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Friday, December 30, 2011

年末年始の挨拶にかえて Season's Greetings

(1月11日追記。NHK番組は、下記のリンクにアップされています。
http://www.dailymotion.com/video/xnhj52_yyyyyyyyy-1-2-yyy-yyy-yyy-yyyyyy_news
http://www.dailymotion.com/video/xni1ij_yyyyyyyyy-2-2-yyy-yyyyyy-yyy-yyy_news#rel-page-1

2011年最後の投稿になります。年末年始の挨拶にかえて、新年注目の番組の案内と、近刊本の紹介をします。Season's greetings to all. I would like to bring your attention to an upcoming TV program on Japanese national broadcaster NHK. Specialists of modern Japanese history John Dower and Gavan McCormack appear in a special New Year program, including Dower's special report from Ground Zero in New York and McCormack's from Okinawa, from 8 to 10 PM, January 2, on NHK BS1. The title of the program in English would be: J. Dower and G. McCormack - After the Quake: Eyes Towards Japan and the World.

日本近現代史専門家、オーストラリア国立大学名誉教授、ガバン・マコーマック氏は、沖縄の米軍基地問題についての論文等、このサイトでも何度も紹介してきました。和訳された近著には、『「属国」-米国の抱擁とアジアでの孤立』(凱風社、2008年)(Client State - Japan in America's Embrace, Verso, 2007), 『北朝鮮をどう考えるのか』(平凡社、2004年)(Target North Korea: Pushing North Korea to the Brink of Nuclear Catastrophe, New York, Nation Books, and Sydney, Random House Australia, 2004) などがあります。

そのマコーマック氏が、日本の敗戦後の文化を描いた『敗北を抱きしめて』(Embracing Defeat), 戦争における人種差別的動機を論じた『容赦なき戦争』(War Without Mercy) などで知られるMITのジョン・ダワー氏とともに、NHK・BS1の新年特別番組に出演します。NHKのサイトから引用します。

NHK番組案内サイトより。

2012 巻頭言特集
「J.ダワ―×G.マコーマック 震災後 日本と世界への眼(め)」
BS1  1月2日(月)午後8:00~8:50(前編)、午後9:00~9:49(後編)


未曽有の大震災に襲われた日本。EUの経済危機。アメリカによるアジア・太平洋地域への安全保障と経済圏の重点地域シフト。日本と世界は、激動の中で2012年を迎えた。アメリカの日米関係研究者ジョン・ダワー氏と、アジア・太平洋を視野に日本を見続けて来たガバン・マコーマック氏(オーストラリア)が、みずから訪問したニューヨーク、沖縄からの報告も交え、独自の視点で日本と世界の今と未来を語り合う。
【出演】MIT名誉教授…ジョン・ダワー,オーストラリア国立大学名誉教授…ガバン・マコーマック
【語り】広瀬彩
以下NHKのリンクで、写真集、予告動画を見ることができます。See below link for a trailor - a green box on the right, with John Dower's picture.
http://cgi2.nhk.or.jp/navi/detail/index.cgi?id=11w15120120102

ガバン・マコーマック氏は、コーネル大学のマーク・セルダン氏、広島平和研究所の田中利幸氏、当ブログ運営者(乗松聡子)らとともに、日本をはじめアジア太平洋地域の社会・経済・文化・歴史問題を幅広く扱う英文オンラインジャーナル『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』The Asia-Pacific Journal:  Japan Focus (2002年創立)の編集コーディネーターをしています。「ジャパンフォーカス」は、2008年には、沖縄についての英語発信を認められ、琉球新報社から「池宮城秀意賞」を受賞しました。311(東日本大震災と福島第一原発事故)以来、このジャーナルが出してきている記事は、質においても量においても、英文メディアの中で突出していると思います。記事は学術的なものからジャーナリスティックなものまでさまざまで、"HOT" 欄では、コンコーディア大学のマシュー・ペニー氏が中心となり、よりニュース性の高い内容の記事を扱っています。記事はすべて無料閲覧でき、運営は、読者からの寄付金で成り立っており、英語圏の大学等で教材としても幅広く使用されています。Gavan McCormack is a Coordinator of The Asia-Pacific Journal: Japan Focus, an on-line journal established in 2002. In 2008, the journal received an award from Okinawan newspaper Ryukyu Shimpo for dissemination of important Okinawa matters in English.

2012年5月には、マコーマック・乗松共著により、主に過去15年間の普天間基地「移設」問題を論じ、日米政府に明確な「NO」を突き付ける沖縄を描く本、Resistant Islands: Okinawa Confronts Japan and the United States が米国 Rowman and Littlefield 社から出る予定です。この本では「沖縄の声」として、大田昌秀、浦島悦子、宮城康博、知念ウシ、吉田健正、与那嶺路代、金城実、安次嶺雪音 各氏からの協力をいただいています。この本は2012年中ごろ、日本語版も出版予定です。またこのサイトでもお知らせします。Upcoming publication by McCormack and Satoko Oka Norimatsu (owner of this blog) will be Resistant Islands: Okinawa Confronts Japan and the United States, to be published by Rowman and Littlefield in May, 2012.

2011年年末、このブログをはじめてからちょうど5年になります。カナダ・バンクーバーで平和教育活動をしてきて、最初はイベントの紹介や報告が中心だったのですが、2009年後半以降は沖縄のことを英語で書くことが多くなり、2011年311以降は原発問題を中心に、主に日本語で発信してきました。特に311以来は日本の方がたくさん読んでくれるようになり、また、ブログやツイッターフェースブックから、翻訳や執筆等で協力していただける仲間ができたことは、一番有難く、励みになりました。来年もよろしくお願いします。皆さまよいお年をお迎えください。The end of 2011 marks the fifth anniversary of this blog. We will continue to write so that we can together make this world a fairer, healthier, and a better informed place.

感謝をこめて 2011年12月31日 With much appreciation and love,

Satoko @PeacePhilosophy

Thursday, December 29, 2011

桜井国俊:普天間「代替施設」辺野古アセスメントにおけるジュゴン評価の「致命的欠陥」 Fatal defects of Futenma "relocation" facility Environmental Impact Statement

See the English version: SAKURAI Kunitoshi: The Fatally Flawed EIS Report on the Futenma Air Station Replacement Facility – With Special Reference to the Okinawa Dugong

沖縄防衛局は、普天間基地「代替施設」辺野古建設のための環境影響評価書の日中の配達を市民たちに阻止され、12月28日未明、コソ泥のように評価書を県庁の守衛室に置いていった。その姑息な方法に対し沖縄中が怒り、呆れている中、WWFをはじめとする11団体は、あらためてこのアセス自体の違法性、非科学性、非民主性を問う声明を出した。そして環境影響評価の専門家である沖縄大学の桜井国俊氏がこのアセスの内容自体の「致命的欠陥」を、特にジュゴン問題に焦点を置いて発表した。


普天間飛行場代替施設建設事業環境影響評価書の
ジュゴン評価の致命的欠陥

2011年12月28日
桜井国俊
沖縄大学教授

     本日未明、普天間飛行場代替施設建設事業の環境影響評価書が抜き打ちで沖縄県に提出された。沖縄防衛局の職員が沖縄県庁舎に朝4時頃、運び込んだのである。沖縄防衛局は、一昨日、評価書を県知事に届けようとしたが、沖縄防衛局の一方的な環境影響評価手続に反対する市民グループにより阻止された。昨日は、今度は民間の運送サービスを使用して届けようとしたが、再度市民に阻止された。論議を呼ぶ今回の評価書提出の仕方は、本件事業の環境影響評価手続全体の異常さを象徴するものとなっている。
     この小論は、沖縄ジュゴンに関する評価書の内容を明らかにすること、より正確に言えば、本件事業が沖縄ジュゴンに及ぼす影響を明らかにするという点に関して、いかに評価書が不十分なものであるかを明らかにすることにある。
     2008年1月23日の米国連邦地裁(カリフォルニア北部地区)命令によれば、米国防総省は、国家歴史保存法に基づきその事業(普天間飛行場代替施設の建設と使用)が沖縄ジュゴンに及ぼす影響に“配慮”しなければならない。この“配慮”手続には、(1)保護されるべき天然記念物の同定(この場合は沖縄ジュゴン)、(2)事業がこの天然記念物にいかに影響するかについての情報の生成、収集及び比較考量、(3)不利益な効果が生ずるか否かについての決定、及び(4)もし必要ならば、不利益な効果を回避したり緩和したりできる事業代替案や事業修正案の開発、が含まれる。これらは国家歴史保存法第402条に基づく米国防総省の責務である。連邦地裁によれば、被告(この場合は米国防総省)は、この責務の遂行を建設工事の前夜にまで引き延ばすことは許されない。何故ならそれは、事業の追加的な検討を意味のないものとし、代替案の考慮を不可能にするからである。米国防総省は、基本的にこれらの責務の遂行は日本政府の環境影響評価手続によって満たされると言ってきた。従って、沖縄ジュゴンに関する評価書の内容を検討し、評価書がこれらの責務を果たすのに十分な質を持ったものか否かを明らかにすることが極めて重要である。

評価書の致命的な欠陥

図1  準備書で報告されたジュゴン
(出所:準備書6-16-104頁)
     沖縄防衛局は2009年4月に提出した準備書において、2007年8月の方法書提出以降に軽飛行機とヘリコプターを使用して実施した観察調査に基づき、沖縄島周辺には3頭のジュゴン(1頭は嘉陽沖、2頭は古宇利沖)が生息し、彼らは概ねその地域に常在していると結論した(図1参照)。この観察結果に基づき沖縄防衛局は、事業予定地の辺野古は嘉陽から十分離れており(6キロメートル)、事業が嘉陽沖の個体に及ぼす影響は小さいと結論した。またジュゴン個体群の存続可能性に及ぼす影響についても、ジュゴンが嘉陽沖に常在している限りは、小さいと結論した。

     この結論は極めて非論理的である。図2に示すように、沖縄ジュゴンは辺野古沖を含む沖縄島の東海岸沿いで頻繁に観察されていた。従って準備書は、2007年8月から2009年4月の間に実施されたジュゴン調査で何故ジュゴンが辺野古の海で観察されなかったのかを明らかにする必要があるのである。しかしこの点について準備書は何ら分析を行っていない。ジュゴンが観察されなかったのを説明できるかもしれない一つの理由は、2007年4月に開始した環境影響評価書手続に先立って辺野古の海で実施された大がかりな調査の影響である。この調査は2004年から20数億円もの費用をかけて実施され、サンゴやジュゴンの調査、そして数多くのボーリングを含む地質調査などが実施された。環境を守ろうとする市民はカヌーで非暴力の反対運動を展開した。こうした抵抗を突破すべく沖縄防衛局は、海上自衛隊の掃海母艦“ぶんご”まで動員し、夜陰に乗じて潜水隊員がサンゴやジュゴン調査のための機器を設置した。この荒っぽい機器設置で辺野古沖のサンゴが損傷し、この事態は2007年5月22日付けの地元紙琉球新報の一面トップで報道されることとなった(図3参照)。 


 2  19981月から20031月の間に観察されたジュゴン
(出所 細川太郎)


 
図3  2007年5月22日付け琉球新報一面


     キャンプ・シュワブの海兵隊員が辺野古海岸で頻繁に実施している上陸演習がジュゴンの行動に与えるマイナスの影響についても考慮する必要があるかも知れない。キャンプ・シュワブは辺野古の海に面している。準備書によれば、辺野古の海はジュゴンの餌である海草藻場が豊富で、その面積は嘉陽沖の海草藻場の面積の10倍にもなる。従って、沖縄防衛局が2007年8月から2009年4月の間にジュゴン調査を行った際にジュゴンが辺野古沖を訪れなかったのには何か理由がある筈だ。ジュゴンは、環境影響評価手続に先立つ大がかりな調査や上陸演習が辺野古の海にもたらす喧騒を避けようとしていたのかも知れないのである。
     
