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Sunday, February 14, 2021

カナダ9条の会オンライン講演会「核と人類は共存できない-核兵器禁止条約発効と、福島原発事故10年の節目に考える-」 落合栄一郎さんを迎えて Article 9 Canada presents Eiichiro Ochiai's talk "Nuclear and Humanity Cannot Co-exist: Marking the 10th Anniversary of the Fukushima Daiichi Nuclear Accident and the Enactment of the Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons"

 カナダ9条の会 オンライン講演会第一回

核と人類は共存できない

ー核兵器禁止条約発効と、福島原発事故10年の節目に考えるー

落合栄一郎さんを迎えて

落合栄一郎さん
 2021年1月22日、核兵器禁止条約 (Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons(英語条文はここ外務省の日本語仮訳はここ)が発効となりました。核兵器の使用、使用の威嚇、開発、実験、生産、製造、取得、保有および貯蔵を禁止し、その移譲、受領、禁止行動に対する援助、奨励、勧誘も禁止する、全面的な「禁止」条約は長年の世界の被爆者や根強い市民社会の運動の成果と言えます。条約では「核兵器に関する活動が先住民にもたらす均衡を失した影響を認識し」と、核問題と植民地主義の関連にも触れています。
 1月22日の時点で86国が署名、52国が批准していますが、全ての核保有国および米国の同盟国(カナダを含むNATO諸国、日本、韓国など)は参加していません。また、「無差別に平和的目的のための原子力の研究,生産及び利用を発展させることについての締約国の奪い得ない権利に影響を及ぼすものと解してはならない」と、原子力発電を問題視していません。
 きたる3月11日は、東日本大震災・津波および福島第一原発の大事故発生から10周年を記憶する日です。10年経っても収束からは程遠く、環境や生物、人体の被曝被害は継続し、いまだに3万から6万以上といわれる人たちが避難生活を強いられています。
 今回は、米国の大学で教鞭を取りながら長く平和・反核運動にも従事し、退職後もバンクーバー9条の会の会長を務め、化学者として、核兵器であれ原発であれ「核と人類の共存はできない」との主張を英語・日本語の著書や講演・執筆活動で続けてきている落合栄一郎さんを講師に迎えたいと思います。

時間:

    バンクーバー(太平洋標準時):3月6日(土)午後5時ー6時半

    トロント・モントリオール(東部標準時):3月6日(土)午後8時ー9時半

    日本 3月7日(日)午前10時ー11時半

参加費 無料

主催    カナダ9条の会 (Article 9 Canada) 

後援    Peace Philosophy Centre

定員 先着100名

言語 日本語(質問は英語でも受け付けられます)

要事前登録。このリンクから登録してください:

https://us02web.zoom.us/meeting/register/tZAkd-CqpzwuH9TgE_7TFU-5iaHV07xyfP-0 

問い合わせ先:article9canada@gmail.com 

講師プロフィール:落合栄一郎(おちあい・えいいちろう)

1936年東京生まれ。ペンシルバニア州のジュニアータカレッジ名誉教授。東京大学工業化学科卒、同大博士課程終了工学博士。カナダ、アメリカ、スウェーデン、ドイツなどの大学で化学の研究教育に携わる。2005年退官後はバンクーバーで、バンクーバー9条の会、世界連邦協会等を通じて平和活動を行いながら英語、日本語で、放射能や被ばくの危険性についての執筆活動に従事する。

著書:Bioinorganic Chemistry, an Introduction (Allyn and Bacon, Boston, 1977)、 Bioinorganic Chemistry, a Survey (Elsevier, Amsterdam,2008)、 Hiroshima to Fukushima (Springer, Heidelberg, 2013)、 Nuclear Issues in the 21st Century , Nova Science Publ, New York, 2020)、『原爆と原発』(鹿砦社、2012)、『放射能と人体』(講談社、2014)、『病む現代文明を超えて持続可能な文明へ』(本の泉社、2013)等多数。

 ★バンクーバー、トロント、モントリオールの9条の会が横につながり、大きな「カナダ9条の会」という枠組みで、日本やその他の国に住むメンバーも含め、日々意見・情報交換をしてきましたが、コロナの影響で活動はオンライン中心となりました。2021年から、不定期となりますが誰にでも参加してもらえるズーム講演会シリーズを企画しようということになり、これが第一回となります。

Monday, February 01, 2021

「徴用工問題は“解決済み”ではありません。今こそ被害者の人権と尊厳の回復を求めます」署名運動に協力ください。Please sign on to the petition: The Forced Labour Issue Has NOT Been “Already Settled.” We Demand Restoration of Human Rights and Dignity for the Victims.

新年のご挨拶もしないままに2月になってしまいました。「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」と言われていますが1月は「徴用工問題」についての声明・請願を準備するなどで忙しくしていました。日本では、植民地支配下で強制動員され人権を侵害された「徴用工」「女子勤労挺身隊員」、「日本軍『慰安婦』」制度被害者が日本企業や政府を相手どって賠償の訴えを起こした訴訟に対し韓国の裁判所が日本企業、政府に賠償を命じる判決を下していることに対し、政府もメディアもこぞって「国際法違反だ」「反日だ」「日韓関係を傷つける」と繰り返し、一般市民の意見もそれらの体制側の連呼によってかなり影響を受けてしまっていることに深い懸念を抱きます。日本の多くの人たちは、広島や長崎の原爆投下、各地の空襲、沖縄戦の被害者など、戦争の民間人被害者に対しては心を寄せるのに、同様に大日本帝国が行った戦争や植民地支配に被害を受けた強制動員の被害者に対してどうしてここまで冷淡になれるのか、その二重基準を問いたいと思います。昨秋から、同じ問題意識を共有している、元秋田大学教員の勝守真さんと、東京都立大教員の石川求さんと一緒に声明・請願を用意し、1月31日に、Change.org で署名運動を開始しました。呼びかけ人87人(2月2日現在)とともに広く呼びかけます。みなさん、署名をお願いします。

徴用工問題は“解決済み”ではありません。今こそ被害者の人権と尊厳の回復を求めます。

文面、呼びかけ人リスト、署名はこちらから→http://chng.it/mhFWr9r9YS

この運動の呼びかけをしている間に、「不二越強制連行・強制労働訴訟を支援する北陸連絡会」の中川美由紀さん(上記署名運動の呼びかけ人の一人)から会のニュースレター「北陸連絡会ニュース」2021年1月号が送られてきました。その中に掲載されていた村山和弘さんの寄稿が、自分にとっても、戦争責任・植民地支配責任を担う平和運動全体にとっても、大きな示唆を与えてくれる一文と思い、許可をいただいて以下に転載します。

今年も不規則ながらこのブログを更新していきますのでどうかよろしくお願いします。

ピース・フィロソフィーセンター 乗松聡子 @PeacePhilosophy 


以下、「北陸連絡会ニュース」2021年1月号より転載

2021年、不二越闘争29年 

    侵略と植民地支配の「日本を変える」始まりへ

第一次・不二越訴訟連絡会(植民地支配・強制連行・戦後を考える連絡会事務局長)

村山和弘

 不二越徴用工闘争原告団長の金景錫(キムギョンソク)さんや連絡会代表の李鎮哲(イジンチョル)さんをはじめ、多くの方が亡くなられた。私は当時の記憶を呼び覚まして、記録に残すことが義務だと痛感させられている。

