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Monday, October 31, 2011

安斎育郎: 原発事故をどう受けとめるか?―次世代への謝罪と期待をこめて―

311以降このサイトにもたくさんの文を提供してくれた安斎育郎さんが、生涯をかけた核問題との戦いを自伝的に綴った文章を紹介します。


『あきた青年広論』特別寄稿

原発事故をどう受けとめるか?
─次世代への謝罪と期待をこめて─

安斎育郎
(プロフィール)1940年、東京で9人兄弟の末子として生まれる。東大工学部原子力工学科卒、工学博士。1969年に東大医学部助手、1986年、立命館大学経済学部教授、88年、国際関係学部教授。1995年より、国際平和ミュージアム館長。現在、名誉館長。2011年4月、安斎科学・平和事務所を開設。

平和のための博物館国際ネットワーク・諮問委員。南京国際平和研究所・名誉所長。ベトナム政府より、文化情報事業功労者記章受章。第22回久保医療文化賞受賞。「国境なき手品師団」名誉会員。

著書に、『人はなぜ騙されるのか』(朝日新聞社)、『ビジュアルブック語り伝えるヒロシマ・ナガサキ』全5巻(新日本出版社、第7回学校図書館出版賞)、『ビジュアルブック語り伝える沖縄』全5巻(同、第9回学校図書館出版賞)、『ビジュアルブック語り伝える空襲』全5巻(同、第11回学校図書館出版賞)、『だます心 だまされる心』(岩波書店)、『放射線と放射能』(ナツメ社)、『だまし世を生きる知恵』(新日本出版社)、『食卓の放射能汚染』(同時代社)、『福島原発事故─どうする日本の原発政策』(かもがわ出版)、『これでわかる からだのなかの放射能』(合同出版)など多数。NHK人間講座「だます心 だまされる心」(全8回)、「あさイチ」、日本テレビの「世界一受けたい授業」などにも登場。

◆はじめに
2011年3月11日の東日本大震災を機に発生した福島第一原子力発電所の事故は、大量の放射性物質を環境中に放出し、生産の場である土地や海を汚染し、子どもたちを含む多くの人々を放射線被曝の危険にさらしてきた。私は、放射線防護学の専門家として、また、東京大学工学部原子力工学科の第1期生としてこの国の原子力開発の黎明の頃から関わってきた者として、この事故の重大さに心痛め、重大な責任を感じてきた。私自身は、後述するように、40年以上も前から原発政策批判の側に身を置き、福島原発にも地元の人々とともに反対運動を続けてきた立場にあるが、結局はこのような破局的な事故を防げなかったことに内心忸怩たる思いを抱き、もっとやり方があったのではないかと悔い、申し訳なさを払拭できずにいる。事故後、4月、5月、8月と福島を訪れ、人々の深い失意に接するにつけ、自らの生き様の問題として、拭いがたい痛みを感じている。

2011年4月16日(71歳の誕生日)、原発被災地で土を採取する筆者


私は日本青年団協議会の助言者を20年余り務め、原水爆禁止運動などを通じて青年団の関係者とはそれなりに浅からぬ交友関係を培ってきた。私が青年団と公式に交わるようになったのは1977年の被爆問題国際シンポジウムと、それに続く原水爆禁止世界大会からだったが、この国の原水爆禁止運動の中には歴史的事情もあって、とかく違和感情が強く残っていた頃だった。私は科学者として可能な限り「全方位的交流」を心がけたが、相応の苦労もあった。2+3はどのような信条の持ち主がやっても5に相違なく、その意味において科学的な真理は価値観や党派性に関係ないはずなのだが、運動の内部に対立感情が渦巻いている時には、人は科学の普遍性などはそっちのけで、いずれの陣営に与するのかと人定めに汲々としがちである。日本の原子爆禁止運動の内部対立の一つの問題が「原発問題」だった。一方には、核兵器と原発の密接な関係をふまえて、「核絶対否定」をこそ運動の基底にすえるべきだという主張があり、他方には、原発に対する態度を原水爆禁止運動の「踏み絵」にすべきではないという主張があった。後述するように、原発と核軍備競争とは密接な関係性をもった歴史的事情をふまえれば前者の主張にも理があり、多くの人々が政府や電力資本による「原子力安全神話」に翻弄されている中では、「平和利用の可能性は否定すべきでない」と考えている多くの人々が現実にいたから、原発に対する賛否の態度を原水爆禁止運動への参加資格とするようなことはすべきでないという後者の言い分にも理があった。前者は実体論的で、後者は運動論的な面を持つ主張だ。福島原発事故を経験した現在、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)も含めて、前者の議論はあまり違和感なく受け入れられつつあるように見える。日本被団協の組織原則は「被爆者であること」であって、原発に対する賛否の態度は参加要件ではない。それは、日本の青年団運動にとっても同じに相違ない。青年団に参加できるかどうかは「青年である」ということであって、あれこれの政治的・経済的・社会的問題に対する態度によって参加の可否が影響されることはないはずだが、問題が現在及び未来の青年のあり方に深く関係するような場合には、異なる意見をもつ自由は認めつつも、したがって、最終的に賛否の態度を決めることは個々人に委ねつつも、組織として問題の本質を深く認識し、意見交換を活発化させ、団員の判断の材料を豊かに提供することは意味のあることであり、組織としての社会的な責務でもあろう。

本稿は、福島原発事故に関する技術上の問題などに深入りすることはしない。なぜこのような深刻な原発事故が発生したのかについて世界史的なレベルで把握し、過ちを繰り返さないために私たちがどうすべきかについて考えようとするものである。

◆広島・長崎原爆投下の経過
戦後日本のエネルギー政策を論じようとすると、第2次世界大戦の終盤の局面から検討する必要があるように思う。簡単に第2次世界大戦の終わり方をまとめてみる。
1939年にドイツのポーランド侵攻で始まった第2次世界大戦は、枢軸国(ドイツ・イタリア・日本など)と連合国(アメリカ・イギリス・ソ連など)の間の世界規模の戦争に発展し、次第に攻勢を強めた連合軍は、すでに、1943年のカイロ宣言で「日本の無条件降伏」などを含む対日基本方針を決めていた。日本は長期化する戦争に疲弊し、44年には本土の戦場化が進み、45年に入ると大規模な空襲にさらされるようになった。

1945年2月、アメリカ・イギリス・ソ連の首脳が「第2次世界大戦後の処理」に関するヤルタ会談を開いた時、アメリカはソ連と「極東密約」を結び、「ドイツ降伏後3ヶ月以内にソ連が対日参戦すること」を要請した。5月8日にドイツが無条件降伏するに及んで、第2次大戦の主敵は日本となった。

7月16日、アメリカはニューメキシコ州アラモゴードで、人類史上初の原爆実験を成功させ、翌17日からベルリン郊外ポツダムでの会談に臨んだ。ソ連のスターリンはアメリカのトルーマンに、「ソ連が8月中旬までに対日参戦すること」を告げ、翌18日には、「日本がソ連を通じて終戦を模索していること」を示す天皇からの極秘親書の内容を伝えた。アメリカのイニシャチブで対日戦争を勝利に導きたいトルーマンは、日本に対する原爆投下の目標地選びを急ぎ、当初「京都・広島・小倉・新潟」を候補地としたが、最終的には8月2日のセンターボード作戦で、「広島・小倉・長崎」と決定した。8月6日、テニアン環礁を飛び立ったB29エノラ・ゲイが広島にウラン爆弾を投下し、核地獄を出現させた。焦ったスターリンは、当初8月15日としていた対日参戦を前倒しし、8月8日23時日本に宣戦布告し、8月9日午前0時を期して満州地方から対日戦の戦端を開いた。奇しくも、ヤルタでの極東密約が定めた「ドイツ降伏から3ヶ月目」にほぼ符合するタイミングだった。アメリカは、自らの手によって日本に止めを刺すため、その3時間後にはテニアン環礁からプルトニウム原爆を搭載したB29ボックス・カーを離陸させ、第2目標の小倉に向かわせた。進入経路の取り方に失敗したのに加え、八幡爆撃による火災の煙が小倉の町を覆っていたため目標が目視できず、結果として原爆は第3目標だった長崎に投下されたが、広島・長崎に投下された2つの古典的原爆は今日までにおよそ35万人を死地に追い遣った。

このように見てみると、原爆投下の背景には、戦時下の国際政治の中での、世界支配をめぐる国家と国家のかけひきがあったことを見て取れよう。

◆戦後の核軍備競争へ
広島・長崎の原爆投下の生き地獄の惨状が世界にリアルに伝えられれば、いくら戦時とはいえ、核兵器のような非人道的兵器は禁止されるべきだという世論が起こったかもしれないが、敗戦国日本を占領した連合軍の中核にあったアメリカは「プレス・コード」(報道管制)を敷き、原爆報道を厳しく禁止した。世界は核兵器使用の非人道的特性を理解せぬままに戦後を迎え、アメリカは翌1946年7月1日、ビキニ環礁での戦後初の原爆実験を皮切りに、再び核兵器開発に乗り出していった。

ところが、僅か3年後の1949年8月29日、ソ連が原爆事件を成功させた。そのほぼ1ヵ月後の10月1日、中国共産党に率いられる中華人民共和国が成立し、翌1950年6月25日には朝鮮戦争が勃発する中で、アメリカは原爆の1000倍も強力なスーパー爆弾としての水爆開発と、日本の再軍備へと向かった。程なく米ソ両国が揃って水爆の原理的実験に成功し、アメリカは、1954年、ビキニ環礁で一連の水爆実験(キャッスル作戦)に突き進み、その一環として、日本で「ビキニ水爆被災事件」あるいは「第五福竜丸事件」として今に記憶される3月1日のブラボー爆発が実施され、世界中に放射能雨を降らせ、海産生物の大規模な放射能汚染をもたらした。ブラボー爆発の水爆の威力は15メガトンだったが、これは第2次世界大戦で使用されたあらゆる砲爆弾威力合計(広島・長崎原爆を含む)の5倍に達するものだった。それは「力による世界支配」の政治思想がもたらした「暴力を極大化」だったが、それでさえ、6年後の1961年10月30日にソ連がノヴァヤゼムリャで行なった50メガトンの水爆実験の露払いに過ぎなかった。不幸なことに、「アトムズ・フォー・ピース(平和のための原子力)」としての原発開発は、この米ソ両国による核軍備競争の展開過程と重なり、密接な関わりをもった。原発の黎明期、米ソ両国は「資本主義陣営」と「共産主義陣営」の雄として、何かにつけて互いに世界を視野に置いた対決姿勢をあらわにしていた。

◆原発開発のルーツ
 1954年にソ連がモスクワ郊外のオブニンスクで5000kWの実用規模の原子力発電を成功させたことは、世界の原発開発競争が本格化する契機となった。この頃、アメリカの原子力方は、、民間企業の原子力分野への参入を認めていなかったし、アメリカの産業界は、国家による戦略的事業である核兵器生産に参入することによって巨億の利益を手にしており、まだ海のものとも山のものとも見定めのつかない原子力発電には、あまり熱意をもっていなかった。アルゴンヌ国立研究所は重水減速炉の開発に取り組んでいたが、原発の実用化には距離があった。

ソ連による実用規模の原発開発によってアメリカは原発開発を急ぐ世界戦略上の必要性に迫られることになった。イギリスも2年後の1956年、黒鉛減速炭酸ガス冷却炉(コールダーホール型炉)による6万kの原発の運転に漕ぎ着けた。アメリカは、ウェスティングハウス社が原子力潜水艦の動力として開発した加圧水型軽水炉(PWR)を急遽陸揚げし、1958年にシッピングポート原発(10万kW)として運転を開始した。同じアメリカのGE社は、ウェスティングハウス社に対抗して沸騰水型軽水炉(BWR)を開発し、遅れて1960年にドレスデン原発(18万kW)として運転を始めた。アメリカの原発は、安全性を一歩一歩確かめながら技術の発展段階を着実に踏まえて十分な時間をかけて開発されるという経過をたどったものではなく、核による世界支配をめぐる米ソのせめぎ合いの中で慌しく「実用化」されたものだった。

日本の原子力開発も、この世界の動きと連動して足取りを刻んだ。1954年3月16日、日本国民は、アメリカのビキニ水爆でマグロ延縄漁船・第五福竜丸の乗組員23人が被災した事件を知ったが、実はその2週間前の3月3日、中曽根康弘改進党代議士のイニシャチブで2億3500万円の原子炉築造予算が政府予算案の修正の形で唐突に国会を通過した。2億3500万円は「ウラン235」からとられたものであり、その性格が知れようというものだが、中曽根氏は。その前年、キッシンジャー大統領補佐官が取り仕切るハーバード大学での「夏季国際問題セミナー」に参加し、アメリカの国際原子力戦略への理解を深め、原子力研究に慎重な日本の学界を政治の力で変えて日本への原発導入を進めることを決意していた。

産業界では、正力松太郎読売新聞社主がアメリカ国務省と連携し、1955年11月には東京・日比谷で「原子力平和利用博覧会」を開催して35万人を動員、翌年にはこれを全国展開、ビキニ水爆被災事件を契機に反核世論が燃え盛る中で、原子力平和利用キャンペーンを繰り広げた。当時、人形峠(岡山と鳥取の県境)でウラン鉱床が発見されたことも、原子力推進派の後押しをした。

アメリカで最初の商業用原子力発電所シッピングポート原発が運転を開始する前年の1957年3月、「大型原子力発電所の大事故の理論的可能性と影響」と題する報告書(WASH740)が出され、最悪の原発事故の場合、3400人の死者が出る恐れがあり、放射能による土地の汚染の損害は最大70億ドルに達する可能性がることを示唆した。70億ドルは当時の換算レートで約2兆5000億円にあたり、日本の国家予算の約2倍に相当した。このままでは到底電力企業の参入が不可能だと考えたアメリカ政府は、同年9月、「プライス・アンダーソン法」を制定し、原発事故に伴う電力会社の損害賠償負担を軽減する法的措置をとった。この法律によれば、電力会社の賠償責任の上限は102億ドルで、それを超えた場合には大統領が議会に提出する補償計画に基づいて、必要な措置をとることとした。4年後の1961年、日本の原子力損害賠償補償法がつくられ、同じ道筋を歩んでいくことになる。

常磐線の浪江の駅前の広告塔が空疎だ(2011年4月16日)

◆アメリカの対日エネルギー支配
ところで、戦後の対日占領政策の中で、アメリカは「一国を支配するには食糧とエネルギーを支配すればいい」という基本戦略に基づいて政策を着々と進めた。第2次大戦直後、日本の発電・送電・配電は日本発送電株式会社(日発)と9つの配電会社(北海道・東北・関東・中部・北陸・近畿・中国・四国・九州)によって担われていた。紆余曲折を経て、日発と9配電会社は1951年5月1日に9地域の民有民営電力会社(北海道電力・東北電力・東京電力・中部電力・北陸電力・関西電力・中国電力・四国電力・九州電力)に分割されたが、この属地主義的再編成にはGHQの意向が強く反映していた。日本の電力生産の大半は水力発電で賄われていたが、地域分割されれば、戦後復興期に急増する電力需要に各電力管内の水力発電だけで対応することは到底不可能であり、電力多消費地に隣接して火力発電所を建設せざるを得なくなる。戦後復興期の火力発電所はほとんど石炭を使用し、世界銀行の招聘で来日したフランスのソフレミン調査団は日本の炭鉱を診断して年産7000万トンの可能性を勧告した時期もあったが、やがて発電用燃料は石炭から石油への転換が進められ、日本の電力生産はアメリカの国際石油資本への依存体質を強め、原子力発電の導入もその延長線上にあった。今日、日本の原子力発電はアメリカで開発された軽水炉をベースとしており、GE(BWR、沸騰水型軽水炉)とウェスティングハウス(PWR、加圧水型軽水炉)が市場を二分割している。

先に述べた通り、1961年、日本も原子力損害賠償補償制度をつくり、原発事故によって50億円以上の損害が出た場合には国が援助する体制をつくった。限度額は2009年に改定され、1200億円に引き上げられたが、「異常に巨大な天災地変」による事故の場合には電力会社は免責される。今次福島原発事故の損害も何十兆円かに及ぶに相違なく、原子力発電は事故時の損害賠償や高レベル放射性廃棄物の10万年にも及び得る保管廃棄費用などを考慮すれば、とても一企業の手に負えるものではない。電力企業にとっては国家の庇護の下ではじめて事業として成り立ち得るものであり、原発はもともと国家と電力企業の共同を前提とせざるを得ない。しかし、やがて、それが電源3法(電源開発促進税法、特別会計に関する法律〈旧・電源開発促進対策特別会計法〉、発電用施設周辺地域整備法)による特別交付金制度によって地方自治体を原発誘致に駆り立て、地域住民を原発推進のために組織することによって「原発促進翼賛体制」が築かれていくに及び、この国の原発開発は、極めて頑迷固陋で不寛容な「原子力ムラ」を築いていったように思う。以下、筆者の体験を綴る。

◆「原子力ムラ」に入村して
筆者は、戦争直後の1947年、疎開先である福島県二本松の小学校に入学し、やがて東京都江東区深川の小学校に転じた。小学校教育を通じて、広島・長崎の原爆被害について学んだ記憶もなく、戦争から死なずに帰った4人の兄たちや父母も含めて、原爆について語ったことを聞いた記憶もない。中学校時代の1954年にはビキニ被災事件の時期を生きたはずだが、「放射能雨」についての断片的記憶はあっても、放射能の恐怖などについてとくに濃密に学んだという記憶もない。筆者が1962年に東京大学工学部原子力工学科第1期生となることを選んだ背景には、1959年5月、東京・晴海で開催された「第3回国際見本市」で展示されたアメリカの原子炉を見た機会があったことが影響している。だから、中曽根─正力ラインがもくろんだ原子力平和利用の世論づくりに絡め取られた一人といえなくもない。展示された原子炉は出力0.1Wながら実物であり、昭和天皇も参観して炉心を覗き込んだことが話題になった。筆者は「平和のための原子力」に新時代の先端科学の一面を感じ、放射能によるトレーサー実験などに知的興味をそそられたように思う。1960年に東京大学教養学部理科Ⅰ類に入学し、2年後の62年に進学先を選ぶ段になって、応用物理工学科なども考えたが、結局、2年前の開設後初の学生募集をかけた原子力工学科に進学し、その第1期生となった。日本の「原子力ムラ」に入村したといえなくもない。筆者は、原子力がモノになるかどうかは、結局のところ、人間が放射線や放射能を管理できるかどうかにかかっていると感じ、専門を放射線防護学分野に選び、卒業研究では原子力施設の災害防止の問題を取り上げた。当時、原子力関連施設が集中立地されていた茨城県東海村初代村長の川崎義彦村長や、日本原子力発電株式会社の板倉哲郎安全技術室長(後の最高顧問)などにもインタビューした。論文は後に『日本公衆衛生学雑誌』に2回に分けて掲載されたが、筆者はひきつづき修士課程に進学し、医学部放射線健康管理学教室を拠点に「尿中ウランの分析法の研究」に取り組んだ。

