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Friday, November 17, 2023

オンライン講演「イスラエルによるパレスチナ『民族浄化』~10月7日にはじまった戦争ではない~」講師:早尾貴紀 Israel's Ethnic Cleansing of Palestine -- The War Did NOT Start on October 7: Webinar with Professor HAYAO Takanori

12月11日追記。早尾さんの講演は、400人近くの登録と、当日200人以上の参加があり、盛会となりました。「歴史的経緯やイスラエルの思惑等がとても分かりやすく、勉強になりました。」「イスラエルがやっているガザの人々の破壊が植民植民地主義でパレスチナ人のジェノサイドだということが納得できました。」など、たくさんの評価の声が寄せられました。歴史を知ることで、不正義の被害者の体験に近づくことで、自分の思考や行動の指針となり、不正義を正す動きの一端を担うことができるようになると信じております。この動画は2024年1月10日まで公開し、広くたくさんの人々に学んでいただけるようにしました。この動画の字幕は、「地球的問題を考える広島の会」の金井良樹さんと小島亜佳莉さんが手動で校正してくださいました。早尾さん、カナダ9条の会のみなさん、協力してくださった皆さんに感謝します。 カナダ9条の会 乗松聡子 @PeacePhilosophy 

 


日本時間12月9日(カナダでは12月8日)、カナダ9条の会主催のオンライン講演会を開催します。申し込みリンクはここをクリックしてください

10月7日、ガザのハマースによるイスラエル軍事基地等攻撃や民間人拉致をきっかけに欧米の支援を受けるイスラエルはガザに対する無差別攻撃をエスカレートさせています。いまガザでは安全な場所はどこにもなく、食糧、水、電力、燃料不足は深刻な状態で、怪我をした子どもたちは抗生物質不足のため手足の切断を余儀なくされ、新生児の命を守る保育器の電力が断たれるなど、想像を絶する「ジェノサイド」が行われています。この暴力のルーツはどこにあるのか。米国と欧州各国はどうしてこの暴力を止めないのか。私たちは何をすべきか。この問題に長年取り組んできた東京経済大学の早尾貴紀教授をお迎えしてお話を聞くウェビナーを企画しました。

開催日時は日本時間で12月9日(土)午前10時です。カナダ時間は、バンクーバー(太平洋標準時)で12月8日午後5時、トロント・モントリオール(東部標準時)で12月8日午後8時スタートです。無料。参加者にはぜひ宣伝をお願いします。定員500名。登録者は事後視聴も可能です。言語は日本語です。カナダ、日本だけでなく世界中からの参加を歓迎します。申し込みリンクは⇒
https://us02web.zoom.us/webinar/register/WN_RhqBhUx0TnaRgTTpeU3wWQ


早尾さんの本『パレスチナ/イスラエル論』(有志舎)は第3刷ができたばかりです。ぜひ入手してください。詳しくは⇒ https://twitter.com/p_sabbar/status/1724676419471683718

Thursday, November 16, 2023

イラン・パペ教授「何があっても道義的コンパスを失ってはいけない」You should never lose your moral compass no matter what happens: A summary of Ilan Pappe's talk at UC Berkeley, Oct 19 2023

The Ethnic Cleansing of the Palestine などの著書で知られるパレスチナの歴史の専門家、イラン・パペ教授(英国エクセター大学)が10月19日にUCバークリーで行なった講演のYouTubeがあったのでその講演部分の要約をしました。自分の勉強のためにした要約を公開します。ところどころ重要なキーワードは英語で残してあります。イントロやQ&Aは訳していません。太字は要約者によるものです。

https://www.youtube.com/watch?v=1OcjOP8iUCU&t=3228s 

Professor Ilan Pappé-Crisis in Zionism, Opportunity for Palestine? イラン・パペ教授:シオニズムの危機か、パレスチナのチャンスか?

10月7日まではイスラエルでは政府の改憲反対デモがいっぱい起こっていた。ユダヤ国(西岸にできたセトラーによるメシア主義とシオニズムが混ざった人種主義的勢力――ネタニヤフ下で台頭)とイスラエル国(テルアビブに代表されるセキュラ―:世俗的で多文化、民主主義の勢力)の対立があった。内戦といってもいい、文化的戦争があった。

西岸地区の占領は議論に上がってなかった。占領問題はイスラエルの将来には関係ないとみなされていた。イスラエル国旗がひるがえるデモでパレスチナ国旗を掲げたらぼこぼこにされ、つまみ出されただろう。

いっぽう200万人のパレスチナ人が犯罪化 criminalization されていた。イスラエルのパレスチナ人を脅している犯罪集団でその多くはオスロ合意以降のイスラエルのコラボレーターだ。高度武器で武装しており警察など法の支配から完全に除外されている。それでイスラエルに住むパレスチナ人たちは夜外出もできない。このような話題も「イスラエルの将来」を語る領域に入ることができない。東エルサレムの民族浄化も。

10月7日の時点では「解決した」ことにされていた。過去4回のイスラエルの選挙でもパレスチナは争点にさえならなかった。

ガザ封鎖もすでに問題になっていなかった。ここ2年西岸で毎日パレスチナ人が殺されていても繰り返しのアルアクサ(モスク)に対する攻撃も問題にされなかった。弱いパレスチナ自治政府はセトラーやイスラエル軍の暴力から守ることができなかった。問題がないとされた。イスラエルにある問題は司法改革だけであるとされた。

本質は二種類のアパルトヘイト間の確執であった。ひとつはセキュラ―(世俗的)アパルトヘイト。イスラエルのユダヤ人は西洋的な「民主主義」を満喫し、この形態のアパルトヘイトを維持したいと思っていた。それに対するのはメシア(救世主)的、宗教的、神権的なアパルトヘイト。パレスチナのことは眼中になかった。

10月7日の朝それは崩壊した。一瞬は、ハマースの襲撃のショックをうけて内部の対立はなくなり軍のもとに団結するといった空気があったが、それは幻想であった。対立はいつか戻ってくるだろう。

もっと大事なのは、パレスチナ人のたたかいである。10月7日の出来事について、良心的な人たちさえ陥りかかっている罠にかかってはいけない。それは起こったことの非文脈化 decontextualizing 、非歴史化dehistoricizing である。実質は何も変わっていない。パレスチナ人は1929年以来解放の闘いを行なってきた。これは反植民地主義のたたかいであり、反セトラーの闘いである。どんな反植民地主義の闘いも山あり谷ありである。栄光の瞬間もあれば困難もある。暴力もある。脱植民地主義は製剤のようなプロセス pharmaceutical process ではない(設計に従って進めるようなものではない)。きれい事では済まないIt is a messy business。植民地支配や抑圧が長く続けば続くほどその爆発は暴力的で藁をもすがるような形 desperate になる。

ここでリマインドしたいのはこの国(米国)における奴隷の闘争の歴史だ。アメリカ先住民族の反乱もあった。アルジェリアでのセトラーに対する闘いもあった。アルジェリア解放戦争でのFLN(アルジェリア民族解放戦線)による解放戦争時のオラン虐殺(1962)もあった。解放のための闘いの中で起きたことだ。戦略に疑問があるときもあるだろう。やり方が認められないと感じるときもあるだろう。当然だ。

しかしみなさんはここで道義的コンパス moral compass を失うことだけはしてはいけない。起こったことを非文脈化、非歴史化をしてはいけない。この国のメディア、アカデミア、西側、グローバルノース全般にある語り方だが、ある事件を取り上げて、その事件に全く歴史がないかのごとくに扱っている。襲撃された音楽フェスティバルが愛とか平和とか言っていたが、それはガザというゲットーから1.5キロしか離れていないところで起こっていた。愛とか平和とか言っていたすぐそこに、15年も封鎖され、人々が一日何カロリー摂るかまでイスラエルからコントロールされ、出入りも制限され、200万人の人たちが閉じ込められている監獄があるのだ。

さらに大事なことがある。パレスチナに取り組む活動家、学者の課題は、何十年も続いているプロパガンダや情報捏造についての取り組みだ。あまりにも多くの情報源が、パレスチナについて誤った情報を流してきた。メディア、学術界、ハリウッド映画、テレビ、など限りない。これらが人々の頭脳や感情に影響してきた。これらが長年植え付けてきたイメージを簡単に崩すことはできない。正義感だけでも太刀打ちできない。その正義感が深い歴史的知識に基づいていないと太刀打ちできないのだ。

リベラルやプログレッシブと言われる人たちでさえイスラエルを免責するような言語を使い、パレスチナの反植民地の闘いを正当と認めることをしない。反植民地化の英雄としてネルソン・マンデラ、ガンディ、などいろいろな人たちを崇めているが、その中にパレスチナ人は一人もいない。本質的には反植民地運動なのにいつも「テロリスト」と言われてきた。

使うべき言語を使い、その地の歴史を知り、適切に分析するスペースが必要だ。ただ「あなたは間違っていて私が正しい」だけではできない。これが私たちの前に立ちはだかる一番大きな壁だ。いま、アメリカでは、無条件にイスラエルを支持し、イスラエル人の被害に同情が集まっているが、この長い歴史の中でパレスチナ人に同様の共感があったことはなく、偽善としか言えない。

10月7日とその後の出来事の非歴史化に対する解毒剤のような「歴史のレッスン」があるとすれば、歴史的文脈は2本の重要な柱がある。

1)シオニズムという柱

ひとつは、シオニズムの正確な定義を決して忘れないということ。シオニズムに触れずに議論はできない。シオニズムに触れたとたんにアンチセミティズム(反ユダヤ主義)のレッテルを貼られ黙らされてしまう。これは最初から人種主義的イデオロギーであった。人種主義の系譜に属するのであって殆どの米国の大学で歪められて語られているような(ユダヤ人)「解放運動の歴史」とは関係ない。グローバルノースで教えられているような、または西側メディアが言っているような「民族運動」でもない。

これはレイシズムの歴史に属するのである。元々レイシズムとして始まったわけではないかもしれないがパレスチナの地においてはレイシズムとして現れたイデオロギーである。この人種主義は、シオニズム運動のセトラーコロニアル的特徴の一部であり、これもみなさんが知っているように例外的なものではない。米国でもそうだ。欧州にいられなくなった欧州人が別の土地で、欧州人でいようとし、先住民族と遭遇したときに排除の論理が始動する。パレスチナでも同じだ。19世紀末のシオニズム運動の初期シオニストのDNAがパレスチナ人と遭遇したときに排除政策が生まれた。簡単にいえば、パレスチナの土地をなるべく多く、そこにパレスチナ人ができるだけ少なくなる状態を望んだ。地理的側面と人口的側面がつねにあった。

排除的政策とは、ジェノサイドであったり民族浄化 ethnic cleansingであったりアパルトヘイトであったり、いろいろな場所でいろいろな形態をとる。シオニストの排除的政策から、先住のパレスチナ人を排除したという歴史から今回起こったことを切り離すことはできない。最初はシオニストの計画としてはじまり、1930年には実際の戦略となった。そして1948年には、パレスチナ人口半分の追放とパレスチナの集落の半数の破壊という、民族浄化として実行された。

今回ハマースが短時間占領したキブツの中には破壊されたパレスチナ人集落の跡地に作られたものもあった。そのハマースの人員の中には1948年に破壊され難民とされたパレスチナ人の三世がいた。これもストーリーの一部である。私がこういう話をすることによって起こったことを全て正当化するというつもりではない。しかしこのような歴史の文脈がなければこの暴力の根源に向き合うことはできないのである。暴力の症状を扱うだけではだめだ。根源に行かないと。この根源がシオニズムという人種主義的イデオロギーなのである。もう一度言うがこれは例外的なことではなく先住民族を排除することによるセトラーコロニアリズムというのは他にも多数ある。

この排除的政策が実行されたのが、植民地主義、人種主義、集団的人権とか公民権などに世界が無関心であった19世紀ではなく、これは第二次世界大戦以降に行われたことである。これは、グローバルノースがとても誇りに思っている世界人権宣言が行われた年に起こったことである。第二次世界大戦を経た世界はいま道義的基礎があり、第二次大戦であったような人種主義、大虐殺、などは廃絶される!ということだったがこの同じ年に南アフリカはアパルトヘイト法を公布した。イスラエルはパレスチナの民族浄化を行なった。これは両方、世界からの「人権宣言を行なった、しかしお前たちには適用されない」というメッセージである。