 2年経過したが、韓国大法院徴用工判決は右翼安倍政権にショックを与えた。判決を受けて不二越門前行動を取材に来た記者たちは、連絡会の活動に衝撃を受けていた。旭日旗を掲げた右翼も刺激的だった。真実を知ろうとした記者たちは、韓国のハルモニの声を直接聞きたいと訪韓し、その姿と声をドキュメント番組にした。だが、実際に放映されるまで時間がかかった。多くの苦労があったともれ聞く。日本社会には排外主義の嵐が渦巻いていた。その中でも自粛と忖度を乗り越える勇気が記録映像となり、日本の多くの人々に届けられた。これは、一地方の長い運動が世代を超えて連鎖した成果だった。小さいが大きな意味を持つ、日本社会を変える重要な変化だ。トンネルの出口から、光明が射してきている。

 連絡会の軌跡を記していきたい。


徴用工闘争から見えるー① 今も、植民地国家の中に生きている私たち

1927年(福岡県八幡)監視下の土木作業
 戦争の末期、不二越の労働者8千名が戦場に送られた。その一方、軍需増産の為に韓国の小学生までも次々と富山に連行された。日本全体で、強制連行は100万人に及んだ。それ以前から来ざるを得なかった人を合わせると約200万人以上。日本の敗戦で約130万人が帰国したが、祖国に生活基盤がなくなっている人々など約65万人が日本にとどまった。強制連行した不二越は、「徴用工は用済み」と、彼ら彼女らを放り出した。


天皇「最後の勅令」-差別と抑圧の管理体制-

 GHQの占領政策は「間接」統治であり、日本政府は戦後も戦前勢力の温存を図っていた。本来なら植民地支配下で差別を受けた朝鮮人に謝罪すべき日本国家は、逆に戦前の延長として、朝鮮人を新たな「差別と抑圧」の管理体制下に置いた。1947年5月2日、憲法施行の前日に天皇「最後の勅令」を発し、日本に居る朝鮮人を一方的に外国人とした。そして5月3日、憲法施行によって大日本帝国「臣民」を、日本の「国民」とした。日本国憲法の特徴は、「国民主権」と述べず、第一章「天皇は『国民』の総意」と述べたことにある。こうして朝鮮人には外国人登録証を携帯させ、国籍条項により憲法から排除した。

1945年12月、戦犯25万人を公職追放

 50年、戦犯の追放解除で公職復帰‐レッドパージ‐再武装

 「戦犯追放解除」(岸信介など25万人公職復帰)で戦犯が日本の要職を占めて、現在に至る支配体制を再確立する。レッドパージは、新聞社と労組の活動家を職場から追放した。そして「在日」の民族教育を禁止した。GHQ内の右派は特高警察を仲間とし、民政局(民主化を進め、労働組合の結成を支援)の人々を米国に帰国させて、「赤狩り」の標的とした。

1947.2.1ゼネストは
前日にGHQが中止命令
 朝鮮戦争を神風と喜び、日本経済が復興する一方、「在日」を日本から消すために、「人道」の名で「北送」事業を行った。そして岸信介の暗躍による1965年の日韓条約とベトナム戦争の特需を基に、日本は経済大国となる。戦争で焦土となった過去は幻と思われた。だが高度成長下の日本では、新たな差別と解雇が重なっていた。植民地支配は、実は日本社会の内側を深く侵食していた。差別と分断の社会は、戦後も継続していたのである。



民主化運動 韓国は、昨年一人当たりGDPで日本を越えた。参政権・外国人労働者・難民

 中国は2000年以前に世界第2位の経済大国となり、購買力平価GDPで米国を越えている。安倍政権は、韓国の徴用工判決に対して2019年、経済制裁を行ったが、これは逆に日本を更なる衰退に追いやった。日本の格差拡大は止まらない。1980年代に比して今は10倍も貧困率が大きくなり、格差社会の下で自殺が増えている。外国人労働に頼りながら、移民も難民も受け入れ拒否だ。難民は先進国の収奪が生み出した結果である。日本政府は、彼らを同じ住民・市民とすると「国民意識」「国民優先思想」が崩壊すると恐怖し、排外主義を日本国家として平然と行っている。飢えている人々の救済もやらない。それは崩壊する日本(帝国)の亡霊が政権に居座っているからだ。これらは植民地支配の継続であり、「在日」への「管理」と地方参政権拒否と一体である。小池東京都知事の「関東大震災虐殺犠牲者への追悼文拒否」を許している現実とは何か。私たちは「植民地国家の中に生きている」ということだ。

徴用工闘争から見えるー② 引き裂かれていた徴用工と「在日」が、1992年に再会した!

1996年7月23日 連絡会結成集会
 1992年、不二越徴用工が戦後47年を経て富山に戻って来た。一方で戦後「在日」は、入管闘争・指紋押捺拒否・参政権訴訟を闘ってきた。そして「植民地支配・強制連行・戦後を考える連絡会」(1996年7月)を結成し、地方参政権訴訟原告の李鎮哲さんが共同代表になった。その前夜、元県職労委員長宅に泊まった李鎮哲さんは「労働運動は『在日』にとって大変重要だ」と語り、国籍条項による就労差別の現実を指摘した。また、富山県民団団長は「原告の歓迎交流」を持った。金沢で処刑された尹奉吉(ユンボンギル)義士の独立運動の志は、不二越原告に引き継がれた。

 徴用工闘争は、植民地支配の責任が国と企業だけではなく、日本民衆自身にもあることを私たちに突きつけた。日本の宗主国意識の中に、私たちは生まれた時から無意識に身も心もどっぷりと浸かっている。参政権・国籍条項・就職差別・名前差別も考えないで生きられる。自分が植民地支配を担っている当事者と思わない意識でいる。この植民地主義社会に、私たちは深々と浸かっている。

徴用工闘争から見えるー③ 強制連行被害者に謝罪出来る日本に変える

自分たちを、「檻・桎梏」から自分自身で解放する

 私たちは「虐げられし者の解放」を一般論では語る。だが、日本の私たちは「虐げている国の檻から生まれ育って、今も檻の中で生きている」。

 植民地支配の牢獄を打ち破る韓国の闘いは、民主化運動だった。ろうそく革命と検察改革、今に至る「親日派・積弊清算」が続いている。だが日本の私たちは今も、植民地支配を継続する日本の「檻・桎梏に囚われて」生きている。虐げる側の私たちの前には誰が立っているのだろうか?鎖を解き放つ、この「鎖」とは何だろうか?実は、私たちは自分たちの入っている檻を、徴用工闘争として確実に食い破っていたのだった。門前行動に登場する右翼は、「お前たちは自分で鎖を解こうとしている!やめてくれ!」と叫んでいる。

 門前行動で、警察は「届け出するように」と繰り返す。右翼は「届け出」しているからだ。だが私たちは、力関係を無視した行動はしない。闘いの勝ち取った「門前の闘う空間」を、事実上は永続化したのだった。それは、私たちを縛る「鎖」を、自分たちで解く作業だった。

 国鉄分割民営化(1987年)から総評解体(89年)以後、「連合」は政治課題を取り組まない。確かにそうだ。だが、物事は両面から見るべきだろう。連絡会は、連合傘下の労働組合に呼び掛けてきた。地区労、全農林、教組、自治労、国労…結局は、一人ひとりの課題である。私たちの力量が弱い事を反省的に捉えるべきであり、「労組ダメ」「マスコミダメ」と嘆くのは、「自分はダメ」に等しいことだ。

「1945年10月、日本人と朝鮮人の
政治犯が釈放された」
 憲法には「国籍条項」がある。それは、日本民衆が「国籍差別の担い手」となり屈服している結果である。これらは「現場の闘い次第で小さな穴を開ける」のが可能だ。「法」は「国家暴力」で実現する。現実に生きている民衆には「無数の現場」がある。不二越の門前闘争も「強制連行の現場に開けた風穴の一つ」である。風穴を永続化したら、その風はやがて広がってゆく。こうして時代を変えるのだ。

 もう一つは、私たち「人の命は有限」である。だが闘いや思想は「次に引き継がれる」と考える。私たちは「自分個人の意志」だと思っていても、「時代の一断面」に生きている。「先人の失敗も、生き方も自分につながっている。無数の人が自分を産み出した」のだ。歴史の中で生きる自分を見つけて、「この命を次につなげる」のが「今を生きている自分の命」だ。

尹奉吉義士暗葬の地にて 金景錫さん
 金景錫さんの「強い意志」はどこから来ていたのだろうか?

