1月28日(土)午後2-5時、沖縄大学で開催された、沖縄対外問題研究会主催のシンポジウム「沖縄はどうすべきか」に登壇したときの発表原稿をここに共有します。
乗松聡子 冒頭発言用原稿
(時間の制約からシンポでは一部割愛して話しています)
沖縄の自己決定権実現のために
自分の立ち位置
このシンポのテーマは「沖縄はどうすべきか」ということですが、まず自分は自分の立ち位置をここで確認しなければと思っています。宮里さんが新刊書『沖縄VS安倍政権』(高文研、2016)
第4章冒頭でも述べているように沖縄では「自己決定権」self-determination の正当な主張がなされるようになりました。私は沖縄人ではありません。私は大人としての人生の大半をカナダで過ごしてきて今に至ります。私はカナダ人としては、NATOにおける米国の同盟国の一員として、米国による続く沖縄軍事植民地化に対し責任がありますし、サンフランシスコ条約に署名した連合国の一員として沖縄に対する戦争責任、1952年に沖縄を日本から切り離した責任も担うと思っています。私はさらに日本人であり、沖縄を植民地化し、太平洋戦争では沖縄を利用しかつ見殺しにし、「返還」後も沖縄に米軍基地を押し付けてきた日本の一員です。これらの自分の立ち位置からも、沖縄に「こうすべきだ」と言う資格はないと思っています。逆に私が責任もってすべきことは、日本が沖縄に対して行ってきた歴史的不正義を正すことです。そして沖縄の「自己決定権」が早く実現するように尽力することです。
宮里政玄著 『沖縄VS安倍政権』 |
自己決定権
1月3日に琉球新報で発表された県民意識調査では、「独立」希望が2.6%、「連邦制」が14.0%、「沖縄単独州、自治州、特別県制など」が17.9%、あわせて34.5%つまり約3人に1人が、現状維持ではなく沖縄の自己決定権の度合いを高める選択を希望しています。そうではなくても、宮里さんが本書93ページで強調しているように、「自己決定権」は沖縄で一般的に使われるようになっており、その理由は、1)県民の多数派が望まないにもかかわらず普天間基地の移設と称して新基地を県内に強要したり、2)2013年11月、当時の石破自民党幹事長が、県外移設を主張していた県選出の国会議員を転向させさらし者にしたりするような日本政府の沖縄に対する差別的・屈辱的行為にあります。だから私は「沖縄がどうすべきか」よりも「日本人がどうすべきか」ということに重点を置きたいのであり、自分たち日本人が沖縄に何をしてきたのかを知り、差別をやめて平等な関係を築き直せるように尽力していきたいと思っています。
米国という侵略国家
私は日米安保、日米同盟は当然解消すべきと思っています。日本の主要メディアの報道は日米軍事同盟堅持のためのプロパガンダであろうと思うほどに米国性善説的な報道が多く、米国がいかに恐ろしい軍産複合体に支配された侵略帝国であるかを日本も沖縄も十分知らされていません。逆に「西側」メディアの偏った見方に影響された日本メディアによって「中国」「北朝鮮」「ロシア」への敵視をこれでもかこれでもかというように毎日叩き込まれています。だから「日米同盟」といった言葉を簡単に口にできてしまうのではないかと思います。今の風潮では、ドナルド・トランプ新大統領が米国や世界への新たな脅威であるかのように思っている人が多いようですが、米国は建国以来、とくに第二次世界大戦以来、世界でもっとも強大な侵略国家であり続けてきましたし、今もアジアでは中国、欧州や中東ではロシアを敵視して、同盟国を動員し、戦争も起こしかねない脅しを仕掛け続けています。
それは3年半前沖縄に来た、ベトナム戦争映画などで知られるオリバー・ストーン監督とアメリカン大学のピーター・カズニック教授が共作で作ったドキュメンタリー映像と書籍『語られないアメリカ史』The Untold History of the United States(日本語訳は『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』)でわかります。沖縄で丁寧な取材をした映画監督・ジャーナリストのジョン・ピルジャーの新作『きたる対中戦争』(Coming War on China)、米国の「平和のための退役軍人会」Veterans
