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Saturday, March 23, 2019

『歴史地理教育』連載「“カナダの一日本人”の目線」①~⑥ "History and Geography Education" Journal column series

歴史地理教育 2019年3月号
(3月25日、団体紹介の引用部分を変更しました)
70年の歴史を持つ「歴史教育者協議会」のHPにおける団体紹介より:


 歴史教育者協議会は1949年7月14日に誕生しました。その後、60年を超える歩みをへて、2011年4月1日に、「一般社団法人 歴史教育者協議会」へ移行しました。全国の都道府県組織と地域・学園ごとに支部組織をもち、1600ほどの会員と、2000を超える月刊誌『歴史地理教育』の読者をもち活動しています。『歴史地理教育』は年3回、増刊号も発行しており、2018年3月号で通巻876号となりました。歴教協では、すべての子どもたちが主権者として育っていけるような、楽しくわかる社会科の授業づくりに取り組んでいます。また、地域の民衆の生活と歴史を掘りおこし、深く歴史と現代を学ぶ活動をすすめています。会員には、幼稚園から大学までの教員をはじめ、歴史教育や歴史の学習・研究に関心をもつ多くの市民が加わっています。

歴史地理教育』に2018年10月号から2019年3月号まで、「世界を歩く」というシリーズの一環として「”カナダの一日本人”の目線」というタイトルで6回連載させていただきました。許可を得て、ここに一挙転載します。


第一回 バンクーバーで子育てをして 

私は高校時代の二年、そして、就職・結婚した後、大学院留学をきっかけに、夫とともに一九九七年バンクーバーに渡って以来、通算二三年カナダの西海岸に住み、二人の子どもをこちらで産み、育ててきました。

 二一年前、カナダに入国したとき、上の子(現在は大学生)はお腹の中にいました。妊娠期の前半は日本、後半はカナダと分けて過ごしたため、「妊娠・出産」についての両国の姿勢の違いを肌で感じました。

例えば、産前教育のことを、日本では「母親学級」と呼び、妊娠した本人を対象としていたのに比べ、カナダでは「プリネイタル・クラス」と称し、お産を一緒に行うパートナーと参加することが前提でした。その「パートナー」も、赤ちゃんの父親であるときが多いですが、それが同性愛のパートナーだったり、シングルマザーの場合は女友だちであったりします。

 私の夫は、私と出会うまでは海外に行ったこともなかった日本人男性ですが、カナダで出産・子育てを共に経験することで、日本に根強い「出産や子育ては女の役割」という考えを自然に取り払うことができたようです。もちろんそれは性差や役割分担の否定ではありません。母乳育児を重視した私は、ときには哺乳瓶でミルクをあげたかった夫の期待をよそに(笑)、「ラ・レチェ・リーグ」という、米国発で世界に広まった母乳育児運動のグループに参加して、上の子も下の子も合計三年半ずつ母乳を与えました。

 お産自体も、医療主導のお産を拒み、主体的なお産を求める母親たちに影響を受け、下の子(現在は高校生)のときは独自の「バース・プラン」を実行しました。

好きな音楽をかけて好きな香りを焚いて、そのときの自分に合う体位で産むなど細かい計画を作り、医療的介入はどのような場合にどう受け入れるかの希望を、あらかじめ担当医と話し合った上で合意しておくのです。

 教育においても、カナダでは「不登校」といったスティグマは存在せず、ホームスクールなどの多様性が認められているのは知っている人もいるかと思いますが、先に触れた母乳育児運動の親たちが、独自グループを作り、地元の教育委員会に承認させ、予算まで獲得し、事実上自分たちだけのミニ学校を作っていたのにはさすがに感服しました。

このような社会の中で私が身に着けていった姿勢は、 What works for you is the bestということです。社会的規範にとらわれず、自分に合った方法を求め実践していくという勇気と自信をつけたと思います。

(2018年10月号掲載)


第二回 移住したのは植民者の国

  二〇〇七年、「ピースボート」に招かれて、メキシコのアカプルコから地元バンクーバーまで、一週間船上講師を務めたことがあります。講座の一つとして「カナダの多文化主義」について話しました。イギリス系とフランス系の共存を目指した二言語・二文化主義が発展し、一九七一年に世界初、多文化主義を国の政策として掲げた歴史を話し、カナダを多文化・多言語が比較的平和的に共存する国として、半ば自慢げに話していたと思います。