 炭鉱で死んだ兄の想い。父母や姉と村人の嘆き。無数の民衆の声が地底から金さんを支配した。彼が、拷問で天井に吊るされて瀕死のとき、「貴方は死んではいけない人だ」と必死に看護してくれた日本女性がいた。

 彼にとって日本は、言葉では表せられないほど憎かった。だが、東京に来て徴用工裁判を始めたとき、日本の中にも、必ず「人」はいるはずだと思ったという。彼の「人」には、憎い人と助けてくれた人がいたのだった。金さんは、不二越闘争を共に闘う「人はいるはずだ」と富山に賭けた。そして、徴用工闘争は「朝鮮人と日本人を繋ぐ」「細い細い糸」になった。その後、私たちはこの糸を守っている。日韓の人々が、この糸を大きな歴史にしよう。

<では、私たちはどう考えて進むのか?>

 第一に、安倍政権誕生の背景を考える必要がある。1987年、韓国で軍事政権を倒した民主革命によって、日韓条約体制が揺らぎだした。この後の宮沢政権、河野談話、村山首相談話、小渕-金大中(キムデジュン)宣言。これらは日韓条約体制の部分的修正を含んでいた。

 こうした中で日本会議・右翼勢力が巻き返しに必死になった。そして、岸の孫である安倍晋三が担ぎ出された。安倍政権は戦前回帰の排外主義、朝鮮侵略を想定した戦争法に進んだ。韓国における、朴槿恵(パククネ)を倒したろうそく革命は、安倍政権が作り出したのだった。

 第二に、安倍政権の瓦解について。色んな要素が重なって見えるが、私たちは絡まった糸を解きほぐさなければならない。アベノマスク、相次ぐ腐敗、数えあげればきりがない。だが、何よりも次の点である。

NOアベ集会
2019年8.15ソウル光復節

 2019年、安倍政権は徴用工判決に対する韓国への経済制裁という戦争行為に打って出た。その意図は文在寅(ムンジェイン)政権の退陣にあった。だが、逆に打撃を受けたのは日本だった。昨年、一人あたりGDPは韓国が日本を超えた。更に、コロナに向き合えない安倍政権は次々と打撃を受けた。その打撃は安倍政権だけではなく日本の民衆、そして日本社会全体が根底的に問われるようなものであった。

 第三に、菅政権とは何か。安倍政権の破綻を引き継がされたのが菅政権である。既に、バトンを誰かに渡す過度的政権になっている。コロナによって、もはや安倍の敗戦だけではなく、私たち民衆の敗戦になっていると考える必要がある。

 歴史の岐路に立つ私たち

 今問われているのは、菅政権の帰趨ではない。私たちだ。

 1945年8月には本土決戦を回避して日本帝国は降伏し、米国によって護持された。だが、コロナは国境を越え、本土という概念もない。日本の全ての人々に迫っている。コロナは政治も文明も超える!人類の生存や地球環境、現代経済の根本問題と繋がっている。人類が共同体として存在していることを、私たちに問いかけている。

 コロナは、政治を超える「人類として」の共同課題なのだ。私たちは、1945年と同じ「民衆の敗北」を繰り返してはならない。戦争で生き残った人たちは「命こそ全てだ」と思った。そこには、変わらない太陽と山や川があった。そして人びとは生き延びた。

 徴用工の闘いは、日本の戦争責任を問うと同時に、人はどうあるべきか、「人とは何か」と問いかけた。人間が主人公になる社会・民衆が主人公になる社会は、人間が自然の一部として存在する時代になる。私たちは今まで、それを空想の夢と永遠の彼方に置いてきた。その間に、全てが夢として消え失せようとしている。この危機は、私たちが「イヤだ!」と思っている人びとも含めた、「全ての人びとの存在」の危機だ。

日本の歩んだ150年をとらえ返すとき

 徴用工の闘いは、沖縄の闘い、持続可能なエネルギー、人間らしい労働と生活、環境など、全てと繋がる重要な核心問題である。日本を変えるには、私たちが勝利への強い確信と展望を持つ必要がある。

 連絡会に人生を託して亡くなられた人々の希望を、私たちは夢で終わらせてはならない。今年は、委託された荷物を点検し、記録して、人びとの共有財産にしたいと思う。皆さん、是非とも少しずつご協力をお願いします。


村山和弘(むらやま・かずひろ)

1965年日韓条約反対。不二越大量解雇反対。三一独立記念集会で在日に学ぶ。反原発。1992年不二越訴訟始まる。「植民地支配・強制連行・戦後を考える北陸連絡会」結成。当時の事務局長。

★参考資料
不二越強制連行・強制労働とは

署名サイトはこちら→http://chng.it/mhFWr9r9YS

Tuesday, December 29, 2020

「NHKひろしまタイムライン」差別ツイート問題を振り返る―差別をなくすために Reflecting NHK Hiroshima's Hate Tweets in the "1945 Hiroshima Timeline" Project

このブログを開設して14年になります。今年もお世話になりました。

最後は、「1945ひろしまタイムライン」についてひとまず年末のまとめをしたいと思います。

いままでの投稿をもう一度ここにまとめます。まだの方は読んでください。時間のない人は★がついている投稿だけでいいと思います。

8月23日

8月26日

8月30日

9月7日

9月24日

10月2日

10月4日に広島でシンポジウム「NHKひろしまタイムラインと広島の民族差別の現在」を行いました。共同通信、朝日新聞、中国新聞、東京新聞などに取り上げられました。

10月5日にNHK広島局に直接抗議と署名を手渡しました。


10月5日 NHK広島放送局前にて 仲間たちと

10月6日

その後、10月29日、長崎原爆の被爆者で、日本被団協役員の田中煕巳(たなか・てるみ)さんにも抗議文への連名をいただきました。連名・署名いただいた328名のみなさんに感謝します。

NHKは結局居直りの姿勢を正すことはありませんでした。

私は琉球新報に連載しているコラムにもこの件について書きました。

11月10日
(ウェブ上では全文を読めません。読みたい方は連絡ください)

そしてその差別ツイート内容に、広島の法務局がお墨付きを与える結果となります。

12月11日午後7時から、NHKは広島のローカル番組で、「1945ひろしまタイムラインー戦後編」を放送しました。私も録画していた友人の助けで観ることができました。一つ、少し意外だったのは、差別ツイートに殺到した批判について無視する選択肢もあったであろうに、「差別を助長しているのではないかとのご批判を多数いただきました」と認めたことです。釈明についてはHPで言っている内容と同じでしたが、HP上や、マスコミの取材に応じてではなく、NHKが自らの番組で、差別助長との批判を多く受けたことを認めたのは初めてであったと思います。

