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Tuesday, December 30, 2014

2014年最後に:書評紹介と、「終戦70周年」への警告

今年最後に、読み応えのある内容で知られるカナダ・バンクーバーの日本語月刊誌『月刊ふれいざー』10月号に載った黄圭(Hwang Kay)さんによる『よし、戦争について話をしよう。戦争の本質について話をしようじゃないか!』(金曜日刊)の書評を紹介します。




この本は2013年夏、映画監督オリバー・ストーン氏が、彼とThe Untold History of the United States (書籍およびドキュメンタリーTVシリーズ:日本語では『もう一つのアメリカ史』という題で出ている)を共著・共作したピーター・カズニック氏(アメリカン大学教授)と当ブログ運営者・乗松聡子の誘いで、カズニック氏と立命館大学の藤岡惇氏が20年にわたり行ってきている広島・長崎への学生の旅に一部参加しながら講演旅行をするという形で来日したときの記録です。私たちは沖縄まで足を延ばし、オリバーは沖縄が米軍基地に占領され「戦争が終わっていない」状態に驚き、その上に辺野古の海を埋め立てて新たな基地を造ることを「恥ずべきことだ」と言いました。今まで出た書評は当ブログ左上にリンクをまとめてあるのでご覧ください。

日本人が広島と長崎の歴史を記憶し教育する姿は素晴らしい。と同時に日本人は戦争中に自国がアジア諸国や連合軍捕虜に対して行った残虐行為の数々をはじめ、自らの歴史に直面すべきである。

2013年8月8日、長崎原爆爆心地
に献花するストーンとカズニック
オリバーが来日中口を酸っぱくして言っていた言葉です。米国を愛しているからこそ米国の他国への残虐行為を米国人に教えようとしてきている映画監督ならではの言葉だと思います。そしてこの言葉ほど明日から「終戦70周年」を迎えようとしている日本人が耳を傾けるべき言葉はないでしょう。

「300万人が犠牲になった」と、日本人の被害にしか目を向けず、内向きで自国中心主義的な戦争記憶を強化させて「平和教育」「記憶の継承」をしているつもりになっていてはいけないと思います。この自国中心主義こそが差別や暴力や戦争の原因になります。二度と戦争を起こさない記憶のし方。それは「日本軍『慰安婦』」をはじめとする加害の歴史に背を向けたり否定したりすることではなく、そういった歴史を直視しながら学びを深め、共有し、アジア隣国をはじめとする諸外国の信頼と友情を回復していくことに他なりません。

最近話題になっているアンジェリーナ・ジョリー監督『アンブロークン Unbroken』は、オリンピックにも出場した陸上選手ルイ・ザンペリーニ氏が空軍の兵士として太平洋戦争を戦い、日本軍の捕虜となり、大森俘虜収容所、新潟の直江津炭鉱などで過酷な労働と虐待を生き延びる物語です。日本語では「反日映画」とか言って騒がれていますが、観てもいないのによくそんなことが言えるものです。私は12月24日バンクバーで封切されたその晩に観に行きましたが、「反日」といったイメージとはかけはなれたものでした。このような映画を「反日」と呼ぶ人は、広島長崎の原爆や空襲を記憶する映画を「反米」映画と呼んだり、ホロコーストを記憶する映画を「反独」と呼んだりして糾弾するのでしょうか。自国中心主義もいい加減にしてほしいものです。

私は、このザンペリーニ氏のサバイバルと和解の物語は日本でこそ広く公開され、記憶されるべきものと確信しました。戦後70年、日本はこのような映画を積極的に上映してこそ歴史への責任、そして二度と戦争を起こさないために、現在と未来への責任を果たすことができるのではないかと思います。

