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Friday, September 11, 2020

福山市の医療機関でYさんが受けた差別に対する医師の再謝罪文は「差別」を完全にスルーした

福山市HPの「人権」ページ。(9月12日にアクセス)

この投稿は、以下の投稿の続報です。まだの人は以下を読んでください。

7月29日 福山市が市民に提供する無料風疹抗体検査を受けた福山市民のYさんが担当医師から受けた差別

8月6日 福山市の無料風疹抗体検査で医師から差別を受けたYさんからの経過報告

8月25日 福山市の医療機関で差別を受けたYさんに対する医師の「謝罪」と市の対応についてYさんからの報告

上の8月25日の投稿と、7人の人たちのコメントを読めば、最初の医師からのYさんへの謝罪文と、それに対する市役所の「人権」担当者の対応は、二次加害に等しいことは明白であろう。それを受けた医師は、さらなる謝罪文を、今度は封書で市に託してきた。Yさんが市から受け取ったのは9月5日である。Yさんは医師が今度こそ率直に差別したことを認め、誠実に謝罪するのかと思ったら、期待は裏切られた。プライバシーを確保した上でその二度目の「謝罪文」をここに紹介する。


(名前)様へ

 9月2日に福山市職員の方がおいでになり、8月19日にYさんにお渡しした手紙に対するYさんのお気持ちを詳しく伺いました。それを聞いて、私の手紙は対応の説明に終始しており、Yさんのお気持ちに沿っていなかったことに気づき、深く反省している次第です。誠に申し訳ありませんでした。

 改めて、自らの言動を振り返ってみて、私の認識の甘さ、発言の重大さを理解し、自責の念に駆られております。さらに、そのことがYさんの心を傷つけ、Yさんを苦しめてしまったことを心より申し訳なく思っております。

 今後は同じ過ちを二度と起こすことのないように、正しい認識を持って、より一層、患者さんの気持ちに寄り添った診療を行ってゆきますので、どうぞご容赦下さいますようお願い申し上げます。

2020年9月2日

(医療機関名と医師の署名)

以下がこの手紙に対するYさんの所感である。

 前回のメールを受けた後、市職員には、医師には以下のように伝えて欲しいと言った。「謝罪は受け入れられない。謝罪の気持ちの大きさは問題ではない。受け入れられなかった理由を知りたければブログを見てほしい。その上で、過ちに気づいたら、謝罪を受け入れる用意がある」と。

 その後もらった今回の手紙には、「対応の説明に終始」していること、私を傷つけてしまったことへの謝罪が記されている。頑として差別をしたことを認めないのに、あくまで傷つけたことへの謝罪を繰り返したり、「ご容赦ください」と言うのは、私を責めているようにさえ感じる。率直に言うと、加害者の被害者化ではないか。

Yさんの「頑として差別をしたことを認めない」という言葉に、この医師の再謝罪文の問題の根本がある。

私も、この手紙を見せてもらっての最初の感想は、「差別を完全にスルーしている」ということだ。自分の対応が「Yさんの気持ちに沿っていなかった」、「Yさんの心を傷つけた」、「Yさんを苦しめてしまった」と、個人間の感情に問題を還元し、これが客観的な差別であったということを否定しているのである。これは、差別だけでなく、セクハラ、パワハラ、DVの加害者が取る常とう手段でもある。ハラスメントや暴力を振るったということに目をつぶり、「自分があなたを傷つけてしまったのでそのことに謝る」と言うことでハラスメントや暴力を結果的に否定するのである。一見、平謝りに謝っているように見えるから周囲にも「この人はこんなに謝っているんだから」という印象を与えてしまうかもしれない。そうなると「こんなに謝っているのに許してくれない」と、被害者に矛先が向いてしまいかねない。実際この医師自身がそのように思っている可能性がある。Yさんが上で「加害者の被害者化」と言っているのはこの点だ。どんなに謝ったって、自分が犯した過ちが何なのかを言うことができず、それを言わないことによって否定しているのではその謝罪に何の意味もない。

私がこの医師に聞くとしたら、今後は起こさないとしている「同じ過ち」とは何なのか、「正しい認識」とは何を指すのかを聞きたい。もし差別を認めているのなら、「同じ過ち」というのは差別のことである。「正しい認識」というのは「差別をしない」認識のことである。しかしこの医師の文面からは、「同じ過ちをしない」とは患者の「心」に「沿わ」ず、「傷つけ」、「苦しめて」しまわないことであり、「正しい認識」とは、「患者の気持ちに寄り添った診療」ということなのだろう。この医師はすでに自分が普段から患者に「寄り添って」いるという自負があるから、「より一層」という但し書きまでつけている。「こんなに寄り添おうとしている自分が、それでも気持ちに沿いきれずに傷つけてしまったので、より一層患者の気持ちに寄り添う」と言っているのである。はっきり言って、キモイ。「心」とか「気持ち」の次元に踏み込むことによってこの医師はYさんの内面に不必要に入り込んでいるとも思う。だからキモイのだ。

この医師さんに言いたいが、差別をしたことを認めさえすれば、謝罪は一回でいいし、「気持ち」とか「心」とか、「苦しめてしまった」とか、キモイことを言う必要はないのである。「心」とか「気持ち」とか、そういう次元ではなく、ただ普通に、フェアに、差別せずに、他の人と同じように扱えばいいだけの話なのである。

差別したことを認めてください。そうでなければあなたはまた差別をやります。差別を否定すること自体が差別なのです。それでは再発防止にはなりません。今後、あなたの医療機関にも、他の医療機関にも、福山市に対しても、ひいては日本社会全体に対しても、これがいい教訓になるように、差別したことを認めて、この問題に一つの区切りをつけてください。

乗松聡子(@PeacePhilosophy) 

Tuesday, September 08, 2020

「自分のところにも母親があんな風に出てきてくれるといいんだけれどね」- 被爆者 岩佐幹三さんを偲ぶ Remembering IWASA Mikiso, a Hiroshima Hibakusha (1929-2020)

 2006年バンクーバーで開催された「世界平和フォーラム」に日本被団協の派遣団で来ていた被爆者のおひとり、岩佐幹三さんが亡くなったとの報せを聞いて大変ショックな気持ちでいる。

私は地元の「バンクーバー9条の会」の一員として、このとき、もう一人の被爆者の三宅信雄さんの証言の通訳と、井上ひさしの劇『父と暮せば』の朗読上演を行った。

そのとき、岩佐さんは他の被爆者のみなさんと一緒に客席で観ていてくれていた。私は、この劇で描かれている被爆者と、岩佐さんが、似た体験をしていることを知っていたため大変緊張したことを覚えている。

2011年に私が翻訳で参加した本、木村朗、ピーター・カズニック著『広島・長崎への原爆投下再考 日米の視点』(法律文化社)に寄せたコラムでこのときのことを書いた。

2006年にバンクーバーで世界平和フォーラムが開催されたとき、私はバンクーバー九条の会の一員として、故・井上ひさしの原爆劇『父と暮せば』英語版の朗読上演をした。爆風で倒壊した家の下敷きになった父親を助けることができずに、猛火が迫る中父親を置いて逃げるしかなかった若い女性の元に、死んだ父親が現れて、娘を励ますという設定の劇である。「あんときおまいは泣き泣きこようにいうとったではなーか。『むごいのう、ひどいのう、なひてこがあして別れなきゃいけんのかいのう』…。」少年だった岩佐さんも、同じようにお母さんを置いて逃げなければいけなかった。そんな岩佐さんをこの劇の客席に迎えたということは忘れられない体験となった。その後岩佐さんは、「自分のところにも母親があんな風に出てきてくれるといいんだけれどね」と微笑みながら語ってくれた。「こよな別れが末代まで二度とあっちゃいけん…あよなむごい別れがまこと何万もあったちゅうことを覚えてもろうために生かされとるんじゃ。」この劇の父の言葉のような思いで、岩佐さんをはじめ被爆者たちは生きてきたのだろう。

2010年5月の核不拡散条約再検討会議のときも、岩佐さんは被団協の派遣団の一人として、炎天下の中で行進を行っていた。ニューヨークの同時多発テロ事件(911)の被害者家族とともに開催した証言会でも岩佐さんはご登壇、私は通訳を務めた。

2006年の平和フォーラムのときの派遣団のうち、岩佐幹三さん、三宅信雄さん、大野禮子さん、寺沢茂さんとは、夏の広島・長崎の日米学生の旅が終わった後には毎年のように、被団協の事務局の欠塚さんの手配で、集まって食事を共にした。

写真は、2011年の8月11日に集まったときのもの。場所は覚えていないが、被団協の事務局のある大門の近くだったと思う。

左から、大野さん、私、寺沢さん、岩佐さん、三宅さん

(寺沢さんとお会いしたのはこの時が最後となってしまった。この一年後、2012年8月31日に85歳で亡くなられた。)


ちょっとお酒が回ってきて話も弾む。

帰り途、お互いによりかかるようないい気持ちで駅に向かう。
左から、三宅さん、岩佐さん、寺沢さん。

地下鉄のホームで、岩佐さんと、三宅さん

私の知る岩佐さんは、いつもにこにこされている温厚な方であったが、核兵器廃絶には非常に厳しい姿勢で取り組んでおられた。2016年5月にオバマ大統領が広島に来たときは日本被団協代表委員の一人として列席した一人であった(オバマ大統領との直接の交流は許されなかった)。ここ数年は体が弱られて、お電話で話すことしかできなかった。


岩佐さん、やっとお母様に、会えましたね、きっと。どうか安らかにお眠りください。


★ ★ ★

2010年、ニューヨークにおける核不拡散条約再検討会議のときの岩佐さんの証言を、ここに紹介します。


核兵器も戦争もない平和な未来を

-日本の原爆被爆者を代表して-

                                                 岩佐幹三

千葉県船橋市 

  2010NPT再検討会議の成功をめざして参集された皆さん、また、核兵器、核戦争の脅威から解き放たれることを心から願っている皆さん、核兵器の一日も早い廃絶のために力をあわせましょう。そのために日本から被爆者を代表して参加した一員として、私の被爆体験と願いを訴えます。

  1945年8月6日と9日に広島と長崎に投下された原子爆弾は、爆風、熱線、放射線を総合した巨大な破壊的エネルギ-によって、一瞬のうちに両市を瓦礫の街に変え、市民たちを地獄の劫火と放射能の渦巻く汚染荒野の中に投げ込みました。

  その日16歳の中学生だった私は、動員中の軍需工場が電休日だったので、広島の爆心から近距離1.2kmの自宅の庭にいました。飛行機の爆音が聞こえて間もなく、激しい爆風の衝撃をうけて、地面にたたきつけられました。やわらかい畑地だったので大した傷は負いませんでした。50cm右にいたら庭石にたたきつけられて即死だったでしょう。家の前のバス通りをはさんだ向かいの家の屋根の陰になって、奇跡的にやけども負いませんでした。

  母が倒壊した家の下にいます。あたりの静寂をやぶって「お母さん」と叫びました。すると屋根の下から「ここよ」という声が聞こえてきました。「ああよかった。生きていてくれたんだ」とその瞬間は安堵しました。しかしその喜びも束の間でした。屋根板をはがして逆立ちをするよう顔を突っ込んだ目の前には、家のコンクリ-トの土台の上に大きな柱が重なって、行く手をはばんでいました。わずかな隙間から1mほど先に仰向けに倒れた母の姿が見えました。つむった目のあたりから血が流れていました。「こっちからはもう入れんから、そっちで動けないか」と聞くと、「左の肩の上を押さえている物をどけてくれんと動けんよ」という答えが返ってきました。また別の方から掘り始めましたが、仲々進みません。そのうちに爆風の吹き返しの火事嵐が物凄い勢いでで迫ってきました。火の粉がふりかかってきます。誰も助けてくれる人はなく、少年一人の力ではどうしたらよいかわかりません。気も動転してきました。とうとう「母さん。駄目だよ。火事の火が燃えついてきているよ。何とか動けんのか」と悲鳴をあげました。外にいる私だって何が起こったのかわからないのです。まして家の下敷きになって周りが見えない母は、不安というよりも恐怖心で一杯だったと思います。でも母は、死を覚悟したのか、「そんなら早よう逃げんさい」と言って、自分は「般若心経」(仏教)のお祈りを唱え始めました。私は、その声を聞きながら、生きたまま焼け死ぬ母を見殺しにして逃げたのです。