番組では一人の在日朝鮮人被爆者・李鐘根さんにスポットライトを当て、その人が受けた差別の証言などがありました。これは重要な部分であったとは思いますが、このツイートに抗議した在日朝鮮・韓国人の人たちや、民団・総連という当事者団体からの抗議については一切触れることはありませんでした。

また、この番組でNHKは重大な過誤を犯しました。一連の差別助長ツイートの内容は、モデルとなった新井俊一郎氏の当時の日記にはなかったことが判明しているのに、「日記をもとに」とナレーションし、また批判があったことを説明する中で、「戦争の時代に、当時の中学一年生が見聞きしたこと」と言い切っているのです。このツイートの内容については、この投稿を見てもらえればわかりますが、新井氏の当時の日記ではなく、21世紀になってから著した手記に突然出てくる内容です。これをNHKは、知っていながら、当時新井氏が書いた日記にあったかの如く番組の中で言ったのです。この問題について、ツイートや報道に対し、ネットではヘイト的なコメントが集中しましたが(たとえばこのヤフーニュースに掲載された共同通信の記事。これらの悪意に満ちたコメントの数々こそが、差別助長の証拠でした)、その中でも多かったのは「本当にあったことなんだから書いて何が悪い!」という開き直りでした。NHKは番組の中で、「日記にあった」という誤りを補強するような言い方で、そういった開き直りに自ら加担しているようにも見えました。

共同通信は12月22日、こう報じました。

民団などが起こした人権救済申し立てに対し、広島法務局は22日「侵犯の事実があったとまでは判断できない」と回答したといいます。

当事者が「差別だ」と言っているのに、「差別ではない」と言ってしまえる神経がわかりません。多分、差別を受けたこともない、差別を受ける側の気持ちをわかろうとしたことのない人たちが下した判断でしょう。これも「戦後」75年、「ヒロシマ」発の「もう一つの公的ヘイト」と言えると思います。

NHKは、当初の予定通り、年末を持ってこのプロジェクトを終了し、アカウントもHPも閉じる予定ということです(8月1-15日の分だけは21年3月末まで掲載すると)。


12月28日「シュン」ツイッターアカウントのスクリーンショット


「ひろしまタイムライン」のヘイトツイートも、抗議を受けて居直りHPに再掲載したNHKの姿勢も、この件に多くが関心を示さなかった日本の「平和」「反核」運動社会も、民団の訴えを却下した広島法務局も、戦争の終盤に受けた被害だけを伝え、植民地支配や侵略戦争への責任から目を背ける「国際平和都市」ヒロシマの欺瞞を象徴する現象だったと思います。

そんな中、関心を持ち、一緒に怒り、連名してれた人たち、声をあげた人たちの存在に希望を見出します。また、10月4日のシンポジウムに「タイムライン」関係者とおぼしき人が複数来ていたことからも、関係者の中にも、この件に心を痛め、ツイート内容を削除したいと思っていた人たちが少なくないのではないかと察せられます。また、この問題の報道に及び腰だったメディアにも、現場の記者はしっかり報道したいのに、重圧を受けていたのではないかと思われる気配もありました。

そのような、見え隠れする良心にも、新たな年への期待と希望を見出したいと思います。NHK広島局の責任者も、本当は間違ったことをしたとわかってはいながら、ただの面子や意地で居直っていたのかもしれません。内心はどうあれ、差別を放置したことは許せません。内情はわかりませんが、その人たちが、少しでも、自らを振り返る機会を持ち、日本に残存する植民地主義や差別をなくしていくよう今後は意識して努力することを願います。

NHKの差別ツイートの被害者・当事者である在日朝鮮人・韓国人の方々には、反対運動がこの問題を解決に導くことができなかったことを、お詫びしたいと思います。この問題に引き続き取り組みつつ、朝鮮学校差別、ヘイトスピーチ、日本軍「慰安婦」や強制動員などの歴史否定など、取り組まなければいけない差別、なくさなければいけない差別はたくさんあります。これからも頑張っていく、としか言えない自分が情けないですが、新年に向けて決意を新たにしたいと思います。

このたび、「在日差別をなくす会」という会を仲間と作りました。広島・福山市のクリニックで在日朝鮮人のYさんが受けた差別についても、医師は謝罪しながらも自分の行為が差別であったことに向き合っておらず、さらに福山市側にも被害者に重圧をかけるような行為がありました(経緯については7月29日8月6日8月25日9月11日 の投稿を順番に呼んでください)。いまだ、被害者にとって解決した・再発防止策がなされたとの安心感を得ることからは程遠い状態です。この問題が長引いてしまったのは、頼るべきではなかった団体に支援を頼んでしまったこともありました。しかしすべては教訓です。この福山市の民族差別事件をはじめとし、在日の差別をなくしていくための会をあらためて作り、新年の取り組みに備えたいと思っています。

「在日差別をなくす会」に関心のある方は連絡ください。コロナで大変な日々ですが、どうかよい年末・年始をお迎えください。

@PeacePhilosophy 乗松聡子

Wednesday, December 16, 2020

南京大虐殺を記憶する日に―済州島の友たちへのメッセージ 제주의 친구들에게 보내는 연대의 메시지 A Solidarity Message to My Friends in Jeju

 Below is my solidarity message to the friends of Jeju Island, Korea, who held the annual gathering to remember the victims of the Nanjing Massacre, at former Alddreau Airfield on December 13. 

12月13日は「南京大虐殺を記憶する日」でした。新型コロナウィルスで戦争記憶の集会なども中止や縮小が相次ぐ中、韓国の済州島では、南京大虐殺83年を記憶し、被害者を追悼する集会が、元日本海軍のアルドゥル飛行場の格納庫前で行われました。1937年8月15日から始まった南京空爆の起点の一つであった場所です。過去2年、カナダから連帯メッセージを送りましたが、今年は、日本にいたため、日本からのメッセージとなりました。英語で送ったメッセージを韓国語で読んでもらった映像がここにあります。動画の下に英語版、韓国語版が続きます。英語版には日本語対訳をつけました。




A Solidarity Message to my friends in Jeju  済州島の友たちへ This December marks the 83rd anniversary of the Nanjing Massacre, in which hundreds of thousands of Chinese POWs and civilians were unlawfully and brutally massacred, raped, and deprived, for weeks and months from the beginning of December 1937 till around the end of March 1938 under the occupation of the Imperial Japanese Army. この12月は南京大虐殺の83周年です。南京は大日本帝国軍の占領下、1937年12月から翌年の38年の3月にわたり、何十万もの中国の捕虜や民間人が違法に、かつ残虐に、殺害され、強姦され、略奪の被害を受けました。
In Japan, there have been many commemorations, TV programs and publications to mark the 75th anniversary of the end of the Asia-Pacific War and WWII, but most of them focus on the last stage of the war where people in Japan suffered from the aerial bombings of the country including the atomic bombing of Hiroshima and Nagasaki. People in Japan remember August 6 and 9. Then August 15, the “end of the war” anniversary in which Emperor Hirohito announced his surrender to the Allied Nations on the public radio in Japan. 日本では、アジア太平洋戦争と第二次世界大戦終結75周年を記憶するさまざまな催しがあり、テレビ番組や出版物も多くありましたが、それらのほとんどは、広島長崎の原爆投下を含む、戦争の末期に主に日本の人々が受けた被害に焦点を当てたものでした。
That’s it. Beyond “August 15,” they don’t think about the war any more and just move on with their lives. This is the war memory of the vast majority in Japan, lacking any critical reflection on the over seven decades of colonial rule and imperial expansion of the Empire of Japan against its fellow Asian countries. そして、それで終わってしまうのです。「8月15日」以降は、戦争のことを忘れてしまい日常に戻ってしまうのです。これが大半の日本人の戦争記憶であり、70年余にわたり同じアジアの国々に対し植民地支配と帝国主義的拡大を行った大日本帝国を批判的に振り返ることはありません。

