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Monday, May 30, 2011

豪放射線医師「福島炎上:核の惨事を解剖する」(アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス)Fukushima Burning: Anatomy of a Nuclear Disaster by Peter Karamoskos

From Asia-Pacific Journal: Japan Focus. See below for English text.

アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカスの記事に5月22日掲載されたオーストラリア人医師による記事 Fukushima Burning: Anatomy of a Nuclear Disaster の和訳を紹介します。原文も下方に掲載しました。福島で何が起こっているのか、世界的な影響は何か、チェルノブイリと比べてどうか、放射線の健康影響、ガンのリスクは、損害はいくらぐらいになるのか、そしてどれぐらい危機が続くのか、等、放射線の専門家による厳しくも示唆に富む記事です。


福島炎上:核の惨事を解剖する

ピーター・カラモスコス
 (オーストラリアの放射線専門医。同国「戦争防止のための医学協会」会計役でもある)

翻訳 田中泉

原子炉が過熱すると何が起きるのか?
炉心が冷却剤の欠如で過熱した場合、最終的には溶融する。残りの水はただちに蒸気に変わるため、水の補給が妨げられ、圧力容器の健全性が揺らぐ。さらには原子炉の圧力容器までもが溶融する可能性がある。第一次および第二次格納建造物(コンクリート)がダメージをこうむっていれば、溶融した燃料は外に漏れ出し、環境中に放出されうる。使用済燃料は25度前後の冷却プールの中に数十年間保管されている。この温度を保つために水が継続的に補給されなければならない。補給に失敗して水がカラになると、使用済燃料は過熱・発火し、含有する放射性毒物を放出する。注意したいのは、炉心の中で放射線を照射されていた時間が長ければ長いほど燃料には核分裂生成物が蓄積されるため、よりいっそうの放射性を帯びるということだ。また、その汚染によって燃料の寿命も限定される。燃料棒中のウランのうち実際に原子炉の中で消費されるのは約1-2%に過ぎない。環境中に放出された際に最大かつ直ちに危険となるのは、これら核分裂生成物なのである。

放射性降下物とその健康への影響
原子炉から出る放射性降下物は、2つのグループに分けられる。化学反応性が非常に低く、比較的半減期が短い希ガス(キセノン、クリプトン133)の同位体は、体内にはとどまらず、土壌にも沈着せず、空中に分散・残存する。そのため、健康におよぼす有害な影響は限定的である。2番目のグループは、おもにヨウ素、セシウム、そしてテルルの放射性同位元素に代表される、より危険な放射性降下物である。これらの元素は大気中で微細な浮遊物(エアロゾル)を形成する。それらは大気中に放出されると自身の重みによって徐々に地表に降下し、そのときにすべての植生、衣服など、あらゆる表層を汚染する。水資源も含まれる。

最も健康への脅威となるのは、セシウム137(半減期30年)とヨウ素131(半減期8日)である。ヨウ素131はベータ放出体で、吸入と(食物)摂取を通して血流の中に吸収され、甲状腺によって集中的に取り込まれる。主として18歳未満の若者にとっては、きわめて[甲状腺における]発がん性が高い。セシウムはガンマ及びベータ放出体である。やはり呼吸器系統と胃腸系統を通じて体内に吸収される。やがて血流にも入り、体中に溜まっていく。セシウムはその半分が体から排出されるまでに10日から100日を要するので、いちど吸収されてしまうときわめて危険だ。数か月で危険性をほぼすべて失うヨウ素131とは異なり、セシウムは環境中に数百年間、有害なものとして残る。

ではどれだけの放射性物質が放出されたのか? チェルノブイリと比較すると?
空気伝搬の場合には、風向き、汚染の分散が始まる前の高度、放出開始から終了までの時間など、変数が多数存在しているため、汚染の広がりは均一になりにくい。したがって、原発からの放射状のゾーンについて語られているが、放射性物質の降下は同心円を描くというよりも、むしろ煙流になる可能性が濃厚である。さらにいえば、ジェット気流が向かう先である米国の西海岸の方が、例えばより日本に近いカナダ北部に比べておそらく高いレベルの汚染(とはいってもこれだけの距離があるのでごく微量だが)に見舞われるだろう。汚染は北半球全域に広がるとみられる。たしかに、北半球のほぼすべての観測地点ですでに微量が検出されている。赤道には、汚染が南半球に到達するのを阻止する「エア・カーテン」ともいえるものがある。

原発の爆発が起きてからまもなく、20km圏内が避難指示区域に設定され、20-30km圏内の住民たちには屋内退避勧告が出された。IAEAと米国の原子力規制委員会は、これを不適切であると示唆し、80km圏内への避難指示区域の設定を助言した。

包括的核実験禁止条約(CTBT)放射線核種探知観測所のデータを使ったオーストリア中央気象・地球力学研究所の計算によれば、最初の3日間に放出されたヨウ素の活量はチェルノブイリの全放出量の30%にあたり、セシウムでは60%であった。チェルノブイリから放出された降下物の量は、現在までの福島の量をはるかに上回る。とはいえ地球上の人間や環境に対する危険のおおよそは、ヨウ素131とセシウム137によるものである。そして、それらが福島の降下物の主要な構成要素なのだ。

また福島には使用中及び使用済燃料1700トンがある。そのどれだけが損傷しているのか不明だ。一方チェルノブイリの場合、燃料はわずか180トンしかなかった。したがって人の健康に関していえば、チェルノブイリと福島の比較は有効である。

当初に比べれば低い度合いとはなっているが、以後も放出は続いている。だが、福島沖の海が広範に汚染されていることにも留意したい。原子炉の冷却に使われたあとの汚染された海水の流出は衰えるところを知らず、一日7000トンのペースで続いている。法的限度量の4300倍にあたる放射性ヨウ素の集中度が計測された。汚染された海水を意図的に海中に排水する方法も検討されている。海水汚染はしばらく近海の魚資源を危険にさらすだろう。津波をかろうじて免れた残存漁業も、これによって破壊されている。

フランスの放射性防御・核(原子力)安全研究所(IRSN)は、「原発から20km圏内の汚染濃度はチェルノブイリを超えるだろう」と予測している。また「福島周辺60kmにまで及ぶ高濃度汚染区域」ができ、チェルノブイリの同様の圏内と比べて汚染度は低いものの、「劇的な影響でなくとも、計測可能な影響」がみられるだろうとしている。その汚染区域外では250km先まで計測可能となるだろうが、人体への影響は測定レベルには至らない。

IAEAが勧告(そして日本当局が無視)した、さらに広い避難区域についてはその正当性が立証された。原発から43kmほども離れた地点のホットスポットの存在を示す観測結果がのちになって出たためである。そこでの活量のレベルはチェルノブイリの強制避難区域に匹敵するものだった。

電離放射線(IR)が人体にその有毒な影響を伝達するメカニズムは2つある。まず、生物組織中の原子に電離性放射物質のエネルギーが移ると、その原子は電気量が変化し、フリーラジカル(訳注:少なくとも対を成さない原子1つを持った原子または分子団)が形成される。それが次に細胞内の遺伝子(DNA)を損傷し、遺伝的な変異につながる。 そして、電離的放射性物質が細胞核の中を通過するので、その過程で直接的な遺伝子の破壊が起こる。するとこれによって細胞の通常のメカニズムが働かなくなり、ガンが起こりやすくなる。ガンは10-50年、またはもっと長いあいだ発症しないかもしれない(潜伏)が、白血病の場合たった5年ということもありうる。電離放射線は、世界保健機構の国際ガン研究所によって第一級の発がん物質に分類されている。その発がん性の確かさから最上位に入れられているのである。

電離放射線による人体への影響は2種類認められている。

まず、確定的影響である。確定的影響の重大度は、吸収された放射線量に直接的に比例する。これには、皮膚の損傷と、骨髄への影響による血液疾患も含まれる。例えば皮膚の放射線熱傷などは、放射線量が高ければ高いほど結果は悪い。これらには、個人差があるとはいえ、それ以下は発生しなくなるしきい値が存在する。このしきい値は、造血作用が損なわれ始める約100ミリシーベルト(mSv)である。約1000ミリシーベルトを超えた場合の確定的影響から来るのは、嘔吐、下痢、呼吸器・胃腸系統の粘膜の脱落、骨髄抑制と不妊などの急性放射性障害である。いったん線量が3000-5000mSvを超えてしまえば、数日ないしは数週間で死亡する可能性が高い。

つぎに確率的な影響である。確率的というのは、本来「見込み」ということだ。言い換えれば、線量が高ければ高いほど発生のチャンスは高いが、いったん発生すればその重大度は元の線量がどうあれ同等ということである。確率的影響の主なものはガンである。電離放射線の線量が低いほど、ガンにかかるチャンスは低くなる。しかし、ガンの種類と最終的な結果は、ガンの進行に関するリスク係数とは無関係である。それは現在、1000mSvごとに約8%(12に1)となっている。またガンによる死亡は5%(20に1)とされている。

米国国立科学アカデミーは、100mSv以下の低レベル電離放射線のもたらす影響について、報告書の中で次のように結論づけている。「・・・電離放射線への被曝と人間における固形がんの進展との間には、線量と反応という直線的な関係性がある。それ以下になるとガンが誘発されないという、しきい値は恐らく存在していない」。

職業的な許容線量の上限が250mSvまで引き上げられたため、現在福島の緊急労働者のあいだには確率的影響が出てくる可能性が高いだろう(それまでの総許容線量は5年間で100mSvだった。公衆の年間許容線量は1mSvだ)。2号炉の高濃度放射性汚染水に入った2人の緊急労働者の足に放射線熱傷が誘発される事例が起きているが、その一回の事故の線量は計180mSvだった。
職業的な被ばく線量を抑えるために、600人の労働者がローテーション体制で雇われている。改定版の許容線量を超えないために、今や海外からの人材の雇用も必要となった。これらの労働者の中に、被ばくによってガンを発症し、死亡する者が出る可能性はひじょうに高い。現在までに、急性放射性障害の例は報告されていない。

長期的にみた確率的影響についてみきわめるのはさらに難しいだろう。[日本は]もともとがんの発症率が比較的高い国だし、平均寿命も高いからだ。あの避難区域は不十分だが、原発からほど近い地域の住民のすみやかな避難が行われれば、かつ放射性物質降下の多い日の海からの風を避けるならば、これらの影響は最小限に抑えられるだろう。またヨウ素131の甲状腺への摂取を阻止するために、リスクが大きい子どもや若者に対してヨウ素を持続的に投与すれば甲状腺がんの進展は大きく抑えられることになるだろう。

ガンの誘発に関するリスクモデルを使うことは、これからの60年間のガンの発症を予測するために可能ではある。だがしかし、一般大衆のあいだにガンがどれだけ増えても、我々がその実数を知ることは決してないかもしれない。たとえ事故から数十年経ったのちであっても。それは、そこに統計的な限界と、多数の不安定要素があるからである。これは非常な低線量の場合にとりわけ当てはまる。唯一の例外は、甲状腺がんだ。甲状腺がんは悪性腫瘍としては珍しいので、統計的な検出も簡単だろう。

危機の解決にはどれほどの時間がかかるか?
すべては何をもって「危機の解決」とするのかによる。原発から大気、海水、土壌への[放射性物質]排出が続いている。それを止めるために日本政府は「数か月」という目標を立てた。これは願望であり、必ずしも実現可能性が高いわけではない。そのことに注意が必要だ。原子炉の全体を石棺化するなど、もっと大胆な手立てが必要だと考えられる。石棺化のコストは推定120億ドル以上だ。もちろん福島第一原発すべてがご破算にされるべきである。ダメージを受けていない5号機と6号機でさえ、汚染が重大だからだ。放射性物質で汚染された場所の清掃には莫大な費用と時間がかかるし、とても危険だ。もし原発をコントロール下におくことが可能だとしても、原子炉を廃炉にし、敷地を除染するのには30年以上かかる。費用は「120億ドル以上」だろう。
もちろん、それは日本の悩める納税者に対する賠償額の上限とは別だ。バンカメとメリルリンチは、福島の惨事による経済的損失に対する[東電の]賠償額は最高1300億ドルと見積もっている。廃炉の工程だけでも東電は破産する見込みが高い。そうなると反則的に日本の納税者に莫大な債務がのしかかる。

世界の原発ではすべて、事業者は主要な事故の際の賠償責任に上限がない限り、稼働の開始を拒否する。それと違って1961年の原子力損害賠償法では、被害補償額に上限が設けられていない(訳注:電気事業連合会のホームページには「2009年(平成21年)の原賠法の改正により、現在1サイトあたり最高1200億円となり、適用期間が10年間(2019年末まで)に延長されました」とある)。だがもし事業者が倒産すれば、債務は納税者へと移行する。この惨事が過ぎ去ったのちに日本の納税者たちは気がつくだろう。保護が必要なのは核(原子力)企業ではなく我々の方だ、と。


Fukushima Burning: Anatomy of a Nuclear Disaster  
May. 22, 2011

The May/June edition of Australian magazine Physician Life features a lengthy report on the Fukushima crisis by Melbourne-based nuclear radiologist Dr. Peter Karamoskos.

A Japanese translation is available here.
The issue is available in full online.

In the piece, Karamoskos poses and answers key questions for understanding what has taken place at Fukushima and what the likely public health effects will be.

What happens when a nuclear reactor overheats?

When nuclear cores overheat due to a lack of water coolant, they ultimately melt. Remaining water quickly turns to steam preventing replenishment of the water and endangering the integrity of the pressure vessel. Furthermore, the reactor pressure vessel may also melt leaking the melted fuel which may escape into the environment if the primary and secondary containment structures (concrete) have been damaged. Spent fuel is kept at around 25 degrees in cooling ponds for a few decades. The water must be continually replenished to maintain this temperature. If there is a loss of water or a failure of replenishment, the spent fuel will overheat and catch fire, releasing its radiotoxic contents. Note that the longer fuel is irradiated in the reactor core, the more radioactive it becomes due to the build-up of fission by-products which also contaminate the fuel limiting its usable life. Only about 1-2% of the uranium in fuel rods is actually used up in a reactor. It is these fission by-products that pose the greatest immediate danger if released into the environment.

Radioactive fallout and its health effects

Radioactive fallout from a nuclear reactor can be considered in two groups: isotopes of the noble gases (xenon, krypton-133) are radioactive elements with a very low chemical reactivity, relatively short half-lives, are not retained by the body and they remain and become dispersed in the air without ground deposition. Hence they have limited adverse health potential. The second and more dangerous radioactive fallout group is represented by mainly the radioactive isotopes of iodine, cesium, and tellurium. These elements form fine suspended particles in the air (aerosols), which due to their weight will gradually end up falling on the ground when released into the air, contaminating all vegetation, clothing and any other surfaces including water sources. Those that pose the greatest health threat are Cesium-137 (half-life 30 years) and Iodine-131 (half- life 8 days). Iodine-131 is a beta emitter and is absorbed into the blood stream through inhalation and ingestion and concentrated by the thyroid gland where it is highly carcinogenic, predominantly in young people under 18 years of age. Cesium is a gamma and beta emitter. It is also absorbed by the body through the respiratory and gastrointestinal tracts and subsequently into the bloodstream and deposited throughout the body. Cesium takes between 10 days and 100 days for half of it to be excreted from the body so there is significant hazard once it is absorbed. Unlike I-131 therefore which loses most of its potential for harm in a few months, cesium remains hazardous in the environment for several hundred years.

