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Monday, January 16, 2017

「少女像」撤去要求そのものが恥ずかしいのです。日本発の署名運動に賛同ください。We should respect the "comfort women" statue and should not ask for removal - an online petition campaign starts in Japan

ソウル日本大使館前の「平和の碑」
(乗松聡子撮影:2016年10月29日)
国家の過ちを正し「和解」への道を進むには、加害の真実を究明し、被害者に心から謝り、国家責任を認めできる限りの補償を行い、この歴史を忘れぬよう後世に伝える教育をする、という基本中の基本がある。しかし2015年12月28日の「日韓合意」は、日韓政府がそれらの基本に全て反する道を進むことを敢えて選んだかの如くの「合意」であった。日本政府はこの合意を「最終的かつ不可逆的解決」と呼んだが、私はこの言葉を聞いたとき、ナチスが欧州のユダヤ人を絶滅する計画を「最終的解決」と呼んだことを思い出し背筋が寒くなった。実際友人と共有したら、そう連想したのは私だけではなかった。「ナチスから学ぼう」という冗談とも言えない麻生太郎の言葉は広く知られているが、国際的にこのような連想をさせる概念をどうしてわざわざ使ったのか。単に知らなかったのか、もしくは意図的だったのか。いずれにせよ、これは偶然とも言い切れないものがあると感じた。ナチスのユダヤ人に対する姿勢と、日本政府による「平和の碑」(通称「少女像」)や「被害者の訴え」、ひいては「慰安婦」の歴史そのものに対する姿勢に通底するものは、「忌まわしいものは一掃してしまえ」という考えだからである。各地にできている「平和の碑」は、この歴史を記憶し被害者に想いを馳せるためのものであると同時に、日本政府に対し「歴史と被害者から逃げるな!」との警告のシンボルでもある。「日韓合意」の一年後に、「平和の碑」が日本政府の望み通りに減るどころか(そもそも撤去を目的にすることからして恥ずかしいのだ)、プサンの領事館前にさらに増えたことは、この「合意」がいかに「和解」への道からかけ離れているかということの再確認の機会になったのではないだろうか。

そういった中、日本の中から、自らの政府に対し、「少女像」を尊重し、撤去要求はやめよという声が出てきており、Change.org における電子署名運動に発展しています。この署名運動を仲間と始めた秋田大学教員の勝守真氏に、これを始めたきっかけを尋ねたら、以下のようなコメントをもらいました。
戦争の罪を上塗りし、日本の恥を世界にまき散らす安倍政権、その政権をなぜか支持しつづける多くの国民、そして保身のために権力にすりよるメディアーーそれを見ていてもう我慢できす、市民として声を上げなければと思って始めました。
以下、勝守氏ら、「『平和の碑』を守る市民の会」による安倍首相に対する声明文です。

賛同する人はぜひ署名サイトで署名してください。

短縮URLは:https://goo.gl/KtCoJv


日本政府は「慰安婦」少女像を尊重し、撤去要求をやめよ!

日本政府は、韓国・プサンに日本軍元「慰安婦」を象徴する少女像が立てられたことについて、2015年の「日韓合意に反する」などとして像の即時撤去を要求し、駐韓日本大使らの一時帰国などの対抗措置をとりました。政府はこれまでも、ソウルの日本大使館前の像をはじめとする世界各地の少女像に不快感を示し、遺憾の意などを表明してきましたが、今回の対応はそれを上回る強硬なものです。

しかし、日本政府はなぜそのように少女像を目の敵にするのでしょうか。そもそも少女像(正式には「平和の碑」)は、「慰安婦」にさせられた被害者の苦痛を記憶し、二度と同じ過ちが繰返されないことを願う人々の思いを象徴する像です。日本政府がその像を敵視して撤去を要求することは、日韓合意のなかで自ら表明した「おわびと反省」、また「全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復、心の傷の癒しのための事業を行う」という約束にも反して、被害者の心をふたたび傷つけ、名誉と尊厳を踏みにじるものにほかなりません。政府は撤去要求の理由として、像の設置は「慰安婦」問題が「最終的かつ不可逆的に解決される」とした日韓合意に反していると主張していますが、それは違います。合意の内容を正確に読めば、元「慰安婦」の「心の傷を癒やす措置」を「着実に実施するとの前提で」「この問題が最終的かつ不可逆的に解決される」とされており、日本政府は今まさにその前提を自ら崩し、問題解決への道を自ら閉ざしてしまっているのです。

