8月6日の広島、8月9日の長崎の式典を見ながら投稿したことをシェアします。
広島の式典を見ながら:原爆投下により「一瞬で、当たり前の日常が壊された」という歴史観を子どもが語っていた。「この世界の片隅に」的な「平和」教育の結果かな?原爆投下前が「当たり前の日常」だったって。日本が70年余にわたり侵略、植民地支配、占領していた国々の人たちーー家族を殺され、尊厳を奪われ、傷ついた人たちーーは、とうに「当たり前の日常」など失っていた。強制連行された人たち、性奴隷にされた人たち、連合軍捕虜たちは故郷に帰ることだけを夢みてその日一日を生きのびていた。「ヒロシマ」の日、せめて、「当たり前の日常」がすでに奪われていた人たちに、思いを馳せてほしい。この式典からは完全に存在を消されている人たちに。
広島の式典を見ながら:原爆投下により「一瞬で、当たり前の日常が壊された」という歴史観を子どもが語っていた。「この世界の片隅に」的な「平和」教育の結果かな?原爆投下前が「当たり前の日常」だったって。日本が70年余にわたり侵略、植民地支配、占領していた国々の人たちーー家族を殺され、尊… pic.twitter.com/06iKb6gGFg
— Satoko Oka Norimatsu 乗松聡子/ Peace Philosophy Centre (@PeacePhilosophy) August 5, 2025
https://x.com/PeacePhilosophy/status/1953152511365530082
子どもは大人の価値観を反映するにすぎません。この子どものスピーチは典型的な日本人の大人の「ヒロシマ語り」をなぞっているにすぎません。この子どもに罪があるわけではありません。
子どものいうことに何を言うか、と叱って来るような人がいますが、わたしはたまたまその子どもからこの言葉が出たのを見かけたのでこのコメントをしただけで、これは広島や日本のどこにでもある「ヒロシマ語り」です。「物資は足りずとも幸せに日常を過ごしていた罪なき人たちの上に突然落ちた原爆」という非歴史的なかたりです。広島の資料館もきほん、この語りに沿っています。被爆者の証言もほとんどはこの語りです。
今年の広島・長崎、誰か原発の話、しましたか。私は確認できませんでした。2013年に広島・長崎に来たオリバー・ストーンでさえ、原発推進の映画をつくりました。核不拡散条約や核兵器禁止条約という国連の枠組みは原発推進を前提としています。それでいいんでしょうか。いまいちど立ち止まって、現… https://t.co/EhlSMKuBqx
— Satoko Oka Norimatsu 乗松聡子/ Peace Philosophy Centre (@PeacePhilosophy) August 9, 2025
長崎では毎年8月9日の早朝、爆心地公園の朝鮮人被爆者追悼碑の前で、「朝鮮人原爆被爆者追悼早朝集会」が開かれます。わたしも2007年から2019年まで、日米の学生たちと参加しました。今年も、何百人の人が集まったと、現地にいる仲間から聞きました。
— Satoko Oka Norimatsu 乗松聡子/ Peace Philosophy Centre (@PeacePhilosophy) August 8, 2025
In Nagasaki, every year on the… pic.twitter.com/rwXy4zSAxz
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2025年8月9日「早朝集会」より。 |
以下が、集会で読み上げた、長崎人権平和資料館理事長の崎山昇さんによる「メッセージ」です。
「80周年」で長崎にいる方々へ。朝鮮人被爆や、長崎における強制連行をはじめ、日本の加害を伝える「長崎人権平和資料館」を必ず訪問してください https://t.co/OfVbY63QEd…
— Satoko Oka Norimatsu 乗松聡子/ Peace Philosophy Centre (@PeacePhilosophy) August 9, 2025
日本時間で8月14日は、大日本帝国のポツダム宣言受諾、つまり降伏が連合国で公表された日です。Victory Over Japan Day, VJ デイ とも言われます。日本が降伏文書に調印した日、9月2日をVJデイとする国や地域もありますし、中国とロシアは、降伏翌日の9月3日を対日戦勝記念日として祝います。
@PeacePhilosophy
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