Koko Tanimoto Kondo's talk at the Unitarian Church of Vancouver was a great success, with a turnout of over 100 and an inspiring musical and mime performance and participation of students who went to Hiroshima and Nagasaki with Koko. Thank you all who planned, participated, and helped, and sent wishes to the event! Professor Roy Tamashiro of Webster University and his colleagues will create a documentary based on the event and a series of interviews that they conduct in Vancouver.
Koko will talk at the University of Victoria on Tuesday, January 31. Below is a flyer.
Note on February 1: Koko's Victoria talk was a phenomenal success, engaging 130 university and community members. Big thanks to the University of Victoria, Centre for Asia Pacific Initiatives, Neil Burton's family, and Professor John Price, and all who attended the event.
For those who missed the Vancouver and Victoria events, it is not too late... Koko will be speaking at the University of Washington, Seattle, on February 7. See HERE for details.
Peace Philosophy Centre, based in Vancouver, Canada (est. 2007), provides a space for dialogue and facilitates learning for creating a peaceful and sustainable world. ピース・フィロソフィー・センター(カナダ・バンクーバー 2007年設立)は平和で持続可能な世界を創るための対話と学びの場を提供します。피스필로소피센터(캐나다·밴쿠버 2007년 설립)는 평화롭고 지속 가능한 세계를 만들기 위한 대화와 배움의 장소를 제공합니다. 欢迎来到和平哲学中心!我们来自加拿大温哥华,我们致力于促进对话及建立可持续发展的和平世界。欢迎您留下宝贵的评论。Follow Twitter: @PeacePhilosophy / "Like" Facebook: Peace Philosophy Centre メールEmail: peacephilosophycentre@gmail.com
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Monday, January 30, 2012
Saturday, January 21, 2012
「フクシマ」10カ月: アクセスの多かった重要記事を再度紹介します
震災・原発事故から10カ月余が経ちました。短い2月は多分あっという間に過ぎ、311の1周年をもう目前に控えている感覚です。
311以降、アクセスが特に多かった記事から、その重要性が今も変わらないと思うものを選んで、ここに紹介します。
2011・5・16
4月中旬、NHKに一瞬映った 「WSPEEDI」 3月15日被ばく予測マップ
2011・4・18
IPPNW「チェルノブイリ健康被害」新報告と、首相官邸資料「チェルノブイリ事故との比較」との驚くべき相違 (関連: 福島とチェルノブイリの原発事故の比較に関する首相官邸ホームページ専門家グループ解説の医学的疑問点: 医学博士 松崎道幸)
2011・4・1
識者緊急提言
2011.4.21
沢田昭二『放射線による内部被曝』-福島原発事故に関連して-
2011・4・5
ドイツ放射線防護協会から:チェルノブイリの経験に基づき、野菜、飲料等についての提言
2011・9・29
チェルノブイリ事故による放射性物質で汚染されたベラルーシの諸地域における非ガン性疾患 Y・バンダシェフスキー教授 (関連 ベラルーシ・ゴメリでの、子どもの非がん性疾患の激増)
2011・11・3
低線量被曝ガンリスクで重要論文: 10ミリシーベルトでガンが有意増加(カナダ・マギル大学チーム)
2011・5・9
NHKチェルノブイリ20年番組『汚された大地で~チェルノブイリ20年後の真実』
2011・4・26
大原発事故から25年:『チェルノブイリ原発事故・終わりなき人体汚染』(NHK・1996年放映)が伝える大事なこと
2011・5・22
リンク切られた中日新聞記事では、土壌セシウム汚染値により、チェルノブイリでは強制避難レベルなのに福島ではそうでないところがマップに示されていた
2011・6・1
フランスIRSN報告が明らかにする福島の汚染・被曝状況と、さらなる避難の示唆
2011・6・23
福島第一からの放射性物質は約2週間で北半球全域を覆った
2011・7・22
ベラルーシの放射線防護研究所による「農作物への放射能対策」
★その他、このサイトの右側のサイドバーに、「原発問題 世界の論説」として和・英語による論説文集があります。その下方の、「当サイトの原発関連重要記事」リストもご覧ください。
★福島核危機等について 『アジア太平洋ジャーナル: ジャパンフォーカス』に英語で書いた記事はこちらのリンクにあります。http://japanfocus.org/-Norimatsu-Satoko
★引き続き、フェースブック Peace Philosophy Centre, ツイッター @PeacePhilosophy でも発信を続けます。
@PeacePhilosophy
311以降、アクセスが特に多かった記事から、その重要性が今も変わらないと思うものを選んで、ここに紹介します。
2011・5・16
4月中旬、NHKに一瞬映った 「WSPEEDI」 3月15日被ばく予測マップ
2011・4・18
IPPNW「チェルノブイリ健康被害」新報告と、首相官邸資料「チェルノブイリ事故との比較」との驚くべき相違 (関連: 福島とチェルノブイリの原発事故の比較に関する首相官邸ホームページ専門家グループ解説の医学的疑問点: 医学博士 松崎道幸)
2011・4・1
識者緊急提言
2011.4.21
沢田昭二『放射線による内部被曝』-福島原発事故に関連して-
2011・4・5
ドイツ放射線防護協会から:チェルノブイリの経験に基づき、野菜、飲料等についての提言
2011・9・29
チェルノブイリ事故による放射性物質で汚染されたベラルーシの諸地域における非ガン性疾患 Y・バンダシェフスキー教授 (関連 ベラルーシ・ゴメリでの、子どもの非がん性疾患の激増)
2011・11・3
低線量被曝ガンリスクで重要論文: 10ミリシーベルトでガンが有意増加(カナダ・マギル大学チーム)
2011・5・9
NHKチェルノブイリ20年番組『汚された大地で~チェルノブイリ20年後の真実』
2011・4・26
大原発事故から25年:『チェルノブイリ原発事故・終わりなき人体汚染』(NHK・1996年放映)が伝える大事なこと
2011・5・22
リンク切られた中日新聞記事では、土壌セシウム汚染値により、チェルノブイリでは強制避難レベルなのに福島ではそうでないところがマップに示されていた
2011・6・1
フランスIRSN報告が明らかにする福島の汚染・被曝状況と、さらなる避難の示唆
2011・6・23
福島第一からの放射性物質は約2週間で北半球全域を覆った
2011・7・22
ベラルーシの放射線防護研究所による「農作物への放射能対策」
★その他、このサイトの右側のサイドバーに、「原発問題 世界の論説」として和・英語による論説文集があります。その下方の、「当サイトの原発関連重要記事」リストもご覧ください。
★福島核危機等について 『アジア太平洋ジャーナル: ジャパンフォーカス』に英語で書いた記事はこちらのリンクにあります。http://japanfocus.org/-Norimatsu-Satoko
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@PeacePhilosophy
Wednesday, January 18, 2012
一部削除された読売新聞記事-SPEEDI否定によって東電の過失をかばった安全委
1月18日の読売新聞の記事「避難判断にSPEEDI使わず…安全委が改定案」(下記参照)を読んでこうツイートした。(@PeacePhilosophy)
1月18日読売新聞
これには呆れた。これまで10カ月間、官邸、文科省、保安院、安全委等政府の関係者たちはSPEEDIが正確ではないので発表が遅れたとか言い訳を続けながら、この重大な過失を犯していた東電をかばい続けてきたということだ。計算が正確ではないのはSPEEDIの問題ではなくて、SPEEDIに重要な原子炉データを提供するERSSの非常電源が東電の怠慢で何か月も前から切られたままになっていたからだったのだ。
挙句の果てに安全委は、18日の読売の報道にあるように、「スピーディの予測は不確実性が大きく、緊急時の活用は困難」だから今後の事故にはスピーディを使わないようにしようなどと提案した。今回の東電の過失がばれないように今後のスピーディ活用自体を否定して蓋をしてしまおうとの魂胆が見える。
そして、読売新聞が記事の当該部分を削除したのは、安全委が、炉心データが得られなかったのはスピーディ自体の欠陥だと思わせる発言をして東電をかばおうとしている証拠を隠すためだったのではないか。電力会社を監視するはずの安全委が完全に電力会社と癒着しているだけではなく、メディアもこうやって情報操作に協力している共犯だという証拠ではないか。
柿沢未途衆院議員はこうツイートしている。
東電、政府、省庁、メディア、輪になって尻を拭い合う姿は醜悪としか言えない。高汚染地域に事故後2ヶ月半も放置された飯館村の人々、一番放射性物質が降っているときに外に並んで水の配給を待っていた人々、すぐ避難してもより汚染された地域に避難させられてしまった人々と、子どもたちのことを考えると、絶句する。もう怒りや悔しさを表現する言葉も、エネルギーも使い果たしてしまったと思っていたが、一昨日の「政府は事故後すぐ米軍にスピーディ情報を提供していた」に続き、昨日今日の一連のニュースには、本当のたたかいは始まったばかりだとの感を新たにする。Follow → @PeacePhilosophy
関連記事
日本政府は米軍の安全を日本市民の安全より優先させた (1月17日)
読売「 「スピーディの予測は不確実性が大きく、緊急時の活用は困難」との見解だ。「予測情報が提供されていれば、より適切な避難経路や避難方向を選ぶことができた」とする政府の第一原発事故調査・検証委員会の中間報告書(昨年12月)の指摘に反するもので、議論を呼びそうだ。」元記事をここにコピペする。
読売「作業部会の本間俊充主査(日本原子力研究開発機構安全研究センター長)は、「放射性物質が放出された時間と量が分からなければ、単なる風向の予測と変わらない」と話している。」
「単なる風向き予測」だと。その「単なる」予測がいかに大事だったか。風向き予測を真剣に知らせた政府機関があったか。皆海外の機関で調べていたし今もそうだ。この投稿ではSPEEDIの予測が実際の放射能拡散をかなり正確に予期したことを示した。http://peacephilosophy.blogspot.com/2011/05/blog-post_16.html
避難する市民の立場から考えると、放射性物質の量とか種類なんてどうでもいいことなのである。セシウムは北へ、ヨウ素は南へなんてわけがないのだから。今どっちの方向に逃げるのが一番安全なのか、それだけが大事なのである。風向き情報を元に、より安全な方向に逃がすべきだった。
安全委はSPEEDIの信憑性を否定することでSPEEDIを公開しなかった責任から逃れ、保身をはかっているようだが、炉心の状態や溶融のタイミングが正確にわかる原発事故なんてあるわけないじゃないか。あり得る最悪のシナリオで逃がすべきなのだ。何の言い訳にもならない。
1月18日読売新聞
東京電力福島第一原子力発電所の事故を受け、原子力防災指針の見直しを検討している内閣府原子力安全委員会の作業部会は18日、原発事故で住民の避難判断をする際、これまで活用するとしていた放射性物質拡散予測システム「SPEEDI(スピーディ)」を使わず、実測した毎時の放射線量などをもとに判断するという改定案をまとめた。今日(19日)もう一度このリンク(http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20120118-OYT1T00416.htm?from=tw)に行ったら内容が変更されていたことに気付いた。キャッシュも探したが見つからない。差し替え後の記事がこれだ。
「スピーディの予測は不確実性が大きく、緊急時の活用は困難」との見解だ。「予測情報が提供されていれば、より適切な避難経路や避難方向を選ぶことができた」とする政府の第一原発事故調査・検証委員会の中間報告書(昨年12月)の指摘に反するもので、議論を呼びそうだ。
現行の原子力防災指針では、「スピーディの情報や事故状況などを基に、50ミリ・シーベルト以上の被曝が予測される場合に、避難指示を出す」となっているが、実際の住民の避難指示には活用されず、批判されていた。
作業部会は、福島第一原発事故のスピーディ活用法を検証。事故直後、炉心のデータが得られなかったため、仮のデータを入力したが、放射線量が高くなる方向、分布は1時間ごとに風向きなどに応じてめまぐるしく変わったため、「汚染地域を正確に予測することはできない」と結論づけた。
作業部会の本間俊充主査(日本原子力研究開発機構安全研究センター長)は、「放射性物質が放出された時間と量が分からなければ、単なる風向の予測と変わらない」と話している。
原子力防災指針の改定を検討している内閣府原子力安全委員会の作業部会は18日、原発事故で住民の避難判断をする際、放射性物質拡散予測システム「SPEEDI(スピーディ)」は信頼性が低いため使わず、実測した放射線量などをもとに判断するという見直し案をまとめた。比べてみると、読売の当初の記事の最後二段落分が削除されていた。この部分である。
「スピーディの予測は不確実性が大きく、緊急時の活用は困難」というのが見解。「予測情報が提供されていれば、より適切な避難経路などを選ぶことができた」とする政府の東京電力福島第一原子力発電所事故調査・検証委員会の中間報告書(昨年12月)の指摘と対立するもので、議論を呼びそうだ。
現行の原子力防災指針では、「スピーディの情報や事故状況などを基に、50ミリ・シーベルト以上の被曝(ひばく)が予測される場合に、避難指示を出す」となっているが、実際の住民の避難指示には活用されず、批判されていた。
(2012年1月18日11時37分 読売新聞)
作業部会は、福島第一原発事故のスピーディ活用法を検証。事故直後、炉心のデータが得られなかったため、仮のデータを入力したが、放射線量が高くなる方向、分布は1時間ごとに風向きなどに応じてめまぐるしく変わったため、「汚染地域を正確に予測することはできない」と結論づけた。なぜこの記事に戻ろうとしたかというと、今日このような記事が目に入ったからである。各社で報道されているが、最初に見た産経のものを記録しておく。
作業部会の本間俊充主査(日本原子力研究開発機構安全研究センター長)は、「放射性物質が放出された時間と量が分からなければ、単なる風向の予測と変わらない」と話している。
福島原発データ送信装置 非常用電源外し放置 東電、震災4カ月前から
産経新聞 1月19日(木)7時55分配信この記事で、18日の、一部削除される前の読売の記事では、安全委が、事故直後「炉心のデータが得られなかったため」と、さらりと言っていたことが、実は東電の重大なミス(非常用電源をはずしたまま放置していた)ことによって原子炉データをSPEEDIに送るERSSが機能していなかったことによって起こったことだということがわかったのだ。
■事故時、監視システム機能せず
東京電力福島第1原発の原子炉データを、国の原子炉監視システムに送信する装置の非常用電源が、事故の4カ月前に行った工事で取り外されたまま放置されていたことが18日、関係者への取材で分かった。非常用電源が接続されていなかったため、東日本大震災による外部電源喪失で監視システムにデータを送信できず、事故状況の予測に生かすことができなかった。非常用電源があれば地震後約2時間はデータを送信できた可能性が高い。監視システムの根幹にかかわる事態で、東電の危機意識の低さが改めて問われそうだ。
非常用電源が外れたままとなっていたのは「メディアコンバーター(MC)」と呼ばれる機器で、原子炉の温度や周辺の放射線量などを監視する「ERSS」と呼ばれるシステムにデータを送信する装置の一部。MCが非常用電源の「無停電電源装置」に接続されておらず、地震により外部電源を喪失した昨年3月11日午後2時47分ごろにデータの送信が停止した。
関係者によると、平成22年11月に行われた設備更新工事で、MCからの電源ケーブルを作業員が誤って別の機器に接続。東電は同月、ミスに気づき、ケーブルを非常用電源につなぎ直そうとしたが、ケーブルの長さが足りず断念。未接続のまま放置したという。
ERSSを所管する経済産業省原子力安全・保安院は「非常用電源が接続されていればデータが受け取れた」と認めており、本震から余震で国の通信網がダウンする昨年3月11日午後4時43分ごろまでの約2時間、本震直後のデータを生かすことができた可能性が高い。ERSSのデータを基に放射性物質の拡散を予測するシステム「SPEEDI」にも活用できなかった。
東電は、放置していた理由を「電源ケーブルを手配しなければいけないという認識はあったが、3月11日までにつなげなかった。完全に忘れていたわけではない」と説明している。
一方、保安院は「なぜ長いケーブルに取り換えなかったのか」と、東電の対応を疑問視している。
政府の事故調査・検証委員会は昨年12月に公表した中間報告で、MCについて「非常用電源やバッテリーが備え付けられていなかったため、装置が停止したと考えられる」としているが、非常用電源の不備ではなく、未接続が原因と判明したことで、今後問題視される可能性もある。
【用語解説】ERSS
チェルノブイリ原発事故などを受け、原子力事故が起きた際の国の対応を迅速化する目的で導入されたシステム。全原発55基の原子炉の圧力や周辺の放射線量などの状況を一元的に把握し、事故状況を予測することなどができる。これまでに国が155億円以上を投じ開発・運用してきた。昨年12月末には、24時間以上にわたってデータが表示されなくなるトラブルがあった。
これには呆れた。これまで10カ月間、官邸、文科省、保安院、安全委等政府の関係者たちはSPEEDIが正確ではないので発表が遅れたとか言い訳を続けながら、この重大な過失を犯していた東電をかばい続けてきたということだ。計算が正確ではないのはSPEEDIの問題ではなくて、SPEEDIに重要な原子炉データを提供するERSSの非常電源が東電の怠慢で何か月も前から切られたままになっていたからだったのだ。
挙句の果てに安全委は、18日の読売の報道にあるように、「スピーディの予測は不確実性が大きく、緊急時の活用は困難」だから今後の事故にはスピーディを使わないようにしようなどと提案した。今回の東電の過失がばれないように今後のスピーディ活用自体を否定して蓋をしてしまおうとの魂胆が見える。
そして、読売新聞が記事の当該部分を削除したのは、安全委が、炉心データが得られなかったのはスピーディ自体の欠陥だと思わせる発言をして東電をかばおうとしている証拠を隠すためだったのではないか。電力会社を監視するはずの安全委が完全に電力会社と癒着しているだけではなく、メディアもこうやって情報操作に協力している共犯だという証拠ではないか。
柿沢未途衆院議員はこうツイートしている。
産経新聞記事 http://bit.ly/yzoCHZ のように、原子炉データをオンラインで伝送し事故解析と進展予測をするERSSというシステムが、事故後、データ伝送の途絶で全く使われなかった。これについて保安院も斑目原子力安全委員長も極めて適当な言い訳を繰り返してきた。柿沢議員が言うように、炉心のデータがなかったにせよSPEEDIは仮のデータを使って風向き情報と共に計算結果を出していた。私の冒頭のツイートでも述べたように、事故直後住民避難のためには放射線の正確な量や種類などよりまず風向きが大事であり、風向き情報だけでもそれにもとづいて避難させることができたはずだ。
昨年4月30日の予算委、ここで私はERSSのデータ伝送途絶の理由について早くも質問している。斑目委員長が「オフサイトセンターから逃げちゃったから」と言っていたのが、私が矛盾を指摘すると、寺坂保安院長が「機器の故障だ」となり、その場で言っている事がコロコロ変わった。
昨年4月30日の予算委、質問と答弁はこちら→http://bit.ly/zu3GPd 今、見返してみてもとんでもない答弁をしている。そしてコロコロ変わる言い訳も全て嘘で、結局は、非常用電源を繋がないまま放置していた東電の「重大な過失」によるものだったのだ。許せない。
同様にSPEEDIにも放出源の原子炉データが伝送されず、それがSPEEDIの拡散シミュレーション図を公表しなかった言い訳になった。ERSSは150億円、SPEEDIは120億円の巨費を投じて作ったシステムだ。それをこんな過失で使えなくして、しかも適当な言い訳をする。とんでもない。
さらに付け加えれば、ERSSとSPEEDIを非公表とした理由を「原子炉の生データが得られなかったから」としているのもおかしい。ERSSは震災当日の夜にメルトダウンを正確に予測していたのだし、SPEEDIは風向きによるシミュレーション図を作成し、米軍には送信されたというではないか。
このように嘘を嘘で固めるような事をやってきたのが東電であり、保安院であり、斑目委員長だった、という事になる。年末年始に3・11を振り返り、私なりの検証を少しずつ書き始めたが、まだまだ私が震災及び原発事故対応の与野党協議の最前線で見聞きしてきたもので、検証すべき事は多い。
それに、政府の事故調査検証委員会は、一体何をやっていたんだという話にもなる。これだけの重大な過失を究明しないまま見過ごしていたのか。あるいは東電に配慮して中間報告に書かなかったのか。いずれにしても存在意義が問われる事態ではないだろうか。
東電、政府、省庁、メディア、輪になって尻を拭い合う姿は醜悪としか言えない。高汚染地域に事故後2ヶ月半も放置された飯館村の人々、一番放射性物質が降っているときに外に並んで水の配給を待っていた人々、すぐ避難してもより汚染された地域に避難させられてしまった人々と、子どもたちのことを考えると、絶句する。もう怒りや悔しさを表現する言葉も、エネルギーも使い果たしてしまったと思っていたが、一昨日の「政府は事故後すぐ米軍にスピーディ情報を提供していた」に続き、昨日今日の一連のニュースには、本当のたたかいは始まったばかりだとの感を新たにする。Follow → @PeacePhilosophy
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日本政府は米軍の安全を日本市民の安全より優先させた (1月17日)
Monday, January 16, 2012
日本政府は米軍の安全を日本市民の安全より優先させた "Tomodachi" information control operation? Japanese Government provided radioactivity dispersion prediction to the US military before its own people
In English, see Australia's ABC's report "Japan delayed release of radiation details".
