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Thursday, April 10, 2014

集団自衛権行使を容認することは67年間守り抜いてきた「新憲法という時代の精神」をぶっ壊すこと:大江健三郎

無謀無策なアジア太平洋戦争を起こし、甚大な被害を出して敗北した日本。戦争で死んだ人を記憶するとき「この人たちの犠牲があるから今の平和や繁栄がある」という言い方をする人がいるが、これには大きな問題がある。戦争で無駄死にさせられた内外の民間人も兵士も、後世の平和や繁栄のために死んだのではない。家族の幸せも生きていく喜びも全て奪われていった人たちの無念を思うと、「あの犠牲があるから今の平和がある」なんて失礼な言い方はできないはずだ。アジア太平洋戦争で無為な殺戮を大量に行った反省から日本国憲法が生まれたのである。「あの犠牲があるから今の○○がある」とどうしても言いたいのなら、それは日本国憲法であり、憲法を守り戦争や戦争準備をしないことによってしか、その人たちの無念と怒りと生きたかった気持ちを生かす道はない。それが、ここで大江健三郎氏がいう、「新憲法という時代の精神」である。憲法9条の最後の砦である集団自衛権行使権禁止を解除するという違憲行為によって、国外で再び戦争ができる国になることは絶対許されないのである。戦争で殺された人たちの無念さを忘れず二度と同じ過ちを犯さないためにも。@PeacePhilosophy

2014年4月8日、東京・日比谷野外音楽堂で開かれた「解釈で憲法9条を壊すな!4­・8大集会」における大江健三郎氏の演説
http://www.youtube.com/watch?v=EP0HHWZMBAM

撮影=レイバーネットTV。


 

以下は「しんぶん赤旗」に掲載された要旨です。

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-04-10/2014041003_01_1.html

4・8大集会/大江健三郎さんのスピーチ (要旨)時代の精神・憲法守るため漱石の「示威運動」を今こそ
 ちょうど100年前に小説家の夏目漱石は『こころ』を書きました。英文学者の漱石は、デモンストレーションという言葉を翻訳して「示威運動」という訳語を作りました。この言葉は、少しも流行しませんでした。日本で「示威運動」という言葉が流行しなかったのは、ずっとデモンストレーションというものがない社会体制だったからです。しかし、漱石は、「示威運動」が重要だといいました。
 漱石が死んで30年たって、あの大きい戦争が始まり、広島、長崎を経験して戦争に敗れました。
 そして67年前、私は12歳でしたが、日本人は新しい方針をつくった。新しい憲法をつくりました。そして憲法を自分たちの新しい精神として、新しい時代の精神として生き始めたわけです。
 私はもう79歳です。私の人生はこの新憲法という時代の精神のなかでおこなわれたんです。戦争をしない、民主主義を守るという根本の精神がすなわち私の生きた時代の精神なんです。それを私は死ぬまで守り抜きたいと思っています。
 夏目漱石が「非常に危ない時代」だといったのは、明治の終わりにもう彼はそういう危機を感じ取っていたからです。いまのまま日本がすすんでいくと、大きいゆきづまりに出あうに違いないと彼はいった。そして30年たってあの戦争が起こりました。
 ところが、いまの政府は、いろんな犠牲によってできあがり、私たちが67年間守り抜いてきた時代の精神をぶっ壊してしまおうとしています。それも民主主義的な方法じゃない。内閣が決めれば、日本が集団的自衛権を行使して、アジアでおこなわれる、あるいは世界に広がっていくかもしれない戦争に直接参加する。保守的な政府すらも守り抜いてきたものを民主主義的でない方法で国民投票もなしに一挙にぶち壊して新しい体制に入ろうとしているわけです。
 いま、日本人の時代の精神がもっとも危ないところに来ていると思います。戦争しない、民主主義を守るという、67年間続けた時代の精神を守るために私たちにとりうる方法は、漱石のいう「示威運動」すなわちデモンストレーションです。
 私たちが未来の子どもたちに守りうる時代の精神、次の世代のためのもっとも大切な、もっとも難しい仕事がこの集会、デモから始まるんだということを改めて強く自覚したい。しっかり歩きましょう。

沖縄での5月3日の憲法イベント紹介!

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