To view articles in English only, click HERE. 日本語投稿のみを表示するにはここをクリック。点击此处观看中文稿件한국어 투고 Follow Twitter ツイッターは@PeacePhilosophy and Facebook ★投稿内に断り書きがない限り、当サイトの記事の転載は許可が必要です。peacephilosophycentre@gmail.com にメールをください。Re-posting from this blog requires permission unless otherwise specified. Please email peacephilosophycentre@gmail.com to contact us.

Monday, July 26, 2021

岡まさはる記念長崎平和資料館会報より転載「李鶴来(イハンネ)さんの死去のニュースを聞いて」(園田尚弘)

東京オリンピックの演出を担当していた人が、過去にナチスによるホロコーストの歴史をネタにしていたということが発覚してオリンピック開幕直前に解任されたということを聞いて、私は当然だと思いながらも、複雑な感情を持たざるを得なかった。第2次世界大戦中のユダヤ民族を標的にしたジェノサイドを否定することはこれだけ「あり得ないこと」との世界的認識がある中で、かたやホスト国日本は政府が率先して大日本帝国が植民地支配下に置いた朝鮮半島の人々を大量に強制動員したり性奴隷にしたりした歴史を否定したり矮小化したりして、真摯な補償も謝罪も拒んでいるのである。現政権には南京大虐殺を否定する者もうじゃうじゃいる。ホロコースト揶揄で即刻関係者がクビになるのだったら、そもそも国を挙げて大日本帝国の数々の大虐殺行為の歴史を否定する日本が開催国になる資格があったのだろうか?

3月28日、BC戦犯として裁かれ、日本政府に救済と名誉回復を求めていた李鶴来(イ・ハンネ)さんが96歳で亡くなった。植民地支配の下で加害者にならざるを得なかった元朝鮮人軍属は、最後まで正義を見ずに亡くなったのである。7月1日発行の岡まさはる記念長崎平和資料館会報『西坂だより』102号の巻頭言として、同資料館理事の園田尚弘さんが寄稿した文を許可を得てここに転載します。


巻頭言


李鶴来(イハンネ)さんの死去のニュースを聞いて

             

岡まさはる長崎平和資料館理事  園田尚弘


 2021年3月28日、BC級戦犯として裁かれた李鶴来さんが東京で亡くなった。96才であった。


理不尽を絵に描いたような問題

 岡まさはる長崎平和資料館二階の戦後補償のコーナーに、目立たないけれども、小さな説明版がある。それは朝鮮人元BC級戦犯についてのもの。アジア太平洋戦争中、捕虜監視をさせられた朝鮮人軍属が、BC級戦犯として1956年までも服役し、戦争に多大の責任があるA級戦犯容疑者たちが1948年末には釈放されたこと、戦後補償のなかでもあまりにひどい日本人と朝鮮人との差別を日本政府が放置していることを指摘したプレートである。この問題は理不尽を絵に描いたような問題である。

 釈放後、援護措置を求めて長く政府に要請を続けてきた鶴来さんたち朝鮮人元BC級戦犯は、問題の解決をはかるべく、1991年、日本政府に謝罪と補償を求める訴訟を起こした。

強制的な徴用であったこと、二年間の契約であったにもかかわらず、契約が守られなかったこと、日本人戦犯との差別処遇などを根拠に政府を訴えた。

 地裁、高裁、最高裁と訴えは退けられたが、裁判所は、立法措置によって訴えを実現するように付言した。付言にしたがって、鶴来さんたちは国会での立法を求めて長い間運動を続けたのである。その間に、ともに訴訟と運動を続けてきた仲間の原告たちは死に絶え、鶴来さんは最後の生き残りであった。このひとの死によって運動の当事者は死に絶えることになる。李さんは「有罪になった朝鮮人戦犯148人の唯一の生き残り」でもあった、という。(『世界』、2021年7月号による)

 長年にわたる運動の経過のなかで鶴来さんたちはさまざまの困難、苦悩を味合わされたが、近年になって鶴来さんが訴えていることはしぼられていた。

 「私が言いたいことは一つだけ。同じ戦犯でありながら、日本人の場合は戦犯として恩給や援護等の処遇をし、われわれ朝鮮人の場合は、日本国籍ではない、と、謝罪も何もしようとしない、ここが一番不満なところです。」(『世界』2020,9月号)

