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Tuesday, March 19, 2013

山下俊一氏らによる原発事故後の子どもの甲状腺結節のがん化についての追跡調査に対する見解: 松崎道幸

北海道の松崎道幸医師より:

「昨年山下チームの発表した論文の解説と私の見解をまとめました。
原発事故後のこどもの甲状腺結節がどれほどがん化するかについての追跡調査です。
福島の事態を解釈するうえで参考になると考えました。」

リンク歓迎。転載の場合はこの投稿のコメントとして転載先をお知らせください。

福島の甲状腺検査結果についての松崎医師による過去の投稿:

福島の小児甲状腺がんの発生率はチェルノブイリと同じかそれ以上である可能性: 福島県県民健康管理調査結果に対する見解(2013年2月16日)

福島県甲状腺検査、35%が「5ミリ以下の結節、20ミリ以下の嚢胞」-ゴメリ以上の甲状腺異常の可能性 (2012年4月28日)





 






 





 

Tuesday, March 12, 2013

新刊案内 日本語版 『沖縄の〈怒〉―日米への抵抗』 (法律文化社) Japanese version of Resistant Islands: Okinawa Confronts Japan and the United States (Rowman & Littlefield, 2012)

(3月15日追記。3月中割引の申し込み先メールアドレスが不通になっているようなのでメールアドレスを変更してあります。chongzihill@gmail.com にお願いします)

新刊案内です。 昨年8月に出した英語の本 Resistant Islands: Okinawa Confronts Japan and the United States (Gavan McCormack and Satoko Oka Norimatsu, Rowman and Littlefield, 2012)  の日本語版が出ます。Japanese version Okinawa no Ikari: Nichi Bei e no Teiko will be on sale with 20% discount (2,352 yen, including tax and shipping and handling within Japan) only for the month of March, 2013  (regular price is 2,940 yen, including tax). Direct order only. Email name, address, and phone number, and the number of copies required to info@peacephilosophy.com.


『沖縄の〈怒〉-日米への抵抗』


著者 ガバン・マコーマック+乗松聡子
法律文化社、2013年4月
A5版/274頁 978-4-589-03485-4
定価 2,940円(税込)

★★★4月刊行ですが、2013年3月中のみ、2割引き(2,352円)、送料込み(日本国内のみ)で直接販売します。chongzihill@gmail.com、送付先(住所、名前、電話番号)と冊数をメールください。(注意!出版社ではこの割引は扱いませんので、出版社の方には連絡せず、必ず上記メールアドレスにメールください。)★★★


表紙写真 豊里友行


――1952年4月28日は、日本にとっては敗戦・被占領を経て主権を回復した日だったが、沖縄にとっては日本から切り離され米軍政が継続した「屈辱の日」だった。日本本土ではこのことを知っている人はどれぐらいいるだろうか。この本を読めば、沖縄の視点から、日本近現代史が全く違って見えてくるだろう。特に、米国人読者から「胸が詰まる」との感想が届いている第9章、沖縄からの生の声は必ず読んでほしい。

 
――本書を推薦します――
 

大田昌秀 (元沖縄県知事、沖縄国際平和研究所理事長)
ついに出た必読書! 沖縄人以上に沖縄想いの県外の共著者が、鋭利な頭脳と冷徹な視点で沖縄問題を縦横無尽に剔抉、その核心に触れる問題意識と論評はきわめて説得力があり、沖縄研究上、真実の探求に不可欠な座右の書に相応しい。

高橋哲哉 (東京大学教授)
日本人よ! 今こそ沖縄の基地を引き取れ―この高まる怒りの声に、どう応えるのか。積み重なった犠牲と現在の人権侵害から、目をそらすことは許されない。加害と被害の関係を終わらせる道への示唆が、本書には溢れている。

英語版 Resistant Islands: Okinawa Confronts Japan and the United States は、ノーム・チョムスキ―、ジョン・ダワー、ノーマ・フィールドらが推薦。


――目次――

日本語版への序文(ガバン・マコーマック)
英語版推薦文

序 章 琉球/沖縄―処分から抵抗へ
翻弄される島々/国家の重圧/抵抗

第1章 「捨て石」の果てに―戦争、記憶、慰霊
戦争/住民被害/記憶

第2章 日米「同盟」の正体―密約と嘘が支える属国関係
干渉と密約/日米「同盟」/属国

第3章 分離と「復帰」―軍支配と基地被害は続く
「復帰」とは/1972年5月15日―「返還」という名の安保強化/犯罪、事故、騒音、汚染―基地被害に脅かされ続ける戦後

