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Tuesday, May 28, 2019

元カナダ兵日本軍捕虜 ホラス(ジェリー)・ジェラード氏を偲ぶ Remembering Horace (Gerry) Gerrard (January 19, 1922 - May 22, 2019), a Canadian Hong Kong Veteran

日本が1941年12月8日未明、マレー半島上陸続いて真珠湾攻撃によって「太平洋戦争」を開始した、その数時間後に大陸側からの日本軍の攻撃で始まった香港における英国軍との戦い(現地時間8日午前7時開始)については知らない人が多いのではないだろうか。英国側は14,000人(植民地インド兵、現地兵を含む)に対し日本側はその3倍以上という、圧倒的な兵力の差と英国側の装備不足や戦略のまずさもあって、12月25日英国軍は降伏した。

英国軍のうち1,975人は、英国の求めに応じてカナダ政府が派遣した二大隊であった。香港は実際に戦争になったら守り切れないということは明白であったが、駐屯軍を増強して蒋介石や米国に対し香港防衛の意思を示すといった、軍事よりも外交政治的動機による決定だった。宗主国の体裁や面子のために若きカナダ兵たちは太平洋を越えて絶望の待つ任務に就くことになる。

結果、1,975人のうち、290人が戦闘で死亡、生き残った者は捕虜として、3年8カ月の過酷な奴隷労働生活を強いられた。飢えと病気と暴行の日々の中で267人が死亡、合計死傷者は1,050と全体の半数を超え、第二次大戦におけるカナダ軍で最も高い死傷率だった。帰還した者も戦後心身の傷に苦しみ続けその影響は子や孫の世代にまで及ぶ。(カナダ政府退役軍人省のサイト  Canadians In Hong Kong を参照)

ジェリー・ジェラード氏(2016年10月6日、バンクーバー島のジェラード氏の自宅で。筆者撮影)

2016年10月6日、その時点で生存していた十数名の元カナダ香港戦参戦兵の一人、ジェリー・ジェラード氏(94歳)をバンクーバー島ビクトリア市郊外の自宅でインタビューし、『週刊金曜日』2017年2月10日、17日号にわたって掲載された。
(記事はここに転載してある。「知られざるカナダ兵日本軍捕虜の歴史」まだの人はぜひ読んでほしい。)

そのジェラード氏がさる5月22日に、ビクトリア市内のホスピスにて亡くなったという報せが届いた。享年97歳。Canadian Hong Kong Veterans (カナディアン・香港ヴェテランズ)と呼ばれる人たちで、2016年10月の時点で、生存していた18人のうち、証言できるほどの体力のある人はもう西海岸に一人、東部に一人しかいないと言われていた。ジェラード氏はその西海岸の人であった。

ジェラード氏のストーリーをここで読んで欲しいが、氏はは1941年12月25日の敗戦で捕虜になった後、最初の一年は香港の収容所で栄養失調や病気に悩まされながら強制労働させられ、1943年1月に船で日本に護送された500人の連合軍捕虜のうちの一人であった。横浜の、日本鋼管鶴見造船所東京第三派遣所に配置され、ここでも虐待と寒さ、脚気に耐えながらの奴隷労働の日々を送る。1945年3月10日未明の東京大空襲の際は、収容所内の防空壕で、閃光と爆音の中で一晩を過ごす。その後岩手県の釜石にあった日本製鐵大橋鉱業所(仙台俘虜収容所仙台第四分所)に移送、そこで8月の日本敗戦、つまり解放の時を迎える。かの地でもう一度冬を越すなど考えられなかったジェラード氏は「これで生きて帰れる」と実感したという。
体験を語るジェラード氏(右)。左は元捕虜2世で、
取材に同行したリー・ネイラー氏(左)。筆者撮影

氏は、横浜の収容所のとき、赤十字が来たとき一度だけ僅かばかりの給料をもらった(それも食事代を引かれた!)だけで強制労働に対する対価はなかった。日本政府は責任は取らず、1998年にカナダ政府が肩代わりという形で元捕虜一人に24000ドル(約200万円)支払った。

2011 年、民主党政権時代に、日本政府は、カナダ元捕虜たちにもうしわけ程度の謝罪をした。それも、この記事を読んでくれればわかるように、謝罪とはいえない屈辱的な形であった。なにが一番屈辱的だったかといえば、密室で行われ、総理が署名した正式文書もなく、日本メディアも一切取り上げなかったことだ。日本の人たちが知り得なかった「謝罪」だったのだ。

