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Tuesday, August 20, 2013

ジャパンタイムズ記事翻訳: ストーン監督、日本の防衛問題に苦言 Japan Times - Stone weighs in on Japanese defense

8月17日、The Japan Times 『ジャパンタイムズ』紙に掲載されたフィリップ・ブレイザー氏によるオリバー・ストーン、ピーター・カズニック両氏来日についての記事の翻訳です。

長崎原爆資料館で囲み取材を受ける。左からピーター・カズニック、オリバー・ストーン、
当ブログ運営者の乗松聡子。(写真:朝日新聞)


Stone weighs in on Japanese defense
http://www.japantimes.co.jp/news/2013/08/17/national/stone-weighs-in-on-japanese-defense/ 

ストーン監督、日本の防衛問題に苦言

フィリップ・ブレイザー

翻訳 酒井泰幸

2013年8月17日

 8月は、日本のマスメディアが平和について、少なくとも戦争の不在について、関心を向ける季節である。原爆投下とそれに続く敗戦・降伏 の記念日をとらえて、日本がおこなった20世紀中盤の血なまぐさい軍事作戦から日本が何を学んだかについての議論が、紙面と電波において繰り広げられる。多くの人々にとっては、日本が戦後に安定と繁栄を享受してきたという事実が、教訓を学んだことの証拠である。

 だが今年は、自民党の返り咲きと日本の再軍備を阻む憲法9条を見直す動きの中で、過去を思い起こすことがより大きな意味を持った。偶然にも、今年の4月から NHKで放映された 10部からなるドキュメンタリー・シリーズ『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』を共著した、映画監督のオリバー・ ストーン氏とアメリカン大学の歴史学者ピーター・ カズニック教授の訪日の様子を、メディアは報道し続けた。

 表向きは、ドキュメンタリーのプロモーションのための訪日だが、ストーン監督とカズニック教授は、アメリカの軍事力に向き合う日本の立場について積極的に意見してきた。先週、外国特派員協会で行われた二人の記者会見で、ストーン監督は語気を強めて第二次世界大戦以後のアメリカの外交政策を非難していた。原爆投下は、アメリカで受け入れられているように人命を救うためではなく、人種差別的で戦略的な理由のために実行されたとストーン監督が認めたことに、日本の記者たちは釘付けになっていた。しかしストーン監督の中心的なメッセージは、「アメリカの富にとって安全な世界を作るというアメリカの使命」とストーン監督が表現するもののために、日本はアメリカに同調すべきではないということなのだ。

 さらに、カズニック教授が指摘したように、支出の面で日本は既に世界で屈指の規模(2012年に第5位)を誇る軍隊を持っている。 この予算は日本の自衛能力を保持するために使われてきたが、日本が集団的自衛に参加する権利への制約を撤廃するよう、アメリカは日本に求めている。これはつまり、もしアメリカやその「国益」が攻撃されたら、日本はアメリカを助けに行くことを意味している。

 先日の社説で読売新聞は、自民党の立場はアメリカの圧力に屈するのではなく、かつて自民党の有力者であった小沢一郎が述べていたように、「真の国家」の責務を認めることにあると総括した。読売は、小松一郎を内閣法制局長官に指名したことを賞賛していた。小松は集団的自衛への参加に賛成で、彼が内閣のために憲法を解釈する役職に就いたことは、「我が国の自衛のための必要最小限の行動」を踏み越えようと政府が本気で考えている兆候である。読売が小松の任命に賛同する根拠は、1950年代いらい日本を再軍備するための取引で米軍が言及したのと同じ論法で、日本は東アジアの「安全保障環境の変化」に対応しなければならないというものだ。

 言い換えれば、日本は北朝鮮と中国からの攻撃を防ぐ準備をしなければならないということだ。このような能力は「全ての国家が持つ権利」であると読売は主張するが、それに付帯する責任については触れていない。読売によれば、集団的自衛は「日本の平和を確かなものに」するが、東アジア全体の平和という、もっと困難だが望ましい目標からは目をそらす。ストーン監督が指摘したように、これは日本が攻撃能力を持てば台無しになりかねない目標である。

 北朝鮮と中国には好戦的な傾向があることをストーン監督は否定しないが、ときおり日本で国家主義が噴出したり、帝国主義的な日本の過去について真実を語ることを躊躇したりといったことはあっても、この地域で苦しみの末に勝ち取った平和の光明としての日本の立場は否定できない。さらに、もし日本がアメリカと共に戦えば、世界で最も好戦的な勢力に加担することになる。1945年以来、アメリカはいったい幾度の戦争を戦ったのだろう。ストーン監督は、日本の兵士が 「死体袋に入って帰国する」ようになるのは単に時間の問題だと予測する。

 小松の任命は、自民党が憲法をうまく回避したいと望んでいることを意味する。朝日新聞は最近、首相の安全保障問題に関する有識者会議の座長である北岡伸一と対談したが、日本は軍事的能力を「最小限に」保ったまま集団的自衛に参加できるが、法的制約はもはや無意味かもしれないと彼は語る。東京新聞が引用した専門家は、先日のレッドフラッグ・アラスカ軍事演習で、自衛隊がアメリカのB-52戦略爆撃機の支援を担当したが、B-52は攻撃用の航空機なのだから、これは憲法9条違反であると断じた。

 もしも憲法9条が損なわれずに残ると望む理由があるとすれば、まさに今それが残っているという事実であろう。NHKは2002年に、Y委員会についてのドキュメンタリーを放映した(現在もオンデマンドで視聴可能である)。それは帝国海軍の元将校の団体で、アメリカの支援を受けて日本の海軍を復活させるため、1951年に密会を持った。この委員会は、もはや「日本を守るために自らの命を差し出す意志のある者はいない」と絶望したが、なぜそうなったのかを考慮することはなかった。

 朝鮮戦争で機雷除去作業のため日本の海上保安庁がアメリカに徴用され、掃海艇の1隻が沈没すると、国民感情が前面に押し出された。海上保安庁は即座に戦争協力を止めた。やがてY委員会の尽力で海上自衛隊が創設され、戦前の軍旗[旭日旗]、信号ラッパ、エリート主義的態度など、あらゆる旧海軍の名残を受け継いだが、攻撃能力は持たなかった。それはまさに演劇化された帝国海軍であった。

 先週放映されたNHK ドキュメンタリー『自衛隊と憲法 日米の攻防』は、1991年の湾岸戦争が始まったとき、アメリカが日本に戦闘員を派遣するよう圧力をかけたことを描いた。当時の海部俊樹首相が憲法9条を厳格に解釈したおかげで、日本は支援金を送っただけだった。政府内の保守派はこの屈辱に不平をこぼした。元アメリカ大使のマイケル・アマコストは、明らかに日本を再軍備させることが主要な任務だったが、「仲間外れにされることに対する日本の恐れ」をアメリカは利用すべきだと語った。しかし海部は結局、日本国民はいまだに「軍隊に対する強い不信感」を持っていることを認めた。

 この感情が大きく変化したと考える理由はどこにもない。5月に安倍晋三首相は、「意に反する苦役」を禁じる憲法18条も徴兵制度の妨げになるかもしれないから見直すのかと質問された。安倍はそのつもりはないと答えた。再びこの国が戦争の出来る国になれば、十分な人数の日本人の若者が志願することに彼が自信を持っているのは明らかだった。すべては、若者たちが歴史からどのような教訓を学んだかにかかっている。その歴史は、日本だけのものではない。

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