12月30日 バンクーバーにて @PeacePhilosophy こと 乗松聡子

PS 以下『アンブロークン Unbroken 』のトレイラーです。


Friday, December 19, 2014

「第一回フルブライト女性セミナー」講演録「留学、海外生活を通じて見えて来た世界の中の日本-広島、長崎、福島、沖縄」

2014年7月30日に東京で行った講演の記録を共有します。フルブライト日本同窓会」機関誌『NEWSLETTER No.27 2014』に掲載されたものを微修正したものです。
 
 
1回フルブライト女性セミナー

 「留学、海外生活を通じて見えて来た

世界の中の日本-広島、長崎、福島、沖縄」

Peace Philosophy Centre代表 乗松聡子 

 

プロフィール・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2007年、バンクーバーにて平和教育団体Peace Philosophy Centreを設立。日本の憲法、アジアの歴史認識問題、核問題、米軍基地問題などについて日英両語で活発に執筆するほか、地元市民とも勉強会を開催している。2006年以来アメリカン大学と立命館大学共同の広島長崎の旅に通訳・講師として参加。2013年には映画監督オリバー・ストーンの来日を企画運営した。共著 Resistant Islands: Okinawa Confronts Japan and the United States (Rowman and Littlefieled, 2012) 、『沖縄の〈怒〉-日米への抵抗』(法律文化社、2013)他。

 今日は同窓会のフルブライト女性セミナーの第1回の講師にお招きいただき光栄です。日米教育交流振興財団にもご協力いただきありがとうございました。 

 私は50年近く生きてきていますが、そのうち約20年が日本の外です。まず高校23年のとき1982年から84年までカナダ西海岸のビクトリアという街で過ごしました。その後、日本で大学に行き就職しました。1997年から今にいたるまで大学院留学がきっかけですがカナダのバンクーバーにおります。留学や海外生活の結果、今の自分がある。一人の女性として人間として母としてプロフェッショナルとしての自分がある、そんなパーソナル・ヒストリーとして聞いていただけたらと思います。若い方々少しでも参考になれば幸いです。

 まず女性としての生き方です。カナダで暮らしていて一番強く思うのは「多様性」です。女性だからこうしなくては、男性だからこうしなくては、何歳でこれをしていなくてはとか、いったん就職したらその組織に長く勤めなければいけないとか、一つの職業を選んだら死ぬまで続けないといけないとか、日本の社会がこうした個人に求めることで、多様性が少なくなっているように感じます。私はすごく色々なことをやってきて、家庭に入って子育てに専念していたこともあります。出入り自由なのです。この部分が日本とカナダで一番違うと思います。

 カナダだって決して女性の状況は理想的ではありません。国会議員の女性の割合が日本は8%で先進国中最低レベルと聞いていますが、カナダでも25%程度で多くはありません。女性の首相が一瞬現れたこともありますが、政財界はほとんど白人の男性が支配しています。ただ理想とはいえませんが、男性が育児休暇を取りやすいとか、男性が家庭に専念るとか、生き方の多様性は男性にも女性にもあると思います。日本を見ていると生き方に多様性、柔軟性が少なく、変わって欲しいと思います。

 私の原点は高校生の時のカナダ留学にあります。奨学金を出して留学させてくれたピアソン・カレッジはレスター・B・ピアソン(LesterB Pearson)というカナダの元首相が創立に関わりました。このピアソンとフルブライト留学制度を提唱したJ・W・フルブライト。二人の思想に共通点があるというのが今日の私の話のテーマです。

 私は高校1年の時にインターナショナル・バカロレア(IBのカリキュラムで70カ国以上から集まった200人の学生とともに学ぶプログラムに応募して受かり、高校23年と留学しました。日本ではいわゆる受験に通い勉強はできるだと思っていました。でも実用的な英語はほとんどできませんでした。留学先では本などを読んで来てディスカッションするという10人ぐらいの少人数のゼミ形式で先生や他の生徒の言っていることが全然わかりませんでした。半年ぐらい何も判らない状態が続きました。先生に聞きに行くのも涙が出て、夜寝ててもそう、今でもこうして話してても思い出して悔しくて涙が出そうになります。

