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Monday, June 10, 2013

Strategy of Peace, not of Annihilation: 50th of John F. Kennedy's Historic Speech at American University 「全滅ではなく、平和の戦略を」-ケネディ大統領の歴史的演説の50周年


President John F. Kennedy's Commencement Address at American University, June 10, 1963

今日、北米では6月10日。50年前、1963年6月10日、J.F.ケネディ大統領は、歴史に残る演説を、ワシントンDCのアメリカン大学の卒業式において行った。この演説を聞いて、胸が詰まった。これは日本国憲法の非戦と、他国との協調の精神を体現しているものではないかと気がついたのだ。そして、この63年という年を最後まで生きることができなかったケネディと、その後米国が自滅的な侵略戦争の泥沼にはまっていったことを思うと、やるせない気持ちになる。日本の戦後、このような崇高で、かつ具体的な軍縮の道筋を示した演説をした指導者は一人としていたであろうか。6月7,8日の米中首脳会談で、双方の指導者が、課題はありながらも対話重視の姿勢を明らかにしたのも、もしかしたらこの50年前のケネディの演説を意識していたのかもしれない。@PeacePhilosophy

以下日本語版は米国JFK大統領図書館・博物館のサイトから転載。下方に英語版もコピーした。英語版のオリジナル、動画も上記サイトにある。リンクはここ。

ジョン・F・ケネディ大統領
場所:Washington, D.C.
日付:1963年6月10日

アンダーソン学長、大学教職員と評議員会のみなさん、ご来賓のみなさま、わたしの古くからの同僚であり、わたしが次の30分で取ってしまう学位を夜間のロースクールに何年も通ってようやく取得したバード上院議員、ご列席のみなさま、こんにちは。

アメリカン大学の卒業式に列席できることを大変光栄に思います。本校は、メソジスト教会の支援を受けてジョン・フレッチャー・ハースト主教により創設され、1914年にウッドロー・ウィルソン大統領の手によって正式に開校しました。若く、これからさらに成長する学校ですが、歴史が作られ、公的な仕事が行われてきたこの地において、ハースト主教が掲げた歴史と政治の勉学に対する優れた志をすでに実現しています。人種や信条にかかわりなく勉学の志を持つ人々に開かれた高等教育機関である本校を支援してきた、この地域と全国のメソジスト教会は、アメリカ国民からの感謝を受けるに値します。今日、本校を卒業するみなさんに心からの祝福の言葉を贈ります。

大学の教壇に立った経験のあるウッドロー・ウィルソン大統領は、「大学から巣立つすべての人々が、その時代を代表し、自分の国を代表する人物にならなければならない」と言いました。わたしは、本校を卒業する栄誉を得たみなさんが、自分の人生と能力をかけて、公共への奉仕と支援を積極的に行い続けることを確信しています。

「この地上にあるもので大学よりも美しいものは、ごくわずかしかない」とジョン・メイスフィールドはイギリスの大学を賞賛した文章に書いています。メイスフィールド氏の言葉は、この大学にも当てはまります。彼は、とがった屋根を持つ建物や塔、緑あふれるキャンパス、ツタの生い茂る壁を讃えたのではありません。彼が大学の美しさを賞賛したのは、大学が「無知を憎む人々が知識を得ようと努力し、真理を知る人々が他者の目を開かせようと努力する場所」だからです。

このような理由からわたしは、今日、この場所でお話しするにあたって、無知がはびこることがあまりに多く、真理が理解されることがあまりに少ない、それでいて地上でもっとも重要なテーマを選びました。つまり世界平和です。

わたしの言う平和とはどのようなことでしょう。わたしたちの求める平和とはどのようなものでしょう。それは、アメリカの軍事力によって世界に強制的にもたらされるパクス・アメリカーナではありません。それは、墓場の平安でも、奴隷の安全でもありません。わたしは、真の平和、すなわち、この地球上での生活を生きる価値のあるものにする平和、人と国が成長し、希望を持ち、子孫のためにより良い生活を作り上げることのできる平和、アメリカ人のためだけではなく、世界中の人々のための平和、今の時代だけではなく、あらゆる時代での平和について話したいと思います。

わたしが平和について語りたいのは、戦争が新しい様相を見せているからです。複数の大国が、強力な核兵器を持ち、そうした戦力に訴えずに降伏することのない時代には、全面戦争に意味はありません。たった1つの核兵器に、第二次世界大戦で連合軍の全空軍が投下した爆弾の10倍もの威力がある時代には、全面戦争は無意味です。核兵器を含む戦いで生み出された毒物が、風、水、土、種によって地上の隅々に達し、まだ生まれぬ世代にも影響をもたらすような時代には、全面戦争は無意味なのです。

使う必要が絶対にないことを確かめるために、毎年数十億ドルを費やして兵器が集められています。そうした兵器に対する支出は、今の平和を維持するために必要な支出です。しかし、そうした無駄な備蓄、それも破壊しかもたらさず、決して何も生み出さない備蓄を行うことが、平和を得るための唯一の方法だとは、ましてやもっとも有効な方法だとは、私には思えません。

