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Thursday, December 12, 2024

「ノーベル賞に沸く日本、抜け落ちた視点」:『朝鮮新報』から転載 The Nobel Peace Prize for the A-bomb Victims and the U.S. Impunity

 日本被団協のノーベル平和賞授賞は、長年の被爆者の核兵器をなくすための運動が評価された結果で、意義深いことです。この授賞の知らせを受け、思うことを書いた記事が『朝鮮新報』10月30日号に掲載されました(URLは、https://chosonsinbo.com/jp/2024/11/28sk-35/)。

ノーベル平和賞受賞式のタイミングで、なるべく多くの人に読んでもらいたく、許可をもらって下に転載します。

授賞式に、大韓民国の被爆者が招待されたことはよかったですが、朝鮮民主主義人民共和国の被爆者の存在には触れられもしませんでした。いわずもがな、被爆時は朝鮮半島は分断されておらず日本の植民地支配下に置かれていました。日本人は植民地支配の責任からも、また分断に責任を負う側の者としても、朝鮮人被爆者を同等に扱わなければいけないと思います。朝鮮人は、被爆者のうち1割ほどをしめ、死亡率も日本人より高かったのです。植民地支配のゆえに被爆させられたのであって、日本で被爆したあと海外に移住した人と一緒に「在外被爆者」として扱ってはいけないと思います。また、これは歴代の広島と長崎の「平和宣言」にも言えることなのですが、無数の民間人の上に原爆を投下した米国の責任が全く問われることはなく、授賞スピーチでもどの国が落としたのかという端的な事実にさえ言及がありませんでした。そして現在の「ロシアの核の脅威」と、ロシアが名指しされ、それこそ核兵器を実際に使った上謝罪さえせず、第二次大戦後も、冷戦終了後も常に核の脅威で世界を支配してきた米国が完全に免罪されています。核の使用に言及したイスラエルの閣僚に触れていますが、イスラエルは米国の援助なしにはパレスチナに対する攻撃を行うことはできません。これも米国がやっていることなのです。授賞演説を行った被団協の田中煕巳代表委員とは、何度も交流させていただいた、尊敬する人です。2016年オバマ大統領が来広したときも、米国に対して厳しい責任追及をする姿勢を持っていました。田中氏は実際、広島で「死が落ちてきた」と、原爆を天災であるかのように言ったオバマ大統領を批判していました。今回、米国を完全に免罪した授賞スピーチが、田中氏の本心であったとは思いたくありません。私は以下転載する『朝鮮新報』の記事では、「米国の民間人大量虐殺の被害者がノーベル平和賞を授賞するのは画期的である」と書きましたが、その本質が全くかき消されてしまったといえると思います。要するに、案の定、世界の覇権国である米国と、この賞の選考を行うノルウェーも含む西側連合に都合のいい賞として演出されたということです。 本当に核戦争を防ぎ核兵器をなくしていくには、米国という最大の脅威から目を背けていては、目的を達することはできません。

以下、転載です。

 

〈私のノート 太平洋から東海へ 1〉ノーベル賞に沸く日本、抜け落ちた視点/乗松聡子

2024年11月02日 06:00

寄稿

私は日本出身でカナダに通算30年住むジャーナリストの乗松聡子です。朝鮮新報に連載させていただけることを大変光栄に思うと同時に、重責を感じています。日本社会は、朝鮮学校差別をはじめ、過去に40年間朝鮮を植民地支配した責任に向き合おうとしていません。米国は一国覇権を維持するため、言いなりにならない中国、ロシア、朝鮮に「新冷戦」をしかけ、朝鮮戦争を終結させ東アジアに平和をもたらす動きを妨害しています。日本も、私が住むカナダも、米国とその属国で成る「西側連合」の一員として、朝鮮に対する威嚇と挑発を繰り返しています。私は一日本人として、また一カナダ人としても、この終わらない植民地主義を是正する動きの一端を担いたいと思っています。

さる10月11日、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)がノーベル平和賞を授賞するというニュースが駆け巡りました。私は、日米の大学生が共に広島・長崎を旅する学習旅行で、2006年から19年にかけて被爆者の通訳を務めた経験からも、「二度と自分たちのような被爆者を生まない」ための国際的運動が認められたことに感慨を覚えました。とりわけ、西側の価値観に偏る傾向のあるノーベル平和賞が、米国による民間人大量虐殺の被害者に授与されたのは画期的でした。

と同時に、日本のメディアの論調が「日本のノーベル平和賞授賞は1974年の佐藤栄作氏以来」(10月12日NHK)などと言いながら、「日本の授賞」と位置づけていることに懸念を感じます。授賞したのは、被爆者であり、米国による原爆投下につながった戦争をそもそも起こした「日本」ではありません。また、日本メディアは、「核の脅威」として、ロシア、中国、朝鮮民主主義人民共和国のみを挙げ連ね、世界最大の「核の脅威」であり、実際に子どもたちの上に原爆を落とした戦争犯罪者である米国やその同盟国の核を免罪しています。

何よりも、被爆者の10人に1人は朝鮮人であったという事実が抜け落ちています。広島ではおよそ5万人の朝鮮人が被爆、うち3万人が死亡、長崎では2万人の朝鮮人が被爆、うち1万人が死亡したと言われています。広島・長崎にいた朝鮮人は、植民地支配が故に日本に暮らさざるを得ず、自分たちが始めたわけでもない戦争の中で、米国が日本を標的に落とした原爆に巻き込まれました。その上被爆後も差別され、医療や支援が行き届かなかったという二重、三重の被害を受けたのです。とりわけ、朝鮮半島に帰還した約2万3千人の被爆者のうち2千人ほどが朝鮮民主主義人民共和国に帰国しており、その方々は被爆者援護法も適用されず見捨てられたままです。現在は生存者も僅かになっていると聞いています。

2019年7月、「韓国の広島」と言われる陜川を在日朝鮮人の友人と一緒に訪問しました。原爆投下時広島にいた朝鮮人は陜川出身者が多かったのです。被爆二世で、生まれつきの骨の病気を抱え、息子が脳性麻痺を患う韓正淳さんは、「日本には、朝鮮人を犬のように使った責任を、米国には、核兵器を人間に対して使った責任を問いたい」と言っていました。2歳で被爆した韓国原爆被害者協会陜川支部長の沈鎮泰さんは、16年オバマ大統領の広島訪問の際来日したところ、関西空港で入管に3時間も足止めを食らった経験を話しながら、「植民地支配の上に原爆を受けた自分たちが、その上犯罪者扱いされた」と悔しそうに語りました。


陜川原爆被害者福祉会館近くの慰霊閣には1千以上の朝鮮人犠牲者の位牌が祀られている
(2019年7月22日 筆者撮影)

陜川訪問後に行った釜山の「国立日帝強制動員歴史館」ではこう展示してありました。「全体の原爆被害者の約1/10に該当する朝鮮人の死亡は57・1%であり、全体の33・7%に比して非常に高い。日本は二つの都市における惨状を大々的に広報し、反戦平和を全世界に訴えている。反戦平和は、人類が共栄するための普遍的価値である。しかし、誰が言うかによりこの意味合いはかなり変わる。日本は反戦平和を叫ぶ前に戦争加害に対する痛切な反省とともにその事に対する責任を負う姿勢を見せなければならないはずだ。」侵略戦争や植民地支配の責任は語らずに、普遍的「平和」や「反核」を語るだけのことが多い日本人に対する強烈なメッセージであると思いました。

私は、このような理由から、日本人が原爆被害を考えるとき、まず第一に、朝鮮人被爆者のことを考えるべきではないかと思っています。日本被団協のノーベル平和賞の授賞式には、朝鮮と韓国の被爆者団体の代表者を招待してほしいと願っています。


プロフィール

ジャーナリスト。東京・武蔵野市出身。高2,高3をカナダ・ビクトリア市の国際学校で学び、日本の侵略戦争の歴史を初めて知る。97年カナダに移住、05年「バンクーバー9条の会」の創立に加わり、06年「ピース・フィロソフィー・センター(peacephilosophy.com)」設立。英語誌「アジア太平洋ジャーナル」エディター。2人の子と、3匹の猫の母。著書に『沖縄は孤立していない』(金曜日、18年)など。19年朝鮮民主主義人民共和国を初訪問。世界の脱植民地化の動きと共にありたいと思っている。

★★★

以上、『朝鮮新報』からの転載でした。

Friday, July 07, 2023

必読!国連安全保障理事会でマックス・ブルメンタール氏が発言:私的利益をむさぼる少数の者たちが米国を支配し代理戦争を強行している。(全文日本語訳) Max Blumenthal addresses UN Security Council: Japanese Translation

米国の調査報道メディア『グレイ・ゾーン』のマックス・ブルメンタール氏が国連安全保障理事会で発言し、ウクライナ戦争の本質を完膚なきまでに言語化しました。ブルメンタール氏の許可を得てここに全訳を掲載します。翻訳は Deepl の力を借りました。(アップ後に翻訳は微修正する可能性があります)

原文中にはソースを示すハイパーリンクがたくさん張られていますがこの翻訳文には反映させていませんので原文を参照してください。

ツイッターで日本語字幕版の動画を拡散しているアカウントもありました。

‘Why are we tempting nuclear annihilation?’ Watch Max Blumenthal address UN Security Council

なぜ米国は核による全滅を誘導しようとするのか?マックス・ブルメンタールの国連安全保障理事会での演説を見る

 https://thegrayzone.com/2023/06/29/nuclear-annihilation-max-blumenthal-security-council/

The Grayzone『ザ・グレイゾーン』のマックス・ブルメンタールは、国連安全保障理事会で、ロシアとの紛争をエスカレートさせたウクライナへの米国の軍事援助の役割と、キエフの代理戦争に対するワシントンの支援の背後にある本当の動機について演説した。

このプレゼンテーションの準備を手伝ってくれたワイアット・リード、アレックス・ルービンシュタイン、アーニャ・パランピルに感謝する。ワイアットは、2022年10月にドネツクで彼が泊まっていたホテルがウクライナ軍の米国製榴弾砲の標的になったジャーナリストとして、このテーマについて直接体験している。彼は100メートル離れたところで攻撃を受け、瀕死の重傷を負った。

私の友人である公民権活動家のランディ・クレディコも今日、私とここにいる。彼は最近ドネツクに滞在し、ウクライナ軍による民間人を標的とした定期的なハイマース(訳者注:米国製の高機動ロケット砲システム)攻撃を目撃することができた。