For Peaceも推薦するジョエル・アンドレアスのマンガ『戦争中毒』(Addicted toWar)、フランク・ドレルの映像集『私が米国の外交政策について学んだこと』(What I have learned about U.S. Foreign Policy)、済州島や沖縄についてのドキュメンタリーを作ってきたレジス・トレンブリーの『戦争合衆国』(The United States of War)などの映像群をみても、米国とその軍産複合体は第二次世界大戦後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東での数々の戦争に加え数えきれないほどの戦争を、抵抗手段をもたない貧しい国々に対して起こしてきており、その地で民主的に選ばれた指導者を米国で訓練した殺し屋に暗殺させたりクーデターを起こさせたりして政権転覆させたりといったことを数多くしてきているわけです。日本に対しては、第二次大戦中から天皇を利用した日本の反共産主義の砦としての利用をたくらむ動きが戦後に表面化し、戦犯を解放して日本の権力の中枢に戻し、米国の傀儡政党である自民党をCIAの資金等でたくみに操りながら沖縄の軍事占領も継続してきました。まずは米国という戦争国家の歴史と本質を知ることが大事と思います。
「日本は人質」
一月半ば、オリバー・ストーン監督は新作映画『スノーデン』をひっさげて来日し、TBSの「ニュース23」でインタビューを受けました。その中で、米国の情報機関による米国を含む世界中の「無差別監視」の実情を暴露するこの映画の重要性を強調しましたが、とくにその中の日本についての記述に恐るべきものがありました。NSA(国家安全保障局)職員のスノーデンは横田基地で2年仕事をしていましたが、米国は「将来的に日本がアメリカの同盟国でなくなったときのためにスパイプログラムをダム、駅、発電所、銀行などに組み込んでいた。いざとなれば機能停止に追い込める」とスノーデンは証言しています。これが本当なら恐ろしいと思いませんか。オリバーはインタビューでこう言いました。日本は「
アメリカの同盟国として核の傘の下にいることは、アメリカが中国に攻撃的になるように煽るようなもので、危険なことです。日本は素晴らしい文化を持つ国だが問題があります。かつて持っていた主権を失ったのです。アメリカの衛星国とされており、アメリカの人質として取られている状態なのです」と。
米国との関係
私は反米ではありません。米帝国の横暴に心を痛め、やめさせようとがんばっている良心的な米国人の友だちがたくさんいます。東日本大震災後「トモダチ・オペレーション」というのがありましたが、私は日本に米国と本当のトモダチになってほしい。米国が標榜する民主主義や人権を、国外でも実現してほしい。私は日本が米国の真の意味でもトモダチになるのであれば、日米安保・軍事同盟関係を解消し、在外米軍基地や米軍軍事行動をふくむ、米国とその軍産複合体が世界中で脅威を振りまいていることをやめさせるようにトモダチとして警告するような立場になるべきと思っています。そのような政府を日本の有権者は選ばないといけない。
しかし現実は厳しいです。戦後70年の共同通信の全国世論調査では日米同盟解消と言う人は2%というデータがあります。これも、同盟を結んでいる相手がどれだけ恐ろしくむごたらしい殺人と主権・人権侵害を世界中で行ってきている国なのかということを知らない所産ではないかと思います。沖縄での2015年の県民意識調査でも、日米安保が役に立っていると6割程度の人が回答しており、アメリカに親近感を感じる人も同程度なのですが、こと中国となると1割のみで、9割近くの人が親近感を持たないと答えているのです。日本も沖縄もメディアは、米国賛美と、中国&北朝鮮&ロシアという米国の仮想敵国の悪魔化の記事ばかりで世論もこのメディアによる洗脳の結果と理解します。これらの国にもちろん問題はありますが桁違いの脅威は米国であるということを忘れて、一方的な情報のシャワーばかりを毎日浴びせられていると人は洗脳されていくものです。この洗脳によって日本はオリバーのいう「米国の属国・人質」であることを半永久に認めていってしまうのではないかというのが心配です。しかし諦めずに活動・発信を続けたいと思っています。