したがって、わたしは、合理的な人々にとっての、必然的、合理的な目標である平和についてお話しします。平和の追求は戦争の追求ほど劇的なものではなく、平和の追求者の言葉はしばしば人々に無視されます。しかし、これほど緊急を要する仕事はほかにないのです。

なかには、世界平和、世界法、世界の軍備撤廃について語るのは無駄で、ソ連の指導者たちが今よりも賢明な態度をとるようにならない限り無意味だと言う人がいます。わたしもそうなることを願っています。また、われわれがそれを助けることができるとも思っています。しかし同時に、われわれも個人として、そして国家として、自らの態度を見直す必要があります。われわれ自身の態度は、彼らの態度と同じくらい重要だからです。今日、本校を卒業するみなさん、戦争に絶望し、平和の到来を願う思慮深き市民のみなさん、みなさんひとりひとりが自己の内面に目を向け、平和の可能性、ソ連、冷戦の道のり、この国での自由と平和に対する自分の態度を見つめ直すことから、スタートしましょう。

第一に、平和に対するわれわれの態度を再検討しましょう。あまりに多くの人が、平和の実現は不可能であり、非現実的であると考えています。これは、危険な敗北主義的な考え方です。結局、こうした考えは、戦争は不可避で、人は抗えない力に支配され、滅びる運命にあるという考えに至ります。

そうした考えを受け入れる必要はありません。われわれの問題は、人間が作り出したものです。ならば、人間の手で解決できるはずです。人は自分が望むだけ大きくなることができます。人間の運命の問題で、人間の力の及ばない場所にあるものなどありません。人間は、その理性と精神によって、解決不可能に思われた問題をも解決してきました。今、同じことをできるはずだとわれわれは信じます。

今、わたしがお話ししているのは、一部の夢想家や狂信者が考えるような、平和や善意に関する絶対的で広大無辺な概念ではありません。希望を持ち、夢見ることの価値を否定しませんが、そうした夢想を現在の唯一の目標にすることは、失望や懐疑をいたずらに招くことになります。

それよりも、もっと実際的で実現可能な平和に目を向けましょう。人間性の急激な改革ではなく、人間社会の段階的な進歩に基づく平和、関係者全員の利益にかなう、具体的な行動と有効な合意の積み重ねによる平和です。このような平和を簡単に実現する鍵など、どこにもありません。1つや2つの国が採用するだけで効果を発揮するような、壮大な魔法の方程式もありません。真の平和は、多くの国と人々の行動が積み重なって作り出されるものでなければなりません。そして静的なものではなく、新しい世代の課題が浮かび上がるたびに変化して対応する、動的なものでなければなりません。なぜなら、平和とは過程であり、問題を解決するための手段だからです。

このような平和が実現しても、いさかいや利害の対立は、ちょうど家庭や国の内部でもそうであるように、依然として残るでしょう。世界平和は、地域社会の平和と同じく、隣人愛を全員に要求するものではありません。ただ互いに寛容の心を持ち、争いを公正かつ平和的に解決しながら、共に生きることだけを求めるものです。そして歴史は、人と人との対立と同じように、国同士の対立も永遠には続かないことを教えてくれます。われわれの持つ好悪の感情がどんなに不変のものに見えようとも、時の流れや出来事の大きなうねりは、しばしば国家間や隣人同士の関係に驚くような変化をもたらすものです。

ですから、たゆまずに努力を続けましょう。平和は実現できないものではなく、戦争は避けられないものではありません。目標を今よりも明確に定め、もっとわかりやすく身近なものにすることで、われわれは、すべての人々が目標を見つけ、そこに希望を見出し、自然とそこに向かって進みだすようにすることができます。

第二に、ソ連に対するわれわれの態度を再検討しましょう。たしかに、ソ連の指導者たちが彼らのプロパガンダの内容を本当に信じているかもしれないと思うと、落胆を禁じ得ません。最近のソ連の軍事戦略に関する公式文書には、無根拠で信用できない主張がどのページにも並んでいます。たとえば、「アメリカの帝国主義者たちは、複数の方法で戦争を始める準備をしている」、「アメリカ帝国主義者がソ連に対して先制攻撃をしかける現実的な脅威がある」、「アメリカ帝国主義者の政治目的は、ヨーロッパやその他の資本主義国を経済的および政治的に隷属させ、侵略戦争によって世界を支配することだ」といった主張です。そういった文書を読むと、非常に落胆します。

聖書に「悪しき者は追う人もないのに逃げる」と書かれていますが、まさしくそのとおりです。それでも、そのようなソ連の文書を読んで、わが国とソ連との間にある溝の深さを知ると、暗澹たる気持ちになります。そしてこれは、アメリカの人々に対する警告でもあります。アメリカはソ連と同じ過ちを犯してはならない、歪曲され、望みを失った、一方的な見解に注目してはならない、紛争は不可避、協調は不可能、対話とは互いに威嚇しあうことだ、と考えてはならない、と警告しているのです。