60年代は日米安保をめぐる国民的闘争で始まり、高度経済成長政策の下で公害・環境問題や労働災害や薬害問題などが噴出し、労働運動・市民運動・科学者運動等が活性化した時代だった。日本にある米軍基地が発進基地として用立てられたベトナム戦争では、ゲリラ戦対策の枯葉剤使用による大規模な森林破壊の実態も明らかにされ、科学者の社会的責任についての議論も盛んに行なわれた時代だった。筆者は、修士課程2年生だった1965年に設立された日本科学者会議(科学の自主的・民主的・総合的発展をめざす学際的な組織)に加わり、政府に対する原子力分野での公開質問状の取り組みや、原発立地予定地域での住民との共同活動などに参画するようになり、徐々に、単なる原子力工学や放射線防護学の専門領域をこえた社会的視野を培っていった。とりわけ、地域住民との共同の過程では、原子力発電所の地域社会への導入に伴う多種多様な問題を容赦なく問いかけられ、それに答えるためには、政治・経済・社会・文化・科学技術のあらゆる面にわたる学習が不可欠で、筆者はいやおうなく、放射線防護学をベースキャンプとする「スペシャリスト」から、原子力一般に視野をもつ「ジェネラリスト」へと鍛えられつつあったといえる。

いわき市での講演会。被災地の人々は真剣だ(2011年4月16日)
1972年、筆者は、日本の科学者の公的代表機関である日本学術会議の第1回原発問題シンポジウムで「6項目の点検基準」を提起し、原発政策を総合的に批判した。弱冠32歳だった。「6項目の点検基準」とは、①自主的なエネルギー開発であるか、②経済優先の開発か、安全確保優先の開発か、③自主的・民主的な地域開発計画と抵触しないか、④軍事的利用への歯止めが保障されているか、⑤原発労働者と地域住民の生活と生命の安全を保障し、環境を保全するに十分な歯止めが実証性をもって裏づけられているか、⑥民主的な行政が実態として保障されているか、である。
翌1973年には衆議院の科学技術振興対策特別委員会に専門家10人の一人として出席し、ここでも日本の原発政策に批判を加えた。筆者は当時東京大学医学部文部教官助手だったが、国家が国策として原発開発を推進しようとしている時に、国権の最高機関である国会で、国家公務員が国策批判を展開した結果、「反国家的なイデオローグ」と見なされることになった。

同じ1973年の9月18・19日、東京電力福島第二原発1号炉の設置許可処分に関わる日本初の住民参加型公聴会が開催され、筆者も地元住民の推薦枠で意見陳述の機会を与えられた。それは「史上初の住民参加型公聴会」という触れ込みだったが、中身は「茶番劇」以外の何物でもなかった。意見陳述人も傍聴人も事前申込制だったが、推進者たちは活版印刷された大量の申込書を提出し、圧倒的多数の推進派陳述人が、圧倒的多数の推進派傍聴人の前で「原発安全・地域貢献コール」を繰り広げる場となった。

最も驚いたことは、一人の婦人代表が、「放射能恐れずに足らず」という認識を主張するために、その年の高校野球で広島商業が優勝したことを引き合いに出したことだった。原爆が投下された広島の高校球児が、福島代表の双葉高校を1回戦12対0で破った上、その後も勝ち進んで全国制覇を遂げたのだから、「原爆放射能恐れるに足らず」という訳だ。「国防婦人会」の再来かと思わせたこの演説を、筆者は、「このような非科学的な主張で原発の安全性が演出されていくのか」と、「悲憤」を覚えたことを記憶している。今回事故が発生した福島第1原発がある福島県双葉郡には、「明日の双葉地方をひらく会」が組織され、「われわれの“力”で原発建設を促進し、豊かな双葉地方を開いてゆこう」「原子力開発に協力し、エネルギー危機を乗切ろう」などというポスターを掲げた。科学技術庁が「原子力の日」(10月26日)向けに掲げた女性のセミヌード写真を用いたポスターには「エネルギー・アレルギー」とあり、「原子力はすでに身近で使われています。エネルギー不足が予想されるいま、正しい知識が必要です」と書かれていた。原子力を恐れるものは過敏なアレルギー症だと主張するこのポスターのメッセージは、1973年の第2次田中角栄内閣で科学技術庁長官を務めた森山欣司氏が、原子力船「むつ」問題に関連して、「原子力を恐れるものは火を恐れる野獣と同じ」と断じた姿勢に通じていた。

〈写真右〉「明日の双葉地方をひらく会」のポスター。住民も原発誘致に動員された。
(写真左)科学技術庁が原子力の日(10月26日)向けに作ったポスター。原発を怖がるのは「エネルギー・アレルギー症」だという。
筆者は、やがて、福島第二原発1号炉の設置許可処分をめぐる行政訴訟に協力し、準備書面の作成や、放射線の影響に関する国側証人(東北大学医学部教授・粟冠正利氏)の論文を批判する証言活動などに取り組んだ。

◆「アカハラ」体験にみる日本の原子力開発の危うさ
この頃、私は、1974年1月に暴露された「財団法人・日本分析化学研究所」による米原潜寄港に関する海水や海底土の放射能汚染データ捏造事件や、同年9月の原子力船「むつ」洋上試験航海放射線もれ事件についても批判的な活動に取り組み、国会に何度か参考人として呼ばれていた。原子力や放射能分野での国政がらみの問題に活発に関わっていたから、かなりの「厄介者」だったのだろう。1973年から1979年3月28日のスリーマイル原発事故の時期にかけて、ネグレクト・差別・監視・恫喝・嫌がらせ・懐柔などさまざまなハラスメントを体験した。

東大医学部の研究室では「安斎を干す」という教授方針が教室員に示されたことが人づてに聞こえてきた。教育業務から外され、研究発表は教授の許可制を申し渡された(研究成果の発表は固有の権利だから、これは無視した)。大学院生が筆者の研究上の示唆を求めたい場合は、勤務が果てた後、大学周辺の旅館や飲食店で行なった。放射線事故などについて筆者の見解が週刊誌などに掲載されると、文献抄読会の席で罵倒された。講演に行けば電力会社の「安斎番」が尾行し、講演内容を録音して報告する体制ができていたし、研究室の隣席には、筆者の言動に関する諜報活動を行なうために電力会社から研修生が派遣されていた。筆者の共同研究者が研究室を訪れると、露骨な嫌がらせを言われて早々に追い出されたりした。筆者は放射線防護の専門学会では若手研究者の支持を得て理事に選ばれ、70年代半ばには「庶務理事兼事務局長」も務めた。当時の学会会長は黒川良康・動力炉核燃料開発事業団安全管理室長だったが、『原子力工業』誌には、「会長が推進派で、庶務理事が反対派で大丈夫か」といった編集後記が書かれた。理事会の帰り東京電力所属の理事に飲食店に誘われ、「費用は全部保証するから3年ばかりアメリカに留学してくれないか」という懐柔策を提起されたこともあった。

私はどの程度に敵対視されていたのか。

その頃、川崎敬三氏が司会をするテレビ朝日のアフタヌーンショーがあったが、ある時、地域社会を原発誘致に誘う上で決定的な役割を果たした「電源3法」生みの親・田中角栄首相の出身地である新潟県柏崎・刈羽原発の地域住民と、森山欣司・科学技術庁長官が対話する企画があり、筆者にも出演依頼があった。しかし、本番前日、「相手が安斎なら私は出演しない」と森山氏が言っているという理由で出演辞退を懇請された。筆者は科学技術庁長官に嫌悪される存在だった。
1975年に開かれた東大工学部原子力工学科の創設15周年のパーティには出席する立場になかったが、後日主任教授から聞かされたところでは、科学技術庁筋の来賓から、「原子力工学科は多くの有為の人材を送り出してきた点で高く評価されるが、安斎を生み出した点では功罪半ばだ」という趣旨の挨拶があったという。「君は国からその程度に敵視されていることを自覚して振舞え」という警告だったのだろうが、もしもこの話が本当なら、筆者はその程度に「高く」評価されていたということになる。

批判者を垣根の向こうに追いやって、自由にものを言わせないばかりか、日常的に不快な思いを体験させ、「改心」や「屈服」を迫る。こうした反人権的な構造的・文化的暴力は、自由な批判精神の発露の上に行きつ戻りつしながら安全性を一歩一歩培っていく技術開発思想とは対極のものだろう。「自由にものを言わせないこの国の原発開発が安全である筈がない」ことを、筆者は肌で感じていた。

◆おわりに
アメリカの対日戦略の延長線上で国家が電力資本と結合して「原子力ムラ」の骨格が形成され、実証性を欠いた原子力技術の「安全性」を権威づけるために「原発推進姿勢の専門家」や「異を唱えない専門家」が役割を果たし、電源開発促進税法によって電力消費者から徴収した財源による特別交付金をエサに地方自治体が誘致に駆り立てられ、マスコミが批判機能を十分果たせずに「安全で安価で地球に優しい原発」を演出する役割を担って「安全・安価神話」を作り出し、「豊かな地域づくり」を表看板に住民たちまで推進派として組織されてきた。それによって「原発推進総動員・翼賛体制」とでも呼ぶべき巨大な「原子力ムラ」が築かれた一方、批判者は抑圧して「ムラ」から放逐し、その言い分を一顧だにしない─これが、この国の原発政策を「緊張感を欠いた独善的慢心」に陥れ、破局に向かって走らせた背景にあったと感じている。

私たち現世代は、原発政策批判の側に身を置いてきた私自身を含めて、福島原発事故のような破局的な事故を防ぎ切れず、子や孫や次世代以降の人々に巨大な「負の遺産」を残してしまった共同責任を負っている。まことに申し訳ないことだと思う。謝罪する以外にない。青年たちの多くは、国家・電力資本・専門家・自治体・マスコミ・推進住民組織という「原発推進ヘキサゴン(六角形)」に翻弄され、あるいは深い関心を培う機会もないままに、今次原発災害を目の当たりにしたのであろう、しかし、国任せ、企業任せ、専門家任せの姿勢の危うさを、私たちは福島原発事故を通じてよくよく学ぶ必要がある。青年の多くは今次事故の原因に直接的な責任を負う立場にはないが、これから子や孫や次世代以降の人々に憂いを残さないためには、私のような古稀老人にできることには限度があり、「現代」と「未来」を繋ぐ世代としての青年たちにしっかりした見識をもち、より安全な国づくりに自ら積極的に関わる主体性を育み、旺盛な実践のエネルギーを発揮してもらう必要がある。

私たちは原発の恩恵に浴し、電力の約3分の1を原子力発電に依存してきた。その結果、今後数万年に渡って管理していかなければならない、しかも何の価値も生み出さない膨大な高レベル放射性廃棄物を蓄積し、続く何十・何百世代に同意もなく委ねるという「愚」を犯してしまった。私は事故以来、マスコミ対応、講演活動、執筆活動に息も詰まる毎日だが、事の本質を青年たちに伝えるとともに、原発からばらまかれた放射性物質(それは一種の「癌当たりくじ」だが)を出来る限り除去して安全な生存環境をつくるための知識と方法を広めることが、放射線防護学者としての私の責務であると感じている。私のもう一つの専門である「平和学」の分野では、平和教育の目的は、世の中に平和でない状況があることを「知る」だけのことではなく、どうすればより平和な状況を切り拓くことができるか、「自分に何ができるか」と考える主体性を育み、それを実践するための知識や方法(ピース・リテラシー)を身につける支援をすることであると心得ている。目の前の原発事故の実態に目を向けるだけでなく、これからの平和で安全な社会建設のために、青年たちには"Think Globally, Act Locally"(地球的規模で考え、地域から行動する)姿勢を忘れずに、問題を等身大に引きつけて、出来ることは何でも実践して欲しいと念じている。

福島市の保育園で汚染した表層土を削る筆者(2011年5月8日)

このサイトの安斎さん提供の過去の記事

安斎育郎: 外部、内部被ばくを最小限に抑える方法

安斎育郎: 福島原発事故に思う - 識者による「建言」について

福島原発事故についての緊急建言

Thursday, October 27, 2011

消されたレポート「TPPに潜む危険性」(あおぞら銀行 金融法人部門)

TPP の危険性がよくわかるとネットで評判だった「あおぞら銀行」の「前川レポート」が消されているという情報が流れている。印刷しておいてよかった。ここで共有しておく。(中野剛志氏のYouTubeもつけていましたが削除されましたのでリンクも削除しました。)

Monday, October 24, 2011

浦田賢治: 「核兵器と核エネルギーの犯罪性」 Kenji URATA: Nuclear weapons and nuclear energy are both criminal

Here is a new article on criminality of nuclear weapons and nuclear energy, by Kenji URATA(lawyer, Vice Chair of International Association of Lawyers Against Nuclear Arms), who recently contributed an open letter posing questions over the collaboration of Fukushima University and Japan Atomic Energy Agency.

先日、「原発の存続・拡散は人道に対する犯罪である」という、福島大学と日本原子力研究開発機構(JAEA)の協定に疑義を呈する公開書簡を寄稿いただいた浦田賢治さん(早稲田大学名誉教授、国際反核法律家協会副会長)による、核兵器と核エネルギー双方の非法性についての論文(日本語版、英語版)を紹介します。

核兵器と核エネルギーの犯罪性 
ヒロシマからフクシマへ


浦田賢治
早稲田大学名誉教授
Kenji URATA and C.G.Weeramantry, at Waseda University,
July 30, 2001

1 ダモクレスの剣の2つの刃
ポーランドのシュチェチンは、ベルリンのテーゲル飛行場から車で直行1時間あまり、またバルト海にも近いところに位置する。このシュチェチン大学で、今年6月、国際反核法律家協会(IALANA)の総会が開催された。現在の会長はC.G.ウィーラマントリー判事であり、彼は国際司法裁判所(ICJ)の元次長でもある。同判事は、核兵器使用の勧告的意見で、それは「いかなる状況においても違法だ」という個別意見を書いた。(*1) このことですでに世界的に著名だ。

彼は今回総会の6月19日の基調講演で、こう述べた。「核兵器と核エネルギーはダモクレスの剣の2つの刃である」この2つの「剣をつるす脅威の糸は、少しずつ切り刻まれつつある。なぜなら、核保有国が増加し、インターネットで核兵器製造知識の入手が可能になり、原子炉廃棄物に由来する核兵器物質の入手が可能になり、さらにテロ組織の活動が爆弾取得を念願しているからだ。ダモクレスの剣は日々危険なものになりつつある。」(*2)

この論調は、「核兵器と原子炉を動かす核エネルギーとは別だ」と言う支配的な二分法を断固退け、核時代の2大要素である核兵器と核エネルギーを関連づけて認識し、両者に共通する深刻な問題に人々が直面することを求めたものだった。

「ヒロシマからフクシマへ」という事態を受け止めるとき、思考の核心となるのはなにか。考えたあげくに到達したのは、核兵器と核エネルギーの犯罪性という概念である。だが日本には、核エネルギーの犯罪性という概念は、みあたらなかった。例えば日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)でさえ、それが訴えたのは核兵器の犯罪性に限られた。
 
2 核兵器保有・配備の犯罪性
ベルリンの壁が崩壊した直後、IALANAドイツ支部がベルリンで専門家たちの大集会を開いた時、私も招待されて出席した。ここでアメリカの国際法教授フランシス・ボイルは、講演した。そして、広島・長崎への原爆投下は、ニュルンベルク憲章によって戦争犯罪と人道に対する罪にあたるという自説を主張した。(*3)

実はそれ以前に、彼は核兵器の使用だけでなく、保有の犯罪性も主張していた。彼の学術論文「核抑止のパラドックスと国際法との関連性」が1986年に発表されていた。(*4) 争点は従来、国家が核兵器を保有することが合法かどうかと組み立てられてきた。しかしここで着眼すべきは、核兵器国が核兵器だけを保有しているわけではないことだ。彼は次のように問題をたてなおした。命令系統、管理、伝達、およびインテリジェンス(C3I)のネットワークに接続された運搬手段に付随して、膨大な数と種類の核兵器を積極的に展開している。この核兵器システムは、緊急警報によってほぼ瞬時に立ち上がるように配備されている。したがって唯一意味のある問いかけの仕方は、現在その使用のために配備され、プログラムされている近代的な核兵器システムの合法性を問題にしなければならない。このように組み替えたのである。

この問いに、彼はこう答えた。世界中の核兵器国、特に2つの超大国によって維持されている核兵器システムは、この単なる保有の段階からはるかに離れた段階にある。すぐにでも熱核戦争を行えるように準備・配備されている段階にある。それは、ニュルンベルク原則に照らすと、こう言える。これは平和に対する罪、人道に対する罪、ジェノサイド罪、および戦争犯罪を犯す計画、準備、または謀議である。これは、元来、国際犯罪を構成するものである。

続けてこう述べた。核兵器と関連システムの保有・配備を合法化することを目的とするあらゆる国際的合意は、国際法の確固とした規範に違反する。1969年の条約法に関するウィーン条約53条に基づき、違法となる。海賊、奴隷、武力侵略、平和に対する罪、人道に対する罪、戦争犯罪、ジェノサイド罪が、ユス・コーゲンス(jus cogens 強行規範)を侵害するものだと普遍的に考えられている。とすれば、なおさら、人類全体を滅ぼす2つの核超大国による威嚇は、これを行うための能力と共に、同様にユス・コーゲンスを侵害するものと考えなければならない。

さらに彼の深刻な疑念は、核抑止が合法だという抽象的な命題を推進する者にも向けられている。米合衆国の核抑止ドクトリンは違法であって、この違法性が他国の軍事的な反抗を促進する作用を果たしていると論じている。(*5)

3 原発の存続・拡散の犯罪性
「フクシマ」問題をいちはやく、犯罪論の観点から論じたのは、ウィーラマントリー判
事だった。福島第一原発の3月11日事故発生から3日後、3月14日、同判事は各国環境相宛に公開書簡を送り、原発の存続・拡散は国際法のあらゆる原則に違反するばかりか、将来世代への犯罪になると述べた。(*6)

彼によれば、市民はみな、一人ひとりが環境の受託者だ。各国の政府の担当者は、この点で特別の責任を負っている。原発の恐るべき帰結は将来世代へ破局的な損害をあたえるだけではない。太陽光その他の再生可能エネルギー源は、世界が必要とするあらゆるエネルギーを供給できるのに、それらを無視することになっている。原子炉の存在がテロリストの標的になっている。原子炉からでる廃棄物の総量は計測不能であるが、これを安全に処理する方法はない。これらのことを知りながら、原発を存続し拡散するのは、信託されたことに違反し続け、子や孫への責任を放棄することになる。道徳と法のいかなる基準に照らしても、正当化できない。現存する人道法、国際法、環境法、及び持続的発展に関する国際法の、あらゆる原則に違反する。政府当局者が新しい原発の建設を止めるため直ちに行動しなければ、危険を自覚しつつ将来世代に対する犯罪をおかすことになる。