第4章 辺野古―望まれぬ基地
辺野古新基地案の展開/グアム協定/グアム協定以降―パッケージを開け、包み直し、ひもを掛け直す

第5章 鳩山の乱
属国体制に挑む/迷走と挫折

第6章 選挙と民主主義
民意介入の歴史/流れは変わった―2010年の3選挙

第7章 環境―「非」アセスメント
名ばかりの「アセスメント」/従属の道具としてのアセス/高江とオスプレイ用ヘリパッド/オスプレイ配備―20年間隠された暴力

第8章 同盟「深化」
進む軍事統合とその代償/「トモダチ」関係の屈折

第9章 歴史を動かす人々
与那嶺路代/安次嶺雪音/宮城康博/知念ウシ/金城 実/吉田健正/大田昌秀/浦島悦子

終 章 展望
沖縄、抵抗する島々/日米関係再考/「普天間問題」を超えて

あとがき―日本は「愚者の楽園」のままでいるのですか?(乗松聡子)

――著者紹介――


ガバン・マコーマック Gavan McCormack
 
東アジア現代史。メルボルン大学卒業後、ロンドン大学博士号取得。リーズ大学、ラトローブ大学、アデレード大学で教鞭をとった後、1990年からオーストラリア国立大学太平洋アジア研究学院歴史学科教授。現在、同大学名誉教授。その間、京都大学、立命館大学、筑波大学、国際基督教大学の客員教授を務めた。著書にClient State: Japan in the American Embrace (Verso, 2007) 『属国―米国の抱擁とアジアでの孤立』(凱風社、2008)、Target North Korea: Pushing North Korea to the Brink of Nuclear Catastrphe (Nation Books, 2004) 『北朝鮮をどう考えるのか――冷戦のトラウマを越えて』(平凡社、2004)、Target North Korea: Pushing North Korea to the Brink of Nuclear Catastrphe (Nation Books, 2004) 『北朝鮮をどう考えるのか――冷戦のトラウマを越えて』(平凡社、2004)、The Emptiness of Japanese Affluence (M.E. Sharpe, 1996) 『空虚な楽園―戦後日本の再検討』(みすず書房、1998)等。英国出身、オーストラリア・キャンベラ在住。
 

乗松聡子(のりまつ・さとこ) Satoko Oka Norimatsu

東京出身、カナダ西海岸に通算18年在住。レスター・B・ピアソンカレッジ卒、慶応義塾大学文学部卒、ブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)経営学修士。国際教育交流事業運営、UBC異文化間コミュニケーションセンター講師を務めた後、2007年に「ピース・フィロソフィー・センター」(www.peacephilosophy.com)設立、代表。沖縄米軍基地問題、核兵器と原発問題、歴史認識問題等、日本とアジア太平洋地域の平和・人権・社会正義について英語と日本語で研究・執筆活動を行う。海外の学生や教育関係者向けの広島、長崎、沖縄等への学習旅行の企画・講師・通訳も務める。訳書『広島長崎原爆投下再考-日米の視点』(法律文化社、2010年)他。ツイッター: @PeacePhilosophy フェイスブック: Peace Philosophy Centre
 
両著者はオンライン英文誌『アジア太平洋ジャーナル:ジャパン・フォーカス』(www.japanfocus.org)編集コーディネーター。同ジャーナルは2008年、沖縄についての英語発信に対し琉球新報社より池宮城秀意賞を受賞。
 

以下、チラシです。





Sunday, March 10, 2013

福島と沖縄、「棄民」政策と市民の力-原発事故3年目に入って

地震・津波・原発事故発生から2年。 現在も続く被災者・避難者の苦しみ、収束には程遠い原子炉の状況と大規模の被曝・汚染を考えると、「記念日」「2周年」というような、過去を表わすような表現は使えません。かたや沖縄では、オスプレイ強行配備・訓練、普天間基地県内移設への政府の固執、沖縄にとって「屈辱」の日である4月28日に「主権回復の日」の式典を行う計画など、沖縄への差別と抑圧はとどまるところを知りません。2011年11月に発表した英語記事 Fukushima and Okinawa - The "Abandoned People," and Civic Empowerment は Asia-Pacific Journal: Japan Focus, Z Communications, Truthout といった米国の代替メディアに掲載されました。今回基礎経済科学研究所の福島におけるシンポジウム「核と人類は共存できるか:3・11から2年、あらためて人間の安全な発達保障を考える」に参加することになり、あらためてこの記事のテーマに立ち返り、日本語で書き直したものを紹介します。リンク、拡散歓迎。転載希望については info@peacephilosophy.com に必ず連絡ください。@PeacePhilosophy

(ここでは文末注なしのテキストを本文として掲載します。文末注付の原文は下方をご覧ください。)

 
 
福島と沖縄、「棄民」政策と市民の力 
―原発事故3年目に入って―
(2013年3月16日 於福島 基礎経済科学研究所春季交流集会シンポジウム発表原稿)
乗松聡子

 東電福島第一原発事故は3年目に入った。以下は、2011年11月、オンライン英字誌 Asia-Pacific Journal: Japan Focus 掲載された拙文 Fukushima and Okinawa– the “Abandoned People,” and Civic Empowermentで扱ったテーマに立ち返り、日本語で書き直したものである。  