このとき、あるアメリカ人の知識人が言ったように、「大きな不正義をただすために小さい不正義を容認する」という正当化の仕方があった。これは、パレスチナ人が、何千年も続いたヨーロッパ人キリスト教徒のアンチセミティズム(反ユダヤ主義)の代償を払うということだった。戦後間もないとき、新生西ドイツを国際社会の一員として認めることに抵抗があった中、初期に認めたのがイスラエルであった。イスラエルがあたかもホロコーストの犠牲者と生存者全員を代表するかのように「新生ドイツを認めるかわりにパレスチナで自分たちがやっていることに干渉するな」というディール(取引)をとりつけたのだ。

1950年代、西ドイツの援助で近代イスラエル軍ができた。民族浄化が世界からお墨付きを得たために継続し、1948年から67年までにイスラエルから36の集落を追放した。67年6月の戦争では西岸地区とガザから30万人のパレスチナ人を追放した。67年からこんにちまで通算で西岸地区とガザから70万人を追放した。マサファー・ヤッタ、エルサレム都市圏など各地で現在も民族浄化が続いている。

民族浄化はイスラエルのパレスチナ政策のDNAとなった。それには何十万人の人々が関与している。48年のような大規模な民族浄化ではなく、incremental 少しずつ進む民族浄化なのだ。追放の対象が一人だったり一家族だったり、追放ではないが集落の閉鎖だったり、ガザ地区の飛び地化だったりする。これらみな民族浄化だ。ガザは200万人をゲットー化して、アラブ対ユダヤ人の人口的バランスから排除できる。

以上が一つめの歴史的柱。パレスチナの旗をふったら「テロリストを支持している」とか、10月7日の出来事とホロコーストを比較したりするような言説があるが、近代のパレスチナの歴史という大きな歴史に加え、2007年以来のガザ封鎖という特定の歴史をふまえる必要がある。200万人の人をこのように、おそらく史上最長の封鎖といえるだろう―食糧、水、移動の自由の制限といった非人道的な、2020年にUNが「人間にとってガザでの生活は持続可能とはいえない」と言ったような状況において。

ガザについてのレッドラインはとっくに超えている。だからもちろん怒りの爆発、復讐、暴力は起こる。なんのサプライズもない。奴隷も、先住民も、植民地支配されたインドから北アフリカの人たちも、反植民地の闘いがあった。それがどれだけ平和的か暴力的かは植民者、民族浄化する者たち次第だ。抑圧されている人たちはいなくならない。闘いを諦めることはない。これが理解できるのが早ければ早いほど、植民地的現実からポスト植民地的現実への移行ができる。これを理解しないのなら、何度でもしっぺ返しを喰らい続けるであろう。10月7日が最後ではない。

2)パレスチナの自決権、民主主義という柱

もう一つの歴史的柱がある。米国や西側の言論を聞いているとパレスチナ人についての一般化が行われている。パレスチナ人はこうであるとの一般化がされるのだ。911の後にもイスラム教徒がそうされた。シオニズムが破壊したパレスチナというのは、もしその破壊がなかったらこうであったろうというパレスチナとは全く違うものだ。1948年前のパレスチナはどうだったのかを何度でも思い出す必要がある。

イスラム教、キリスト教、ユダヤ教の人たちが共存していた地だった。理想ではなく実際にそうだったのだ。今はないが、水がふんだんにあった。EUの長が最近繰り返していた嘘だが、シオニズムがパレスチナの砂漠を肥沃な土地にしてやったと。これは使い古された捏造。多くの場所ではシオニズムが肥沃な土地を砂漠に変えたのだ。人間だけでなくエコロジーとの関係においても歴史を脱構築しなければいけない。パレスチナ人と植物、自然との関係もシオニズムが破壊した。故エミル・ハビビ(作家)が言っていたが自分は1948年どこの家がキリスト教でどこの家がイスラム教など知らなかったと。これはノスタルジアではない。これは「異なるパレスチナがあった」ということなのだ。

シオニズムが来たあと生まれた反植民地パレスチナ民族運動が忠実に守った2つの原則がある。一つは、right of self-determination of people 民族自決権。二つ目は民主主義。

400年間オスマン帝国の支配下にあった。オスマン帝国後のパレスチナは、多数決にもとづく民主主義の政治を求めていた。しかし1918年から1945年まで、パレスチナに来た米国や国際派遣団のすべては、西側が自決権や民主主義を大事にしていたにもかかわらず、それらの原則はパレスチナに適用しなかった。それは、大英帝国が、パレスチナをユダヤ人の国にすると約束していたからだ。ユダヤ人が非常に少数派だったから民族自決権がパレスチナ人に適用されることはなかった。多数派による民主主義もパレスチナ人には論外とされた。どのような抑圧を受けたのかということを文脈化するためにもここは重要な点。パレスチナについて西側は人種主義を支持した。

このもう一つの柱は、シオニズムが何をしたのか、パレスチナがシオニズムなしだったらどうなり得たのかをリマインドするためにも大事だが、これは解放後のパレスチナを想像するにおいても重要だ。いまガザで起こっていることを見てパレスチナ解放後の将来を描くことをやめてはいけない。パレスチナ人と話してみたらいい。きょう何を戦術的にやるかだけではなく解放後をどう思い描いているかと。展望のある解放である。解放がなにをもたらすかである。奪われる前に1948年前のパレスチナにあったものである。宗教やセクト、文化的アイデンティティで差別はしない社会。民主主義を重んじる社会。パレスチナをアラブに返還させる社会。アラブ世界の一部になることは容易ではない。しかしアラブの一部にならないとアラブの問題の解決の一端を担うこともできない。イランの人権、エジプトの公民権なども、パレスチナの人権を除外したら意味がない。いつも外の援助を必要としていたら劣等な立場に置かれ続ける。アラブの問題もその解決もパレスチナがその一端を担う。

まとめ

今目にしている劇的な状況がある。これからもっと起こるだろうしガザだけではなく西岸地区にも波及するおそれがある。もちろん一番緊急なのはこれを止めることだ。しかし今後の戦略を作ることが大事だ strategize. 基本的な問題は今回のことが終わってもなくならない。何があっても道義的コンパスを失わないことが大事だ。アルジェリアや、ケニアや、インドの植民地支配の歴史をふりかえっても、闘争の中でどのような事件があってもこれらの国々が植民地主義から自由になる権利は変わらないことは疑問を差し挟む余地はないだろう。We never question the basic right of independence. パレスチナについても同じである。

平和的なパレスチナを実現したいのであれば、何よりも大事なのは、「パレスチナ解放 Free Palestine」である。

(要約以上)


Monday, November 06, 2023

女性差別・天皇制・植民地主義:カナダに移住して得た3つの気づき(「反天ジャーナル」より) Misogyny, the Emperor System, and Colonialism: Three Insights about Japan that I Gained by Living in Canada

「天皇制を知る・考える」ための『反天ジャーナル』11月更新号に寄稿したエッセイを転載します。(文中ハイパーリンクは著者が付け足したものです)

『反天ジャーナル』ロゴ。サイトはこちらへ

女性差別・天皇制・植民地主義:カナダに移住して得た3つの気づき

乗松聡子(ピース・フィロソフィーセンター代表)

カナダの永住資格を取ってから四半世紀が経つ。カナダで育てた子どもたちが大人になった今、日本で過ごす時間も増えてきた。今まで、日本にいたままだったら気づかなかったであろう気づきがたくさんあったが、ベスト3を挙げるとしたら、以下であろう。この3つの順番に優劣はない。そしてこの3つは深く関連している。日本の「三種の神器」と言ってもいいぐらいだ(笑)。

一つめは、日本での女性抑圧の深刻さである。日本の新聞で中東における女性人権侵害を批判した記事など読むと、どの口が言うかと苦笑してしまう。東京で生まれ育った私は女子が電車で性暴力を受けるのは仕方ないこと(誰にでも起こること)と諦めさせられてきた。今でも「痴漢は犯罪です」ということをポスターで周知しなければいけない社会なのだ。昔に加え今は盗撮の心配までしなければいけない。1947年憲法で両性の平等は定められたはずなのに、日本にいると朝起きてから夜寝るまで二次喫煙かのごとく家父長制の空気を吸わされる。TVをつければ食卓で女性だけが立ってエプロンをつけて夫と子どもの召使いになっている映像が「家族の幸せ」として出てくる。夫婦でなにかを買うと必ず「ご主人様」「奥様(主人の対比だから、「家来」という意味なのだろう)」と言われ、郵便物が来たと思ったら夫の名前しかない。表札には男の名前だけ。「戸籍筆頭者」、「世帯主」といった「男の家主」を求められる制度。カナダには戸籍制度も住民登録制度もないが誰も困ってない。最近は時代が変ったとも言われるが、「意識高い系」の男性たちが家で料理や洗濯をしたり「イクメン」をしたりするのをさぞ大変そうにアピールする。自慢できるのは、褒めてもらえる男の特権だということに気づいてないのだ。当たり前のことをしただけで威張るな。「平和」「人権」の世界でも男性支配構造は同じで、同じどころか、自分が立派だと思っているオヤジたちが多いのでもっと厄介だったりする。仲良し夫婦で活動しているかと思えば、妻は補助的な役割を負わされていることが多く、夫が妻を人前で叱りつけたりしている。「平和」集会にいけば大声オヤジの演説大会で、女性たちは後ろのほうで受付をやっていたりする。権力者による性暴力のニュースに触れない日はない。若い世代との会話でも「長男が」「嫁が」といったボキャブラリーが出てくるので唖然とする。女性の内在化も深刻だ。だいたい声を上げると黙らせに来るのは女性である。とにかく朝から晩まで、性差別の空気を吸わされる。日本の人たちのほとんどはこの空気の味しか知らずに一生を終えるのか。「オヤジ」というのは男性差別だと言われるかもしれない。むろん男性全員が「オヤジ」なわけではない。しかしあまりにも「オヤジ」が多すぎるので率直に書いている。「オヤジ」差別だと認めて謝るのは、「オヤジ」がほとんどいない社会になってからにしたい。私も内在化と闘ってきた。日本で結婚したときは何も考えずに夫の苗字を採用した。カナダに来て、私も彼も少しずつ変った。一番感動したのは子どもの出生証明書を取り寄せたとき、私の名前が親として、それも旧姓の名前が夫より上段に表示されていたときだ。新鮮な感動とともに、「これでいいのか」と居心地が悪くなる自分もいた。自分の中に巣食っていた家父長制の声だ。しかしこの子を産んだ私が先で何が悪い! これでいいのだ。これこそが当たり前の表記なのだ、と自らに言い聞かせた。内在化からの脱皮のはじまりだった。カナダでの生活はこういうことの繰り返しだった。

