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Friday, January 22, 2010

Ginowan Mayor Interview in "Sekai" 『世界』掲載 宜野湾市長インタビュー

Interview with Ginowan Mayor Iha Yoichi, from the February 2010 edition of Sekai.

『世界』2010年2月号掲載

伊波洋一氏インタビュー

日本を最前線化する新基地建設


民主党政権への期待は何か

--政権交代後、辺野古への普天間飛行場移設問題が、新政権の重要課題として浮上しています。沖縄では一一月八日二万一〇〇〇人が集まった「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」を開催され、県内移設を拒否する意思を鮮明にしました。

 伊波 岡田外務大臣は、マニフェストには具体的な文言を出さなかったと言っていますが、少なくとも沖縄での民主党新政権への期待はやはり、普天間基地移設の現行案に対する否定にあるのです。「民主党・沖縄ビジョン」では、「辺野古新基地建設は事実上頓挫している、県外移設を模索すべき」という基本的な立場を述べていましたし、沖縄の四選挙区では当然それを公約とした候補者が当選しました。そのうち二人は民主党、そして社民党、国民新党と、四名とも与党議員です。初めて県内四選挙区から自民党の衆議院議員が消えたという事実を受けるならば、首相が言ってきた通り、「最低でも県外」が一般の県民の理解なのです。その認識をいま一度確認する場、そしてその通り実行させるための場としての県民大会だったと思います。
 岡田外務大臣、北澤防衛大臣と、若干異同ある発言がありますが、最終的には鳩山首相が決断をするとのことです。また、首相は沖縄の思いを受け止め、県民が納得できる対応をしていくと一貫して発言されています。これ以上移設も新基地建設も反対であるという強い思いを訴えることが県民大会の目標でしたから、大会自体は大成功だったと思います。

--日本全体にとっても大きな転換ですが、沖縄では基地問題を軸に保革の対決構図があり、特に普天間移設を巡って自民党は県内移設を推進してきたので、政権交代の意味はたいへん大きいですね。これまで住民投票と総選挙、首長選挙結果のズレという「ねじれ」もあり、沖縄の民意が理解されにくい面はあったと思います。

 伊波 沖縄では常に基地に関して相反する感情がありました。心情的にはみんな、基地はあってはならないと思っているのです。だから世論調査のように、そのことだけを問う形になると八割方はその心情が出てきますが、現実の問題として、一九七二年の復帰前から、今日、明日の生活のためには現にある米軍基地と関わらなければならない人たちは多かったわけですから、常にこの心情と諦めとがせめぎあって、選挙では両者が勝ったり負けたりしている。ずっと沖縄自体が発するメッセージが錯綜してきたのは事実でしょう。
 今回は、長く続いてきたその流れを断ち切って四選挙区とも基地に反対する候補者たちが当選した。一つの理由は、これまで基地が持っていた経済的な利益性が現実的にはもうなくなっているという現実です。基地での雇用といった直接米軍からの利益、さらに公共事業のような、基地があることに関わって国がもたらしていた利益構造が、心情と生活とをせめぎあわせる力になっていたのですが、この一〇年で、二〇〇〇億円規模で公共工事自体が減り、なおかつ改革路線の中で弱者にしわ寄せが行く全般的な流れがありました。
 そこで、かねてから持っていた県民の基地に対する気持が、経済効果というバイアスや圧力から離れて、あらわになったのが衆議院選挙の結果ではないか。この動き自体は、なかなか簡単には止められないでしょう。今後様々な選挙にも、より県民の思いはあらわれてくると思います。これまでも、基地容認側にしても「いやいやながら受け入れる」というよりむしろ「どうせ反対したってしょうがない」という諦めの思いが強かった。そのかわり経済的なメリットがあるという別の理由を用意されてきたけれど、その説得力ももう薄くなっているというのが、いまの状況ではないでしょうか。

