This is a review by NARUSAWA Muneo of the new book "Re-thinking Atomic Bombings of Hiroshima and Nagasaki - Japanese and US Perspectives" written by KIMURA Akira and Peter KUZNICK (Horitsu Bunkasha, 2010), in December 24, 2010 edition of Shukan Kin'yobi, a Japanese weekly magazine. This is in Japanese only. For a bilingual review of this book, see Chugoku Shimbun's TASHIRO Akira's at this LINK.
『週刊金曜日』2010年12月24日号に掲載された成澤宗男氏による書評です。
『広島・長崎への原爆投下再考 日米の視点』木村朗/ピーター・カズニック著。乗松聡子訳。法律文化社。2800円。
「原爆神話」を完膚なきまでに
いったい歴史とは何なのか。人々の記憶はどう受け継がれていくのか――。本書を読むと、日本人が毎年八月の二日間、神妙な顔をして「悲願」だの「唯一の被爆国」だのといったといった用語を口にする原爆投下の日を「記念」する様を思い浮かべて、どうしてもこのような根源的な思いに至る。犠牲者のあまりの多さと、生き延びてさえ現在もなお続くような苦痛の底知れなさに比べ、あまりに思考が浅すぎるのではないか。
なぜ原爆が投下され、なぜそれが一発ではなく二発で、なぜいまだに米国民の六割以上がそれを正当化していることに抗議と反論ができないのか?こうした設問に、どれほどの日本人が満足に回答できるだろう。
日米両国の研究者執筆による本書は、米国人の無恥と日本人の無知によって戦後六〇年以上も健在でいられる原爆投下を正当化し、かつそれに本質的な批判ができないままでいる「原爆神話」を、完膚なきまでに破壊するはずだ。
そこで示された歴史的事実を知るなら、自分の処遇だけにこだわってダラダラと降伏を引き延ばし、原爆投下に至らせた天皇を「聖断」を下したなどと讃える日本人の愚かさが際立つ。
そして軍事的には不要だったウラニウム型とプルトニウム型からなる原爆投下の真の目的が核兵器の威力を試す人体実験であったことから、当時の大統領トルーマンがヒットラーに劣らぬ最大の戦争犯罪者であるという認識を新たにするだろう。加えて、米国という国家の本質が史上類を見ない残虐性で特徴づけられ、さらに「原爆神話」が続く限り、現在の国連常任理事国を中心とした核武装への批判も不可能であるという結論も導かれるのだ。 【成澤宗男】
(「週刊金曜日」二〇一〇年 一二月二四日発行・八二九号)
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