差別解消のために
そこでジレンマが生じるのは、日米安保を解消できる見込みが当分ない場合沖縄に集中させられている基地をこのままにしていいのかという問いです。沖縄や日本では、日米安保に反対し真の平和を願う人の中にも「県外移設」つまり沖縄の基地を本土に移して沖縄の差別状態・過重負担状態から脱すべきだという声も増えてきています。私もこれには賛成です。日本人がその民主主義の中で置くと同意している米軍基地を自分たちの地、つまり日本に置くのは当然であるからです。というか、日本人としてこれに反対できる理由はありません。私は海外にいることからも自分の住んでいる場所に引き取ろうという運動はできないでいますが、「引き取り」への訴えを否定する日本人に対し、安保を解消できないかぎりこれを否定することは差別を正当化することと一緒である、と伝え続けてきています。この問題については「東アジア共同体研究所琉球・沖縄センター紀要2号」(2016年10月発行)に考えを寄稿してあります。
日米軍の一体化
また宮里さんが本書113ページで指摘しているように、米軍と自衛隊と称する日本の軍隊の訓練と運用の一体化、基地の共同利用はますます進んでおり、もう、日本中の基地から米軍の基地だけ取り出して議論する意味もあまりなくなってきています。今沖縄では、米軍専有基地の面積の割合から、日本の国土の0.6%の土地に70%の基地(北部訓練場約4千ヘクタール返還後)が集中させられていると言っていますが、これを自衛隊との共用基地と合わせると沖縄の負担割合は約20%になるはずです。もちろんこの数字であっても過重負担には変わりありません。また米軍基地と自衛隊基地の境界が仮に全くなくなったとしたら沖縄の負担度は約14%になります。だから割合だけの問題であるのなら、共用を進めれば進めるほど、基地負担はかわらぬどころか増えるかもしれないのに、不平等の程度が理論的には減ることもあるという皮肉が生じます。自衛隊基地新設はいいが米軍基地はだめ、というような反対の仕方には意味がなくなってくるのです。2015年の県民調査では、在日米軍に対してはいい印象を持っている人が3割程度なのに比べ、自衛隊に対しては7割と好感度が高い。現在政府が離島で進めようとしている自衛隊配備は、そのような県民感情を利用し、自衛隊基地建設から入り、実質的に米軍と共用にするのではないかとの懸念はあります。
歴史認識と現在の関係
宮里さんが言うように日本が「沖縄を強制的に編入」(95ページ)し強制同化させたという歴史は、私は沖縄にかかわるようになるまで知りませんでした。しかし歴史を学ぶにつけ、沖縄は19世紀後半に日本が近代的軍事国家になる過程で侵略・植民地化したアジアのネイションの一つであるという理解ができるようになりました。日本人にとって、朝鮮や中国への段階を踏んだ侵略や植民地化、台湾や南樺太の獲得など、大日本帝国の侵略の歴史の記憶から沖縄が抜け落ちがちなのはなぜか。それはまた沖縄の植民支配が続いているからなのではないかと思うようになりました。なぜこういう話をするかというと、沖縄(日本も)の若者たちが、「尖閣を中国が取りに来る」「中国が沖縄に武力侵攻する」といった極端なシナリオを語るネトウヨ――まあ今の日本政府自体がネトウヨなのですが――に比較的簡単に感化されてしまうのは、やはりこの大日本帝国の侵略と植民支配の歴史の中での琉球・沖縄をとらえることをしていないことに心の脆弱性ができているのではないかと思うのです。