もし、たとえば広島や長崎の原爆記念碑は「反米的」だとしてアメリカが撤去を要求してきたら、被爆者や日本の市民たちはどう思うでしょうか。本来、日本こそが元「慰安婦」への謝罪と反省の意を表すモニュメントを建てるべきところ、それを怠ってきたばかりか、被害者側の思いを込めた少女像の設置を非難するというのは、全く理不尽な行為です。それはまた、日韓関係を極度に悪化させ、アジア民衆の日本に対する不信をますます強めるものでもあります。私たちは、日本政府が少女像撤去の要求をただちに取り下げ、被害者の尊厳の回復に向けて真摯に取り組むことを要求します。

2017年1月 「平和の碑」を守る市民の会


署名サイトはここです。


当ブログの関連投稿:

歴史の不正義にどう向き合うか―カナダの視点





沖縄の環境団体、市民団体、翁長知事に一刻も早い埋立承認「撤回」を求める



1月13日、沖縄の環境団体や市民団体が、翁長知事に辺野古埋め立て承認の「撤回」を早急に行うよう相次いで要請行動を行った。

RBC報道:
環境団体や島ぐるみ会議が「撤回」を要請
OTV報道:
普天間基地移設計画 市民グループが埋め立て承認「撤回」を要請


以下は環境団体 Okinawa Environmental Justice Projectの吉川秀樹と日本自然保護協会の安部真理子氏が行った記者会見の資料。翁長知事が埋立承認取消を取消した経緯の不透明さを指摘し、埋立承認「撤回」の重要性の確認、県の県外や米国への発信の必要性、近日中に行うとされる訪米の前に少なくとも岩礁破砕許可の取消をすること、「ジュゴン訴訟」との戦略的連動を翁長知事に提言するものだ。

13日、記者会見を行う(右から)吉川秀樹氏と安部真理子氏



2017年01月13日

記者会見資料

環境NGOからの翁長雄志県知事、沖縄県へ要請
県の広報の問題と「撤回」のタイミングについて

県の広報の問題点
 翁長雄志沖縄県知事による、辺野古新基地建設に係る埋立て承認の「取消し」の「取消し」は、県民/市民にとって非常に分かり難いものとなっている。知事のもつあらゆる権限、手段を行使して新基地建設を阻止するという知事のこれまでの主張と、知事の「取消し」の行動が一致していないように映るからである。そして工事が再開され、市民が再び海上で抗議/阻止行動を強いられる状況のなか、知事の次なる具体的行動への期待と不満が広がっているといえる。

 一方日本政府は、この状況を基地建設を強行していくためにうまく利用している。知事の埋立て承認の取消しは違法であるとする最高裁の判決を前面にだし、また知事の「取消し」の「取消し」を基地建設の容認だと解釈している。日本政府による見解や解釈は、国際社会/米国政府に対しても大きな影響を与えている。事実、辺野古新基地問題について、翁長知事の裁判による抵抗を取り上げてきたNY TimesやBBCなどのメディアも、最高裁が知事の取消しを違法と判断したとことを強調する論調となっている。

 県民/市民に対して、また国際社会/米政府に対して、翁長知事の最高裁の判決に対する見解や、基地建設阻止の決意がきちんと伝わらない理由の一つは、沖縄県が独自の広報を通してきちんと情報を発信できていないことであろう。例えば、知事公室のHPで掲載されている知事発言・要請には、現在のところ最高裁の判断に対する知事の正式見解が公開されていない。またワシントンDCにある県の事務所の英語版のHPにおいても、最高裁の判断や今後の知事の取り組みは、まだ伝えられていない。これだけ重要な事項に、知事の意見や見解が県のHPで示されていないことは問題であると私たちは考える。

 勿論、翁長知事の最高裁の判断に対する見解や建設阻止の決意については、沖縄のメディアがしっかりと伝えているといえる。しかし、日本政府、さらには米政府においても沖縄のメディアに対する偏見があり(例えば、連邦議会調査局も、沖縄の新聞については、正確な情報源というより、世論への影響を与える情報源としての分析の対象と捉えられている)、沖縄県としての独自の広報を行わなければならない。

 沖縄県は早急に、翁長知事の最高裁の判断に対する見解と、新基地建設に対する今後の取り組みについて正式な文書を作成、発表し、HPに掲載することが求められる。

岩礁破砕許可や埋立て承認の「撤回」のタイミングについて
 今回環境団体が翁長県知事に要請した岩礁破砕許可の「即時撤回」、埋立て承認の「早期撤回」は、いずれも可能なものであり、翁長知事としても知事の権限内にある「撤回」を行使するものであると考える。問題はそのタイミングである。
 