311、責任と罪
 2011年3月11日の地震、津波による、日本の東北地方の沿岸部全域にもたらされた壊滅状態は、1945年の米軍による全国100都市の焼夷弾爆撃と広島長崎の原爆投下後の姿を彷彿とさせるものだった。東電福島第一原発における4つの原子炉および使用済み燃料プールにおける溶融と爆発の連続により福島は、広島と長崎に続き、日本の3つ目の大規模核被害地となった。しかし唯一違うところは、今回は自らが招いたものであるということだ。労働者や周辺住民の被曝、そして大量の行き場のない核廃棄物を生み続ける原発という産業自体を許し、「安全神話」を無行動という形で容認してきたことに自責の念は絶えない。沖縄の作家、浦島悦子氏は「なんという世界を私たちは作ってしまったのか。水も空気も土壌もすべて汚染され、命を育むはずのものが命を脅かすものになってしまった・・・ 未来の子どもたちに私たちが犯してしまった罪を思うと身震いします。」と嘆いた。大江健三郎氏は米国誌への寄稿で、原発は「広島の犠牲者への最大の裏切りである」と述べた。戦後日本の反核感情は米国の「平和のための原子」政策、CIAも動員した原発導入計画によって塗り替えられ、日本は「核兵器=悪、原発=平和」という二項対立の幻想に進んで騙されていった。地震と津波だらけの国の海岸は54基の原発で埋め尽くされ、その無謀な投資に対する重い代償を払う結果となった。


汚染と被曝
 事故発生から数日間に大気中に放出された放射性物質の量は、2011年6月の時点の東電の予測では77万テラベクレル(チェルノブイリの520万テラベクレルの15%)とされた。セシウム137(半減期30年)の降下量については、同年8月の保安院の予測によれば、1万5千テラベクレルで、チェルノブイリにおける8万5千テラベクレルの6分の1とされた。しかし2012年5月の東電の計算によると、セシウム137は36万テラベクレルと、24倍も増えており、チェルノブイリの4倍以上という衝撃的な数字になる。セシウム134+137による土壌汚染を見ると、チェルノブイリの場合移住の義務ゾーンに相当する平方メートルあたり55万5千ベクレルを含むエリア(30万から60万ベクレル、年間推定外部被曝量5ミリシーベルト)がフランス放射線防護原子力研究所(ISRN)作成の右地図の青い部分-伊達、福島、二本松、本宮、郡山、須賀川といった人口密集地帯に帯のように伸びる。原子力業界が維持するISRNでさえ、避難すべき7万人にも及ぶ人々がまだ原発周辺地域に残されていると警告した。また、福島がチェルノブイリと決定的に異なるのは、大規模な海洋汚染である。ISRNの推測ではセシウムの放出量は東電発表の20倍の2万7千テラベクレル、2012年4月には約1.68テラベクレルのストロンチウムを含む汚染水12トンが流出した。海産物への影響は計り知れない。

 この事故では、政府と産業が責任を最小化し、人間よりも経済を優先する政策を取ったことにより、多くの人々に防ぎ得た被曝をさせた。電力会社が大スポンサーである主流メディアは政府に協力して放射性物質のリスクを過小評価し、「被災地を応援する」という名目で原発事故の影響を受けた地域の農産物を宣伝した。政府は一般人の年間許容被曝量を子どもも含め1ミリシーベルトから20ミリシーベルトと20倍に引き上げ、それを避難基準として使い現在に至る。通常時の原発作業員の5年間の被曝許容量が100ミリシーベルトなので、原発作業員の平均1年分の量を子どもも被曝していいとされたままなのだ。政府は食品中の放射性物質の「基準値」を設け、それ以下の食品を全て「安全」と呼んでいる。また、原発被害の責任は政府や東電にあるにもかかわらず、事故に影響を受けた地域産の食品に懸念を示す声を全て「風評被害」と呼ぶ。これは、「原発被害」の婉曲的言い換えであり、消費者への責任転嫁としか思えない。同じ被害者である、生産者と消費者を分断しようという意図もうかがえる。 

地域住民より米国を優先した日本政府
 日本政府は放射性物質の拡散状況を予測するSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワーク)の計算結果を地元住民や日本国民より先に、3月14日に米軍に提供した。SPEEDI予測に基づいて3月15日には文科省も浪江町に職員を派遣し、毎時330マイクロシーベルトという非常に高い数値を記録している。米国は3月16日に自国民に対し半径50マイル(80KM)圏から避難するよう勧告しているが、日本政府から米国にだけ提供された SPEEDI情報を使っていないはずがない。米国エネルギー省は軍用機で3月17日-19日に原発の半径45キロ圏を測定、福島第一原発の北西25キロにわたり、1時間125マイクロシーベルト以上の地域が広がっていることが確認されている。米国は3月22日からエネルギー省サイトで観測値を発表し、日本のネット発信者たちは把握していたが、日本の政府もメディアも沈黙を保ち、住民の避難に活用することはなかった。米国も日本政府に気を遣ってか、モニタリング結果を日本市民に積極的に知らせなかった。4月以降航空モニタリングは日米共同で進められ、日本は5月になってやっと結果を発表し始めた。その間に飯館村等の高汚染地域の避難は遅れ、避難が完了するのは原発事故発生後3か月近く経った5月末となった。この SPEEDI とそれに伴うモニタリングの情報を住民避難に生かさなかった政府、メディアの共犯、そして米国の加担は絶対に許してはいけない。

