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Tuesday, December 29, 2020

「NHKひろしまタイムライン」差別ツイート問題を振り返る―差別をなくすために Reflecting NHK Hiroshima's Hate Tweets in the "1945 Hiroshima Timeline" Project

このブログを開設して14年になります。今年もお世話になりました。

最後は、「1945ひろしまタイムライン」についてひとまず年末のまとめをしたいと思います。

いままでの投稿をもう一度ここにまとめます。まだの方は読んでください。時間のない人は★がついている投稿だけでいいと思います。

8月23日

8月26日

8月30日

9月7日

9月24日

10月2日

10月4日に広島でシンポジウム「NHKひろしまタイムラインと広島の民族差別の現在」を行いました。共同通信、朝日新聞、中国新聞、東京新聞などに取り上げられました。

10月5日にNHK広島局に直接抗議と署名を手渡しました。


10月5日 NHK広島放送局前にて 仲間たちと

10月6日

その後、10月29日、長崎原爆の被爆者で、日本被団協役員の田中煕巳(たなか・てるみ)さんにも抗議文への連名をいただきました。連名・署名いただいた328名のみなさんに感謝します。

NHKは結局居直りの姿勢を正すことはありませんでした。

私は琉球新報に連載しているコラムにもこの件について書きました。

11月10日
(ウェブ上では全文を読めません。読みたい方は連絡ください)

そしてその差別ツイート内容に、広島の法務局がお墨付きを与える結果となります。

12月11日午後7時から、NHKは広島のローカル番組で、「1945ひろしまタイムラインー戦後編」を放送しました。私も録画していた友人の助けで観ることができました。一つ、少し意外だったのは、差別ツイートに殺到した批判について無視する選択肢もあったであろうに、「差別を助長しているのではないかとのご批判を多数いただきました」と認めたことです。釈明についてはHPで言っている内容と同じでしたが、HP上や、マスコミの取材に応じてではなく、NHKが自らの番組で、差別助長との批判を多く受けたことを認めたのは初めてであったと思います。

番組では一人の在日朝鮮人被爆者・李鐘根さんにスポットライトを当て、その人が受けた差別の証言などがありました。これは重要な部分であったとは思いますが、このツイートに抗議した在日朝鮮・韓国人の人たちや、民団・総連という当事者団体からの抗議については一切触れることはありませんでした。

また、この番組でNHKは重大な過誤を犯しました。一連の差別助長ツイートの内容は、モデルとなった新井俊一郎氏の当時の日記にはなかったことが判明しているのに、「日記をもとに」とナレーションし、また批判があったことを説明する中で、「戦争の時代に、当時の中学一年生が見聞きしたこと」と言い切っているのです。このツイートの内容については、この投稿を見てもらえればわかりますが、新井氏の当時の日記ではなく、21世紀になってから著した手記に突然出てくる内容です。これをNHKは、知っていながら、当時新井氏が書いた日記にあったかの如く番組の中で言ったのです。この問題について、ツイートや報道に対し、ネットではヘイト的なコメントが集中しましたが(たとえばこのヤフーニュースに掲載された共同通信の記事。これらの悪意に満ちたコメントの数々こそが、差別助長の証拠でした)、その中でも多かったのは「本当にあったことなんだから書いて何が悪い!」という開き直りでした。NHKは番組の中で、「日記にあった」という誤りを補強するような言い方で、そういった開き直りに自ら加担しているようにも見えました。

共同通信は12月22日、こう報じました。

民団などが起こした人権救済申し立てに対し、広島法務局は22日「侵犯の事実があったとまでは判断できない」と回答したといいます。

当事者が「差別だ」と言っているのに、「差別ではない」と言ってしまえる神経がわかりません。多分、差別を受けたこともない、差別を受ける側の気持ちをわかろうとしたことのない人たちが下した判断でしょう。これも「戦後」75年、「ヒロシマ」発の「もう一つの公的ヘイト」と言えると思います。

NHKは、当初の予定通り、年末を持ってこのプロジェクトを終了し、アカウントもHPも閉じる予定ということです(8月1-15日の分だけは21年3月末まで掲載すると)。


12月28日「シュン」ツイッターアカウントのスクリーンショット


「ひろしまタイムライン」のヘイトツイートも、抗議を受けて居直りHPに再掲載したNHKの姿勢も、この件に多くが関心を示さなかった日本の「平和」「反核」運動社会も、民団の訴えを却下した広島法務局も、戦争の終盤に受けた被害だけを伝え、植民地支配や侵略戦争への責任から目を背ける「国際平和都市」ヒロシマの欺瞞を象徴する現象だったと思います。

そんな中、関心を持ち、一緒に怒り、連名してれた人たち、声をあげた人たちの存在に希望を見出します。また、10月4日のシンポジウムに「タイムライン」関係者とおぼしき人が複数来ていたことからも、関係者の中にも、この件に心を痛め、ツイート内容を削除したいと思っていた人たちが少なくないのではないかと察せられます。また、この問題の報道に及び腰だったメディアにも、現場の記者はしっかり報道したいのに、重圧を受けていたのではないかと思われる気配もありました。

そのような、見え隠れする良心にも、新たな年への期待と希望を見出したいと思います。NHK広島局の責任者も、本当は間違ったことをしたとわかってはいながら、ただの面子や意地で居直っていたのかもしれません。内心はどうあれ、差別を放置したことは許せません。内情はわかりませんが、その人たちが、少しでも、自らを振り返る機会を持ち、日本に残存する植民地主義や差別をなくしていくよう今後は意識して努力することを願います。

NHKの差別ツイートの被害者・当事者である在日朝鮮人・韓国人の方々には、反対運動がこの問題を解決に導くことができなかったことを、お詫びしたいと思います。この問題に引き続き取り組みつつ、朝鮮学校差別、ヘイトスピーチ、日本軍「慰安婦」や強制動員などの歴史否定など、取り組まなければいけない差別、なくさなければいけない差別はたくさんあります。これからも頑張っていく、としか言えない自分が情けないですが、新年に向けて決意を新たにしたいと思います。

このたび、「在日差別をなくす会」という会を仲間と作りました。広島・福山市のクリニックで在日朝鮮人のYさんが受けた差別についても、医師は謝罪しながらも自分の行為が差別であったことに向き合っておらず、さらに福山市側にも被害者に重圧をかけるような行為がありました(経緯については7月29日8月6日8月25日9月11日 の投稿を順番に呼んでください)。いまだ、被害者にとって解決した・再発防止策がなされたとの安心感を得ることからは程遠い状態です。この問題が長引いてしまったのは、頼るべきではなかった団体に支援を頼んでしまったこともありました。しかしすべては教訓です。この福山市の民族差別事件をはじめとし、在日の差別をなくしていくための会をあらためて作り、新年の取り組みに備えたいと思っています。

「在日差別をなくす会」に関心のある方は連絡ください。コロナで大変な日々ですが、どうかよい年末・年始をお迎えください。

@PeacePhilosophy 乗松聡子

Wednesday, December 16, 2020

南京大虐殺を記憶する日に―済州島の友たちへのメッセージ 제주의 친구들에게 보내는 연대의 메시지 A Solidarity Message to My Friends in Jeju

 Below is my solidarity message to the friends of Jeju Island, Korea, who held the annual gathering to remember the victims of the Nanjing Massacre, at former Alddreau Airfield on December 13. 

