シカゴ大学のブルース・カミングス教授による「ロンドン・レビュー・オブ・ブックス」の2017年5月18日の記事
A Murderous History of Korea
https://www.lrb.co.uk/v39/n10/bruce-cumings/a-murderous-history-of-korea
の日本語訳を紹介します。
★訳はアップ後修正することがあります。このまま転載せずに、リンクを広めてください。
朝鮮半島の血塗られた歴史
ブルース・カミングス
Bruce Cumings |
翻訳:酒井泰幸
40年以上前、私と同じように米国国立公文書館で朝鮮半島関係の文書を閲覧していた外交史家と、私は昼食を共にした。その時ふと彼が口にしたのは、朝鮮半島の非武装中立地帯(DMZ)が世界の終末の爆心地になるかもしれないと時々思うことだった。今年の4月、北朝鮮のキム・インリョン国連次席大使は「熱核戦争(水爆戦争)がいつ起きてもおかしくない危険な状況」を警告した。数日後、トランプ大統領はロイター通信に「わが国は北朝鮮と大きな、大きな紛争になるかもしれない」と語った。アメリカの大気科学者は、比較的小規模な核戦争でさえ、世界中の人々を危機にさらすほどの煤煙と粉塵を巻き上げることを示した。「たとえばインドとパキスタンの地域戦争は、オゾン層破壊と気候変動を引き起こし、ヨーロッパ、米国、その他の地域に劇的な損害を与える可能性がある。」我々はどうしてこんな状況に至ってしまったのだろうか?いったいなぜ、(トランプと金正恩[キム・ジョンウン]の両方ともそうだが)言うことの半分がたぶん嘘で、思い上がって虚栄心の強い自己陶酔者が、世界の平和だけでなく、おそらく地球の未来までも、その手に握るようになったのだろうか?我々がここに立ち至ったのは、アメリカ人の側が歴史を直視せず、北朝鮮の指導者が同じ歴史を見るレーザー光線のような鋭い眼差しを理解することを嫌う姿勢が凝り固まっているからだ。
北朝鮮は4月25日に朝鮮人民軍の創設85周年の記念日を祝った。世界的緊張が極まる中、24時間放送のテレビ番組が平壌(ピョンヤン)でのパレードを放送した。朝鮮民主主義人民共和国の建国が1948年なのに、なぜ85周年だったのかという疑問に関心を向けたジャーナリストはいなかったようだ。本当は何を祝っていたかというと、それは中国東北部で朝鮮人が抗日ゲリラ闘争を始めた日で、公式には1932年4月25日とされている。1910年に日本が朝鮮半島を併合した後、国境を越えて逃げた多くの朝鮮人の中に、金日成(キム・イルソン)の両親がいたのだが、独立運動が武力抵抗へと変わったのは、1932年3月に日本が傀儡国家の満州国を建国した後だった。金日成と同志たちが開始した運動はそこから苦難を伴いながら13年間続くことになり、ついに日本は1945年の降伏条件の一環として朝鮮半島の支配権を手放した。これが北朝鮮指導者の正当性を自国民に示す拠り所となっている。指導者たちは祖国への植民者に抵抗した革命的国家主義者である。朝鮮戦争のとき米空軍の猛攻で全ての都市が壊滅し、国民が地下壕に住み、そこで働き学ぶことを余儀なくされたとき、指導者たちは再び抵抗した。それ以来、指導者たちは米国への抵抗を続けている。そして指導者たちは西側の共産主義の崩壊にも抵抗した。今年の9月で、朝鮮民主主義人民共和国が存続した年月の長さはソビエト連邦と肩を並べる。だが、北朝鮮は共産主義国というよりも、これまで世界に例を見ない軍事国家だ。わずか2千5百万の人口から徴兵した北朝鮮の人民軍は、130万の兵士を擁し世界第4位の大きさだ。これをわずかに上回る第3位の軍隊は、偶然にも140万の兵士を擁するアメリカ軍だ。北朝鮮の成人のほとんどは、男女を問わず長期間をこの人民軍で過ごす。予備兵の人数に上限があるとすれば、それは北朝鮮の人口だけだ。
金日成の抗日活動の物語は、北朝鮮では伝説と誇張に包まれているが、韓国では全面的に否定されている。しかし明らかに彼は英雄だった。気温が時には零下50度にも達する、想像できる限り最も過酷な冬の環境の中、彼は10年間戦ったのだ。最近の研究で判明したのは、満州国内の抗日パルチザンは、多くは中国の幹部に統率されていたとはいえ(金日成は中国共産党員だった)、大部分が朝鮮人だったことだ。別働隊を指揮していた他の朝鮮人抗日パルチザンの中には、崔庸健(チェ・ヨンゴン)、金策(キム・チェク)、崔賢(チェ・ヒョン)がいた。彼らは1945年に平壌へ戻ると、新体制の中核となった。彼らの子孫が現在の膨大なエリート層を構成している。現政府でナンバー2の地位にある崔龍海(チェ・リョンヘ)は、崔賢(チェ・ヒョン)の息子だ。