口先だけのお詫びの言葉や僅かばかりの見舞金などよりも、加害国の一般市民がその歴史を知り、後世に語り継ぎ、その国の子どもたちの教育に生かすことができてこその「謝罪」であると思う。それを日本政府は全くやっていない。

だからこそ、ジェラード氏の体験を、一市民として聴き取り、日本語で日本の媒体に届けることができたことは貴重であったし、この機会をくれた『週刊金曜日』と担当編集者の成澤宗男氏、そしてジェラード氏を紹介してくれたリー・ネイラー氏(彼も元カナダ兵捕虜の二世)に感謝している。ジェラード氏は、「あなたたちはこの歴史を明るみにしてくれて有難いと思う」と言ってくれた。できれば日本の製品は買いたくないと思っていた氏が、日本人の私に会ってくれたのも、決して気持ちのいい体験ではなかっただろうが、最後に一緒に写真も撮ってくれた。
ジェリー・ジェラード氏と筆者。(2016年10月6日、バンクーバー島のジェラード氏の自宅で。リー・ネイラー氏撮影)

特に最後、「日本政府には、あなたたちは自国の人たちに謝罪はしたのですか、と問いたかった」と言っていたのが心に残る。自分や仲間たちの苦しみを背負いながら、日本の戦争被害者にまで思いを馳せていたジェリーさん。それを思い出すと、ジェリーさん亡き今、この歴史を語り継ぐ責任を痛感する。

ジェリーさんに感謝と、追悼の気持ちを届けたく思います。

2019年5月28日 乗松聡子


バンクーバー島の新聞、Times Colonist に出たお悔み記事。

Horace (Gerry) Gerrard (January 19, 1922 - May 22, 2019)
https://www.legacy.com/obituaries/timescolonist/obituary.aspx?n=horace-gerrard-gerry&pid=192995245 

お薦めサイト:POW研究会 

お薦め映画:
ジョナサン・テプレツキ監督、コリン・ファース、ニコル・キッドマン主演レイルウェイ・マン」(2013年)

★アンジェリーナ・ジョリー監督アンブロークン」(2014年)

このサイト内の関連記事:

知られざるカナダ兵日本軍捕虜の歴史-『週刊金曜日』より An Interview with Gerry Gerrard, a Canadian Hong Kong veteran (Weekly Kinyobi) 

週間金曜日より―「アンブロークン」は、47日間の漂流と2年の過酷な捕虜生活を生き抜いた男の物語 From Shukan Kinyobi: Film/Book UNBROKEN


Monday, May 20, 2019

『月刊イオ』2019年6月号インタビュー「ジャーナリストの目」A Journalist's Eyes: From Monthly IO

月刊イオ』2019年6月号に掲載されたインタビュー記事を許可を得て転載します。

追記:『イオ』ウェブサイトにも出たようです。リンクはこちら。
https://www.io-web.net/2019/06/journalist-norimatsu/ 
説明を追



【訂正】2ページ目左側の写真のキャプションで「南京大虐殺を記憶する日」としてカナダで提案されていたのは「2月13日」ではなく「12月13日」です。

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Tuesday, May 07, 2019

ジョン・ピルジャー「アサンジ逮捕は歴史からの警告だ」John Pilger: The Assange Arrest is a Warning from History (Japanese Translation)


当サイトでも何度も翻訳で紹介したジャーナリスト、ジョン・ピルジャー氏の4月13日記事を紹介します。(注:翻訳はアップ後微修正することがあります。)

「ウィキリークス」を利用したのは日本の媒体にしても同じです。朝日新聞も2011年5月、大特集を組みました。私も一人の書き手として、著書に「ウィキリークス」からの引用を行いました。「ウィキリークス」があったからこそ、(普天間飛行場の移設問題について)「最低でも県外」を訴え2009年9月首相になった鳩山由紀夫氏に対し、鳩山氏自身の内閣の閣僚を含む民主党内部の政治家やワシントンのジャパン・ハンドラーたちとそれと結託する日本の外務、防衛官僚たちがどれだけの裏工作をして鳩山氏を追い詰めていったかがわかったのです。詳しくはガバン・マコーマック、乗松聡子著『沖縄の〈怒〉日米への抵抗』法律文化社、2013年の第5章「鳩山の乱」を見てください。鳩山氏は「正直に申し上げて、ウィキリークスの公開した文書を含めて、私自身の知らなかった事実もあり、」とコメントしています(鳩山氏コメントの全文はここを見てください)。ピルジャー氏が言うようにジャーナリズム自体が犯罪とされているこのアサンジ氏の逮捕および米国への身柄引き渡しの危機を、世の中のあらゆる発信の仕事をしている者たち、発信者の情報を受け取る者たちが自分の問題として捉え声を上げることが必要と思います。(前文:乗松聡子)