--そうすると、経済的メリットはない、基地は固定化あるいは新設される、剥き出しの負担だけが残りかねないですね。

 伊波 現にそう見ている人が多いでしょう。名護市が普天間移設受け入れを表明したことで付けられた一〇〇〇億円の北部振興策、あるいは嘉手納など米軍基地所在地に対する振興策である島田懇談会事業を入れたけれども、いまだに「いつ振興策が来るの?」と言っている人たちがいるといいます。
 どの公共事業にも言えることですが、いくら箱ものをつくっても、その後の運営管理は自治体の責任です。名護市周辺の財政はますます厳しくなっていて、結局振興策も疲弊する地域を大きく変えてはいない。大きなバラ色の夢を描いて基地を受け入れさせてきたけれど、変わらない現実によってその夢は消えてなくなったのではないでしょうか。何と言っても、一〇年以上何も改善しないということの重みは大きい。

--アメリカが自らの既得権を守ろうとするのは当然ですが、その交渉姿勢も揺れていて、ゲイツ国防長官は強硬に辺野古新設を迫りましたが、シーラ・スミス外交問題評議会上級研究員は圧力による対日説教外交ではなく、普天間移設は長期的視野で取り組むべきだと言っています。

 伊波 やはり、新政権の下で二〇〇六年のロードマップ合意が壊れていくことへの懸念が大きいのではないでしょうか。辺野古の新基地建設を別にすると、諸々おさえてきていたものが吹き出してくるかもしれない。実は、在沖縄海兵隊八〇〇〇人のグアム移転などは、国防総省がハワイの司令部、あるいは海兵隊をおさえて合意した経緯があります。米連邦議会に対しての証言、あるいは報告書を見ても、その経緯があらわれていますので、単に沖縄の辺野古移設のよしあしの話ではなくて、このロードマップを少しでも動かさないという全体像をおさえなければならないという危機感、オバマ大統領の来日前に最後の最後まで現状固定をしたいという思いがゲイツ国防長官の発言などに働いたのではないでしょうか。
 アメリカの政権内、あるいは軍と軍との間の力学が大きく作用していると思いますね。
 というのは、辺野古自体はそれほど大きい問題ではないはずなのです。実は、第三海兵師団をグアムへ司令部ごと移す話について、ハワイでは、司令部はハワイへ持ってくるべきだという意見がハワイの連邦議会議員から出たりしていますし、〇九年六月四日に海兵隊総司令官が連邦議会上院の軍事委員会に海兵隊の状況についての定例の報告書を提出して、質疑を受けて証言しましたが、その中でも普天間代替施設について不満を述べています。
 その内容は、そもそも普天間飛行場の滑走路は二八〇〇mあるのですが、辺野古では一六〇〇mプラス一〇〇mずつで一八〇〇mしか作れない。また、普天間と同様に片側住居地域もある。「普天間飛行場の代替施設については完璧なものでなければならないが、どうも沖縄では得られそうもない」と言っているのです。さらに海兵隊では、二〇一〇年一月のQDR(四年ごとの国防政策見直し)に向けて検討に値する代替案についての作業チームもつくっていて、必要ならばこちら側で十分検討した上で日本政府と交渉が必要かもしれないとまで言っているわけです。要するに、国防総省は、日本側の変更だけでなく、米海兵隊側もおさえている。いちばん懸念しているのはここだと思います。
 これは私の推測ですが、海兵隊としては沖縄の部隊を分散されないような形でグアムやハワイに動かしていって、戦闘にも入れるようにしたいと思っているけれど、日米安全保障との関係からは、旧政権——自公政権では海兵隊をずっと日本国内にとどめおきたいという意向がとても強かった。
 むしろ日本政府が出て行ってくれるな、と言っていたわけです。「誰が(日本を)守るんだ」と安倍晋三官房長官(当時)が言ったという話もあります。そういう日本側の意向があって、(沖縄の海兵隊の)定数の議論の中で、八〇〇〇名をグアムへ移すが一万名の定数を置くというのがロードマップ合意に含まれたようですが、それ自体が海兵隊の運用性を縛るものにもなりかねないし、海兵隊がほんとうに沖縄にいたいのかについても、はっきりとはわからない。
 もちろんアメリカが日本国内に自由になる基地をより多く持ちたいというのは当然でしょうが、いろいろドキュメントを見ると、国防総省のトップレベルで考えていることと海兵隊のレベルで考えていることの齟齬があるように感じます。岡田外相が予算委員会でアメリカの国防、態勢見直しの先取りをも含めて普天間問題の行き先を考えてみたいと言っているのは、そういう意味だと思います。
 私が宜野湾市長になったのは二〇〇三年ですが、その頃から米軍再編の形が出てきて、それを見据えながら普天間飛行場の問題に取り組んできました。〇六年の米軍再編ロードマップ合意、あるいは〇六年七月のハワイの太平洋軍司令部の策定したグアム統合軍事開発計画、またその後の動きを見ており、〇七年には沖縄県中部の十市町村長でグアムに調査に行きましたが、その結果わかったのは、普天間飛行場の部隊は基本的にグアムへ行くということです。
 日本の国内では、普天間飛行場の部隊を移すために辺野古の基地をつくるという理解になっていますね。しかし、これは一九九六年のSACO(日米特別行動委員会)合意のイメージです。SACOでは、アジアの一〇万人態勢、ヨーロッパの一〇万人態勢は変わらないという前提なので、ある基地をなくしたら別に基地をつくらなければいけない、機能も部隊も移さなければいけないということだったのですが、ロードマップ合意では、海兵隊の兵力はグアムへ行き、同時に嘉手納以南の基地は返還する、普天間の飛行場機能は辺野古新基地に移す、となっています。二〇〇六年五月の合意ではそうですが、その半年前の〇五年一〇月の合意はどうだったかというと、実は、司令部をグアムや他の場所に移し、残りの海兵隊部隊が旅団規模に再編されて残ることになり、普天間のヘリ部隊も残ることになっていました。
 私たちは直接米国総領事などとも議論したのですが、彼らはあくまで普天間の部隊が辺野古に行くのだと言い張っている。しかし、そう書いたドキュメント自体はないのです。
 逆にその部隊がグアムへ行くというドキュメントは、〇六年も〇七年も〇八年も〇九年も議会の報告書などたくさんあって、グアムに行く具体的な部隊名も出てきます。
 国防総省や国務省の高官たちは、普天間の部隊が辺野古に行くかのように言いますが、実際に議会で部隊の報告をしているのは海軍長官や海兵隊司令官です。私たちも交渉の時に、「ドキュメントを出してくれれば信じる」と言っていますが、現時点でも辺野古に何が移るかということは明確にされていない。ただ飛行場機能自体は移す、と言っているのみです。 ]

