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Wednesday, October 09, 2013

カナダ先住民の癒しと、和解を求めて-9月「真実と和解委員会」バンクーバーで 開催


『週刊金曜日』10月4日号に短縮版が掲載された、ブログ運営人乗松聡子の記事を紹介します。この投稿はリンク歓迎ですが、転載は禁止です。

この後、真崎久子氏による迫真の体験記を紹介しますのでそちらもぜひお読みください。

侵略国家カナダとインディアン寄宿学校、そして「真実と和解」
http://peacephilosophy.blogspot.ca/2013/10/truth-and-reconciliation-commission-of.html

寄宿学校体験者、ジル・ハリスさんの話を聞く参加者。
 
政府と教会による民族抹殺政策「先住民寄宿学校制度」-和解は可能か

乗松聡子 (文・写真)

 一世紀以上にわたって通算一五万人の先住民の子どもが家族から強制的に引き離され、甚大な弊害を生んだ先住民寄宿学校制度の「真実と和解委員会」が九月一八日から四日間、バンクーバーで開催された。これは先住民が政府と教会を相手取ったカナダ史上最大の集団訴訟の結果、二〇〇六年に成立した「先住民寄宿学校和解協定」の一貫として、記憶の継承、和解と癒しを目指す目的で、二〇一〇年から全国七か所で行われる取組みの第六回目である。

 英仏の植民者で成るカナダ連邦成立(1867年)当時、先住民は野蛮な存在と見なされ、その文化や伝統を根絶し、キリスト教信仰に基づいて「文明化」する同化政策の基軸となったのがこの制度であった。キリスト教会各派により全国で一三〇校余が運営され、最後の閉校は一九九六年。現在体験者で生存しているのは約八万人という。教育とは名ばかりで実際は労働が中心だったケースも多く、脱走を試みる子どもは拷問を受けたりしたことから、事実上の強制収容所であった。栄養、衛生状態も悪く伝染病が頻発し、在校中に死亡した子どもは闇に葬り去られ親元に知らされなかったことも多い。民族語を話したり言うことを聞かなかったりすると激しい体罰が加えられ、聖職者を中心とする指導者たちによる精神的、肉体的、性的暴行が横行した。家族愛を知らず虐待を受け続けて育った体験者は解放された後も心の病、アルコールや薬物依存、家庭内暴力等の問題を抱えることが多く、制度が終わった現在も子や孫の世代にまでその影響は引き継がれている。

 幾つもの会議場やスタジアムを抱える広大な会場の随所には連日体験者、一般参加者が数千人来場、被害者証言の聞き取り、関係者によるパネル討論、映画会などが行われ、トラウマを抱えながら参加する体験者の心と体のケアを担当するスタッフやボランティアが何百人も待機する大がかりなものであった。会場中央には「聖なる火」が常にたかれ、浄化の儀式、祈り、歌声や太鼓の音が会場全体に響き渡った。先住民たちにとっては抑圧された過去を経て、NO  MORE -二度とこのようなことは起こさせないとの決意と団結、エンパワメントの確認の場でもあった。初日は地元の大学は休校、二日目の教育デイには五千人に及ぶ小中高生の団体参加があり、次世代の教育と継承への意気込みが感じられる。委員会代表のマレー・シンクレア氏は「先住民だけではない。カナダ全体がこの恥ずべき歴史から癒される必要があるのだ」と強調した。
 しかし和解は簡単ではない。体験者とキリスト教会関係者が証言と謝罪を共有する会合は毎回重い空気に包まれた。「憎しみというものを知らずに幸せに育っていた自分が寄宿学校で憎しみを植え付けられた」、「許すという気持ちにはなれない」、「神もカソリック教会も憎い!」と声を荒げる人もいた。体験者の証言を再現映像で綴る映画「We  were Children(子どもだった私たち)」の上映会には約千人が詰めかけ、虐待のシーンで記憶が蘇り泣き崩れたり倒れたりする参加者が続出、トラウマの深さを浮き彫りにした。政府のパフォーマンスに過ぎないと批判する者もいる。会場から遠くはないところにバンクーバーの最貧地区があり、依存症などでフラフラと歩いている人たちには明らかに先住民とわかる人たちが目立つ。本当に救いを必要としている人たちほどこの「真実と和解」の場に足を運べない現実があるのではないか。  
 カナダ人口の約4%を占める先住民がいまだに差別され、高失業率、低教育、貧困、健康被害といった問題を抱え社会の底辺層に置かれている。歴史の記憶や和解の問題では済まされない、現在に続く植民地主義の問題に取り組み、真の「多文化主義」を目指すカナダの試みからは、日本を含む、植民地主義や少数派差別問題を抱えるすべての社会が学べるものがある。


体験者の証言と、キリスト教会からの謝罪の会で
発言するカソリック教会関係者。
 

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