金日成の名声を期せずして高めたのは日本だった。日本の新聞は金日成と朝鮮人売国奴の戦いを書き立てた。金日成を追い詰めて殺すために日本が雇った朝鮮人売国奴を指揮していたのは、野副昌德(のぞえ・しょうとく)少将で、帝国陸軍の「金日成特別師団」(独立守備隊)を統率していた。1940年4月に、野副の部下は金日成の最初の妻と考えられたキム・ヘソンを捕らえた。日本は彼女を使って金日成を隠れ家からおびき出そうとしたが上手く行かず、間もなく彼女を殺害した。前田タカシが率いたもうひとつの日本の特別警察部隊には、多くの朝鮮人が含まれていた。1940年3月、前田討伐隊は金日成の抗日パルチザンに襲撃され、両者とも重大な人的損害を被った。前田は金日成を2週間近く追跡した末、金日成の罠にかかった。金日成は前田隊の兵士150人に対し250人の抗日パルチザンを投入し、前田と58人の日本人の他、行動を共にしていた17人を殺害した。また13人を捕虜にし、大量の武器弾薬を奪った。
1939年9月、ヒトラーがポーランドに侵攻していた頃、日本は関東軍6大隊に加え、満州国の軍と警察あわせて2万人を動員して、研究者のソ・デスクが「大討伐」と呼ぶ作戦を開始した。これは、金日成と崔賢(チェ・ヒョン)が率いる抗日パルチザンに対する、6カ月にわたる討伐作戦だった。1940年9月には、さらに大規模な兵力で中国と朝鮮の抗日パルチザンに対する鎮圧作戦に乗り出した。「討伐作戦は1941年3月末まで1年8カ月にわたって行われた。金日成が率いた者たちを除き、反逆者は完全に撃滅された。反逆者の頭目たちは銃殺されるか服従を強要された」とソ・デスクは書く。
長期にわたった日本による反乱鎮圧のための取り組みで重要な役割を果たした一人が、岸信介(きし・のぶすけ)だった。彼は経営する軍需工場で名をなした。米国占領期にA級戦犯容疑者となったが、戦後日本の建国の父の一人、そして長らく日本を支配する自由民主党の創設者の一人となった。岸は1957年から1960年まで2期にわたって首相を務めた。日本の現首相、安倍晋三は岸の孫で、他のどの日本の指導者にもまして岸を崇敬している。トランプが2月11日にマー・ア・ラゴで安倍と夕食を共にしていた時、食事の途中で狙ったように飛び込んできたメッセージは、平壌からのものだった。北朝鮮は新型固体燃料ミサイルを移動式発射台から打ち上げる実験に成功した。金日成と岸は互いの孫を通して再び会うこととなった。80年が経ち、北朝鮮と日本の間には、悪意に満ちた和解不能の敵意が、今も空中を漂っている。
西側諸国では、北朝鮮の扱いは一方的で、歴史にもとづくものではない。人名さえ正しく理解できる人は誰もいない。安倍のフロリダ訪問で、トランプは安倍を「シンゾウ総理」と呼んだ。4月29日に、CNNの有名な解説者アナ・ナヴァッロは、「ウン坊やは狂人だ」と言った。北朝鮮の悪魔化は、政党の区別を超え、意識下に大量に蓄えられた人種差別主義でオリエンタリズム(東洋を不気味で異質なものと規定する西洋の姿勢)のイメージに基づいている。北朝鮮人にはアメリカ流の現実の定義を拒絶する正当な理由があるかもしれないということを、誰も受け入れようとしない。圧倒的な米国の力を前に、北朝鮮人がアメリカの世界観を拒絶するとき、たいていは無関心、時には傲慢な振る舞いとして現れるが、このために北朝鮮は理不尽で制御不能、したがって根本的に危険な国だと映る。
だがもしアメリカの評論家や政治家が朝鮮半島の歴史を知らないとしても、少なくとも自国の歴史は知っているべきだ。米国の朝鮮半島への関与は第二次世界大戦の終盤に始まった。このとき米国国務省の計画立案者が恐れたのは、朝鮮半島北部に進入しつつあったソビエト兵が、中国東北部で日本と戦っていた3万人に上る朝鮮人抗日パルチザンを連れてくることだった。戦後朝鮮半島問題について最も強い発言力をアメリカが確保できるよう、国務省は完全な軍事占領の検討を始めた。それは短期間の占領かもしれないが、報告資料にあるように「かなりの長期間」にわたる占領になる可能性もあった。要するに、「米国の相対的な力の有効性が弱まる」ことを防ぐために、他のどの勢力も朝鮮半島に関与させるべきではないということだった。議会と米国民はこのことについて何も知らされなかった。計画立案者の何人かは親日派で、それまで日本が朝鮮半島を植民地支配することに異議を唱えたことがなく、これからは平和的で従順な国として戦後日本を復興したいと望んでいた。彼らは、ソビエトの朝鮮半島占領によってこの目標が阻まれ、太平洋地域の戦後安全保障を害することになるのを恐れた。この論法に従って、長崎が完全に破壊された翌日に、米国陸軍省のジョン・J・マクロイはディーン・ラスクと同僚を別室に呼び、朝鮮半島をどのように分割するか考えさせた。彼らは38度線を選び、3週間後には2万5千人のアメリカ戦闘部隊が朝鮮半島南部に入り、軍事政権を樹立した。
