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Thursday, February 04, 2016

「慰安婦」問題、日本の「謝罪」が犯した過ちとは デイビッド・トルバート『ハフィントン・ポスト』寄稿和訳 David Tolbert: Japan's Apology to South Korea Shows What Public Apologies Should (Not) Do (Japanese translation)

David Tolbert
 『ハフィントン・ポスト』に1月29日掲載された、「国際移行期正義センター」(ICTJ)代表のデイビッド・トルバート氏による寄稿は、昨年末12月28日発表された、「慰安婦」問題についての「日韓合意」の欠陥を明らかにし、あるべき謝罪と補償への教訓を提供する。
 この「移行期正義」という概念についてICTJのサイトでは「移行期正義とは、大規模な人権侵害の歴史を正していくため各国が実行してきている裁判による、または裁判にはよらない方策を指す。これらの方策は刑事訴追、真実和解委員会、補償計画、さまざまな種類の組織改革などが含まれる」と定義している。日本語でも専門書が出ているようだ。
 また、この文の最後の方で触れられる、日本が国際刑事裁判所の「被害者信託基金」に財政的貢献をしたという件だが、外務省のサイトに記述がある。これは2013年9月26日安倍首相が国連総会で「女性と人権」を強調した演説をする際に、この「被害者信託基金」に1億円の拠出をするとの報道がされ、日本軍「慰安婦」問題とその歴史を否定するような発言で批判されていた日本のイメージアップのために行ったのだろうと言われていた件である。トルバート氏はこの資金拠出を評価することで逆に日本に、「慰安婦」問題で正しい謝罪と補償をせよと重圧をかけているのだろう。


(前文、翻訳:乗松聡子 翻訳はアップ後微修正することがあります。)

原文は
Japan's Apology to South Korea Shows What Public Apologies Should (Not) Do

日本の韓国への謝罪は、公的謝罪が行うべきことと行うべきでないことを提示する
第二次世界大戦中の「慰安婦」に対して軍が犯した性的奴隷化に対する最近の日本から韓国への物議を醸した謝罪は、戦争中の犯罪や深刻な人権侵害についての重要な問題を提起した。このような大規模な人類に対する罪における謝罪の適切な役割とは何だろうか?謝罪というものが何を達成できるのか、そして生存者や被害者にとってそうではあってはならない謝罪とはどんなものなのか?
先日の日本の謝罪は、日本と韓国の間で交わされた地政学上の戦略的取引と見る人もおり、韓国における生存者46人と、戦争中日本に占領された他の国の被害者たちからも抗議を受ける結果になった。
ICTJ(国際移行期正義センター)が過去15年間50か国以上における被害者への補償に取り組んできた経験にもとづけば、多くの被害者にとって、謝罪以外の補償の形を伴わない謝罪は正義として成り立たないことがわかっている。賠償金といった実質的な補償も、意味のある形で責任を認めることなしにはその目的を達することはできない。

第二次世界大戦前と最中、日本帝国軍によってアジアの20万人と推定される女性たちが性奴隷となることを強いられた。日本は占領地全般において組織的に広大な「慰安所」ネットワークを築き、「慰安婦」が人身取引され、性奴隷として使われた。これらの「慰安婦」の多くは奴隷とされた時点でかろうじてティーンエイジャーという年齢で、今生存している少数の女性たちは高齢で数も減ってきている。
今まで日本政府のいろいろな高官たちがさまざま形で遺憾の念を表現し、「慰安婦」制度運営における日本軍関与を認めてきたが、直近のものを含めてどれもこれらの人権侵害に対する日本の国家としての責任を無条件に認めるものではなかった。
最近の「謝罪」の一環として、日本は生存している韓国の被害者に医療、介護といった援助をするための基金の設立に10億円を約束した。韓国はそのかわり、補償に対する要求を「不可逆的」に取り下げ、この件について一切の日本の批判をやめ、韓国人「慰安婦」被害者たちによって2011年ソウルの日本大使館前に建てられたを撤去するとの約束をした。
この合意は、「慰安所」(または売春宿)の制度を開始した国家責任を完全に認めるのではなく、韓国の女性たちを性奴隷に強いたことにおける「軍当局の関与」に対する「心からお詫びと反省の気持ち」を示しただけであった。被害者と支援者によれば、これは完全で意味のある謝罪には程遠い。これは性奴隷制度を創設して維持した日本の役割を認めていない。人権侵害に対する法的責任も認めていない。公的謝罪というものは「事実を認め責任を受け入れること」でなければいけないという国際人権規範における基準を満たしていない。
国際移行期正義センター(ICTJ)の最近の報告「言葉以上に:償いの形としての謝罪」で我々が解説しているのは、最も意味のある公的謝罪というものは、人権侵害に対する責任を明確に認め、生存者や被害者とその家族の継続する苦しみを認知するものであるということだ。
この報告が示すように、大規模で組織的な戦争犯罪や人権侵害への謝罪は、生存者や被害者とその家族に相談し、その謝罪の形式、内容、タイミングがその人たちにとって最も意味のあるものになるようにした上で行われるべきものである。
日韓の「慰安婦」生存者への謝罪の場合このようなものではなかった。日本の首相と韓国の大統領の間で交わされた合意に含まれなかったアジアの他地域すべての生存者にとってももちろん違った。この謝罪の試みは、被害者に助言を求めた結果ではなく、米国の勧めによって行われたようである。「慰安婦」被害者に正義をもたらすという動機よりも(そういう動機が少しでもあったとしたら)、日韓の緊張(領土問題や未解決の歴史問題をめぐるものを含む)緩和という必要性に動機づけられたものであった。
ICTJの報告書が強調するのは、謝罪というものは真相究明を終わらせたり被害者が真実を訴えることを抑圧したりするものであってはならない。謝罪とは、紛争に関連する犯罪や国家の名の下に行われた人権侵害に対する社会全体としての決着(reckoning)を促進しなければいけない。謝罪というものは説明責任の空間を開くものであって、閉じるものであってはならない。

