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Saturday, October 16, 2021

「産業遺産情報センターを嗤(わら)う」:新海智広 (「岡まさはる記念長崎平和資料館」ニュースレターからの転載)Japanese Government Denies the History of Forced Labour despite the UNESCO Recommendation: Tomohiro Shinkai, Oka Masaharu Memorial Nagasaki Peace Museum

 長崎の「岡まさはる記念長崎平和資料館」のニュースレター「西坂だより」第103号(2021年10月3日)の巻頭言記事を、許可を得て転載します(文中のリンクは転載者による)。産業遺産情報センターには私も昨年行きましたが、端島(元軍艦島)の元島民と名乗るガイドが、あからさまに、韓国の人たちのことを「あの連中」と呼び、「韓国は嘘つきだ」と言い、『軍艦島に耳を済ませば』(長崎在日朝鮮人の人権を守る会 編)の本の内容も嘘だと否定していました。日本政府の施設における案内員が、隣国に対してこのような言葉遣いをすること自体が外交上の無礼だと思いますが、それ以上に、本来、「明治日本の産業革命遺産」のユネスコ世界遺産登録において、強制動員の歴史も含む「全体の歴史」を展示し、犠牲者を記憶する施設を作るという約束の上に登録を果たした日本政府が、当の施設で180度真逆の歴史否定・強制動員犠牲者・被害者の傷に塩を塗るような展示と言説を繰り広げていることについてはもう「恥ずかしい」の一言です。新海さんの締めくくりの文「日本政府が過去に真摯に向き合い、端島を含む『明治日本の産業革命遺産』が、関係諸国との対立ではなく、和解の場となり、真に人類共通の普遍的価値を有するものとなることを心より望む。」に共感し、一人でも多くの方にこの文を読んでもらいたいと思います。(@PeacePhilosophy 乗松聡子)


産業遺産情報センターを嗤う


NPO法人岡まさはる記念長崎平和資料館 副理事長 新海智広


ユネスコ、日本政府に「強い遺憾」

 今年7月22日、ユネスコ世界遺産委員会は、2015年に世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」(以下、『明治日本の産業革命遺産』)に関する決議を採択した。6月にユネスコから派遣された専門家が、東京にある産業遺産情報センターを視察、その報告書に基づくもので、日本の対応に「強い遺憾」を表明するという異例の決議であり、メディア各社も大きくとりあげた。新聞各紙の見出しを見てみよう(いずれもウェブ版・2021/07/22-23)。

世界遺産委、日本に改善要求決議 軍艦島の展示めぐり」(朝日新聞)

軍艦島の『説明不十分』、ユネスコ世界遺産委が決議採択…朝鮮半島出身労働者巡り」 (読売新聞)

『軍艦島』の戦時徴用の歴史、日本側の説明『不十分』ユネスコ」(毎日新聞)

軍艦島巡り『強い遺憾』採択 世界遺産委」(日本経済新聞)

 見ての通り、どの記事も例外なく「軍艦島」(端島)の名をあげて決議を報じている。ユネスコの決議は「明治日本の産業革命遺産」とその情報発信を行っている産業遺産情報センターに対するものである。「明治日本の産業革命遺産」23ヶ所の構成資産の1つに過ぎない「軍艦島」を、メディアがことさら強調するのには理由があるが、まず何が問題となっているのか、ことの経緯を整理しておこう。


2015年 世界遺産委員会での日本政府の声明

 2015年ドイツのボンで第39回ユネスコ世界遺産委員会が開催された。この時「明治日本の産業革命遺産」の審議に際し韓国政府から、日本が登録しようとしているいくつかのサイトでは朝鮮半島出身者が強制動員され、死亡者も出ていると異議申し立てがあり、審議は紛糾した。最終的に、日本政府が次のような声明を発表することで、韓国側も賛同し、登録に至った。

・「『各サイトの歴史全体について理解できる戦略とすること』との勧告に対し、真摯に対応する」

・「日本は、1940年代にいくつかのサイトにおいて、その意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいたこと、また、第二次世界大戦中に日本政府としても徴用政策を実施していたことについて理解できるような措置を講じる」

・「日本は、インフォメーションセンターの設置など、犠牲者を記憶にとどめるために適切 な措置を説明戦略に盛り込む

 (外務省websiteより・下線は引用者による)

総務省ビル1階に開設されている産業遺産情報センター。
1日最大15人しか見学できない(2021年4月筆者見学時)
 この時に表明したインフォメーションセンターの具現化が、新宿区総務省のビル内に開設された産業遺産情報センター(以下、情報センター)である。情報センターは、加藤康子氏を専務理事とする一般財団法人・産業遺産国民会議が、調査研究と運営を日本政府より受託しており、2020年6月15日より一般公開された。しかし情報センターが公開されると、ただちに国内外から厳しい批判の声があがった。韓国は外交部報道官声明で「ユネスコ世界遺産委員会の勧告と日本政府が約束した措置が全く履行されていない」「センターの展示内容のどこにも犠牲者を追悼するための努力が見受けられず懸念と失望を禁じ得ない」(聯合ニュース2020.6.15)と指摘した。筆者もコリアネットに拙文を寄稿させてもらった(2020年7月1日発行 西坂だより98号「何の、誰のための『産業遺産情報センター』なのか」参照)。しかしその後改善が全く見られないまま1年が経過し、今回のユネスコ関係者による情報センターの視察、そして最初に述べた世界遺産委員会での「強い遺憾」を表明する決議採択となったわけである。


情報センターの展示内容

 情報センターは、3つのゾーンにより構成されている。ゾーン1は導入部、ゾーン2はメインとなる展示で、「幕末から明治にかけてわずか半世紀で産業国家へと成長してゆくプロセス」(情報センターwebsiteより)が示されている。このゾーン2の展示にも多くの問題がある(例えば吉田松陰を『工学教育の必要を説いた』とし、松下村塾を産業革命遺産に加えるなどは牽強付会も甚だしい)が、最も批判が集中したのはゾーン3である。

「ゾーン3」の展示
産業遺産情報センター公式ウェブサイトより

ゾーン3は「資料室」となっているが、実質的に「端島コーナー」と言うべき内容で、壁一面に十数名の端島元島民の写真が大きく引き伸ばされ、展示されている。ここは、2015年の世界遺産委員会で日本政府が発した声明を履行するための場とも言えるのだが、しかしそれは強制労働などの苦難を示し、犠牲者を悼むものでは全くない。逆に、端島元島民の口を借りて、強制動員や強制労働を否定し、端島が家族的な一体感あふれる「炭坑コミュニティ」で、朝鮮人や中国人に対する差別や虐待はなかったとしているのである。端島を前面に押し出しつつ、「明治日本の産業革命遺産」全体における強制動員や強制労働を否定するデザインとしていると言うこともできる。


朝鮮半島出身者「等」の意味するもの

 ここでもう一度、2015年の世界遺産委員会での日本政府の発言を再確認しておこう。「1940年代にいくつかのサイトにおいて、その意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいた」ことを「理解できるような措置を講じる」と日本政府は約束した。ここで「朝鮮半島出身者」ではなく、「朝鮮半島出身者等」(Koreans and others)と発言していることは極めて重要である。「others」は、この文脈では中国人及び連合軍捕虜を指すとしか解釈できない。つまり朝鮮半島出身の労働者ばかりでなく、「厳しい環境の下で働かされた」中国人や連合軍捕虜の存在を日本は認めているし、彼らに関しても「理解できる措置を講じる」ことを、日本は国際会議の場で約束をしたことになるのである。

 情報センターのゾーン3では、「法令ならびに行政文書」や「政府ならびに関係団体、企業の文書・記録」「証言」等を収集・展示することが当該websiteに明記されており、事実、朝鮮人の「徴用」関連の法令等の展示は(1939年からの『募集』を含めていないなど極めて不十分ではあるが)一応、示されている。

 さて、それでは「明治日本の産業革命遺産」のうち、高島・端島など5ヶ所のサイト関連に4,187人が連行され、労働を強いられた中国人に関してはどうだろうか。1942年11月東條内閣による閣議決定、1944年2月次官会議決定などの公文書は、中国人の連行を日本政府が主導した事実を示す史料として欠かせない。加えて、敗戦後に政府の指示により、中国人を使役していた企業が作成した「事業場報告書」には、連行された中国人全員(端島であれば204人)の、名前や公傷病・死亡等の状況が記載され、更にはこれを元に作成された「外務省報告書」も存在する。朝鮮人労働者のケースと比較して、連行や労働現場の状況に関する公的な、あるいは企業関連の資料は豊富であると言えるだろう。ところが、これら基本資料と言えるものすら一切、情報センターでは示されていない。「明治日本の産業革命遺産」のサイト全体で、合計5,100人以上が強制労働に就かされたと推定される連合軍捕虜関連の資料の提示も皆無である。

 繰り返しになるが、日本政府はユネスコ世界遺産委員会から「各サイトの歴史全体について理解」できるような説明を、との勧告を受け、「真摯に対応する」ことを表明した。情報センターは、朝鮮人労働者はもちろんのこと、中国人や連合軍捕虜(『others』)に関する説明責任も負わされている。にもかかわらず現実には、情報センターのすべての展示から、中国人や連合軍捕虜の強制労働の記述どころか、彼らの存在そのものを、恣意的に、きれいに消し去っているのである。


「証言」の扱いの恣意性

 情報センターの、こうした資料選択の恣意性が最もよく現われているのが、「証言」に関してだろう。ゾーン3内では文字化した証言のパネル展示と、ブースでの証言映像の視聴という、二通りの提示がなされており、いずれも端島関係者のものである。

 証言の収集と記録化は、文書記録として残されていない歴史の空白を埋めるものとして尊重されるべきであり、筆者もオーラル・ヒストリーの重要性を認めることにやぶさかでない。しかし、この情報センターでの証言の扱いには、以下のような問題がある。

 まず、端島での労働体験を語る証言者として採用されているのはすべて日本人であり、朝鮮人や中国人のものは一つもない。韓国からの異議申し立てに応える形で、情報センターが開設された経緯を考えれば、朝鮮人労働者の証言が採用されてしかるべきだが、全くないのである。日本政府より調査研究を受託した、加藤康子氏・産業遺産国民会議にその意思があれば、韓国へ渡り、生存者から証言を直接聞くこともできたし、あるいは韓国内の調査研究機関を通じての調査も可能であった。しかし実際には、そのような強制動員被害者の声を聞くための調査活動は、行われなかった。

 

端島の体験を語る中国人・李慶雲氏(岡資料館の展示)
次に、採用された証言のほぼすべてが、強制労働や虐待、差別などを否定するという意図をもって切り取られ、用いられている。端島(だけではないが)へ連行され強制労働に就かされた朝鮮人や中国人の証言は、これまで多数の記録が残されているが、情報センターは、そうした記録の一部を端島元島民に示し、彼らの反論・否定・疑義の声を「証言」として採用しているのである。

 例えば、岡資料館でもコーナーを設け展示している徐正雨氏は、14歳で端島へ連行されており、当時のことを1983年に現地の端島で証言している。

「徐正雨さんの生涯」コーナー(岡資料館の展示より)

その徐氏の証言の一部、「掘削場となると、うつぶせで掘るしかない狭さで」との発言を取り上げ、「寝てこうするっていうとこはない。しゃがんでするというとこがおかしい」「ほとんどがもう12尺とか8尺とか、尺が高いからね」と端島元島民が反論する。暴力を受けた、あるいは仲間がひどい暴力にさらされるのを見た、という証言は数多いが、これに対しても「虐待だとか、強制労働だとか、そういう話は聞かないです」「集団でリンチしたりなんかすることはなかったやろうと思う」「そういう話を聞いたことがないですね」と、否定する、という具合である。

 このように、情報センターの展示や映像に接するものは、朝鮮人や中国人の証言を、端島元島民によって常に否定・反論されるネガティブな、疑わしいものとして認識させられることになる。