占領は3年続いた。アメリカの占領を支えるため、アメリカは旧日本関係者で金目当てに働く人を最後の一人まで探し出して全て雇い入れた。その中には朴正熙(パク・チョンヒ)や金載圭(キム・ジェギュ)のような日本軍の元将校が含まれ、この二人はソウルのアメリカ陸軍士官学校を1946年に卒業した。(1961年の軍事クーデターの後、朴は韓国の大統領になった。朴政権は15年続いたが、大韓民国中央情報部(KCIA)の代表だった元学友の金載圭が、ある夜の会食で朴を射殺した。)1948年にアメリカが去った後、38度線を挟んだ境界線地帯は、もう一人の帝国陸軍の元将校、金錫源(キム・ソグォン/日本名:金山錫源[かねやま・しゃくげん])の指揮下に入った。韓国の度重なる北朝鮮への侵入の後、1950年6月25日に全面的な内戦が勃発したのも驚くには当たらなかった。韓国の指導者は安全保障に不安を感じ「北風」の脅威を意識しているが、韓国自体の中では、左翼や共産主義といくらかでも関係を疑われる人々に対する国家の暴力が荒れ狂っていた。通常戦争が始まってから最初の数カ月で、韓国政府の手により少なくとも30万人が拘留・処刑されるか単に失踪したことを、歴史学者のキム・フンジュンが明らかにした。1950年6月以前に10万から20万の人々が韓国政府または米占領軍の手による政治的暴力の結果として命を落としたことを、私自身の研究とジョン・メリルの研究が示している。ファン・ソギョンの新刊書「朝鮮半島の危機的な戦争(Korea’s Grievous War)」は、保管資料の調査、集団墓地の記録、死者の親族と大阪に脱出した亡命者とのインタビューで構成されているが、本書で彼女は半島南部沿岸の村々での大量虐殺を記録している。要するに、大韓民国は冷戦初期で最も血塗られた独裁国家の一つだった。大虐殺の加害者の多くは、かつて日本のために手を汚し、その後アメリカによって復権した人々だった。
アメリカは自国を戦後朝鮮半島史の単なる傍観者と見ることを好む。それは常に受け身で表現される。「朝鮮半島は1945年に分割された」というとき、戦後外交政策に最も強い影響力を持つマクロイとラスクの2人が、誰にも相談することなく線引きを行ったという事実には全く言及しない。米国が韓国陸軍の作戦指揮権を握っていた時期に、1961年と1980年の二度にわたる軍事クーデターが韓国で起きている。韓国政治へ介入したと非難されないように、アメリカは手をこまぬいていた。1988年以降の韓国の、安定した民主社会と活気ある経済のおかげで、そこに至る40年の歴史を事実だと認める必要性は握りつぶされてしまったようだ。その時代なら、北朝鮮の独裁政治はソウルの軍政に対抗するために必要だったと主張するのは、道理にかなったことだったかもしれない。北朝鮮が、よく言えば歩く時代錯誤、悪く言えば卑劣な専制政治のように見られるのは、現在の文脈においてだけである。この25年間、世界は北朝鮮の核兵器について不安を煽られ続けてきたが、1958年に朝鮮半島へ核兵器を持ち込んだのは米国だったということを指摘する人はほとんどいない。ジョージ・H・W・ブッシュ(父ブッシュ)政権下で戦術核兵器の引き揚げが世界的に起きるまで、何百発もの核兵器が韓国に保管されていた。だが、1991年以来すべての米政権は北朝鮮を挑発してきた。核兵器搭載可能な爆撃機を韓国領空で頻繁に飛行させ、いつでもオハイオ級原子力潜水艦が北朝鮮を数時間で破壊できる。現在、2万8千人の米軍が韓国に駐留し、核武装能力を持った北朝鮮との勝者なき膠着状態を長期化させている。実際に占領は「かなりの長期間」となったが、80年目に入る壮大な戦略的失敗の結果でもある。評論家の常套句では、米政府は北朝鮮を真面目に受け取ることができないが、北朝鮮は一度ならず手段を講じてきた。そしてアメリカはどう対処して良いのかを知らない。