全世界の各国の環境相よ、いますぐに行動してほしいと訴えた。

私はこの見識に感銘し、その英知と勇気に感動した。そして私自身さらに、つぎのように主張した。原発の存続と拡散は、現存世代に対しても人道に対する犯罪になるのだと。(*7) 日本政府と東京電力によって、一般市民である地域住民の人間の尊厳に対する深刻な攻撃がなされ、その結果、生活の質を極端におとされるなど、非人道的行為がなされているではないか。そういう意図はないと弁明するかもしれないけれども、しかし人道に対する犯罪の成立については、意図に関する要件は問題にならない。

人間の尊厳が攻撃されている点で、原発の生存被曝者がうける苦しみの質はヒロシマ・ナガサキの被爆者のそれと共通するものがある。しかも、この原発被曝者の数は桁違いに多く、いまなお定かでないほどだ。フクシマで、内部被曝を含む低線量被曝が、現場労働者や子どもたち、地域住民の生命、健康と安全に現実的に脅威を及ぼしている。しかも排出放射性物質の悪影響は大気と海洋をふくむ地球環境に及び、生態系の破壊と繋がり人類の生存に関わると認識されている。

他方、ボイルもいちはやく、原子力産業の犯罪性を指摘してきた。3月20日付けの書簡である。要点はつぎのとおりだ。日本の核エネルギー(原子力発電)産業は、日本も加盟している国際刑事裁判所のローマ規程第7条で定義されている人道に対する犯罪を持続している。全世界の日本以外の核エネルギー(原子力発電)産業についても、同じことが言える。日本の核エネルギー産業が人道に対する犯罪をやめるよう、日本の人民はいまこの法的な結論を使うべきだ。全世界の日本以外の核エネルギー(原子力発電)産業についても、同じことが言えるのである。とくにモックス(MOX)は、プルトニュームを含んでいる。それは、人類が知っている最も致死性の高い物質だ。しかも福島第一原発3号炉はモックス(MOX)・プルトニュームを使っており、ここですでに爆発がおきている。日本政府と核エネルギー産業に対して、この情報開示要求を持続すべきである。(*8) 私はこの見解から示唆をうけた。

4 核兵器廃絶・脱原発・平和探求
さて、IALANAのシュチェチン宣言(6月19日発表)はつぎの2点を含んでいる。核兵器全廃条約の締結にむけた準備作業を開始させること、また核エネルギーの世界規模での廃絶を呼びけることである。この第二点目に立ち入ると、5月26日の日本反核法律家協会(JALANA)理事会の決議を「核エネルギーの全廃の呼びかけ」と受け止めて、これを支持した。また、必要なことは、再生可能エネルギーとエネルギー生産の民主化とにむけた完全な転換である、と述べたのである。

今回総会の背景と特徴はなにか。振り返っておこう。一昨年(2009年)6月26日に採択されたIALANAベルリン決議の眼目は、翌年(2010年)5月のNPT会議を展望する点にあった。核兵器のない世界の将来像を現実にするには、全体的かつ恒久的な核兵器撤廃を達成する条約の締結を必要としている。IALANAは、核不拡散条約(NPT)再検討会議から、このような条約の締結に向けた速やかな交渉開始を要求する声が起きることを期待するとのべた。しかしIALANAは、この期待は失望に終わったと評価し、したがって漸進主義でなく、核兵器のない世界に向け「跳躍する」方途を独自に追求することにした。ここではまだ、「核兵器と原子炉を動かす核エネルギーとは別だ」と言う二分法がゆきわたっていた。

しかしながら3月11日福島第一原発事故を受けて急遽IALANAは、核エネルギーのない世界の実現を求める活動をするか否か、このことが問われた。また今年4月は、チェルノブイリ事件の25周年にあたっていた。ちなみに国際原子力機関(IAEA)などによる被害の認識は過小評価であって、現実にあっていないではないかなど、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)による新たな批判的見解がだされた。(*9)また原発のグローバル拡散をもってクリーン・エネルギー革命といえるのか、このことが問われていた。

こうみてくると、今回総会の新たな成果がはっきりする。それは創立以来23年に及んで、核兵器の廃絶から平和の探求に進んだIALANAが、この2つの目標のもとに、今回世界規模での脱原発を位置づけたこと、そして法律専門家としてこの課題に取り組むことを決めたことである。視点を換えてみれば、核兵器廃絶・脱原発・平和探求、これを三位一体と見て取り組むことにしたともいえよう。

こうした立場を自覚すると、法律専門家として脱原発の課題に取り組む場合、その実例は限りなく多い。国際原子力機関憲章を頂点とする原子力条約法制が存在する。また日本には原子力基本法制がある。そこで、どう考えるか。例えば核不拡散条約(NPT)4条にいう“奪い得ない権利”と、今後どうむきあうか。「平和的目的のための原子力の研究、生産及び利用を発展させることについてのすべての締約国の奪い得ない権利」が現行条約の定めである。したがって、これは変更できると考えて取り組む。国連に加盟するほぼ全ての国が締約国になっている場合でも、国際立法の段取りにしたがって取り組むのである。再生可能なエネルギーの革命の進行に適合するなら、こうした作業にも、確かな展望が開けるだろう。


1. C.G.ウィーラマントリー判事の個別意見の全訳は、ジョン・バロース『核兵器使用の違法性:国際司法裁判所の勧告的意見』(浦田賢治監訳、山田寿則・伊藤勧共訳)早稲田大学比較法研究所叢書27号、259-426頁。
2. IALANA • Schützenstr. 6a • 10117 • Berlin • Germany, Final Declaration of the General
Assembly of IALANA,Szczecin, 19th of June 2011(URL)
3. フランシス・ボイル「今日の核抑止の犯罪性」。この論稿は、2010年9月4日、オーストリアのフェルトキルヒで開催された会議での講演記録である。この会議の名は、「倫理への勇気(Mut Zur Ethic):直接民主主義」第18回大会である。浦田賢治編著『核抑止の理論:国際法からの挑戦』2011年12月、日本評論社発売予定、所収。
4. Francis A. Boyle, ”The Relevance of International Law to the “Paradox” of Nuclear Deterrence, Northwestern University Law Review, Vol.80,No.6, at1407, Summer 1986. 
5. この論文の全訳は、前註3の書物『核抑止の理論:国際法からの挑戦』に収められている。
6. 「日本の原子炉の破局」(浦田賢治訳)『日本の科学者』2011年7月号57-59頁。
7. 浦田賢治「原発事故:原子力と核、同じ脅威」秋田さきがけ(6月10日)、信濃毎日新聞(6月22日)など、共同通信の配信(識者評論)による。
8. Nuclear Power Industry is a Crime Against Humanity! Sunday, 20 March 2011 09:11
9. IPPNW「チェルノブイリ健康被害」新報告と、首相官邸資料「チェルノブイリ事故との比較」との驚くべき相違。Peace Philosophy Centre のURL(2011年4月18日)。

*『法律時報』2011年10月号の「法律時評」に掲載。

The Criminality of Nuclear Weapons and Nuclear Energy:
From Hiroshima to Fukushima

Kenji Urata


The Two Sides of a Damoclean Sword
Szczecin, Poland is one hour by car from Berlin’s Tegel Airport, and it is also a stone’s throw from the Baltic. This June the General Assembly of the International Association of Lawyers Against Nuclear Arms (IALANA) was held at the University of Szczecin. The current IALANA president is Justice C. G. Weeramantry, who is also the former vice-president of the International Court of Justice (ICJ). In the advisory opinion on the use of nuclear weapons, Weeramantry wrote a dissenting opinion that “the use or threat of use of nuclear weapons is illegal in any circumstances whatsoever.” He is already world-famous for this.

In his keynote speech at the General Assembly on June 19, Weeramantry said: “Nuclear weapons and nuclear energy are the two sides of a Damoclean sword… The fibers of the threat by which the sword is suspended are being cut one by one through the increasing number of nuclear states, the availability on the internet of knowledge regarding nuclear weapons construction, the availability of materials from the waste of nuclear reactors, and the activities of terrorist organizations who would love to acquire a bomb. The sword of Damocles is being made more dangerous every day.” (1)

Weeramantry’s argument firmly pushes aside the prevailing dichotomy that nuclear arms are different from the energy of nuclear reactors. Weeramantry perceives nuclear weapons and nuclear energy — the two pillars of the nuclear age — as being connected, and calls upon people to squarely face the grave problems common to both.

What should form the nucleus of our thinking in our approach to this situation called “from Hiroshima to Fukushima”? After considering this I concluded that it is the concept of the criminality of nuclear weapons and nuclear energy. But one cannot find the concept of nuclear energy criminality in Japan. For example, even the Japan Confederation of A- & H-Bomb Sufferers (Hidankyo) has appealed only to the criminality of nuclear weapons.

The Criminality of Possessing and Deploying Nuclear Weapons
Just after the Berlin Wall fell, the IALANA German office held a convention of experts in Berlin. I too was invited and attended. Francis A. Boyle, a US professor of international law, delivered an address at this meeting, where he advocated his theory that, under the Nuremberg Charter, the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki are war crimes and crimes against humanity. (2)

In fact, prior to that time Boyle had already asserted the criminality of not only nuclear weapons use, but also possession. In 1986 he had published his paper “The Relevance of International Law to the ‘Paradox’ of Nuclear Deterrence.”(3) The controversy had always been presented in terms of whether it is legal for states to possess nuclear weapons, but we must note here that nuclear states do not possess nuclear weapons alone. Boyle reframed the issue in the following way. These states “have actively deployed nuclear weapons in enormous numbers and varieties by attaching them to delivery vehicles that are interconnected with sophisticated command, control, communications, and intelligence (C3I) networks. Such nuclear weapons systems are ready for almost instantaneous launch upon immediate notice. Hence the only meaningful question concerns the legality of modern nuclear weapons system as they are currently deployed and programmed for use.”(4)

He responded to this question as follows: “The nuclear weapons systems maintained by all the world’s nuclear weapons states, and especially by the two superpowers, are far beyond this stage of mere possession, and have been at the point of deployment and preparation for immediate use in a thermonuclear war for quite some time. As pointed out earlier in this chapter, under the Nuremberg Principles, such planning, preparation and conspiracy to commit crimes against peace, crimes against humanity, war crimes, and genocide, inter alia, constitute international crimes in their own right.” (5)

He continued: “Indeed, any international agreement purporting to legalize the possession and deployment of nuclear weapons and their related systems would violate a peremptory norm of international law and thus be void in accordance with article 53 of the 1969 Vienna Convention on the Law of Treaties. If piracy, slavery, armed aggression, crimes against peace, crimes against humanity, war crimes, and genocide are universally considered to violate jus cogens, then a fortiori the threat by the two nuclear superpowers to exterminate the entire human race, coupled with their imminent capacity to do so, must likewise do the same.” (6)

His serious doubt is also directed at those who back the abstract proposition that nuclear deterrence is legal. He argues that the US doctrine of nuclear deterrence is illegal, and that its illegality has the effect of encouraging military antagonism by other countries.

The Criminality of the Continued Existence and Proliferation of Nuclear Power
It was Weeramantry who wasted no time in discussing the Fukushima issue from the perspective of criminality. On March 14, three days after the Fukushima Daiichi accident on March 11, he sent an open letter to the environmental ministers of various countries, stating that the continuance and proliferation of nuclear power not only violate all principles of international law, but also are crimes against future generations. (7)

Weeramantry says that each citizen holds the environment in trust. In this respect, those in charge of nuclear power for governments have a special responsibility. The frightening consequences of nuclear power will bring catastrophic damage to future generations. But that’s not all. Even though photovoltaic power and other renewables can supply all the energy the world needs, these are to be ignored. Nuclear reactors are terrorist targets. Although the total amount of waste produced by nuclear reactors is immeasurable, there is no way to treat it safely. To continue and expand nuclear power while knowing these things is to continue violating the environmental trust, and to abandon our responsibility to our children and grandchildren. This cannot be justified in the light of any standards of morality or the law. Nuclear power violates all principles of humanitarian law, international law, environmental law, and also international law related to sustainable development. This means that unless government authorities take immediate action to stop the construction of new nuclear power plants, they are committing crimes against future generations while being aware of the danger.

Weeramantry appealed to environmental ministers of all countries to take immediate action.

I was deeply impressed by his view, and moved by his wisdom and courage. I myself advanced the argument that the continued existence and proliferation of nuclear power is also a crime against the current generation.(8) I submit that the Japanese government and Tokyo Electric have committed a grave attack against the human dignity of the general public living in the Fukushima area, thereby reducing their quality of life in the extreme and otherwise committing inhumane acts against them. Although they may try to exonerate themselves by claiming they had no such intent, intent is not a constitutive requisite to establish a crime against humanity.

In that human dignity has been attacked, the suffering of those exposed to radiation in a nuclear accident qualitatively holds something in common with this hibakusha of Hiroshima and Nagasaki. Moreover, the number of nuclear accident victims is far higher — so high that even now it is uncertain. At Fukushima, low-dose exposure including internal exposure in reality threatens the lives, health, and safety of on-site workers, children, and regional residents. What is more, it is recognized that the harmful impacts of the radioactive substances emitted extend to the global environment including the atmosphere and oceans, lead to ecosystem damage, and impinge on the survival of humanity.

Meanwhile, Boyle too was quick to point out the criminality of the nuclear power industry. His March 20 letter can be summed up as follows. Japan’s nuclear energy (nuclear power) industry continues crimes against humanity as defined by Article 7 of the Rome Statute of the International Criminal Court, of which Japan too is a party. The same can be said also for the nuclear energy (nuclear power) industries throughout the world, not just that of Japan. The people of Japan should use this legal conclusion to get Japan’s nuclear energy industry to stop its crimes against humanity. The same should be done for the nuclear energy (nuclear power) industries all over the world, not just that of Japan. MOX in particular contains plutonium, the deadliest substance known to humanity. Furthermore, Fukushima Daiichi’s unit 3 uses MOX/plutonium, and an explosion has already occurred there. Japan’s government should continue hitting the nuclear energy industry with demands for information disclosure.(9) This opinion gave me some ideas.

Nuclear Disarmament, Nuclear Power Phaseout, Quest for Peace
IALANA’s June 19 Szczecin Declaration includes the following two elements: Bring about a start of preparatory work for the conclusion of a nuclear disarmament convention, and call for the worldwide abolition of nuclear energy. In relation to the second, IALANA took a resolution by the May 26 directors meeting of the Japan Association of Lawyers Against Nuclear Arms (JALANA) as a call to abolish nuclear energy, and supported it. The declaration also stated that what is needed is a complete switch to renewable energy and to democratizing energy production.

Let’s take a retrospective look at the background and characteristics of this year’s General Assembly. The main point of the IALANA resolution adopted in June 2009 was the outlook on the Non-Proliferation Treaty (NPT) conference to follow in May 2010. It says that to make a reality of the future vision of a world without nuclear weapons, it is necessary to have a convention which would attain total and permanent nuclear disarmament.

IALANA stated that it had expectations for demands from the NPT Review Conference to quickly start negotiations aimed at concluding such a convention. But IALANA saw this expectation as having ended in failure, and therefore decided that instead of gradualism, it would itself work toward a means to “make a leap” toward a world without nuclear weapons. At this point the dichotomy that “nuclear weapons are different from the nuclear energy that drives reactors” was still pervasive.

But in response to the March 11 Fukushima Daiichi accident, IALANA was suddenly faced with the question of whether to conduct activities to bring about a world without nuclear energy. Also, April of this year was the 25th anniversary of the Chernobyl accident. I should mention in passing that the International Physicians for the Prevention of Nuclear War have issued a new critical opinion stating that the perception held the International Atomic Energy Agency and other parties underestimates accident damage.(10)IALANA also questions whether claims can be made for a clean energy revolution through the global proliferation of nuclear power.

This brings the new achievements of this General Assembly into clear view: Twenty-three years from its founding, IALANA has advanced to the quest for peace from the abolition of nuclear arms, and has decided to position a worldwide nuclear power phaseout under these two objectives, and to tackle this challenge in its capacity as legal specialists. Seen from a different vantage point, one could say that IALANA has decided to see nuclear disarmament, nuclear power phaseout, and the quest for peace as a trinity, and to work toward achieving it.

When we become aware of this stance and tackle the challenge of phasing out nuclear power in our capacity as legal specialists, there are any number of examples. There is the legal system under nuclear power treaties, with the Statute of the International Atomic Energy Agency at its pinnacle. In Japan there is the legal system under the Atomic Energy Basic Law. So what approach should be taken? For example, how do we deal with the “inalienable right” granted under Article IV of the NPT? The current treaty text establishes “the inalienable right of all the Parties to the Treaty to develop research, production and use of nuclear energy for peaceful purposes.” Therefore we should address the situation by assuming this can be changed. Even if nearly all UN members are parties to the NPT, action is taken in line with the procedures for international legislation. If these efforts conform to the advance of the renewable energy revolution, a solid outlook will present itself.

1.IALANA, Schützenstr. 6a, 10117, Berlin, Germany. Final Declaration of the General Assembly of IALANA, Szczecin, 19th of June 2011 (http://ialana.net/uploads/media/Szczecin_Final_DeclarationVers.4_01.pdf).
2.Francis A.Boyle, “The Criminality of Nuclear Deterrence.” This article is the record of an address delivered on September 4, 2010 at a conference in Feldkirch, Austria. The conference was the XVIIIth Conference “Mut Zur Ethic”: Direct Democracy.
3.Francis A. Boyle, “The Relevance of International Law to the ‘Paradox’ of Nuclear Deterrence,” Northwestern University Law Review, Vol. 80, No. 6, pp. 1407ff, Summer 1986.
4.Ibid., p. 1444.
5.Ibid., p. 1444.
6.Ibid., p. 1446.
7.“Nuclear Reactor Catastrophe in Japan” (Translated by Kenji Urata), Nihon no Kagakusha, July 2011 (in Japanese).
8.Kenji Urata, “Nuclear Power Accidents: Nuclear Power and Nuclear Weapons Present the Same Threat,” a “Word from the Wise” column distributed by Kyodo News in newspapers including the Akita Sakigake (June 10) and Shinano Mainichi Shimbun (June 22) (in Japanese).
9.Nuclear Power Industry Is a Crime Against Humanity! Sunday, 20 March 2011, 09:11.
10.The surprising difference between the IPPNW’s new report “Health effects of Chernobyl” and the document “A Comparison with the Chernobyl Accident” from the Japan Prime Minister’s Office. Peace Philosophy Centre (http://peacephilosophy.blogspot.com/), April 18, 2011.

