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Saturday, January 14, 2017

オリバー・ストーン監督、『スノーデン』の持つ意味を語る:「米国政府は常に嘘をつく」 Oliver Stone on Snowden relevance: 'The US government lies all the time'

オリバー・ストーン監督の映画『スノーデン』が2017年1月27日に日本でも公開される。この映画の初公開は昨年2016年9月のトロント国際映画祭だったが、このときの記者会見でオリバー・ストーン監督と主演のジョゼフ・ゴードン=レヴィットが語った内容をガーディアン紙が伝えた記事を翻訳して紹介する。

翻訳:酒井泰幸

オリバー・ストーン監督、『スノーデン』の持つ意味を語る:「米国政府は常に嘘をつく」

ベンジャミン・リー

2016年9月10日

オリバー・ストーン監督の今回の狙いは、米国内で行われている監視の程度について米国政府が人々を欺いていたことだ。

彼の新作映画『スノーデン』が世界初公開されたトロント国際映画祭で、アカデミー賞受賞監督が記者会見を行った。この映画のテーマは物議を醸した国家安全保障局(NSA)内部告発者のエドワード・スノーデンだ。ジョゼフ・ゴードン=レヴィット主演のこの劇映画は、NSAが一般大衆を標的にスパイするシステムを構築していたことをCIAの元職員が発見してしまう話だ。

ストーン監督は記者会見でいう。「アメリカ人がそのことについて何も知らないのは政府が常に嘘をついているからだ。今起きつつあることはとても衝撃的だ。この物語が扱っているのは単なる盗聴活動だけでなく、大量盗聴活動、ドローン、サイバー戦争に及ぶ。スノーデン自身が先日言ったように『制御不能、世界は制御不能だ』」。

他国に亡命先を探しながらロシア国内の秘密の場所に今も住んでいるスノーデン自身も、この映画にカメオ出演している。ストーン監督は彼が米国に戻って来られることを願っているが、その実現は疑わしい。

「オバマ大統領は彼に恩赦を与えることもできるし、我々はそう望んでいる。だがオバマは8人の内部告発者を諜報活動取締法により精力的に告訴してきた。これはアメリカ大統領としては史上最高で、彼はこの監視社会の最も有能な管理者の一人だ。アメリカはかつて存在した中で最も大規模かつ侵入性の監視国家で、それを作ったのはオバマだ」。

『ニクソン』や『JFK』など政治色の濃い劇映画で知られるストーン監督は、現在の状況をジョージ・オーウェルの小説になぞらえ、彼が育った世界とは相容れないものと見ている。

「私が育った世界では、こんなことが起きようなどとは考えられなかった。だが2001年以来このかた、何か根本的なものが変わってしまったことは非常に明らかだ。目に映り人が言うことの裏にはそれ以上のことがあるので、その向こう側を見なければならない」。

主演のゴードン=レヴィットは映画の準備としてスノーデン本人に面会し、スノーデンのアメリカを愛する気持ちが極秘情報のリークにつながったと確信している。

「私は彼の愛国心に興味がありました。国家に対する誠実な愛とアメリカ建国の原理に基づいて、彼はこのことを行っていたのです。愛国主義には二種類あります。たとえ何があろうと国家に対して忠実で何の疑問も差し挟まないという愛国心がありますが、もう一種類の愛国心をこの登場人物を通して見て欲しかったのです。米国のような自由な国家に生まれたことの恩恵は、私たちがそういった疑問を問い、政府に責任を課すことを許されていることなのです」。

スノーデンの将来について質問されたゴードン=レヴィットは、「彼が帰国を望んでいるのは知っていますし、実現すれば良いと思っています」と答えた。

映画『スノーデン』がトロント国際映画祭で公開されると、称賛と批判が入り交じった評価を受けた。雑誌『バラエティ』の映画評論家のオーウェン・グレイバーマンは「アメリカの映画監督がここ数年に作った中で最も重要で元気の出る政治劇」と書いたが、ハリウッド記者のスティーブン・ファーバーは「精彩を欠く作品」と評した。

(翻訳終わり)


エドワード・スノーデンと、NSAの一網打尽のスパイ活動、ネット社会の闇については、これまで当ブログでも取り上げてきました。あわせてお読みいただければ幸いです。

アメリカを脱出したスノーデン氏は正しかった (2013年7月12日掲載)

エドワード・スノーデン「声なき人間になるくらいなら国なき人間になる」 (2013年12月30日掲載)

想像を超えるNSAのスパイ活動 (2014年1月28日掲載)

データ・マイニングの深い闇 (2014年2月26日掲載)



Saturday, January 07, 2017

オリバー・ストーン、ピーター・カズニック「真珠湾攻撃がなければ世界は違っていたか?」 Oliver Stone and Peter Kuznick: Without Pearl Harbor, a different world?