  その時周りは、すでに火の海でした。私は、家の裏手にあった中学校の校庭のプ-ルにやっと辿りついて飛び込み、何とか助かることができました。少し遅れて逃げてきた人が、校庭の端まで到達しながら火ダルマになって焼け死ぬ姿を見ました。この人のように多くの被爆者が、倒れた家の中からやっとのことで這い出すことはできたものの、周りの猛火に逃げ場をうしなって、家の側に備えつけられていた小さな防火水槽で、寄り添って焼け死んでいったのです。広島と長崎のいたるところで、そのような惨状が繰り広げられました。この世の地獄としか言えない残虐なありさまでした。

  数日後、私は、家の焼け跡から母の遺体らしいものを掘り出しました。それは、マネキン人形にコールタールを塗って焼いたような、油でヌルヌルする物体でした。とても母の死体とは思えませんでした。母は、人間としてではなく、モノとして殺されたのです。広島と長崎での被爆者たちの死は、「人間の死」といえるものではありませんでした。

  女学校1年生(12歳)の妹は、軍の命令で爆心地近くに動員されて作業中に被爆しましたが、どこで死んだのか未だに行方不明です。その年の5月父を病気で失っていた私は、その日から原爆孤児になりました。その妹を探して広島市内を歩き回った私は、1カ月後に急性症状にかかって倒れました。身体中に赤紅色の斑点が生じ、喉の痛みでろくにものも飲み込めず、鼻や歯茎からは出血しました。髪の毛も抜けました。夫を原爆で失った叔母の必死の看病で奇跡的に死線を脱しましたが、その後もいろいろな疾病と健康障害を引き起こしました。原爆は、さらに牙をむいて襲いかかってきました。近年は晩発性放射能障害によるガンを発症して、闘病生活を続けながら、被爆者運動に参加しています。

  私の被爆体験は、何十万人も被爆した中のほんの一例にしか過ぎません。私のように原爆のキノコ雲の下で直接被爆した者ばかりではありません。被爆した家族を探したり、救援のために入市したりした人々も、残留放射能にさらされ、放射能を帯びた塵やほこりを吸い込んだり、汚染された食べ物や水を摂取して、身体の外からだけでなく、身体の内部でも放射能による被曝をしたのです。被爆後65年経った今もなお多くの被爆者が、私以上にもっともっとひどい被害をうけて苦しみとたたかいながら、「ふたたび自分たちのような被害を繰り返させてはならない」と訴えて頑張って生きています。

  原爆=核兵器被害は、このように被爆者の「いのち(からだ)」に対する被害だけではありません。「くらし」「こころ」についても被爆者は、苦悩に充ちた人生を一生背負い続けているのです。健康障害をかかえた上に家族を失い、家庭が崩壊したためにその後の人生の立て直しを全く狂わされた人、さまざまな社会的差別に苦しみ続けてきた人、被爆したために「結婚」や「出産」を諦めた人は少なくありません。また母親の胎内で被爆したために小頭症の状態で誕生した子供の場合は、親は自分だけでなく、その子の生涯についても想像を絶する負担と苦悩を背負い続けています。被爆2世の白血病や癌による死亡についての情報も多く寄せられていますが、遺伝的影響については未解明のままに残されています。

   原爆は、このように被爆者に「人間として死ぬことも、人間らしく生きることも許さぬ」被害を与え続けています。私たち被爆者は、この人類史上最大の人災の生き証人です。

  しかし私たちは、「報復」を主張したことはありません。報復を考えるには、その被害があまりにも甚大で破滅的だったからです。私たちは、報復ではなくて、「自分たちのような体験はもうたくさんだ」、「この苦しみを人類の上に二度と繰り返させぬ」ために「核戦争するな、核兵器なくせ」と核兵器の廃絶を訴え、原爆被害に対する国家補償の実現を求めて運動を進めてきました。私たちの国の内外にわたって、被爆体験を語り、核兵器廃絶を訴える運動の輪を大きく広げてきました。そして今日まで幾度か直面した核戦争の危機を防ぐことに貢献してきたと確信しています。

  今人類は、非常に重要な状況に直面しています。

 昨年45日、オバマ大統領は、チェコのプラハでの演説で、核兵器を使用したアメリカの大統領として初めて、その道義的責任を認めて、「核兵器のない世界」に向けた力強い決意を表明しました。私たち被爆者は、心から敬意を表します。オバマ大統領の決意が、このたびのNPT再検討会議で活かされて、核兵器廃絶に向けた国際的な協議の場の設定と実現のための具体的な道筋の討議が直ちに開始されることを期待します。同時に私たちに課せられた任務の重大さも自覚しています。私たちは、今、国連本部のメインギャラリーで、原爆展「ヒロシマ・ナガサキから世界へのメッセージ」の展示と代表団による被爆体験の証言活動を行なっています。一日も早く核兵器の廃絶が実現できることを切望し、ともに頑張りたいと思います。


For a Peaceful Future without Nuclear Weapons and Wars

-- On behalf of the A-Bomb Survivors in Japan -- 


Mikiso Iwasa 

Funabashi City, Chiba Prefecture

 

May 2010

    


Dear friends,

I feel honored and pleased to be together with you, who have come to New York to achieve a successful outcome of the 2010 NPT Review Conference, and who are earnestly hoping and working for a world set free of the threat of nuclear weapons and nuclear war. Let us work together to abolish nuclear weapons without any further delay. Representing the Hibakusha, atomic bomb survivors of Japan, I have come here today to work for our common goal. Allow me to share with you my A-bomb experience and my appeal as a Hibakusha.   

The atomic bombs dropped on Hiroshima and Nagasaki on August 6, 1945 and on August 9, 1945 respectively turned the two cities into rubble in instants through the enormous, combined destructive power of blast waves, heat rays, and radiation. The citizens there were thrown into infernos of fire and devastation contaminated with radioactivity. 

At that time, I was a sixteen-year-old middle school student. As the factory at which I was mobilized to work was closed on that day due to a power shortage, I did not go to work. I was in the yard of my house, which was located 1.2 kilometers from what would be ground zero. Soon after I heard the roar of planes flying over, I felt the impact of a strong blast, and my body was smashed to the ground. I was not particularly injured, as the ground was soft soil. If I had stood about half a meter to the right, I might have been killed instantly, smashed on a garden rock. Miraculously, I suffered no burns, as I was in the shade of a neighbor’s house standing opposite mine across the street. 

In the ominous silence, it suddenly dawned on me that my mother was under the collapsed house. I cried out, “Mom!” And I heard her reply, “I’m here,” from under the fallen roof. I was relieved to know that she was alive, but my joy was short-lived. When I managed to lift the roof sheet and to thrust my head under, I saw the fragments of the collapsed support pillars scattered over the foundation of the house. Through narrow slits between them, I saw my mother lying on her back about a meter away. She was bleeding from her closed eyes. “I cannot get in from here. Can you move out from there?” I asked. She said, “I cannot move unless you remove the beam lying on my left shoulder.” I tried to remove the debris, attacking it from another side, but I could not make my way any closer to her. After some time, a fierce firestorm approached, and I worked desperately in a shower of falling sparks. There was no one to help me. Feeling powerless, I became nearly frantic and cried, “Mom, there’s no way I can move it. The fire is coming. Can’t you make it through somehow?” I had no idea what was happening in Hiroshima beyond the confines of my collapsed house. My mother must have been full of fear, not able to see anything around her, trapped under the fallen house. But she seemed to have accepted death and said to me, “Then you must escape quickly!” And she began to recite a Buddhist prayer. Hearing her prayer, I ran away. I left my mother to be burnt alive in raging flames. 

At that time, all around me was a sea of fire. I struggled through and managed to reach the swimming pool of a junior high school located behind our house. I jumped into the water and eventually escaped from the fire. But I saw a man, who was also trying to flee from the fire, reach the edge of the schoolyard a little later. He was enveloped in flames and burnt to death. Like him, many people were burnt to death after narrowly escaping their fallen houses. Losing their way in firestorms, they swarmed to a small water tank and died altogether. Similar dreadful scenes were seen everywhere in Hiroshima and Nagasaki right after the atomic bombings. It was literally a hell on earth. 

A couple of days later, I dug out what looked like my mother’s body from the ruins of our house. It was a greasy and slimy object, like a mannequin painted with coal tar and burned. I could not believe that it was my mother’s body. She was killed mercilessly, not as a human being but as an object. The deaths of A-bomb victims in Hiroshima and Nagasaki could not possibly be described as human deaths. 

My younger sister, then aged 12 and a first grader in a girls’ middle school, had been mobilized by the military and was working near ground zero when the bomb was dropped. To this day, she is still unaccounted for. We do not know where or how she died. As my father had died from an illness in May that year, I became an A-bomb orphan. Looking for my sister around the city center, I fell ill, suffering the acute symptoms of radiation poisoning. Scarlet spots developed all over my body. I could not swallow due to a sore throat. I bled from my nose and from my gums. I lost my hair. Thanks to the devoted care of my aunt, who lost her husband to the A-bomb, I survived. But since then, I have suffered many different illnesses and health conditions related to radiation poisoning. Recently, I developed cancer caused by the delayed effects of A-bomb radiation. I continue my Hibakusha activities while battling my cancer.

Please remember that my experience is only one of the several hundred thousand victims who went through the A-bombings. Not all of the Hibakusha were under the mushroom cloud. Many more people who later came into the city looking for their families or engaging in rescue work were also exposed to residual radiation, inhaling radioactive dust and air and drinking or eating contaminated water and food, irradiated not only externally but also internally. Even after sixty-five years, many Hibakusha still suffer from the dreadful consequences of the A-bombs, many worse off than I, but they still struggle to survive. We want to make sure that we stop repeating such atrocities. No one should have to experience such atrocities. 

The harmful effects of nuclear weapons are not limited to the damage done to the bodies of their victims. Survivors continue to suffer in their everyday lives and from psychological wounds that will never heal as long as they live. Many of the Hibakusha have had chronic health problems, have lost family members, have experienced family break-ups, and have not been able to rebuild their lives, facing various kinds of social discrimination, giving up thoughts of marriage and children. In the cases of those who were exposed to the A-bombs in utero and were born with microcephaly, their parents continue to bear unimaginable burden and suffering, not only as Hibakusha themselves, but as parents of Hibakusha. While we know of many cases of second-generation A-bomb victims who have died from leukemia or cancers, the mechanism of the genetic effects of the A-bombs remains unstudied. 

Thus, the A-bombs continue to inflict serious damage on the survivors to the extent that they are not allowed to die as human beings nor live as human beings. We, the Hibakusha, are living witnesses of one of the worst human disasters in history. 

But we have never called for retaliation. The A-bomb damage was too grave and too destructive to consider retaliation. Instead, we have promoted our movement to ensure that such tragedies should not be repeated. We have worked to prevent nuclear war and to abolish nuclear weapons. We have also worked to achieve state compensation for the A-bomb damage. We speak about our A-bomb experiences both in Japan and internationally. We are confident that our activities have contributed to preventing the outbreak of nuclear war in a number of crises. 

Now, we are at a very important juncture in our history. 

On April 5, 2009, U.S. President Obama in his speech in Prague, Czech Republic, expressed his strong determination to achieve a “world without nuclear weapons”, acknowledging for the first time the moral responsibility of the country that has used nuclear weapons to act for that goal. We the Hibakusha pay tribute to him for his statement. We sincerely hope that during this NPT Review Conference his determination will be translated into real action. Discussions should start immediately to set out a concrete path for international negotiations for and realization of the abolition of nuclear weapons. 

At the same time, we are aware of the significance of our own task. Currently, in the Main Gallery of the Visitors Lobby of the U.N. building, we are holding an A-bomb exhibition entitled “A Message to the World from Hiroshima and Nagasaki.” There, our delegation members are also giving witness to their atomic bomb experiences. Please come and visit our exhibition. We earnestly hope to achieve our goal of the elimination of nuclear weapons, and for this, we continue to work together with you. Thank you.