Kenji Urata
Professor Emeritus, Waseda University;Vice-President of the International Association of Lawyers Against Nuclear Arms (IALANA)

This article is published at the website of Peace and Conflict Monitor by UN University for Peace, October 05, 2011.

Thursday, October 20, 2011

“Unacceptable and Unendurable:” Local Okinawa Mayor Says NO to US Marine Base Plan 稲嶺進名護市長インタビュー: 沖縄への過重負担は「許容の範囲、受忍の範囲を通り越している」

Reposted from The Asia-Pacific Journal: Japan Focus . Japanese version followed by English. 

 オンライン英語誌『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』特別企画として、過半数が基地建設に反対した1997年の名護住民投票で中心的役割を果たした元名護市議の宮城康博氏が、2010年の市長選で基地反対の立場で当選し、「陸にも海にも基地は作らせない」との立場を一貫して守っている稲嶺進市長のインタビューを行った。以下、同誌に掲載された記事(日本語版、英語版)を転載する。(原文のリンクはここ

今日は、1995年、米兵の卑劣な犯罪に抗議して開かれた「10・21県民総決起大会」(先島も含め9万1千人が参加)の15周年にあたる。琉球新報の社説「『10・21』と不平等 均しからざる国を患う」はこう表現した。
日本の総人口のおよそ100分の1の沖縄が在日米軍専用施設の74%を抱える状況を100キロの荷物に例えると、県民は1人で74キロを背負い、本土住民は99人で26キロ、1人平均262グラムを持つ計算となる。構造的差別に本土住民も思いを巡らせてほしい。
本土では262グラム、沖縄では74キロ。稲嶺市長が「許容の範囲、受忍の範囲を通り越している」と言う沖縄の過重基地負担を体感的にわかり始めることができる例えであると思った。
@PeacePhilosophy

(翻訳 ガバン・マコーマック 乗松聡子)

From The Asia-Pacific Journal: Japan Focus

“Unacceptable and Unendurable:” Local Okinawa Mayor Says NO to US Marine Base Plan

Miyagi Yasuhiro interviews Nago City Mayor Inamine Susumu, 5 October 2011, Nago City Hall

Introduction, interview and commentary by Miyagi Yasuhiro

Translation by Gavan McCormack and Satoko Norimatsu
The Futenma Marine Corps Base in Okinawa’s Ginowan, often described as the most dangerous in the world, is situated in the midst of a densely populated area and has been the site of multiple accidents and clashes between the US military and Okinawans. The Japan-US agreement to have Henoko Village in Okinawa prefecture’s Nago City as the site to transfer the Futenma Marine Corps Base when it is returned to Okinawa, dates back to the Special Action Committee on Okinawa (SACO) Agreement of 1996. Yet the issue of building a new base has been contested for fifteen years. Okinawa agreed to the transfer in 1999, albeit subject to several conditions, but a Japan-US agreement that was reached in 2005 to build the base on an enlarged scale ignored Okinawan conditions.1 The Democratic Party of Japan (DPJ) government in 2010, after reconsidering the Japan-US agreements, agreed on the same site. But popular will against relocating the Futenma base within Okinawa is so strong that the possibility of Okinawan acceptance of the Japan-US Agreement is virtually zero. I asked the Mayor of Nago City, site of the controversial planned base, for his honest opinion.
Interview

Miyagi: How do you as mayor of Nago feel about the fact that even under the DPJ government the Japan-US agreement came full circle back to Henoko?

Okinawan Opposition to US-Japan Plans to Build a Base at Henoko

Inamine Susumu, at Nago City Office
 (Photo by Miyagi Yasuhiro)




 Inamine: Before the DPJ took office, and for a while immediately afterwards, there was talk, even on the part of Prime Minister Hatoyama, of “a Futenma Replacement Facility being shifted outside of Okinawa.” So at the time of change of government, Okinawans rejoiced, thinking, “can it be that at last the day we were waiting for has finally come?” But in no time at all, for the reason that “nowhere else is prepared to take it,” it came back to Henoko. This was the main reason, although there was talk about “deterrence” too. If nowhere else was prepared to take it, then that was even more true of Okinawa, since the heavy burden of bases has been weighing on Okinawa for 66 years. Still today 74 percent of US bases are concentrated in Okinawa. Nowhere else is more concerned about the human harm, material harm, all sorts of harm that bases bring. But the governments of Japan and the US turned a blind eye to these Okinawan circumstances and reached agreement. There was virtually no sign of serious effort to find any place “outside Okinawa” including outside Japan - which meant Guam. Scenarios worked out on someone’s desk, or cobbled together by bureaucrats under the LDP-New Komeito government, were just adopted without investigation by the government that followed. They seem to have just taken the easy way out, adopting the extremely simplistic idea of continuing to push for a Henoko transfer, since people outside Okinawa would not object to keeping the base in Okinawa, and since, if just Okinawans had to bear the burden, it would not much matter. As the Ryukyu shimpo put it in an editorial on 4 September, they just “stopped thinking.” The idea of a Henoko transfer, which is stubbornly promoted without consideration of the large changes in the political situation in Okinawa, including public opinion since I was elected, will never be accepted by Okinawa. An agreement on transfer to Henoko reached at some high level between Japan and the US is an agreement that ignores Okinawan reality and will never be accepted. We have borne a heavy burden for 66 years, including suffering human rights abuses, and will not tolerate it going on any longer. As I see it, the situation has become both unacceptable and unendurable. For that reason, whatever the two countries may promise each other, the prefecture of Okinawa and the City of Nago will never accept it.

Miyagi: When one looks at the process by which the base replacement “reverted” to Henoko, things moved first from the SACO Report (1996) to the “Realignment of US Forces in Japan” (2006), then to the “Henoko Agreement” (2010). What do you think of the view that the reason “thinking was suspended” and the realignment agreement was reaffirmed was that Nago at one point accepted the SACO Agreement?

Japanese Government Attempts to Buy Okinawan Support for the Base

Inamine: Politicians often say that “politics is about change” or “who knows what tomorrow may bring.” And things often happen like that. It is true that there was a sequence of events in which Nago did adopt a position of acceptance. But the fact is that the various important conditions that Nago City had attached to acceptance – including revision of the Status of Forces Agreement (SOFA) – were simply treated by the Japanese government as unworthy of attention and scrapped. At the same time, it is also a fact that people had expectations, but I think their acceptance was in anticipation of the “candy” of development funds provided by government for base acceptance. Under what was known as “Shimada Kon”2 and “Northern Districts Development” plans, 100 billion yen was promised over ten years. There were development projects for Nago City alone that amounted to over 50 billion yen, or 80 billion yen if prefectural and national projects are included. But the people of Okinawa over those ten years felt none of the prosperity or the benefits they had anticipated from the development plans. Over those years, I think the people of Nago, and of Okinawa, came to understand that the “candy” of development plans did not meet their expectations. That was one consideration. Another was the change in the times and the change of government. But I think the decisive factor was the realization that such forms of development could not bring satisfactory outcomes and that we could not just continue on in this way.

Miyagi: By “could not just continue on in this way” you mean could not go on and allow the base construction?

Inamine: Yes.

‘Development’ Gone Awry

Miyagi: If, as you say, there was no sense of benefiting from those development measures, could that be turned around to ask, if there could be a development that could deliver such a sense, might there then be scope for base acceptance?

Inamine: I don’t think so.

Miyagi: Why?

Inamine: Because such funds are not earned by the sweat of the people. Monies that come easily just for accepting base construction can be used without restriction to do all sorts of things, so that projects get launched even though they are not really needed but are just things that we would like to have.

Miyagi: You mean the so-called “box” (white-elephant) projects?

Inamine: Yes. Also people came to realize that although these things could be done without much initial burden, later the burden comes crashing down. Take for example a development fund of around three billion yen. Nago City’s agricultural output in the early 1990s was over nine billion yen, highest in all Okinawa, but now it is only six billion, a drop of three billion. Just by regaining that three billion we can obviate the need for three billion yen in development funds. And that would be a benefit that we would have earned for ourselves, produced by Nago citizens and recycled among Nago citizens. Furthermore, and I can say this because we have such an abundance of high quality agricultural lands, this would be sustainable, this year, next year, and so on. In that sense, it becomes unnecessary for us to rely on “development measures” once we decide that we can accomplish this by our own efforts and without “development measures.”

Miyagi: The people of Nago did indeed come to understand that development funds tied to bases did not lead to the development of Nago City. However, the Northern Districts Development funds that you mentioned were not classified as special development funds tied to base construction, were they?

Inamine: In the beginning that was the case, but later people such as former Higashi Village mayor Miyagi Shigeru had no hesitation in saying, “I think there is no question that these funds are linked to base construction,” or “we thought we could just get these monies by taking trips to Tokyo.” It is my personal conviction that you cannot deny a connection between these funds and base construction. Moreover, half of the “Northern District Development” funds just went for accelerated public works projects and you can hardly claim that these projects benefitted the northern-district municipalities with weak financial capability.3 I think there was little sense that what they were getting was worthwhile in return for base acceptance.

Miyagi: It seems that, despite the opposition of Okinawa prefecture and Nago City, Japan and the US have reached formal agreement on Henoko and are set on proceeding with the environmental assessment and other procedural steps. How do you as mayor intend to respond?

Inamine: I think the present situation is not one in which the base construction can be carried forward. However, there is concern that the government might decide to press ahead using force. As Governor Nakaima put it recently, if they press ahead with construction using force, the whole of Okinawa will turn hostile and a prefecture-wide movement to demand the return of all the currently existing bases might develop. I don’t think the governments of Japan and the United States will do that, but we have to take steps to dissuade them before it reaches this point. It is a national problem and a problem of protection of nature, not something to be trivialized by referring narrowly to an “Okinawa problem” or a local, Nago problem. Considering that Okinawa is being incorporated in a global strategy that goes beyond the bounds of the Japan-US Mutual Security Treaty, the matter is not trivial. We must work at a national level or even at a global level to communicate this and to persuade the governments of Japan and the United States.

Debunking the Myth of Needy Nago

Miyagi: It seems that some Nago people, including a former mayor, calling themselves “the pro-base faction,” are in close touch with leading figures in the ruling party. What do you as mayor think of this?

Inamine: Since there is actually no movement or organization within Nago calling for bringing the base to the City, there is nothing that Nago City can do about it. Although there might be such a trend, I think it amounts to nothing more than a push by a few powerful leading individuals, together with followers comprising groups and individuals connected to special interests. I doubt if individuals following that leadership have calculated whether it really is in their best interest. It is more likely that they do not think especially about it but feel under some kind of obligation because of favours rendered. If these people could be made to recognize more of what is involved, and of where the fifty billion yen has gone, they would understand. So in my view this is just a collection of people tied to special interest groups.

Miyagi: These people have had enough traction to be able to win Nago mayoral elections three times in the past and they include supporters of your opponent, the former Nago mayor, at the time of your election in 2010. Such people might be few in number but many citizens seem to agree with them. What sort of plea for understanding do you make to such people?

Inamine: This is something that also comes up in question-time at the City Assembly, when it is said that we are unable to get money from government or that the number of public works projects is declining. The allegation that Nago City cannot balance its books circulates. The question of what is happening to public works is pursued. To that I respond, citing actual statistics, “there is hardly any difference in the trend of investment expenditure,” or “within Okinawa, Nago City investment expenditure exceeds that of Urasoe City or Ginowan City.” Many citizens do not realize this and are just made to dance to the tune of demagogic attacks. I think it is not impossible to win their understanding if we show them actual figures, explaining for example that we give priority to education and welfare, which are closely connected to people’s livelihoods, and that rather than public works investment declining, education and welfare expenditures are increasing.

Miyagi: Mayor Inamine, thank you for your time.

Comment

In Japan, where there had been no real change of government through the long post-war period, a new coalition government emerged with the overwhelming victory of the opposition Democratic Party of Japan in the lower house elections of 2009. During the election the DPJ called for reconsideration of the terms of the Japan-US Agreement for a transfer of the US Marine Corps base at Futenma, proposing a transfer “outside Japan, or at least outside Okinawa.” Since this is the biggest of all issues for Okinawa, Okinawan expectations for this election ran high. Two new DPJ candidates were elected and neither the Liberal-Democratic Party (LDP) nor its ally New Komeito won any seats at all.

Nago City, designated site for the Futenma Replacement Facility, had on three occasions returned pro-base mayors subsequent to the final SACO report of December 1996, despite the fact that a majority opposed base relocation here in the Plebiscite of 1997. But in 2010, it chose a mayor who opposed base construction. In the Okinawa gubernatorial election in the same year, the incumbent Governor was re-elected after calling for “relocation outside Okinawa.”

After a confused process of search for an alternative Futenma transfer site, in 2010 the DPJ reverted to the 2005 agreement on realignment of US Forces in Japan. Although the stationing of US forces overseas has been under review within the US, there has been no sign by the Japanese or US governments of any reconsideration of the agreement to transfer the Futenma Marine air station to Nago City (Henoko).

In the implementation of the 1996 SACO report, there was a failure of mutual trust between Government of Japan and Okinawa, because the Okinawan side’s pre-conditions for acceptance of a Futenma transfer – joint civil military usage, revision of SOFA, and limited term US military usage – were ignored. As a result, popular, non-violent resistance obstructed and delayed the base construction, and after 10 years of this Kabuki theatre, in 2005, turning a blind eye to the Okinawa side’s proposals, Japan and the US agreed to retain the Henoko site and even expand its scale. Nago City, with its pre-conditions ignored, in the mayoral election of 2006 returned the incumbent mayor on an anti-base platform. After his election, however, he agreed with the Government of Japan to accept this expanded version of he base subject only to some slight revisions. The electorate passed judgement on this behaviour in 2010, when a new mayoral candidate [Inamine Susumu], a former Nago City official who had held various posts including head of the Education Department, was elected on a consistent anti-base position.

Astonishingly, after the Japan-US Agreement of 2010, the DPJ government made no effort to secure the understanding of the Nago City mayor to the designated site. Even when the mayor went up to Tokyo, his requests for meetings were rebuffed. Instead, Tokyo continued to maintain close contact with the former mayor who had been defeated.

Presumably the Government of Japan maintained close contacts with the former mayor in the hope of persuading Nago City, which in the past had accepted the SACO agreement, but at the time of the Kabuki theatre, the Government of Japan had at least responded to the Okinawa side’s “conditions for acceptance.” It was the Government of Japan that walked away from the negotiating table and ignored Okinawa at the time of the 2005 Japan-US Agreement. The former Nago City mayor alone cooperated with the Government of Japan, but judgement was passed on that mayor with his defeat in the election. The political fact is that now even conservative political parties on Okinawa which endorse the Japan-US Security Treaty call for relocation of Futenma “outside Okinawa.”

In order to maintain US bases in Okinawa, the Government of Japan took various steps including provision of special development measures for base-hosting municipalities, but after 10 years, those measures have borne no fruit. The reality is that even the conditions for construction of the base imposed by those who support the Japan-US Security treaty were not accepted. If the Government of Japan does not assess this reality and devise policies accordingly, the Japan-US relationship is likely to suffer severe damage.

The interview with Nago City’s mayor shows vividly how the development measures designed to achieve base acceptance have failed to bear fruit, and allows us to understand how the excessive base burden on Nago City has come to be seen as a breach of human rights. There will be no good outcome if the Governments of Japan and the United States take lightly the words of the Nago mayor, that “the situation has become both unacceptable and unendurable.”

Miyagi Yasuhiro


Inamine Susumu is Mayor of Nago City. After working at Nago City Office for thirty-eight years, including school superintendent from 2003 to 2007, he was elected Mayor on January 24, 2010 on a platform that included opposition to the plan to build a new Marine base in Henoko.

Miyagi Yasuhiro is former Nago City Assembly member (1998-2006). He was instrumental in the 1997 Nago citizens’ plebiscite that resulted in the majority voting against the new base plan.

Gavan McCormack and Satoko Norimatsu are coordinators of the Asia-Pacific Journal: Japan Focus.

Recommended Citation: Miyagi Yasuhiro interviews Nago Mayor Inamine Susumu, '“Unacceptable and Unendurable:” Local Okinawa Mayor Says NO to US Marine Base Plan,' The Asia-Pacific Journal Vol 9, Issue 42 No 2, October 17, 2011.

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Notes

1 For details of the development of “Futenma Relocation Facility” plans, see Ota Masahide, “‘The World is beginning to know Okinawa’: Ota Masahide Reflects on his Life from the Battle of Okinawa to the Struggle of Okinawa,” the Asia-Pacific Journal: Japan Focus, under subheading “On the ‘Futenma Relocation” and plans to build a new base at Henoko, Oura Bay.”

2 Shimada kon (Shimada kondankai): the “Shimada Advisory Group”, set up under Prime Minister Hashimoto Ryutaro in 1997, headed by Shimada Haruo, to disburse special development funds to stimulate growth in base-hosting Okinawan towns and villages.

3 Projects subsidized by the central government are never subsidized 100 percent; local municipalities must bear part of the expense including post-construction maintenance. The Northern District development funds encouraged Nago to undertake projects beyond its financial capability.



アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス (The Asia-Pacific Journal: Japan Focus)
特別インタビュー 日本語版

稲嶺進名護市長
沖縄への過重負担は「許容の範囲、受忍の範囲を通り越している」


日時:2011年10月5日13:30〜
於:名護市役所市長室
インタビュアー/解説:宮城康博


在沖海兵隊の普天間基地返還に伴う移設先を沖縄県内(名護市)にするという日米合意は1996年のSACO合意に遡る。1999年にはいくつかの前提条件を付して沖縄側も移設に合意したが、2005年には沖縄側条件を無視する形で建設計画が規模拡大され日米合意された。その後誕生した民主党政権は、普天間基地の県内移設に反対する沖縄県民世論に押され日米合意の内容を見直したが、2010年に日米で再合意するという結果になった。普天間基地の県内移設に反対する沖縄側の民意は堅く、日米合意が受け入れられる可能性は現状では皆無に等しい。焦点の基地建設予定地である名護市の市長に現状況に関する率直な意見を伺った。


宮城:普天間基地移設の建設地として日米合意は民主党政権になっても「辺野古回帰」という形で戻ってきていますが、このような状況に対して名護市長としてどのように考えていらっしゃいますか。

稲嶺:民主党は政権を取る前、あるいは取った直後も、鳩山首相も含めて「(普天間基地移設は)県外へ」というような話があって、そのときは沖縄も「やっとその日が来たか」ということで大変喜んだ。それも束の間、しかも「他のところでは受けるところがないから」ということで戻ってきた。「抑止力」の話もあったけれど大きな理由は、そこだと思うわけです。他のところが受けなかったというなら沖縄はなおさらです。なぜなら66年間も過重な負担を強いられてきた。現在でも在日米軍基地関連の74%が沖縄に集中している。そのことによって人的被害や物的被害、いろんな被害をたくさん被ってきたわけですから一番「嫌だ」と言えるのは沖縄だと思うんです。しかし、そういう沖縄の状況を全く無視して知らないかのような形で日米で合意してしまった。これについても「県外へ」というのとグアム(国外)も含めて、ほとんど努力をした動きがまったく見えない。見えないなかで、机上の計算というか自公政権と官僚がこれまで練り上げてきたシナリオをほとんど検証することもなく次の菅政権、そしてまた今度の野田政権へとそのまま受け継がれてきています。これは全く、このまえ新聞記事(琉球新報「社説」2011年9月4日)にもありましたけれども「思考停止」、考えることを止めている。一番簡単な方法はこれじゃないか、沖縄に閉じ込めておけば県外の人々は文句言わないし、沖縄だけが我慢すればいいんじゃないかというような、非常に短絡的な発想でもってこれが推し進められようとしているわけですよね。現状の沖縄の県民世論含めて政治状況は、私が当選する以前の状況と全く違う状況にあると私は見ているわけですけれども、そのようなことを全く斟酌せずに執拗に辺野古移設を押し付けてくることは、沖縄的には受け入れられるようなものではありません。日米のトップだけで辺野古移設を合意されたことは、沖縄の実情を無視した合意であり絶対に容認、あるいは受け入れできる状況にはない。66年間も人権蹂躙も含めて過重な負担というのがあって、もうこれ以上こんなことがあっては許されない、いわば許容の範囲、受忍の範囲を通り越している状況にあると私は思います。そういう意味では、いくら国どうしが約束をしたといっても、県や名護市という地元は全くそれを認める状況にはないということです。             稲嶺進名護市長(宮城康博撮影)

宮城:辺野古「回帰」という一連の経緯をみていくと、SACO報告(1996)、在日米軍再編合意(2005)、辺野古回帰合意(2010)という流れがあります。「思考停止」して再編合意に回帰するのは名護がSACO合意を一度受け入れているからだと思われますが、そのことについてどう考えますか。
稲嶺:よく政治家がいう言葉に「政治は動いている」あるいはまた「明日もわからない」と自ら言っているように、そういうことがよくあるわけです。確かに名護は、容認という立場でもって進めてきたという経緯はある。しかし受け入れの際に私たち名護市が付した地位協定の改定や諸々の大切な「前提条件」は政府により店晒しで反古にされたという事実もあります。同時に、人々が期待した(政府が基地受け入れに伴い特別に施す)振興という「飴」の部分が功を奏さなかったということもあります。基地受け入れに伴い「島懇事業」や「北部振興事業」やそれぞれ10年間で一千億円というものが約束され実施されました。名護市だけでも500億円を超え、県や国が行った事業も含めると800億円もいくだろうという振興事業があったわけですが、その10年で期待をした振興策は名護市民が豊かさを含め実感として体験できる状況にはなかった。「あれはなんだったのか?」「どこに行ったのか?」というようなことを市民が実感として受けたのが本当だろうと思うわけです。基地建設に伴う振興策などの「飴」は、自分たちの期待を充足させるようなものではなかったということを、市民あるいは県民はこの10年の間に理解してきたと思います。そういうこともあって、ひとつには世の中の動き/流れ(政権交代等)もあったと思うけれども、それ(振興事業)が十分な効果が発せられなかったということをもって、やっぱりこのままではいけないんだという方向に、あるいはそれに気がついてきたということだと思います。

宮城:このままではというのは、基地建設を受け入れていくままではという意味ですか。

稲嶺:そうです。

宮城:いまの振興策に関わる話ですが、市長のおっしゃるように実感的には利益を享受した気がないということであれば、逆に言えば、市民が実感を持てるような振興が付随するのであれば受け入れる余地はあるということですか。

稲嶺:私としてはそういうことにはならない。

宮城:なぜですか。

稲嶺:それは自分たちで汗を流して得たものではない。基地受け入れに伴い簡単に手に入るお金、制約もつかないでいろんなことができる。そのことで、別にいま必要じゃないもの。なければいけないというものではなく、あったらいいなぁというものまで事業を実施していく。

宮城:いわゆるハコモノですね。

稲嶺:そうです。結局それは、造ったときは負担も少なくていいでしょうけど、後年度に負担というものがずっしりと来るというのもわかっているわけです。仮にいま30億円ぐらいの振興策が来るとして、1990年代初頭には名護市の農業生産高は90億円超えて沖縄でもトップであったのが現在では60億円ちょっとで30億円程の差があるわけですね。この30億円を取り戻すだけでも、30億円の振興策の部分を埋め合わせることができる。しかもそれは自ら作り出したものであり、名護市民が作り直接的に名護市民に還元される内容のものである。しかもそれは、優良農地をこれほど持っているから言えることですけれど、今年も来年も持続的に獲得できる可能性のあるものである。そういう意味では、なにも振興策というものでやらなくたって自分の力でそういうことは達成できるという判断から、そのこと(振興策)に頼る必要はないのではないかということです。

宮城:基地に伴う振興策は持続的な名護市の発展を作り出すものにはならなかったということを市民も実感したということですね。先ほどの「北部振興」ですが、あれは基地建設の受け入れに伴う特別な振興策という位置づけではないですよね。

稲嶺:最初はそういうことだったんですよね。しかし後半ぐらいになって、前の東村の宮城茂村長などは「明らかに自分は(基地建設とリンクしている)そういうものだと思っている」と、だから「それをせっせと東京通いをして自分たちが取ってきた」というふうに思っていると発言なされています。私も個人的にはそれ(基地建設とのリンク)がなかったとは言えないと思っています。しかし、「北部振興」の半分は公共事業の前倒しでしかなく、財政力の弱い北部の自治体にとっては使い勝手のいい事業だったとは言い難い側面があったのも事実で、各自治体は基地受け入れに見合うものだという実感は強くなかったとおもいます。

宮城:それは市長が個人的に感じていることも含めて、沖縄県内において北部地域だけが特別な振興を得るというのは、大義名分で言うと「県土の均衡ある発展」のため、復帰後の振興から取り残された北部地域を特別に振興していくというのがあるんですが、それだけじゃないだろうというのを北部自治体の首長たちは感じていたということですか。

稲嶺:主張(大義名分)はそうではないけどもということですね。

宮城:沖縄県も名護市も反対している状況にも関わらず、日米は公式に辺野古合意していますので、環境アセスや諸々の手続きが進められていくと思いますが、名護市としてはどういうふうに臨んでいきますか。

稲嶺:現在の状況から基地建設は進められる状況ではないと私は思います。しかし、権力を持っている国はそのことを進める心配がなきにしもあらずということはあります。県知事がこのまえ訪米時に言葉として出されたようですが、もしも建設に向けて強行するならば沖縄県民全体を敵に回すことになり、これまであった(現存する)基地まで全部撤去せよという基地反対の「島ぐるみ」闘争が起こりかねない。そのようなことを(日米両政府は)しないと思いますが、そのことを止めるためには、そこまでいかない前に思いとどまらせるようなことをしないといけない。そのことはイコール、沖縄の問題、あるいは名護のローカルな問題として閉じ込められ矮小化される話じゃなくて、これは全国民の問題。自然保護の問題や、いまアメリカ政府が考えているこれまでの日米安保の範囲を超えて世界戦略の中に組み込まれていくという沖縄の位置からすると、これは矮小化されるものではなくて、もっと全国的な全国民的な、あるいは世界に対してそのことを発信していくことでアメリカや日本の政府を思いとどまらせるというようなことをしていかなければいけないだろうなと思っています。

宮城:前市長を含め「誘致派」を名乗る名護市の人々と政府・与党幹部らが接近しているようですが、市長としてはどうみられていますか。

稲嶺:市内に具体的に誘致の運動とか組織があるわけではないですから、名護市としてどういうふうに対応するかということはできないわけですが、ただそういう動きというのも、極一部の力を持っている人たちが先導して、その傘下にいる利権と関わるような団体あるいは人たちを動かしているだけだと思います。その傘下で賛同する人たちも、実は自分たちにとっていいことなのか、というような計算はしてないと思います。ただ言われて、あっそうだねと、自分たちが世話になってるから恩義があるからということでやってるんじゃないかと思います。もっと内容を知らしめれば、今までの500億円はどこに行ったの?とか、この人たちに説明ができるならば、その人たちだってわかってくれるとは思うんですよ。ですから私は、一部の利権に絡む人々の集合体ぐらいだとみています。

宮城:この方々は、(基地建設に絡む)過去三回の名護市長選挙で勝利していく大きな牽引力であり、稲嶺市長誕生の際にも対立候補である前市長陣営を支えていた方々ですよね。その方々自身は人数的には一部であったとしても、賛同を与える市民はたくさんいらっしゃるわけじゃないですか。そのような市民の方々に、どのように理解と同意を求めていきますか。

稲嶺:これについては、特に市議会の一般質問等でもあるわけですが、まず予算が(政府から)とれない、工事の件数が少ないとか、そういう風な側面からくるわけです。このままでは名護市の予算も成り立たないなどということが流布されていくわけです。議会では公共工事などに関する投資的経費がどうなっているかなど追求があるわけです。ですからこれを、実際の数字でもって「いま名護市の財政はうまく経営できており」、しかも「投資的経費の変動についてはあまり差がない」と同時に「沖縄県内の自治体の中で名護市は浦添市や宜野湾市より大きい投資的経費を持ち使っている」ということを示していく。これらの事実を多くの市民は知らないと思うんです。ですから(不安を煽る)言葉に踊らされているというところがある。それを実際の数字で示していくことで、例えば、教育や福祉に力を入れていく、それこそ市民生活に密着していくものですから、この部分(公共工事)は減っているが逆にこの部分(教育や福祉)は伸ばしていっているんですよということの理解を求めていけばわからないということはないと思います。

宮城:お忙しい中、ありがとうございました。

解説
戦後長期に渡り本格的な政権交代のなかった日本国で、2009年衆院選挙で圧勝した野党民主党を中心とした連立政権が誕生した。衆院選挙で野党民主党は沖縄で最大の政治課題になっていた米海兵隊の普天間基地返還に伴う移設先を日米政府合意を見直し「国外少なくとも県外」と主張していた。沖縄の有権者の期待は大きく、民主党新人二候補の当選、自民公明当選者ゼロという選挙結果で応えた。

普天間基地移設先とされていた名護市も、SACO最終報告後、住民投票では反対の意思を示してなお3度の市長選挙で基地建設容認派の市長を誕生させていたが、2010年には基地建設反対を主張する市長を誕生させた。同年の県知事選挙でも「県外移設」を主張することで現職知事は再選を果たした。

民主党連立政権は、普天間基地移設先探しで迷走を続けたが2010年には、在日米軍再編に関して合意した2005年の合意案に回帰した。

米国で在外米軍基地の見直しが成されていく中で、日米両政府は在沖海兵隊航空基地である普天間基地の名護市への移設合意を見直す気配がない。

1996年のSACO最終報告の実施は、沖縄側が普天間移設容認の前提とした軍民共用や地位協定(SOFA)改定、(米軍の)使用期限などの「条件」が、日本政府により無視される形になり相互に信頼は築けず、さらに基地建設に反対する民衆の非暴力抵抗に阻止され遅延した。「Kabuki Play」といわれた進行を続けた10年後の2005年に日米合意された案は沖縄側の主張をまったく無視して建設場所だけ名護市で規模が拡大する案になった。前提としていた条件を無視された名護市だが、2006年の市長選挙で「反対」を主張し当選した前市長は当選後、日米両政府の拡大案を微修正して日本政府と受入れ合意する。その行為への有権者の審判が2010年に下され、名護市職員から教育長など市幹部を歴任した新人候補が「反対」を明確に訴え当選した。

驚くべきことに民主党政権は2010年に日米合意して以来、移設先である名護市長に合意内容を説明し理解を得る行為に出ていない。市長が上京の際に面会を希望しても応じないばかりか、落選した前市長らと接近し続けているという状況である。(追記:10月17日に防衛大臣、18日に外務大臣が続けて名護市を訪問し、市長面談を果たした)

おそらく日本政府は、かつてのSACO合意を受け入れた名護市を説得するつもりで前市長らに接近しているのだろうと思われるが、「Kabuki Play」の際には沖縄側からの「受入れ条件」に対して少なくとも日本政府は応答していた。そのテーブルを壊したのは2005年の日米合意で沖縄側を無視した日本政府であり、そのような日本政府と協調したのは名護市の前市長らだけ(沖縄県は名護市と政府の合意を追認したのみ)なのだが、その市長行為は落選という形で審判が下っている。日米安保を容認している沖縄の保守政党ですら、普天間基地は「県外移設」というのが沖縄の政治状況である。

沖縄の米軍基地を維持するために、日本政府は受け入れ先自治体に特別な振興策を施すなどの措置を講じてきたが、それらが10年経って功を奏さなかった現実。日米安保を容認する立場からの基地建設に伴う沖縄側条件を入れることなどできなかった現実。日本政府はそれらの「現実」の上にたって判断し、政策を講じなければ、日米関係の根幹を傷つけることになるだろう。
名護市長のインタビューからも、基地受け入れに伴う振興策が功を奏さなかったのは如実にわかるし、沖縄の過重な基地負担が人権侵害とまで認識されているのがわかる。「許容の範囲、受忍の範囲を通り越している状況にある」という名護市長の言葉を軽くみることは、日米両国にとって良い結果を招くことはない。

—宮城康博(元名護市議)


稲嶺進
名護市長。教育長(2003-2007年)を含め名護市役所に38年間勤めた後、 2010年1月24日の市長選で、辺野古基地建設反対を訴えて当選した。

宮城康博
元名護市議会議員(1998-2006)。過半数が基地建設計画反対を表明した1997年の名護住民投票で中心的役割を果たした。

★宮城さんのブログ「なごなぐ雑記」、ツイッター @nagonagu 、著書『沖縄ラプソディー』(お茶の水書房、2008年)もご覧ください。

アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス (http://www.japanfocus.org/)
2002年創刊の英語オンラインジャーナル。アジア太平洋地域の政治、歴史、経済、文化など幅広い分野において最先端の学者・ジャーナリスト・活動家等が寄稿。代表編集者はマーク・セルダン(コーネル大学)、ガバン・マコーマック(オーストラリア国立大学)など。180カ国から月間20万以上のアクセスを得る。2008年、沖縄問題の発信を評価され、琉球新報池宮城秀意賞を受賞。

カダフィ私刑容認は間違っている

ツイッター @PeacePhilosophy より。

カダフィが殺されて、人々が狂喜しているニュースばかり流れていて複雑な気持
ちだ。どうしていとも簡単に殺してしまうのか。報せを聞いたとき、すぐ、ちゃ
んと裁判にかけたら西側諸国に都合の悪いことをたくさんしゃべるからだな、と
思った。しかしそういう見解はどこからも聞こえてこない。

産経:国際刑事裁判所から逮捕状も出ている大佐については、政権による人権侵
害やデモ弾圧の実態解明のためにも司法の裁きを望む声が強かったが、反カダフィ
派兵士らの「憎悪」を押しとどめることはできなかったようだ。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/111021/mds11102101270003-n1.htm

毎日:国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」は「新政権は(カダ
フィ時代のような)虐待の文化と決別しなければならない」と指摘。評議会に対
し、殺害の詳しい経緯を情報公開し、民主政治の始まりにふさわしい適切な対応
を取るよう求めている
http://mainichi.jp/select/world/news/20111021k0000e030019000c.html?toprank=onehour

アムネスティインターナショナルの声明 
http://www.amnesty.org/en/news-and-updates/libyans-must-see-justice-after-death-colonel-al-gaddafi-2011-10-20
カダフィが戦闘行為の中で死んだの
か捕われた後で殺されたのか明らかにすべきだと言っている。

法治国家と自称する国たちがカダフィ殺害を「歓迎」している。国際刑事裁判所
から逮捕状が出たとき評価したアムネスティ・インターナショナルもカダフィが
捕獲後私刑で死んだ可能性が高いことを示唆していても非難していない。これもおか
しいのではないか。

長年の圧政の被害者が救済され加害者が処罰されることはもちろん大事であるが、
だからこそ真相究明が大事なのである。

この10年911に対する報復という名目でアフガンとイラクでの大量虐殺や拷
問といった大規模な不当私刑を目の当たりにして感覚が麻痺してしまっている我
々にはもうこんなこと日常茶飯事にしか思われないのであろうか。

真相究明と正義と法が大事なのなら、私刑を容認するのは間違っている。オサマ
ビンラディンのときもそうだった。なんか変だな、と思っている人たち多いので
はないか。でも国の指導者やメディアが「殺害万歳」を連呼していると「そんな
もんか」と思ってしまうのではないか。変なものは変だ!

@PeacePhilosophy

今のところフェースブック (Peace Philosophy Centre) やツイッターで来ているコメントも記しておく。
★同意します。彼の死が真実なのかも含めすべてが葬られてしまいました。裁判にかけられた彼の口から何が飛び出すのか恐れる者は誰なのか…あまりにも明白すぎますね。オサマ ビン ラディン同様闇に包まれたまま時間は流れるのでしょう。ラディンの場合は死の真偽そのものが問われなければならないと思いますが。

★オサマビンラディンの時もそうだった。裁判にもかけずに惨殺してしまったら、殺した側にも民主主義不在である事を露呈してしまうのに。改めて、暴力の不毛を感じる。暴力的手段に訴えずに、民主主義に反する者に不服従の姿勢を示そうと思う。どちらが使うにせよ、暴力からは何も生まれない。

★恐るべき人倫の崩壊、人間性の堕落と思います。U.SとNatoが殺したい人間を殺すなんてことは許されないと思います。

★サルコジに選挙資金を融通したり、ブッシュ家と仲良かったとか・・

★散々利用しといて、用がすめばポイ捨てとは、ホストより質が悪いし、裏で操るなんて闇社会みたいですね。


★正論!独裁者と同レベルに堕してはいけない。
 
★まったくその通りですね。私はそういう意図でも書いています。欧米にとっては、カダフィを生かして裁判するなどというオプションは、ほとんどなかったのだと思います。

★誰が射殺したですか?アメリカの特殊部隊でしょうか?
 
