月刊『社会民主』2月号に掲載された成澤宗男氏の記事を紹介します。
米軍の「イラク完全撤退」が意味するもの
―世界は侵略と殺戮をこのまま容認するのか―
成澤宗男(ジャーナリスト)
報道によれば二〇一一年の一二月一八日をもって、イラク駐留の米軍は正式に「完全撤退」した。〇三年三月二〇日のブッシュ前政権によるイラク侵略から数えると、八年以上にわたった軍事占領が終結した形だが、米国がイラクから手を引いたのではまったくない。撤兵によってイラク支配の実態がより見えにくく、かつ複雑になったのは確かだが、別の形態を伴って侵略が継続していると考えていいだろう。
もともとオバマ大統領は水面下で、一一年末で切れる前政権時代に決定された米軍駐留期限後も、二万人規模の兵力を恒久的に残留できるようイラクのマリキ首相に圧力をかけ続けていた。最終的に三〇〇〇人規模まで妥協する案を示したようだが、違法行為を犯した在イラク米軍人の国内法適用免除特権をマリキ首相が最後まで認めなかったため、やむを得ず「完全撤退」を選択したというのが実情だ。
二〇一二年秋に再選がかかった大統領選挙を控えているオバマ大統領にしてみれば、雇用や景気対策で失政を繰り返し、人気が低迷している以上、「イラク戦争を終結させた」という「外交成果」でもなければ選挙を闘える状態ではない。そのため、当面の軍事的利害よりも、ともかく再選に向けた「ポイント稼ぎ」を優先せざるを得なかったといえる。
そしてメディアの「撤退」報道によって、米軍がイラクでゼロになるかのような幻想が生じているが、すでに後述するバグダッドの米国大使館内に「イラク安全保障協力局」(OSC-I)という部局が設置されており、ここに米軍人一五七人(二〇一一年末段階)が常勤として残る。彼らの任務は、①イラク政府軍の訓練②同軍の米国製武器購入の際の補助③同軍のアドバイス―等であり、政府軍を支配下に置き続ける点にある。
バイデン米副大統領は「完全撤退」直前に訪れたバグダッドで一一月三〇日に演説した際、「米国とイラクは、互いに新たな道を進もうとしている。……両国のパートナーシップは、固い安全保障上の絆で結ばれている」と強調した。ここでの「安全保障上の絆」とは、具体的にはイラク政府軍の「米軍仕様」化に他ならない。
すでに二〇〇五年から米国防省による政府軍の武器供与が始まり、これまでM1戦車一四〇輌、M117装甲車一六〇輌を始め、C-130J輸送機六機、軍用ヘリコプター二四機など総計二〇六億ドル分の米国製兵器が引き渡されている。さらに、米軍はF16戦闘爆撃機を最終的に九六機イラクに供与する予定で、二〇一六年をメドに一八機からなるF16の編隊が実戦配備される予定だ。
こうした結果、旧ソ連製の武器が主流を占めていたフセイン前政権からの影響を残していた政府軍は、中東でも米軍兵器を装備した有数の近代的軍隊に生まれ変わる。このことは同時に、イラク政府軍が他の中東諸国と同様、米軍製武器の供与とその使用のための訓練・教育を通じ、一層の米軍の「同盟軍」として純化していく過程をたどるのを意味しよう。こうした理由からエジプトを典型に中東諸国ではほとんどの軍部が「親米」的だが、今後イラクだけが例外となる可能性は乏しい。
米軍にとってみれば、最終的にイラクの恒久駐留を断念し、侵略後に手に入れたイラク国内五ヶ所の巨大基地を含む計四〇〇近い大小の基地群を放棄せざるを得なかったのは損失だろう。特にイラクの中東における中心を占める地理的条件を考えると、当初目論んでいたイラクからの他国・地域への軍事出動ができなくなったというのも失点のはずだ。だが、中東から「反イスラエル」の軍隊を消滅させ、世界有数の石油埋蔵量を誇る国の軍隊を新たに手中にした意義は限りなく大きい。
しかもペネッタ米国防長官は米軍撤退直後、「今後も中東に四万人規模の兵力を配置するのを望んでいる」と述べている。イラクから撤退した米軍兵力のうち、四〇〇〇人の陸軍部隊が隣国のクゥェートに再配置される見通しだ。クゥェートには中東最大の米陸軍の補給基地もあり、米軍のイラク侵略にとってこれまで欠くことができない重要な役割を果たし続けている。現在も二万五〇〇〇人の部隊が駐留しており、もしイラクが米国の意思に反した行動を取ったり、あるいは内戦状態になったら、直ちに米軍がクゥェートから軍事介入する可能性が強い。
ただこれからは、米国のイラク支配の実態を中心的に担うのは、米占領軍ではなく国務省となる。その象徴がバグダッド市内にそびえる「世界最大の大使館」であり、人口が二八〇〇万人ほどの国家の米国大使館としては異様なまでに巨大なその姿は、侵略で得たイラクという「戦利品」を絶対手放さないという不退転の決意を示しているようだ。アメリカンフットボールの競技場が九四個も入る膨大な敷地面積のこの「大使館」は、周囲が壁で囲まれた一種の都市国家に等しく、敷地内には二二ものビルが林立している。大使館で勤務する人員は一万六〇〇〇人に及び、うち半数近くが、「警備会社」と称した傭兵部隊だ。
「大使館の主要な任務は、イラク政府を常に監視下に置き、米国企業の利害を守り、イランの影響力を追跡調査して削ぎ、シリア情勢から切り離し、中国やロシアを寄せ付けず、情報を収集して反イスラエルの動きをさせない、といった点にある。……米国はイラクが従属的な同盟国にならない限り、独り立ちさせるつもりはない」(注)
