Friday, August 23, 2013

オリバー・ストーン&ピーター・カズニック in 長崎: 長崎新聞の率直な報道

オリバー・ストーン監督とピーター・カズニック教授の長崎訪問についての長崎新聞の8月8-11日の記事を紹介します。

二氏は各地の講演や取材において、日本の侵略戦争と植民地主義の歴史について日本人自身がもっと学び教えなければいけないということを訴え、歴史を否定する安倍政権を批判してきていますがほとんどの媒体はその部分を報道しませんでした。「語られないアメリカ史」の作者二人は日本で大歓迎を受けながらも一方で、「語られない日本史」の現実に直面したと言えるでしょう。そんな中長崎新聞は、オリバー監督の「岡まさはる平和記念資料館」訪問に特化した記事をまとめた唯一の新聞社でもあり、その率直な報道姿勢は全国の媒体の手本と言えるものではないかと思います。@PeacePhilosophy


長崎新聞 8月8日
長崎新聞 8月9日
長崎新聞 8月10日
長崎新聞 8月11日

Thursday, August 22, 2013

読書感想:「民芸運動」の根底にある「平和思想」を考える by 田中利幸 - そして、9月28日(土)広島におけるブレス・トリオ演奏会のご案内


このサイトでおなじみの田中利幸さんによる寄稿を掲載します。広島近辺の方は最後に紹介されている9月28日午後2時半ー4時半、広島アステールプラザで開催される演奏会にぜひお越しください。申込制になっているのでお早目に。


読書感想:「民芸運動」の根底にある「平和思想」を考える

-中見真理著『柳宗悦 - 「複合の美」の思想』(岩波新書)を読んで —
 

田中利幸

(2013年8月18日) 

我家の私の連れ合いの書棚には『柳宗悦全集』全22巻が並んでいます。彼女は1970年代半ばから80年代半ばにかけて「民芸運動」に強く惹かれ、当時まだご健在だった染織家・外村吉之助氏が主催する民芸夏期学校に参加したり、東北から九州にかけて日本各地の陶芸、竹細工、木工、染色などの工芸職人を訪ね歩いたりしました。当時、オーストラリアの若い女性、つまり「外人さん」が「民芸運動」に興味をもつことすら極めて稀なことであったので、彼女は「民芸運動」に関わっている日本人からたいへん優遇されるという、ある種の外人特権を享受したわけです。そして1985年に、柳宗悦の民芸運動と思想に関する修士論文を執筆しました。 

当時ガールフレンドだった彼女が興味を持っていたことから、私も柳の著書のうち、自分に関心がありそうな部分をしばしば読んで楽しんでいました。また、柳と交流のあった寿岳文章先生の京都のお宅に彼女が聴き取り調査に出かけたり、柳宗悦についてすでに著書を出していた鶴見俊輔氏や当時筑波大学助教授で若手の気鋭の民芸運動研究家であった熊倉功夫氏に彼女が会って研究上のアドバイスを受けるときにも、ずうずうしく彼女についていって、黙って会話を聴いていました。彼らはきっと「うさん臭い日本人がついてきたな」と思ったことでしょう(笑)。 

とにかくそんな関係から、私も柳宗悦に若い頃からかなり関心がありましたし、この数年も、機会があるごとに連れ合いと二人で、柳宗悦ゆかりの窯場である九州の小鹿田(おんた)窯や島根の出西(しゅっさい)窯、出雲民芸館、鳥取民芸館などを訪ね歩いて作品鑑賞を楽しんでいます。 

柳宗悦が、1920年代初期に「朝鮮独立運動」支持を表明した当時の数少ない知識人の一人であったこと、また1930年代末から40年代初期にかけて日本政府が標準語使用を沖縄で強制することで琉球語の撲滅をはかる政策を打ち出したことに強く反対したことについては、私も彼の著作から知っていました。したがって、このような発言を行った柳の思想的な背景には、単なる朝鮮工芸美術、沖縄工芸美術の保護という観点からのみならず、もっと深い反植民地思想があったに違いないと、私も全くの門外漢ながら思っていました。しかし、柳の全集の中には、反植民地思想や平和思想について直接に問題にしている論考は、ざっと見たところ何もなさそうでしたので、私はそれ以上調べてみようとは思いませんでした。 