 つまり、2015年のユネスコ世界遺産委員会で、韓国から朝鮮半島出身者が過酷な強制労働に就かされたではないか、と指摘され、日本政府はインフォメーションセンターを設置してそうした情報を伝える、と約束した。しかし実際には情報センターでは、端島元島民の口を借りて「韓国の主張するような実態はなかった」と主張しているのである。

 言うまでもないことだが、虐待や差別を見たことがない、という証言をいくら示したとしても「虐待・差別はなかった」ことにはもちろんならない。現実には虐待・差別に関する証言は日本人のものも含め存在する。戦時下の強制動員や強制労働、それに伴う非人道的な扱いに関しては、既に学問的な知見の蓄積がある。それらを無視し、ある人物が強制労働を「見ていない」ことを根拠として、強制労働は「なかった」と主張しようとするのは、学問ではなくお粗末な印象操作と言うよりほかはない。


詐欺に等しい証言の恣意的提示

 証言の恣意的選択と、それに基づく印象操作の手法は、情報センターを運営する産業遺産国民会議にも見うけられる。たとえば産業遺産国民会議websiteのリンク先に、「『軍艦島に耳を澄ませば』を検証する」という映像がある。既述の手法と同じく、まず朝鮮人・中国人労働者の証言の一部が画面に示され、それを端島元島民が否定・批判するという構成だが、その「証言11 賃金について」では、中国人の李之昌氏の次のような証言が文字表示される。


「端島を離れることが決まって、三菱は中国人に帰国費を支給すると言ってくれたのが小切手だった。一枚の白紙の上にいくつかの文字が書かれていたが、私のは800元余りの小切手だったと思う」

 

端島へ連行された李之昌さんの証言表示。
これに続く文章は示されない。
『「軍艦島に耳を澄ませば」を 検証する』より
ここで論じる紙幅の余裕はないが、中国人の強制連行は、「契約労働者」の形式を取り繕っているものの、実態として中国人は「拉致等され」(長崎地裁判決文)たのであり、その本質は人身売買に等しく、「賃金」は少なくとも長崎の場合、全く支払われていない。しかし「『軍艦島に耳を澄ませば』を検証する」の映像で、この李之昌氏の証言に接した人は、賃金はともあれ、中国人に対して三菱は帰国費など金銭を支払っているではないか、と思うだろう。ところが、この証言には、映像ではカットされた、以下のような続きがあるのである。

「通訳は『あなたたちはもうそろそろ帰国するので金をあげるが、ここでは使えない。だから,小切手を天津に銀行があるから、そこで換金するように』といった。みんな早く帰りたい一心で言われるままに、小切手を貰う書類に拇印を押した覚えがある。天津の日本租界の銀行で換金できるとのことであった。その銀行を探したが、すでに撤収していて、金は受け取れなかった。」(『軍艦島に耳を澄ませば』社会評論社・2016年 ゴシックは引用者) 
 

 同じ三菱経営の高島炭鉱へ連行された中国人・李如生氏も同趣旨の証言をしており、これは三菱による意図的な詐欺行為の可能性があるが、それはさておき、この李之昌氏の証言の結論は「金は受け取れなかった」である。「どんな名目でも、お金は1銭も貰っていない」とも彼は述べている。この結論部分を隠し、「800元余りの小切手」が支給されたことのみを切り取り提示するのは、恣意性を通り越してまさに詐欺に等しく、欺罔と批判されて然るべきではないか。このようなことを平然と行って恥じない、産業遺産国民会議の加藤専務理事が、情報センターの長に就任しているのである。


「解釈は個々に委ねるべき」?

 以上のように、情報センター及びその運営に当っている産業遺産国民会議の実態を見れば、ユネスコ世界遺産委員会が「強い遺憾」を表明したのは理の当然と言うべきだろう。しかし世界遺産委員会の決議が示されると、加藤康子情報センター長は、産業遺産国民会議のサイトにただちにコメントを掲載し、同決議への不満を表明している。その中で加藤氏は「六年間、端島元島民と共に、戦時中の炭鉱の記憶、戦禍のなかで増産体制を支えた職場と暮らしの記憶を集めてきました。(中略)戦禍の中で事業現場を支えてこられた皆さんの声を収録し、現在のセンターの展示にいたっております」と、2015年の日本政府の声明は、あたかも端島に関してのみの発言であったように述べている。

 もちろんこれは事実誤認、というより事実の歪曲であり、問題となっているのは端島のみならず、複数のサイトにおける朝鮮人・中国人・連合軍捕虜(Koreans and others)の強制動員や強制労働であるのは言うまでもない。加藤氏は「軍艦島」を焦点化することで、日韓二国間の歴史認識の対立と、問題を矮小化したいのだろう。日本の多くのメディアも、そうした加藤氏や日本政府の思惑に、結果として乗せられてしまっているように思える(冒頭、世界遺産委員会の決議を報じた新聞各社がみな『軍艦島』を見出しに用いていたことを想起されたい)。

 「情報センターの役割は正確な一次史料を提供することであり、解釈は個々の研究者に委ねるべきです」とも加藤氏は述べ、これはセンター開所時に「一次史料や当時を知る証言を重視した。判断は見学者の解釈に任せたい」と語った(産経新聞website 2020.3.30)ことと共通である。「解釈・判断は見る者に委ねるべき」というようなことが言い得るのは、対立する両論が公平に提示された場合のみであろう。情報センターのように、朝鮮人・中国人労働者の証言は一切展示しないという恣意的な資料選択をし、見る者を一定の方向へ誘導しておきながら、「解釈は見る者に委ねる」とは欺瞞も甚だしく、度し難い無責任さである。

 ゾーン3には端島元島民証言として「またぞろ慰安婦と同じように金を出して、こういう無様なことを神聖な端島炭坑がですね、金まみれで汚されるような解決であってはいかんな、と。」という言葉がパネル化されている。元「慰安婦」女性たちに対する侮辱であり、強制労働の事実を示すよう求める人々を金銭目当てのように貶める発言が、堂々と国の情報発信施設に展示されているのである。証言を提示しただけ、解釈は見る者に委ねる、ですませられることだろうか。


お粗末な歴史否定を嗤う

 ユネスコ憲章前文は、先の戦争の原因を、世界の諸人民間の疑惑と不信、無知と偏見に見いだし、永続する平和を「人類の知的及び精神的連帯」の上に築くことをうたっている。世界遺産の登録や保全、公開もこのユネスコの精神に基づくべきだが、現状の情報センターは「疑惑と不信」「偏見」を募らせるものでしかない。「明治日本の産業革命遺産」を、短期間で産業化を成し遂げた日本の成功物語で終わらせず、その過程で自国民のみならず、近隣諸国や対戦国の民衆に、過酷な労働と犠牲を強いた場でもあったという負の歴史を、直視し提示すべきである。端島や高島での過酷な体験を切々と語ってくれた徐正雨さん、李慶雲さん、連双印さんらの証言は、岡資料館にも展示されている。彼らの存在を「なかった」ことにしようとする産業遺産国民会議や情報センターの策動は、断じて認めることはできないが、学問的な検証に耐え得ないあまりにもお粗末な彼らの「歴史否定」は、怒るよりもむしろ嗤うべきものなのかもしれない。


必要なのは植民地支配や侵略の過ちを認める事

 日本政府はユネスコ世界遺産委員会の決議を謙虚に受け止め、情報センターの抜本的な改革をすみやかに行う必要がある。まずは産業遺産国民会議への業務委託を解消し、展示のための新たな組織を作り、歴史学者や近隣諸国の研究者も交え、「明治日本の産業革命遺産」の歴史全体を示すプランを再検討すべきだろう。

 出口が見えない、と言われる日韓関係だが、「出口」は最初からはっきりしていると思う。日本側がそれを見ようとしていないだけで、つまり過去に日本が行った「植民地支配や侵略戦争の過ちを認めること」がそれである。「明治日本の産業革命遺産」の決定的な誤りは、栄光の大日本帝国の歴史に固執し、帝国主義国家としての過誤を隠蔽もしくは否定している点、とも言えるのではないか。日本政府が過去に真摯に向き合い、端島を含む「明治日本の産業革命遺産」が、関係諸国との対立ではなく、和解の場となり、真に人類共通の普遍的価値を有するものとなることを心より望む。

(しんかいともひろ)

★★★

このブログの新海さんの記事

新海智広「『軍艦島』の強制労働の歴史を消した日本政府」&乗松聡子「英語表記は『植民地とすることなく』?)(『週刊金曜日』2018年11月9日)


新海さんのその他の記事



基本ガイド

ガイドブック『明治日本の産業革命遺産と強制労働』(強制動員真相究明ネットワーク・民族問題研究所)ダウンロードはここをクリック

「徴用工問題」Q&Aリーフレット ダウンロードはこちらをクリック

強制動員関連の講演、署名運動

2021年11月7日 オンライン講演(無料)の案内

Wednesday, October 13, 2021

吉澤文寿さんをむかえて オンライン講演会「徴用工問題はなぜ "解決済み"ではないのか 5つのポイント」11月7日午前11時から 5 Reasons Why the Forced Labour Issue is Not "Resolved" : Webinar on November 7 (11 AM, Japan Time)

★11月8日追記:イベントは265人の登録、176人の参加を得て、活発な議論が交わされ大成功でした。「わかりやすかった」「周りの人に話していきたい」「署名をもっと集めたい」など、参加者からたくさんの声が届いています。以下がYouTube動画です。署名は11月末まで集めます。どうぞ拡散をお願いします。

★11月10日追記:吉澤さんの講演レジュメへのリンクは、ここです。(転載不可)


11月7日(日)午前11時から オンライン講演会および署名報告会を行います。


「徴用工問題はなぜ"解決ずみ"ではないのか 5つのポイント」

講師:吉澤文寿(新潟国際情報大学国際学部教員)


今年、元「徴用工」への日本企業の賠償を命じた2018年の韓国大法院判決から3年が経ちます。この間、日本政府やメディアは「韓国が国際法違反をしている」「1965年の日韓請求権協定でこの問題は”解決済みである”」「対策を取るべきは韓国である」という言説を繰り返してきました。私たち「徴用工問題を考える市民の会」はこの1月に、「徴用工問題は”解決済み”ではありません。今こそ被害者の人権と尊厳の回復を求めます。」という署名を Change.org で立ち上げました。戦後日韓関係の専門家であり、この署名の呼びかけ人の一人でもある吉澤文寿さんにいま一度、この問題についてわかりやすい解説をお願いしました。ふるってご参加ください。

主催:徴用工問題を考える市民の会

協力:Peace Philosophy Centre / 在日差別をなくす会

参加無料です。登録はこちらでお願いします。

https://us02web.zoom.us/webinar/register/WN_JpdOhqUtQMis_lJE4q5x-Q


まだの方は署名もお願いします!⇒ https://chng.it/GWRdGTpR

Sunday, October 03, 2021

「社会運動の中の性暴力 被害者を孤立させるな」! 『琉球新報』10月3日掲載 by 乗松聡子 Sexual Violence Within Social Movements: Let's Stand With the Victims! -- A Ryukyu Shimpo Column by Satoko Oka Norimatsu

10月10日追記:「広河隆一氏とデイズジャパン経営陣の人権侵害を忘れない会」ブログにも記事をアップしました。

沖縄の運動で起きたセクシュアル・ハラスメントの報道https://donotforgetvictims.blogspot.com/2021/10/blog-post.html

『琉球新報』に不定期連載しているコラム「乗松聡子の眼」10月3日の記事を、許可を得てテキスト転載します。

このコラムが言及している元の報道(9月28日付)は以下です。(転載許可を得て下の方に貼り付けてあります。ご覧ください ↓↓↓)

1)性的被害、社会運動でも…寝室侵入された女性「ほとんどが泣き寝入り」

2)社会運動でのセクハラ、意識改革に必要なのは?(村上尚子弁護士)