トランプと彼の国家安全保障チームに言わせれば、現在の危機が生じたのは、北朝鮮でアメリカの中心地を攻撃できる大陸間弾道ミサイルの完成が目前に迫っているからだ。専門家の多くは、ミサイルが使用可能になるまであと4〜5年かかると考えているが、だからといって大した違いがあるのだろうか?北朝鮮は1998年に最初の長距離ロケットを実験し、朝鮮民主主義人民共和国の建国50周年記念日を祝った。最初の中距離ミサイル実験は1992年のことで、射程に沿って数百キロ飛行し目標に的中した。北朝鮮が現在保有する固体燃料を使ったさらに高度な移動式中距離ミサイルは、発見されにくく発射しやすい。朝鮮半島と日本に住む約2億人がこのミサイルの射程内に入る。言うまでもなく、中国の数億人と、米国外で唯一恒久的に駐留している沖縄の米国海兵隊師団も、この射程に入る。北朝鮮のミサイルに実際に核弾頭を装着できるかどうかは定かでないが、それが実現し、怒りにまかせて発射ボタンに手をかけたなら、即座に北朝鮮はコリン・パウエルが印象深く「練炭」と呼んだものに成り果てるだろう。
だが、パウエル元帥が重々承知していたように、既にアメリカは北朝鮮を練炭に変えていたのだ。映画監督のクリス・マルケルが北朝鮮を訪れたのは1957年のことで、米国の絨毯爆撃が終わってから4年が経過していた。「皆殺しがこの大地を蹂躙した。家々もろとも灰になったものを誰が数えられよう?…国が人為的な境界線で2つに引き裂かれ、両側で相容れないプロパガンダが繰り広げられるとき、この戦争の原因はどこにあるかを問うのは無邪気というものだ。境界線こそが戦争なのだ」と彼は書いた。(境界線を引いたのがアメリカだとはいえ)アメリカの言い分とは異質な、あの戦争の基本的な真実を認識した彼は、次のように述べた。「北朝鮮人がアメリカ人に対して一般的に持つ考えは奇妙なものかもしれないが、朝鮮戦争の終盤にアメリカに住んでいた身としては、当時流布されていた戦闘描写の愚かさと残酷趣味に肩を並べるものは他にないと、私は言わざるを得ない。『アカの火あぶり、こんがりカリカリ。』(The Reds burn, roast and toast.)」
そもそも最初から、アメリカの政策は朝鮮民主主義人民共和国に苦難を与えて支配する選択肢を順繰りに実行してきた。1950年以来実施している制裁措置で、好ましい結果が得られたという証拠はない。1948年以来実施している不承認も、好ましい結果は伴っていない。1950年の終わりに米軍が北朝鮮に侵攻したとき試みた政権転覆は、中国との戦争につながっただけだった。そして、効果を上げた唯一の方法である直接対話は、北朝鮮の全てのプルトニウム関連施設を1994年から2002年まで8年にわたり凍結することに成功し、ミサイルの廃棄を実現する一歩手前まで行っていた。5月1日に、ドナルド・トランプはブルームバーグ・ニュースに次のように語った。「私が[金正恩(キム・ジョンウン)と]会談するのが適切であれば、絶対にそうします。喜んでそうします。」これが真剣なコメントだったかどうかは分からないし、トランプがまたニュースのネタになろうとして言っただけかもしれない。だがいずれにせよ、彼は疑いなく異端者だ。米国の政府中心部に借りを作っていない大統領は、1945年以来では初めてだ。彼は金正恩氏と席を並べ、地球を救うことができるかもしれない。
(以上)
★5月26日、イタリアでの日米首脳会談において北朝鮮について「対話ではなく圧力をとの認識で一致」と日本メディアは一斉に報道していますが、報道を見ていて、わざわざ「対話ではなく」なんていうかな、と思いました。そこでホワイトハウスの発表(下記1)を見てみたら、案の定、「圧力を強める」とは言っていますが「対話でなく」などと言っていません。トランプ大統領は5月1日に、金正恩委員長とは適切な状況でなら会うことは光栄だと言ったばかりです。日本のメディアの情報源はこの外務省の発表でしょう。「両首脳は,北朝鮮問題に関して政策のすりあわせを行い,今は対話ではなく圧力をかけていくことが必要であること,中国の役割が重要であることを改めて確認した。」と言っています。「すりあわせ」という言葉は、意見の不一致を示唆します。おそらく「対話ではなく」というのは安倍首相の意見だったのでしょう。ホワイトハウスの発表をみるかぎりこの点において「一致」していたとは思えません。
1)
The White House
Office of the Press Secretary
For Immediate ReleaseMay 26, 2017