THE ASSANGE ARREST IS A WARNING FROM HISTORY
http://johnpilger.com/articles/the-assange-arrest-is-a-warning-from-history


アサンジ逮捕は歴史からの警告だ


2019413

ジョン・ピルジャー

翻訳 酒井泰幸 翻訳協力 乗松聡子
ジョン・ピルジャー

ジュリアン・アサンジがロンドンのエクアドル大使館から引きずり出される光景は、この時代を象徴するものだ。権利に対する権力。法に対する暴力。勇気に対する下劣さ。警察官6人に連行される病気のジャーナリストは、約7年ぶりに見る外の光のまぶしさに目を細めていた。

この暴挙が、マグナ・カルタの地であるロンドンのど真ん中で起きたということこそ、「民主的」社会を憂える全ての人々を恥じ入らせ憤らせるはずだ。アサンジは国際法で保護される政治難民で、英国も調印している厳格な協定の下に庇護を受けている。このことを国連は「恣意的拘禁に関する作業部会」の裁定で明らかにした。

だがそんなのは知ったことではない。悪党どもの登場だ。トランプ政権内のファシストまがいの者たちが糸を引いて、腐った自らの政権を偽装しようと企むラテンアメリカのユダであり嘘つきのエクアドル大統領レニン・モレノと結託した英国の支配層は、公平と正義という大英帝国最後の神話を捨て去った。

想像してみると良い。トニー・ブレアが、ロンドンのコノート・スクエアにある数百万ポンド[数億円]は下らないジョージ王朝風の自宅から、手錠をかけられ引きずり出され、ハーグの国際司法裁判所へ送られようとするのを。ニュルンベルク裁判の基準に従えば、ブレアの「最重要犯罪」は百万人のイラク人を死に追いやったことだ。それに比べアサンジが何の罪に問われているのか。ジャーナリズムだ。彼は強欲な人々の責任を問い、嘘を暴露し、真実で世界中の人々に力を与えた。

アサンジの衝撃的な逮捕から伝わってくるのは、詩人オスカー・ワイルドが書いたように、「文明の進歩には欠かせない不満の種をまく」人々全てに対する警告だ。とりわけジャーナリストにとってこの警告は明らかだ。ウィキリークスの創設者・編集長の身に起きたことは、新聞に書き、テレビ、ラジオに出演し、ポッドキャストを配信するあなた自身にも起きるかもしれない。

アサンジへのメディア攻撃で先頭に立っている『ガーディアン』紙は、闇の政府への協力者だが、今回の事件を受けて出した今週の社説はこれまで以上にずる賢い内容で、同紙のいら立ちの度合いが見て取れる。『ガーディアン』は、前編集長が「この30年で最大のスクープ」と呼んだように、アサンジとウィキリークスの業績をさんざん利用してきた。同紙はウィキリークスが暴露した事実から甘い汁を吸い、称賛と収益をわが物にした。

ジュリアン・アサンジやウィキリークスには一銭も払われなかったが、鳴り物入りの『ガーディアン』の本(訳者注:日本語訳は『ウィキリークス Wikileaks アサンジの戦争』講談社、2011年)はハリウッドで映画化され大当たりした。本の著者、ルーク・ハーディングとデヴィッド・リーは、情報源であるアサンジを敵に回し、アサンジが同紙に内々で渡していた秘密のパスワード(漏洩された米国大使館の電報を含むデジタル文書ファイルを保護するため)を、彼を裏切って公表した。

アサンジがエクアドル大使館の中で幽囚の身となると、ハーディングは外で警察と手を結び、「最後に笑うのはスコットランド・ヤード(訳者注:ロンドン警視庁)だろう」とブログで嘲笑した。これ以来、『ガーディアン』はアサンジについての虚偽の記事を次々と掲載し、ロシア人の一団とトランプ側近のポール・マナフォートが大使館にいるアサンジに面会したという、疑わしい記事まであった。実際そのような会合が持たれたことはなく、フェイク・ニュースだった。

だが、今になって論調が変化した。「アサンジの一件は道徳的な面で複雑に絡み合っている。公表すべきでない物事を公表することの正当性を彼(アサンジ)は信じているが、けっして隠蔽されるべきではない物事に、彼は常に光を当て続けてきた」と同紙は見解を述べた(訳者注:先述の月9社説)。