★確実に捕われた後、殺害されている。問題だ。
 
★私もそう思います。確かに独裁者でいい人ではないのかもしれませんが、何か違和感を感じずにはいれません。それに最早報道という物が信用できない物と分かってしまった訳ですし…。
★一人のテロリストを逮捕して裁判迄の間交流した場合。そのテロリストを解放させる目的でまたテロが起きるからです。これ迄もその様な事は何度も起きて多くの一般市民、子供や女性も含めてテロで殺されました。そのような経緯があるので、対テロではテロリストは裁判にはかけずにその場で殺害するという取り決めが各国間で決まっているのです。一般社会の観点からすると、裁判無しに殺害すると言う非常に常識ずれで非合法に見えますが。対テロ対策の考えではこれは正当になります。カダフィは明らかにテロリストを支援していたので、テロリスト支援者=排除されるべき人物となります。

★生きたままとらえたが、その直後のガダフィロイヤリストたちとの激しい交戦中に死んだって、8ヶ月間ずーっとフォローしていたリビアのアカウントで書いてたものがありました
 
★「西側諸国」は便利な悪党ですが、現場には西側の人間は全く居なかったようです。しかもガダフィと西側諸国の黒歴史はすでに公になっています。今更ガダフィを黙らせても遅いでしょう。証拠は…って、陰謀説好きには証拠は不要ですね。

★全く同感。誰にだって弁明する機会は与えられるべき。フセインも、ビン・ラディンも、カダフィだってそうです。裁判で罪を量るべき。即殺なんていつの時代のすることか。カダフィ時代の総括なくして次のリビアはないのに、と思います。
以下は、目良誠二郎さんのFacebookでのコメントです。


カダフィが「死んだ」。正確に言えば「殺された」のだろう。

リビア国民は歓喜し、一部の報道では死体が現地で「市中引き回し」されたともいう。

独裁者が倒され、独裁政権が崩壊したのは、もちろん歓迎すべきことだ。

しかし、どんな残虐な独裁者であっても、問答無用で「殺す」のはよくない。

ましてや、それを喜び、賛美すべきではない。

ビン・ラーディンをオバマ政権が「暗殺」し、それをアメリカの国民が歓喜し、賛美したのも、まちがっている。

借金で首が回らなくなったギリシア政府がIMFとEUの脅しに屈し、過酷な「ショック・ドクトリン」政策をギリシア国民に押し付けようとして、ギリシア国民の猛烈な抵抗にあっている。

基本的には非暴力的な抵抗だが、報道を見る限り一部の若者が警官隊に投石し、火炎瓶を投げつけるなど、「暴徒化」している。

高い失業率に苦しみ、未来まで奪われようとしているギリシアの若者の怒りは理解できる。

だが、それを暴力に訴えるのは正しくない。

それでは、国民的な抵抗運動が分裂し、結局は敗北に追い込まれてしまうだろう。

仮に暴力で現政権を倒すことに成功したとしても、次の政権下にその経験は継承され、いずれ暴力の連鎖が始まる。

大多数の民衆を独裁と強欲から解放するという正しい「目的」を、暴力という「手段」で達成できるというのは、幻想である。

「テロ」は「反テロ戦争」では根絶できないのだ。

ニューヨークから始まった「ウォール街を占拠せよ(Occupy Wall Street )」運動は、アメリカを先頭とする世界中の強欲資本主義者たち1%の支配から99%の民衆を解放しようとする運動である。

すでに1000名前後の参加者が、警察によって後ろ手に手錠をはめられ、逮捕・拘束されている。

しかし、運動は広がる一方だ。

NY市民の70%近くが共感・支持し、運動は全米から世界中に広がり始めた。

その一つの理由は、この運動が非暴力による抵抗という思想を強固に持っていることだろう。

その思想を逸脱しない限り、この運動を分裂させ、敗北に追い込むことはそう簡単にはできない。

99%の民衆の深い共感と連帯をかち得ない限り、運動の成功はない。

逆に、それが得られるならば運動は成功する。

世界の民衆は、この運動を注視し、そこから深く学び、連帯し、起ち上がるべきだろう。


.

Tuesday, October 18, 2011

コメ本調査でキロ470ベクレル出ているのに「安全宣言」。これでいいのか。

18日午後7時のNHKニュースを見たら、二本松市の市長がコメ出荷式の場で「安全宣言」していた。二本松市は、確かに予備調査で一か所だけキロ500ベクレル出て、極端に取りざたされていたのは不公平であると思っていた。キロ500ベクレルのコメを1杯食べるのとキロ250ベクレルのコメを2杯食べるのは同じなわけだから。人によっては一日三食食べる、コメにさえ「暫定基準値」を聖域の如く適用し、それ以上は危険だがそれ以下は1ベクレルだろうが499ベクレルだろうが「安全」としてしまい、それを疑う声は全て「風評」と片付けてしまう横暴さ。二本松市長は、「100ミリシーベルトまで安全」「ニコニコしている人に放射能は来ない」といった発言で知られる山下俊一氏を招いた講演に「科学的でない」と失望し悔やむ映像で知る人も多いだろう(リンク)。良心があり、市民の健康第一に考えている市長として尊敬の声がネットでこだましていたこともあった。その市長が、「安全宣言」したことをけげんに思い、農水省のサイト(以下参照)で調べてみたら、本調査でキロ470ベクレル出ている地域があった。

500ベクレル出て大騒ぎし、470で「安全宣言」する。「宣言」するときは数値には触れない。これでいいのか。コメ農家と産業を思う気持ちは測り知れないものがあるが、三保市長には、500をクリアしたからといって「安全宣言」するのではなく、予備調査で騒がれた時点で、500ベクレル出た自分の市だけでなく、他の地域のコメも気をつけてほしいと逆に声を上げて欲しかった。
以下農水省サイトから抜粋。黄色マーカーはブログ運営者がつけた。

(関連投稿 福島「全域コメ出荷」発表の日に、コメどころ新潟の汚染が発表された)


公表日 放射性セシウム濃度(Bq/kg)
本調査(早期出荷米)
8月26日
22

本調査(早期出荷米)
8月29日
11

本調査(早期出荷米)
8月29日
11

本調査(早期出荷米)
8月31日
検出せず

本調査(早期出荷米)
9月9日 36
本調査(早期出荷米)
9月9日 37
予備調査 9月15日 61
予備調査 9月15日 9.8
予備調査 9月15日 16
予備調査 9月15日 14
予備調査 9月15日 57
予備調査 (6) 9月15日 検出せず
予備調査 9月23日 500
予備調査 9月23日 35
予備調査 9月23日 29
予備調査 9月23日 24.7
予備調査 (4) 9月23日 検出せず
予備調査 9月24日 18
予備調査 9月24日 85
予備調査(3)
9月24日 検出せず
本調査 (5) 10月6日
検出せず
本調査 10月8日 22
本調査 10月8日 24.6
本調査 10月8日 27
本調査 10月8日 9.3
本調査 10月8日 34
本調査 10月8日
34

本調査 10月8日 28
本調査 10月8日 14
本調査 10月8日 10
本調査 10月8日 23
本調査 10月8日 20.4
本調査 10月8日 8.6
本調査 10月8日 42

本調査 10月8日 16
本調査 10月8日 9.8
本調査 (41) 10月8日 検出せず
本調査 10月10日 15
本調査 10月10日 42
本調査 10月10日 33
本調査 10月10日 38
本調査 10月10日 12
本調査 10月10日 27
本調査 10月10日 42
本調査 10月10日 46
本調査 10月10日 66
本調査 10月10日 18
本調査 10月10日 12
本調査 10月10日 23
本調査 10月10日 7.3
本調査 10月10日 8
本調査 10月10日 24
本調査 10月10日 11
本調査 (58) 10月10日 検出せず
本調査 10月11日 39
本調査 10月11日 10
本調査 10月11日 16.5
本調査 10月11日 25
本調査 10月11日 34
本調査 10月11日 7.3
本調査 10月11日 11
本調査 10月11日 10
本調査 10月11日 9.9
本調査 10月11日 12
本調査 10月11日 11
本調査 10月11日 40
本調査 10月11日 40
本調査 10月11日 23.5
本調査 10月11日 8.8
本調査 10月11日 90
本調査 10月11日 10
本調査 10月11日 17.6
本調査 10月11日 9.5
本調査 10月11日 11
本調査 10月11日 21
本調査 10月11日 8.7
本調査 10月11日 33
本調査 10月11日 11
本調査 10月11日 47
本調査 (94) 10月11日 検出せず
本調査 10月12日 39
本調査 10月12日 34
本調査 10月12日 10
本調査 10月12日 14
本調査 10月12日 470
本調査 10月12日 37
本調査 10月12日 34
本調査 10月12日 110
本調査 10月12日 6.3
本調査 (25) 10月12日 検出せず

注:( )書きの数字は検査件数。

もうひとつ、後世への記録のために、農水省が芸能人と子どもを使って福島のコメを宣伝するビデオをここに置いておく。



小林幸子はともかく、子どもがご飯をほおばる姿は衝撃的だ。そのときしたツイッターより。

歴史教育で、戦時中のプロパガンダ映像を見せるときがあるが、この「おうえんごはん」を見ながら、20年後、30年後に教材として使われることをイメージしていた。電力会社のCMに出ていた御用芸能人のリストを見たことがあるが、「風評被害防止」に協力する芸能人たちも要チェックだ。
また、細野氏は「冷温停止」を「年内に前倒し」と息巻いているが、燃料が溶け落ちてどこにあるのかわからないのに圧力容器内の温度を計って意味があるのかという疑問の声には全く答えていないようだ。

福島第1原発:改定工程表 冷温停止の判断あいまいなまま
http://www.mainichi.jp/select/jiken/news/20111018k0000m040074000c.html 

毎日新聞は「冷温停止」についてまっとうな疑問を呈している。これを読むと「冷温停止」の定義というのは科学・工学的に決まるものではなく政治的に決まるものらしい。自分たちの目指す目標の定義を自分たちで設定できてしまい、場合によっては都合よく定義し直せてしまうのでは何のための目標なのか。@PeacePhilosophy

以下、記事引用。

東京電力福島第1原発事故について、政府と東電は17日に発表した改定工程表で、原子炉の「冷温停止状態」の達成時期を年内に前倒しする方針を盛り込んだ。しかし、原子炉の圧力容器底部の温度だけで「冷温停止」を判断できるかはあいまいなまま。放射性物質の放出量評価についても「暫定値」だけで、「達成」を明言するにはより精度の高いデータが求められる。さらに、収束の最終目標である避難区域解除についても方向性を示せず、「冷温停止」後の展望も示せなかった。

 政府の国会答弁によると、第1原発の「冷温停止状態」の定義は主に(1)圧力容器底部温度が100度未満(2)原子炉からの放射性物質の管理・抑制(3)放射性汚染水を原子炉の冷却水に再利用する「循環注水冷却システム」の安定運転の維持--の3点だ。

 圧力容器底部の温度は今月1日以降、炉心溶融した1~3号機のすべてで100度未満を維持し、これが「年内前倒し」の根拠となった。ただ、溶融燃料が圧力容器から格納容器へ落ちているとみられ、圧力容器底部の温度だけで炉心内の状況を判断するのは困難だ。

 東電が17日に発表した原子炉安定化の実施計画によると、格納容器に落ちた溶融燃料は最高で150度程度と推定している。東電の松本純一原子力・立地本部長代理は「上部からの注水で十分冷却できており問題ない」と説明したが、経済産業省原子力安全・保安院の山形浩史統括管理官は「これからその妥当性を検討する」と述べるにとどめた。

 改定工程表で示された各号機の放射性物質の放出量は、1号機毎時約0.4億ベクレル▽2号機同約0.1億ベクレル▽3号機同約0.4億ベクレル--で、事故直後(3月15日時点)の約800万分の1に相当する同約1億ベクレルになったとしている。しかし、測定が遅れている3号機の放出量について、保安院は「暫定値に過ぎない」としており、年内までに再測定したうえで、敷地境界の年間被ばく線量が法令基準(年1ミリシーベルト未満)を達成しているか判断する方針だ。

 冷温停止達成後の避難区域の解除について、内閣府の園田康博政務官は会見で「工程表の進捗(しんちょく)状況次第で、徐々に検討が始まるのではないか」と述べた。しかし「検討」の具体的時期などについては明言を避けた。【比嘉洋、中西拓司】
http://www.mainichi.jp/select/jiken/news/20111018k0000m040074000c.html 

Saturday, October 15, 2011

ウソの上塗り報道

9月の日米会談の報道のおかしさについては、9月23日24日27日10月1日の投稿で指摘した通りだ。

オバマが普天間問題で「結果を求めた」などというのは国務省の記者会見でキャンベルが言ったことをマスメディアが捻じ曲げて報道したもので、さらに、野田首相が国会で「個人的な思いによるもの」という言及したことによると、キャンベルの言ったことさえ、怪しいということがわかっている。詳しくは上記のリンクを見てほしい。

それなのに今日(10月15日)、NHKはそのウソに更なるウソを上塗りするような報道をした。自分のツイートを微修正したものを掲載しておく。

米 移設先埋め立て申請要請へ NHKニュース NHKのウソ報道。 http://fb.me/RyYuwMTq

NHK:
普天間基地の名護市辺野古への移設が地元沖縄の反対で暗礁に乗り上げているなか、先月の日米首脳会談でオバマ大統領は、来年6月を期限に「具体的な進展」を見せることを求めましたが、どのような動きを「進展」と位置づけているのか明らかになっていませんでした。
9月の日米会談でオバマが野田に「結果を求めた」というのも、ウソだったことがわかっているのに、そのウソにさらに「来年6月までを期限に」という尾ひれをつけている。

皮肉なことにニュースのしめくくりは、この情報自体がウソであることを示唆する。「齋藤官房副長官は、NHKの取材に対し、「正確な情報を見極めたい。日本政府の姿勢は、先に野田総理大臣がオバマ大統領との首脳会談で伝えたことに尽きるし、・・」齋藤氏は、この情報が正確でないということを疑っているのである。

普天間埋め立て申請へ 来年6月めど 「評価書」を今年12月に沖縄県に提出  http://fb.me/18Hy3qT8e

産経の報道を見れば、この「6月をめどに埋め立て申請を」報道は、日本側の「政府関係者」と称される、要するに官僚から出てきた言葉だということがわかる。まだ産経の方が正確だ。NHKは産経以下だ。

ちなみに先日の「野田オバマ会談報道はおかしい」の件で、『週刊金曜日』が賢明な記事を書いている。

週刊金曜日ニュース≫ ブログアーカイブ ≫ 普天間めぐる日米首脳会談で深刻な擦れ違い――キャンベル氏がマスコミ誘導か http://fb.me/1cf15bOVW

私はやはりキャンベル氏がマスコミを誘導したというよりも氏の言ったことをマスコミが誇張した、と思っているが、キャンベルだっていずれにせよ辺野古基地建設推進派、この件については日本の官僚・マスメディアと一体化しているので結果的にはどっちだろうが大差はない。全員でウソつきだということだ。

@PeacePhilosophy


参考報道

NHK
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111015/t10013285841000.html

米 移設先埋め立て申請要請へ
10月15日 19時9分
沖縄のアメリカ軍普天間基地の名護市への移設について、アメリカ政府は日本政府に対して、遅くとも来年6月までに移設先となる沿岸部の埋め立て許可を仲井真知事に申請するよう、近く求める方針であることが明らかになりました。

普天間基地の名護市辺野古への移設が地元沖縄の反対で暗礁に乗り上げているなか、先月の日米首脳会談でオバマ大統領は、来年6月を期限に「具体的な進展」を見せることを求めましたが、どのような動きを「進展」と位置づけているのか明らかになっていませんでした。これについて、アメリカ政府の複数の当局者は、NHKに対し、「具体的な進展とは、日本政府が沖縄県の仲井真知事に移設先沿岸部の埋め立て許可を申請することである」としたうえで、今月下旬に日本を訪れるパネッタ国防長官が、一川防衛大臣との会談の中で、これを求める方針であることを明らかにしました。埋め立て工事を行うためには仲井真知事の許可が必要で、パネッタ長官は「より望ましいのは、来年6月までに知事から埋め立ての了承も得ることだ」という考えも伝えるということです。普天間基地の移設では、併せて駐留する海兵隊の一部がグアムに移転する計画ですが、移設計画が遅れていることから、アメリカの議会では、海兵隊のグアム移転に関する2012年度の予算が凍結される可能性が高まっています。今回パネッタ長官が踏み込んだ要求をする背景には、6月までに議会の納得いく進展がなければグアムの基地整備も行き詰まり、中国が存在感を増す東アジアにおけるアメリカの軍事戦略にも大きな影響が出ることへの強い懸念があるとみられます。沖縄県名護市の稲嶺進市長は、NHKの取材に対して、「そもそもアメリカが要求できる立場にあるとは思わないが、今の沖縄は辺野古への移設を受け入れられる状況になく、アメリカ政府の焦りの表れではないか。知事が埋め立てを許可するとは思えないし、今そのような要求をすれば、沖縄県民のすべてを反対の立場に回すことになる」と述べました。齋藤官房副長官は、NHKの取材に対し、「正確な情報を見極めたい。日本政府の姿勢は、先に野田総理大臣がオバマ大統領との首脳会談で伝えたことに尽きるし、地元沖縄との協議も真摯(しんし)に続けていきたい」と述べました。
産経
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111016/plc11101601300001-n1.htm 

普天間埋め立て申請へ 来年6月めど 「評価書」を今年12月に沖縄県に提出 
2011.10.16 01:30
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題で、政府が来年6月をめどに県に対し、移設先の名護市辺野古沿岸の埋め立て申請を行う方針を固めたことが15日、分かった。これに先立ち環境影響評価(アセスメント)の最終段階となる「評価書」を今年12月に県に提出する。複数の政府関係者が明らかにした。

 米国のゲーツ前国防長官は今年6月、「今後1年間で具体的な進展を遂げることが重要だ」と要求。今月25日予定の一川保夫防衛相と来日するパネッタ国防長官の会談でも、「来夏の埋め立て申請を前提に、年内にアセス手続きを進めるよう強く求められる」(政府関係者)と目されている。

 このため、野田佳彦首相は防衛省に評価書の完成を急ぐよう指示。一川氏が17日に沖縄県で仲井真弘多(なかいまひろかず)知事と会談し、評価書の作成状況を説明して県側の意向を探る。首相も評価書提出に合わせて12月中に沖縄を訪問し、知事に移設への理解を求める考えだ。

 アセス手続きは鳩山由紀夫元首相が「県外移設」を掲げたため2年余り中断。野田首相が再開を決断したのは、普天間移設とリンクする在沖縄米海兵隊のグアム移転経費の予算審議が米議会で本格化するためだ。上院は移転経費の全額カットを要求しており、政府は「アセスを前に進めなければ米政府が議会への説得材料を失い、移転予算が凍結されかねない」(日米関係筋)との危機感を抱いている。

 アセス手続きには、政府が県に評価書を提出した後、(1)知事が90日以内に意見書を返送(2)意見書を踏まえた評価書の修正(3)1カ月の縦覧-という手順が必要で、来年6月頃に埋め立て申請するには年内の評価書提出が不可欠。ただ、仲井真知事は民主党政権への反発を強めており、アセス手続きの進展は困難だ。

『週刊金曜日』9月30日より。

http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/?p=1220 

普天間めぐる日米首脳会談で深刻な擦れ違い――キャンベル氏がマスコミ誘導か

2011 年 10 月 12 日 8:10 PM | カテゴリー: 国際, 政治 | by admin |

 日米首脳会談の発言内容をめぐって深刻な擦れ違いが起きている。きわめて異例な事態だ。

 九月二一日昼(日本時間二二日未明)、米ニューヨークの国連本部で日米首脳会談が開かれ、普天間移設問題についてオバマ大統領が〈「結果を出す時期に近づいている」と進展を強く要請。首相は沖縄県民の理解を得るために全力を挙げる考えを示した〉(『日本経済新聞』二二日夕刊)とされる。