 しかし同じ船上でその後、同じブリティッシュ・コロンビア州から来ていた先住民ストーロ族の若者グループによる民族の迫害の歴史を語る発表を聞いて、頭を殴られたような気持ちになったことを覚えています。

西海岸の先住民は18世紀後半以降のヨーロッパ人入植者との接触以来、持ち込まれた天然痘などの伝染病により人口が激減、土地を奪われ、同化政策によって言語、文化、誇りを奪われるといった歴史をたどりました。そのことは知識としては持っていました。

しかし、自分の中ではなぜかその歴史が、現在のカナダの多文化共存というイメージと乖離していたのです。自分の講座では、自分はカナダにおけるアジア系の少数派の一員という認識で話しましたが、ストーロ族の若者の涙を見て、先住民の問題は現在進行形であり、自分は先住民の土地の上に住む後発の植民者に過ぎないということを自覚したのです。

 今も、先住民は、貧困、アルコールやドラッグ中毒、高い自殺率や犯罪率(被害と加害の両方)などの社会的問題を抱えています。特に、一九世紀の半ばから一世紀余にわたり、先住民の子どもたちを親元から引き離し、キリスト教会が運営する寄宿学校に入れ、精神的、物理的、性的虐待を加えました。この制度の被害者とその子孫に引き継がれるトラウマは根深いものがあります。最近の移民だから関係ないということは許されず、カナダの住民である限り、先住民の問題は自分の責任として取り組まなければと思います。

 カナダを自然豊かで人々は優しく、平和な国と思っている人もいるかもしれないですが、この国は実は、先住民の命と誇りを踏みにじって建国した植民地主義の国なのです。ジャスティン・トルドゥー首相は昨年(二〇一七年)の国連総会演説で、先住民をカナダ政府の「被害者」であると明言し、先住民の権利を守り自己決定権を実現できるようにしていくことを誓いました。まだまだ道のりは遠いですが、カナダ社会の一員としてできることをしていきたいと思っています。

(2018年11月号掲載)


第三回 カナダ留学で知った日本の歴史

私は異文化間コミュニケーションを大学で教えていたこともあり、今でも時折、日本から短期留学で来ている中高生グループに、ワークショップをすることがあります。

二年ほど前、関東地方のある高校向けのセッションで、生徒に、「世界地図を書いてみてください」と紙を渡したら、太平洋と日本を中心に書くようなパターンが多かったですが、一人の男子生徒の「世界地図」には驚きました。紙一杯に日本列島が描いてあったのです。受け狙いかと思ったら、彼は大真面目で、これが本当に「世界」だと言い、おまけに、「竹島」と「尖閣諸島」を、強調していました。

その開き直った日本中心主義には驚きを隠せませんでしたが、ふり返ってみれば、この生徒と同い年ぐらいの17歳で初めてカナダの地を踏んだ自分も大差なかったのかもしれません。私は高校二年、高校三年を、今住むブリティッシュコロンビア州の州都であるビクトリアにある学校で、五大陸、七〇か国から来た二〇〇人の学生とともに寮生活をしました。そこで学んだのは、自分の知らなかった日本の歴史でした。

同部屋だったシンガポールのヘレンは、仲良くなったあと、戦争で日本軍がやってきて、赤ん坊を銃剣で突き刺して放り投げたというようなことを私に語りました。初めての彼氏だったフィリピンのイギーは、私に、「日本人でもいい人がいるんだと思った」と言いました。すでに自国で作家活動をしていたインドネシアのレイラは、私に、「ロウムシャ」という言葉はインドネシアの人は皆知っているよ、と教えてくれました。

日本にいたころは歴史に興味があり、カナダに行ったら、広島・長崎の原爆投下や被爆者の苦しみについて伝えなければいけないといった純粋な気持ちがありましたが、大日本帝国軍が他国にした加害行為というのは全く日本の学校で学んでおらず、初めての先生は、この東南アジア出身の友人たちだったのです。

この時の経験が、いまの自分の基礎になっていると思います。日本人というよりはアジア人というアイデンティティに親近感を感じますし、カナダに通算二三年住んでいるので「カナダ人」であるという感覚も持つようになりました。そして、この国でマイノリティの一員となり、日本で日本人をやっていたときにはわからなかった、在日コリアンや、沖縄、アイヌの人たちが置かれてきた立場というものに思いを寄せるようになりました。

このような自分になれたことが、長いカナダ生活の一番のギフトであると今は思っています。

2018年12月号掲載)


第四回 いじめているのは誰?