私は、20年以上にわたって複数の大陸で政治と紛争を取材してきたジャーナリストとしてだけでなく、自国政府に引きずられ、同胞の福祉を犠牲にして地域と国際の安定を脅かす代理戦争に資金を提供することになったアメリカの一市民としてここにいる。

6月28日、アメリカでまたしても、今回はモンタナ川で発生した有毒な列車脱線事故(それはこの国の慢性的なインフラの資金不足とそれが我々の健康にもたらす脅威をさらに明らかにした)に緊急作業員たちが処理にあたっている間に、国防総省は、ウクライナに5億ドル相当の軍事援助を追加する計画を発表した。

これはウクライナ軍が自慢の反攻作戦を開始してから3週間目に入ったところで出てきた動きだ。この反抗作戦については、CNNは「期待に応えられていない」とし、ヴォロディミル・ゼレンスキーでさえ 「思ったよりも進行が遅い」と述べている。

ウクライナ軍がロシアの主要防衛線を突破できなかったため、CNNは6月12日までに、キエフに送られた米国製の装甲車16台を「失った」と報じた。

それで国防総省は何をしたのか?ウクライナの浪費された軍備を交換するために、私のような平均的な米国の納税者にさらに3億2500万ドルを請求してきたのだ。この件に関してアメリカ国民の意見を聞く試みはまったくなく、大多数のアメリカ人はこのやり取りが行われたことすら知らなかっただろう。

今述べたアメリカの政策とは、自国の国内インフラが目の前で崩壊する一方で、政府が外国の核保有国との代理戦争に無制限の資金提供を優先させるというもので、ウクライナ紛争の核心にある不穏な動きを露呈している。つまり、欧米のエリートが、一般市民が苦労して稼いだ富を奪い取り、西側が支援する団体「トランスペアレンシー・インターナショナル」でさえ「ヨーロッパで最も腐敗している」と評価する外国政府(訳者注:ウクライナのこと)の財源に注ぎ込むことを可能にする、国際的なねずみ講的詐欺である。

アメリカ政府は、ウクライナへの資金提供について公式な監査を行っていない。アメリカ国民は、自分たちの税金がどこに消えたのか知らない。

そこで今週、『グレーゾーン』は、2022年と2023会計年度を通じてウクライナに配分された米国税に関する独立監査を発表した。我々の調査は、元軍事情報将校であり、アフガニスタンとイラクにおける米国の戦争の退役軍人であるヘザー・カイザーが主導した。

その中で我々は、米国社会保障庁からキエフ政府への448万ドルの支払いを発見した。

また、ウクライナの国家債務返済のために、米国国際開発庁から45億ドル相当の支払いがあったことがわかった。その債権の多くは世界的な投資会社「ブラックロック」が所有している。

これだけでも、アメリカ国民の10人に4人が400ドルの緊急医療費を支払う余裕もない時代に、国民全員から30ドルも巻き上げられていることになる。

さらに、トロントのテレビ局、ポーランドの親NATOシンクタンク、そして信じられないかもしれないが、ケニアの地方農家の予算が、ウクライナに充てられた税金で水増しされているのを発見した。

ジョージア共和国の企業を含む非公開企業への数千万ドル、キエフの個人起業家への100万ドルの支払いも見つかった。

我々の監査はまた、国防総省が「アトランティック・ダイビング・サプライ」という会社と450万ドルの契約を結び、ウクライナに不特定の爆発物を提供していたことも明らかにした。この会社は以前、上院軍事委員会のトム・ティリス委員長が 「詐欺の歴史」があるとして非難した、悪名高い腐敗企業である。

しかし、議会はまたしても、このような疑わしい支払いや巨額の武器取引が適切に追跡されていることを確認できていない。

実際、ウクライナに送られた軍事援助や人道援助の多くは消えてしまった。昨年、『CBSニュース』はウクライナの親ゼレンスキー派NPOのディレクターの話を引用し、ウクライナの前線に届いている援助はわずか30%程度だと報告した。

資金や物資の横領は、少なくとも軍用兵器の不正な移転・販売がもたらす潜在的な結果と同じくらい厄介だ。昨年6月、国際刑事警察機構(インターポール)のトップは、ウクライナへの武器の大量移送は、「ヨーロッパとそれ以外の地域への武器の流入が予想される」ことを意味し、「犯罪者たちは今こうしている間にも、これらの武器に注目している」と警告した。

今年5月、ウクライナ政府から支給された装備で身を固めた反クレムリン派のロシア人ネオナチ集団が、アメリカ製のハンヴィー(高機動多目的装輪車)を使ってロシア領内でテロ攻撃を行ったとして、西側の政治家たちから称賛された。いわゆる 「ロシア義勇軍 」と呼ばれるこの集団は、自らを 「ホワイト・キング」と称する男が率いており、アドルフ・ヒトラーを公然と敬愛する者も多数含まれているが、ロシア軍に対するこの民兵集団を西側諸国が武器化していることについて、議会から何の反発も出ていない。

バイデン政権は、送られた兵器についてはしっかり管理していると約束しているが、昨年12月にリークされた国務省の公電は、「ウクライナ軍とロシア軍の間の動きと活発な戦闘は、標準的な検証手段が時には実行不可能か不可能な環境を作り出している」と認めている。

バイデン政権は、ウクライナに輸送している兵器を追跡できないことを知っているだけでなく、世界最大の核保有国に対して代理戦争をエスカレートさせていることも知っているし、ウクライナにそれなりの対応をするようあえてけしかけているのだ。

政権がそういう認識であることは明白だ。2014年、バラク・オバマ大統領がキエフに攻撃用武器を送るという要求を拒否したのは、『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙が言うように、「ウクライナを武装させれば、モスクワを刺激してさらにエスカレートし、ワシントンを代理戦争に引きずり込むことになりかねないという長年の懸念」があったからだ。

2017年に大統領に就任したドナルド・トランプは、オバマの政策に一線を画そうとしたが、レイセオンのジャベリン・ミサイルをウクライナ軍に送ることを拒否したことで、ワシントンの記者団や民主党からすぐにロシアの操り人形の烙印を押された。トランプがジャベリンの送付を渋ったことは、弾劾の根拠の一部とされた。驚きではなかったが、トランプは譲歩した。

米国製の攻撃兵器がドンバスの最前線に到達し始めると、西側諸国はミンスク合意を悪用して、ドイツのアンゲラ・メルケル元首相が言ったように、ウクライナに武装する「時間を与える」ことにした。

2022年1月、米国はウクライナへの2億ドルの武器供与を発表した。2月18日までに、欧州安全保障協力機構(OSCE)のオブザーバーは、停戦違反が倍増していることを報告した。OSCEの地図によると、ドネツクとルガンスクの親ロシア分離主義者側が標的となった場所が圧倒的に多い。その5日後、ロシアはウクライナに侵攻した。

それ以来、アメリカとその同盟国は機会あるごとにエスカレーションの階段を駆け上がってきた。

「エスカレートさせる武器だからということで1月に送ることができなかった武器は2月には送ることができるようになった」と、ウクライナ側との会合を終えた国務省職員は言った。「そして2月には送れなかったものが4月にはできてしまう。これがパターン化している。スティンガーをはじめとして、どうしようもない!」と、彼らは肩に装着するミサイルのことを指して言った。

ジョー・バイデン大統領自身、2022年3月にこう語っている。「攻撃的な装備を送り込み、飛行機や戦車を保有するという考えは......ごまかしはきかない。どう呼んだって、それは第三次世界大戦という意味だ」と。

アメリカからハイマースシステムを受け取ってからウクライナ軍が重要インフラを標的にし始めるまで、わずか2カ月しかかからなかった。ドニプロ川に架かるアントノフスキー橋を攻撃するためにハイマースを使用し、その2カ月後には「ロシアの横断を阻止するためにドニエプル川の増水が可能かどうかを確認する」ためにカホフカ・ダムを試験攻撃した、と『ワシントン・ポスト』紙は報じている。

3週間前、カホフカ・ダムが破壊され、大規模な洪水と地元水源の汚染を引き起こし、大きな環境破壊を引き起こした。ウクライナはもちろん、この攻撃をロシアのせいだと非難しているが、何の証拠も示していない。

またこの頃、ウクライナはロシアがザポリツィア原発で挑発行為を計画していると、根拠のない非難をした。これが引き金となり、リンジー・グラハム上院議員とリチャード・ブルメンタール上院議員(私とは無関係)は、このような事件が起きた場合、NATOがウクライナに直接介入し、ロシアを攻撃することを求める決議案を提出した。

ブルメンタールとグラハムによるこの動きは、シリアで設定されたレッドラインと同様、アメリカの軍事行動を開始するための事実上のレッドラインを確立した。元米外交官がジャーナリストのチャールズ・グラスに語ったように、「偽旗への公然の招待状」であった。

ドゥーマ(訳者注:シリアが化学兵器を使ったとされる疑惑で米国がミサイル攻撃を正当化した)の手口が、今度はザポリツィアで見られるのだろうか?

アメリカはなぜこんなことをするのか?なぜウクライナに高度な兵器を溢れんばかりに送り続け、交渉をことごとく妨害することで、核による全滅を誘導しようとするのか?

私たちは、ディック・ダービン上院議員のような人々から、ウクライナは「文字通り、自由と民主主義そのものを守る戦いの中にある」のだから、バイデン大統領が言ったように、「必要なだけ」武器を供給しなければならないと言われてきた。ウクライナへの軍事援助に反対する者は、この論理によれば、民主主義の防衛に反対しているということになる。

では、ヴォロディミル・ゼレンスキーはどうなのか。野党を禁止し、正当な野党のメディアを違法化し、野党のトップを投獄し、彼の部下たちを一斉検挙し、ロシア正教会を家宅捜索し、聖職者たちを逮捕したといった決定のどこに民主主義があるのか?

ウクライナ政府が、アメリカ市民であるゴンザロ・リラを、戦争に関する公式見解に疑問を呈したとして投獄したことのどこに民主主義があるのか?