 各紙ほぼ同様の報道。時事通信は臨場感にあふれる。〈「結果を出す時期が近づいている」。大統領は首相との会談で、時間を惜しむかのように本題に切り込んだ。首相同行筋によると、クリントン米国務長官ら同席者が自己紹介をする間もなく、大統領は強い口調で普天間問題を進展させるよう首相に詰め寄ったという〉(同社HP)

 翌朝刊で野田佳彦首相に結果を出すよう迫る社説も多い。〈ラストチャンスの覚悟で、外交の立て直しに本腰を入れるべきである〉(『毎日』)、〈普天間飛行場の辺野古移設が実現しなければ、危険な現状が固定化するし、在沖縄海兵隊のグアム移転にも悪影響が出る。政府は、移設の前進へ沖縄県との協議を加速させなければならない〉(『読売』)、〈首相は「日米が基軸」といった常套句を繰り返すだけでなく、速やかに結果を出すべきだ〉(『産経』)。

 ところが野田首相は二二日夜、インターコンチネンタルホテルで同行記者団に次のように語っている。入手したメモによるとこうだ。

記者 普天間移設問題は、オバマ大統領に結果を求められたと聞いている。

首相 (首をひねる)

記者 具体的な進展と結果を求められたと聞いているが……。

首相 こちらの立場を申し上げました。昨年の日米合意にのっとってやっていくということで、沖縄の負担軽減を図りながら、普天間で固定化しないようにしていかなければいけないと。そのためにも誠心誠意説明をしていくという話をしまして、(オバマ大統領からは)「その進展を期待している」という話はありました。

記者 結果を求められるような時期が近いという趣旨の米側のブリーフだった。

首相 進展を期待しているという答えだったと思います。

 カギは記者の「米側のブリーフ」という言葉。キャンベル国務次官補が記者会見で語った「Ithink both sides understand that we’re approaching a period where we need to see results, and that was made very clear by the President」(両国は結果を出す時期が近づいている、と理解している。その点は大統領が非常に明確にした=米国務省HP)を基に各紙が報道したのが真相だろう。


日米首脳会談で認識の違いが出るのはきわめて異例だ。(提供/AP・AFLO)
 擦れ違いが起こった可能性はふたつある。一つはキャンベル国務次官補が“嘘”を言ったか、もう一つは野田首相がオバマ大統領の言葉を忘れたかだ。ただ、外務官僚が同席する会談で、「結果を出す時期が近づいている」との重要発言を失念する可能性は低い。野田首相は外交経験は少ないとはいえ、熾烈な権力闘争を制して首相に登りつめているのだ。

 防衛省に詳しい関係者はこう指摘する。「キャンベル発言は信用するな、が防衛省幹部の常識です。防衛大臣との会談内容と、その後記者に話すことがまったく違う。そもそも、オバマ政権に“日本通”が少ないので重用されているが、適格な人選かどうか疑問です」。

 だが、この擦れ違いを報じたのは『琉球新報』のみ。二二日夜の野田首相発言は“無視”されたのだ。しかも二六日の衆院予算委員会で、野田首相が「(記者に)ブリーフした方の個人的な思いが出たのではないか。大統領は『その進展に期待する』という言い方だった」と、大統領発言を否定しても、最初の報道と同じ大きさで扱う新聞はなかった。

 当初の報道を自ら否定する記事は難しいのだろうが、発言内容によって外交方針は変わる。だからこそ、大統領発言を“捏造”したとすれば、キャンベル国務次官補には退場いただくしかない。

(伊田浩之・編集部、9月30日号)

Friday, October 14, 2011

Dr. Ronald McCoy, Past President of IPPNW: From Hiroshima to Fukushima  IPPNW前代表ロナルド・マッコイ博士「ヒロシマからフクシマへ」

Here is full text of Dr. Ronald McCoy's talk at St. John's College, UBC (Vancouver, BC) on October 11, 2011, in conjunction with the photo exhibit "HIROSHIMA" by Miyako Ishiuchi, which opened on October 13 at UBC's Museum of Anthropology. Dr. Ronald McCoy is past president of IPPNW, International Physicians for the Prevention of Nuclear War. Japanese translation is available HERE.  IPPNW(核戦争を防止するための国際医師会議)の元代表、ロナルド・マッコイ博士の講演録を掲載します。2011年10月11日、カナダ・バンクーバーのブリティッシュコロンビア大学において開催されました。この催しは、石内都写真展「ひろしま hiroshima 」関連イベントの皮切りでした。マッコイ博士の講演を聞き、核兵器と核エネルギー発電は別物ではなく、一緒に反対、廃絶していかなければいけないものであると改めて認識しました。

(11月14日追記。日本語訳ができました。こちらをご覧ください。)


FROM HIROSHIMA TO FUKUSHIMA:
HEALTH, SECURITY AND ENVIRONMENTAL DANGERS
OF THE NUCLEAR AGE
Ronald McCoy

フクシマからヒロシマへ:核の時代が人間の健康、安全、環境に及ぼす危険
ロナルド・マッコイ


Introduction
It is inconceivable that Japan happens to be the only country in the world to have been devastated by two nuclear catastrophes: first, the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki sixty-six years ago, and then a Level 7 nuclear reactor meltdown at Fukushima seven months ago, to the day. That makes a strong case for the elimination of nuclear weapons and the phasing out of nuclear energy.

In the last few decades, global trends in military doctrines and ecologically unsustainable development strongly indicate that nuclear war and climate change now represent the two most critical threats to human security, the integrity of the planet, and ultimately the survival of civilisation.

The militarisation of diplomacy, such as the “war on terrorism,” has ignited armed conflict by state and non-state actors and carries the risk that nuclear weapons could be used in any conflict by intent, miscalculation or accident, as long as they exist. Incredibly, a nuclear Armageddon remains a relatively abstract and subliminal fear, despite the continued presence of thousands of nuclear weapons and the unforgettable destruction of Hiroshima and Nagasaki.

Destruction of life-sustaining ecosystems and climate change have now become sufficiently visible and palpable to persuade people and governments of the urgent need to reduce carbon emissions by replacing fossil fuels with alternative energy sources and changing the nature of the global economy and human consumption. This has given the nuclear industry a new lease of life, but Fukushima has revived memories of Chernobyl, raised serious questions about the safety of nuclear power, and blunted the nuclear renaissance.

Albert Einstein warned: “The splitting of the atom changed everything, save Man’s mode of thinking. Thus, we drift towards unparalleled catastrophe.”

Let me paraphrase Einstein and include a corollary: Unfettered market forces and the corporate bottom line have changed everything, save Man’s mode of thinking. Thus, we drift towards unparalleled economic and ecological catastrophe.”

Nuclear arsenals and nuclear power plants pose serious threats. Both threats must be dealt with by abolishing nuclear weapons and phasing out nuclear energy. The curse of nuclear fission must be exorcised.

Beginning of the nuclear age
The first glimmer of the nuclear age appeared on the horizon in the 1930s when scientists in Europe discovered the structure of the atom and proceeded to split the atom, and then discovered that nuclear fission converts matter into energy, reinforcing Einstein’s famous equation:

E = MC2 (where E stands for energy, M for mass or matter, and C for the speed of light).

By 1939, laboratories in the United States had begun to explore the possibilities of generating energy from fissile uranium to make a bomb, before Nazi Germany did. To this end, President Roosevelt set up the Manhattan Project, a military and scientific enterprise.

Working feverishly, scientists, led by Robert J Oppenheimer, succeeded in fabricating three atomic bombs. Code-named Trinity, the first bomb was detonated in the pre-dawn hours of 16th July 1945 near Alamogordo in the New Mexico desert.

Two hundred and sixty scientists and military personnel witnessed the awesome power of the world’s first nuclear test explosion. A silent, brilliant flash lit up the dawn sky, a flash brighter than a thousand suns. Seconds later came the bang of the shock wave, and a titanic mushroom cloud rose from the desert floor, a boiling mass of dust and gas. Those present, the creators, stood in stunned silence, with a sense of foreboding. It was a turning point in history. It was a sobering moment. It was the beginning of the nuclear age - and the loss of innocence.

Oppenheimer recounted the experience:
“We waited until the blast had passed, walked out of the shelter, and then it was extremely solemn. We knew the world would not be the same. A few people laughed, a few people cried. Most people were silent. I remembered the line from the Hindu scripture, the Bhagavad-Gita: Vishnu is trying to persuade the Prince that he should do his duty and, to impress him, he takes on his multi-armed form and says, “Now I am become Death, the destroyer of worlds.” I suppose we all thought that, one way or another.” 1

By then, Germany had been defeated and Japan was near capitulation. Some scientists questioned the morality of using such a destructive weapon and pleaded in vain that a demonstration bomb be exploded on a remote island to persuade Japan to surrender. But other scientists and military planners supported President Truman’s decision to drop the other two bombs on two Japanese cities.

Four hours after Trinity, the USS Indianapolis sailed from San Francisco, bound for the Pacific island of Tinian, where the components of the bombs were assembled and cynically named, Little Boy and Fat Man.

The bombs were dropped on Hiroshima and Nagasaki on 6th and 9th August 1945, totally destroying both cities and incinerating and vaporising more than one hundred thousand people in a matter of seconds.

Mutually assured destruction
When the United Nations came into force less than three months later on 24th October 1945 “to save succeeding generations from the scourge of war,” the mushroom cloud of Hiroshima was foremost in the minds of world leaders.
The very first resolution of the UN General Assembly, adopted unanimously on 24th January 1946, established an Atomic Energy Commission which aimed at banning atomic bombs and other weapons of mass destruction. But at the time, the US still had a nuclear monopoly and was not prepared to surrender that absolute advantage. Understandably, the Soviet Union was not prepared to be restricted by UN inspections and forego acquiring the bomb. The Baruch plan for an international authority to control nuclear energy worldwide, therefore, failed.2

Instead, the ideological Cold War intervened in 1949 and triggered a surreal nuclear arms race that spawned 60,000 nuclear warheads. For five decades, the world’s superpowers conducted 2,047 nuclear weapons tests at locations all over the world - above ground, underground and underwater. Hundreds of atmospheric explosions spewed radioactive isotopes across countries and into the environment. It amounted to an undeclared nuclear war on innocent civilians, until the Comprehensive Test Ban Treaty was signed in 1996.

Cold War security was based on the theory of nuclear deterrence and the doctrine of mutually assured destruction, or MAD as it aptly came to be called, with nuclear warheads primed to be launched on warning within a few minutes. The central logical argument against deterrence is that it can only succeed in an error-free and rational world, and will therefore ultimately fail in the real world.
For five decades, the world played nuclear roulette and teetered on the brink of nuclear annihilation. On more than one occasion, nuclear deterrence came close to failing and the human species came close to extinction, as in the Cuban missile crisis in October 1962.

As Robert Kennedy recalled, those thirteen days of the Cuban missile crisis saw “a confrontation between the two giant atomic nations … which brought the world to the abyss of nuclear destruction and the end of mankind.”3 This terrifying experience in brinkmanship profoundly changed the relationship between the United States and the Soviet Union, and paved the way for greater cooperation in arms control.

The Nuclear Non-proliferation Treaty
But the nuclear seduction continued and the exclusive nuclear club of two grew to five to include Britain, France and China. To stem the spread of nuclear weapons to other states, the Nuclear Non-proliferation Treaty (NPT) came into force in 1970.

The NPT rests on two quid pro quo agreements between the five nuclear “haves” and the scores of nuclear “have-nots.” The nuclear weapon states pledge to work towards the elimination of their nuclear arsenals (Article VI), while the non-nuclear weapon states pledge that they will not acquire nuclear weapons (Article II) and in return will have an inalienable right to develop nuclear technology for peaceful purposes (Article IV).

This was the perfect script for double standards and nuclear apartheid. The nuclear weapon states continued to enhance their nuclear arsenals, but demanded that the non-nuclear weapon states abstain. Every five years, member states of the NPT would meet at Review Conferences to assess progress or lack of progress in both nuclear disarmament and nuclear non-proliferation.

Détente
In 1985, the advent of Mikhail Gorbachev and his policies of glasnost and perestroika brought the Cold War to an end and heralded a period of bright hope, with significant concessions in arms control.

In 1995, the Nuclear Non-proliferation Treaty (NPT) was extended indefinitely, after commitments to nuclear disarmament had been reaffirmed by the five major nuclear-weapon states.

In 1996, the Australian Government-sponsored Canberra Commission on the Elimination of Nuclear Weapons, in its report, demolished the theory of deterrence and spelt out the immediate practical steps for eliminating nuclear weapons. It argued that the possession of nuclear weapons by any state is a stimulus to others to acquire them; it questioned the credibility that they will not one day be used by accident, miscalculation or design; and asserted that any such use would be catastrophic.

That same year, the International Court of Justice (ICJ), in its Advisory Opinion on the legal status of nuclear weapons, ruled that the use or threat of use of nuclear weapons is subject to the rules of international humanitarian law, and unanimously concluded that: “There exists an obligation to pursue in good faith and bring to a conclusion negotiations leading to nuclear disarmament in all its aspects under strict and effective international control.”4

In 2000, hopes were raised at the NPT Review Conference, when its final document set out a disarmament plan of “thirteen practical steps,” based on an “unequivocal undertaking by the nuclear weapon states to accomplish the total elimination of their nuclear arsenals.”

In 2005, hopes were dashed at the Review Conference when the nuclear weapon states, led by the Bush administration, reneged on their “unequivocal undertaking” to disarm.

Five years later, the negotiating atmosphere of the 2010 NPT Review Conference was transformed by the optimistic expectations of member states, following President Obama’s speech in Prague in 2009, when he said that “as the only nuclear power to have used a nuclear weapon, the United States has a moral responsibility to act” to bring about “the peace and security of a world without nuclear weapons.”

Having signed the New Strategic Arms Reduction Treaty (START) with President Medvedev one month earlier, President Obama was able to create an enormous amount of goodwill and inspire states to commit to compromise and agree unanimously on a complex agenda of issues. This raises our hopes for the 2015 Review Conference.

Consequences of a regional nuclear war
While the risk of an all-out global nuclear war is virtually over, we must avoid complacency. Climate scientists have revealed disturbing new research about the climatic consequences of any low-yield regional nuclear war. 5

For example, even a limited regional nuclear war between India and Pakistan, of the order of 100 Hiroshima-sized nuclear weapons, would send a regional cloud of smoke and soot deep into the stratosphere. This would blot out 7-10% of sunlight, cause significant cooling of the Earth’s surface, and reduce rainfall. These effects would persist over many years, shortening the growing season, significantly reducing agricultural production, and even causing famine, which would lead to major epidemics of infectious diseases, such as plague, typhus, malaria, dysentery and cholera. A regional nuclear war would also damage the Earth’s protective ozone layer and increase ultraviolet radiation and rates of skin cancer. There is no room for complacency.

International Physicians for the Prevention of Nuclear War
Professional groups have always played important and effective roles in human rights, peace and disarmament movements. Doctors are healers and often confront sudden death. The atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki caused more than 100,000 sudden deaths and proved that medicine has nothing meaningful to offer survivors of a nuclear war.

As cardiologists also confront cases of sudden cardiac death, it struck Bernard Lown, an eminent American cardiologist, that it was imperative to prevent nuclear war by eliminating nuclear weapons. At the height of the Cold War, when the rhetoric of nuclear deterrence reached a crescendo, Bernard Lown persuaded Evgeni Chazov, a leading Soviet cardiologist, to join him in organising a worldwide doctors’ movement to eliminate nuclear weapons. Cutting across the ideological divide in 1980, they founded International Physicians for the Prevention of Nuclear War (IPPNW) in Geneva. In 1985, IPPNW was awarded the Nobel Peace Prize for rendering “a considerable service to mankind by spreading authoritative information and by creating an awareness of the catastrophic consequences of atomic war.” 6

Since 1980, IPPNW had worked within the flawed NPT process with other civil society disarmament groups, the United Nations and governments to rid the world of nuclear arms. When the 2005 NPT Review Conference ended in utter failure, IPPNW responded by changing its strategy. Instead of focusing only on the NPT, IPPNW decided to think outside the NPT box and mount a campaign outside but parallel to the NPT process. Calling it Internatioal Campaign to Abolish Nuclear Weapons or ICAN, IPPNW started campaigning for nuclear abolition through a Nuclear Weapons Convention, building on an Ottawa-style process.

The success of the Ottawa process in banning landmines in 1997 was largely due to the efforts of Canada’s former foreign minister, Lloyd Axworthy. It showed that a partnership between like-minded governments, civil society, international organisations and the United Nations had the power to redress the intractable global problem of landmines and secure a Mine Ban Treaty.

In May 2007, at the NPT preparatory committee meeting in Vienna, IPPNW officially launched ICAN and tabled an updated and revised version of its Model Nuclear Weapons Convention, which had been submitted and accepted by the United Nations in 1997, as UN Document A/C.1/52/7.

Nuclear Weapons Convention
A Nuclear Weapons Convention (NWC) would prohibit the development, production, testing, deployment, stockpiling, transfer, theat or use of nuclear weapons.

Vocal support for a Nuclear Weapons Convention has come from UN Secretary-General Ban Ki-moon. In August 2009, he outlined a five-point plan for a world free of nuclear weapons and called for “a new convention or a series of mutually reinforcing instruments, backed by a credible system of verification.” 7

Achieving a Nuclear Weapons Convention would have to be a global endeavour, requiring the goodwill and participation of all governments and the many actors in civil society. ICAN’s action plan is to garner the support of like-minded governments, individuals, non-government organisations, citizen groups, parliamentarians, mayors and other civic leaders, and forge a multifaceted, global grassroots campaign.

A NWC would embody universal condemnation of nuclear weapons and embrace national and international measures that prohibit and delegitimize nuclear weapons. Such a treaty would help to engender a wider social and political movement away from reliance on nuclear weapons. It would accomplish the long-standing objectives of advancing nuclear disarmament to the point of abolition, based on a practical roadmap to zero nuclear weapons. It awaits one individual or group to kindle the political will to take the rest of the world along.

The abolition of nuclear weapons appears to be following the classic historical narratives of other great social movements, such as the abolition of slavery, colonialism, racial discrimination and apartheid. At first, decision-makers dismiss the idea. Then, the idea begins to germinate and pushes back resistance. Eventually, it becomes the norm in public opinion. Then, laws begin to change, provided civil society does not give up the struggle. Visionaries like William Wilberforce, Mahatma Gandhi, Martin Luther King and Nelson Mandela come to mind.