3)もうひとつ、「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」共同代表の高里鈴代氏が、「セクハラを『こんなの普通』と見過ごすことも加害を容認していることになる」「ようやくセクハラと指摘できる社会になってきた。いろんな運動体が、被害に遭った女性がちゃんと言えるような環境をつくっていかないといけない」とコメントしている記事が紙面にあります(下方に貼り付けました)。

以下、乗松のコラム転載です。(文中のリンクは乗松が転載にあたって追加したものです)

琉球新報 デジタル版
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1401845.html


社会運動の中の性暴力 被害者を孤立させるな

乗松聡子

9月28日の本紙社会面に「性的被害 社会運動でも」という見出しで、沖縄の社会運動の中で起こっている性差別や性暴力という人権侵害に焦点を当てた記事が出た。

「#MeToo」運動は2017年10月、米国の大物映画プロデューサーのハーベイ・ワインスタイン氏が自分の権力を使って多くの女優に性暴力を行ってきたことを「ニューヨーク・タイムズ」がスクープしたことがきっかけに拡大した。

米国の#MeTooの火付け役が米国を代表する新聞だったことに比べ、概して日本の新聞は性暴力報道に及び腰で、被害者は週刊誌に頼らざるを得ないように見えた。「人権派」フォトジャーナリストの広河隆一氏の長年にわたる性暴力を最初に報じたのも、「週刊文春」だった。

そのような状況において、沖縄の米軍基地への抵抗運動を支えてきた新聞社である「琉球新報」が敢えて運動の中の性暴力・セクハラを報じたことは画期的なことであった。私はこれまで、運動の中にいる人たちからはいろいろな話を聞いたことがあるが、沖縄のメディアが取り上げることは今までなかったと思う。

人権を重んじ差別に反対する「社会運動」でセクハラや性暴力が起きるのは、これらの世界でもいまだに圧倒的な男性支配の構造が続いているからである。ジェンダーギャップが国際的にも最悪レベルと言われる日本では、保革を問わず性差別がまん延しており、社会運動だけに真空状態が存在するはずもないのだ。自分を含む、運動の中にいる女性たちは身を持って知っている。

昨年9月ツイッターに登場した「すべての馬鹿げた革命に抗して」というアカウントは、社会運動に参加したことのある女性たち53人にアンケートを行い、うち9割以上が運動内でセクハラを体験・目撃している。そこには、「反権力」「平和」「人権」を謳う者たちがいかに自らの権力を利用して女性を踏みにじってきたかの生々しい実例が多数報告されている。

社会運動で起こるセクハラや性暴力の被害者が声を上げようとすると、「運動を割る」「権力側を利する」といった理由で隠蔽圧力がかかる。女性なら味方してくれるかというと、そうとも限らない。性差別を内面化した女性が加害者を庇ったり、「それぐらい我慢して当然だ」と言ったりするときがある。それで被害者はますます孤立感を味わう。

本紙の記事で証言した被害者・体験者はそのような圧力に負けずに声を上げた女性たちだ。もちろん活字になるケースは「氷山の一角」である。彼女らは、同じことを繰り返させないとの一心で、思い出したくもない体験を何度も再現するのに、加害者側は「知らない」「覚えていない」の一言で一蹴してしまえる。彼女らは、何も悪いことをしていないのに、加害者と顔を突き合わす可能性がある運動にもう戻ることすらできない。

これらの不条理の中で、被害者の言葉を受け取る者たちの責務は、彼女らを孤立させないことだ。いま、運動の中ではハラスメント学習会が開催され、いろいろな「気づき」が起こっているということも聞いている。本紙の記事をきっかけにこのような動きが広まることを願っている。(「アジア太平洋ジャーナル・ジャパンフォーカス」エディター)

(10月3日「乗松聡子の眼」転載 以上)

★元記事3つの転載許可を取りましたので下方に貼り付けます。これらの記事イメージは琉球新報社の許可で転載しています。無断でここから取り出して使用することは禁じられています。使用希望の場合は琉球新報社に申請してください。この投稿のリンクの拡散をぜひお願いします。また、このような重要な報道をする琉球新報社を応援してください。購読の申し込みはここからできます


以下、2021年9月28日「琉球新報」社会面より。

琉球新報社提供


琉球新報社提供

琉球新報社提供







Monday, September 06, 2021

浦島悦子作・なかちしずか絵『ジュゴンの帰る海』Picture Book "Dugongs Return to the Sea" by Urashima Etsuko (text) and Nakachi Shizuka (picture)

 


沖縄・名護市の作家、浦島悦子さん作、同じく名護市の画家、なかちしずかさん絵による絵本『ジュゴンの帰る海 ヤンバルの海から命のメッセージ』(ハモニカブックス)を紹介したい。辺野古の海を壊し、地域を分断し、県民のマジョリティが反対している軍事基地建設を強行しているその現場には私も一年半以上行けていないし、コロナで人が減っていると思う。そんな中でこの本が出たことは大変重要だ。

主人公のマカトは、生まれてまもなく両親がパラオに出稼ぎに行き、祖父母に育てられていた。おじい、おばあに守られ、海にもぐり、ザン(ジュゴン)と触れ合い、父母を待ちながら暮らしていたが、沖縄は戦火に包まれ・・・「ザンはニライカナイの神さまのおつかい」。家族を失い、ときは経ち、マカトはあのザンと再会することになる。基地建設で餌場を奪われ、変わり果てた環境の中で。


「ザンの生きる海を埋め立ててはいけない!」

その声が日本じゅう、世界じゅうにひろがっていきます。

日本もアメリカもザンには勝てません。

(絵本より)

 名護市東海岸に住むジュゴンは基地建設が進むにつれて姿を見せなくなってしまったという。浦島さんは「あとがき」で、「私たちが『野生の力』を信じ、やるべきこと、やってはいけないことを守っていけば、この地にジュゴンたちが戻ってくる日も遠くはないでしょう」と訴える。「やってはいけないこと」は基地を造ることであり、「やるべきこと」は基地を止めることと思う。選挙が近づいている。基地を止めることができる政権を選ばなければいけない。

ジュゴンの帰る海』はここからいろいろな書店サイトで注文できるようだ。読者にとって、マカトと一緒に海に潜り、ザンの肌に触れることができるようなこの本を、一人でも多くの人に手にとって欲しい。

乗松聡子


Monday, August 30, 2021

講演録「わたしの目で見た朝鮮 -日本の植民地主義を問う-」(20年11月23日、群馬で)DPRK seen with my eyes - Questioning Japanese colonialism (Nov 23, 2020 in Gunma)

 2020年11月23日 金曰成・金正日主義研究群馬連絡会に招かれ群馬教育会館で行った講演の記録が『金日成・金正日主義研究』176号(2021年1月)に掲載されました。これを許可を得てここに転載します。ちょうど、『ちょっと北朝鮮まで言ってくるけん』というドキュメンタリー映画が封切りされたようなのでいいタイミングとなりました。昨年以来のドラマ『愛の不時着』のヒットによっても朝鮮民主主義人民共和国への関心が高まっているように思えます。この半年後にはコロナで旅行ができなくなったことを考えると、貴重な体験をできたと思います。北米でも日本でも、友人に朝鮮に行ってきたと言うと目を丸くして関心を示されることが多いので、ここで旅行記を誰にでも読めるようにシェアします。今はコロナで無理ですが、ほとんどの日本の人が知らない(私も知らなかった)ことは、日本からの観光旅行が可能ということです。私はJSツアーズという会社を通して行きました。ガイドさんによると日本人観光客で20回以上のリピーターもいるとか。中外旅行社という会社もあります。コロナが収束して旅行が解禁されたらぜひ行ってみてください。


わたしの目で見た朝鮮

-日本の植民地主義を問う-


ピース・フィロソフィー・センター代表 乗松聡子


 本日は3連休の最中で、行楽日和であるにもかかわらず、わたしの講演を聞きに来てくださいましてありがとうございます。

 今回、金日成・金正日主義研究群馬連絡会主催の集まりでの講演を依頼されたとき、驚きました。チュチェ思想を研究しているみなさんに、わたしが話をすることなどないのではないかとも思いました。しかし、逆にわたしは25年間海外にいる日本人として、日本の植民地主義に直面させられるような体験をしたり、植民地主義をなくしていこうとしたり、さまざまな活動をしてきましたので、わたしが何を経験し、どのような活動をしてきたのか、また2019年はじめて朝鮮民主主義人民共和国を訪れることができたときの体験などをふくめて、お伝えできたらよいと思いました。

 本日は、前半はわたしが朝鮮を訪問するまでにたどった道のりや最近考えていることなどについて、後半は朝鮮を訪問したとき、どのような思いを抱きながら過ごしたか、帰ってきた後どのような体験をしたのかということなどをお話させていただきたいと思います。


1、訪朝にいたるまでの歩み


日本のヘイトを危惧する


 まず、わたしは25年ほど海外にいたと申しました。日本に帰国して滞在する期間が今回、2か月になります。こんなに長く日本にいるのは、25年ぶりになります。わたしはカナダのバンクーバーに住んでいますが、日本の報道はつねにバンクーバーから見ています。わたしはかれこれ50数年生きていますが、日本がいまのようにヘイト(憎むこと、憎悪)に満ちた状態にあるというのは、生まれてこのかた、なかったのではないかと思います。少なくともわたしの記憶にはありません。日本がヘイトに満ちていることについて、わたしはたいへん危惧しています。とりわけ、いわゆる「ネトウヨ」(ネット右翼)によるヘイトはインターネットが普及してからたくさんあると思いますが、公的機関によるヘイトが、急激にふえてきたというのを感じています。

 朝鮮高校の無償化除外の差別、またコロナ禍における主に大学生などへの対応として、学びの継続のための「学生支援緊急給付金制度」からも朝鮮大学校は排除されています。他にも群馬では、県立公園・群馬の森にある朝鮮人強制連行犠牲者追悼碑の設置許可を県が更新しなかったのは違法だとして不許可処分の取り消しなどを求めている訴訟がおきており、わたし自身も関心をもっています。

 かつての植民地支配を全般的に否定する傾向が、公的であれ民間であれ、幅広いかたちであらわれていると思います。1923年の関東大震災直後の朝鮮人虐殺は、群馬でもあったと聞いていますが、朝鮮人虐殺の事実を否定したり、無視したりする風潮があります。東京都でおこなわれている、関東大震災の際に虐殺された朝鮮人犠牲者の追悼式典に小池百合子都知事が追悼文をおくることを拒否する状態がつづいています。歴代の都知事は追悼文をおくっていました。右翼的な石原慎太郎都知事ですら追悼文をおくっていたのです。小池都知事は、東京都の式典で犠牲者をみな追悼しているという趣旨のことを言い、地震災害の犠牲者と虐殺された朝鮮人を同列視しており、結局朝鮮人虐殺はなかったものとする意図があるでしょう。

 朝鮮人の強制徴用、強制動員の否定、歪曲の一つとして、東京都新宿区にある総務省別館の敷地内にできた「産業遺産情報センター」の展示があります。2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」という名で23か所がユネスコの世界遺産として登録され、その世界遺産が産業遺産情報センターで紹介されています。

コロナ禍のためにいま完全予約制になっています。わたしは10月と11月、2回行きました。2015年、世界遺産登録に際して日本政府は「1940年代にいくつかのサイトにおいて,その意思に反して連れて来られ,厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいたこと」が理解できるような措置を講じると約束していましたが、この展示館はその約束を果たさないどころか、逆に強制動員歴史を否定、歪曲するとんでもない場所でした。

 展示のなかに長崎県にある端島(通称、軍艦島)が紹介されています。軍艦島は石炭が海底炭鉱で採掘され朝鮮人、中国人が強制労働させられたところで数々の被害者の証言がでています。ところが産業遺産情報センターでは、元島民というガイドたちが、「日本人も朝鮮人も仲良くやっていた」、「朝鮮人に対する差別も虐待もなかった」、というような、被害者の証言を真っ向から否定するような紹介がなされているのです。