明治日本の初の海外派兵は台湾出兵です。この台湾出兵はご存じ、宮古島の漁民が遭難し台湾に流れ着き、そこの先住民に多くが殺されたという事件を口実に日本が出兵したもので、「琉球処分」の歴史の中で日本の琉球への領土主張を一層強めたきっかけになりました。そして日清戦争後に沖縄の帰属問題は決着したことにされてしまいました。沖縄は中国と良好な関係を持つ独立王国であったところを日本に奪われ植民支配が続くネイションであるという歴史認識をしっかり持つことこそ、中国への恐怖を煽るようなプロパガンダに負けない強い意志をつくるのであり、それこそ「自己決定権」を行使する意識の土台となるのではないでしょうか。もちろんそのような歴史認識を日本人自身こそがしっかり持つことも大事です。大半の日本人は沖縄の歴史を知らないために、沖縄に対する加害者意識というのが薄いと感じます。自分もそうでした。
辺野古の闘いについて
辺野古問題についてコメントします。1月31日から2月4日まで、翁長知事と、それに平行して名護の稲嶺市長と、「オール沖縄会議」の訪米団がワシントンでロビー活動をすることになっています。12月20日、辺野古埋め立て承認を取り消した翁長知事に対する地方自治法251条の7第1項に基づく不作為の違法確認訴訟の最高裁判決が下り敗訴が確定し、翁長知事は26日に埋立承認取消を取り消しました。これで工事が再開してしまいます。この判決には執行力はなく、翁長知事は取り消す必要はなかったのに、県民にしっかりした説明もなく拙速に取り消しました。これに対し元裁判官の仲宗根勇氏は、翁長氏に判決を受けて取り消すことはせず、代執行裁判まで戦いながら埋立承認を「撤回」すべきと訴えました。この研究会の桜井国俊氏も12月26日の沖縄タイムスのコラムで、私自身も12月21日の琉球新報で主張し、静岡大学の阿波連正一氏も26日の琉球新報で賛同しました。法が要請していない取消の取消を簡単に行い工事再開を許したことに私は今でも大きな疑問を抱いています。
米国への働きかけ
今日、海外の支援者との連帯、国際世論をつくるというテーマをいただいていますが、今話していることはこのテーマに深い関連があります。海外に、とくに米国にどう訴えるかということです。基地に反対であるはずの翁長知事が埋立承認の取り消しを自ら引っ込めたということは、沖縄タイムスの平安名純代記者が12月25日のコラムを含め繰り返し報じているように、米側にとっては意外でもあり手間が省けたという感覚をもたらしました。主要海外メディアがそう報じたというのもありますが、これで辺野古問題に終止符が打たれたという受け止めが広がっているのです(平安名、12月30日)。平安名記者は12月31日のコラムで知事の説明責任と直ちに「撤回」を訴えます。1月13日、Okinawa Environmental Justice Projectの吉川秀樹氏と日本自然保護協会の安部真理子氏が翁長知事にただちに岩礁破砕許可取り消しと早期の埋立承認撤回を求める要請、同日に仲宗根勇氏らうるま市島ぐるみ会議もただちに撤回を求める要請を行います。これは基地を止めることはもちろん、米国へのはたらきかけ、海外への発信という意味でも大変重要です。
明確な要求を
辺野古についても、2015年5-6月の訪米は「第三者委員会」の検討中で、私が5月16日に琉球新報別刷りの記事「正義への責任 特別篇」で訴えたように埋立承認を取り消すとか撤回するとかの表明をした上で行ってこそ効果が期待できたが、そのような表明なしで行ったために明確なメッセージのない訪米になりました。県民大会の写真を見せて「訴える」だけで文書もなかったのです。これでは米国には何も伝わりません。吉川氏が1月13日の要請にあたる記者会見で言ったように、2015年11月、知事ではなく「オール沖縄」で行った訪米には一定の効果がありました。知事が「取消」をした直後だったから説得力があったのです。今回の訪米はただでさえ新大統領就任直後の混乱期でタイミングが悪い。翁長知事がトランプ政権の政策に影響を与えられるような相手に会える可能性はまずありません。あったとしても、埋立承認取消を取消し、工事が続行している段階で、岩礁破砕許可を取消もせず、埋立承認「撤回」もせずに行ったら、ただ、工事再開を許したことに礼を言われるだけで終わってしまいかねません。この訪米にすこしでも意味を持たせるのなら訪米前に埋立承認撤回を行う必要があります。平和市民連絡会の北上田毅氏も1月20日のタイムス社会面でそう主張しています。
市民の「権限」