今回、中見さんの著書を拝読して、柳にはやはり彼独自の深い「平和思想」があったこと、「民芸運動」とその「平和思想」には密接な関連性があることがよく理解できました。柳が自分の出版物ではほとんど直接に且つ明確には、すなわち体系的には著さなかった「平和思想」を、いったいどのように中見さんが明らかにするのかについて私はとても興味があったので、この本を読み進めて、彼女の緻密な研究方法に驚かされました。中見さんは、柳が読んだ様々な著書に柳自身が書き込みをした手書きのコメントや意見を湛然に拾い集め分析され、さらには柳の日記や未発表原稿にも目を通されています。さらに、柳と直接交流があったとは思われないが、確実に思想的影響を受けたと思われる幸徳秋水、大杉栄、石川三四郎、有島武郎などの人物との間接的な関係についても言及することで、柳の思想構築の過程を浮き彫りにしようと試みておられることです。 

中見さんのこの著書に触れて、柳がクロポトキン、トルストイ、バートランド・ラッセル、マハトマ・ガンジーなどの著書を深く読み込んでいたことを初めて知りました。とくにクロポトキンの著作(英語版)を、柳は1909~10年にかけて熱心に読んでおり、柳の蔵書の中には『ある革命家の思い出』、『パンの取得』、『田園・工場・仕事場』、『相互扶助論』、『ロシアにおけるテロル』の5冊もあるというご指摘は驚きでした。当時は危険思想とみなされ翻訳本発禁処分となっていたクロポトキンの著書を、柳が英語版で読んでいたという事実は、いかに彼がクロポトキンに共鳴していたかを裏付けています。 

中でも『相互扶助論』から学んだ「相互補助」という思想を、柳はその後自分なりに発展させていき、「東洋と西洋」や民芸運動での「個人作家と(無名の)工人」のあるべき姿としての「相互扶助」、すなわち私自身の言葉で置き換えれば「平等な関係としての共生」という思想を打ち立てていったことを中見さんは明晰に解説されています。最終的に、柳のこの「相互扶助」思想は、ウィリアム・ブレイク思想からの影響も受けて、「複合の美」という言葉で表現される柳宗悦独自の思想へと深められていきました。 

「複合の美」とは、存在する「もの」や「ひと」それぞれに何らかの価値=美があり、その価値に優劣をつけること自体が人間の愚かさであり、それぞれの「美」が相互にその価値を認識し合い共存することで、豊かな美で構成される「共生社会」が作り上げられるという観念です。朝鮮のみごとに優雅な白磁、沖縄の華やかな紅型や絣、アイヌの繊細な布地模様や木工、そのほか日本各地に点在する様々な工芸品など、それらが有している独自の美=価値を尊重し、相互にその美を認識し合うことで「複合の美」としての多文化・多民族の共生社会が構築される、というわけです。したがって、柳が推進した「民芸運動」には、実は、その根底に「多文化共生社会構築」という思想が裏打ちされていたのであり、したがって当然そこからは「自己文化の自立」はもちろん「他民族文化の自立」尊重という思想が生まれてくる。そこに柳の「平和思想」の原点があるということが、中見さんの簡潔明快な解説で明らかにされています。 

このような形で「民芸運動」と「平和思想」の相互関連性について解説した論考は、これまでなかったのではないでしょうか。「工芸品の美」の中に「美の共生」を求め、そこから「多文化社会構築」という「平和への道」を模索する。「美の探求」と「平和の探求」は同一のものであるべきだというメッセージを柳宗悦の思索と行動のなかに見いだす、とても貴重な仕事を中見さんはこの著書でされていると思います。 