どのような政府や社会制度であっても、そこで暮らす人々を徳のない人々だと見なさなければならないほど、有害ではありません。アメリカ国民であるわれわれは、個人の自由と尊厳を否定するものとして、共産主義を深く嫌悪しています。それでも、科学や宇宙の進歩、経済や工業の発展、文化、いくつかの勇敢な行動でソ連の人々が見せた多くの偉業を讃えることはできます。

アメリカとソ連の国民には多くの類似点がありますが、なかでももっとも目立つ共通の特徴は、ともに戦争を嫌い、避けたいと強く思っていることです。大国同士では珍しく、アメリカとソ連は、一度も互いに戦争をしたことがありません。歴史をふりかえると、第二次世界大戦中にもっとも大きな苦難を味わったのはソ連でした。少なくとも2000万人が命を落とし、多くの住居や農園が焼失し、略奪の被害を受けました。国土の3分の1、工業地帯の3分の2が荒廃に帰し、これはわが国でシカゴより東の地域が全滅することに匹敵します。

もし今日、全面戦争が再び起きたら、その経緯がどのようなものであれ、主たる攻撃目標になるのは、アメリカとソ連でしょう。強大な力を持つ両国が真っ先に全滅の危機にさらされるというのは、皮肉な、そして、間違いのない事実です。われわれが努力して築き上げてきたものは、たった1日で跡形もなく破壊されてしまうでしょう。冷戦は、アメリカの親密な同盟国を含む多くの国々に負担と危険をもたらしていますが、その冷戦においても、アメリカとソ連は、もっとも重い荷物を背負っています。なぜなら両国は、本来ならば無知や貧困や病気との戦いに投じるべき巨額の金を、兵器に投じているからです。一方の疑念が他方の疑念を生み、新しい兵器がそれに対抗する兵器を生むという危険な悪循環に、アメリカとソ連の両国が陥っています。

言い換えれば、米国とその同盟国およびソ連とその同盟国は、真の公正な平和を確立して、軍拡競争を停止することに、少なからぬ利益を相互に持つ、ということです。この目標のために合意することは、アメリカだけでなくソ連の利益にもかないます。どんなに敵対する国同士でも、自国の利益になるこうした条約義務を受け入れ、遵守することを期待できます。

ですからみなさん、両国の違いに目を向け、両国の違いを理解しましょう。同時に、両国には共通する利益があり、両国の違いを解消する可能性のある方策があることにも注目しましょう。2つの国の違いをすぐに解消することはできないかもしれません。しかし、相違があっても世界が平穏であり続けるように力を注ぐことはできます。究極のところ、われわれを結びつけるもっとも根本的な絆は、小さな地球の上でともに生きている、という事実です。われわれはみな同じ空気を吸い、子どもたちの将来を同じように大切に思います。われわれはみな命に限りのある人間です。

第三に、冷戦に対するわれわれの態度を再検討しましょう。同時に、いたずらに論点を増やすために論争するのではない、ということを思い出しましょう。われわれは、誰かを責めたり批判するために、ここにいるのではありません。われわれは、今、目の前にある世界を相手にしなければなりません。過去18年間の歴史が違っていたら、こうなったはずだと思い描く世界を相手にしてはなりません。

したがって、われわれは、共産圏の内部に建設的な変化が起きて、今は手の届かないように見える解決策が手に入る日が来ることを期待しながら、平和の探求へのたゆまぬ努力を続けなければなりません。われわれは、真の平和について合意することが共産主義国の利益にもなるように行動しなければなりません。さらに、自国の重要な利益を守りながらも、核保有国は、相手国に屈辱的な退却か核戦争かの二者択一を強いるような対決が起きることを避けなければなりません。核の時代に、そのような対決への道筋を採れば、政策の破綻を招き、全世界の死を望むことにほかならないからです。

これらの目的を確実に果たすため、アメリカが持つ兵器は、挑発的ではなく、慎重に制御され、抑止を目的とし、選択的に使用できる兵器です。アメリカ軍は、平和に真剣に取り組み、自制を発揮するよう訓練されています。アメリカの外交官は、不必要な刺激や言葉上の敵対を避けるように指示を受けています。

なぜなら、わが国は、防衛体制を緩めることなく、緊張の緩和を追究することができるからです。わが国の側は、脅迫的な行為をとらなくても、断固たる決意を証明できます。信念が脅かされることを恐れて、海外放送を妨害する必要もありません。われわれの制度を欲しない人々に、われわれの制度を押し付けたいと思いません。それでも、地球上のあらゆる人々と平和的に競争することを望み、そうした競争に参加する能力を持っています。

一方で、われわれは、国連を強化し、その財政問題の解決を助けて、国連が、平和の追究に今まで以上に有効な働きをできるように支援します。国連が真の世界安全保障機構、つまり、法に基づいて紛争を解決し、大国だけでなく小国の安全も保障し、最後には兵器を全廃する環境を作る機構になることを望みます。