 また、政府とメディアは米軍の「トモダチ作戦」を大々的に宣伝、311の悲劇における救世主であるかのように演出し、在日米軍の存在意義をアピールする道具とした。その一方、地震大国日本がこれだけ原発だらけになったことに対する米国の責任や、「トモダチ作戦」にかかった費用は、日本が毎年在日米軍関係経費として負担しているコストの1%ほどでしかないことを指摘することはなかった。
 
福島と沖縄、国策の「棄民」
 日本は空気や海洋を通して世界中に大量の放射性物質をまき散らしたにもかかわらず、国際社会においては日本食品、日本製品に対する偏見の被害者として自らを演出した。メルトダウンして格納容器を突き抜けた可能性が高い燃料がどこにあるのかもわからないのに、2011年12月には「冷温停止状態」を宣言した。避難の議論は除染(移染)の議論にすり替えられ、汚染がれき広域処理とともに巨額の利権が動き、手抜き除染、不法廃棄物投棄も報告されている。福島県の子どもの甲状腺検査においては2013年の2月の時点で3人が甲状腺ガンと診断され、7人が8割の確率でガンの可能性があるという。「100万人に1人」が通説のところ、3万8千人のうち、疑いも含め10人という高い数値が出ているにもかかわらず、福島医大の教授は会見において、原発事故との因果関係は「考えにくい」としている。2011年の調査では38,114人のうち13、460人(35%)、2012年度は94,975人のうち41,398人(44%)に「5ミリ以下の結節、20ミリ以下の嚢胞」があると報告されていて、チェルノブイリ事故の影響を受けたゴメリ地方以上の影響がより早く出ている。北海道深川市立病院の松崎道幸医師は、「福島の小児甲状腺がんの発生率はチェルノブイリと同じかそれ以上の可能性がある」と警告を発している。

 政府の仕事が市民と環境を守ることであるのなら、乳幼児、子ども、妊婦などを優先に高汚染地域の人たちを避難させ、限定した地域に汚染を閉じ込めることが必要であった。しかし政府がしたことと言えば全くの逆で、被曝リスクの高い地域に多くの人々を残し、食品の流通やがれきの広域処理で日本中、そして世界中に汚染を拡散した。

 沖縄国際大学の渡名喜守太氏は、原発事故における政府の住民軽視の対応に、非常事態における「住民保護を諦め、住民を国策のために動員し、死を受容させる」傾向が表面化したとする。同大学の西岡信之氏は、「原発事故で政府から見棄てられた」福島の人たちと、「米軍基地で切り捨てられてきている」沖縄の人たちは双方、「中央政策の差別政策で成り立っている」制度の下に見棄てられる「棄民」とされているのか、と問う。原発も米軍基地も、都市部への電力供給、国家の「防衛」のために辺境の地に犠牲を強い、本土や都市部の人たちの多くは無関心によって加担する。半世紀以上に及ぶ日本の原発政策の背景には「政官財労学情の金権汚染ネットワーク」、いわゆる「原子力村」がある。

 東京大学の高橋哲哉氏は、この差別と負担強要の構造を「犠牲のシステム」と呼んだ。沖縄と福島の第一の類似点として、構造的差別によって日米安保の負担の大半を沖縄が負わされ、日本のエネルギー政策としての原発を都市部から離れた地方が担ってきたことを挙げる。第二としては、経済的に脆弱な地域に多額の補助金を投じて基地や原発負担の補償とし、経済的依存構造が定着させられていることを指摘する。しかしそれは同時に自治体の自治自立が失われることであった。 

依存構造からの脱却
 結局米軍基地も原発も自治体に持続可能な繁栄をもたらすことはなかった。福島県前知事の佐藤栄佐久氏は、「原発関係交付金はアメではなかった。原発を誘致したある町は事故と関係なく財政難に苦しみ、30年たつと町長の給料も払えないほどだ。国を信じ国のために一生懸命やっているうちに何倍もの苦労が跳ね返ってきた」と振り返る。また、「今後は沖縄の苦労を自分の苦労として考えたい・・・将来の世代の目から自分らの地域を見詰めるとき、沖縄の今までの苦労を学ぶと同時にそのような視点で考えることが大切だ」と語った。このように「福島」をきっかけに「沖縄」を真剣に考えるようになった本土の人は少なくない。沖縄も福島の避難民を多く受け入れ、久米島には子どもの保養所がある。