もちろん思想と実践活動との矛盾など、柳には欠点ももちろんありますが、ここでは触れる余裕はありません。しかし、正直なところ、近年ますます私は、政治活動のみとしての反戦平和運動や反核・原発運動には限界があるということを痛切に感じています。多くの市民の魂を動かすような草の根市民活動は、まさに柳が探求していたような「美の共生」という局面を強く持った、感動的なメッセージを持つ「文化活動」であるべきではないかと私は感じています。とりわけ、被爆者や「慰安婦」のような戦争暴力の被害者の「苦悩」と「痛み」を、生々しく証言できる被害者がこの世にいなくなった後世にまで伝承させ、それを「平和構築活動」に活かしていくには、その「苦悩」や「痛み」の根源的要素を徹底して普遍的な「象徴的表現」にまで変容させることが必要なのではないかと思うのです。ギリシャ悲劇が幾世紀にもわたって、人間の運命の悲哀を連綿と私たちに伝えてきたように。 

広島に関連させて最近の具体的な例をあげるならば、佐村河内守作曲の交響楽「HIROSHIMA」や石内都撮影の写真作品「遺されたものたち」、強制連行・核兵器・戦争などを題材にした多田富雄による現代能など、こうした現代文化作品を、広島が貴重な遺産としてもつ栗原定子、峠三吉、原民喜などによる様々な文学作品同様に、私たちの市民活動の中で、できる限り活用していくべきではないか。さらに私たち自身が、音楽、演劇、文芸、美術などの分野で新しい文化作品を産み出すという活動を「平和構築活動」の一環として進めていくべきではないか、と思うのです。そのような文化活動は、もちろん「自分たちだけの被害」を訴える狭隘なものではなく、「自分たちの加害」の問題とあらゆる暴力の被害者の「痛み」を訴える普遍的なメッセージを象徴的に表現するものでなくてはなりません。そのようなすばらしい潜在能力を私たち日本人はもっているにもかかわらず、まことに残念ながら、それを活かしきれていないと私は感じています。文化活動と草の根の市民政治活動が分離してしまっているのが現状です。 

そこで我田引水で恐縮ですが、そのような文化活動の一つとして、来る9月28日に下記のような演奏会を広島市内で開くことを企画してみました。日本の伝統楽器である尺八と琴、オーストラリアのアボリジニの楽器ディジルドゥ、そして現代音楽のビート・ボックスの共演、つまり「複合の美」を狙ったパフォーマンスです。お時間がありましたら、ぜひお出で下さい(ただし先着申し込み70名限定)。ブレス・トリオは広島での演奏の後、福島でチャリティー演奏会を開く予定です。
 

ブレス・トリオ演奏会

尺八、ディジルドゥ、ビート・ボックスのユニークなコンボ
ブレス・トリオ + 藤川いずみ(琴)

ブレス・トリオ http://BreathTrio.com
(オーストラリアをホーム・ベースに活躍するトリオ)
尺八:アン・ノーマン
ディジルドゥ:サンシー
ビートボックス:レオ

琴:藤川いずみ http://koto-izumi.com/youkoso.html

日時:2013年9月28日(土曜) 午後2:30(開場2:00)~4:30
会場:アステールプラザ(広島市中区加古町4-17)大音楽室

入場料:¥2,000
先着申込70名限定

申込方法:メール tanaka-t@peace.hiroshima-cu.ac.jp 

プログラム

茶音頭         尺八 + 琴
打波             竹の響きの会 友情出演
秋の曲          尺八 + 琴
夏時雨          尺八 ソロ
コーリングズ       尺八 + 琴

休憩

ピナクルズ         尺八 + ディジルドゥ 
波に漂う           尺八 + ディジルドゥ + ビートボックス
朝靄につつまれて    尺八 + ディジルドゥ
雨踊る海面         ビートボックス ソロ
セイクリッド!        尺八 + ディジルドゥ + ビートボックス
菩薩             尺八  + 鈴 + 唱詠
Bare back on the Beach 
尺八 + ディジルドゥ + ビートボック