 タイミングについては、国内の政治的動向を考慮するのは勿論であるが、政権交代が行われる米国における動向や、沖縄側からの米国への働きかけと連動させることが重要である。特に翁長知事が予定している訪米と、3月15日に予定されている「ジュゴン訴訟」の控訴手続きにおける公開審理(hearing)の日程との連動が重要である。
 
 米国での政権交代の後、知事が訪米し、辺野古新基地建設問題について知事の立場を直接訴えるということであるが、少なくとも、訪米までには岩礁破砕許可の取消し/撤回を行うべきだと私たちは考える。具体的な権限の行使をもって、米政府と交渉することが最も有効な手段であるはずだ。

 ちなみに2015年11月に「島ぐるみ会議」が訪米した時は、翁長知事が埋立て承認の「取消し」を行った直後であり、「取消し」が行われた意義を米側の連邦議会議員や連邦政府機関は真摯に受け止めていた。

 沖縄県はすでに、岩礁破砕許可に関わる問題で、沖縄防衛局に対して、投入した巨大コンクリートブロックによる岩礁への影響についての質問を送っている。来週にも予定されている防衛局からの回答を踏まえて、翁長知事は次なる動きをとると考えられるが、今回の訪米という機会を最大限に利用することが必要である。

 次に沖縄、日本、米国の市民とNGOが原告となり米国防総省を訴えたジュゴン訴訟との連動である。同訴訟は、2003年の提訴から2015年2月までサンフランシスコ連邦地裁で行われていた。2008年1月には原告の主張を認める判断が下されたが、2015年2月には基地建設の合法性を主張する国防総省の主張が認められるかたちで結審した。強調されるべきは、その過程で沖縄県知事の法的判断が重要な意義をもっていたことである。つまり、2013年12月に仲井真弘多前知事が埋立てを承認したことが、連邦地裁が国防総省の主張を認めた根拠の一つとなっていたことだ。

 2015年4月に原告が米国第9巡回控訴裁判所において控訴し、原告と国防総省の書面でのやり取りが行われたが、翁長知事による埋立て承認の取消し等を背景に、控訴が本審理にはいるかどうかを決める最終的な手続きである公開審理(hearing)の日程は決まらなかった。しかし2016年12月20日の日本の最高裁における判決の後、控訴裁判所において公開審理(hearing)が3月15日に行われることが決定している。

 翁長県知事と沖縄県は、このジュゴン訴訟の日程も考慮し、基地建設阻止に向けて、埋立て承認の「撤回」を含めた知事のもつ権限を行使していくことが重要であると考える。

 勿論、権限の行使のタイミングについては、慎重さを要することは理解できる。特に埋め立て承認の撤回の根拠を何にするのか等、緻密に検証していくことが必要であろう。しかしそのような場合でも、少なくとも、埋立て承認の撤回を含む権限の行使や根拠や行程を明確に文書で示し、HP等で公表し、ジュゴン訴訟の控訴の審理でも取りあげられるようにすべきである。

連絡: Okinawa Environmental Justice Project
    吉川秀樹 

(個人のメールアドレスと電話番号は割愛します。この件で連絡希望の方は本ブログに連絡ください)

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以下は同日に行われた、うるま市「島ぐるみ会議」による県への要請。対応したのは謝花知事公室長。

要請書を手渡す仲宗根勇・うるま市島ぐるみ会議共同代表。

以下が要請書です。


(文中より抜粋)
「12月20日の最高裁の判決を受けて、12月26日に埋立承認の取り消しの取り消しを決定したことは、県民への丁寧な説明がなく、今後の辺野古新基地建設阻止のたたかいに不安をもたらしています。」
「安倍内閣・沖縄防衛局は、知事の取り消し処分を受けて、約590億円8件の発注済みの埋め立て工事を一気呵成に推し進めてくることは、高江の工事の経過からも明白であります。さらに陸上からの大型機械での工事、海上からの大型作業船での工事はいったん現場で着手されると止めようがありません。
 まさに、一刻の猶予も許されない緊迫した現場状況であります。埋立工事の最初の汚濁防止膜の設置の前に、工事を止める知事の最高の権限である埋立承認「撤回」を早急に決断していただきますよう強く要請いたします。」


翁長知事がこの市民の訴えに早く応えることを望む。 @PeacePhilosophy 

Saturday, January 14, 2017

オリバー・ストーン監督、『スノーデン』の持つ意味を語る:「米国政府は常に嘘をつく」 Oliver Stone on Snowden relevance: 'The US government lies all the time'

オリバー・ストーン監督の映画『スノーデン』が2017年1月27日に日本でも公開される。この映画の初公開は昨年2016年9月のトロント国際映画祭だったが、このときの記者会見でオリバー・ストーン監督と主演のジョゼフ・ゴードン=レヴィットが語った内容をガーディアン紙が伝えた記事を翻訳して紹介する。