In fact, “August 15” has another significance that most Japanese people don’t know. On August 15, 1937, twenty Mitsubishi G3M bombers (九六式陸上攻撃機)of the Imperial Japanese Navy left the Omura Airfield in Nagasaki, crossed the East China Sea, and attacked Nanjing. According to military historian Maeda Tetsuo, it was the first of such “cross-ocean bombing mission” ever conducted in human history. It was very ironical that Nagasaki, eight years later, became the target of the “cross-ocean bombing mission” conducted by the United States, which was the atomic bombing of the city. 「8月15日」はほとんどの日本人が知らないであろう別の意味もあります。1937年8月15日、日本海軍の20機の九六式陸上攻撃機が長崎の大村海軍航空隊基地から飛び立ち、東シナ海を渡って南京を爆撃しました。軍事評論家の前田哲男氏によると、これが人類史上の「渡洋爆撃」だったということです。この8年後に、長崎が米国によって行われた渡洋爆撃」、つまり原爆投下の標的になったのは大変皮肉と言える出来事でした。

Again, people in Nagasaki remember August 9 and their suffering from the atomic bomb, but hardly ever remember that Nagasaki was the launching point of the Japanese aggression against Nanjing, months prior to the well-known Nanjing Massacre. People of Jeju have been holding annual memorials for the victims of the Nanjing Massacre just because Alddreu Airfield was also used for the Japanese aerial attacks against Nanjing. Korean people were victims of the Japanese colonial rule then and bore no responsibility for the Japanese war atrocities, but the people of Jeju in the current time still feel their moral obligation to remember the massacre. 上で述べたように、長崎の人も、原爆による被害と原爆投下日の8月9日のことは記憶していますが、よく知られている南京大虐殺が起こる数か月前から始まっていた、日本軍による南京攻撃の起点であったということを記憶する人はほとんどいません。済州島の人たちは、アルドゥル飛行場も日本軍による南京攻撃に使われたことから、毎年南京大虐殺の被害者を追悼する集会を開いています。そもそも韓国人は日本の植民地支配の被害者だったわけですから、日本の戦争犯罪に対し何の責任もありません。それなのに、現在の済州島の人たちが、この大虐殺事件を記憶する道徳的責任を感じているのです。
I think people in Nagasaki, and all across Japan, should humbly learn from this example of highest moral practice. You have my highest respect. I wish I were in Jeju with you to commemorate the 83rd anniversary together. Instead, allow me to extend my heart, and send my sincere solidarity message from Tokyo, across the East Sea, to Jeju Island. 長崎、そして日本全土の人々は、この最も高潔な行為から謙虚に学ぶべきと思います。私はみなさんに最大の敬意を表したいです。この83年の記念日を、済州島でみなさんと共に迎えることができたらどんなによかったかと思います。しかしそれはできないので、替りに、東海を超えてみなさんに思いを馳せ、心からの連帯のメッセージを送りたいと思います。 December 6, 2020 Satoko Oka Norimatsu  乗松(岡)聡子 Director, Peace Philosophy Centre ピース・フィロソフィーセンター代表 Vancouver, BC, Canada カナダBC州 バンクーバー (Currently in Tokyo, Japan 現在は日本の東京にて)


제주의 친구들에게 보내는 연대의 메시지 올해 12월은 난징대학살 83주년이 됩니다. 중국의 전쟁포로들과 민간인들 수십만 명이 1937년 12월부터 몇 주에서 몇 달간 불법적이고 잔인하게 학살되고, 강간당하고, 삶을 박탈당해야 했습니다. 이 대학살은 일본 천황군의 점령하에서 1938년 3월까지 이어졌습니다. 일본에서는 아시아-태평양전쟁 그리고 제2차 세계대전의 종전 75주년을 기념하여 많은 추모행사가 진행되었고, 텔레비전 방송 프로그램과 출판물이 제작되었습니다. 하지만 이들 대부분은 나가사키와 히로시마 등 전쟁 말기 일본인들이 공중폭격을 당해 고통스러워 하던 모습에만 초점을 맞췄습니다. 일본인들은 1945년 8월 6일과 8월 9일을 기억합니다. 그리고 8월 15일을 히로히토 천황이 연합군에 일본 공중파 라디오를 통해 항복을 선언한 ‘종전일’로 기억합니다. 그게 전부입니다. ‘8월 15일’을 넘어서서 일본인들은 더 이상 전쟁을 생각하지 않습니다. 그리고는 그저 자신의 삶을 살기 바쁩니다. 이게 거의 대다수 일본인들이 전쟁을 기억하는 방식입니다. 전쟁 전 70년간 동료 아시아인들을 통치하며 아시아에서 확장해나갔던 일본 제국주의 지배에 대한 비판적 고찰은 일본에서 매우 부족합니다. 사실 ‘8월 15일’은 대부분 일본인들은 잘 모르지만 또 다른 면에서 큰 의미가 있습니다. 1937년 8월 15일 일제 해군 소속의 미쯔비시 G3M 폭격기가 나가사키 오무라 기지에서 출발해 동지나해를 지나 난징을 폭격하였습니다. 군역사 전문가 마에다 테츠오 씨에 따르면 인류 역사상 이 폭격이 처음으로 대양을 횡단해 이뤄진 폭격이었다고 합니다. 이율배반적이게도 나가사키는 그로부터 8년 후 미국에 의한 ‘대양 횡단 폭격’의 목표지점이 되어버립니다. 그것은 원자폭탄의 투하였지요. 나가사키 시민들은 8월 9일의 원폭 투하와 그로 인한 고통을 기억합니다. 하지만 나가사키에서 난징에 대한 일제의 폭격이 시작되었다는 사실을 기억하는 이는 거의 없습니다. 난징에 대한 폭격이 있은지 몇 달 후 잘 알려진 난징대학살이 일어났지요. 제주 사람들은 알뜨르비행장이 일제에 의한 난징 폭격에 사용되었기 때문에 난징학살의 희생자들을 추모하며 매년 추모행사를 열어오고 있습니다. 한국 사람들 역시 일본 식민지배의 희생자였고, 일본이 저지른 전쟁범죄에 대한 책임이 없었음에도 제주 사람들은 여전히 난징대학살을 기억하며 도덕적 의무를 잊지 않으려 합니다. 제 생각에 나가사키 시민들과 나아가 전 일본인들이 이와 같은 높은 도덕적 책무에서 교훈을 얻어야 한다고 봅니다. 여러분들을 저는 매우 깊이 존경합니다. 제주에 가서 저도 여러분들과 함께 난징대학살 83주년을 기억할 수 있다면 얼마나 좋을까요. 그대신 저의 마음만을 받아주시기 바랍니다. 그리고 일본 도쿄에서부터 동해를 건너 제주에 이르는 제 신실한 연대의 메시지를 받아주시기 바랍니다. 2020년 12월 13일 사토코 오카 노리마츠 평화철학센터 소장 캐나다 밴쿠버 (현재 일본 도쿄 거주)

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Wednesday, November 11, 2020

FREE PRESS = FREE ASSANGE: An International Webinar with Daniel Ellsberg, Marjorie Cohn, and Joe Lauria (20:00 EST, Sat November 21) 報道の自由を守るためにジュリアン・アサンジ解放を!ウェビナー開催

November 25: It was a successful event, with over 100 turnout, and the speakers were all brilliant and inspiring! Please have a look at the recording. 