So how much radioactivity was emitted and how does it compare to Chernobyl?

The spread of airborne contamination is unlikely to be evenly distributed due to many variables including the prevailing winds, the altitude the contamination reaches before dispersion and the time period of release. Thus, although we speak of radial zones from the plant, the shape of the fallout most likely will represent a plume rather than a concentric disc. Furthermore, the prevailing jet stream is towards the United States west coast which is likely to have higher levels of contamination (but still very minimal at that distance) than, say, northern Canada which is closer to Japan. Contamination is likely to spread throughout the northern hemisphere and indeed trace amounts have already been detected from nearly all monitoring sites in that hemisphere. There is effectively an ‘air curtain’ at the Equator that prevents contamination from reaching the southern hemisphere. Shortly after the nuclear plant explosions, a 20km exclusion zone was established and residents between 20 and 30km were advised to remain indoors. The IAEA and US NRC suggested this was inadequate and advised an 80km exclusion zone. Utilizing CTBT monitoring data, the Austrian Central Institute for Meteorology and Geodynamics calculated that in the first three days, the activity of I-131 emitted was 30% and Cesium-137 20-60% of the entire Chernobyl emissions of these isotopes. Although Chernobyl emitted vastly more fallout than Fukushima has to date, it was the I-131 and Ce-137 that accounted for most of the terrestrial human and environmental hazard, and these are the main Fukushima fallout components. Also, the Fukushima plant has around 1700 tonnes of fresh and used nuclear fuel on site with an unknown amount having been damaged, whereas the Chernobyl reactor had only 180 tonnes. As far as human health is concerned comparisons therefore between Chernobyl and Fukushima disasters are valid.

Emissions have continued since then, albeit at a lesser rate than initially was the case. Note, however, that there has also been extensive contamination of the sea off the coast of Fukushima as contaminated seawater runoff from the plant used to cool it continues unabated at a rate of 7,000 tonnes per day. Concentrations of radioactive iodine were measured at over 4,300 times the legal limit. Measures to intentionally dump the contaminated seawater build-up into the sea are being considered. Contamination of the seawater will compromise the fish stocks along the local coast for some time and has destroyed any remnants of the fishing industry that were not wiped out by the tsunami.

France’s Institute for Radiological Protection and Nuclear Safety (IRSN) has estimated that within 20km of the plant the levels of contamination will exceed that of Chernobyl, and there will be “a strongly contaminated zone, extending to 60km around Fukushima in which there will be “measurable impacts but not dramatic impacts” although the contamination will be less than the comparable area around Chernobyl. Beyond this zone contamination will be measurable as far as 250km but with health impacts not able to be measured.

The more extensive evacuation zone advised by the IAEA (but ignored by the Japanese authorities) was vindicated, as later monitoring showed hot spots of contamination as far as 43km from the plant with levels of activity comparable to those areas which were mandatory evacuation zones at Chernobyl. lonising radiation (IR) imparts its deleterious health effects through two mechanisms: transference of its energy to atoms in biological tissue which then becomes electrically charged leading to the formation of free radicals which then damage the cell’s genetic blueprint (DNA) leading to genetic mutations; and direct DNA disruption along the track as ionising radiation traverses through the cell’s nucleus. This then predisposes to the initiation of cancer when the regulatory mechanisms of the cell fail. Cancer may not appear for 10- 50 (or more) years (latency), although can be as short as 5 years for leukemia. lonising radiation is classified as a Class 1 carcinogen by the International Agency for Research in Cancer of the World Health Organisation, the highest classification consistent with certainty of its carcinogenicity.

Two types of IR health effects are recognized. The severity of deterministic effects is directly proportional to the absorbed radiation dose. These include skin damage and blood disorders due to bone marrow effects. The higher the dose, the worse, for example is the skin radiation burn. These have a threshold below which they do not occur, although this may vary between individuals. This threshold is around 100) millisieverts (mSv) at which point blood production begins to be impaired. Deterministic effects which exceed around 1000mSv induce acute radiation sickness with vomiting, diarrhea, and shedding of mucosal linings of the gastrointestinal and respiratory tracts, bone marrow suppression and sterility. Once the dose exceeds more than 3000-5000 mSv, death is likely in a matter of days to weeks. Stochastic effects are ‘probabilistic’ in nature. In other words, the higher the dose the greater the chance of them occurring, however, once they occur their severity is the same irrespective of the original dose. The main stochastic effect is cancer. The lower the dose of IR, the lower the chance of contracting cancer, however the type and eventual outcome of the cancer is independent of current risk coefficients for the development of cancer are approximately 8% per 1000 mSv (ie. 1 in 12 chance) and 5% for cancer fatality (1:20). The US National Academy of Sciences reviewed the effects of low level ionising radiation (defined as less than 100 mSv) in their seminal report and concluded that: “… there is a linear dose-response relationship between exposure to ionizing radiation and the development of solid cancers in humans. It is unlikely that there is a threshold below which cancers are not induced.” Emergency workers at the plant are likely to  developed deterministic effects as their upper allowable occupational doses have been increased to 250 mSv (from the 100mSv total dose over five years allowable. and the lmSv per annum allowable dose to the public). One incident induced radiation burns to two emergency workers’ legs from stepping in highly radioactive water in reactor 2, with a calculated total dose of 180 mSv from this one incident. In order to limit occupational doses workers have been recruited from a 600 person pool of workers on a rotating basis, and recruitment from overseas has now become necessary to avoid exceeding the revised occupational dose limits. It is highly likely that some of these workers will die of their exposures from the induction of cancer. No cases of acute radiation sickness have been reported to date.

The longer term stochastic effects will be much harder to define given the relatively high background incidence of cancer and the long latency period for its appearance. The prompt evacuation of people from the immediate surrounding environment, notwithstanding the insufficient exclusion zone, and offshore wind on the days of maximum fallout, will have minimized these effects. Furthermore, the administration of stable iodine to block thyroid uptake of I-131 in sufficiently exposed young people will also have significantly decreased the development of thyroid cancer. Even though risk models of cancer induction can be used to predict the likely cancers over the next six decades, it is possible that we will never know the true number of actual excess cancers in the general population due to inherent statistical limitations and large uncertainties, even several decades after the event. This is particularly so at very low doses. The only exception to this will be excess thyroid cancers as this is a rare malignancy and hence is easily statistically detected.

How long will it take to resolve the crisis?

It all depends on what we mean by “resolve the crisis.” The Japanese government has set a target of “several months” to stop the continuing atmospheric, sea and ground emissions from the plant. Note that this is a desired outcome, not necessarily the likely outcome. It is conceivable that more drastic measures need to be adopted including burying the entire plant under a concrete sarcophagus which alone is estimated will cost upwards of $12bn. Of course, the entire plant will need to be written off as even reactors 5 & 6 which were not damaged are too heavily contaminated. Cleaning up radioactive sites is massively costly, time consuming and dangerous. If the plant is able to be brought under control, it will take more than 30 years to decommission the reactors and decontaminate the site and will cost “more than 12 billion dollars.” Of course, that is not the upper limit of liability for the beleaguered Japanese taxpayer Bank of America-Merrill Lynch has estimated an upper bound of $130bn for the Fukushima disaster alone in liabilities and economic losses. The decommissioning effort alone will likely bankrupt the operator TEPCO resulting in a knock-on massive liability for Japanese taxpayers. Unlike the case with all nuclear power generated around the world, where operators refuse to generate electricity unless most of their liabilities are capped in the event of a major accident, the 1961 Act on Compensation for Nuclear Damage places no cap on damages. However, if the company is bankrupted, this liability transfers to the taxpayers. After this disaster, the Japanese tax-payers will realise that it is they, not the nuclear power companies, who need protection.

Sunday, May 29, 2011

20 mSV for Children: "Scientific Basis Not Clear" by the Japan Medical Association 日本医師会「子ども20mSV」問題声明英訳

「子ども20mSV」問題について、日本医師会が5月12日に出した声明の英訳を紹介します。日本語の原文と、報道を下方に掲載します。5月11日の関連投稿もご覧ください。

The Japan Medical Association's statement, issued on May 12, was a significant addition to the mounting criticism against the Japanese government's April 19 decision to raise the annual radiation dose limit from 1 mSV (millisievert) to 20 mSV. An English version is available now, thanks to Hideko Wada, one of the leaders of MSCR, Moms to Save Children from Radiation. Some criticized that this statement from the Japanese doctors' association came too late, but many thought better late than never. The statement does not specifically ask the government to rescind their new limit, but it clearly expresses its concern for children's susceptibility to radiation, and the lack of scientific ground on the 20 mSV decision.

Please also see the list of related articles available in English and other langugages on this issue.


May 12, 2011

The opinion of the Japan Medical Association on the “Notification of interim policy regarding decisions on the use of school buildings and outdoor areas within Fukushima Prefecture” issued by MEXT
The Japan Medical Association

On April 19, the National Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology (MEXT) issued a notification concerning radioactive exposure limits for children using school grounds to the governor of Fukushima and the Fukushima Prefectural Board of Education.

This notification set the children’s interim radiation exposure limit to 20 mSv per year. Thus assuming a life pattern of 16 hours inside the (wooden) building and 8 hours in the yard, they calculate that the outdoor and indoor radiation dose rate at 3.8 μSv/h and 1.52 μSv/h respectively. They conclude that schools below this level will not exceed 20 mSv per year.

But the statement issued by the International Commission on Radiation Protection (ICRP) dated March 21, on which the designated radiation rate is based, only states, ” after the termination of this emergency, it is possible to choose as a reference levels for ordinary people in the band of 1 to 20 mSv per year.”

The scientific basis for choosing the maximum amount of 20 mSv in the band of 1 to 20 mSv is not clear. The government’s action should be more carefully deliberated considering the fact that growing children are more sensitive to radiation exposure compared to adults. We as a nation should make the utmost effort to reduce the exposure to radiation of children, as well as adults. We are responsible for the children’s health and life.

Although the government has released a notification to the schools and related facilities requesting that they should start examining measures for environmental amelioration, such as removing the surface soil of the grounds of kindergartens, nursery schools, schools and parks, they should take more active responsibility for the initiative.

We urgently request that the Japanese National government strive to reduce children’s radiation exposure in the fastest and most effective way possible.

*****

Below is the original Japanese version. 日本語版です




産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110512/bdy11051221520000-n1.htm 

20ミリシーベルトの基準引き下げを 学校屋外活動で日医

2011.5.12 21:50
 学校での屋外活動を制限する放射線量を年20ミリシーベルトとする文部科学省の基準について、日本医師会は12日「子どもに対し、国の対応はより慎重であるべきだ」として引き下げを求める見解を発表した。

 日医は、基準の根拠が「年1~20ミリシーベルト」とした国際放射線防護委員会(ICRP)の声明だとした上で「最大値の20ミリシーベルトにした科学的根拠が不明確だ」と批判。放射線の影響を受けやすい子どもの被ばく量はできるだけ減らすべきだとした。

Saturday, May 28, 2011

Information sources in languages other than Japanese on the issue of Fukushima's children and allowable radiation dosage 「子ども20mSV問題」外国語情報

(June 3: We added an English translation of the French petition at the bottom, following the original French text. Thanks to Vanessa Warheit, Director of documentary film "Insular Empire: America in the Mariana Islands," for translation. The French petition has collected over 26,000 signatures, as of June 3. If you would like to join the petition campaign in Japan in English, you can sign HERE.)

From Kyodo News - "Parents from Fukushima Prefecture protest the Japanese government's safety standards on radiation levels at elementary and middle schools in the nuclear disaster-stricken prefecture as they visited the education ministry in Tokyo on May 23, 2011. On the right is an official of the ministry. The parents demanded the government retract its stance that it is safe for schoolchildren to use school playgrounds as long as the dose they are exposed to does not exceed 20 millisieverts over a year following the nuclear crisis at the Fukushima Daiichi nuclear power station. (Kyodo)"

On April 19, the Japanese government raised the allowable annual radiation exposure limit from 1 mSV (millisievert) to 20 mSV. The decision has been heavily criticized by experts inside and outside Japan, as it is applied to children who are more susceptible to radiation, and this limit does not take internal radiation dosage into consideration. 20 mSV is the yearly average of what is allowed for Japanese nuclear plant workers under normal circumstances. On this website, we have so far primarily written and provided information in English on this "20 mSV" issue and on the Fukushima nuclear crisis in general. In this post we attempt to compile a list of articles, video news, press releases available in English and other languages. Please inform info@peacephilosophy.com, or Twitter @PeacePhilosohpy if you know of other good sources.