 

Tuesday, August 20, 2013

ジャパンタイムズ記事翻訳: ストーン監督、日本の防衛問題に苦言 Japan Times - Stone weighs in on Japanese defense

8月17日、The Japan Times 『ジャパンタイムズ』紙に掲載されたフィリップ・ブレイザー氏によるオリバー・ストーン、ピーター・カズニック両氏来日についての記事の翻訳です。

長崎原爆資料館で囲み取材を受ける。左からピーター・カズニック、オリバー・ストーン、
当ブログ運営者の乗松聡子。(写真:朝日新聞)


Stone weighs in on Japanese defense
http://www.japantimes.co.jp/news/2013/08/17/national/stone-weighs-in-on-japanese-defense/ 

ストーン監督、日本の防衛問題に苦言

フィリップ・ブレイザー

翻訳 酒井泰幸

2013年8月17日

 8月は、日本のマスメディアが平和について、少なくとも戦争の不在について、関心を向ける季節である。原爆投下とそれに続く敗戦・降伏 の記念日をとらえて、日本がおこなった20世紀中盤の血なまぐさい軍事作戦から日本が何を学んだかについての議論が、紙面と電波において繰り広げられる。多くの人々にとっては、日本が戦後に安定と繁栄を享受してきたという事実が、教訓を学んだことの証拠である。

 だが今年は、自民党の返り咲きと日本の再軍備を阻む憲法9条を見直す動きの中で、過去を思い起こすことがより大きな意味を持った。偶然にも、今年の4月から NHKで放映された 10部からなるドキュメンタリー・シリーズ『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』を共著した、映画監督のオリバー・ ストーン氏とアメリカン大学の歴史学者ピーター・ カズニック教授の訪日の様子を、メディアは報道し続けた。

 表向きは、ドキュメンタリーのプロモーションのための訪日だが、ストーン監督とカズニック教授は、アメリカの軍事力に向き合う日本の立場について積極的に意見してきた。先週、外国特派員協会で行われた二人の記者会見で、ストーン監督は語気を強めて第二次世界大戦以後のアメリカの外交政策を非難していた。原爆投下は、アメリカで受け入れられているように人命を救うためではなく、人種差別的で戦略的な理由のために実行されたとストーン監督が認めたことに、日本の記者たちは釘付けになっていた。しかしストーン監督の中心的なメッセージは、「アメリカの富にとって安全な世界を作るというアメリカの使命」とストーン監督が表現するもののために、日本はアメリカに同調すべきではないということなのだ。

 さらに、カズニック教授が指摘したように、支出の面で日本は既に世界で屈指の規模(2012年に第5位)を誇る軍隊を持っている。 この予算は日本の自衛能力を保持するために使われてきたが、日本が集団的自衛に参加する権利への制約を撤廃するよう、アメリカは日本に求めている。これはつまり、もしアメリカやその「国益」が攻撃されたら、日本はアメリカを助けに行くことを意味している。

 先日の社説で読売新聞は、自民党の立場はアメリカの圧力に屈するのではなく、かつて自民党の有力者であった小沢一郎が述べていたように、「真の国家」の責務を認めることにあると総括した。読売は、小松一郎を内閣法制局長官に指名したことを賞賛していた。小松は集団的自衛への参加に賛成で、彼が内閣のために憲法を解釈する役職に就いたことは、「我が国の自衛のための必要最小限の行動」を踏み越えようと政府が本気で考えている兆候である。読売が小松の任命に賛同する根拠は、1950年代いらい日本を再軍備するための取引で米軍が言及したのと同じ論法で、日本は東アジアの「安全保障環境の変化」に対応しなければならないというものだ。

 言い換えれば、日本は北朝鮮と中国からの攻撃を防ぐ準備をしなければならないということだ。このような能力は「全ての国家が持つ権利」であると読売は主張するが、それに付帯する責任については触れていない。読売によれば、集団的自衛は「日本の平和を確かなものに」するが、東アジア全体の平和という、もっと困難だが望ましい目標からは目をそらす。ストーン監督が指摘したように、これは日本が攻撃能力を持てば台無しになりかねない目標である。