産業遺産情報センターは政府の予算でまかなわれている政府の機関です。2015年の産業革命遺産のユネスコ登録は産業遺産の民間研究者であった加藤康子氏を中心にすすめられました。2015〜2019年、安倍政権のときに内閣官房参与を務めた加藤氏が運営している財団が政府から仕事をもらい、展示しているのです。産業遺産情報センターに行ったとき、元島民のガイドは、「韓国が嘘をついている」、「韓国が約束を破った」などと言い、韓国の人のことを「連中は」といった表現で非難していました。広報を担当するガイドがこのような暴言を吐くのです。これも公によるヘイトの一つではないかと思います。


NHK「ひろしまタイムライン」問題


 さらにNHK「ひろしまタイムライン」問題というのがあります。NHK広島放送局が戦後、原爆投下75周年という節目に、当時の住民にSNS(ツイッター)が可能であったならどのようなツイートをしたかという企画をたてたのです。いまもまだお元気な当時の広島市民の日記などをもとにして広島にゆかりのある人がツイートする趣向でおこなわれました。つぎつぎにツイートされるなかで、問題化したツイート文というのは、つぎのようなものでした。

 「朝鮮人だ!!大阪駅で戦勝国となった朝鮮人の群衆が、列車に乗り込んでくる!」

 「『俺たちは戦勝国民だ!敗戦国は出て行け!』圧倒的な威力と迫力。怒鳴りながら超満員の列車の窓という窓を叩き割っていく そして、なんと座っていた先客を放り出し、割れた窓から仲間の全員がなだれ込んできた!」

 そのようなツイートにたいして、多くの在日朝鮮人を傷つけるものであり、差別やヘイトを助長しているという批判の声があがりました。在日本朝鮮人総聯合会や在日本大韓民国民団が人権救済の申し立てという法的行動をとっているにもかかわらず、いまだに開き直ったかのようにNHK広島はツイート内容を削除していません。それどころかツイッターからわざわざホームページに「移設」するという確信犯的なことを行ったのです。わたしは10月に広島へ行ってシンポジウムをおこない、NHK広島にたいして直訴しましたが、反省し、削除しようという動きさえまったくないという状態がつづいています。NHKは日本を代表する公共放送であり、これも公によるヘイトの一つだと思います。

 こうして見ていくと、わたしは「戦後75周年」と銘打って、日本中でテレビ番組や展示会、書籍や雑誌といった出版物の発行など、いろいろありましたが、決定的に欠如しているのは、日本の近現代の正しい歴史認識です。とりわけ大日本帝国の歴史が何であったのかということは、ほとんどの人が興味もない、わかっていない、わかろうともしないという状況です。戦争の記憶というと、自分たちの街に空襲があり被害がでた、広島、長崎に原爆が投下され、おびただしい被害があった、食べ物がなくてたいへんだった、家族が兵隊にとられた、シベリアに抑留された、というようなことなのです。もちろんたいへんなことだったと思いますが、70年以上におよぶ大日本帝国の植民地支配と侵略戦争の歴史をまったく語らずして、その末期の日本の人たちが被害をうけた部分だけを戦争の記憶だというならば正しい認識とはいえないでしょう。いま安倍政権、菅政権というたいへん右翼的な政権が公のヘイトを主動しています。右翼的な政権が主動しておこなうヘイトに、人々の歴史認識が影響をうけ、引きずられてしまっているといえます。朝鮮にたいする差別が助長されてしまっているのです。戦後わたしたちが教育やメディアのなかで、隣国の人たちを蔑み、憎しみ、支配下におき差別するというような影響をうけ、またわたしたちの親や祖父母の世代の差別意識のようなものを無意識のうちにうけとっており、それを克服してこられなかった戦後の日本人が、少なからずいるのではないかと、自分自身をふくめて思っています。

 そのような問題意識をわたしは何十年もかけてもつようになりました。同世代で同じような問題意識をもつ人は少なくて、わたしは圧倒的な少数派だと思っています。


わたしの活動の原点


 わたしの原点は、40年近く前、高校生のときカナダに留学して、そのときにいろいろ気づかされたことにあります。まだ17、18歳でしたが、カナダの西海岸にあるビクトリアというところで留学生活をおくりました。学校にはカナダ人だけではなくて200人ほど世界中から学生が来ていました。そこでわたしは日本の歴史の授業で大事なことを何も学んでこなかったということに気づかされました。わたしは日本人だから広島、長崎の体験を伝えなくてはならないという感覚を当時はもっていました。ルームメイトや付きあった男子学生、仲良くしていた友人がインドネシアやフィリピン、シンガポール、中国出身の人たちでした。この友人たちは自分たちの国で日本軍がいかにひどいことをしたかということを学んでおり、わたしに教えてくれました。

 そのときわたしは大きなショックをうけ、しばらくは信じられないような気持でした。アジアのなかまに教えられたことは、いまにしてみれば、幸運なことだと思っています。カナダはいわゆる欧米に属するのでしょう、白人が主流の社会で、英語がまったくできなくてつらい思いをたくさんしていたので、そのときにアジアのなかまたちからたいへん助けられました。カナダに留学した高校の2年間は、自分の人格形成に決定的な影響をおよぼしたと思っています。

1984年、カナダのピアソン・カレッジで
(左下が筆者)

 いまでも、日本人としての誇りをどう思いますか、あるいは愛国心についてどう思いますか、などと聞かれることがありますが、わたしはどちらかというと自分のアイデンティティは日本人であるよりもまえに、アジア人であるという感覚をもっています。これは高校生のときだけではなくて、25年間カナダに住み、アジア系のカナダ人がたくさんいるところで暮らしてきて、やはりアジア人同士の助けあいはたいへんありがたいと思って生活していることもあるからでしょう。だからこそ同じ日系の人たちが、たとえば日本軍「慰安婦」の記憶をのこすために少女像を建てよう、あるいは南京大虐殺の記憶をのこすために記念日を設けようという動きがあったときに、同じ地域に住んでいる日本人や日系人が躍起になって反対したりするのを目の当りにするとたいへん悲しい気持ちになりました。その反対する背後には日本の保守派や日本政府が存在しているわけですが、海外にいる日本人や日系人も日本政府の影響でたいへん右傾化してきています。そのような状況があり、わたしもかなり孤立してしまったりするというような体験をしています。

 わたしがいまのように社会的な活動をしはじめたのは、21世紀にはいってからのことです。2004年にバンクーバーで「9条の会」をつくるという動きがあり、それに加わりました。当時、日本でも9条の会があり、加藤周一氏、小田実氏、井上ひさし氏などが名をつらねていましたが、多くの方が亡くなってしまいました。澤地久枝氏や大江健三郎氏などはまだ生きておられます。当時、小泉政権下で、日本が「普通の国」になって、イラク戦争への参加の是非を問うような議論がおこっていたときで、憲法9条がないがしろにされるのではないかという危機感が強まっていたときでした。当時バンクーバーという日本国外で9条の会を結成するというのはたいへんめずらしい動きだったのです。その後2006年に「世界平和フォーラム」という会議がバンクーバーで開催され、日本の9条の会や被爆者の方、原水協(原水爆禁止日本協議会)、原水禁(原水爆禁止日本国民会議)の人たちなどがたくさん参加しました。彼らのなかにはカナダにも9条の会があると知って驚いた方も多く、バンクーバー9条の会は影響力を少しもてたのではないかと思っています。

 バンクーバー9条の会の活動として、8月になったら広島と長崎の記憶をするための原爆展をおこなったり、みんなで折り鶴を折って飾り、平和を祈願したりするというような活動をしました。

2009年、日米学生の広島・長崎の旅
(前列右から3人目が筆者)

 さらにわたしは日米の学生の広島、長崎への学習旅行に15年ほどかかわっています。アメリカン大学と日本の大学の学生が広島、長崎に行って歴史をいっしょに学ぶというプログラムです。アメリカン大学というのはワシントンDCにある大学で、日本の大学は立命館大学、2018年以降は明治学院大学です。今年はコロナ禍により旅行が中止になりました。わたしは主に講師や通訳として旅に参加しています。2011年、「はだしのゲン」の作者の中沢啓治さんの通訳をつとめました。中沢さんは翌年の2012年に亡くなられてしまいました。


日本は加害者である


 しかし活動しながらも、何かがちがう、何かが足りないというのを自分のなかで感じはじめました。高校生のときの体験は前述しました。これまで、たとえば日本国憲法の9条がすばらしい、9条を世界に広めようというような活動をしてきましたが、そんななかで「沖縄」と出会ったのです。

 そこで沖縄の人たちから、日本国憲法9条は貴重だというけれども、そこにはたくさんの欺瞞がある、沖縄に多くの米軍基地をおしこめて、日本の「本土」の人たちは偽りの平和を享受しているだけだと教えられ、わたしは沖縄の現実に直面させられるようになったのです。日本には沖縄にたいする責任があり、これも日本の植民地支配、侵略戦争の結果問われた責任だと思いますが、日本の責任をしっかりと考えていかなければならない、憲法9条だけを主張しても、たいへん偽善的なのだと考えるようになりました。

 広島、長崎の旅をつづけてきて、だんだん気づいてきたのです。「唯一の被爆国」と言う人は多いですが、日本人の被害ばかりを強調するのはおかしいのではないかと、考えるようになりました。

 広島は「国際平和都市」と宣伝しており、広島の平和記念資料館に行くと被爆の被害はたくさん展示されています。しかし、そもそも広島というのは大日本帝国の侵略戦争の一大拠点だったのです。日清戦争、義和団の乱鎮圧(1900〜1901年)、日露戦争などにしても、朝鮮の植民地支配、日中戦争、にしても、さらに太平洋戦争にしても、広島が重要な役割を果たしていたのです。たとえばマレーシアで華人を多数虐殺した部隊というのは広島の部隊です。広島には侵略の拠点としての歴史があるのですが、「平和」を象徴する広島の資料館には加害の資料はほとんど展示されていません。広島の被害について、たいへんエモーショナルに(感情に訴えるように)展示するのは良いのです。しかし、たとえば中国への侵略戦争のことは日中戦争が「勃発した」というように、ただ「起こった」と淡々と述べているだけです。被爆者の10人に1人か、それ以上が朝鮮人であると言われています。被爆者の中に朝鮮人が「いた」ということは言っても、植民地支配のゆえに日本に来た、または連行された末に被爆させられた人たちだということ、朝鮮人被爆が日本の植民地支配の一環として生じたということをまったく論じていないわけです。

 広島と長崎は平和の拠点と言いながら、現在も日米同盟の大軍事拠点であり、アメリカが対中国の戦争準備が進んでおり、日本がそれに加担している一大戦争拠点でもあるのです。しかし広島、長崎が昔も今も侵略拠点であるという部分がまったく人々の認識から欠落していることを感じます。

 こうした問題に気づくのに残念ながら少し時間がかかりました。

 朝鮮人原爆被害者について言うなら、1945年8月の時点で広島市に約9万人、長崎市が約7万人の朝鮮人がいて、広島では約5万人が被爆、そのうち約3万人が亡くなったとされ、長崎では約2万人が被爆、そのうち約1万人の方が亡くなったと言われています。予想の域をはるかにこえた被害がでているわけです。

 広島には韓国人の原爆犠牲者のための慰霊碑があり、毎年8月5日に追悼式がおこなわれています。

長崎では、8月9日の長崎市の式典の前に早朝集会というかたちで、「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」が主催して追悼集会がおこなわれています。長崎には「岡まさはる記念長崎平和資料館」があり、そこでは主に日本の加害の歴史を展示しています。この資料館の関係者もこの早朝集会を支えてきました。早朝集会は日本の市民による植民地支配の反省、謝罪の意味も込めておこなっており、朝鮮の南北にかかわらず朝鮮人被爆の犠牲者を追悼しています。

わたしたちの旅のグループは、朝鮮人被爆や日本の加害をしっかり記憶するように、たとえば広島では毒ガス工場があった大久野島も訪問したりしています。岡まさはる記念長崎平和資料館にもかならず行くようにしています。

