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Tuesday, February 11, 2014

成澤宗男: 安倍の靖国参拝が世界に示した日本の道義破綻

『週間金曜日』の成澤宗男氏による寄稿です。靖国参拝について安倍首相や日本政府関係者が繰り返す「説明」や、その歴史認識への批判に対する「反論」の誤謬を見事に解き明かしてくれる一文、必読です。@PeacePhilosophy

当ブログの関連投稿(1月20日)
カナダ・ケベックのフランス語新聞における中国領事の安倍首相靖国参拝批判・日本総領事の反論

安倍の靖国参拝が世界に示した日本の道義破綻

  
―駐モントリオール日本総領事の「反論」を読む―

成澤宗男

 安倍晋三首相が昨年末に靖国神社を参拝して以降、世界50ヵ国以上の国々で中国大使や総領事らが地元メディアを通じ批判を加えている。これに対し外務省は「『戦後の日本の歩みを真っ向から否定する言いがかり。売られたけんかは買う』(幹部)と、中国の投稿に対し大使らがメディアに寄稿し応酬する」(『朝日新聞』1月23日付)姿勢という。

 こうした「寄稿」文は外務省のホームページにも掲載されていないが、基本的には参拝当日の12月26日に世界八カ国語に翻訳され、発表された「恒久平和への誓い」と題した首相の「談話」に沿っているのは間違いない。そこでは、「靖国参拝については、戦犯を崇拝するものだと批判する人がいますが……二度と再び戦争の惨禍に人々が苦しむことの無い時代を創るとの決意を、お伝えするため」と書かれている。

 肝心の「戦犯を崇拝するものだ」との「批判」には、何も答えていないが、ならば、安倍は同じように「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し」と前文で書かれている憲法を、なぜかくも敵視し、改憲しようとしているのか。世界向けには「平和主義者」然としようが、その本質はとうの昔に国内では知られている。

そもそも、安倍は「特に侵略という定義については、これは学界的にも国際的にも定まっていないと言ってもいい」(2013年4月23日の参議院予算委員会答弁)などと公言している。同じ答弁をドイツ首相が連邦議会ですればどうなるか想像がつくが、過去の日本の侵略戦争を「聖戦」と美化し、朝鮮半島や中国大陸を始めとしたアジアに送り込まれ、現地で戦死した将兵を「英霊」と讃える靖国神社同様、安倍は一度たりとも隣国への侵略の責任すら認めたことはない。こんな政治家が、今さら「中国、韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりは、全くありません」だの、「中国、韓国に対して敬意を持って友好関係を築いていきたい」(「恒久平和への誓い」)だのと口にすること自体、両国民に対する虚言であり、侮辱だろう。

靖国擁護の珍論

首相の「誓い」がこの程度だから、世界各地での日本側の「反論」も、首を傾げるような内容があるのは避けがたいのかもしれない。その一つ、新井辰夫という駐モントリオール総領事がカナダ・ケベック州の仏語紙『La Presse』1月17日付に寄稿した「反論」には、靖国神社について「第二次大戦だけでなく、1853年以降の内戦や、他の戦争で、国の為に命を捧げた約250万人の霊が階級や社会的地位、国籍に関係なく、祀られている」と説明されている。

「内戦」とは戊辰の役や西南戦争を指すのだろうが、そこで「賊軍」とされた戦死者は「祀られてい」ない。また、「250万人の霊」には空襲や艦砲射撃等による民間人死者は無論、兵士でも戦場での捕虜・逃亡後の死者は除外されている。神社の合祀基準は「天皇のために戦って死んだ」という点にあり、それ以外の死者、あるいは「賊軍」は、「国の為に命を捧げた」とは見なされない。外務省や新井は、靖国神社のこの教義を踏襲するのか。

 しかもこの神社は、過去の戦争を「自存自衛」のためだと正当化し、A級戦犯を祀っているのも、そうでもしないと「東京裁判を認めたことになる」(靖国神社の湯澤貞元宮司)からだという。

 日本政府は1951年9月に対日講和条約に調印したが、その11条には「極東国際軍事裁判所」の「裁判を受諾し」と明記している。政府の代表が、「正しい戦争だった」という理由で政府調印の条約を「認め」ないと今でも公言している神社に、なぜ参拝するのか。明らかに矛盾だが、新井はこれについて釈明する義務があるだろう。しかも「首相は、この参拝の目的は不戦の誓いの決心を新たにするものであると強調している」などと弁護しているが、侵略戦争と見なすのを「東京裁判史観」と拒否し、それゆえにその責任者・指導者を「英霊」、「神」するような神社が、どう「不戦の誓い」と結びつくのか。