12月13日は「南京大虐殺を記憶する日」でした。新型コロナウィルスで戦争記憶の集会なども中止や縮小が相次ぐ中、韓国の済州島では、南京大虐殺83年を記憶し、被害者を追悼する集会が、元日本海軍のアルドゥル飛行場の格納庫前で行われました。1937年8月15日から始まった南京空爆の起点の一つであった場所です。過去2年、カナダから連帯メッセージを送りましたが、今年は、日本にいたため、日本からのメッセージとなりました。英語で送ったメッセージを韓国語で読んでもらった映像がここにあります。動画の下に英語版、韓国語版が続きます。英語版には日本語対訳をつけました。




A Solidarity Message to my friends in Jeju  済州島の友たちへ This December marks the 83rd anniversary of the Nanjing Massacre, in which hundreds of thousands of Chinese POWs and civilians were unlawfully and brutally massacred, raped, and deprived, for weeks and months from the beginning of December 1937 till around the end of March 1938 under the occupation of the Imperial Japanese Army. この12月は南京大虐殺の83周年です。南京は大日本帝国軍の占領下、1937年12月から翌年の38年の3月にわたり、何十万もの中国の捕虜や民間人が違法に、かつ残虐に、殺害され、強姦され、略奪の被害を受けました。
In Japan, there have been many commemorations, TV programs and publications to mark the 75th anniversary of the end of the Asia-Pacific War and WWII, but most of them focus on the last stage of the war where people in Japan suffered from the aerial bombings of the country including the atomic bombing of Hiroshima and Nagasaki. People in Japan remember August 6 and 9. Then August 15, the “end of the war” anniversary in which Emperor Hirohito announced his surrender to the Allied Nations on the public radio in Japan. 日本では、アジア太平洋戦争と第二次世界大戦終結75周年を記憶するさまざまな催しがあり、テレビ番組や出版物も多くありましたが、それらのほとんどは、広島長崎の原爆投下を含む、戦争の末期に主に日本の人々が受けた被害に焦点を当てたものでした。
That’s it. Beyond “August 15,” they don’t think about the war any more and just move on with their lives. This is the war memory of the vast majority in Japan, lacking any critical reflection on the over seven decades of colonial rule and imperial expansion of the Empire of Japan against its fellow Asian countries. そして、それで終わってしまうのです。「8月15日」以降は、戦争のことを忘れてしまい日常に戻ってしまうのです。これが大半の日本人の戦争記憶であり、70年余にわたり同じアジアの国々に対し植民地支配と帝国主義的拡大を行った大日本帝国を批判的に振り返ることはありません。

In fact, “August 15” has another significance that most Japanese people don’t know. On August 15, 1937, twenty Mitsubishi G3M bombers (九六式陸上攻撃機)of the Imperial Japanese Navy left the Omura Airfield in Nagasaki, crossed the East China Sea, and attacked Nanjing. According to military historian Maeda Tetsuo, it was the first of such “cross-ocean bombing mission” ever conducted in human history. It was very ironical that Nagasaki, eight years later, became the target of the “cross-ocean bombing mission” conducted by the United States, which was the atomic bombing of the city. 「8月15日」はほとんどの日本人が知らないであろう別の意味もあります。1937年8月15日、日本海軍の20機の九六式陸上攻撃機が長崎の大村海軍航空隊基地から飛び立ち、東シナ海を渡って南京を爆撃しました。軍事評論家の前田哲男氏によると、これが人類史上の「渡洋爆撃」だったということです。この8年後に、長崎が米国によって行われた渡洋爆撃」、つまり原爆投下の標的になったのは大変皮肉と言える出来事でした。

Again, people in Nagasaki remember August 9 and their suffering from the atomic bomb, but hardly ever remember that Nagasaki was the launching point of the Japanese aggression against Nanjing, months prior to the well-known Nanjing Massacre. People of Jeju have been holding annual memorials for the victims of the Nanjing Massacre just because Alddreu Airfield was also used for the Japanese aerial attacks against Nanjing. Korean people were victims of the Japanese colonial rule then and bore no responsibility for the Japanese war atrocities, but the people of Jeju in the current time still feel their moral obligation to remember the massacre. 上で述べたように、長崎の人も、原爆による被害と原爆投下日の8月9日のことは記憶していますが、よく知られている南京大虐殺が起こる数か月前から始まっていた、日本軍による南京攻撃の起点であったということを記憶する人はほとんどいません。済州島の人たちは、アルドゥル飛行場も日本軍による南京攻撃に使われたことから、毎年南京大虐殺の被害者を追悼する集会を開いています。そもそも韓国人は日本の植民地支配の被害者だったわけですから、日本の戦争犯罪に対し何の責任もありません。それなのに、現在の済州島の人たちが、この大虐殺事件を記憶する道徳的責任を感じているのです。
I think people in Nagasaki, and all across Japan, should humbly learn from this example of highest moral practice. You have my highest respect. I wish I were in Jeju with you to commemorate the 83rd anniversary together. Instead, allow me to extend my heart, and send my sincere solidarity message from Tokyo, across the East Sea, to Jeju Island. 長崎、そして日本全土の人々は、この最も高潔な行為から謙虚に学ぶべきと思います。私はみなさんに最大の敬意を表したいです。この83年の記念日を、済州島でみなさんと共に迎えることができたらどんなによかったかと思います。しかしそれはできないので、替りに、東海を超えてみなさんに思いを馳せ、心からの連帯のメッセージを送りたいと思います。 December 6, 2020 Satoko Oka Norimatsu  乗松(岡)聡子 Director, Peace Philosophy Centre ピース・フィロソフィーセンター代表 Vancouver, BC, Canada カナダBC州 バンクーバー (Currently in Tokyo, Japan 現在は日本の東京にて)


제주의 친구들에게 보내는 연대의 메시지 올해 12월은 난징대학살 83주년이 됩니다. 중국의 전쟁포로들과 민간인들 수십만 명이 1937년 12월부터 몇 주에서 몇 달간 불법적이고 잔인하게 학살되고, 강간당하고, 삶을 박탈당해야 했습니다. 이 대학살은 일본 천황군의 점령하에서 1938년 3월까지 이어졌습니다. 일본에서는 아시아-태평양전쟁 그리고 제2차 세계대전의 종전 75주년을 기념하여 많은 추모행사가 진행되었고, 텔레비전 방송 프로그램과 출판물이 제작되었습니다. 하지만 이들 대부분은 나가사키와 히로시마 등 전쟁 말기 일본인들이 공중폭격을 당해 고통스러워 하던 모습에만 초점을 맞췄습니다. 일본인들은 1945년 8월 6일과 8월 9일을 기억합니다. 그리고 8월 15일을 히로히토 천황이 연합군에 일본 공중파 라디오를 통해 항복을 선언한 ‘종전일’로 기억합니다. 그게 전부입니다. ‘8월 15일’을 넘어서서 일본인들은 더 이상 전쟁을 생각하지 않습니다. 그리고는 그저 자신의 삶을 살기 바쁩니다. 이게 거의 대다수 일본인들이 전쟁을 기억하는 방식입니다. 전쟁 전 70년간 동료 아시아인들을 통치하며 아시아에서 확장해나갔던 일본 제국주의 지배에 대한 비판적 고찰은 일본에서 매우 부족합니다. 사실 ‘8월 15일’은 대부분 일본인들은 잘 모르지만 또 다른 면에서 큰 의미가 있습니다. 1937년 8월 15일 일제 해군 소속의 미쯔비시 G3M 폭격기가 나가사키 오무라 기지에서 출발해 동지나해를 지나 난징을 폭격하였습니다. 군역사 전문가 마에다 테츠오 씨에 따르면 인류 역사상 이 폭격이 처음으로 대양을 횡단해 이뤄진 폭격이었다고 합니다. 이율배반적이게도 나가사키는 그로부터 8년 후 미국에 의한 ‘대양 횡단 폭격’의 목표지점이 되어버립니다. 그것은 원자폭탄의 투하였지요. 나가사키 시민들은 8월 9일의 원폭 투하와 그로 인한 고통을 기억합니다. 하지만 나가사키에서 난징에 대한 일제의 폭격이 시작되었다는 사실을 기억하는 이는 거의 없습니다. 난징에 대한 폭격이 있은지 몇 달 후 잘 알려진 난징대학살이 일어났지요. 제주 사람들은 알뜨르비행장이 일제에 의한 난징 폭격에 사용되었기 때문에 난징학살의 희생자들을 추모하며 매년 추모행사를 열어오고 있습니다. 한국 사람들 역시 일본 식민지배의 희생자였고, 일본이 저지른 전쟁범죄에 대한 책임이 없었음에도 제주 사람들은 여전히 난징대학살을 기억하며 도덕적 의무를 잊지 않으려 합니다. 제 생각에 나가사키 시민들과 나아가 전 일본인들이 이와 같은 높은 도덕적 책무에서 교훈을 얻어야 한다고 봅니다. 여러분들을 저는 매우 깊이 존경합니다. 제주에 가서 저도 여러분들과 함께 난징대학살 83주년을 기억할 수 있다면 얼마나 좋을까요. 그대신 저의 마음만을 받아주시기 바랍니다. 그리고 일본 도쿄에서부터 동해를 건너 제주에 이르는 제 신실한 연대의 메시지를 받아주시기 바랍니다. 2020년 12월 13일 사토코 오카 노리마츠 평화철학센터 소장 캐나다 밴쿠버 (현재 일본 도쿄 거주)

