の場としてあるということをよく説明受けてなかった。額賀が名護市長と組んでV字型とかやってる。V字型と発表したとたん米軍は「そんなことできるか」と言った。有事になったらどこから着陸とか離陸とか規制されて戦争ができるか。むしろ沖合に作ると兵舎は海に作る。海兵隊は10代から20代、遊びざかり飲み盛り食い盛りの若者。そういう人たちを平和なときには海に cage away (PeacePhilosopher 注:オリに閉じ込めておいて)しておいて有事になって助けてくれといわれても誰が助けるか。パートナーシップとはいえないと言われる。

次の知事は沖合は騒音が遠ざかるということで沖合をやった。しかし政府と米は沿岸案。半分はキャンプシュワブ、半分は埋め立て、V字型を作ろうとした。軍事基地になって立ち入り禁止。邪魔が入らない。沖合になると邪魔が入る。海中にもぐっても邪魔が入る。邪魔をされないように陸上に。今の陸上案も邪魔入らないと言ってる。陸上案も嘉手納統合も以前出た。とてもできない。嘉手納に入って調べた。爆音の人身への被害、北谷あたりがひどい。未熟児、難聴の子が生れている。とても普天間を移動できない。嘉手納は無理。嘉手納弾薬庫という案もあった。そこには25000本の松の木の成木がある。それを切るなどできない。今日の新聞にホワイトビーチと言っているが、これも以前出た話。私も行って現場を見ている。そうしたらすぐに現場の市町村長が県庁にどなりこんできたので取りやめになった。そういうところが何度も出てくる。何を考えているのか。

Q 何を考えているのか大田さんはどう思いますか。なんでこんなにこじれたんですか。

Q 取材してきて、辺野古問題とは普天間移設問題ではなくもともとアメリカが考えていたことだったのですね。大田先生が別に書いていましたが、若泉敬の密使問題「核ぬき本土なみ」の「核ぬき」が「核ぬきだとアメリカは返還しないはずだ」というのは日本の思いこみだった。実は返還にさきだち日本
にいわれなくともそういう計画だった。普天間も、いろいろな学説の集積がアメリカにもあって普天間を返し代替もいらないとなっているのに、代替施設がないと米が返さないはずだとうい日本政府や日本側の思いこみがある?

私はアメリカにも何度も行ってアーミテージとも5回ほど毎年会った。橋本が提示しているような固定式の基地はいらないと言っていた。21世紀はメガフロートの時代だから移動式ならいいと。しかし自操で移動すると憲法に抵触するかもしれないから大震災があったら船を持ってきて引っ張っていく・・・それがいつのまにか辺野古辺野古と言いだしてる。太平洋副司令官海軍提督スミスによると「日本政府が要求するなら沖縄から全部引き上げていい」と言っている。シンクタンクなんかもーCATO研究所員、上級研究員を招いて見てもらった。その後すぐ「沖縄はアメリカの軍事的植民地だ」という論文を発表。CATOがアメリカ議会に提言している。「在日米軍を6年以内に撤退すること」「有事で日本の飛行場、港を使わせてもらうように契約してもらえばいい」と。2000年細川元総理論文Foreign Affairs 「2001年に思いやり予算の期限がくるから延長せず打ち切ればいい。6年以内に在日米軍撤退させ、二カ年後に日本政府は今の安保を廃棄して日米平和友好条約に作りかえるべき」と書いた。日本は完全無視。アメリカでは賛否両論。CATO研究所が同時に同じ趣旨のことを書いた。

どうして日本のマスコミがアメリカの動きを知らせないのか。辺野古問題の一番の問題は、2006年5月にロードマップができた。そのとき8000人、家族9000人グアム移転決定。その2カ月後にグアムの統合軍事開発計画が太平洋軍が計画、海軍省が負担し、今も予算も組んで実施している。09年11日にはDEISが出た(環境影響報告書)。テニアン(北マリアナ)も使いたいとしている。グアムに意見を聞いている段階。結論が4-5月に出る。この前QDRも出た。普天間の海兵隊がグアムに移る可能性非常に高い。

以前からずっと言っている。てっとりばやい最善の解決方法は以下。もうすでに海兵隊の司令部がグアムに移る。司令部と戦闘部隊が(実動部隊が)ばらばらじゃ統一を欠く。普天間の国際大学に墜落したヘリ部隊をまず8000人に含めてまずグアムに移してしまえば辺野古要らないとずっと言ってきた。マスコミは絶対取りあげない。統合軍事開発計画が現実に動いているのだ。今の総理が5月と言った。この計画総理は知っているのかと思った。グアムの計画一杯資料がこれについて出ているのに本土は完全無視。伊波市長にもずっとこの話はしている。彼も5年以内に解決するという公約している。でもできない。ヘリ部隊を主張するようにと言ってきて、やっと最近している。