 

 


Monday, September 07, 2020

NHK広島放送局「ひろしまタイムライン」の「シュン」ツイッターが参考にしたと思われる新井俊一郎氏の手記

 「ひろしまタイムライン」の「シュン」6月16日、8月20日ツイートの元になっていると思われる、新井俊一郎氏の手記『激動の昭和史を生きて』(2009年)を友人が図書館から借りて該当ページを送ってくれました。差別的な言葉が含まれていますが、事実を伝えるためにここに公開します。閲覧には注意してください。


『激動の時代を生きて 戦争の時代を乗り越え半世紀』表紙

以下、傍線はブログ運営者によるものです。「朝鮮人」についての言及のある部分を中心に傍線を引きました。傍線を引いていない部分でも、「シュン」の6月16日、8月20日ツイートが参考にしたと思われる部分があります。

112-113ページ


114-115ページ


144-145ページ



146-147ページ



奥付

尚、問題になっているツイートがどのようなソースからどのような経緯で発信されたにせよ、それらのツイートが及ぼす差別的影響には何らの変わりもありません。このようなツイートがこのまま存在することは、新井氏にとっても不本意であろうことは、9月6日の朝日新聞報道からも読み取れます。これらツイートに対する責任はNHKにあるのであって、引き続き、これらの差別的ツイートの削除をNHK広島放送局に対して求めていきたいと思います。

以下の投稿を併せて読んでください。

NHK広島放送局は「ひろしまタイムライン」の、「シュン」による一連のヘイトツイートを削除してください。

Monday, August 31, 2020

関東大震災97周年 9.1朝鮮人犠牲者追悼集会 オリバー・ストーン監督とピーター・カズニック教授のメッセージ Oliver Stone and Peter Kuznick's message for the 97th anniversary of the massacre of Koreans in the aftermath of Great Kanto Earthquake

 きょう(日本の9月1日午前11時~)東京・墨田区の横網町公園「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」前でとり行われた「関東大震災97周年 9.1朝鮮人犠牲者追悼集会」に、オリバー・ストーン監督と、ピーター・カズニック教授(アメリカン大学、歴史学)のメッセージが寄せられました。英日語でここに紹介します。From 11 AM, September 1, the annual memorial ceremony for the victims of the massacre of Koreans and others in the aftermath of the Great Kanto Earthquake that occurred on September 1, 1923, was held at the Korean victims' memorial within the Yokoamicho Park, Sumida Ward, Tokyo. This year marked the 97th anniversary of the worst hate crime in modern Japan. Filmmaker Oliver Stone and historian Peter Kuznick sent a message for this memorial. 

式典の動画はここです。 



「鎮魂の舞」

Message for the Memorial for the Victims of the 1923 Kanto Massacre


September 1, 2020   

Americans may know Japan’s four decades of brutal colonial rule of Korea, but few know about the massacre of thousands of Koreans, hundreds of Chinese, and some Japanese socialists in the aftermath of the Great Kanto Earthquake of September 1, 1923, by Japanese soldiers, police, and civilian vigilantes, who were instigated by false rumors. We are heartened to hear that some Japanese remember and feel remorse for this terrible injustice and hold a memorial ceremony to honor the victims of the massacre. We are disappointed, though not surprised, to hear about intensified efforts by right-wing Japanese history deniers, including the governor of Tokyo, to whitewash this history. We know that confronting the past honestly is not easy for any nation. Our own country is struggling with this problem right now, especially as it involves racial oppression, the legacy of the Second World War, including the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, and the history of empire. We stand firmly in solidarity with those, like you, who fight for a truthful view of history and join you in mourning the victims, with the determination that we will never allow such crimes of hatred to happen again. 

Oliver Stone and Peter Kuznick     


1923年関東大震災時虐殺の犠牲者のための追悼式典へのメッセージ


アメリカ人は、日本の40年にわたる朝鮮半島の残酷な植民地支配について知っているかもしれませんが、192391日の関東大震災の後、流言飛語に扇動された軍、警察、民間の自警団によって、何千人もの朝鮮人、何百人もの中国人、そして日本人社会主義者が虐殺されたことを知っている人はほとんどいないでしょう。私たちは、日本人がこの恐ろしい不正義を記憶し、反省し、大虐殺の被害者を追悼する式典を行っていることを聞き、勇気づけられる思いがします。私たちは、東京都知事を含む、日本の右翼的歴史否定主義者たちが、この歴史を歪曲しようとする動きを強めていることを聞いて、驚きはしませんが、失望しています。過去に正直に向き合うことは、どの国にとっても容易なことではないでしょう。それは私たちの国が今直面している課題でもあります。とりわけ人種的抑圧、広島・長崎への原爆投下を含む第二次世界大戦の負の遺産、帝国の歴史といった歴史問題があります。私たちは、皆さんのような、真実の歴史観のために闘う人々との連帯を強固にし、このような憎悪に基づく犯罪を二度と起こさせないという決意のもと、みなさんと共に被害者を追悼したいと思います。

2020年9月1日 

映画監督 オリバー・ストーン & アメリカン大学教授 ピーター・カズニック

(翻訳 乗松聡子)

Sunday, August 30, 2020

「シュン」ツイートの差別性を認めながらも削除に反対する人へ(@PeacePhilosophyツイッターより抜粋)To those who recognize the discriminatory nature of Hiroshima NHK's "Shun" tweets and still oppose deletion of them

 

「シュン」のツイッターは8月21日以来更新されていない。

NHK広島「ひろしまタイムライン」の「シュン」の差別ツイート関連です。まだの人は8月23日8月28日の投稿を読んでください。また、8月28日東京新聞の「こちら特報部」で取り上げられました。読んでください。

自分のツイッターからの抜粋ですが、記録のためにここに置いておきます(一部修正後)。

フェースブックの投稿にはコメントも複数ついています。読んでください。

【8月27日、ある人がツイッターで川崎哲氏もこの問題に関心を持っているようで、ブログに論考を書いています。ただ事実関係は今後の検証でNHK側の説明が崩される可能性があり、現段階では一般論で話を進める以外にないのでしょう。」と言って記事を送ってきたのに対し】

以下、私のツイッターでのリアクションです。

問題はヘイトツイートがいま存在しているということであってNHKがどう説明するのかは二次的問題です。現段階では、とかそういう問題ではないのです。削除しなければいけないヘイトなのです。殴っている人がいるとしたらなぜ殴ったかなんかは、まず殴るのをやめさせてから考えることです。(リンク

ヘイトスピーチに「表現の自由」など適用しないことはもう常識中の常識です。これだけこのツイートに問題点を見出していながら、削除に反対する人がいるとしたら、やはり、当事者ではないから、当事者の気持ちに一瞬でも思いを馳せることがないからなのではないかと思います。気づいてほしいです。(リンク

他にもっと酷いヘイトがあるとか言う人がいる。どんなヘイトだって大問題だけど、今回の問題の根幹の一つに、これが、こともあろうに公共放送のNHKが発信しているヘイトだってことなんですよ。その社会的影響力は計り知れないものがあるんです。だから全力で抗議しないといけないんです。(リンク

「ひろしまタイムライン」ツイートの差別性を認めておきながら削除に反対する人は、当事者にとって、このツイートが一秒でも長く存在すればその時間分暴力が続くということがわからないのでしょうか。悪いね、暴力だね、といいながら、殴っている人を止めないのでしょうか。自分が殴られているわけではないから?(リンク

さきほど賛同してくれた、在日朝鮮人人権協会の朴金優綺さんのコメントをここに紹介します。
『在日朝鮮人への差別と暴力を扇動する効果を持つヘイトツイートをNHKが削除せず放置している現実に、そしてそれを日本政府が傍観している現実に、在日朝鮮人の一人として、何度目とも知れない失望感を抱いています。国連の人種差別撤廃委員会は2018年、日本政府に対して「政治家およびメディア関係者を含む、私人あるいは公人によるヘイトクライム、人種主義的ヘイトスピーチおよび憎悪の扇動を調査し、適切な制裁を科すこと」を勧告しています。NHK広島による当該ツイートの削除はもちろんのこと、日本政府による同勧告の履行と再発防止措置を強く求めます。』

以上です。 

引き続き賛同の連名やコメントを募集しています。同時にNHK広島放送局に抗議してください。賛同・連名してくれた方々の名簿はここ、この投稿のコメント欄にはたくさんのコメントをもらっています。

Wednesday, August 26, 2020

NHK 広島放送局に電話し、広島の平和・反核の訴えを担ってきたこれだけの人たちが差別ツイート削除を求めていると伝えました。I called NHK Hiroshima and told them that many people who are leading the No-More-Hiroshima/Nagasaki movement are demanding deletion of their Tweets that instigate hate against Koreans.

8月23日(8月25日追記)の投稿をまだの人は読んでください。

NHK広島放送局は「ひろしまタイムライン」の、「シュン」による一連のヘイトツイートを削除してください。

NHKが「謝罪」したという報道が流れたとき、私が声をかけた多くの人が、NHKは「謝罪」したのだからツイート自体を削除したと思い込んでおり、いや、ツイートはそのままですと言ったら「信じられない」という反応を示していました。当然と思います。過ちを認めているのに、いつでも削除できるツイートをそのままにしておく(削除を拒否する)とは誰の目にも理解できないと思います。

削除の訴えには、26日の時点で、80人以上の人が賛同してくれました。

日本時間の8月27日午前10時すぎ、私はNHK広島放送局の「ご意見・お問い合わせ」番号に電話しました。ここでは意見を聞くだけで、返答はしてくれないということで、とりあえず以下を伝えました。

★すでに何度もメールしましたが、返信をもらえていないこともあり、電話しました。

★「配慮が不十分だった」という「謝罪」を出したのに、差別的ツイートを削除しないというのはおかしい。そのままでは差別は助長され、傷つく人たちがもっと出てくるので削除してほしい。

削除の訴えには80人以上の人たちが連名してくれている。この中に、広島・長崎の平和、反核の訴えを中心的に担ってきた人や、団体の人がいる。たとえば、

  • サーロー節子さん(カナダ在住の広島被爆者)
  • 和田征子さん(日本被団協事務局次長、長崎被爆者)
  • 平岡敬さん(元広島市長)
  • スティーブ・リーパーさん(元広島平和文化財団理事長)
  • ピーター・カズニックさん(アメリカン大学教授)
  • 野平晋作さん(ピースボート共同代表)
  • ノーマ・フィールドさん(シカゴ大学名誉教授)
  • ランメル幸さん(バンクーバー在住の広島被爆者)
  • 三宅信雄さん(埼玉在住の広島被爆者)
  • 高橋博子さん(大学教員・元NHK中国地方放送番組審議会委員)
  • 田中利幸さん(広島市立大学平和研究所元教授)
  • 藤岡惇さん(立命館大学名誉教授)
★あとはこのサイトを見てくださいと伝えておきました。

NHKは、公共放送が差別を再現・扇動するようなツイートを発信するなど許されない、国際的に見てもあり得ないということをわかってほしいですし、ツイートを削除してもらいたいと思います。

乗松聡子@PeacePhilosophy 

PS:全員のお名前を言う時間がなかったのは悔しいですが、当サイトに来て賛同者リストをみてくださいと念を押しました!