     2007年8月の方法書提出によって開始した環境影響評価手続に先立つこの大がかりな調査は、事業なしの状態での辺野古海域の環境の状態を知ることを極めて困難にした。これは環境影響評価法の精神に反する。なぜなら環境影響評価法は、大がかりな調査に先だって、方法書手続を通じて関係者と協議することを事業者に求めているからである。2009年4月の準備書提出後も、沖縄防衛局は台風条件下の情報などを含む補足情報を収集すると称して辺野古の海での調査を今日まで継続実施している。多くの人々は、沖縄防衛局はジュゴンは概ね嘉陽沖と古宇利沖に住んでいるという彼らの主張を維持するために辺野古の海からジュゴンを追い出そうとしているのだ、と考えている。評価書によれば、準備書提出後に行われたこの調査を通じて、沖縄防衛局は、辺野古沖で遊泳しているジュゴン1個体を2010年度に観察している。しかし沖縄防衛局は、事業がジュゴンの個体に及ぼす影響もジュゴン個体群の存続可能性に及ぼす影響も小さいとする準備書での彼らの主張を変えていない。
     方法書において沖縄防衛局は、「事業の実施がジュゴンに及ぼす影響は類似の事例や既存の知見等を参考に定性的に予測する」としている。2006年3月30日に実施された環境影響評価手続の改正以来、環境影響評価項目に関わる予測は定量的に把握することが基本となっている。定量的な予測を行わない場合には、行わない理由の説明が必要なのである。ジュゴンの場合、個体群存続可能性分析(PVA)などの定量的な予測が必要である。PVAを通じて、事業を行わなかった場合X年にジュゴンが存続している確率はZ%であるのに対し、事業を実施するとその確率はY%となると予測することが可能となり、YとZの比較を通じて、事業が沖縄ジュゴンに及ぼす影響を評価する上での根拠を得ることが出来るのである。しかしながら方法書は、なぜ定量的予測を行わないのかの説明を行っていない。
     また類似の事例の調査については、方法書が縦覧に供された際、筆者は2007年9月13日付けで沖縄防衛局に対し文書で意見を述べた。まず、絶滅の危機に瀕したジュゴン個体群が本件事業と類似の事業の影響を被ろうとしているような類似の事例が世界のどこにあるのか、その心当たりはあるのかと質問した。その上で、もしその心当たりがないのなら、これは環境影響評価についての政府の技術指針の単なるコピーであり、全く無意味であると強調したのである。沖縄防衛局は、筆者のこの意見を無視し、2009年4月1日に出された準備書でも、また本日提出された評価書でも、類似の事例については全く触れていないのである。
     準備書が縦覧に供された際、筆者は、2009年4月28日付けで沖縄防衛局宛てに文書で意見を提出した。その意見書において筆者は、2007年8月から2009年4月の間に実施されたジュゴン調査で辺野古の海でジュゴンが観察されなかったことについての合理的な説明を行うように求めた。それは、準備書でその点について何ら記述がなかったからである。準備書では、環境影響評価手続に先立つ大がかりな調査がジュゴンの行動に及ぼした影響についての分析がなんら為されていなかった。また、事業によって沖縄島周辺で最大の海草藻場が消失することの影響についても、ジュゴンの生息域が分断されることがもたらす影響についても、何も分析されていなかったのである。そこで意見書の中で筆者は、沖縄防衛局がこういった点についての分析を行うよう強く求めた。しかしながら今回もまた筆者の意見は無視され、評価書の中には合理的な説明が為されていないのである。

結論

     2007年8月から2009年4月の間に実施されたジュゴン調査で辺野古の海でジュゴンが観察されなかったことについての合理的な説明がなされない限り、本件事業を放棄し、沖縄ジュゴンの生息域の分断を回避する方が、ジュゴン個体群の存続可能性を高めることになると考える方が合理的である。
     筆者はここに、沖縄防衛局が提出した評価書は、米国連邦地裁(カリフォルニア北部地区)が米国防総省に課した条件を満たしていないと宣言する。

                                                
i 環境アセスメント学会評議員
Email: sakurai@okinawa-u.ac.jp

Wednesday, December 28, 2011

ピーター・デール・スコット『JFK、ウォーターゲート、イラン・コントラ、そして911』(アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス記事)解説付和訳 Peter Dale Scott: The Doomsday Project and Deep Events: JFK, Watergate Iran-Contra, and 9/11 (Japanese Translation)

Peter Dale Scott
Here is a Japanese translation of Peter Dale Scott's article "The Doomsday Project and Deep Events: JFK, Watergate, Iran-Contra, and 9/11" posted in the Asia-Pacific Journal: Japan Focus on November 21, 2011. Translated by two Japanese journalists SAKURAI Haruhiko and DOJIMARU Akira, and introduced by DOJIMARU Akira. 米国の「深層政治」を数々の資料とともに鋭く分析する、ピーター・デール・スコット氏(元カナダ外交官、カリフォルニア大バークレイ校教授)による論文(アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス11月21日掲載)の日本語訳が、ジャーナリストの櫻井春彦(さくらい・はるひこ)さん、童子丸開(どうじまる・あきら)さんの手により完成し、童子丸さんの前文、櫻井さんによる訳注と共にここで発表できる運びとなりました(童子丸さんのHPでも同時公開)。お二人に深く感謝いたします。感想、コメント等はこのブログのコメント欄に投稿いただくか、info@peacephilosophy.com へどうぞ。元記事の後に英語でコメントもできます。(翻訳文は発表後微修正する可能性があります。転載希望の場合はご連絡ください。)@PeacePhilosophy 


ピーター・デール・スコット 著


最後の審判プロジェクトと深層での動き
JFK、ウォーターゲート、イラン・コントラ、そして9・11


翻訳:櫻井春彦、童子丸開

前文:童子丸開

 『1963年の深層での動き以来、アメリカの政治システムの正統性は嘘にくるまれている。 それは、その後に続く深層での動きの助力によって保護されてきた嘘である。』(ピーター・デール・スコット) ”The Doomsday(最後の審判の日)”はキリスト教の聖書の「ヨハネ黙示録」にある言葉で、「キリストの再臨・千年王国」の後で起こるこの世に対する最終処分、全ての死者に対する「最後の審判」が行われるとされる日を意味している。この種の終末論は常に人々のファンタスティックな想像力をかき立てるとみえる。以前には「ノストラダムスの大予言」とやらがもてはやされたが、近年ではどうやら2012年にこの世が滅亡すると主張する人々もいるらしい。これは古代マヤの暦が2012年に当たる年で終わっているためと言われるが、一方でそんなファンタジーとは無関係に、「2012年に起こる米国軍事クーデター」という、1992年に米国軍のコリン・パウエル参謀総長(当時)の求めに応じて米軍人の手で作られた「フィクション」もある。これは<軍隊が国家権力を掌握し、社会的援助と医療、教育、交通を指導しつつ、『国民の防衛』を保障するために統一された命令を発した>という仮定の下に描かれたものだが、実際、2011年12月になって米国議会は新たな「国防権限法(NDAA)」を可決して、軍事独裁色を露骨に強めている
 それにしても『the Doomsday Project(最後の審判プロジェクト)』とは何ともおぞましいイメージをかきたてる言葉だ。この論文の著者によればこれはペンタゴンの命名のようだが、聖書には「最後の審判」の後に世界が「選ばれた少数の者たちだけの永遠の天国」と「大多数の者たちのための永遠の地獄」に2分されると書かれている。現在我々が生きるこの現実の世界で進行中の「人口の1%への富の集中と99%の貧困化」を考え合わせるならば、この「プロジェクト」の命名を単なる気まぐれと一笑に付すにしては、あまりにも現実味があるように思える。
 ピーター・デール・スコット(Peter Dale Scott:1929~)は、カナダ出身の元外交官、詩人、そして米国カリフォルニア大バークレー校で英文学の教授を務めた人物である。彼は厳しい資料の選択と吟味を通して、「深層の政治(Deep Politics)」という用語を用いて現代史を語る。この論文をお読みになればお分かりになるとおり、ある重大な事件に関わりのある公的な資料の中にありながら、その事件が公式に説明される際には不思議と決まって無視される種類の情報がある。そしてその周辺には、決して公開されない、おそらく破壊されたと思われるデータの存在が示唆される。P.D.スコットの「深層の政治」は、このような情報を丹念に発掘しそこにある一貫性を発見してきた結果としてまとめられるものである。
 彼はそこから読み取れる政治の表層から隠された出来事を”Deep Events”と名付けるが、この和訳でそれは「深層での動き」とさせていただいた。正確には「深層の出来事」だろうが、それが次のステップへと動的につながっていく様々な出来事の連続を現すと思われるため、「動き」と訳したものである。以上の点についてご了解いただきたい。
 この論文で「深層の政治」は、1963年11月22日のケネディ大統領暗殺事件、ベトナム戦争の直接の原因となった1964年のトンキン湾事件、1968年6月5日のロバート・ケネディ司法長官暗殺事件、1974~75年に米国を揺り動かしたウォーターゲート事件、冷戦末期の1980年代に大問題となったイラン・コントラ事件、また1970年代末から今日まで暴力的に続くアフガニスタン情勢、そして2011年の9・11事件に至るまで、米国の政治・軍事を舞台として継続されてきた作業の、明白な連続性として登場してくるものだ。個々の事件のビーズ玉はこの「深層の政治」の糸によってつながり一つの明確な形を取っていく。P.D.スコットは現場の資料から離れた憶測を交えることなく、データと人脈からその糸を冷静に厳密に探り取っていく。そしてそれは9・11以後も必然的に、2011年末の今日に至るまで、引き続いて動き続けているものなのだろう。
 私は、「不況」と呼ばれる富の一極集中の中で、米国や欧州で99%の人々の生活が追い詰められ、「偶然の不祥事」で主の変わったIMFを代表部とし米国の格付け会社を司令塔とする巨大金融資本が欧州の支配と主権国家の破壊に成功しつつあり、イスラム圏の再編成と対ロシア・中国封じ込めが図られ、そして対イラン・シリア戦争の準備が進行する今日、この米国政治の「深層での動き」と我々が日常に肌で接することのできる世界の変化との関連を、いやでも感じ取らざるを得ない。
 もちろんのことだが、日本という国家と社会もまたその「深層の政治」によって突き崩されつつある。しかしながら先日、インターネット版の新聞だが、次のような見出しが目に映った。『野田首相、TPP、消費税、「捨石になってけりをつける」』、『「米国に親しみ」過去最高82% 震災支援、追い風に』。私はこれを見て、思わず有名な漢詩の一部をもじって次のようにつぶやかざるを得なかった。「国亡びて…山河穢(けが)る…」。
 ピーター・デール・スコットの作品が和訳されるのは、おそらくほとんど初めてのことではないかと思われる。これは極めて理解しがたいことだが、彼の「深層の政治」という用語が何か怪しげな陰謀論を連想させて日本の研究者を躊躇させるのだろうか。それともそこに何か日本人が触れてはならないものを察知するのだろうか。この和訳で本文の最後に著作・著述の紹介があるのだが、彼の貴重な作業が日本に伝わらないのは理に合わない。彼の今回の記念碑的な論文が、多くの日本人の関心を「深層での動き」に集めるきっかけとなることを期待したい。
 ただこの論文にはいくつかの点でやや残念な面もある。一つには、イラン・コントラ事件から9・11の間で登場してくるいわゆる「米国ネオコン」の動きが完全に抜け落ちている点である。さらにそれに関連して、80年代から急速にそして巨大に台頭してきた「イスラエル(ユダヤ)ロビー」の役割が考慮されていない。またP.D.スコットは、ケネディ暗殺から9・11事件にいたるまで、その深層を探求する動きに対して、いわゆる「左翼」に属する人たちやその情報誌(ウエッブサイトを含む)が為し続けている犯罪的な役割については全く触れようとしない。さらに次の点も指摘できる。ケネディ暗殺や9・11事件が、その犯人とされたオズワルドやアルハズミらが実行しCIAなどの組織がそれを意図的に見過ごしあるいは積極的に補助したいわゆる「やらせ」なのか、それともこれらの者たちは犯行に加わらず他の力によって犯罪が行われて彼らにその罪が擦り付けられた「内部犯行」によるものなのか、読み様によってはどちらとも受け取れるのだが、この論文の中ではもう一つはっきりしない。
 だがこれらは、彼自身が本文で「そうした(革命を求める左翼の)挑戦に対する右翼の反応、そして彼らの反応を高めた深層での動きの役割に今日は焦点を絞ることにする」と述べている以上はいたし方のないことなのかもしれない。またこの限られたスペースの中でそのような事柄にまで触れることは、P.D.スコットといえども不可能な作業に違いない。しかし我々がここで取り上げられている事件とその深層について考える場合、このような著者が触れていない点をも補いながら見ていく必要があるだろう。逆に言えばそうした接し方こそが、この現代史の中で見えなくされている「赤い糸」を丹念にたどるという苦しい作業を続けてきたこの老学者に対する敬意の払い方ではないだろうか。
 P.D.スコットは論文の終盤で、2011年9月から始まった「ウォールストリート占拠」運動に参加する人々に対して、「愛国者法体制」の終了を要求せよという極めて貴重で決定的な提言を行っている。
 この運動には最初から「深層での動き」が関与しているのかもしれず、また警備当局の厳しい弾圧と脅迫によって分裂しつつあるようだ。しかしその正統な部分の流れは米国と世界で、深く長く続く世界中での大衆運動に引き継がれなければならない。その際に、単なる経済的な格差是正を要求するだけのものではなく、近代の世界の歴史を通してその「格差」を作り広げつつある者たちとその集団を見据えた運動にまで発展する必要があるように思える。その意味で、現在「ウォールストリート占拠」運動に参加しあるいは支持を与える人々の88%が「9・11事件の再調査」を、またほぼ96%が「愛国者法体制の終了」を(2011年12月10日現在)、この運動の正式な要求項目にするように求めていることは(もしこのリンク先の情報が信頼できるものならば)、未来に対するかすかな希望なのかもしれない。
 最後に、この翻訳を主要に携わり多数の注釈をお作りになったジャーナリストの櫻井春彦氏、翻訳の補助と公開にご尽力いただいたPeace Philosophy Centerの乗松聡子氏、そして何よりも、作者のピーター・デール・スコット氏とThe Asia-Pacific Journal誌に対して、心からの感謝を捧げたい。
(2011年12月吉日 バルセロナにて 童子丸開)

(以下、(1) (2)・・・は著者からの脚注ナンバー、(i) (ii)・・・は訳者からの脚注ナンバーである)
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最後の審判プロジェクトと深層での動き: 
JFK、ウォーターゲート、イラン・コントラ、そして9・11
                            ピーター・デール・スコット著 