二つめは、天皇制だ。日本の人はごく一部を除いて本当に天皇制に洗脳されたままになっている。無理もない。「戦後」の学校教育は、「ふたたび子どもたちを戦場に送らない」という反省で「平和教育」をやったのかもしれないが、天皇信仰から脱する脱カルトの教育をやっていない。戦争中アジア隣国の人たちを見下し蔑み差別したことにつながった、天皇を頂点とした選民思想からの脱洗脳の教育もやっていない。だからいまだに天皇を崇拝しタブー視し、「純日本人」といった人種が存在するかのような錯覚に囚われ続け、アジア隣人や日本以外にルーツのある人たちを差別的に扱い続けている。日本はヒロヒトの「英断」で「終戦」できたというストーリーがまかり通っており、神格化されたあの男の名のもとに2千万かそれ以上のアジア太平洋の市民たちが残虐に殺されたということを忘れ去る仕組みとなっている。ヒロヒトは1945年2月の「近衛上奏文」の時点で降伏を拒否したことに象徴されるように、敗色が濃くなっても自分の保身のことしか考えなかった。最終的に降参したのは、ソ連の侵攻により、自分がもっとも恐れる日本の共産主義化が現実味を帯びてきてしまったからだ。追い詰められて自殺したアドルフ・ヒットラーに比べ、ヒロヒトは自らの戦争犯罪について何の咎めも受けず温存された。その息子のアキヒトの代になり、アキヒトが「慰霊の旅」を行なったり、戦争への「反省」を口にするようになったりするにつれ、日本の左派が一斉にアキヒトの賛美にまわった。「平和主義」で戦争を反省する心も持つアキヒトを右傾化する日本政府に対抗させるかのように。安倍政治反対派が次々とアキヒト信奉者になっていったのである。この人たちは前憲法に戻るようなクーデターを望んでいたのか。アキヒトもナルヒトも、かつて日本軍が侵略したフィリピンやインドネシアに行くが、殺されたり強制動員されたり性奴隷にされた地元住民ではなく、現地で死んだ日本兵が最優先の訪問だ。言ってみれば「巡回移動靖国神社」のような旅でしかない。「戦争を知らない」若い世代でも天皇のタブー視だけは忠実に受け継いでおり、元号のせいで時間まで天皇に支配されたままになっている。若い人が「新時代の」という意味で「令和生まれの私たち」とか「令和の時代にふさわしい」とか言っているのを聞くと頭がくらくらする。元号と決別するのが「新時代」じゃないの??? しかし何よりも天皇制の一番の害毒は、法制化された女性差別の仕組みの中で、毎日毎日日本の女性や少女たちはメディアを通して「女には価値がなく、価値があるとしたら唯一男子を生む機能にある」というメッセージをこれでもかこれでもかと植え付けられていることだと思う。日本の女性たちの自尊心の低さと性差別の内在化は天皇制と深い関係があるのではないか。外務省のキャリアだった小和田雅子は自分の選択でナルヒトと結婚したとはいえ、その後皇室内で、またメディアからうけたハラスメント(男を産め!さもなくばお前の価値はゼロだ!)は、日本の女性が程度の差こそあれみんなが受けてきた屈辱である。人格を否定されてうつ病になった雅子は闘病しながらナルヒトの横で形式的な笑顔を作っている。このような完敗状態でいいのか! と頭に来る。皇室反対。数は減り続けどうせ風前の灯になっているのだから廃止するという選択を考えたらどうなのか。皇室廃止のための改憲議論をするべきと思うが、カナダやオーストラリアに比べ日本は皇室タブーが壁になっている。2019年3月1日、朝鮮独立3.1運動記念の集会に呼ばれ新宿アルタ前でスピーチしたとき、「アキヒトが自分の作った琉歌を沖縄出身の歌手に歌わせたのは文化盗用だ」と批判したら、しばらくはネットでむちゃくちゃ炎上した。当たり前のことを言っただけのつもりだったが。

三つめは植民地支配という悪の本質に目が行くようになったことだ。私は30歳でカナダに移住したがそのずっと前、高校2,3年の2年間カナダの国際学校に留学していた。当時の私は「戦争」といえば「広島と長崎」で、日本出身者としては核兵器の恐ろしさを世界に伝えたいといった感覚を持っていたが、この留学で完全に覆された。ここで、中国、シンガポール、インドネシア、フィリピンの友人から大日本帝国の侵略戦争と戦争犯罪について初めて教えられたのだ。日本の学校では一切教えられず、「戦争」では「空襲や原爆で日本人が苦労した」という歴史観をぶらさげて呑気に世界に出て行ったのである。今にして思えばなんと恥ずかしいことであったろうかと思う。そしていまだに日本の人たちは、日本を戦争の被害者と捉える見方が圧倒的に多い。それは「平和運動」に携わる人も例外ではない。日本の「加害も」学ばなければとか言う人もいるが、加害「も」なんていう見方がそもそも甘い。大日本帝国は、初の海外出兵である1874年の台湾出兵以来、1945年の敗戦による滅亡まで、71年にわたる侵略戦争と植民地支配の連続であった。歴史の中で日本人の多くが「戦争」と認識している沖縄地上戦や米国の空襲、広島・長崎の原爆やソ連の満州侵攻は、その最後たったの半年間に起こったことだ。そこだけを切り取って「戦争」と思っているということは残りの70年半を切り捨てているということだ。なぜ切り捨てるかというと日本に都合の悪い加害戦争の連続だったからである。「も」をつけるとしたら、侵略戦争の歴史を学んだ上で日本人の被害「も」学ぶという順番なのではないか。自分はアジア系の多いカナダに住むことで日本出身である自分をより意識するようになった。琉球、朝鮮、アイヌモシリを植民地支配し、中国に侵略戦争をしかけその後東南アジアの欧米列強にまで戦争を拡大し、ピーク時の1942年には当時の世界人口の20%と今の日本の20倍もの面積にまで肥大した大日本帝国の戦争と植民地支配への責任を強く意識するようになった。同時に、移民した先のカナダもセトラー・コロニアリズム(殖民植民地主義)の国であることに気づいた。先住民族の土地をイギリス人とフランス人が支配し、インディアン・レジデンシャル・スクール(先住民族の子どもたちを親元から引き剥がし強制同化教育を行い虐待が横行した施設)といった残酷な植民地政策が今も社会に深い傷を残していることを学んだ。自分も後発の入植者であり「盗まれた土地」に住んでいることを自覚するようになった。多文化主義でジェンダー平等のある平和な国に住んでいると思っていたら、それは誰かを踏みつけた上での「平和」であったと気づいた。沖縄を踏みつけた上で、朝鮮を分断したままにしておいて成り立っている日本の「9条の平和」のように。世界規模で見れば、グローバルサウスの国々を搾取して「繁栄」や「平和」を築いてきた、グローバルノースの暴力構造について考えるようになった。その上で、偽善的「平和主義」よりも、脱植民地のための言論と行動を行なっていきたいと思うようなった。

いま世界が注目している、米国と西側をバックにしたイスラエルのパレスチナ・ガザに対する「ジェノサイド」「民族抹殺」とそれに抵抗するパレスチナ人たちの闘いは、まさしく脱植民地の闘いである。ここバンクーバーでも私が25年住んで見たこともないような大規模のパレスチナ解放デモが起こっている。カナダに住むことで得た3つの気づきを大事に、虐げられた者たちが解放される社会を作っていきたいと思っている。

転載、以上。)

 

Sunday, November 05, 2023

谷山博史:分断を乗り越え、『作られる戦争』を止めよう TANIYAMA Hiroshi: Overcome Divisions and Stop the "Manufactured" War

国際NGOで35年間経験を積んだ谷山博史さんが23年9月24日に「沖縄を再び戦場にさせない・県民の会設立・キックオフ集会 」で行なった基調講演の内容を許可をいただき転載します。数々の米国の戦争を目撃してきた立場から「戦争はつくられるもの」と指摘し、「中国脅威論」で市民の「心の動員」を行い、経済・社会のあらゆる側面で法整備し軍拡を正当化し戦争準備が着々と進んでいる状況をストップさせるために示唆に富む提案が散りばめられていると思います。@PeacePhilosophy


分断を乗り越え、『作られる戦争』を止めよう

 

2023 年 9 月 24 日 

沖縄市民会館大ホール 

 

沖縄対話プロジェクト  谷山博史 

 

Ⅰ.祝辞と自己紹介 

11 月の大集会に向けたキックオフ集会の開催と県民の会の発足を心からお慶び申しあげます。沖縄の平和運動にとって歴史的な画期ともいう重要な集会で話をさせていただくことは実に光栄です。ありがとうございます。 

私は谷山といいます。「台湾有事」を起こさせない・沖縄対話プロジェクトを立ち上げた者の一人です。その他にも沖縄では土地規制法の廃止をもとめる活動や本部の塩川港で辺野古新基地に反対する活動そしています。母親は糸満で生まれた奄美の人間です。私は琉球弧人の2世になります。  

  3 年前に内地から沖縄に移住してきましたが、それまでは 35 年間国際協力NGOの活動をしてきました。タイ、ラオス、カンボジア、アフガニスタンに合せて 12 年間生活し、アジア・アフリカ・中東への出張は 100 回を越えました。その多くが紛争・戦争の現場でした。現場で見たファクトと住民の声に基づいて戦争を起こさせない活動や問題のある開発事業を中止させる活動にも携わってきました。  

今回私がこの集会で話をするように依頼されたのも、沖縄での活動と海外での活動の経験通して「沖縄を二度と戦場にさせない」運動を盛り立てることを期待されたのではないかと思います。 

 

Ⅱ.戦争の現実、分断の現実   

1.「作られる戦争」の現実 

最初に「作られる戦争」の話をします。近年の戦争に関する私たちの認識にまつわり付くバイアスを取り払うためです。アメリカや日本、多くの先進国の間で正しい戦争、避けられなかった戦争と見られている戦争の多くは、別の観点からみるとそうではありません。  

湾岸戦争 

私が人道支援に関わった戦争はほとんどがアメリカの戦争でした。1990 から91 年の湾岸戦争、99 年のコソボ紛争、2001 年のアフガニスタン戦争、2003 年イラク戦争などです。一つだけ湾岸戦争の例を話します。この戦争の危機は、イラクの隣国クウェートのイラクに対する挑発から始まっており、クウェートと密接な関係にあるアメリカがその挑発を促しました。そしてイラクのクウエート侵攻は、その直前、イラク駐在アメリカ大使がイラクの侵攻を黙認する発言をしたことで始まりました。アメリカがゴーサイン出したのです。これが正義の戦争といわれた戦争の実態です。  

戦争を正当化する根拠、人権を守るの美辞麗句 

先ほど挙げた 4 つの戦争はいずれもアメリカが戦争を正当化する根拠を作り出し、国際社会を味方につけて軍事力を行使した例です。また戦争を正当化させるために人権を守るための戦争という美辞麗句も使いました。例えば「アフガニスタンのタリバーンは女性に全身を覆うブルカを強制している、女性を解放しよう」といった具合です。これらの戦争は戦争が実際に起こされたという意味ではアメリカの戦争の成功例といえます。戦争が始まってしまえば結果オーライで、戦争を起こすための嘘も工作も忘れられてしまいます。しかし台湾を巡る武力紛争はまだ始まっていません。今ならまだ止められるということです。  

2.分断の現実 

目の前にある対立、断絶、認識の齟齬 

沖縄対話プロジェクトは戦争を起こさせないためには「保守も革新も関係ない」「老いも若きも関係ない」「国籍も関係ない」という標語を使います。戦争を容認する言説が社会で影響力をもつ背景には様々なセグメントでの分断があります。私がここで分断という言葉を使うのは、対立や断絶が外部の介入によって生み出された側面を強調するためです。外部とは主に国家権力を指します。 

台湾を巡るアメリカと中国との戦争が起これば最大の被害を受けるのは沖縄と台湾です。にもかかわらず今私たちの前にあるのは、沖縄と台湾双方における保守と革新の対立、沖縄における世代の断絶、沖縄と台湾の間の認識の齟齬です。 

分断工作、プロサバンナ 

これらの対立、断絶、認識の齟齬は権力の側からは格好の分断工作の対象となります。その実例は日本政府の開発援助、モザンビークでの大規模農業開発事業プロサバンナで見ることができます。現地の農民が大反対したこの日本の国策事業を中止させるために私たちは8年間大車輪で行動してきました。事業推進機関はコミュニケーション戦略という分断工作を仕掛けてきます。しかし 2020年ついに事業の中止を勝ち取ることができました。相手の分断工作を見抜いたことが成功の大きな要因でした。私たちが戦争を起こさせないために乗り越えなければならないのもこうした分断なのです。  

沖縄で乗り越える世代の断絶 

しかし素晴らしいことに、世代の断絶はここ沖縄では乗り越えられようとしています。「争うより愛しなさい」というスローガン掲げた2月と4月の平和集会と今日発足する県民の会は、実行委員会に若い人たちが沢山参加しています。

若い世代がシニア世代と協力し、シニア世代から平和運動の襷を引き継ごうとしています。こんな動きは全国のどこにもありません。沖縄だけです。沖縄対話プロジェクトが昨年12月開催した「若者とシニアのリアルトーク」もこの断絶を乗り越える一つの役割を果たしたと思っています。 