 普天間基地の移転先とされている名護市の稲嶺進市長も、基地受け入れを前提とした数々の「振興計画」に対し同種の認識を持つ。自分たちで汗を流して得たものではない」し、振興金は事業の100%を賄うわけではないので、次々とできる「ハコモノ」は運営費も含め、結局自治体の財政を圧迫する。稲嶺氏は普天間の代替基地建設に反対しているので、基地受け入れの進捗状況に応じて与えられる「再編交付金」は来なくなった。しかし稲嶺氏は市民の支持も得て、交付金や基地に頼らない町を作ることに専心している。

 原発立地自治体も、福島の事故後、44自治体のうち4自治体は原発交付金を辞退した。南相馬市の桜井勝延市長は辞退したことについて「原発とは共存できないという立場を示し、『脱原発』を我々の復興計画に書いた。我々がもらう交付金で解決できる問題などはない」と言った。原発の近くに住む住民に実質的に電力料金を割り引く制度「原子力立地給付金」制度でも、受け取りの辞退件数が事故のあった2011年には前年の2倍近く増えたという。 

打ち砕かれた脱原発の民意
 福島県は2011年10月、13原発立地道県で初めて県内の全10原子炉を廃炉にするよう政府に請願する決議を採択した。2013年1月初頭にまとめた福島県民の意識調査でも、75%が「県内全基廃炉」を支持している。全国でも2012年夏に行われた「国民的議論」では「原発ゼロ」への支持率がパブリックコメントで9割、意見聴取会で7割、討論型世論調査では5割近くであった。2012年中盤以降、官邸前で毎週金曜日に大規模な再稼働反対・脱原発デモが行われ、20万人とも言われる、本土においては安保闘争以来の動員を記録した。脱原発を訴えるオンライン署名には800万人が署名した。政府や主要メディアの流す原子力村寄りの情報を信用できなくなった市民たちはインターネットを駆使して独立したジャーナリストやブロガーたちの情報を追い、自ら発信者ともなった。日本の民意の昂揚は「アラブの春」、「オキュパイ運動」に呼応するように、新たな市民運動のあり方を示唆しているように見えた。

 しかしそうして広まった脱原発の民意は2012年末の総選挙で打ち砕かれた。投票した有権者の78%が原発の即時廃止か段階的廃止を希望していたとの調査があるが、票は複数の政党間で割れた。選挙戦における自民党の原発問題非争点化も効を奏し、小選挙区では自民党が8割の議席を獲得する結果となった。原発事故の起こった福島でも5つの小選挙区のうち4つで自民党候補が当選し、比例復活も含めればすべての選挙区で、原発を推進してきた自民党の候補が当選した。原発を推進し「安全神話」を流布して事故を招いた責任を全く取っていない自民党は、民主党の「原発ゼロ」政策を「無責任」と呼んで見直しを決め、再稼働、新設まで容認する姿勢である。 

沖縄、ふたたび「屈辱の日」
 総選挙結果は沖縄も4選挙区ですべて自民党が(比例復活も含め)当選しているが、沖縄の場合、自民党議員は中央とは異なり普天間基地移設先を「県外」と要求している。しかし民主主義が裏切られる状況は沖縄では綿々と続いている。2009年、政権奪取した民主党の鳩山首相が普天間基地移設先を県外か国外に求めたとき、長年米軍基地の過重負担を強いられた沖縄の民意は呼び起された。その後、民主党政権は結局公約を果たせず、自民党時代の辺野古移設案に戻るという事態になり、沖縄の「怒」は頂点に達した。そしてその怒りは保革を超え、構造的差別に反対し普天間移設を県外に求める全県的、不可逆的な運動に発展した。しかし沖縄の基地負担は減るどころか、日米政府は2012年秋には安全性に懸念のある垂直離着陸機MV-22オスプレイを、沖縄にだけ配備した。沖縄県議会、全市町村、沖縄県選出国会議員による明確な反対が示され、10万人のオスプレイ反対県民集会が開かれた3週間後のことであった。沖縄の市民団体は、配備された10月1日を、サンフランシスコ平和条約により沖縄が切り離され米軍政下に取り残された1952年4月28日以来の「新たな『屈辱の日』」と呼び、日米政府に抗議した。 

福島と沖縄、これから
 このように、脱原発の民意、沖縄の民意は恣意的、構造的に政策に反映されない状態が続いているが、我々は犠牲の構造を許し続けてはいけない。沖縄には、国土の0.6%に日本の米軍専有基地の74%が押し込められている。面積あたりの米軍基地の密度は、沖縄では本土の500倍近くという想像を絶する不平等だ。日本はこのまま日米安保体制を維持するのであれば、沖縄の負担率が本土と同じになるまで米軍基地を本土に移転すべきである。そうすれば本土の人々も基地負担と基地被害の不条理を自覚し、主権を侵害する日米地位協定、日米安保体制見直しに真剣に取り組むであろう。