「子ども20mSV問題」についての日本語以外の言語(主に英語)での報道、資料、声明、署名運動等をここにまとめております。海外に広めるのに使ってください。下方に、フランスの日本大使に宛てた要請文への署名の原文と、英語訳を記載しております。6月3日現在、フランスの運動は2万6千の署名を集めています。

Addition on July 8

Global Research
Radiation: The Future Children of Fukushima

http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=24611

Addition on June 9

The Japan Times
Widen evacuation zone for children, pregnant women: Greenpeace chief
http://search.japantimes.co.jp/mail/nn20110610a6.html

AFP
Greenpeace urges Japan to evacuate town's children
http://news.yahoo.com/s/afp/20110609/sc_afp/japandisasteraccidentnucleargreenpeace

[Media]

Press TV
Japanese govt. under fire for schoolyard radiation
http://www.presstv.ir/detail/177926.html
Japan confirms meltdown at 3 reactors
http://www.presstv.ir/detail/181545.html

New York Times
Angry Parents in Japan Confront Government Over Radiation Levels
http://www.nytimes.com/2011/05/26/world/asia/26japan.html?_r=1&emc=tnt&tntemail0=y
Japan Tries to Ease Fury of Parents Near Plant
http://www.nytimes.com/2011/05/28/world/asia/28japan.html

Common Dreams (From the Japan Times)
School Radiation Cleanup Slammed in Fukushima-Parents flunk ministry over soil-removal policy shift
http://www.commondreams.org/headline/2011/06/03-1

AFP
Japanese protest revised school radiation limit
http://news.ph.msn.com/regional/article.aspx?cp-documentid=4863806

The Australian (AAP - the same content as above)
Japanese ire over radiation limit for kids
http://www.theaustralian.com.au/news/breaking-news/japanese-ire-over-radiation-limit-for-kids/story-fn3dxity-1226061484710

The Guardian
Fukushima parents dish the dirt in protest over radiation levels
http://www.guardian.co.uk/world/2011/may/02/parents-revolt-radiation-levels

The Asia-Pacific Journal: Japan Focus (most comprehensive and in-depth
reports on the issue)
Protests: The 20 Millisievert Decision and the Future of Atomic Energy in Japan
http://www.japanfocus.org/events/view/86
20 Millisieverts for Children and Kosako Toshiso’s Resignation
http://www.japanfocus.org/events/view/83
Save the Children: Radiation Exposure of Fukushima Students
http://www.japanfocus.org/events/view/81

Spanish National TV "TV1"
Nuevos datos confirman la gravedad de la crisis nuclear de Fukushima
http://www.rtve.es/alacarta/videos/terremoto-en-japon/nuevos-datos-confirman-gravedad-crisis-nuclear-fukushima/1110350/

Der Spiegel
Japan legt hohe Strahlengrenzwerte für Kinder fest

http://www.spiegel.de/wissenschaft/mensch/0,1518,758410,00.html

[International Criticism]

Tillman Ruff's Opinion Article in Kyodo News Agency
OPINION: Children of Fukushima need our protection
http://english.kyodonews.jp/news/2011/04/87835.html

A bilingual version on Peace Philosophy Centre
http://peacephilosophy.blogspot.com/2011/04/tilman-ruff-children-of-fukushima-need.html

IPPNW's letter to Education Minister Takaki (bilingual) on Peace Philosophy Centre
 IPPNW to Japanese Government: Raising Allowable Radiation Dose for Fukushima Children "Unacceptable."
http://peacephilosophy.blogspot.com/2011/05/ippnw-ippnw-to-japanese-government.html

PSR (Physicians for Social Responsibility)
PSR Press Conference on Chernobyl Anniversary
http://www.psr.org/news-events/news-archive/video-psr-press-conference-chernobyl.html
(with Japanese translation)
Physicians for Social Responsibility Calls 20 mSV for Children "Unconscionable."
http://peacephilosophy.blogspot.com/2011/05/blog-post_06.html

The Japan Medical Association
http://peacephilosophy.blogspot.com/2011/05/20-msv-for-children-scientific-basis.html

[Fukushima Parents' Voices]
Testimony of a Fukushima Mother
http://counterpunch.org/sato05312011.html

[NGOs]

Green Action (One of the four NGOs leading the movement to get the
government to rescind the 20 mSV decision.)
Fukushima Update
http://fukushima.greenaction-japan.org/

MSCR (Moms to Save Children from Radiation)
http://mscr2011.jugem.jp/?eid=4

French petition campaign (text of the petition and an English translation below.)
Un blog du Réseau "Sortir du nucléaire"
Pétition urgente :
Refusons l’exposition des enfants japonais à des doses élevées de radioactivité
http://groupes.sortirdunucleaire.org/spip.php?page=petition-japon

Pétition urgente :
Refusons l’exposition des enfants japonais à des doses élevées de radioactivité

À l’attention de M. Yasuo SAITO, Ambassadeur du Japon en France
Votre Excellence,

En France comme en Allemagne, 20 mSv/an est le seuil maximal d'irradiation recommandé pour "les personnes affectées à des travaux sous rayonnements ionisants", c'est-à-dire pour les travailleurs du nucléaire. Au Japon, la loi sur les normes du travail interdit aux personnes de moins de 18 ans de travailler dans ces conditions. De plus, les nourrissons et les enfants sont plus vulnérables que les adultes aux effets sanitaires néfastes de la radioactivité.

Or, le 19 avril 2011, le gouvernement japonais a décidé de relever de 1 mSv/an à 20 mSv/an la norme de radioprotection pour les écoles de la préfecture de Fukushima. Permettre que des enfants soient exposés à de telles doses de rayonnements est révoltant et inhumain.

Nous condamnons fermement cette décision intolérable. C’est pourquoi, M. Saito, nous demandons instamment l'annulation immédiate de cette décision du gouvernement nippon autorisant l’exposition des enfants japonais à des doses de radioactivité pouvant atteindre 20 mSv/an.

Actuellement, 75 % des écoles élémentaires et intermédiaires de la préfecture de Fukushima présentent des niveaux de contamination tels qu'elles relèvent de « zones de contrôle des rayonnements » (0,6 microSv/h ou plus). Pire encore, 20 % des écoles relèvent de « zones individuelles contrôlées sur l'exposition » (2,3 microSv/h ou plus) et présentent une situation radiologique extrêmement dangereuse.

Aucune dose de radioactivité n'est inoffensive. La très officielle Commission Internationale de Protection Radiologique (CIPR) admet elle-même que « toute dose de rayonnement comporte un risque cancérigène et génétique ». Les normes d'exposition ne correspondent en aucun cas à des seuils d'innocuité scientifiquement fondés ; elles définissent seulement des niveaux de « risque admissible ». Admissible par qui ? Par ceux qui décrètent les normes, ou par ceux qui les subissent en pratique?

M. Saito, à ce jour, les nombreuses associations japonaises * qui se sont élevées contre cette décision n'ont eu aucune réponse tangible à leurs questions : pourquoi, comment et par qui cette décision a-t-elle été prise?

Ces questions sont aussi posées par M. Toshisô Kosako, qui a démissionné le 29 avril de son poste de conseiller spécial du Premier Ministre japonais en matière de protection contre la radioactivité. Lors d'une conférence de presse, le professeur Kosako, en larmes, a déclaré qu' "il est tout à fait inacceptable d'appliquer une telle limite de dose à des enfants en bas âge, et à des élèves de classe primaires, et il est urgent de revenir sur cette décision".

Votre Excellence, nous demandons instamment que le gouvernement japonais annule immédiatement la décision autorisant l'exposition des enfants à des doses d'irradiation pouvant atteindre 20 mSv/an, et prenne au contraire toutes les dispositions nécessaires pour les préserver de l'exposition à la radioactivité.

Nous demandons également que le gouvernement japonais rende public sans délai le nom des experts qui ont avalisé cette décision inhumaine.

Votre Excellence, nous espérons que vous mettrez tout en œuvre pour que votre gouvernement fasse droit aux demandes légitimes des associations japonaises * - des demandes qui sont aussi les nôtres. Nous vous prions de croire, M. Saito, à notre haute considération, ainsi qu'à notre vigilance quant aux mesures prises par le gouvernement japonais pour protéger ses citoyens.

Nous adressons nos pensées solidaires et notre soutien au peuple japonais dans les terribles épreuves qu’il affronte aujourd’hui.

* Pétition lancée par les associations Green Action, Greenpeace Japan, Citizens' Nuclear Information Center, Citizens Against Fukushima Aging Nuclear Power Plants (Fukuro-no-Kai), Osaka Citizens Against the Mihama, Oi, and Takahama Nuclear Power Plants (Mihama-no-Kai), Friends of the Earth Japan. Voir : http://fukushima.greenaction-japan.com/ et http://blog.canpan.info/foejapan/daily/201104/24. Voir aussi l'appel au secours lancé par le collectif japonais des Mères réunies pour Sauver les Enfants des Radiations : http://mscr2011.jugem.jp/?eid=4.

Urgent Petition:
Stop The Exposure of Japanese Children to Elevated Doses of Radioactivity

To the attention of Mr. Yasuo Saito, Japanese Ambassador to France

Your Excellency,

In France, as in Germany, 20mSv/year is the maximum radiation dose recommended for “persons affected by ionizing rays in the workplace” - i.e. for nuclear workers. In Japan, labor law prohibits people under the age of 18 from working under these conditions. Additionally, infants and children are more vulnerable than adults to the adverse effects of radioactivity.

However, on April 19, 2011, the Japanese government decided to raise the norm for radioactive exposure from 1mSv/year to 20mSv/year for the schools in Fukushima prefecture. Allowing children to be exposed to such high doses of radioactivity is revolting and inhuman.

We strongly condemn this intolerable decision. This is why, Mr. Saito, we demand an immediate reversal of the Japanese government's decision to authorize exposing Japan's children to doses as high as 20mSv/year.

At the moment, 75% of elementary and middle schools in Fukushima prefecture have been contaminated to a degree that they are "radioactive monitoring zones" (0.6 μSv/h or more). Still worse, 20% of the schools are "individual radiation exposure zones" (2.3 μSv/h or more) and are thus in a dangerously radioactive state.

There is no such thing as a safe dose of radioactivity. The official International Commission on Radiation Protection itself admits that "any dose of radioactivity carries a carcinogenic and genetic risk". "Safe exposure" norms never correspond to maximum levels based on scientifically-proven safe levels; they simply define levels that are within “acceptable risk.” Acceptable to whom? To those who decide the norms, or to those whose health is subjected to them?

Mr. Saito, today the many Japanese organizations * that are rising up against this decision have received no tangible response to their questions: why, how, and by whom was this decision made?

These questions are also being asked by Mr. Toshiso Kosako, who on April 29th resigned his position as special counselor to Japan's Prime Minister over the matter of protecting the public against radiation. At a press conference, Professor Kosako, in tears, declared that "it is completely unacceptable to apply such a limit to young children, and to elementary school students - it is urgent that we reverse this decision."

Your Excellency, we insist that the Japanese government immediately reverse its decision to authorize exposing children to doses of radioactivity as high as 20mSv/year, and instead take every measure to ensure the children are protected from radioactive exposure.

We also ask the Japanese government to immediately make public the names of the experts who supported this inhuman decision.

Your Excellency, we hope that you will do all in your power to ensure that your government complies with the Japanese organizations'* - and our - legitimate requests. We make this request, Mr. Saito, with great respect, and with continued vigilance over measures taken by the Japanese government to protect its citizens.

We stand together with the people of Japan, and offer them our continued support during these terrible times.

* Petition initiated by Green Action, Greenpeace Japan, Citizens' Nuclear Information Center, Citizens Against Fukushima Aging Nuclear Power Plants (Fukuro-no-Kai), Osaka Citizens Against the Mihama, Oi, and Takahama Nuclear Power Plants (Mihama-no-Kai), Friends of the Earth Japan. See: : http://fukushima.greenaction-japan.com/ and http://blog.canpan.info/foejapan/daily/201104/24. See also the call for help issued by the Japanese collective Mothers United for Saving Children from Radiation: http://mscr2011.jugem.jp/?eid=4.

Friday, May 27, 2011

「子ども20mSV」撤回へ、5月23日文科省前行動: 内外で注目度急上昇 Fukushima Parents Confront the Government Over Allowable Radiation Dosage

International media attention is rising over the contentious issue that the Japanese government has increased the allowable radiation dosage by twenty times, from one millisievert per year to twenty, including children. On May 23, seventy parents and children from Fukushima and hundreds of supporters gathered in front of the Ministry of Education in Tokyo. Please see below for the list of English-language reports, including one by New York Times, and the video report by Press TV, and one by the Spanish national broadcaster.

5月23日、「20mSV」撤回を求めた福島の親子たち、支援者たち数百名(500人から1000人ぐらいの幅で報告されています)が文科省との交渉に臨みました。交渉には、福島みずほ、川内博史、森ゆうこ、川田龍平各議員が立ちあいました。FoE Japan の報告によると、 
昨日5月23日の午後、文科省の東館前は異様な熱気に包まれました。座り込む70名の父母たちとそれを支援する市民団体、かけつけてくれた国会議員たち、そして、あくまで20ミリシーベルトの撤回を求める父母たちに対して、のらりくらりと言を左右にする渡辺格・文部科学省科学技術・学術政策局次長。福島からの参加者の悲痛な言葉は、本当に胸が痛むものでした...

一方で、前進もありました。渡辺次長は、交渉の中で、下記の発言をしています。
・文科省は年間20ミリシーベルトを安全基準としていない
・文科省は1ミリシーベルトをめざし、可能な限り下げていく方針である
報告全文と今後の行動については FoE Japan ページをご覧ください。

今回は5月2日の行動と比べてメディアの取り上げ方も大きいものでした。運動が加速し、内外に問題意識が共有されているのを実感します。下に、フジテレビ特集、海外メディア報道、Our Planet TV による詳細報道と、伊藤夏子さんによる報告を紹介します。伊藤夏子さんが詳細に記録し、報告している福島からの生の声(下記)は、報道だけでは決してわからないものなので、ぜひ読んでください。

フジTV特集 
フジTVは、5月10日に続き、5月26日「とくダネ」で20mSV問題の続編を放映しました。伊藤隼也さんの、ジャーナリストとして、一人の親としての渾身のレポートに共鳴し、フジTVがそれを取りあげ続けていることを驚きと共に評価しています。


英語報道
ニュースでは、ニューヨークタイムズが初めてこの問題に特化して記事を書きました。

New York Times
Angry Parents in Japan Confront Government Over Radiation Levels
by Hiroko Tabuchi

Irish Times
Fukushima plant suffered triple meltdown
by David McNeil

AFP
Japanese protest revised school radiation limit

Kyodo
Fukushima Parents Protest

スペイン
5月24日、スペイン国営放送で福島原発問題の報道の中でこの子ども20ミリシーベルト撤回要請行動を伝えています。これは1分25秒のニュースですが、59秒あたりから見てください。「街頭で民衆による反原発の動きが拡大しているが、最新のものは文部科学省の前である。これは子供たちへの許容被爆量を少し引き上げたからである。このデモ参加者は、この核危機をきっかけにして再生可能エネルギー利用の拡大を訴えている。福島の大部分の学校では、放射能の汚染のために、子供たちの野外活動が制限されている。」(情報提供と翻訳:童子丸開さん)


イラン
イラン英語放送局、プレスTVは英語メディアとしては最もこの問題を丁寧に追っています。5月2日行動の報道はここにあります



Our Planet TV のレポート(日本語) 17分。行動の雰囲気が手にとるようにわかる、福島の親の訴えが心に迫る、報告です。福島、川内議員らのがんばりも見られます。山本太郎さんも。詳しい情報はここへ。


伊藤夏子さんによる報告

5月23日13時~の文部科学省への要請は、福島から子を持つ母親を中心に70名近くが見えたにもかかわらず、政務三役(大臣、副大臣、政務官)は面会を拒否し、雨がぱらつく中、建物内にすら入れないという対応でした。座り込んだ福島の人たちの周囲には、テレビや新聞の写真に写っている人の少なくとも3倍以上が立って耳を傾けていました。後ろではマイクを通じた音は殆ど聞きとれずやり取りの様子も見えませんでしたが帰る人は殆どいませんでした。福島以外の参加者は原発の問題に取り組んでいる方が多いようでした。「民族を滅ぼすな」といった横断幕もありました。人数は多くないものの、若い女性や子連れの母親の姿が印象的でした。後で聞きましたら、この時、文部科学省の建物全体を人間の鎖で取り囲んでいたとのことでした。