何のための辺野古新基地か?

--普天間移設が持ち上がる以前に、一九六六年のアメリカの「海軍施設マスタープラン」に沖縄県の辺野古沿岸から大浦湾にかけて、港湾施設と滑走路をもった一大軍事施設および軍港計画があることが明らかになっていますね。

 伊波 おそらく辺野古の新基地計画は、普天間の問題とは別のもので、使用目的も違うでしょう。 
 一方で嘉手納統合案が亡霊のように持ち上がってくるのですが、問題は、「負担軽減」が守られる保証がないということです。普天間飛行場のヘリ部隊も年に半分はあちこちに出て行くので空域が空きますが、嘉手納からP3C対潜哨戒機や救難ヘリ、FA18戦闘機が来て離発着訓練をしています。アメリカ側にしてみれば、飛行場があれば、当然その空いた部分を満杯に使うのが当然なのでしょう。一九八八年からの米軍の五次にわたる基地閉鎖再編や、フィリピンからの撤退で海兵隊航空基地は減っていますから、日本のようにどんどん受け入れて、お金も出してくれるところに全部来るのです。
 普天間でも九〇年代にハワイから二個中隊がホームベースにしています。ローテーションの部隊なら基礎訓練は帰属の基地で行なって戦闘訓練のために来るのですが、固定の部隊は普天間で日常的に基礎訓練をする。大きな負担増です。いまは居場所があるからたくさんいるけれど、本来沖縄にどれだけの部隊が必要か、議論しているはずです。それを共有すべきです。
 アメリカは、辺野古新基地の一つの機能は嘉手納を補完する代替飛行場でもあると言っていますが、そうなると主に飛ぶのはジェット戦闘機です。いま普天間で一九九六年に比べてはるかにジェット戦闘機の飛行が多くなっているのは、新しい基地に向けた権利の既成事実化ではないでしょうか。 