 最近、吹田市の中学校教員が授業で日本軍「慰安婦」問題を取り上げていることで激しいバッシングを受け、保守系の大阪府議や大阪市長までもがその教師を問題視するような発言をしているということを知り、背筋が凍りました。日本は今、教室で過去の日本の加害行為を教えたら官民の圧力にさらされるような状況なのです。

 私の子どもたちは、アジア系移民の多いバンクーバーで、華人系、コリア系、インド系、フィリピン系などの子どもたちに囲まれながら、日系カナディアンとして育っています。

教室では、カナダ植民者が先住民にしたこと、戦時中の日系カナダ人強制収容なども学びます。歴史はその暗部も含めて学ぶのがカナディアンとしての責任ですし、ましてやそれで教師が脅迫を受けるようなことはありません。

公立高校の社会科の選択科目として「先住民学」もあります。自国の植民地主義の歴史を教えるわけですから、日本の高校で、アイヌ、朝鮮、琉球等の植民地支配の歴史を学ぶ科目があるようなものでしょう。いま高校三年の娘が取っている社会科科目は、「Social Justice(社会正義)」と「Asian Studies (アジア学)」です。

娘は先日、社会正義の授業でエスノセントリズム(自民族中心主義)について発表をすることになり、私が前回の記事で触れた、「世界地図を書くように言われ日本地図を紙一杯に書いた日本の高校生」の話を例として挙げたそうです。「アジア学」は、アジア全般の歴史や社会を学ぶ講座ですが、先日娘はその日教わった「731部隊」の話を夕食中にし始めて、かなり詳しく教わっていたので感心しました。

そこで思い出したのが、二〇一五年当地で起こった「慰安婦像」を巡る議論でした。隣町のバーナビー市が、韓国の姉妹都市との交流の一環として、日本軍「慰安婦」の歴史を記憶するための「平和の像」を公園に建てようとしたところ、日本の排外主義者の影響を受けた地元の日本移民らが「日本人や日系人の子どもが学校でいじめられる!」と言って反対運動を展開しました。

しかし、娘のアジア学のクラスは娘以外はほとんど華人系と聞いていますが、「731部隊」を勉強して日系の娘がいじめられるようなことはありません。息子も大学で日本と中国の近現代史を勉強しており、友人は中国、台湾、ベトナム系などアジア系ばかりですが、歴史問題でいじめられたことなどありません。

私も、地域で、日本軍「慰安婦」や「南京大虐殺」を学ぶような会に参加しても、感謝されこそはすれ、いじめられるようなことは一切ありません。逆に、私を「反日」といってバッシングしている人たちの言動のほうがよほど「いじめ」に近い。冒頭の吹田の先生に対する攻撃もそうでしょう。いずれも、歴史を語らせまいとする、日本人による「いじめ」なのです。

(2019年1月号掲載)


第五回 カナダで記憶する日本の戦争

ここ数年、バンクーバーの日本移民、日系人は、日本で「南京大虐殺はなかった」「“慰安婦”に強制がなかった」等の主張をする人々が呼ぶところの「歴史戦」に巻き込まれています。二〇一五年には「慰安婦」の歴史を刻む「平和の像」建立に、そして二〇一八年には地元選出の国会議員ジェニー・クワン氏が提唱する「南京大虐殺の日」に対し、日本政府や右派の影響を受けた現地の日本移民・日系人中心に、反対グループが結成され、地元の日本語媒体が毎号のように「南京大虐殺記念日制定反対」特集を組んでいます。その中には、史実自体を否定する言説が頻出しています。

 私は、たとえば「ホロコースト」を記憶する行為にドイツ系の人間が反対するのがおかしいように、このような動きに日系人が反対するのはおかしいのではないかとの思いから、反対運動を批判してきました。戦時日系カナダ人強制収容の体験を基に書いた『OBASAN』という作品で有名な作家ジョイ・コガワ氏も、記念日に賛同していることから、反対派の人たちは、コガワ氏や私を標的にした非難、中傷にも余念がありません。