要請の内容はフクロウの会HPに紹介されています

文科省玄関前の交渉の後、参加者の多くは太鼓を叩く僧侶たちに続いてぞろぞろと列をなし、約10分歩いて議員会館に移動しました。議員会館の集会室(第1会場)は定員が350人だったため、福島県民とマスコミ優先でした。私は、入りきれなかった人たちとともに急遽準備された別室に入りました。この第2会場には福島県以外の約120人が詰め、ドイツのテレビ局ともう一人、カメラを回している方がいましたが、映像は公開されていないようです。第2会場では、玄関前交渉の報告に続き、福島の方たちから現状報告があり、最後に質疑応答が行われました。どの方のお話しも東京では知り得ない内容でした。

5月23日(月)文部科学省前要請行動

文科省前の交渉後、議員会館に移動。350名の集会室に入りきれず、第二会場となった別室には福島県以外からの参加者、約120が集まった。

00:00~ 本日の申し入れ、交渉の報告

06:23~ これまでの経過報告、本日の交渉の感想 (佐藤さん)

10:20~19:58 

福島の現状について(佐藤さん)
福島の線量について。高いところがまず報道されたので、今の福島市や郡山市は低いとの錯覚を地元の人さえしている。現在、中通り(福島や郡山など)は2マイクロシーベルト/時。自分の仕事場は飯舘に近い福島市のはずれだが、高いときで毎時2マイクロ、低いときで1.5マイクロを行ったり来たり。飯舘が10いくつと発表されているので、これを高いと感じなくなってしまった。比較して、低いという印象を受けてしまう。が、3.11以前の数値は0.05マイクロシーベルト/時以下。これと比較すればとんでもないと分るが、高いところと比較し、安全だと。地元に住んでいると安全だと思いたい。

4月21日に初めてここ(院内集会)に来たとき、福島にまだ子供いるのかと聞かれた。「いますよ、当然」と言ったら、「なんで逃げないんですか!」といきなり怒られた。県外からみればそんなところに子供を置くのは母親失格だと言わんばかりの勢い。だが、母親たちには色んな事情ある。本当に住んじゃいけないと分っていても子供を動かせない母親が大勢いる。彼女たちは家庭の中で孤立。夫も両親も理解してくれず、子供を思いやって悩み、一人で毎日涙している母親も沢山いる。ここで生きるしかないと覚悟決めた人は、よそから色々言われたくない。そっとしておいて欲しい。が、実際は高い線量なのは事実なので伝えないといけない。高い目線で言ってしまうと拒否反応を起こしてしまう。地元の母親同士でも対立関係が生まれてきている。

学校は本当に何もしてくれない。ガイガーカウンターを借りて、3月29日から測定を始めた。自分の子が通う学校の線量を測定に行った。ホットスポットを見つけ出し、危険なところを何とかしようと測りに行った。水の流れてくるところが高いと予測を立てた。いきなり、学校給食を運び込む所のU字溝の脇が67マイクロシーベルトあった。娘が通っていた小学校の給食搬入口。驚いて校庭をあちこち測定したらどこも10マイクロ以上。地表1センチあたりで。このとき、空間線量は2.5マイクロ位。翌日、代表の中手さんが子供の学校で測定したら107マイクロシーベルト。驚いて県の教育委員会に報告し、測定してくれと要請したら、県にはガイガーカウンターが一台もなかった。

県は急遽、20台揃え、3日間で約1400校を測定。数値を聞き、測定方法が想像できた。案の定、校庭の一番低いところを測定。が、それですら、放射線管理区域の0.6マイクロシーベルト以上の学校が県内の4分の3。県北は99.9%。2.3以上が約55%。県北は直ちに避難しないといけないくらいの線量だが、国は何も対策をしてくれない。いくら言っても、「モニタリングをしている」の一点張り。モニタリングを始めてすでに20日経っているが、未だにモニタリング。グラウンドの土の天地替え実験を行ったが、深さ50センチでひっくり返す予定だったができず、15センチだけだった。保護者に報告なく、新聞見て知った。そのようなことをしている。

「天地返し」は嘘。校庭は水はけ良くするため、パイプを埋めているので不可能。ひっくり返すと、水が入るパイプにどんどん入っていくので、させないと県議会議員も言った。国、県、市町村の意見はバラバラ。最終決断は校長という状態。生活の場については母親の判断で決めてくれと県アドバイザーの山下さん(長崎大学山下俊一氏)は講演会で言う。このように責任のなすりあいをしているところで子供を安心して学校に通わせられないと思い、中2の娘は3月12日から山形に避難させている。今日一緒に来ているが、疲れ果てている。精神的に。教師もどうしていいか分らず疲れ果てている。

自分で考えられない子供について判断するのは母親。自分で考えられない市民について判断するのは責任ある国だと思っている。国さえ、今ここに子供がいてはいけないので一時避難してくれ、費用はすべて持つと言ってくれたら、避難できる母親が大勢いる。それを強く訴えたいと思う。避難できない母親を責めないで欲しい。苦しんでいる。

また、山下さんが丁寧に安全だから安心して下さいと言ってくれたおかげで、ちっとも危険じゃないと思い込んでいる人が恐らく、99.5%ぐらいか、わからないけど、そういう状況。危険だと言う人は「何を騒いでいるの、何ヒステリックになってるの」と言われているのが現状。

19:59~25:29 
福島市野田4歳の娘の父親
妻子は避難させたが、ママ友や娘の友達の子供は大勢残っている。避難したくてもできない。避難をめぐって夫婦が喧嘩になり別居寸前だったり、高齢者の受け止め方も違い、家庭内で温度差がある。福島産の野菜が売られ、安全だと思われるようになると、避難プログラムを組んでも応じてもらえなくなるかもしれない。

お願いしたいのは、皆さんが住んでいる地域で赤十字の助成金などに応募して、福島の子供たちを「保養」で呼んでほしい。週末だけでもまず参加してもらうと、そこから一時避難や疎開も可能だと感触を持てるかもしれない。まず、保養という柔らかいプログラムがいい。夏休みもいい。ハワイのマウイ島から、航空運賃もすべて出すので来てくれ、とのプログラムあり。申し込んだ。娘のこともあるが、一緒に行くと言うと、参加するママ友さんがいるから。そのようにして、意識のある人がまず動いて誘い出すのがいいと思う。

本日の感想
国は何もしていない。モニタリングは4か所測定し、平均を出している。ホットスポットが沢山あるのに入れていない。自分の会社の横の雨どいの下で366マイクロとか。写真を撮り、記録をとっている。線量が減らない。空間線量も1.7位で減らない。発表されることが本当ではない。郡山、二本松、伊達など判断下せる首長のいる自治体は動いているが、福島市は何もしていない。元々、放射線廃棄物扱うのは国の責任なので自治体を責められないが、それでも実行した首長は偉い。だが、国の責任で、国の職員がすべき。自治体の長は職員に被曝させられないという問題もある。今日の申し入れで国の責任でやってくれと明言した。

25:30~29:59 
福島市内在住 高校一年生の母親
子供は進学校に入学したばかり。グラウンドは2~3マイクロシーベルト。部活も体育も行う。親から承諾書とった。何かあった場合は親に責任があるとする姿勢がありあり見える。吹き溜まり、側溝がたまると聞いている。子供の高校の裏で60マイクロシーベルトが出た。立ち入り禁止にしたと、子供から聞いた。学校に問い合わせたら教頭が「60マイクロだが、角度があり坂になっている、子供は通らない。他の学校も同じ」と。20ミリシーベルト、3.8マイクロシーベルトという数値を国が県教育委員会に言っているので、県も市もそれ以下ならいいだろうと。右ならえ。市役所に危機管理室できたのは5月7日ぐらい。その前は防災部。3号機の爆発があるかもしれないからヨウ素剤配布を求めたら、ようやく検討すると。今日福島から参加して良かったと思うのは、福島だけの問題でなく、先ほども山口の方と話したが、全国で54機、日本全国の問題だと連帯意識を感じさせてもらい、元気をもらったので、地元に帰って頑張りたい。

質疑応答
30:03~
Q:内部被ばくの測定や食品の放射線測定は?子供を守る福島ネットワークの構成は?

32:09~
A:子ども福島は5月1日、250名が参加し決議文。2日に議員会館に要望書提出。1日発足。これまで何もしたことない保護者が立ち上がった団体。昔から関心を持っていた人たちもいるが、その人たちは殆ど県外に避難している。残っている人はそのような運動を全くしたことがない人たち。何も分らず来てしまったという250人が集まった。物言わぬ農民と言われる福島人が、大阪人と言われるくらい、しゃべりまくった。その位たまっていた。代表は中手聖一さん。20年ほど、反原発から遠ざかっていた。自分も、チェルノブイリのとき少し勉強したがその後サボっていて百姓に専念していた。素人集団。250人を班に分けた。避難・疎開・雇用、測定・除染、知識・防護の3つの班。測定班は定点観測し、マップ作り。希望があれば測定に行く。高いところは自分たちで除染している。

36:08~
A: 尿検査はフランスの研究機関の協力で、5人分送る。食品測定は、仏の研究所の所長自ら持参してくれる。5月29日に測定会。測定方法を教えてくれ、測定器も一台置いていってくれる予定。避難・疎開・雇用の相談会、希望者と希望地のマッチングもする。除染の相談、講演会、カフェも29日に開催。

39:08~ 第一集会所の報告
・申し入れを行っていた外では、文科省全体を人間の鎖で囲むことができた。

・情報格差が問題。政府、マスコミは「安全」という。それを受入れる人と、その先調べる人との情報格差が家族内にもある。情報格差が人々を引き裂き、それに輪をかけているのが20ミリシーベルトの通達。

41:24~ お知らせ
5月29日(日)「さよなら放射能祭り」福島市にて 食品測定、カフェなど
6月26日(日)福島県庁前で集会・1万人パレード

43:01~ 東京の男性
福島の話を聞き心が痛いが、現実は逃げないといけない。直視しないといけないと思う。今、逃げるべきか否か悩まなければならないのは東京。東京はホットスポットある。給食、グラウンド、プールの問題もある。母親たちが声を上げ始めている。東京で声をあげ東京で行動することが福島の人を助けることだと確認しているので、自分の場所で行動してほしい。それが福島だけでなく、宮城、茨城、千葉とも連帯することになると思う。地元で、子供が通う場所の安全を守ってくれと声を上げていくべき。

45:43~
文科省に抗議の声を直接届けてほしい。学術政策局の直通番号。
TEL 03-6734-4002/ FAX 03-6734-3835

(伊藤さんの報告ここまで)

最新情報では、文科省はこの行動を受けてか、5月27日、「1ミリシーベルト以下を目指す」という方針を発表しました。そのために、時間1マイクロシーベルト以上の学校については国の負担で表土除去を行うということです。これは年間にすると8.76ミリシーベルトとなり、1ミリシーベルト以下を目指すという方針と矛盾しています。20ミリシーベルトまで許容するという姿勢も崩していません。この問題、今が正念場です。FoE Japan, ふくろうの会などに要請への呼びかけがあります。署名も続行しています。ぜひ福島の子どもたちを守るため、参加してください。

FoE Japan は、この文科省の決定を「前進」と評価しています。運動が成果を上げていることを認識し、引き続き20mSV撤回に向けて訴え続けましょう。

Peace Philosophy Centre (ツイッター @PeacePhilosophy フェースブック Peace Philosophy Centre

Sunday, May 22, 2011

福島とチェルノブイリの原発事故の比較に関する首相官邸ホームページ専門家グループ解説の医学的疑問点: 医学博士 松崎道幸

(★5月25日追記。松崎医師から官邸へのメールを下方に転載しました。また、医学博士、崎山比早子(高木学校)さんから「すごくよく勉強していらっしゃってこのようにまとめてくださるととても参考になります。日本の医師達は広島・長崎の結果を故意に無視していますから、これを広めると良いのではないでしょうか?」とのコメントをいただきました。)

首相官邸ホームページの東電福島第一事故の「チェルノブイリ事故との比較」文書には、IPPNW(核戦争防止国際医師会議)がチェルノブイリ25周年に出した最新の健康被害報告書が伝えるおびただしい被害の数々とは対照的に、あたかも今後健康被害がほとんど起こっていない、また今後も起こらないかのように書いてあります。この件についてIPPNW報告の要旨を翻訳、官邸文書と比較した投稿「IPPNW『チェルノブイリ健康被害』新報告と、首相官邸資料『チェルノブイリ事故との比較』との驚くべき相違」には大きな反響がありました。今回は、北海道深川市立病院内科医師の松崎道幸さんの寄稿による、この官邸文書の問題点を指摘する文書を紹介します。

福島とチェルノブイリの原発事故の比較に関する
首相官邸ホームページ専門家グループ解説の医学的疑問点


松崎道幸

(医学博士。北大医学部卒。呼吸器内科医。禁煙治療・受動喫煙の健康影響の研究・原爆訴訟にかかわる。)

【要旨】より

1. 2011年4月15日付首相官邸HP「チェルノブイリ事故との比較」の内容はすべて医学的に誤っている。
(ア) 19名のチェルノブイリ原発内被ばく後死亡者の死因が被ばくと関係なしと述べているが、急性白血病など悪性疾患で5名が亡くなっているのが事実。
(イ) 24万人の除染作業員と数百万人の周辺住民では6千人の甲状腺ガン以外に健康影響はないと断定しているが、WHOなどのごく控えめな見積もりでも、ガンによる超過死亡は今後4千人から9千人と考えられている事実を隠している。
(ウ) 放射線被ばくによって増える病気はガンだけではない。原爆被爆者において、ガン、心臓病、脳卒中など様々な病気のリスクが有意に増えることが分かるまでに40年から50年以上の追跡調査が必要だったのに、事故後わずか20年に満たない時点でチェルノブイリ事故の被ばく者の健康に影響がないと述べることは、原爆被ばくを受けた国の被ばく問題専門家の資格が問われる見過ごすことのできない誤りである。
(エ) 今後チェルノブイリ被爆者の追跡調査が継続されるにつれて、ガン、非ガン性疾患による超過死亡が数万人の単位で発生することが医学的に十分予測される。
2. 政府は、首相官邸HP「チェルノブイリ事故との比較」を削除し、チェルノブイリ事故と福島原発事故の健康影響に関する科学的証拠に基づいた情報を国民に提供すべきである。
松崎さんは、官邸文書が準拠しているという UNSCEAR (国連科学委員会)とWHO(世界保健機関)の報告書をもとに、官邸文書におけるチェルノブイリ除染作業者の被曝死やガンによる超過死亡数予測についての記述はこれらの報告書の内容を誤って伝えていると指摘しています。また、放射性影響研究所による広島と長崎の原爆被害者を対象とした半世紀以上に渡る調査においては、白血病以外のガンと被曝の関係がわかるまでには30-40年かかっており、ガンの発病リスクが1シーベルトにつき50%増えることがわかったのは52年たってからでした。また心臓病や脳卒中が被曝によって増加するのがわかったのも、被曝から40年後だったということです。したがって被曝後20年しか経っていない時点でのチェルノブイリ被害研究自体も、被曝と病気の関係を結論づけるのは尚早と論じています。また、放射線影響研究所の原爆被害者調査は「明らかなしきい線量(それ以下の線量では影響が見られない線量のこと)は観察されていない」としていることに言及し、
原爆被爆の健康影響を検討してきた中心的研究所が、20mSvであろうと100mSvであろうと、その被曝に応じてガンリスクが増加だろうという見解を発表しているのに、官邸HPの「専門家」が「チェルノブイリでは、24万人の被ばく線量は平均100ミリシーベルトで、健康に影響はなかった」とか、「チェルノブイリでは、高線量汚染地の27万人は50ミリシーベルト以上、低線量汚染地の500万人は1020ミリシーベルトの被ばく線量と計算されているが、健康には影響は認められない」と被ばくの影響を完全に否定したことは、医学的に明白な間違いです。わずかな被曝でもそれに見合った発ガンリスクの増加があるはずだとして対策を講ずるのが常識的なやり方です。
と述べています。官邸の「専門家」集団は、放射線影響研究所の原爆被害調査が「しきい値論」を否定しているのに、チェルノブイリの被害を100ミリシーベルト、20ミリシーベルトといった「しきい値」で区切って被曝の影響を否定し、それを福島にも強引に適用し「福島の周辺住民の現在の被ばく線量は、20ミリシーベルト以下になっているので、放射線の影響は起こらない」としているのはあまりにも乱暴で非科学的な結論だということが松崎さんの論文でわかりました