 北朝鮮と中国には好戦的な傾向があることをストーン監督は否定しないが、ときおり日本で国家主義が噴出したり、帝国主義的な日本の過去について真実を語ることを躊躇したりといったことはあっても、この地域で苦しみの末に勝ち取った平和の光明としての日本の立場は否定できない。さらに、もし日本がアメリカと共に戦えば、世界で最も好戦的な勢力に加担することになる。1945年以来、アメリカはいったい幾度の戦争を戦ったのだろう。ストーン監督は、日本の兵士が 「死体袋に入って帰国する」ようになるのは単に時間の問題だと予測する。

 小松の任命は、自民党が憲法をうまく回避したいと望んでいることを意味する。朝日新聞は最近、首相の安全保障問題に関する有識者会議の座長である北岡伸一と対談したが、日本は軍事的能力を「最小限に」保ったまま集団的自衛に参加できるが、法的制約はもはや無意味かもしれないと彼は語る。東京新聞が引用した専門家は、先日のレッドフラッグ・アラスカ軍事演習で、自衛隊がアメリカのB-52戦略爆撃機の支援を担当したが、B-52は攻撃用の航空機なのだから、これは憲法9条違反であると断じた。

 もしも憲法9条が損なわれずに残ると望む理由があるとすれば、まさに今それが残っているという事実であろう。NHKは2002年に、Y委員会についてのドキュメンタリーを放映した(現在もオンデマンドで視聴可能である)。それは帝国海軍の元将校の団体で、アメリカの支援を受けて日本の海軍を復活させるため、1951年に密会を持った。この委員会は、もはや「日本を守るために自らの命を差し出す意志のある者はいない」と絶望したが、なぜそうなったのかを考慮することはなかった。

 朝鮮戦争で機雷除去作業のため日本の海上保安庁がアメリカに徴用され、掃海艇の1隻が沈没すると、国民感情が前面に押し出された。海上保安庁は即座に戦争協力を止めた。やがてY委員会の尽力で海上自衛隊が創設され、戦前の軍旗[旭日旗]、信号ラッパ、エリート主義的態度など、あらゆる旧海軍の名残を受け継いだが、攻撃能力は持たなかった。それはまさに演劇化された帝国海軍であった。

 先週放映されたNHK ドキュメンタリー『自衛隊と憲法 日米の攻防』は、1991年の湾岸戦争が始まったとき、アメリカが日本に戦闘員を派遣するよう圧力をかけたことを描いた。当時の海部俊樹首相が憲法9条を厳格に解釈したおかげで、日本は支援金を送っただけだった。政府内の保守派はこの屈辱に不平をこぼした。元アメリカ大使のマイケル・アマコストは、明らかに日本を再軍備させることが主要な任務だったが、「仲間外れにされることに対する日本の恐れ」をアメリカは利用すべきだと語った。しかし海部は結局、日本国民はいまだに「軍隊に対する強い不信感」を持っていることを認めた。

 この感情が大きく変化したと考える理由はどこにもない。5月に安倍晋三首相は、「意に反する苦役」を禁じる憲法18条も徴兵制度の妨げになるかもしれないから見直すのかと質問された。安倍はそのつもりはないと答えた。再びこの国が戦争の出来る国になれば、十分な人数の日本人の若者が志願することに彼が自信を持っているのは明らかだった。すべては、若者たちが歴史からどのような教訓を学んだかにかかっている。その歴史は、日本だけのものではない。

Saturday, August 17, 2013

「日本の食事も映画もすばらしいが、政府は低劣」-オリバー・ストーン、日本へ自省を促す: 広島企画の報告(田中利幸)

オリバー・ストーン&ピーター・カズニックの広島での講演のホスト役を務めた広島平和研究所教授の田中利幸さんによる報告です。広島九条の会のニュースレター用に書かれたものを転載許可していただきました。