 しかし、私にとって重要なのは、記念日の制定よりも、広島と長崎の原爆の被害者を悼むのと同様に、南京大虐殺の歴史を学び、被害者に思いを馳せ、このような歴史を二度と繰り返さない決意を新たにすることです。そのような意味を込めて、一二一一日、日系、華人系、ヨーロッパ系など多彩なカナダ人の仲間たちと南京大虐殺追悼集会を行いました。

一一月二八日、ジェニー・クワン議員は連邦議会で「南京の日」の動議を出しましたが、必要とされた全会一致は得られませんでした。しかしジャスティン・トゥルードー首相はこのような発言をしたのです。

「議長、もちろん私たちは南京で八〇年前に起こった恐ろしい出来事の数々を強く非難する気持ちがあります。これだけ多くの非戦闘員が被った命の損失や暴力を決して忘れてはいけないということは全てのカナダ人が賛成できることでしょう。私たちはこれらの恐るべき行為をこれからも決して忘れません。被害者と生き残った人々をどう記憶していくかは、真の和解の精神に基づいて取り組まなければいけません。」

当事国の中国や日本ではない、第三国の首相が、国会において南京大虐殺の史実を認め、記憶継承の重要性を語ったことは画期的でした。カナダはすでに、国外で起きた大量虐殺事件を五件、国会で承認しています。人権侵害を世界規模で捉えるという姿勢なのです。

(2019年2月号掲載)

第六回 大胆不敵な博物館

 二〇一八年七月、マニトバ州の州都ウィニペグにある「国立カナダ人権博物館」を初めて訪問しました。二〇一四年にオープン、首都オタワ以外に位置する初めての国立博物館で、その目的を、「特にカナダ国内、しかしそれに限らず幅広く人権問題について探索し、人権についての公衆の認識を高め、他者の尊重、そして内省と対話を奨励する」としています。

 総予算約三〇〇億円、総床面積二万四〇〇㎡の博物館は外から見ると巨大なリンゴのような建築で、七階建ての一番下から、フロア間をつなぐランプを上りながら一三にも上るギャラリースペースを見学します。最後は高さ一〇〇mの、創始者である弁護士・実業家のイズラエル・アスパー氏(故人)の名を冠した「希望の塔」を上って博物館体験を締めくくる仕組みになっています。

 アートとマルチメディアをふんだんに使った展示内容は、「人権とは何か」、「先住民の視点」、カナダの人権問題を扱う「カナディアン・ジャーニー」、「ホロコーストを知る」、「国連人権宣言とその後の歩み」、世界中の人権問題を扱う「沈黙を破る」から、終盤は現在・未来志向の行動を促進する内容となっています。

 国内問題は、先住民迫害を筆頭として、女性、性的少数派、障がい者、日系カナダ人強制収容など人種差別政策等を展示。国外では、ホロコースト、アルメニア人虐殺、ホロモドール(旧ソ連下のウクライナ人居住地域の大飢饉)、ルワンダ大虐殺、スレブレニツァの虐殺(ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争におけるムスリム大量虐殺)という、カナダ議会で承認した国外の事件を重点展示していました。それに加え、インテラクティブ・マップで世界中の人権侵害を紹介しており、その中には日本軍「慰安婦」問題もありました。

 私はここで二日間過ごしましたがそれでも見足りませんでした。しかし、私が博物館の規模以上に圧倒されたのは、その大胆不敵とも言える、国内外の人権問題網羅の試みでした。これだけの多民族社会において、どの民族の歴史をどのように展示するかなど、コンセンサスが取れるはずはありません。案の定、計画の段階から今に至るまで、展示の「偏り」については様々なな批判や論争があるようです。私も見ながらいろいろ不満を感じました。

 みなさん、それらが何か知りたいですか。ぜひカナダに来てこの博物館を見てください。そして何がいいのか、何が足りないのか、大いに語り合いましょう。それこそがカナダ体験の醍醐味と言ってもいいのかもしれません。(終)

(2019年3月号掲載)

カナダ人権博物館 外観


カナダ人権博物館「沈黙を破る」(Breaking the Silence)セクション
カナダ人権博物館「カナディアン・ジャーニー」セクション


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