3.中国を巡る動き 

トランプの中国敵視とバイデンの継承 

中国を巡る動き、特に中国とアメリカの関係について触れたいと思います。米中の関係はここ 10 年余りの間に激しく変化してきました。一時はよい関係にあった両国の関係が著しく悪化したのはアメリカのトランプ政権の時です。トランプは中国敵視の言動を繰り返し、経済政策においても中国企業締め出しの先鞭をつけました。バイデン政権がこれを引き継ぎました。アメリカ国防総省も中国が軍事的脅威であることを演出しています。2021 年の 3 月にインド太平洋軍の前司令官と後任の司令官が「中国が 6 年以内に台湾に軍事侵攻する可能性がある」と連邦議会で発言しました。これを機にアメリカでも日本でも中国脅威論が一気に噴き出します。 

日米首脳会議と大軍拡の約束 

この間日本とアメリカは何をしたか。菅前首相も岸田首相もバイデンとの首脳会談で日米共同作戦計画の正式協議や軍事費の大幅増額など大軍拡の約束をしてしまったのです。 

2010 年の米国防計画見直し 

軍事評論家の小西誠さんはアメリカが対テロ戦争から対中国戦争に戦略をシフトさせたのは 2010 年の国防計画の見直しにおいてが初めだったと言います。この戦略を日本の自衛隊は必至になって研究し、日本の防衛戦略を整合させようとしました。そして自衛隊の「南西シフト」すなわち南西諸島の軍事要塞化が始まるのです。2010 年というとアメリカがアフガニスタンでまだタリバーンと闘っている時期です。  

  私がなにを皆さんに伝えようとしているかもうお分かりだと思います。 

①アメリカは対テロ戦争の次の戦争の準備を、まだ中国との関係が険悪ではない時期にしていたということ。 

②日本の自衛隊も政府もアメリカの対中国戦略に必死でついていこうとしており、その結果が琉球弧の軍事要塞化、ミサイル基地化だということ 

③軍事戦略のシフトとその戦略を実施するためには、予算化を含めて国民の解、少なくとも容認が必要であり、そのために国民の心を動員する必要があったこと。心の動員に大いに役立つのが中国脅威論だったということです。  

経済と社会の軍事化 

一つ付け加えると、軍事化というのは軍拡だけを意味しません。軍事化は経済・社会・文化のあらゆる面で軍事優先の体制が浸透することです。経済の領域での軍事化の最たるものが経済安保推進法、軍需産業支援法、次の国会で法案提出されるセキュリティクリアランス法です。そして社会面での軍事化の最たるものが土地規制法です。土地規制法は基地や原発などの安全保障上重要な施設の周辺と国境離島を区域指定し、区域内の住民や法人を調査・監視する法律です。防衛機能に支障があるとみなされる行為に対しては刑罰を科されます。恐ろしいのは、政府がこの法律を成立させ実施するために露骨なまでに中国脅威論を使ったことです。 


Ⅲ.希望 

1.沖縄には反戦・非戦の勢力がある 

状況はとても厳しいです。しかし厳しいとはいえ、絶望してはいけませんし、絶望する必要もありません。

今世界では「台湾有事」を巡る戦争の危険について様々な言説が飛び交っており、多くの人々が不安を抱いています。その大半は中国が戦争を起こすかもしれないというものです。誰が戦争を起こすかは一先ず置いておいたとしても、戦争に明確な NO を突きつける声が社会的な勢力となっているところはどこにもありません。しかし沖縄は反戦・非戦が社会的な大きな勢力をなしています。これは世界的にみて驚くべきことです。 

約半世紀の間戦争に苦しんできたアフガニスタンで対話による平和の活動を実践してきた私の盟友がいます。サビルラ・メムラワルといいます。彼は 2019年に辺野古に来て反対運動の人たちの話を聞きました。そのときこう言ったのです。「辺野古の運動は世界的に見て成功例だ。強大な権力に対してこれほど長く、粘り強く抵抗を貫き、いまだに基地を完成させていない」と。至極名言だと思います。  

奇跡の集会 

彼はその前年、アメリカの対テロ戦争がもっとも激しかったナンガルハル県ホギャニ郡で青年グループのリーダーとしてタリバーンと地元の長老、地方政府の役人が参加する平和集会を実現させました。その集会で対話が重ねられ一つの合意に漕ぎつけます。タリバーンと政府との休戦期間の延長を政府に提言するという合意です。3 日間の休戦期間の最後の日でした。青年たちと長老たち、そしてタリバーンは合意を携えてナンガルハル県庁に赴き、県知事と会合を持ちました。その結果県知事はこの合意を支持し、大統領に働きかけると約束します。 

 平和の信念と物事の見方  沖縄の集合的意思の蓄積 

平和への信念をもち、物事を違った側面から見る目をもてば、不可能だとされたタリバーンとの対話も可能になり、負け続きだと見られている辺野古の運動の成功の意味が見えてきます。ここ沖縄の反戦・非戦のエネルギーは沖縄戦の経験と、構造的な差別・基地被害を長年にわたってはねのけようとしてきた沖縄の人々の集合的な意志の蓄積のなせる技なのです。 

2.沖縄対話プロジェクトから何が見えて来たか 

1)登壇者の言葉から見る希望 

沖縄対話プロジェクトを通して見えてきたことをお話しましょう。沖縄対話プロジェクトは最近にわかに語られるようになった、いわゆる「台湾有事」すなわち台湾をめぐる戦争に危機感を抱いた有志が呼びかけ人となり、決してそれを「起こさせてはならない」と、昨年 10 月に発足させたものです。異なる立場や異なる意見の人たちの間で対話を重ねることで、「沖縄や台湾を戦場にさせない」という世論を醸成していくことをめざしています。    

昨年 10 月の発足集会、今年 2 回の台湾との対話シンポジウム、2 週間前の中国との対話シンポジウムなどを通して分かったことがあります。  

一つには、対話に参加したすべての対話者が「対話が必要である」という認識では一致していたことです。沖縄の中にも、台湾の中にも、台湾と中国との間にも、沖縄と日本本土やアメリカとの間にも対話が難しい環境が生まれています。だからこそ対話が必要だと皆考えていました。対話が途切れたところから戦争が始まるということです。  

二つには、台湾民進党系のシンクタンクの林彦宏さんの発言にあったことですが、東アジア全体で平和構築の機関を作るなど、緊張緩和と戦争防止の取組みが必要だということです。これは抑止力が必要という立場の人も抑止力が戦争を呼びこむという立場の人も合意できる意見でした。  

三つには、保守と革新の違い、抑止力が必要か危険かの違いとは関係ないところで、これまで私たちが意識していなかった事実や見方が突きつけられたことです。発足集会で発言した沖縄物産企業連合会会長の宮城弘岩さんは、琉球沖縄と中国の長い交流関係の歴史を見れば、中国が沖縄に攻めてくるなどと言うことは考えられない。攻めてきたのは日本とアメリカだったと言います。  

第一回シンポジウムで基調講演をした元知事の稲嶺恵一さんは、中国は 100 年先までの長い時間の中で物事を考える。難しい問題も歴史の推移の中で解決策を見出していくとして、暗に中国の軍拡が脅威だ脅威だと言って対決姿勢を鮮明にするアメリカや日本をけん制しました。 

第二回シンポジウムの基調講演をした張鈞凱さんも同じようなことを言っています。アメリカは善か悪か、勝つか負けるかのゼロサムゲームで物事を考え、推し進める。しかしこの発想は戦争にしか向かわない。中国やアジアの私たちはこれとは違った発想を持っていると。日本もアジアに含まれますが、アメリカ的な発想に毒されていることを批判しているのです。   

2)一つの中国と「台湾有事」 

アメリカが対中国の戦略を明確に打ち出し、日本もそれに追随して大軍拡を進めてます。そして中国が近いうちに台湾に武力行使をするという情報を拡散し危機を煽っています。そのことはすでに述べました。しかし第三回シンポジウムの中国からの登壇者、呉寄南さんも厳安林さんも、中国が台湾を武力統一をすることを否定しています。台湾統一は中国政府の悲願だが、あくまでも平和的統一が原則だといいます。武力行使があるとすれば、中国の国是である「一つの中国」の枠組みが壊されたとき、すなわち台湾が独立を宣言したり、外国が介入して台湾の統一が不可能になったときだと言います。台湾の登壇者も一つの中国の原則は台湾の憲法に規定された原則でもあると述べています。  

第三回シンポジウムの基調講演をした元駐中国大使の宮本雄二さんも明確に述べています。「一つの中国」の原則は 1972 年の日中共同声明や 78 年の日中平和友好条約で日本が支持するとした国際約束であり、アメリカも同様の立場を約束していると。  

ここまでは疑問の余地のない事実です。 

だとすると台湾統一は中国の国内問題ということになります。安倍元首相がいうような「台湾有事」は「日本有事」」でも「日米同盟の有事」でもないのです。また、日本は中国の立場を公式に支持しています。なのになぜ日本では台湾が中国に侵略されるとか、台湾の自治権を脅かす中国はけしからんという世論が形作られているのでしょうか。  

私は中国が武力で台湾を統一することにも反対ですし、台湾の中に独立したいと考える人がいることも当然だと思っています。しかし今私たちの目の前にある最大の命題は戦争を起こさせないということです。中国が好きか嫌いか、台湾の独立を支持するかどうかの問題ではありません。台湾が独立するよう仕向けたり、政治的、軍事的に介入すれば確実に戦争になることが分かっているのですから、現状を維持し、時間を稼ぎ、時間をかけて平和的な解決の道を見出していくしかないのです。台湾の世論の大半が現状維持であるということは、台湾の人たちもそのことが分かっているということです。  

あまりに明快なこの論理を、善悪論や人権論をさしはさむことで逸脱するのはとても危険なことです。戦争は作られるという大局的な視点に立てば戦争は止められるのです。台湾有事は起こらないのです。起こすとすれば私たちかもしれません。  

ここで第三回シンポジウム「中国との対話」をオンラインで聞いた石垣島の若い友人花谷まゆさんのメッセージの一部を紹介します。 

「石垣島の陸自配備計画が持ち上がった当初、私自身『中国は怖いけど陸自配備は反対』という意見でした。中国と台湾の関係も知らなかったけど、今は一つの中国原則というものを理解できます。日本も米国も公式には台湾は中国の一部だと認めているのに、台湾の(中略)独立支援するような動きや報道をしていて、おかしいと分かるようになりました。」「どんな識者や専門家の話を聞くべきなのか、判断がつかない時は、みんなの命が大切にされるにはどうするべきかを前提に置いている人の話を聞くようにしたら良いと思っています。一部の犠牲は仕方ないという考えは危険です。」 

このメッセージは「中国は怖いけど自衛隊基地には反対」という立場だった花谷さんが、この矛盾を突き破る視座を獲得したことを雄弁に語っています。  


Ⅳ.これからどうしたらよいか 

さて、「台湾有事」は起こらない、と言いましたが、危機が作られているのも事実です。危機の実態と構造が見えている沖縄の私たちが動かなければ戦争は止められないかもしれません。そのためには大切だと思うことを4つお話して講演を終わります。  

1.戦争を起こさせない視座 

私たちが戦争を起こさせないための目・視座をしっかり持つことです。 

①視座の一つ目は「戦争は作られる」「分断は作られる」という戦争のカラクリを見抜く目をもつことです。 

②二つ目は先ほど述べた「一つの中国」原則を前提に緊張緩和と平和的解決を目指すしか戦争を止める術はないという認識を多くの人と共有することです。 

2つ目が特に重要だと思うのは、中国に対する日本人やアメリカ人の感情はヒステリックで複雑なものになっているからです。中国国内の人権問題や少数民族問題に絡めて中国を危険視したり、日本の GDP の3倍以上に経済成長したことへの妬みや恐怖心まで絡んできているからです。私はそれらを全面否定するつもりはありませんが、戦争を起こさせないということは別次元の問題なのです。ここでブレたら戦争の流れに飲み込まれます。アメリカの市民に連携を求めるときも、この視座を共有できなければ難しいのではないかと思います。 