戒厳令が発令されたという理由で2024年の選挙を停止するというゼレンスキーの最近の決定のどこに民主主義があるのだろうか?最近はウクライナに民主主義を見つけることは、突然いなくなった軍最高司令官、ヴァレリー・ザルジニーを見つけるよりも難しいようだ。

グラハム上院議員は、ウクライナに何十億ドルもの武器を供給する根拠として、もっと厳しい、そして的を得ている根拠を提示している。最近、キエフでゼレンスキーと面会した際に同議員がこう自慢した。「ロシア人はどんどん死んでいる。我々がこんなに上手に使った金はなかった。」

グラハムは、われわれアメリカは、この戦争を「最後のウクライナ人まで」戦わなければならないとも言っている。公式の死傷者数は厳重に機密扱いにされているが、ウクライナではグラハム議員の残酷な妄想が実現しつつあることを懸念しなければいけない。

今月、ウクライナの兵士が『バイス・ニュース』に訴えた。ゼレンスキーの「計画が何なのかはわからないが、自国民の絶滅のようだ。戦闘可能な労働年齢人口の全滅作戦のような。まさしくそれだ」と。

実際、ウクライナの兵隊墓地は、ロッキード・マーチン、レイセオンなど、第二次世界大戦後2番目に高い軍事費から利益を得ている軍需産業の幹部たちのバージニア州北部の豪邸街やビーチフロントの邸宅群と同じくらい急速に拡大している。

この者たちがウクライナ代理戦争の真の勝者である。平均的なウクライナ人でもアメリカ人でもない。ロシア人でも西ヨーロッパ人でもない。

その勝者とは、オバマ政権とバイデン政権の間に「ウェストエグゼク・アドバイザーズ」というコンサルティング会社を立ち上げ、諜報機関や兵器産業に有利な政府契約を獲得したトニー・ブリンケン国務長官のような人々である。ブリンケンの「ウェストエグゼク・アドバイザーズ」の元パートナーには、国家情報長官アヴリル・ヘインズ、CIA副長官デビッド・コーエン、元ホワイトハウス報道官ジェン・サキ、そしてバイデンの国家安全保障チームの現・元メンバー12人近くが含まれている。

ロイド・オースティン国防長官は、レイセオンの元役員であり、将来もまた役員になる可能性がある。また、ウェストエグゼクと協力関係にあり、ブリンケンが顧問を務める「パインアイランド・キャピタル投資会社」の元パートナーでもある。

一方、現在の米国国連大使であるリンダ・トーマス・グリーンフィールドは、オルブライト・ストーンブリッジ・グループ(自称 "商業外交会社")の上級顧問として名を連ねている。この会社は故マデレーン・オルブライトが設立したもので、彼女はアメリカの制裁体制下で50万人のイラクの子供たちを死なせたことは "それだけの価値がある "と言った悪名高い発言で知られる。

つまり、ウクライナの中年男性たちが憲兵によって路上から拉致され、最前線に送られる一方で、この代理戦争の資金的・政治的につながりのある立役者たちは、バイデン政権での任期が終われば、回転ドアをくぐって想像を絶する利益を得ようと画策しているのだ。

彼らにとって、この領土問題を交渉で解決することは、ウクライナに対する1500億ドル近いアメリカの援助という「金のなる木」の終焉を意味する。

国連安全保障理事会の常任理事国であるアメリカ合衆国が、「必要な限り」代理戦争を続けようとする政府(訳者注:バイデン政権)の支配下に入ったとき、バイデンが言ったように「ルーブルを瓦礫に変える」一方的な強制措置(訳者注:経済制裁のこと)を外交であると取り違えた政府に支配されているとき、その指導者が利益を追求するために交渉を破壊する一方で、自国民が何に対して金を払わされているのかをきちんと知らせようとしないとき、地政学上のライバルを打ち負かすために、仲間であるはずのウクライナ人の息子たちや兄弟たちを殺戮の場に押し出すとき、ゼレンスキーも米国議会の議員も、国連憲章第51条の精神に反するロシアへの先制攻撃を求めているとき、安全保障理事会は憲章を実施するための行動をとらなければならない。

同憲章の第6章第33条から第38条は、安全保障理事会は、特に国際安全保障を脅かすような紛争が発生した場合、その平和的解決を保証するためにその権限を行使しなければならないと明言している。それはロシアとウクライナだけに適用されるべきではない。安全保障理事会には、米国と、NATOという違法な軍事組織を厳しく監視し、牽制する義務がある。

ありがとうございました。

(翻訳以上)


Friday, June 16, 2023

「私は自分の人生を、核戦争を起こさないという目的に捧げてきた」ダニエル・エルズバーグ氏追悼 "I have committed my life to preventing nuclear war." Remembering Daniel Ellsberg, 1931 - 2023

2017年11月、自宅でくつろぐダニエル・エルズバーグ氏

1971年、ランド研究所在籍中にベトナム戦争についての政府内部文書「ペンタゴン・ペーパーズ」を新聞にリークし、米国のベトナム撤退の一因を作ったことで知られる、「内部告発者」の代表的存在であるダニエル・エルズバーグ氏が16日、膵臓がんのため亡くなった。享年92歳。妻のパトリシアさんと3人の子どもたちに囲まれて、最後は痛みもなく静かに亡くなられたということだ。

米国の調査報道サイト『コンソーシアム・ニュース』による短い追悼文がエルズバーグ氏の功績を最も簡潔に表しているだろう:

★★★

ダニエル・エルズバーグは、膵臓がんとの闘いの末、ホスピスケアを受けながら金曜日、92歳で亡くなった。

エルズバーグは、彼の世代で、いやあるいは米国史上で最も偉大な内部告発者と見なされていた。  ベトナム戦争に関する政府の極秘調査結果をマスコミにリークした彼の決断は、確かに米国の歴史上最も勇気ある行為の一つであった。

ニクソン政権の司法省がペンタゴン・ペーパーズの出版を中止するよう報道機関に命じた決定は、政府による事前抑制の使用を禁じる画期的な最高裁判決につながった。

当時のリチャード・ニクソン大統領は、それにもかかわらず、エルズバーグをスパイ防止法の下で起訴させた。  エルズバーグは、検察の重大な不正行為が明らかになった後、自由を手に入れたのである。

晩年、エルズバーグは不正に対して声を上げ続け、エドワード・スノーデンやチェルシー・マニングといった新世代の内部告発者を支援した。

また、ウィキリークスの発行人であるジュリアン・アサンジが、自身のスパイ防止法違反事件と闘う際には、大胆不敵な擁護者でもあった。

ダンはコンソーシアム・ニュースの友人であり、私たちの役員を務め、CNライブ!のウェブキャストに何度も出演してくれました。私たちは、彼の家族と多くの友人に哀悼の意を表します。  

★★★

サンフランシスコ近郊に住むダニエルさんと妻のパトリシアさんには2008年にお会いする機会があり、公私にわたり助言をいただくお付き合いをさせていただいた。感謝の気持ちで一杯である。

今年になって、死期が近いと聞いたときお見舞いに行きたかったが、コロナなどの感染の心配もあるため訪問者は受け付けていないということで諦めた。

ダニエルさんには2016年10月、大統領選直前にインタビューする機会があった。『週間金曜日』に載せてもらったインタビュー記事はここで読める。

ダニエル・エルズバーグインタビュー「現在はキューバ危機以来の核戦争の危機」 Daniel Ellsberg Interview in Shukan Kinyobi (Nov. 25)

核問題を論じる会議があったサンタ・バーバラのカフェでパンケーキの朝食を一緒にとりながら話を聞いたのだが、「私は自分の人生を、核戦争を起こさないという目的に捧げてきた」という言葉がとても印象的であった。「日本こそが米国に核先制不使用を求めるべきだ。安倍首相がどう言おうとも、日本の市民が立ち上がって行動すべきだ」と言っていた。

2016年10月のインタビューより

その後2017年、新著 Doomsday Machine 出版(日本語版は2020年世界滅亡マシン 核戦争計画者の告白』宮前ゆかり&新井雅子翻訳で岩波書店から出ている)にあたり再度インタビューした内容は、『沖縄は孤立していない 世界から沖縄への声、声、声』(2018年、金曜日刊)に収めてある。ダニエルさんは辺野古新基地に反対声明を出した103人の世界の声の一人でもあった。

ダニエルさんは甘党だったのかと思う。初めて会ったときも自宅近くのカフェで「ここのホットチョコレートが美味しいんだ」と、ご馳走してくれたのを覚えている。家族がダニエルさんの死を伝えるツイッターで、医師の指示で5年間塩のない食事療法を続けていたが最後の日々はそれもやめ、「ホットチョコレート、クロワッサン、ケーキ、ポピーシードベーグル、ロックス」などを食べる喜びを味わっていたということだ。冒頭に「ホットチョコレート」があったことに「やはり」と思った。

核問題会議の懇親会で得意の手品を披露する
(2016年10月、サンタ・バーバラにて)

ダニエルさんの反核反戦の遺志を受け継ぐ一人でありたいと思います。

心よりご冥福をお祈りします。Rest In Peace. 

@PeacePhilosophy Satoko Oka Norimatsu 


当サイトのダニエル・エルズバーグさん関連投稿

ダニエル・エルズバーグインタビュー「現在はキューバ危機以来の核戦争の危機」 Daniel Ellsberg Interview in Shukan Kinyobi (Nov. 25)

ダニエル・エルズバーグが2009年のヒロシマの記念日に捧げた回顧録「ヒロシマの日-64年間、居眠り運転をしてきた米国」

「ペンタゴン・ペーパー」で知られるダニエル・エルズバーグ氏によるワシントン・ポスト紙への寄稿:アメリカを脱出したスノーデン氏は正しかった 

他にも多数あります。ここをクリックしてください。

Monday, January 03, 2022

核戦争の防止と軍拡競争の回避に関する核兵器国5カ国首脳の共同声明 Joint Statement of the Leaders of the Five Nuclear-Weapon States on Preventing Nuclear War and Avoiding Arms Races

 新年もよろしくお願いします。なかなかブログを更新できなくなってしまいましたが、できるときに重要な内容をアップしていきたいと思います。

新年、核保有5カ国が核戦争を回避するための共同声明を出しました。日本語の報道では朝日新聞「核保有5カ国、核戦争の回避「一番の責務」 共同声明を発表」、英語では Guardian 紙「Five of world’s most powerful nations pledge to avoid nuclear war」などが報道しているようですが、ホワイトハウスのHPに原文がありました。以下に原文をコピーし、Deepl による日本語訳にブログ運営者が多少手を入れた日本語訳も段落ごとに載せます。核不拡散条約の条文を引用している部分は外務省のHPにある日本語版にならいました。米国が、ロシアや中国との緊張を高めている中このような外交努力は注目されるべきではないかと思います。翻訳に問題があったら指摘ください。


White House Website 


Joint Statement of the Leaders of the Five Nuclear-Weapon States on Preventing Nuclear War and Avoiding Arms Races

核戦争の防止と軍拡競争の回避に関する核兵器国5カ国首脳の共同声明

JANUARY 03, 2022 

2022年1月3日

The People’s Republic of China, the French Republic, the Russian Federation, the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland, and the United States of America consider the avoidance of war between Nuclear-Weapon States and the reduction of strategic risks as our foremost responsibilities.