2013年にアメリカの映画監督であるオリバー・ストーン監督が来日し広島、長崎を案内したときに、オリバー監督は岡まさはる記念長崎平和資料館も参観しました。オリバー監督は広島、長崎、東京、沖縄を訪問しましたが、岡まさはる記念長崎平和資料館を「アトロシティミュージアム(atrocity museum)」、いわゆる「虐殺資料館」と呼んでいました。彼は岡まさはる記念長崎平和資料館をたいへん気に入って、その後あちこちで講演するたびに、日本では小さいがすごい資料館がある、長崎だけではなくて東京にあるべきだとずっと言っていました。

2013年8月、岡まさはる記念長崎
平和資料館を見学するオリバー・ストーン監督

残念ながら東京には加害をしっかり展示する資料館は「アクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館」(WAM)ぐらいしかなく、逆に産業遺産資料センターのような過去の歴史を否定するひどい施設が増えてしまっているような気がします。これからわたしもがんばって東京において加害の歴史を記憶することができるようにしていかなければならないと思っています。

今年、画期的だったことは、長崎における早朝集会に、朝鮮民主主義人民共和国の被爆者団体、朝鮮原爆被害者協会からはじめてメッセージが届けられ披露されたことです。メッセージの全文は、ピース・フィロソフィー・センターのウェブサイトに転載しています。朝鮮総聯長崎県本部委員長のキムジョンデ氏がメッセージを読みました。メッセージはたいへん本質をつく内容でした。「日本政府は日本の原爆被害者とは違い、朝鮮人原爆被害者には何の保護、補償も無視されたまま今日に至ってます。これは全く民族的差別によるもの」と断言しました。また朝鮮人被爆者差別は、「日本帝国主義に依るアジア侵略戦争の結果、投下された原爆として、その被害の後遺症で苦しみ、一生精神的肉体的苦痛の中で生きてきた、原爆被害者に対する許す事の出来ない冒とくであり、2重、3重の人権蹂躙犯罪」であると指摘しています。原爆被害者問題は、「日本帝国主義の朝鮮侵略と強占、軍事的支配が生みだした産物」であるということです。

このような朝鮮人被爆の本質をわたしたち日本人は見落としがちなのではないかと思います。外国人の被爆者、朝鮮人の被爆者もいたという程度の認識でとどまってしまい、なぜ多くの朝鮮人が日本にいたのか、植民地支配で連行されたうえに、原爆の被害をうけ、被爆者として戦後も差別されつづけて二重三重の被害をうけたということなのです。長崎で被爆した朝鮮人被爆者の有名な言葉がのこされています。「原爆の火をもっても差別を焼き尽くすことはできなかった」という言葉です。この言葉を聞いたときに大きな衝撃をうけ、いまでも心のなかにのこっています。


2、わたしが見た朝鮮〜心のこもった得難い経験と感動した日々


アメリカを真正面から批判できる国


前述したような問題意識をもって、昨年はじめて朝鮮を訪問することができました。

わたしが朝鮮を訪問したのは2019年8月12日から17日でした。北京空港経由で行ったのですが、本当にわたしはすごくシンプルなことに感動してしまいました。北京空港に高麗航空のカウンターがあり、電光掲示板に高麗航空の何便、平壌行きと、表示されていることだけでものすごく感動したことを覚えています。わたしと沖縄出身の弁護士、2人の在日朝鮮人姉妹の4人の女性でいっしょに朝鮮を訪問しました。わたしたち4人は“女子会”とでもいうように元気いっぱいという感じで訪朝しました。飛行機のなかで朝鮮の『労働新聞』が配られ、わたしと沖縄のなかまは朝鮮語が読めないため、在日朝鮮人の2人に翻訳してもらいました。内容を見せてもらったら、わたしは本当に胸のすくような正しいことを言っているように思いました。たとえば、日本が韓国にたいして経済制裁と称して、半導体の材料など3品目にたいする禁輸をおこなったあとに、さらに貿易においても、いわゆる「ホワイト国外し」をしたと報じていました。日本政府が輸出先として信頼する「ホワイト国」から韓国を除外すると日本政府は決定したのです。日本政府の対応は昨年の8月2日だったので、訪朝したときにちょうどニュースにでてくる時期でした。この日(8月12日)の労働新聞には、「反日機運を逆上させた2次経済制裁」とあります。

他には香港問題への介入を禁止すべきという記事やベネズエラにたいするアメリカの制裁を非難する記事が掲載されていました。いわゆるアメリカが敵国と名指ししている国、たとえばシリア、ベネズエラ、中国、ロシアなどについては、日本やカナダをふくむ西側のメディアは、たいへん悪く書きます。ですから朝鮮の『労働新聞』を読むと、西側の偏向報道が是正されるような気がしました。わたしは沖縄の米軍基地を批判する活動をしてきたことから、朝鮮の『労働新聞』はまさしく基地帝国、軍事帝国としてのアメリカというのを真正面から批判できる媒体なのだと思っています。

平壌空港に到着するとガイドさんがつきました。どのような人数のグループが行っても2人のガイドさんと1人の運転手さんがつくというルールがあるようでした。わたしと沖縄の友人は、観光客という立場で朝鮮を訪問しました。最初は4人全員がすべていっしょに行動するものと思っていたら、在日朝鮮人の2人は祖国訪問というあつかいなので、別の部署が担当し、別の指導員がついて、車も別でした。宿泊するホテルはいっしょで、あちこちの参観がいっしょのときはよかったのですが、別行動のときは少し悲しい気持ちになりました。

朝鮮に到着したときに、ガイドさんに「朝鮮」というのは「鮮やかな朝の国」だと言われて、とても印象にのこりました。

最初に訪問したところは、大聖百貨店というたいへん豪華なデパートでした。ブランド品などもたくさんあって、ソニーのパソコンや大型液晶テレビ、高級感のある朝鮮の洋服など、いろいろな売り場に案内されました。

その後レストランへ食事に連れて行ってくれました。食事にはビールが1杯ついて、1杯目は無料で、2杯目からは1杯5米ドル(約500円)ということでした。朝鮮のお金で500円といえば、かなり高いという感覚でしょう。日本的な感覚だと、居酒屋でビール1本500円は高いというほどではなでしょう、もちろん、日本にはもっと安い店もあると思います。ビールというのはだいたい1杯飲むともう1杯飲みたくなってしまうもので、わたしはついつい2杯目をたのんでしまいました。

わたしたちの泊まったホテルは平壌ホテルというところです。高麗ホテルなどは、外国人がよく泊まる高級ホテルですが、わたしたちは、海外同胞がよく泊まるホテルだということで平壌ホテルに案内されました。今回、わたしたちは在日朝鮮人のなかまといっしょだったことから、朝鮮の同胞がよく宿泊するホテルになったと理解しています。ホテルには、全国から在日の人たちが来ているようで、たいへん興味深い出会いもありました。

平壌外国語大学日本語学科を卒業した通訳も兼ねたガイドさんが2人ついてくれました。1人はベテランの女性で、1人は若い男性でした。彼の話では、いま日本語だけではあまり仕事にならないという現状もあり、英語も中国語も堪能でした。朝鮮から一歩も外にでたことがないのに、3か国語を使いこなしているので、語学エリートといえるでしょう。

高級マンションが建ち並ぶ黎明通りを見学しました。

2019年8月、平壌の黎明通り

朝鮮に入国したときに、注意事項のようなかたちで説明をうけました。ルールというほどのものはそれほどないけれども、軍人の写真は撮ってはいけない、ただし観光ガイドをしている軍人は撮ってもよいということでした。そして金日成主席と金正日総書記の銅像や肖像は敬意をもって正面から全体を撮るようにしてくださいとのことでした。他にはとくにルールのようなものは聞きませんでした。そのような説明をうけていたので、注意を要する対象を撮るときは緊張しました。

チュチェ思想塔も参観しました。塔にのぼると展望台は平壌が見渡せるたいへん眺めのよいところでした。ここに参観してはじめてチュチェ思想研究会という団体があることを知り、恥ずかしい思いをしました。塔の下には、世界のチュチェ思想研究組織のプレートが壁に並べられていました。大阪や群馬の研究会から寄贈されているプレートもあり、日本にもチュチェ思想を研究している人たちがいることを知って驚きました。

大洞江をはさんで周辺を行き来しました。平壌の眺めの美しさはいまも忘れられません。

もう一つ知らなくて恥ずかしい思いをしたのは、朝鮮には平和自動車という国産の自動車製造会社があるということです。その製造工場の前を通過しました。

右:わたしと沖縄の友人はこの平和自動車で案内された。
下:チュチェ思想塔参観後、車に戻る一行

わたしたちが乗った車も2人の在日朝鮮人が乗った車も平和自動車で製造されたものでした。

冷麺で有名な玉流館にも行きました。2018年9月、朝鮮民主主義人民共和国と大韓民国の首脳会談のときに、金正恩委員長と文在寅大統領も玉流館で冷麺を食べたということです。

8月15日をはさんで訪朝したことから、朝鮮で迎えた8月15日は少し格別な感慨がありました。8月15日はもちろん日本は敗戦の日ですが、朝鮮では解放の日と呼ばれ、韓国では光復の日と呼ばれています。


祖国解放戦争勝利記念館


わたしたちは祖国解放戦争勝利記念館を参観しました。

朝鮮人民が呼ぶ祖国解放戦争というのは、日本の植民地支配からの解放を指すのではなくて、日本で言われる“朝鮮戦争(1950~1953年)”を指しています。わたしたちが訪れたときには女性の団体が見学に来ていました。韓国にある朝鮮戦争の記念館を見学したことがあります。両国の記念館は敷地内に兵器などが展示されており、ある意味で似ています。しかし韓国の戦争記念館は、国連軍、米軍、韓国軍の兵器が誇らしげに展示されていますが、朝鮮の記念館は米軍から鹵獲した兵器など、いわゆる戦利品が誇らしく展示されていました。韓国と朝鮮の展示品のちがいが印象にのこりました。

順路にそって歩いていると、ハングルで書かれたスローガンがあり、同行した在日のなかまに翻訳してもらうと、“米帝侵略者たちを消滅させよ“という勇ましいスローガンでした。

わたしが祖国解放戦争勝利記念館でうけとめたキーメッセージというのは、ガイドさんも言っていたのですが、金日成主席は日米2つの帝国主義を倒した英雄であるということです。2つの帝国主義を倒したというのは朝鮮革命における金日成主席の業績として高く評価されています。日本人のなかには2つの帝国主義と聞いて理解できない人がいるかもしれませんが、これは当然ながら日本帝国主義とアメリカ帝国主義なのです。朝鮮の博物館は巨大で、とても短時間で見ることのできないほど、量的にも膨大です。

他にも日帝の残虐行為や米帝の残虐行為を展示している「階級教養館」があるという説明をうけ、次回は是非行ってみようと思っています。

2019年8月、マスゲーム観覧席にて、旅のなかまと(右端が筆者)
(写真上はマスゲームがおこなわれるメーデースタジアム)

マスゲーム「人民の国」を見ることができました。このマスゲームは解放後の歴史をつづったものです。朝鮮のマスゲームはたいへん有名で人気があり、他の国ではまず見ることができないでしょう。10万、20万の人たちが出演し創造する一つの総合芸術ともいえる舞台でありショーだといえます。2時間ほどたっぷり楽しませてくれました。マスゲームは外貨収入を得る貴重な手段となっているようでした。たくさんの観光客が来ており、朝鮮の観光客の8割ほどは中国人で、他の2割はヨーロッパの人が多いと聞きました。わたしたちが行ったときも、ベルギーの親子連れやイタリアから来ている団体、ドイツから一人旅で来ている人などがいました。ドイツから1人で来ている人にも2人のガイドと1人の運転手さんがつくようでした。旅行客にたいしてできるかぎりの接待をする姿勢はすごいなと思いました。