同時にわれわれは、非共産世界の内側での平和の維持に努めます。非共産世界では、多くの国がアメリカの友人ですが、西側の結束を弱める問題が原因となって国々が分裂しています。これが共産主義国による介入を招き、戦争勃発の危機に瀕しています。西ニューギニア、コンゴ、中東、インドにおいて、双方からの批判にさらされつつも、わが国は根気強く努力を続けました。さらにわが国は、隣人であるメキシコとカナダとの間でも、わずかではあっても非常に重要な相違を調整する努力を続け、他国に範を示そうと努めています。

他国について述べるにあたって、わたしは次の1点を明らかにしたいと思います。アメリカは同盟によって多くの国と結ばれています。この同盟関係は、アメリカと相手国の利害が広範に重なっているからこそ存在します。たとえば、西ヨーロッパと西ベルリンの防衛に対するアメリカの関与が縮小されることなく現在まで続いているのは、それがわれわれの重大な利益と一致するからです。アメリカが、他の国々やその国民を犠牲にして、ソ連と取引をすることは決してありません。それは、そうした国々がアメリカのパートナーであるからだけでなく、彼らの利益とアメリカの利益が一致するからです。

しかし、われわれの関心は、自由の最前線を防衛することだけでなく、平和への道を追求することでも一致しています。アメリカが望み、同盟各国が政策目標としているのは、ソ連を説得し、他国の選択を侵害しない限りは、各国が自分の将来を選択できる状況を実現することです。自分たちの政治経済体制を他国に押し付けようとする共産主義国の動きが、現在の世界緊張の主たる原因です。他国の自主的決定を妨げる国がなくなれば、平和は今よりも確実に保障されます。これに疑いの余地はありません。

そのためには、世界レベルの討論を行うための新しい環境である世界法を実現する努力が新たに必要です。これは、ソ連とわれわれとの間に今よりも深い理解を必要とします。理解を深めるには、相互間の連絡とコミュニケーションを増やす必要があります。この方向への第一歩が、モスクワとワシントン間を直通電話で結ぶことを両国で合意しようではないか、という提案です。危機の際には、危険な対応の遅れや、相手の行動に対する誤った理解や解釈が発生する恐れがあります。これを双方で防ぐことが、この提案の目的です。

このほかにも、われわれはジュネーブで、「軍縮」という、過熱する軍拡競争に歯止めをかけ、戦争の偶発的勃発の危険性を縮小することを目的とした、もうひとつの第一歩についても話し合っています。しかし、ジュネーブでの話し合いで、われわれが主要な長期的利益としてとらえているのは、全面的かつ完全な武装解除です。その武装解除は、軍備に代わる新たな平和機構の設立を目指す政治活動と並行しながら、段階的に実行するように計画されます。1920年代から、アメリカ政府は軍縮に向けた努力を重ね、直近の3代の政権は、緊急に軍縮を追求しました。今はまだ、おぼろげな見通ししかないとしても、われわれはこの努力を続けます。わが国を含むすべての国が、軍縮の問題と可能性を今よりも深く理解できるようにするために、この努力を続けます。

このような交渉の中で、ゴールが見えながらも、再スタートを切ることが強く求められている1つの主要な分野があります。それは、核実験を禁止する条約です。身近でありながら、はるか遠くに存在する、このような条約を締結できれば、もっとも危険な領域での軍拡競争の激化を抑制できます。核兵器のさらなる拡散という、1963年を生きる人間が直面する大きな危機に、核保有国が、今よりも効果的に対応できるようになります。この条約は、われわれの安全保障を拡大し、戦争の可能性を縮小します。われわれは、あらゆる努力を諦めなさい、あるいは、生死を左右する信頼できる防護策を要求するのをやめなさい、と呼びかける声に惑わされることなく、着実に歩み続けなければなりません。それほど明らかに、このゴールはきわめて重要なのです。

そこで、これに関連した2つの重要な決定を、今ここで発表します。

第一に、ソ連のフルシチョフ首相、イギリスのマクミラン首相、およびわたしの3者は、包括的な核実験停止条約の早期締結を目指した首脳会談を、近くモスクワで開くことに合意しました。歴史は、過度の期待を控えるべきだとわれわれに警告します。しかし、われわれの期待は、全人類の期待でもあります。

第二に、この件に関するわれわれの善良なる意志と崇高な信念を明白に示すため、わたしは、他国が同様の行動をとることを条件に、アメリカ合衆国が大気圏内での核実験を一切行わないことを宣言します。われわれは、核実験を再開する最初の国に決してなりません。このような宣言は、拘束力のある公式条約の代わりにはなりませんが、わたしは、この宣言が条約締結の助けになることを期待します。また、このような宣言は、軍縮の代わりにもなりませんが、わたしは、この宣言が軍縮の実現を助けることを期待します。

最後に、みなさん、アメリカ国内における平和と自由に対するわれわれの態度を再検討しましょう。アメリカ社会の質と精神は、海外でのわれわれの努力を正当化し、支えるものでなければなりません。われわれは、自分の生活を捧げることを通じて、これを証明しなければなりません。今日、本校を卒業するみなさんの多くは、海外平和部隊や現在提案されている国民奉仕隊にボランティアとして参加することで、アメリカ社会の質と精神を証明する特別な機会を持たれることと思います。
しかし、どこにおいても、われわれの全員が、日常の生活の中で、「自由と平和はともに付き従う」という古くからの信条に従って行動しなければなりません。現在、わが国のあまりにも多くの都市で、自由が不完全であり、それゆえに、平和が得られていません。

