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Friday, April 22, 2011

大江健三郎「歴史は繰り返す」(『ニューヨーカー』誌寄稿)和訳紹介 Oe Kenzaburo in the New Yorker: History Repeats

3月25日を振り返っている。ひと月も経っていないのに遠い昔のようだ。こう書いた

「福島」は、「広島」、「長崎」に続き、日本の3つめの大規模核被害地となった。違うといえば、今回は自らが落としたものであるということだ・・・

平和憲法を掲げ、非核三原則をとなえて歩んできた66年の結末。今までやってきたことは一体何だったんだという根本的な問いに面している。

長い長い期間をかけて、被害者の人たちに、子どもたちに、孫たちに、海に、山に、畑に、償っていかなければいけない。
この日、『ニューヨーカー』誌の大江健三郎さんの寄稿文が目に入った。3月28日付の文だが25日の時点でもうネットに出ていた。「原子炉の建設はこのような(原爆の)人命軽視の過ちを繰り返すことであり、広島の犠牲者への最大の裏切りである。」この一文に胸をえぐられたような想いになり、感極まった。この文で尊敬する故加藤周一さんに触れていたこともあった。震災・原発事故以降、加藤さんなら今の状況をどう見るだろうか、どう発言するだろうかと考えながら過ごしてきた。また、『ニューヨーカー』は、1946年、アメリカ人に広島のキノコ雲の下で何が起こったかを初めて伝えた歴史的名著であるジョン・ハーシーの『ヒロシマ』が一挙掲載された雑誌でもある。大江健三郎さんが65年後、「広島の犠牲者への最大の裏切り」を語る記事が掲載されたのが、奇しくも同じ雑誌であったということにまたやるせない想いを抱いた。アメリカが伝えた「ヒロシマ」から、日本が自ら招いた核の惨禍「フクシマ」へ。大江さんは、もしかしたらそれを意識して『ニューヨーカー』誌に寄稿したのかもしれないと思った。

今日、一部を翻訳して紹介したままになっていた大江さんの文の全訳が届いた。第五福竜丸の被害者の一人、大石又七さんから送られたものを友人が送ってくれた。大江さんの文に大石さんのことが書いてあるので、NHK国際放送の人が大石さんのために訳したということだ。以下紹介し、英語の原文もその下に紹介する。

「歴史は繰り返す」 大江健三郎

偶然にも地震の前日、朝日新聞の朝刊に数日後に掲載される予定の原稿を書いていました。一九五四年のビキニ環礁の水爆実験で被爆した、私と同世代の船員についての記事です。彼の境遇を初めて耳にしたのは、十九歳の時。その後も彼は、「抑止力」神話と抑止論者の欺瞞をあばくことに人生を捧げています。思えば、大震災の前日にあの船員のことを思い出していたのは、ある種の悲しい予兆だったのでしょうか。彼はまた、原子力発電所とその危険性にも反対して闘っておられるのです。私は長いこと、日本の近代の歴史を、広島や長崎の原爆で亡くなった人、ビキニの水爆実験で被爆した人、そして原発事故の被害にあった人という三つのグループの視点から見る必要があると考えてきました。この人たちの境遇を通して日本の歴史を見つめると、悲劇は明確になります。そして今日、原子力発電所の危険は現実のものとなりました。刻一刻と状況が変わる中、事態の波及を抑えるために努力している作業員に対して敬意を表しますが、この事故がどのような形で収束を迎えようともその深刻さはあまりにも明白です。日本の歴史は新たな転換点を迎えています。いま一度、私たちは、原子力の被害にあい、苦難を生き抜く勇気を示してきた人たちの視点で、ものごとを見つめる必要があります。今回の震災から得られる教訓は、これを生き抜いた人たちが過ちを繰り返さないと決意するかどうかにかかっています。