Q 日本側が実際の戦略的の有効性と関係なしに米軍の基地を置いてもらわないと怖いと言っている。日本側が海兵隊が「いることにしてくれ」とまでいっている。18000定員なのに12000しかいない。日本問題だ、これは。

私はジャーナリズムを専攻した。新聞の投書に注目している。沖縄の投書を見ると変わってきている。投書マニアみたいなインテリが多かったのが主婦とか農業のおっさんなどが書いている。県内移設への怒りがひしひしと感じられる。行政にいるものとして懸念するのは パッケージ論が出ているが、移設先を見つけないと嘉手納以南も返さず普天間も維持するとか言っている。日本側がそういうことを言うのは問題。アメリカの方がびっくりするほど調査している。アメリカの方が住民感情に気を配っていている。沖縄の人は温厚と言われるが、ところがコザ騒動などあったでしょ。そういう形で爆発するときが出てきます。明治のころからそう。大正時代は県庁の迎賓館みたいなものを青年が焼き払った。コザ騒動みたいに米軍と地元住民が暴力に及ぶようなことは避けたいというのがある。

普天間をこのままにすると海兵隊のヘリは何度もこれまで墜落しているから、万一人身事故でもあったら非常に懸念。普天間は早く返したほうが両政府のためにいい。キシンジャーも「日本政府が要請すれば基地を作る必要ない、普天間は返せる」と言っている。沖縄は何に一番怒ってるか。沖縄は「安保が国益にかなう」「アジア太平洋地域の平和と安全を守るのに不可欠indispensable とかいうこと」を言っているが日本全体が引き受けるべき。日本の市町村が反対すると沖縄の差別と取られる。沖縄の気持ちを傷つける、そういうことを知ってほしい。しかも戦争終わってずっと米軍占領下におかれた。いろんな面に及んでる。国家公務員試験を受ける機会がなく(米軍統治27人)、今中央政府における100
名(集めたことがある)皆係長以下。他県は大臣とか高級官僚がいるが折衝できるが沖縄はいない。沖縄にばかりおしつけ60年平然としている感覚がわからない。沖縄は本土移設は言わないできた。自分たちの痛みを本土に移すべきではないと思った。県外という声が高まっているのは、これだけ言っても、耐えてきてもわからないのなら最近、本土へという声が増えている。

私は、アンダセン基地(グアム)を見た。普天間の13倍。嘉手納の4倍。B52の基地。がらっとしている。海軍の基地 引き上げて経済的に困っている。グアムの知事、議会議長、国会議員(アンデルス)に話したら「よろこんで引き受ける」といっている。3500人だけ引き受けると(インフラの問題)。当時2500人普天間にいた。今普天間には2000人しかいない。アンデルスさんにも来てもらってる。8000人の中にヘリ部隊入れて移ってもらうのが一番手っとりばやい。

Q 日本が核抜きでこだわってるときアメリカは核抜きを決めていた。今回もアメリカは大枠としては基地は引いても構わないと言ってる。代替施設なしには普天間返還、縮小はありえないと思っている。アメリカは引いてもいいのにどうて日本はアメリカにいてほしがっているのか。

アメリカは主張を好む人たち。日本は以心伝心みたいな形でやる。その辺が主体性のないと思われる。オーストラリアの有名な学者ガバン・マコーマックが「属国」という本を書いている。駐日大使のライシャワーがハーバードにいるとき論文「日本を満州国を傀儡国家にしたように将来日本はアメリカにとって満州国になる」というのが今実現していると。

密約問題についても ライシャワーは日本通の一人者だった。68年 はじめて県知事を投票で選んだ。それまで任命だった。ライシャワーはCIAの金を72万ドル持ってきてつぶそうとした。日本政府がそれに乗じ80-88万ドル使って沖縄の保守系を勝たせようとした。記録が残ってる。密約だって今外務省がやっ てる4つ以外にもっとある。公文書館にはっきり書かれているものが「密約」じゃないなんてとんでもない。

Q アメリカの支配で属国になってるのではなくて日本からどうしても、と頼んでいる。アメリカは「そこまで言うなら辺野古に」と。安保上必要不可欠と嘘をつきつづけた。属国というか国内事情で、属国になりたがっている人たちがそういう風にしている。主権放棄。

ナイなんかが沖縄がアメリカの領土みたいに発言している。主権国家日本の一部じゃないのかと言いたくてもアメリカの占領下に置かれているような発言をするので怒っている。

Q自民党政権が権益も含めアメリカ依存だった。問題は、政権交代したのに、民主等も最初は「県外」と言っていたのにどうして弱くなってきたのか。大田さんは95年に代理署名拒否をしている。日本ではアメリカにたてつくと恐ろしいという感じがある。代理署名拒否のときは実際どうだったか。アメリカにNOを言った知事だったわけですね。大変なことありましたか。