8月14日、祖国解放記念日の前日に、万寿台の丘にある金日成主席と金正日総書記の大きな銅像を参観しました。そこを訪れる人たちが後をたたないほど、大勢参観に来ていました。

朝鮮革命博物館で、ガイドさんと
銅像のすぐそばに朝鮮革命博物館があります。金日成主席や金正日総書記がどのように朝鮮革命をなしとげたのかが展示されています。朝鮮革命博物館も巨大な建物で10ぐらいのセクションがあり、わたしたちは抗日革命闘争時期のセクションしか参観できませんでした。館内の写真は撮ることができませんでしたが、日帝、米帝とたたかった朝鮮の歴史を学びました。ここでもっとも印象にのこったのは、植民地支配が40年あまりにおよんだという考え方でした。韓国では日本帝国主義の植民地支配の期間を1910年の「韓国併合」とも言われる強制併合の年から1945年までの36年と表現されることが多いのです。朝鮮では40年と言っていたことがたいへん印象にのこっています。40年というのは、1905年の日韓保護条約、第2次日韓協約とも乙巳条約とも呼ばれていますが、外交権を剥奪され、日本の統監政治が施行された年で、事実上執権を奪われた年を起点として40年と数えていると思いました。


平壌市内をはじめ各地を参観


fe6日間の朝鮮滞在のうち、2日間は地方に行きました。1日は龍岡温泉という温泉保養地で、もう1日は板門店に行きました。

その保養地に行く途中は農村地帯がひろがっていて、写真を撮ってよいのかどうかわからなかったのですが、普通の人々の様子を撮りたかったので撮ってしまいました。トウモロコシ畑がとても多いと聞きました。面積あたりの収穫量がトウモロコシは他の作物に比べて多いそうです。

龍岡温泉は高級温泉地として知られているところで、連れて行ってもらったのですが、停電が多かったのです。平壌で停電を経験することはなかったのですが、この温泉地ではしょっちゅう停電していました。部屋に温泉の風呂があり、電力がないとお湯がだせないしくみになっていました。着いた日に温泉にはいろうと思ったら停電になってしまい、結局、はいらないままに疲れて寝てしまいました。翌日、起床してお湯をだそうと思ったら、また停電していてだせませんでした。温泉地に行ったのですが、結局温泉に1回もはいれなくて終わってしまいました。電気が不足し、停電がちというのも西側の制裁と無関係ではないと思いました。他の国で停電があったら怒ったりするかもしれませんが、高級な温泉地に連れてきてもらっただけで感謝すべきで、停電で文句を言ったりしてはいけないと思って我慢したことを覚えています。

わたしたちは、朝鮮の名物にもなっているハマグリのガソリン焼きを他の観光客と同様に楽しみました。ガイドさんと運転手さんは日頃はときちんとしたスーツを着てオフィシャルな感じでしたが、この日だけはラフな格好でいっしょにハマグリ焼きを食べました。運転手さんは手慣れたものでした。ハマグリのガソリン焼きがいつごろからはじまったのかは諸説あるようですが、運転手さんがガソリンを利用できる職務であることから、外国の観光客をもてなす運転手さんがガソリンをつかってハマグリを焼いたことからはじまったという説があるようです。日本の場合は、運転免許はオートマティック車でゴーカート場のような場所で練習して取れてしまいます。しかし、朝鮮では車を運転できるだけではなくて、きちんと車を修理し、整備できる技能がないと運転免許が取れないので、運転免許はたいへん高度な免許であると聞きました。大洞江ビールやソジュという朝鮮の焼酎といっしょに、ハマグリを食べるのがハマグリのガソリン焼きの一つのスタイルになっているようです。

8月14日、解放記念日の前日、龍岡温泉から平壌に帰る途中で、女性たちがきれいな服を着て踊っていました。解放の日をお祝いして踊っていると聞きました。

スーパーマーケットにも立ち寄りました。スーパーマーケットでも解放記念日セールと銘打って営業しており、そこで買い物をさせてもらいました。

基本的には現地のお金を観光客は使わないようになっています。スーパーマーケットで買い物をするときは、そこに設置された両替所でガイドさんが中国元や米ドル、日本円を現地のお金に交換してくれて買い物ができるという仕組みになっていました。現地のスーパーマーケットで買い物をしたところ驚くほど安い値段でした。観光客用のレストランでは1杯500円のビールを飲んでいましたが、スーパーマーケットだと500円だせば、ソジュやお菓子、ラーメンなどたくさん買えてしまって、こんなにたくさん買えてよいのかととまどうほど安かったことを覚えています。

平壌では地下鉄にも乗りました。平壌の人たちの雰囲気やファッションなどは地方との格差がかなりあると教わりました。みなさんとても背筋が伸びており、女性はボディコンシャス(女性の身体のラインをそのまま、あるいは強調する意)というのでしょうか、きちっとしたタイトスカートをはき、ハイヒールを履いて闊歩するというようなイメージでした。よくテレビでみる金正恩委員長の妹である金与正さんの格好が平壌のスタンダードになっており、平壌にいたときには金与正さんのような髪型や服装の女性がたくさん歩いていたという印象をうけました。

地下鉄では、旧式の車両と新式の車両があったのですが、ガイドさんにしたがって新式の車両に乗りました。その車両は比較的混んでいました。わたしたちは座らなければならないような年齢でもありませんが、中学生ほどの少年たちが、サッと立って席をゆずってくれました。たいへん礼儀の正しい、きちんと教育をされている印象で、うちの子たちとはずいぶんちがうと実感させられました。

後で朝鮮の人に聞いたら、外国のお客様を国として精一杯もてなすように教育されていると言われました。わたしは日本人で、顔をみただけでは外国人とはみえないと思い、ガイドさんに、わたしは外国人に見えますかと聞いたら、朝鮮の女性でそんな髪の毛の色にしている人はいませんと言われました。

凱旋門にも立ち寄りました。日本帝国主義の植民地支配から解放され、金日成主席が祖国に凱旋し朝鮮人民の前に姿をみせ、挨拶をした場所が凱旋門の前にある金日成競技場だという説明をうけました。

金正恩委員長が指導して建設された大規模なプール施設、「紋繍遊泳場」にも訪れました。日本でもこんなに大きなプール施設は見たことがありません。施設のなかにはビールを飲めるバーもあれば美容院もあります。美容院には数種類の髪型が表示されており、好きな髪型を選ぶことができるようになっています。男性の髪型で一番人気があるのは何だと思うかと聞かれて、皆目見当がつかないでいると、金正恩委員長と似た髪型がいま一番人気があるとのことでした。

朝鮮で有名な大洞江ビールを飲める場所に行きました。平壌にいくつかあるようです。1番から7番の種類の異なるビールを選んで飲むことができます。わたしが飲んだのは1番と2番、7番だったと思います。普通のラガービール、そしてコメからできたビールはさっぱりしてすごくおいしいものでした。さらにいわゆる黒ビールは、ギネスビールに比べて味がさっぱりしており飲みやすいものでした。まだ暑い時期だったので、すごくおいしくありがたくいただきました。しかし、値段は外国人向けの料金で、たしか1杯500~600円程度だったように思います。

また板門店にも行きました。板門店は観光客で混雑していて、わたしたちは小グループだったことから、大型観光バスで乗りつけたグループに先を越されるとあちこちで混むからと、だいぶせかされたことを覚えています。

板門店への道中には休憩所があり、トイレや売店があるサービスエリアでしたが、中国やヨーロッパの観光客で混雑していました。

朝鮮戦争停戦協定交渉の場にも訪れました。たくさん観光客が訪れていたために、なかまと2人だけで写真を撮ることができなくて、たくさんの観光客といっしょに写真を撮りました。

板門店の停戦会議場を見学

トランプ大統領や金正恩委員長、文在寅大統領などが会合をおこなった場所も参観しました。金正恩委員長と文在寅大統領、金正恩委員長とトランプ大統領が、たがいに肩を並べ握手し、談笑しながら境界線をまたいだ、世界に配信された写真はこの近辺で撮られたものです。板門店は分断の象徴であり、北側から見た様子と南側からみた様子はちがっているようです。北側からも南側からも板門店に行ったことのある人の話を聞くと、南側のほうが警備が厳しく、緊張していて怖いということでした。北側のほうはわりとリラックスしていて、怖いという印象はありません。軍人が案内するのですが、観光ガイドに徹していて、いっしょに写真を撮ってくれたりするのです。その日は、韓国人の研修グループが軍事境界線の向こう側に見えました。軍人のガイドさんの話では、韓国側の見学者がこんなに間近に見えることはまずないと言っていました。めずらしいことだったようです。わたしは観光気分だったせいもあり、思わず向こう側に手をふってしまい、さすがにやめるように言われてしまいました。南北はいまも戦争状態(停戦状態)なので、手をふるまでしてはいけなかったことでした。

板門店をでると、近くに開城があります。開城は高麗王朝の古都だったのでいろいろな史跡をみました。驚いたのは、いろいろな場所がユネスコの世界遺産の指定をうけているということでした。日本や他の国だったら参観に際して入場料をとり、お土産の店が軒を並べていたりして、観光化されていると思いますが、開城の史跡群は資本主義的な金儲け主義とは無縁でした。誰でも参観できるようになっており、1000年以上も前の史跡がお土産の店は一つもなく閑静なたたずまいだったのですごく印象にのこりました。閑静なたたずまいの史跡でも、手をつないで参観に向かう微笑ましいカップルをみかけたのでシャッターチャンスを逃しませんでした。

都として開城が栄えた時代の両班のご馳走をランチで食べさせてもらいました。参鶏湯を注文して、たいへんおいしくいただきました。

朝鮮三大名滝の一つといわれている朴淵の滝も訪れました。暑かったので身体をいくらかでも浸すことができ、とても気持ちのよい時間を過ごしました。

最後の晩は、あひるのバーベキューをみんなで食べ、楽しいひと時をすごしました。


ガイドさんとの交流


若いガイドさんが、朝鮮の歴史や政治的立場をいろいろ解説してくれました。彼の歴史観や政治にたいする見解はたいへん興味深く、たくさんのことを学ばせてもらいました。びっくりするような発言もありましたが、日本人が考えたこともないような視点を提供してくれるので、たいへんよかったと思います。

日本人は朝鮮の統一について、朝鮮は独裁政権であり、民主主義国ではないというような見解をもって、統一するなら朝鮮が韓国のようになると漠然とイメージしている人が多いと思います。ドイツは西ドイツが東ドイツを吸収合併するようなケースだったわけです。彼が強調していたのは、ドイツのような統一のモデルを考えているとしたら大間違いだ、統一して一方の体制になるというのは、イコール戦争という意味だからだ、と言っていました。西ドイツが東ドイツを吸収合併したようなやり方では合意できないし、戦争を再開することになるという意味だと理解しました。彼の言った「イコール戦争」という表現にとても驚きました。

朝鮮半島の分断にたいする日本の責任という意味では、もちろん日本の植民地支配があります。ガイドさんは、当時38度線以南に駐留していた日本軍が、わざとアメリカに降伏して朝鮮の真の独立を阻んだという表現をしていました。

わたしは広島と長崎に行き平和問題に深くかかわってきたことから、原爆のことも聞いてみました。ガイドさんは、「アメリカは原爆を投下する必要はなかった」と言いました。日本でもアメリカでも日本の降伏の第一の要因をソ連の対日参戦ととらえる歴史家はいますが、彼もそのような考えだったと思います。

そのうえで、彼は日本の侵略戦争が「あと1か月つづいていれば朝鮮半島は分断されなかった」と言っていました。戦争が長引けば朝鮮の分断はなかったというのは、たいへん興味深い発言だったと思います。戦争があと1か月つづいていれば、ソ連の影響下で、朝鮮半島の分断なき真の朝鮮の独立が実現していたはずだという意味だったと思います。