当然ながら謝罪というものは、記念碑やモニュメントといった、人権侵害が忘れられないことを確実にするための対策ーーとりわけ被害者自身によって建てられたものである場合――を撤去したり価値を低めたりするために使ってはならない。
また謝罪というものは、同じ人権侵害の被害者間で差別するようなものであってはならない。まさに日本が中国、フィリピン、東ティモールなど他のアジア諸国の被害者への言及を怠ったことは、この謝罪が過去の過ちを誠実に認めるというよりも主に政治的便宜に動機づけられたものであるという見方を裏付ける。事実上被害者間での区別を行ったことで、この謝罪表示は公的謝罪の精神にも目的にもそぐうものではない。

最後に、謝罪というものは、本来それが伝え象徴するはずの「もう二度としません」という約束と矛盾する他の目的のための道具とされてはいけない。過去の犯罪への謝罪が現在の地域安全保障上の緊張を減らすことはまずない。それどころか緊張をエスカレートさせるかもしれない。これは謝罪の意義を損なうだけではなく、被害者たちの何十年にもわたる正義への要求の価値を低めることによってその謝罪を覆すようなものだ。

日本は、国家による疑いようのない責任の確認をともなう償い計画の一部として、占領中に行われた人権侵害に対する謝罪の最近の例から学ぶことができるのではないか。2013年英国政府は、英国のケニア植民支配に対する反植民地主義運動を支持したと疑われ拷問と虐待を受けたケニア人たちに対して謝罪した。英国は謝罪に加え、記念碑作成に対して資金を提供し、生存者たちに補償金を支払った。1991年、チリのパトリシオ・エイルウィン大統領は、ピノチェト独裁政権が犯した人権侵害に対して国家を代表して謝罪した。エイルウィン大統領は、これらの人権侵害行為に国が責任を持つことと、政府職員が強制的失踪、拷問、超法規的殺害を行ったことを明らかにした。大統領は謝罪に続き、議会に対し補償計画とそれを実行する組織を創設するための法案を提出した。その法案は成立し、現在も被害者への支援を提供し続けている。
日本政府は国際刑事裁判所を創設したローマ規程の、移行期正義の一要素としての補償促進において建設的な役割を果たした。2014年には日本政府はこの規程により補償メカニズムとして創設された「被害者信託基金」に重要な財政的貢献をした。日本はこの寄付金を「性的またはジェンダーにもとづく暴力の被害者に割り当てる」ようとの要望まで出したのである。言い換えればこのことは、政治的、外交的および安全保障上の課題が「慰安婦」被害者に対する謝罪への日本の拒絶と躊躇を特徴づけているにもかかわらず、日本は、戦争における性的およびジェンダーに基づく暴力に取り組む重要性だけでなく、被害者が補償を受ける必要性まで認識しているということを示している。
国連と各国政府は今こそ介入し、日本政府に対し、これだけ何年も時間が経った後、今こそ疑いようのない形で「慰安婦」被害者に過去の性奴隷犯罪に対する責任を認め、効果的な補償計画をともなう完全かつ意味のある謝罪を行うことを求めるべきである。

原文は
http://www.huffingtonpost.com/david-tolbert/japans-apology-to-south-k_b_9111566.html

デイビッド・トルバート氏のプロフィールは
http://www.huffingtonpost.com/david-tolbert/




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