中華人民共和国、フランス共和国、ロシア連邦、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国、およびアメリカ合衆国は、核兵器国間の戦争を回避し、戦略的リスクを低減することが、我々の最も重要な責任であると考えている。

We affirm that a nuclear war cannot be won and must never be fought.  As nuclear use would have far-reaching consequences, we also affirm that nuclear weapons—for as long as they continue to exist—should serve defensive purposes, deter aggression, and prevent war.  We believe strongly that the further spread of such weapons must be prevented. 

私たちは、核戦争は勝つことができず、決して戦ってはならないことを確認する。 核兵器の使用は広範囲に影響を及ぼすため、私たちは、核兵器が存在し続ける限り、防衛目的、侵略の抑止、戦争の防止を目的としたものであることを確認する。 私たちは、このような核兵器のさらなる拡散を防止しなければならないと強く信じている。

We reaffirm the importance of addressing nuclear threats and emphasize the importance of preserving and complying with our bilateral and multilateral non-proliferation, disarmament, and arms control agreements and commitments.  We remain committed to our Nuclear Non-Proliferation Treaty (NPT) obligations, including our Article VI obligation “to pursue negotiations in good faith on effective measures relating to cessation of the nuclear arms race at an early date and to nuclear disarmament, and on a treaty on general and complete disarmament under strict and effective international control.”

我々は、核の脅威に対処することの重要性を再確認し、二国間および多国間の核不拡散、軍縮、軍備管理に関する合意と公約を維持し遵守することの重要性を強調する。 我々は、核不拡散条約(NPT)第6条の義務である「核軍拡競争の早期の停止及び核軍備の縮小に関する効果的な措置につき、並びに厳格かつ効果的な国際管理の下における全面的かつ完全な軍備縮小に関する条約について、誠実に交渉を行うこと」を含む核不拡散条約の義務に引き続きコミットしている。

We each intend to maintain and further strengthen our national measures to prevent unauthorized or unintended use of nuclear weapons.  We reiterate the validity of our previous statements on de-targeting, reaffirming that none of our nuclear weapons are targeted at each other or at any other State. 

我々はそれぞれ、核兵器の無許可または意図しない使用を防止するための国家的措置を維持し、さらに強化することを意図する。 我々は、非標的化に関する我々のこれまでの声明の有効性を再確認し、我々のいかなる核兵器も相互に、あるいは他のいかなる国家にも向けられていないことを再確認する。

We underline our desire to work with all states to create a security environment more conducive to progress on disarmament with the ultimate goal of a world without nuclear weapons with undiminished security for all.  We intend to continue seeking bilateral and multilateral diplomatic approaches to avoid military confrontations, strengthen stability and predictability, increase mutual understanding and confidence, and prevent an arms race that would benefit none and endanger all.  We are resolved to pursue constructive dialogue with mutual respect and acknowledgment of each other’s security interests and concerns.

我々は、万人のための安全保障が損なわれない「核兵器のない世界」という究極の目標に向けて、軍縮の進展により資する安全保障環境を構築するために、すべての国と協力していくことを強調する。 我々は、軍事的対立を回避し、安定性と予測可能性を強化し、相互理解と信頼を高め、誰も得をせずかつすべての人を危険にさらす軍拡競争を防ぐために、二国間および多国間の外交的アプローチを引き続き模索するつもりである。 我々は、相互に尊重し、互いの安全保障上の利益と懸念を認識した上で、建設的な対話を追求することを決意する。

Sunday, February 14, 2021

【3月7日更新:講演動画有】カナダ9条の会オンライン講演会「核と人類は共存できない-核兵器禁止条約発効と、福島原発事故10年の節目に考える-」 落合栄一郎さんを迎えて Article 9 Canada presents Eiichiro Ochiai's talk "Nuclear and Humanity Cannot Co-exist: Marking the 10th Anniversary of the Fukushima Daiichi Nuclear Accident and the Enactment of the Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons"

3月7日追記:60人以上の参加を得て盛況のうちに終わりました!動画をアップしますのでご覧ください。次回の講演も乞うご期待!
    

後記:カナダ、日本、米国などから参加してくださったたくさんの皆様 ご参加、事後のたくさんの質問やコメントをありがとうございました。

落合さんは、素人にもわかりやすい言葉で、放射性物質がどう人体、生物に影響するかを説明し、また、福島原発事故やチェルノブイリ原発事故、スリーマイル島原発事故や米国や各国の核施設が人体にどういう影響を及ぼしているか、または及ぼしている可能性があるかを数々のデータを使って詳しく説明し、あらためて原発という、核の「平和」利用というのはありえないのだ(それが生み出す大量の熱量でかえって温暖化が進むこと、ウラン採鉱から核廃棄物まですべてのプロセスにおいて被曝を生み出すこと、被曝の影響に閾値はないこと等)、核実験や核発電により北半球全体がいかに汚染されているかのも思い知らされました。最後の、TPNW(核兵器禁止条約)を超えてNBT(核禁止条約)へ!という、核の全面禁止を訴えました。


カナダ9条の会 オンライン講演会第一回

核と人類は共存できない

ー核兵器禁止条約発効と、福島原発事故10年の節目に考えるー

落合栄一郎さんを迎えて

落合栄一郎さん
 2021年1月22日、核兵器禁止条約 (Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons(英語条文はここ外務省の日本語仮訳はここ)が発効となりました。核兵器の使用、使用の威嚇、開発、実験、生産、製造、取得、保有および貯蔵を禁止し、その移譲、受領、禁止行動に対する援助、奨励、勧誘も禁止する、全面的な「禁止」条約は長年の世界の被爆者や根強い市民社会の運動の成果と言えます。条約では「核兵器に関する活動が先住民にもたらす均衡を失した影響を認識し」と、核問題と植民地主義の関連にも触れています。
 1月22日の時点で86国が署名、52国が批准していますが、全ての核保有国および米国の同盟国(カナダを含むNATO諸国、日本、韓国など)は参加していません。また、「無差別に平和的目的のための原子力の研究,生産及び利用を発展させることについての締約国の奪い得ない権利に影響を及ぼすものと解してはならない」と、原子力発電を問題視していません。
 きたる3月11日は、東日本大震災・津波および福島第一原発の大事故発生から10周年を記憶する日です。10年経っても収束からは程遠く、環境や生物、人体の被曝被害は継続し、いまだに3万から6万以上といわれる人たちが避難生活を強いられています。
 今回は、米国の大学で教鞭を取りながら長く平和・反核運動にも従事し、退職後もバンクーバー9条の会の会長を務め、化学者として、核兵器であれ原発であれ「核と人類の共存はできない」との主張を英語・日本語の著書や講演・執筆活動で続けてきている落合栄一郎さんを講師に迎えたいと思います。

時間:

    バンクーバー(太平洋標準時):3月6日(土)午後5時ー6時半

    トロント・モントリオール(東部標準時):3月6日(土)午後8時ー9時半

    日本 3月7日(日)午前10時ー11時半

参加費 無料

主催    カナダ9条の会 (Article 9 Canada) 

後援    Peace Philosophy Centre

定員 先着100名

言語 日本語(質問は英語でも受け付けられます)

要事前登録。このリンクから登録してください:

https://us02web.zoom.us/meeting/register/tZAkd-CqpzwuH9TgE_7TFU-5iaHV07xyfP-0 

問い合わせ先:article9canada@gmail.com 

講師プロフィール:落合栄一郎(おちあい・えいいちろう)

1936年東京生まれ。ペンシルバニア州のジュニアータカレッジ名誉教授。東京大学工業化学科卒、同大博士課程終了工学博士。カナダ、アメリカ、スウェーデン、ドイツなどの大学で化学の研究教育に携わる。2005年退官後はバンクーバーで、バンクーバー9条の会、世界連邦協会等を通じて平和活動を行いながら英語、日本語で、放射能や被ばくの危険性についての執筆活動に従事する。

著書:Bioinorganic Chemistry, an Introduction (Allyn and Bacon, Boston, 1977)、 Bioinorganic Chemistry, a Survey (Elsevier, Amsterdam,2008)、 Hiroshima to Fukushima (Springer, Heidelberg, 2013)、 Nuclear Issues in the 21st Century , Nova Science Publ, New York, 2020)、『原爆と原発』(鹿砦社、2012)、『放射能と人体』(講談社、2014)、『病む現代文明を超えて持続可能な文明へ』(本の泉社、2013)等多数。

 ★バンクーバー、トロント、モントリオールの9条の会が横につながり、大きな「カナダ9条の会」という枠組みで、日本やその他の国に住むメンバーも含め、日々意見・情報交換をしてきましたが、コロナの影響で活動はオンライン中心となりました。2021年から、不定期となりますが誰にでも参加してもらえるズーム講演会シリーズを企画しようということになり、これが第一回となります。

Tuesday, October 20, 2020

長崎原爆の日 朝鮮人被爆者を追悼する早朝集会で読み上げられた、朝鮮原爆被害者協会のメッセージ A Message from the Association of Atomic Bomb Victims in DPRK for the 75th Anniversary of the Nagasaki Atomic Bombing (Japanese and Korean)

日本による植民地支配下、「強制連行および徴用で重労働に従事中被爆死亡した朝鮮人とその家族のために」、長崎市民が1979年に建てた「長崎原爆朝鮮人犠牲者」追悼碑の前では毎年、原爆投下を記憶する8月9日に早朝集会が開かれます。例年は数百人の参加がありますが、今年はコロナのせいで参加者は減ったものの、それでも50人ぐらいは集まったとのことです。私は、日米広島長崎の旅でこの日は毎年長崎にいてこの集会には必ず出席しますが、今年は旅自体がコロナでキャンセルになったので行けませんでした。後日、長崎で日本の加害を伝える「岡まさはる記念長崎平和資料館」の新海智弘副理事長から、今年の集会では初めて朝鮮民主主義人民共和国の「朝鮮原爆被害者協会」からメッセージが寄せられたということを聞きました。朝鮮総連の長崎県本部委員長の金鐘大さんによって代読されたメッセージは、植民地支配ゆえに被爆させられた朝鮮人被爆者の人権を軽視し、援助するどころか、敵視政策と歴史否定で二次加害を犯し続けている日本政府、日本社会の構成員に一人でも多く届けたい内容です。許可を得てここに転載します(日本語、朝鮮語)。