賛同者リストはこの投稿の末尾にあります↓コメントも読んでください。



Tuesday, August 25, 2020

福山市の医療機関で差別を受けたYさんに対する医師の「謝罪」と市の対応についてYさんからの報告

 ★8月26日追記。「下線④」となっていた部分は正しくは「下線③」でした。訂正しました。

7月29日投稿「福山市が市民に提供する無料風疹抗体検査を受けた福山市民のYさんが担当医師から受けた差別」、8月6日の投稿「福山市の無料風疹抗体検査で医師から差別を受けたYさんからの経過報告」の続きですが、被害者のYさんからのその後の報告です。大変怒りを感じる内容です。市の「人権」担当職員は、最初、医師が直接Yさんに謝罪する場を設けるという提案をしました。検査の結果を聞くためにもう一度この医師に会うことさえ非常に負担が大きかったのに、その後もう一度さらに会うということはYさんには耐えられないことでした。そこで文書での謝罪を求めたところ、医師はそれを受け入れ謝罪文を書きましたが、市はそれを渡すために被害者のYさんを市役所に出頭させ、男性2人対女性1人という構造で会合は2時間に及びました。市の職員は加害者である医師を擁護しながら、医師の謝罪を受け入れるようYさんを説得しようとし、Yさんは、自分の意思に反してこの謝罪を受け入れなければいけないという重圧を感じました。謝罪文は、Yさんがここに書いたように納得のいかない言い訳だらけのもので、率直に差別を認めて謝罪する内容ではありませんでした。それを問題視するYさんに対し、市の職員は「怒らないでください」と何度も言ったと言います。弱い立場、差別される立場の人が当然の怒りの声をあげると「感情的になるな」といってその声を抑えつけることを「トーンポリス」といいますが、これはまさしくトーンポリスと思いました。それなのに、Yさんの報告にもあるように、ご自分は声を荒げるときもあったとか。また、今回、市側は医師の謝罪文を全文公開はしないようにYさんに求めました。「事情も知らないのに好き勝手に書く人がいる、攻撃的なことを書く人がいる」からというような言い方だったそうです。私がいままでこの件について書いてきたことはすべてYさんのチェックを受け、Yさんの気持ちを反映する内容であることを確認しています。Yさんはこの報告を、当初の事件のときを上回る絶望感と苦痛の中で書きました。Yさんがここに書くように、率直に差別したことを認め謝罪する誠実な謝罪文であったらここに内容を記す必要もなかったでしょう。市役所の「人権」担当職員が本当に被害者の意向と気持ちを尊重する対応をしていたら、このような報告をしなくても済んだでしょう。私自身、謝罪文と市の対応の個々の項目については言いたいことはたくさんありますが、今回は保留し、まずは読者のみなさん、Yさんを支援する人たちに読んでもらいたいと思い、ここに掲載します。(前文 乗松聡子@PeacePhilosophy)


(ここから、Yさんの報告)

 812日、市職員から連絡あり。医院を訪問し事情を説明したとのこと。医師は、行き違いがあったようだ、直接謝罪したい旨話したとのこと。市役所での面会を提案される。一旦了承するも、連休明けに再度対面することを想像すると一睡もできない。

 813日、医師からの面前謝罪を断り、謝罪文による謝罪を提案する。819日、市職員より謝罪文が届いたので翌日市役所に来てほしいと伝えられる。

 820日、市役所で職員2名と2時間ほど会合する。

 謝罪文は市職員にメールで届き、プリントアウトされたものを受け取る。職員2名はすでに目を通していた。

824日、市役所職員(下記3.の発言者ではない)に電話する。謝罪は重要な点で不十分があり受け入れられないと医師に伝言し、20日の会合における職員の対応は不適切な点が多くあり、信頼していただけに絶望したと伝える。職員からは「申し訳ない」と謝罪を受ける。

 

1.謝罪文の概要

・傷つき不愉快な思いをさせたことへの謝罪

「言い訳に聞こえるかもしれませんが」との前置き後、受給資格として住民票が福山市にあるかを確認するため ①福山市への納税=住民票の有無を聞いた

国籍や婚姻等は無関係な質問であった

当日が土曜日であったため、本来であれば福山市へ問い合わせるべきところ、本人に口頭で確認した

※②後で検査要綱資料を確認したところ健康保険証での住所確認でよかったことがわかった。確認不足により、あとで考えれば不適切な質問をして申し訳なかった

・外国籍の患者は多く来るが差別をしたことはないし、自身の留学経験で幾度もつらい経験をしたこともあり、気を付けていた。差別する気持ちはまったくないにもかかわらず、発言で傷つけてしまった行為そのものが差別であると受け止めている

・意図と違う結果になってしまったのは自分の不徳によること、謝罪

 

2.謝罪文への所感

 下線①について、質問は「あなた、税金ははらっているの」であり、「税金は福山市に払っているの」というような表現ではなかった。その後に住民票は福山市に移したかという質問が続いた。日本語として質問文の述語「払っているの」の主題は「税金は」であり、「福山市に」ではない。医師が住民登録の在りかを確認したい意思でこの質問をしたというのは疑問である。

 市職員によると、③国民健康保険であれば住民票の確認ができたが、Yさんは社保なので住所が記載されておらず、医師は住民票について質問したようだ。不明の場合、口頭で質問することになっている。

 下線③について、医師は、口頭で住民票も福山市にあるとの返答を得たにもかかわらず、その後自己負担にすると述べている。

 自己負担にしようと思ったのは社会保険被保険者だからだろうか。下線②によると、問診後、要綱を確認して初めて健康保険証で足ると知ったという。しかし、社会保険の被保険者でこの検査を受けたのは私が初めてであるとか、社会保険被保険者がこの種の検査を希望する場合、毎回住民登録の有無を福山市に問い合わせていたというのは、信じがたい。

 ちなみに、福山市のHPでは住所確認資料として、健康保険証のほかに運転免許証も候補に入っている。運転免許証は当日も携帯していたが、求められなかった。

 次に、無関係な質問であったという国籍や婚姻手続の有無などは、対象者であるかどうか判断する文脈で質問し、最後には「あなた(Y)は自己負担で」でと結論付けている。

 「韓国籍?朝鮮籍?」との質問、日本人である夫の「籍に入っている」か否か、夫(福山市で発行された国民健康保険を提出していた)の国籍まで聞いたり、「日本人だけど外国人と結婚しているということね」と述べたことからは、外国人は市民であっても無償検査の対象ではないと判断していることが伝わった。当日の医院は混雑しており医師はとても忙しく、これらは雑談という口調でもなかった。

 外国籍市民を市民として同等に扱わなかった点に差別発言の根源があるのに、住民票が福山市にあるか確認しようとした経緯を述べた部分は、「言い訳」として成立していない。

 

3.市側の反応

 会合における発言のほとんどは職員2名のうち上席の方からであった。以下は、その一部である。

・(謝罪文の感想を聞いたところ)言い訳はあるが、行為が差別であると認めている点は評価できる。

・医師からはすぐに謝罪の言葉が出た。事実を認めず悪びれない差別者が多いなか、医師はしっかりと反省している。Yさんもつらいと思うが、医師も自責の念に駆られ夜も眠れないそうだ。

・医師は、今まで対象ではない人に無償で検査を受けさせてしまい、求償するのに苦労した経験があるそうだ。

・当日クリニックは忙しく、思いついたことをポンポンと言ってしまったのだろう。そうであったとしても、彼の行いが差別であることに変わりはないが。

・(今回の件とは別に)人権教育を受けていなかったためにネットで差別を書きこんでしまった人は加害者であり被害者でもあるから啓発していきたい。

・医師のように差別をしてしまったが、しっかりと反省した人を差別と闘う人に変えるのが目標。

・謝罪文の全文をネット上に公開することは辞めていただきたい。

・医師は返事を待っており、放置はしないでほしい。

・Yさんの意思がわからなかったので、話せてよかった。

 

4.市側の対応への所感

 直接事実確認のためクリニックを訪ねてくれて、ありがたかった。

 会合では、話をよく聞いてくれた。

 しかし、医師を思いやる言葉に続き返事を促されたことから、謝罪文が受け入れられるかどうかは他者が決めることではなく、被害者自身が決めるということを理解しているのか、不安に感じた。

 また、市の職員は、医師の反省した様子や評価できる点を話す際に「怒らないでくださいね、あくまで客観的な話をしているのです」と何度も前置きする一方、私が「医師の発言は在日を二級市民として扱っている」と表現したときは、「それは絶対に違う。すぐに謝罪するような人が二級市民と思っているはずがない」と結構大きなトーンで反論され戸惑った。その後、医師が何を「思って」いようが、医師が行った差別的発言の影響に変わりはないことから、発言行為そのものをもって「二級市民としての扱い」と表現したと説明し、理解を得られた。

 

5.結語

 私が市に求めているのは再発防止の一点である。

 率直に差別行為を認める謝罪文であったならば、ここに引用するつもりはなかった。

しかし、謝罪文はのマークをつけたような言い訳や説明が全体の50%以上を占めているうえ、下線②にすら行動と内心が分離していたと捉えられる断り書きがついている。差別する「気持ち」は決してなかったが「行為」が差別になってしまったからそれを謝るというスタンスでは、もはや謝罪と言えるのか。少なくとも再発防止にはつながらないだろう。

また、市の職員の発言について引用することも悩んだ。職員の方たちは事実確認のため医院に赴くなど助けられている面も多いからである。しかし、人権侵害が起きた時、市のような公共機関がいかに対応したかという情報には公共の利益があり、とくに福山市民の読者の方には有用な内容であると思い、率直に書くことにした。

 (以上)

Sunday, August 23, 2020

NHK広島放送局は「ひろしまタイムライン」の、「シュン」による一連のヘイトツイートを削除してください。NHK Hiroshima, please delete tweets that instigate hate against Koreans in Japan.

8月28日追記。28日付東京新聞「こちら特報部」で取り上げられました。見出しは
NHK広島 「コリアン差別助長ツイート」国境越え削除求める声 抗議ブログに被爆者ら賛同 「創作と事実ごちゃ混ぜ」「植民地支配説明を」』。被爆者の和田征子さん、三宅信雄さん、元広島市長の平岡敬さんの談話が載っています。

8月26日追記。こちらの続報も見てください。

8月25日追記。多くの賛同をありがとうございます。私のもとに寄せられるコメントは「まだ削除されてないの」という驚きの声が目立ちます。みなさんNHK広島放送局に個別にも抗議してください⇒https://www.nhk.or.jp/hiroshima/contact/

8月24日追記。NHK広島局は8月24日「6月16日・8月20日のツイートについて」という声明で、「戦争の時代に中学1年生が見聞きしたことを、十分な説明なしに発信することで、現代の視聴者のみなさまがどのように受け止めるかについての配慮が不十分だった」とし、過ちを認めたにもかかわらず、肝心のツイートの削除をしていない。これには目を疑った。「おわび」も、関係者(内輪)に対してしかしておらず、このツイートが脅威をもたらす対象である在日コリアンの人たち、公共放送がヘイトを発信するという社会全体への重大な影響への配慮はゼロだ。一部の関係者が個人攻撃的な批判を浴びているということを聞いており、これは不当だと思うが、この声明は、批判を浴びた関係者を守るという立場しか取っておらず、このヘイトがターゲットにされた人たちを完全に無視しているのである。私にはこの声明は謝罪文などではなく、「ヘイトツイート削除拒否宣言」にしか見えない。NHK広島局、「ひろしまタイムライン」の関係者は事の重大さを理解してほしいと思う。コメント欄も読んでほしい。賛同は続々届いており、「まだ削除されていないのか」という驚きの声が多い。

平岡敬(ひらおか・たかし)元広島市長の賛同も得ました。引き続きこのサイトでは賛同を募ります。下の賛同者リストにならいお名前等の情報を peacephilosophycentre@gmail.com に送ってください。同時にNHK広島局に抗議もしてください。コメントもいただければこの投稿のコメント欄に掲載します。(8月26日追記:賛同しているけれどお名前を出すのは躊躇される方はいらっしゃると思います。ぜひNHK広島局に直接抗議をお願いします。)

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

日本では公共放送局がこのようなヘイトを行うのか。



「1945ひろしまタイムライン」は、「日本が戦争をしていた1945年にSNSがあったらどんなことをつぶやいていたのだろう」というテーマで、当時広島にいた3人の市民の日記を「手がかりに」、現在広島で暮らすメンバーが「当時の生活をじっくり想像」しツイッターで日記のような形で発信するというプロジェクトだ。ホームページは https://www.nhk.or.jp/hiroshima/hibaku75/timeline/ 

ツイッターのアカウントは
シュン@ひろしまタイムライン (中学1年生の新井俊一郎さん)
やすこ@ひろしまタイムライン(主婦の今井泰子さん)
一郎@ひろしまタイムライン(新聞記者の大佐古一郎さん)