Readout of President Donald J. Trump’s Meeting with Prime Minister Shinzo Abe of Japan
President Donald J. Trump met today with Prime Minister Shinzo Abe of Japan in Taormina, Italy, before the start of the G7 Summit. In the wake of the horrific terrorist attack at the Manchester Arena in the United Kingdom, the two leaders reaffirmed their shared resolve to cooperate to the fullest extent possible to counter terrorist threats.
The President said the United States will work with Japan and the Republic of Korea, as well as our other allies and partners around the world, to increase pressure on North Korea and demonstrate that North Korea’s current path is not sustainable. President Trump and Prime Minister Abe agreed their teams would cooperate to enhance sanctions on North Korea, including by identifying and sanctioning entities that support North Korea’s ballistic missile and nuclear programs. They also agreed to further strengthen the alliance between the United States and Japan, to further each country’s capability to deter and defend against threats from North Korea.
シカゴ大学のブルースカミングス教授の論説掲載、ありがとうございました。翻訳の労をとられた酒井さんにもお礼申しあげます。
ReplyDelete今の日本では、アメリカのメインストリームメディアに批判的な人でも、「そんなことでは、北朝鮮並みだ」「北朝鮮のレベルに隋している」というように、あたかも、外交的、政治的、法的レベルにおいて、北朝鮮が世界で最低、最悪のレベルにあるかのごとく書きます。日本では、日本政府、日本社会のあり方が世界的に最低レベル、最悪レベルにあることを表現するためには、北朝鮮と同等だと言うのが、もっとも理解と共感を得られ、効果的であると思われているようです。「北朝鮮並みだ」と言い方をしない人は、片手で数えられるぐらいしか、いないと思います。
私は、北朝鮮の外交的、軍事的な姿勢に、どんな理由や要因があるにせよ、北朝鮮にそうした姿勢をとらせるうえでは、日本は、アメリカよりもさらに大きな責任を負っている、罪を犯してきていると思います。かって朝鮮半島を支配下においた日本、1945年8月に朝鮮支配を諦めさせられて以降は、アメリカに加担して朝鮮民族の分断に協力してきた日本。けっきょく日本はずっと、朝鮮半島の人たちが、自らの政治体制を自ら選びとることを妨害してきたのです。
アメリカと日本の干渉がなかったら、朝鮮民族は南と北に分断されることはなかったのです。2つの朝鮮でなければ、今の北朝鮮のあり方もなかったことになります。
同情したり共感したりすることができないのはある意味、しかたがない。北朝鮮の実情は知りようがないから。けれど、日本が朝鮮半島に対して何をしてきたかは知ることができるし、知らなければなりません。日本には、北朝鮮のあり方を批判したり、まして非難したりする資格は全くないことがわかるはずです。
日本政府が北朝鮮の脅威を言いたてることについては、外交辞令で、あるいは、日本の「金」のせいで、表面的には同意を表明しても、世界中で共感している国などあるはずがありません。アメリカでさえ、内心では嘲笑しているでしょう。もっともアメリカにも、そうする「資格」なんてないでしょうが。