私はアメリカ全体を専制国家にする力がそこにあることを知っている。また、我々はこういった技術を持つこの機関(国家安全保障庁)を含む全ての機関が法律やそれぞれにふさわしい監督者の下で活動していることに気を配らなければならず、我々はその境界にある深淵を決して超えることがない。それは決して戻ることのできない境界である。(フランク・チャーチ上院議員、1975年)
 

 深刻で、しかも間違って理解されている4つの出来事 — ジョン・F・ケネディ(JFK)暗殺、ウォーターゲート事件、イラン・コントラ事件(i)そして9・11 — について論じてみたいと思う。これらの深層での動きを、事件と結びついた、より深い場所にある政治的なプロセスの一部として分析するつもりだ。民主主義を犠牲にしてアメリカの抑圧的な権力を築き上げるのを助けてきたプロセスである。
 
 この数年間、私はこうした出来事の背後にある闇の力について語ってきた。— もっと良い呼び方を探しているのだが、とりあえず「深層国家」と私が呼んでいる、公的な国家の内外で活動している権力だ。今日、初めて闇の権力の一部を明らかにしたい。公的な国家の片隅で50年以上の間、機能してきた権力の一部だ。この闇の権力の一部につけられた名前は私の創作ではない。最後の審判プロジェクト(the Doomsday Project)、つまり「核戦争や何らかの大きな危機が起こっているとき、あるいはその後にホワイトハウスやペンタゴンを機能させるため」の緊急計画のためにペンタゴンがつけた名前だ(1)

 私の論点は単純で重要だ:1980年代の最後の審判プロジェクト、その前身になる緊急計画が、私の論ずる深層での動き全ての背後で、ある役割を演じてきたということである。

 より重要なことはそれが、現在アメリカの民主主義を脅かしている3つの問題全ての背後の要因だということだ。第1は経済(economy)の金権支配(plutonomy)への転換と呼ばれているもので、これはアメリカをどんどんと二つの階級、持てるものと持たざるもの、1%と99%に分離させている。第2は軍事化が急速に進み、特に、地球上の離れた場所で戦争を起こしたり挑発したりする傾向が強まっているということだ。そうした動きは日常的になり、予想できるようになっている。こうしたアメリカの戦争マシンの動きは1%のためのものである(2)
 

 第3 — 今日のテーマ — は、構造的な深層での動きのアメリカ史に与える重要でますます有害になっているインパクトである:それらはアメリカの社会構造を破壊するもので、例えばJFK暗殺、ウォーターゲート事件、または9・11のような不可解な出来事はアメリカ社会に大きな衝撃を与え、法律違反と暴力を繰り返す。そしてその多くの場合は、未知の闇の力に由来する。
 収入と富の格差という視点から、また増大しつつある軍国主義化と交戦状態という視点からアメリカの現在における衰退を多くの人が分析しているが、今日、私が分析することは私が新たに考る、収入格差(私たちの用語では金権支配)や交戦状態はともに深層での動きによって引き起こされているという主張である

 現在のアメリカ経済における収入格差は、政治的な介入から独立して働く市場の力の結果ではないということを先ず理解しなければならない。その主な部分は、システム的で意図的な現在進行している政治的なプロセスに起因している。つまり、1960年代と70年代に、国を支配する力が自分たちの手から離れはじめたと富豪たちが心配したときから始まる。

 後の最高裁判事ルイス・パウエル(ii)が1971年の覚書で、自由企業の存続は、左翼の脅威に対する十分な資金を投入した対応の「注意深く、長期にわたる計画と実行」にかかっていると警告したときが始まりである(3)。この警告は連続する右翼の攻撃によって応えられ、シンクタンクによって調整され、家族基金のある小グループからふんだんに資金を提供された(4)。これら全てはニューアークやデトロイトや他のあらゆる場所で起こった深刻な暴動(iii)に対する対応だということ、そして(アメリカやヨーロッパにおいて)革命を求める左翼の声が高まっていたことを私たちは思い起こさなければならない。そうした挑戦に対する右翼の反応、そして彼らの反応を高めた深層での動きの役割に今日は焦点を絞ることにする。

 パウエルの覚書で重要なことはその文書自体というよりはむしろ、それが米国商工会議所からの委託だったという事実である。この団体はアメリカにおいて、最も影響力のあり、語られることが少ないロビー団体のひとつである。その覚書は1970年代における階級戦争を展開させた多くの兆候のひとつにすぎず、政府の内外で働いたより大きなプロセス(アービン・クリストルが「知的な反革命」と呼ぶものを含む)である。それはいわゆる「レーガン革命」へと直接に導いた(5)

 そのより大きなプロセスが約50年間、アメリカの政治プロセスへ数十億ドルの右翼資金を注入して実行され続けてきたことは明らかだ。1963年のジョン・F・ケネディ暗殺から9・11まで、深層での動きはこの右翼活動の本質だということを今日は示したい。9・11は「政府存続」(COG)計画(1987年に実施されたオリバー・ノースのイラン・コントラ事件に関する公聴会で「アメリカ憲法の停止」と呼ばれたもの)の実行という結果をもたらした。前段階のCOG計画案に基づく、このCOG計画は、いわゆる最後の審判プロジェクトの中で、1982年からレーガンに指名された秘密グループによって慎重に練られた。このグループは、ドナルド・ラムズフェルドやディック・チェイニーを含む公的な立場の者や私人で構成されていた(iv)

 この観点からすると9・11は、遅くともケネディ暗殺から始まる深層での動きの連続の頂点だということにすぎず、最後の審判プロジェクトの胚胎がそれら全ての背景で見つけることができるということを、今日は示したい。

 より具体的に言うと、次のような深層での動きについて論証したい。


1)すでに行われていたCIAや同種の機関による官僚的な不正行為がケネディ暗殺や9・11を引き起こさせる手助けをした。

2)深層での動きのそれぞれは、民主的な力を犠牲にした、それら機関における上意下達の抑圧的な力をももたらした(6)

3)これら深層での動きのそれぞれの実行者と次の出来事の実行者との兆候的な重なりがある。

4)それぞれの出来事に、国際的な麻薬取引の要素が含まれていることがわかる — 現在の金権支配がある程度、麻薬経済になっていることを示唆している(v)

5)それぞれの出来事の背後に(ますます重要な役割を演じている)あるのが最後の審判プロジェクト — 通常の政府チャンネルの外に影のネットワークとして機能しているが、緊急時にはそれに取って代わるべき独自の通信網を持った意思決定の構造である

ケネディ暗殺と9・11の一因になった要素としての官僚的な不正行為
 それぞれの出来事で実行者とされた者(私がJFKと呼ぶ事件におけるリー・ハーベイ・オズワルド、そして9・11事件でハイジャック犯とされたハリド・アルミダルとナワフ・アルハズミ)に関するファイルをCIAやFBIが改ざんしたことで、JFK暗殺も9・11も容易にされた。そうした容易化の一例は、FBIエージェント、マービン・ゲースリングが1963年10月9日に下したFBIの監視リストからオズワルドを外すという決定だ。8月のニューオリンズにおけるオズワルドの逮捕、9月にあったとされるメキシコへの旅行から間もなくのことである。明らかに、こうした展開は通常ならオズワルドへの監視を強化すべきものだったはずだ(7)

  JFKや9・11において、他の機関、特にCIAの行動は、こうした不正行為の範例を示すものである。同じ10月、KGBのエージェントだと疑われていたバレリー・コスチコフとオズワルドがメキシコ市で会ったという情報を、許し難いことにCIAはFBIに伝えていない。このことはゲースリングの行為と似ている(8)。こうしたことで、オズワルドが監視下に置かれないことを保障する一助になった。実際、クラーレンス・ケリー元FBI長官は回顧録の中で、1963年11月22日にオズワルドが監視下に置かれなかった主な理由は、CIAの情報隠匿にあると主張している(vi) (9)

 1963年に軍情報部はさらにひどいことをしている。この機関はダラスにおいて単にリー・ハーベイ・オズワルドに関する情報を隠しただけでなく、キューバに対する報復を誘発するように意図されていると思える偽情報を作り上げている。こうした挑発を私は第1期ストーリーと呼んでいる。そこではオズワルドについて謀略をめぐらしている共産主義者として描こうとしている。(後に示す第2期ストーリーも嘘なのだが、逆に、不満を抱いた個人として描いている。)そうした第1期ストーリーの明確な例は、テキサスの第4軍司令部から届いた通信で、ダラス警察にいる軍情報部の予備役部隊から送られた報告だ。つまり:
 ダラス警察情報部のドン・ストリングフェロー副部長はその本部である第112情報グループに対し、オズワルドから得た情報として、彼は1959年にキューバへ逃げ、共産党の党員証を携帯していると通告している(10)

 この通信は11月22日、キューバへ報復攻撃する場合に備えていたフロリダ州のフォート・マクディールの打撃軍(vii)へ直接、送られた(11)

 こうした偽情報は単発的な異常ではなかった。オズワルドのものだと言われるライフルに関するダラスから送られた別の第1期偽ストーリーによって、そしてマリナ・オズワルドの証言に関する連鎖的につながった嘘の翻訳によっても明らかに裏づけられる。それは、ダラスにあったオズワルドのライフルがロシアで彼が所持していたものだと示唆しているのだ(12)

 一見無関係のようだが、前の段落に書いたこれらの偽報告は、ドン・ストリングフェローの第488陸軍情報予備役部隊(viii)までさかのぼることができる(13)。マリナの言葉を最初に間違って翻訳した通訳イリヤ・ママンコフは、ダラスの石油業者ジャック・クライトン(ix)とダラス警察の副本部長ジョージ・ランプキンによって選ばれた(14)。クライトンとランプキンは第488陸軍情報予備役部隊の隊長と副隊長でもある(15)。クライトンはダラスの石油業者の中で極右の人物であり、H・L・ハント(x)基金の管財人、そして「カタンガ自由戦士のアメリカの友」のメンバーだ。この団体はケネディのコンゴ政策に反対するために組織された(xi)

 1962年のミサイル危機でキューバに軍事侵攻しなかったことに激怒していた統合参謀本部のメンバーがいて(xii)、1963年5月にマクスウェル・テイラーが新たな議長に就任しても「アメリカ軍のキューバへの軍事介入は必要だ」と信じていた(16)ことを記憶にとどめておかなければならない(xiii)。これは、1962年10月のミサイル危機を解決するため、アメリカはキューバを侵略しないとケネディ大統領がフルシチョフに確約(高度の条件付きだが)してから6ヶ月後のことだ(17)。それでも統合参謀本部のJ-5(JCS計画・政策部)は「軍事介入を正当化するための偽装挑発」の計画作成をやめなかった(18)。(「偽装挑発」の一例は、「アメリカのパイロットが操縦するミグタイプの航空機を用いアメリカの海上輸送か軍隊を攻撃する」という想定である(19)。)

 ダラス発のオズワルドに関する誤魔化しは暗殺直後に始まった。それでこの暗殺自体が挑発と誤魔化しの謀略だと彼ら自身が明らかにしたわけではない。しかし、5月以前のJ-5の考え方 — キューバを攻撃するための「偽装挑発」の計画一覧を作成する発想 — と非常に似ていると確認することで、ダラスの第488陸軍情報予備役部隊の反カストロ志向について十分明白となる。(クライトンによると、[第488陸軍情報予備役部隊]には約100名がいて、40あるいは50名程度はダラス警察の人間である(20)。)

 全うできなかった大統領の任期中、ケネディ大統領との間に深刻な意見の対立があった3機関、つまりFBI、CIA、そして軍の官僚的な不正行為を見ることが偶然だとは言い難い(21)。後に最後の審判プロジェクトになる1963年の緊急計画案とダラスの石油業者ジャック・クライトンが結びつくことをこのあと示す。

類似した官僚的不正行為が9・11事件にも
 9・11の前、2000年から2001年に、CIAは呆れたことにまたしてもFBIに重大な証拠を知らせていない。もしその情報を共有できたら、ふたりのハイジャック容疑者、ハリド・アルミダルとナワフ・アルハズミをFBIが監視することになったであろう。この継続した情報隠匿を知ったFBIのあるエージェントは「いつか、誰かが死ぬ」と2001年8月に正確に予言せざるを得なかった(22)

 9・11の後、別のFBIエージェントがCIAについて公に表明する:「彼ら(CIA)は自分たちの仕事にFBIが干渉することを望まなかった。 — それがFBIに話さなかった理由だ…そして9月11日が起こった理由だ。それが起こった理由なのだ…。彼らの手は血まみれだ。彼らの手で3000人を殺した」(23)。9・11前のCIAによる関係情報(規則によって提供することが求められている)の隠匿は、この事件ではNSA(xiv)によってつじつまを合わされた(24)

 言い換えると、こうした隠匿がなければ、ケネディ暗殺も9・11も、実際に起こったような展開にはなりえなかった。私が「アメリカの戦争マシン」で書いたように、オズワルド(後にはアルミダル)は事件前のある時点において、指定対象、つまり工作のために意図して作られた対象として選ばれたことは明らかだろう。こうしたことが当初からアメリカの政策に対する犯罪を調査する委員会向けだったということはないだろう。

 逆に、オズワルドを用意したことは反キューバ工作に関係している。そして、アルミダルは反アルカイダ工作向けなのだ(と私は疑っている)。しかし、ふたりについての(活用できる)伝説が蓄積しはじめたので、ある意図を持った人々が、認可された工作を取りやめて後に隠蔽することになる殺人計画に転換することが可能になった。この点でオズワルドはもはや単なる指定対象ではなく、指定犯罪者だ(25)