 福島については、原発直近に住む人たちだけが「棄民」-犠牲を強いられ見棄てられる人間である、という考えをまず見直す必要がある。チェルノブイリ事故では居住禁止地域となった高汚染地区は原発から300KMの距離にまで及び、避難必要、避難権利地域はさらにその倍ぐらいの距離まで広がっている。日本にはもはや、原発から300KM以上離れて暮らせるところなど、沖縄以外にはない。福島の事故では、風向きのおかげで放射性物質の大半が海洋に落ちたことや、4号機の使用済み燃料プールに水があった、といういくつかの偶然が重なり、5000万人の避難民が出るような事態を免れることができたのである。この国に原発を置く狂気から目を覚まし、全廃への道を即刻歩むべきだ。

 米国追随の国策により国中核まみれになり、沖縄を基地まみれにした日本。今こそ、市民一人一人が「棄民」であるということを自覚し、弱者こそ見棄てさせないという「いのち」本位の政策を、粘り強い抵抗と主体的な関与によって実現しなければいけない。


乗松聡子(ピース・フィロソフィー・センター代表)
東京出身、カナダ西海岸に通算18年在住。レスター・B・ピアソンカレッジ卒、慶応義塾大学文学部卒、ブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)経営学修士。国際教育交流事業運営、UBC異文化間コミュニケーションセンター講師を務めた後、2007年にPeace Philosophy Centre 設立、代表。沖縄米軍基地問題、核兵器と原発問題、歴史認識問題等、日本とアジア太平洋地域の平和・人権・社会正義について英語と日本語で研究・執筆活動を行う。海外の学生や教育関係者向けの広島、長崎、沖縄等への学習旅行の企画・講師・通訳も務める。311後は東電福島第一原発事故についての情報発信をブログ、ツイッター(@PeacePhilosophy)、フェースブック(Peace Philosophy Centre)で行ってきた。共著書『沖縄の〈怒〉―日米への抵抗』(ガバン・マコーマックと共著、法律文化社、2013年)、Resistant Islands: Okinawa Confronts Japan and the United States (Rowman & Littlefield, 2012 co-authored with Gavan McCormack), 訳書『広島長崎原爆投下再考-日米の視点』(法律文化社、2010年)他。オンライン英文誌 The Asia-Pacific Journal: Japan Focus 編集コーディネーター。バンクーバー九条の会ディレクター。
 

以下、文末中付のファイルです。





Thursday, March 07, 2013

新刊『尖閣諸島問題の核心』の著者、矢吹晋が語る―隠された棚上げ合意 

花伝社、2013年1月
3月12日追記。(社)経済倶楽部理事長の浅野純次氏による『尖閣問題の核心』の書評(石橋湛山記念財団発行『自由思想』第128号掲載)の転載許可をいただきました。この投稿の末尾をご覧ください。

『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』に3月4日に掲載された、翻訳記事「日中の領土問題と、歴史を踏まえた現在の米日中関係―マーク・セルダンによる矢吹晋インタビュー」(ルミ・サカモト、マット・アレン訳)China-Japan Territorial Conflicts and the US-Japan-China Relations in Historical and Contemporary Perspective の日本語版を紹介します。これは下記の矢吹氏による英語インタビュー記事を読んだセルダン氏の質問に答える形になっています。ここでは質問の答えの部分のみ掲載します。その後の「補足」の部分も含めたPDF版はこちらをご覧ください

参考リンク: Interview with Professor Yabuki on the Senkaku/Diaoyu Crisis and U.S.-China-Japan Relations フォーブズ「尖閣・釣魚危機と米中日関係について矢吹教授とのインタビュー」(スティーブン・ハーナー)

朝日新聞英字版インタビューINTERVIEW: China-watcher Yabuki says Senkakus are a diplomatic mistake by Japan 「インタビュー:中国ウォッチャー矢吹氏―尖閣問題は日本外交の失敗だった」


  質問1(セルダン):日中関係、いわゆる「チャイメリカ」を考えるにあたって、米国が民主党の鳩山政権を打倒しようとしている最中に、200人余の代表団を中国に送っていることを、釣魚/尖閣諸島をめぐる論争において米国は日本を支持しない証拠として挙げていますね。しかし米国は日米安保条約が当該諸島に適用する等、矛盾する発言をしています。また、南沙諸島において中国やベトナムと領土問題で衝突しており、危険な状態と言えます。この地域における領土問題全体の中で釣魚/尖閣問題をどう理解したらいいでしょうか。

花伝社、2012年5月

(矢吹回答)
尖閣諸島の帰属問題と南沙諸島、西沙諸島の問題は、いずれも大日本帝国の戦後処理が未だに終わっていないことを象徴するもので、日米の為政者たちの無為無策によるものと考えます。

