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Saturday, May 31, 2008

Film Rokkashomura Rhapsody 子育てママさん達が主催した 映画「六ヶ所村ラプソディー」上映会

Yuimko Kikuno's report on the screening of documentary film "Rokkashomura Rhapsody"

                     Peace Journalist  菊野由美子




   今回の東京出張の荷造りをしているとき、ある種の荷物が10年前に比べると、明らかに増えている、いや、10年前はなかっただろう荷物に気が付いた。それは、電気機器製品とその備品である。パソコン、デジタルカメラ、携帯電話、リコーダー、電子辞書、そしてそれらに必要な電気コード、充電用コードに充電池、それぞれのデータをパソコンに取り込むためのそれぞれのコード、などなどである。このように、どっぷり電気製品に依存することは、たっぷり放射能を撒き散らしてしまうことになるのだと思うと怖くなったが、「必要だから・・・。」というジレンマを感じた。

  2008年5月11日、横浜市保土ヶ谷区で映画「六ヶ所村ラプソディー」の上映会と鎌仲ひとみ監督の講演が開かれ出席した。この上映会の特徴は「保育つき」である。主催「妊婦さんと赤ちゃんとママの集いTea Party」のメンバーのプリチャード麻美さんが、「子育て中のお母さんにこそ見てもらいたいのです。メンバーは、赤ちゃんの夜鳴きで睡眠不足の中、チラシの印刷や配布に奮闘していました。」と語るように、会場にはあちらこちらに子供や赤ちゃん、そしてお母さんだけではなく子育て中のお父さんの姿も多く目にした。



    そんな穏やかな雰囲気の中、「六ヶ所村ラプソディー」の上映が始まった。ある状況や起こっていることに対して問題提起するドキュメンタリー作品は、その問題点の指摘と反対する側の意見が主になることがほとんどであるが、「六ヶ所村ラプソディー」は、賛成側の意見や状況も伝えている。ここに注目したい。なぜなら、賛成側の意見を聞かずして創造的な解決策には至らないからだ。
青森県六ヶ所村は人口1万2000人の小さな村で、戦後、満洲や樺太からの引揚者が広大な原野を開拓し、牧畜業や農業を営んでいた。政府は、日本最大の工業地帯を築く目的で開拓者からその土地を買収したが、その夢の構想が実現することはなく、やって来たのは核燃料再処理工場である。再処理工場というのは、原発で出た核廃棄物を化学処理して、プルトニウムを取り出す「プルトニウム生産工場」である。この処理過程で電気エネルギーは生産されない。この工場が本格稼動し始めれば、原発1年分の放射能が1日で垂れ流しされる。例えば、高さ150メートルの煙突からは原発の240倍の放射能、そして沖合い3キロまで伸ばされた配管からは毎日300トンの放射能廃液が放出される。(RIZINE, 2007) その核燃施設は風上に建ち、風下には農地が広がる。

「子供が帰ってこれない場所にしたくない。」「チェルノブイリにしたくない。」「自然エネルギー、観光産業や地場産業の活性化が六ヶ所村の生きる道だ。」と再処理工場問題と取り組んでいる村人の話に胸が痛む。その一人の菊川さんは、六ヶ所村でチューリップ農園を開きながら活動している。非国民や過激派だと言われた時期があり、自分の生活を人の目に見えるように、そして自分が楽しめる方法でふるさとを守りたいと始めた。今では、全国から多くの若者が集まってくる。

   そして賛成派は、「経済発展を考えるとエネルギーは必要だからしょうがない。」「国が決めた建物だから今さらしょうがない。」「この工場のおかげで仕事をもらっている。」と言う。漁業だけでは子供を二人抱えて食べていけないのでこの処理工場で働いているお父さんもいる。その他、多くの関係者の発言を聞き考えさせられる。そして、約1万2000人の村人のうち反対派は数名ほどである背景が薄皮を剥くように現れてくる。



   上映後、「しょうがない」とは思えないのでこの映画を作ったと話された鎌仲ひとみ監督の講演が始まった。1998年にイラク取材に行った際、抗がん剤は大量破壊兵器製造につながるからと経済制裁されたために、イラクでガンに苦しむ多くの子供たちが治療を受けられずに死んでいく。そしてガン多発の原因は、原発から出る核廃棄物で作られた劣化ウラン兵器による体内被曝であることを知り、広島・長崎から60年以上たった今現在も兵器で「被爆」している人を知りショックを受けた。そして電気消費量世界第2位の日本がイラクの人に、電気必要だからしょうがないとは言えないと思ったと語った。さらに、その日本のエネルギー政策問題が六ヶ所村に集まっているのに、国民の多くはこのことを知らされていないことも指摘した。そして、賛成にも反対にもそれに至る経緯があるから、対立を生み出す作品にしたくなかったという。その中で、日本原燃の取材拒否や賛成派の意見を聞けるまでに1年も通い続けたエピソードなどを話してくれた。

    このイベントの主催者の一人が、「子供がいるからいろいろと制約ができる、というような壁をどうしても乗り越えたかった。」と話した。ここのスタッフは、「六ヶ所村ラプソディー」を観て、自分の意識を変え、自分のできることを実践し始めた人達だ。私はまず、からまった電気コードをほどきながら、「必要なの?」と自分の意識を変えるために問いかけてみることから始めようと思った。

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