地方、州、連邦を問わず、あらゆる政府の行政機関には、その権限内のあらゆる手段を用いて、すべての市民に自由を与え、これを守る責任があります。また、あらゆる政府の立法機関には、行政機関がそれを実行する権限が十分でない場所があれば、そこでその権限を十分なものにする責任があります。そして、この国のすべての市民には、他のすべての人の権利を尊重し、国法を尊重する義務があります。

これらのすべては、世界平和に無関係ではありません。聖書に「人の道が主を喜ばせるとき、主はその人の敵をもその人と親しくさせる」と書かれています。つまり平和とは、根本的には、荒廃の恐怖を感じることなく生活できる権利、自然の空気をそのまま呼吸する権利、将来の世代まで健全に存続する権利といった、人間の権利に関する問題ではないでしょうか。

われわれは、わが国の利益を進んで擁護します。その一方で、人間の利益をも擁護しようではありませんか。戦争と軍備を排除することは、明らかにこの2つの利益に合致します。万人にとってどれほど有益で、どれほど厳格な文言で規定された条約であっても、欺瞞や言い逃れが出現する可能性を完全に排除することはできません。しかし、十分な強制力を持ち、締結国の利益に十分にかなう条約であれば、治まる兆候もなく無統制に続く、予測のつかない軍拡競争よりも、はるかに大きな安全を与え、はるかに小さなリスクしか与えません。

世界中が知るように、わが国は決して戦争を始めません。わが国は戦争を欲せず、今、戦争の発生を期待しません。現世代のアメリカ国民は、戦争、憎しみ、圧制に倦み疲れています。もし他の国が戦争を欲するなら、われわれはその準備をします。われわれは戦争を止める努力をすぐに始めます。しかしわれわれは、弱者が安全に暮らし、強者が正しく行動する平和な世界を作る目的のために、自分の役割を果たします。われわれは、そのような任務を前にして無力ではなく、成功への希望を失うことはありません。われわれは、自信にあふれ恐怖することなく、全滅への戦略ではなく、平和への戦略に向かって進み続けます。

http://www.jfklibrary.org/Asset-Viewer/BWC7I4C9QUmLG9J6I8oy8w.aspx

President Anderson, members of the faculty, board of trustees, distinguished guests, my old colleague, Senator Bob Byrd, who has earned his degree through many years of attending night law school, while I am earning mine in the next 30 minutes, distinguished guests, ladies and gentlemen:

It is with great pride that I participate in this ceremony of the American University, sponsored by the Methodist Church, founded by Bishop John Fletcher Hurst, and first opened by President Woodrow Wilson in 1914. This is a young and growing university, but it has already fulfilled Bishop Hurst's enlightened hope for the study of history and public affairs in a city devoted to the making of history and the conduct of the public's business. By sponsoring this institution of higher learning for all who wish to learn, whatever their color or their creed, the Methodists of this area and the Nation deserve the Nation's thanks, and I commend all those who are today graduating.

Professor Woodrow Wilson once said that every man sent out from a university should be a man of his nation as well as a man of his time, and I am confident that the men and women who carry the honor of graduating from this institution will continue to give from their lives, from their talents, a high measure of public service and public support.

"There are few earthly things more beautiful than a university," wrote John Masefield in his tribute to English universities--and his words are equally true today. He did not refer to spires and towers, to campus greens and ivied walls. He admired the splendid beauty of the university, he said, because it was "a place where those who hate ignorance may strive to know, where those who perceive truth may strive to make others see."

I have, therefore, chosen this time and this place to discuss a topic on which ignorance too often abounds and the truth is too rarely perceived--yet it is the most important topic on earth: world peace.

What kind of peace do I mean? What kind of peace do we seek? Not a Pax Americana enforced on the world by American weapons of war. Not the peace of the grave or the security of the slave. I am talking about genuine peace, the kind of peace that makes life on earth worth living, the kind that enables men and nations to grow and to hope and to build a better life for their children--not merely peace for Americans but peace for all men and women--not merely peace in our time but peace for all time.

I speak of peace because of the new face of war. Total war makes no sense in an age when great powers can maintain large and relatively invulnerable nuclear forces and refuse to surrender without resort to those forces. It makes no sense in an age when a single nuclear weapon contains almost ten times the explosive force delivered by all the allied air forces in the Second World War. It makes no sense in an age when the deadly poisons produced by a nuclear exchange would be carried by wind and water and soil and seed to the far corners of the globe and to generations yet unborn.

Today the expenditure of billions of dollars every year on weapons acquired for the purpose of making sure we never need to use them is essential to keeping the peace. But surely the acquisition of such idle stockpiles--which can only destroy and never create--is not the only, much less the most efficient, means of assuring peace.