でも1年目の最後にはようやく勉強が判るようになって2年目の最後にはIBの試験に合格したのです。どうして最後まで行けたのか判らないのですけど、授業をウォークマンに録音して後で何度も聞いたりして頑張りました。

 この時に今に繫がる大きな気づきがありました。タイ、インドネシア、フィリピン、アフリカのコートジボワールなど世界からやってきた学生たちと知り合いになれたのです。いろいろな国の人たちと暮らして、日本の教育では教わらなかったことを知りました。私は広島、長崎や東京大空襲のことは知っていましたが、大戦中に日本軍が現地の人たちにひどいことをしたのを全く知りませんでした。

 シンガポールの友人からは日本の兵隊が赤ちゃんを放り投げて銃剣で突き刺した話を聞かされ、最初は全く信じられませんでした。信じるには何年もかかりました。フィリピンの男友達からは日本人に私のような良い人がいるとは思わなかったと言われ驚きました。歴史について何も知らなかったことを思い知らされたカレッジ体験でもありました。

 IBを取り、日本に帰って帰国子女枠で慶應大学に入りました。今度は逆カルチャーショックを経験しました。カナダでのディスカッション中心の授業に慣れていたので、教養過程での大教室で先生が自分の書いた本を読むという授業に馴染めませんでした。カナダでの体験を懐かしむ気持ちもあり、いわゆる帰国子女とよばれる人たちと友達になりたいと思いESSに入り英語による演劇活動に熱中しました。

 私は卒業して、かつての文部省の外郭団体で日本国際教育協会というところ留学カウンセラーをしました。また民間の団体でオースラリアやニュージーランドの留学生を日本に受け入れる仕事もしました。ホストファミリーのオリエンテーションや文化摩擦のトラブルシューティングで北海道から鹿児島まで飛び回る勤務生活をしていました。

 そこで、このような教育団体の経営ができれば良いと思い経営学を学びたくなりました。上司に米国のMBAをもった人が多かったので自分もMBA取れば偉くなれるのかなと。カナダに戻りたかったこともあってカナダのビジネススクールにいくつか出願して、バンクーバーにあるブリッティッシュコロンビア大学(UBC)に決めて1997年に渡加し、そのまま居着いています。そこからの話をすると長くなってしまうので、それはまた別の機会に。ビジネススクールの前に長男が生まれ、後で長女を授かりました。
J.W.Fulbright (1905-1995)
 その後UBCの異文化コミュニケーションセンターというとこで講師もしました。バンクーバーは多民族社会でいろいろと摩擦も起きるので、一般カナダ人にどうしたら異なる文化の人とうまくやっていけるのかということを教えました。

 さてフルブライト氏とピアソン氏の話です。この講演に合わせて日本経済新聞で「私の履歴書」として1990年代初頭に連載されたフルブライト氏の回想録権力の驕りに抗してを読みました。今日のテーマと通じるものがあって感動し涙を流しながら読みました。

 この本の中からいくつかのフルブライト氏の言葉を紹介したいと思います。まず「教育交流は国を人に変える」というのがあります。これはとても重要な考え方だと思います。皆さんもニュースを見たり、友人と話をしたりするとどうしても国単位でものを考えていることが多くなります。アメリカが・・・、中国が・・・ウクライナが・・・などと話してしまいます。こうした国単位で考えることがナショナリズムを生みがちであるとフルブライト氏はわかっていたようです。いったん国の枠組みを超えて人と人が付き合えば全然違う世界が見えてくる——そうした思いも込めて言ったのではと思います。
L.B.Pearson (1897-1972)