驚きではないが、怒りで体が震える。米軍の災害救助活動は「トモダチ作戦」と呼ばれたが、結局日本政府の一番大事な「トモダチ」は米国だけであり日本にいる市民の安全などはどうでもいいことであったということが判明した。そしてその米国も、日本の「トモダチ」に気をつかってSPEEDIで得た情報は積極的に日本市民に届けようとはしなかったという点で共犯だ。エネルギー省が事故後ただちに行った航空モニタリング調査も、SPEEDIの情報も使いながら行われたのだろう。エネ省は、3月16日から17日にかけては、北西部のワシントン州でキセノン133が検出され、3月18日にはカリフォルニアでヨウ素131、132、テルル132、セシウム137が検出されたと報告している。3月22日には第一回の航空モニタリングの結果も公表し、原発から北西方向へ大量の放射性物質が落ちたことはこの報告の4ページ目の図からもわかる。米国の3月22日から5月13日までの報告はここにある。4月以降航空モニタリングは文科省と共同で進められ、文科省は5月になってやっと結果を発表しはじめた。この米国のエネルギー省のページは日本語でもブログやツイッター等では紹介されたが、日本政府や主要メディアはだんまりであった。これは推測だが、日本政府がやっと3月23日に一部のSPEEDI計算結果を報告したのは、22日に米国が最初の航空モニタリング結果を公表したからではないか。米国の22日は、日本の23日だ。
「トモダチ情報隠蔽作戦」の全貌が明らかにされる必要がある。@PeacePhilosophy
驚きではないが、怒りで体が震える。米軍の災害救助活動は「トモダチ作戦」と呼ばれたが、結局日本政府の一番大事な「トモダチ」は米国だけであり日本にいる市民の安全などはどうでもいいことであったということが判明した。そしてその米国も、日本の「トモダチ」に気をつかってSPEEDIで得た情報は積極的に日本市民に届けようとはしなかったという点で共犯だ。エネルギー省が事故後ただちに行った航空モニタリング調査も、SPEEDIの情報も使いながら行われたのだろう。エネ省は、3月16日から17日にかけては、北西部のワシントン州でキセノン133が検出され、3月18日にはカリフォルニアでヨウ素131、132、テルル132、セシウム137が検出されたと報告している。3月22日には第一回の航空モニタリングの結果も公表し、原発から北西方向へ大量の放射性物質が落ちたことはこの報告の4ページ目の図からもわかる。米国の3月22日から5月13日までの報告はここにある。4月以降航空モニタリングは文科省と共同で進められ、文科省は5月になってやっと結果を発表しはじめた。この米国のエネルギー省のページは日本語でもブログやツイッター等では紹介されたが、日本政府や主要メディアはだんまりであった。これは推測だが、日本政府がやっと3月23日に一部のSPEEDI計算結果を報告したのは、22日に米国が最初の航空モニタリング結果を公表したからではないか。米国の22日は、日本の23日だ。
「トモダチ情報隠蔽作戦」の全貌が明らかにされる必要がある。@PeacePhilosophy
北海道新聞
(01/16 22:35)http://www.hokkaido-np.co.jp/news/dogai/343858.html
文科省、事故直後に拡散予測を米軍に提供 SPEEDIによる試算結果(01/16 22:35)
東京電力福島第1原発事故直後の昨年3月14日、放射性物質の拡散状況を予測する緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)による試算結果を、文部科学省が外務省を通じて米軍に提供していたことが16日、分かった。
SPEEDIを運用する原子力安全委員会が拡散の試算結果を公表したのは3月23日。公表の遅れによって住民避難に生かせず、無用な被ばくを招いたと批判されているが、事故後の早い段階で米軍や米政府には試算内容が伝わっていた。
日経
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819481E3E4E2E19B8DE3E4E2E3E0E2E3E09797E0E2E2E2;at=DGXZZO0195583008122009000000
放射性物質の拡散予測、米に先に提供 国会事故調で文科省
2012/1/16 22:55
国会の東京電力福島原子力発電所事故調査委員会は16日、第2回会合を開き、政府の事故調査・検証委員会、東京電力、文部科学省から話を聞いた。文科省は緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)で得られた放射性物質の拡散予測結果について、国内での公表より先に米軍に3月14日から外務省経由で提供していたことを明らかにした。
文科省の渡辺格科学技術・学術政策局次長が説明した。国内の公表は政府内での調整に手間取ったために遅くなったという。早く公表していれば、住民避難と被曝(ひばく)防止に役立ったとみられている。
このほか国会事故調では東電の山崎雅男副社長が、東日本大震災前に得られた巨大津波の予測を公表しなかったのは「科学的に根拠がなかった」ためと主張。地震学者の石橋克彦委員が「科学に対する侮辱だ」と反論した。国会事故調は57人の事務局スタッフをそろえ本格的な調査を始めている。会合は原則公開する。次回は30日に開く。
委員長の黒川清・元日本学術会議会長は16日の記者会見で、政府事故調との協力や菅直人前首相らへの聴取時期について「議論している」と述べるにとどめた。
NHK
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120117/t10015315481000.html
SPEEDI情報 米軍に提供
1月17日 0時7分
東京電力福島第一原子力発電所の事故原因を究明する国会の「事故調査委員会」は、初めての本格的な質疑を行い、参考人として招致された文部省の担当者が、放射性物質の拡散を予測する「SPEEDI」と呼ばれるシステムによる予測データを、事故の直後に、アメリカ軍に提供していたことを明らかにしました。
国会の事故調査委員会は、16日、政府の事故調査・検証委員会の畑村委員長や東京電力の事故調査委員会の委員長を務める山崎副社長らを参考人として招致し、公開で初めての本格的な質疑を行いました。この中で、文部科学省科学技術・学術政策局の渡辺次長は、放射性物質の拡散を予測する「SPEEDI」と呼ばれるシステムで、事故の直後に行った予測のデータについて、外務省を通じて直ちにアメリカ軍に提供していたことを明らかにしました。SPEEDIのデータは、文部科学省が「実態を正確に反映していない予測データの公表は、無用の混乱を招きかねない」として、一部を除き、事故の発生から2か月近く公表しませんでしたが、アメリカ軍に提供した理由について、渡辺次長は「緊急事態に対応してもらう機関に、情報提供する一環として連絡した」と説明しました。また、質疑では、事故調査委員会の石橋委員が「平成19年の新潟県中越沖地震の経験がありながら、東京電力は、地震と津波に対して、対応が甘かったのではないか」と指摘したのに対し、東京電力の山崎副社長は「事業者として、忠実に対策を取ってきたと思っているが、考えているような前提をすべて覆すようなことが起きた。もう少し考えなければならないということがあるならば、考えていきたい」と述べました。質疑を終えて記者会見した事故調査委員会の黒川委員長は、原発事故の対応にあたった菅前総理大臣や枝野経済産業大臣の参考人招致について、「検討事項に入っている」と述べました。事故調査委員会は、30日に次回の質疑を行うことにしています。
Friday, January 13, 2012
川俣町の農家からキロ520ベクレルの米・「自家用だから」と県は発表せず
また「基準」超えの米が発見された。
http://www.town.kawamata.lg.jp/sokuhou/wp-content/uploads/2011/12/NO42.pdf (下記に画像ファイルで貼り付けた。)
これを読んでわかったことは、町の計測器(シンチレーションスペクトロメータ)で測ったところ490、478、465 Bq/Kg と出たので県のゲルマニウム半導体検出器で測ったところ520 Bq/Kg だったということだ。県は、米を出荷・販売している農家だけを対象に「緊急検査」をしているが、町は、飯米農家を含む稲作農家全戸を対象にしていると。報道によると、県は、自家用米であるという理由で公表しなかったということだが、これは大問題だ。
今回の例は、出荷・販売だけしている農家だけを調べていていたのでは汚染の全貌はつかめないということを示している。それを発表しなかったのは隠蔽であり、汚染の全貌を知りたくもないし知らせたくもないという県の姿勢が伺える。また、自家用で食べるのなら妊婦にでも小さい子でも食べさせていいのだというような無責任な姿勢も伺える。そして、昨秋二本松市から始めて500Bq/Kgを超える米が発見されたときは全国的な大騒ぎになったが、今回は報道しているメディアも非常に少ない。
内外で笑いもの、そして怒りの対象になった野田内閣の「収束宣言」以来、情報隠蔽は加速しているように感じられる。@PeacePhilosophy
共同 1月13日
福島米、また基準値超える 川俣町の農家
福島県川俣町の農家が昨年収穫した玄米から暫定基準値(1キログラム当たり500ベクレル)を超える520ベクレルの放射性セシウムが検出されていたことが13日、分かった。町が同日付のホームページで公表した。県は当初、自家用米で出荷していないとの理由で発表しなかった。
コメの基準値超えが判明した農家は、福島、伊達、二本松、川俣4市町の計32戸となった。
農林水産省は「同じような環境で育ったコメに同様に基準値超えがないか至急確認が必要だ」としている。
読売川俣町災害広報のページの見出しには米のことなど触れておらず、「災害広報」としかなくて探しにくかったが、ここにあった。
福島・川俣町のもち米から規制値超のセシウム
福島県川俣町は13日、町内の農家1戸が生産したもち米(玄米)から、国の暫定規制値(1キロ・グラムあたり500ベクレル)を超える1キロ・グラムあたり520ベクレルの放射性セシウムが検出されたと公表した。
自家消費用のため販売されておらず、県は現在進めるコメの緊急調査の対象外だとし、規制値を超えたことを公表していない。
農家は今年度、自家消費用にもち米150キロ・グラムを生産。町はこの農家に対し、食べないよう注意を呼びかけた。
(2012年1月13日20時41分 読売新聞)
http://www.town.kawamata.lg.jp/sokuhou/wp-content/uploads/2011/12/NO42.pdf (下記に画像ファイルで貼り付けた。)
これを読んでわかったことは、町の計測器(シンチレーションスペクトロメータ)で測ったところ490、478、465 Bq/Kg と出たので県のゲルマニウム半導体検出器で測ったところ520 Bq/Kg だったということだ。県は、米を出荷・販売している農家だけを対象に「緊急検査」をしているが、町は、飯米農家を含む稲作農家全戸を対象にしていると。報道によると、県は、自家用米であるという理由で公表しなかったということだが、これは大問題だ。
今回の例は、出荷・販売だけしている農家だけを調べていていたのでは汚染の全貌はつかめないということを示している。それを発表しなかったのは隠蔽であり、汚染の全貌を知りたくもないし知らせたくもないという県の姿勢が伺える。また、自家用で食べるのなら妊婦にでも小さい子でも食べさせていいのだというような無責任な姿勢も伺える。そして、昨秋二本松市から始めて500Bq/Kgを超える米が発見されたときは全国的な大騒ぎになったが、今回は報道しているメディアも非常に少ない。
内外で笑いもの、そして怒りの対象になった野田内閣の「収束宣言」以来、情報隠蔽は加速しているように感じられる。@PeacePhilosophy
Thursday, January 12, 2012
母乳汚染は人間の存続自体への脅威を示唆する
福島県と国が母乳の放射性物質検査をするという(下記報道参照)。
しないよりはした方がいいのだろうが、決定的な考慮が抜け落ちている感がある。母乳を粉ミルクや他の食品と同じ「基準」を課す食べ物のように見なしているが、母乳を生みだすのは生きた人体であり母乳汚染イコール母親自身の人体の被ばくを意味するという観点が抜け落ちていないか。
母乳が汚染されるということは母親が相当の内部被ばくをしているということである。母親が内部被ばくをするということは母親の摂取する食品や飲料が汚染されているということであり、それが一番の問題なのである。
母乳汚染が見つかったときに、単に母乳育児を制限させるような対処をするか、もしくは「基準値」以下だからと「安心」させるような企てなのかと思うが、本当は、母乳育児をする母親に内部被ばくをさせるような緩い食品基準を許しているということに対する危機感と責任感で対処するべき問題なのである。
また、母乳が汚染されているということは、その母体の血液から胎盤を通じてずっと栄養をもらい9カ月育つ胎児はその間ずっと被ばくさせられてきた可能性がある。特にこれから生まれる子たちは受精時点から被ばくしてきた可能性がある。その恐ろしさに気づいている人はどれだけいるのだろうか。
胎内にいるときは胎盤から、胎外に出たら母乳から、いずれも元は母親の血液から作られるものであり、妊娠出産育児という大きなシステムの中で母乳だけ切り離して検査し、汚染されていればやめればいいというような単純なものではないのである。人間の生殖機能自体、すなわち人間の存続自体が脅威にさらされているのである。
母乳が汚染されているしこれからもされることは間違いないのだから、5億6000万円もかけて大規模な調査をする資源があったら、今すぐにでも現在妊娠中、授乳中の母親、これから妊娠する可能性のある女性たちが徹底的に食品、飲料を管理して、内部被ばくを最小限に抑えるための方策が取れないのか。1万人規模での調査などと聞くと、単にデータを取るための調査なのではないか、との疑いが募る。@PeacePhilosophy
参考報道
しないよりはした方がいいのだろうが、決定的な考慮が抜け落ちている感がある。母乳を粉ミルクや他の食品と同じ「基準」を課す食べ物のように見なしているが、母乳を生みだすのは生きた人体であり母乳汚染イコール母親自身の人体の被ばくを意味するという観点が抜け落ちていないか。
母乳が汚染されるということは母親が相当の内部被ばくをしているということである。母親が内部被ばくをするということは母親の摂取する食品や飲料が汚染されているということであり、それが一番の問題なのである。
母乳汚染が見つかったときに、単に母乳育児を制限させるような対処をするか、もしくは「基準値」以下だからと「安心」させるような企てなのかと思うが、本当は、母乳育児をする母親に内部被ばくをさせるような緩い食品基準を許しているということに対する危機感と責任感で対処するべき問題なのである。
また、母乳が汚染されているということは、その母体の血液から胎盤を通じてずっと栄養をもらい9カ月育つ胎児はその間ずっと被ばくさせられてきた可能性がある。特にこれから生まれる子たちは受精時点から被ばくしてきた可能性がある。その恐ろしさに気づいている人はどれだけいるのだろうか。
胎内にいるときは胎盤から、胎外に出たら母乳から、いずれも元は母親の血液から作られるものであり、妊娠出産育児という大きなシステムの中で母乳だけ切り離して検査し、汚染されていればやめればいいというような単純なものではないのである。人間の生殖機能自体、すなわち人間の存続自体が脅威にさらされているのである。
母乳が汚染されているしこれからもされることは間違いないのだから、5億6000万円もかけて大規模な調査をする資源があったら、今すぐにでも現在妊娠中、授乳中の母親、これから妊娠する可能性のある女性たちが徹底的に食品、飲料を管理して、内部被ばくを最小限に抑えるための方策が取れないのか。1万人規模での調査などと聞くと、単にデータを取るための調査なのではないか、との疑いが募る。@PeacePhilosophy
参考報道
毎日新聞
福島原発事故:1万人の母乳を検査 政府と県が実施へ
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20120113k0000m040067000c.html
政府と福島県は来年度、同県の新生児の母親のうち希望者を対象に、母乳の放射性物質の検査を実施することを決めた。福島第1原発事故の影響が母乳を通じて子供に及ぶことを懸念する母親の不安解消を目指す。環境省の外局として4月に発足する予定の原子力安全庁(仮称)の12年度予算案に、事業費5億6000万円を計上し、県の県民健康管理基金に組み込んで活用する。
同県内の新生児は年約1万8000人で、一時的にでも母乳を与える母親は約1万人程度とみられる。母親が自ら採取した母乳を検査機関に送って調べる方法などが検討されており、1人約5万円の費用は全額補助する方針。
福島県は、不安をあおることがないよう、医療関係者や市町村の意見を聞きながら、慎重に実施方法を検討している。また、県外避難して出産・育児しているケースの調査・補助方式についても検討する。
母乳の放射性物質を巡っては、厚生労働省の研究班が昨年5~6月に福島、宮城、茨城、千葉など8県の母親108人を調査。このうち福島県の母親21人中7人から放射性セシウムを検出したが、最大で1キロ当たり13.1ベクレルで「健康への影響はない」とした。母乳には暫定規制値は定められていないが、4月から実施される予定の新基準値は、牛乳について「子供の摂取量が多い」として一般食品より厳しい同50ベクレルとしている。【乾達、藤野基文】
Tuesday, January 10, 2012
「収束宣言」後原発からまた水漏れ: リットルあたり5億ベクレル!