金鐘大さん


長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼早朝集会にお集まりの皆様

 日本帝国主義が起こした侵略戦争の業火の中で、米国の原子爆弾投下に依り多くの朝鮮人が無惨に犠牲になったその日から、75年を迎えた今日この日、朝鮮人原爆犠牲者に対する深い哀悼の心を持ち追慕します。

 広島、長崎で原爆の犠牲になった朝鮮人は、生きる場所だけでなく人としての尊厳と権利まで奪われ、故郷を離れた異国の地日本に強制連行された、日本帝国主義植民地統治時代の受難者達であります。

 親兄弟が待ちわびる、愛する故郷に帰るその日を思い、過酷な労働の苦しみに、歯を食いしばり耐えた、数多くの朝鮮人達が祖国解放を目前にした、8月 9日原爆により残酷にも犠牲になったことに、私達は憤りを抑える事ができません。

 原爆による被害はこれで、終わることではありませんでした。

 奇跡的に生き延びた原爆被害者の朝鮮人は、日本の原爆被害者と同様に重度の被爆後遺症にさいなまれ、苦しみました。

 しかしながら、日本政府は日本の原爆被害者とは違い、朝鮮人原爆被害者には何の保護、補償も無視されたまま今日に至ってます。これは全く民族的差別によるものです。

 これは人道的に絶対許すことの出来ない事であります。

 実に、日本帝国主義が朝鮮人民にかした不幸は、我が朝鮮人民の心の中に積み重ねられた悲しみと怨みはどんなにしても、ときはなされる事はありません。

いわんやお金で解決される物ではありません。

 それにも関わらず、日本政府は敗戦後75年の歳月を迎えた今日まで、朝鮮民主主義人民共和国に対する敵視政策をよりー層強化しながら、我が国の原爆被害者問題を無視しています。

 日本政府は、《被爆者援護法》を制定し日本国内と米国、韓国、台湾、オランダ等の在外原爆被害者に対しては、各種名目の支援金を支払いながら、唯一我が国朝鮮民主主義人民共和国の原爆被害者に対しては、補償どころか人道的医療支援措置すら、実施していない実情です。

 これは、日本帝国主義に依るアジア侵略戦争の結果、投下された原爆として、その被害の後遺症で苦しみ、一生精神的肉体的苦痛の中で生きてきた、原爆被害者に対する許す事の出来ない冒とくであり、2重、3重の人権蹂躙犯罪になります。

 皆様もご存知の様にわが国の原爆被害者問題は、本質においては日本帝国主義の朝鮮侵略と強占、軍事的支配が生み出した産物であり、日本の過去清算、歴史清算と直結している問題です。

 それゆえ、日本政府はこの問題を法律的見地から見ても、道徳的見地から見ても必ず解決しなければいけない、焦眉の問題として受け止めなければなりません。

 日本政府は罪行を心から反省したうえで、私達の全ての原爆被害者と、犠牲者達、その遺族たちに真摯に謝罪して賠償しなければいけません。

 朝鮮人原爆被害者に関連した資料を全面的に調査公開し、過去の侵略戦争と、人道に反する犯罪に対して歪曲や捏造行為を取りやめなければならない。

 原爆被害者2世、3世を含め全ての原爆被害者達の治療に必要な、医療設備を至急に提供しなければいけません。

 私達はこれからも、正義と平和、人権を大事にする進歩的な人達との連帯と協力を強化し、朝鮮民主主義人民共和国の原爆被害者問題の早期解決をめざし、全ての力を注ぐ覚悟です。

 最後に、長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼早朝集会に参加された皆様方が、苦しかった過去の歴史を思い返して、この私達の切実で正当な要求が、一日も早く実現できる様にご支援下さい。 

 又、私達は共に正義と連帯の声を高めましょう。 

 皆様方のこれからの活動も、大きな成果が有ることを心から望みます。

朝鮮原爆被害者協会 チュチェ 109(2020)年 8月 9日







Tuesday, October 06, 2020

10月5日 NHK広島放送局に読み上げ、手渡した補足抗議文 October 4 Symposium "NHK 'Hiroshima Timeline' and Today's Racial Discrimination in Hiroshima," and our renewed protest against NHK Hiroshima's hate tweets

10月4日広島の留学生会館で開催されたシンポジウム「NHKひろしまタイムラインと広島の民族差別の現在」の翌日、5日の朝、NHK広島放送局を訪ね、すでに公表している、306人(10月5日時点)の連名・署名をもらった抗議文と、連名者名簿、コメント集を手渡しました。そのときに読み上げた、最新の状況を踏まえた補足の抗議文をここに掲載します。シンポジウムと、NHKでの行動は、共同通信、共同配信記事を取り上げた全国の地方紙、朝日新聞、中国新聞、ハンギョレ新聞中央日報毎日新聞英語版などに取り上げられメディアにも大変注目されたと感じています。


10月4日シンポジウム「NHKひろしまタイムラインと広島の民族差別の現在」
(於 広島留学生会館)

10月5日 NHK広島放送局前で
シンポジウム実行委員会のメンバー、シンポジウム参加者と


(補足抗議文はここから。文中のハイパーリンクはブログ読者の利便のために運営者がつけたものです。)

NHK広島放送局 御中

昨日(10月4日)留学生会館において、シンポジウム「NHKひろしまタイムラインと広島の民族差別の現在」を行いました。朝鮮人を乱暴で怖い存在として表現する「ひろしまタイムライン」の8月20日、6月16日の「シュン」ツイートの内容について、来場70名、オンライン50名の参加者の前で、在日朝鮮人の3人のゲストスピーカーが発言しました。権鉉基さんは、「在日朝鮮人がますます語りにくくなり、無色透明化される今の日本」を指摘、これらのツイート内容が何を意味するかについて、李周鎬さんは「日本人に対して在日朝鮮人への偏見を助長し、在日朝鮮人に対しては“同化”を更に強いることになる」、尹李英愛さんは「旧植民地宗主国の国営放送が、旧植民地出身者及びその子孫にヘイトスピーチを行う」ことであると指摘しました。法学者の前田朗さんは、問題のツイートの内容は「2016年に成立、施行された“ヘイトスピーチ解消法”の定義・解説」から、これらのツイート内容は「ヘイトスピーチに当たる」と発言しました。私、乗松聡子は、「ピース・フィロソフィー・センター」のブログで8月23日に発表した、貴局に当該ツイートを削除するよう求めた抗議文に連名をもとめ、現時点で306人の賛同が集まっています。すでに貴局にはお伝えしていますが、その中には「ノーベル賞」受賞スピーチを行ったカナダ在住の被爆者サーロー節子さん、日本被団協事務局次長の和田征子さん他、三宅信雄さん、ランメル幸さん、豊永恵三郎さん、花垣るみさんら広島と長崎の被爆者や被爆二世、元広島市長の平岡敬さん、前広島市長の秋葉忠利さん、25年前から学生を広島と長崎に日米平和学習の旅に連れていっているアメリカン大学のピーター・カズニックさん、元広島平和文化財団理事長のスティーブ・リーパーさん、また、お名前から朝鮮半島にゆかりのあると思われる方が30人かそれ以上いらっしゃいます。

10月2日、貴局は『プロジェクト開始から半年、過去のツイートをまとめて読みやすくするため』と称し、これらのツイート内容を10月2日ホームページに「移設」しました。問題の「シュン」8月20日、6月16日ツイート内容については注釈をつけましたが、これらの注釈は、朝鮮人が広島に多く存在した、原爆被害に遭ったと言っているだけで、これらのツイート内容がもたらす「朝鮮人が乱暴だ」という印象、民団が人権救済申し立てで述べた「朝鮮⼈の不当性を際⽴たせる叙述」には何ら変わりはありません。また、これらのツイート内容の背景にある、植民地支配の時代から今に続く、日本人による在日朝鮮人・韓国人に対する差別意識について触れてさえいません。注釈では、「併合」「統治」という言葉を使い、敢えて「植民地支配」という厳然たる歴史的事実に言及することを回避し、強制「動員」だけでなく、土地調査など植民地政策で土地や生活の糧を失った多くの朝鮮人が日本に職を求めざるを得なくなったこと、朝鮮人原爆被害者も植民地支配の故に、被爆させられたのだという、日本による加害であったという本質を覆い隠した表現になっています。貴局は、「再発防止」をすると言いながら、この「移設」により自らが「再発」をさせたのではないでしょうか。これは、無知や歴史認識欠如が一因だったと思われる最初の問題ツイートのアップのときと全く意味合いが異なります。今回、これだけ当事者、市民、識者、メディアに批判を受けた上で、確信犯的に差別ツイートを新たに掲載したのです。これらの差別ツイート内容を「削除しない」「放置している」状態から「積極的に発信した」状態に踏み込んだと言えると思います。そして貴局は、今回の措置は一連の批判を受けたからではなく、「最初から決まっていた」と主張しています。これだけたくさん来た批判に全く耳を傾ける気はないという表明に聞こえました。

あらためて、差別助長ツイート内容を、ツイッターであろうがホームページであろうがいかなる公共媒体からも削除するよう貴局に求めたいと思います。8月23日付の抗議文と、連名者の名簿、およびコメント集を貴局に届けに参りました。受け取ってくださるようお願いいたします。

2020年10月5日 

ピース・フィロソフィー・センター代表 乗松聡子

(ここまで)

このシンポジウム、対NHK行動についての報道など

共同通信: 「差別扇動」NHK広島に抗議文 ツイッター投稿削除求め市民団体

朝日新聞:「レッテル貼り、変わらず」ひろしまタイムラインを議論

中国新聞:「民族差別考える場を」 NHK投稿問題受け広島でシンポ

ハンギョレ新聞:日本で市民団体が抗議「NHKは朝鮮人差別助長するツイッター内容を完全に削除せよ」

中央日報:日本の市民団体「NHKの韓国人差別助長ツイート削除」を要求

Mainichi Shimbun: Group protests NHK over tweets considered prejudiced against Koreans

ブログ「アリの一言」:「NHK広島」シンポが問いかけた2つの問題


Friday, October 02, 2020

NHK広島放送局は、差別ツイートを「読みやすく」するためにわざわざHPに再掲載した。これだけ批判を浴びながら、「再発防止」どころか自らが「再発」を起こし、差別ツイートの内容を積極的に発信した。

 

10月2日に「『シュン』これまでのツイート」として再掲載された

9月28日、NHK広島放送局はツイッターで

プロジェクト開始から半年、過去のツイートをまとめて読みやすくしてほしいとの要望に応え、9/18「やすこ」の日記終了を機に、「一郎」「シュン」も含めた3アカウントの 1か月以上経過したツイートを10月から番組HPに移設します。今週末10/2予定です