 かたやピアソン氏です。この人はカナダで最も偉大な政治家と言われています。1956年、スエズ動乱というのがありました。エジプトがスエズ運河を国有化したのをきっかけに英仏などが出兵してあわや第三次世界大戦という騒ぎになりました。ピアソンはこの時、国連緊急軍というのを提唱して停戦を監視させたのです。この国連緊急軍は現在の国連平和維持軍の元となっています。ピアソンはこの業績で1957年にノーベル平和賞を受賞しています。この時は外務大臣でしたが60年代に首相を務めまして健康保険の充実やカナダ国旗の制定し、多文化主義の基礎を作ったと人としても知られています。

 ピアソンは私の高校時代に留学した学校の設立に寄与しました。く聞かされたピアソンの言葉があります。「お互いが知ることなしに、お互いが理解することなしにどうして平和があり得るのか?人間がお互いから断絶されたら、お互いに学び合うことが許されなかったら協調的共生関係などはあり得ない

 二人に共通しているのはキーワードとして相互理解だと思います。これは言うは易し、行うは難し。私の留学生活から今までの人生はこの相互理解とは何なのかを自分自身に問うて、自分自身学んできたプロセスだと思っています。

 ここで自分の経験から相互理解を五つの項目にまとめました。一つは「自分を理解すること」。自分の国、自分の文化、言語などを理解することです。次は「ナショナリズムをわかること」。特に自分たちの国、民族、文化が他より優れていると思い、他の国を見下したりしないこと。もし見下したりする傾向があれば、それは戦争に繫がるとフルブライト氏も言っています。今の日本は政権も含めて、そのような傾向があると思うのでここで強調したいと思います。三つめは「歴史を学ぶこと」。四つめは「無知や気付きをおそれないこと」今まで知らなかったことを知ることを恐れないこと。これは留学を通じて、人生を通じて大事なことだと思いました。 最後の五番目は「人と人の繫がり」です。

 2004年に私の住むバンクーバーで「バンクーバー九条の会」をつくる動きがスタートしました。当時、小泉政権下で憲法を変えようという動きがあったので、日本で評論家の加藤周一さん、ノーベル賞作家の大江健三郎さんら九人が集まって「九条の会」が始まりました。その後、全国に七千もあるという「九条の会」の横の繫がりをつくるという時にバンクーバーにもつくろうという話があり、私も参加しました。 

 その加藤周一さんに教わったことの一つに留学や外国語学習に関することがあります。加藤さんは「外国語を学ぶのは政府のウソを見破るためだ」と断言されています。加藤さんは20世紀を生き抜いてきた方なので説得力があります。私も身を持って体験しました。福島原発事故の後は日本で箝口令が敷かれたように感じました。例えば福島第一原発3号機でプルサーマルという、プルトニウムの入った燃料が使われていたことは日本のメディアではほとんど報道されていないのに、海外ではたくさん報道されていたことなどです。一つの言語の中で暮らしていると、どんなウソをつかれているか判らないから、外国語を勉強する、留学するのは大切なのです。でも、このことをある留学セミナーで言ったら、それ以降お呼びがかかりませんでした(笑)。今日のセミナーでも問題発言してしまうかも知れませんが、また呼ばれることはないでしょうから・・・(笑)。早川さんからも「好きなこと言って良いですよ」と言っていただいたので正直に行きたいと思います。

 ここで憲法九条に関連するフルブライト氏の発言を先ほどの回顧録から引用して紹介します。 

 「日本は第二次大戦の教訓を生かすことでは最優秀の国であり、国民の勤勉さ、謙虚さは賞賛されて当然だ。日本人は教育の重要性をよく理解し、きわめて見事にみずからを律してきた。とりわけ日本ほどの大国が政治目標として非武装、非軍事国家に徹する姿勢を守って来たことは他に類例がなく、世界史的にみても、今日、非常に意義が大きい。

 米国は今回の湾岸戦争でも大国の傲慢ぶりを見せつけた。ブッシュ大統領は戦争を起こしたことを責められるべきなのだが、政府も国民も一緒になって勝利に酔い、ますます強いアメリカにおごりたかぶっている。困ったことだし、危険なことだと私は思っている。その点、日本人がわれわれ米国人に非武装、非軍事の意義を教え、戦争を避けるように説得してくれたらありがたい。車や電気製品に限らず、米国が日本から学ぶべきことはまだ実に多い、というのが私の実感だ 