I speak of peace, therefore, as the necessary rational end of rational men. I realize that the pursuit of peace is not as dramatic as the pursuit of war--and frequently the words of the pursuer fall on deaf ears. But we have no more urgent task.

Some say that it is useless to speak of world peace or world law or world disarmament--and that it will be useless until the leaders of the Soviet Union adopt a more enlightened attitude. I hope they do. I believe we can help them do it. But I also believe that we must reexamine our own attitude--as individuals and as a Nation--for our attitude is as essential as theirs. And every graduate of this school, every thoughtful citizen who despairs of war and wishes to bring peace, should begin by looking inward--by examining his own attitude toward the possibilities of peace, toward the Soviet Union, toward the course of the cold war and toward freedom and peace here at home.

First: Let us examine our attitude toward peace itself. Too many of us think it is impossible. Too many think it unreal. But that is a dangerous, defeatist belief. It leads to the conclusion that war is inevitable--that mankind is doomed--that we are gripped by forces we cannot control.

We need not accept that view. Our problems are manmade--therefore, they can be solved by man. And man can be as big as he wants. No problem of human destiny is beyond human beings. Man's reason and spirit have often solved the seemingly unsolvable--and we believe they can do it again.

I am not referring to the absolute, infinite concept of peace and good will of which some fantasies and fanatics dream. I do not deny the value of hopes and dreams but we merely invite discouragement and incredulity by making that our only and immediate goal.

Let us focus instead on a more practical, more attainable peace-- based not on a sudden revolution in human nature but on a gradual evolution in human institutions--on a series of concrete actions and effective agreements which are in the interest of all concerned. There is no single, simple key to this peace--no grand or magic formula to be adopted by one or two powers. Genuine peace must be the product of many nations, the sum of many acts. It must be dynamic, not static, changing to meet the challenge of each new generation. For peace is a process--a way of solving problems.

With such a peace, there will still be quarrels and conflicting interests, as there are within families and nations. World peace, like community peace, does not require that each man love his neighbor--it requires only that they live together in mutual tolerance, submitting their disputes to a just and peaceful settlement. And history teaches us that enmities between nations, as between individuals, do not last forever. However fixed our likes and dislikes may seem, the tide of time and events will often bring surprising changes in the relations between nations and neighbors.

So let us persevere. Peace need not be impracticable, and war need not be inevitable. By defining our goal more clearly, by making it seem more manageable and less remote, we can help all peoples to see it, to draw hope from it, and to move irresistibly toward it.

Second: Let us reexamine our attitude toward the Soviet Union. It is discouraging to think that their leaders may actually believe what their propagandists write. It is discouraging to read a recent authoritative Soviet text on Military Strategy and find, on page after page, wholly baseless and incredible claims--such as the allegation that "American imperialist circles are preparing to unleash different types of wars . . . that there is a very real threat of a preventive war being unleashed by American imperialists against the Soviet Union . . . [and that] the political aims of the American imperialists are to enslave economically and politically the European and other capitalist countries . . . [and] to achieve world domination . . . by means of aggressive wars."

Truly, as it was written long ago: "The wicked flee when no man pursueth." Yet it is sad to read these Soviet statements--to realize the extent of the gulf between us. But it is also a warning--a warning to the American people not to fall into the same trap as the Soviets, not to see only a distorted and desperate view of the other side, not to see conflict as inevitable, accommodation as impossible, and communication as nothing more than an exchange of threats.

No government or social system is so evil that its people must be considered as lacking in virtue. As Americans, we find communism profoundly repugnant as a negation of personal freedom and dignity. But we can still hail the Russian people for their many achievements--in science and space, in economic and industrial growth, in culture and in acts of courage.

Among the many traits the peoples of our two countries have in common, none is stronger than our mutual abhorrence of war. Almost unique among the major world powers, we have never been at war with each other. And no nation in the history of battle ever suffered more than the Soviet Union suffered in the course of the Second World War. At least 20 million lost their lives. Countless millions of homes and farms were burned or sacked. A third of the nation's territory, including nearly two thirds of its industrial base, was turned into a wasteland--a loss equivalent to the devastation of this country east of Chicago.

Today, should total war ever break out again--no matter how--our two countries would become the primary targets. It is an ironic but accurate fact that the two strongest powers are the two in the most danger of devastation. All we have built, all we have worked for, would be destroyed in the first 24 hours. And even in the cold war, which brings burdens and dangers to so many nations, including this Nation's closest allies--our two countries bear the heaviest burdens. For we are both devoting massive sums of money to weapons that could be better devoted to combating ignorance, poverty, and disease. We are both caught up in a vicious and dangerous cycle in which suspicion on one side breeds suspicion on the other, and new weapons beget counterweapons.

In short, both the United States and its allies, and the Soviet Union and its allies, have a mutually deep interest in a just and genuine peace and in halting the arms race. Agreements to this end are in the interests of the Soviet Union as well as ours--and even the most hostile nations can be relied upon to accept and keep those treaty obligations, and only those treaty obligations, which are in their own interest.