翻訳:酒井泰幸

オリバー・ストーン監督、『スノーデン』の持つ意味を語る:「米国政府は常に嘘をつく」

ベンジャミン・リー

2016年9月10日

オリバー・ストーン監督の今回の狙いは、米国内で行われている監視の程度について米国政府が人々を欺いていたことだ。

彼の新作映画『スノーデン』が世界初公開されたトロント国際映画祭で、アカデミー賞受賞監督が記者会見を行った。この映画のテーマは物議を醸した国家安全保障局(NSA)内部告発者のエドワード・スノーデンだ。ジョゼフ・ゴードン=レヴィット主演のこの劇映画は、NSAが一般大衆を標的にスパイするシステムを構築していたことをCIAの元職員が発見してしまう話だ。

ストーン監督は記者会見でいう。「アメリカ人がそのことについて何も知らないのは政府が常に嘘をついているからだ。今起きつつあることはとても衝撃的だ。この物語が扱っているのは単なる盗聴活動だけでなく、大量盗聴活動、ドローン、サイバー戦争に及ぶ。スノーデン自身が先日言ったように『制御不能、世界は制御不能だ』」。

他国に亡命先を探しながらロシア国内の秘密の場所に今も住んでいるスノーデン自身も、この映画にカメオ出演している。ストーン監督は彼が米国に戻って来られることを願っているが、その実現は疑わしい。

「オバマ大統領は彼に恩赦を与えることもできるし、我々はそう望んでいる。だがオバマは8人の内部告発者を諜報活動取締法により精力的に告訴してきた。これはアメリカ大統領としては史上最高で、彼はこの監視社会の最も有能な管理者の一人だ。アメリカはかつて存在した中で最も大規模かつ侵入性の監視国家で、それを作ったのはオバマだ」。

『ニクソン』や『JFK』など政治色の濃い劇映画で知られるストーン監督は、現在の状況をジョージ・オーウェルの小説になぞらえ、彼が育った世界とは相容れないものと見ている。

「私が育った世界では、こんなことが起きようなどとは考えられなかった。だが2001年以来このかた、何か根本的なものが変わってしまったことは非常に明らかだ。目に映り人が言うことの裏にはそれ以上のことがあるので、その向こう側を見なければならない」。

主演のゴードン=レヴィットは映画の準備としてスノーデン本人に面会し、スノーデンのアメリカを愛する気持ちが極秘情報のリークにつながったと確信している。

「私は彼の愛国心に興味がありました。国家に対する誠実な愛とアメリカ建国の原理に基づいて、彼はこのことを行っていたのです。愛国主義には二種類あります。たとえ何があろうと国家に対して忠実で何の疑問も差し挟まないという愛国心がありますが、もう一種類の愛国心をこの登場人物を通して見て欲しかったのです。米国のような自由な国家に生まれたことの恩恵は、私たちがそういった疑問を問い、政府に責任を課すことを許されていることなのです」。

スノーデンの将来について質問されたゴードン=レヴィットは、「彼が帰国を望んでいるのは知っていますし、実現すれば良いと思っています」と答えた。

映画『スノーデン』がトロント国際映画祭で公開されると、称賛と批判が入り交じった評価を受けた。雑誌『バラエティ』の映画評論家のオーウェン・グレイバーマンは「アメリカの映画監督がここ数年に作った中で最も重要で元気の出る政治劇」と書いたが、ハリウッド記者のスティーブン・ファーバーは「精彩を欠く作品」と評した。

(翻訳終わり)


エドワード・スノーデンと、NSAの一網打尽のスパイ活動、ネット社会の闇については、これまで当ブログでも取り上げてきました。あわせてお読みいただければ幸いです。

アメリカを脱出したスノーデン氏は正しかった (2013年7月12日掲載)

エドワード・スノーデン「声なき人間になるくらいなら国なき人間になる」 (2013年12月30日掲載)

想像を超えるNSAのスパイ活動 (2014年1月28日掲載)

データ・マイニングの深い闇 (2014年2月26日掲載)



Saturday, January 07, 2017

オリバー・ストーン、ピーター・カズニック「真珠湾攻撃がなければ世界は違っていたか?」 Oliver Stone and Peter Kuznick: Without Pearl Harbor, a different world?