All are invited! This is an international webinar with distinguished guest speakers Daniel Ellsberg, Marjorie Cohn, and Joe Lauria. We will discuss the UK extradition trial of Julian Assange, the 18 criminal offenses conjured by the U.S., and how the case impacts the 99%. Organized by the Covid-19 Global Solidarity Coalition. Co-sponsors: ConsortiumNews, Roots Action, World Beyond War, CovertAction, Project Censored, Media Freedom Foundation, National Lawyers Guild, theAnalysis.news, Co-op Anti-War Cafe Berlin. 

REGISTER HERE. 

Here is the Facebook Event Page. 

Time and Date: 

New York, Toronto:  20:00 PM, Saturday November 21

Los Angeles: 17:00 PM, Saturday November 21 

London (UK) : 1:00 AM, Sunday November 22 

Moscow: 4:00 AM, Sunday November 22 

Hong Kong, Shanghai, Singapore: 9:00 AM, Sunday November 22 

Seoul, Tokyo, Naha: 10:00 AM, Sunday November 22

Melbourne (AU): 12:00 PM, Sunday November 22 


SEE THE POSTER BELOW (all links are clickable) 

Tuesday, October 20, 2020

長崎原爆の日 朝鮮人被爆者を追悼する早朝集会で読み上げられた、朝鮮原爆被害者協会のメッセージ A Message from the Association of Atomic Bomb Victims in DPRK for the 75th Anniversary of the Nagasaki Atomic Bombing (Japanese and Korean)

日本による植民地支配下、「強制連行および徴用で重労働に従事中被爆死亡した朝鮮人とその家族のために」、長崎市民が1979年に建てた「長崎原爆朝鮮人犠牲者」追悼碑の前では毎年、原爆投下を記憶する8月9日に早朝集会が開かれます。例年は数百人の参加がありますが、今年はコロナのせいで参加者は減ったものの、それでも50人ぐらいは集まったとのことです。私は、日米広島長崎の旅でこの日は毎年長崎にいてこの集会には必ず出席しますが、今年は旅自体がコロナでキャンセルになったので行けませんでした。後日、長崎で日本の加害を伝える「岡まさはる記念長崎平和資料館」の新海智弘副理事長から、今年の集会では初めて朝鮮民主主義人民共和国の「朝鮮原爆被害者協会」からメッセージが寄せられたということを聞きました。朝鮮総連の長崎県本部委員長の金鐘大さんによって代読されたメッセージは、植民地支配ゆえに被爆させられた朝鮮人被爆者の人権を軽視し、援助するどころか、敵視政策と歴史否定で二次加害を犯し続けている日本政府、日本社会の構成員に一人でも多く届けたい内容です。許可を得てここに転載します(日本語、朝鮮語)。

金鐘大さん


長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼早朝集会にお集まりの皆様

 日本帝国主義が起こした侵略戦争の業火の中で、米国の原子爆弾投下に依り多くの朝鮮人が無惨に犠牲になったその日から、75年を迎えた今日この日、朝鮮人原爆犠牲者に対する深い哀悼の心を持ち追慕します。

 広島、長崎で原爆の犠牲になった朝鮮人は、生きる場所だけでなく人としての尊厳と権利まで奪われ、故郷を離れた異国の地日本に強制連行された、日本帝国主義植民地統治時代の受難者達であります。

 親兄弟が待ちわびる、愛する故郷に帰るその日を思い、過酷な労働の苦しみに、歯を食いしばり耐えた、数多くの朝鮮人達が祖国解放を目前にした、8月 9日原爆により残酷にも犠牲になったことに、私達は憤りを抑える事ができません。

 原爆による被害はこれで、終わることではありませんでした。

 奇跡的に生き延びた原爆被害者の朝鮮人は、日本の原爆被害者と同様に重度の被爆後遺症にさいなまれ、苦しみました。

 しかしながら、日本政府は日本の原爆被害者とは違い、朝鮮人原爆被害者には何の保護、補償も無視されたまま今日に至ってます。これは全く民族的差別によるものです。

 これは人道的に絶対許すことの出来ない事であります。

 実に、日本帝国主義が朝鮮人民にかした不幸は、我が朝鮮人民の心の中に積み重ねられた悲しみと怨みはどんなにしても、ときはなされる事はありません。

いわんやお金で解決される物ではありません。

 それにも関わらず、日本政府は敗戦後75年の歳月を迎えた今日まで、朝鮮民主主義人民共和国に対する敵視政策をよりー層強化しながら、我が国の原爆被害者問題を無視しています。

 日本政府は、《被爆者援護法》を制定し日本国内と米国、韓国、台湾、オランダ等の在外原爆被害者に対しては、各種名目の支援金を支払いながら、唯一我が国朝鮮民主主義人民共和国の原爆被害者に対しては、補償どころか人道的医療支援措置すら、実施していない実情です。

 これは、日本帝国主義に依るアジア侵略戦争の結果、投下された原爆として、その被害の後遺症で苦しみ、一生精神的肉体的苦痛の中で生きてきた、原爆被害者に対する許す事の出来ない冒とくであり、2重、3重の人権蹂躙犯罪になります。

 皆様もご存知の様にわが国の原爆被害者問題は、本質においては日本帝国主義の朝鮮侵略と強占、軍事的支配が生み出した産物であり、日本の過去清算、歴史清算と直結している問題です。

 それゆえ、日本政府はこの問題を法律的見地から見ても、道徳的見地から見ても必ず解決しなければいけない、焦眉の問題として受け止めなければなりません。

 日本政府は罪行を心から反省したうえで、私達の全ての原爆被害者と、犠牲者達、その遺族たちに真摯に謝罪して賠償しなければいけません。

 朝鮮人原爆被害者に関連した資料を全面的に調査公開し、過去の侵略戦争と、人道に反する犯罪に対して歪曲や捏造行為を取りやめなければならない。

 原爆被害者2世、3世を含め全ての原爆被害者達の治療に必要な、医療設備を至急に提供しなければいけません。

 私達はこれからも、正義と平和、人権を大事にする進歩的な人達との連帯と協力を強化し、朝鮮民主主義人民共和国の原爆被害者問題の早期解決をめざし、全ての力を注ぐ覚悟です。

 最後に、長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼早朝集会に参加された皆様方が、苦しかった過去の歴史を思い返して、この私達の切実で正当な要求が、一日も早く実現できる様にご支援下さい。 

 又、私達は共に正義と連帯の声を高めましょう。 

 皆様方のこれからの活動も、大きな成果が有ることを心から望みます。

朝鮮原爆被害者協会 チュチェ 109(2020)年 8月 9日







Monday, October 12, 2020

韓国人にとって光復はどういう意味なのか:柳智仁さんのストーリー What does the 8.15 "National Liberation Day for Korea" mean for Koreans? --- Yoo Jiin's Story