今回問題視されているのは「シュン」のツイートの中で、朝鮮半島にルーツのある人たちへの差別を再現あるいは扇動するような内容のものである。最初にハフポストの報道でこれを知り、実際のツイートを読んだときは、現代の日本で、仮に「当時の再現」といった設定で発信されたにせよこのようなヘイトともいえる内容が平気で発信されてしまっていることに衝撃と恐怖を感じた。それもネトウヨとかではなくNHKという日本を代表する公共放送局がである。内容はひど過ぎて、ここに直接その表現を引用することは私はできない。リンクを張ることさえはばかられるが、何を問題視しているか示さなければいけないのでリンクだけは張る。

私が把握している限りは問題のツイートは、6月16日のこの3つ

と、8月20日のこの3つだ。


私はカナダに四半世紀住んでいることもあり、すぐ、これが「カナダで起ったら」と想像して、SNSでこう発信した。
<ジャ○プだ!! 敵性外国人となったジャ○プの群衆が、列車に乗り込んでくる!>といった発言は当時の北米にあってもおかしくないですね。当時の再現としてカナダの公共放送局CBCがこんなツイートしたら恐ろしくて外に出られなくなりそう。
アジア太平洋戦争時、米国やカナダでは日系人は「敵性外国人」とされ、財産を奪われ、強制収容所に送られた。NHKに相当する公共放送のCBCが現在、このような歴史を記憶するプロジェクトをはじめて、このような発信をするなど到底考えられないし、万が一あったら、ヘイトであると、瞬時に全国の世論が炎上し、政府や国会も黙っていないだろうし、国際的な批判も浴びCBCは謝罪と撤回を余儀なくされるであろう。これはやはり差別・迫害された歴史をもつ(現在も続いている)先住民、ユダヤ人やムスリムの人たち、ブラックの人たちなどについても同様である。もちろん、苦い歴史の記述という文脈で、このような差別があったのだ、という解説番組はあり得るし、そういう場合は、歴史から学び二度と起こさないという意味では大事であろう。しかしそういった差別発言をそのまま生の形で、実在する人が今言っているかの如くSNSで発信してしまうというのはこれは差別行動にほかならず許されるものではない。今回のツイートで脅威にさらされるのはむろん在日朝鮮・韓国人の方たちである。1923年9月1日の関東大震災後に、朝鮮半島出身者についての根も葉もない流言飛語が流され、何千もの人たちが虐殺された事件を思い出すであろう。おまけに、現在の日本は政府・メディアを筆頭とし、植民地支配の歴史を反省し植民地主義を乗り越える努力をするどころか、歴史を学ばず否定さえ行い、朝鮮半島をルーツに持つ人たちへの偏見や差別は悪化している風潮さえある。そのような社会の中でのこの一連のツイートは、公共放送ともあろうものが社会にはびこる差別心にお墨付きを与え、ますます増長させるきっかけになりかねない。そういう意味でこの一連のツイートは「ヘイトスピーチ」であると私は断言する。

だからNHK広島局がこれだけの批判を浴びても謝罪・撤回しないのはただただ信じられないという思いで見ている。私はSNSでこうも呼び掛けた。
NHKに抗議のメールしました。「平和都市広島」の心ある人たち、また「ノーモアヒロシマナガサキ」運動をやっている人たち、「被爆地」の放送局がこういうヘイトをやることに対しいまこそ立ち上がり毅然と声を上げるときではないですか。
NHK広島局への連絡方法はここにある。私も引き続き、メール、電話をしようと思っている。現地で抗議・スタンディングをしている人たちもいるようだ。敬意を表する。

一連のツイートの、朝鮮半島にルーツを持つ人々に関連する内容は、サイトで公表されている新井さんの日記の原文には出てこない。NHKは「手記とご本人がインタビューで使用していた実際の表現にならって掲載しました」と言っている。しかし実際に当時の13歳の少年が見たことの記述としては不自然な表現もある。過去の漫画作品の中にそっくりの場面が出てきているという声もある。当時の日記を「手がかり」に、「当時の生活をじっくり想像」しているというが、NHKはここまでの具体的な内容のソースを明らかにすべきである。

NHKは、さる6月「これでわかった!世界のいま」という番組で Black Lives Matter 運動を解説する中でブラックの人々への偏見に満ちたアニメーションを流しツイッターでも発信したということで批判が噴出、謝罪と撤回を行った。今回は対照的に、居直りとも取れる声明を出している。「これでわかった!」のときは米国大使館からの抗議があったことが影響したのかもしれないと思っていた。NHKに伝えたいが、公共放送として、ヘイトを助長し人を危険と恐怖にさらすようなツイートは即刻削除していただきたい。

また、被爆者の新井俊一郎さんには、ご自分の名前でこのようなヘイトツイートが発信されてしまっていることを容認しないでいただきたい。発言主とされている新井さんが削除を要請すればNHKは拒否はできないはずです。

2020年8月23日 

乗松聡子     ピース・フィロソフィー・センター代表(カナダ・バンクーバー)

【以下、賛同し連名してくださった方々】
★賛同される方は下の例にならってお名前などの情報を peacephilosophycentre@gmail.com にメールを送ってください。「NHK広島の件」などと、わかるようなタイトルをつけてください。コメントも歓迎です。コメントをいただけた場合、この投稿のコメント欄に掲載の許可もいただいたとみなしますのでよろしくお願いします。★同時にNHK広島放送局にも抗議をしてください⇒https://www.nhk.or.jp/hiroshima/contact/

仲渡尚史 保育所所長 広島市
兼近修身 翻訳業 滋賀県高島市
姜英哲 会社員 東京都
加藤夕貴 専門職 カナダ
安西玲子 ピアノ教室講師 岐阜県
レイチェル・クラーク 通訳 米国ニューヨーク州
鄭剛憲 団体職員 神奈川県
黄 圭 IM Holdings Ltd代表 会社役員 カナダ・バンクーバー
成澤宗男 ジャーナリスト 神奈川県
羽田ゆみ子 出版社 東京都

浜田守彦(ひこぱぱ) 無職 兵庫県
紺田亮 飲食店
久保田竜子 大学教員 カナダ・バンクーバー
藤岡惇 教員 京都市
田中利幸 歴史家
山本英夫 沖縄県名護市
東本高志 Blog「みずき」主宰 大分市
ノーマ・フィールド シカゴ
長谷川澄 退職大学教員 カナダ・モントリオール
鬼原 悟 広島県福山市

木村朗 鹿児島大学名誉教授 鹿児島県鹿児島市
吉澤文寿 大学教員 新潟市
長坂りえ 無職 東京都
前田 朗 東京造形大学教授 東京都
文英愛 専門学校講師 広島県
申嘉美  事務員   東京都
佐相洋子 大学研究所研究員 東京都
金井良樹 編集者 広島県
小島亜佳莉 編集者 広島県
吉池俊子 アジア・フォーラム横浜 神奈川県

渡辺孝 バンクーバー9条の会 
勝守真 元大学教員 仙台市
富田杏理 自営業 沖縄県
大槻とも恵 カナダ・モントリオール
李美恵 岡山県倉敷市
平岡敬 元広島市長
新海智広 高等学校教員 長崎県
中野昌宏 大学教員 神奈川県
田中裕介 著述家 カナダ・トロント
船井汎彦 無職  千葉県 

中川健太 大学院生 カナダ
和美マースィエンセン アーティスト カナダ
厚木ロバーツ世以子 大学講師 カナダBC州
藤村寛 広島市
安藤かがり 翻訳業 カナダ、バンクーバーアイランド
落合栄一郎 カナダ・バンクーバー
斉藤正美 富山県高岡市
加藤圭木 一橋大学大学院社会学研究科准教授
高橋哲哉 哲学者
鈴木博子 保育士 カナダ・モントリオール

宮本ゆき 大学教員 シカゴ
辻 央 沖縄県 団体職員
小東ゆかり 自営 兵庫県
北崎由美子 無職 長崎県
奥本京子 教員 大阪市
高橋博子 大学教員(歴史学)元NHK中国地方放送番組審議会委員
園田尚弘 長崎市
ピーター・カズニック アメリカン大学教授(歴史学) 米国メリーランド州
野平晋作 ピースボート共同代表
三宅信雄 広島の被爆者 埼玉県志木市在住

崎山昇 無職 長崎県
原 京子 主婦  カナダ
秦 珠子 団体職員 茨城県
幸野真 会社員 東京都
リ ムナム 無職 神奈川県横浜
米津篤八 翻訳家/大学非常勤講師/大学院生 東京都
インドールかおる 日本
ランメル幸 広島被爆者 カナダ・ノースバンクーバー
チャールズ・ランメル 温泉評論家 カナダ・ノースバンクーバー
河野誠 C.R.A.C. Okayama 広島県福山市

趙貞淑 会社員 東京都
染木 冨美代 岡まさはる平和資料館受付スタッフ 長崎市在住
平野伸人 平和活動支援センター所長 長崎市在住
朴修鏡 狭川平和の家運営委員会
高橋郁臣 大学院生 東京都
丸尾育朗 被爆二世 長崎県諫早市
福田美智子 岡まさはる記念長崎平和資料館 山口市/フィリピン・マニラ首都圏
日本被団協 事務局次長 和田征子
東 耕三 兵庫県
スティーブ・リーパー 元広島平和文化財団理事長

与那覇恵子 名桜大学非常勤講師 沖縄
松﨑涼子 社会福祉士 神奈川県川崎市
井上まり 弁護士 米国 ニューヨーク市
奥山 忍 高校教員 長崎県
有田光希 会社員・YouthForumFukuoka所属 福岡県
大賀和男 ジャーナリスト(元新聞記者)福岡市
サーロー節子 広島被爆者 カナダ
山口智美 モンタナ州立大学准教授
木村静子 無職 埼玉県
有田芳生 参議院議員 東京

横山知枝 辺野古抗議船船長 沖縄県
堂前圭佑 弁護士 広島県
モーガン ジャイルズ 翻訳者 英国•ロンドン
石田謙二 会社員 長崎市
木村英人 長崎県西彼杵郡
上田真弓 演劇人 大学非常勤講師 沖縄県
大阪府 谷川佳子  
高原孝生 明治学院大学 神奈川県
朴金優綺 団体職員 大学非常勤講師 東京都
林田光弘 神奈川県

花垣ルミ 広島被爆者
田中むつみ 沖縄県
田部井杏佳 職員 東京都
松浦弘幸 出版社 東京都 
葉山慧 学生 東京都
宜寿次順子 沖縄県 パート
水出真砂絵 行政書士 鹿児島県
瀬口典子 大学教員 福岡 ミズーラ/モンタナ USA
押田江里子 府中市
岩谷和美 「東アジア共同体沖縄(琉球)共同体研究会」「大阪いしずえ会」会員

石原昌家 沖縄国際大学名誉教授 
藤澤宜史 会社員/労働組合執行委員 神奈川県
戸田清 大学教員 長崎市
久保俊一  建設業
双葉恵 Kei Futaba(反核平和運動の末端にいる者)
高嶋 道 元教師
奥村 弘 福祉職員 広島市
田中一彦 会社員 横浜市
石川求 東京都立大学教授
高嶋伸欣 琉球大学名誉教授 元・教育テレビ通信高校講座講師

岡原美知子 広島県
北村めぐみ 手話通訳 広島市
内野端樹 アナーコパンクス 福岡県
寺尾光身(てらおてるみ) 名古屋工業大学名誉教授 埼玉県
吉田明彦 大学非常勤講師 兵庫県神戸市
永津悦子 高麗博物館会員 神奈川県
砂田和美 テレビ番組アシスタント・プロデューサー 千葉県
かがや浩子 無職 東京都
堀江節子 富山市
高雄きくえ ひろしま女性学研究所 広島市

豊永恵三郎 広島被爆者 広島市
安くんじゅ 比治山大学非常勤講師
高橋えいき アルバイト 神奈川
秋葉忠利 前広島市長
田代雅美 長崎市
小寺隆幸 原爆の図丸木美術館副理事長 明治学院大学国際平和研究所研究員 東京都
前田佐和子 宇宙科学研究者
戸田光子 無職 東京
永津悦子 高麗博物館会員 神奈川県
ヴェール ウルリケ 広島市立大学教員

武田興欣 青山学院大学 東京都
文英淑 信用組合職員 山口県
李由美 自営業 山口県
文相淑 飲食業 山口県
文赫 会社員 山口県
浅野健一 元同志社大学大学院教授 元共同通信記者 日本国千葉県柏市

Friday, August 14, 2020

8.15 光復/敗戦 75 周年 日韓市民社会の共同声明 8.15 광복/패전 75주년 한일 공동선언 Korea-Japan Civil Society's Statement to Mark the 75th of "8.15"- Korea's Liberation Day and Japan's Surrender Day

 한국어는 다음을 참조하십시오.