So, let us not be blind to our differences--but let us also direct attention to our common interests and to the means by which those differences can be resolved. And if we cannot end now our differences, at least we can help make the world safe for diversity. For, in the final analysis, our most basic common link is that we all inhabit this small planet. We all breathe the same air. We all cherish our children's future. And we are all mortal.

Third: Let us reexamine our attitude toward the cold war, remembering that we are not engaged in a debate, seeking to pile up debating points. We are not here distributing blame or pointing the finger of judgment. We must deal with the world as it is, and not as it might have been had the history of the last 18 years been different.

We must, therefore, persevere in the search for peace in the hope that constructive changes within the Communist bloc might bring within reach solutions which now seem beyond us. We must conduct our affairs in such a way that it becomes in the Communists' interest to agree on a genuine peace. Above all, while defending our own vital interests, nuclear powers must avert those confrontations which bring an adversary to a choice of either a humiliating retreat or a nuclear war. To adopt that kind of course in the nuclear age would be evidence only of the bankruptcy of our policy--or of a collective death-wish for the world.

To secure these ends, America's weapons are nonprovocative, carefully controlled, designed to deter, and capable of selective use. Our military forces are committed to peace and disciplined in self- restraint. Our diplomats are instructed to avoid unnecessary irritants and purely rhetorical hostility.

For we can seek a relaxation of tension without relaxing our guard. And, for our part, we do not need to use threats to prove that we are resolute. We do not need to jam foreign broadcasts out of fear our faith will be eroded. We are unwilling to impose our system on any unwilling people--but we are willing and able to engage in peaceful competition with any people on earth.

Meanwhile, we seek to strengthen the United Nations, to help solve its financial problems, to make it a more effective instrument for peace, to develop it into a genuine world security system--a system capable of resolving disputes on the basis of law, of insuring the security of the large and the small, and of creating conditions under which arms can finally be abolished.

At the same time we seek to keep peace inside the non-Communist world, where many nations, all of them our friends, are divided over issues which weaken Western unity, which invite Communist intervention or which threaten to erupt into war. Our efforts in West New Guinea, in the Congo, in the Middle East, and in the Indian subcontinent, have been persistent and patient despite criticism from both sides. We have also tried to set an example for others--by seeking to adjust small but significant differences with our own closest neighbors in Mexico and in Canada.

Speaking of other nations, I wish to make one point clear. We are bound to many nations by alliances. Those alliances exist because our concern and theirs substantially overlap. Our commitment to defend Western Europe and West Berlin, for example, stands undiminished because of the identity of our vital interests. The United States will make no deal with the Soviet Union at the expense of other nations and other peoples, not merely because they are our partners, but also because their interests and ours converge

Our interests converge, however, not only in defending the frontiers of freedom, but in pursuing the paths of peace. It is our hope-- and the purpose of allied policies--to convince the Soviet Union that she, too, should let each nation choose its own future, so long as that choice does not interfere with the choices of others. The Communist drive to impose their political and economic system on others is the primary cause of world tension today. For there can be no doubt that, if all nations could refrain from interfering in the self-determination of others, the peace would be much more assured.

This will require a new effort to achieve world law--a new context for world discussions. It will require increased understanding between the Soviets and ourselves. And increased understanding will require increased contact and communication. One step in this direction is the proposed arrangement for a direct line between Moscow and Washington, to avoid on each side the dangerous delays, misunderstandings, and misreadings of the other's actions which might occur at a time of crisis.

We have also been talking in Geneva about the other first-step measures of arms control designed to limit the intensity of the arms race and to reduce the risks of accidental war. Our primary long range interest in Geneva, however, is general and complete disarmament-- designed to take place by stages, permitting parallel political developments to build the new institutions of peace which would take the place of arms. The pursuit of disarmament has been an effort of this Government since the 1920's. It has been urgently sought by the past three administrations. And however dim the prospects may be today, we intend to continue this effort--to continue it in order that all countries, including our own, can better grasp what the problems and possibilities of disarmament are.

The one major area of these negotiations where the end is in sight, yet where a fresh start is badly needed, is in a treaty to outlaw nuclear tests. The conclusion of such a treaty, so near and yet so far, would check the spiraling arms race in one of its most dangerous areas. It would place the nuclear powers in a position to deal more effectively with one of the greatest hazards which man faces in 1963, the further spread of nuclear arms. It would increase our security--it would decrease the prospects of war. Surely this goal is sufficiently important to require our steady pursuit, yielding neither to the temptation to give up the whole effort nor the temptation to give up our insistence on vital and responsible safeguards.

I am taking this opportunity, therefore, to announce two important decisions in this regard.

First: Chairman khrushchev, Prime Minister Macmillan, and I have agreed that high-level discussions will shortly begin in Moscow looking toward early agreement on a comprehensive test ban treaty. Our hopes must be tempered with the caution of history--but with our hopes go the hopes of all mankind.

Second: To make clear our good faith and solemn convictions on the matter, I now declare that the United States does not propose to conduct nuclear tests in the atmosphere so long as other states do not do so. We will not be the first to resume. Such a declaration is no substitute for a formal binding treaty, but I hope it will help us achieve one. Nor would such a treaty be a substitute for disarmament, but I hope it will help us achieve it.