2.台湾との共同声明 

次に大事だと思うのは台湾との共同声明です。 

一つ目と大いに関係しますが、台湾の人たちと対話し、交流し、戦争を起こさせない視座を共有することが大切です。中国やアメリカ、日本本土、東南アジアの人々との対話、交流し、戦争反対の大同団結をすることもとても重要です。しかし、沖縄と同様戦争被害の当事者になる台湾の人たちと共通の認識に基づいたメッセージが作られなければなりません。台湾の人たち抜きでは、沖縄が被害に合わなければいいのか、台湾を見捨ててもいいのかといった転倒した批判に晒されかねません。特に欧米の市民団体はその傾向が強いのではないかと思います。台湾にもさまざまな立場や意見があって簡単ではないですが、やはり乗り越えなければならない壁です。  

3.世界一斉行動 

次は世界一斉行動です。沖縄には独自の国際的なネットワークがあります。辺野古新基地反対運動では世界の環境団体や平和団体と連携して運動を展開してきましたし、アメリカや中南米をはじめ世界中にウチナンチューのネットワークもあります。これらすでに連携がある団体と協力して時期を決めて世界で一斉行動を起こす必要があると思います。個々別々に行動していてもアメリカの安全保障に関わる問題ですからメディアに無視されてしまいます。一斉行動とは例えば共同声明の世界同時記者会見などが考えられます。カンボジア紛争の際、ベトナムの傀儡政権だという理由でカンボジアは人道援助も含め国際社会による経済制裁を科されたいました。そのとき私たちの団体がやったのは「国際的な弱いものいじめ」という本の国際共同出版と世界同時記者会見でした。  

4.軍事化を止める 

4つめです。戦争が仮に起こらないとしても、日本の軍事化は進みます。ある意味それが本来の目的で、軍事化を進めるために本当に戦争になりかねない危険なゲームをしているとも言えます。台湾有事が起こるという前提で琉球弧のミサイル基地化やミサイルの長射程化、米軍との共同作戦が既成事実化しているし、土地規制法が住民や自治体のさしたる反対もなく施行されているのです。

これには時間がありません。後戻りできないのですからなるべく早く止めなければなりません。そのためにも台湾有事が起こるという前提、そして中国脅威論を空洞化し、払しょくしなければならないのです。 

まだまだできること、やらなければならないことは沢山あります。しかしやはり最も重要なのはまず沖縄の人間が結束することです。分断を乗り越えて、作られる戦争を止めましょう。「沖縄を再び戦場にさせないために」沖縄の人たちが結束するために、皆さん共に頑張りましょう。 


たにやま・ひろし1958年3月18日東京生まれ。

1986年から2018年まで日本国際ボランティアセンター(JVC)勤務。2006年から2018年まで代表理事。現顧問。2015年から2019年まで国際協力NGOセンター(JANIC)理事長。現在は、沖縄対話プロジェクト呼びかけ人兼実行委員、土地規制法対策沖縄弁護団事務局次長、日本イラク医療協力ネットワーク(JIM-Net)顧問、市民社会スペースNGOアクションネットワーク(NANCiS)コーディネーターなど。沖縄県名護市在住。著書に、『NGOの選択』、『NGOの源流』(共に共著、めこん)、『福島と生きる』(共著、新評論)、「『積極的平和主義』は紛争地になにをもたらすか?!」(編著、合同出版)、『非戦・対話・NGO』(編著、新評論)、「平和学から世界を見る」(共著、成文堂)など多数。



Tuesday, October 31, 2023

私たちはソシオパスと愚か者たちに支配されている:ケイトリン・ジョンストン We Are Ruled By Sociopaths And Morons: Caitlin Johnston (Japanese Translation)

X(旧ツイッター)で約30万人のフォロアーをもつ、オーストラリア在住のジャーナリスト、ケイトリン・ジョンストン氏の最新の投稿を和訳しました。(ジョンストン氏の方針により、ジョンストン氏の仕事は転載自由とされています。この翻訳はDeepl訳を直したものです。アップ後修正する可能性があります。)

We Are Ruled By Sociopaths And Morons

私たちはソシオパスと愚か者たちに支配されている



2023年10月31日

ケイトリン・ジョンストン

ガザ危機に対する西側諸国の指導者たちやメディア関係者、有名人たちの反応を見ていると、私たちが本当に最低な者たちに支配されていることをはっきりと示している。最も賢くない者たち。最も知的でない者たち。最も思いやりがない者たち。最も洞察力に欠ける者たち。私たちはソシオパス(社会病質者)と白痴に支配されているのだ。

いま、人々は次の2つの選択肢を与えられている: 

  1. ガザのパレスチナ人は、ユダヤ人をただ殺したいだけの邪悪なオークのような野蛮人であるから檻に入れて殺さなければいけない。 
  2. ガザにいるパレスチナ人は、自分たちに加えられた耐え難い人権侵害に反発している、考えることのできる人間だ。

どちらがより信じられるだろうか?

私たちは、イスラエルがハマス排除のために、何千人もの市民を殺害する容赦ない爆撃作戦を展開する必要があると聞かされている。それは、恒久的な和平を達成するためにはハマスを壊滅しなければならないからだ。この言説は最初から最後まで明らかな嘘である。

まず、和平を達成するためにはハマスの排除が必要だという前提が誤りである。和平は、そもそもハマスが生まれた原因である人権侵害をなくし、過ちを正すことで達成できる。もし1948年以降の窃盗と不正義が撤回され、難民が帰還する権利を持ち、アパルトヘイトによる虐待が終わり、人々が基本的な人間としてのニーズを奪われた巨大な強制収容所に収容されなくなれば、ハマスが現在の姿で存在し続けたり、暴力的な抵抗を続けたりすると信じる合理的な理由はない。

第二に、虐待的な現状を受け入れるように人々を爆撃できるという前提は、明らかに無茶な話だ。たとえイスラエルがハマスのメンバーを一人残らず殺したとしても、イスラエルの残虐性を目の当たりにし、それを受け入れようとしないたくさんの人々がこの猛攻撃から生き残るだろう。孤児となった少年たちや、愛する人が爆弾で引き裂かれるのを目の当たりにした男たちが、この先も現状に甘んじるとでも?もちろんそんなはずはない。

イスラエルはそれを知っているからこそ、この猛攻撃の生存者全員をガザから追い出し、シナイ半島の難民キャンプに放り込むことを好んでいるのだ。イスラエルは、自分たちのやっていることが何一つうまくいかないことを知っているし、うまくいくような償いをすることも拒否している。だから、ガザ住民を一方的に排斥することだけが唯一の選択肢なのだ。民族浄化と強制移住はどう考えても「平和」ではないが、それによってイスラエルは虐待的な現状を維持できるかもしれない。

イスラエルが持続可能な安定を得るための唯一の選択肢は、このような事態を招いたすべての過ちを正すか、あるいは逆に、「パレスチナの問題」にきっぱりと対応するために、はるかに多くの過ちを犯すかである。イスラエルが後者を選択したことは、今回の件を見ても明らかだ。

パレスチナ人が強制収容所から脱走し、イスラエル人をたくさん殺したと発表したとき、不都合にも多くのの人々が「 待てよ、彼らは強制収容所で何をしていたんだ」と尋ね始めたという問題に、プロパガンダを運営する者たちはまだ頭を悩ませている。

私は、恐ろしい強制収容所のトラウマを抱えた囚人たちが、強制収容所から脱出してどのように行動すべきだったかを論じることほど、道徳的にも哲学的にも意味もないことはないと思う。私の知る限り、10月7日に起こったことはすべて、何世代にもわたるイスラエルによる虐待と、それを可能にしたイギリスの決定、そしてそれを継続させてきたアメリカの後ろ盾の結果だ。

イスラエルの政策がハマスを生み出した。これは、「ネタニヤフ首相が和平を妨害し、より穏健な対抗勢力を弱体化させるためにハマスを後押しした」というような通常言われているような意味ではなく、「平和的革命を不可能にする者は、暴力的革命を不可避にする」という意味だ。可能な限りの平和的抵抗の道を踏みつぶしてしまえば、当然、暴力的抵抗を好む党派が台頭してくる。

この紛争を理解する上で私にとって最も重要だったひとつの経験は、2018年にイスラエル兵が抗議者たちに対し、スナイパーライフルと実弾で発砲するのを目撃したことだ。ベツェレムはこれを不法行為として明確に非難した。イスラエルがパレスチナ人を平和的解決に向かう通常の道筋から全て切り離していることを明確に示していた。

今回の件が起こったとき私は言った。ハマスの攻撃は最終的にパレスチナ人にとって得るよりも失うもののほうが多い結果になると思うが、パレスチナ人が取るべき前向きな方向性というものを誰も明確にできないので、私は良心の呵責から、「ハマスを非難」することはできないと。すべての平和的な抵抗の道が断たれたのは、パレスチナ人のせいでもハマスのせいでもない。イスラエル政府の責任だ。

ハマスとは、何百万人もの住民を強制収容所に閉じ込め、人間が生きていくために最低限必要ものを遮断し、平和的な革命を不可能にする、耐え難いほど虐待的なアパルトヘイト国家を作ったら結果として生み出されるものだ。ハマスという病気があるのではなく、ハマスは病気のひとつの症状なのだ。この病気はなにかと言えば、果てしない暴力、戦争、虐待なしには存在し得ない、アパルトヘイト入植者植民地主義プロジェクトなのだ。

私は、平和を求めることによって、子どもの大量虐殺を支持する人たちから辱められたり悪者にされることを断固拒否する。

(翻訳以上)



Tuesday, October 24, 2023

「テロ殲滅」は、世界を破滅に… 10・22デモメッセージ by パレスチナ連帯・札幌 松元保昭 "Annihilation of Terrorism" Only Leads to an Annihilation of the World (Yasuaki MATSUMOTO, Palestine Solidarity Sapporo)

 「パレスチナ連帯・札幌」の松元保昭さんによる10月22日札幌で行われたデモのメッセージを松元さんの許可を得て転載します。


10・22デモメッセージ


 「テロ殲滅」は、世界を破滅に…


                    パレスチナ連帯・札幌

                               松元保昭

Photo:アメリカ総領事前(札幌):80人ほどが駅前から大通り公園にデモ行進し、
    その後約半数が地下鉄で領事館に駆けつけた。

 ガザ 220 万人のうち半数は未成年の子どもで、全人口の三分の二が女性と子供たちだ。16年間も「天井のない監獄」として封鎖され、若者の失業率は60%、飲料水の8割は電気がないため浄化槽が稼働せず不適格で病人が増大、赤ん坊・子供は慢性的な栄養失調状態にある。自殺する若者が増えている。

 今回、イスラエルがガザ北部からの退避勧告を出した直後から無差別空爆、しかも食料、燃料、水、医薬品などライフラインを完全封鎖しておいて無差別空爆とは、シーファー病院が空爆されたが、WHOによるとすでにガザでは26もの医療施設が空爆されている。まさに、大量殺戮・集団抹殺のジェノサイドそのものが始まっている。ガザの死者は4000人を超えた。

 バイデンは、ただちにイスラエル支持を打ち出したが、「民主主義」と「人道的介入」を誇っていた自らのダブルスタンダードをコントロールできなくなっている。

そもそも、パレスチナ問題の発端は何であったのか?

 第二次大戦後、国連誕生後2年目、1947年の国連分割決議で、特別委員会は不正・不公正で憲章違反、アラブの国々は猛反対、だが米英ソがごり押した。ここから国際社会の二重基準・ダブルスタンダード、ボタンの掛け違いが生まれる。

 これだけでは済まない。この分割決議に後押しされた、「ユダヤ国家」をつくろうというシオニスト集団の武装テロ活動が直後から激しくなる。かつてのパレスチナ領内で暗殺、村落襲撃の虐殺、強姦、追放で、約80万人の難民がガザや西岸、レバノンやヨルダンに逃げ込む。これをパレスチナ人は、ナクバ(破局・大災厄)と記憶する。その渦中の5月14日夜、あわててイスラエルは建国宣言をし、翌1948年5月15日を建国記念日にする。この日こそパレスチナ人は、ナクバの日と呼んでいる。家の鍵を持ったまま逃げたパレスチナ人は、いまだに帰還できないままだ。

 その後の75 年間、イスラエルの軍事占領、家屋破壊、土地略奪、入植地拡大、700キロの分離壁、アパルトヘイト政策、ほしいままの虐殺が今日まで続く。それをアメリカはじめ西側諸国の「国際社会」とメディアが、長年にわたり容認・支持してきたことこそが根本原因なのだ。 

 ただちに国際法と国際人道法に基づき、イスラエルのガザ完全封鎖中止、西岸地区のイスラエル入植地の撤退、軍事占領終結とパレスチナ人の民族自決を実現すべく、国連や国際社会が中東政策を抜本的に転換しなければこの問題はなくならない!