この震災は、日本の地震に対する脆弱性と原子力の危険性という二つの事象を劇的な形で結びつけました。前者は、この国が太古から向き合ってきた自然災害の現実です。後者は、地震や津波がもたらす被害を超える可能性をはらんだ人災です。日本はいったい、広島の悲劇から何を学んだのでしょうか。二〇〇八年に亡くなった、現代の日本の偉大な思想家の一人である加藤周一氏は、核兵器と原子力発電所について話をした時、千年前に清少納言が書いた『枕草子』の一節を引用して、「遠くて近きもの」だとしました。原子力災害は遠く、非現実的な仮説に思えるかもしれませんが、その可能性は常にとても身近なところにあるのです。日本人は、原子力を工業生産性に換算して考えるべきではありません。広島の悲劇を経済成長の見地から考えるべきではないのです。地震や津波などの自然災害と同じように、広島の経験は記憶に深く刻まれているはずです。人間が生み出した悲劇だからこそ、自然災害よりも劇的な大惨事なのです。原子力発電所を建設し、人の命を軽視するという過ちを繰り返すことは、広島の犠牲者の記憶に対する、最悪の裏切り行為です。

日本が敗戦を迎えた当時、私は十歳でした。翌年、新憲法が公布されました。その後何年にもわたって、軍事力の放棄を含む平和主義を明記した我が国の憲法や、その後の「核兵器を持たず、作らず、持ち込まさず」という非核三原則が、戦後の日本の基本理念を正確に表現しているのか自分に問い続けました。あいにく、日本は徐々に軍事力を再配備し、六十年代の日米の密約によって米国が日本列島に核兵器を持ち込むことが可能となり、それによって非核三原則は無意味となってしまいました。しかし、戦後の日本の人道的な理想は、完全に忘れ去られたわけではありません。死者が私たちを見守り、こうした理念を尊重させているのです。そして、その人たちの記憶があることによって、政治的現実主義の名のもとに核兵器の破壊力を軽んじることができません。私たちは矛盾を抱えています。日本が米国の核の傘に守られた平和主義国家であるというその矛盾こそが、現代の日本の曖昧な立場を生み出しています。福島の原発事故がきっかけとなり、いま再び日本人が広島や長崎の犠牲者とのつながりを復活させ、原子力の危険性を認識し、核保有国が提唱する抑止力の有効性という幻想を終わらせることを願います。

一般的に大人であると見なされる年齢の時、『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』という小説を書きました。そして人生の終盤に差しかかった今、『後期の仕事(レイター・ワーク)』を執筆しています。今の狂気を何とか生き延びることができれば、その小説の出だしはダンテの『神曲』地獄篇の最後の一行からはじまるでしょう。--かくてこの處をいでぬ、再び諸々の星をみんとて。

The New Yorker

History Repeats

Kenzaburo Oe

March 28, 2011 .

By chance, the day before the earthquake, I wrote an article, which was published a few days later, in the morning edition of the Asahi Shimbun. The article was about a fisherman of my generation who had been exposed to radiation in 1954, during the hydrogen-bomb testing at Bikini Atoll. I first heard about him when I was nineteen. Later, he devoted his life to denouncing the myth of nuclear deterrence and the arrogance of those who advocated it. Was it a kind of sombre foreboding that led me to evoke that fisherman on the eve of the catastrophe? He has also fought against nuclear power plants and the risk that they pose. I have long contemplated the idea of looking at recent Japanese history through the prism of three groups of people: those who died in the bombings of Hiroshima and Nagasaki, those who were exposed to the Bikini tests, and the victims of accidents at nuclear facilities. If you consider Japanese history through these stories, the tragedy is self-evident. Today, we can confirm that the risk of nuclear reactors has become a reality. However this unfolding disaster ends—and with all the respect I feel for the human effort deployed to contain it—its significance is not the least bit ambiguous: Japanese history has entered a new phase, and once again we must look at things through the eyes of the victims of nuclear power, of the men and the women who have proved their courage through suffering. The lesson that we learn from the current disaster will depend on whether those who survive it resolve not to repeat their mistakes.

