ツイッター、フェースブックでつぶやいたことを転載します。
日本の多くの護憲「リベラル」が皇太子の誕生日会見の「護憲」発言とやらを絶賛しそれを大手メディアが報道しなかったとか言って怒っている。何か勘違いしていないか。皇室のメンバーが憲法を遵守するのは憲法で定められた当たり前のことであるし、そもそも皇太子は会見で「憲法」に触れていない。
昨年の戦後70年に言及したこの部分
「私自身も,雅子と愛子と一緒に,7月そして8月に,戦後70年に関連した特別企画展などを訪れました。そこでは,戦争の記憶を風化させることなく,次の世代,さらにその次の世代に語り継いでいくべく,様々な展示や講演などが行われておりましたが,改めて過去の歴史を学び,戦争に至った背景や,戦時中の惨禍,戦後の荒廃から立ち直る上での人々の並々ならぬ努力についての理解を深め,そして平和の意義について真摯に考えるよい機会となりました。」
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/02/kaiken/kaiken-h28az.html
について言っているのなら、それはその通り、戦争の歴史を学び平和を真摯に考えている、と言っているのであってそれ以上のものでもそれ以下のものでもない。日本の「護憲」派が、天皇や皇室のメンバーを持ち上げて安倍に対抗しようとしているのだったらそれこそ違憲的行為である。勘違いもはなはだしい。
天皇は国民の象徴に過ぎず国民の上に立つものではない。これが戦争の教訓にもとづいて戦後日本が採用した日本国憲法の根幹「主権在民」の鉄則である。これらの「護憲」派は天皇や皇室を持ち上げることによって、天皇を改憲で「元首」としようとしている自民党に加勢している。
「護憲」派は、皇室の力などそもそもあってはいけないものを借りようとせず、主権が存在する自らの責任と自らの力において憲法を守り、違法、違憲の「安保法制」廃案に向けて努力すべきである。
@PeacePhilosophy
現天皇も含め皇室一家が平和主義的な人々であり、いわば日本の良心の代弁者であるように思っている人々が多いようですが、彼らは官僚の書いた筋書きどおりに、国内向けに当たり障りのないことを話しているにすぎません。かりに、独自の意見があっても、公式に言える立場にはない人たちです。「平和は尊い、戦争があってはならない、歴史から学ばねば」なんて、中学生にだって言える。こんなこと、いい大人に言わせるなんて、失礼もいいところでは?皇室に平和の旗手、良心の語り部を期待するのは、見当ちがいだと思います。
ReplyDeleteAnonymousさん、乗松さんのいうとおりです。しかし「護憲派」の手段がそんなお粗末なものだと知ってがっかりです(市民運動の力で破廉恥な愚策を打破して欲しい)。まさに小学校道徳時間に見させられた「中学生日記」に出てきそうな言葉を平然と作る方々も、同レベルなんでしょうね。「象徴」だろうと頂点に鎮座まします陛下ご夫妻、ここ20年来やたら世界中チョロチョロご訪問なさっていますが、これもお飾りの「木っ端使い」として政治利用されてるんでしょうか。加えて今上陛下明仁サマすら「戦犯定義」に無関係とはいえないとおもいます。他の皇族同様、幼年期から軍人教育を受け敗戦時は10歳で、陸軍中尉として戦後を迎えていますので。裁かれなくとも「道義的」責任はあるはず。父上さまは、いうまでもなく国民に侵略戦争を強いておきながら責任を取らず、平和なボケじいさんとして老耄「御」ゲケツどうこうで御崩御、人生まっとうなさった頓珍漢な人。戦後、関係者内には「自決」をすら即する声も上がりました。決してGHQとマッカーサーの責任だけではない、大多数の日本国民が相変らず尊び、それを受け入れたのです。ですので明仁サンも大日本帝国憲法「天皇は陸海軍を統帥す」るで’統帥権’に固執した最高戦争指導者大元帥閣下のご嫡男として戦後、都合よくあっという間に「平和主義者」に化けて、のほほんとしてたいいかげんさを考察し(そんなこともさせてくれんのでしょうけど)広大な東京の一等地を家すら買えない国民たち(大震災と放射能汚染の災害地へも)に莫大な財産と一緒にご寄付(「上意」タテ割りならたまには「下意」があってもいいでしょう)なされてオイトマ頂き、どこか静かなところで「捨扶持」を貰いながら余生を「御」反省にでも費やしてもらったら如何でしょう?のこのこ現れて「ご激励」や「ご感想」を述べられても屁のつっぱりにもなりません(戦後と同じ。国民にシャツ一枚、芋一つよこさなかった)。まさにお伽、夢物語でしょうけど(笑)。本多勝一氏が兼ねてからいう「未開野蛮なしろもの」「世界で最も遅れた野蛮な風習」、海外からみてるとホントよくわかります。侵略の口実とした天皇制、おまじないだろうと迷信だろうと何千万単位の人命が犠牲にならないなら何の問題もない。実際に敬ってる方なんて殆どいない実例は「大喪の礼」の日、どこのビデオ屋にも長蛇の行列が出来たため続く「ご即位」の日は’自粛休業’を迫られた(バッカじゃないかしら)。その期間は「お赤飯」は「小豆飯」として売られ、「鯛」は「高級フナ」でした(余談ながら)。偶然その時期、日本にいたので。~♪海ゆかば~水漬く屍~山ゆかば~草臥す屍~大君のへにこそ死なめ~かえりみはせじ~♪(「君が代」が陽なら「生み行かば」が陰でした)。田中利幸先生も触れてましたが1971年、記者に戦争責任について尋ねられた大元帥は「私はそういう言葉のあやについては文学方面」云々と答え、新聞の投稿欄に「言葉の’あや’の仰せをいかに聞き給う水漬く屍は、草臥す屍は」と遺族から怨嗟の声が上がりました(朝日新聞、1972年)。天皇制など日本だけでなく世界にとって百害あって一利なし、と私論を強調し終わりにします。またお付き合いありがとうございました。
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