(1月17日に追記しています。下方参照)
原発事故が「収束」したと野田首相が言って内外で呆れられた福島第一原発では相変わらずトラブルが続いている。今回の水漏れの以下のニュース(下方参照)を見て思ったことは:
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120110/t10015170831000.html
http://www.47news.jp/47topics/e/224373.php
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20120117-00000007-jnn-soci
「環境への影響はほとんどない」など有り得ない。NHKで1月15日放映された「シリーズ原発危機
知られざる放射能汚染~海からの緊急報告~」では、原発周辺の海では、海底に近付くほど放射性物質の濃度が増し、海産物もキロ2000ベクレル以上のものが見つかっている。(この番組は必見。http://www.nhk.or.jp/special/onair/120115.html オンデマンド等であれば見てください。)
原発事故が「収束」したと野田首相が言って内外で呆れられた福島第一原発では相変わらずトラブルが続いている。今回の水漏れの以下のニュース(下方参照)を見て思ったことは:
- ストロンチウム90などベータ線を出す放射性物質が1立方センチあたり50万ベクレル。わざわざ立方センチにして小さく見せているが、1リットルにしたら5億ベクレルである。「ストロンチウム90など」と曖昧に書いているが、詳細が必要である。また、セシウムは「微量」とあるが、リットル50億ベクレルある中での「微量」とは一体どれくらいなのだろう。東電はこんなとてつもない汚染水をどれだけ敷地内に抱え込んでいるのだろう。
- 巡回中の社員がたまたま水たまりを見つけたということで、これ以上漏れている可能性があるのではないか。気の遠くなるようなストロンチウム90の濃度の汚染水が海に流れ出ている可能性を、この報道を読んだ人は誰もが思うであろう。
- 凍結用ヒーターが故障して水が凍り装置が壊れるなど、この真冬ではいくらでもあり得ることだ。凍った状態でまた地震があったら機材や配管などがバリバリ壊れてしまうのではないか。このような故障の情報は氷山の一角なのではないか。
- そしてまた心肺停止状態で病院に運ばれた作業員の話が出ている。汚染水処理後の廃棄物というのは、上記のようにリットル何億ベクレルといった、想像を超えた高濃度でそれらを扱う作業員が高い被曝をするのは想像がつく。病人や死人が出るたびに「被曝と関係ない」と言う東電や政府を信用するバカはもういない。本当に、いい加減にしてほしい。「収束宣言」を撤回して、情報を開示してほしい。@PeacePhilosophy
廃塩水タンクから水漏れ=ボルトの緩みか-福島第1原発NHK
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2012011000937
東京電力福島第1原発事故で、東電は10日、高濃度汚染水処理後の廃塩水貯蔵タンクから、放射性物質を含む水約10リットルが漏れたと発表した。水はタンク周辺のコンクリート上にたまっており、土壌への浸透はないとしている。
経済産業省原子力安全・保安院は同日、東電に対し、タンク周辺のパトロールの強化と水漏れ原因の究明、再発防止策の策定を指示した。
東電によると、10日午前10時半ごろ、巡回中の同社社員が貯蔵タンク下部のゴム製パッキン付近から水が漏れているのを発見。タンク本体と基礎部分をつなぐボルトを締め付けたところ、午後0時半ごろ水漏れは止まった。
漏れた水には、微量の放射性セシウムのほか、ストロンチウム90などのベータ線を出す放射性物質が1立方センチ当たり50万ベクレル含まれていた。(2012/01/10-20:32
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120110/t10015170831000.html
第一原発 また汚染水漏れ出す共同
1月10日 19時33分
東京電力福島第一原子力発電所で、汚染水のタンクから、放射性物質を含む水およそ10リットルが、敷地内のコンクリートの上に漏れ出しているのが見つかりました。福島第一原発では先月、汚染水の水漏れが相次ぎ、海に流れ出るなどしたため、国が東京電力を厳重に注意したばかりで、汚染水の管理が依然、課題になっています。
経済産業省の原子力安全・保安院などによりますと、10日午前10時半ごろ、放射性物質の一部を取り除いたあとの汚染水をためているタンクから、水が漏れているのを社員が見つけました。汚染水はタンクの下のほうから漏れ出していて、継ぎ目のボルトを閉めたところ、水漏れは止まりましたが、コンクリートの上におよそ10リットルの水たまりが出来ていたということです。東京電力は、汚染水は敷地の外に漏れ出していないとしています。福島第一原発では先月、汚染水から塩分を取り除く装置で汚染水およそ150リットルが海に流れ出るなど、水漏れが2度起きたため、原子力安全・保安院が東京電力を厳重に注意しました。今回の水漏れで、原子力安全・保安院は、東京電力に原因を究明するとともに、監視を強化するよう、改めて文書で指示しました。政府と東京電力は、先月、福島第一原発の事故の収束を宣言していますが、原子炉の冷却によって発生する汚染水の管理が依然、大きな課題になっています。
http://www.47news.jp/47topics/e/224373.php
東京電力は9日、福島第1原発の汚染水浄化システムの一部で、放射性物質を取り除いた後の処理水11リットルが漏れたと発表した。凍結防止用のヒーターが故障して水が凍り、装置が壊れたのが原因とみられる。以下、1月17日追記。このような報道があった。
東電によると同日午前10時40分ごろ、作業員が水たまりを発見。装置内のガラス部分が割れて隙間から外に漏れたらしい。気象庁によると、第1原発に近い福島県いわき市の同日の最低気温は氷点下1・3度。
また東電によると同日午後2時20分ごろ、汚染水処理で生じる放射性廃棄物を一時貯蔵する施設の工事中に、60代の男性作業員が体調不良を訴えて心肺停止状態となり病院に搬送された。外傷はなく放射性物質の付着もないという。
(共同通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20120117-00000007-jnn-soci
一部海に流出、汚染水濃度は366万倍
TBS系(JNN) 1月17日(火)2時56分配信
去年12月、東京電力・福島第一原発の汚染水処理施設から海に汚染水が流出した問題で、東京電力は漏れた水の放射性物質の濃度は最も高いもので法律で定められた366万倍に上るという分析結果を発表しました。やはりここでもリットル億単位のストロンチウム90が報告されている。
この問題は去年の12月4日、東京電力・福島第一原発の汚染水処理施設で水漏れが見つかり、放射性ストロンチウムを含む汚染水およそ45トンが漏れたうえ、その一部の150リットルが海に流出したものです。
東京電力が汚染水を分析した結果、ストロンチウム90は法律で定められた濃度のおよそ366万倍の1リットルあたり1億1000万ベクレル、ストロンチウム89はおよそ16万倍の4900万ベクレル、セシウム134はおよそ200倍の1万2000ベクレルだったということです。ただ、福島第一原発の沖合15キロの地点ではほぼ検出見解値未満になっており、東京電力では環境への影響はほとんどないと説明しています。
また、東京電力はこうした汚染水の海への流出を防ぐための「遮水壁」の設置工事を進めていて、16日、海中に沈んだがれきを撤去する作業の様子を公開しました。重機を運び込むため海に設置された防水フェンスを開けましたが、東京電力によりますと海水のモニタリング結果に大きな変動はないということです。(17日00:31)
「環境への影響はほとんどない」など有り得ない。NHKで1月15日放映された「シリーズ原発危機
知られざる放射能汚染~海からの緊急報告~」では、原発周辺の海では、海底に近付くほど放射性物質の濃度が増し、海産物もキロ2000ベクレル以上のものが見つかっている。(この番組は必見。http://www.nhk.or.jp/special/onair/120115.html オンデマンド等であれば見てください。)
Sunday, January 08, 2012
「原発事故の際にIAEAに忠告を求めてはならない」ミッシェル・フェルネックス博士緊急提言 Dr. Michel Fernex warns health consequences of Fukushima
Scroll down for an English version.
フランスのNPO Les enfants de Tchernobyl/Belarus 「チェルノブイリ/ベラルーシの子どもたち」(副会長はアレクセイ・ネステレンコ、このブログの過去記事参照:ベラルーシの放射線防護研究所による「農作物への放射能対策」)の創設者であるスイスの医学博士ミッシェル・フェルネックス教授の緊急提言を掲載します。この記事の最後に、このブログの関連記事をリストアップしましたので併せてご覧ください。 @PeacePhilosophy
ミッシェル・フェルネックス教授からの緊急提言
人々が被曝から身を守るために
-福島の即時の影響と後発性の影響を予測すること-
ミッシェル・フェルネックス
2011年11月30日
フランス、オー=ラン県 ビーダータル
AP通信社は11月21日、「福島第一原発の事故による健康被害の実態は、明らかにならない可能性がある」という記事を配信した。これを読むと、次のような疑問が浮かぶ。「人々をできるだけ被ばくから守り、犠牲を最低限に食い止めるための最適な方策を、いったいどの機関が日本政府に進言できるだろうか」。 福島原発の管理者は、原発の計画をたて、建設を実行した最初の誤ちから、津波到来の1時間も前、すでに地震によって原発が壊れていたことを隠蔽した過ちまで、一貫して責任を負っている。これは明らかな人災で、結果として、環境中への放射能漏れの対応に遅れが生じた。
●● IAEAに従属するWHO
1946年の世界保険機構( WHO)憲章で、WHOは、医療部門において適正な技術を提供する義務がある、と定められている。緊急時には、政府が要請するか、あるいはWHOの介入に合意が得られたあとで、その役割を実行することになっている。WHOは健康に関する全ての情報、アドバイスおよび援助を与え、健康に関する世論をしっかり記録に残す義務がある。ところが、これらの義務はまったく遂行されていない。
WHOはもともとこうだったわけではない。1957年に設立された国際原子力機関(IAEA)との間で交わされた合意(1959年、 WHA12.40)によって、原子力分野での独立性を失ったのである。より最近では、放射線関連分野におけるWHOの活動は縮小しており、福島に介入したのもIAEAであった。あまり問題とされてはいないが、IAEAは、福島やチェルノブイリのような原発大惨事が起こるたびに、大きな決定権を発揮できる、という国際原子力機関憲章をもつ。IAEAは自らの憲章に忠実で、1996年4月8日~12日にウィーンで開催されたチェルノブイリに関する国際会議会報のように、IAEA出版物には度々、憲章の第二条が引用されている。IAEAの主要目的は「全世界の平和、健康、繁栄に対して原子力産業が果たす役割を推進し拡大すること」なのである。
言い換えれば、国連組織であるIAEAは、原子力産業を推進し、その商業プロジェクトを支援するための機関である。WHO、FAO(国連食糧機構)、ユニセフなどの国連諸機関のなかで、IAEAはその最上部に位置している。さらに、法的に見ると、WHOは、健康および放射線分野での独立性をもたない、あるいは存在すらしていない。原子力産業を代弁するIAEAは、深刻な病気の数々と放射能の関係を認めない。彼らの意図は原子力産業を保護することであり、放射能汚染から人々を保護したり被災者を支援することではない、とIAEAの指針にはっきり示されている。
従って、国の保健当局は、原発事故の際にIAEAに忠告を求めてはならない。IAEAは経済的配慮を優先するため、被ばくによると思われる健康被害を過小評価したり否定したりする。その結果、強度の汚染地域からの住民の避難が遅れる可能性もある。
●● まず性差に表れる放射線の影響
行政が福島の住民、特に放射能の影響を受けやすい子供たちにヨード剤を配布しなかったのは理解に苦しむ。ヨード剤は高価なものではない。ポーランドの例を見るように、たとえ百万単位の子供たちに配布しなければならないとしても、効果があったことだろう。原発から放出されたヨウ素131が到来する前に一錠飲むだけで予防になった。
AP通信社の記事は、原発事故の影響がまず子供たちに現れることを伝えていない。細胞分裂の早い成長期の子供は、成人に比べて千倍も放射能の影響を受けやすい。妊娠八週以内の胎芽が死亡するリスクもある。すなわち早期流産である。86年のチェルノブイリ事故前の統計と比較すると、事故後、女児新生児の5%が死亡している。最も汚染されたベラルーシとロシアでは、このために新生児の男女比が最大となっている。分娩時の女児死亡はチェルノブイリ後の東欧およびバルカン諸国でも見られ、ドイツでも同様に急増した。しかし汚染が局地的あるいはほとんどなかったフランスやスペインでは性差にあまり差異は見られなかった。このデータは性比が放射能汚染の度合いに比例して変化することを示している。
通常の性比は男1045に対して女1000前後で、地域別に見ても大差はない。放射能の影響で性比が変化した例は他にもある。例えば高濃度のトリウムを含むモナザイト岩地域、インドのケララ谷は、自然放射線レベルが通常の6倍も高く、ここの住民にはダウン症などの先天性異常が多い。また、自然放射線レベルが通常の周辺地域には見られない性比が認められている。(Padmanabham)
チェルノブイリでは死産、周産期死亡および先天性異常の増加が見られた。もっと後になってからだが、心臓の先天異常も見られた。5 0年代に行われたアリス・スチュワート医師の研究では、胎内で被ばくした胎児は後に白血病や癌(脳腫瘍)を発病するリスクが高いことが分かっている。
●● 放射線と免疫機能低下
チェルノブイリでは子供たち、特に小さい子供や幼児の1型糖尿病が増加し、昏睡の症状が確認された。通常は、遺伝的要因からくる自己免疫異常や新たな突然変異によるものだが、チェルノブイリで1型糖尿病を発病した小さい子供や幼児たちは糖尿病家系ではないことが特徴的だった。
事故後、被ばくが免疫機能に影響を与えることがベラルーシで明らかとなっている。そのため、福島周辺住民の白血球および抗体グロブリンの長期的調査が必要である(チトフ教授の研究を参考)。調査結果は、福島から離れた九州などの汚染されていない地域の対象群と比較しなければならない。
汚染地域の子供たちの免疫調査では、膵臓ランゲルハンス島のベータ細胞および甲状腺細胞に対する自己抗体に注意を払う必要がある。橋本甲状腺炎の原因には1型糖尿病と同じように遺伝子が関連すると考えられている。ホルモンなどその他の内分泌腺は、特に思春期に機能不全を引き起こすリスクがある。たとえば、生理の遅れやウクライナで急増した男性不妊症だ。アレルギー性疾病も汚染地域の子供たちの間で増加すると思われるが、これらの調査はいずれも、非汚染地域の対象群と比較すべきである。チェルノブイリでペレヴィナ教授が子供にレントゲンを短時間照射し細胞の過敏性(リンパ球培養)を調査したが、同じ調査を福島でも行う必要がある。
食品による内部被ばくにより免疫が低下したチェルノブイリの子供や幼児は、事故から何年も経ってからも頻繁に感染症にかかっている。汚染されていない地域に比べて合併症や慢性化によって悪化する率が高い。 被ばくによって引き起こされるゲノム不安定性は遺伝的に受け継がれる。調査は、子どもの祖父母から始まって、これから何世代にも渡って続ける必要がある。
●● 被ばくとガン
甲状腺ガンは五歳児では百万人に一人という、子どもには稀な病気だが、今後は五歳未満の子供たちの間でも増大するだろう。被ばくした胎児・新生児の場合、甲状腺ガンの潜伏期間は非常に短く、浸潤性の甲状腺乳頭ガンが極めて速く進行する可能性がある。チェルノブイリ後、甲状腺腫、甲状腺炎および甲状腺機能不全などの甲状腺の病気が増加した。その他のガンは潜伏期間が長く、最大で35年である。スウェーデンのクロンベルクとベラルーシのオケアノフは、チェルノブイリ事故から十年後に様々なガンが増加する、という明白な傾向をつかみ、二十年後には一般的なガンの発生率が統計的に顕著に上昇することを確認した。
放射線を受けた若い人々は、若くしてガンを発病するなど、若年性老化のリスクがある。被ばく量の等しい〈リクビダートル〉(原発事故処理作業員)たちと比較すると、若い〈リクビダートル〉の発ガン率は年配の〈リクビダートル〉より著しく高かった。オケアノフはまた、被ばく総量より被ばくした時間の長さがよりリスクを高める要因であることを示した(1996年4月8日~12日のウィーン国際会議のIAEA会報279ページ参照)。ガンの調査においては、年々減少するであろう死亡率を要因にするのではなく、特に被ばくした人々の発ガン率、また従来より20年早まるであろう発ガン年齢に注目する必要がある。発ガン率と発ガン年齢は10~20年後、統計的に顕著な変化が見られると思われる。若い〈リクビダートル〉の失明も、年配者より頻繁に発生した。これは微小循環障害を伴う網膜の変性疾患で、数年後に黄斑に現れる。
チェルノブイリ事故後、最初の死因はガンではなく、脳と心臓の合併症を伴う心臓血管病と高血圧だった。医師にはこうした合併症の予防に力を尽くして欲しい。被ばくした幼児は、通常より若い年齢で橋本甲状腺炎および1型糖尿病を示す危険がある。性ホルモンの異常による症状などその他の内分泌腺の病気は性機能を不調にし、特に思春期の女性には生理の遅れ、男性には男性不妊症という症状が現れる。
●● 内部被ばくを避けるには
放射能から子供を守るために最も重要なのは、食べ物による内部被ばくを避けることだ。危険なのは外部被ばくよりもむしろ内部被ばくである。体内に取り込まれた放射性物質は、胸腺、内分泌腺、脾臓、骨の表面および心臓といった特定の内臓に蓄積する。チェルノブイリの事故後にバンダジェフスキーが行った研究によると、大人の内臓に蓄積された濃度の二倍近いセシウム137が同地域の子供の内臓から検出された。最も濃度の高かったのは、新生児、乳幼児の膵臓および胸腺だった。
チェルノブイリ後にセシウム137が体内に蓄積された子供たちの八割は病気で、心臓疾患も多い。事故前のベラルーシでは健康に問題のある子供は2割程度で、ベラルーシの汚染されていない地域では事故後でも変化が見られなかった。
子供たちは放射線測量計を身につけるより、ホールボディカウンターを定期的に学校に搬送し、子供たちのセシウム137体内蓄積量を調査する必要がある。体重1キロ当たり20ベクレルの値を超えている場合にはペクチンを与え、汚染された食品の摂取を避ける必要がある。また子供を汚染地域外でしばしば保養させるのも効果的だ。
ペクチンはストロンチウム90、セシウム137、ウラン誘導体の体内摂取を減らすとともに、体外への排出を促進する。イタリア、イスプラの欧州委員会研究所の専門家たちは、ペクチンが安全で放射能の排出に効果的なサプリメントであるとみなしている。
(Nesterenko V.I.他「アップルペクチンによるチェルノブイリの子どもの体内のセシウム137の除去効果」 SMW 134: 24-27. 2004)
汚染された子供たちには、抗酸化物質として作用するビタミンE、ビタミンA、カロチンも有効であり、ニンジン、赤かぶ、赤い果物などを与えるのが効果的だ。
以上はAP配信記事に対する意見である。記事によると、放射能事故を原因とする成人の死亡例はまだ出ていないようだ。汚染地域で小児科医、遺伝学者、免疫学者たちによる出生時から思春期までの継続した疫学調査・医学調査を行うことを強く要請したい。この調査には、汚染されていない地域で、年齢・性別の分布、職業、生活水準、居住地域の人口密度など環境的に類似した対象群を選ぶことが重要である。
(翻訳:小川万里子 編集:藤原かすみ)
ミッシェル・フェルネックス Michel Fernex 略歴
1929年ジュネーヴ生まれのスイス人。医学博士。ジュネーヴ、パリ、ダカール、バーゼルで医学を学ぶ。後、セネガル、マリ、ザイール、タンザニアなどアフリカ諸国に勤務、またフランス、スエーデンでも勤務し、寄生体学、マラリア、フィラリア症の問題で、世界保健機関と15年間,共同作業を行う。スイス・バーゼル大学医学部教授に任命。臨床医学,及び熱帯医学専門医。66歳で退職。以後、IPPNWの会員、またNPO「チェルノブイリ/ベラルーシーのこどもたち」(ETB)を仏緑の党創立メンバーで反核の闘士であった夫人のソランジュ・フェルネックスと2001年に創設。また2007年から、ETB、IPPNW、 CRIIRAD、仏脱原発ネットワークなどとWHO独立のためのキャンペーン(Inde-pendent WHO)を組織。キャンペーン会員はジュネーヴのWHO本部前で毎日8時から18時までピケを張っている。(過去に、ジャン・ジーグレール、ダニエル・ミッテラン、クリス・バスビー、チェルトコフ、ヴァシーリ・ネステレンコがヴィジーに参加)
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以下、英語版
When reading the article of the Mainich Daily News, dealing with health problems after the nuclear accident of Fukushima, One may ask the question: which institution could advice the authorities for ta-king the best decisions to protect the population and reduce the suffering of the victims?
The responsibility of the direction of the factory starts with the errors in the planning and building of the power plant, the absence of information about the real damage which started with the earthquake, more than one hour before the rest of the wave of the tsunami making thousands of victims 100km from there. * The later errors lead to the delay to reduce and stop the contamination of the air, of the soils and water.
According to its constitution (1946) the World Health Organization (WHO) has to provide an adequate technical assistance in the field of medicine. Intervention in case of urgency, if required by governments, or just after acceptation of such interventions should furnish the best information, give pieces of advice and assistance concerning health. It has to form a well documented public opinion regarding health. None of these obligations were respected.
For historical reasons this did not happen. The WHO signed in 1959 with the newly created (1957) International Agency for Atomic Energy (IAEA) an Agreement (WHA 12.40) which ended the independence of the WHO to act in the field of nuclear industry. * More recent decisions confirm the take away of the activities of the WHO in the field of ionizing radiation. * It explains why the IAEA could intervene in Chernobyl and Fukushima, not the WHO.
The population ignore the statutes of the IAEA, which gives directives or contributes to make decisions after an atomic catastrophe such as Fukushima or Chernobyl. The IAEA before all, has to owe the wording of its statutes. The following lines of this IAEA document, is quoted in IAEA publications, for instance in the Proceedings of the International Conference on Chernobyl in Vienna, 8-12 April 1996. It says that the Agency has as principal objective "to accelerate and enlarge the contribution of atomic industry to peace, health and prosperity throughout the world".
In other words, this U.N. agency has before all to promote nuclear industries, and support such commercial projects. The IAEA has the highest position compared with other agencies in the hierarchy of the United Nations (UN), including the WHO, FAO, UNICEF and others being controlled by ECOSOP. Furthermore, the WHO from a legal point of view, is not independent or even absent in the field of health and ionizing radiations. The IAEA having to impose its goal, will not admit that severe diseases are due to radiation; this would slow down the spreading and the growth of the nuclear facilities in the world. The guidelines from this agency represent the defense of these commercial structures, but not a protection the population nor a help for victims.
For the national health authorities, the IAEA will be the wrong councilor in case of a nuclear catastrophe. Priority will be given to economical considerations, therefor the attempt to minimize or refute pathologies associated or provoked by artificial radiations will be denied. Wrong estimations may delay the evacuation of heavily irradiated communities.
Shocking and even less understandable in Fukushima, has been the absence of distribution of stable iodine to the whole population, and before all to children, who are more at risk. This prophylactic intervention is not expensive. It would have been efficient and, as shown in Poland by Keath Baverstock, such a campaign is very well tolerated, even if millions of children, who have the greatest need for such a protection, are included. One tablets has to be swallowed, if possible before the wind transporting radioactive iodine, mainly I-131, crosses over the region.
The Journal does not indicate that the first victims of the accident of Fukushima are and will be the children. This starts when the rapidly dividing cells of the embryo makes this stage of development 1000 times more susceptible than adults. Embryos may die, this would correspond to an early subclinical abortion. At birth, up to 5% of the girl babies have been missing the years after the explosion of Chernobyl, compared with the statistics of the years prior to 1986. The highest sex odds, with more than 5% of the female children missing were registered in Belarus and Russia, the countries with the highest radioactive fall-out. Missing girls at birth were also noticed in eastern Europe and Balkans after Chernobyl. Even in Germany there was still a significant deficit in girls at birth. However in France and Spain, with very little or localized radioactive fall-out, no changes of the historical sex odds were found. It shows that the deterioration of the sex odds is proportional to ionizing radiation.