 ケビン・フェントンは、彼の網羅的な著作『Disconneting the Dots』の中で9・11に関して同じ結論に達している。「2001年の夏までに、情報隠匿は攻撃が進むようにすることが目的になった(26)。」この不正行為で最も責任のある人物を彼は特定している。それはCIAオフィサーでCIAのビン・ラディン部隊を指揮していたリチャード・ブリーなのだが、彼はクリントン政権時代にCIAの内部での支流のひとつに属し、アフガン北部同盟と連携してCIAはアフガニスタンにもっと好戦的に関われと主張していた(27)。そして9・11の直後にそれが実現し、ブリーは昇進、カブールの新しい支局長に就任した(28)

第2トンキン湾事件(xv)でCIAとNSAはいかにして証拠を隠し、北ベトナムとの戦争に貢献したか
 この情報隠匿に関しては、私の著作『アメリカの戦争マシン』200ページから202ページに書かれているので、ここでは割愛する。しかし、アメリカを戦争へ導く — このケースでは迅速だったが — 手助けをするために証拠を改ざんするという点で、トンキン湾はケネディ暗殺や9・11と似ている。

 トンキン湾事件を引き起こしたようなトンキン湾における駆逐艦の任務は「主に挑発」だというジョージ・ボール元国務次官の評価に、フレデリック・ログボールのような歴史家は同意している(29)。この挑発任務の計画立案は統合参謀本部のJ-5が行っている。この同じ部署が1963年、キューバに関して次のように報告している。「軍事侵攻を正当化する一連の挑発計画は実行できる(30)。」

 8月4日にNSAとCIAが真実を隠したことは、北ベトナムを攻撃するという実際のハイレベルの(しかし問題ある)決定(xvi)に関係している。この点、9・11へと続くCIAとNSAによる真実の隠匿にトンキン湾事件は非常に似ているのだが、このときも再び戦争に向かって進むというハイレベルの(しかし問題ある)決定があった。

深層での動き後に増大する抑圧的な力
 こうした深層での動きの全てはワシントンの次々と増強される抑圧的な力に貢献してきた。例えば、ウォーレン委員会がJFK暗殺をCIAによるアメリカ人監視の強化に使ったことは明らかである。『Deep Politics』で書いたように、シークレット・サービスの国内における監視義務を強めるように(WR 25-26)というウォーレン委員会の問題の多い提言の結果である。何とも筋が通らないのだが、オズワルドはひとりで行動し(WR 22)、…しかもシークレット・サービス、FBI、CIAは連携して組織グループをより綿密に監視するよう提言している。(WR 463)特に、CIAがすでに開発していたものと相互に利用できるコンピュータ化されたデータ・バンク持つようにと提言している(31)

 4年後、ロバート・ケネディ(xvii)が暗殺されたときにもこのパターンは繰り返された。ロバートが撃たれてから死亡するまでの24時間で、議会は大統領候補警護という名目でシークレット・サービスに対し、さらに強化した秘密の権限を与える法律 — (1964年のトンキン湾決議や2001年の愛国者法のように)あらかじめ念入りに起草されていた — を急いで通した(32)

 これは些細でも優しくもない変更である。この迅速に考えられた法案から始まって、ジョンソンの下で決定され、ニクソン大統領の時代に最悪の過剰な適用が流れ出た(33)

 この変更は1968年のシカゴ民主党大会での大混乱と暴力も引き起こしている。シークレット・サービスを応援する陸軍情報部の監視担当エージェントが大会の開かれるホールの内外にいた。そのうち何人かは、「シカゴ・レッド分隊が地元の反戦グループを攻撃させた正義軍団なる暴力集団」を訓練していた(34)

 このようにして、RFK暗殺後に与えられた新たな秘密の権限は、労働組合を代表していた古い民主党を効果的に破壊したシカゴでのひどい大騒動の一因になった。その時から当選した民主党の3名の大統領は暗示的なことに、全て、より保守的になっている。

 ウォーターゲートとイラン・コントラを振り返ってみると、それら二つの出来事は、リチャード・ニクソンとレーガンのホワイトハウスによって行使された抑圧力にまで一段階「後退」した地点にあり、それが拡大はしていない。表面的なレベルで言うならそのとおりである。抑圧が拡大しているという私のテーマに反しているように見えるであろう立法上の改革にふたつの出来事は帰着した。

 しかし、私たちはここでウォーターゲート危機の時と最初のウォーターゲート・ビル侵入の時を区別する必要がある。ウォーターゲート危機では、リベラル派や保守派を含む多くの勢力によって大統領が辞任に追い込まれるのを見た。しかし、最初のウォーターゲート・ビル侵入における重要人物 — ハント、マッコード、G・ゴードン・リディー、そして彼らのキューバ人同志 — はニクソンやキッシンジャーよりはるかに右だった。彼らの陰謀の結末は1975年のいわゆるハロウィーンの虐殺(xviii)まで終わらなかった。そのとき、キッシンジャーは安全保障補佐官としての立場を失い、ネルソン・ロックフェラー副大統領は1976年の共和党チケットを手にできないと通告された。この激震はふたりの右派によって実行されている。ジェラルド・フォード政権に加わったドナルド・ラムズフェルドとディック・チェイニーである(35)

 共和党のいわゆるロックフェラー、またはリベラル派の恒久的な敗北が1975年のあの日に見えた。保守的なゴールドウォーター/ケイシー派が取って代わり、すぐにロナルド・レーガンの指名と大統領職を手にした(36)。1970年代半ばに仕組まれたほかの陰謀と同じように、このほとんど気づかれなかった宮廷クーデターは、アメリカを厚生資本主義経済から、徐々に進んだ収入の減少と富の格差拡大で、反動的な方向を持つ金融資本化された金権支配への転換を達成する助けになった(37)

 イラン・コントラ事件の中で再び、リベラルな改革という外観の中で抑圧的な力が深く蓄積されるのを見る。ニカラグアのコントラに対する支援の終了とコンタドーラ和平プロセスの勝利を、新聞だけでなく私のような学者も祝っていたときである。だがそのときに、次の事実が広く知られることはなかった。オリバー・ノースが最後の審判プロジェクトから外された一方で、彼が去った後も、アメリカの監視、拘束、そして軍国主義の強化というプロジェクトの計画は拡大し続けたのである(38)

 同様に、麻薬を資金源にするCIAの小さな代理軍への支援が縮小されているとき、議会はアフガニスタン(xix)の麻薬を資金源にするはるかに大きな代理軍連合に対するアメリカの援助を同時に増大させていたという事実もまた知られてはいなかった(39)。イラン・コントラ事件で、ウィリアム・ケイジーCIA長官の要求でサウジアラビアがコントラに対して3200万ドルを提供したことが露見したその一方で、やはりケイジーの求めでサウジアラビアが同じ時期にアフガニスタンのムジャヒディンに5億ドル以上を提供していたことについては一語たりとも語られなかった(40)。その意味では、議会におけるイラン・コントラ劇は間違った演出を為された芝居で、アメリカがはるかに集中的に取り組んでいるアフガニスタンから人びとの関心をそらしていたと考えることができる。 — それはアメリカの最も長い戦争に発展する秘密の政策だったのだ。

 イラン・コントラという意識をイラン・アフガン・コントラへと私たちは広げなければならない。そうすれば、その複雑で誤解されている深層での動きの中で、アフガニスタンにいるCIAが準軍事能力を、つまりジミー・カーター政権でCIA長官を務めたスタンフィールド・ターナーが止めさせようと試みた能力を、再び行使したと認識するに相違ない)。要するに、これはリチャード・ブリーような人びとの勝利だった。ブリーはアルミダルの保護者であり、アフガニスタンにおけるCIAの強化された準軍事活動を2000年に弁護した人物である(41)

 ウォーターゲート・ビル侵入(xx)の次の日、1972年6月18日のニューヨーク・タイムズ第1面の記事を私は決して忘れないだろう。そこにはウォーターゲートに侵入した人物の写真も掲載されていたのだが、その中に、その2年前、私の出版されなかったJFK暗殺に関する本の原稿『ダラスの陰謀』の中で私がすでに書いていたフィオリニことフランク・スタージスの1枚が含まれていたのである。

 スタージスを小者と言うことはできない。CIAと雇用契約していたことがあり、犯罪組織とつながりのあるハバナの元カジノ・オーナーたちと緊密な関係にあった(42)。ケネディ暗殺事件について書いた私の初期の文書では、フランク・スタージスとニューオリンズ近くにあった反カストロ・キューバ人の訓練施設との関係に焦点を当てたが、その施設にオズワルドは興味を示していた。共産主義キューバ人の陰謀の一部としてオズワルドを描くでっち上げの「第1期」ストーリーに対するスタージスの関与にも焦点を当てた(43)

 CIAの支援を受けていたマニュエル・アータイム(xxi)の中央アメリカにおける部隊があったのだが、1963年のこうした「第1期」ストーリーの広がりの中、スタージスはその部隊に参加した多くのキューバ人たちの仲間になっていた。アータイムのコスタリカにおける基地は1965年に閉鎖されたが、麻薬取引が理由だったと言われている(44)。1980年代に、この亡命キューバ人たちの一部は麻薬資金でコントラを支援する活動に加わることになる(45)

 アータイムのMRR(革命転覆)運動で政治的な教育係だった人物が、後にウォーターゲート事件を仕組んだハワード・ハントである。1972年にアータイムはキューバ系ウォーターゲート侵入犯のために保釈金を出している。麻薬資金を洗浄していたラモン・ミリアン・ロドリゲスによると、キューバ系ウォーターゲート侵入犯に支払うためアータイムから現金で20万ドルを受け取ったという。後に、コントラを支援する中で、彼はコスタリカでふたつのシーフード会社、フリゴリフィコスとオーシャン・ハンター(xxii)を経営したのだが、そこは麻薬資金洗浄の場だった(46)

 1963年のアータイムによるキューバ侵攻計画にハントとマッコードは加わっていると言われている(47)。私はハントの子分であるアータイムの組織が麻薬取引で苦境に陥ったのは偶然でないと信じている。別のところで書いたことがあるが、1950年にOPC(政策調整局)(xxiii)の支局長としてメキシコ市に赴任して以来、ハントはアメリカの麻薬コネクションを動かしていた(48)

 しかし、マッコードは1963年の反カストロ活動に参加していた過去があるというだけではなく、国家緊急計画ネットワークにも属していたのである。そのネットワークは後にイラン・コントラや9・11の背景で重要な存在として登場してくる。マッコードは緊急準備局(OEP)に所属するワシントンの小さな空軍予備役部隊のメンバーで、戦時には急進派のリストを作成し、ニュース・メディアや手紙を検閲する継続的な計画を考える役割を負っていた(49)

 彼の部隊は属していた戦時情報治安プログラム(WISP)は、新聞、手紙、そして全ての通信(政府の通信を含む)の『検閲を強制し(そして)「治安上のリスク」がある市民を予防拘禁して軍事「キャンプ」に送り込むための継続的な計画』を現実の動きにする責任を負ったものである(50)

 言い換えるとこれらは、1980年代に最後の審判プロジェクト、つまりディック・チェイニーとドナルド・ラムズフェルドが9・11まで20年にわたって関わり、政府存続計画案として知られるようになったものだ。

深層での構造的な動きの共通分母:最後の審判プロジェクトとCOG
 通信に関係する緊急計画システムへのマッコードの参加は、私たちが考えているほとんど全ての深層での動きの背景に存在する共通分母を示唆している。イラン・コントラ計画でレーガン・ブッシュ政権でのOEP(Office of Emergency Preparedness :緊急準備局)においてポイントとなる人物だったオリバー・ノースもそんな画策に連座し、国家のトップ・シークレットである最後の審判プロジェクト通信網にアクセスしていた。フラッシュボードとして知られているノースのネットワークは「視点が違うということでほかの官僚を閉め出し、…独自の特別な世界規模の反テロリスト・コンピュータ・ネットワークを持ち、…それを使って第三者に知られることなく互いにそして外国の協力者と通信できた(51)。」

 それが、ワシントンの官僚制度の中で信頼できないあるいは敵対する勢力に気づかれてはならない非常に微妙な工作であるため、ノースや彼の上官はフラッシュボードを使った。こうした工作の中にはイランに対する武器の違法輸送も含まれているが、ほかの工作もある。一部はまだ知られていないが、恐らくオルオフ・パルメ(xxiv)のスウェーデンに対する工作さえある(52)。1980年代におけるアメリカの緊急ネットワーク、フラッシュボードは20年にわたり、数十億ドルを費やしたチェイニーやラムズフェルドなどのチームによって秘密裏に計画された完成した政府存続(COG)緊急ネットワークの1984年から86年当時の名前だ。9・11では、同じネットワークが長年にわたってそれを計画してきたまさにその二人の人物によって再び活かされることになった(53)

 しかし、この最後の審判プロジェクトの創案は1963年までさかのぼることができる。ダラスの第488陸軍情報予備役部隊の隊長だったジャック・クライトンは、ダラス市民防衛の情報部門を統括していた立場で、その計画に加わっていた。ダラス市民防衛は地下施設である緊急作戦センターの外で動いていた。ルス・ベイカーが書いているように、「攻撃の間、『政府存続』作戦を目論んでいたので、(センターは)通信設備を完全に装備していた(54)」。このセンターの開館式でのスピーチがさらに詳細な情報を与える。すなわち:

 この(ダラスの)緊急作戦センターは国家計画の一部で、地域または国家の緊急時に救援作戦の指示が伝えられる通信ネットワークの中で連邦、州、地元の政府/自治体と結びついている。これは国家、州、地元の作戦的生存計画の重要な部分だ(55)

 つまり、1980年代に最後の審判プロジェクトとして知られるようになる作戦にクライトンは、彼以降のジェームズ・マッコード、オリバー・ノース、ドナルド・ラムズフェルド、ディック・チェイニーと同じように加わっていた。しかし、1988年にその目的は大幅に拡大した。核攻撃に備えるだけではなく、今ではいかなる緊急事態に直面してもアメリカ憲法を効果的に停止させるための計画になっている(56)。1988年のこの変更によって、2001年にCOGが実行されることが可能となった。その時には、ワシントン・ポストが言うところの、「長年にわたる『存続作戦計画』に基づいて進化した影の政府」にまで最後の審判プロジェクトは発展していた(57)

 緊急準備局(OEP、1961年から1968年までは緊急計画局)が、ここで取り上げた事実上全ての構造的な出来事の中で鍵を握る人物についての共通分母を提供することは明らかだ。これは、このようなさまざまな出来事を引き起こすことにOEP自身(加えてここで取り上げた個人)が関与するようになって以来の長い道のりである。しかし、最初はOEP(後にはプロジェクト908の一部)にあった代替の通信ネットワークが少なくとも3度、JFK暗殺、イラン・コントラ、そして9・11で重要な役割を演じていると私は確信する。

 9・11事件でこのことを示すのは容易だ。最後の審判プロジェクトの政府存続(COG)計画が9・11でチェイニーによって実行されたことが認められる。明らかに、ハイジャックされた4機(xxv)のうち最後が墜落する前だ(58)。9・11委員会は、大統領用の地下避難場所に続くトンネルの「安全電話」で連絡した可能性を示唆してはいるが、その日にチェイニーが下した重要な決定事項の記録がどこにあるかを特定できなかった。高度の機密だったために9・11委員会にはその電話記録が提出されなかったのだが(59)、COGの電話だったと推測される。

 ホワイトハウス地下壕の「安全電話」がシークレット・サービスに属すのか、それとも(誰かが予測するかもしれないように)ホワイトハウス通信局(WHCA)の安全ネットワークの一部なのかは明らかでない。もし後者なら9・11とJFK暗殺との間に興味深いつながりがあることになる。WHCAは自身のウェブ・サイトで自慢げにこんなことを書いている。同局は「ケネディ大統領暗殺の文書調査におけるキー・プレーヤー」だと(60)。しかし、この文書調査を誰のために実施したのかは明確でない。なぜならWHCAの日誌や謄本は事実上、ウォーレン委員会に提出されていないからだ(61)

 シークレット・サービスはWHCAの携帯無線機を大統領パレードの先導車に設置した(62)。これは警察無線によって次々と前に伝わり、第488陸軍情報予備役部隊のランプキンDPD副本部長が乗っているパイロット・カーにたどり着くことになる(63)。この自動車パレードから伝えられたWHCA通信の記録が、ウォーレン委員会、下院暗殺特別委員会、あるいは暗殺記録再評価委員会に届くことはなかった(64)

 したがって、ダラス警察の二つのチャンネルの不可解な点について彼らが説明しようとしたかどうかはわからない。例えば、ダラス警察のテープに記録された情報源が不明の電話に光があてられるかもしれない。それはある容疑者についてのものだが、その人物はまさに、FBIとCIAのファイルに記録されたオズワルドの間違った身長と体重を持っていたのである(65) (xxvi)

 2011年の現在、ブッシュ大統領が9・11の後に宣言した国家緊急事態の下で今でも私たちは生活している。少なくともいくつかのCOG条項は効力を持っていて、2007年5月にブッシュが出した大統領令(PD)51によって強化されている。PD-51への解説として、ワシントン・ポストは次のように書いている

 2001年のテロ攻撃の後、国家の存続を確実にするため、ブッシュは(チェイニーを含む)約100名の上級民間管理者を秘密裏にワシントン郊外にある(COGの)所在地に、数週間から数カ月の周期で、交代で配属した。これが長年にわたって練り上げた「継続作戦計画」に基づいて発展させた影の政府である(66)

 恐らくこの「闇の政府」は、愛国者法を通じ令状なしの監視として、長期にわたるCOGプロジェクトを部分的に仕上げた。愛国者法の問題ある諸条項は、10月12日に法案が議会へ提出されるかなり前、チェイニーたちによってすでに実行されていたのだ(67)。実行されたほかのCOGプロジェクトには、米国北方軍(NORTHCOM)(xxvii)の下での軍によって実行される国内監視、そして国土安全保障省のプロジェクト・エンドゲーム — 2007会計年度だけで4億ドルのコストをかけた収容所を拡大する10年計画 — が含まれている(68)

 したがって私は、ここ30年にわたって続くウォール街によるあまりにもひどい金権支配に対して正当にも激怒している占拠運動(xxviii)に、一つの提言を行いたい。それは、2001年から強制され続けている国家非常事態を終了させるように要求することである。この状態の下で2008年から米陸軍旅団戦闘チームがアメリカの国内で恒久的に駐留しているのだ。市民の騒乱や群衆に対するコントロールを支援する準備という面もある(69)

 軍による介入で解決されないように、民主主義を愛する人たちはアメリカで現在進行している政治危機を防ぐために動かなければならない。

 結論を言わせてもらうと、半世紀の間、ケネディ暗殺という未解決の問題によってアメリカの政治は束縛され、変形されてきた。ニコラス・カッツェンバック司法次官補から出された1963年11月25日の覚書によると、「オズワルドは暗殺者」であり「彼は共謀していなかった」と世間を説得することが重要だった(70)。勿論、こうした疑問のある提案がウォーレン報告、米国エスタブリッシュメント、そして主要メディアに支持されたあと、こうしたことは一層、重要になった。現在の政権を含め、ケネディに続く歴代政府にとってこれは頭の痛い問題であり続けている。例えば、オバマ政権の国務省高官(トッド・レベンサール)の現在に至るまでの公的な仕事には、いわゆる「陰謀論者」から単独犯理論を守ることも含まれている(71)

 もし、オズワルドが単独の暗殺犯でないなら、1963年のオズワルドに関する報告をねじ曲げた人たちと、ウォーターゲートで始まった深層での動きでアメリカの政治を歪めた者たちに連続性があるのは驚くべきことではない。1963年の深層での動き以来、アメリカの政治システムの正統性は嘘にくるまれている。 — それは、その後に続く深層での動きの助力によって保護されてきた嘘である(72)

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ピーター・デール・スコットは元カナダ外交官であり元カリフォルニア大学バークレー校英文学教授だが、
Drugs Oil and War, The Road to 9/11および The War Conspiracy: JFK, 9/11, and the Deep Politics of Warの著者である。 その最新の著書は American War Machine: Deep Politics, the CIA Global Drug Connection and the Road to Afghanistan 次の彼のウエッブサイトでその記述の一覧を知ることができる。 http://www.peterdalescott.net/q.html

本稿に関係あるThe Asia-Pacific Journal記事
Peter Dale Scott, Norway’s Terror as Systemic Destabilization: Breivik, the Arms-for-Drugs Milieu, and Global Shadow Elites
Tim Shorrock, Reading the Egyptian Revolution Through the Lens of US Policy in South Korea Circa 1980: Revelations in US Declassified Documents
C. Douglas Lummis, The United States and Terror on the Tenth Anniversary of 9/11
Peter Dale Scott, Rape in Libya: America’s recent major wars have all been accompanied by memorable falsehoods
• 
Peter Dale Scott, The Libyan War, American Power and the Decline of the Petrodollar System
• 
Peter Dale Scott, Who are the Libyan Freedom Fighters and Their Patrons?
• 
Herbert P. Bix, The Middle East Revolutions in Historical Perspective: Egypt, Occupied Palestine, and the United States