「 カナダ9条の会」は、カナダ西海岸のビクトリアから、東部のモントリオールまで、また、元カナダに住んでいたけれどいまは米国や日本に住んでいる人たちなども含めた、80名ほどの市民グループです。バンクーバー、トロント、モントリオールにあるそれぞれの地域の「9条の会」は地域の活動を続けながらも、メールを通じて、もっと地域的に幅広く交流しようということで、「カナダ9条の会」のメーリングリストを通じて情報や意見を交換してきました。今年の夏は、「戦後」75周年ということで、「私にとっての”あの戦争”と9条」というテーマシェアリングの会を8月に1回、9月に1回持ちました。主に日本語を使うグループとはいえ、多彩なバックグラウンドを持つ人たちが集まっています。世代的には80代から10代まで、また、日本人、日系人だけでなく、在日朝鮮人、沖縄、カナダ、韓国、中国などのバックグラウンドを持つ多彩なメンバーに話してもらいました。その中で、在UBC(ブリティッシュコロンビア大学)大学院で学ぶ韓国出身の柳智仁さんのトークを、このブログで紹介します。一人の韓国人にとっての、あの日ーー韓国では「光復の日」と言われる、日本の植民地支配から解放された日がどのような意味を持つのかというお話を、このように日本語で聞ける機会は特に日本人にとっては大変貴重であると感じ、ブログ読者の皆さんとも共有したく思いました。読んでください。「1945年8月15日」とその後が全く違って見えてくるのではないかと思います。そして柳さんのいう「本当の意味の光復」を導くためには、日本人が歴史を否定せずに真っ直ぐに向き合うことこそが大事と考えます。(前文 乗松聡子)


韓国人にとって光復はどういう意味なのか

柳智仁 Jiin Yoo

        韓国の人たちにとって8月15日光復節はどういう意味なのか、韓国ではどのような記憶の仕方をするのか、などについて少しお話しさせていただきたいと思います。

       まず、韓国のメディアを確認してみました。 2015年光復70周年を記念に行ったKBS調査によると、韓国の国民を喜ばせた歴史的な出来事の1位が日本からの解放、2位は2002年ワールドカップ4強、3位は1988年ソウルオリンピックとなっていました。 2020年の調査によると、韓国青少年の65.7%が光復節の日付を正確に知っている[1]、また、2019年の調査によると、77%が光復節に太極旗を掲揚する[2]と述べましたが、これは前年度に比べて7%上昇した数値で、これは「徴用工判決」に対する日本政府の経済的報復行為が引き起こした韓国内の反日感情の影響とも考えられます。韓国国民が光復節に最も思い出す独立運動家としては、1位は柳寛順、2位は金九、3位は安重根、そして4位は尹奉吉となっていました[3]

<左から1位柳寛順、2位金九、3位安重根、4位尹奉吉:写真出処https://ko.wikipedia.org/

       要するに、光復節は韓国人にはとても大事な記念日であり、多くの人が太極旗を掲揚することによってその日を記念します。記憶の仕方として一番多いのは多分犠牲になった独立運動家を思い出すことかなと思います。メディアなどでも独立運動や運動家に関連するコンテンツが多く登場しますし、それに関する映画やドラマも毎年のように登場します。我が家の子供たちの通っているバンクーバー近郊のSurrey韓国語学校のSummer Campの今年のテーマも「七人の独立運動家」で、うちの子供は、金九(Kim Gu)、柳寬順(Ryu Gwansun)、安重根(An Jung-geun)、金マリア、安昌浩(Ahn Chang-ho)、李會榮(Lee Hoe-yeong)、そしてFrank Schofield(カナダ出身)の七名の独立運動家の活動について毎日習いました。

 

個人にとって植民地時代と光復とはどういう意味だったのか。

       それでは植民地時代、そして光復というのは韓国人たちにどのような意味を持っていたのかについて私の知っていることを中心に少しお話ししたいと思います。植民地時代と光復に対する認識は個人や家族のそれぞれの経験と背景によって異なると思います。中には歴史的、社会的な変化に仕方なく順応して生きていた多くの人々がいるでしょうが、順応せず、独立運動に直接、間接に関与していた韓国人たちもいました。これらの人たちには間違いなく光復は待ちに待った嬉しいことだったと思います。一方、日本帝国に協力したり、同じ民族を弾圧したりした親日勢力も数多くいましたが、光復はそういう親日勢力にはきっと恐ろしいこと、ありがたくないことで、その後の処罰をきっと怖がっていたと思います。結論から言うと、その親日勢力の多くの人々(韓国では「親日派」と言うんですが)はあまり処罰されず、光復後すぐ大韓民国の主流勢力になり、今までも政治、社会、文化、教育の各分野で膨大な影響力を及ぼしています。その一方、多くの独立運動家たちとその家族は逆に親日派によって弾圧され、様々な貢献と犠牲はまともに評価されなかったのが事実です。これら親日派の流れをくむ独裁政権の長い歴史のためです。多くの民衆の犠牲で政治と社会の民主化が行われた1990年代に入ってからやっと、多くの独立運動家たちは烈士、愛国志士などの名前で国家から認められることになりました。韓国では独立運動をした家は三代に渡って貧しくなる一方、親日派だった家は三代まで豊かになるという話まであります。 

       若干話を変えて、我が家の先祖の経験も皆さんと共有したいと思います。夫の祖父は植民時代が始まった時、済州島の公務員でしたが、日本の苛政に対する反感から仕事をやめたそうです。それから日本の東京帝国大学に留学し、帰国してから韓国の教育界で活動し、光復後は教育界を率いる指導者となったと聞いております。それから1950年韓国戦争の時、3,000人の愛国志士たちと一緒に北韓(朝鮮民主主義人民共和国)に拉致され、その後70年の間、どうなっているのか全然分からないままです。一方、私の家系には朝鮮王朝時代から日本の侵略戦争に抵抗した先祖が多いと聞いております。豊臣秀吉が率いる壬辰倭乱の時、李舜臣(イスンシン)を抜擢し、また戦争中の朝鮮の政局を導いた柳成龍(リュウソンヨン)がその代表的な人物であります。

<柳成龍(リュウソンヨン)標準影幀: 国立現代美術館>

  他に当時の二回の侵略に対抗して義兵を率いた祖先などの歴史も伝え聞いています。 植民地時代には、1910年の日韓併合(韓国では「 庚戌恥」と呼ぶ)のことを聞いて、17日間の断食後、忠節の詩を残して自決した柳道發(リュウドバル)と、1919年、高宗皇帝の死に激怒して父の柳道發に倣って自決した柳臣榮(リュウシンヨン)の話はよく知られています[4]。もともと私の家系は、伝統的な儒教家として朝鮮時代から学者が多かったですが、植民地時代になってから学問をやめ、武装闘争の道を選んだ先祖も多数いると聞いています。何人かは故郷である慶北道の安東を出て、朝鮮各地、上海、北京などで義兵活動をしている間、日本警察に殺されたとか、あるいは独立運動の軍資金を与えたり、直接義烈団に参加するなどの独立活動をして射殺されたり、逮捕されて刑務所で亡くなった方の名前も残っています。幸いなことに私の家系の独立運動家たちのほとんどは、かつての功労を認められましたが、これはおそらく私の家系が当時も名家として社会的な地位を持っていたからだと思います。独立運動に関わっていた多くの人々は名前も残せず亡くなったり、光復後にも適切に評価されず苦しい生活を送ったりしたと聞いています。2018年のある国家機関の調査によると、功労を認められた独立有功者の場合にも、経済的困難と闘病などで厳しい人生を送った人々が多いようです[5] 