The normal sex ratio, which is a sex odd, corresponds to about 1045 new-born males for 1000 newborn females. This ratio is more or less constant all over the world. There are other examples where the aggravation of the sex odds are increased, connected with increased radioactivity. For instance in the valley of Kerala with a back-ground radioactivity due to monazite, a thorium rich sand, with a six-time increased background activity, leads to a significant increase of congenital new dominant mutations, and Down's syndrome, as well as an aggravation of the sex odds, compared with the neiboring valley with a normal background radiation. (Padmanabham).
In Chernobyl still-birth and perinatal mortality, as well as congenital defects were noticed. Cardiac defects are often detected much later. Irradiation of fetuses in utero may lead to a significant increase of leukaemia and cancers (brain tumors) as shown in the 50th by Alice Stewart.
In Chernobyl, the incidence of type 1 diabetes mellitus increased in children and especially in small children and infants, where the disease becomes evident due to the coma at entry. This is caused by defects of the immune system or a new mutation. *Usually, hereditary factors may be found in such cases; parents or grand-parents suffered from similar diseases. * In Chernobyl, type 1 diabetes mellitus is missing in the family. The Chernobyl diabetes mellitus of infants or small children appears to be a new disease.
In Belarus, it has been shown that the immune system was heavily affected after the accident. Therefore,
both the white blood cells and the gamma globulins must be studied with a prolonged follow-up in the population of Fukushima (See papers of Pr. Titov). The results should be compared with those of similar research performed in children populations far away from the radioactive fall-out. E.g.: a comparable region around Kobe or Kyoto).
When studying the immune system of irradiated children, attention should be payed to auto-antibodies, agains beta cells of Langerhans islets in the pancreas, and against thyroid cells. Hashimoto's thyroiditis has the same etiology as type 1 diabetes mellitus. *Other endocrine glands, such as sex hormones producing cells, may be responsible for functional problems especially during puberty: delayed menstruations or even epidemics of male sterility as described in Ukraine. Allergic diseases may also increase in frequency among irradiated children populations. *Again, comparison with communities free of radioactive fall-out will be necessary.
The hypersensitivity of cells (lymphocyte cultures) of irradiated children, after a short X-ray irradiation of the cell culture, should also be studied in Fukushima, as it was done in Chernobyl children by Pr. Pelevina.
The alteration of the immune system surely contributes to the increase of infectious diseases in infants and children of Chernobyl, even after years, if children still receive radio-contaminated food. The infections will have a more severe course, with complications and a tendency to become chronic, when compared with children of not radio-contaminated regions.
Ionizing radiation induces a genome instability, which is directly transmissible from generation to generation. This has to be studied and followed-up for generations, starting with the grand-parents now.
The incidence of thyroid cancer extremely rare in small children, may increase even before the fifth year of age; an age where normally only one case in one million small children suffers from this malignant disease. If irradiated in utero or soon after birth, the latency period for this cancer may be very short, and a rapidly invasive papillary cancer of the thyroid can develop in very young children. Chernobyl provoked several other thyroid diseases, such as goiter, thyroiditis and functional disorders. The other cancers have a longer latency period, up to 35 years. Cronberg in Sweden and Okeanov in Belarus found a clear trend for the increase of different cancers 10 years after Chernobyl, and a statistically highly significant increases of all common cancers after 20 years.
Irradiation of young adults leads to premature aging; the early occurrence of cancers being part of this phenomenon. *The increase of cancer was much more pronounced in younger, than in older liquidators of Chernobyl, with the same exposition to radiation. Okeanov showed further more that among liquidators, the duration of the exposition to radiation was a more important risk factor than the dose. (See Proceeding of an intentional conference, IAEA, Vienna, p279, 8-12 April 1996.). When studying problems of cancers, never chose the mortality as parameter, the mortality is declining year after year, but the incidence is growing, especially among irradiated subjects, and the mean age of occurrence may start 20 years too early. There, statistically significant differences may be found in ten to twenty years.
Blindness is also more frequent among young than among older liquidators. It is a degenerative disease of the retina, with microcirculatory disturbance, reaching after a few years the macula.
In Chernobyl the first cause of death due to radiation is not cancer, but cardiovascular diseases, hypertension, with cerebral and cardiac complications. Physicians may protect patients from these complications.
Years after Chernobyl, children with a high burden of Cs-137 in the organism are ill in 80% of the cases, and have often cardiac problems. Prior to Chernobyl and in regions of Belarus with minimal radioactive fallout, only 20% of the children can be considered as non healthy, as it was the case in Belarus before the catastrophe.
Hashimoto's thyroiditis, and type 1 diabetes mellitus occur in infants at always younger ages. Other endocrine diseases, such as conditions due to anomalies of sex hormones may be responsible for functional problems especially in females during puberty, with delayed menstruations and sterility in male subject.
It is important that similar studies are undertaken in Fukushima, with always a possibly to compare the findings, with a group for comparison, in a similar environment, but no radioactive fall-out. The age, the sex distribution, the professions and standard of living and the density of population should be the same. Radiologically clean regions for comparison, could be selected around Kyoto or Kobe.
Measures to be taken to protect children are before all to prevent the uptake of radionuclides with drinks and food. Clean food and drinks must be given to all children, at home and in school canteens. Holidays in radiologically clean areas are also helpful.
Pectin reduces the uptake of radionuclides, Sr-90. Cs-137 and uranium derivatives. It also accelerates the elimination of radionuclides both with feces and urine. This food additive is Considered by the experts
of the Research Laboratory of the European Commission in Ispra, Italy, as safe and efficient for this indication (Nesterenko V.I. & al. SMV 134: 24-27. 2004).
Contaminated children can also be protected with vitamin E and A, as well as carotenes, which act as antioxidants. Mothers should provide carrots, beet ruts and red fruits, containing such antioxidants to their children.
The external radiation dose is much less source of pathologies than internal dose due to incorporated radionuclides, which are chronically accumulated in given organs, Thymus, endocrine glands, spleen, surface of bones and heart. Bandazhevsky demonstrated after Chernobyl (SMW 2003; 133:p488-490) that nearly a two times higher concentrations of Cs-137 is measured at autopsy in organs from children, when compared with the concentration in the organs of adults from the same region. The highest concentrations were measured in the pancreas and the thymus of new-born babies and infants.
Dosimeters distributed to children should be replaced by whole body spectrometers periodically transported in schools for controls. This gives a measure of the Cs-137 load. If the values are above 20 Bq/kg bodyweight, pectin courses may be necessary, and the contaminated food must be replaced by absolutely clean food and clean drinks.
These reflections follow the article of the Mainich Daily News. It confirms that among adults no death related radiation occurred so far. The epidemiological and medical problems are to be studied and treated from birth to puberty by pediatricians, geneticists and immunologists, in irradiated communities. They will compare the present situation in Fukushima with that observed in not radio-contaminated comparable regions. *The cancers epidemic in adults has to be studied in 5 to 25 years from now.
Michel Fernex |
フランスのNPO Les enfants de Tchernobyl/Belarus 「チェルノブイリ/ベラルーシの子どもたち」(
ミッシェル・フェルネックス教授からの緊急提言
人々が被曝から身を守るために
-福島の即時の影響と後発性の影響を予測すること-
ミッシェル・フェルネックス
2011年11月30日
フランス、オー=ラン県 ビーダータル
AP通信社は11月21日、「福島第一原発の事故による健康被害の実態は、明らかにならない可能性がある」という記事を配信した。これを読むと、次のような疑問が浮かぶ。「人々をできるだけ被ばくから守り、犠牲を最低限に食い止めるための最適な方策を、いったいどの機関が日本政府に進言できるだろうか」。 福島原発の管理者は、原発の計画をたて、建設を実行した最初の誤ちから、津波到来の1時間も前、すでに地震によって原発が壊れていたことを隠蔽した過ちまで、一貫して責任を負っている。これは明らかな人災で、結果として、環境中への放射能漏れの対応に遅れが生じた。
●● IAEAに従属するWHO
1946年の世界保険機構( WHO)憲章で、WHOは、医療部門において適正な技術を提供する義務がある、と定められている。緊急時には、政府が要請するか、あるいはWHOの介入に合意が得られたあとで、その役割を実行することになっている。WHOは健康に関する全ての情報、アドバイスおよび援助を与え、健康に関する世論をしっかり記録に残す義務がある。ところが、これらの義務はまったく遂行されていない。
WHOはもともとこうだったわけではない。1957年に設立された国際原子力機関(IAEA)との間で交わされた合意(1959年、 WHA12.40)によって、原子力分野での独立性を失ったのである。より最近では、放射線関連分野におけるWHOの活動は縮小しており、福島に介入したのもIAEAであった。あまり問題とされてはいないが、IAEAは、福島やチェルノブイリのような原発大惨事が起こるたびに、大きな決定権を発揮できる、という国際原子力機関憲章をもつ。IAEAは自らの憲章に忠実で、1996年4月8日~12日にウィーンで開催されたチェルノブイリに関する国際会議会報のように、IAEA出版物には度々、憲章の第二条が引用されている。IAEAの主要目的は「全世界の平和、健康、繁栄に対して原子力産業が果たす役割を推進し拡大すること」なのである。
言い換えれば、国連組織であるIAEAは、原子力産業を推進し、その商業プロジェクトを支援するための機関である。WHO、FAO(国連食糧機構)、ユニセフなどの国連諸機関のなかで、IAEAはその最上部に位置している。さらに、法的に見ると、WHOは、健康および放射線分野での独立性をもたない、あるいは存在すらしていない。原子力産業を代弁するIAEAは、深刻な病気の数々と放射能の関係を認めない。彼らの意図は原子力産業を保護することであり、放射能汚染から人々を保護したり被災者を支援することではない、とIAEAの指針にはっきり示されている。
従って、国の保健当局は、原発事故の際にIAEAに忠告を求めてはならない。IAEAは経済的配慮を優先するため、被ばくによると思われる健康被害を過小評価したり否定したりする。その結果、強度の汚染地域からの住民の避難が遅れる可能性もある。
●● まず性差に表れる放射線の影響
行政が福島の住民、特に放射能の影響を受けやすい子供たちにヨード剤を配布しなかったのは理解に苦しむ。ヨード剤は高価なものではない。ポーランドの例を見るように、たとえ百万単位の子供たちに配布しなければならないとしても、効果があったことだろう。原発から放出されたヨウ素131が到来する前に一錠飲むだけで予防になった。
AP通信社の記事は、原発事故の影響がまず子供たちに現れることを伝えていない。細胞分裂の早い成長期の子供は、成人に比べて千倍も放射能の影響を受けやすい。妊娠八週以内の胎芽が死亡するリスクもある。すなわち早期流産である。86年のチェルノブイリ事故前の統計と比較すると、事故後、女児新生児の5%が死亡している。最も汚染されたベラルーシとロシアでは、このために新生児の男女比が最大となっている。分娩時の女児死亡はチェルノブイリ後の東欧およびバルカン諸国でも見られ、ドイツでも同様に急増した。しかし汚染が局地的あるいはほとんどなかったフランスやスペインでは性差にあまり差異は見られなかった。このデータは性比が放射能汚染の度合いに比例して変化することを示している。
通常の性比は男1045に対して女1000前後で、地域別に見ても大差はない。放射能の影響で性比が変化した例は他にもある。例えば高濃度のトリウムを含むモナザイト岩地域、インドのケララ谷は、自然放射線レベルが通常の6倍も高く、ここの住民にはダウン症などの先天性異常が多い。また、自然放射線レベルが通常の周辺地域には見られない性比が認められている。(Padmanabham)
チェルノブイリでは死産、周産期死亡および先天性異常の増加が見られた。もっと後になってからだが、心臓の先天異常も見られた。5 0年代に行われたアリス・スチュワート医師の研究では、胎内で被ばくした胎児は後に白血病や癌(脳腫瘍)を発病するリスクが高いことが分かっている。
●● 放射線と免疫機能低下
チェルノブイリでは子供たち、特に小さい子供や幼児の1型糖尿病が増加し、昏睡の症状が確認された。通常は、遺伝的要因からくる自己免疫異常や新たな突然変異によるものだが、チェルノブイリで1型糖尿病を発病した小さい子供や幼児たちは糖尿病家系ではないことが特徴的だった。
事故後、被ばくが免疫機能に影響を与えることがベラルーシで明らかとなっている。そのため、福島周辺住民の白血球および抗体グロブリンの長期的調査が必要である(チトフ教授の研究を参考)。調査結果は、福島から離れた九州などの汚染されていない地域の対象群と比較しなければならない。
汚染地域の子供たちの免疫調査では、膵臓ランゲルハンス島のベータ細胞および甲状腺細胞に対する自己抗体に注意を払う必要がある。橋本甲状腺炎の原因には1型糖尿病と同じように遺伝子が関連すると考えられている。ホルモンなどその他の内分泌腺は、特に思春期に機能不全を引き起こすリスクがある。たとえば、生理の遅れやウクライナで急増した男性不妊症だ。アレルギー性疾病も汚染地域の子供たちの間で増加すると思われるが、これらの調査はいずれも、非汚染地域の対象群と比較すべきである。チェルノブイリでペレヴィナ教授が子供にレントゲンを短時間照射し細胞の過敏性(リンパ球培養)を調査したが、同じ調査を福島でも行う必要がある。
食品による内部被ばくにより免疫が低下したチェルノブイリの子供や幼児は、事故から何年も経ってからも頻繁に感染症にかかっている。汚染されていない地域に比べて合併症や慢性化によって悪化する率が高い。 被ばくによって引き起こされるゲノム不安定性は遺伝的に受け継がれる。調査は、子どもの祖父母から始まって、これから何世代にも渡って続ける必要がある。
●● 被ばくとガン
甲状腺ガンは五歳児では百万人に一人という、子どもには稀な病気だが、今後は五歳未満の子供たちの間でも増大するだろう。被ばくした胎児・新生児の場合、甲状腺ガンの潜伏期間は非常に短く、浸潤性の甲状腺乳頭ガンが極めて速く進行する可能性がある。チェルノブイリ後、甲状腺腫、甲状腺炎および甲状腺機能不全などの甲状腺の病気が増加した。その他のガンは潜伏期間が長く、最大で35年である。スウェーデンのクロンベルクとベラルーシのオケアノフは、チェルノブイリ事故から十年後に様々なガンが増加する、という明白な傾向をつかみ、二十年後には一般的なガンの発生率が統計的に顕著に上昇することを確認した。
放射線を受けた若い人々は、若くしてガンを発病するなど、若年性老化のリスクがある。被ばく量の等しい〈リクビダートル〉(原発事故処理作業員)たちと比較すると、若い〈リクビダートル〉の発ガン率は年配の〈リクビダートル〉より著しく高かった。オケアノフはまた、被ばく総量より被ばくした時間の長さがよりリスクを高める要因であることを示した(1996年4月8日~12日のウィーン国際会議のIAEA会報279ページ参照)。ガンの調査においては、年々減少するであろう死亡率を要因にするのではなく、特に被ばくした人々の発ガン率、また従来より20年早まるであろう発ガン年齢に注目する必要がある。発ガン率と発ガン年齢は10~20年後、統計的に顕著な変化が見られると思われる。若い〈リクビダートル〉の失明も、年配者より頻繁に発生した。これは微小循環障害を伴う網膜の変性疾患で、数年後に黄斑に現れる。
チェルノブイリ事故後、最初の死因はガンではなく、脳と心臓の合併症を伴う心臓血管病と高血圧だった。医師にはこうした合併症の予防に力を尽くして欲しい。被ばくした幼児は、通常より若い年齢で橋本甲状腺炎および1型糖尿病を示す危険がある。性ホルモンの異常による症状などその他の内分泌腺の病気は性機能を不調にし、特に思春期の女性には生理の遅れ、男性には男性不妊症という症状が現れる。
●● 内部被ばくを避けるには
放射能から子供を守るために最も重要なのは、食べ物による内部被ばくを避けることだ。危険なのは外部被ばくよりもむしろ内部被ばくである。体内に取り込まれた放射性物質は、胸腺、内分泌腺、脾臓、骨の表面および心臓といった特定の内臓に蓄積する。チェルノブイリの事故後にバンダジェフスキーが行った研究によると、大人の内臓に蓄積された濃度の二倍近いセシウム137が同地域の子供の内臓から検出された。最も濃度の高かったのは、新生児、乳幼児の膵臓および胸腺だった。
チェルノブイリ後にセシウム137が体内に蓄積された子供たちの八割は病気で、心臓疾患も多い。事故前のベラルーシでは健康に問題のある子供は2割程度で、ベラルーシの汚染されていない地域では事故後でも変化が見られなかった。
子供たちは放射線測量計を身につけるより、ホールボディカウンターを定期的に学校に搬送し、子供たちのセシウム137体内蓄積量を調査する必要がある。体重1キロ当たり20ベクレルの値を超えている場合にはペクチンを与え、汚染された食品の摂取を避ける必要がある。また子供を汚染地域外でしばしば保養させるのも効果的だ。
ペクチンはストロンチウム90、セシウム137、ウラン誘導体の体内摂取を減らすとともに、体外への排出を促進する。イタリア、イスプラの欧州委員会研究所の専門家たちは、ペクチンが安全で放射能の排出に効果的なサプリメントであるとみなしている。
(Nesterenko V.I.他「アップルペクチンによるチェルノブイリの子どもの体内のセシウム137の除去効果」 SMW 134: 24-27. 2004)
汚染された子供たちには、抗酸化物質として作用するビタミンE、ビタミンA、カロチンも有効であり、ニンジン、赤かぶ、赤い果物などを与えるのが効果的だ。
以上はAP配信記事に対する意見である。記事によると、放射能事故を原因とする成人の死亡例はまだ出ていないようだ。汚染地域で小児科医、遺伝学者、免疫学者たちによる出生時から思春期までの継続した疫学調査・医学調査を行うことを強く要請したい。この調査には、汚染されていない地域で、年齢・性別の分布、職業、生活水準、居住地域の人口密度など環境的に類似した対象群を選ぶことが重要である。
(翻訳:小川万里子 編集:藤原かすみ)
ミッシェル・フェルネックス Michel Fernex 略歴
1929年ジュネーヴ生まれのスイス人。医学博士。ジュネーヴ、パリ、ダカール、バーゼルで医学を学ぶ。後、セネガル、マリ、ザイール、タンザニアなどアフリカ諸国に勤務、またフランス、スエーデンでも勤務し、寄生体学、マラリア、フィラリア症の問題で、世界保健機関と15年間,共同作業を行う。スイス・バーゼル大学医学部教授に任命。臨床医学,及び熱帯医学専門医。66歳で退職。以後、IPPNWの会員、またNPO「チェルノブイリ/ベラルーシーのこどもたち」(ETB)を仏緑の党創立メンバーで反核の闘士であった夫人のソランジュ・フェルネックスと2001年に創設。また2007年から、ETB、IPPNW、 CRIIRAD、仏脱原発ネットワークなどとWHO独立のためのキャンペーン(Inde-pendent WHO)を組織。キャンペーン会員はジュネーヴのWHO本部前で毎日8時から18時までピケを張っている。(過去に、ジャン・ジーグレール、ダニエル・ミッテラン、クリス・バスビー、チェルトコフ、ヴァシーリ・ネステレンコがヴィジーに参加)
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F-68480 BIEDERTHAL, Wednesday, November 30, 2011
Michel Fernex
When reading the article of the Mainich Daily News, dealing with health problems after the nuclear accident of Fukushima, One may ask the question: which institution could advice the authorities for ta-king the best decisions to protect the population and reduce the suffering of the victims?
The responsibility of the direction of the factory starts with the errors in the planning and building of the power plant, the absence of information about the real damage which started with the earthquake, more than one hour before the rest of the wave of the tsunami making thousands of victims 100km from there. * The later errors lead to the delay to reduce and stop the contamination of the air, of the soils and water.
According to its constitution (1946) the World Health Organization (WHO) has to provide an adequate technical assistance in the field of medicine. Intervention in case of urgency, if required by governments, or just after acceptation of such interventions should furnish the best information, give pieces of advice and assistance concerning health. It has to form a well documented public opinion regarding health. None of these obligations were respected.