 この言葉は、長い間、日本政府に謝罪と補償を要求してきた運動のプロセスのなかで、当初よりは引き下げられた要求であろうが、味わった理不尽さを端的に表現している。同じように戦犯でありながら、日本人であれば、恩給や年金を受給できるのに、朝鮮人を不当に差別しているという訴えが出てくる歴史的な背景はこうである。


泰緬鉄道と捕虜監視

 李鶴来さんは全羅南道、光州近くの宝城という村の出身で、朝鮮が日本の植民地であった1925年に生まれた。17才で強制的に軍属として捕虜の監視を行なうことになった。朝鮮半島全土から3000名が集められタイ、ジャワ、マレーなどに送られた。李さんは捕虜の扱いに関する国際条約(ジュネーヴ条約)について知らされることもなく、精神訓話を聞かされ、軍事教練を受けたのみで、タイの捕虜収容所に赴き、泰緬鉄道の敷設に追い立てられた連合軍捕虜の監視の仕事をおこなった。泰緬鉄道は日本軍がインパール作戦遂行のためにタイのバンポンからビルマ(現在のミュンマー)のタンビュザヤまで敷設した約415kmに及ぶ鉄道であった。泰緬鉄道工事については、私達の資料館でも二階踊り場のコーナーで写真を展示しているが、その工事は「枕木一本に一人の死者」といわれるほどの過酷な工事として歴史的にも悪名高い。連合軍捕虜5万5千、東南アジアの労務者7万人以上が動員され、多大の犠牲者が出たことが知られている。連合軍からの捕虜の死者数は1万2千以上、労務者にいたっては死者数もわかっていない。鶴来さんが送られたタイのヒントクでは食料は不足し、伝染病は蔓延し、しかも薬品は欠乏していた。鶴来さんたちは軍鉄道隊の要求にこたえて、無理にでも作業員の数をそろえなければならなかった。このことが戦後、捕虜虐待として有罪判決をうける原因になった。1946年9月に出された起訴状は却下され、一旦は釈放された。しかし帰還船での帰路、香港で止められ、香港からふたたびシンガポールに連れ戻された。1947年3月20日、オーストラリア裁判で死刑の判決を受ける。(一度下された判決を無視して、再度刑を宣告するのは裁判の常識を無視しているが)。八ヵ月後に20年の刑に減刑される。李さんと同時期に戦犯として有罪判決を受け、刑死した朝鮮半島の出身者は23人に上っている。李さんは死刑になった仲間の無念さを忘れることはなかった。(同じように日本の植民地であった台湾出身者は26名の刑死者)


日本人の「肩代わり」をさせられた朝鮮人

 李鶴来さんは1951年シンガポールから東京の巣鴨プリズンに移送された。

1952年、日本はサンフランシスコ条約によって独立し、朝鮮人は非日本人となる。この措置によって外国人として日本政府の援護措置からは除外されることになった。一方で刑を宣告されたときは日本人であったからという理由で戦犯としての拘禁は続いた。

 天皇制ファシズム国家の二級国民で、ピラミッド構造の下層の朝鮮人軍属が1956年まで拘束された一方で、戦争遂行に重い責任があるトップのエリートたちは(たとえば後に日本国首相になった岸信介)1948年には釈放された。A級戦犯容疑者の「岸は植民地政策の計画立案者であったし、1941年、日本の宣戦布告の署名人の一人であった。」岸がエリート中のエリートであったことは論をまたない、とG.マコーマック氏は断じている。朝鮮人BC級戦犯はこれらの日本人の「肩代わり」をさせられたといわれるゆえんである。