これらの「物事」とは、米国が植民地戦争を遂行する際の殺人的な方法についての真実であり、チャゴス諸島住民のように弱い立場にいる人々の権利を否定している英国外務省の嘘であり、中東聖戦主義(ジハーディズム)の支援者であり受益者であるヒラリー・クリントンの暴露記事であり、米国大使が詳細に記述したシリアとベネズエラの政権を転覆させる方法、などなどだ。全てウィキリークスのウェブサイトに公開されている。

『ガーディアン』が神経をとがらせているのは理解できる。秘密警察はすでに同紙を捜索し、ハードディスクを破壊する儀式を行うよう求め、実施した。このことについて、同紙にはお決まりの手順がある。1983年に外務省職員のセーラ・ティズドールは、米国の巡航核ミサイルがいつヨーロッパに到来するかを記した英国政府の文書をリークした。『ガーディアン』には称賛の嵐が寄せられた。

裁判所の命令で情報源を明かすように求められたとき、情報源の保護という根本原理に基づいて編集長が投獄されるかわりに、ティズドールは裏切られ、起訴されて6カ月の刑に服した。

もしもアサンジが、『ガーディアン』のいう本当の「物事」を報道したという理由で米国に引き渡されるなら、何が現編集長のキャサリン・ヴァイナーをして、当時の編集長や、、前編集長アラン・ラスブリッジャー、プロパガンダ流布に余念がないルーク・ハーディングのような者たちの轍を踏むことを止めさせることができるのだろうか?

ウィキリークスに端を発する真実の数々を公表した『ニューヨーク・タイムズ』や『ワシントン・ポスト』の編集長、スペインの『エル・パイス』、ドイツの『デア・シュピーゲル』、オーストラリアの『シドニー・モーニング・ヘラルド』の編集長にとっても、何が歯止めになるというのだろうか。このリストは延々と続く。

『ニューヨーク・タイムズ』の弁護団長デイビット・マクロウはこう書いた。「(アサンジの)訴追は出版者にとって非常に悪い前例となると思う。私の知る限り、彼は昔ながらの出版社と同じような立場にあり、ニューヨーク・タイムズとウィキリークスを法律が区別するのは非常に困難となるだろう。」ウィキリークスの漏洩文書を公表したジャーナリストが米国大陪審に喚問されないとしても、ジュリアン・アサンジとチェルシー・マニングに対する脅迫だけで十分だ。真のジャーナリズムは悪党どもの手により衆人環視の中で犯罪化されている。異議を唱えることは身勝手な道楽になってしまった。

オーストラリアでは、貧しい小国からティモール海の石油天然ガス資源の正当な取り分を騙し取るという明確な目的のため、オーストラリア政府のスパイが東ティモール新政府の閣僚会議を盗聴したことを暴露した2人の内部告発者を、米国に心酔した現政権が告訴している。裁判は非公開で行われる。オーストラリアのスコット・モリソン首相は太平洋のナウル島とマヌス島に難民強制収容所を設置したことで悪名高いが、そこでは子供たちが自傷行為や自殺に追い込まれている。2014年に、モリソンは3万人を収容する大規模仮収容所を提案した。

真のジャーナリズムが敵とするのはこのような不名誉だ。10年前、ロンドンの英国国防省が作成した機密文書には、社会秩序に対する「主要な脅威」が3つあると述べられていた。テロリスト、ロシアのスパイ、調査ジャーナリストの3つ。調査ジャーナリストは重大な脅威に指定された。

その文書はしかるべくしてウィキリークスに漏洩され、そこから公表された。「他の選択肢は無かった。非常に単純なことだ。人々には知る権利があり、権力を問いただし異議を申し立てる権利がある。それが真の民主主義だ」とアサンジは私に語った。

もしアサンジとマニング、そして後に続く人々(そのような人々が出てくるとしたら)が沈黙させられ、「知る権利と、権力を問いただし異議を申し立てる権利」が奪われたらどうなるだろう?

1970年代に、私はアドルフ・ヒトラーの親友、レニ・リーフェンシュタールに会った。彼女の映画のおかげでナチの呪文がドイツ全土に振りまかれた。

彼女の映画のメッセージ、つまりプロパガンダが依存していたのは、「上からの命令」ではなく、彼女が大衆の「服従的虚無」と呼ぶものだったと、彼女は私に語った。

「この服従的虚無にはリベラルで教養あるブルジョアも含まれていたのですか」と私は彼女に尋ねた。

「もちろんです。特にインテリ層です。…もう真面目な質問をしなくなった人々は、服従的で従順です。どんなことでも起きる可能性があります」と彼女は言った。

そして実際に起きたのだ。

彼女なら言い添えていたかもしれない。「それ以降のことは周知の通りです。」

(終)

このサイトの過去のジョン・ピルジャー記事の翻訳はここを見てください