官邸資料の具体的な書き直し提案も含む貴重な資料や分析が詰まっておりますので、ぜひ全文をお読みになってください。コメントや質問等は上記の松崎さんのメールアドレスにお寄せください。この投稿のコメント欄にも投稿いただけます。

論文全文を読む


以下、5月26日、松崎医師から官邸に送ったメールです。
今回の原発事故による放射能汚染は、すべての国民に大きな健康上の不安を与えています。首相官邸のホームページhttp://www.kantei.go.jp/saigai/senmonka.html 
には、国民向けに、幾人かの専門家による放射線被ばくの諸問題に関する解説が掲載されています。

4月15日には、その解説シリーズの3回目として、長瀧重信長崎大学名誉教授と佐々木康人(社)日本アイソトープ協会常務理事による「チェルノブイリ事故との比較」がアップされました。

全体として、チェルノブイリ事故は、一部を除いてほとんど被害が起きなかった、福島事故はそのチェルノブイリよりもはるかに被害が少ないから心配する必要はないという内容と理解しました。

でも、本当に専門家の方々の言うことを信じてもよいのかを、引用された原典を直接読んで、私なりに検討してみることにしました。

その結果、両氏の言われた内容のすべての点に、医学的な誤謬が存在するという結論に達しました。放射線被ばくの影響をどのように評価するかは、国家の一大事にあ
たっての対策の内容に大きく関係すると考えます。

私の意見は、下記に掲載いたしましたので、お手数でもご覧いただければ幸いです。
http://peacephilosophy.blogspot.com/2011/05/blog-post_22.html 

このメールの趣旨を、出来るだけ早く首相官邸HPのご専門家の両氏(上記)にお伝えいただき、一刻も早く小生の意見・疑問に対する回答を頂ければ幸甚に存じます。

Saturday, May 21, 2011

リンク切られた中日新聞記事では、土壌セシウム汚染値により、チェルノブイリでは強制避難レベルなのに福島ではそうでないところがマップに示されていた

(5月26日追記。この記事のもとになっている。文科省・米エネルギー省の共同汚染調査からの地図を加えました。)(5月28日追記。5月24日に報道された、河田東海夫氏による土壌汚染分析についてツイートしたものが反響がかなりあったので、関連が深いこの投稿の一部として掲載しました。一番下を見てください。)(5月30日追記。下に引用した東京新聞記事-共同のもの-が、東京新聞にしては珍しく1週間も経たずにリンクが切られていたので、引用した新聞記事全て転載しました。)

文科省と米エネルギー省が共同で行った小型飛行機とヘリコプターによる福島の汚染調査についての記事、「チェルノブイリだったら強制避難になっていた範囲が800平方キロ」「琵琶湖の1.2倍」といった報道はたくさん流れたのですが、素朴な疑問「現在福島で避難になっている地域とどれぐらい重なっているの、それともずれているの?」という問いに答えてくれる報道は私が知る限り中日新聞のものだけでした。中日の記事は、新たに発表された汚染地図の上に現在の避難区域を線引きし、はみ出している地域を明確にしています。それを重要視して、プリントして会合で仲間に配ったりしていたのですが、数日前、5月12日の報道リンクhttp://www.chunichi.co.jp/s/article/2011051290021406.html は既に切られていました。「書き過ぎ」と判断されたのかなと察しましたが知る由もありません。当然のことを報道していたと思います。幸いプリントを持っていてくれた仲間からもらって、5月12日の自分の関連ツイート(@PeacePhilosophy)と共にここにアップします(ツイートの中の中日記事リンクは上記のものですのですでに無効です)。政府はこの結果を受けて当然避難区域を拡大する措置を取るべきです。
http://p.tl/gl7p こういう地図を探してました(中日新聞)。文科省と米エネ
ルギー省で作った汚染地図、各所で報道されてるが、一番知りたいのが「チェル
ノブイリだったら強制避難だったが現在福島で避難になっていない地域はどこか」
ということだろう。

中日「チェルノブイリ原発事故では、半減期30年のセシウム137の濃度が5
5・5万ベクレル以上の地域が強制移住の対象となった。」http://p.tl/gl7p 地
図に55.5万という区切りはないが近いのが60万の区切り。

中日「今回は60万ベクレル以上の汚染が、計画的避難区域の外の同県南相馬市、
伊達市の一部などで見られた。」http://p.tl/gl7p 地図で見ると、30キロ圏内
でもなく、「緊急時避難準備区域」でも「計画的避難区域」でもないところに黄
色や緑色が見られる(60-300万Bq)

文科省と安全委「放射性物質に対する防護措置は国際放射線防護委員会(ICR
P)の勧告に基づき空気中の放射線量を基準にしており、同委は「ただちに避難
エリアを変える必要はない」http://p.tl/gl7p この「ただちに」という言葉に日
本の人はもう辟易している。

米の作付制限の基準「土壌中の濃度上限は1平方メートル当たり約33万ベクレ
ルで、今回の汚染地図では作付け制限地域以外にも広く見られる。」
http://p.tl/gl7p 農業こそ空間線量ではなく土壌の線量を基準に作付制限をすべ
きなのに空間線量だけで決められている!

「米以外の農産物は同様の科学的な根拠がなく、耕作制限はない。農水省は「収
穫物の検査で安全を確保したい」と話している。」http://p.tl/gl7p 地図で30
万(青の部分)といえば福島市、郡山市を含む広範囲。これだけの汚染地域で無
制限に米や野菜を作って収穫時に対処ということか。

土壌汚染の基準では米を作ってはいけないのに米も野菜も作れてしまう地域がこ
こまで広がっているのに、福島県産を食べようとか「風評被害」を防ごうとかよ
く言えたものだ。正気の沙汰とは思えない。一番の被害者が農家である。ずさん
な基準では全ての産物が信用を失う。

農産物に対するこういった態度が人間にも適用されているのが「子ども20ミリ
シーベルト」問題である。人間については「収穫時に対応」(病気になった時点
で対応)という態度は絶対に許されない。みんなで声を上げよう。フジTV番組
参照http://p.tl/aIxR




下は文部省ウェブサイト


以下、5月28日追加分である。5月25日にツイートして随分反応があり、この投稿と関連が深いことなので、ここに掲載しておく。

【福島土壌汚染】
福島の土壌汚染、一部でチェルノブイリ並み 原子力委で報告  :日本経済新
http://fb.me/13kcvjaRe 

土壌汚染、一部チェルノブイリ並み…専門家推計 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読
売新聞) http://t.co/1PTjKsG 

福島第1原発:「土壌汚染600平方キロ」推計値を報告 - 毎日jp(毎日新聞)
http://t.co/dHj49NA 

東京新聞:チェルノブイリ級の土壌汚染も 原子力委に専門家報告:社会(TOKYO
Web) http://fb.me/yzCCNF0A 

以上紹介した河田東海夫(とみお)氏の報告報道は、既に聞いている日米の汚染
調査の報道 http://p.tl/kFTN  や報告 http://p.tl/QJRz  に加え何の新しい
情報があるのだろう。

少々脱線するがこの河田氏が3月26日時点で出している文書がある。 
http://p.tl/Q9ue  「放射性ヨウ素と小児の甲状腺ガン」福島がチェルノブイリ
と比べ物にならないと断定していた頃の文書は今見られたくないだろうが重要情
報がたくさんここにある。

河田:チェルノブイリでは「30km圏はひどく汚染され,面積あたりのセシウムの
放射能はほとんどの地域で1,500,000 Bq/m2以上(3月23日までに日本で検出され
た値の100倍以上)で,最も高い地域では5,000,000 Bq/km2になった。」

チェルノブイリ30km圏ではほとんどが平方メートル当たり150万ベクレル
(以下単位は同じBq/m2)、最も高くて500万。福島日米調査では赤い部分が3
00万から3000万。http://p.tl/rX3h (4ページ別紙2)(30km超え
飯館村まで)

河田氏の報告ではチェルノブイリで居住禁止となったのは148万Bq以上で、
毎日報道 http://p.tl/IbGG  の地図によると原発北西30kmを超え、飯館村
の相当部分を覆う形で伸びている。チェルノブイリに匹敵するかそれ以上の汚染
だという一つの証拠である。

河田 http://p.tl/Q9ue  チェルノ影響・ベラルーシゴメリ「3,400人が放射性
ヨウ素により2 Sv以上の被ばくを甲状腺に受け,そのうち300人は10 Svを超えた。
また,上述避難民のうち,3歳以下の小児の甲状腺被ばくの平均値は1 Svであっ
たとの報告もある。」

福島の乳児甲状腺被曝予測 http://p.tl/FfVa  でも、「3」から「1」の線が1
Svから10Sv。1Svの線は南は楢葉町にかかり、北西は20km超え浪江
町まで。対象や条件異なるので単純比較はできないが、チェルノブイリで甲状腺
ガンになった多数の子たちの被ばく量にほぼ匹敵。

でも河田さん、3月26日に最終改訂したこの記事、 http://p.tl/Q9ue  福島
の被ばくをその時知らなかったとは言わせない。文科省は3月23日に乳児甲状
腺被ばく予測を発表していた。 http://p.tl/n9z1  

最新河田報告に戻るが、 http://fb.me/yzCCNF0A  先ほど触れた4社報道で注意
しなければいけないことがある。今から書くことは書きたくないし、先ほどの乳
幼児の被ばくのことを書くときも指が震えた。でも政府は言わないしメディアも
曖昧なので私は書く。

チェルノブイリ30kmを「強制移住」、「居住禁止」とされているところは現
在の福島の警戒区域とか避難区域とかされているところと意味が違うのだ。25
年経った今も住めないのだ。そのレベルの汚染度の地域がこの148万 Bq/m2
のエリアなのだ。毎日 http://p.tl/IbGG  

政府は行程表とか言って避難している人たちに6カ月とか9カ月とかで帰れるよ
うな期待を与えるようなことを言い、4月13日に松本内閣参与がこの先10,
20年住めないと言ってそれを菅首相が言ったとか言わないとかで問題になった
が、これは本当のことを更に控え目に言っていただけなのだ。

福島の http://p.tl/IbGG  地域(600平方キロ、東京23区に相当する)の
汚染ではチェルノブイリの場合25年経った今も居住禁止だということを、辛い
だろうがその地域の人たちは知る必要がある。もう帰れない可能性が高い。知っ
ているのだろうか。

河田氏が言うように「土の上下を入れ替える」ぐらいで戻れるぐらいだったらど
うしてチェルノブイリの居住禁止汚染地域(セシウム148万Bq/m2以上)31
00平方キロの範囲でそれをやって人々は戻っていないのか。

また一昨日NHKで繰り返し流されたが、飯館村の大半がチェルノブイリだった
ら25年経った今でも居住禁止である汚染レベルなのに、9つの事業所が営業続
行を許され、若い女性も働いているのである。「仕事があって嬉しい」とか取材
に答えていたが、恐ろしい事実である。彼女たちに伝えられないか。

またチェルノブイリでは、セシウム55万~148万Bq/m2地域7200平方キ
ロが「一時移住」および「農業禁止区域」。福島では700平方キロ、この地図
 http://p.tl/rX3h (4ページ 別紙2)ではおおよそ緑の範囲内で、青にもか
かってくるはず(区切りが60万Bqなので)。

先日のリンク切られた中日新聞記事関連でも書いたが、福島ではこの汚染レベル
でも避難にならず、作付制限がない地域が広がる。 http://p.tl/kFTN  河田氏
は「冷静に」というが汚染を知りながら避難を拡げない、作付制限しない、住民
に知らせない事実を冷静になど受け止められない。

最後にこの河田報告の東京新聞報道でショックな部分「148万ベクレルの場合
でも、被ばく放射線量は年間5ミリシーベルト程度で、政府が計画的避難区域の
設定基準とした年間20ミリシーベルトを下回るという。」
http://fb.me/yzCCNF0A  4分の1、下回るなんてものじゃない。

以上、誰でも入手できる新聞記事を読み込んだだけでも驚愕の事実がわかる。こ
こにまた報道の罪がある。重大な情報を、よく読まないとその意味がわからない
ようにスルリと報道してしまうのである。原発報道では非常に多い。事実を隠さ
なくても伝え方次第で、伝えつつ隠すことができてしまうのだ。

以上土壌汚染関連TW参考資料は毎日 http://p.tl/IbGG  日経 
http://p.tl/Spsn  東京(共同)http://p.tl/BUXK  中日 http://p.tl/kFTN  
安全委  http://p.tl/FfVa  文科省 http://p.tl/rX3h 
上に引用した新聞記事。

東京新聞はリンク切られていますが、共同新聞の47ニュースに残っていました。

共同通信
http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011052401001133.html

チェルノブイリ級の土壌汚染も 原子力委に専門家報告

関連記事を検索してみますか?チェルノブイリ級の土壌汚染も 原子力委に専門家報告  国の原子力委員会は24日、定例会議を開き、福島第1原発事故の対応を討議した。専門家として招かれた原子力発電環境整備機構フェローの河田東海夫氏(原子力工学)は放射性物質による土壌汚染の濃度が一部地域でチェルノブイリ事故に匹敵するとの分析結果を示し、避難住民の帰還には「大規模な土壌修復計画が不可欠だ」と指摘した。