【作者からの注釈 ※書籍名、作者名などは原文のままとする

 1 Tim Weiner, “The Pentagon’s Secret Stash,” Mother Jones Magazine Mar-Apr 1992, 26.
2 J.A. Myerson “War Is a Force That Pays the 1 Percent: Occupying American Foreign Policy,” Truthout, November 14, 2001,
link. Cf. Peter Dale Scott, The Road to 9/11 (Berkeley: University of California Press, 2007), 6, etc.
3 Scott, Road to 9/11, 22, 29, 98.
4 Scott, Road to 9/11, 22, 97.
5 Scott, Road to 9/11, 21, 51-52; Kristol as quoted in Lewis H. Lapham, “Tentacles of Rage: The Republican Propaganda Mill, a Brief History,” Harper’s Magazine, September 2004, 36.
6 E.g. Peter Dale Scott, American War Machine, 204-05.
7 Peter Dale Scott, The War Conspiracy, 354.
8 Peter Dale Scott, Deep Politics II, 30-33; Scott, The War Conspiracy, 387; Scott, American War Machine, 152.
9 Clarence M. Kelley, Kelley: The Story of an FBI Director (Kansas City, MO: Andrews, McMeel, and Parker, 1987), 268, quoted in Scott, The War Conspiracy (2008), 389.
10 Scott, Deep Politics, 275; Scott, Deep Politics II, 80, 129n; HSCA Critics Conference of 17 September 1977, 181,
link. ストリングフェローはダラス警察特別任務局の副部隊でジャック・リービルの下で働いていた。そこで彼はジェイムズ・ハーバート・ドウランのようなジャック・ルービーの仲間たちについて常にFBIに報告していたが、FBIのダラスでの犯罪者リストにはドウランについて「有名はならず者で暴力的な男」とある(Robert M. Barrett, FBI Report of February 2, 1963, NARA#124-90038-10026, 12 [Stringfellow]; cf. NARA#124-10212-10012, 4 [hoodlum], NARA#124-10195-10305, 9 [Top Criminal]). Cf. 14 WH 601-02 Ruby and Dolan] 。ロバート・バレットはストリングフェローからFBIに送られた報告を受け取った者だが、ルービーの友人ドウランを厳しい監視下に置いた。彼は同様にテキサス劇場でのオズワルド逮捕に加わり、 殺害された警官ティピットのそばにオズワルドの財布を手にするダラス警察の警官ウエストブロックを目撃したと主張した。 [Dale K. Myers, With Malice: Lee Harvey Oswald and the Murder of Officer J.D. Tippit (Milford, MI: Oak Cliff Press, 1998), 287-90]).
11 これはワシントンに送られた。ただし受け取られたのはその2日後だったが。 (Scott, Deep Politics, 275; Scott, Deep Politics II, 80, 129n; Scott, War Conspiracy, 382).
12 Warren Commission Exhibit 1778, 23 WH 383. (嘘の翻訳が作られる以前のマリナの実際の言葉はこうである。「私はそれ(銃)がどのようなものだったか言えません。私にとってはどのライフルも同じようにしか見えないからです。」 (Warren Commission Exhibit 1778, 23 WH 383; discussion in Scott, Deep Politics, 168-72).
13 ストリングフェロー自身、11月22日に関する他の偽情報源の一つだった。それは、オズワルドが大統領と警官ティピットの両方の殺害者だったと白状したというものである。 (Dallas FBI File DL 89-43-2381C; Paul L. Hoch, “The Final Investigation? The HSCA and Army Intelligence,” The Third Decade, 1, 5 [July 1985], 3),
14 9 WH 106; Scott, Deep Politics, 275-76; Russ Baker, Family of Secrets, 119-22.
15 Rodney P. Carlisle and Dominic J. Monetta, Brandy: Our Man in Acapulco (Denton, TX: University of North Texas Press, 1999), 128.
16 統合参謀本部、“Courses of Action Related to Cuba (Case II),”  Report of the J-5 to the Joint Chiefs of Staff, 1 May 1963, NARA #202-10002-10018, 12. Cf. pp. 15-16: 「アメリカ合衆国はキューバに軍事介入を行うべきであり、侵攻の理由とするために、見るからにカストロ政権によって為されたような挑発的事件を工作することができよう。」
17 Robert Dallek, An Unfinished Life, 568; James A. Nathan, The Cuban missile crisis revisited, 283; Waldron and Hartmann, Legacy of Secrecy, 9.
18 統合参謀本部、 “Courses of Action Related to Cuba (Case II),” Report of the J-5 to the Joint Chiefs of Staff, 1 May 1963, NARA #202-10002-10018, 12.
19 “Courses of Action Related to Cuba (Case II),” NARA #202-10002-10018, 20.  この文書の中には、これらの「挑発行為」が偽物であると大統領に知らせるべきだというような記述は見当たらない。逆にこの文書は「仕分けられた参加者たち」に本当のことを決してもらさないようにと固く要求した。 (“Courses of Action Related to Cuba (Case II),” NARA #202-10002-10018, 19).
20 Baker, Family of Secrets, 122の中にある引用。 その者たちの一人、ダラス警察の刑事ジョン・アダムキックは、オズワルドのライフルがくるまれていた毛布を回収した部隊のメンバーだった。そしてそれが、ウォーレン委員会が有名なマンリチャー・カルカノとオズワルドを結びつけるために利用したものだった。アダムキックは後に、モロトフが行ったマリナに対するライフルについての尋問に同席し、それについてのモロトフのウォーレン委員会に対する報告つくりに協力した。マリナ証言のモロトフによる翻訳が不正確であったと信じる理由がある。 (Scott, Deep Politics, 268-70, 276).
21 James Douglass, JFK and the Unspeakable (Maryknoll, NY: Orbis Books, 2008)を見よ。
22 9/11 Commission Report, 259, 271; Lawrence Wright, The Looming Tower: Al-Qaeda and the Road to 9/11 (New York: Knopf, 2006), 352–54 (FBI agent).
23 James Bamford, A Pretext for War: 9/11, Iraq, and the Abuse of America’s Intelligence Agencies (New York: Doubleday, 2004, 224. 9・11事件前にCIAが秘密にしていたものについてのより完全な情報を知るためには Kevin Fenton, Disconnecting the Dots; Rory O’Connor and Ray Nowosielski, “Insiders Voice Doubts about CIA’s 9/11 Story,” Salon, October 14, 2011,
linkを見よ。
24 Fenton, Disconnecting the Dots, 7-12, 142-47, etc.
25 Scott, American War Machine, 203.
26 Fenton, Disconnecting the Dots, 371, cf. 95. 全く独立にだが、元ホワイトハウスの9・11に関するテロ対策室長リチャード・クラークは、「情報を共有しないように命じるCIA内のハイレベルの決定があった」という訓辞を行っている。 (Rory O’Connor and Ray Nowosielski, “Insiders Voice Doubts about CIA’s 9/11 Story,” Salon, October 14, 2011).
27 Coll, 467-69.(80年代から9・11事件にいたるリチャード・ブリーおよびCIAとオサマ・ビン・ラディンの関係についてはこちらに詳しい:訳者)
28 Fenton, Disconnecting the Dots, 107-08.
29 James Bamford, Body of Secrets, 201. Cf. Fredrik Logevall, Choosing War: The Lost Chance for Peace and the Escalation of War in Vietnam (Berkeley: University of California Press, 1999), 200, citing John Prados, The Hidden History of the Vietnam War (Chicago: Ivan R. Dee, 1995), 51.
30 “Courses of Action Related to Cuba (Case II),” Report of the J-5 to the Joint Chiefs of Staff, May 1, 1963, JCS 2304/189, NARA #202-10002-10018,
link.
31 Peter Dale Scott, Deep Politics and the Death of JFK, 280.
32 Public Law 90-331 (18 U.S.C. 3056); discussion in Peter Dale Scott, Paul L. Hoch, and Russell Stetler, The Assassinations: Dallas and Beyond (New York: Random House, 1976), 443–46.
33 軍の諜報機関は、シークレットサービスに従っていた。そしてこの次期にその数を急激に増やした。The Washington Star はの血に次のように説明した。「この軍の情報収集の大きな集積は…マーティン・ルーサー・キング師が射殺されて以後のことだった」(Washington Star, December 6, 1970; reprinted in Federal Data Banks Hearings, p. 1728).
34 George O’Toole, The Private Sector (New York: Norton, 1978), 145, quoted in Scott, Deep Politics and the Death of JFK, 278–79.
35 Scott, Road to 9/11, 52-53.
36 Scott, Road to 9/11, 53-54.
37 Scott, Road to 9/11, 50-64.
38 Peter Dale Scott, “Northwards without North,” Social Justice (Summer 1989). Revised as
"North, Iran-Contra, and the Doomsday Project: The Original Congressional Cover Up of Continuity-of-Government Planning," Asia-Pacific Journal: Japan Focus, February 21, 2011.
39 Scott, Road to 9/11, 132.
40 Jonathan Marshall, Peter Dale Scott, and Jane Hunter, The Iran-Contra Connection, 13 (Contras); Richard Coll, Ghost Wars, 93-102 (mujahedin).
41 Richard Coll, Ghost Wars, 457-59, 534-36,
42 CIAの副長官だったバーノン・ウォルターズの証言によれば、「ハントとマッコードだけがCIAの常勤だった。[スタージスを含む]他の者たちは短期間あるいは長期間の契約雇用者だった。」 (Watergate Hearings, 3427). Cf. Marshall, Scott, and  Hunter, The Iran-Contra Connection, 45 (casino owners).
43 Peter Dale Scott, “From Dallas to Watergate,” Ramparts, December 1973; reprinted in Peter Dale Scott, Paul L. Hoch, and Russell Stetler, The Assassinations: Dallas and Beyond, 356, 363.
44 Peter Dale Scott, Crime and Cover-Up, 20.
45 Peter Dale Scott and Jonathan Marshall, Cocaine Politics, 25-32, etc.
46 Alexander Cockburn and Jeffrey St. Clair, Whiteout: The CIA, Drugs, and the Press  (London: Verso, 1998), 308-09; Martha Honey, Hostile Acts: U.S. Policy in Costa Rica in the 1980s (Gainesville, FL: University Press of Florida, 1994), 368 (Frigorificos).
47 Tad Szulc, Compulsive Spy: The Strange Career of E. Howard Hunt (New York: Viking, 1974), 96-97.
48 Scott, American War Machine, 51-54. ハントは麻薬にリンクした後に世界勝共連合となるものの結集に寄与した。アータイムのコスタリカ基地は現地のWACL(世界勝共連合)の支部が所有していた場所の一部だった。(Scott and Marshall, Cocaine Politics, 87, 220). (※世界勝共連合に関してはこちらも参照のこと:訳者)
49 Woodward and Bernstein, All the President’s Men (New York: Simon and Schuster, 1974), 23
50 Jim Hougan, Secret Agenda (New York: Random House, 1984), 16, citing Department of Defense Directive 5230.7, June 25, 1965, amended May 21, 1971.
51 
Peter Dale Scott, "North, Iran-Contra, and the Doomsday Project: The Original Congressional Cover Up of Continuity-of-Government Planning," Asia-Pacific Journal: Japan Focus, February 21, 2011. Cf. Peter Dale Scott, "Northwards Without North: Bush, Counterterrorism, and the Continuation of Secret Power." Social Justice (San Francisco), XVI, 2 (Summer 1989), 1-30; Peter Dale Scott, "The Terrorism Task Force." Covert Action Information Bulletin, 33 (Winter 1990), 12-15.
52 Peter Dale Scott and Jonathan Marshall, Cocaine Politics: Drugs, Armies, and the CIA in Central America (Berkeley: University of California Press, 1998), 140-41, 242 (Iran, etc.); Ola Tunander, The secret war against Sweden: US and British submarine deception in the 1980s, 309 (Sweden).
53 Scott, Road to 9/11, 183-87.
54 Russ Baker, Family of Secrets, 121.
55  “Statement by Col. John W. Mayo, Chairman of City-County Civil Defense and Disaster Commission at the Dedication of the Emergency Operating Center at Fair Park,” May 24, 1961,
link. 6インチの厚さのCivil Defense Administrative Filesがthe Dallas Municipal Archivesに保存されている; a Finding Guideはオンラインhereで見ることができる。興味を抱く研究者にこれらを参照してもらいたいと願っている。
56 Scott, Road to 9/11, 183-87.
57 Washington Post, May 10, 2007.
58 9/11 Report, 38, 326, 555n9; Peter Dale Scott, The Road to 9/11: Wealth, Empire, and the Future of America, 224.
59 Scott, Road to 9/11, 226-30. 9・11委員会報告の脚注 (555n9)には次のようにある: 「9・11の危機は、アメリカ政府のプラン、および憲法に沿った政府と政府の作業遂行の継続を確保する能力をテストした。我々はこの点について、9・11で鍵を握る高官たちの活動と連絡状況を理解するうえで必要とされるものを除いて、調査をしなかった。委員長、副委員長そして上級スタッフは、これらの継続のプランについて一般的な性格と実施状況の要約を与えられた」。他の脚注から見ても、COGファイルからの情報が9・11委員会報告の作成に全く使用されなかったことが明らかである。これらのファイルは少なくとも、COGの権限の承認とブッシュがワシントン外に留まるべきとの決定とを同時並行的に行った電話連絡記録が消失した謎を解決させるのかもしれない。私は、これらのファイルが他のはるかに多くの事柄を我々に告げてくれるのではないかと疑っている。
60 “White House Communications Agency,” Signal Corps Regimental History,
link.
61 ウォーレン委員会のスタッフはシークレットサービスからダラスにおけるWHCAの存在を知らされていた。(17 WH 598, 619, 630, etc.).
62 Statement of Secret Service official Winston Lawson, 17 WH 630 (WHCA radio).
63 Pamela McElwain-Brown, “The Presidential Lincoln Continental SS-100-X,” Dealey Plaza Echo, Volume 3, Issue 2, 23,
link (police radio); Scott, Deep Politics and the Death of JFK, 272-75 (Lumpkin).
64 1990年代にWHCAは、11月22日(1963年、ケネディ暗殺の日:訳者)に関するダラスとワシントンの間での連絡に関心を抱くARRB(the Assassination Records Review Board:こちらを参照のこと:訳者)に対して、複数の記述を提供した(NARA #172-10001-10002 to NARA #172-10000-10008)。ARRBはまたWHCAから、1963年11月22日にダラスから帰途に着くエアフォース・ワンの対話が収められた手付かずのオリジナル・テープを手に入れようと試みた。(これらのテープの編集され切り詰められたバージョンが1970年代以来テキサスのオースチンにあるLyndon Baines Johnson Libraryから提供され始めた。)この試みは失敗した。「ホワイトハウスの委員会機関の記述と後述によるARRBへの調査が繰り返されたが、何の成果も上がらなかった。WHCAは、編集済みのテープの元テープに光を当てるいかなる記録をももたらすことができなかった。次を見よ: Assassinations Records Review Board: Final Report, chapter 6, Part 1, 116,
link. 2011年11月にAP通信は、クリストファ・クリフトン将軍が個人的にコピーしたエアフォース・ワンの記録が50万ドルの値を付けて売られていたと伝えている。 (AP, November 15, 2011, link).
65 See Scott, War Conspiracy (2008), 347-48, 385-87.
66 Washington Post, May 10, 2007.
67 ディック・チェイニーの In My Time: A Personal and Political Memoir (New York: Threshold Editions, 2011), 348には次のようにある: 「我々が9・11事件後に国防を強めるために最初に行った努力は、愛国者法の条文を確実なものにすることだった。それは、2001年10月に大統領が署名したものだ。」
link; “Questions and Answers about Beginning of Domestic Spying Program; link.
68 Scott, Road to 9/11, 236-45; Peter Dale Scott,
"Is the State of Emergency Superseding our Constitution? Continuity of Government Planning, War and American Society," November 28, 2010, http:/1/japanfocus.org/-Peter_Dale-Scott/3448.
69 “Brigade homeland tours start Oct. 1,” Army Times, September 30, 2008,
link. 1960年代に作られた陸軍の緊急時プラン GARDEN PLOTの一部として、騒乱を鎮圧するために常にスタンバイしている2個師団(4800名)が1971年まで存在した。
70 “Memorandum for Mr. Moyers” of November 25, 1963, FBI 62-109060, Section 18, p. 29,
link. Cf. Nicholas Katzenbach, Some of It Was Fun (New York: W.W. Norton, 2008), 131-36.
71 レベンサールの公式な地位は「米国国務省、対偽情報対策チーム主任」である(
link)。2010年に米国国務省は「陰謀論を打ち倒すための公式の企画を立ち上げた」。その「陰謀論と偽情報」のページは、『…リー・ハーベイ・オズワルドが単独でジョン・F.ケネディを殺害したこと、そして9・11でペンタゴンはクルーズ・ミサイルの激突を受けていないことを主張する。』Daily Record [Scotland], August 2, 2010, (link). そのサイトはまだここに存在し (「陰謀論は神話の領域に存在し、そこではイマジネーションが暴走して恐怖が事実をしのぎ、証拠が無視される」)、このサイトではまだ9・11への異論を攻撃するが、ケネディ暗殺のページは中断されている (link). 参照 :Robin Ramsay, “Government vs Conspiracy Theorists: The official war on "sick think,” Fortean Times, April 2010, link; “The State Department vs 'Sick Think' The JFK assassination, 9/11, and the Tory MP spiked with LSD,” Fortean Times, July 2010, link; William Kelly, “Todd Leventhal: The Minister of Diz at Dealey Plaza,” CTKA, 2010, link.
72 ニクソンのケネディ暗殺に関する感性について、そしてそれがウォーターゲート事件とひとまとめにして知られるある種の陰謀の中に彼を誘導した筋道については、たとえば次を見よ。 Scott, Hoch, and Stetler, The Assassinations, 374-78; Peter Dale Scott, Crime and Cover-up (Santa Barbara, CA: Open Archive Press, 1993), 33, 64-66.