日本では「終戦記念日」「敗戦記念日」とよばれる降伏記念日、米国や英国では「Victory over Japan Day (VJ Day) 対日本戦勝記念日」、韓国では「光復の日」、朝鮮では「祖国解放の日」と記憶される「8.15」に、ぜひ共有し、広めたいと思う声明「8・15光復/敗戦 75 周年  日韓市民社会の共同声明 」が出ました。「日韓和解と平和プラットフォーム」に賛同します。

関連報道

朝日新聞 「日韓和解を」団体が発足(7月3日)

Yahoo(ハンギョレ)韓日市民団体、「東アジアの平和への協力」に向けた共同宣言を採択

8月12日、ソウル市内で開かれた「8.15光復・敗戦75周年 韓日共同宣言記者懇談会」

8.15 光復/敗戦 75 周年  日韓市民社会の共同声明 

 

   1945 年より 75 年の歳月を経た今年7月2日、日韓の和解と平和を求める市民社会と宗教者は、世界を襲うコロナ禍の困難をこえて、「日韓和解と平和プラットフォーム」(以下、日韓プラットフォーム)を設立しました。 

  その設立の背景とは、75 年前の8月 15 日敗戦にもかかわらず、日本は「大日本帝国」による朝鮮植民地支配の歴史責任が、清算されることなく今日まで来てしまったこと、その結果として、昨年、日韓関係が戦後最悪とも言える膠着状態に陥ってしまったことであります。この事態に心を痛め、このまま座視してはならないという危機意識から、今こそ歴史を直視し、その責任の内実を問い直しつつ、日韓の和解と平和を求める連帯の架け橋を構築しようとする決意が、日韓の市民社会と宗教者の間で共有されました。  

  この 75 年間、日本と朝鮮半島を束縛してきた不条理とは、何だったのでしょうか。   1875 年、日本軍艦による江華島での軍事挑発以来、大韓帝国は圧倒的な軍事力を持つ大日本帝国の圧迫のもとで、日露戦争下での第一次日韓協約、そして日露戦争直後の第二次協約によって大日本帝国の「保護国」へと追い込まれました。そして 1910 年8月、強制併合され、朝鮮半島の民衆は、36 年に及ぶ過酷な植民地支配による政治的弾圧と経済的収奪、そして国家神道に基づく皇民化政策による朝鮮社会・文化の破壊の苦難を被ることとなりました。さらに朝鮮半島は、「大東亜共栄圏」を謳う大日本帝国による中国侵略の兵站基地とされ、多くの人びとが強制連行され、過酷な労働と性的搾取を強いられました。 

  1945 年、日本による 15 年侵略戦争と植民地支配が終結しましたが、東北アジアはまたたく間に米ソ冷戦体制の桎梏のもとに置かれることになりました。冷戦の不条理は、植民地支配を受けた朝鮮半島には南北分断と朝鮮戦争の悲劇としてあらわれ、一方日本においては、植民地支配の責任の究明が不問に付されたまま、1952 年のサンフランシスコ講和条約(日米安保体制)によって、米国の極東軍事戦略を補完する従属国家体制の道を歩む結果となりました。 

日本は、朝鮮戦争「特需」によって敗戦の廃墟から経済的に復興する契機を得ました。そして日本は、南北に分断したまま、1953 年の休戦後、焦土の中から立ち上がろうとしていた朝鮮半島の南側の韓国とのみ会談を重ね、経済的優位の立場から日韓条約を 1965 年に締結することとなりました。日本は、その条約に伴う請求権協定において、韓国併合が不当な軍事・政治的圧力のもとに強いられた占領であることの歴史とその謝罪と責任について一切言及することなく、経済協力の美名のもとに韓国政府をして請求権放棄に同意させ、自らの歴史責任を不問に付したのです。 


(1)日韓の歴史問題に対して 

私たちは、日本による朝鮮植民地支配の起点となった 1905 年韓国保護条約(第二次日韓協約)が「表題」も韓国側(皇帝)の批准もなく、武力を背景としたものであるゆえに、無効であったという学術的な立証と、国家(大韓帝国)を代表する個人(皇帝)に加えられた強制又は脅迫による条約締結は国際慣例法上無効である事例としてこの条約を挙げる 1963 年国連報告書の意義を踏まえなければなりません。その歴史的事実の認識に立脚しながら、軍事力の威圧をもって植民地政策を推し進めた日本が朝鮮半島、またアジアの人びとに対する歴史的責任をいまだに果たしていないことを確認し、以下のことを求めます。 

①  日本は 1939 年から 1945 年にわたり、植民地支配下の朝鮮半島から多くの朝鮮人を強制連行しました。「募集」「官斡旋」「徴用」の形態がありましたが、いずれの段階においても本人の意志に反して連行され、非人間的な環境で労働を強いられました。韓国大法院の徴用工判決(2018 年 10 月)は、強制連行・強制労働を行なった日本企業に対する正当な判決です。私たちは、関連する日本企業が、歴史的事実を直視し、いまだなされていない被強制連行者に対して賠償をすること、そして日本政府がそのような企業責任の履行を妨げないことを求めます。 

②  日本政府は 2015 年、「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録に際して、軍艦島をはじめ日本各地の「世界遺産」で朝鮮人らが「意に反して連行され」「ひどい状態で労働を強いられた」と、強制労働があったことを認める発言をしています。ユネスコは「歴史全体」の説明がなされることを日本に求め、「関係者との対話の継続」を促しています。それにもかかわらず今年3月、東京に開設した「産業遺産情報センター」の展示では、端島(軍艦島)炭鉱を事例として戦時の強制労働を否定する内容となっています。私たちは、日本政府が強制労働の事実を認め、現場の被害者の証言・記録等を収集して「全体の歴史」を展示することを求めます。 

③  日本軍「慰安婦」問題で、今問われているのは、日本軍が立案・管理した性奴隷制のもとで、女性たちが受けた性暴力被害の実態を、日本政府がありのままに認めることです。そのうえで、被害者に受け入れられ、かつ尊厳を回復するような方法で謝罪し、賠償し、二度と同じような人権侵害が起こらないように、さらなる真相究明と歴史教育をしなければなりません。また、日本軍「慰安婦」制度の事実を否定する言動は、被害者の名誉を再び傷つける人権侵害であることを認識し、その効果的防止策を講じるとともに、記憶の継承に取り組むことが日本政府に課せられています。2015 年の日韓政府による「合意」(12 月 28 日)で「慰安婦」問題は解決されたという認識を日本政府は改めなくてはなりません。 

④  1923 年関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺という大惨事について、これまで研究者や市民団体によって、旧日本海軍「海軍無線電信船橋送信所」から発信された「朝鮮人暴動」のデマや、軍隊・警察・自警団による集団殺害関与の事実が究明されています。朝鮮半島における日本の侵略と植民地支配に対して立ち上がった独立運動・義兵闘争を弾圧していったその流れの中で、この大虐殺も起こされているのです。毎年9月1日、東京・両国の横網町公園において、遺族・市民団体による関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典が行なわれてきましたが、虐殺の事実を認めようとしない小池百合子・東京都知事は、歴代の都知事が代読させてきた追悼文そのものを取りやめました。さらに、極右団体の式典妨害を放置し続けています。私たちは日本政府に対して、歴史資料に基づいて虐殺の国家責任を認め、遺族に謝罪すること、また東京都が 97 年前のこの歴史事実に誠実に向き合い追悼することを求めます。 

⑤  私たちは、日本の政府と国会が、1923 年関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺をはじめ、旧日本軍「慰安婦」・徴用工・軍人・軍属などアジア太平洋戦争下の強制連行・強制労働・性的搾取の事実について真摯に向き合い、真相究明委員会を設けることを求めます。  


(2)朝鮮半島の平和プロセス推進と日本の平和憲法 

①  私たち日本の市民社会と宗教者は、朝鮮半島の南北分断が今なお人びとを引き裂いている現実について、そもそも日本の植民地統治がなかったならば、民族分断はありえなかったことを強く認識しつつ、民族分断を克服しようとする韓国の市民社会と宗教者の闘いを支持します。 

②  「米国とともに戦争できる国づくり」をめざして、日本国憲法第9条をはじめとする憲法改悪の作業を推し進めている安倍晋三首相は、「2021 年9月までの自らの任期中に改憲を果たす」との発言を繰り返しています。しかし、世論の多数は9条改憲に反対し、また内閣支持率は過半数を割っています。また、去る8月4日、河野太郎防衛相が記者会見にて、日本の新たなミサイル防衛、すなわち「敵基地攻撃能力」問題について、韓国を含む周辺国の理解を得ることを不要と発言したことは、東北アジアの軍事的緊張を増幅させるものとして、私たちは強く抗議します。私たち日韓プラットフォームは国内外の声を結集して、署名運動、国際キャンペーンなどの活動を通して9条改憲反対の闘いをさらに推し進め、9条の擁護を日韓の平和の中心的課題として位置づけます。 

③  韓国の市民社会と宗教者は、朝鮮半島における平和プロセスの具体的な進展が日本の軍事大国化を阻止し平和憲法を守ろうとする日本の市民社会と宗教者の闘いを激励し、さらに推進することを確認します。それに呼応しながら、私たちは、現在展開しつつある「朝鮮半島終戦平和キャンペーン」に、世界の市民社会と共に力強く参与していきます。 

④  私たちは、日本の安倍政権がさまざまな口実で朝鮮民主主義人民共和国との国交回復交渉を恣意的に中断し、東北アジアの緊張を激化させていることに抗議します。私たちは、朝鮮半島の平和プロセスにおいて日本と朝鮮民主主義人民共和国との国交問題が、連動した課題としてあることを確認すると共に、日本政府に対して中断している日朝交渉をただちに再開するよう求めます。そこでは、日本の歴史責任を明記せず経済協力方式をとった 1965 年日韓条約の過ちを繰り返してはなりません。 


(3)東アジアの非核地帯化と軍縮、 アジア太平洋地域の平和に関わる共同のビジョン 

①    1945 年8月、ヒロシマとナガサキの原爆被爆者全体の 1 割をも占めるといわれる朝鮮人被爆の実態解明と賠償問題は依然解決されていません。約 2200 名が生存する在韓被爆者の援護は被爆者と日韓市民らの裁判闘争で実現しましたが、介護手当の支給もなく日韓で内外格差が残っています。約 200 名とみられる在朝被爆者には「国交の壁」に阻まれて日本の援護が届いていません。私たちは、日本政府が高齢化した韓国・朝鮮人被爆者に対して早急に徹底して援護措置をとるよう求めます。 

②  日本列島の南端にある沖縄は、辺野古新基地建設や、宮古島を含む離島における軍事基地化により、基地被害に苦しむだけでなく、戦争を生み出す島となっています。沖縄の米軍基地は、現地において新たな性暴力・搾取の温床となり、さらにアジアの人びとの命を脅かしています。沖縄米軍基地問題は日本自身の問題であることを自覚しつつ、最大の暴力である戦争に抗うために、非暴力によって新たな基地建設を阻止している沖縄の平和の行動を、私たちは支持し連帯していきます。 

③  東アジアの非核地帯化と軍縮のためには、「朝鮮戦争の終結」と「朝鮮半島の統一」が大きな優先課題です。東アジアの非核化のために、日韓が米国の核の傘から解放され、南北朝鮮と日本が核兵器禁止条約(TPNW)に加入することを強く促していかなければなりません。 

 