ガイドさんは南朝鮮にはいまも核兵器が1000発あると言っていました。本当かどうかは、わかりませんが、核兵器の存在が嘘だとも言いきれません。実際韓国と日本の米軍基地に本当に核兵器がないかどうかなど調べようもないのです。いずれにせよ、日本と南朝鮮は、アメリカという核兵器大国の傘下にあるので、核兵器が物理的にあろうとなかろうと、朝鮮の人にとっては南朝鮮も日本も核保有国に等しいのだと思います。

沖縄にも冷戦期には核兵器が1300発も中国にむかって配備されていまいた。沖縄が日本に復帰する前に、アメリカは核兵器を沖縄から撤去したということになっていますが、第三者が検証したわけではありません。沖縄のかなりの人は、まだ核兵器は沖縄にあるのではないかと疑っていますし、検証することもできません。各国の米軍基地もIAEA(国際原子力機関)が査察でもしないかぎり、核兵器が存在するかしないかはわからないのです。南朝鮮に核兵器が1000発あるという言葉は、核にたいする脅威をあらわす言葉だったのではないかと思います。

朝鮮滞在の最後のほうで、ガイドさんはわたしに、「一つの民族が分断されているのは世界でも朝鮮だけです」とポツリと言いました。わたしはガイドさんの言葉を聞いて、重いものを背負わされたような気持ちをもちました。

わたしは、高校生のときからいろいろな体験をしながら学んだこと、日本人として植民地支配と侵略戦争について学んだことを反省するというような気持ちでずっと活動をしています。

朝鮮民主主義人民共和国にたいしては、西側世界でものすごく悪魔化しており、朝鮮と言えば「核、拉致、ミサイル」というように、日本人は自動的に敵視政策にそった考えをするようになってしまっています。日本人が朝鮮にたいして否定的イメージをもっているのは、メディアが連日のように悪口ばかり書いている結果だと思います。朝鮮にたいする偏見をまずは克服しなければならないと思いました。朝鮮の1人の人とでも心と心を通わせるような交流ができれば、かけがえのないものになると思います。わたしたちが交流できた朝鮮の人たちというのは、もちろん限定的であり、政府の管理下で観光客に朝鮮を正しく伝えるように案内しなさいと指導されているガイドさんたちです。それでも、わたしたちの接した3人のガイドさんは、本当に心をこめた案内をしてくださったと感じました。


朝鮮と交流を深め正しく理解する


最後に空港でわかれるときは本当に涙がでました。ガイドさんたちに、これから朝鮮のことをよろしくお願いしますと頼まれてしまいました。何をお願いされたのか、そこまで聞くことはしませんでしたが、ガイドさんらの思いはわたしに伝わりました。朝鮮のことが世界にもっと正しく理解されるように、偏見がなくなるようにお願いします、ということだったとわたしは理解しています。

ガイドさんと重い話もしたし、すごく楽しい旅でもあったのですが、最後の最後にたいへんなことがおきました。訪朝した4人は無事に帰国の途に就きました。北京経由で、わたしは羽田空港から、沖縄の友人は那覇空港から、在日朝鮮人の2人は上海経由で福岡空港から日本に入国しました。

ところが在日朝鮮人の2人は、福岡空港でほとんどのお土産を没収されました。これは日本独自の制裁の一環なわけです。日本政府は法的根拠として「外国為替及び外国貿易法に基づく北朝鮮に係る対応措置について」という閣議決定に基づいているようですが。経産省のホームページでは、「北朝鮮を原産地又は船積地域とする全ての貨物について、経済産業大臣の輸入承認義務を課すことにより、輸入を禁止します(関係条文:外為法第52条)」とあります。在日朝鮮人の友人は、10品目までお土産を持って帰ってよいと言われたようです。それでもほとんどのお土産を没収されてしまった在日朝鮮人の2人は、福岡空港での理不尽な措置にたいして何時間にもわたって抗議したということです。さらに税関の職員から、みずから手放すことが書かれた「任意放棄書」という文書に品名、数量等を記入させられ、署名までさせられたのです。自分は手放したくもないのに、何をどう手放すのかというのを全部強制的に書かされたのです。せっかくの祖国訪問で楽しい思いをした2人にとっては、本当に屈辱的なことであり、最後にすごく悔しい結果になってしまったのです。

税関の職員は、別に在日朝鮮人だから差別しているわけではなく、誰にでも同じ適用をしていると話したようですが、わたしと沖縄の友人はまったくフリーパスだったのです。わたしたち2人も朝鮮から帰ったということがわかれば、荷物を開けられて、調べられて、とられていたでしょう。し、朝鮮は出入国するときパスポートにスタンプは押さないのですが、中国の出入国記録として2回入国が連続することから、税関職員が中国の入国から再入国の期間、どこにいたのかとつっこめばつっこむことができるのです。しかし中国から帰国する日本人のパスポートをくまなく全部調べることまでしないのでしょう。結局わたしや沖縄の友人はフリーパスでお土産も全部もって帰ることができました。

いまにして思えば在日の友人のお土産をすべてわたしたちが引き受けてもって帰ればよかったのかもしれませんが、そこまでは思いがいたりませんでした。没収されたという話を聞いたので、わたしのお土産はとっておいて、今年のはじめに在日の友人2人と会って、いっしょに朝鮮のお土産パ-ティーをホテルで開きました。

朝鮮を訪問する日本人のなかにはひどい人がいるようです。わざわざ朝鮮に行っているのに、朝鮮革命博物館の日帝時代におこなわれた残虐行為が展示されているのをみて、“日本の悪口ばかり書いてある、けしからん”などと言ったり、ガイドさんの説明の途中で帰ったり、怒りだしたりする人がいるようです。その点、わたしや沖縄の友人は、わりとめずらしい日本人として朝鮮の人たちはうけとめていたようです。

わたしは以前から、人と人とのつながりは大事にしなければいけないと思うようになりました。

日本は韓国との交流はしても、朝鮮との交流はしない、朝鮮を無視するという傾向が顕著です。日本軍「慰安婦」の問題、徴用工問題について、日本は韓国にたいして一方的に無視するようなことはできませんが、朝鮮にたいしてはその種の問題がないかのようにふるまっています。植民地支配による被害というのは南も北もないわけですから、本来は同等にあつかうべきです。日本と朝鮮とのあいだに生じた拉致問題というのは、もちろん大事な問題ですが、それ以上に40年の植民地支配の中で及ぼした甚大な加害に向き合うことは大事だといえます。日朝平壌宣言においても「不幸な過去の清算」について強調されていますが、この点が多くの日本人の意識から欠落していると思います。日朝国交正常化においては、植民地支配の清算問題、現在の在日朝鮮人の地位に関する問題に誠実に取り組むことが大切です。そのためにはまず、朝鮮学校無償化除外という差別政策をやめるべきです。

当初の問題意識にもどりますが、韓国であれ朝鮮であれ、わたしたち日本人一人ひとりが朝鮮植民地支配の被害者の立場にたって過去清算の問題を解決し、さらに朝鮮戦争を終結させることが大事だと思います。そのためにここ数年間、金正恩委員長、文在寅大統領、トランプ大統領がいろいろな試みをしてきたわけですが、わたしはアメリカがバイデン政権になっても、展望が明るくないと実は感じています。

朝鮮半島の非核化の流れを止めずに、米国および属国による朝鮮への敵視政策を終わらせて、朝鮮戦争を終結させ、東アジアの平和に一歩でも近づくことができることを願ってやみません。

(2020年11月23日)




Monday, July 26, 2021

岡まさはる記念長崎平和資料館会報より転載「李鶴来(イハンネ)さんの死去のニュースを聞いて」(園田尚弘)

東京オリンピックの演出を担当していた人が、過去にナチスによるホロコーストの歴史をネタにしていたということが発覚してオリンピック開幕直前に解任されたということを聞いて、私は当然だと思いながらも、複雑な感情を持たざるを得なかった。第2次世界大戦中のユダヤ民族を標的にしたジェノサイドを否定することはこれだけ「あり得ないこと」との世界的認識がある中で、かたやホスト国日本は政府が率先して大日本帝国が植民地支配下に置いた朝鮮半島の人々を大量に強制動員したり性奴隷にしたりした歴史を否定したり矮小化したりして、真摯な補償も謝罪も拒んでいるのである。現政権には南京大虐殺を否定する者もうじゃうじゃいる。ホロコースト揶揄で即刻関係者がクビになるのだったら、そもそも国を挙げて大日本帝国の数々の大虐殺行為の歴史を否定する日本が開催国になる資格があったのだろうか?

3月28日、BC戦犯として裁かれ、日本政府に救済と名誉回復を求めていた李鶴来(イ・ハンネ)さんが96歳で亡くなった。植民地支配の下で加害者にならざるを得なかった元朝鮮人軍属は、最後まで正義を見ずに亡くなったのである。7月1日発行の岡まさはる記念長崎平和資料館会報『西坂だより』102号の巻頭言として、同資料館理事の園田尚弘さんが寄稿した文を許可を得てここに転載します。


巻頭言


李鶴来(イハンネ)さんの死去のニュースを聞いて

             

岡まさはる長崎平和資料館理事  園田尚弘


 2021年3月28日、BC級戦犯として裁かれた李鶴来さんが東京で亡くなった。96才であった。


理不尽を絵に描いたような問題

 岡まさはる長崎平和資料館二階の戦後補償のコーナーに、目立たないけれども、小さな説明版がある。それは朝鮮人元BC級戦犯についてのもの。アジア太平洋戦争中、捕虜監視をさせられた朝鮮人軍属が、BC級戦犯として1956年までも服役し、戦争に多大の責任があるA級戦犯容疑者たちが1948年末には釈放されたこと、戦後補償のなかでもあまりにひどい日本人と朝鮮人との差別を日本政府が放置していることを指摘したプレートである。この問題は理不尽を絵に描いたような問題である。

 釈放後、援護措置を求めて長く政府に要請を続けてきた鶴来さんたち朝鮮人元BC級戦犯は、問題の解決をはかるべく、1991年、日本政府に謝罪と補償を求める訴訟を起こした。

強制的な徴用であったこと、二年間の契約であったにもかかわらず、契約が守られなかったこと、日本人戦犯との差別処遇などを根拠に政府を訴えた。

 地裁、高裁、最高裁と訴えは退けられたが、裁判所は、立法措置によって訴えを実現するように付言した。付言にしたがって、鶴来さんたちは国会での立法を求めて長い間運動を続けたのである。その間に、ともに訴訟と運動を続けてきた仲間の原告たちは死に絶え、鶴来さんは最後の生き残りであった。このひとの死によって運動の当事者は死に絶えることになる。李さんは「有罪になった朝鮮人戦犯148人の唯一の生き残り」でもあった、という。(『世界』、2021年7月号による)

 長年にわたる運動の経過のなかで鶴来さんたちはさまざまの困難、苦悩を味合わされたが、近年になって鶴来さんが訴えていることはしぼられていた。

 「私が言いたいことは一つだけ。同じ戦犯でありながら、日本人の場合は戦犯として恩給や援護等の処遇をし、われわれ朝鮮人の場合は、日本国籍ではない、と、謝罪も何もしようとしない、ここが一番不満なところです。」(『世界』2020,9月号)

 この言葉は、長い間、日本政府に謝罪と補償を要求してきた運動のプロセスのなかで、当初よりは引き下げられた要求であろうが、味わった理不尽さを端的に表現している。同じように戦犯でありながら、日本人であれば、恩給や年金を受給できるのに、朝鮮人を不当に差別しているという訴えが出てくる歴史的な背景はこうである。


