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Monday, June 27, 2011

完璧を要する原子力と、完璧でない人間は相容れない: ジョナサン・シェル論説 Nuclear power requires perfection. But human life is a scene of error and turmoil: Jonathan Schell

Here is a Japanese translation of Jonathan Schell's opinion article on Kyodo News (English version) on June 24th, 2011. Translation by Izumi Tanaka and Satoko Norimatsu.

共同通信の英語版ページに6月24日に出た、アメリカの著名な反核ジャーナリスト、ジョナサン・シェル氏の論説の翻訳を紹介します。この記事の原題は "Nuclear Power Requires Perfection" で、直訳すると「原子力は完璧を求める」となります。しかし、シェル氏がこの記事で訴えているのは「原子力を扱うには完璧な存在である必要がある。しかし人間は本来完璧ではない。従って人間に原子力は扱えない」ということであり、この題にも「原子力は、人間には所詮無理である完璧さを求めている」という意味を込めています。そこで日本語の表題ではカッコ内に以下のような注釈をつけました。

原子力の求める「完璧」(不完璧な人間には無理)
ジョナサン・シェル 

ニューヨーク、6月24日 共同

福島で起きた原子力の大惨事から3カ月が経過し、はっきりとした世界的影響があらわれてきている。

ジョナサン・シェル
この事故以前には進行中ということになっていた「原子力ルネッサンス」計画は、現在中断しているように見える。そして世界は原子力発電からの完全な撤退という長い道のりを歩み始めたかのようにさえ見える。

日本では、もちろん、すべての原発が見直しの対象となっている。菅直人首相は福島の危機が収束したら退陣すると国民に保証しなければならなかった。

イタリアでは人々が原子力に反対票を投じた。スイス議会も同様の道をえらんだ。ドイツは原子力を段階的に廃止することになった。

ドイツのケースには特別な歴史的意義がある。1938年、ドイツの化学者オットー・ハーンが初めてウランを核分裂させ原子の中のエネルギーを放出させた。これによって原子力発電と核爆弾製造の両方が可能になったのである。

そういう意味では、原子力時代はドイツで始まったといえる。そして、同じドイツで終わりを遂げるのだろうか?

それがどうあれ、このような脱原発の結論がどのように導かれてきたかを考えてみることは興味深い。基本的には、原発に対する考え方を改めてきているのは政府ではなく、普通の市民たちである。ドイツの政策の転換は、地方選挙で与党が敗北した直後におとずれた。イタリアでは、政府の計画を選挙民が拒否した。

一般の庶民は原子力の専門家ではない。しかし、多くの専門家が見て見ぬふりをしていることをしっかりわかっている。それは、どんなに順調に運営されている事業においても、物事はうまくいかなくなるということである。

例えば、請負業者は賄賂を取る。中央制御室の担当者は居眠りする。想定より早く電池が切れる。科学者は、査察対象の業界から研究資金をもらっているので、研究結果を隠す。

地震や津波、格納用の構造物への飛行機の衝突といった深刻で稀な事態は、どうしてもこういった過ちや失敗だらけの背景の中で起こるのである。

もちろん、責任者たちは、電池や発電機の量を増やすとか、格納用の壁を厚くするとか、警備員の数を増やすといった安全策を次々と出してくるだろう。

しかし一般人は本当のことを知っている。過去の安全策と同様に、人間がやることには必ずミスが起こりうるということを。そのミスに対し支払う代償が、例えば工場の運転資金超過であるとか、高速道路のでこぼこを直すための増税だったとしたら、人々は納得して支払っていくであろう。

しかし、6つもの原子炉から、風向きによってあちこちに放射能がまき散らされ、、人の住めない広大な土地ができるというのは、あまりに大きすぎる代償である。

原子力というものは完璧な存在でなければ運営できない。しかし、人間というものは本来過ちや騒動を起こすものなのである。問題は、壊れた弁とか不充分な防護壁ではない。地震や津波ですらないのだ。