 太平洋戦争は真珠湾攻撃に始まり原爆投下で終わったと多くの人が捉えているのは、日米ともに大差ないだろう。
 太平洋戦争の開戦通告が遅れたのは、ワシントンの在米日本大使館の怠慢だったとする通説を覆し、陸軍と外務省は大使館をも欺いていたとする説が浮上している。米国に対する宣戦布告だけが注目されがちだが、日本は真珠湾攻撃に1時間以上先だってマレー半島のコタバルを攻撃しており、日本にとっては資源の獲得が目的だったことを考えると、こちらの方が直接的な攻撃目標だったはずだ。その4年前から続いていた日中戦争と同様に、米英への攻撃も宣戦布告なしで行われた。輸入資源の首根っこを押さえられていた米国からの経済制裁を避けるため、形式的には戦争状態にないと強弁してきたものが、大陸への侵略戦争を続行するために、ついに米国を相手に戦争を仕掛けたのだ。
 またこの戦争を終わらせたのが原爆だったという通説も、ストーン監督とカズニック教授の『語られないアメリカ史』が描き出すように、実は膨大な犠牲を払ってナチスドイツを打ち負かしたソビエトが、次に日本相手に参戦したことが決定的な理由だったという反証が加えられている。原爆は戦争を終わらせるためではなく、トルーマンが東西冷戦への布石として投下したものだった。トルーマンは、フランクリン・ルーズベルト大統領4期目の副大統領から、ルーズベルトの死去により大統領に昇格した。『語られないアメリカ史』の大きなテーマのひとつは、前年の民主党大会で4期目の副大統領候補としてヘンリー・ウォレス続投が決まっていたら、ルーズベルト死去の時点でトルーマンではなくウォレスが大統領に就任していたはずであり、世界はずいぶん違ったものになったであろうということだ。
 現実には、戦争は原爆投下で終わらず、冷戦となって継続した。そのときソ連の影響力が増していれば日本が朝鮮戦争の戦場になっていたであろう。日本が戦場になることを望むわけではないが、朝鮮が、日本の植民地化を受けてさんざんな目にあった挙句、解放された後にさらに戦場にされた不当を、私たちはどう理解すれば良いのだろう。分断統治と代理戦争が起きるとすれば、ドイツがそうであったように、それは戦争を仕掛けた側が受け止めねばならない苦難だったのではないか。

 真珠湾から75年目に、ストーン監督とカズニック教授がアメリカCNNに寄稿した文章を翻訳して紹介する。

原文:http://edition.cnn.com/2016/12/08/asia/pearl-harbor-75-anniversary-essay/
前文・翻訳:酒井泰幸


真珠湾攻撃がなければ世界は違っていたか?

オリバー・ストーン、ピーター・カズニック共著

2016年12月9日 CNN

真珠湾から75年目となる日に、もし日本が1941年12月7日に米国艦隊への攻撃を行わなかったら何が起きていたかを考えて欲しいと依頼を受けた。

日本が軍隊の復活を遂げつつあり、アメリカの挑発的なアジア「基軸」戦略を気まぐれなトランプ次期政権が再検討している中で、この疑問は興味深いとともに今日的な意味を帯びている。中国、日本、韓国についてのトランプの軽率な発言は、既にこの地域全体をかき乱している。

米国が第二次大戦に参戦した口実

真珠湾への襲撃は無謀だっただけではなく、最終的には自殺行為となるものだった。海軍史家のサミュエル・エリオット・モリソンは「戦略的愚行」と断じた。

日本人の多くは、攻撃の1週間前に昭和天皇・裕仁と面会した9人の首相経験者の大半も含め、攻撃には反対だった。だが東條英機首相の内閣は米国太平洋艦隊を破壊するためこの攻撃を承認した。日本が東南アジアの資源を利用するのをこの艦隊が阻む可能性があったからだ。

しかし真珠湾攻撃の成功は部分的でしかなかった。日本軍は米国艦隊に著しい損害を与え2335人の米国兵士と68人の民間人を殺害したとはいえ、日本の攻撃は致命的なものではなかった。米国艦隊の3隻の空母は攻撃が起きたとき真珠湾にはなく、損傷した艦船と航空機の多くは修復可能だった。このことが翌年6月には日本に仇(あだ)となって帰ってくる。それら空母の2隻を含む米軍が、ミッドウェー海戦で日本の空母4隻を沈め、太平洋戦争を米国の優勢に転じた。

この日本の攻撃が、米国参戦のためルーズベルト大統領の求めていた口実を与えてしまった。アメリカ人は忌み嫌うナチスより連合国を圧倒的に支持し、日本から非人道的な扱いを受けた中国の窮状に同情したのかもしれないが、再び戦争に引き込まれたいと望む者はほとんどいなかった。第一次世界大戦の後味は苦いものだった。それは「全ての戦争を終わらせるための戦争」や「民主主義にとって安全な」世界を作るための戦争などではなかっただけでなく、強欲な銀行家と武器製造業者(いわゆる「死の商人」)を肥やしただけで、植民地搾取を終わらせることにはならなかった。