このようなことを言って知事に建設的批判をすると、「運動を分断しないように」とか、「(政府の)思うツボだから」とか言われることがあります。果たしてそうでしょうか。民主主義に意見相違はつきものであり、同じ目的を持ったものたちがお互いに建設的批判を出し合い共通の目的を達成するために運動するのが民主主義的運動ではないでしょうか。植民支配下での「分断統治」というのは確かにあることですが、分断をおそれて市民が為政者を監視・批判するということをやめてしまったら、国家権力にとってはその為政者さえコントロールすれば市民は黙ってついてくるということになり、それこそ「思う壺」です。
哲学者の鶴見俊介氏が生前言っていました。自分は政治家の家で育ったから、政治家にとって何よりも大事で何よりも優先するのは自らの再選であって公約とか主義主張など二の次だということが痛いほどわかっていると。職業政治家にとってはそれが当たり前のことであり、市民は盲信するのではなく監視して使っていかなければいけないのです。政治家も役人も市民の税金で働かせる人たちです。私はカナダに20年以上住んだせいもあるのか、日本にいるときと比べ一番変わったのがいわゆるそういう「偉い」と思われるような立場にいる人たちを自分の上とか見ることはなくなりました。逆に自分たちが主権者であり、自分たちの税金で雇っているのだから部下と一緒なのです。部下を「信じているから」などと言って何も言わずに見ている上司がいるでしょうか。
民主主義は宗教ではありません。先日も安慶田副知事(当時)に疑惑がもちあがり「信じている」というようなことを言う人がいましたが、私はこのようなとき市民が行うのは「信じる」でなはく「調べる」ではないかと思います。そうでなければそれこそ為政者の「思う壺」になります。元CIA職員で内部告発者としてロシアに亡命中のエドワード・スノーデンは最近のトランプ騒ぎを受けてこう警告しています。「選挙で選んだ政治家を“信じる”という行為は我々が繰り返し犯してきた過ちである」と。私は沖縄の民主主義は異なる意見や建設的批判を封じず、取り入れてこそ強固なものになると思います。1月20日タイムスの社会面に引用されている「安保法制に反対するママの会@沖縄」の城間真弓さんは「運動が分断されることはない。現状への『怒り』でつながっている」と断言するし、私も賛同します。翁長知事の「権限、権限」というが、私たち市民一人一人こそが自分たちの「権限」を使っているのか、今私は問いたいです。
(以上)
以下、沖縄二紙での報道。
琉球新報(1月29日)
沖縄タイムス(1月29日)
この論考ほどはっきり、包括的に日本―沖縄の問題を、歴史的、世界史的な視野で書いた論考はなかったと私は思います。私は、世界的にオリバーストーン&ピーター・カズニック著の「もう一つのアメリカ」で言う「もう一つのアメリカ」が可視化されつつある今、乗松聡子さんが、その視野をもって、これを書いてくださったことは、画期的なことと思います。
ReplyDelete日本人はもっと沖縄について、聡子さんが書かれた視点を持たなければなりません。でも、残念ながら、日本人が、歴史的、世界史的な視野がないのは、沖縄に対してだけじゃないのです。日本はほんとうに、情報的な井戸の中の蛙状態だと思います。
日本の論者の中でも、欧米的な枠組みにとらわれていないために、かえって広い歴史的・世界史的な視野を持つ人たちはいますが、そういう人たちは、沖縄については強い関心を持っていないと感じます。
まあ、よく言えば、沖縄には沖縄の独自な闘いの歴史があるから、お任せというところでしょうか。
ただ、私は、率直に言って、沖縄の基地建設反対運動の中には、そういう歴史的・世界的な視野が弱かったと思います。反対運動参加者からも、「沖縄がまっさきに攻撃を受ける」「また沖縄が戦場にされる」という言葉をよく聞きました。でも、誰が沖縄を攻撃するのか、誰が沖縄を戦場にするのかの、「誰」は曖昧なままです。
日本人の大多数は、その「誰」を中国だと思っています。でも、米軍基地、自衛隊基地の増設に苦しむ沖縄の人たちまでが、その「誰」を中国だと思っているとしたら、それは「見当違い」もいいところだと、私は思います。