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Monday, December 12, 2016

12月13日、南京大虐殺を記憶する On December 13, I remember the Nanjing Massacre.

今日、12月13日(東アジアの時間)は79年前、南京城陥落の日、南京大虐殺が本格化した日です。

13日の日本の新聞は概ね無視しているようです。中国での催しを明日の新聞で報道するのかもしれませんが。

この新華社の記事はまっとうと思います。

「真珠湾よりも、安倍首相が最も行くべき場所は南京だ。」
http://jp.xinhuanet.com/2016-12/07/c_135887518.htm

なんと韓国の済州島では、南京爆撃の起点となった基地があったということで、地元の韓国人が加害責任を考える催しを行っているのです。

チェ・ソンヒさんのフェースブック
(韓国語ですが、写真で雰囲気はわかるでしょう)
https://www.facebook.com/sunghee.choi.9/posts/1320256171327058?pnref=story

日本の植民支配下での「加害」に韓国の人に責任があるわけではないのに、こうやって追悼の催しをやっているのです。頭が下がる思いで、日本人として恥ずかしくなります。

南京爆撃といえば当初の爆撃の起点は長崎の大村空港でした。

笠原十九司の『南京事件』(岩波新書、初版1997年)には、1937年8月15日から本格的な空襲が南京で始まったとあります。

「南京を爆撃したのは、海軍木更津航空隊の新鋭機=96式陸上攻撃機20機だった。この日午前9時10分、長崎の大村基地を発信した爆撃機隊は、東支那海を横断し、台風による悪天候をおして南京まで、洋上600キロをふくむ960キロを4時間で飛翔、『南京渡洋爆撃』を敢行したのである。」(17ページ)
笠原十九司
(かさはら・とくし)著
『南京事件』(岩波新書)

原爆の被害に遭った地で、「平和」や「戦争」に敏感なはずの長崎の人々はどれだけこの史実を知っているでしょうか。

長崎県に半分ルーツを持つ自分は40過ぎるまで知りませんでした。

責任もない、日本の植民支配の被害国の済州島の人々が今日「南京」に想いを馳せているのに、長崎では、広島では、日本全体では、「南京」を今日この日、思い出す人はどれぐらいいるのでしょうか。

東京では、「ノーモア南京の会・東京」が12月15日に体験者の証言会を行う
など、http://www.jca.apc.org/nmnankin/index-j.html 草の根の活動は全国に
点在しているようです。

しかし多くの日本人が、「南京大虐殺はなかった」といった歴史否定の言説に影響を受けているようにおもわれます。そんな議論があるのは世界中で日本だけ、相変わらず日本は歴史認識ガラパゴス状態です(ガラパゴスの動物たちには悪いですね、失礼)。日本政府だって控えめながらも史実を認めているのです。http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/

中国への侵略戦争(1931-45年)の間、日本が行ったおびただしい戦争犯罪・非人道的行為の数々の一つである南京大虐殺ですが、日本人として、12月13日を、8月6日や9日と同様に、いや加害国の責任においてそれ以上に、記憶し心に刻みたいと思っています。

@PeacePhilosophy

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2 comments:

  1. 長谷川澄6:34 pm

    今日が南京陥落の日で、そこから南京大虐殺が始まったことを思い出させる記事を書いてくださって、ありがとうございます。先日の真珠湾攻撃の日にマレーシアとか、香港とか、アジアの沢山の地も同時に攻撃されていたこともそうですが、私たち、日本で基本的な歴史教育を受けたものは、日本がアジアの国にしてきたことについて、余りにも正確な知識を欠いているし、そのために、日本のしたことで、未だに傷を引きずっている人たちもいることに対する想像力が欠如していると思います。学校できちんと習っていないだけでなく、メディアも報道しないから、自分で調べるか、誰かが教えてくれない限り、何も知らずにいる人が多いのです。カナダでさえ、広島、長崎への原爆投下の日にニュースでそれに一言も触れないということはないのに、日本ではネットで見る限り、大新聞は、南京陥落の日を報道してはいないようです。勿論、私たちの大部分は、その時、生まれてはいなかったのだから、直接の責任はありませんが、日本にルーツを持つ私たちは、日本の過去を知り、同じ間違いを繰り返させない、将来に対する責任は、あるはずです。日本が何回謝っても、中国や韓国が蒸し返すと言う人がいますが、私たちが、日本の過去について、正確な知識も持たず、従って、将来に対する責任感覚も持っていない限り、謝っていると感じてもらえないのは当然です。それに引き換え、そこから南京への爆撃機が出たからという理由で、南京の犠牲者の追悼をする、済州島の人たちには心を打たれました。当時、済州島は日本の占領下で、責任など全くない人たちです。ベトナム戦争の爆撃機は日本の米軍基地から出て行ったけれど、ベトナム戦争に大反対だった私もそのことで、ベトナムの人に加害者意識は持っていなかった、済州島の人に比べて、無神経だったと今、思います。

    長谷川澄

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  2. Joseph E.10:36 am

    There was a talk in Nagoya yesterday by Zhu Chengshan, curator of the Nanking Massacre memorial hall. I attended it, and all in all, I think it was a successful event.

    At at a dinner afterwards, Prof. Zhu expressed frustration that he was stopped when he arrived at the airport in Fukuoka and warned by government officials that he must only go to the cities he was planning to visit and not engage in any other activities other than the planned speaking events.

    Yesterday there were 8 Zaitokukai members yelling with loud speakers in front of the building in which Professor Zhu was speaking. These were powerful speakers, apparently mounted on their vehicle roof tops. Their vehicles were parked in front of the building, and they were so loud that the sound reverberated strongly inside the building, not only on the outside. The police prevented those 8 from entering the building, but two other ultra rightists made a big commotion after Prof. Zhu spoke. They made distracting false claims, such as that 300,000 people couldn't possibly have been killed since Nanking was just a "small" city with a small population. One Chinese man asked him, "Did you know it was the capitol of China?"

    Two other guys were also video-taping everyone inside the building as they walked towards the entrance to the hall.

    The blaring loudspeakers and the flashing lights on the police van parked out front made those of us inside feel like we were under siege. The small staff working inside the building looked frightened. The building doesn't have any security personnel, of course.

    There were journalists from Jiangsu Broadcasting Corporation filming the event.

    This was one of the more intimidating actions taken against the citizen groups in Nagoya resisting Nanking Massacre denialism in the last few years, but fortunately, there was no violence. Inside the lecture hall, there was a lot of angry yelling back and forth between the attendees of the two camps--those opposing denialism, who probably totalled around 100, and these two poorly informed denialists.

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