Nuclear energy: Costs, risks and myths
The nuclear age is not only about nuclear weapons and the threat of nuclear war, but also about nuclear energy and the health, security and environmental risks from nuclear waste and nuclear accidents. Nuclear power developed as a ‘spin-off’ from nuclear weapons and took off in the 1960s and 1970s, but has only succeeded in supplying 13.8 per cent of the world’s electricity.

The Johannesburg Plan of Implementation (2002) has called for energy that is “reliable, affordable, economically viable, socially acceptable and environmentally sound.” But nuclear power is a treacherous form of energy, rich in myths, and misconceived by many as safe, clean and cheap, as a result of disinformation from the nuclear industry. Undoubtedly, nuclear power has had a detrimental impact on the environment, human safety, and national budgets, with its tangled history of unresolved risks and problems, such as:
• inability to safely dispose of deadly, long-lived radioactive waste;
• security risks of clandestine nuclear weapons proliferation and nuclear terrorism;
• nuclear economics and the escalating cost of building, operating, insuring and decommissioning nuclear power plants; and
• health and environmental dangers of nuclear accidents.
Disposal of nuclear waste
The most dangerous and unacceptable feature of nuclear power is that there is no way to safely dispose of long-lived radioactive nuclear waste. The industry’s so-called ‘solutions’ to the nuclear waste problem exist only in theory, such as the proposed Integral Fast Reactor for reprocessing spent fuel and deep geological repositories for burying nuclear waste. Not a single Integral Fast Reactor or geological repository exists anywhere in the world.

Most nuclear power plants in 30 countries store their highly radioactive spent fuel under water in pools on site, located below ground level or on top of reactor cores, as at Fukushima, which has highlighted the perils of such a method of storage. 8

Nuclear waste remains radioactive for tens of thousands of years. For example, plutonium has a half-life of 24,400 years. In other words, it will take 24,400 years for the radioactivity of plutonium to be halved. Nuclear waste must therefore be managed safely for at least 100,000 years or ‘forever.’ Yet, there is no social institution on the planet that has lasted more than 2000 years. The reality is that if medieval man had used nuclear energy, today we would still be managing his nuclear waste. To bequeath such a lethal legacy to future generations is unconscionable.

Nuclear weapons proliferation
As nuclear technologies and nuclear materials have dual civil and military uses, civil nuclear facilities can be secretly diverted to the proliferation of nuclear weapons, as has happened with Israel, India, Pakistan and North Korea. There are suspicions that Iran’s uranium enrichment activities are edging towards weapons proliferation.

A nuclear renaissance would therefore increase the number of nuclear ‘threshold’ states capable of enriching uranium and separating plutonium, which would potentially increase the global stockpile of weapons-grade uranium and plutonium. Assuming that 10 kilograms of plutonium are sufficient to produce the equivalent of one Nagasaki-type bomb, a typical 1000 MW nuclear reactor could produce 300 kilograms of plutonium annually, sufficient to build 30 such bombs.

Nuclear terrorism
Nuclear power plants are vulnerable and make attractive targets for terrorists who could:
• steal, purchase or otherwise acquire fissile nuclear materials to fabricate a crude nuclear bomb;
• target a nuclear reactor, a reprocessing plant or a spent fuel storage facility, by mounting a ground attack, crashing a plane into it, exploding a truck filled with conventional explosives, or sacrificing a suicide bomber;
• disrupt the power or water supply to a reactor to initiate overheating of fuel rods and a meltdown;
• explode a radiological weapon or ‘dirty bomb’ in a major urban centre, by detonating a core of conventional explosives, encased by radioactive nuclear and incendiary elements.
Nuclear terrorism has the potential to cause massive civilian injuries and deaths, widespread fear and panic, infrastructure damage, economic losses, long-term radioactive contamination of large tracts of land, and huge clean-up costs.

Nuclear economics
Nuclear energy is not cheap, contrary to assertions by the nuclear industry that it is. The true economics of nuclear energy are masked by the enormous subsidies for expensive reactor construction, research and development, uranium enrichment, waste management, insurance against accidents, loan guarantees, and decommissioning.
Since 2003, estimated capital costs of new nuclear power plants have escalated rapidly, while the capital costs of renewable energy technologies have decreased in real terms. Lowest-cost renewable energy, appropriately sited, is already competitive with nuclear energy. More expensive renewable energy could be competitive with nuclear by about 2020.

The Fukushima disaster has reinforced the Chernobyl experience that the costs of infrequent but catastrophic nuclear accidents are enormous and must be insured for. All funds channelled into a suspect, lame-duck nuclear industry will take away limited resources from much needed research and development of renewable energy and energy efficiency.

Fukushima
Nuclear accidents have been a major public concern since the first nuclear reactors were built. Many preventive technical measures have failed to prevent minor and major accidents, near misses and incidents. Between 1952 and 2009, there have been 99 accidents, of which 56 occurred in the United States and 57 since Chernobyl in 1986.

A “major nuclear accident” is one in which a reactor core is damaged and large amounts of radiation are released, as in Chernobyl and Fukushima, both Level 7 emergencies, the highest level on the International Nuclear and Radiological Event Scale. 9

The meltdown of the Fukushima Daiichi Nuclear Power Station on 11th March 2011 resulted from overheating of fuel rods, following the loss of electrical power to the cooling systems of the reactors, when the nuclear power plant was hit by a devastating tsunami, 10-14 metres in height, triggered by a 9.0 magnitude earthquake.

Within hours came the realisation that the nuclear infrastructure of the plant, operated by the Tokyo Electric Power Company (TEPCO), was flawed - from technical issues, such as non-functioning backup generators, to administrative confusion about which agency was responsible for providing coolant for reactors. It is written in the stars that if something can go wrong, sooner or later it will go wrong. And that’s Murphy’s law.

When the four hydrogen explosions severely damaged the buildings in the Daiichi nuclear power plant, radioactive caesium-137 (half-life of 30 years), iodine-131 (half-life of 8 days), and other fission products were released into the environment. Today, caesium and iodine are the major radioactive contaminants in the soil in Fukushima and the surrounding prefectures. 10 Some 307,000 becquerels of caesium per kilogram of soil have been detected, whereas the Japanese government’s legal limit is 10,000 becquerels per kilogram.

An estimate of the cancer consequences of the accident, based on Chernobyl data, has not yet been conducted, but it is possible to make a preliminary order-of-magnitude guesstimate.

One million people were living within a 50-mile radius of the Fukushima plant, contaminated with caesium-137 to levels greater than 1 curie per square kilometre. Scaling to the six million people in areas contaminated to similar levels in the Chernobyl accident, one might expect 1,000 extra cancer deaths related to the Fukushima accident

For the nineteen years following the 1986 Chernobyl accident, the United Nations Scientific Committee of the Effects of Atomic Radiation (UNSCEAR) reported more than 6,000 cases of thyroid cancer in children and adolescents exposed to radioactive iodine-131 in Belarus and Ukraine. There was also a doubling of radiation-induced genetic mutations among children born in 1994, eight years after the accident. 11 A comparable outcome can be expected from the Fukushima disaster.

The worst is far from over, as many health, technical, social, legal and economic problems remain. Major short-term challenges include stabilising the six reactors, managing more than 100,000 tons of contaminated water, and cleaning up the site, contaminated with radioactive debris. Long-term challenges include dealing with spent fuel in the storage pools and damaged fuel rods in the reactors, achieving cold shutdown, and decommissioning.

The extent of the final human tragedy and economic costs will not be known for many years. The Japan Centre for Economic Research has estimated that it could cost Japan US$250 billion, including compensation for the 180,000 people evacuated from the area.

Public distrust
The Fukushima Daiichi meltdown was a disaster waiting to happen. The seeds of the accident were planted very early in the history of Japan’s nuclear programme. From the very beginning of the nuclear age, the nuclear industry has shunned transparency and carried the stamp of secrecy, like a birthmark. The industry has a history of misleading statements, avoiding genuine open debate, and concealing nuclear mishaps and minor accidents. Nuclear regulatory bodies too often act out of expediency, gloss over critical issues of public health, and answer probing questions with standard, bland platitudes.

Similar to the Soviet Union’s response to Chernobyl, Japan’s response to Fukushima has powerfully demonstrated the degree to which the state prioritises its political interest over the fundamental rights of its people, by controlling the content and flow of information to prevent panic, reduce liability, and protect nuclear and other corporate interests.

As an example, three months after the Fukushima meltdown, the Japanese government announced that radioactive emissions in the first week were around 770,000 terabecquerels, more than double the 370,000 terabecquerels initially estimated by TEPCO. 12

Geological uncertainties
Nuclear power plants are designed and built to withstand what is termed “design basis accidents,” and are carefully sited in geologically stable and physically secure environments, determined by geologists. The possibility of a “design basis accident” is based on “credible events,” which are determined by an analysis of probabilities. The Fukushima catastrophe was a “beyond design basis accident” because the analysis was wrong. It was calculated that the probable “credible event” expected to occur in Fukushima would be an earthquake no greater than a magnitude of 7.9 and a tsunami no higher than 6.7 metres. It was not in the analysis of probabilities that Fukushima would be struck by a 9.0 magnitude earthquake or a 10-14 metre high tsunami.

There are a number of unknown geological faults and processes which make it more difficult to accurately predict a “credible event”. In other words, it is very much an intelligent guessing game, but guessing nevertheless.

Wake-up call
Fukushima could be a game-changer for the nuclear industry. It’s a wake-up call for all 30 countries operating 441 nuclear power plants and for those planning to build their first reactors. There is no such thing as nuclear safety or a fail-safe nuclear reactor. Human error and unpredictable events are unavoidable.

Policy-makers the world over and the nuclear industry must now seriously review, distil and learn from the lessons of Fukushima, which have rightly undermined confidence in and support for nuclear power. It has forced many countries to review the safety of their nuclear facilities, their nuclear options, and future energy policies. China, Venezuela, Italy and Taiwan have suspended plans for new reactors. Germany, which has relied on seventeen nuclear plants for 22% of its electricity, and Switzerland have passed legislation to phase out nuclear energy and develop renewable energy. Austria, Britain, Bulgaria and Finland have set up a nuclear safety review. Civil society groups in France, Italy, South Africa, South Korea, Sweden, Thailand, Turkey and Malaysia have stepped up campaigns against nuclear energy.

Radiation and health
Radiation is invisible, impalpable and odourless. Once released, it cannot be recalled or neutralised. There is no level of exposure to radiation that is safe. Even low-level exposures from radiological medical procedures carry a quantifiable risk of harm.

Ionising radiation causes changes in the cells of the human body, by stripping away electrons from atoms or by breaking the chemical bonds that hold together groups of atoms called molecules.

At high-dose exposures, a severely damaged human cell will die. At low- dose exposures, either the cell can repair the damage to DNA and survive, or late effects such as cancer may be produced many years after the initial exposure. In some cases, when the body is unable to repair the damage, teratogenic mutations may occur and be inherited by future generations, causing congenital malformations.

Human beings exist in a naturally radioactive environment of the sun, rocks, and mountains. Control of accurate information and repeated dissemination of disinformation have reinforced the false core message which many believe, such as:
• that human beings have evolved in a world where background radiation is natural and beneficial at some level;
• and that when there is an adverse health effect of radiation, it only occurs occasionally and accidentally from high levels of exposure to radiation.
Average exposure to this ‘background’ level of radiation is measured at 2.4 millisievert (mSv) per year. But human activities in the past century have greatly increased our exposure to ionising radiation – two atomic bombings, the testing and development of nuclear weapons, uranium mining, the operation of nuclear power plants, and the unsatisfactory storage of spent nuclear fuel.

The 2005 National Academy of Sciences Committee on the Biological Effects of Ionising Radiation (BEIR VII) estimated that, over a life time, each additional dose of 1mSv creates an excess risk of cancer of approximately 1 in 10,000. 13

The assertion that low-level exposure to radiation is not harmful is a figment of Cold War-era science that was created to meet government and industry needs in the testing and production of nuclear weapons. During the Cold War, scientific findings on the health consequences of nuclear fallout, that contradicted the official narrative, were invariably censored. The 1994 US Advisory Committee on Human Radiation Experimentation concluded that the literature on the health effects of radiation during the Cold War was heavily sanitised to reassure and pacify public protests in order to fulfil military and economic agendas and to avoid legal liability.

But there are several sources of conclusive data that provide evidence of health hazards caused by radiation, such as records of US and Soviet human radiation experiments, and long-term research on Chernobyl and Marshall Islands survivors We now know that radioactive fallout and contamination of marine and terrestrial environments ultimately infiltrate the food chain and the human body and represent significant health risks.

We know that fallout from the Chernobyl disaster contaminated about 40% of Europe’s surface area. About 16,000 deaths are projected during the lifetime of those who were exposed in Belarus, Ukraine, Western Russia and in Europe further downwind. It is not clear at present what the long-term health consequences will be in post-Fukushima Japan.

Health risks from radiation, either from a nuclear explosion or a nuclear reactor meltdown, must impel us to re-evaluate nuclear fission, the bedrock of nuclear weapons and nuclear power.

Life and Death
Today, nine nuclear weapon states together possess 24,000 nuclear weapons, 95 per cent of which are American and Russian. Twelve thousand are operational, of which 3,500 still remain on high alert status. The Board of Bulletin of the Atomic Scientists reminds us that 50 of today’s nuclear weapons could kill 200 million people. 14
High-level international bodies have articulated the priority and urgency of nuclear disarmament, leading to abolition. Among these have been the Canberra Commission on the Elimination of Nuclear Weapons (1995), the International Court of Justice (1996), the Weapons of Mass Destruction Commission (2006), and the International Commission on Nuclear Non-Proliferation and Disarmament (2009).

The first paragraph of the report by the International Commission on Nuclear Non-proliferation and Disarmament warns of the threat to human and planetary survival:

“Nuclear weapons are the most inhumane weapons ever conceived, inherently indiscriminate in those they kill and maim, and with an impact deadly for decades. Their use by anyone at any time, whether by accident, miscalculation or design, would be catastrophic. They are the only weapons ever invented that have the capacity to wholly destroy life on this planet, and the arsenals we now possess – combining their blast, radiation and potential ‘nuclear winter’ effects – are able to do so many times over. Climate change may be the global policy issue that has captured most attention in the last decade, but the problem of nuclear weapons is at least its equal in terms of gravity – and much more immediate in its potential impact.” 15

Despite the upsurge in global support for a world free of nuclear weapons, the road to zero remains bumpy and progress is slow, because elite navigators and drivers in nuclear weapons states are moving at a very slow pace. But the world does not have the luxury of time on its side.

We must assail the mindset that the nuclear-fission genie is out of the bottle and that the clock cannot be turned back. We may not be able to disinvent nuclear weapons, but we can outlaw and abolish them.

Nuclear disarmament is gradually gaining momentum in a world no longer distracted by the nuclear imperatives of the Cold War. In January 2007, an op-ed in the Wall Street Journal by George Shultz, Henry Kissinger, William Perry and Sam Nunn reverberated round the world, not so much for what it said as for the political and diplomatic eminence of the “Gang of Four,” as they came to be known. 16

The op-ed has had a profound impact, bringing advocacy from the activist margins into mainstream discourse. The Gang of Four have come to realise that reliance on nuclear weapons is “becoming increasingly hazardous and decreasingly effective.” They argue that action needs to be “energetically taken” on “a series of agreed and urgent steps that would lay the groundwork for a world free of the nuclear threat.”

Our disorderly world is largely shaped by political and economic forces, backed up by military power, often compromising fundamental human security, social justice and human rights. The challenges of inequity and poverty, naked militarism, and degradation of ecosystems demand of decision-makers a sense of moral responsibility and accountability. There is a great need for global civil society to be actively involved in tempering the excesses of politics and economics in general and ensuring accountability.

While moral codes and state laws may constrain citizens, ethics and international law do not seem to constrain sovereign nation-states in the same way. In practice, ethical norms are often deemed irrelevant to foreign policy in its pursuit of narrow national interests. There is a need to create a global ethical framework as a global social reality, which will depend upon what is established, not so much upon the norms accepted by states, as upon the universal norms embedded in institutions and practices. The challenge would be in creating the political will to establish a consensus of universal values and to eschew double standards.

The paradox of the Nuclear Age is that the greater the striving for military power and security through nuclear arms, the more elusive the goal of human security. For humankind to survive in an environmentally challenged and nuclear-armed world, we must learn from the mistakes of the past and forge a common, secure future. The greatest moral challenge of our time has been the unthinkable possibility of self-destruction on a global scale in a nuclear war or from cataclysmic climate change. The greatest priority for the future is to ensure that there will be a future.


References

1. Richard Rhodes. The Making of the Atomic Bomb, Simon and Schuster,
1986, p. 676.
2. C.G. Weeramantry. Nuclear Weapons and Scientific Responsibility,
Longwood Academic, Wolfebro, NH, 1987, p. 19.
3. William A. Schwartz and Charles Derber, The Nuclear Seduction, University of California Press, Oxford, England, 1990, p. 146.
4. Ann Fagan Ginger. Nuclear Weapons are Illegal, 1998, The Apex Press, New York, p. 1.
5. Alan Robock et al. Climatic consequences of regional nuclear conflicts, Atmospheric Chemistry and Physics Discussion, 2006; 6:11817-11843.
6. Bernard Lown. Prescription for Survival, Berrett-Koehler Publishers Inc., San Francisco, 2008, p. 344.
7. Ban Ki-moon. A five point plan to rid the world of nuclear bombs, Gulf Times, Qatar, 3rd August 2009. http://www.un.org/sg/printarticle.asp?TID=105&Type=Op-Ed.
8. http://www.ucsusa.org/nuclear_power/reactor-map/embedded-flash-map.html
9. Richard Black. 12 April 2011, Fukushima: As Bad as Chernobyl?
http://www.bbc.co.uk/news/science-environment-13048916.
10. Frank N von Hippel. The radiological and psychological consequences of the Fukushima Daiichi accident, Bulletin of the Atomic Scientists, 2011, 67:27. http://bos.sagepub.com/content/67/5/27
11. UNSCEAR Assessment of the Chernobyl Accident.
http://www.unscear.org/unscear/en/chernobyl/html
12. Masami Ishii. World Medical Journal, Vol.57, Number 4, August 2011, p. 144.
13. Committee to Assess Health Risks from Exposure to Low Levels of Ionising Radiation. BEIR VII: Health risks from exposure to low levels of ionising radiation. Washington DC, National Academies Press, 2005:303. Available at www.nap.edu
14. Bulletin of the Atomic Scientists, January/February 2007, p. 67.
15. Report of the International Commission on Nuclear Non-proliferation and Disarmament. Eliminating Nuclear Threats, Paragon, Canberra, 2009. Electronic copies: www.icnnd.org
16. George P. Shultz, William J. Perry, Henry A. Kissinger, Sam Nunn and others. A World Free of Nuclear Weapons, Wall Street Journal, New York, January 4, 2007.

Presented at St John’s College, University of British Columbia, Vancouver, on 11th October 2011.