そして韓国も、日本政府が北朝鮮への「圧力」云々、中国への要求等々と言うたびに、ひどく苦々しく、片腹痛い思いをしているに違いない。なんと言っても彼らは日本の支配に苦しんだ同胞同士、同民族同士なのですから。日本政府が北朝鮮の脅威を言いたてるほど、韓国と北朝鮮を近づけることになるのではと思います。せめて、そうであってほしいと願います。
日本がもし、再び朝鮮民族の間で血を流すのに加担したりしたら、未来永劫、日本人は朝鮮民族に赦されることはないだろうと思います。嫌韓、嫌中などと言い囃している人たちは、その覚悟があるのだろうか。日本がその一員である東アジアの中で未来永劫孤立することを善しとほんとうに思っているのだろうか。ふしぎでなりません。
小林はるよさんの意見に、コメントします。歴史を学び、解釈するには、その時代に身を置く姿勢が必要です。かつての植民地政策はすべて悪だという立場に立つと、その時点で歴史を正しく見つめる姿勢に反し、もう議論は前に進みません。英国のインドに対する植民地政策(当時は植民地政策とは思っていなかったはず)日本の韓国併合、今から見ると、植民地化という歴史用語でいっぱひとからげに説明しますが、いろいろな事情がありました。一つ共通して言えることは、インド、韓国の国家としての後進性です。何とか保護して、早く先進国に追いつくようにとの考えがゼロだったとは言えないと思います。事実、韓国の人たちの一部には日韓併合をある意味で評価している人も知るのです。インドしかりです。当時の世界、国内環境に身を置き、歴史を見つめ直す、この姿勢を忘れないで下さい。現在の立場からの批判は簡単です。しかし、それは歴史を見る目を狂わせることもあります。
ReplyDelete確かにそういう見方はあると思います.それは1つの考え方で、極端ではないでしょうか.
ReplyDelete日本が朝鮮半島の政治に関わったのは、たかだか、明治維新以降の話であり、朝鮮民族とその周辺の国や民族との関わりには、もっと長い歴史の積み重なりがあり、全ての原因を、韓国併合から第2次大戦集結までの日本統治だけに求めるのは、無理があると思う.バルカン半島にしても、インドシナ半島にしても、半島に位置する国家/民族は、不安定な政治情勢に長い間苦しめられる傾向があり、地政学的な運命といえるところは、あると思うが、それをどう克服していくかは、それぞれの民族次第だと思う.
ご意見をお寄せくださってありがとうございました。私も日本がアジアを侵略したり植民地化したりしていたさい、現地で何らかの理由から日本に協力したり、日本を受け容れる立場に立った人達がいたとは思います。そういう人達がいなければ、侵略や植民地化はほんの少しも続けられないと思います。
ReplyDelete私は朝鮮半島や満州にどれだけ日本に対して協力的な人達がいたかについてはわかりませんし、じつのところ、そうした人たちが圧倒的な少数で、圧倒的な人達が抵抗していたから、日本の侵略政策はまちがっていたと言うつもりはないのです。そう言うには膨大な論拠が必要でしょう。
意外に思われるかもしれませんが、私はけっこう「ナショナリスト」なのです。もし、外国の軍がこの日本の「本土」に入ってきて、政治システムを捨てさせられ、政治的に支配され、倫理感覚を強制されたり、教育を支配されたり、そしてなによりも言語を支配されたりしたら、どんなに苦しいだろう、どんなに嫌だろうと思うのです。その嫌さ加減は、想像するだに苦しいほどです。自分が強制される立場だったらどんなに苦しいだろう、屈辱と思うだろう、まして同胞を侮蔑の中で殺されたりしたら身体が引き裂かれる無念さだろうというのが、私の、日本の侵略への反省の最大の根拠です。
朴槿恵が一時「1000年たっても忘れないだろう屈辱」と従軍慰安婦について言っていました。「北」の政権も、日本を「わが民族の永遠の敵」というような表現で言ったことがあると思います。無理もない。私があの地の人だったら、当然そう思うだろうと思います。
自分だったら耐え難かった屈辱を与えたしまった南北を問わない朝鮮半島の人たちに、私は二度と、同胞同士で血を流し合ってほしくない。ただただ、祈る思いでいます。ほんとうなら日本がアメリカを諫めなくてはならない。1945年から70年もたっていながら、その70年を生きてきて、私は諫められる日本になるのにほんの少しの貢献もできませんでした。