いえいえ。全然。マンスフィールド大使やフルブライト上院議員ワシントンに行ったらわざわざ出てきてくれる。激励してくれる。「当事者が来て訴えるのはあたりまえだ」という。参議院にいるときに痛切に感じたのは、国会議員の中に「なんでおれたちがグアム8000人移転に7000億日本が金出すんだ。辺野古に作れば」とか言う。辺野古には5000億とあるがアメリカ論文見れば1兆ー1兆5000億と書いてある。細川がどうして上のようにいったかというと主要国のアメリカ駐留25国。日本一国でが残り24カ国駐留費用併せたより多く払っ ている。47000人の駐留費は138万人を養う予算より多い。冷戦後20年たっても自民党時代のそういうのが続いている。自殺者沖縄400人以上。本土では基地の存在が沖縄経済に貢献するという。48の市町村のうち25が基地抱えてる。基地が本当に経済発展するなら沖縄が一番になっているはずだが最下位だ。

今は基地経済はGDPの4.6-5.4% 60年代は53%だった。たしかに基地産業論というのはあった。しかしこの問題で残念なのは沖縄内部から基地を誘致する人たちがいて恥ずかしい。

Q鳩山が普天間返還、辺野古はやらないとばっさりとやると多くは「危機、大変」と思っているが。フィリピンから米軍は帰ってもらったが米国の関係だって悪くない。日米関係どうなる?

全然傷つかないしアメリカも歓迎するでしょう。ただ基地を返せとかでなく、アメリカ側で出された文献を集め分析して言っているんだ。冷戦後20年でそのままの状態、アメリカも経済苦境。350の基地が国内で閉鎖されている。住宅から離れている。経済効果があるから議員は反対する。基地閉鎖統合委員会というのがあって、ジエームス・クーターという人がやっている。外国の基地は権限がないと言っていた。でも沖縄に基地は必要ないと見ればわかると、

地政学的に便利とと言われるが、北朝鮮が脅威とか中国とか。1974,5年にラロック証言といってアメリカの核を積んだ軍艦が核を外して入港することはないといった。その人を沖縄に招いた。北朝鮮が脅威だとすれば韓国に米兵を増やしたらいい。でも増やさなくても韓国は北の人口2倍。所得は29倍。米兵一人もいなくても軍事力25倍。CATOは韓国米兵も撤退しろと勧告している。本当に地政学が大事なら北九州の方が沖縄よりいいとも言っている。

Qアメリカが帰っても日米安保は維持、何も困らないだろう。鳩山がばっさり言ったら、尊敬されるかもしれないが、属国、いいなりが都合がいいと思う人もいるんじゃないか。必要性はないけどやらせとくという象徴として辺野古がある。アメリカは、「どうしても日本にいてくれというのなら有利な条件を出せ」と言っている。それにNOというのは頭に来るのではないか。基地全体を引いても日本を守るにしても北朝鮮にしても何の支障もないかどうか認めるのは国内事情である。

結論はですね、グアム統合軍事開発計画が4-5月に結論出る予定ですが、難点は102億ドルかかると、そのうち60%を日本が持つことになってる。会計検査院チェックの結果それではおさまらない。150億ドルかかるといってる。ただし日本政府は新基地作る費用をおしまないということであればグアムはインフラの整備が遅れている。私は前提としてグアムの住民が反対しなければと言っている。しかしグアムの知事は歓迎すると言っている。今の知事は最近沖縄に来た。この種の問題は反対あるが大多数は何を考えているかだ。社民の阿部たちが言っ て知事と会ったら「決まった以上は受け入れない」(インフラ整備)と言ってる。8000人プラスということじゃなくて8000人の一部として普天間ヘリ部隊を移せばと私は言っている。そうなると辺野古は必要ない。統合計画では1万900人くらい移すことになってる。中身を見るとヘリ部隊も移ることになってる。 4-5月にどう決着つくかということが大事。日米とは別に太平洋軍が内部の問題として再編に取り組んでいてその一環として8000人が移る。加え、航空部隊、陸軍部隊、海軍部隊を統合しようとしている、グアムに。その整合性がどうなっているかよくわからない。その結論が4-5月に出る。有事駐留論というのを鳩山は唱えてきた。シンクタンクが言っていることと一緒。それをきちっとアメリカと話したら信頼が高まるし、逆のことやると信頼が失墜する。せっかくの民主党政権、政権を取った意味がなくなるし日本の政治にとって残念。

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