1941年までに、ルーズベルトは米国が日独両国と対立するよう秘かに誘導した。ドイツはヨーロッパのほとんどを征服しており、日本は満州とインドシナを占拠し中国に卑劣な戦争を仕掛けていた。ニューファンドランドで1941年8月に、ルーズベルトは「戦争を仕掛けるが、宣戦布告はしない」、そして「戦争につながるような『事象』を引き起こす」ためにあらゆる手立てを講ずるとチャーチルに語った。ルーズベルトはイギリスがドイツに敵対するのを公然と支持し、日本が切実に必要としていた石油、金属などの資源の輸出停止を決定したが、結果的にこれで十分だった。

真珠湾攻撃の1日後、ルーズベルトが演説した議会で、戦争決議案は反対票1票で承認された。その3日後、日本の同盟国であるドイツとイタリアが米国に宣戦布告した。

これによって大戦は後戻りできない状況となり、その後の世界は変わった。しかし次のようなシナリオもあり得たかもしれない。

何年も前から衝突する運命にあった米国と日本

真珠湾攻撃はいくつかの理由でアメリカ人の心象の中に大きな位置を占めてきた。

日本が米国に宣戦布告していなかったので、アメリカはこの攻撃を卑劣な「だまし討ち」と見なした。アメリカの領土が攻撃され(米国は1898年に強制的にハワイを併合していた)、米国の諜報活動の驚くべき失敗が明らかとなり、危険な世界で米国が無防備であることへの恐怖が高まった。またこの攻撃は米国内の日系アメリカ市民と日本人移民に対する醜い差別を引き起こした。12万に近い日本人と日系アメリカ人が集められ、戦争の終わりまで強制収容所に収監された。

だがもし日本が真珠湾を攻撃していなかったとしても、太平洋戦争はほとんど同様の経過をたどっただろう。何年とは言わないまでも、何ヶ月も前から米国と日本は衝突する運命にあった。真珠湾攻撃があろうとなかろうと、この2カ国は戦争に向かっていた。

ほとんどのアメリカ人が忘れていることは、1941年12月7日に日本が攻撃したのは真珠湾だけではなかったことだ。ルーズベルトが12月8日に議会で話したように、日本は真珠湾以外にも、イギリス植民地の香港とイギリス領マラヤ、フィリピンの米国植民地と、グアム、ウェーク島、ミッドウェー島の米国保有地を攻撃した。実際、イギリス領マラヤへの攻撃は真珠湾への襲撃に1時間以上先だって行われた。さらに、ルーズベルトは言及しなかったが、日本はタイに侵攻した。日本は当時イギリス領マラヤの一部だったシンガポールも攻撃した。

米国当局は1940年8月の日本の外交暗号を解読し、日本の戦争計画の監視が可能になっていた。攻撃が迫っていることは分かっていた。思いもしなかったのは真珠湾が攻撃されることだった。想定していた最も可能性の高い攻撃目標は、石油資源が豊富なオランダ領東インド(インドネシア)、イギリス領マラヤ、フィリピンだった。

日本がフィリピン、グアム、ウェーク島、ミッドウェー島の米軍基地を攻撃したことは、米国を参戦させたがっている米国大統領にとって十分すぎるほどの挑発だったはずだ。フィリピンだけでも、アメリカの敗北の損害は膨大なもので、2万3000のアメリカ人と、おそらく10万のフィリピン人の軍人が戦死または捕虜となった。

ソビエトは欧州戦線勝利の最大の功労者に値する

太平洋戦争では連合国の勝利のため米国の参戦が絶対的に重要だったのに対し、ヨーロッパで枢軸国を打ち負かしたことへの米国の関与はそれほど重要ではなかった。実際、もし米国が欧州戦線に参戦しなかったとしても、結果は同じだっただろう。ルーズベルトがヨーロッパ第二戦線への参戦を公表してから1年半後に、米国とイギリスがようやくフランスの西部戦線で口火を切ったとき、ロシアはすでに形勢を逆転しドイツ軍はヨーロッパ全土で全面撤退中だった。

その時点までに、米国とイギリスは合計約10のドイツ師団と対決していたが、ソビエトは自力で200近い師団と対決していた。ドイツを2つの戦線で戦わせることで戦争の終結を早めたのは確かだが、結果が変わったわけではない。