 バンクーバー九条の会として2006年に世界平和フォーラムというのに参加した時に出会いがありました。立命館大学の藤岡惇先生です。

そしてその年以降、藤岡先生が引率していた、広島、長崎に日米始め世界各国の学生を連れて行く歴史学習の旅の講師やガイド、コーディネーターをしています。さきほど歴史の見方の話をしましたが、このツアーはそのことが良くわかるのです。

 日本の学生は原爆投下はいけないことだったとすぐ言えるのですが、米国では違います。原爆神話というのがありまして、原爆のお陰で戦争が終わったと。戦争が終わったおかげで米兵が日本本土で戦争して死なないで済んだ。すなわち、原爆は人の命を救った。このよう原爆投下の正当性を信じている人が少なくないのですが、そのような米国人がいることに日本人は寝耳に水なのです。また原爆神話を信じていた米人学生は広島、長崎を見てキノコ雲の下で実際に何が起きていたかを知って驚くのです。また中国、韓国やフィリピンなど日本から占領されて被害を受けた国の学生には、原爆は戦争を終わらせて自分たちを解放してくれたと思っている人も多く、これが日本の学生にとってはまた考えもつかなかったことですこのように、さまざまな背景を持つ学生たちが広島、長崎に来て、「国対国」を超えて歴史を共に見つめます。

 このツアーで被爆体験を描いた漫画はだしのゲンの原作者・中沢啓治さんにお会いしお話をうかがったことがあります。中沢さんが話したことで印象に残っている言葉があります。

「ここまでの体験をして、これだけの悲惨な思いをして、これだけの犠牲を払って、どうして九条を捨てようとするのか。その気持ちがわからない」

 先ほど、早川さんがフルブライト奨学金は原爆投下がきっかけになって生まれたと話されました。私もフルブライトのウェブサイトを見て、そうなのか、米国人として原爆に罪の意識を持、その罪滅ぼしか、もしくは米国を嫌いになってもらっては困ると思って奨学金を作ったのかと勝手に想像したのですけど違っていました。回顧録の中でこう書いてるのを読んで感動しました。 

 「当時も今も、私は原爆の使用は間違いであり、われわれの力を示すのにもっと破壊的でない方法をとるべきだったと固く信じている。原爆を使わなくても終戦間近だったのだから。これでアメリカは一般都市に原爆を落とした唯一の国という重荷を背負う事になったと思う。

 同時に、この原爆の惨禍が、私に交換留学生計画の提案を決意させる直接の原因となった。各国ともお互いの国民が対立しあうことのないよう、心の結びつきをつくり、育てていかなければならない。世界中の人たちがお互いをもっとよく知り合えば、敵対して殺し合う事も、原爆まで使って相手を壊滅させようなどと思う事もなくなるのではないかというのが発想の起点だった。

 われわれはともすれば外国人を自分たちと同じ人間としてではなく、何やら下等で野蛮な動物のように見なしがちだ。(中略)たとえば、中国人たちはしばしば黒アリと呼ばれた。おそらく彼らが昔から黒い作業服を着ていたためなのだろうが。

 そんな他国民を見下ろす姿勢が、相手に何をしても構わない、という傲慢さを生む。今度の湾岸戦争でも、イラクを効果的に叩くのに核兵器、生化学兵器を使うべきだ、という意見が新聞に何度か登場するのを見て、とんでもないことだと思った。

 もし外国人社会に住んでみれば、周囲の人たちの優しさ、豊かな人間性にふれて、決して彼らを下等動物と見なすことはできないはずだ。自分たちの国、人種だけが世界で最も優秀だ、などという唯我独尊的な思い上がりはなくなるはずだし、なくさなければならない。」 