 河田氏は、文部科学省の空間放射線量調査などから原発周辺の土壌に含まれるセシウムの量を推計。原発の北西を中心に、チェルノブイリ事故で強制移住の基準となった1平方メートル当たり148万ベクレルを超える地域が約600平方キロにわたって広がり、同事故で一時移住の基準となった同55万5千~148万ベクレルの地域も約700平方キロに上ると説明した。

 汚染地域の面積はチェルノブイリ事故の5分の1~10分の1程度とした。同148万ベクレルの場合でも、被ばく放射線量は年間5ミリシーベルト程度で、政府が計画的避難区域の設定基準とした年間20ミリシーベルトを下回るという。

 河田氏は「セシウムが土壌と強固に結合している」とし、放射線量が下がりにくいと強調。表土と下層の入れ替えなど、住民が帰還するために除染が必要だと述べた。

 文科省などの調査でも、1平方メートル当たり60万ベクレルを超える地域があることが判明している。文科省は「チェルノブイリ事故と、避難などの基準は単純に比較できない。土壌の修復については、政府全体で今後判断する」としている。

日本経済新聞
福島の土壌汚染、一部チェルノブイリ並み 原子力委で報告
http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819695E0E6E2E7948DE0E6E2E7E0E2E3E39180EAE2E2E2;at=DGXZZO0195583008122009000000

2011/5/24 22:49 ニュースソース 日本経済新聞 電子版  東京電力の福島第1原子力発電所事故で放出された放射性物質による土壌汚染が、福島県の一部で旧ソ連・チェルノブイリ原発事故の濃度に匹敵することが分かった。24日に開かれた国の原子力委員会で報告された。周辺住民の避難を解除するには土壌の修復が欠かせないという。

 土壌汚染を試算したのは、経済産業省の認可法人の原子力発電環境整備機構の河田東海夫フェロー。事故から2カ月間に文部科学省などが調べた空間放射線量や土壌モニタリング調査を参考に、原発周辺の土壌に含まれる放射性セシウム量を推計した。地表から5センチメートルの深さを基準とした。

 その結果、原発に近い同県の飯舘村や浪江町の一部を含めた計約600平方キロメートルの地域で、汚染濃度が1平方メートルあたり148万ベクレルを超えた。これはチェルノブイリ原発の周辺地域で強制移住の基準となった放射性レベルだという。それを下回る同55万5000~148万ベクレルの汚染地域は、川俣町や葛尾村の一部など合計約700平方キロメートルに達した。汚染地域の面積はチェルノブイリ原発事故の5分の1~10分の1という。

 これまでの文科省などの調査でも1平方メートルあたり60万ベクレルを超える地域があることが判明している。

 河田フェローは「土壌のセシウムは6~9割が土と強く結合している。再び人が住めるようにするには、表土と下の層を入れ替えたり、剥離するなどで低減を目指すことが重要」と話す。

読売新聞
土壌汚染、一部チェルノブイリ並み…専門家推計
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110525-OYT1T00075.htm?from=tw

東京電力福島第一原子力発電所の事故で放出された放射性物質の土壌汚染が、福島県の一部の地域で、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故と同程度とする推定結果を河田東海夫(とみお)・原子力発電環境整備機構フェローがまとめた。


 24日の国の原子力委員会で報告された。河田フェローは、文部科学省が実施している放射線量の測定結果などをもとに、同原発周辺の土壌に含まれる放射性セシウムの量を推計した。チェルノブイリ事故で強制移住の基準となった1平方メートルあたり148万ベクレル以上の高濃度の汚染地域は、飯舘村と浪江町の一部など約600平方キロ・メートルに達するとの結果が出た。

 今後の対応として、河田フェローは、「広域な汚染マップを作るとともに、住民が戻るための大規模な土壌修復計画が必要だ」と指摘している。

(2011年5月25日00時52分 読売新聞)

毎日新聞
福島第1原発:「土壌汚染600平方キロ」推計値を報告
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110525k0000m040064000c.html

東京電力福島第1原発事故で、原子力発電環境整備機構(NUMO)の河田東海夫(とみお)フェローは24日、内閣府原子力委員会(近藤駿介委員長)の定例会で、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故(86年)で居住禁止となった区域と同レベルの土壌汚染が、福島県内で約600平方キロにわたって広がっているとの推計値を報告した。河田氏は「大規模な土壌改良が不可欠だ」との見解を示した。

 チェルノブイリ原発事故では、1平方メートル当たり148万ベクレル以上の土壌汚染地域約3100平方キロを居住禁止、同55万~148万ベクレルの汚染地域約7200平方キロを農業禁止区域とした。

 河田氏は、文部科学省が作成した大気中の放射線量地図を基に、福島県内で土壌中の放射性物質「セシウム137(半減期30年)」の蓄積量を算定した。その結果、1平方メートル当たり148万ベクレル以上の地域は、東京23区の面積に相当する約600平方キロ、同55万~148万ベクレルの地域は約700平方キロあり、それぞれ複数の自治体にまたがっている。

 チェルノブイリ事故では年間5ミリシーベルトの被ばくを居住禁止の基準とした。自然に被ばくする線量は世界平均で年間2.4ミリシーベルト、ブラジルやイランの一部地域では同10ミリシーベルトに達していることを考慮すると厳しかった。今回の事故で政府は、国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告を基に空間線量年間20ミリシーベルトを避難地域の基準にしている。河田氏は「福島では土の上下を入れ替えるなど、対応をしっかりすれば避難者は戻ることが可能」と冷静な対応を呼びかけている。【比嘉洋】

Friday, May 20, 2011

福島の子どもたちを被ばくから守るために:5月23日午後1時文科省前集合 Action to Save Fukushima Children from Radiation: 1 PM at Ministry of Education, May 23

See the bottom of this post for information on the action by Fukushima's parents and NGOs on May 23 to protest against the Japanese government's decision to allow children in Fukushima up to 20 millisieverts of radiation per year, a decision heavily criticized by experts inside and outside of Japan. All are welcome to participate in this action. For more information on the matter in English and to sign the petition, see Green Action, MSCR (Moms to Save Children from Radiation), and updates on Fukushima crisis including this issue, see the Asia-Pacific Journal: Japan Focus.

この地図は、元慶応大学助教授の物理学者・藤田祐幸さんによる、福島県が4月5日から7日にかけて測定した福島県下の小中学校、幼稚園、保育園など1637カ所の地上1メートルの放射線量を、市町村ごとに平均して地図に起こしたものです。広島平和研究所教授の田中利幸さん経由で提供されたものをここに掲載します。放射線管理区域の設定値である0.6μSv以上が着色してあります。


これまで、福島の子どもたちが、内部被曝も考慮せずに、従来の基準である年間1ミリシーベルトの20倍である年間20ミリシーベルトまでの被ばくを許容されているということについての反対運動や国内外からの専門家による批判の声について繰り返し投稿してきました(右側「当サイトの原発関連重要記事」の上部にまとめてあります)。上の地図で色のついているところは、労働基準法(第62条)で18歳以下は働いてはいけない「放射線管理区域」に相当する放射線量である0.6マイクロシーベルト/時を超える場所です。これは「外部放射線による実効線量と空気中の放射性物質による実効線量との合計が3月間につき1.3ミリシーベルトを超えるおそれのある区域」(「電離放射線障害防止規則」の放射線管理区域の定義より)とされており、3カ月間1.3ミリシーベルト(1300マイクロシーベルト)を1時間分に換算すると約0.6マイクロシーベルトになるからです。福島県の調査では全学校の75%に上りました。3カ月間で1.3ミリシーベルトということは、年間で5.2ミリシーベルトということですから、文科省が定めた年間20ミリシーベルトは、放射線への感受性が高い子どもに対して、内部被ばくを考慮もせず、放射線管理区域の基準の約4倍の被ばくを許容しているということになります。

これを受けてグリーン・アクション、フクロウの会、美浜の会、国際環境NGO FoE Japanの4団体が繰り返し対政府交渉を行ってきて、この4団体とグリーンピースジャパン、原子力資料情報室が呼びかけ団体となってネット署名運動も行ってきましたが、5月23日に「文部科学省 包囲・要請行動&院内集会」をする、ということで、ぜひ参加できる人にしてもらいたいと思い、「Foe Japan スタッフブログ」よりここに案内を転載します。英語版はMCSR "Moms to Save Children from Radiation" から下方に転載します。
※拡散希望
【5.23 文部科学省 包囲・要請行動&院内集会】
子ども20ミリシーベルトを撤回せよ! 福島の子どもたちを守れ!
集合:13:00@文部科学省前
東京都千代田区霞が関3-2-2(最寄駅:虎の門、霞が関)
地図:http://www.mext.go.jp/new_map/index.htm 
===========================================
あまりの事態に、福島の親たちが立ち上がりました!
みなさんもぜひ応援してください。5月23日13:00、文科省前に集まってください。

5月23日のスケジュール:
13:00 文科省前集合
   福島からの代表団到着
13:30 文部科学大臣への要請(交渉中)
   (文科省外にて)要請行動
14:30 移動開始
15:30~16:30
   院内集会「福島の子どもたちを守れ!」
   於:参議院議員会館 講堂
   内容:交渉報告、国会議員との対話、記者会見など
16:30~17:00
   記者会見 於:参議院議員会館 講堂

【主催】子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク
【共催】グリーン・アクション、原子力資料情報室、福島老朽原発を考える会(フクロウの会)、美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会(美浜の会)、国際環境NGO FoE Japan
【協力】脱原発と新しいエネルギー政策を実現する会(eシフト)、プルトニウムなんていらないよ!東京

【福島方面の方は下記をご覧ください】
 http://kofdomofukushima.at.webry.info/201105/article_18.html 
 連絡先:nakate-s●mvh.biglobe.ne.jp
 (●を@に変えて送信してください)

4月19日、文部科学省は、学校等の校舎・校庭等の利用判断における放射線量の目安として、年20ミリシーベルト、屋外において3.8マイクロシーベルト/時という基準を、福島県教育委員会や関係機関に通知しました。3.8マイクロシーベルト/時は労働基準法で18歳未満の作業を禁止している「放射線管理区域」(0.6マイクロシーベルト/時以上)の約6倍に相当する線量です。
基準を現実の合わせて引き上げたこの決定は、行政の都合で、不必要な被ばくを子どもたちに強いるものです。

高まる批判の声に、原子力安全委員会は、「20ミリシーベルトを基準として認めていない。また、どの委員も専門家も安全ともしていない」と発言し、政府の意思決定の根拠は極めてあいまいな状況となっています。

この無責任で非人道的な日本政府の決定に、国際的にも国内的にも、非難の声があがっています。

【プレスリリース】「子どもに“年20ミリシーベルト”」に世界中から抗議(2011/05/02)
http://e-shift.org/?p=432 

福島県選出の複数の国会議員からも「20ミリ撤回」の声があがっています。
http://blog.canpan.info/foejapan/archive/23 

私たちの声を結集し、この「20ミリシーベルト」を撤回させましょう!
福島の子どもたちの未来を守りましょう! 文科省を包囲しましょう!

連絡先:国際環境NGO FoE Japan
tel: 03-6907-7217(平日のみ) fax: 03-6907-7219
E-mail: finance@foejapan.org 
以下英語版です。
We need the foreign media to hear us!

On Monday, May 23, 2011, we the Parents From Fukushima Prefecture will visit Minister Yoshiaki Takagi (the Minister of Education, Culture, Sports, Science and Technology) to plead that the government of Japan immediately reduces the safety limit of radiation exposure. We want the government to withdraw the current "safe exposure amount" of 20mSv per year to minimize children's radiation exposure.
We want to speak to Minister Takagi in person about the dire situation of Fukushima children.

The meeting will be at 1:00 PM in front of the Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology building. 3-2-2 Kasumigaseki, Chiyoda-ku, Tokyo (closest station: Toranomon, Kasumigaseki)

Map in English:  http://www.mext.go.jp/english/organization/emap.htm

Unfortunately, Minister Takagi, the vice Minister, and the parliamentary official all declined our request. Instead, Mr. Watanabe, Senior Deputy Director-General of the Science and Technology Policy bureau, will be the negotiating person.
We find this attitude by the government of Japan to be crass, irresponsible and merciless, considering the extreme severity of this situation in Fukushima prefecture.

Japanese authorities have been widely criticized for raising the safety standard of 20 mSv per year too high. We believe that Minister Takagi should explain to us why he won't reduce this safety standard.

On Monday, May 23, 2011, Parents from Fukushima are protesting for Minister Takagi’s response. We need the foreign media to cover and report this developing crisis.

Quote: International environment NGO FoE Japan (authorized nonprofit organization)
Contact: NGO FoE Japan E-mail: finance@foejapan.org

Wednesday, May 18, 2011

原発導入の背景に「広島長崎の意図的な忘却と米国の核軍拡」:ピーター・カズニック Peter Kuznick: "Japan's Nuclear History in Perspective: Eisenhower and Atoms for War and Peace" (Japanese Translation)

日本の原発導入の歴史を考察したものとして、このサイトでは田中利幸ロバート・リフトン大江健三郎各氏の英語論説の和訳、NHKドキュメンタリー『現代史スクープドキュメント 原発導入のシナリオ~冷戦下の対日原子力戦略~』を紹介してきました。今回は、核による人類滅亡までの時間を象徴的に表す「終末時計」 Doomsday Clock で知られるアメリカの 『ブレティン・オブ・ズィ・アトミック・サイエンティスツ』Bulletin of the Atomic Scientists誌 (1947年創刊)に4月13日に掲載された、アメリカン大学歴史学部准教授のピーター・カズニック氏の論文を紹介します。(カズニック氏は1995年以来、アメリカン大学と立命館大学の共同プログラムで、毎年アメリカ人学生を引率して広島と長崎を訪れています。ピース・フィロソフィー・センターは2006年以来この研修旅行に協力しており、2008年以降はカナダの学生も参加しています。)

Bulletin of the Atomic Scientists に掲載された原文はここです。Japan's nuclear history in perspective: Eisenhower and atoms for war and peace また、この論文は田中利幸氏の紹介文付きで The Asia-Pacific Journal: Japan Focus にも掲載されています。Yuki Tanaka and Peter Kuznick, Japan, the Atomic Bomb, and the “Peaceful Uses of Nuclear Power”


日本の核の歴史を振り返るーアイゼンハワーと、「戦争」そして「平和」のための原子力利用

ピーター・カズニック 

翻訳 松下ノア 乗松聡子

2011年4月13日

平和憲法を携え、非核三原則を持ち、核軍縮に取り組み、最も強く反核を唱える国、日本。その日本が今、過去25年間で最も危険で長期化しており、25年前のチェルノブイリ事故を更に上回る被害を生むかもしれない核の危機に瀕しているのは悲劇としか言いようがない。しかし日本の反核主義は常にファウスト的契約(訳者注:悪魔との契約。この場合の「悪魔」とは米国を指す)に基づいたものであった。過去66年に渡り恥ずかしげもなく地球で一番の核支持国であり続けた米国への依存があったのである。この二つの同胞国の奇妙な関係にこそ、今回の福島の危機の根源と意義が存在するのである。