アメリカの神話とは反対に、ソビエトこそヨーロッパでの勝利の最大の功労者に値する。またソビエトはこれを実行するために膨大な犠牲を払った。ドイツの手によって命を落としたソビエト人の2700万人という数字は、9.11が毎日続けて27年間起きるのに等しい。またこれは真珠湾攻撃が毎日続けて30年間起きるのに等しい。

チャーチルがボルシェビキ思想を忌み嫌っていたにもかかわらず、イギリスはソビエトに多大な恩を受けており、ソビエトがいなかったらイギリス人は現在ドイツ語を話していたかもしれない。イギリスはアメリカにも多大な借りがあり、アメリカがいなければイギリス人はロシア語を話していたかもしれないのだ。

米国が実際に参戦することなく連合国陣営の「兵器庫」に留まっていたら、ヨーロッパの様相がどのように違っていたかを考えてみるのは興味深い。ドイツとイタリアが1941年12月11日に米国に宣戦布告したのは思いがけないことで、これがなければルーズベルトはアメリカの参戦に別の理由を見つける必要があっただろう。

もし米国が欧州戦線に参戦しなかったら、ソビエトと西側諸国の境界線はどこに引かれていただろうか? 西ドイツとフランスが持つ大きな潜在的資産を、もしソビエトの指導者たちが利用できたら、ソビエト経済はどのように発展していただろうか? 不況と戦争で破壊された資本主義経済の再建を、もし米国が支援する立場になかったら、社会主義は戦後世界でより実行可能性のある選択肢と映っただろうか?

もしルーズベルトがヘンリー・ウォレスを副大統領に留めていたら?

第二次世界大戦に関して検討に値する興味深い「もしも」は他にもいくつかあり、その中にはドキュメンタリー映像と書籍シリーズ『語られないアメリカ史』で取り上げたものもある。

もしルーズベルト大統領が1944年の4選出馬の時に、非常に狭量なハリー・トルーマンではなく、先見の明をもち論争をいとわないヘンリー・ウォレス副大統領を公認候補者リストに留めていたら、何が起こっていただろうか?

保守的な民主党の指導者たちが反対していたにもかかわらず、ルーズベルトは、自分の妻と子供たちや大多数のアメリカ人が望んだように、ウォレスを公認候補者リストに留任させるよう強く主張しうる道徳的権限と政治的影響力を持っていた。

1944年7月20日、シカゴで開催された民主党大会の初日に発表された米国のギャラップ世論調査は、民主党有権者の65%が圧倒的に人気の高いウォレスを副大統領として公認候補者リストに戻すことを望んでいると報じた。トルーマンを望んでいたのは2%だった。トルーマンの選出につながった党内部の陰謀は、ほとんどのアメリカ人には馴染みのない下劣な話だ。

1945年4月にルーズベルトが死んだとき、もしトルーマンではなくウォレスが大統領になっていたら、日本への原爆投下はなく、おそらく冷戦もなかっただろう。

ウォレスが思い描いていたのは、米ソ間の友好と両体制間の健全な競争で、自分たちの方が人類の要求を満たすのに適していることを示そうと各々が競い合う姿だった。ソビエトのほとんどを荒廃させた戦争から再建を支援するためルーズベルトがちらつかせていたソビエトへの100億ドルの貸付を、ウォレスは実行しただろう。このことがソビエトの占領したヨーロッパに与えたかもしれない好影響は計り知れない。


もう一つ注目に値するのは、ウォレスは植民地主義の猛烈な反対者だったことだ。ウォレスは英仏の植民地帝国を公の場で痛烈に非難したので、イギリスのチャーチル首相とフランスはルーズベルトにウォレスを公認候補者リストから外させようと圧力をかけた。ルーズベルトは植民地帝国に関してウォレスの見解に大筋で一致していた。ルーズベルトはイギリスのガンビア支配を非難し「私の人生で見た中で最も悲惨なもの」と呼んだ。彼はオランダ領東インドの搾取とフランスのインドシナ支配も同様だと感じ、戦後にフランスを復帰させないと主張した。

ルーズベルトは、「仏英蘭の近視眼的な強欲のためにアメリカ人が太平洋で死ぬなどと、一瞬たりとも考えるな」と私的な所感を述べたことからも、太平洋戦争が帝国主義競争に根ざしていることをある程度は理解した。フィリピンから日本軍を追い出したら「即刻」独立させると彼は死の直前に約束した。

ルーズベルトはこの問題で立場が揺らぐことが多かったが、ウォレスは一貫していた。植民地搾取とそれを正当化した人種差別主義に対するウォレスの憎悪は確固としたものだった。もし戦争の直後に植民地主義を平和的に終わらせることができたら、どれだけの命が救われ、どれだけの苦難を避けることができただろう。