 私はこれを読んで思いました。ここにいる皆さんは違うと思いますが、最近の日本から聞こえてくる言葉は、特に中国や韓国に対する言葉ですね。中国の期限切れ加工肉事件があると、やはり中国の食品は汚いと。一つの事件で中国全体を見てしまう、一般化してしまう表現がみえます。これは問題だと思います。

 日本で本屋さんに行くと中国人や韓国人のことをものすごく悪く言う本が平積みになっています。これを見てものすごくショックでした。これが自分の出身の国なのかという恥ずかしい思いです。こうした風潮が日本の帝国主義的侵略、悲惨な結果の戦争を生み出したのです。

 加藤周一さんは言っています。若い人たちは日本が過去にやったことに責任はない。生まれていませんでしたから。しかし、いま起こっていることには責任がある。今、起きていることと過去に起きたこととの関連を見極める責任がある

 南京大虐殺を始めとする、他の民族の人たちを見下してやったおぞましい犯罪の数々、それを生んだような心理状態、そういう差別意識が今の日本社会にないだろうか?それを調べてなくしていくことが今の人たちの責任である、と加藤周一さんは言っていたのです。今、紹介したフルブライト氏の言葉とも通じるものがあります。私は海外に住む日本人として、この言葉こそ、いま日本に一番伝えたいことです。

これに関連してですが、広島、長崎では日本人だけが被害にあったと思われがちです。しかし、広島では5万人、長崎では3万人というものすごい数の朝鮮半島出身の人が被爆しているのです。私たちは毎年、各国の学生を連れて広島、長崎に行っていますが、長崎では朝鮮人原爆犠牲者追悼碑にも行っています。長崎市主催の原爆式典の前に朝早くから始まる朝鮮人原爆犠牲者を追悼する集会にー般市民も集ます。

 また長崎市には、「岡まさはる記念長崎平和資料館というのがありまして、ここでは朝鮮人被爆だけでなく南京大虐殺や強制連行など日本の加害行為に特化して展示している日本では珍しい資料館ですが、ここにも皆で行っています。戦争の局所、局所で起こったことだけではなくなぜこの戦争が起きたのか、なぜ日本が無謀な戦争に乗り出したのかを学ぶようにしています。

 ここで映画監督のオリバー・ストーン氏を紹介したいと思います。オリバーはプラトゥーン七月四日に生まれてJFKウォール街などの作品で知られています。私は去年、オリバーを広島、長崎、沖縄に連れて行きました。オリバーはアメリカン大学のピーター・カズニック教授と共にThe Untold History of the United Statesという本を書いています。邦訳は「オリバー・ストーンが語るもう一つのアメリカ史」として早川書房から出ており、映像版はNHKBSで流れました。それが去年、世界中で話題になりまして何十カ国語版になり子供向けバージョンもでています。

 オリバー広島、長崎原爆投下の翌年に生まれました。またアメリカの戦後史、恥の歴史と言っても良いと思いますが、アメリカの核政策を語る上でも欠かせない場所なので来てもらいました。

 よく日本で大戦中にアジア諸国に与えた害を話すと、自虐史観だとか言われることがありますが、この二人も同じです。アメリカで原爆投下は間違っていたと言うと、非国民だと言われてしまうことがあるのです。二人は原爆投下だけではなくて19世紀末、フィリピンなどを舞台に米国とスペインが戦争した米西戦争から、第一次世界大戦、第二次大戦中に米国政府と米国軍が世界中でやってきた暴虐のかぎりをあからさまに書いたのです。それこそ米国民が学んで来なかった歴史です。米国では保守的な人たちから非難を浴びました。

 オリバーが日本に来て言ったのは、広島、長崎の平和運動は素晴らしく、被爆者の方達は頑張っている、でも日本人は自らの歴史をしっかりと見ていないということです。オリバーとピーターはアメリカでまさしく自分たちの見たくない歴史を書いているので、それを言う権利があると思います。