For historical reasons this did not happen. The WHO signed in 1959 with the newly created (1957) International Agency for Atomic Energy (IAEA) an Agreement (WHA 12.40) which ended the independence of the WHO to act in the field of nuclear industry. * More recent decisions confirm the take away of the activities of the WHO in the field of ionizing radiation. * It explains why the IAEA could intervene in Chernobyl and Fukushima, not the WHO.
The population ignore the statutes of the IAEA, which gives directives or contributes to make decisions after an atomic catastrophe such as Fukushima or Chernobyl. The IAEA before all, has to owe the wording of its statutes. The following lines of this IAEA document, is quoted in IAEA publications, for instance in the Proceedings of the International Conference on Chernobyl in Vienna, 8-12 April 1996. It says that the Agency has as principal objective "to accelerate and enlarge the contribution of atomic industry to peace, health and prosperity throughout the world".
In other words, this U.N. agency has before all to promote nuclear industries, and support such commercial projects. The IAEA has the highest position compared with other agencies in the hierarchy of the United Nations (UN), including the WHO, FAO, UNICEF and others being controlled by ECOSOP. Furthermore, the WHO from a legal point of view, is not independent or even absent in the field of health and ionizing radiations. The IAEA having to impose its goal, will not admit that severe diseases are due to radiation; this would slow down the spreading and the growth of the nuclear facilities in the world. The guidelines from this agency represent the defense of these commercial structures, but not a protection the population nor a help for victims.
For the national health authorities, the IAEA will be the wrong councilor in case of a nuclear catastrophe. Priority will be given to economical considerations, therefor the attempt to minimize or refute pathologies associated or provoked by artificial radiations will be denied. Wrong estimations may delay the evacuation of heavily irradiated communities.
Shocking and even less understandable in Fukushima, has been the absence of distribution of stable iodine to the whole population, and before all to children, who are more at risk. This prophylactic intervention is not expensive. It would have been efficient and, as shown in Poland by Keath Baverstock, such a campaign is very well tolerated, even if millions of children, who have the greatest need for such a protection, are included. One tablets has to be swallowed, if possible before the wind transporting radioactive iodine, mainly I-131, crosses over the region.
The Journal does not indicate that the first victims of the accident of Fukushima are and will be the children. This starts when the rapidly dividing cells of the embryo makes this stage of development 1000 times more susceptible than adults. Embryos may die, this would correspond to an early subclinical abortion. At birth, up to 5% of the girl babies have been missing the years after the explosion of Chernobyl, compared with the statistics of the years prior to 1986. The highest sex odds, with more than 5% of the female children missing were registered in Belarus and Russia, the countries with the highest radioactive fall-out. Missing girls at birth were also noticed in eastern Europe and Balkans after Chernobyl. Even in Germany there was still a significant deficit in girls at birth. However in France and Spain, with very little or localized radioactive fall-out, no changes of the historical sex odds were found. It shows that the deterioration of the sex odds is proportional to ionizing radiation.
The normal sex ratio, which is a sex odd, corresponds to about 1045 new-born males for 1000 newborn females. This ratio is more or less constant all over the world. There are other examples where the aggravation of the sex odds are increased, connected with increased radioactivity. For instance in the valley of Kerala with a back-ground radioactivity due to monazite, a thorium rich sand, with a six-time increased background activity, leads to a significant increase of congenital new dominant mutations, and Down's syndrome, as well as an aggravation of the sex odds, compared with the neiboring valley with a normal background radiation. (Padmanabham).
In Chernobyl still-birth and perinatal mortality, as well as congenital defects were noticed. Cardiac defects are often detected much later. Irradiation of fetuses in utero may lead to a significant increase of leukaemia and cancers (brain tumors) as shown in the 50th by Alice Stewart.
In Chernobyl, the incidence of type 1 diabetes mellitus increased in children and especially in small children and infants, where the disease becomes evident due to the coma at entry. This is caused by defects of the immune system or a new mutation. *Usually, hereditary factors may be found in such cases; parents or grand-parents suffered from similar diseases. * In Chernobyl, type 1 diabetes mellitus is missing in the family. The Chernobyl diabetes mellitus of infants or small children appears to be a new disease.
In Belarus, it has been shown that the immune system was heavily affected after the accident. Therefore,
both the white blood cells and the gamma globulins must be studied with a prolonged follow-up in the population of Fukushima (See papers of Pr. Titov). The results should be compared with those of similar research performed in children populations far away from the radioactive fall-out. E.g.: a comparable region around Kobe or Kyoto).
When studying the immune system of irradiated children, attention should be payed to auto-antibodies, agains beta cells of Langerhans islets in the pancreas, and against thyroid cells. Hashimoto's thyroiditis has the same etiology as type 1 diabetes mellitus. *Other endocrine glands, such as sex hormones producing cells, may be responsible for functional problems especially during puberty: delayed menstruations or even epidemics of male sterility as described in Ukraine. Allergic diseases may also increase in frequency among irradiated children populations. *Again, comparison with communities free of radioactive fall-out will be necessary.
The hypersensitivity of cells (lymphocyte cultures) of irradiated children, after a short X-ray irradiation of the cell culture, should also be studied in Fukushima, as it was done in Chernobyl children by Pr. Pelevina.
The alteration of the immune system surely contributes to the increase of infectious diseases in infants and children of Chernobyl, even after years, if children still receive radio-contaminated food. The infections will have a more severe course, with complications and a tendency to become chronic, when compared with children of not radio-contaminated regions.
Ionizing radiation induces a genome instability, which is directly transmissible from generation to generation. This has to be studied and followed-up for generations, starting with the grand-parents now.
The incidence of thyroid cancer extremely rare in small children, may increase even before the fifth year of age; an age where normally only one case in one million small children suffers from this malignant disease. If irradiated in utero or soon after birth, the latency period for this cancer may be very short, and a rapidly invasive papillary cancer of the thyroid can develop in very young children. Chernobyl provoked several other thyroid diseases, such as goiter, thyroiditis and functional disorders. The other cancers have a longer latency period, up to 35 years. Cronberg in Sweden and Okeanov in Belarus found a clear trend for the increase of different cancers 10 years after Chernobyl, and a statistically highly significant increases of all common cancers after 20 years.
Irradiation of young adults leads to premature aging; the early occurrence of cancers being part of this phenomenon. *The increase of cancer was much more pronounced in younger, than in older liquidators of Chernobyl, with the same exposition to radiation. Okeanov showed further more that among liquidators, the duration of the exposition to radiation was a more important risk factor than the dose. (See Proceeding of an intentional conference, IAEA, Vienna, p279, 8-12 April 1996.). When studying problems of cancers, never chose the mortality as parameter, the mortality is declining year after year, but the incidence is growing, especially among irradiated subjects, and the mean age of occurrence may start 20 years too early. There, statistically significant differences may be found in ten to twenty years.
Blindness is also more frequent among young than among older liquidators. It is a degenerative disease of the retina, with microcirculatory disturbance, reaching after a few years the macula.
In Chernobyl the first cause of death due to radiation is not cancer, but cardiovascular diseases, hypertension, with cerebral and cardiac complications. Physicians may protect patients from these complications.
Years after Chernobyl, children with a high burden of Cs-137 in the organism are ill in 80% of the cases, and have often cardiac problems. Prior to Chernobyl and in regions of Belarus with minimal radioactive fallout, only 20% of the children can be considered as non healthy, as it was the case in Belarus before the catastrophe.
Hashimoto's thyroiditis, and type 1 diabetes mellitus occur in infants at always younger ages. Other endocrine diseases, such as conditions due to anomalies of sex hormones may be responsible for functional problems especially in females during puberty, with delayed menstruations and sterility in male subject.
It is important that similar studies are undertaken in Fukushima, with always a possibly to compare the findings, with a group for comparison, in a similar environment, but no radioactive fall-out. The age, the sex distribution, the professions and standard of living and the density of population should be the same. Radiologically clean regions for comparison, could be selected around Kyoto or Kobe.
Measures to be taken to protect children are before all to prevent the uptake of radionuclides with drinks and food. Clean food and drinks must be given to all children, at home and in school canteens. Holidays in radiologically clean areas are also helpful.
Pectin reduces the uptake of radionuclides, Sr-90. Cs-137 and uranium derivatives. It also accelerates the elimination of radionuclides both with feces and urine. This food additive is Considered by the experts
of the Research Laboratory of the European Commission in Ispra, Italy, as safe and efficient for this indication (Nesterenko V.I. & al. SMV 134: 24-27. 2004).
Contaminated children can also be protected with vitamin E and A, as well as carotenes, which act as antioxidants. Mothers should provide carrots, beet ruts and red fruits, containing such antioxidants to their children.
The external radiation dose is much less source of pathologies than internal dose due to incorporated radionuclides, which are chronically accumulated in given organs, Thymus, endocrine glands, spleen, surface of bones and heart. Bandazhevsky demonstrated after Chernobyl (SMW 2003; 133:p488-490) that nearly a two times higher concentrations of Cs-137 is measured at autopsy in organs from children, when compared with the concentration in the organs of adults from the same region. The highest concentrations were measured in the pancreas and the thymus of new-born babies and infants.
Dosimeters distributed to children should be replaced by whole body spectrometers periodically transported in schools for controls. This gives a measure of the Cs-137 load. If the values are above 20 Bq/kg bodyweight, pectin courses may be necessary, and the contaminated food must be replaced by absolutely clean food and clean drinks.
These reflections follow the article of the Mainich Daily News. It confirms that among adults no death related radiation occurred so far. The epidemiological and medical problems are to be studied and treated from birth to puberty by pediatricians, geneticists and immunologists, in irradiated communities. They will compare the present situation in Fukushima with that observed in not radio-contaminated comparable regions. *The cancers epidemic in adults has to be studied in 5 to 25 years from now.
Saturday, January 07, 2012
A Special Event in Vancouver, January 29, 2012: Koko Tanimoto Kondo, a Hiroshima Survivor 近藤紘子バンクーバー講演「ヒロシマと共に―66年の記憶」2012年1月29日
『ヒロシマ、60年の記憶』(リヨン社、2005年)著者、広島被爆者であり国際養子縁組等で活躍される近藤紘子さんの特別講演をバンクーバーで2012年1月29日に開催します。日本語講演、シアトル講演も企画予定です。(下方11月23日朝日新聞夕刊に載った記事も参照)
The Unitarian Church of Vancouver Adult Education Programme and the Social Justice Committee will present:
At The Unitarian Church of Vancouver (949 West 49th Avenue, Vancouver, BC - on Oak St.)
Koko Tanimoto Kondo, writer, speaker, and educator from Hiroshima, talks about the effects of the bomb on her life, and her ongoing work for peace. 近藤(谷本)紘子さんは、広島原爆の記憶との歩み、そして現在の平和のための活動について語ります。
Koko, daughter of Rev. Kiyoshi Tanimoto and Chisa Tanimoto, was a 8 month old baby at 1.1 km away from the hypocentre, when the first atomic bomb dropped on humanity on August 6, 1945 in Hiroshima. 紘子さんは流川教会の谷本清牧師、チサ夫妻の長女として生まれ、1945年8月6日、人類の上に初めて原爆が落とされたときは8カ月の赤ん坊でした。爆心地から1.1キロしか離れていなかったにも関わらず奇跡的に助かりました。
Koko, who miraculously survived the bombing, grew up with victims who came to her father's church on a daily basis. Seeing the terrible scars on faces of young women, little Koko hoped someday to meet the "bad guys" who did this to them, and take revenge somehow. Then, one day, an opportunity arrived, when she met the co-pilot of Enola Gay, the plane that dropped the Hiroshima bomb. 紘子さんは、幼いころ、父の教会を訪れる、顔にひどい傷を負った女性たちをお姉さんのように慕って育ちました。幼心に、このお姉さんたちをこんなにした悪いやつらをいつか見つけて痛い目にあわせてやろうと思っていました。ある日、その機会は訪れます・・・。
Koko, who now manages a church in Hyogo, Japan with her minister husband, speaks around the world to convey her message of peace, reconciliation, and forgiveness. Every summer, she travels to Hiroshima and Nagasaki, with students of the American University in Washington, D.C., Ritsumeikan University of Kyoto, Japan, as well as students from Canada, China, Korea, and beyond. To most of the participants of this tour, Koko is the biggest inspiration. We will expect some of the past participants visiting from the East Coast of US. 紘子さんは現在兵庫県三木市でパートナーと教会を切り盛りしながら、内外で講演活動を行い、平和、和解、赦しのメッセージを発信し続けています。毎年夏には米国、日本、カナダ、中国、韓国等の大学生の広島長崎平和学習の旅に付き添っています。この旅の多くの参加者にとって、紘子さんとの出会いが一番かけがえのないものになっています。
Koko is author of Hiroshima, 60 nen no kioku (Hiroshima, 60 Years of Memory, Riyon sha, 2005; Paperback by Tokuma bunko, 2009) 紘子さんは『ヒロシマ、60年の記憶』(リヨン社、2005、文庫版は徳間文庫、2009)の著者です。
Koko's father, late Rev. Kiyoshi Tanimoto was one of the six atomic bomb victims interviewed in classic Hiroshima by John Hersey. Hiroshima, originally published in 1946, was the first book that made known in the United States what happened to people under the mushroom cloud. 紘子さんの父、故・谷本清牧師は、ジョン・ハーシー『ヒロシマ』でインタビューを受けた6人の被爆者の一人です。北米では広島のことを学ぶ古典として広く読まれている『ヒロシマ』は、初版1946年、キノコ雲の下側で何があったのか―原爆の人的被害―を初めて米国一般市民に知らしめた作品です。
This is Koko's first visit to Vancouver, BC. 近藤紘子さんのバンクーバー訪問は初めてです。
In 2010, Koko appeared in the National Geographic video program "24 Hours After Hiroshima." See the 45 minute video at this LINK. Koko appears in the last section. Read Robert Jacob's commentary on the video program on the Asia-Pacific Journal: Japan Focus, "24 Hours After Hiroshima: National Geographic Channel Takes Up the Bomb." 2010年、紘子さんはナショナル・ジオグラフィック誌の特別ビデオ番組「24 Hours After Hiroshima」に出演しました。45分の映像はこのリンクで見られます。紘子さんの登場は最後の方です。また、ロバート・ジェイコブ氏によるこの番組の評論は、『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』をご覧ください。
For inquiry, email Satoko Norimatsu info@peacephilosophy.com. お問い合わせは、乗松聡子 info@peacephilosophy.com までどうぞ。
*** 1月30日(月)午後6時半から、Peace Philosophy Centre (Vancouver) にて近藤紘子さんを囲んだ交流会を行います(potluck 持ちよりパーティー)。参加希望の方は info@peacephilosophy.com までお知らせください。A social gathering (potluck) with Koko Kondo will be held at Peace Philosophy Centre, 6:30 PM -, January 30 (Mon.) Please contact info@peacephilosophy.com if you can attend. ***
The Unitarian Church of Vancouver Adult Education Programme and the Social Justice Committee will present:
Hiroshima A-bomb Dome (Photo by Satoko Oka Norimatsu) |
"Living with Hiroshima: My Memories of 66 Years":
An Evening with Koko Tanimoto Kondo
近藤紘子講演(英語)
「ヒロシマと共に生きる:66年の記憶」
6:30 - 9:00 PM, Sunday January 29, 2012
At The Unitarian Church of Vancouver (949 West 49th Avenue, Vancouver, BC - on Oak St.)
Admission by Donation
This event opens with a performance, ”Meaning of Life" by mime artist Yayoi Hirano to Bolero, music by Maurice Ravel, played at the piano by Sara Buechner and Chihiro Honma (four hands).
Also, young people from Vancouver who have participated in the Hiroshima/Nagasaki Study Tour with Koko will give their testimonies.
The event is presented by the Unitarian Church of Vancouver Adult Education Programme and the Social Justice Committee, and co-sponsored by Peace Philosophy Centre, Vancouver Save Article 9, and MOA (Museum of Anthropology). This event presented in conjunction with the exhibition, ひろしま hiroshima by Ishiuchi Miyako, on display at MOA through February 12, 2012. Exhibition sponsored in part by Shiseido and the Japan Foundation.
Koko Tanimoto Kondo, speaking at Ritsumeikan University, August 2, 2011 |
Koko Tanimoto Kondo, writer, speaker, and educator from Hiroshima, talks about the effects of the bomb on her life, and her ongoing work for peace. 近藤(谷本)紘子さんは、広島原爆の記憶との歩み、そして現在の平和のための活動について語ります。
Koko, daughter of Rev. Kiyoshi Tanimoto and Chisa Tanimoto, was a 8 month old baby at 1.1 km away from the hypocentre, when the first atomic bomb dropped on humanity on August 6, 1945 in Hiroshima. 紘子さんは流川教会の谷本清牧師、チサ夫妻の長女として生まれ、1945年8月6日、人類の上に初めて原爆が落とされたときは8カ月の赤ん坊でした。爆心地から1.1キロしか離れていなかったにも関わらず奇跡的に助かりました。
Koko, who miraculously survived the bombing, grew up with victims who came to her father's church on a daily basis. Seeing the terrible scars on faces of young women, little Koko hoped someday to meet the "bad guys" who did this to them, and take revenge somehow. Then, one day, an opportunity arrived, when she met the co-pilot of Enola Gay, the plane that dropped the Hiroshima bomb. 紘子さんは、幼いころ、父の教会を訪れる、顔にひどい傷を負った女性たちをお姉さんのように慕って育ちました。幼心に、このお姉さんたちをこんなにした悪いやつらをいつか見つけて痛い目にあわせてやろうと思っていました。ある日、その機会は訪れます・・・。
Koko's father Kiyoshi Tanimoto appears in TV Program This Is Your Life, May, 1955. |
Koko, who now manages a church in Hyogo, Japan with her minister husband, speaks around the world to convey her message of peace, reconciliation, and forgiveness. Every summer, she travels to Hiroshima and Nagasaki, with students of the American University in Washington, D.C., Ritsumeikan University of Kyoto, Japan, as well as students from Canada, China, Korea, and beyond. To most of the participants of this tour, Koko is the biggest inspiration. We will expect some of the past participants visiting from the East Coast of US. 紘子さんは現在兵庫県三木市でパートナーと教会を切り盛りしながら、内外で講演活動を行い、平和、和解、赦しのメッセージを発信し続けています。毎年夏には米国、日本、カナダ、中国、韓国等の大学生の広島長崎平和学習の旅に付き添っています。この旅の多くの参加者にとって、紘子さんとの出会いが一番かけがえのないものになっています。
Koko is author of Hiroshima, 60 nen no kioku (Hiroshima, 60 Years of Memory, Riyon sha, 2005; Paperback by Tokuma bunko, 2009) 紘子さんは『ヒロシマ、60年の記憶』(リヨン社、2005、文庫版は徳間文庫、2009)の著者です。
Koko's father, late Rev. Kiyoshi Tanimoto was one of the six atomic bomb victims interviewed in classic Hiroshima by John Hersey. Hiroshima, originally published in 1946, was the first book that made known in the United States what happened to people under the mushroom cloud. 紘子さんの父、故・谷本清牧師は、ジョン・ハーシー『ヒロシマ』でインタビューを受けた6人の被爆者の一人です。北米では広島のことを学ぶ古典として広く読まれている『ヒロシマ』は、初版1946年、キノコ雲の下側で何があったのか―原爆の人的被害―を初めて米国一般市民に知らしめた作品です。
Koko(2nd from left) and university students from US, Japan, and others, in front of the A-Bomb Dome in Hiroshima, August 2010 |
In 2010, Koko appeared in the National Geographic video program "24 Hours After Hiroshima." See the 45 minute video at this LINK. Koko appears in the last section. Read Robert Jacob's commentary on the video program on the Asia-Pacific Journal: Japan Focus, "24 Hours After Hiroshima: National Geographic Channel Takes Up the Bomb." 2010年、紘子さんはナショナル・ジオグラフィック誌の特別ビデオ番組「24 Hours After Hiroshima」に出演しました。45分の映像はこのリンクで見られます。紘子さんの登場は最後の方です。また、ロバート・ジェイコブ氏によるこの番組の評論は、『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』をご覧ください。
For inquiry, email Satoko Norimatsu info@peacephilosophy.com. お問い合わせは、乗松聡子 info@peacephilosophy.com までどうぞ。
*** 1月30日(月)午後6時半から、Peace Philosophy Centre (Vancouver) にて近藤紘子さんを囲んだ交流会を行います(potluck 持ちよりパーティー)。参加希望の方は info@peacephilosophy.com までお知らせください。A social gathering (potluck) with Koko Kondo will be held at Peace Philosophy Centre, 6:30 PM -, January 30 (Mon.) Please contact info@peacephilosophy.com if you can attend. ***
文化座カナダ西海岸公演『千羽鶴』 Bunkaza Theatre Company in Canada: One Thousand Cranes
MEDIA RELEASE: December 14, 2011
Play unites Japanese and Canadian artists for peace
One Thousand Cranes
By Colin Thomas - translated by Toyoshi Yoshihara, directed by Jun Isomura
Performed in Japanese by Bunkaza Theatre Company (Tokyo), with accompanying English surtitles and storytelling by Nan Gregory
Frederic Wood Theatre
Friday, February 10, 7:30 pm
Saturday, February 11, 2:00 pm and 7:30 pm
Colin Thomas' award-winning play weaves together the stories of two twelve-year-olds: Sadako, the girl whose death by radiation-induced leukemia is commemorated in Hiroshima's monument of one thousand cranes; and Buddy, a Canadian boy whose life is being overtaken by his fears of nuclear war.