と発信し、10月2日「移設」を行った。問題になった8月20日と6月16日のツイート群のうち、8月20日の分の「移設」先はここである。

https://www.nhk.or.jp/hibaku-blog/timeline/tsubuyaki/8/436451.html 

このように注釈が新たに書き加えられている。

※注 当時の混乱した社会状況を伝え、戦争の時代についてリアリティーをもって考えていただくために、資料に基づきNHK広島放送局の責任で作成しました。

当時の日本には、多くの朝鮮半島出身者が暮らしていました。1910年の韓国併合によって日本による統治が始まった後、働き口を求めて日本本土に移住する人々やその家族などが増えました。日中戦争が長引いて労働力不足が深刻化した際に、軍需工場や炭鉱などに動員された人々もいました。

6月16日のツイートの「移設」先はここである。

https://www.nhk.or.jp/hibaku-blog/timeline/tsubuyaki/6/436446.html 

ここにもこのような注釈がついている。 

※注 当時の混乱した社会状況を伝え、戦争の時代についてリアリティーをもって考えていただくために、資料に基づきNHK広島放送局の責任で作成しました。

当時の日本には、多くの朝鮮半島出身者が暮らしていました。1910年の韓国併合によって日本による統治が始まった後、働き口を求めて日本本土に移住する人々やその家族などが増えました。日中戦争が長引いて労働力不足が深刻化した際に、軍需工場や炭鉱などに動員された人々もいました。広島にも多くの朝鮮半島出身者が暮らし、原爆の犠牲になりました。その数は定かではありませんが、広島市の平和公園にある「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」には「2万余名」の命が奪われたと記されています。

これらの注釈は当時朝鮮人が広島に多く存在した、原爆被害に遭ったということを言っているだけで、これらのツイート内容がもたらす「朝鮮人が乱暴だ」という印象、民団が人権救済申し立てで述べた「朝鮮⼈の不当性を際⽴たせる叙述」には何ら変わりはない。植民地支配の時期から今に続く、日本人による在日朝鮮人・韓国人に対する差別意識について触れてさえいない。また、敢えて「植民地支配」ではなく、「統治」という言葉を使うことによって植民地支配という厳然たる歴史的事実を否定しているかのようにも聞こえる。

NHK広島放送局は「再発防止」をすると言っておきながら自らが再発を行った。これは、無知や歴史認識欠如が一因だったと思われる最初の「シュン」ツイートのアップのときと全く意味合いが異なる。今回、これだけ当事者、市民、識者、メディアに批判を受けた上で確信犯的に差別ツイートを再掲載したのである。これらの差別ツイート内容を「削除しない」「放置している」状態から「積極的に発信した」状態に踏み込んだのである。差別ツイートをわざわざ「読みやすく」して再アップということである。そしてNHK広島放送局は、今回の措置は一連の批判を受けたからではなく「最初から決まっていた」と主張している。批判に全く耳を貸す気はないという意固地な表明でもある。

★★★

10月4日(日)、この問題について広島でシンポジウムを行います。オンラインでの参加も日本全国、世界中から可能です。ここをクリックして申し込んでください。どうかふるってご参加ください。


この問題についてのいままでの投稿リストは、この投稿の直前の投稿にありますので見てください。



Wednesday, September 23, 2020

We Need an Alternative Peace Museum in Hiroshima -- Questioning the Hiroshima-centred War Memory in Japan (10th INMP Conference Presentation) 第10回世界平和博物館会議発表「広島にはもう一つのミュージアムが必要」

Here is my presentation for the 10th International Network of Museums for Peace, successfully held from September 16 to 20, 2020. 第10回世界平和博物館会議(2020年9月16-20日)の発表動画です。


We Need an Alternative Peace Museum in Hiroshima -- Questioning the Hiroshima-centred War Memory in Japan 

Satoko Oka Norimatsu 



Abstract:

Marking the 75th anniversary of the end of WWII this year, the author problematizes the general lack of recognition in the Japanese war memory for the history of the Empire of Japan’s seven decades of colonial rule and aggressive wars. This tendency is prevalent even in the “peace,” “anti-war,” and “anti-nuclear” communities, accentuated by what the author calls the “Hiroshima Historical View,” which centres itself around the Japanese suffering in the atomic-bombing of Hiroshima and Nagasaki. This view of history omits what led up to the atomic bombing and depicts the event as a sudden tragedy that befell the otherwise “peaceful” lives of Japan's innocent people. The newly renovated Hiroshima Peace Museum is no exception. It neither touches upon Japan’s invasions of neighbouring countries and Hiroshima's role in them, nor does it point to the United States’ responsibility for the evil that it committed. The author will discuss how such sanitization of historical responsibilities contributes to today’s acceptance of the U.S.-Japan military alliance that enables further buildup in the region, including Iwakuni and Kure, constituting a permanent “war capital” identity of Hiroshima. The author will conclude by presenting a vision for an alternative museum in Hiroshima.

概要

タイトル: 日本人の「ヒロシマ史観」を問う―オルタナティブミュージアムの提案

第二次世界大戦終結75周年を迎えるにあたり、日本の戦争記憶は概して、大日本帝国の70年余にわたる植民地支配と侵略戦争についての認識が欠如している。この傾向は「平和」、「反戦」、「反核」の世界においても蔓延しており、広島と長崎の原爆における日本人の被害を中心とした「ヒロシマ史観」とも呼べる歴史観がさらに増強している。この歴史観は、原爆に至る歴史を切り捨て、原爆投下を、「 “平和な”生活を送っていた日本の罪なき人々の上に突然降りかかった悲劇」として描写する。今回リニューアルした広島平和記念資料館も例外ではない。日本の侵略戦争について触れておらず、広島がその中で果たした役割も語っていない。米国の原爆投下という戦争犯罪の責任を追及することもしていない。このような歴史的責任の浄化行為は現在の日米安保体制・日米軍事同盟の容認につながっており、周辺の岩国や呉とも合わせ地域の軍拡は進む一方だ。結果として、「ヒロシマ」は「軍都=戦争の都」としての性格を恒久化させている(これは長崎も同様)。今こそ、「ヒロシマ」が切り捨ててきた歴史を拾い上げる、もう一つのミュージアムが必要だと思う。


On September 20, 2020, I organized a member-hosted special event with my colleagues Yuki Tanaka, a historian based in Melbourne, Australia and Akari Kojima and Yoshiki Kanai, members of a new social action group RADICAL BANANA. 

See their presentations at this link: 

Tuesday, September 08, 2020

「自分のところにも母親があんな風に出てきてくれるといいんだけれどね」- 被爆者 岩佐幹三さんを偲ぶ Remembering IWASA Mikiso, a Hiroshima Hibakusha (1929-2020)

 2006年バンクーバーで開催された「世界平和フォーラム」に日本被団協の派遣団で来ていた被爆者のおひとり、岩佐幹三さんが亡くなったとの報せを聞いて大変ショックな気持ちでいる。

私は地元の「バンクーバー9条の会」の一員として、このとき、もう一人の被爆者の三宅信雄さんの証言の通訳と、井上ひさしの劇『父と暮せば』の朗読上演を行った。

そのとき、岩佐さんは他の被爆者のみなさんと一緒に客席で観ていてくれていた。私は、この劇で描かれている被爆者と、岩佐さんが、似た体験をしていることを知っていたため大変緊張したことを覚えている。

2011年に私が翻訳で参加した本、木村朗、ピーター・カズニック著『広島・長崎への原爆投下再考 日米の視点』(法律文化社)に寄せたコラムでこのときのことを書いた。

2006年にバンクーバーで世界平和フォーラムが開催されたとき、私はバンクーバー九条の会の一員として、故・井上ひさしの原爆劇『父と暮せば』英語版の朗読上演をした。爆風で倒壊した家の下敷きになった父親を助けることができずに、猛火が迫る中父親を置いて逃げるしかなかった若い女性の元に、死んだ父親が現れて、娘を励ますという設定の劇である。「あんときおまいは泣き泣きこようにいうとったではなーか。『むごいのう、ひどいのう、なひてこがあして別れなきゃいけんのかいのう』…。」少年だった岩佐さんも、同じようにお母さんを置いて逃げなければいけなかった。そんな岩佐さんをこの劇の客席に迎えたということは忘れられない体験となった。その後岩佐さんは、「自分のところにも母親があんな風に出てきてくれるといいんだけれどね」と微笑みながら語ってくれた。「こよな別れが末代まで二度とあっちゃいけん…あよなむごい別れがまこと何万もあったちゅうことを覚えてもろうために生かされとるんじゃ。」この劇の父の言葉のような思いで、岩佐さんをはじめ被爆者たちは生きてきたのだろう。

2010年5月の核不拡散条約再検討会議のときも、岩佐さんは被団協の派遣団の一人として、炎天下の中で行進を行っていた。ニューヨークの同時多発テロ事件(911)の被害者家族とともに開催した証言会でも岩佐さんはご登壇、私は通訳を務めた。

2006年の平和フォーラムのときの派遣団のうち、岩佐幹三さん、三宅信雄さん、大野禮子さん、寺沢茂さんとは、夏の広島・長崎の日米学生の旅が終わった後には毎年のように、被団協の事務局の欠塚さんの手配で、集まって食事を共にした。

写真は、2011年の8月11日に集まったときのもの。場所は覚えていないが、被団協の事務局のある大門の近くだったと思う。

左から、大野さん、私、寺沢さん、岩佐さん、三宅さん

(寺沢さんとお会いしたのはこの時が最後となってしまった。この一年後、2012年8月31日に85歳で亡くなられた。)


ちょっとお酒が回ってきて話も弾む。

帰り途、お互いによりかかるようないい気持ちで駅に向かう。
左から、三宅さん、岩佐さん、寺沢さん。

地下鉄のホームで、岩佐さんと、三宅さん

私の知る岩佐さんは、いつもにこにこされている温厚な方であったが、核兵器廃絶には非常に厳しい姿勢で取り組んでおられた。2016年5月にオバマ大統領が広島に来たときは日本被団協代表委員の一人として列席した一人であった(オバマ大統領との直接の交流は許されなかった)。ここ数年は体が弱られて、お電話で話すことしかできなかった。