 「ハマスはテロ組織、壊滅しなければならない」とイスラエルは叫ぶ。メディアは「報復の連鎖」などという無責任な常套句で傍観を拡大。2006年、パレスチナ民族評議会の選挙でハマスが勝利するも、不当不公正なオスロ合意に反対するハマスをただちに「テロ組織」と指定したのは、まっさきにアメリカとイスラエルだった。なぜ指定する権限があるのか、「対テロ戦争」の時代だから。国家のないパレスチナ人はイスラエルをテロ国家と指定できない。しかしいまや国際法・国際人道法が、占領された民族の抵抗権・民族自決権を正当に認めているのに…。

 さて、テロとはどこから始まるのか?ナクバを実行したシオニストは最初からテロ集団だった。だからイスラエルは、生まれつきのテロ国家。1982年レバノンのサブラ・シャティーラ虐殺の後パレスチナでは、民衆蜂起の第一次インティファーダが燃え上がりその勢いで87年、全パレスチナの解放を掲げて「ハマース」が誕生する。ところが、2006年のアメリカ・イスラエルによるテロ組織指定によって、国際的には「イスラム原理主義テロ組織ハマス」と呼ばれるようになるわけだ。

 「テロ指定」は、不満や抵抗を圧殺し先制攻撃を正当化する心理と論理を内包し、世界を破滅に導く。アメリカ銃社会の心理と論理を拡大したものが「対テロ戦争・反テロ戦争」だ。民主主義と人道を売り物にしてきたアメリカと、テロ殲滅の正当化なしに生きられないイスラエル…。「敵基地攻撃」の論理も同断。

 ところが、今回のハマスの奇襲攻撃は12のイスラエル軍の拠点を一時占拠した「軍事的抵抗」であった。その証拠に2か所のキブツ襲撃は非常に人道的なもので、逆にイスラエル治安部隊がキブツの一般市民をも無差別銃撃の対象にして犠牲者を出したとの証言がある(救出されたイスラエル人女性ヤスミン・ポラットの証言、15日)。しかしその後、キブツでの一般市民の犠牲者はすべて極悪非道のハマスの所為にされ、イスラエルの報道は証拠もなしにプロパガンダを広めている。

 シオニストこそがテロの本家だったのが、パレスチナ人の抵抗運動がテロリストと指定されるのは、狡猾なイスラエルの名指しだ。1972年のテルアビブ空港襲撃事件、その4か月後ミュンヘン・オリンピック村襲撃事件で、一挙にパレスチナ人の抵抗闘争が「テロ」のレッテルを貼られる。逆手を取ったのはイスラエル。なぜか、両方とも空港での一般市民への銃乱射は、片やイスラエル治安機関、片やイスラエル諜報機関と西ドイツ警察。双方ともパレスチナ抵抗グループが銃を乱射したわけではないのに、イスラエルによって即座に「パレスチナ・武装ゲリラの仕業」と世界に喧伝された。

 こうして、「敵」をテロリストと貶めることは、占領国家イスラエルの当初からの軍事戦略であり情報戦略の中心に位置する。パレスチナの民族自決の抵抗運動は徹底してテロリスト扱いされ、悪魔化されてきた。西岸でもガザでも、子どもが石を投げてもテロリストとして射殺され、イスラエル兵は不問にされるのがパレスチナの日常だ。

 これは75年前のナクバの継続であり、抵抗運動の「ハマス殲滅作戦」をめざすイスラエルは、さらに日常的・恒常的なホロコーストを実践することになるのではないか。

<アメリカ総領事館(札幌)前>

 アイヌモシリがヤマトに奪われ先住民族アイヌが「旧土人」とジェノサイドにさらされ、ヨーロッパでシオニズムが誕生した頃、アメリカはメイン号事件をきっかけにスペインと戦争し大西洋の覇権を握った。戦後、トンキン湾事件でベトナム戦争を開始、9・11後イラクに大量破壊兵器の難癖をつけてイラク戦を開始した。ムジャヒディーンを利用してアフガニスタンを攻撃し、イラク戦からはIS(イスラム国)を創って侵略の手段にした。これらのどれもが「先制攻撃正当化」の欺瞞的策略だった。

 そして、ナクバでジェノサイドをやってきたテロ国家・人種差別国家イスラエルを誕生させ、「平和愛好国家」という嘘で国連に加盟させ、何十回もの拒否権で擁護・援助してきたアメリカ。裏庭のラテンアメリカでも収奪と介入の政権転覆(レジーム・チェンジ)を繰り返してきた。軍事同盟をつくっては、国際法の網を破ってきたアメリカ・イスラエルこそ、「ならずもの国家」の張本人ではないのか!

 ブッシュは、「テロリストの側につくか、われわれの側につくか」と世界を恫喝した。敵か味方か、善か悪かの二元論を世界に押し付け、「反テロ戦争」のグローバル・スタンダードをつくりあげて世界を分断し、ヘイトとレイシズムを増大させてきた。「テロ悪魔化」の世界基準は、人種差別のアパルトヘイト国家イスラエルを存続させる一方で、「自衛のための先制攻撃」を正当化させた。しかし「テロ殲滅」をしなければ生きられないイスラエルを支援し続けるアメリカは、世界を破滅に導くことになりはしないか?

 世界を敵か味方か二分するこの心理と論理は、先住民族インディアンを駆逐・排除し今日も黒人差別を解決できない、銃社会アメリカの心理と論理から生まれたものだ。「反テロ戦争」の世界はかつてのハリウッド・カウボーイ映画と酷似する。カウボーイ帝国アメリカよ、まず自国の植民地主義を反省し、銃社会を根絶してから世界に物申せ!

 メディアは、アメリカ・イスラエルがどんな国か、いかに国際法・国際人道法を打ち破る狡猾な「極悪非道」を実践してきたかを、決して報道しようとはしない。もはや巨大メディアを共犯者とする欧米中心主義の野合同盟では、人類の公正と正義、人権と尊厳を実現できないことは明白だ。米国一極覇権の大転換が必要なのだ!フリー・フリー・パレスタイン!

(以上)

Wednesday, October 18, 2023

朝鮮と沖縄―脱植民地化の地平(2023年9月30日 那覇での朝鮮戦争停戦協定締結70周年シンポより) Korea and Okinawa - Horizon for Decolonization (from the symposium to commemorate the 70th anniversary of the Korean War Armistice)

 2023930日那覇市で開催された「朝鮮戦争から考える沖縄と東アジアの平和 休戦協定から平和協定へ」シンポジウムでの発表原稿を加筆修正したものを共有します。この少し短いバージョンが、東アジア共同体琉球沖縄研究会の次号の紀要に掲載される予定です。参考資料やソースはハイパーリンクで示しています。この投稿は許可なしに転載はしないでください。(リンクの拡散は歓迎です!)


 

朝鮮と沖縄―脱植民地化の地平

乗松聡子

「鮮やかな朝の国」(2019年8月17日 平壌・大同江のほとりで 撮影:乗松聡子)

 20198 月、在日朝鮮人の友人二人と沖縄の友人と、4 人のグループで朝鮮を一緒に訪問しました。朝鮮に行ってガイドさんからまず教えてもらったことは、朝鮮とは「鮮やかな朝の国」ということでした。そしてそれは6日間の訪問後出発する朝に立ち寄った大同江のほとりで再確認することができました。(上写真)

 まずおことわりですが、私は朝鮮半島に現在二つある政府とその市民をリスペクトしています。朝鮮民主主義人民共和国は「朝鮮」、大韓民国は「韓国」と短縮します。「朝鮮」の呼び方は彼の国が求めている短縮の仕方であり、日本のメディアや多くの人たちが使う「北朝鮮」という呼び方は、朝鮮を国として認めず差別的な扱いをしている呼称であり朝鮮自身、また当事者の多くが抗議・拒絶しています。だから私は使いません。また当然ながら、分断前の出来事について語るとき、「朝鮮」は全体を指します。

9月こそ大事

 きょうは930日です。よく「8月ジャーナリズム」と言われますが、日本の人たちは、戦争記憶において、86,9日の原爆投下の日、15日の、天皇ヒロヒトがラジオで降伏を通知した日を中心にさまざまな企画があり、その日が過ぎると忘れてしまう年中行事になっています。これは、日本で起こった戦争被害だけを記憶し、大日本帝国の70年の植民地主義と帝国主義が、沖縄、朝鮮、中国をはじめアジア太平洋全域で2千万人かそれ以上という人の命を奪ったという事実に向き合わない仕組みと思います。また、植民地支配ゆえに日本には朝鮮の人たちが240万人ほどいて、東京大空襲や広島・長崎の原爆でもおよそ1割の被害者は朝鮮人だったのですが、この方たちに思いを馳せる声は限定的です。大日本帝国はその1942年のピーク時には現在の日本の20倍以上の面積と当時の全世界人口の2にもまたがる大帝国でした。戦争を日本国内だけで振り返るということがいかに自己中心的で無責任なことかということがここからもわかるかと思います。

 私は9月にこそ戦争を批判的に振り返る貴重な記念日が詰まっていると思います。今年の91日は関東大震災100周年でした。震災後、政府や警察や軍隊が、「朝鮮人が暴動や放火を起こしている」といったデマを流し、戦争でも内乱でもなかったのに戒厳令が敷かれ、新聞もデマに乗り、関東各地で軍隊、警察、民間人で作った自警団などにより約6700人かそれ以上といわれる朝鮮人、800人にも及ぶといわれる中国人、日本人の社会主義者などが虐殺されました。「検見川事件」では沖縄の人も殺されました。

 9月2日は東京湾で、戦艦ミズーリ艦上で日本が連合国相手に降伏文書に調印した敗戦の日です。日本の天皇と政府の代理として重光葵外相が、日本軍大本営代表として梅津美治郎参謀総長が署名しました。連合国側は米国のマッカーサー元帥をはじめ、中華民国、英国、ソ連、オーストラリア、カナダ、フランス、オランダ、ニュージーランド代表が署名しました。日本人は今も降伏の対象は米国だけと思い、中国に負けたとは思っていない人が多いようですが、この場面を見れば目が覚めるのではないでしょうか。

 日本の植民地にされていた朝鮮はここには登場しませんが実は別の形で存在していました。重光外相が杖をつきながら甲板を歩く姿が印象的ですが、彼は1932年上海で、朝鮮の独立運動家尹奉吉が実行犯であった「上海天長節爆弾事件」で襲撃された日本の要人の一人です。伊藤博文を暗殺した安重根と同様、尹奉吉は朝鮮独立運動の英雄です。重光はこの事件で右足を失い、ミズーリ号上では義足での歩行でした。この様子が、大日本帝国崩壊の場において、残酷な植民地支配に抵抗し続けた朝鮮人の役割を象徴していたように見えます。

 翌日の9月3日は、中国では「抗日戦争勝利記念日」として、ロシアでは、「軍国主義日本への勝利と第二次対戦終結の日」として記念します。このような催しを日本では報道しても、どれだけ「反日」的かという視点しかないのです。米国でも対日戦勝を「VJデイ(ビクトリー・オーバー・ジャパンデイ)」として祝いますが、日本メディアはそれを「反日」とは呼ぶことは決してないことからも、日本の戦争記憶は「良い戦勝国」と「悪い戦勝国」に分けるような冷戦的構造を持つことがわかります。日本は原爆投下により降伏したという歴史観が日米に広がっていますが、実はソ連侵攻により日本の共産化を恐れたヒロヒトが米国に対してあわてて降参したのです。

 9月7日は、沖縄戦の降伏調印式があった日です。沖縄では6月23日が「慰霊の日」となっていますが、その日は日本軍の司令官が自殺し指揮系統が消滅した、言い換えれば責任を放り投げた日であり、その後も久米島虐殺事件のような皇軍敗残兵による住民への加害がありました。