8月5日ゲバントホールにおける
イベントのチラシ
 
 
「8.6ヒロシマ平和へのつどい2013」特別企画報告

田中利幸

 特別企画の背景

今年の「8.6ヒロシマ平和へのつどい2013」は、8月5日午後1:30より、特別企画、オリバー・ストーン、ピーター・カズニック対談「アメリカの世界支配と日米安保」を開催した。恒例の「つどい集会」は、この特別企画が終了した後、夕方6時から開催した。

毎年8月4日から7日まで、20〜30名ほどのアメリカ人学生グループを立命館大学の学生たちと一緒に広島に学習旅行に連れてくる私の友人、ワシントン郊外にあるアメリカン大学のピーター・カズニック准教授から、今年は、映画監督オリバー・ストーンが同行するので、ストーン監督が講演できるような特別企画を計画してもらいたいという要請が私にあったのは、確か4月の中旬だったと記憶している。この時点ではすでに数百名を収容できる会場はほとんどどこも予約ずみ。幸いにして、8月5日終日空いている300名収容のゲバント・ホールをなんとか確保できた。 

カズニック准教授は、アメリカ近現代史を専門とし同大学の核問題研究所の所長も務めている。彼は、1995年スミソニアン博物館でエノラ・ゲイ爆撃機展示が行われた際、原爆の人的被害の説明を一切含めないという決定が行われたことに対する抗議表明として、アメリカン大学学長を説得して同大学で「原爆投下」問題に関する学会開催を実現させた。以来17年間にわたり米国人学生を毎年8月に広島・長崎に学習旅行に連れてきており、私が彼らに原爆投下問題に関するテーマで講義をするのが毎年の恒例となっている。カズニックは、自分が教えるアメリカ現代史で、ストーン監督が制作した政治的テーマの様々な映画 – 例えば『プラトーン』、『JFK』、『ニクソン』、『ウオール街』など – を学生に観せながら授業をすすめるという興味深い授業方法を長年とってきた。そんなことからストーン監督と親交を深めてきたこともあり、2008年から、彼はストーン監督と共同で、ドキュメンタリー映画『もうひとつのアメリカ史』10部作のための脚本執筆に専念してきた。昨年秋に映画と同時に著書も完成し、映画はアメリカ各地のみならず南米、ヨーロッパ、オーストラリア、ニュージーランドなど世界各地で上映され、好評を博した。アメリカやイギリスでは、すでにDVD版が売り出されている。著書のほうもアメリカではベストセラーの一冊となり、日本でもすぐに翻訳本が早川書房から出版された。映画はNHKのBS放送ですでに数回放送済みである。 

ドキュメンタリー映画の内容と「対談」準備

8月5日当日は、最初に、このドキュメンタリー映画『もうひとつのアメリカ史』10部作のうちの第3部『原爆投下』を上映した。NHKからの特別許可を得て、テレビ上映では上映時間の都合上カットした部分を元にもどし、オリジナルのままの長さのフィルムを上映できた。会場となったゲバント・ホールは、当日1週間前までは申込者数が200名ほどしかいなかったため、会場を埋めることができるかどうかかなり心配したが、最終的に、カナダのバンクーバー在住の乗松聡子さん(「ピース・フィロソフィー・センター」というウエッブ・サイトを運営)にツイッターで情報を拡散していただいたおかげで、満席となった。ちなみに、乗松さんが、今回のオリバー・カズニック日本講演旅行(広島の後、長崎・東京・沖縄訪問)の全体のコーディネーターという重要な役目を果たされた。 