泰緬鉄道と捕虜監視

 李鶴来さんは全羅南道、光州近くの宝城という村の出身で、朝鮮が日本の植民地であった1925年に生まれた。17才で強制的に軍属として捕虜の監視を行なうことになった。朝鮮半島全土から3000名が集められタイ、ジャワ、マレーなどに送られた。李さんは捕虜の扱いに関する国際条約(ジュネーヴ条約)について知らされることもなく、精神訓話を聞かされ、軍事教練を受けたのみで、タイの捕虜収容所に赴き、泰緬鉄道の敷設に追い立てられた連合軍捕虜の監視の仕事をおこなった。泰緬鉄道は日本軍がインパール作戦遂行のためにタイのバンポンからビルマ(現在のミュンマー)のタンビュザヤまで敷設した約415kmに及ぶ鉄道であった。泰緬鉄道工事については、私達の資料館でも二階踊り場のコーナーで写真を展示しているが、その工事は「枕木一本に一人の死者」といわれるほどの過酷な工事として歴史的にも悪名高い。連合軍捕虜5万5千、東南アジアの労務者7万人以上が動員され、多大の犠牲者が出たことが知られている。連合軍からの捕虜の死者数は1万2千以上、労務者にいたっては死者数もわかっていない。鶴来さんが送られたタイのヒントクでは食料は不足し、伝染病は蔓延し、しかも薬品は欠乏していた。鶴来さんたちは軍鉄道隊の要求にこたえて、無理にでも作業員の数をそろえなければならなかった。このことが戦後、捕虜虐待として有罪判決をうける原因になった。1946年9月に出された起訴状は却下され、一旦は釈放された。しかし帰還船での帰路、香港で止められ、香港からふたたびシンガポールに連れ戻された。1947年3月20日、オーストラリア裁判で死刑の判決を受ける。(一度下された判決を無視して、再度刑を宣告するのは裁判の常識を無視しているが)。八ヵ月後に20年の刑に減刑される。李さんと同時期に戦犯として有罪判決を受け、刑死した朝鮮半島の出身者は23人に上っている。李さんは死刑になった仲間の無念さを忘れることはなかった。(同じように日本の植民地であった台湾出身者は26名の刑死者)


日本人の「肩代わり」をさせられた朝鮮人

 李鶴来さんは1951年シンガポールから東京の巣鴨プリズンに移送された。

1952年、日本はサンフランシスコ条約によって独立し、朝鮮人は非日本人となる。この措置によって外国人として日本政府の援護措置からは除外されることになった。一方で刑を宣告されたときは日本人であったからという理由で戦犯としての拘禁は続いた。

 天皇制ファシズム国家の二級国民で、ピラミッド構造の下層の朝鮮人軍属が1956年まで拘束された一方で、戦争遂行に重い責任があるトップのエリートたちは(たとえば後に日本国首相になった岸信介)1948年には釈放された。A級戦犯容疑者の「岸は植民地政策の計画立案者であったし、1941年、日本の宣戦布告の署名人の一人であった。」岸がエリート中のエリートであったことは論をまたない、とG.マコーマック氏は断じている。朝鮮人BC級戦犯はこれらの日本人の「肩代わり」をさせられたといわれるゆえんである。

 朝鮮人でありながら、戦争中はいやおうなしに日本人として徹底した皇民化を強いられ、戦後は手のひらをかえすごとくに「外国人」として突き放されたことがどんなに腹立たしいことであったかを、多くの日本人はほとんど理解できないのではなかろうか。私自身あるとき真横に座っていた徐正雨さんが怒りをこめて「戦争中は日本人、日本人だといって、戦後になったら外国人という」と発言するのを聞いて、自分のことを言われたと考え、恥ずかしく思った。長崎の端島炭鉱で強制的に働かされ、三菱造船所で被爆した徐さんにとっては、昔のこととはいえ、国籍の喪失は、昨日のことのごとくに怒り心頭に発する出来事であったであろう。それはたんに言葉の問題だけでなく、政府の援護から不条理にも突き放されるという苦痛をも意味しているのであったから。

 繰り返しになるが、鶴来さんの死によって立法措置を求める運動の当事者はいなくなってしまった。

 新聞報道によれば、死後、4月1日、国会内で超党派の国会議員11名や市民が、特別給付金による救済立法を求める集会を開いた。

その際「長年、運動を支援してきた内海愛子・恵泉女子学園大学名誉教授は『不条理に対する当事者の思いを伝える立法運動を続けていく』と話した」(毎日新聞2021年4月2日

救済のための立法が実現するように、私たちも国会議員たちの活動に注目し、李鶴来さんたちの願いが実現するように声を合わせていきたいと思う。しかし立法による戦後補償を求める声に応える議員たちの動きはまことに鈍い。

               (そのだなおひろ)

関連報道記事

(社説)李鶴来さん死去 日本の正義問い続けて(朝日)

外国人BC級戦犯、救済立法求め集会 超党派議員ら、当事者死去受け(本文中で触れられている毎日新聞2021年4月2日の記事)

李鶴来さん(韓国人元BC級戦犯)を悼む 謝罪と補償、闘いの人生=内海愛子(恵泉女学園大学名誉教授)(毎日)

「戦犯となった朝鮮人青年」、苦難に満ちた65年間の戦いの末、無念の死(ハンギョレ)




李鶴来さんの本『韓国人元BC級戦犯の訴え―何のために、誰のために』(梨の木舎、2016年)



Thursday, July 15, 2021

〈転載〉「慰安婦」問題の解決は「被害者中心アプローチ」から外れてはならない  ~2015年日韓合意を前提にした提言「共同論文 慰安婦問題の解決に向けて」をめぐって~ 위안부 문제 해결은 피해자 중심 접근 에서 벗어나서는 안 된다 ~2015년 한일 합의를 전제로 한 제언 공동논문 위안부 문제 해결을 향해 에 관하여

 한국어 버전은 여기를보세요.

日本軍「慰安婦」問題解決全国行動 のページから許可の下に転載します。私はこの投稿に全面的に賛同します。(ピース・フィロソフィー・センター代表 乗松聡子)




2021年3月24日、日韓関係や戦後補償問題に取り組む研究者や弁護士ら8名が「慰安婦問題の解決に向けて」と題する論文を発表しました。 

この共同論文は長年市民運動にも関わってきた著名な研究者、弁護士、ジャーナリスト、市民活動家が呼びかけているため、日本社会において人権を尊重する市民を代表する意見として韓国でも紹介されています。

私たち、日本軍「慰安婦」問題解決全国行動は、日本軍「慰安婦」問題解決のために全国各地で活動してきた団体と個人が集まって結成したネットワークとして、日本の市民社会にこの共同論文とは異なる意見があることを訴えるともに、「慰安婦」問題解決のために日韓両政府が被害者の意思を尊重した施策をとるよう、日韓の市民社会の対話を促していきたいと考えます。


 ■共同論文の矛盾点

 この共同論文では、被害者の「心に届く誠実な謝罪」が最も大切であり、具体的には、①加害者が加害の事実と責任を認めて誠実に謝罪し、②その証として何らかの金銭的補償を行い、③過ちを繰り返さないために問題を後世に伝えることだとしています。

とりわけ、①②とともに、③を誠実に継続実行することによって①②の謝罪が真摯なものであることが被害者・遺族に理解されるようになると主張しています。
これは、私たちが2014年に日本政府に提出した「提言」の内容と合致しており、この部分について全く異論はありません。 

しかし、この共同論文が解決案の基盤としている2015年の日韓合意はまさに、③「過ちを繰り返さないために問題を後世に伝えること」を否定しています。2015年の日韓合意の核心は「最終的不可逆的に解決されることを確認する」という文言にあり、日本政府はこの合意を根拠に韓国側に「慰安婦」問題を二度と蒸し返すことがないよう求めたことが、その後の調査でも明らかになっています。

日韓合意のプロセスを検証した韓国外務省・作業部会の報告によると、合意には「非公開部分」があり、この合意に被害者支援団体が抗議しても韓国政府が説得に当たること、日本大使館前の「慰安婦」像を移転すること、第三国での「慰安婦」関係の像や碑の設置を控えること、今後、「性奴隷」という言葉を使用しないことを日本政府が韓国政府に要請していました。

日本政府の要請を韓国政府が丸ごと承認したわけではないですが、日本側がこうした要請をしたこと自体に日韓合意の本質が現れています。

日本政府にとっては、過ちを繰り返さないために記憶し継承するのではなく、加害の事実をなかったことにするための合意でした。

したがって、被害者の「心に届く誠実な謝罪」を日韓合意の延長上に行うことは不可能だと思います。


 ■政府間の公式合意の扱い方について

 共同論文を発表した方々は、日韓合意を仕切り直すことなど非現実的であるという認識に立ち、日韓合意を前提とした解決案を提案されているのではないでしょうか。しかし、それは日本は変われない、これが限界だ、韓国側に妥協して欲しいということを意味します。

加害国が被害者、被害国に寛容を強いて良いのでしょうか。 
私たちは、日韓合意の存在を否定しているわけではありません。
韓国の文在寅大統領も日韓合意は政府間の公式合意であったと述べています。

しかし、政府間の合意であっても、政権交代で見直しが迫られることはあります。TPP(環太平洋経済連携協定)を推進してきた米国がトランプ政権に代わって、いきなりTPPからの離脱を表明したとき、日本は米国を約束を守らない国だと批判しませんでした。

日韓合意はその後の検証で様々な問題が明らかになり、国連の拷問禁止条約委員会からも「被害者中心アプローチを取るべきである」と勧告を受けています。韓国政府が一方的に破棄するのではなく、日韓両政府が合意のプロセスに問題があったことを認め、新たな合意を結び直せば良いはずです。 


日韓合意という暴力 

日韓合意を仕切り直すことは非常に困難で、非現実的だと感じるのは日本社会に暮らす市民のリアリティだと思います。

しかし、韓国社会から見ると、日韓合意を継承することを前提に対話することの方が非現実的なのではないでしょうか?

  日韓合意が被害者にとって、韓国の市民にとって、どれだけ屈辱的なものであったのかということを日本の市民は想像してみるべきだと思います。
謝罪と引き換えに、平和の碑(「慰安婦」被害者の少女像)の撤去を求めたり、「慰安婦」問題の関連資料をユネスコの記憶遺産に申請することを取り下げるよう求めることがどのようなことを意味するかを考えてみるべきだと思います。

ドイツの首相がホロコーストについて謝罪する代わりに、ポーランド政府に対して、アウシュビッツ収容所を撤去しろと言うでしょうか? 

アメリカの大統領が広島・長崎への原爆投下を謝罪する(まだしていませんが)代わりに、日本政府に二度とヒロシマ・ナガサキと口にするな、原爆ドームを撤去しろと言ったら日本人はどう思うでしょうか?

 そのようなことを口にしたら、どのような謝罪の言葉があっても、被害者と被害国の市民が謝罪を謝罪として受け止めることは出来ません。まったく反省はしていないけれども、二度と蒸し返して欲しくないので、謝ってみせたんだと受け止め、怒りが湧いてくるのではないでしょうか?

 日本政府が日韓合意で韓国に対して行ったことはそのようなことです。

 したがって、日韓合意の延長上に対話を進めようとすることは、日韓合意が暴力的なものであったという自覚が日本の市民にないことを意味します。

この共同論文の呼びかけ人の方々に再考を求めます



日本軍「慰安婦」問題解決全国行動



<2021.3.24共同論文>

「慰安婦問題の解決に向けて ーー 私たちはこう考える」は以下から読めます(2021.3.24共同論文までスクロールしてください)

Wednesday, May 26, 2021

「アジアへのとびら」冊子に二冊の本を紹介しました My column in booklet Ajia e no tobira (A Door to Asia), introducing two books

 16の出版社が集まって作った「アジアの本の会」の冊子、「アジアへのとびら」に二つの本の紹介をさせていただきました。一つは少し古い本ですが自分の座右の書である、故・大田昌秀元沖縄県知事による『死者たちはいまだ眠れず』、もう一つは出たてほやほやの本、李里花さん編著『朝鮮籍とは何か』です。表紙と、自分のページをここに起きます。拡散OKのようなのでぜひシェアしてください。「アジアの本の会」という企画は今回梨の木舎の羽田さんから聞くまで知らず、この冊子で私も「アジアの本」への旅に出たくなりました。

この冊子は非売品で、全国の書店で配布しているようです。配布店リストはここにあります。