 さる820日、元社大党県議の瑞慶覧長方さんが亡くなりました。瑞慶覧さんは沖縄戦を語るとき、琉球人はもともと日本の天皇とは関係なかったのに「天皇の子孫としてでっちあげた」のが皇民化教育だったと強調していました。この「でっちあげた」という言葉は、植民者である日本人の私に突きつけられた言葉と感じました。同じ皇民化教育でも植民地支配された地域でのそれは強制同化であり、日本人にとってのそれとは次元が違います。朝鮮についてももちろん同様です。

 918日は日本人が決して忘れてはならない、アジア太平洋戦争の発端となった1931年の満州侵攻の日です。中国では「9.18」といって知らぬ人はいない日ですが、日本ではこの日に立ち止まり頭を垂れる人はどれぐらいいるでしょうか。

 このように、9月にこそ帝国の加害を振り返る重要な記念日が散りばめられています。私は9月全体を、日本人が「もう二度と植民地支配も侵略戦争もしません」と誓う、非戦月間にするべきと思っています。それは同時に、沖縄、朝鮮、中国など日本が侵略し支配した国や民族に対する謝罪の思いを新たにすべきときでもあります。このような戦争の記憶をすれば、再び軍備増強して戦争しようなどとは思わないでしょう。歴史否定と戦争準備・遂行は同じコインの裏表です。

帝国:虐殺の連鎖

「誰に責任があるのか。」日本の戦争記憶ではしばしそれを忘れさせようという力がはたらきます。先に言った関東大震災時の大虐殺も、「集団心理」といったキーワードで語られることがありますが、これは政府、軍、警察が主導して流したデマに、もともと差別意識があった民衆が乗っかりエスカレートした官民一体の「ジェノサイド」でした(前田朗東京造形大学名誉教授の研究参照)。これは歴史の中で例外的な出来事ではなく、日本による朝鮮侵略・植民地支配の歴史の中で朝鮮の民衆を弾圧・虐殺する事件がたくさん起こった中で起こったのです(故・姜徳相元一橋大学教授、慎蒼宇法政大学教授の研究を参照)。

 たとえば日清戦争は帝国日本初の本格的侵略戦争でしたが、その中で侵略勢力に対して立ち上がった東学農民の蜂起に対し、日本軍は圧倒的な力の差で弾圧し、3万から5万の民衆が殺されました。この戦争では旅順大虐殺という、後の南京大虐殺のやり方とよく似ている残虐な方法で2万にも及ぶ中国人が殺されています。英米の支援を受けた日露戦争では日本が勝ち、1905年には日本は朝鮮の外交権を奪い保護国化しますが、それに抵抗する抗日義兵の闘いでは、18千人ほどが殺されたと言われています。関東大震災のわずか4年前の1919年には「3.1独立運動」が朝鮮全土に広がり200万人が参加、朝鮮総督府による武力鎮圧で7500人もの民衆が殺されました。1920 年には間島虐殺といって、国境を超えて満州まで広がっていた朝鮮独立運動の激しい弾圧で何千人もの民衆が殺されました。

 関東大震災虐殺時に使われた「不逞鮮人」という言葉は、こういった独立運動弾圧の中ですでに使われていたのです。慎蒼宇教授の研究によると、これらの虐殺と関東大震災虐殺を指導した人間たちは見事に重なっています。たとえば大震災時の内務大臣として戒厳令を敷いた水野錬太郎は3.1独立運動の1919年時は朝鮮総督府政務総監でした。震災時災害救援よりも暴動鎮圧を優先し「戒厳令施行」を強く主張した警視総監の赤池濃は朝鮮総督府警務総監でした。虐殺を実行した自警団の中には大陸での朝鮮人弾圧に加わった者たちもいたのです。

 慎蒼宇教授は、これら朝鮮での日本軍の軍事行動と朝鮮人の抵抗を「植民地戦争」と捉えています。このような圧倒的な力の差の中での闘いを、いくらたくさんの血が流れても「戦争」と捉えず、「平時」における「反乱鎮圧」という理解になってしまう。それは侵略者の見方であって、抵抗する方は、国を差し出したつもりもなく、朝鮮併合はそもそも違法であったという主張があります。近年の「徴用工」問題の韓国の大法院の判決は「不法な植民地支配」を明確に掲げていました。だからそれを絶対に認めたくない安倍晋三政権は、三権分立をかなぐり捨てて政治介入したのです。この「植民地戦争」という概念を学んだとき、自分は植民地支配を批判しながらも、どこかでそれを既成事実として認めてしまい、支配者側の見方になっていたのではないかと気づきました。沖縄についても同様の思いを持っています。

植民地暴力の可視化

 もちろん「戦争」はいかなるときも避けるべきであることは当然です。しかしこの「植民地戦争」の概念は、植民地という、国家主義の中で隠されがちな暴力とそれへの抵抗を世界に可視化する力を持っています。沖縄で起こった皇太子訪問時の火炎瓶事件、コザ蜂起、大集会や座り込みなどの数々の抵抗運動も、国内ではなく国際的な意義を帯びてきます。パレスチナの権利侵害に長年取り組んでいる国際法学者のリチャード・フォーク氏2016822日に琉球新報に寄稿した記事でこう述べています。

沖縄の人々の窮状は、その小ささのために、また日本という主権国家に埋もれているために、さらにその地政学的位置づけのために、20世紀後半に成功が続いた世界中の脱植民地化の流れに含まれなかった(中略)この痛ましい運命は、ポストコロニアル時代下の「コロニー」であることに起因している。約140万人という人口の少なさが、日本主権国家の中に閉じ込められていることと米国のアジアでの利益追求と日本との共同運営において担う役割と相まって、沖縄は軍事化された世界秩序の人質とされている。その世界秩序は、両国際人権規約の共通第一条に規定される、“すべての人民が有する不可分の自決権”を拒絶する。(中略)・・行動するということは、沖縄のように、死をともなう虐待事件が起こったとき以外は世界が目に見えないものとして扱うような不正義の数々に注目していくことなのである。

パレスチナと重ねているのでしょう。フォーク氏は、国家主義と地政学の「二重のじゅうたんの下に隠されてしまっている」「コロニー」を見えるようにしていくことこそ「植民地主義的統治の被害者たちの解放」、つまり脱植民地化の道であると説いています。私は朝鮮に対するのと同様に、日本人として、日本と米国による沖縄に対する植民地支配と侵略を既成事実として受け入れない意識的な言語構築が必要と思いました。

 私の住むカナダでも同様に、先住民族を植民地支配した歴史を根本的に振り返り、先住民族の土地を「無主の地」として侵略を許した15世紀のローマ教皇の「発見のドクトリン」をカトリック教会自身に否定させるところまで議論が進んでいます。「カナダ」という国の成り立ち自体を揺るがす議論ですが、それなくしてはカナダの脱植民地化の地平を切り開くことはできないでしょう。米国も同様です。

500年の植民地主義

このように西洋の植民地主義は500年遡るものです。2007年、当時の朝鮮の金正日国防委員長と韓国の盧武鉉大統領が南北首脳会談を行い、「南北は現在の停戦体制を終息させ、恒久的な平和体制構築に向かっていくべき」と言いました。これをうけて、言語学者のノーム・チョムスキー氏は「朝鮮半島の状況進展は、世界全般に対する500年にわたる西洋帝国主義支配から植民地被支配国家がいよいよ真の意味での統合と独立の一歩を踏み出している、という地球史的意義を有する」と評価しました。

 「5世紀にわたる帝国主義」には日本も加わりました。琉球/沖縄と朝鮮は双方日本の帝国主義の被害に遭ってきました。古くは、16世紀末、豊臣秀吉の朝鮮・大陸侵略のために琉球から軍役や物資の供給を強要し、明朝との冊封・進貢関係にあった琉球は容易には従わず、それが薩摩による侵攻につながりました。日本による朝鮮と琉球の侵略は同時期にこのように関連する形で起きました。そして3世紀後、近代化した日本は再び琉球、そして朝鮮と大陸に牙を向けます。明治日本の初の海外武力行使は、宮古島漁船遭難事件(1871)がきっかけになった台湾出兵(1874)でした。朝鮮への武力侵略が始まったのは翌年の江華島事件(1875)でした。日本は琉球にも朝鮮にも段階を踏んだ植民地化を進め、琉球は1879年、朝鮮は1910年に強制併合してしまいました。欧米列強が世界中で行ったことを見倣うかのように日本もその国を奪い、同化教育を行い、言葉を奪い、名前を奪い、資源や文化財を略奪し、強制動員を行いました。

 沖縄戦は、島ぐるみの動員で搾取するだけして最後は「捨て石」とする、植民地主義の権化のような闘いでした。住民の3人か4人に一人が亡くなり、現在生きる沖縄人も、家族や先祖を戦争で殺されたり傷つけられたりしていない人はまずいないでしょう。朝鮮半島では、日本軍「慰安婦」を含めると800万人以上が強制動員されました。日本に動員された朝鮮人は100万人とも言われていますが、忘れてはいけないのは朝鮮内の動員や、中国、樺太、東南アジアなど広範囲にわたっての動員です。私は釜山の国立強制動員歴史館に行ったときに痛感しました。とくに動員されたがゆえにシベリア抑留されたり、BC級戦犯とされたり、広島・長崎の原爆に遭うという二重の被害にさらされた人たちの存在には言葉を失いました。沖縄と同様、現在生きる朝鮮人も韓国人も、在日朝鮮・韓国人も、家族や祖先に、植民地支配の中で動員されたり殺されたりの被害に遭った人がいないという人はいないでしょう。

朝鮮戦争:虐殺は終わらなかった

 朝鮮における植民地主義的な「虐殺」は、1945年の「解放」によって終わることはありませんでした。

 日本敗戦時、沖縄は米軍に占領され、サンフランシスコ条約においても日本から切り離され1972年まで米国の支配が続き、その後は「返還」されてもその基地は残り日米安保体制に組み込まれたことは周知の通りです。朝鮮については、『朝鮮戦争の起源』という大著を書いたシカゴ大学のブルース・カミングス教授は2017年「ロンドン・レビュー・オブ・ブックス」に寄稿した記事で「米国の朝鮮半島への関与は第二次世界大戦の終盤に始まった」と綴っています。このとき米国が恐れていたのは、「朝鮮半島北部に進入しつつあったソビエト兵が、中国東北部で日本と戦っていた3万人に上る朝鮮人抗日パルチザンを連れてくること」でした。朝鮮半島に強い影響力を確保したかった米国は、「長崎が完全に破壊された翌日」つまり810日に、米国陸軍省のジョン・J・マクロイと国務省のディーン・ラスクらが、38度線での分割を決め、「3週間後には25千人のアメリカ戦闘部隊が朝鮮半島南部に入り」軍政を敷いたと。カミングス教授は、朝鮮戦争が「1950625日に始まった」という枠組み自体が間違っていると言います。実際は1945年だったと。

 米国は3年の占領の間に朴正熙、金載圭など多くの親日派を雇い入れました。1948年に大韓民国、そして朝鮮民主主義人民共和国が別々に成立します。カミングス教授は、「韓国の度重なる朝鮮への侵入の後、1950625日に全面的な内戦が勃発したのも驚くには当たらなかった」と言っています。日本や米国では、戦争はソ連や中国の承認を受けた朝鮮による625日の急襲によって始まったということですが、それまでに何が起こっていたかを完全に無視した理解です。1949年5月から50年の1月まで38度線付近で起こった戦闘のほとんどは南側が始めたものでした。済州島「4.3事件」に象徴されるように、すでに南側では、左翼や共産主義と疑われた人たちが何十万も拘束されたり殺されたりしていました。

 「植民地戦争」の概念と通じますが、「朝鮮戦争」に直結したこれらの殺戮は「戦争」ではないのでしょうか。カミングス教授は、「大虐殺の加害者の多くは、かつて日本のために手を汚し、その後アメリカによって復権した人々だった」と言いました。植民地時代に日本に協力した朝鮮人、つまり親日派が米国に利用され弾圧・虐殺を担ったという意味です。ここに、朝鮮半島の分断と朝鮮戦争に対する日本の歴史的責任が凝縮されていると思います。朝鮮戦争前夜、南側で統一と独立を求めていた人たちはこれら韓国の親日派と米国に殺され続けていたのです。『朝鮮戦争全史』を著した和田春樹東大名誉教授が言うには、朝鮮戦争は、朝鮮に中国が加勢した中朝連合軍と、米国が率いる、韓国軍を組み込んだ「国連軍」が戦う、「最終的には米中戦争」となった形で停戦を迎えました。南北とも統一の試みは果たせませんでした。