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Wednesday, November 11, 2020

FREE PRESS = FREE ASSANGE: An International Webinar with Daniel Ellsberg, Marjorie Cohn, and Joe Lauria (20:00 EST, Sat November 21) 報道の自由を守るためにジュリアン・アサンジ解放を!ウェビナー開催

November 25: It was a successful event, with over 100 turnout, and the speakers were all brilliant and inspiring! Please have a look at the recording. 

All are invited! This is an international webinar with distinguished guest speakers Daniel Ellsberg, Marjorie Cohn, and Joe Lauria. We will discuss the UK extradition trial of Julian Assange, the 18 criminal offenses conjured by the U.S., and how the case impacts the 99%. Organized by the Covid-19 Global Solidarity Coalition. Co-sponsors: ConsortiumNews, Roots Action, World Beyond War, CovertAction, Project Censored, Media Freedom Foundation, National Lawyers Guild, theAnalysis.news, Co-op Anti-War Cafe Berlin. 

REGISTER HERE. 

Here is the Facebook Event Page. 

Time and Date: 

New York, Toronto:  20:00 PM, Saturday November 21

Los Angeles: 17:00 PM, Saturday November 21 

London (UK) : 1:00 AM, Sunday November 22 

Moscow: 4:00 AM, Sunday November 22 

Hong Kong, Shanghai, Singapore: 9:00 AM, Sunday November 22 

Seoul, Tokyo, Naha: 10:00 AM, Sunday November 22

Melbourne (AU): 12:00 PM, Sunday November 22 


SEE THE POSTER BELOW (all links are clickable) 

Tuesday, October 20, 2020

長崎原爆の日 朝鮮人被爆者を追悼する早朝集会で読み上げられた、朝鮮原爆被害者協会のメッセージ A Message from the Association of Atomic Bomb Victims in DPRK for the 75th Anniversary of the Nagasaki Atomic Bombing (Japanese and Korean)

日本による植民地支配下、「強制連行および徴用で重労働に従事中被爆死亡した朝鮮人とその家族のために」、長崎市民が1979年に建てた「長崎原爆朝鮮人犠牲者」追悼碑の前では毎年、原爆投下を記憶する8月9日に早朝集会が開かれます。例年は数百人の参加がありますが、今年はコロナのせいで参加者は減ったものの、それでも50人ぐらいは集まったとのことです。私は、日米広島長崎の旅でこの日は毎年長崎にいてこの集会には必ず出席しますが、今年は旅自体がコロナでキャンセルになったので行けませんでした。後日、長崎で日本の加害を伝える「岡まさはる記念長崎平和資料館」の新海智弘副理事長から、今年の集会では初めて朝鮮民主主義人民共和国の「朝鮮原爆被害者協会」からメッセージが寄せられたということを聞きました。朝鮮総連の長崎県本部委員長の金鐘大さんによって代読されたメッセージは、植民地支配ゆえに被爆させられた朝鮮人被爆者の人権を軽視し、援助するどころか、敵視政策と歴史否定で二次加害を犯し続けている日本政府、日本社会の構成員に一人でも多く届けたい内容です。許可を得てここに転載します(日本語、朝鮮語)。

金鐘大さん


長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼早朝集会にお集まりの皆様

 日本帝国主義が起こした侵略戦争の業火の中で、米国の原子爆弾投下に依り多くの朝鮮人が無惨に犠牲になったその日から、75年を迎えた今日この日、朝鮮人原爆犠牲者に対する深い哀悼の心を持ち追慕します。

 広島、長崎で原爆の犠牲になった朝鮮人は、生きる場所だけでなく人としての尊厳と権利まで奪われ、故郷を離れた異国の地日本に強制連行された、日本帝国主義植民地統治時代の受難者達であります。

 親兄弟が待ちわびる、愛する故郷に帰るその日を思い、過酷な労働の苦しみに、歯を食いしばり耐えた、数多くの朝鮮人達が祖国解放を目前にした、8月 9日原爆により残酷にも犠牲になったことに、私達は憤りを抑える事ができません。

 原爆による被害はこれで、終わることではありませんでした。

 奇跡的に生き延びた原爆被害者の朝鮮人は、日本の原爆被害者と同様に重度の被爆後遺症にさいなまれ、苦しみました。

 しかしながら、日本政府は日本の原爆被害者とは違い、朝鮮人原爆被害者には何の保護、補償も無視されたまま今日に至ってます。これは全く民族的差別によるものです。

 これは人道的に絶対許すことの出来ない事であります。

 実に、日本帝国主義が朝鮮人民にかした不幸は、我が朝鮮人民の心の中に積み重ねられた悲しみと怨みはどんなにしても、ときはなされる事はありません。

いわんやお金で解決される物ではありません。

 それにも関わらず、日本政府は敗戦後75年の歳月を迎えた今日まで、朝鮮民主主義人民共和国に対する敵視政策をよりー層強化しながら、我が国の原爆被害者問題を無視しています。

 日本政府は、《被爆者援護法》を制定し日本国内と米国、韓国、台湾、オランダ等の在外原爆被害者に対しては、各種名目の支援金を支払いながら、唯一我が国朝鮮民主主義人民共和国の原爆被害者に対しては、補償どころか人道的医療支援措置すら、実施していない実情です。

 これは、日本帝国主義に依るアジア侵略戦争の結果、投下された原爆として、その被害の後遺症で苦しみ、一生精神的肉体的苦痛の中で生きてきた、原爆被害者に対する許す事の出来ない冒とくであり、2重、3重の人権蹂躙犯罪になります。

 皆様もご存知の様にわが国の原爆被害者問題は、本質においては日本帝国主義の朝鮮侵略と強占、軍事的支配が生み出した産物であり、日本の過去清算、歴史清算と直結している問題です。

 それゆえ、日本政府はこの問題を法律的見地から見ても、道徳的見地から見ても必ず解決しなければいけない、焦眉の問題として受け止めなければなりません。

 日本政府は罪行を心から反省したうえで、私達の全ての原爆被害者と、犠牲者達、その遺族たちに真摯に謝罪して賠償しなければいけません。

 朝鮮人原爆被害者に関連した資料を全面的に調査公開し、過去の侵略戦争と、人道に反する犯罪に対して歪曲や捏造行為を取りやめなければならない。

 原爆被害者2世、3世を含め全ての原爆被害者達の治療に必要な、医療設備を至急に提供しなければいけません。

 私達はこれからも、正義と平和、人権を大事にする進歩的な人達との連帯と協力を強化し、朝鮮民主主義人民共和国の原爆被害者問題の早期解決をめざし、全ての力を注ぐ覚悟です。