【訳者からの注釈】
i コントラとはニカラグアの反革命ゲリラの名称。1979年7月にサンディニスタがソモサ家の独裁体制を倒し、革命政権が誕生した。この革命政権を倒すため、CIAはホンジュラスやアルゼンチンの軍や警察と協力体制に入る。反革命軍の訓練はアルゼンチンが担当、ホンジュラスが活動を支援することになった。反革命軍の中核になったのが「9月15日軍団」と呼ばれるグループで、ソモサ時代に国家警備隊の隊員だった人物が多い。この時期、ホンジュラス駐在のアメリカ大使をジョン・ネグロポンテが務めている。9/11の直後に国連大使となった人物だ。
ii 1972年1月から87年6月まで最高裁判事を務めた。
iii 1967年7月、アフリカ系のタクシー・ドライバーが逮捕されたことを切っ掛けにして始まった大規模な社会混乱。逮捕後、ドライバーが拘置中に死亡したという間違った噂が流れ、警察の日常的な暴力に対する怒りが爆発したと言われているが、その背景には失業と貧困の問題があった。
iv 1982年にロナルド・レーガン大統領が出した「NSDD(国家安全保障決定指令)55」によって「プロジェクト」は承認され、NPO(国家計画局)が創設された。このプロジェクトの存在が一般に知られるのは1987年。「イラン・コントラ事件」の公聴会で、ジャック・ブルックス下院議員がCOGプロジェクトについてオリバー・ノース中佐に尋ねたのだ。ダニエル・イノウエ上院議員が「高度の秘密性」を理由にしてさえぎったため、詳しい内容は明らかにされなかった。つまり、イノウエ議員はプロジェクトについて知っていた。当初は核戦争が想定されたプロジェクトだったが、1988年に出された大統領令12656によって、あらゆる「国家安全保障上の緊急事態」に対応するようになった。
v UNODC(国連薬物犯罪事務所)のアントニオ・マリア・コスタによると、2008年に世界の金融システムが揺らいだ際、麻薬取引で稼いだ利益、3520億ドルの大半が経済システムの中に吸い込まれ、いくつかの銀行を倒産から救った疑いがある。(The Observer, December 13, 2009);麻薬資金は流動性が高く、銀行間ローンで利用された可能性があるという。(The Observer, April 3, 2011);麻薬取引による利益は年間6000億ドル、金融機関でロンダリングされている資金の総額は1兆5000億ドルに達する。(UNODC, “Annual Report 2010”)
vi オズワルドは9月27日から10月2日までメキシコ市を訪れていたとされている。10月1日に「リー・オズワルド」と名乗る男がソ連大使館に電話しているのだが、ロシア語は片言だった。本物のオズワルドは流暢なロシア語を話すため、電話の主は「偽者のオズワルド」だった可能性が高い。大使館を訪れた「オズワルド」は屈強な体格で、本物のオズワルドとは体型が違う。FBIもこうした事実を知っていた。(James W. Douglass, “JFK”, Orbis, 2008)
vii 1972年に即応軍へ改編。
viii 第488軍情報分遣隊。
ix 1916年にルイジアナ州で生まれる。第2次世界大戦の際、戦時情報機関のOSS(戦略情報局)に所属してヨーロッパで活動。1956年にクライトンが司令官に。エール大学の時代から情報機関とつながっていた可能性が高い石油業者、ジョージ・H・W・ブッシュとクライトンは親密な関係にあった。1963年には共和党のテキサス州知事候補に選ばれたが、ジョン・コナリーに破れた。1963年11月にケネディ大統領をテキサス州に呼んだひとり。パレードではクライトンの親友でもあったダラス警察のジョージ・ランプキン副本部長がパイロット・カーを運転していた。
x 1963年11月21日、ケネディ大統領が暗殺される前日、後にオズワルドを警察署で射殺するジャック・ルビーがH・L・ハントのオフィスを訪問している。
xi コンゴは1960年2月にベルギーから独立、パトリス・ルムンバが初代首相に就任したが、アレン・ダレスCIA長官はこの人物を危険視、コンゴ駐在のクレアー・ティムバーレーク大使はクーデターでルムンバを排除するように進言している。このときにティムバーレーク大使の下には後の国防長官、フランク・カールッチがいた。結局、9月にモブツ・セセ・セコがクーデターで政権を奪取している。
xii 偽装テロを口実にしてキューバへ軍事侵攻するという「ノースウッズ作戦」の立案で中心的な役割を演じたライマン・レムニッツァー議長(元琉球民政長官)、あるいは日本の都市部空爆や原爆投下を指揮したことでも知られているカーティス・ルメイ空軍参謀長など。レムニッツァーは議長の再任を拒否されている。
xiii 1963年6月10日、ケネディ大統領はアメリカン大学の学位授与式で演説、ソ連と平和共存する道を歩き始めると宣言した。
xiv 国家安全保障庁。1952年に創設されたアメリカの電子情報機関で、イギリスのGCHQとUKUSAと名づけられた電子情報機関の連合体を作り、監視網を地球規模で展開している。そうした監視システムの中心的なものがECHELON。世界に飛び交う全ての通信を傍受していると言われている。UKUSAには米英両国のほか、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドの電子情報機関が参加、命令はNSAとGCHQから出ている。つまり、各国政府はコントロールできない「国家内国家」的存在。
xv 1964年8月に起こった事件。この年の1月にリンドン・ジョンソン大統領はOPLAN 34Aと名づけられた計画を承認、統合参謀本部直属の秘密工作部隊SOGが編成された。メンバーは陸軍のグリーン・ベレー、海軍のSEALSs、そして空軍特殊部隊で編成され、司令官は陸軍大佐が務めた。2月から北ベトナムに対する破壊工作をスタートさせている。その一環として7月31日にSEALsのエルトン・マンジオンとケニー・バン・レッサーは南ベトナム兵を率いてハイフォンに近いホンメ島のレーダー施設を襲撃、その報復として、北ベトナムは8月2日に情報収集活動をしていたアメリカ海軍のマドックスを攻撃、マドックスを攻撃した北ベトナムの艦船は米軍機などの攻撃で撃沈された。この事件を受け、8月7日にアメリカ議会は「東南アジアにおける行動に関する議会決議(トンキン湾決議)」を可決している。この決議を受け、翌年の2月には北ベトナムに対する空爆「ローリング・サンダー作戦」が始まり、本格的な戦争へと移行していった。(Douglas Valentine, "The Phoenix Program," William Morrow, 1990)
xvi 朝鮮戦争が休戦になった翌年、1954年1月にNSC(国家安全保障会議)でジョン・フォスター・ダレス国務長官はベトナムにおけるゲリラ戦の準備を提案、それを受けてCIAはSMM(サイゴン軍事派遣団)を編成、「北部地域の現地人に対する政治的、心理的、かつテロリスト的な活動を開始」した。(
L. Fletcher Prouty, “JFK”, Carol Publishing, 1996)
xvii ジョン・F・ケネディ大統領の弟で、ケネディ政権の司法長官でもある。1968年6月5日に暗殺された。マーティン・ルーサー・キング牧師が殺された2カ月後、兄のJFKが殺された4年7カ月後のことだ。
xviii ニクソンが辞任する前、1973年10月に副大統領だったスピロ・アグニューが辞任、その後釜に座ったのがウォーレン委員会のメンバーだったジェラルド・フォード下院議員。「ハロウィーンの虐殺」ではデタント派がパージされているが、特に重要だと考えられているのがウィリアム・コルビーCIA長官の更迭。コルビーはアレン・ダレスの側近で、1968年から71年までベトナムで住民皆殺し作戦の「フェニックス・プログラム」を指揮していた人物。このコルビーがチリでの秘密工作などをチャーチ委員会で詳しく説明、公聴会では「1968年8月から1971年5月までの間にフェニックス・プログラムで2万0587名のベトナム人が殺され、そのほかに2万8978名が投獄された」と証言している。こうした極秘情報を明るみに出したこともあり、1976年1月に長官を解任された。後任はジョージ・H・W・ブッシュである。コルビーが内部告発に近い発言をした理由は不明だが、CIA長官に就任する5カ月前にひとり娘のキャサリンが死んだことが影響したと考える人もいる。
xix アフガニスタンでの秘密工作を立案したのはジミー・カーター政権で大統領補佐官を務めたズビグネフ・ブレジンスキー。1978年、まだ王制だったイランの秘密警察SAVAKの協力を得て、アフガニスタンのモハメド・ダウド政権を揺さぶり始めている。ダウドはアメリカに接近、「死の部隊」を使って左翼を殺害していく。ところが、この年の4月にクーデターで倒され、モハメド・タラキが実権を握る。CIAの工作を感じたタラキは1979年3月にソ連を訪問、軍隊の派遣を求めるのだが、拒否されている。5月にジョン・ジョセフ・リーガンCIAイスタンブール支局長はパキスタンの情報機関ISIのアドバイスに従い、麻薬業者でもあるグルブディン・ヘクマチアルと会談、ヘクマチアル側へ資金や武器を提供することで合意している。ニューヨーク・タイムズの報道によると、1979年からの10年間でCIAは50億から60億ドルをイスラムの武装勢力へ注ぎ込んいる。麻薬資金の洗浄を含め、工作資金を扱っていたのがBCCIだ。
xx ワシントンDCの民主党全国本部へ侵入した5名がオフィス内で1972年6月に逮捕されたことが発端。その侵入犯とはバーナード・バーカー、ジェームズ・マックロード、ユージニオ・マルティネス、フランク・スタージス、そしてバージリオ・ゴンザレスで、いずれもリチャード・ニクソンのCREEP(大統領再選委員会)に所属していた。侵入犯たちは一般に「鉛管工グループ」と呼ばれている。9月になると別のふたり、ハワード・ハントとゴードン・リディーも逮捕されている。いずれもCIAの人間。
 
 

xxi アータイムはキューバ出身。フィデル・カストロたちの革命軍が勝利する72時間前に革命軍に合流したという人物。革命にはほとんど参加していないが、「元カストロ派」という「肩書き」は手に入れたということ。すぐに反カストロ派としての活動を開始、1959年にスタージスがハバナで反革命のリーフレットを蒔いた際にはCIAの飛行機を飛ばして支援。1961年4月にCIAの支援を受けたキューバ侵攻作戦が実行された際、アータイムは指揮官のひとりとして参加した。
xxii ジョン・ケリー上院議員を委員長とする外交委員会内の「テロリズム、麻薬、国際的工作に関する小委員会」が1988年に出した報告書の中で、米国務省のコントラ支援工作に関係する会社として、フリゴリフィコス(冷凍庫)・デ・プンタレナスとオーシャン・ハンターがSETCO、DIACSA、ボルテックス、ホンデュ・カリブとともにリストアップされている。いずれも麻薬取引に関係している。フリゴリフィコス・デ・プンタレナスとオーシャン・ハンターは姉妹会社。ちなみに、アメリカでは冷凍エビの中に麻薬を隠すことが少なくない。
xxiii 1947年5月にアメリカ議会で国家安全保障法が通過して7月に発効、情報活動の基盤ができた。1948年6月にジョージ・ケナンが草案を考えたNSC10/2が出された。この覚書ではソ連やコミュニストに対する宣伝工作や経済戦、共産主義拡大を予防するための直接的な破壊工作、対破壊工作、爆破、住民の排除などの秘密工作を認めている。その実行部隊として創設されたのが特殊計画局で、すぐにOPCへ名称が変更された。この初代局長がアレン・ダレスの側近だったフランク・ウィズナー。資金も人員もCIAから出ていたものの、CIA長官の指揮下にはなかった。OPCの極東地域における拠点は当初、上海にあったのだが、共産党政権の樹立に伴って拠点を日本に移している。その中でも中心的な役割を果たしたのが厚木基地だ。OPCは1952年にCIAの内部に吸収されて「計画局」の母体になった。秘密工作が露見したこともあり、1973年に作戦局へ名称が変更され、9/11を受けて2005年からは国家秘密局(NCS)。
xxiv スウェーデンの社会民主党に所属した政治家で、1969年10月から76年10月、そして1982年10月から86年2月の2度、首相を務めている。1975年にはキューバを首相として訪問、アメリカやソ連の外交政策を批判していたことでも有名。ニカラグアの革命政権も支持していた。2度目の首相就任を1週間後に控えた10月1日、スウェーデン領海へ国籍不明の潜水艦が侵入するという出来事があった。大捕物が展開されたが、潜水艦は捕獲されないまま、ソ連の潜水艦だということにされた。それに対し、ノルウェーの情報将校は問題の潜水艦はソ連のものではないと断言、西側の潜水艦だとしている。実は、9月の前半にNATO軍はデンマークやノルウェーに上陸する演習「ノーザン・ウェディング」を、後半にはバルト海で別の演習「USバルトップス」を行い、9月末には対潜水艦戦の訓練「ノットバーブ」が実施されている。実際はともかく、ソ連の潜水艦が領海を侵犯したという話が広まったことでスウェーデンの反ソ連感情は劇的に高まる。ソ連を脅威だと考えるスウェーデン人は1980年に国民の5~10%だったが、83年には40%になっている。この事件は第2次パルメ政権にとって足枷になったことは言うまでもない。(Ola Tunander, “The Secret War Against Sweden”, 2004)1986年2月28日、映画を見てから夫婦で帰宅中のパルメは銃撃され、死亡した。事件は未解決である。
xxv ハイジャックされた4機のうち、ボストンのローガン空港を離陸したアメリカン航空(AA)11便とユナイテッド航空(UA)175便がニューヨークの世界貿易センター(WTC)の南北2タワーに激突したとされるが、その物証は存在しない。(これについてはこちらを参照のこと。)ワシントン近郊のダレス国際空港を飛び立ったAA77便はペンタゴンへ突入したとされるが、その確たる証拠は無い。(これについてはこちらこちらこちら、およびこちらを参照のこと。)ニューヨークのニューアーク空港を離陸したUA93便はピッツバーグとワシントンとの中間で墜落したことになっているのだが、このケースでもそのような明確な証拠が存在しないばかりか疑わしさを膨らませる事実があまりにも多い。(これについてはこちらこちらこちら、およびこちらを参照のこと。)
xxvi 12時45分に通信指令係から容疑者は身長5フィート10インチ、体重165ポンドだという連絡が伝えられている。ウォーレン委員会の報告書によると身長は5フィート9インチ、体重はオズワルド自身の申告では140ポンド、海兵隊時代の身分証明書には145ポンドと記載、8月にオズワルドを逮捕したニューオリンズ警察の記録では136ポンド、検死での推定値は150ポンド。
xxvii 北アメリカを担当する地域統合軍。9/11後の2002年10月に設置された。
xxviii 2011年9月17日に不公正な政治経済システムに抗議するためにウォール街の公園で始まった運動。こちらを参照のこと。)7月13日に呼びかけられたのだが、その頃、ニューヨーク市警へCIAからベテランの秘密工作員が派遣され、「副コミッショナー」というポストに就いたと報道されている。