A year after the recent nuclear disaster in Fukushima, Japan, this beautifully crafted show from Tokyo puts a human face to nuclear fallout. It also coincides with the UBC Museum of Anthropology’s exhibition ひろしま hiroshima by Ishiuchi Miyako, an installation of 48 photographs of clothing and personal items left behind by victims of the 1945 atomic bombing of Hiroshima (on view through February12).
Tickets Adults $32/seniors $28/students $24/Family Pack $50 (max 2 adults & 2 children under 12, available by phone or in person only)
Box Office 604.822.2678 or http://ubctheatre.universitytickets.com/
Address Frederic Wood Theatre, 6354 Crescent Road, UBC
Map http://bit.ly/r0HOtC
More http://www.theatre.ubc.ca/
Presented by UBC Dean of Arts. Co-sponsors: The Metropolitan Tokyo Government; Consulate General of Japan in Vancouver; UBC St. John's College; UBC Museum of Anthropology; Theatre at UBC; Vancouver Save Article 9; and Tonarigumi. Performed in conjunction with the exhibition ひろしま hiroshima by Ishiuchi Miyako, at the UBC Museum of Anthropology through February 12, 2012. Image courtesy Bunkaza Theatre Company.
Media Contact: Deb Pickman
604.319.7656 publicity.theatre@ubc.ca
劇団文化座 Bunkaza Theatre Company and One Thousand Cranes
Established in 1942, Bunkaza is one of the oldest contemporary theatre companies in Japan. With 45 fulltime company members, most of their repertoire deals with oppressed grass-roots people who strive for the betterment of their lives. Bunkaza has a special interest in Canadian theatre and has produced, besides One Thousand Cranes, such Canadian plays as The Tomorrow Box by Anne Chislett, Blood Relations by Sharon Pollock, and Odd Jobs by Frank Moher, all with translation by Toyoshi Yoshihara. The Bunkaza version of One Thousand Cranes premiered in 1985 in Tokyo. The company has since toured Japan, giving more than 200 performances of the play.
1942年に設立された文化座は、長い歴史と45名に及ぶ専属団員を誇る現代劇制作集団です。その演目には、平和でより良い生活を目指して戦う庶民の姿を描いた作品が多く、「千羽鶴」のほか、アンチスレット作「びっくり箱」、フランク・モハー作「こんにちは、おばあちゃん」などのカナダ戯曲も上演しています。「千羽鶴」日本版は1985年の初演以来全国各地を巡演、総上演回数200を超える実績を上げるに至っています。
カナダの劇作家コーリン・トーマス原作による『千羽鶴』(吉原豊司翻訳)。広島で被爆し「原爆の子の像」のモデルともなった佐々木禎子さんの物語を通じ、核兵器に怯えるカナダの少年の心の変化、成長を描きます。
Play unites Japanese and Canadian artists for peace
One Thousand Cranes
By Colin Thomas - translated by Toyoshi Yoshihara, directed by Jun Isomura
Performed in Japanese by Bunkaza Theatre Company (Tokyo), with accompanying English surtitles and storytelling by Nan Gregory
Frederic Wood Theatre
Friday, February 10, 7:30 pm
Saturday, February 11, 2:00 pm and 7:30 pm
Colin Thomas' award-winning play weaves together the stories of two twelve-year-olds: Sadako, the girl whose death by radiation-induced leukemia is commemorated in Hiroshima's monument of one thousand cranes; and Buddy, a Canadian boy whose life is being overtaken by his fears of nuclear war.
A year after the recent nuclear disaster in Fukushima, Japan, this beautifully crafted show from Tokyo puts a human face to nuclear fallout. It also coincides with the UBC Museum of Anthropology’s exhibition ひろしま hiroshima by Ishiuchi Miyako, an installation of 48 photographs of clothing and personal items left behind by victims of the 1945 atomic bombing of Hiroshima (on view through February12).
Tickets Adults $32/seniors $28/students $24/Family Pack $50 (max 2 adults & 2 children under 12, available by phone or in person only)
Box Office 604.822.2678 or http://ubctheatre.universitytickets.com/
Address Frederic Wood Theatre, 6354 Crescent Road, UBC
Map http://bit.ly/r0HOtC
More http://www.theatre.ubc.ca/
Presented by UBC Dean of Arts. Co-sponsors: The Metropolitan Tokyo Government; Consulate General of Japan in Vancouver; UBC St. John's College; UBC Museum of Anthropology; Theatre at UBC; Vancouver Save Article 9; and Tonarigumi. Performed in conjunction with the exhibition ひろしま hiroshima by Ishiuchi Miyako, at the UBC Museum of Anthropology through February 12, 2012. Image courtesy Bunkaza Theatre Company.
Media Contact: Deb Pickman
604.319.7656 publicity.theatre@ubc.ca
劇団文化座 Bunkaza Theatre Company and One Thousand Cranes
Established in 1942, Bunkaza is one of the oldest contemporary theatre companies in Japan. With 45 fulltime company members, most of their repertoire deals with oppressed grass-roots people who strive for the betterment of their lives. Bunkaza has a special interest in Canadian theatre and has produced, besides One Thousand Cranes, such Canadian plays as The Tomorrow Box by Anne Chislett, Blood Relations by Sharon Pollock, and Odd Jobs by Frank Moher, all with translation by Toyoshi Yoshihara. The Bunkaza version of One Thousand Cranes premiered in 1985 in Tokyo. The company has since toured Japan, giving more than 200 performances of the play.
1942年に設立された文化座は、長い歴史と45名に及ぶ専属団員を誇る現代劇制作集団です。その演目には、平和でより良い生活を目指して戦う庶民の姿を描いた作品が多く、「千羽鶴」のほか、アンチスレット作「びっくり箱」、フランク・モハー作「こんにちは、おばあちゃん」などのカナダ戯曲も上演しています。「千羽鶴」日本版は1985年の初演以来全国各地を巡演、総上演回数200を超える実績を上げるに至っています。
カナダの劇作家コーリン・トーマス原作による『千羽鶴』(吉原豊司翻訳)。広島で被爆し「原爆の子の像」のモデルともなった佐々木禎子さんの物語を通じ、核兵器に怯えるカナダの少年の心の変化、成長を描きます。
A film screening and talk, Jan 31, at MOA/UBC : "Village of Widows" 1月31日バンクーバーでの上映会・トーク
Film Screening &Talk
Peter Blow & ‘Village of Widows’
Tuesday, January 31, 4:30-6:30 pm
Michael M. Ames Theatre, UBC Museum of Anthropology
Admission to MOA: UBC staff, students & faculty free with ID; Others $9
MOAの入場料:当日4:30 pmから一般9ドル
‘Village of Widows’ —a documentary directed by award-winning filmmaker Peter Blow—recounts the remarkable story of the Sahtu Dene people, who were employed by the Canadian Government during WWII to transport uranium, which became fuel for the bombs that devastated Hiroshima and Nagasaki.
先住民デネ族が第二次世界大戦中、カナダ政府の元で、広島・長崎原爆の原料となったウランの運搬労働に携わった過去に向き合うドキュメンタリー映画。
Peter Blow is a researcher, writer, producer, and director based in Toronto. He has worked on close to 100 broadcast documentaries both in England and Canada, many of which have garnered numerous awards including two Oscar nominations.
ピーター・ブロウ: トロントの作家、プロデューサー、映画監督。イギリスとカナダで100本近くの放映ドキュメンタリーを作成。オスカーノミネーションを含む様々な賞を獲得。
This event is presented in conjunction with the exhibition, ひろしま hiroshima by Ishiuchi Miyako, on display at the UBC Museum of Anthropology through February 12, 2012.
このイベントはUBC Museum of Anthropologyで2月12日まで開催中の、石内都 ひろしま hiroshima の関連行事です。
Sponsors: Vancouver Save Article 9 and UBC Centre for Japanese Research, Department of Asian Studies, Indigenous Education Institute of Canada, International Canadian Studies Centre, Department of Theatre and Film, Department of Language and Literacy Education, Museum of Anthropology
Peter Blow & ‘Village of Widows’
Tuesday, January 31, 4:30-6:30 pm
Michael M. Ames Theatre, UBC Museum of Anthropology
Admission to MOA: UBC staff, students & faculty free with ID; Others $9
MOAの入場料:当日4:30 pmから一般9ドル
‘Village of Widows’ —a documentary directed by award-winning filmmaker Peter Blow—recounts the remarkable story of the Sahtu Dene people, who were employed by the Canadian Government during WWII to transport uranium, which became fuel for the bombs that devastated Hiroshima and Nagasaki.
先住民デネ族が第二次世界大戦中、カナダ政府の元で、広島・長崎原爆の原料となったウランの運搬労働に携わった過去に向き合うドキュメンタリー映画。
Peter Blow is a researcher, writer, producer, and director based in Toronto. He has worked on close to 100 broadcast documentaries both in England and Canada, many of which have garnered numerous awards including two Oscar nominations.
ピーター・ブロウ: トロントの作家、プロデューサー、映画監督。イギリスとカナダで100本近くの放映ドキュメンタリーを作成。オスカーノミネーションを含む様々な賞を獲得。
This event is presented in conjunction with the exhibition, ひろしま hiroshima by Ishiuchi Miyako, on display at the UBC Museum of Anthropology through February 12, 2012.
このイベントはUBC Museum of Anthropologyで2月12日まで開催中の、石内都 ひろしま hiroshima の関連行事です。
Sponsors: Vancouver Save Article 9 and UBC Centre for Japanese Research, Department of Asian Studies, Indigenous Education Institute of Canada, International Canadian Studies Centre, Department of Theatre and Film, Department of Language and Literacy Education, Museum of Anthropology
Friday, January 06, 2012
SAKURAI Kunitoshi: The Fatally Flawed EIS Report on the Futenma Air Station Replacement Facility – With Special Reference to the Okinawa Dugong
2011年12月30日に紹介した、桜井国俊『普天間飛行場代替施設建設事業環境影響評価書のジュゴン評価の致命的欠陥』の英語版です。これは、『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』に1月7日付で掲載された記事Okinawa, New Year 2012: Tokyo’s Year End Surprise Attack (ガバン・マコーマック、桜井国俊、浦島悦子)の桜井氏の部分です。
Here is the English version of Sakurai Kunitoshi's criticism of the Environmental Impact Statement on the Futenma Air Station replacement facility planned at Henoko, on the northeastern shore of Okinawa Island, submitted by the Japanese government to the Okinawa Prefecture from the end 2011 to early 2012 in the turmoil of hundreds of protesters blocking delivery and sitting-in at the prefectural office hallway (see Mainichi Shimbun's report (Kyodo): Gov't submits Futenma environmental report to Okinawa pref. gov't) See HERE for the Japanese version. This is part of an article published on the Asia-Pacific Journal: Japan Focus - Okinawa, New Year 2012: Tokyo’s Year End Surprise Attack (Gavan McCormack, Sakurai Kutoshi, Urashima Etsuko).
Sakurai Kunitoshi is Okinawa’s leading environmentalist, specialist in environmental assessment law and professor at Okinawa University.
The Fatally Flawed EIS Report on the Futenma Air Station Replacement Facility – With Special Reference to the Okinawa Dugong
Sakurai Kunitoshi
The delivery of the Environmental Impact Statement (EIS) on the Futenma Air Station Replacement Facility Construction Project was effected today (28 December) at the crack of dawn. At about 4 a.m., the staff of the Okinawa Defense Bureau (ODB) of the Ministry of Defense of the Government of Japan brought the EIS into Okinawa Prefectural Government Office Building. Two days earlier, the ODB had tried to hand it to the Governor but were blocked by a group of citizens opposed to the one-sided approach taken by the ODB in the conduct of the environmental impact assessment (EIA). On the 27th, they tried once again to send it to the Governor using a private courier service but were again blocked by citizens. This questionable submission of the EIS was symbolic of the abnormality of the whole EIA process.
This short note deals with the contents of EIS with regard to the Okinawa dugong. More precisely, it aims to clarify how deficient it is in showing the impact to be caused by the replacement project on the dugong.
According to the Judgment of U.S. District Court (Northern District of California) made on January 23, 2008, DOD (U.S. Department of Defense) is obliged under NHPA (National Historic Preservation Act) to “take into account” the impacts on Okinawa dugong to be caused by their undertaking (the construction and the use of Futenma Air Station Replacement Facility). The “take into account” process at a minimum must include
(1) identification of the protected property (in this case, the Okinawa dugong),
(2) the generation, collection, consideration, and weighing of information pertaining to how the undertaking will affect the historic property,
(3) a determination as to whether there will be adverse effects or not, and
(4) if necessary, development and evaluation of alternatives or modifications to the undertaking that could avoid or mitigate the adverse effects.
These are the obligations of DOD under section 402 of the NHPA. According to the Court, “satisfaction of these obligations cannot be postponed until the eve of construction when defendants (in this case, the DOD) have made irreversible commitments making additional review futile or consideration of alternatives impossible.” The DOD has taken the position that these obligations would be satisfied by Japan’s EIA. Therefore, it is crucial to check the contents of EIS regarding the Okinawa dugong and clarify whether its quality is good enough to satisfy these obligations.
Fatal Defect of the EIS
Based on studies conducted from light aircraft and helicopters done after the submission of the Scoping Document (SD) in August 2007, the ODB concluded in its Draft Environmental Impact Statement (DEIS) submitted in April 2009 that there were three dugong around Okinawa Island (one offshore from Kayoh and two offshore from Kouri) and that they generally lived there (See Fig.1). Based on this observation, they concluded that the impact of the project on the individual offshore from Kayoh would be negligible because Henoko (the project site) was far enough (approximately 6km) distant from Kayoh. So far as the probability of Okinawa dugong survival is concerned, they concluded that the impact of the project was also negligible as long as they inhabit the offshore Kayoh area.
This deduction is quite illogical. As shown in Fig.2, Okinawa dugong used to be observed very frequently along the east coast of Okinawa Island including offshore Henoko. Therefore, DEIS should clarify why they were not observed in the Sea of Henoko during ODB study conducted in the period of August 2007 – April 2009. DEIS, however, made no analysis of this topic. One possible reason they did not appear is the effect of the massive study conducted by ODB at the offshore Henoko area prior to the EIA process that started in August 2007 with the submission of the Scoping Document (SD). The study cost more than 2 billion yen (more than 25 million dollars). The study of coral and dugong as well as geotechnical investigations of the area began in 2004 with numerous borings. Environmentally conscious citizens carried out nonviolent protests against this survey using canoes. To force their way through the protests, the ODB even deployed even the Maritime Self-Defense Force mine-sweeper Bungo in the middle of the night, using their frogmen to install equipment to study coral and dugong. Because these crude installations damaged the offshore coral at Henoko this incident made the front page of the local newspaper Ryukyu Shimpo on May 22, 2007 (See Fig.3).
It may also be necessary to consider the negative impact on the behavior of dugong of landing drills carried out frequently by (US) marines from Camp Schwab in the Henoko area. Camp Schwab faces the Sea of Henoko which, according to DEIS, is rich in sea grass, the food of dugong. The offshore sea grass area at Henoko is about ten times larger than that of offshore Kayoh. Therefore, there must be some reason why dugong did not visit the offshore Henoko area during ODB study conducted in the period from August 2007 to April 2009. It may well be that the dugong were simply avoiding the disturbance to the Sea at Henoko caused by the massive pre-EIA study and landing drills.
This massive study was conducted prior to the submission of SD in August 2007, making it very difficult to know what the situation would have been like without the project, and it contravened the spirit of EIA Law that demands the project proponent consult with interested parties at the stage of submission and before the conduct of any large-scale study. Ever since the submission of the DEIS in April 2009, the Okinawan Defence Bureau has been conducting studies in the Sea of Henoko saying that they are collecting additional information including data on typhoon conditions. Many people suspect that ODB is trying to drive away the dugong from the Sea of Henoko in order to maintain their claim that the dugong generally live offshore from Kayoh and Kouri. According to the EIS submitted today, through this post-DEIS study they observed one dugong swimming offshore from Henoko in fiscal year 2010. However, they maintain their claim made in DEIS that the impact of the project on existing dugong individuals as well as on the survival of dugong population would be negligible.
In the Scoping Document, the ODB said that it would forecast qualitatively the impact of the project on dugong studying similar cases and existing information. After the revision of EIA procedures made on March 30, 2006, project proponents were requested to carry out quantitative forecasting and must provide justification when they do not carry it out. In the case of dugong, quantitative forecasting such as population viability analysis (PVA) is requested to evaluate the impact of the project on the survival of the dugong population. Through PVA we can say that the probability of Okinawa dugong survival in the year X will be Y% with this project but Z% without the project. Comparison of Y and Z will give us a basis to evaluate the impact of the project on the Okinawa dugong. However, in the Scoping Document, no justification was made for the use of qualitative forecasting.
As for the study of similar cases, on September 13, 2007 when the SD was made available for public inspection I sent my written opinion to ODB asking whether they had any concrete idea about the existence of similar cases anywhere in the world where a dugong population on the brink of extinction was facing the impact of any similar project. I emphasized in that opinion that if they did not have any concrete case in mind, then they were merely copying the Japanese Government’ EIA technical guidelines and their assessment was completely useless. The ODB neglected my opinion and neither the DEIS submitted on April 1, 2009 nor the EIS submitted today mention anything about similar cases.
On April 28, 2009, when the DEIS was made available for public inspection, I sent my written opinion to the ODB asking them to give a rational explanation for the no-appearance of dugong in the Sea of Henoko during the ODB study conducted in the period of August 2007 – April 2009 because the DEIS had nothing to say on that topic. It made no analysis of the impact caused by the massive pre-EIA study on dugong behavior. It did not mention either the impact of disappearance of the biggest sea grass area around Okinawa Island or the segmentation of the dugong habitat by the project. In my written opinion, I strongly demanded that the ODB carry out these analyses. However, my opinion was neglected once again by the ODB and the EIS offers no rational explanation.
Conclusion
As long as the ODB cannot give any rational explanation for the non-appearance of dugong in the Sea of Henoko during the time of its study from August 2007 to April 2009, it is reasonable to consider that the Okinawa dugong population’s survival chances will be higher if the replacement project is abandoned and the segmentation of Okinawa dugong habitat along the east coast of Okinawa Island avoided.
I hereby declare that the EIS submitted by the Okinawa Defense Bureau does not fulfill the requirements set for the Department of Defense by the U.S. District Court (Northern District of California).
Sakurai Kunitoshi
28 December 2011.
Here is the English version of Sakurai Kunitoshi's criticism of the Environmental Impact Statement on the Futenma Air Station replacement facility planned at Henoko, on the northeastern shore of Okinawa Island, submitted by the Japanese government to the Okinawa Prefecture from the end 2011 to early 2012 in the turmoil of hundreds of protesters blocking delivery and sitting-in at the prefectural office hallway (see Mainichi Shimbun's report (Kyodo): Gov't submits Futenma environmental report to Okinawa pref. gov't) See HERE for the Japanese version. This is part of an article published on the Asia-Pacific Journal: Japan Focus - Okinawa, New Year 2012: Tokyo’s Year End Surprise Attack (Gavan McCormack, Sakurai Kutoshi, Urashima Etsuko).
Sakurai Kunitoshi is Okinawa’s leading environmentalist, specialist in environmental assessment law and professor at Okinawa University.