ドワイト・アイゼンハワーが大統領の時に、日本は原子力発電計画を開始した。アイゼンハワーは核のエネルギー利用を強く推進していたが、皮肉なことに彼自身は、軍産複合体制に警鐘をならしていたことで一番よく知られている。アイゼンハワーは広島と長崎の原爆投下を非難した唯一の米国大統領でもある。また、戦後のロシアとの友好関係が原爆で破壊されることを危惧し、一時は原子力が国際的に管理されること、そして米国が保有する核兵器を廃棄してもらうため国連に引き渡すことを主張した大統領でもある。

しかし、アイゼンハワーが1953年に大統領に就任する頃には、彼の核兵器に対する意見も変わっていた。米国が「巨額の軍事費のために絞め殺される」のを見るのを望まない上に、ソビエト連邦との戦争はすべて核戦争になるであろうと考えたアイゼンハワーは、費用のかかる従来型の軍事力から戦略空軍による大々的な核報復へと、政策の力点を移した。ハリー・トルーマン大統領が核兵器は最後の手段として使われる兵器と考えていたのに対し、アイゼンハワーは核兵器を米国の防衛戦力の基本としたのだ。

銃弾のように?
アイゼンハワーはしばしば、核兵器を使うことが大したことでもないかのような発言をしている。1955年に、彼は記者に対してこう述べた。「もちろん核兵器は使われるだろう。核兵器が厳密に軍事目標に対して軍事目的の為だけに使われるのなら、銃弾を撃ったり、武器を使ったりするのと同じように核を使用してはいけないという理由が見当たらない。」アイゼンハワーがウィンストン・チャーチルの個人秘書であるジョック・コルビルに「『通常兵器』と核兵器の間に違いはない。すべての兵器は時がたてば通常兵器になるのだ」と言った時のことをコルビルは恐怖をもって振り返った。「私は自分の耳を疑った」と。

アイゼンハワーは米国が保有する核兵器の管理を原子力委員会(AEC)から軍に移し始めた。アイゼンハワーは過去に朝鮮半島、スエズ運河、そして台湾海峡の金門・馬祖島に対しては二度にもわたって核兵器を使用すると脅したことがあり、ヨーロッパ諸国はこの変化を見て、米国は核戦争を始めるのではないかと恐怖を覚えた。ヨーロッパの同朋国はアイゼンハワーに対して自制するように懇願した。

このような核戦争を普通とする考え方への世間の強い嫌悪感はアイゼンハワー政権の計画を脅かすこととなった。1953年3月の国家安全保障会議(NSC)の議事録にはこうある。「大統領と国務長官ジョン・フォスター・ダレスは、いずれ核兵器を使用することに対してのタブーを壊さなければならないという意見で一致している。ダレス長官は国際世論の現状を考えると原爆は使うことはできないとしながらも、この世論を消し去るのに出来る限りの努力をするべきだとしている。」

放射能灰に埋まる「アトムズ・フォー・ピース」
アイゼンハワーはこのタブーを壊すには核のエネルギー使用を軍事的なものより、社会的に利益のあるものへと活用させることに焦点を移すことが最善だと確信した。心理戦略委員会の国防総省のコンサルタント、ステファン・ポッソーニは述べた、「原子力が建設的な目的に使われていれば原子爆弾ももっと容易に人々から認められるであろう」(p.156)1953年の12月8日、アイゼンハワーは国連で“原子力平和利用(アトムズ・フォー・ピース)”スピーチを行った。彼は米国が「この人類の奇跡的な発明が死をもたらすためではなく、人類に恩恵を与えるものとなることに」力をつくすことを約束した。彼は原子力平和利用の恩恵を国内にも、海外にも広めると誓った。

しかし、後の1954年3月のビキニ環礁で行われた水爆実験(キャッスル作戦・ブラボー (BRAVO))はアイゼンハワーの計画を狂わしかけた。米国の水爆実験による放射性降下物は236ものマーシャル諸島を汚染し、爆発地点から85マイル離れ、米国の定めた危険水域の外で操業していた日本の第五福竜丸の船員23名全員が被爆した。また放射能を浴びたマグロが市場に出回り、大勢の人がそれを食べたことから後にパニックを引き起こした。

国際社会はこの水爆実験にがくぜんとした。ベルギーの外交官、ポール=アンリ・スパアクは警告した。「アイゼンハワー大統領が演説で述べた、米国は原子力を平和のために利用するという考えを取り戻すための対策が打たれなければ、アメリカはヨーロッパにおいて、野蛮で恐ろしいものの代名詞と認識されるであろう。」インドの首相ジャワハルラール・ネルーは、アメリカの指導者たちは「危険で自己中心的な狂人」で「自分たちの政策の邪魔になるものは人であれ、国であれ爆破するであろう。」と断言した。

アイゼンハワーは1954年5月の国家安全保障会議(NSC)で、「皆、我々を嫌なやつで、武力を振りかざす主戦論者と思っているようだ。」と述べた。ダレス長官は「我々とヒットラーの軍事機構との比較がなされている。」と不満を漏らした。

一方日本では水爆実験への非難の嵐が吹き荒れた。東京杉並区では、主婦が水爆禁止のための署名運動を始めた。この運動は全国に広がり、次の年には人口の三分の一にあたる3200万人もの驚異的な数の署名が集まった。

1945年の原爆投下に対する怒りは、米占領軍が原爆について語ることを禁止していたため長期にわたって抑えられていたが、それがついに爆発した。国家安全保障会議(NSC)のオペレーション調整委員会は事態を改善するため、原子力の非戦闘利用を推し進め、日本に試験的な原子炉の建設をすることまでも提案した。原子力委員会のトーマス・マーレイはその提案を支持した。彼は述べた。「依然、広島と長崎の記憶が鮮明な中、日本に原子力発電所を作ることは劇的でキリスト教的(訳注:人道的という意味で使われている)な行為であり、こうすることで我々は広島、長崎の惨劇の記憶を乗り越えることが出来るであろう。」

日本に「平和な原子」を売る
ワシントンポスト紙はマーレイの意見を 「軍拡競争への執着から人々の気持ちをそらせるもの」として賞賛した。そしてこう続けた。 「今では多くのアメリカ人が日本への原爆投下は必要ではなかったと気付いている….日本に対して原子力平和利用の手段を提供することは日本との関係を修復するのに最良の方法である。その上、アジア諸国に対して、米国は東洋人を単なる原爆の威力を試すための道具として見ているという印象を払拭するにも最善の策である。」

マーレイと下院議員のシドニー・イェイツ(民主党・イリノイ)は初の原子力発電所を広島に作ることを提案した。1955年初めイェイツは、6万キロワットの電力を供給する発電所を広島に建設する法案を提出し、そうすることで 「原子力がキリング(殺人)よりもキロワット(電気)を作り出すのための手段となる」と述べた。 6月までには、米国と日本は、原子力の研究と開発のために協力するという合意書に署名した。

しかし、この考えを日本国民に売り込むのはそう容易ではないと考えられた。アメリカ大使館、国務省情報局(USIS)、中央情報局(CIA)が原子力利用を日本で普及させるために大掛かりなキャンペーンを開始した時、正力松太郎に助力を求めた。正力松太郎は、日本のプロ野球の父で、読売新聞の経営者でもあり、日本テレビの社長も勤めた。正力はA級戦犯として2年間の獄中生活の後、不起訴となり出獄した。彼の反共産主義の姿勢はアメリカにとって都合がよく、彼の免罪に役だった。(参照:有馬哲夫「正力の原子力導入推進キャンペーンとCIAの心理戦」、2006年11月25日、東京経済大学で発表された未発行論文)正力は日本に原子力を迎え入れることで大きな話題になった米国による博覧会を読売新聞が協賛することに同意した。1955年11月1日、原子力平和利用博覧会の初日は東京で神道の清めの儀式が行われた。米国大使はアイゼンハワーの声明を読み上げた。アイゼンハワーは声明文の中でこの博覧会が「原子力の偉大な力がこれからは平和利用のために使われるべき、という我々共通の決意の象徴である」と宣言した。

展示は東京で6週間続いた後、広島に移り、その後も他6都市で行われた。展示は原子力の平和利用を強調したもので、発電、癌治療、食品保存、害虫防除や科学研究の促進などの展示があった。原子力の軍事用途についての展示は一切行われなかった。展示を見ていると、核の未来は安全で豊か、エキサイティングで、平和にも見えた。来場者は期待を上回るものであった。国務省情報局(USIS)によると、京都では雪や雨にもかかわらず、15万5000人の人が訪れた。(p.176)

原子力平和利用の可能性についての映画や講義、論文などが大量に次々と世に出回ったが、それは米当局者が思っていた以上の結果を生み出した。米当局者は報告した。「1954年から1955年にかけての原子力に対する世論の変化は目を見張るものであった….原子力の脅威に対するヒステリー的恐怖はほぼ消え去られ、1956年初めまでには、日本では原子力平和利用が一般的に支持されるようになった。(p.179).

しかし、米当局が喜ぶのは時期尚早であった。左派の政党や労働組合による反核運動は人々の共感を呼んでいた。1956年4月に国務省情報局(USIS)が行った調査では実に60パーセントの日本人が、核のエネルギーは 「人類に恩恵をもたらすというよりは災いをもたらす」ことになると信じていた。米国が核軍縮実現に向けて「真摯な努力をしている」と答えたのは25%だけだった。毎日新聞は「最初に放射能雨の洗礼を浴びせ、次は『原子力平和利用’』を装った外国の営利主義からの抜け目ない攻勢である」と米国の原子力平和利用を推進するキャンペーンを激しく非難した。毎日新聞は日本人に、「『白人の手』によってなされている、日本での原子力平和利用のキャンペーンの本当の目的は何かということを冷静に考える」ように呼びかけた。 

しかし、国務省情報局(USIS)のますます激化する数年にわたる活動が実を結び始める。米国の宣伝攻勢に関する機密報告書によると、1956年には70パーセントの日本人が 「原子力」を「有害なもの」と同一視していたが、1958年までには30パーセントにまで下がった。自国が近代的な科学技術・工業大国になることを望んだ日本人は、自国のエネルギー資源不足を知っていたので、原子力が安全で環境に優しいものである、と納得することにしてしまった。国民は広島と長崎の教訓を忘れてしまったのである。

1954年、日本政府は核研究計画に資金を提供始めた。1955年の12月には原子力基本法が制定され、日本原子力委員会(JAEC)が設立された。正力は初代原子力委員会委員長に就任し、科学技術庁長官も勤めた。日本は初めての商業用原子炉をイギリスから購入したが、すぐに米国の軽水炉に切り換えた。1957年半ばまでに、政府はさらに20基もの原子炉を購入することを契約した。

米国内では原子力委員会(AEC)が、原子力は乗り物を動かし、空腹を満たし、街に明かりを灯し、病を治し、資源の発掘まで可能にする魔法の万能薬として強気に売り込んでいた。続いて、アイゼンハワーは原子力商船や原子力飛行機の計画を公表した。1955年7月、米国は初の商業用原子力発電所を起動した。1956年10月、アイゼンハワーは、米国が37カ国と原子炉を建設することで合意し、さらに14カ国と交渉を進めていることを国際連合に報告した。

1958年までに、米国は原子力委員会(AEC)のもとで計画されたプラウシェア計画による、地形を変えるような大規模掘削の可能性に舞い上がっていた。この計画は核爆発を平和利用して、港を作り、油脈へのアクセスを可能にし、巨大な地下貯水池やより広大で改善されたパナマ運河を作ることであった。なかには天候を変えるためにハリケーンの中心に20メガトンの爆弾を爆発させることを提案したものもいた。ある気象局の科学者は北極の大氷塊の融解を進めるために10メガトンの爆弾を爆発させる計画を提案した。アイゼンハワーがソビエト提案による核実験モラトリアムを一方的に放棄することに難色を示したため、これらのばかばかしい計画は中止となった。

それでもプラウシェア計画は当初予定していた目標を達成することに成功した。原子力委員会(AEC)委員長のルイス・ストラウスはプラウシェア計画には「核爆発の平和利用を強調することによって、核兵器の開発と核実験に対する国際世論をより好意的なものにしようという」ねらいがあったことを認めている。

原子力平和利用によって隠された核軍拡の事実
原子力平和利用の陰で、アイゼンハワーは歴史上で最も急速で見境ない核軍拡を進めた。米国の核兵器保有量は彼が就任したとき、1000発あまりだったのが、彼の任期が終了する頃には2万2000発になっていた。しかしその数でさえ額面通り受け取ってはいけない。それはアイゼンハワーが許可した核の製造が1960年まで続き、ケネディ政権の間に核保有量が3万発を越えたのに加担しているからである。1961年には核兵器のメガトン数の観点だけからいえば、広島に投下された爆弾136万発分の蓄えが米国にはあった。

アイゼンハワーが核攻撃を行う権限を委任したことはあまり知られていない。アイゼンハワーは、戦域司令官や他の特定司令官に、大統領と連絡がとれなかったり、大統領に決断する能力が失われている時に攻撃が必要な状況だと彼らが判断した時は、核攻撃を行える権限を委任していた。また大統領の承認を得て、司令官の中には同様にその権限をより下の司令官に与えていたものもいた。(私はダニエル・エルズバーグにこの情報を提供してもらい感謝しています)そして、当時核兵器にはロックがなかったことから、彼ら以外の者、例えば空軍の少佐や基地の司令官、空母の司令官など多数が核攻撃を実行しようと思えば可能な状態だった。

1960年に、アイゼンハワーは初の総合戦略計画を承認した。それは戦争開始後24時間以内に、中国―ソ連圏に対して、米国が戦略的核兵器による同時攻撃を遂行することを定めたものであった。米国統合参謀本部はそのような核兵器による攻撃が起きた際の死亡者数を推定するように求められた。それは驚くべき数字であった。中国とソ連では3億2500万人が死亡し、さらに東ヨーロッパでは1億人が、西ヨーロッパでは放射線降下物により1億人が、そしてソ連国境付近の国では1億人に上る死者が予想され、全部で6億人の死者が出ると推定された。

否認の代償
アメリカが人類滅亡につながる核戦争を計画している一方で、日本は日本なりの否認の中で生きていた。1950年代の出だしは手こずったが、日本の原子力産業は1960年代、1970年代に発展を遂げ、その後も成長し続けている。先月起きた、津波による福島原子力発電所事故前は、日本には54基もの稼動している原子炉があって、実に総電力の30パーセントが作られていた。原子力発電が総電力の50パーセントを占める時代が来るのも遠いことではないと予測する者もいた。しかし、この福島で起きた核の大惨事によって、日本は核の時代の悪夢的側面に三度目の対応を余儀なくされている。そして、日本の原子力発電はクリーンで安全という幻想の下に生まれただけでなく、背景には広島、長崎の意図的な忘却と米国の核軍拡もあったという事実に直面せざるを得なくなっている。

いま、このような日本の核の歴史を清算する時が来ている。日本がこの悲劇から立ち直り、自然エネルギーへの道を切り開くと同時に、米国の核の傘の下での抑止という構造を断絶する新しい道を目指すことを願っている。第二次世界大戦の惨禍を乗り越え、平和憲法や反核主義をもって世界で先駆的役割を果たしたように。


ピーター・カズニック
アメリカン大学歴史学准教授・核問題研究所所長。全米核の歴史と政策討議委員会創立者。核教育プロジェクト共同創立者。著書に『研究所を超えて 1930年代米国で政治活動家として活躍した科学者たち』、共著に『冷戦文化の再考』。木村朗鹿児島大学教授との共著『広島・長崎への原爆投下再考―日米の視点』は、2010年に日本語で出版(法律文化社)。オリバー・ストーン監督が手掛け、2011年11月テレビ「ショウタイム」で公開予定の12部からなるドキュメンタリーフィルム「アメリカの忘れられた歴史」の台本を執筆中。同名の本についてもオリバー・ストーン監督と共同で執筆している。

(Translated by Noa Matsushita and Satoko Norimatsu)

Bulletin of the Atomic Scientists

Japan's nuclear history in perspective: Eisenhower and atoms for war and peace

By Peter Kuznick | 13 April 2011

It is tragic that Japan, the most fiercely antinuclear country on the planet, with its Peace Constitution, three non-nuclear principles, and commitment to nuclear disarmament, is being hit with the most dangerous and prolonged nuclear crisis in the past quarter-century -- one whose damage might still exceed that of Chernobyl 25 years ago. But Japan's antinuclearism has always rested upon a Faustian bargain, marked by dependence on the United States, which has been the most unabashedly pro-nuclear country on the planet for the past 66 years. It is in the strange relationship between these two oddly matched allies that the roots and meaning of the Fukushima crisis lay buried.