 最後に、長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼早朝集会に参加された皆様方が、苦しかった過去の歴史を思い返して、この私達の切実で正当な要求が、一日も早く実現できる様にご支援下さい。 

 又、私達は共に正義と連帯の声を高めましょう。 

 皆様方のこれからの活動も、大きな成果が有ることを心から望みます。

朝鮮原爆被害者協会 チュチェ 109(2020)年 8月 9日







Monday, October 12, 2020

韓国人にとって光復はどういう意味なのか:柳智仁さんのストーリー What does the 8.15 "National Liberation Day for Korea" mean for Koreans? --- Yoo Jiin's Story

「 カナダ9条の会」は、カナダ西海岸のビクトリアから、東部のモントリオールまで、また、元カナダに住んでいたけれどいまは米国や日本に住んでいる人たちなども含めた、80名ほどの市民グループです。バンクーバー、トロント、モントリオールにあるそれぞれの地域の「9条の会」は地域の活動を続けながらも、メールを通じて、もっと地域的に幅広く交流しようということで、「カナダ9条の会」のメーリングリストを通じて情報や意見を交換してきました。今年の夏は、「戦後」75周年ということで、「私にとっての”あの戦争”と9条」というテーマシェアリングの会を8月に1回、9月に1回持ちました。主に日本語を使うグループとはいえ、多彩なバックグラウンドを持つ人たちが集まっています。世代的には80代から10代まで、また、日本人、日系人だけでなく、在日朝鮮人、沖縄、カナダ、韓国、中国などのバックグラウンドを持つ多彩なメンバーに話してもらいました。その中で、在UBC(ブリティッシュコロンビア大学)大学院で学ぶ韓国出身の柳智仁さんのトークを、このブログで紹介します。一人の韓国人にとっての、あの日ーー韓国では「光復の日」と言われる、日本の植民地支配から解放された日がどのような意味を持つのかというお話を、このように日本語で聞ける機会は特に日本人にとっては大変貴重であると感じ、ブログ読者の皆さんとも共有したく思いました。読んでください。「1945年8月15日」とその後が全く違って見えてくるのではないかと思います。そして柳さんのいう「本当の意味の光復」を導くためには、日本人が歴史を否定せずに真っ直ぐに向き合うことこそが大事と考えます。(前文 乗松聡子)


韓国人にとって光復はどういう意味なのか

柳智仁 Jiin Yoo

        韓国の人たちにとって8月15日光復節はどういう意味なのか、韓国ではどのような記憶の仕方をするのか、などについて少しお話しさせていただきたいと思います。

       まず、韓国のメディアを確認してみました。 2015年光復70周年を記念に行ったKBS調査によると、韓国の国民を喜ばせた歴史的な出来事の1位が日本からの解放、2位は2002年ワールドカップ4強、3位は1988年ソウルオリンピックとなっていました。 2020年の調査によると、韓国青少年の65.7%が光復節の日付を正確に知っている[1]、また、2019年の調査によると、77%が光復節に太極旗を掲揚する[2]と述べましたが、これは前年度に比べて7%上昇した数値で、これは「徴用工判決」に対する日本政府の経済的報復行為が引き起こした韓国内の反日感情の影響とも考えられます。韓国国民が光復節に最も思い出す独立運動家としては、1位は柳寛順、2位は金九、3位は安重根、そして4位は尹奉吉となっていました[3]

<左から1位柳寛順、2位金九、3位安重根、4位尹奉吉:写真出処https://ko.wikipedia.org/

       要するに、光復節は韓国人にはとても大事な記念日であり、多くの人が太極旗を掲揚することによってその日を記念します。記憶の仕方として一番多いのは多分犠牲になった独立運動家を思い出すことかなと思います。メディアなどでも独立運動や運動家に関連するコンテンツが多く登場しますし、それに関する映画やドラマも毎年のように登場します。我が家の子供たちの通っているバンクーバー近郊のSurrey韓国語学校のSummer Campの今年のテーマも「七人の独立運動家」で、うちの子供は、金九(Kim Gu)、柳寬順(Ryu Gwansun)、安重根(An Jung-geun)、金マリア、安昌浩(Ahn Chang-ho)、李會榮(Lee Hoe-yeong)、そしてFrank Schofield(カナダ出身)の七名の独立運動家の活動について毎日習いました。

 

個人にとって植民地時代と光復とはどういう意味だったのか。

       それでは植民地時代、そして光復というのは韓国人たちにどのような意味を持っていたのかについて私の知っていることを中心に少しお話ししたいと思います。植民地時代と光復に対する認識は個人や家族のそれぞれの経験と背景によって異なると思います。中には歴史的、社会的な変化に仕方なく順応して生きていた多くの人々がいるでしょうが、順応せず、独立運動に直接、間接に関与していた韓国人たちもいました。これらの人たちには間違いなく光復は待ちに待った嬉しいことだったと思います。一方、日本帝国に協力したり、同じ民族を弾圧したりした親日勢力も数多くいましたが、光復はそういう親日勢力にはきっと恐ろしいこと、ありがたくないことで、その後の処罰をきっと怖がっていたと思います。結論から言うと、その親日勢力の多くの人々(韓国では「親日派」と言うんですが)はあまり処罰されず、光復後すぐ大韓民国の主流勢力になり、今までも政治、社会、文化、教育の各分野で膨大な影響力を及ぼしています。その一方、多くの独立運動家たちとその家族は逆に親日派によって弾圧され、様々な貢献と犠牲はまともに評価されなかったのが事実です。これら親日派の流れをくむ独裁政権の長い歴史のためです。多くの民衆の犠牲で政治と社会の民主化が行われた1990年代に入ってからやっと、多くの独立運動家たちは烈士、愛国志士などの名前で国家から認められることになりました。韓国では独立運動をした家は三代に渡って貧しくなる一方、親日派だった家は三代まで豊かになるという話まであります。 

       若干話を変えて、我が家の先祖の経験も皆さんと共有したいと思います。夫の祖父は植民時代が始まった時、済州島の公務員でしたが、日本の苛政に対する反感から仕事をやめたそうです。それから日本の東京帝国大学に留学し、帰国してから韓国の教育界で活動し、光復後は教育界を率いる指導者となったと聞いております。それから1950年韓国戦争の時、3,000人の愛国志士たちと一緒に北韓(朝鮮民主主義人民共和国)に拉致され、その後70年の間、どうなっているのか全然分からないままです。一方、私の家系には朝鮮王朝時代から日本の侵略戦争に抵抗した先祖が多いと聞いております。豊臣秀吉が率いる壬辰倭乱の時、李舜臣(イスンシン)を抜擢し、また戦争中の朝鮮の政局を導いた柳成龍(リュウソンヨン)がその代表的な人物であります。

<柳成龍(リュウソンヨン)標準影幀: 国立現代美術館>

  他に当時の二回の侵略に対抗して義兵を率いた祖先などの歴史も伝え聞いています。 植民地時代には、1910年の日韓併合(韓国では「 庚戌恥」と呼ぶ)のことを聞いて、17日間の断食後、忠節の詩を残して自決した柳道發(リュウドバル)と、1919年、高宗皇帝の死に激怒して父の柳道發に倣って自決した柳臣榮(リュウシンヨン)の話はよく知られています[4]。もともと私の家系は、伝統的な儒教家として朝鮮時代から学者が多かったですが、植民地時代になってから学問をやめ、武装闘争の道を選んだ先祖も多数いると聞いています。何人かは故郷である慶北道の安東を出て、朝鮮各地、上海、北京などで義兵活動をしている間、日本警察に殺されたとか、あるいは独立運動の軍資金を与えたり、直接義烈団に参加するなどの独立活動をして射殺されたり、逮捕されて刑務所で亡くなった方の名前も残っています。幸いなことに私の家系の独立運動家たちのほとんどは、かつての功労を認められましたが、これはおそらく私の家系が当時も名家として社会的な地位を持っていたからだと思います。独立運動に関わっていた多くの人々は名前も残せず亡くなったり、光復後にも適切に評価されず苦しい生活を送ったりしたと聞いています。2018年のある国家機関の調査によると、功労を認められた独立有功者の場合にも、経済的困難と闘病などで厳しい人生を送った人々が多いようです[5] 