だが、今後米国の思惑通りにイラクがムバラク時代のエジプトのような「親米親イスラエル」の「同盟国」になるのかどうかは不透明との指摘が多い。その最大の要因は、隣国イランの存在にある。
マケイン上院議員は今回の「完全撤退」について、「イランへの最大のプレゼントになる」としてオバマ大頭領を批判しているが、この種の発言はタカ派の中では珍しくない。イラクから米軍が撤退すれば、その後にイランの影響力が入り込むという論法だが、しかし事態はそう単純ではない。
確かにイラクは、イランの「国教」であるシーア派が人口の過半数を占め、アラブ世界では最大の「シーア派国家」だ。マリキ首相もフセイン政権時代はイランへの亡命経験があり、シーア派が多数を占める現政権を支え、数年前までは「マハディ軍団」と呼ばれる民兵組織を率いていた「反米」と目されるサドル師も一時イランに居を構えるなど行き来を繰り返しており、こうした面からも両国の関係は浅くはない。このため、マリキ首相が在イラク米軍人の国内法適用免除特権に最後まで抵抗したのは、「イランの指示」という見方も存在する。また在イラク駐留米軍もこれまで、シーア派の武装組織に対し、イランの革命防衛軍が武器を供与しているとの批判を続けてきた。
だが同じシーア派でも、アラブのイラクとペルシャのイランは互いのナショナリズムを有し、常に一体ではない。中東における戦後の戦争で最長となった八〇年代のイラクとイラン間の戦争では、双方に計一四〇万人もの戦死者を出している。イランのアフマディネジャド大統領は米軍の「完全撤退」を前後し、対イラク軍事協力を申し入れるなど秋波を送っているが、当面具体化した事項は存在していない。マリキ首相も訪米中の一二月一三日、オバマ大統領と会談した際、「今なお、イラクは安全保障やテロリズム対策で米国の協力を必要としている」と述べ、「協力」の継続を要請している。
前述した武器供与など、国を再建する上で必要な「実」の面でイラクは米国を頼らざるを得ず、このため米国のタカ派が述べているような「イラクがイランの影響下に入る」といった事態は、予見しうる将来、可能性は低いだろう。問題はイラク自体が、今後どのような国家として進もうとしているかにある。
一九九〇年の湾岸戦争でイラクは、米国を始めとした多国籍軍に一〇数万人の民間人を殺傷され、続く経済制裁によって医薬品などの輸入が禁じられたため、六二万人の五歳以下の幼児を含む一五〇万人が死亡した。以後も米英両空軍はイラクに対し様々な名目で違法な空爆を繰り返した挙句、再び約一〇〇万人ともされる民間人が殺害された今回の侵略戦争である。戦後、これほどまで集中的かつ執拗に一国の国民が大量に殺傷され続けた例は稀で、放射能の害毒を絶望的に長く残す劣化ウラン弾を始め、気化爆弾など核以外のありとあらゆる大量破壊兵器や化学兵器まで投入された。同時に、かつては中東で最高レベルを誇った教育や医療・福祉制度、そして民間インフラはすべて灰燼に帰されてしまった。
オバマ大統領は「完全撤退」の模様について、「兵士たちは顔を高く上げ、任務の成功に誇らしげだ」などと称えたが、人類史上に残るこれほどの国際法違反と戦争犯罪、都市が丸ごと壊滅させられたファルージャに象徴される残虐極まるジェノサイド(民間人大量殺傷)を繰り返しておきながら、何という発言だろう。
だがその米軍に対し、イラクでは〇三年以降の侵略戦争において、ついに全国民的な抵抗運動は組織されることはなかった。当初、史上最強の軍隊に四〇〇〇人以上の戦死者を出すのを余儀なくさせたスンニ派主体の武装レジスタンス組織は、〇七年から〇八年にかけて米軍の買収工作などにより自壊を余儀なくされ、この時点で組織的な抵抗はほぼ終結する。一方で、サドル師の「マハディ軍団」などシーア派武装組織は初期を除き米軍に反攻はせず、スンニ派と協力するどころか、バグダッドでは「民族浄化」を思わせるスンニ派住民の追い出しに狂奔し、米軍の武装レジスタンス壊滅作戦に協力した。
もしこのままイラクが、米国の思惑通りに何事もなかったかのように「普通の中東国家」並みの「親米親イスラエル」に傾斜したら、ナチスに匹敵する米国のどのような戦争犯罪も「やり得」になるしかない。米軍「完全撤退」後のイラクの前途は、予測困難な混迷の要素はおびただしく存在する。だが明確に断言できるのは、今後のイラクのあり方が、国際法も正義も道義も存在せず、血と資源に飢えた犯罪国家が好き勝手に振舞える世界へさらに転落していくのか否かの試金石にならざるを得ないという点なのだ。
(注)Jack A. Smith 「Iraq“After” the War: What is Iraq’s Future? What are America’s Intentions? 」URL http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=28333
成澤宗男1953年、新潟県生まれ。中央大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了。政党機関紙記者を務めた後、パリでジャーナリスト活動。帰国後、衆議院議員政策担当秘書などを経て、現在、週刊金曜日編集部企画委員。著書に、『オバマの危険』『9・11の謎』『続9・11の謎』(いずれも金曜日刊)等
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