原爆投下がなかった世界

第2の「もしも」は、広島と長崎に原爆を使うことなく第二次世界大戦が終わっていたら何が起きただろうかというものだ。

アメリカの神話では、2発の原爆が戦争を終わらせ、アメリカの日本本土侵攻を未然に防ぐことで人道的に何百万ものアメリカ人と日本人の命を救ったと考えられている。原爆投下を擁護する人々によれば、1950年までに死亡した広島の20万人と長崎の14万人は、小さな代償だったという。

しかし圧倒的な証拠を元に『語られないアメリカ史』で描いたように、戦争を終わらせたのは、満州、南樺太、千島列島、朝鮮半島へのソビエトの侵攻で、これが1945年8月8日の真夜中に始まって日本を降伏に追い込んだのであって、原爆の結果ではなかった。

米国の諜報機関はこのような結末を何ヶ月も前から予測しており、ソビエトの参戦が決定打になることをトルーマンは認識していた。7月17日のポツダムで、トルーマンは日記にこう書いている。スターリンは「8月15日にジャップと戦争を始めるだろう。そうなればジャップは終わりだ」。トルーマンは7月18日に傍受した電文を「和平を求めるジャップの天皇からの電報」と見なした。終戦の時は近づいており原爆は必要ないことをトルーマンは知っていた。

もし原爆がこの戦争で使われていなかったら、この原爆投下が引き起こした核軍拡競争を米国とソ連は避けることができただろうか? ソビエトの指導者は原爆が日本を打ち負かすのに必要なかったことを十分理解していたので、原爆の使用をソビエトへの警告と解釈した。つまり、もしソビエトが米国の戦後計画に干渉した場合、米国がソビエトに与えるであろう破壊を示したのだ。それ以来ずっと私たちは地球上の全生命絶滅の脅威とともに生きている。

ワシントンD.C.の米国海軍博物館が公式に認めるように、日本の運命はソビエトが侵攻したときに封じられた。日本は可能性が残っている間にアメリカに対して降伏することを急いだ。ソビエトに奪取されたら天皇制だけでなくこれを支える資本主義も終わると知っていたからだ。最初は、米国の占領は比較的柔和で、ある意味では見識あるものだった。米国は日本に平和憲法を課し、これが国権の発動としての戦争を否定し、攻撃用軍事力の保有を禁じた。いま安倍晋三政権が骨抜きにしようとしているのは、これら先進的な考えをもつ原則なのだ。

もしソビエトが日本占領にもっと大きな影響力を持っていたら、日本は朝鮮半島のように冷戦の戦場となっていたかもしれない。ロシア人はドイツで直面したように日本の再建と獲得という矛盾する圧力の間で引き裂かれていただろうか? ロシア人が日本人に対して抱いていた敵意は、ドイツ人への憎悪と不信に比べれば色あせて見える。ドイツ人の手には大量のソビエト人の血が付いていたからだ。私たちが知っているように、米国は戦後日本への進歩的な展望を急速に捨て去り、不安定なアジア太平洋地域で西側資本主義権益の軍事的・経済的な前哨基地として日本を再建することを目指した。どちらにしても、日本の自動車が世界を運び、日本の電子機器が世界を繋ぎ、寿司が世界の腹を満たすよう運命づけられた。しかし、日本の軍国主義の再興を阻止するか、もっと遅らせることができれば、世界はもっと良い状態になるだろう。

第二次世界大戦とそれに伴う膨大な殺戮、信じがたいほどの人命の損失、殺人と破壊を最大化する技術の投入、そして人種差別主義、外国人嫌悪、民族・宗教的な偏見に充ち満ちた人間性の醜悪な側面の誇示は、恐怖と憎悪と国家主義の力を解き放ったときに何が起きるかを示す教訓となる。

その同じ力のいくつかが、現在の世界に蔓延している。真珠湾はこれを思い出させてくれる。だが75年以上前に地球を覆い尽くしたこの恐怖が繰り返されることを防ぐためにも、私たちはこの歴史から注意して正しい教訓を引き出す必要がある。

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 オリバー・ストーンはアカデミー賞を受賞したハリウッド作家で映画監督。ピーター・カズニックはアメリカン大学歴史学部教授、核問題研究所長。二人は共同で『語られないアメリカ史』と題したドキュメンタリー番組を制作し、同名の本を出版した。[日本での題名は『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』]。ここに記された見解は著者のみのものである。(CNN注)
(翻訳終わり)

参考リンク:
オリバー・ストーン監督、米日韓加中英豪沖台の専門家など53名 真珠湾訪問に際し安倍首相の歴史認識を問う

安倍首相による戦争被害者の政治利用は許さない!-日本の専門家たちの声