       去年カナダに移住した後、45人の韓国人と交流をするようになって、今回このテーマについてその人たちの意見を尋ねてみました。 全羅道出身のある人の祖父は小さな町で農業をしていましたが、地域の立運動家たちを支援したという理由で、時町に住んでいた男性全体の半分以上である25名と一に日本警察に逮捕されたそうです。指先に釘を刺されるなどのひどい拷問を受けてからやっと釈放されましたが、そのほとんどの男性たちは拷問後遺症で年以に亡くなったそうです。その釘付けの手の写真が残っていますが、その写真が祖父ということが立証できず、なんの補償ももらえなかったそうです。当時、光州など全羅道地域は、独立運動がどこよりも活発に行われましたが、逮捕されたり、亡くなった方々が結局その犠牲を評価されなかったことが非常に多かったと聞きました。また、もう一人の方の祖父と祖母は、日帝の収奪と生活の困窮のため、家族を連れて全羅道の木浦から満州まで長い旅をし、黒龍江あたりに移住したそうです。様々な苦難 のあげく、光復と6.25韓国戦争の歴史の流れの中、家族の一部は朝鮮族としてそこに残り中国国籍になり、一部はその後北韓(朝鮮民主主義人民共和国)に、また彼の父を含めた一部は韓国の釜山にそれぞれ別れたそうです。植民地時代にはいろいろな事情で朝鮮から満州に移住した人が多いですが、生活のために行った彼の家族のような人もいれば独立運動のために行った人々も多いです。間島という地域にはこうして作られた朝鮮人の村がいくつかあり、農業などをしながら資金を集めて「大韓民国臨時政府」[6]の独立運動を支援したそうです。

 

<大韓民国臨時政府 国務院成立記念 (1919. 10. 11)>


1907年義兵:写真出処McKenzie, The tragedy of Korea, page 206 >

  バンクーバーに来て、家族が独立運動に関わったり、または植民地時代の直接な影響を受けたりして苦しみを経験した人々のお話を聴けるとは思わなかったです。彼らにとって植民地時代はいまだに辛い記憶であり、光復後も歴史の歪曲や記録の喪失により、先祖の犠牲や苦しみは正しく認められていない、という悔しい思いを抱えていることが感じられました。また先祖たちと家族の被害に対して日本政府がまだ十分謝罪していない、またその加害の歴史を否定していることが彼らには大きな傷として残っているようです。

 

光復と韓国社会

       最後に、私の考える、植民地時代と光復が韓国社会に及ぼした影響についてお話ししたいと思います。光復節は国民には歴史的に最も嬉しい日、光を見つけた日として認識されているのは間違いありません。しかし、その光は、不完全な光だったのではないかと私は思います。解放後広がる南北分断の状況と独裁政権の長い執権と暴政により、その光はたちまち消えてしまったからです。日本からの解放という歴史的な出来事が、後の大韓民国の建国の過程に、具体的にどのような影響を及ぼしていたのかについての真実は十分に知られていなかったです。建国の中心になり、その後長い間韓国社会を支配してきた勢力が親日派にそのルーツを持つ独裁政権であり、隠したい事実と歴史が多かったからだと思います。8月15日に日本という国からは解放されたのですが、日本が朝鮮に35年間かけて作った植民のシステム、そして日本に協力した親日勢力からの解放までは行かなかったと思います。独立はしたものの、アメリカとソ連による軍政の支配下に南北は分裂され、米軍によって選ばれた李承晩は、自分の政治的地位を固め、政治的な宿敵をとりのぞくために親日派を全面的に活用した訳です。光復後すぐ、日本に協力した親日派を処罰するために法律が定めた反民族特別委員会が本格的に設立され、韓国臨時政府の独立運動家出身の政治家たちが活動したのですが、李承晩と親日派によって密かに弾圧され、結局強制的に解散されることになりました。金九先生もこれらの親日派の陰謀によって暗殺されたのが今の有力な定説です。親日派勢力は以後、李承晩に反対した独立運動家出身の政治家たちに共産主義者の疑いをかけ、結局その罪名で処罰された人々は全国55万人に至ります[7]。その反面、日本に協力した親日派の中で実際に処罰を受けた人はただ数人にすぎません。李承晩に続き、18年に渡って独裁を続けた朴正煕も満州国の日本軍将校出身です。親日派は、これらの独裁政権の庇護の下、その勢力を維持、拡大しました。1960年に行った4.19革命[8]などの様々な民主化運動と、金大中など進歩政治家を弾圧したり、自分の過去を隠すために独立運動家出身を抑圧したりした勢力は結局親日派にそのルーツを持っています。長年与党であり、現在は第1野党である「国民の力」の母体も、まさにこの親日派であることに間違いありません。多くの国財閥、そして朝鮮日報、東亞日報、中央日報などの大手新聞社も親日派にそのルツを持っています。つまり、親日派は韓国社会の政治、経済、文化、教育などあらゆる範囲で影響力を持ち、社会を支配する多くのエリートグループと指導勢力に直接つながっています。これら親日勢力が自分たちの過去を隠すために解放前後の歴史、特に独立運動と新日の歴史を歪曲したのは明らかです。1990年代民主政権になってから歴史を立て直そう、間違った歴史を清算しようという動きが活発になり、新日と独立運動に関する歴史的な事実を改めて研究し直す作業も幅広く行っていますが、それに反発する動きはまだまだ強いです。 

       したがって光復については、日本という国からの独立は達成したものの、日本植民時代の歴史はまだ清算されてない、もしくはその時代の抑圧の仕組みとレガシーはいまだに韓国社会に幅広く存在していると私は思います。つまり光は完全に戻っていません。私は個人的には、その歴史を清算することが、本当の意味の光復であるのではないかと思います。その意味で私にとって光復は、現在進行中であります。 

柳智仁(リュウ・ジイン)
韓国ソウル出身。ソウル大学教育学、同大学国際大学院日本学修士。2010年から9年間、東京、神戸、北海道で暮らす。2019年からUBCの教育学大学院(カナダ・バンクーバー)で韓国と日本出身の若者のアイデンティティーについて研究中。


[1]韓国、洪川郡青少年修練館青少年運営委員会調査(202085日〜13日、294名対象)

[2]韓国、Incruit調査(201988日〜13日、1041対象)

[3]韓国、アルバ天国調査(201981日〜10日、5446名対象)

[4] 韓国学中央研究院のデジタル資料

[5] 韓国國家報勳處調査 2018

[6] 191931日京城(現在のソウル)で宣言された31立宣言に基づき、日本帝の大韓帝侵奪と植民地統治を否定し、朝鮮半島外の抗日立運動を主導することを目的として設立された大韓民の臨時政府。1919411日、中上海で設立され、同年911日には京城(ソウル)とロシア沿海州など各地の臨時政府を統合して上海で一の政府を樹立、1945年の光復まで様々な独立運動の拠点となった。(韓国民族文化大百科事典)

[7] 20158月6日、韓国ニュースタパー 「解放70周年特別企画‘新日と忘却’」

[8] 4.19革命とは、19603月に行われた第4代大統領選における、李承晩の自由党政が犯した大規模な不正選に反し、全国的な規模で行った生や市民による民衆デモのことで、大韓民1共和を終えた民主主義市民革命である。

Tuesday, October 06, 2020

10月5日 NHK広島放送局に読み上げ、手渡した補足抗議文 October 4 Symposium "NHK 'Hiroshima Timeline' and Today's Racial Discrimination in Hiroshima," and our renewed protest against NHK Hiroshima's hate tweets