第3部『原爆投下』の骨子は、戦争終結のために実際には原爆投下は必要ではなかったのであり、当時はすでに日本政府が降伏の条件を探りつつあったし、最終的にポツダム宣言を受諾した理由にはソ連の満州侵攻や日本国内の政治状況など様々な要因が働いていたというものである。原爆投下後は「原爆投下で戦争が終結していなければ、結局は百万人という死者がでたであろう」という原爆投下正当化のための「神話」が作り上げられていった。さらに、ルーズベルト大統領時代の一時期に副大統領を務めたヘンリー・ウォレスというひじょうに進歩的で人権意識が高く平和主義的な人物が、極めて凡庸なトルーマンを支援した保守一派の裏工作が成功せずに、大統領になっていたならば、戦争終結のあり方のみならず、戦後社会のあり方も違っていたであろうという意味深いメッセージを含んでいる内容となっている。 

当初の計画では、ストーン、カズニックに、最近、沖縄基地問題で共著本を出版した乗松聡子さんを加えた「対談」を私の司会で、映画上映を終えた30分後の午後3:15から始める予定であった。しかし、3人の会場到着が少々遅れたため、午後3:30から開始。それでも予定通り90分にわたる極めて内容の濃い議論ができた。 

私は、この「対談」のために前もって6つの質問を用意しており、前日の8月4日夜に3人と夕食をともにした折に、これらの質問について事前に打ち合わせをするつもりであった。ところが、ストーン監督は、来日直前にスペインと韓国を訪問するという強行スケージュールをこなしており、しかも時差ボケも加わって、疲労困憊の状態。食事途中でその場でぐっすり寝込んでしまい、相談などできる状況ではなかった。したがって、翌日の議論は文字通り「ぶっつけ本番」で行ったが、6問のうち5問について議論することができた。 

「対談」の一部紹介とストーン発言

この紙面では議論の内容を詳しく説明している余裕がないので、そのうち2問に関する議論を簡潔に紹介しておく。 

質問:ヘンリー・ウォレスのような真の平和主義者、民主主義者が有力な政治家となれるような政治社会環境が、戦後は、アメリカ、日本のみならず、世界中でほとんど失われている(例外:日本の石橋湛山1956年12月〜57年1月総理大臣在任期間65日、南アフリカのマンデラなどごく少数)。ウオレスのような倫理的想像力をそなえた政治家が十分に活動できるような社会を、アメリカでも日本でも再び作り上げるにはどうしたらよいのか?軍産複合体制と関連する問題なので、ひじょうに難しいとは思うが。

答え(カズニック):アメリカでの黒人民権運動家であったマーチン・ルーサー・キング牧師のような傑出した指導者が指導者たりえたのは、キング牧師の優れた能力そのものだけに帰せるものではなく、彼を支えた幅広く力強い大衆運動があったからこそである。すぐれた政治家を産み出すには、多くの市民を巻き込む幅広い大衆的な民主主義運動が不可欠であることを私たち市民が明確に自覚する必要がある。 

質問:「慰安婦」問題、「侵略戦争」定義問題、「ワイマール憲法とナチス」解釈問題と、日本の政治家の、あまりにも低劣な「歴史認識」を露呈する発言が頻発している。歴史教育の重要性を痛感させる出来事である。アメリカでは、お2人の今回のドキュメンタリー映画/著書もそうであるが、ハワード・ジンの著書『民衆のアメリカ史』のような、アメリカ史を根本的、批判的に見直す、すばらしいベストセラーがある。にもかかわらず、これらがアメリカ市民の間の支配的な歴史観を形成するものとはなっていないように思える。それはなぜなのか?正しい歴史認識を市民の間で構築するための助言は?

答え(オリバー):ジン教授や私たちの今回のドキュメンタリー映画/著書は、確かに一時はベストセラーとなっているが、アメリカ全体の映画や出版状況からみれば、まだまだ少数派のレベルを脱してはいない。しかし、主流派とは異なった、且つ主流派の歴史認識の仕方に常にチャレンジするような、このような映画番組制作や著書出版を地道に続けていくことが、最終的には大衆意識を変革するためには必要不可欠であり、日本でもそのような活動を推進していくことが重要である。私自身、ベトナム戦争に兵士として関わり、1986年に映画「プラトーン」を制作するまでは、ベトナム戦争は「正しい戦争」だという誤った考えを持っていた。子供の頃受けた教育でも、「原爆投下」をはじめアメリカが行ってきた戦争行動は全て正しいと教わってきた。しかし、映画制作のためにいろいろ学んだ結果、私の歴史認識は根本的に変わった。 

