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Monday, May 14, 2018

「天皇の呪縛」を解いたきっかけ - 高實康稔さん追悼集 『ゆるぎない歴史認識を』より Collection of Essays to Remember Yasunori Takazane


このブログでは何度も紹介してきましたが、「岡まさはる記念長崎平和資料館」の理事長で、昨年4月7日に亡くなった高實康稔長崎大学名誉教授(フランス文学)の一周忌を記念する追悼集会に先月、行ってきました。この集会に合わせて出された追悼集『ゆるぎない歴史認識を』(写真)に寄稿した小文(72-73ページ)を紹介します。



「天皇の呪縛」を解いたきっかけ


 いま、2016年10月23日にいただいたものが最後となった、高實さんとのメールのやり取りを見直しているところです。メールをするたびに、申しわけないと思うほど丁寧で心のこもったお返事をくださいました。きっとそう思っていた人は私だけではないはずです。私はきょう、この文集のスペースをお借りして、本当に届くと自らに言い聞かせながら、高實さんに「最後のメール」を送りたいと思います。

 10年余にわたり、アメリカン大学と立命館大学合同の「広島・長崎学習の旅」に主に通訳として参加してきましたが、その旅の一環として2007年に初めて「岡まさはる記念長崎平和資料館」と出会い、8月9日の早朝集会にも参加するようになりました。振り返れば、資料館と、毎年8月9日の「メッセージ」と、高實さんとのメールのやり取りから学んだことが今の自分の生き方と活動の基礎となったと言えると思います。

 特に恥ずかしさと共に思い出に残っているのは、2009年の7月17日にいただいたメールでした。約10年間の交流の中で、高實さんに苦言をもらったのは後にも先にもこのときだけだったと思います。明仁・美智子夫妻がカナダを訪れるときに、アジア系の仲間たちと一緒に「公開書簡」を出しました。それは、天皇による戦争被害者に対する一連の「慰霊」行為を評価し、日本の侵略戦争の被害者に正義と癒しがもたらされることの必要性を訴え、9条を守る平和運動への支持を求めるものでした。

 高實さんは、「天皇制が犯した言語を絶する惨い戦争犯罪」の被害者に関心を持たせるとの意図には賛同しつつも、実質的にはこの書簡が、天皇に戦後憲法上許されない「権威」を与えてしまっていることを気づかせてくれました。「外国訪問自体、一つの政治行為である」と指摘し、現在も天皇が現実的に持つ、「象徴」では言い表せない「『権威』の根深さ」や、「日本の社会に深く息づく、天皇制のもつ恐るべき下地」を考えると、「支持」や「理解」を天皇に求めるような行為は「慎重のうえにも慎重であるべき」と言われました。

 当時、私自身が高實さんの指摘される「天皇制の見えざる呪縛」の中にいたのです。振り返れば、そこを起点として私は「呪縛」から自己を解放するプロセスを開始したと思います。今その時の書簡を読み返すと穴があったら入りたいとさえ思いますから!昨今、「護憲派」とされる日本の識者たちが次々と天皇賛美に走る姿は、あの頃の自分と重なります。だからこそあのとき厳しく軌道修正のきっかけを与えてくれた高實さんに感謝しています。

 このときのお礼をいつか高實さんに伝えたいと思っていました。今、「わかってくれてよかったです」と微笑む高實さんのお顔が目に浮かびます。2016年の8月9日11時2分前後は、私は長崎市の公式の式典を避け、朝鮮人被爆者を記憶する岡資料館にいました。高實さんには特別展示「弾圧に抵抗し、戦争に反対した人たち」の説明をしてもらいました。あの時、スタッフ以外誰もいない資料館で、高實さんと一対一で静かに過ごした時間が、どれだけ貴重なものだったか、翌年4月に、知ることになりました。

 「最後のメール」、読んでくださりありがとうございました。高實さんから教わったことを胸に一歩一歩進んでいきます。

乗松聡子
(カナダ・バンクーバー市)

高實さんの追悼文集を希望する人は岡まさはる資料館に連絡してください

★★★
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