(4)日韓次世代の平和教育・人権教育の推進 

①  現在、芸能文化面では最も近い国としての日韓交流がありますが、歴史認識には大きな隔たりがあります。日本の学校教育・社会教育において植民地支配に関する歴史教育が不十分なためです。そのギャップを埋めるためにも、学生・青年・市民が現地研修や文化交流を通して出会い、学びあい、未来を共に担っていく連帯意識を育む事業を日韓両政府に求めると共に、私たちはこれまでの日韓交流事業をさらに深め推進していきます。このことを成し遂げるために必要なことは、国際政治という周辺国の政治的、外交的な術策や力ではなく、「和解と平和を願う民衆の声」です。民衆の声を高めることを目標にすればこそ、私たちは日韓双方が直面している課題、特に貧困、差別、そして迫害の問題を共に担い解決するために連帯していかねばなりません。 

②  私たちは、日韓の歴史問題に対する正しい認識を探求し共有するために、研究者と連携して「日韓歴史市民フォーラム」を日韓相互に開催し、日韓市民社会それぞれの歴史認識に対する建設的対話を続けていきます。 

③  私たちは日本政府と韓国政府に対して、従前の「国民教育」を改めて、東アジアの和解と平和をめざし、多民族・多文化社会にふさわしい「平和教育・人権教育・多文化教育」へと転換することを求めます。 

④  今日本政府は、朝鮮民主主義人民共和国との外交問題と結びつけて、「高校無償化制度」(2010 年4月)、「幼児教育・保育無償化制度」(2019 年 10 月)、「学生支援緊急給付金制度」(2020 年5月)から、朝鮮学校(幼稚園・高校・大学)を排除しています。これらの差別的政策は、日本の歴史責任、子どもの教育に関する普遍的権利をまったく無視するものです。私たちは日本政府に対して、これらの措置をただちに撤回することと、在日韓国・朝鮮人をはじめ民族的少数者の人権保障のための法的、制度的施策を求めます。  

  私たちは、敵愾心と差別、あらゆる暴力と戦争に反対して、暴虐の歴史の中で不条理な苦難を強いられた人びとと共に歩みながら、日韓の真実の和解と平和を目指します。東北アジアの共同体を目指す私たちは、市民社会として、また宗教者として、戦後 75 年目の8月 15 日に、以上の認識を共有し、共同の課題に取り組んでいくことを、ここに表明します。 

 

2020 年8月 15 日 

日韓和解と平和プラットフォーム 

 

【共同代表】

韓国側:    

李  鴻  政(イ・ホンジョン/韓国基督教教会協議会総務)  

鄭  仁  誠(チョン・インソン/円仏教平壌教区長・南北ハナ財団理事長)  

韓  忠  穆(ハン・チュンモク/韓国進歩連帯常任代表)  

權  台  仙(クォン・テソン/環境運動連合  市民社会団体連帯会議共同代表)  

日本側:

小野  文珖(群馬諸宗教者の集い) 

髙田    健(戦争させない・9条壊すな!総がかり行動)  

野平  晋作(ピースボート)  

光延  一郎(日本カトリック正義と平和協議会) 

【運営委員】

韓国側:

姜  周  錫(カン・ジュソク/韓国カトリック主教会議民族和解委員会総務)  

鄭  常  德(チョン・サンドク/円仏教中央総部霊山事務所長)  

辛  承  民(シン・スンミン/韓国基督教教会協議会局長)  【書記】 

金  炳  奎(キム・ビョンギュ/韓国進歩連帯統一委員長)  

嚴  美  京(オム・ミギョン/全国民主労働組合総連盟副委員長・統一委員長)  

孫  美  姬(ソン・ミヒ/ウリハッキョと子どもたちを守る市民の会共同代表)  

安  知  重(アン・ジジュン/6・15 共同宣言実践南側委員会共同執行委員長) 

尹  貞  淑(ユン・ジョンスク/緑色連合/市民社会団体連帯会議共同代表)  

金  敬  敏(キム・ギョンミン/韓国YMCA全国連盟事務総長)  

李  娜  榮(イ・ナヨン/正義記憶連帯理事長)  

李  信  澈(イ・シンチョル/アジア平和と歷史敎育連帯常任共同運營委員長)  

具  仲  書(グ・ジュンソ/基地平和ネットワーク執行委員長)  

李  泰  鎬(イ・テホ/市民社会団体連帯会議運営委員長)  

日本側:

飯塚  拓也(日本キリスト教協議会東アジアの和解と平和委員会)  

石川  勇吉(愛知宗教者平和の会)  

小田川  興(在韓被爆者問題市民会議)  

北村  恵子(日本キリスト教協議会女性委員会)  

金  性  済(キム・ソンジェ/日本キリスト教協議会総幹事)  【書記】 

白石    孝(日韓市民交流を進める希望連帯)  

平良  愛香(平和を実現するキリスト者ネット)  

武田  隆雄(平和をつくり出す宗教者ネット)  

中井    淳(日本カトリック正義と平和協議会)  

比企  敦子(日本キリスト教協議会教育部)  

飛田  雄一(神戸青年学生センター)  

渡辺  健樹(日韓民衆連帯全国ネットワーク)  

渡辺  美奈(WAM<女たちの戦争と平和資料館>)  

【事  務  局】

韓国側:

黃  寶  賢(ファン・ボヒョン/韓国基督教教会協議会部長)  

尹  惠  蘭(ユン・ヘラン/韓国YMCA全国連盟局長)  

文  星  根(ムン・ソングン/興士團事務総長)  

金  英  丸(キム・ヨンファン/民族問題研究所対外協力室長)  

日本側:

くじゅうのりこ(東アジアの和解と平和ネットワーク)  

佐藤  信行(外国人住民基本法の制定を求める全国キリスト教連絡協議会)  

潮江亜紀子(朝鮮学校と連帯しこども達の教育を考える会)  

昼間  範子(日本カトリック正義と平和協議会)  

藤守  義光(日本キリスト教協議会総務)  

渡辺多嘉子(平和を実現するキリスト者ネット) 


●「日韓和解と平和プラットフォーム」日本事務局 

<連絡先>〒169-0051  東京都新宿区西早稲田 2-3-18  日本キリスト教会館 24 号 

日本キリスト教協議会(NCCJ)内  電話(03)6302-1919 


8.15  광복/패전  75주년

한일  공동선언  

-  한일  화해와  평화  플랫폼  -


1945년부터  75년의  세월이  흐른  올해  7월  2일,  세계를  덮친  코로나  19의  어려움에도 

불구하고  양국의  시민사회와  종교인들은  한일간의  화해와  평화를  실현하기  위하여  '한일 

화해와  평화  플랫폼'  (이하,  한일플랫폼)을  발족했다.


75년  전  8월  15일,  패전에도  불구하고  일본은  조선식민지  지배에  대한  역사적  책임을 

회피하며  오늘에  이르렀고,  그  결과  지난해부터  한일관계가  전후  최악의  교착상태에  봉착

하였다.  한일  시민사회와  종교인들은  이러한  상황을  안타까워하며,  이를  그대로  방치해

서는  안  된다는  위기의식  속에서  이제야말로  이  왜곡된  역사를  직시하고  그에  대한  책

임을  철저히  물음으로써  한일  화해와  평화를  향한  연대의  틀을  구축하자는  공감대로 

한일플랫폼을  시작하였다.


지난  75년간  일본과  한반도를  속박해온  부조리는  무엇이었나?  1875년  일본  군함의 

강화도  군사도발  이후  대한제국은,  막강한  군사력을  가진  일제의  압박  아래,  러일전쟁 

중의  제1차  한일협약,  러일전쟁  직후의  제2차  협약으로  일본제국의  “보호국”이  되었다. 

1910년  8월,  강제  합병된  한반도  백성들은  36년에  걸친  혹독한  식민지  지배로  인한  정

치적  탄압과  경제적  수탈,  그리고  국가  신도에  기반한  황민화  정책으로  인한  문화  파괴

의  고난을  겪었다.  이뿐만  아니라  한반도는  '대동아공영권'을  주장하는  일제의  중국  침략 

병참기지가  되어,  많은  이들이  강제로  끌려가  혹독한  노동과  성적  착취를  강요당했다.

1945년  일본의  15년  침략전쟁과  식민지  지배가  종결되었음에도  불구하고  동북아시아는 

미소냉전체제의  질곡  속에  놓이게  되었고,  식민지  지배를  받은  한반도는  남북으로  분단

되었고  한국전쟁의  비극을  경험했다.  한편  일본은,  식민지  지배의  책임  규명이  불문에 

부쳐진  채,  1952년  샌프란시스코  강화조약(미일안보체제)을  통해  미국의  극동  군사전략을 

보완하는  종속국가체제의  길을  걷게  되었다.


일본은  한국전쟁  특수를  통해  패전의  폐허를  딛고  경제부흥의  계기를  얻었다.  1953년 

정전협정  후  일본은  줄곧  한국과만  회담을  진행했고,  결국  경제적  우위를  이용하여 

1965년  한일협정을  체결했다.  일본은  청구권  협정에서  한일합병이  부당한  군사·정치적 

압력  하에  강요된  점령이었다는  역사적  사죄와  책임을  일절  언급하지  않았고,  경제협력

이라는  미명  하에  한국정부로  하여금  청구권  포기에  동의하게  함으로써  자신의  역사적 

책임을  불문에  부치게  되었다.


(1)  한일의  역사  문제

우리는  일본의  조선식민지  지배의  기점이  된  1905년  을사늑약  (제2차  한일협약)의 

“표제”에  한국  측(황제)의  비준이  없다는  사실,  그리고  한  국가(대한제국)를  대표하는 

개인(황제)에게  강제  혹은  강압적으로  체결한  조약은  국제관례법상  무효라는  점을  강조

한  1963년  UN보고서를  의미  있게  받아들인다.  이러한  역사적  사실  인식에  입각하여 -  3  -

군사력의  위압으로  식민지정책을  추진했던  일본이  한반도와  아시아의  사람들에  대한  역

사적  책임을  지금까지도  회피하고  있다는  점을  상기하면서  다음을  요구한다. 


➀  1939년부터  1945년에  걸쳐  일본은  식민지  치하의  한반도에서  많은  조선인들을 

강제로  끌고  갔다.  “모집”,  “관알선”,  “징용”의  형태가  있었지만,  어떤  방식이든 

본인의  의사에  반하여  연행되어  비인간적  환경에서  노동을  강요당했다.  한국  대법

원의  강제동원  피해자에  대한  판결  (2018년  10월)은  강제연행·강제노동을  자행한 

일본기업에  대한  정당한  판결이므로  우리는,  이와  관련된  일본기업이  역사적  사실

을  직시해  피해자들에게  아직  이행하지  않은  배상을  실행할  것과  일본정부가  이 

기업들의  책임  이행을  방해하지  말  것을  촉구한다.


➁  일본정부는  2015년,  “메이지  일본의  산업혁명  유산”의  세계유산등재에  있어서,  군

함도(하시마)를  비롯해  일본  각지의  “세계유산”에서  조선인들이  “자의에  반해서 

연행되었다.”  “참혹한  상태에서  노동을  강제하였다.”라는  사실이  있었음을  인정하

는  발언을  하고  있다.  유네스코는  “역사  전체”에  대해  설명할  것을  일본에  요구했

으며  “관련자들과의  지속적인  대화”도  촉구하고  있다.  그럼에도  불구하고  올해  3

월,  도쿄에  개설했던  “산업유산정보센터”의  전시회,  군함도탄광의  전시에서  전쟁 

시의  강제노동을  부정하는  내용을  시사하였다.  우리는  일본정부가  강제노동의  사

실을  인정하고,  현장  피해자의  증언,  기록  등을  수집하여  “전체의  역사”를  전시할 

것을  촉구한다.


➂  일본군‘위안부’  문제와  관련하여,  일본군이  입안,  관리했던  성노예제로  여성들이 

받았던  성폭력  피해의  실태를  일본정부가  있는  그대로  인정하는  것이  무엇보다도 

중요하다.  이러한  인정  위에서  피해자들이  받아들일  수  있는,  혹은  존엄을  회복할 

수  있는  방법으로  사죄하고  배상하여  또다시  똑같은  인권침해가  재발되지  않도록 

더욱더  진상규명과  역사교육에  힘을  쏟아야  한다.  아울러  일본군‘위안부’제도의 

사실을  부정하는  언행은  피해자의  명예에  다시금  상처를  주는  인권침해라는  것을 

인식하여  그  효과적  방지책을  강구하여야  한다.  동시에  일본  정부는  기억의  계승

을  위한  노력을  절대로  방해하지  말아야  한다.  일본  정부는  2015년  12.28  “한일

합의”로  이  문제가  해결되었다는  인식을  바꾸어야  한다.