--いま辺野古移設を含意して、「世界一危険な普天間飛行場」の移設を一刻も早く、と言いますが、返還が決まってからすでに一〇年以上放置され、〇四年八月の沖縄国際大学米軍ヘリコプターCH53墜落事故からも何ら改善されては来ませんでした。 

 伊波 現実にヘリ墜落事故が起きたことは、市民に対して、毎日何十回と自分たちの頭上を飛んでいる飛行機が落ちるものなんだということを、まざまざと理解させました。実は一九七二年の復帰後今日まで、普天間飛行場の所属のヘリやプロペラの偵察機の墜落事故は一五回あり、米兵は四七名死亡しているのです。約三年に一回の割合で事故が起こっている。
 以前は北部訓練場を中心に飛行していましたが、いまは普天間周辺でするようになって、飛行場の中にも何回か落ちています。毎日、二〇〇四年のピーク時には飛行回数が一日に三〇〇回を越える数値も出ていますので、いかに厳しい訓練をしていたかがわかる。
 普天間の状況をアメリカで紹介すると、なぜこんなことがあり得るのかと、みんな驚く。実はアメリカでは航空施設整合利用ゾーン(AICUZ)という基準があって、ちゃんと土地利用の規制がなされています。「海兵隊航空基地普天間飛行場マスタープラン」ではクリアゾーンという土地利用禁止区域を設定しています。ところがこの区域が施設外の民間地区に大きくはみだして設定され、その区域には一九五〇年代から住宅があり、六〇年代から小学校もあります。それが何もないという虚偽の前提の下に、この飛行場は存在している。アメリカ国内の基準を満たさないものが沖縄ではまかり通っているのです。クリアゾーンの遵守は、海外においても免除されない限り義務があるので、ハワイの太平洋軍司令部に普天間が免除対象なのか照会していますが、返事は来ていない。
 一方日本政府は、昨年一〇月の答弁では「AICUZについて米側が運用しているのかどうか、政府としてお答えする立場にない」としています。国民の生死に関わるこれほど重要なことでも、日本政府は関知していないというわけです。また昨年四月の衆議院外務委員会での質疑で、クリアゾーンを普天間飛行場に適用していない理由について問われた梅本和義外務省北米局長は、「AICUZは、米国内において、騒音、安全等の観点から飛行場周辺の土地利用のガイドラインを自治体に勧告するものであります。海外の航空施設には適用されないというふうに私どもは聞いております」と答えています。クリアゾーン適用についての質問に対して、AICUZ一般論で答えるという、官僚的はぐらかしです。補足しますと、米国連邦航空法は、国外についても米軍機が運用する飛行場にクリアゾーンを義務づけているのです。

最前線化する日本

--冷戦終了後も在沖米軍基地の戦略的意味は大きく、米軍撤退は日本の防衛を損ねるという意見があります。

 伊波 米軍の戦略は「テロとの戦争」に移っていて、何より国土防衛が重要です。従来は第二次戦争からヴェトナム戦争、湾岸戦争まで、外で各国と連携する戦争だった。いまアメリカが考えているのは何よりも自国を守ることであって、その米国本土防衛思想に基づいた米軍再編は、日本を最前線基地化する戦略だということを考慮しなくてはなりません。
 日本が戦略拠点ではなく最前線になるような計画にそのまま付き合ってほんとうにいいのか、国民全体で考えたほうがいいと思います。かつて「日本は不沈空母」という議論がありましたが、まさにいま米軍は沖縄のみならず、日本全土を不沈空母化する戦略を考えているのではないか。この視点を抜きにして日米安保の将来を考えることはできないでしょう。
 そしてその外にはアジアがある。鳩山首相が東アジア共同体を目指すならば、日米安保が持っている思想を見極めて、アメリカも巻き込みながらしっかり方向転換を求めなければならないと思います。
 それぞれ米軍にとっても事情があることとはいえ、政治体制が変われば、フィリピン、パナマ、エクアドルなどいろいろなところから米軍の撤退は実現しています。沖縄の海兵隊も見直しの時期に来ている。いま新たな基地をつくること自体が逆行しているし、未来志向の日米関係をスタートさせるチャンスだと思います。(聞き手=編集部・中本直子)

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