Finally, my fellow Americans, let us examine our attitude toward peace and freedom here at home. The quality and spirit of our own society must justify and support our efforts abroad. We must show it in the dedication of our own lives--as many of you who are graduating today will have a unique opportunity to do, by serving without pay in the Peace Corps abroad or in the proposed National Service Corps here at home.

But wherever we are, we must all, in our daily lives, live up to the age-old faith that peace and freedom walk together. In too many of our cities today, the peace is not secure because the freedom is incomplete.

It is the responsibility of the executive branch at all levels of government--local, State, and National--to provide and protect that freedom for all of our citizens by all means within their authority. It is the responsibility of the legislative branch at all levels, wherever that authority is not now adequate, to make it adequate. And it is the responsibility of all citizens in all sections of this country to respect the rights of all others and to respect the law of the land.

All this is not unrelated to world peace. "When a man's ways please the Lord," the Scriptures tell us, "he maketh even his enemies to be at peace with him." And is not peace, in the last analysis, basically a matter of human rights--the right to live out our lives without fear of devastation--the right to breathe air as nature provided it--the right of future generations to a healthy existence?

While we proceed to safeguard our national interests, let us also safeguard human interests. And the elimination of war and arms is clearly in the interest of both. No treaty, however much it may be to the advantage of all, however tightly it may be worded, can provide absolute security against the risks of deception and evasion. But it can--if it is sufficiently effective in its enforcement and if it is sufficiently in the interests of its signers--offer far more security and far fewer risks than an unabated, uncontrolled, unpredictable arms race.

The United States, as the world knows, will never start a war. We do not want a war. We do not now expect a war. This generation of Americans has already had enough--more than enough--of war and hate and oppression. We shall be prepared if others wish it. We shall be alert to try to stop it. But we shall also do our part to build a world of peace where the weak are safe and the strong are just. We are not helpless before that task or hopeless of its success. Confident and unafraid, we labor on--not toward a strategy of annihilation but toward a strategy of peace.

1 comment:

  1.  正直言いまして、この「平和の戦略」演説を知ったのは大学を卒業して随分経ってからのことでした。就任演説に出てくる「あなたの国があなたに対して何ができるかを問うのでなく、あなたがあなたの国に対して何ができるかを問うて欲しい」という一文は何度も聞かされた記憶があるのですが。

     ジョン・F・ケネディが大統領に就任したのは1961年1月。4月にCIAは亡命キューバ人で編成された武装集団をピッグス/プラヤ・ギロン湾へ上陸させようとして失敗、アメリカ軍の直接介入は大統領に拒否されました。そして7月、ベルリン危機の中、大統領はソ連に対する奇襲攻撃について国家安全保障会議で説明を受けます。

     シカゴ大学のジェームズ・K・ガルブレイス教授(ジョン・K・ガルブレイスの息子)が「アメリカン・プロスペクト」の1994年9月21日号(Volume 5, Issue 19)に書いた論文によりますと、ライマン・レムニッツァー統合参謀本部議長やアレン・ダレスCIA長官らは1963年12月ならICBMや長距離爆撃機でソ連を圧倒する準備が整い、核戦争で圧勝できると考えていたようです。

     ダレスは1961年11月にCIA長官を辞めさせられますが、62年になるとレムニッツァーを中心にしてノースウッズ作戦が作成されています。キューバ人を装って「テロ工作」を行い、報復という形でキューバへ軍事侵攻するという「偽旗作戦」ですが、これもケネディ大統領は拒否したようで、レムニッツァーの統合参謀本部議長再任を拒否しました。そして翌年の6月10日、アメリカン大学でケネディ大統領は「平和の戦略」を訴えたわけです。

     そして1963年11月、ダレスやレムニッツァーたちがソ連を先制核攻撃する絶好のタイミングだと考えていた12月の直前にケネディ大統領は暗殺されてしまいました。暗殺直後に黒幕はキューバ、あるいはソ連だとする情報をCIAが流していましたが、これはライバル関係にあったFBIが否定、リンドン・ジョンソン大統領はFBIの説明を受け入れて「報復戦争」はなかったようです。

     1964年1月にスタンリー・キューブリック監督の「博士の異常な愛情」、2月にはジョン・フランケンハイマーが監督した「5月の7日間」、そして10月にはシドニー・ルメット監督の「フェイルセイフ」という「クーデター」をテーマにした映画が公開されましたが、フランケンハイマーに映画化を進めたのはケネディ大統領自身だったそうです。

     自分がそうした状況の中にいることを承知の上で「平和の戦略」を訴えたケネディ大統領を素直に評価したいと思います。ケネディやフランクリン・ルーズベルトを排除しようとした勢力は勿論、逆の立場からふたりを評価したくない人びとがいますが、そうした歴史を直視しない態度は、南京の虐殺や「従軍慰安婦」の問題を否定、あるいは沖縄の状況から目を背けるのと同じではないでしょうか?

    「アメリカン・プロスペクト」の論文:http://prospect.org/article/did-us-military-plan-nuclear-first-strike-1963

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