A.まず尖閣の帰属問題の由来について
私見によれば、以下のように整理できると考えます。
1. 元々は、台湾に付属する花瓶島嶼、彭佳島嶼と並び、基隆港に近い北方3島の一部であった。日清戦争における清国の敗色が明らかになった時点で1895年1月に日本が無主地先占を宣言した事実、およびこの島嶼については下関条約に記述されていないことを根拠として、日本側は日清戦争及び下関条約とは無縁としているが、清国・中華民国・中国から見ると、これは台湾割譲の一部にしか見えない。ここに双方の認識の食い違いがある。
2. 日清戦争を契機として行なわれた台湾割譲は、1945年のポツダム受諾により、旧状復帰が行われて台湾・澎湖諸島は旧満洲や朝鮮半島とともに旧植民地国に返還された。しかしながら、この時点で返還されるべき対象でありながら、尖閣諸島は次の理由により、返還が遅れ、いまだに返還が行われていない。
理由1 中国共産党政府と国民政府間で内戦が行われ、蔣介石政府は台湾に逃れ、大陸反攻をうかがい、このためには米軍の援助を不可欠としていた。このため蔣介石は米軍の施政権を歓迎していた。
理由2 中華人民共和国政府は、台湾解放を課題としており、台湾に付属する無人島は台湾問題との一括解決を想定した。
理由3 敗戦日本は無人島尖閣を忘却していた。
3. 尖閣の帰属問題が表面化したのは、沖縄返還の時点からであり、この際に、台湾政府と北京政府がともに領有権を主張した。台湾政府は当時米国と国交を保持したので、議会工作に傾注し、日本への返還は施政権のみであることを明記させることに成功した。沖縄返還における事件で、米国は、尖閣の主権問題は主として「日台の矛盾」と認識していた。
4. 鄧小平の改革開放路線への転換により、台湾経済は大陸経済に包摂され、経済面ではすでに事実上の統一、一体化がなりたっている。そのため、海峡両岸は「統一でもなく独立でもない現状維持による安定化」が進行している。こうして、尖閣諸島の帰属は主として「日中の矛盾」として浮上してきた。92年に北京は領海法に尖閣を明記し、90年代半ばに台湾海峡危機が起こったが、これらは台湾独立運動の高まりを背景としたもので、これらの緊張はすでに過去のものとなった。代わって日中の矛盾として2010年以来、先鋭化した。 
B. 次に南沙諸島、西沙諸島について
19393月、大日本帝国は新南群島(スプラトリー諸島)及び西沙群島(パラセル諸島)を台湾高雄市に編入したが、19461月ポツダム無条件降伏に伴SCAPIN677号により、上記をすべて失った。ここからパラセルおよびスプラトリーの各国による囲い込みが始まった。日華平和条約第二条には、日本国は、サンフランシスコ条約第二条に基づき、台湾・澎湖諸島並びにスプラトリー、パラセル群島に対するすべての権利、権原、請求権を放棄したと書かれている。南沙諸島西沙諸島の争奪が激化したのは、19883月の赤瓜礁 Johnson South Reef をめぐる中越衝突以来である。その後95年にフィリピンと中国がミスチーフ礁 Mischief Reef を争い、今年はフィリピンと中国が黄岩(Panatag Reef)で対峙した(『チャイメリカ』7279ページ) 
尖閣諸島が日本と台湾、中国3者の係争地域であるのに対して、西沙諸島、南沙諸島はそれぞれ関係する諸国は異なるが、いずれもかつては日本帝国主義の版図に属したことは、東太平洋に位置する日本の果たすべき地理的責務の形を示唆している。かつての軍国主義的発展は許されないが、この地域を平和の海とするうえで日本の責務は大きい。しかしながら、責務の大きさと比べて、その責任意識はきわめて薄弱であり、きわめて不十分に思われる。外務省は、40年前の田中角栄・周恩来会談の記録を改竄し、34年前の園田直・鄧小平会談の記録を抹消し、石井明教授の情報開示請求に対して「不存在」を理由として「不開示」を回答した可能性が高い。中国側は正式な会談記録は公表していないが、会談記録に基づいて執筆したと推定される張香山の回顧録を公表して、尖閣棚上げの事実上の合意を指摘している。72年の日中会談と78年の日中会談のあり方については、中国側の詳細な記録により説得性があり、日本外務省の記録改竄は許されない暴挙というほかない(詳しくは、矢吹晋『尖閣問題の核心―日中関係はどうなる』第一章「尖閣交渉経緯の真相―『棚上げ合意』は存在しなかったか」参照)
 さて、40年前に棚上げされた史実を外務省・日本政府側が一方的に否定したことによって生じた2012年の日中衝突は、日本側に非ありと、断定せざるをえない。既往はさておき、これからどのように日中を再建するのか。「覆水盆に返らず」という。尖閣問題は「帝国主義の落とし子」であることは、厳然たる事実だが、現実の国際問題においては、実効支配する側が圧倒的に有利な地位に位置することは明らかだ。ところで、寝た子を起した以上、もう一度寝たままに戻すことはできない。日本は外交的失敗により、元(元金)も子(利子)もなくした今日、これからどうするのか。領有権問題は存在しないという日本政府の言明にもかかわらず、国連での双方の演説を通じて、争いの存在することは世界に明らかになった。
ではこれからどうするか。日本としてはまず、田中・周恩来会談、園田直・鄧小平会談の内容を確認して、中国側も領有権を主張していることを認めるべきである。そのうえで、今後の扱い方を平和的に交渉しなければならない。かつて台湾海峡では両岸関係を処理するに際して「92共識」という観念を発明した。「中国は一つ」という前提に立ちつつ、大陸はその中国とは、「中華人民共和国を指す」と解釈し、台湾は「中華民国政府を指す」と解釈する同床異夢による和解である。これは言い換えれば、主権問題を当面棚上げして、平和共存、経済交流を図る考え方だ。この智慧に学び、尖閣諸島の主権、領有権を玉虫色の新しいキーワードで包摂する智慧が求められている。たとえば、「尖閣=釣魚」に対する「一島両制」案である。すなわち、「奇数日」は日本が管理し、「偶数日」は中国側が管理する。このような形で共同して管理しつつ、地域の平和と秩序を維持しつつ、その資源は公平に分け合うという「新しい共識」の構築が求められている。 
C. 最後に日米安保と尖閣諸島について
尖閣諸島の衝突を契機として、この地域が日米安保の適用対象かいなかについて議論が繰り返されている。沖縄返還協定当時には、沖縄返還と一括して返還されたものであり、沖縄列島が日米安保の対象となる以上、尖閣もその一部に含まれることは自明であった。
今回の紛争で改めて、それが議論されていることには、別の含意がある。
一つは、40年前と比べて中国の軍事力が圧倒的に強化されたことだ。いまや沖縄米軍基地は、完璧に中国のミサイル網の標的範囲内にある。この意味では、米中軍事関係は安全保障対話が喫緊の課題となり、それはすでに始まっている。
もう一つは、尖閣のような無人島の争いは日米安保が想定した目的ではないという事実である。何よりも、尖閣の主権の争いは日中間で話し合うべき課題であり、米国は中立の立場だと繰り返し言明している。次に島の防衛課題はなによりも自衛隊の課題であり、日米安保の直接の課題ではない。最後に日米安保の発動のためには、米国憲法や議会の同意が必要であり、無人島の争いに日米安保が現実に適用できるかは疑わしい。このような米国の立場は、きわめて常識的なものであり、尖閣周辺に擬似緊張を作り出して、日米安保の再強化を主張する日本右派の戦略には無理があると私は考える。  
質問2(セルダン):「チャイメリカ」を論じるにあたって、負債を抱えた米国は世界を運営するにあたって中国の協力が必要であると指摘していますね。あなたの見方では、中国の協力というのはどのような形を取るものでしょうか・・・特にアジア太平洋、中東/中央アジアにおいて? 
(矢吹回答)
中国の和平崛起 peaceful rising を米国が日本のような従属国を利用して圧力をかけたり、妨害したりしないこと。より具体的にいえば、中国経済の対外発展に伴い、シーレーンの安全確保が喫緊の課題となっているが、これを妨げないこと。中国の原油輸入は日本ほどに中東への依存度は高くはないが、それでも中東の原油は、日本同様に大きな比重を占めており、原油供給国・地域として中東は大きな位置にある。要するに、中国の当面の目標は、経済発展であり、そのために、関連地域の平和を維持することである。この目的を米国が理解して、協力してくれることを中国は望んでいる。経済発展の後に軍事的世界制覇を目指すという中国脅威論は現実的な根拠を欠く。中国は内外にさまざまの矛盾を抱えており、そのような余裕はないと考える。