Monday, December 26, 2011

米国専門家二人による、『ネイチャー』誌の鳩山・平寄稿に寄せるコメント Japanese translation of Dalnoki-Veress & Makhijani's comments to Hatoyama/Taira article in Nature

12月19日投稿で紹介した『ネイチャー』誌鳩山・平寄稿に賛同する米国の専門家二人のコメントの和訳です。英文版は下方にあります。Here is a Japanese translation of Ferenc Dalnoki-Veress and Arjun Makhijani's comments to the article on Fukushima nuclear crisis by former Prime Minister Yukio Hatoyama and a House of Representatives member Tomoyuki Taira, in Nature (December 15, 2011). Translated by Terumi Terao (TUP: Translators United for Peace) and Satoko Oka Norimatsu. The original article of these comments are in the Asia-Pacific Journal: Japan Focus. See our previous post on the Nature article.

鳩山由紀夫元首相と平良智之衆議院議員の『ネイチャー』寄稿に対するコメント

フェレンス・ダルノキ-べレス、アージュン・マキジャーニ

2011年12月19日(The Asia-Pacific Journal: Japan Focus 掲載記事のうち、ダルノキ-ベレス&マキジャーニ執筆部分の和訳)

鳩山由紀夫元首相と平良智之衆議院議員は、『ネイチャー』誌12月15日号に大胆かつ勇気ある内容の記事を寄稿し、福島第一原子力発電所を直ちに国有化するよう提唱している。二人の著者の最大の不満は、東電(TEPCO)が今回の悲劇の第1日目から世間にもたらした問題、すなわち、透明性の欠如、問題の深刻さと規模を率直に伝える姿勢の欠如にある。我々は、東電が日本の元首相にさえ原子炉マニュアルを渡すことを拒否し、渡したときには部分的に編集を加えていたということを知り、失望している。

この記事は東電が何を隠蔽しようとしたのかをある程度明らかにしている。東電は「冷温停止」に成功したと宣言しているが、著者らは、燃料が一部分コンクリート床に達しており、そこを破って回復不能な地下水汚染の危険をもたらしているかもしれないのだから、そのような宣言は適切ではない、と的確に指摘している。今や東電は「冷温停止」を声明したのだから、当然、底のコンクリート床にアクセスできるはずであり、それが正常であることも証明できるはずだ!

この記事がもう一つ指摘していることは、「再臨界」、すなわち連鎖反応が少なくとも短時間の間再び起こった証拠である測定結果について、実は間違っていた、と東電と原子力安全・保安院が 2011年4月に発表したことが、人びとの判断を誤らせたという点である。元首相とチームは最終的に生データを手に入れた上で、 再臨界があったことは否定できないし証拠ははっきりしている、と結論づけた。

我々の一人(ダルノキ-べレス)が3月28日に発表した論文(英語版日本語版あり)で、この問題を提起した。その論文では、東電が福島原発1号炉のタービン建屋の海水から塩素38を観測したことが何を意味するかを分析した。当時、原子炉の冷却に普通の水を利用することができず、代わりに海水が使われていた。 我々は、測定された塩素38(海水中の食塩の中に天然に存在する非放射性の塩素37の放射化生成物)の濃度を説明するのに必要な炉心の中性子束を計算した。その結論は好ましからざるもの で、自然におこる自発核分裂では塩素38の濃度の測定値を説明することができなかった。再臨界の可能性は明らかで、無視できなかった。再臨界は再び起こる可能性がある。その時我々が恐れたのは、「事態収拾のための作業の中ですでに曝されている危険よりもかなり大きな危険に」作業員を曝す結果になる可能性があることであった。東電には我々が表明した危惧を考慮してさらに分析を進め、我々が出した結論に対する答えを出してくれることを期待していた。多くの研究者もナトリウムの同位体の濃度測定の必要性を指摘していた。しかしこの論文が発表された後、東電は測定が間違っていたと主張した。

『ネイチャー』誌寄稿の著者らは独自に東電のデータに目を通し、それが3月25日の塩素38の最初の測定結果と整合することを見出した。これは、我々が3月末に示唆したように、再臨界を無視はできないことを示している。多くの公式のシミュレーションがどうして再臨界を予測しないのか、その理由を明らかにしなければいけない。著者らは、いくつかの明らかになった事実を説明するために、核爆発の可能性を挙げてさえいる。東電が測定結果を陰蔽していないかをはっきりさせるためばかりでなく、将来の安全のためにも、何が起こったのかを理解する必要があり、独立した調査が強く求められる。

原発事故現場の汚染除去という、数十年という時間と莫大な金額がかかる途方もない問題、そして帰るべき家のない避難民の問題、汚染された事業所、学校や農地の問題、これらどの問題も、福島第一を東電に任せていてはしっかり対処することはできない。いずれにせよ、同社は被害と補償要求に対処するだけの資産を持っていない。

原子力産業の中で働いている人びとの「危険な楽観主義」とは無縁に、客観的方法による全データの調査を行う独立の科学委員会を設置しよう、という著者らの呼びかけに、我々は同意する。原子力の安全には、津波の前の地震による被害と余震により生じうる被害を理解する必要がある。秘密主義は安全の敵であり、また秘密主義は民主主義とも敵対する。しかし国有化するのなら、これまでのすべての資料と測定結果を生データともども公開することを含めて、完全な透明性という条件で行われなければならない。政府というものも秘密主義と無縁とは言えず、もし企業の秘密主義が政府の秘密主義に交代するだけなら、国有化も何の役にも立たないだろう。

福島第一原発事故がもたらす危険性は日本だけの問題ではなく、実際世界の問題である。この大事故にもかかわらず、原発をアジアと中東に拡大させる予定だからだ。また、事態の鎮静化に努めている作業員が現時点で直面するリスクを定量化する必要があり、原子力産業が社会に負わせるリスクを根本的に問う必要もある。これらの問いは、東電や他の日本企業がその原子力施設設備の第三国への売り込みを認可される前に投げかけなければいけない。

翻訳:寺尾光身/TUP(Translators United for Peace)、乗松聡子 (@PeacePhilosophy)

フェレンス・ダルノキ―ベレス
モントレー国際問題研究所、ジェームズ・マーティン不拡散センターの研究員。核軍縮・廃絶と核分裂物質の世界的拡散についての専門家である。カナダ・カールトン大学で高エネルギー物理学の博士号取得(超低レベル放射線バックグラウンド測定器の研究)メールアドレス:ferenc.dalnoki@miis.edu  電話番号:831-647-4638.

アージュン・マキジャーニ
エネルギー環境研究所所長。カリフォルニア大学バークレー校工学博士(専攻は核融合)。過去20年間、核兵器製造、実験、核廃棄物等、核燃料サイクルの分野で多くの研究業績と論文がある。著書のCarbon-Free and Nuclear Free: A Roadmap for U.S. Energy Policy (『CO2と核からの脱却:米国エネルギー政策のロードマップ』)では、化石燃料や核エネルギーに一切依存せず、米国経済を完全に再生可能エネルギーに移行させる初めての分析を行った。Nuclear Wastelands(『核廃棄物の土地』)のの共編者、Mending the Ozone Hole (『オゾン層の穴を治す』)の主著者でもある。メールアドレス: arjun@ieer.org

From the Asia-Pacific Journal: Japan Focus

Comment on the Comments by Prime Minister Yukio Hatoyama and Representative Tomoyuki Taira

Ferenc Dalnoki-Veress and Arjun Makhijani

Former Prime Minister Hatoyama Yukio and Representative Taira Tomoyuki wrote a bold, courageous and very public comment in the December 15 issue of Nature magazine calling for the immediate nationalization of the Fukushima Daiichi (FD) nuclear power plant. Their biggest frustration is the problem that TEPCO has inflicted on the public since day 1 of this tragedy: a lack of transparency, a lack of being forthcoming about the depth and breadth of the problem. We are dismayed to learn that TEPCO refused to give the reactor manual even to the former Prime Minister of Japan at first, and when it did, it redacted portions.

The article throws some light on what TEPCO might be trying to hide. TEPCO has declared a successful “cold shut down” while the authors quite rightly point out that this claim may be irrelevant given that some of the fuel has reached the concrete floor and may breach it, posing a threat of unremediable contamination of ground water. Now that TEPCO has announced a “cold shutdown”, surely they should be able to access the concrete base and verify its integrity!

The article also indicates that TEPCO and the Japanese nuclear regulator may have misled the public when they stated in April 2011 that a measurement that provided evidence for ‘re-criticality’, that is a restart of a chain reaction for at least a brief spurt, was incorrect. After the former Prime Minister and his team finally got the raw data, they concluded that a re-criticality could not be ruled out – the evidence was inconclusive.

We raised this issue in a paper (available in English and Japanese) by one of us (Dalnoki-Veress), released March 28. There we analyzed the implications of TEPCO’s Chlorine-38 measurement from sea water in the turbine of FD reactor #1. At the time, sea water was used to cool the reactor in the absence of access to regular water. We estimated the neutron flux in the reactor core needed to explain the measured concentration of Chlorine-38 (which is an activation product of non-radioactive Chlorine-37 naturally present in the salt in sea-water). This led to the uncomfortable conclusion that natural spontaneous fission could not explain the measured Chlorine-38 concentration; the possibility of a re-criticality was clear and could not be ignored. It could happen again. Our fear at the time was that a re-criticality could cause workers to be “in considerably greater danger than they already are when trying to contain the situation”. We hoped that TEPCO would take our concerns into consideration and respond to our conclusion by further analysis, especially as many analysts have mentioned the need to measure the concentration of sodium isotopes. After the paper was published, TEPCO claimed the measurement was in error.

The authors of the comment in Nature have taken an independent look at the TEPCO data and found the data to be consistent with the initial March 25th measurement of Chlorine-38. This implies that as we suggested in late March the possibility of re-criticality cannot be ignored. Efforts must also be made to determine why so many official simulations don’t predict a re-criticality. An independent investigation is clearly called for not only to determine if TEPCO covered up the results, but to understand what actually happened for the sake of future safety.

The immense problem of cleanup at the site, which will take decades and cost untold sums of money, the problem of people who have no homes to go back to, the problem of contaminated businesses and schools and farms – none of these problems can be addressed with confidence with TEPCO in charge of FD. In any case, the company does not have the assets to deal with the damage and compensation claims.

We agree and echo the authors call for an independent scientific committee to look at all the data in an objective way devoid of the “dangerous optimism” of those who work within the nuclear industry. Nuclear safety demands that the damage from the earthquake prior to the tsunami and possible damage from the aftershocks be understood. Secrecy is inimical to safety and it is also hostile to democracy. But nationalization must be carried out on condition of complete transparency — including publication of all prior documents and measurements, including raw data. Governments are no strangers to secrecy; nationalization will not help if we go from corporate secrecy to a governmental one.

The stakes are high for Japan and indeed for the world, since despite the disaster at FD nuclear power is expected to expand in Asia and the Middle East. In addition, immediate risks for workers attempting to mitigate the situation need to be quantified and fundamental questions need to be asked about the risks the industry poses for society. Certainly they need to be posed before TEPCO and other Japanese corporations are allowed to sell their nuclear power wares to third countries.


Ferenc Dalnoki-Veress is a Research Scientist at the James Martin Center for Non-Proliferation Studies of the Monterey Institute of International Studies. He is a specialist on nuclear disarmament and on aspects of global proliferation of fissile materials. He holds a PhD in high energy physics from Carleton University, Canada, specializing in ultra-low radioactivity background detectors. He can be contacted here: ferenc.dalnoki@miis.edu and 831- 647-4638.


Arjun Makhijani is president of the Institute for Energy and Environmental Research (www.ieer.org). He holds a Ph.D. in engineering (specialization: nuclear fusion) from the University of California at Berkeley and has produced many studies on nuclear fuel cycle related issues, including weapons production, testing, and nuclear waste, over the past twenty years. He is the author of Carbon-Free and Nuclear-Free: A Roadmap for U.S. Energy Policy the first analysis of a transition to a U.S. economy based completely on renewable energy, without any use of fossil fuels or nuclear power. He is the principal editor of Nuclear Wastelands and the principal author of Mending the Ozone Hole. He can be contacted here: arjun@ieer.org.