10月4日広島の留学生会館で開催されたシンポジウム「NHKひろしまタイムラインと広島の民族差別の現在」の翌日、5日の朝、NHK広島放送局を訪ね、すでに公表している、306人(10月5日時点)の連名・署名をもらった抗議文と、連名者名簿、コメント集を手渡しました。そのときに読み上げた、最新の状況を踏まえた補足の抗議文をここに掲載します。シンポジウムと、NHKでの行動は、共同通信、共同配信記事を取り上げた全国の地方紙、朝日新聞、中国新聞、ハンギョレ新聞中央日報毎日新聞英語版などに取り上げられメディアにも大変注目されたと感じています。


10月4日シンポジウム「NHKひろしまタイムラインと広島の民族差別の現在」
(於 広島留学生会館)

10月5日 NHK広島放送局前で
シンポジウム実行委員会のメンバー、シンポジウム参加者と


(補足抗議文はここから。文中のハイパーリンクはブログ読者の利便のために運営者がつけたものです。)

NHK広島放送局 御中

昨日(10月4日)留学生会館において、シンポジウム「NHKひろしまタイムラインと広島の民族差別の現在」を行いました。朝鮮人を乱暴で怖い存在として表現する「ひろしまタイムライン」の8月20日、6月16日の「シュン」ツイートの内容について、来場70名、オンライン50名の参加者の前で、在日朝鮮人の3人のゲストスピーカーが発言しました。権鉉基さんは、「在日朝鮮人がますます語りにくくなり、無色透明化される今の日本」を指摘、これらのツイート内容が何を意味するかについて、李周鎬さんは「日本人に対して在日朝鮮人への偏見を助長し、在日朝鮮人に対しては“同化”を更に強いることになる」、尹李英愛さんは「旧植民地宗主国の国営放送が、旧植民地出身者及びその子孫にヘイトスピーチを行う」ことであると指摘しました。法学者の前田朗さんは、問題のツイートの内容は「2016年に成立、施行された“ヘイトスピーチ解消法”の定義・解説」から、これらのツイート内容は「ヘイトスピーチに当たる」と発言しました。私、乗松聡子は、「ピース・フィロソフィー・センター」のブログで8月23日に発表した、貴局に当該ツイートを削除するよう求めた抗議文に連名をもとめ、現時点で306人の賛同が集まっています。すでに貴局にはお伝えしていますが、その中には「ノーベル賞」受賞スピーチを行ったカナダ在住の被爆者サーロー節子さん、日本被団協事務局次長の和田征子さん他、三宅信雄さん、ランメル幸さん、豊永恵三郎さん、花垣るみさんら広島と長崎の被爆者や被爆二世、元広島市長の平岡敬さん、前広島市長の秋葉忠利さん、25年前から学生を広島と長崎に日米平和学習の旅に連れていっているアメリカン大学のピーター・カズニックさん、元広島平和文化財団理事長のスティーブ・リーパーさん、また、お名前から朝鮮半島にゆかりのあると思われる方が30人かそれ以上いらっしゃいます。

10月2日、貴局は『プロジェクト開始から半年、過去のツイートをまとめて読みやすくするため』と称し、これらのツイート内容を10月2日ホームページに「移設」しました。問題の「シュン」8月20日、6月16日ツイート内容については注釈をつけましたが、これらの注釈は、朝鮮人が広島に多く存在した、原爆被害に遭ったと言っているだけで、これらのツイート内容がもたらす「朝鮮人が乱暴だ」という印象、民団が人権救済申し立てで述べた「朝鮮⼈の不当性を際⽴たせる叙述」には何ら変わりはありません。また、これらのツイート内容の背景にある、植民地支配の時代から今に続く、日本人による在日朝鮮人・韓国人に対する差別意識について触れてさえいません。注釈では、「併合」「統治」という言葉を使い、敢えて「植民地支配」という厳然たる歴史的事実に言及することを回避し、強制「動員」だけでなく、土地調査など植民地政策で土地や生活の糧を失った多くの朝鮮人が日本に職を求めざるを得なくなったこと、朝鮮人原爆被害者も植民地支配の故に、被爆させられたのだという、日本による加害であったという本質を覆い隠した表現になっています。貴局は、「再発防止」をすると言いながら、この「移設」により自らが「再発」をさせたのではないでしょうか。これは、無知や歴史認識欠如が一因だったと思われる最初の問題ツイートのアップのときと全く意味合いが異なります。今回、これだけ当事者、市民、識者、メディアに批判を受けた上で、確信犯的に差別ツイートを新たに掲載したのです。これらの差別ツイート内容を「削除しない」「放置している」状態から「積極的に発信した」状態に踏み込んだと言えると思います。そして貴局は、今回の措置は一連の批判を受けたからではなく、「最初から決まっていた」と主張しています。これだけたくさん来た批判に全く耳を傾ける気はないという表明に聞こえました。

あらためて、差別助長ツイート内容を、ツイッターであろうがホームページであろうがいかなる公共媒体からも削除するよう貴局に求めたいと思います。8月23日付の抗議文と、連名者の名簿、およびコメント集を貴局に届けに参りました。受け取ってくださるようお願いいたします。

2020年10月5日 

ピース・フィロソフィー・センター代表 乗松聡子

(ここまで)

このシンポジウム、対NHK行動についての報道など

共同通信: 「差別扇動」NHK広島に抗議文 ツイッター投稿削除求め市民団体

朝日新聞:「レッテル貼り、変わらず」ひろしまタイムラインを議論

中国新聞:「民族差別考える場を」 NHK投稿問題受け広島でシンポ

ハンギョレ新聞:日本で市民団体が抗議「NHKは朝鮮人差別助長するツイッター内容を完全に削除せよ」

中央日報:日本の市民団体「NHKの韓国人差別助長ツイート削除」を要求

Mainichi Shimbun: Group protests NHK over tweets considered prejudiced against Koreans

ブログ「アリの一言」:「NHK広島」シンポが問いかけた2つの問題


Friday, October 02, 2020

NHK広島放送局は、差別ツイートを「読みやすく」するためにわざわざHPに再掲載した。これだけ批判を浴びながら、「再発防止」どころか自らが「再発」を起こし、差別ツイートの内容を積極的に発信した。

 

10月2日に「『シュン』これまでのツイート」として再掲載された

9月28日、NHK広島放送局はツイッターで

プロジェクト開始から半年、過去のツイートをまとめて読みやすくしてほしいとの要望に応え、9/18「やすこ」の日記終了を機に、「一郎」「シュン」も含めた3アカウントの 1か月以上経過したツイートを10月から番組HPに移設します。今週末10/2予定です

と発信し、10月2日「移設」を行った。問題になった8月20日と6月16日のツイート群のうち、8月20日の分の「移設」先はここである。

https://www.nhk.or.jp/hibaku-blog/timeline/tsubuyaki/8/436451.html 

このように注釈が新たに書き加えられている。

※注 当時の混乱した社会状況を伝え、戦争の時代についてリアリティーをもって考えていただくために、資料に基づきNHK広島放送局の責任で作成しました。

当時の日本には、多くの朝鮮半島出身者が暮らしていました。1910年の韓国併合によって日本による統治が始まった後、働き口を求めて日本本土に移住する人々やその家族などが増えました。日中戦争が長引いて労働力不足が深刻化した際に、軍需工場や炭鉱などに動員された人々もいました。

6月16日のツイートの「移設」先はここである。

https://www.nhk.or.jp/hibaku-blog/timeline/tsubuyaki/6/436446.html 

ここにもこのような注釈がついている。 

※注 当時の混乱した社会状況を伝え、戦争の時代についてリアリティーをもって考えていただくために、資料に基づきNHK広島放送局の責任で作成しました。

当時の日本には、多くの朝鮮半島出身者が暮らしていました。1910年の韓国併合によって日本による統治が始まった後、働き口を求めて日本本土に移住する人々やその家族などが増えました。日中戦争が長引いて労働力不足が深刻化した際に、軍需工場や炭鉱などに動員された人々もいました。広島にも多くの朝鮮半島出身者が暮らし、原爆の犠牲になりました。その数は定かではありませんが、広島市の平和公園にある「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」には「2万余名」の命が奪われたと記されています。