 このように、日本の大使や総領事がいくら綺麗事を口にしても、中韓両国のみならず、まだ続いている世界各国からの批判は免れるはずもない。それに安倍は、かねてから「東京裁判史観」を否定している以上、「自分は東京裁判を認めないから、A級戦犯を合祀して何が悪い。そこに参拝して何が悪い」という従来から繰り返している本音を、世界に公言するべきではないのか。それが国際的に通用されないのを知っているから、「誓い」と称して思ってもいないような虚言を振りまくのだ。

 さらに新井は「反論」で、参拝は「A級戦犯に敬意を表したり、軍国主義を賞賛したりする目的は全くないのである。靖国は軍国主義者のシンボルではない」と驚くべきようなことを述べる。戦前、靖国神社を管轄し、祭事を統括していた大日本帝国の陸軍や海軍は、「軍国主義」ではなかったのか。

 もし当時の「大東亜戦争は聖戦」だという軍の宣伝を今も一切変えていない神社が「軍国主義者のシンボルではない」と言い切るのなら、新井は靖国の軍事博物館たる「遊就館」に一度でもいいから足を運ぶべきだ。そこには戦意高揚、戦争美化のためのあらゆる「軍国主義者のシンボル」が展示してある。そんな神社を、新井は何の「シンボル」と見なすのか。少なくとも靖国は、日本国憲法のいかなる理念、価値観の「シンボル」ともなりえないのは、容易に断言できるはずだ。

まず外務省が参拝を

 しかも、「A級戦犯」を「昭和殉難者」と「敬意を表し」ている神社に参拝しておいて、「敬意を表」する目的ではないと弁じても世界では通用しない。第一、安倍がろくに「敬意を表し」もしないくせにやって来られたら、神社にとってえらい迷惑だろう。幸い、神社側が今回の参拝を迷惑がった形跡はないが、当然ながら「東京裁判史観」を批判する安倍が、「A級戦犯に敬意を表し」ているのを百も承知だからではないのか。

 それほどまでに外務省が、世界中に向かって靖国参拝が「不戦の誓いの決心を新たにする」(反論)ためだとその意義を強調するのなら、そしてその言い分を本気で信じているのなら、外務省はこれまで参拝しなかった大多数の歴代首相を、「決心」を欠いた「平和」の施策の職務怠慢者と見なすのか。ならば外務次官を先頭に各国の駐留大使、新井を始めとした領事は、まず率先して自ら靖国に赴くべきではないのか。

 こうした明らかに論理性を著しく欠いた「反論」が披露される一方、米『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙(電子版)は、1月23日付で「米政府関係者は、安倍首相が中国と韓国を怒らせた靖国神社参拝を繰り返さないことを確約するよう日本に求め」、「日本政府がこれまでの第2次世界大戦に関する公式の謝罪を確認することを検討するよう首相に要請する」と報じた。

 これは、明らかに米国政府筋からのリークだと思われる。今回、まったく世界から何の共感も得られなかった首相の「誓い」だの、大使館・領事館員の「反論」レベルでは、もはや対処できる事態ではなくなっていることは間違いない。

 かといって、首相がこれを「確約」したり「確認」したなら、参拝に拍手した自民党支持者や「日本会議」等の極右、首相が昵懇にしている右派論壇は混乱と失望の渦の中に陥るはずだ。それでも「東京裁判史観」だの、「勝者の裁き」などと内弁慶のように口にしながら、長年、対米国関係では卑屈丸出しの従属を続け、それが体質になっている安倍を始めとした自民党政権に、選択の余地は限られているはずだ。やがて各国の新聞に、日本側の「反論」の訂正記事が載るのだろうか。


なるさわ・むねお
1953年、新潟県生まれ。中央大学大学院法学研究科政治学専攻修士課程修了。政党機関紙記者を務めた後、パリでジャーナリスト活動。帰国後、衆議院議員政策担当秘書などを経て、現在、週刊金曜日編集部企画委員。著書に、『オバマの危険』『9・11の謎』『続9・11の謎』(いずれも金曜日刊)等

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