The Fatally Flawed EIS Report on the Futenma Air Station Replacement Facility – With Special Reference to the Okinawa Dugong
Sakurai Kunitoshi
The delivery of the Environmental Impact Statement (EIS) on the Futenma Air Station Replacement Facility Construction Project was effected today (28 December) at the crack of dawn. At about 4 a.m., the staff of the Okinawa Defense Bureau (ODB) of the Ministry of Defense of the Government of Japan brought the EIS into Okinawa Prefectural Government Office Building. Two days earlier, the ODB had tried to hand it to the Governor but were blocked by a group of citizens opposed to the one-sided approach taken by the ODB in the conduct of the environmental impact assessment (EIA). On the 27th, they tried once again to send it to the Governor using a private courier service but were again blocked by citizens. This questionable submission of the EIS was symbolic of the abnormality of the whole EIA process.
This short note deals with the contents of EIS with regard to the Okinawa dugong. More precisely, it aims to clarify how deficient it is in showing the impact to be caused by the replacement project on the dugong.
According to the Judgment of U.S. District Court (Northern District of California) made on January 23, 2008, DOD (U.S. Department of Defense) is obliged under NHPA (National Historic Preservation Act) to “take into account” the impacts on Okinawa dugong to be caused by their undertaking (the construction and the use of Futenma Air Station Replacement Facility). The “take into account” process at a minimum must include
(1) identification of the protected property (in this case, the Okinawa dugong),
(2) the generation, collection, consideration, and weighing of information pertaining to how the undertaking will affect the historic property,
(3) a determination as to whether there will be adverse effects or not, and
(4) if necessary, development and evaluation of alternatives or modifications to the undertaking that could avoid or mitigate the adverse effects.
These are the obligations of DOD under section 402 of the NHPA. According to the Court, “satisfaction of these obligations cannot be postponed until the eve of construction when defendants (in this case, the DOD) have made irreversible commitments making additional review futile or consideration of alternatives impossible.” The DOD has taken the position that these obligations would be satisfied by Japan’s EIA. Therefore, it is crucial to check the contents of EIS regarding the Okinawa dugong and clarify whether its quality is good enough to satisfy these obligations.
Figure 1. Dugong Identified by DEIS |
Fatal Defect of the EIS
Based on studies conducted from light aircraft and helicopters done after the submission of the Scoping Document (SD) in August 2007, the ODB concluded in its Draft Environmental Impact Statement (DEIS) submitted in April 2009 that there were three dugong around Okinawa Island (one offshore from Kayoh and two offshore from Kouri) and that they generally lived there (See Fig.1). Based on this observation, they concluded that the impact of the project on the individual offshore from Kayoh would be negligible because Henoko (the project site) was far enough (approximately 6km) distant from Kayoh. So far as the probability of Okinawa dugong survival is concerned, they concluded that the impact of the project was also negligible as long as they inhabit the offshore Kayoh area.
Figure 2. Dugong Observed in the Period of January 1998 – January 2003 |
This deduction is quite illogical. As shown in Fig.2, Okinawa dugong used to be observed very frequently along the east coast of Okinawa Island including offshore Henoko. Therefore, DEIS should clarify why they were not observed in the Sea of Henoko during ODB study conducted in the period of August 2007 – April 2009. DEIS, however, made no analysis of this topic. One possible reason they did not appear is the effect of the massive study conducted by ODB at the offshore Henoko area prior to the EIA process that started in August 2007 with the submission of the Scoping Document (SD). The study cost more than 2 billion yen (more than 25 million dollars). The study of coral and dugong as well as geotechnical investigations of the area began in 2004 with numerous borings. Environmentally conscious citizens carried out nonviolent protests against this survey using canoes. To force their way through the protests, the ODB even deployed even the Maritime Self-Defense Force mine-sweeper Bungo in the middle of the night, using their frogmen to install equipment to study coral and dugong. Because these crude installations damaged the offshore coral at Henoko this incident made the front page of the local newspaper Ryukyu Shimpo on May 22, 2007 (See Fig.3).
Ryukyu Shimpo, May 22, 2007 Survey Instruments Damaged Coral Pre-EIA Study of Futenma Replacement Facility Project |
This massive study was conducted prior to the submission of SD in August 2007, making it very difficult to know what the situation would have been like without the project, and it contravened the spirit of EIA Law that demands the project proponent consult with interested parties at the stage of submission and before the conduct of any large-scale study. Ever since the submission of the DEIS in April 2009, the Okinawan Defence Bureau has been conducting studies in the Sea of Henoko saying that they are collecting additional information including data on typhoon conditions. Many people suspect that ODB is trying to drive away the dugong from the Sea of Henoko in order to maintain their claim that the dugong generally live offshore from Kayoh and Kouri. According to the EIS submitted today, through this post-DEIS study they observed one dugong swimming offshore from Henoko in fiscal year 2010. However, they maintain their claim made in DEIS that the impact of the project on existing dugong individuals as well as on the survival of dugong population would be negligible.
In the Scoping Document, the ODB said that it would forecast qualitatively the impact of the project on dugong studying similar cases and existing information. After the revision of EIA procedures made on March 30, 2006, project proponents were requested to carry out quantitative forecasting and must provide justification when they do not carry it out. In the case of dugong, quantitative forecasting such as population viability analysis (PVA) is requested to evaluate the impact of the project on the survival of the dugong population. Through PVA we can say that the probability of Okinawa dugong survival in the year X will be Y% with this project but Z% without the project. Comparison of Y and Z will give us a basis to evaluate the impact of the project on the Okinawa dugong. However, in the Scoping Document, no justification was made for the use of qualitative forecasting.
As for the study of similar cases, on September 13, 2007 when the SD was made available for public inspection I sent my written opinion to ODB asking whether they had any concrete idea about the existence of similar cases anywhere in the world where a dugong population on the brink of extinction was facing the impact of any similar project. I emphasized in that opinion that if they did not have any concrete case in mind, then they were merely copying the Japanese Government’ EIA technical guidelines and their assessment was completely useless. The ODB neglected my opinion and neither the DEIS submitted on April 1, 2009 nor the EIS submitted today mention anything about similar cases.
On April 28, 2009, when the DEIS was made available for public inspection, I sent my written opinion to the ODB asking them to give a rational explanation for the no-appearance of dugong in the Sea of Henoko during the ODB study conducted in the period of August 2007 – April 2009 because the DEIS had nothing to say on that topic. It made no analysis of the impact caused by the massive pre-EIA study on dugong behavior. It did not mention either the impact of disappearance of the biggest sea grass area around Okinawa Island or the segmentation of the dugong habitat by the project. In my written opinion, I strongly demanded that the ODB carry out these analyses. However, my opinion was neglected once again by the ODB and the EIS offers no rational explanation.
Conclusion
As long as the ODB cannot give any rational explanation for the non-appearance of dugong in the Sea of Henoko during the time of its study from August 2007 to April 2009, it is reasonable to consider that the Okinawa dugong population’s survival chances will be higher if the replacement project is abandoned and the segmentation of Okinawa dugong habitat along the east coast of Okinawa Island avoided.
I hereby declare that the EIS submitted by the Okinawa Defense Bureau does not fulfill the requirements set for the Department of Defense by the U.S. District Court (Northern District of California).
Sakurai Kunitoshi
28 December 2011.
真喜志好一: アセス「評価書」は住民意見、知事意見を意図的に削除した法令違反
普天間基地の「移設」として辺野古に新基地を作るために年末年始に国から沖縄県に提出された環境影響「評価書」に対する「沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団」からの政府への抗議書、沖縄県への要請書を紹介する(真喜志好一氏提供)。
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総理大臣 野田佳彦 殿
防衛大臣 一川保夫 殿
沖縄防衛局長 真部朗 殿
日本政府・防衛省・沖縄防衛局は辺野古における海上基地建設のための違法な環境影響評価「評価書」を12月28日未明4時、真部朗沖縄防衛局局長の指揮で沖縄県庁の守衛室に持ち込んだ。この「評価書」の持込みは、沖縄県議会の全会一致の決議、県民世論、沖縄選出7名の国会議員の抗議声明、大田昌秀、稲嶺惠一県知事経験者を含む有識者19名の声明なども無視した暴挙である。
今回の評価書の県知事への送付という行為が、「凶悪犯罪」であると政府自身は自覚していた。そのことは、2011年11月28日夜、那覇市内での報道陣との非公式の懇談会で、評価書提出の時期を問われた田中聡前沖縄防衛局長は、女性を乱暴することに例えて、「これから犯す前に『犯しますよ』と言いますか」と発言したことに現れている。翌11月29日には同氏を更迭し、12月18日に後任に真部朗氏を発令した。真部氏は、2008年1月から2011年8月まで、沖縄防衛局長として辺野古の違法アセスを進めた責任者であり、東村高江のヘリパッド建設を強行してきた人物である。この度の評価書の持ち込みは、凶悪犯罪を実行に移しただけでなく、持ち込まれた「評価書」も、方法書に対する住民、知事意見、事業者の見解を意図的に抜かしていた。この一連の事実は、沖縄県民無視の姿勢を如実に示した証であろう。
環境アセス法を無視して自公政権下で行われてきた「凶悪犯罪」としてのアセス作業。普天間は「少なくとも県外移設」として政権交代を果たした民主党が「凶悪犯罪」のアセス作業を引き継ぎ、沖縄県知事に不完全な「評価書」を押し付けたことに強く抗議する。
これまで日本政府が行ってきた環境アセス法を無視した行為を時系列で指摘する。
2007年5月18日から、海上自衛隊・掃海艇「ぶんご」まで投入して、違法な環境現況調査を強行した。この行為は8月14日に縦覧した「方法書」手続前の違法調査であり、夜間の手荒い調査によってジュゴンの生息環境が乱された。
2007年8月14日に縦覧された「方法書」に示された台形の飛行ルートは虚偽であった。米軍は台形ではなく、楕円形に飛ぶとしており、今回の「評価書」で沖縄防衛局は楕円形に書き直したらしいが、「方法書」に記した台形の飛行ルートのウソは消せない。
また、防衛省が飛行場を作るときのアセス省令第二条(方法書の作成)には、飛行場の使用を予定する航空機の種類 、第十八条 (準備書の作成)においては、航空機の「種類及び数」を記すことになっている。沖縄県知事も「想定されるものも含め具体的な機種及び数を明らかにすること」と方法書に対する知事意見で述べている。
1996年11月に、日本政府が米軍にオスプレイ配備を隠すように要請した文書がある。それにもかかわらず、オスプレイ配備は準備書にすら示さなかった。「評価書」には記していると報じられているが、方法書、準備書には示さなかったウソは消せない。
2008年6月、キャンプ・シュワブ内で、兵舎等の建物の工事が始まった。これらの工事は、飛行場建設のために行われる一連の土地の形状の変更であり、工作物の新設及び増改築なのであるから、アセス法の手続に乗せるべきであった。他に環境影響評価(法)を専門に研究している学者及び日本自然保護協会、世界自然保護基金ジャパン等、多数の批判があることは周知の事実である。
自公政権が進めたアセス手続きで、最初の文書「方法書」は環境影響を小さくみせた「ダミー案」とも言えるものであった。その「方法書」縦覧後の二度にわたる「追加修正資料」、そして「準備書」では、係船機能付き護岸など、後出しの事業が示された。自公政権によるこれらの県民騙しを継承するのではなく、新政権は、県民世論にしたがって、辺野古建設を断念すべきである。
その上で、米国に「辺野古断念」を伝えることが新政権の使命であるにもかかわらず、対米従属のみを考えた「評価書」を沖縄県知事に押し付けたことに強く抗議する。
また、国内のアセス訴訟や、米国での「ジュゴン訴訟」など多方面の活動で、「辺野古断念」のみならず「高江ヘリパッド断念」を日米両政府から勝ち取る決意を表明する。 以上
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沖縄県知事 仲井真弘多 殿
日本政府・防衛省・沖縄防衛局は辺野古における海上基地建設のための違法な環境影響評価「評価書」を12月28日未明4時、真部朗沖縄防衛局局長の指揮で沖縄県庁の守衛室に持ち込んだ。 この「評価書」の持込みは、沖縄県議会の全会一致の決議、県民世論、沖縄選出7名の国会議員の抗議声明、大田昌秀、稲嶺惠一県知事経験者を含む有識者19名の声明なども無視した暴挙である。
今回の評価書の県知事への送付という行為が、「凶悪犯罪」であると政府自身は自覚していた。そのことは、2011年11月28日夜、那覇市内での報道陣との非公式の懇談会で、評価書提出の時期を問われた田中聡前沖縄防衛局長は、女性を乱暴することに例えて、「これから犯す前に『犯しますよ』と言いますか」と発言したことに現れている。翌11月29日には同氏を更迭し、12月18日に後任に真部朗氏を発令した。真部氏は、2008年1月から2011年8月まで、沖縄防衛局長として辺野古の違法アセスを進めた責任者であるばかりか、東村高江のヘリパッド建設を強行してきた人物である。
ところで、12月28日に違法に持ち込まれた「評価書」は、条例違反であるばかりか、1 月5日には、アセス法に定められた方法書に対する住民、知事意見、事業者の見解が欠落するなど、重大な欠陥があったことが判明し、防衛局は 1 月6日に「第4章追加分」なる書類を提出した。しかし、「評価書」の第4章とこの追加分はタイトルも整合せず、「評価書」の欠落が正しく補正されたとは言えない。県は12月28日に持ち込まれた「評価書」そのものを修正のうえ、再提出するよう沖縄防衛局に求めるべきである。
今回の「評価書」についての2011年12月28日付の防衛省の記者向けブリーフィング資料によれば、方法書、準備書の事業内容とは大きく異なっている点がある。それを3点指摘する。