これらの注釈は当時朝鮮人が広島に多く存在した、原爆被害に遭ったということを言っているだけで、これらのツイート内容がもたらす「朝鮮人が乱暴だ」という印象、民団が人権救済申し立てで述べた「朝鮮⼈の不当性を際⽴たせる叙述」には何ら変わりはない。植民地支配の時期から今に続く、日本人による在日朝鮮人・韓国人に対する差別意識について触れてさえいない。また、敢えて「植民地支配」ではなく、「統治」という言葉を使うことによって植民地支配という厳然たる歴史的事実を否定しているかのようにも聞こえる。

NHK広島放送局は「再発防止」をすると言っておきながら自らが再発を行った。これは、無知や歴史認識欠如が一因だったと思われる最初の「シュン」ツイートのアップのときと全く意味合いが異なる。今回、これだけ当事者、市民、識者、メディアに批判を受けた上で確信犯的に差別ツイートを再掲載したのである。これらの差別ツイート内容を「削除しない」「放置している」状態から「積極的に発信した」状態に踏み込んだのである。差別ツイートをわざわざ「読みやすく」して再アップということである。そしてNHK広島放送局は、今回の措置は一連の批判を受けたからではなく「最初から決まっていた」と主張している。批判に全く耳を貸す気はないという意固地な表明でもある。

★★★

10月4日(日)、この問題について広島でシンポジウムを行います。オンラインでの参加も日本全国、世界中から可能です。ここをクリックして申し込んでください。どうかふるってご参加ください。


この問題についてのいままでの投稿リストは、この投稿の直前の投稿にありますので見てください。



Thursday, September 24, 2020

これだけ「差別助長」と批判され、自らが「配慮不十分」と認め、NHK会長から「あってはならない」と言われ、当事者も法務局に人権侵害を訴えた。それでもNHK広島放送局は差別ツイートを放置している。

9月27日追記。このシンポがオンラインでも参加できることになりました。こちらのリンクから申し込んでください


10月4日に、この問題についてのシンポジウムを広島で行います。事前申込制です。詳しくはこのチラシをご覧ください。


NHK広島放送局が「ひろしまタイムライン」という企画で、1945年当時実在していた人がツイッターを使っていたらどうだろうかというような設定で発信された、実在する被爆者の方をモデルとした「シュン」アカウントで、在日朝鮮・韓国人の方々への差別や偏見を助長するようなツイートが発信されてそのままになっています。

その後たくさんの批判にもかかわらず、また、NHK広島局自らが「配慮が不十分であった」と認めたにもかかわらず、モデルとなっている新井俊一郎氏さえも朝日新聞の取材に応えNHK広島局の責任を問うているにもかかわらず、NHK会長さえもが「あってはならない」と批判しているにもかかわらず、ハフポスト共同通信東京毎日朝日各紙などが批判的な報道を展開し続ける中、NHK広島局はいまだ差別的ツイートを削除しておりません。9月23日の共同通信毎日新聞の報道によると、同日、在日本大韓民国民団(民団)は広島法務局に「投稿は民族差別を扇動する」として人権救済を申し立てました。これはNHKローカル放送(つまり、広島)で23日午後5時のニュースで報道されたと聞いております。NHK広島局自身がとうとうこの問題を無視し続けることができなくなったということです。しかし差別される当事者からこのような法的行動があった後も、きょう(24日)の時点でこれらの差別助長ツイートはまだそのままになっています。「戦後」75年、日本の植民地支配の中で行われた強制動員、日本軍「慰安婦」等、法と人道にもとる制度に日本政府、メディア、社会全体が十分に向き合うこともなく迎えてしまった節目の年、公共放送が積極的に差別発信を放置しているという事態の重大さはいくら強調しても強調し過ぎることはないと思います。

この問題が生じた直後、私は本サイト Peace Philosophy Centre で抗議文を出しました。長く「ヒロシマ」の発信、とくに被爆者の通訳・翻訳に携わった立場から、また、カナダに住むマイノリティの一人である立場から、日本でいまだに在日朝鮮・韓国人が差別され続けていることに怒りを抱く立場から、「ヒロシマ」発のヘイトは許せないという思いがあります。NHK広島局にも直接働きかけ、9月24日現在、180人以上の方々からの賛同をもらっています。その中には、カナダ在住の被爆者サーロー節子氏、日本被団協事務局次長の和田征子氏、他、長年証言活動や平和活動に従事してこられた三宅信雄氏、花垣るみ氏、ランメル幸氏、豊永恵三郎氏など被爆者や二世の方々もいらっしゃり、平岡敬元広島市長、秋葉忠利前広島市長、元広島平和文化財団理事長のスティーブ・リーパー氏、アメリカン大学教授のピーター・カズニック氏など、「被爆地広島」の反核と平和の訴えを発信する重要な役割を担ってきた方々がたくさんいらっしゃいます。もちろん当事者である在日朝鮮・韓国人の方々の賛同も多くいただいています。

いまいちど、連名していただける方を広く募りたいと思います。抗議文と賛同者全員の名簿のあるリンクをここに記します。

賛同していただける方は、ここに連名している人々の例にならって、1)お名前 2)ご職業やご所属 3)所在地(○○県など)(2と3はどちらかだけでも構いません)の情報を、peacephilosophycentre@gmail.com までお願いします。公開可能なコメントも歓迎します。コメントをいただけた場合、サイトのコメント欄に転載します。

★ぜひ同時に、NHK広島放送局にも直接メールや電話をして抗議してください。

連絡先はここにあります。https://www.nhk.or.jp/hiroshima/contact/

(「NHK広島放送局へのご意見・お問い合わせ」というコーナーがあります。メールフォームはここ https://cgi2.nhk.or.jp/css/mailform/mail_form.cgi?area_cd=hiroshima


この問題についてのこれまでの投稿

8月23日

NHK広島放送局は「ひろしまタイムライン」の、「シュン」による一連のヘイトツイートを削除してください。(連名、コメントはここに集約しています)

8月26日

NHK 広島放送局に電話し、広島の平和・反核の訴えを担ってきたこれだけの人たちが差別ツイート削除を求めていると伝えました。

8月30日

「シュン」ツイートの差別性を認めながらも削除に反対する人へ

9月7日

NHK広島放送局「ひろしまタイムライン」の「シュン」ツイッターが参考にしたと思われる新井俊一郎氏の手記

Wednesday, September 23, 2020

We Need an Alternative Peace Museum in Hiroshima -- Questioning the Hiroshima-centred War Memory in Japan (10th INMP Conference Presentation) 第10回世界平和博物館会議発表「広島にはもう一つのミュージアムが必要」

Here is my presentation for the 10th International Network of Museums for Peace, successfully held from September 16 to 20, 2020. 第10回世界平和博物館会議(2020年9月16-20日)の発表動画です。


We Need an Alternative Peace Museum in Hiroshima -- Questioning the Hiroshima-centred War Memory in Japan 

Satoko Oka Norimatsu 



Abstract:

Marking the 75th anniversary of the end of WWII this year, the author problematizes the general lack of recognition in the Japanese war memory for the history of the Empire of Japan’s seven decades of colonial rule and aggressive wars. This tendency is prevalent even in the “peace,” “anti-war,” and “anti-nuclear” communities, accentuated by what the author calls the “Hiroshima Historical View,” which centres itself around the Japanese suffering in the atomic-bombing of Hiroshima and Nagasaki. This view of history omits what led up to the atomic bombing and depicts the event as a sudden tragedy that befell the otherwise “peaceful” lives of Japan's innocent people. The newly renovated Hiroshima Peace Museum is no exception. It neither touches upon Japan’s invasions of neighbouring countries and Hiroshima's role in them, nor does it point to the United States’ responsibility for the evil that it committed. The author will discuss how such sanitization of historical responsibilities contributes to today’s acceptance of the U.S.-Japan military alliance that enables further buildup in the region, including Iwakuni and Kure, constituting a permanent “war capital” identity of Hiroshima. The author will conclude by presenting a vision for an alternative museum in Hiroshima.