       去年カナダに移住した後、45人の韓国人と交流をするようになって、今回このテーマについてその人たちの意見を尋ねてみました。 全羅道出身のある人の祖父は小さな町で農業をしていましたが、地域の立運動家たちを支援したという理由で、時町に住んでいた男性全体の半分以上である25名と一に日本警察に逮捕されたそうです。指先に釘を刺されるなどのひどい拷問を受けてからやっと釈放されましたが、そのほとんどの男性たちは拷問後遺症で年以に亡くなったそうです。その釘付けの手の写真が残っていますが、その写真が祖父ということが立証できず、なんの補償ももらえなかったそうです。当時、光州など全羅道地域は、独立運動がどこよりも活発に行われましたが、逮捕されたり、亡くなった方々が結局その犠牲を評価されなかったことが非常に多かったと聞きました。また、もう一人の方の祖父と祖母は、日帝の収奪と生活の困窮のため、家族を連れて全羅道の木浦から満州まで長い旅をし、黒龍江あたりに移住したそうです。様々な苦難 のあげく、光復と6.25韓国戦争の歴史の流れの中、家族の一部は朝鮮族としてそこに残り中国国籍になり、一部はその後北韓(朝鮮民主主義人民共和国)に、また彼の父を含めた一部は韓国の釜山にそれぞれ別れたそうです。植民地時代にはいろいろな事情で朝鮮から満州に移住した人が多いですが、生活のために行った彼の家族のような人もいれば独立運動のために行った人々も多いです。間島という地域にはこうして作られた朝鮮人の村がいくつかあり、農業などをしながら資金を集めて「大韓民国臨時政府」[6]の独立運動を支援したそうです。

 

<大韓民国臨時政府 国務院成立記念 (1919. 10. 11)>


1907年義兵:写真出処McKenzie, The tragedy of Korea, page 206 >

  バンクーバーに来て、家族が独立運動に関わったり、または植民地時代の直接な影響を受けたりして苦しみを経験した人々のお話を聴けるとは思わなかったです。彼らにとって植民地時代はいまだに辛い記憶であり、光復後も歴史の歪曲や記録の喪失により、先祖の犠牲や苦しみは正しく認められていない、という悔しい思いを抱えていることが感じられました。また先祖たちと家族の被害に対して日本政府がまだ十分謝罪していない、またその加害の歴史を否定していることが彼らには大きな傷として残っているようです。

 

光復と韓国社会

       最後に、私の考える、植民地時代と光復が韓国社会に及ぼした影響についてお話ししたいと思います。光復節は国民には歴史的に最も嬉しい日、光を見つけた日として認識されているのは間違いありません。しかし、その光は、不完全な光だったのではないかと私は思います。解放後広がる南北分断の状況と独裁政権の長い執権と暴政により、その光はたちまち消えてしまったからです。日本からの解放という歴史的な出来事が、後の大韓民国の建国の過程に、具体的にどのような影響を及ぼしていたのかについての真実は十分に知られていなかったです。建国の中心になり、その後長い間韓国社会を支配してきた勢力が親日派にそのルーツを持つ独裁政権であり、隠したい事実と歴史が多かったからだと思います。8月15日に日本という国からは解放されたのですが、日本が朝鮮に35年間かけて作った植民のシステム、そして日本に協力した親日勢力からの解放までは行かなかったと思います。独立はしたものの、アメリカとソ連による軍政の支配下に南北は分裂され、米軍によって選ばれた李承晩は、自分の政治的地位を固め、政治的な宿敵をとりのぞくために親日派を全面的に活用した訳です。光復後すぐ、日本に協力した親日派を処罰するために法律が定めた反民族特別委員会が本格的に設立され、韓国臨時政府の独立運動家出身の政治家たちが活動したのですが、李承晩と親日派によって密かに弾圧され、結局強制的に解散されることになりました。金九先生もこれらの親日派の陰謀によって暗殺されたのが今の有力な定説です。親日派勢力は以後、李承晩に反対した独立運動家出身の政治家たちに共産主義者の疑いをかけ、結局その罪名で処罰された人々は全国55万人に至ります[7]。その反面、日本に協力した親日派の中で実際に処罰を受けた人はただ数人にすぎません。李承晩に続き、18年に渡って独裁を続けた朴正煕も満州国の日本軍将校出身です。親日派は、これらの独裁政権の庇護の下、その勢力を維持、拡大しました。1960年に行った4.19革命[8]などの様々な民主化運動と、金大中など進歩政治家を弾圧したり、自分の過去を隠すために独立運動家出身を抑圧したりした勢力は結局親日派にそのルーツを持っています。長年与党であり、現在は第1野党である「国民の力」の母体も、まさにこの親日派であることに間違いありません。多くの国財閥、そして朝鮮日報、東亞日報、中央日報などの大手新聞社も親日派にそのルツを持っています。つまり、親日派は韓国社会の政治、経済、文化、教育などあらゆる範囲で影響力を持ち、社会を支配する多くのエリートグループと指導勢力に直接つながっています。これら親日勢力が自分たちの過去を隠すために解放前後の歴史、特に独立運動と新日の歴史を歪曲したのは明らかです。1990年代民主政権になってから歴史を立て直そう、間違った歴史を清算しようという動きが活発になり、新日と独立運動に関する歴史的な事実を改めて研究し直す作業も幅広く行っていますが、それに反発する動きはまだまだ強いです。 

       したがって光復については、日本という国からの独立は達成したものの、日本植民時代の歴史はまだ清算されてない、もしくはその時代の抑圧の仕組みとレガシーはいまだに韓国社会に幅広く存在していると私は思います。つまり光は完全に戻っていません。私は個人的には、その歴史を清算することが、本当の意味の光復であるのではないかと思います。その意味で私にとって光復は、現在進行中であります。 

柳智仁(リュウ・ジイン)
韓国ソウル出身。ソウル大学教育学、同大学国際大学院日本学修士。2010年から9年間、東京、神戸、北海道で暮らす。2019年からUBCの教育学大学院(カナダ・バンクーバー)で韓国と日本出身の若者のアイデンティティーについて研究中。


[1]韓国、洪川郡青少年修練館青少年運営委員会調査(202085日〜13日、294名対象)

[2]韓国、Incruit調査(201988日〜13日、1041対象)

[3]韓国、アルバ天国調査(201981日〜10日、5446名対象)

[4] 韓国学中央研究院のデジタル資料

[5] 韓国國家報勳處調査 2018

[6] 191931日京城(現在のソウル)で宣言された31立宣言に基づき、日本帝の大韓帝侵奪と植民地統治を否定し、朝鮮半島外の抗日立運動を主導することを目的として設立された大韓民の臨時政府。1919411日、中上海で設立され、同年911日には京城(ソウル)とロシア沿海州など各地の臨時政府を統合して上海で一の政府を樹立、1945年の光復まで様々な独立運動の拠点となった。(韓国民族文化大百科事典)

[7] 20158月6日、韓国ニュースタパー 「解放70周年特別企画‘新日と忘却’」

[8] 4.19革命とは、19603月に行われた第4代大統領選における、李承晩の自由党政が犯した大規模な不正選に反し、全国的な規模で行った生や市民による民衆デモのことで、大韓民1共和を終えた民主主義市民革命である。