・ 対象航空機としてオスプレイを記した(ブリーフィング資料3頁)
・ 飛行経路を台形からレーストラック型にした(ブリーフィング資料4頁)
・ ジュゴンについて、H21~22年度の自主調査も含め、3カ年以上(複数年)の調査とした(ブリ
ーフィング資料9頁)
これらは、方法書に対する知事意見で、次のように既に指摘していたことである。
・対象事業に係る飛行場の使用を予定する航空機については、
想定されるものも含めて具体的な 機種及び数を明らかにすること。(準備書 4-32)
・代替施設の運用については、次の通り明らかにすること。
ア航空機の機種別の運用の方法(飛行経路・・以下略・・) (準備書 4-32)
・ジュゴンについて・・中略・・生活史等に関する調査を複数年実施すること。
(準備書 4-47)
この知事意見に対し、準備書では「事業者の見解」をはぐらかし、さらに今回、知事意見と事業者との応答を評価書から抜け落としたことには、「アセスを形式的に適用して、何とかクリアしようとするごまかしの姿勢も見える。アセス制度の趣旨に沿うものではない」(倉阪秀史・千葉大教授談・琉球新報 2012 年 1 月 6 日、26 面)と学者も指摘している。以上のことを踏まえ、次の2点を要請します。
1・追加されたファイルを、たとえば、方法書への意見と見解、準備書への意見と見解の順に綴り 直して再提出を求め、目次も作り替えさせて読み易くさせること。
2・沖縄県民の将来に、重大な影響を与える事案であるから、制度化された環境影響評価審査会の公開だけではなく、評価書の早期の公開、公聴会などを開き、県民と問題点を共有すること。
1月6日「琉球新報」より。 |
総理大臣 野田佳彦 殿
防衛大臣 一川保夫 殿
沖縄防衛局長 真部朗 殿
2012年1月6日
違法な環境影響「評価書」の持込みに抗議する声明
〒902-0061 沖縄県那覇市古島1-14-6 教育福祉会館407号
沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団
団長 東恩納琢磨
TEL 098-885-3008 FAX 098-885-0866
日本政府・防衛省・沖縄防衛局は辺野古における海上基地建設のための違法な環境影響評価「評価書」を12月28日未明4時、真部朗沖縄防衛局局長の指揮で沖縄県庁の守衛室に持ち込んだ。この「評価書」の持込みは、沖縄県議会の全会一致の決議、県民世論、沖縄選出7名の国会議員の抗議声明、大田昌秀、稲嶺惠一県知事経験者を含む有識者19名の声明なども無視した暴挙である。
今回の評価書の県知事への送付という行為が、「凶悪犯罪」であると政府自身は自覚していた。そのことは、2011年11月28日夜、那覇市内での報道陣との非公式の懇談会で、評価書提出の時期を問われた田中聡前沖縄防衛局長は、女性を乱暴することに例えて、「これから犯す前に『犯しますよ』と言いますか」と発言したことに現れている。翌11月29日には同氏を更迭し、12月18日に後任に真部朗氏を発令した。真部氏は、2008年1月から2011年8月まで、沖縄防衛局長として辺野古の違法アセスを進めた責任者であり、東村高江のヘリパッド建設を強行してきた人物である。この度の評価書の持ち込みは、凶悪犯罪を実行に移しただけでなく、持ち込まれた「評価書」も、方法書に対する住民、知事意見、事業者の見解を意図的に抜かしていた。この一連の事実は、沖縄県民無視の姿勢を如実に示した証であろう。
環境アセス法を無視して自公政権下で行われてきた「凶悪犯罪」としてのアセス作業。普天間は「少なくとも県外移設」として政権交代を果たした民主党が「凶悪犯罪」のアセス作業を引き継ぎ、沖縄県知事に不完全な「評価書」を押し付けたことに強く抗議する。
これまで日本政府が行ってきた環境アセス法を無視した行為を時系列で指摘する。
2007年5月18日から、海上自衛隊・掃海艇「ぶんご」まで投入して、違法な環境現況調査を強行した。この行為は8月14日に縦覧した「方法書」手続前の違法調査であり、夜間の手荒い調査によってジュゴンの生息環境が乱された。
2007年8月14日に縦覧された「方法書」に示された台形の飛行ルートは虚偽であった。米軍は台形ではなく、楕円形に飛ぶとしており、今回の「評価書」で沖縄防衛局は楕円形に書き直したらしいが、「方法書」に記した台形の飛行ルートのウソは消せない。
また、防衛省が飛行場を作るときのアセス省令第二条(方法書の作成)には、飛行場の使用を予定する航空機の種類 、第十八条 (準備書の作成)においては、航空機の「種類及び数」を記すことになっている。沖縄県知事も「想定されるものも含め具体的な機種及び数を明らかにすること」と方法書に対する知事意見で述べている。
1996年11月に、日本政府が米軍にオスプレイ配備を隠すように要請した文書がある。それにもかかわらず、オスプレイ配備は準備書にすら示さなかった。「評価書」には記していると報じられているが、方法書、準備書には示さなかったウソは消せない。
2008年6月、キャンプ・シュワブ内で、兵舎等の建物の工事が始まった。これらの工事は、飛行場建設のために行われる一連の土地の形状の変更であり、工作物の新設及び増改築なのであるから、アセス法の手続に乗せるべきであった。他に環境影響評価(法)を専門に研究している学者及び日本自然保護協会、世界自然保護基金ジャパン等、多数の批判があることは周知の事実である。
自公政権が進めたアセス手続きで、最初の文書「方法書」は環境影響を小さくみせた「ダミー案」とも言えるものであった。その「方法書」縦覧後の二度にわたる「追加修正資料」、そして「準備書」では、係船機能付き護岸など、後出しの事業が示された。自公政権によるこれらの県民騙しを継承するのではなく、新政権は、県民世論にしたがって、辺野古建設を断念すべきである。
その上で、米国に「辺野古断念」を伝えることが新政権の使命であるにもかかわらず、対米従属のみを考えた「評価書」を沖縄県知事に押し付けたことに強く抗議する。
また、国内のアセス訴訟や、米国での「ジュゴン訴訟」など多方面の活動で、「辺野古断念」のみならず「高江ヘリパッド断念」を日米両政府から勝ち取る決意を表明する。 以上
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沖縄県知事 仲井真弘多 殿
2012年1月6日
沖縄防衛局による辺野古・環境影響「評価書」の持込みに関する要請
〒902-0061 沖縄県那覇市古島 1-14-6 教育福祉会館 407 号
沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団
団長 東恩納琢磨
TEL 098-885-3008 FAX 098-885-0866
今回の評価書の県知事への送付という行為が、「凶悪犯罪」であると政府自身は自覚していた。そのことは、2011年11月28日夜、那覇市内での報道陣との非公式の懇談会で、評価書提出の時期を問われた田中聡前沖縄防衛局長は、女性を乱暴することに例えて、「これから犯す前に『犯しますよ』と言いますか」と発言したことに現れている。翌11月29日には同氏を更迭し、12月18日に後任に真部朗氏を発令した。真部氏は、2008年1月から2011年8月まで、沖縄防衛局長として辺野古の違法アセスを進めた責任者であるばかりか、東村高江のヘリパッド建設を強行してきた人物である。
ところで、12月28日に違法に持ち込まれた「評価書」は、条例違反であるばかりか、1 月5日には、アセス法に定められた方法書に対する住民、知事意見、事業者の見解が欠落するなど、重大な欠陥があったことが判明し、防衛局は 1 月6日に「第4章追加分」なる書類を提出した。しかし、「評価書」の第4章とこの追加分はタイトルも整合せず、「評価書」の欠落が正しく補正されたとは言えない。県は12月28日に持ち込まれた「評価書」そのものを修正のうえ、再提出するよう沖縄防衛局に求めるべきである。
今回の「評価書」についての2011年12月28日付の防衛省の記者向けブリーフィング資料によれば、方法書、準備書の事業内容とは大きく異なっている点がある。それを3点指摘する。
・ 対象航空機としてオスプレイを記した(ブリーフィング資料3頁)
・ 飛行経路を台形からレーストラック型にした(ブリーフィング資料4頁)
・ ジュゴンについて、H21~22年度の自主調査も含め、3カ年以上(複数年)の調査とした(ブリ
ーフィング資料9頁)
これらは、方法書に対する知事意見で、次のように既に指摘していたことである。
・対象事業に係る飛行場の使用を予定する航空機については、
想定されるものも含めて具体的な 機種及び数を明らかにすること。(準備書 4-32)
・代替施設の運用については、次の通り明らかにすること。
ア航空機の機種別の運用の方法(飛行経路・・以下略・・) (準備書 4-32)
・ジュゴンについて・・中略・・生活史等に関する調査を複数年実施すること。
(準備書 4-47)
この知事意見に対し、準備書では「事業者の見解」をはぐらかし、さらに今回、知事意見と事業者との応答を評価書から抜け落としたことには、「アセスを形式的に適用して、何とかクリアしようとするごまかしの姿勢も見える。アセス制度の趣旨に沿うものではない」(倉阪秀史・千葉大教授談・琉球新報 2012 年 1 月 6 日、26 面)と学者も指摘している。以上のことを踏まえ、次の2点を要請します。
1・追加されたファイルを、たとえば、方法書への意見と見解、準備書への意見と見解の順に綴り 直して再提出を求め、目次も作り替えさせて読み易くさせること。
2・沖縄県民の将来に、重大な影響を与える事案であるから、制度化された環境影響評価審査会の公開だけではなく、評価書の早期の公開、公聴会などを開き、県民と問題点を共有すること。
以上
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Thursday, January 05, 2012
浦島悦子:辺野古アセス評価書、防衛局が未明の「奇襲」-稲嶺名護市長「あきれてものが言えない」
沖縄の自然と人間を守るたたかいを生き生きとつづる数々の著作で知られるライター、浦島悦子さんの文を初めてこのサイトで紹介します。「辺野古アセス評価書」の年末の「夜討ち」搬入の不足部数を5日に提出した国側ですが、毎日新聞(琉球新報)は6日にこのように報道しています。
辺野古アセス評価書、防衛局が未明の「奇襲」
稲嶺名護市長「あきれてものが言えない」
12月28日朝6時過ぎ、ラジオのスイッチを入れたとたんに流れたNHKニュース。「今朝4時過ぎ、ワゴン車に分乗した沖縄防衛局の職員が、沖縄県庁の通用口から守衛室に環境影響評価書の入った段ボール箱を搬入しました。・・・・」
「まさかや、ありえん!」「県民、総引き・・・」「こんな大人にはなるな、って言いたい」――この日の民放ラジオの音楽リクエスト番組で司会者が語っていた言葉が、おおかたの県民の気持ちを代弁しています。
米国に「辺野古移設計画が進行している」というポーズを示すためだけの「アセス評価書年内提出」に野田政権はあくまで固執し、年内最終週明けの26日に提出予定と報道されていました。
「基地の県内移設に反対する県民会議」は26日から仕事納めの28日まで、連日の県庁における評価書提出阻止行動を呼びかけました。始業前の朝8時(集合は7時半)から午後5時15分の終業時まで、評価書が県庁に運び込まれないよう監視し、提出をさせないためです。年末の忙しい時期にもかかわらず、連日、市民団体や労働団体300人余が参加。県議団や沖縄選出の国会議員らも見事な働きぶりを見せました。
26日、県庁の周囲では、赤い紙に「怒」の字を掲げた県民が立ち並び、各入口や庁内の担当課前に監視が立つ状況の中で、沖縄防衛局は「阻止行動のため県に直接届けることを断念し、郵送した」と発表。市民らは、この日の提出を阻止できたことを確認するとともに「郵送は姑息な手段」と抗議の声を上げました。
私たち十区の会は、(郵送したと言われる評価書が届く予定の)27日、県庁行動に参加しました。朝7時に辺野古テント村の仲間たちと一緒に辺野古を出発、8時過ぎに県庁に着いたときには既に、郵便物や荷物の搬入口2カ所(市民団体と労働団体がそれぞれを担当)と地下駐車場入口での監視行動が始まっていました。国会議員の山内徳信さん、照屋寛徳さん、糸数慶子さんの姿も見えます。
郵便車や荷物の運搬車が来るたびに道路からの入口で停車してもらって、荷物を確かめます。「郵送した」というのが本当かどうか、みんな疑っていました。1部が7000ページもある評価書を20部(法令で決められている)、郵便で送れるのか。防衛局がとんでもない「嘘つき」であることを、彼らのこれまでの言動から県民は知っているからです。
午前11時過ぎに入ってきた民間運送会社の車両に、段ボール箱が積んであるのが窓越しに見えました。「評価書じゃないか」という声が上がり、みんながどっと車両の回りに集まりました。監視行動の市民団体責任者である沖縄平和市民連絡会の城間勝さんが「どこからの荷物ですか」と尋ねると、「防衛局から」と答えたので、「中身は評価書ですか」と聞くと「答えられない」とのこと。段ボール箱には宛先も発送元も何も書かれていません。
騒ぎに恐れをなしたのか、車はすぐに引き返しましたが、15~20分後くらいに再度入ってきました。防衛局に、届けるよう命令されたのでしょう。再び、みんなが車を取り囲みました。道路からの入口に停まっていると他の車の通行を妨げるので、もう少し中に入るよう促しても「ここにいろと言われている」とエンジンを切り、「防衛局に持ち帰ってください」とみんなでお願いしても動こうとしません。20分以上押し問答が続き、県議団が県の管財課長を呼んできました。課長は業者の携帯電話を借りて沖縄防衛局に電話し、荷物が評価書であることを確認、「危険な状況なので局に戻してもらいたい」と要望しました。
12時半頃、車は評価書を積んだまま県庁の外へ出て行き、拍手が起こりました。また戻ってくるかもしれない、あるいは別の会社の車で来るかもしれないと警戒を続けましたが、そのまま閉庁時刻まで戻ってきませんでした。ウチナーンチュ同士が敵対させられ、業者もこりごりだったと思います。
閉庁時刻が過ぎると、市民団体、労働団体とも県民ひろば(県庁前広場)に移動し、県議団を先頭に「今日も阻止できた」「あと1日がんばろう!」と拳を上げました。県議団から、この日、自民・公明を含む県議会の与野党全会派の代表が集まって、評価書提出に対する「抗議声明」を発表したことが報告され、大きな拍手を浴びました。
「あと1日で評価書年内提出を止められる」と思って床についた県民がまだぐっすり眠っている28日未明、防衛局は、こそ泥のように通用口からこっそり評価書を運び込んだのです。万が一に備えて通用口の近くに停めた車の中で仮眠していた沖縄平和運動センター事務局長の山城博治さんが、物音に気付いて飛び出していったところ、段ボール箱を1つずつ抱えた20人ほどの防衛局職員と、それを指揮する真部朗局長の姿が・・・。沖縄差別発言で更迭された田中前局長に代わって異例の再任となったばかりの彼は、前任時代、高江で夜間や早朝の「奇襲」を繰り返し行った常習犯です。
「なんてことをするんだ、やめろ!」と山城さんは叫んで止めようとしましたが多勢に無勢、16箱は守衛室に運び込まれてしまいました。急を聞いて駆けつけた人々が集まり、評価書が担当課に運ばれ「受理」されないよう、守衛室前に座り込みました。
この日は、全国版も含め、テレビ、ラジオとも、このことがトップニュース。沖縄地元2紙は号外を出し、防衛局の悪事、醜態は瞬く間に全県、全国に知れ渡りました。県内では、「奇襲攻撃」「闇討ち」「だまし討ち」「汚い暴挙」「姑息」「卑怯」「卑劣」「恥知らず」・・・、ありとあらゆる悪罵と嘲笑の言葉が飛び交いました。それらを投げつけてられて当然の行為を「国」がやったのです! 稲嶺進名護市長は「あきれてものが言えない」と切り捨て、「私は海にも陸にも基地は造らせないと言っている。名護市にとっては評価書自体が意味はない」と断言しました。
「評価書は受理する」とした沖縄県と知事に対し、納得できない県民らは県庁内での座り込みを続けました。仲井真知事が出てきて直接対話を行い、「評価書は事務的に処理せざるを得ないが、(公約である)県外移設を貫く」と約束し、また、担当部長が「評価書は全部届いておらず、受理できる段階にない。年明けの3日まで(守衛室に置いてある)評価書は移動させない」との意向を示したので、夜の8時過ぎ、ようやく座り込みを解きました。
市民団体や労働団体などの県民、県議団をはじめ国会議員、市町村議員などがそれぞれの役割をきっちりと担い(県当局との連絡、知事への要請などはもちろん、搬入された評価書が移動させられないようピケを張るなど、阻止行動にも体を張ってくれ、頼もしかったです)、県の職員や知事をも動かしました。その総合力が、沖縄防衛局の目論見を見事に打ち砕き、彼らの恥知らずな醜さ、「あほさ」加減を白日の下にさらし、結果的に「辺野古移設はますます不可能になった」のです。
ところが・・・。
仕事納めの28日でとりあえず一件落着かと思いきや、恥も外聞もなく、なんとしても「年内提出」をあきらめきれない防衛局は、29日にも夜遅く、県庁周辺をうろうろ。隙あらば、残りの評価書を運び込もうと狙っています。県民らは24時間の監視態勢を取ることを余儀なくされ、交替で県庁座り込みを続けています。ひょっとして、このまま年越し座り込みも・・・?
沖縄県民、名護市民に「心穏やかな正月」はいつ来るのでしょうか・・・。
(12月30日、浦島悦子)
混迷を極めてきた「評価書」提出は、沖縄大学の桜井国俊氏や市民団体が訴えるように、不法で科学性に欠けるものです。「年内提出」の体裁をととのえるだけのためにコソ泥のような行為を行った国は、浦島さんの文にもあるように「こんな大人になるなって言いたい」というものですが、年末年始、家族とゆっくりする時間を犠牲にして座り込んだ皆さんのことを考えると、反対に、自分も見習わねば、子どもにこのような大人の姿を見て育って欲しい、と思います。@PeacePhilosophy普天間代替基地建設に係る環境影響評価(アセスメント)評価書で、沖縄防衛局が5日に県庁へ運び込んだ8部を含む24部全てに知事や住民等意見とそれに対する事業者の見解の欠落が見つかった。県は形式審査で受理要件を満たさないとして、飛行場部分の20部は不受理とし、同日午前に受理した埋め立て部分に対しては審査を停止した。・・・続きはここ
「評価書」搬入を阻止するために県庁に座りこむ市民たち。Photo: Makoto Arakaki |
辺野古アセス評価書、防衛局が未明の「奇襲」
稲嶺名護市長「あきれてものが言えない」
12月30日
浦島悦子
12月28日朝6時過ぎ、ラジオのスイッチを入れたとたんに流れたNHKニュース。「今朝4時過ぎ、ワゴン車に分乗した沖縄防衛局の職員が、沖縄県庁の通用口から守衛室に環境影響評価書の入った段ボール箱を搬入しました。・・・・」
「まさかや、ありえん!」「県民、総引き・・・」「こんな大人にはなるな、って言いたい」――この日の民放ラジオの音楽リクエスト番組で司会者が語っていた言葉が、おおかたの県民の気持ちを代弁しています。
米国に「辺野古移設計画が進行している」というポーズを示すためだけの「アセス評価書年内提出」に野田政権はあくまで固執し、年内最終週明けの26日に提出予定と報道されていました。
「基地の県内移設に反対する県民会議」は26日から仕事納めの28日まで、連日の県庁における評価書提出阻止行動を呼びかけました。始業前の朝8時(集合は7時半)から午後5時15分の終業時まで、評価書が県庁に運び込まれないよう監視し、提出をさせないためです。年末の忙しい時期にもかかわらず、連日、市民団体や労働団体300人余が参加。県議団や沖縄選出の国会議員らも見事な働きぶりを見せました。
26日、県庁の周囲では、赤い紙に「怒」の字を掲げた県民が立ち並び、各入口や庁内の担当課前に監視が立つ状況の中で、沖縄防衛局は「阻止行動のため県に直接届けることを断念し、郵送した」と発表。市民らは、この日の提出を阻止できたことを確認するとともに「郵送は姑息な手段」と抗議の声を上げました。
私たち十区の会は、(郵送したと言われる評価書が届く予定の)27日、県庁行動に参加しました。朝7時に辺野古テント村の仲間たちと一緒に辺野古を出発、8時過ぎに県庁に着いたときには既に、郵便物や荷物の搬入口2カ所(市民団体と労働団体がそれぞれを担当)と地下駐車場入口での監視行動が始まっていました。国会議員の山内徳信さん、照屋寛徳さん、糸数慶子さんの姿も見えます。
郵便車や荷物の運搬車が来るたびに道路からの入口で停車してもらって、荷物を確かめます。「郵送した」というのが本当かどうか、みんな疑っていました。1部が7000ページもある評価書を20部(法令で決められている)、郵便で送れるのか。防衛局がとんでもない「嘘つき」であることを、彼らのこれまでの言動から県民は知っているからです。
午前11時過ぎに入ってきた民間運送会社の車両に、段ボール箱が積んであるのが窓越しに見えました。「評価書じゃないか」という声が上がり、みんながどっと車両の回りに集まりました。監視行動の市民団体責任者である沖縄平和市民連絡会の城間勝さんが「どこからの荷物ですか」と尋ねると、「防衛局から」と答えたので、「中身は評価書ですか」と聞くと「答えられない」とのこと。段ボール箱には宛先も発送元も何も書かれていません。
騒ぎに恐れをなしたのか、車はすぐに引き返しましたが、15~20分後くらいに再度入ってきました。防衛局に、届けるよう命令されたのでしょう。再び、みんなが車を取り囲みました。道路からの入口に停まっていると他の車の通行を妨げるので、もう少し中に入るよう促しても「ここにいろと言われている」とエンジンを切り、「防衛局に持ち帰ってください」とみんなでお願いしても動こうとしません。20分以上押し問答が続き、県議団が県の管財課長を呼んできました。課長は業者の携帯電話を借りて沖縄防衛局に電話し、荷物が評価書であることを確認、「危険な状況なので局に戻してもらいたい」と要望しました。
12時半頃、車は評価書を積んだまま県庁の外へ出て行き、拍手が起こりました。また戻ってくるかもしれない、あるいは別の会社の車で来るかもしれないと警戒を続けましたが、そのまま閉庁時刻まで戻ってきませんでした。ウチナーンチュ同士が敵対させられ、業者もこりごりだったと思います。
閉庁時刻が過ぎると、市民団体、労働団体とも県民ひろば(県庁前広場)に移動し、県議団を先頭に「今日も阻止できた」「あと1日がんばろう!」と拳を上げました。県議団から、この日、自民・公明を含む県議会の与野党全会派の代表が集まって、評価書提出に対する「抗議声明」を発表したことが報告され、大きな拍手を浴びました。
「あと1日で評価書年内提出を止められる」と思って床についた県民がまだぐっすり眠っている28日未明、防衛局は、こそ泥のように通用口からこっそり評価書を運び込んだのです。万が一に備えて通用口の近くに停めた車の中で仮眠していた沖縄平和運動センター事務局長の山城博治さんが、物音に気付いて飛び出していったところ、段ボール箱を1つずつ抱えた20人ほどの防衛局職員と、それを指揮する真部朗局長の姿が・・・。沖縄差別発言で更迭された田中前局長に代わって異例の再任となったばかりの彼は、前任時代、高江で夜間や早朝の「奇襲」を繰り返し行った常習犯です。
「なんてことをするんだ、やめろ!」と山城さんは叫んで止めようとしましたが多勢に無勢、16箱は守衛室に運び込まれてしまいました。急を聞いて駆けつけた人々が集まり、評価書が担当課に運ばれ「受理」されないよう、守衛室前に座り込みました。
この日は、全国版も含め、テレビ、ラジオとも、このことがトップニュース。沖縄地元2紙は号外を出し、防衛局の悪事、醜態は瞬く間に全県、全国に知れ渡りました。県内では、「奇襲攻撃」「闇討ち」「だまし討ち」「汚い暴挙」「姑息」「卑怯」「卑劣」「恥知らず」・・・、ありとあらゆる悪罵と嘲笑の言葉が飛び交いました。それらを投げつけてられて当然の行為を「国」がやったのです! 稲嶺進名護市長は「あきれてものが言えない」と切り捨て、「私は海にも陸にも基地は造らせないと言っている。名護市にとっては評価書自体が意味はない」と断言しました。
「評価書は受理する」とした沖縄県と知事に対し、納得できない県民らは県庁内での座り込みを続けました。仲井真知事が出てきて直接対話を行い、「評価書は事務的に処理せざるを得ないが、(公約である)県外移設を貫く」と約束し、また、担当部長が「評価書は全部届いておらず、受理できる段階にない。年明けの3日まで(守衛室に置いてある)評価書は移動させない」との意向を示したので、夜の8時過ぎ、ようやく座り込みを解きました。
市民団体や労働団体などの県民、県議団をはじめ国会議員、市町村議員などがそれぞれの役割をきっちりと担い(県当局との連絡、知事への要請などはもちろん、搬入された評価書が移動させられないようピケを張るなど、阻止行動にも体を張ってくれ、頼もしかったです)、県の職員や知事をも動かしました。その総合力が、沖縄防衛局の目論見を見事に打ち砕き、彼らの恥知らずな醜さ、「あほさ」加減を白日の下にさらし、結果的に「辺野古移設はますます不可能になった」のです。
ところが・・・。
仕事納めの28日でとりあえず一件落着かと思いきや、恥も外聞もなく、なんとしても「年内提出」をあきらめきれない防衛局は、29日にも夜遅く、県庁周辺をうろうろ。隙あらば、残りの評価書を運び込もうと狙っています。県民らは24時間の監視態勢を取ることを余儀なくされ、交替で県庁座り込みを続けています。ひょっとして、このまま年越し座り込みも・・・?
沖縄県民、名護市民に「心穏やかな正月」はいつ来るのでしょうか・・・。
(12月30日、浦島悦子)
Tuesday, January 03, 2012
佐藤学『基地問題に無関心な国民』 SATO Manabu: People in Japan are indifferent to the US milibary base problem
沖縄国際大学教授の佐藤学氏による12月26日琉球新報文化欄の『基地問題に無関心な国民』を、このような記事は日本本土の人にこそ読まれなければいけないとの認識のもとに紹介する。この記事が出た後、12月28日未明に、辺野古新基地建設のための「環境影響評価書」がこっそりと県庁に搬入された。この事実は全国に報道されたが、問題の核心はどこにあるのかがわかるような形で伝わっていたとは言い難い。佐藤氏がここで問題視しているのは、日本政府が、沖縄の民意を踏みにじって、軍事的にも合理性が欠け、米国議員や専門家からも疑問の声が続出している辺野古新基地計画の強行について、「全く国民の間での関心を引き起こさず、ほとんどの政党、政治家も、処理済みの事案としてしか、考えていない状況」である。また、戦後日本は日米安保条約による「安全保障」策しか取らず、日本で安保に反対する側は「『9条』を唱え、反米と、親ソ、親中強調路線を主張する以上の、具体的な政策を考えなかった。『非武装中立』を実現し、維持するための覚悟も、国民を説得できる政策を作る能力もなかった」との指摘、そして、この日本の「無作為」、「無関心」が、沖縄基地集中を否定するどんな理屈も事実も受け入れようとしない「妄信」を定着させてきたという見解は、重く受け止める必要がある。@PeacePhilosophy
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