概要

タイトル: 日本人の「ヒロシマ史観」を問う―オルタナティブミュージアムの提案

第二次世界大戦終結75周年を迎えるにあたり、日本の戦争記憶は概して、大日本帝国の70年余にわたる植民地支配と侵略戦争についての認識が欠如している。この傾向は「平和」、「反戦」、「反核」の世界においても蔓延しており、広島と長崎の原爆における日本人の被害を中心とした「ヒロシマ史観」とも呼べる歴史観がさらに増強している。この歴史観は、原爆に至る歴史を切り捨て、原爆投下を、「 “平和な”生活を送っていた日本の罪なき人々の上に突然降りかかった悲劇」として描写する。今回リニューアルした広島平和記念資料館も例外ではない。日本の侵略戦争について触れておらず、広島がその中で果たした役割も語っていない。米国の原爆投下という戦争犯罪の責任を追及することもしていない。このような歴史的責任の浄化行為は現在の日米安保体制・日米軍事同盟の容認につながっており、周辺の岩国や呉とも合わせ地域の軍拡は進む一方だ。結果として、「ヒロシマ」は「軍都=戦争の都」としての性格を恒久化させている(これは長崎も同様)。今こそ、「ヒロシマ」が切り捨ててきた歴史を拾い上げる、もう一つのミュージアムが必要だと思う。


On September 20, 2020, I organized a member-hosted special event with my colleagues Yuki Tanaka, a historian based in Melbourne, Australia and Akari Kojima and Yoshiki Kanai, members of a new social action group RADICAL BANANA. 

See their presentations at this link: 

Friday, September 11, 2020

福山市の医療機関でYさんが受けた差別に対する医師の再謝罪文は「差別」を完全にスルーした

福山市HPの「人権」ページ。(9月12日にアクセス)

この投稿は、以下の投稿の続報です。まだの人は以下を読んでください。

7月29日 福山市が市民に提供する無料風疹抗体検査を受けた福山市民のYさんが担当医師から受けた差別

8月6日 福山市の無料風疹抗体検査で医師から差別を受けたYさんからの経過報告

8月25日 福山市の医療機関で差別を受けたYさんに対する医師の「謝罪」と市の対応についてYさんからの報告

上の8月25日の投稿と、7人の人たちのコメントを読めば、最初の医師からのYさんへの謝罪文と、それに対する市役所の「人権」担当者の対応は、二次加害に等しいことは明白であろう。それを受けた医師は、さらなる謝罪文を、今度は封書で市に託してきた。Yさんが市から受け取ったのは9月5日である。Yさんは医師が今度こそ率直に差別したことを認め、誠実に謝罪するのかと思ったら、期待は裏切られた。プライバシーを確保した上でその二度目の「謝罪文」をここに紹介する。


(名前)様へ

 9月2日に福山市職員の方がおいでになり、8月19日にYさんにお渡しした手紙に対するYさんのお気持ちを詳しく伺いました。それを聞いて、私の手紙は対応の説明に終始しており、Yさんのお気持ちに沿っていなかったことに気づき、深く反省している次第です。誠に申し訳ありませんでした。

 改めて、自らの言動を振り返ってみて、私の認識の甘さ、発言の重大さを理解し、自責の念に駆られております。さらに、そのことがYさんの心を傷つけ、Yさんを苦しめてしまったことを心より申し訳なく思っております。

 今後は同じ過ちを二度と起こすことのないように、正しい認識を持って、より一層、患者さんの気持ちに寄り添った診療を行ってゆきますので、どうぞご容赦下さいますようお願い申し上げます。

2020年9月2日

(医療機関名と医師の署名)

以下がこの手紙に対するYさんの所感である。

 前回のメールを受けた後、市職員には、医師には以下のように伝えて欲しいと言った。「謝罪は受け入れられない。謝罪の気持ちの大きさは問題ではない。受け入れられなかった理由を知りたければブログを見てほしい。その上で、過ちに気づいたら、謝罪を受け入れる用意がある」と。

 その後もらった今回の手紙には、「対応の説明に終始」していること、私を傷つけてしまったことへの謝罪が記されている。頑として差別をしたことを認めないのに、あくまで傷つけたことへの謝罪を繰り返したり、「ご容赦ください」と言うのは、私を責めているようにさえ感じる。率直に言うと、加害者の被害者化ではないか。

Yさんの「頑として差別をしたことを認めない」という言葉に、この医師の再謝罪文の問題の根本がある。

私も、この手紙を見せてもらっての最初の感想は、「差別を完全にスルーしている」ということだ。自分の対応が「Yさんの気持ちに沿っていなかった」、「Yさんの心を傷つけた」、「Yさんを苦しめてしまった」と、個人間の感情に問題を還元し、これが客観的な差別であったということを否定しているのである。これは、差別だけでなく、セクハラ、パワハラ、DVの加害者が取る常とう手段でもある。ハラスメントや暴力を振るったということに目をつぶり、「自分があなたを傷つけてしまったのでそのことに謝る」と言うことでハラスメントや暴力を結果的に否定するのである。一見、平謝りに謝っているように見えるから周囲にも「この人はこんなに謝っているんだから」という印象を与えてしまうかもしれない。そうなると「こんなに謝っているのに許してくれない」と、被害者に矛先が向いてしまいかねない。実際この医師自身がそのように思っている可能性がある。Yさんが上で「加害者の被害者化」と言っているのはこの点だ。どんなに謝ったって、自分が犯した過ちが何なのかを言うことができず、それを言わないことによって否定しているのではその謝罪に何の意味もない。

私がこの医師に聞くとしたら、今後は起こさないとしている「同じ過ち」とは何なのか、「正しい認識」とは何を指すのかを聞きたい。もし差別を認めているのなら、「同じ過ち」というのは差別のことである。「正しい認識」というのは「差別をしない」認識のことである。しかしこの医師の文面からは、「同じ過ちをしない」とは患者の「心」に「沿わ」ず、「傷つけ」、「苦しめて」しまわないことであり、「正しい認識」とは、「患者の気持ちに寄り添った診療」ということなのだろう。この医師はすでに自分が普段から患者に「寄り添って」いるという自負があるから、「より一層」という但し書きまでつけている。「こんなに寄り添おうとしている自分が、それでも気持ちに沿いきれずに傷つけてしまったので、より一層患者の気持ちに寄り添う」と言っているのである。はっきり言って、キモイ。「心」とか「気持ち」の次元に踏み込むことによってこの医師はYさんの内面に不必要に入り込んでいるとも思う。だからキモイのだ。

この医師さんに言いたいが、差別をしたことを認めさえすれば、謝罪は一回でいいし、「気持ち」とか「心」とか、「苦しめてしまった」とか、キモイことを言う必要はないのである。「心」とか「気持ち」とか、そういう次元ではなく、ただ普通に、フェアに、差別せずに、他の人と同じように扱えばいいだけの話なのである。

差別したことを認めてください。そうでなければあなたはまた差別をやります。差別を否定すること自体が差別なのです。それでは再発防止にはなりません。今後、あなたの医療機関にも、他の医療機関にも、福山市に対しても、ひいては日本社会全体に対しても、これがいい教訓になるように、差別したことを認めて、この問題に一つの区切りをつけてください。

乗松聡子(@PeacePhilosophy)