日本の参戦と責任

 朝鮮戦争で、米軍が率いる国連軍は朝鮮に対し徹底的な絨毯爆撃を行いました。大都市だけではなく町や村までも、もう爆撃する標的がなくなるまでやりました。その出撃基地は嘉手納基地と横田基地でした。朝鮮戦争で日本の再軍備が進み、米国も軍事需要が飛躍的に伸びました。ジャーナリストの五味洋治氏は、朝鮮戦争で自衛隊の前進の発足、米軍基地の強化、米国の戦争への協力体制など、その後の「日本のあり方が決まった」と言っています(723新時代ピースアカデミー講座)。米軍基地問題と朝鮮戦争は切っても切り離せない関係です。

 今年6月出た本『朝鮮戦争 無差別爆撃の出撃基地・日本』で歴史学者の林博史氏は、日本の朝鮮戦争での役割について、

軍需物資の生産供給、輸送、修理などの提供、日本での軍病院の設置と看護婦の徴用、朝鮮半島沖合における海上保安庁による機雷掃海作業、軍需物資の日本―朝鮮間の海上輸送、船員・港湾荷役者の派遣、日本での韓国軍兵士の訓練など政府・自治体の組織的関わりから、日本人の戦闘参加、在日朝鮮人の義勇兵としての参加

などがあったと述べています。機雷除去作業の中では元山沖合で掃海艇が機雷に接触して沈没、一人が死亡、18人が負傷しています。

 いっぽう日本経済にとっては、兵器弾薬その他軍需物資の生産、修理など朝鮮特需によって戦後経済復興につながりました。トヨタ自動車の社史HPには「トヨタ自工は、ドッジ・ラインの影響で深刻な経営危機に陥り、人員整理にまで手をつけなければならなかったが、朝鮮特需を契機に業績は好転し、新たな一歩を踏み出すことができたのである」とあります。当時の日銀総裁は「わが財界は救われたのである。朝鮮動乱は日本経済にとってはまったくの神風であった」と言い、当時の吉田茂首相も「天佑神助だ」と膝を叩いたといいます(斎藤貴男『戦争経済大国』)。

 沖縄は日本が植民地化した結果として沖縄戦で焦土と化してしまいました。その沖縄が米軍に占領され、そこから日本の植民地だった朝鮮への爆撃がされて朝鮮が焦土と化しました。沖縄と同様、朝鮮の人たちはもう爆撃する対象がないほど爆撃され、破壊され、地下壕で暮らし、学ぶしかなかったのです。多くの日本人はそれをただ「特需」と呼んで何の罪悪感もないところがあまりにも罪ではないかと思います。

 元米兵で、米国ではじめて「憲法9条の会」を作ったチャック・オバビーさんという人がいましたが、彼は朝鮮戦争でB29のパイロットとして嘉手納に配属されていました。生前彼とは交流がありましたが、彼は朝鮮戦争で空爆に参加したことをいつも悔やんでいました。ダムや水力発電所まで爆撃した「ジェノサイド」だったと言っていました。なんと、休戦協定を結んだ1953727日も出撃命令が出ていたが、休戦を取り決めた時間までに38度線を通過するには間に合わないから急遽中止になったと。この戦争がどこまで「殺す」ことだけが目的になってしまったのかを象徴する出来事だと思いました。

 朝鮮戦争で米軍が率いる「国連軍」は、日本に落とした4倍もの爆弾を朝鮮に落とし、朝鮮主要都市22のうち18都市を50から100%破壊しました。平壌は1951年末までに全市8万戸のうち64千戸が破壊され、51年だけで死者約5千名、重症者約2500名が出ました。戦争全体での死者は、韓国は軍民あわせ約133万人、朝鮮は2百数十万人、朝鮮半島あわせて約400万人の死者というとてつもない数でした(林『無差別』)。当時の朝鮮半島の人口が約2400万人だったので6人に1人が命を奪われたことになります。それも同じ民族同士が南北に分かれて殺し合い、1千万の離散家族を出しました。

 朝鮮に行ったときのガイドさんの言葉を思い出します。「世界でも同じ民族が分断されているという国は朝鮮だけでしょう」と。彼はこうも言っていました。「日本の降伏がもうひと月遅ければ、朝鮮の分断はなかったでしょう」と。もしそうであればソ連が朝鮮半島を占領し、米国に分断を許していなかっただろうという意味と解しました。日本が分断されていた可能性もあります。分断と戦争による破壊に値することをしたのは日本と朝鮮とどちらかと問われれば、朝鮮でなかったことだけは確かです。

終戦の必要性

 私たちはこの戦争を終わらせなければいけません。この戦争を終わらせれば、朝鮮国連軍や国連地位協定も存在意義がなくなり、嘉手納、普天間、ホワイトビーチ等の基地における、国連の名をかたったオーストラリア、カナダ、フランス、英国等による日本周辺での軍事行動も根拠を失うのではないでしょうか。誤解されやすい大事な点を確認しますが、 United Nations Command と称する「国連軍」とは、朝鮮戦争勃発時の国連決議にもとづいて作られた米国主導の多国籍軍なのであり、「国連憲章第7章が本来予定した国連軍とは異質のもの」でした(2004年外構防衛調査室報告書)。安保理決議S/RES/84 (1950.7.7)でも加盟国に対しその国の軍隊を「合衆国の下にある統一司令部に提供することを勧告a unified command under the United States of America」とあり、ここでも unified command とあり、United Nations Command ではありません。

 国際的な弁護士のグループ、「国際民主法律家協会」(IADL)や「アジア太平洋法律家会議」COLAPや韓米日などの世界の市民社会は、2020年の国際連合旗使用規約の改正をうけ、22年初頭、韓国と日本にある朝鮮国連軍や国連後方司令部による国際連合旗使用規約の違反を国連に対して訴えています。

 5年前、板門店での南北首脳会談、シンガポールでの米朝首脳会談があったときは終戦に一歩近づきました。トランプ大統領は当時、いい意味でイノセントな目で朝鮮半島情勢を見て、この戦争がまだ終わっていないのは異常であると考えました。朝鮮をリスペクトする姿勢を示したことや、米韓の軍事演習を「挑発的」と言ったことも米国大統領として画期的でした。トランプ氏は在外米軍基地にも疑問を提示しました。その和平への動きをぶち壊したのはジョン・ボルトン当時国家安全保障担当大統領補佐官ら大統領のネオコンの側近と、安倍晋三首相率いる日本でした。韓国は米軍に戦時の軍の指揮権も握られており、日本と同様、主権が侵害されている国ですが、その制約の中でも文在寅大統領は朝鮮半島和平を促進しようと努力しました。日本の主要メディアはそのとき何と言ったでしょうか。「危険な賭け」「北朝鮮の非核化が先」「在韓米軍の撤退につながる」「レガシー狙い」など、さんざんな言い方でした。五味洋治:723新時代ピースアカデミー講座)

 そして今韓国は朝鮮に敵対的で親米、親日の尹錫悦政権に変わり、8月のキャンプデービッド会談で、中国と朝鮮敵視にもとづく三国同盟が確固たるものになってしまいました。これは、NATOの東アジア版の完結、事実上の朝鮮と中国に対する宣戦布告に見えます。岸田政権は今年、広島で開催するG7への招待をちらつかせて、尹錫悦政権に「徴用工問題」解決を迫りました。大法院の判決に従って強制動員を行った日本企業が責任を取るのではなく、なんと韓国企業が肩代わりするという、あり得ない「解決策」を出させました。もちろん背後には、日韓間の歴史問題を三国軍事同盟の障害と考える米国の重圧がありました。2015年末、日本軍「慰安婦」問題についてこれも被害者を置き去りにした「合意」を、当時の安倍政権と朴槿恵政権が、オバマ大統領の祝福とともに発表したのと同じ構造です。どちらも、戦争準備のための歴史否定であり、被害者の切り捨てでした。

 この三国同盟により、文在寅政権で韓米連合軍司令部副司令官だった金炳周・共に民主党議員は、「朝鮮半島有事の際、日本が介入することは最も憂慮しなければならないこと」と言っています。朝鮮半島の人たちにとっては、南北、左右の関係なく、日本軍が再び朝鮮の土を踏む可能性以上の悪夢はないでしょう。それなのに日本国内から三国同盟に対する反対の声はあまり聞こえてきません。これも日本人の歴史的責任感の欠如であると思います。

脱植民地化への道:一極支配からの脱却

 朝鮮大学校の李柄輝教授は朝鮮新報停戦協定70年においてこのように述べています。

朝鮮戦争以後、60年代のベトナム戦争、70年代の米国の対中敵視政策の破綻がもたらした米中和解を経て、80年代以降にソ連崩壊により米国一極支配体制が続いたが、今やBRICSやグローバルサウスの台頭、多極秩序への移行に伴い、米国の覇権が衰退している。新冷戦戦略は米国の焦りの表れだ。朝鮮戦争を50年代の「点」ではなく「線」で捉え、歴史の文脈で見れば、それは米帝国主義時代の終焉の起点であったといえる。(『朝鮮新報』23年7月29日

 米国の一極支配がもたらした世界の弊害からいま世界の国々が協力して脱却する必要があります。制裁を批判する団体「サンクションズ・キル」によると、米国は40ヶ国以上の国、人口でいうと世界の3分の1以上に対し9千以上の国際法違反の制裁を発動しており、今世紀になってから10倍になっています。米国の武力介入については米国議会調査局の調査によると、1798年から2022年までに世界中で469件もの外国武力介入を行っており、91年の冷戦終結までが218件だったのに比べ、冷戦以降の30年でその前の200年間よりも多い251件の武力介入を行っています。

 制裁にしても武力行使にしても攻撃対象にされているのはグローバルサウス諸国、つまり何世紀にもわたって欧米の植民地主義の餌食になってきた国々なのです。そして「基地帝国」といわれるように、米国は、800かそれ以上あるといわれる在外軍事施設で世界を支配しています。米国、西側諸国による植民地主義は今もなくなっておらず、李柄輝教授が言うようにその覇権が衰退しつつある今、一極支配を死守しようとする米国は軍事介入と経済制裁をエスカレートさせています。

 朝鮮と沖縄は別々の形にとはいえ、日本近代化以降の150年、あるいは豊臣秀吉以降の500年の植民地支配との闘いの歴史を経て、脱植民地化の道を歩んでいる途上にあると思います。それは今、長年の欧米の植民地主義に苦しめられてきた中南米、アジア、アフリカ諸国がもう米国の一極支配も西側の新植民地主義も許さないという大きな世界の脱植民地化の流れの中で捉えられる動きと思います。

 日本ができることというのは、そのような多極化の動きに、敵対的ではなく協力的に関与すること、米国と対等な関係を築き直すこと、朝鮮・韓国や沖縄の脱植民地化への動きを邪魔しないこと、親日勢力を利用しないことです(注:親日勢力とは、被支配側で、日本の植民地主義に協力する勢力のことです)。そして朝鮮学校差別を含む在日朝鮮人韓国人差別、沖縄差別をやめ、傷つけた国々と民族の自己決定権を尊重するということです。それは辺野古の基地の断念を意味するし、琉球列島の軍事化を止めるということですし、朝鮮や中国など、米国が敵視している国々に対する盲目的な敵視をやめるということです。それは一般市民にとっては氾濫している政府とメディアの、これらの国々に対する敵対的な報道や嘘の言説を批判的に見るということだと思います。

 日本が、責任感をもって加害の歴史に向き合い、アジアの一員として周辺国と友好を築き、米国の呪縛から自らを解放し、戦争準備をやめることがアジアの平和をつくる不可欠な要素であると思います。まずは、朝鮮戦争を終わらせましょう。

2023930日那覇市で開催された「朝鮮戦争から考える沖縄と東アジアの平和 休戦協定から平和協定へ」シンポジウム発表原稿に加筆修正しました。)

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