 朝鮮人でありながら、戦争中はいやおうなしに日本人として徹底した皇民化を強いられ、戦後は手のひらをかえすごとくに「外国人」として突き放されたことがどんなに腹立たしいことであったかを、多くの日本人はほとんど理解できないのではなかろうか。私自身あるとき真横に座っていた徐正雨さんが怒りをこめて「戦争中は日本人、日本人だといって、戦後になったら外国人という」と発言するのを聞いて、自分のことを言われたと考え、恥ずかしく思った。長崎の端島炭鉱で強制的に働かされ、三菱造船所で被爆した徐さんにとっては、昔のこととはいえ、国籍の喪失は、昨日のことのごとくに怒り心頭に発する出来事であったであろう。それはたんに言葉の問題だけでなく、政府の援護から不条理にも突き放されるという苦痛をも意味しているのであったから。

 繰り返しになるが、鶴来さんの死によって立法措置を求める運動の当事者はいなくなってしまった。

 新聞報道によれば、死後、4月1日、国会内で超党派の国会議員11名や市民が、特別給付金による救済立法を求める集会を開いた。

その際「長年、運動を支援してきた内海愛子・恵泉女子学園大学名誉教授は『不条理に対する当事者の思いを伝える立法運動を続けていく』と話した」(毎日新聞2021年4月2日

救済のための立法が実現するように、私たちも国会議員たちの活動に注目し、李鶴来さんたちの願いが実現するように声を合わせていきたいと思う。しかし立法による戦後補償を求める声に応える議員たちの動きはまことに鈍い。

               (そのだなおひろ)

関連報道記事

(社説)李鶴来さん死去 日本の正義問い続けて(朝日)

外国人BC級戦犯、救済立法求め集会 超党派議員ら、当事者死去受け(本文中で触れられている毎日新聞2021年4月2日の記事)

李鶴来さん(韓国人元BC級戦犯)を悼む 謝罪と補償、闘いの人生=内海愛子(恵泉女学園大学名誉教授)(毎日)

「戦犯となった朝鮮人青年」、苦難に満ちた65年間の戦いの末、無念の死(ハンギョレ)




李鶴来さんの本『韓国人元BC級戦犯の訴え―何のために、誰のために』(梨の木舎、2016年)



Thursday, July 15, 2021

〈転載〉「慰安婦」問題の解決は「被害者中心アプローチ」から外れてはならない  ~2015年日韓合意を前提にした提言「共同論文 慰安婦問題の解決に向けて」をめぐって~ 위안부 문제 해결은 피해자 중심 접근 에서 벗어나서는 안 된다 ~2015년 한일 합의를 전제로 한 제언 공동논문 위안부 문제 해결을 향해 에 관하여

 한국어 버전은 여기를보세요.

日本軍「慰安婦」問題解決全国行動 のページから許可の下に転載します。私はこの投稿に全面的に賛同します。(ピース・フィロソフィー・センター代表 乗松聡子)




2021年3月24日、日韓関係や戦後補償問題に取り組む研究者や弁護士ら8名が「慰安婦問題の解決に向けて」と題する論文を発表しました。 

この共同論文は長年市民運動にも関わってきた著名な研究者、弁護士、ジャーナリスト、市民活動家が呼びかけているため、日本社会において人権を尊重する市民を代表する意見として韓国でも紹介されています。

私たち、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動は、日本軍「慰安婦」問題解決のために全国各地で活動してきた団体と個人が集まって結成したネットワークとして、日本の市民社会にこの共同論文とは異なる意見があることを訴えるともに、「慰安婦」問題解決のために日韓両政府が被害者の意思を尊重した施策をとるよう、日韓の市民社会の対話を促していきたいと考えます。


 ■共同論文の矛盾点

 この共同論文では、被害者の「心に届く誠実な謝罪」が最も大切であり、具体的には、①加害者が加害の事実と責任を認めて誠実に謝罪し、②その証として何らかの金銭的補償を行い、③過ちを繰り返さないために問題を後世に伝えることだとしています。

とりわけ、①②とともに、③を誠実に継続実行することによって①②の謝罪が真摯なものであることが被害者・遺族に理解されるようになると主張しています。
これは、私たちが2014年に日本政府に提出した「提言」の内容と合致しており、この部分について全く異論はありません。 