Japan embarked on its nuclear energy program during the presidency of Dwight Eisenhower, a man now best remembered, ironically, for warning about the rise of the very military-industrial complex he did so much to create. Eisenhower is also the only US president to have criticized the atomic bombing of Hiroshima and Nagasaki. Fearing the bombings would destroy the prospects for friendly post-war relations with Russia, at one point he advocated international control of atomic energy and turning the existing US stockpile over to the United Nations for destruction.

Yet by the time he took office in 1953, Eisenhower's views on nuclear weapons had changed. Not wanting to see the United States "choke itself to death piling up military expenditures" and assuming that any war with the Soviet Union would quickly turn nuclear, he shifted emphasis from costly conventional military capabilities to massive nuclear retaliation by a fortified Strategic Air Command. Whereas President Harry Truman had considered nuclear arms to be weapons of last resort, Eisenhower's "New Look" made them the foundation of US defense strategy.

Just like a bullet? On occasion, Eisenhower spoke almost cavalierly about using nuclear weapons. In 1955, he told a reporter: "Yes of course they would be used. In any combat where these things can be used on strictly military targets and for strictly military purposes, I see no reason why they shouldn't be used just exactly as you would use a bullet or anything else." When Eisenhower suggested to Winston Churchill's emissary Jock Colville that "there was no distinction between 'conventional' weapons and atomic weapons: all weapons in due course become conventional," Colville recalled, horrified, "I could hardly believe my ears."

Eisenhower began transferring control of the atomic stockpile from the Atomic Energy Commission (AEC) to the military. Europeans were terrified that the United States would start a nuclear war, which Eisenhower threatened to do over Korea, over the Suez Canal, and twice over the Taiwan Strait islands of Quemoy and Matsu. European allies begged Eisenhower to show restraint.

Public revulsion at the normalization of nuclear war threatened to derail the Eisenhower administration's plans. The minutes of a March 1953 meeting of the National Security Council (NSC) stated: "the President and Secretary [John Foster] Dulles were in complete agreement that somehow or other the tabu [sic] which surrounds the use of atomic weapons would have to be destroyed. While Secretary Dulles admitted that in the present state of world opinion we could not use an A-bomb, we should make every effort now to dissipate this feeling."

Atoms for Peace buried in radioactive ash. Eisenhower decided that the best way to destroy that taboo was to shift the focus from military uses of nuclear energy to socially beneficial applications. Stefan Possony, Defense Department consultant to the Psychological Strategy Board, had argued: "the atomic bomb will be accepted far more readily if at the same time atomic energy is being used for constructive ends" (p. 156). On December 8, 1953, Eisenhower delivered his "Atoms for Peace" speech at the United Nations. He promised that the United States would devote "its entire heart and mind to find the way by which the miraculous inventiveness of man shall not be dedicated to his death, but consecrated to his life." He pledged to spread the benefits of peaceful atomic power at home and abroad.

But the subsequent March 1954 Bravo test almost derailed those plans. Fallout from the US hydrogen-bomb test contaminated 236 Marshall Islanders and 23 Japanese fisherman aboard the Daigo Fukuryu Maru ("Lucky Dragon no. 5"), which was 85 miles away from the detonation and outside the designated danger zone. A panic ensued when irradiated tuna was sold in Japanese cities and eaten by scores of people.
The international community was appalled by the bomb test. Belgian diplomat Paul-Henri Spaak warned, "If something is not done to revive the idea of the President's speech -- the idea that America wants to use atomic energy for peaceful purposes -- America is going to be synonymous in Europe with barbarism and horror." Indian Prime Minister Jawaharlal Nehru declared that US leaders were "dangerous self-centered lunatics" who would "blow up any people or country who came in the way of their policy."

Eisenhower told the NSC in May 1954, "Everybody seems to think that we are skunks, saber-rattlers, and warmongers." Dulles complained, "Comparisons are now being made between ours and Hitler's military machine."

Criticism was fiercest in Japan. In Tokyo's Suginami ward, housewives began circulating petitions to ban hydrogen bombs. The movement caught on across the country. By the next year, an astounding 32 million people, or one-third of Japan's population, had signed petitions against hydrogen bombs.

Long-suppressed rage over the 1945 atomic bombings, squelched by US occupation authorities' total ban on discussion of the bombings, had finally erupted. The Operations Coordinating Board of the NSC recommended that the United States contain the damage by waging a "vigorous offensive on the non-war uses of atomic energy" and even offer to build Japan an experimental nuclear reactor. AEC Commissioner Thomas Murray concurred, proclaiming, "Now, while the memory of Hiroshima and Nagasaki remain so vivid, construction of such a power plant in a country like Japan would be a dramatic and Christian gesture which could lift all of us far above the recollection of the carnage of those cities."

Selling the peaceful atom in Japan. The Washington Post applauded Murray's idea as a way to "divert the mind of man from his present obsession with the armaments race." "Many Americans are now aware … that the dropping of the atomic bombs on Japan was not necessary. … How better to make a contribution to amends than by offering Japan the means for the peaceful utilization of atomic energy. How better, indeed, to dispel the impression in Asia that the United States regards Orientals merely as nuclear cannon fodder!"

Murray and Rep. Sidney Yates (Democrat of Illinois) suggested locating the first electricity-producing nuclear power plant in Hiroshima. In early 1955, Yates introduced legislation to build a 60,000-kilowatt generating plant there that would "make the atom an instrument for kilowatts rather than killing." By June, the United States and Japan had signed an agreement to work together on research and development of atomic energy.

But selling this idea to the Japanese people would not be so easy. When the US Embassy, US Information Service (USIS), and CIA launched their vigorous campaign to promote nuclear energy in Japan, they turned to Matsutaro Shoriki, the father of Japanese baseball, who ran the Yomiuri Shimbun newspaper and the Nippon Television Network. After two years' imprisonment as a Class-A war criminal, Shoriki had been released without trial; his virulent anti-communism helped redeem him in American eyes (see Tetsuo Arima, "Shoriki's Campaign to Promote Nuclear Power in Japan and CIA Psychological Warfare," unpublished paper presented at Tokyo University of Economics, November 25, 2006). Shoriki's newspaper agreed to co-sponsor the much-hyped US exhibit welcoming the atom back to Japan on November 1, 1955 with a Shinto purification ceremony in Tokyo. The US ambassador read a message from Eisenhower declaring the exhibit "a symbol of our countries' mutual determination that the great power of the atom shall henceforward be dedicated to the arts of peace."

After six weeks in Tokyo, the exhibit traveled to Hiroshima and six other cities. It highlighted the peaceful applications of nuclear energy for generating electricity, treating cancer, preserving food, controlling insects, and advancing scientific research. Military applications were scrupulously avoided. The nuclear future looked safe, abundant, exciting, and peaceful. The turnout exceeded expectations. In Kyoto, the USIS reported, 155,000 people braved snow and rain to attend (p. 176).

The steady spate of films, lectures, and articles proved enormously successful. Officials reported, "The change in opinion on atomic energy from 1954 to 1955 was spectacular … atom hysteria was almost eliminated and by the beginning of 1956, Japanese opinion was brought to popular acceptance of the peaceful uses of atomic energy" (p. 179).

Such exultation proved premature. Antinuclear organizing by left-wing political parties and trade unions resonated with the public. An April 1956 USIS survey found that 60 percent of Japanese believed nuclear energy would prove "more of a curse than a boon to mankind" and only 25 percent thought the United States was "making sincere efforts" at nuclear disarmament. The Mainichi newspaper blasted the campaign: "First, baptism with radioactive rain, then a surge of shrewd commercialism in the guise of 'atoms for peace' from abroad." The newspaper called on the Japanese people to "calmly scrutinize what is behind the atomic energy race now being staged by the 'white hands' in Japan."

But intensified USIS activities over the coming years began to bear fruit. A classified report on the US propaganda campaign showed that in 1956, 70 percent of Japanese equated "atom" with "harmful," but by 1958, the number had dropped to 30 percent. Wanting their country to be a modern scientific-industrial power and knowing Japan lacked energy resources, the public allowed itself to be convinced that nuclear power was safe and clean. It had forgotten the lessons of Hiroshima and Nagasaki.

In 1954, the Japanese government began funding a nuclear research program. In December 1955, it passed the Atomic Energy Basic Law, establishing the Japan Atomic Energy Commission (JAEC). Shoriki became minister of state for atomic energy and first chair of the JAEC. Japan purchased its first commercial reactor from Britain but quickly switched to US-designed light water reactors. By mid-1957, the government had contracted to buy 20 additional reactors.

In the United States, the AEC aggressively marketed nuclear power as a magic elixir that would power vehicles, feed the hungry, light the cities, heal the sick, and excavate the planet. Eisenhower unveiled plans for an atomic-powered merchant ship and an atomic airplane. In July 1955, the United States generated its first commercial nuclear power. In October 1956, Eisenhower informed the United Nations that the United States had agreements with 37 nations to build atomic reactors and was negotiating with 14 more.

By 1958, the United States was becoming almost giddy with the prospect of planetary excavation under the AEC's Project Plowshare, which proposed to use peaceful nuclear blasts to build harbors, free inaccessible oil deposits, create huge underground reservoirs, and construct a bigger and better Panama Canal. Some wanted to alter weather patterns by exploding a 20-megaton bomb alongside the eye of a hurricane. One Weather Bureau scientist proposed a plan to accelerate melting of the polar icecaps by detonating 10-megaton bombs. Only Eisenhower's reluctance to unilaterally break a Soviet-initiated nuclear test moratorium halted this sheer folly.

Still, Project Plowshare achieved its goals. Lewis Strauss, chairman of the AEC, admitted that Plowshare was intended to "highlight the peaceful applications of nuclear explosive devices and thereby create a climate of world opinion that is more favorable to weapons development and tests."

Atoms for Peace masks nuclear weapons buildup. Under the cover of the peaceful atom, Eisenhower pursued the most rapid and reckless nuclear escalation in history. The US arsenal went from a little more than 1,000 nuclear weapons when he took office to approximately 22,000 when he left. But even that figure is misleading. Procurements authorized by Eisenhower continued into the 1960s, making him responsible for the levels reached during the Kennedy administration -- more than 30,000 nuclear weapons. In terms of pure megatonnage, the United States amassed the equivalent of 1,360,000 Hiroshima bombs in 1961.

Few know that Eisenhower had delegated to theater commanders and other specified commanders the authority to launch a nuclear attack if they believed it mandated by circumstances and were out of communication with the president or if the president had been incapacitated. With Eisenhower's approval, some of these theater commanders had in turn delegated similar authority to lower commanders (I am grateful to Dan Ellsberg for this information). And given the fact that there were then no locks on nuclear weapons, many more people had the actual power, if not the authority, to launch a nuclear attack, including pilots, squadron leaders, base commanders, and carrier commanders.

In 1960, Eisenhower approved the first Single Integrated Operational Plan, which stipulated deploying US strategic nuclear forces in a simultaneous strike against the Sino-Soviet bloc within the first 24 hours of a war. The Joint Chiefs were subsequently asked to estimate the death toll from such an attack. The numbers were shocking: 325 million dead in the Soviet Union and China, another 100 million in Eastern Europe, 100 million from fallout in Western Europe, and up to another 100 million from fallout in countries bordering the Soviet Union -- more than 600 million in total.

The price of denial. While Americans were preparing for nuclear annihilation, the Japanese were living in their own form of denial. From its shaky beginnings in the 1950s, the Japanese nuclear power industry flourished in the 1960s and 1970s and continued to grow thereafter. Prior to the tsunami-precipitated Fukushima accident last month, Japan had 54 functioning nuclear power reactors that generated 30 percent of its electricity; some projected it would not be long before Japan reached 50 percent. But the terrible nuclear catastrophe in Fukushima has forced the Japanese to deal for a third time with the nightmarish side of the nuclear age and the fact that their nuclear program was born not only in the fantasy of clean, safe power, but also in the willful forgetting of Hiroshima and Nagasaki and the buildup of the US nuclear arsenal.

A reckoning with Japan's nuclear legacy is now taking place. Hopefully, the Japanese will move forward from this tragedy to set a path toward both green energy and repudiation of deterrence under the US nuclear umbrella, much as they blazed a path with their Peace Constitution and antinuclearism following the horrors of World War II.


Peter Kuznick
Kuznick is associate professor of history at American University and director of the Nuclear Studies Institute. Kuznick founded the Committee for a National Discussion of Nuclear History and Current Policy and co-founded the Nuclear Education Project. He is the author of Beyond the Laboratory: Scientists as Political Activists in 1930s America, co-editor of Rethinking Cold War Culture, and co-author of Rethinking the Atomic Bombings of Hiroshima and Nagasaki: Japanese and American Perspectives (in Japanese, 2010). Currently, he is co-authoring a 12-part documentary film series and book with Oliver Stone titled The Forgotten History of the United States, which is scheduled to air on Showtime in November.