問題の本質は、どうしても過ちを犯す人間というものと、人間にはとても制御しきれない原子力というものは根本的に相容れないということなのである。フクシマの教訓とはまさしくそこにあるのであり、世界はその教訓を生かし始めているのである。

(ジョナサン・シェル 1943年NY生まれ。米国の反核運動に影響を与えたジャーナリストとして知られる。『地球の運命』(''The Fate of the Earth'')や『時の贈り物』(''The Gift of Time.'')などの著書がある。)

==共同

(翻訳 田中泉 乗松聡子)


OPINION: Nuclear power requires perfection

By Jonathan Schell

NEW YORK, June 24, Kyodo

http://english.kyodonews.jp/news/2011/06/99203.html

It has been three months since the Fukushima nuclear power disaster, and a clear global consequence is emerging.

The ''nuclear renaissance'' that supposedly was getting under way before the accident looks as though it has been stopped, and the world may even have begun the long process of getting out of the nuclear power business altogether.

In Japan, of course, all of nuclear power is under review, and Prime Minister Naoto Kan has had to assure the country that he will step down after the Fukushima crisis is over.

In Italy, the people have voted down nuclear power. The Swiss parliament has set the same course. Germany will phase out nuclear power altogether.

The German case is of special historical importance. In 1938, the chemist Otto Hahn first split uranium atoms, releasing the energy in them, making possible both nuclear power and nuclear bombs.

In this respect, the nuclear age began in Germany. Will it also end there?

However that may be, it is interesting to inquire how this result is being reached. The basic answer is not that governments have reconsidered. Ordinary people have.

The reversal in the German policy came after the ruling party suffered defeats in local elections. In Italy, it was the voting public that vetoed the government's plans.

Ordinary people are not nuclear experts. But they know some things that many experts prefer to forget. They know that even in the best-run enterprises, things go awry.

The contractor takes a kickback. The operator at the control panel falls asleep. The battery runs out sooner than expected. The scientist shades his findings because he has received a grant from the industry under inspection.

All this forms the inescapable background when the big, rare challenges arise: the earthquake, the tsunami, the airliner crash into the containment structures.

Of course the people in charge come up with new, improved safety plans -- more batteries, more generators, thicker containment walls, more security guards.

But the truth known to ordinary people is that these are subject to the same ineradicable human foibles as the old safety plans. When the stakes are a cost overrun on a factory or heavier taxes or potholes in a highway, everyone eventually accepts the cost and moves on.

But when the cost could be six nuclear reactors belching radiation wherever the winds have to carry it, rendering large territories uninhabitable, the cost is too high.

Nuclear power requires perfection. But human life is a scene of error and turmoil. The problem is not a broken valve or an inadequate flood wall or even the earthquake or tsunami.

It is the fundamental mismatch between fallible human beings and a universal power that is too great for us to control. That is what Fukushima teaches and that is what the world is learning.

(Jonathan Schell, born in New York in 1943, is known as a journalist who has had influence on antinuclear movements in the United States. He has written books such as ''The Fate of the Earth'' and ''The Gift of Time.'')

==Kyodo

1 comment:

  1. 大学時代に経験した「科学者は・・・研究結果を隠す」実例をひとつ。

    大学では応用化学を専攻、2年(1976年)のときにコース分けがありました。そこで大学院の学生から個人的に話を聞いたのですが、その中のひとりは後に「環境ホルモン」と呼ばれる物質について話していました。

    彼によると、測定限度ギリギリ、おそらく測定できないほど微量でも生殖能力に致命的なダメージを与える化学物質が次々と見つかっているというのです。

    研究者やエンジニアたち自身が「生体実験」しているようなもので、化学業界では有名な話だったようです。

    その際、その学生は「外部で話すな」と釘を刺していました。そんなことを話していると会社側に知られたら就職が難しくなると考えていたようです。

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