岩佐さん、やっとお母様に、会えましたね、きっと。どうか安らかにお眠りください。


★ ★ ★

2010年、ニューヨークにおける核不拡散条約再検討会議のときの岩佐さんの証言を、ここに紹介します。


核兵器も戦争もない平和な未来を

-日本の原爆被爆者を代表して-

                                                 岩佐幹三

千葉県船橋市 

  2010NPT再検討会議の成功をめざして参集された皆さん、また、核兵器、核戦争の脅威から解き放たれることを心から願っている皆さん、核兵器の一日も早い廃絶のために力をあわせましょう。そのために日本から被爆者を代表して参加した一員として、私の被爆体験と願いを訴えます。

  1945年8月6日と9日に広島と長崎に投下された原子爆弾は、爆風、熱線、放射線を総合した巨大な破壊的エネルギ-によって、一瞬のうちに両市を瓦礫の街に変え、市民たちを地獄の劫火と放射能の渦巻く汚染荒野の中に投げ込みました。

  その日16歳の中学生だった私は、動員中の軍需工場が電休日だったので、広島の爆心から近距離1.2kmの自宅の庭にいました。飛行機の爆音が聞こえて間もなく、激しい爆風の衝撃をうけて、地面にたたきつけられました。やわらかい畑地だったので大した傷は負いませんでした。50cm右にいたら庭石にたたきつけられて即死だったでしょう。家の前のバス通りをはさんだ向かいの家の屋根の陰になって、奇跡的にやけども負いませんでした。

  母が倒壊した家の下にいます。あたりの静寂をやぶって「お母さん」と叫びました。すると屋根の下から「ここよ」という声が聞こえてきました。「ああよかった。生きていてくれたんだ」とその瞬間は安堵しました。しかしその喜びも束の間でした。屋根板をはがして逆立ちをするよう顔を突っ込んだ目の前には、家のコンクリ-トの土台の上に大きな柱が重なって、行く手をはばんでいました。わずかな隙間から1mほど先に仰向けに倒れた母の姿が見えました。つむった目のあたりから血が流れていました。「こっちからはもう入れんから、そっちで動けないか」と聞くと、「左の肩の上を押さえている物をどけてくれんと動けんよ」という答えが返ってきました。また別の方から掘り始めましたが、仲々進みません。そのうちに爆風の吹き返しの火事嵐が物凄い勢いでで迫ってきました。火の粉がふりかかってきます。誰も助けてくれる人はなく、少年一人の力ではどうしたらよいかわかりません。気も動転してきました。とうとう「母さん。駄目だよ。火事の火が燃えついてきているよ。何とか動けんのか」と悲鳴をあげました。外にいる私だって何が起こったのかわからないのです。まして家の下敷きになって周りが見えない母は、不安というよりも恐怖心で一杯だったと思います。でも母は、死を覚悟したのか、「そんなら早よう逃げんさい」と言って、自分は「般若心経」(仏教)のお祈りを唱え始めました。私は、その声を聞きながら、生きたまま焼け死ぬ母を見殺しにして逃げたのです。

  その時周りは、すでに火の海でした。私は、家の裏手にあった中学校の校庭のプ-ルにやっと辿りついて飛び込み、何とか助かることができました。少し遅れて逃げてきた人が、校庭の端まで到達しながら火ダルマになって焼け死ぬ姿を見ました。この人のように多くの被爆者が、倒れた家の中からやっとのことで這い出すことはできたものの、周りの猛火に逃げ場をうしなって、家の側に備えつけられていた小さな防火水槽で、寄り添って焼け死んでいったのです。広島と長崎のいたるところで、そのような惨状が繰り広げられました。この世の地獄としか言えない残虐なありさまでした。

  数日後、私は、家の焼け跡から母の遺体らしいものを掘り出しました。それは、マネキン人形にコールタールを塗って焼いたような、油でヌルヌルする物体でした。とても母の死体とは思えませんでした。母は、人間としてではなく、モノとして殺されたのです。広島と長崎での被爆者たちの死は、「人間の死」といえるものではありませんでした。

  女学校1年生(12歳)の妹は、軍の命令で爆心地近くに動員されて作業中に被爆しましたが、どこで死んだのか未だに行方不明です。その年の5月父を病気で失っていた私は、その日から原爆孤児になりました。その妹を探して広島市内を歩き回った私は、1カ月後に急性症状にかかって倒れました。身体中に赤紅色の斑点が生じ、喉の痛みでろくにものも飲み込めず、鼻や歯茎からは出血しました。髪の毛も抜けました。夫を原爆で失った叔母の必死の看病で奇跡的に死線を脱しましたが、その後もいろいろな疾病と健康障害を引き起こしました。原爆は、さらに牙をむいて襲いかかってきました。近年は晩発性放射能障害によるガンを発症して、闘病生活を続けながら、被爆者運動に参加しています。

  私の被爆体験は、何十万人も被爆した中のほんの一例にしか過ぎません。私のように原爆のキノコ雲の下で直接被爆した者ばかりではありません。被爆した家族を探したり、救援のために入市したりした人々も、残留放射能にさらされ、放射能を帯びた塵やほこりを吸い込んだり、汚染された食べ物や水を摂取して、身体の外からだけでなく、身体の内部でも放射能による被曝をしたのです。被爆後65年経った今もなお多くの被爆者が、私以上にもっともっとひどい被害をうけて苦しみとたたかいながら、「ふたたび自分たちのような被害を繰り返させてはならない」と訴えて頑張って生きています。

  原爆=核兵器被害は、このように被爆者の「いのち(からだ)」に対する被害だけではありません。「くらし」「こころ」についても被爆者は、苦悩に充ちた人生を一生背負い続けているのです。健康障害をかかえた上に家族を失い、家庭が崩壊したためにその後の人生の立て直しを全く狂わされた人、さまざまな社会的差別に苦しみ続けてきた人、被爆したために「結婚」や「出産」を諦めた人は少なくありません。また母親の胎内で被爆したために小頭症の状態で誕生した子供の場合は、親は自分だけでなく、その子の生涯についても想像を絶する負担と苦悩を背負い続けています。被爆2世の白血病や癌による死亡についての情報も多く寄せられていますが、遺伝的影響については未解明のままに残されています。

   原爆は、このように被爆者に「人間として死ぬことも、人間らしく生きることも許さぬ」被害を与え続けています。私たち被爆者は、この人類史上最大の人災の生き証人です。

  しかし私たちは、「報復」を主張したことはありません。報復を考えるには、その被害があまりにも甚大で破滅的だったからです。私たちは、報復ではなくて、「自分たちのような体験はもうたくさんだ」、「この苦しみを人類の上に二度と繰り返させぬ」ために「核戦争するな、核兵器なくせ」と核兵器の廃絶を訴え、原爆被害に対する国家補償の実現を求めて運動を進めてきました。私たちの国の内外にわたって、被爆体験を語り、核兵器廃絶を訴える運動の輪を大きく広げてきました。そして今日まで幾度か直面した核戦争の危機を防ぐことに貢献してきたと確信しています。

  今人類は、非常に重要な状況に直面しています。

 昨年45日、オバマ大統領は、チェコのプラハでの演説で、核兵器を使用したアメリカの大統領として初めて、その道義的責任を認めて、「核兵器のない世界」に向けた力強い決意を表明しました。私たち被爆者は、心から敬意を表します。オバマ大統領の決意が、このたびのNPT再検討会議で活かされて、核兵器廃絶に向けた国際的な協議の場の設定と実現のための具体的な道筋の討議が直ちに開始されることを期待します。同時に私たちに課せられた任務の重大さも自覚しています。私たちは、今、国連本部のメインギャラリーで、原爆展「ヒロシマ・ナガサキから世界へのメッセージ」の展示と代表団による被爆体験の証言活動を行なっています。一日も早く核兵器の廃絶が実現できることを切望し、ともに頑張りたいと思います。


For a Peaceful Future without Nuclear Weapons and Wars

-- On behalf of the A-Bomb Survivors in Japan -- 


Mikiso Iwasa 

Funabashi City, Chiba Prefecture

 

May 2010

    


Dear friends,

I feel honored and pleased to be together with you, who have come to New York to achieve a successful outcome of the 2010 NPT Review Conference, and who are earnestly hoping and working for a world set free of the threat of nuclear weapons and nuclear war. Let us work together to abolish nuclear weapons without any further delay. Representing the Hibakusha, atomic bomb survivors of Japan, I have come here today to work for our common goal. Allow me to share with you my A-bomb experience and my appeal as a Hibakusha.   

The atomic bombs dropped on Hiroshima and Nagasaki on August 6, 1945 and on August 9, 1945 respectively turned the two cities into rubble in instants through the enormous, combined destructive power of blast waves, heat rays, and radiation. The citizens there were thrown into infernos of fire and devastation contaminated with radioactivity. 

At that time, I was a sixteen-year-old middle school student. As the factory at which I was mobilized to work was closed on that day due to a power shortage, I did not go to work. I was in the yard of my house, which was located 1.2 kilometers from what would be ground zero. Soon after I heard the roar of planes flying over, I felt the impact of a strong blast, and my body was smashed to the ground. I was not particularly injured, as the ground was soft soil. If I had stood about half a meter to the right, I might have been killed instantly, smashed on a garden rock. Miraculously, I suffered no burns, as I was in the shade of a neighbor’s house standing opposite mine across the street. 

In the ominous silence, it suddenly dawned on me that my mother was under the collapsed house. I cried out, “Mom!” And I heard her reply, “I’m here,” from under the fallen roof. I was relieved to know that she was alive, but my joy was short-lived. When I managed to lift the roof sheet and to thrust my head under, I saw the fragments of the collapsed support pillars scattered over the foundation of the house. Through narrow slits between them, I saw my mother lying on her back about a meter away. She was bleeding from her closed eyes. “I cannot get in from here. Can you move out from there?” I asked. She said, “I cannot move unless you remove the beam lying on my left shoulder.” I tried to remove the debris, attacking it from another side, but I could not make my way any closer to her. After some time, a fierce firestorm approached, and I worked desperately in a shower of falling sparks. There was no one to help me. Feeling powerless, I became nearly frantic and cried, “Mom, there’s no way I can move it. The fire is coming. Can’t you make it through somehow?” I had no idea what was happening in Hiroshima beyond the confines of my collapsed house. My mother must have been full of fear, not able to see anything around her, trapped under the fallen house. But she seemed to have accepted death and said to me, “Then you must escape quickly!” And she began to recite a Buddhist prayer. Hearing her prayer, I ran away. I left my mother to be burnt alive in raging flames. 