つまり、この2つの質問に対する2人の答えに共通する考えは、草の根運動である市民活動に必要なのは、大衆の歴史認識を変革するような幅広い且つ力強い運動を地道に続けていくこと。さらに、そうした意識変革のためには大衆文化である映画という媒体も多いに活用すべきである、ということであろう。 

私の記憶に鮮明に残ったストーンの言葉は、翌日8月6日午後のHANWA/NODU共同集会での次のような発言であった。「ドイツの食事や映画はまずいが、ドイツ政府は優れている。逆に、日本の食事も映画もすばらしいが、政府は低劣である。」「(戦争加害責任を明確に認識するためには)日本人は、まず自分自身を憎悪することから始めるべきだ。自分の欠点を憎むことで自分を変革することが自分を進歩させる。」 

— 完 —

Thursday, August 15, 2013

長崎新聞8月15日インタビュー記事『9条は戦争の教訓』

8月に入ってから一度もブログの更新ができておりませんでした。8月4日から15日までのオリバー・ストーン監督の来日の手配、アテンド、通訳、メディア対応、イベントでのパネリストや自分自身の講演などもこなしつつ、アメリカン大学のピーター・カズニック教授と立命館大学の藤岡惇教授が毎年主催している日米学生の広島長崎の旅のスタッフも兼任していたためです。一体自分でもどうしてここまでこなせたのかわからないし、実際にどの任務もしっかりこなしていたとは言い難く、反省もあるのですが、昨日、オリバーとピーターを成田空港から見送り、ひと息ついています。この3か月、日常の仕事に加えオリバー来日準備で明け暮れ、自分を見失ってしまったかのような状態におちいったこともありますが、全て終わった今、悔いはありません。広島、長崎、東京、そして沖縄にまでオリバー旋風が吹き荒れ、たくさんのメディアにも注目いただき、オリバーとピーターが『もうひとつのアメリカ史』The Untold History of the United States で訴えている、不正を正しよりよい社会を作るための歴史教育の重要さというメッセージが日本において少しでも広く伝わったのではないかと願っています。全国で協力いただいた皆様、イベントに参加いただいた皆様に深く感謝しております。

ブログ復帰第一弾は、8月10日、長崎で長崎新聞にインタビューいただいたときの記事が8月15日、降伏記念日付で出ましたので、それの切り抜きを転載します。@PeacePhilosophy 乗松聡子

長崎新聞 2013年8月15日 20頁より



Saturday, July 27, 2013

オリバー・ストーン&ピーター・カズニック広島での8月5日公開イベント「アメリカ史から見た原爆投下の真実」サイン会も!

8月4日から15日、広島、長崎、東京、沖縄を訪れる、テレビドキュメンタリーシリーズおよび書籍 The Untold History of the United States (日本語版は「オリバー・ストーンが語る もう一つのアメリカ史」としてNHK放映、早川書房翻訳出版)共作者、米国映画監督オリバー・ストーンと歴史学者ピーター・カズニック(来日総合情報はここを参照)。最初の公開イベントは8月5日午後1時半より、広島市内のゲバント・ホールにて。参加申し込みと問い合わせはこのポスターに記載されている主催団体「8.6ヒロシマ平和へのつどい2013」の連絡先までどうぞ。当日は早川書房の書籍「オリバー・ストーンが語る もう一つのアメリカ史」1-3巻を販売、イベント後は著者たちによるサイン会も行います。広島市立大平和研究所の田中利幸氏が司会進行、このブログの運営者、乗松聡子も参加します。ふるってご参加ください。また、当日広島にいる人たちに声をかけてください!

 
 
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Saturday, July 20, 2013