しかし、この共同論文が解決案の基盤としている2015年の日韓合意はまさに、③「過ちを繰り返さないために問題を後世に伝えること」を否定しています。2015年の日韓合意の核心は「最終的不可逆的に解決されることを確認する」という文言にあり、日本政府はこの合意を根拠に韓国側に「慰安婦」問題を二度と蒸し返すことがないよう求めたことが、その後の調査でも明らかになっています。

日韓合意のプロセスを検証した韓国外務省・作業部会の報告によると、合意には「非公開部分」があり、この合意に被害者支援団体が抗議しても韓国政府が説得に当たること、日本大使館前の「慰安婦」像を移転すること、第三国での「慰安婦」関係の像や碑の設置を控えること、今後、「性奴隷」という言葉を使用しないことを日本政府が韓国政府に要請していました。

日本政府の要請を韓国政府が丸ごと承認したわけではないですが、日本側がこうした要請をしたこと自体に日韓合意の本質が現れています。

日本政府にとっては、過ちを繰り返さないために記憶し継承するのではなく、加害の事実をなかったことにするための合意でした。

したがって、被害者の「心に届く誠実な謝罪」を日韓合意の延長上に行うことは不可能だと思います。


 ■政府間の公式合意の扱い方について

 共同論文を発表した方々は、日韓合意を仕切り直すことなど非現実的であるという認識に立ち、日韓合意を前提とした解決案を提案されているのではないでしょうか。しかし、それは日本は変われない、これが限界だ、韓国側に妥協して欲しいということを意味します。

加害国が被害者、被害国に寛容を強いて良いのでしょうか。 
私たちは、日韓合意の存在を否定しているわけではありません。
韓国の文在寅大統領も日韓合意は政府間の公式合意であったと述べています。

しかし、政府間の合意であっても、政権交代で見直しが迫られることはあります。TPP(環太平洋経済連携協定)を推進してきた米国がトランプ政権に代わって、いきなりTPPからの離脱を表明したとき、日本は米国を約束を守らない国だと批判しませんでした。

日韓合意はその後の検証で様々な問題が明らかになり、国連の拷問禁止条約委員会からも「被害者中心アプローチを取るべきである」と勧告を受けています。韓国政府が一方的に破棄するのではなく、日韓両政府が合意のプロセスに問題があったことを認め、新たな合意を結び直せば良いはずです。 


日韓合意という暴力 

日韓合意を仕切り直すことは非常に困難で、非現実的だと感じるのは日本社会に暮らす市民のリアリティだと思います。

しかし、韓国社会から見ると、日韓合意を継承することを前提に対話することの方が非現実的なのではないでしょうか?

  日韓合意が被害者にとって、韓国の市民にとって、どれだけ屈辱的なものであったのかということを日本の市民は想像してみるべきだと思います。
謝罪と引き換えに、平和の碑(「慰安婦」被害者の少女像)の撤去を求めたり、「慰安婦」問題の関連資料をユネスコの記憶遺産に申請することを取り下げるよう求めることがどのようなことを意味するかを考えてみるべきだと思います。

ドイツの首相がホロコーストについて謝罪する代わりに、ポーランド政府に対して、アウシュビッツ収容所を撤去しろと言うでしょうか? 

アメリカの大統領が広島・長崎への原爆投下を謝罪する(まだしていませんが)代わりに、日本政府に二度とヒロシマ・ナガサキと口にするな、原爆ドームを撤去しろと言ったら日本人はどう思うでしょうか?

 そのようなことを口にしたら、どのような謝罪の言葉があっても、被害者と被害国の市民が謝罪を謝罪として受け止めることは出来ません。まったく反省はしていないけれども、二度と蒸し返して欲しくないので、謝ってみせたんだと受け止め、怒りが湧いてくるのではないでしょうか?

 日本政府が日韓合意で韓国に対して行ったことはそのようなことです。

 したがって、日韓合意の延長上に対話を進めようとすることは、日韓合意が暴力的なものであったという自覚が日本の市民にないことを意味します。

この共同論文の呼びかけ人の方々に再考を求めます



日本軍「慰安婦」問題解決全国行動



<2021.3.24共同論文>

「慰安婦問題の解決に向けて ーー 私たちはこう考える」は以下から読めます(2021.3.24共同論文までスクロールしてください)