 それで核問題まで発展するのですが、311以降、日本のメディア、政府が情報をきちんと伝えていなかったこともあって、とりつかれたように自分のブログ海外の学術記事を訳して載せたりしました。一時は月に30万ヒットもあり沢山の人に読まれました。それでめられなくなって今に至っています。今、311だけでなく広島、長崎、沖縄などについても書いています。私の現在の活動の柱の一つとしてブログ、フェイスブック、ツイッターでの発信があります。

 たとえばこのブログで紹介したのはドイツの核戦争防止国際医師会議がチェルノブイリ事故25周年で、事故後収拾にあたった何十万という作業員や周辺に住んでいた住民、子供たちへの健康影響をまとめた論文があります。きっかけは首相官邸のホームページで、チェルノブイリ事故の死者は43人、ほとんど健康被害はないと出ていたので、それは違うだろうと思い、報告書の要約を翻訳しました。これも良く読まれて7万以上のヒットがありました。これを見たある出版社が声をかけてくれて、私のブログの関係者が力を合わせ、『チェルノブイリ原発事故がもたらしたこれだけの人体被害』(合同出版)という本になりました。

 もう一つ紹介したい原発とヒロシマ』(岩波ブックレット)で、先ほどのピーター・カズニック教授と田中利幸広島市立大教授との共著です。これは私翻訳で協力しました。広島、長崎を経験した日本に戦後あえて原発が導入されて、日本人の核アレルギーを取るといった動機に利用されました。アメリカのCIAなどや読売新聞の正力松太郎氏や政治家の中曽根康弘氏など原発村の元祖のような人たちが日本に必要ではなかった原発を導入した経緯が書かれています。今の広島市の原爆資料館で、被爆資料をどかして原子力平和利用博覧会をやったりしているのです。日米共同でやったことです。核兵器は良くないけど原発は良いのだという二分法を日本の人たちの心に植え付けて今まで来て福島の事故に繫がったという歴史が書いてあります。

 そして沖縄です。戦後、日本は米国に占領されたわけですがその状態が続いていて、原発問題もそうですが、安保条約によって日本に米軍の基地がたくさん置かれている。主権国家に外国の基地が置かれているのは異常なことなのです。国連加盟国192カ国のうち150カ国以上に米軍の施設があって米国による軍事覇権状態が続いているのです。とりわけ沖縄に米軍基地が集中させられています。そしてニュースでご存知と思いますが、日米政府は、普天間基地の移転と称して、抑止力と称して、辺野古の綺麗な海を埋め立て必要のない新たな基地を作ろうとしています。

 最後にもう一回、フルブライト氏の引用をしたいと思います。 

 「欧州でもそうだが、なぜ日本にいつまでも米軍を駐留させるのか、私にはわけがわからない。戦後処理期間ならまだしも、先進国になった日本に対し、米国はいつまで保護者顔をして軍隊を置き続けるのか、もっと日本の自主性、自立性を尊重すべきではないのか。日本が米軍の駐留を望んでいるから、との議論があることは知っている。だがそれは決して日米両国にとって、望ましい姿ではないだろう 

 フルブライト氏は沖縄返還にも重要な役割を果たしていました 

 「議会の保護主義ムードから沖縄返還案などはとても議会の承認を得られそうにない。それどころか、議会は対日報復措置さえ議決しかねない、との判断だった。だが、私は強く返還論を主張し、積極的に議会工作をした。(中略)

 経済大国になった日本は軍事面での対米依存をやめよ、と言っても、それは日本に軍事大国になれ、ということでは全くない。本書の始めに語ったように、私は日本の平和憲法とそれに基づく国連中心外交、非武装政策を最も高く評価する一人だ」 

 フルブライト氏がもしまだ生きてたら、今日、私が話したことに賛同していただけるものと信じています。

 
(2014年7月30日午後6時半から 東京・千代田区永田町「日米教育委員会」にて講演。)