This disaster unites, in a dramatic way, two phenomena: Japan’s vulnerability to earthquakes and the risk presented by nuclear energy. The first is a reality that this country has had to face since the dawn of time. The second, which may turn out to be even more catastrophic than the earthquake and the tsunami, is the work of man. What did Japan learn from the tragedy of Hiroshima? One of the great figures of contemporary Japanese thought, Shuichi Kato, who died in 2008, speaking of atomic bombs and nuclear reactors, recalled a line from “The Pillow Book,” written a thousand years ago by a woman, Sei Shonagon, in which the author evokes “something that seems very far away but is, in fact, very close.” Nuclear disaster seems a distant hypothesis, improbable; the prospect of it is, however, always with us. The Japanese should not be thinking of nuclear energy in terms of industrial productivity; they should not draw from the tragedy of Hiroshima a “recipe” for growth. Like earthquakes, tsunamis, and other natural calamities, the experience of Hiroshima should be etched into human memory: it was even more dramatic a catastrophe than those natural disasters precisely because it was man-made. To repeat the error by exhibiting, through the construction of nuclear reactors, the same disrespect for human life is the worst possible betrayal of the memory of Hiroshima’s victims.

I was ten years old when Japan was defeated. The following year, the new Constitution was proclaimed. For years afterward, I kept asking myself whether the pacifism written into our Constitution, which included the renunciation of the use of force, and, later, the Three Non-Nuclear Principles (don’t possess, manufacture, or introduce into Japanese territory nuclear weapons) were an accurate representation of the fundamental ideals of postwar Japan. As it happens, Japan has progressively reconstituted its military force, and secret accords made in the nineteen-sixties allowed the United States to introduce nuclear weapons into the archipelago, thereby rendering those three official principles meaningless. The ideals of postwar humanity, however, have not been entirely forgotten. The dead, watching over us, oblige us to respect those ideals, and their memory prevents us from minimizing the pernicious nature of nuclear weaponry in the name of political realism. We are opposed. Therein lies the ambiguity of contemporary Japan: it is a pacifist nation sheltering under the American nuclear umbrella. One hopes that the accident at the Fukushima facility will allow the Japanese to reconnect with the victims of Hiroshima and Nagasaki, to recognize the danger of nuclear power, and to put an end to the illusion of the efficacy of deterrence that is advocated by nuclear powers.

When I was at an age that is commonly considered mature, I wrote a novel called “Teach Us to Outgrow Our Madness.” Now, in the final stage of life, I am writing a “last novel.” If I manage to outgrow this current madness, the book that I write will open with the last line of Dante’s Inferno: “And then we came out to see once more the stars.”

1 comment:

  1. もう周知のことと思いますが、沖縄「集団自決」をめぐる「大江・岩波裁判」、最高裁で大江さんが勝訴したというニュースも昨日入っていたので併記します。当然のことですが、朗報です。

    http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011042201000493.html

    東京新聞(4月22日)より

    太平洋戦争末期の沖縄戦で旧日本軍が「集団自決」を命じたとする作家大江健三郎さんの「沖縄ノート」などの記述をめぐり、沖縄・慶良間諸島の当時の守備隊長らが名誉を傷つけられたとして、大江さんと出版元の岩波書店に出版差し止めなどを求めた訴訟で、最高裁第1小法廷(白木勇裁判長)は22日までに、原告側の上告を退ける決定をした。21日付。

     集団自決に軍が関与したことを認め、名誉毀損に当たらないとした大江さん側勝訴の一、二審判決が確定した。

     軍や元隊長らによる住民への命令の有無などが争われたが、最高裁は「原告側の上告理由は事実誤認や単なる法令違反の主張で、民事訴訟で上告が許される場合に該当しない」と判断は示さなかった。

     08年3月の大阪地裁判決は「集団自決に軍が深く関与したのは認められる」と指摘。「元守備隊長らが命令を出したと断定できないとしても、大江さんらが命令があったと信じる相当の理由があった」と請求を棄却。

     大阪高裁判決も同10月、「集団自決に軍が深くかかわっていることは否定できず、総体としての軍の強制や命令と評価する見解もあり得る」と判断した。

    (共同)

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