➃  1923년  간토  대지진  당시  조선인과  중국인을  학살하는  대참사에  대해,  지금까지 

연구기관이나  시민단체들은  구  일본  해군의  "해군  무선전신  후나바시  송신소"에서 

발신한  "조선인  폭동"이  루머였고  군대·경찰·자경단이  집단  살해에  관여했다는  사

실을  밝혀내고  있다.  이  대학살은  한반도의  일제의  침략과  식민지  지배에  대한  독

립운동과  의병  투쟁을  탄압하던  흐름  속에서  자행되고  있었던  것이다.  매년  9월 

1일,  도쿄  요코아미초  공원에서  간토대지진  조선인  희생자  추도식이  열리지만  학살 

사실을  인정하지  않으려는  고이케  유리코  도쿄도지사는  역대  도지사가  대독해  온 

추도문  자체를  취소했다.  게다가  극우  단체의  추도식  방해를  계속  방치하고  있다. 

우리는  일본정부가  역사적  사실을  받아들여  학살에  대한  국가적  책임을  인정하고 -  4  -

유족에게  사죄할  것과  도쿄도가  97년  전의  역사를  진정으로  받아들이고  추모할 

것을  촉구한다.


➄  우리는  일본  정부와  국회가  1923년  간토  대지진  당시  조선인과  중국인  학살,  일본

군  위안부,  징용·군인·군속  등  아시아  태평양  전쟁  치하  강제연행과  강제노동,  성적 

착취의  사실을  진지하게  받아들이고  “진상규명위원회”를  설치할  것을  촉구한다.


(2)  한반도  평화  프로세스  추진과  일본  평화헌법

➀  우리는  한반도의  민족분단이  애초에  일본의  식민지  통치가  없었더라면  존재하지 

않았을  것임을  확신하면서  민족분단을  극복하려고  노력하는  한국의  시민사회와 

종교인들의  헌신적인  노력을  지지한다. 


➁  “미국과  함께  전쟁할  수  있는  나라  만들기”를  지향하며  일본국  헌법  제9조를  비

롯하여  헌법개악의  작업을  추진하고  있는  아베  신조  수상은  “2021년  9월까지의 

본인  임기  중에  개헌을  할  것이다.”  라는  발언을  계속  반복하고  있다.  하지만,  다수의 

여론은  9조  개정에  반대하고  있고  내각  지지율도  과반수에  미치지  않고  있다.  또 

지난  8월  4일,  고노  방위상이  기자회견에서  일본의  새로운  미사일방위,  즉  “적기

지공격능력”문제에  대하여  한국을  포함한  주변국의  이해나  양해를  구할  필요  없

다고  분명히  발언한  것은  동북아시아의  군사적  긴장을  고조시키는  것으로  우리는 

강력히  항의한다.  한일플랫폼은  국내외의  목소리를  결집하여  서명운동,  국제캠페

인과  로비  활동  등  9조  헌법개정  반대투쟁을  계속할  것이며,  9조  수호가  한일  평

화의  중심  아젠다가  되게  할  것이다.


➂  한국  종단과  시민사회는  한반도  평화프로세스의  구체적  진전이  일본의  군사대국

화를  저지하며  평화헌법을  지키려고  하는  일본의  시민사회와  종교인들의  노력을 

더욱  격려할  것이라  확신한다.  이에  우리는  한국의  종교시민사회가  주도하고  있는 

“한반도종전평화캠페인”에  세계  시민사회와  함께  적극  참여할  것이다.


➃  우리는  일본의  아베  정권이  다양한  핑계로  조선민주주의인민공화국(북한)의  국교

회복협상을  중단하며  동북아시아의  긴장을  조장하고  있는  것에  항의한다.  우리는 

한반도  평화프로세스와  조일  국교문제가  서로  연동되어있는  과제임을  인식하면서, 

일본정부는  조일협상을  즉시  재개할  것을  촉구한다.  우리는  이  과정에서  일본이 

1965년  한일조약체결  당시의  잘못  (역사책임을  회피하고  경제협력방식을  취함)을 

반복하지  말  것을  촉구한다.


(3)  동아시아의  비핵지대화와  군축,  아시아  태평양지역의  평화에  관한  공동의  비전

➀  1945년  8월,  히로시마와  나가사키의  원폭피폭자  전체의  10%를  차지한다고  알려진 

조선인  피폭의  진상규명과  배상문제는  여전히  해결되지  않았다.  약  2200명의  재

한피폭  생존자의  원호는  피폭자와  한일시민  등의  재판투쟁으로  쟁취하였지만,  간호 

수단의  지원도  없으며  한일  간의  격차가  존재한다.  약  200명이  있다고  알려진  재

북피폭자는  “국교의  벽”으로  막혀서  일본의  원호는  이루어지지  않고  있다.  우리는 

일본정부가  고령화된  한국과  조선인  피폭자에  대한  조속한  원호조치를  취할  것을 -  5  -

강력하게  촉구한다.


➁  일본열도의  남단에  있는  오키나와는  헤노코  신기지  건설과  미야코지마를  포함하는 

이도의  군사기지화는  주민들에게  여러  가지  고통을  안겨  주고  있다.  뿐만  아니라 

이  섬들은  전쟁을  도발하는  섬이  되어  가고  있다.  오키나와의  미군군사기지는  새

로운  성폭력과  성추행의  온상이  되었고,  게다가  아시아의  사람들의  생명까지도  위

협하고  있다.  한일플랫폼은  오키나와  미군기지  문제가  일본  자체의  문제라는  것을 

자각하면서도  최대의  폭력인  전쟁에  저항하기  위해서  비폭력  항쟁으로  새로운  기

지건설을  저지하고  있는  오키나와  평화의  투쟁에  연대를  표한다.


➂  동아시아의  비핵화지대와  군축을  위해서는  “한반도  종전”과  “한반도  통일”이  가장 

큰  우선  과제이다.  동아시아의  비핵화를  위하여  한국과  일본이  미국의  핵우산에서 

벗어나고  남북한,  일본이  핵무기금지조약(TPNW)에  가입할  것을  촉구한다.


(4)  한일  차세대  평화교육·인권교육  추진

➀  현재,  연예와  문화면에  있어서  가장  가까운  나라는  한국과  일본이지만,  역사인식

에는  큰  괴리가  있다.  일본의  학교교육,  사회교육은  식민지지배에  관한  역사교육이 

결여되어  있기  때문이다.  그  괴리를  채우기  위해서  학생,  청년,  시민이  현지연수

와  문화교류를  통해서  만나  함께  공부하며  미래를  공유함으로써  연대의식을  확장

할  수  있도록  한일  양  정부가  적극적으로  노력할  것을  촉구한다.  동시에  한일플랫

폼  역시  이제까지의  한일교류사업을  더욱  심화해  추진할  것이다.  이를  이루기  위

해  필요한  것은  국제정치라는  주변국의  정치적,  외교적  기술과  힘이  아닌  “화해와 

평화를  원하는  민중의  목소리”이다.  민중의  목소리를  높이는  것을  목표로  삼아  우

리는  한일  양쪽이  직면하고  있는  과제,  특히  빈곤,  차별,  박해의  과제를  함께  짊

어지고  해결하기  위해  연대할  것이다.


➁  우리는  한일역사문제를  정확히  인식하고  탐구하며  공유하기  위해서,  연구자들과 

연계해  “한일역사시민포럼”을  상호간에  개최하여  시민사회의  역사인식에  대한  건

설적  대화를  계속할  것이다.


➂  우리는  한국과  일본  정부가  기존의  “국민교육”을  동아시아의  화해와  평화를  추구

하며  다민족,  다문화  사회에  어울리는  “평화교육,  인권교육,  다문화교육”으로  전환

할  것을  촉구한다.


➃  일본정부는  북한과의  외교문제와  연계해  “고교  무상화제도”(2010년  4월),  “유아교육, 

보육무상화제도”(2019년  10월),  “학생지원긴급해택금  제도”(2020년  5월)에서  조선

학교(유치원,  고등학교,  대학교)를  배제하고  있다.  우리는  이러한  정책이  명백한 

차별이며  일본의  역사책임,  자녀교육에  대한  보편적  권리를  무시하는  처사라는  점

을  밝혀  둔다.  우리는  일본정부가  이러한  조치를  즉각  철회할  것과  재일한국•조

선인을  비롯하여  민족적  소수자들의  인권보장을  위한  법적  제도적  장치를  마련할 

것을  촉구한다.


우리는  적개심과  차별,  그리고  어떠한  폭력과  전쟁에도  반대하며,  폭살의  역사  속

에서  부조리한  고난을  강제  받았던  사람들과  함께하며  한일의  진실한  화해와  평화를 

지향할  것이다.  동북아시아의  공동체를  지향하는  우리는  사회의  시민으로서  또한  종교

인으로서  전후  75년째의  8월  15일에  이상의  인식을  공유하며  공동의  과제를  해결하기 

위해  함께  연대할  것이다.


2020년  8월  12일

한일  화해와  평화  플랫폼


【공동대표】

이홍정  목사(한국기독교교회협의회  총무) 정인성  교무(남북하나재단  이사장)

한충목  상임대표(한국진보연대) 권태선  공동대표(환경운동연합)

오노  분코(군마제종교자모임) 타카다  켄(전쟁반대•9조수호  총동원행동)

노히라  신사쿠(피스  보트) 미쯔노부  이치로(일본천주교  정의와평화협의회)

【운영위원】

강주석  신부(한국천주교주교회의  민족화해위원회  총무) 신승민  목사(한국기독교교회협의회  국장)

정상덕  교무(원불교  중앙총부  영산사무소장) 김병규  통일위원장(한국진보연대)

손미희  공동대표(우리학교와  아이들을  지키는  시민모임) 안지중  집행위원장(한국진보연대)

엄미경  부위원장(전국민주노동조합총연맹  통일위원장) 구중서  운영위원장(기지평화네트워크)

김경민  사무총장(한국YMCA전국연맹) 윤정숙  공동대표(녹색연합)

이신철  상임공동운영위원장(아시아평화와역사교육연대) 이나영  이사장(정의기억연대)

이태호  운영위원장(시민사회단체연대회의) 와타나베  캔주(일한  민중연대  전국  네트워크)

이즈카  타쿠야(일본NCC  동아시아의  화해와  평화위원회) 기타무라  케이코(일본NCC  여성위원회)

와타나베  미나(여자들의  전쟁과  평화  자료관,  WAM) 이시카와  유키치(아이치  종교자  평화의  모임)

오다가와  코(재한피폭자문제시민회의) 김성제(일본NCC  총간사)

시라이시  타카시(일한시민교류추진희망연대) 타이라  아이카(평화를실현하는그리스도인네트)

타케다  타카오(평화를  만들어내는  종교자네트) 나카이  준(일본천주교  정의와  평화  협의회)

히키  아쯔코(일본NCC교육부) 히다  유이치(고베  청년학생  센터)

【실행위원】

김영환  대외협력실장(민족문제연구소) 문성근  사무총장(흥사단)

윤혜란  국장(한국YMCA전국연맹) 황보현  목사(한국기독교교회협의회  부장)

이즈카  타쿠야(일본NCC  동아시아의  화해와  평화위원회) 구주  노리코(동아시아의  화해와  평화  네트워크)

타케다  타카오(평화를  만들어내는  종교자네트) 하루마  노리코(일본  천주교  정의와  평화  협의회)

후지모리  요시미쯔(일본NCC  총무) 와타나베  타카코(평화를실현하는그리스도인네트)

사토  노부유키(외국인주민기본법의  제정을  구하는  전국기독교연락협의회)

시오에  아키코(조선반도와  연대하고  아이들의  교육을  생각하는  모임)