質問3(セルダン):日本の米国への行き過ぎた依存を批判する人たちは、日中関係に限定はせずにより広いアジア地域における協調体制構築を提起しています。これについての見通しはどうでしょうか。
(矢吹回答)
鳩山首相が東アジア共同体構想を提起したのは画期的であったが、思いつきにとどまったので、挫折した。かつて日本は大東亜共栄圏を提起したが、これは軍事力を前提としたものであり、破産の運命を免れなかった。軍事的圧力ではなく、諸国が自由に参加し離脱できる自主権の原則に基づく経済的連帯が、グローバル経済下における経済的連携のあり方であるべき姿だ。このような節度をもった経済的自由主義を基礎とした東アジア、東南アジアの経済的連携の拡大強化は、今後ますます発展する。日本も中国も米国も排他的な経済圏の構築や、過度の影響力行使を意図すべきではなく、資源や地球環境の制約を意識した経済発展のために、協調により、持続的発展を模索することが不可欠である。21世紀は戦争の19-20世紀から教訓を汲み取り、新しい共生と共存の哲学に基づく経済発展を求める必要がある。
 
 
1938年生まれ。東京大学経済学部卒。東洋経済新報社記者、アジア経済研究所研究員、横浜市立大学教授を経て、横浜市立大学名誉教授。(財)東洋文庫研究員、21世紀中国総研ディレクター、朝河貫一博士顕彰協会代表理事。
コーネル大学東アジア研究所上級研究員。『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』編集コーディネーター。

冒頭に追記したように、石橋湛山記念財団発行『自由思想』第128号(2013年2月)掲載の浅野純次氏による書評を許可を得た上転載します。