At that time, all around me was a sea of fire. I struggled through and managed to reach the swimming pool of a junior high school located behind our house. I jumped into the water and eventually escaped from the fire. But I saw a man, who was also trying to flee from the fire, reach the edge of the schoolyard a little later. He was enveloped in flames and burnt to death. Like him, many people were burnt to death after narrowly escaping their fallen houses. Losing their way in firestorms, they swarmed to a small water tank and died altogether. Similar dreadful scenes were seen everywhere in Hiroshima and Nagasaki right after the atomic bombings. It was literally a hell on earth. 

A couple of days later, I dug out what looked like my mother’s body from the ruins of our house. It was a greasy and slimy object, like a mannequin painted with coal tar and burned. I could not believe that it was my mother’s body. She was killed mercilessly, not as a human being but as an object. The deaths of A-bomb victims in Hiroshima and Nagasaki could not possibly be described as human deaths. 

My younger sister, then aged 12 and a first grader in a girls’ middle school, had been mobilized by the military and was working near ground zero when the bomb was dropped. To this day, she is still unaccounted for. We do not know where or how she died. As my father had died from an illness in May that year, I became an A-bomb orphan. Looking for my sister around the city center, I fell ill, suffering the acute symptoms of radiation poisoning. Scarlet spots developed all over my body. I could not swallow due to a sore throat. I bled from my nose and from my gums. I lost my hair. Thanks to the devoted care of my aunt, who lost her husband to the A-bomb, I survived. But since then, I have suffered many different illnesses and health conditions related to radiation poisoning. Recently, I developed cancer caused by the delayed effects of A-bomb radiation. I continue my Hibakusha activities while battling my cancer.

Please remember that my experience is only one of the several hundred thousand victims who went through the A-bombings. Not all of the Hibakusha were under the mushroom cloud. Many more people who later came into the city looking for their families or engaging in rescue work were also exposed to residual radiation, inhaling radioactive dust and air and drinking or eating contaminated water and food, irradiated not only externally but also internally. Even after sixty-five years, many Hibakusha still suffer from the dreadful consequences of the A-bombs, many worse off than I, but they still struggle to survive. We want to make sure that we stop repeating such atrocities. No one should have to experience such atrocities. 

The harmful effects of nuclear weapons are not limited to the damage done to the bodies of their victims. Survivors continue to suffer in their everyday lives and from psychological wounds that will never heal as long as they live. Many of the Hibakusha have had chronic health problems, have lost family members, have experienced family break-ups, and have not been able to rebuild their lives, facing various kinds of social discrimination, giving up thoughts of marriage and children. In the cases of those who were exposed to the A-bombs in utero and were born with microcephaly, their parents continue to bear unimaginable burden and suffering, not only as Hibakusha themselves, but as parents of Hibakusha. While we know of many cases of second-generation A-bomb victims who have died from leukemia or cancers, the mechanism of the genetic effects of the A-bombs remains unstudied. 

Thus, the A-bombs continue to inflict serious damage on the survivors to the extent that they are not allowed to die as human beings nor live as human beings. We, the Hibakusha, are living witnesses of one of the worst human disasters in history. 

But we have never called for retaliation. The A-bomb damage was too grave and too destructive to consider retaliation. Instead, we have promoted our movement to ensure that such tragedies should not be repeated. We have worked to prevent nuclear war and to abolish nuclear weapons. We have also worked to achieve state compensation for the A-bomb damage. We speak about our A-bomb experiences both in Japan and internationally. We are confident that our activities have contributed to preventing the outbreak of nuclear war in a number of crises. 

Now, we are at a very important juncture in our history. 

On April 5, 2009, U.S. President Obama in his speech in Prague, Czech Republic, expressed his strong determination to achieve a “world without nuclear weapons”, acknowledging for the first time the moral responsibility of the country that has used nuclear weapons to act for that goal. We the Hibakusha pay tribute to him for his statement. We sincerely hope that during this NPT Review Conference his determination will be translated into real action. Discussions should start immediately to set out a concrete path for international negotiations for and realization of the abolition of nuclear weapons. 

At the same time, we are aware of the significance of our own task. Currently, in the Main Gallery of the Visitors Lobby of the U.N. building, we are holding an A-bomb exhibition entitled “A Message to the World from Hiroshima and Nagasaki.” There, our delegation members are also giving witness to their atomic bomb experiences. Please come and visit our exhibition. We earnestly hope to achieve our goal of the elimination of nuclear weapons, and for this, we continue to work together with you. Thank you.

 

 


Sunday, August 30, 2020

「シュン」ツイートの差別性を認めながらも削除に反対する人へ(@PeacePhilosophyツイッターより抜粋)To those who recognize the discriminatory nature of Hiroshima NHK's "Shun" tweets and still oppose deletion of them

 

「シュン」のツイッターは8月21日以来更新されていない。

NHK広島「ひろしまタイムライン」の「シュン」の差別ツイート関連です。まだの人は8月23日8月28日の投稿を読んでください。また、8月28日東京新聞の「こちら特報部」で取り上げられました。読んでください。

自分のツイッターからの抜粋ですが、記録のためにここに置いておきます(一部修正後)。

フェースブックの投稿にはコメントも複数ついています。読んでください。

【8月27日、ある人がツイッターで川崎哲氏もこの問題に関心を持っているようで、ブログに論考を書いています。ただ事実関係は今後の検証でNHK側の説明が崩される可能性があり、現段階では一般論で話を進める以外にないのでしょう。」と言って記事を送ってきたのに対し】

以下、私のツイッターでのリアクションです。

問題はヘイトツイートがいま存在しているということであってNHKがどう説明するのかは二次的問題です。現段階では、とかそういう問題ではないのです。削除しなければいけないヘイトなのです。殴っている人がいるとしたらなぜ殴ったかなんかは、まず殴るのをやめさせてから考えることです。(リンク

ヘイトスピーチに「表現の自由」など適用しないことはもう常識中の常識です。これだけこのツイートに問題点を見出していながら、削除に反対する人がいるとしたら、やはり、当事者ではないから、当事者の気持ちに一瞬でも思いを馳せることがないからなのではないかと思います。気づいてほしいです。(リンク

他にもっと酷いヘイトがあるとか言う人がいる。どんなヘイトだって大問題だけど、今回の問題の根幹の一つに、これが、こともあろうに公共放送のNHKが発信しているヘイトだってことなんですよ。その社会的影響力は計り知れないものがあるんです。だから全力で抗議しないといけないんです。(リンク

「ひろしまタイムライン」ツイートの差別性を認めておきながら削除に反対する人は、当事者にとって、このツイートが一秒でも長く存在すればその時間分暴力が続くということがわからないのでしょうか。悪いね、暴力だね、といいながら、殴っている人を止めないのでしょうか。自分が殴られているわけではないから?(リンク

さきほど賛同してくれた、在日朝鮮人人権協会の朴金優綺さんのコメントをここに紹介します。
『在日朝鮮人への差別と暴力を扇動する効果を持つヘイトツイートをNHKが削除せず放置している現実に、そしてそれを日本政府が傍観している現実に、在日朝鮮人の一人として、何度目とも知れない失望感を抱いています。国連の人種差別撤廃委員会は2018年、日本政府に対して「政治家およびメディア関係者を含む、私人あるいは公人によるヘイトクライム、人種主義的ヘイトスピーチおよび憎悪の扇動を調査し、適切な制裁を科すこと」を勧告しています。NHK広島による当該ツイートの削除はもちろんのこと、日本政府による同勧告の履行と再発防止措置を強く求めます。』

以上です。 

引き続き賛同の連名やコメントを募集しています。同時にNHK広島放送局に抗議してください。賛同・連名してくれた方々の名簿はここ、この投稿のコメント欄にはたくさんのコメントをもらっています。

Wednesday, August 26, 2020

NHK 広島放送局に電話し、広島の平和・反核の訴えを担ってきたこれだけの人たちが差別ツイート削除を求めていると伝えました。I called NHK Hiroshima and told them that many people who are leading the No-More-Hiroshima/Nagasaki movement are demanding deletion of their Tweets that instigate hate against Koreans.

8月23日(8月25日追記)の投稿をまだの人は読んでください。

NHK広島放送局は「ひろしまタイムライン」の、「シュン」による一連のヘイトツイートを削除してください。

NHKが「謝罪」したという報道が流れたとき、私が声をかけた多くの人が、NHKは「謝罪」したのだからツイート自体を削除したと思い込んでおり、いや、ツイートはそのままですと言ったら「信じられない」という反応を示していました。当然と思います。過ちを認めているのに、いつでも削除できるツイートをそのままにしておく(削除を拒否する)とは誰の目にも理解できないと思います。

削除の訴えには、26日の時点で、80人以上の人が賛同してくれました。

日本時間の8月27日午前10時すぎ、私はNHK広島放送局の「ご意見・お問い合わせ」番号に電話しました。ここでは意見を聞くだけで、返答はしてくれないということで、とりあえず以下を伝えました。

★すでに何度もメールしましたが、返信をもらえていないこともあり、電話しました。

★「配慮が不十分だった」という「謝罪」を出したのに、差別的ツイートを削除しないというのはおかしい。そのままでは差別は助長され、傷つく人たちがもっと出てくるので削除してほしい。

削除の訴えには80人以上の人たちが連名してくれている。この中に、広島・長崎の平和、反核の訴えを中心的に担ってきた人や、団体の人がいる。たとえば、

  • サーロー節子さん(カナダ在住の広島被爆者)
  • 和田征子さん(日本被団協事務局次長、長崎被爆者)
  • 平岡敬さん(元広島市長)
  • スティーブ・リーパーさん(元広島平和文化財団理事長)
  • ピーター・カズニックさん(アメリカン大学教授)
  • 野平晋作さん(ピースボート共同代表)
  • ノーマ・フィールドさん(シカゴ大学名誉教授)
  • ランメル幸さん(バンクーバー在住の広島被爆者)
  • 三宅信雄さん(埼玉在住の広島被爆者)
  • 高橋博子さん(大学教員・元NHK中国地方放送番組審議会委員)
  • 田中利幸さん(広島市立大学平和研究所元教授)
  • 藤岡惇さん(立命館大学名誉教授)
★あとはこのサイトを見てくださいと伝えておきました。

NHKは、公共放送が差別を再現・扇動するようなツイートを発信するなど許されない、国際的に見てもあり得ないということをわかってほしいですし、ツイートを削除してもらいたいと思います。

乗松聡子@PeacePhilosophy 

PS:全員のお名前を言う時間がなかったのは悔しいですが、当サイトに来て賛同者リストをみてくださいと念を押しました!

賛同者リストはこの投稿の末尾にあります↓コメントも読んでください。