 太平洋戦争は真珠湾攻撃に始まり原爆投下で終わったと多くの人が捉えているのは、日米ともに大差ないだろう。
 太平洋戦争の開戦通告が遅れたのは、ワシントンの在米日本大使館の怠慢だったとする通説を覆し、陸軍と外務省は大使館をも欺いていたとする説が浮上している。米国に対する宣戦布告だけが注目されがちだが、日本は真珠湾攻撃に1時間以上先だってマレー半島のコタバルを攻撃しており、日本にとっては資源の獲得が目的だったことを考えると、こちらの方が直接的な攻撃目標だったはずだ。その4年前から続いていた日中戦争と同様に、米英への攻撃も宣戦布告なしで行われた。輸入資源の首根っこを押さえられていた米国からの経済制裁を避けるため、形式的には戦争状態にないと強弁してきたものが、大陸への侵略戦争を続行するために、ついに米国を相手に戦争を仕掛けたのだ。
 またこの戦争を終わらせたのが原爆だったという通説も、ストーン監督とカズニック教授の『語られないアメリカ史』が描き出すように、実は膨大な犠牲を払ってナチスドイツを打ち負かしたソビエトが、次に日本相手に参戦したことが決定的な理由だったという反証が加えられている。原爆は戦争を終わらせるためではなく、トルーマンが東西冷戦への布石として投下したものだった。トルーマンは、フランクリン・ルーズベルト大統領4期目の副大統領から、ルーズベルトの死去により大統領に昇格した。『語られないアメリカ史』の大きなテーマのひとつは、前年の民主党大会で4期目の副大統領候補としてヘンリー・ウォレス続投が決まっていたら、ルーズベルト死去の時点でトルーマンではなくウォレスが大統領に就任していたはずであり、世界はずいぶん違ったものになったであろうということだ。
 現実には、戦争は原爆投下で終わらず、冷戦となって継続した。そのときソ連の影響力が増していれば日本が朝鮮戦争の戦場になっていたであろう。日本が戦場になることを望むわけではないが、朝鮮が、日本の植民地化を受けてさんざんな目にあった挙句、解放された後にさらに戦場にされた不当を、私たちはどう理解すれば良いのだろう。分断統治と代理戦争が起きるとすれば、ドイツがそうであったように、それは戦争を仕掛けた側が受け止めねばならない苦難だったのではないか。

 真珠湾から75年目に、ストーン監督とカズニック教授がアメリカCNNに寄稿した文章を翻訳して紹介する。

原文:http://edition.cnn.com/2016/12/08/asia/pearl-harbor-75-anniversary-essay/
前文・翻訳:酒井泰幸


真珠湾攻撃がなければ世界は違っていたか?

オリバー・ストーン、ピーター・カズニック共著

2016年12月9日 CNN

真珠湾から75年目となる日に、もし日本が1941年12月7日に米国艦隊への攻撃を行わなかったら何が起きていたかを考えて欲しいと依頼を受けた。

日本が軍隊の復活を遂げつつあり、アメリカの挑発的なアジア「基軸」戦略を気まぐれなトランプ次期政権が再検討している中で、この疑問は興味深いとともに今日的な意味を帯びている。中国、日本、韓国についてのトランプの軽率な発言は、既にこの地域全体をかき乱している。

米国が第二次大戦に参戦した口実

真珠湾への襲撃は無謀だっただけではなく、最終的には自殺行為となるものだった。海軍史家のサミュエル・エリオット・モリソンは「戦略的愚行」と断じた。

日本人の多くは、攻撃の1週間前に昭和天皇・裕仁と面会した9人の首相経験者の大半も含め、攻撃には反対だった。だが東條英機首相の内閣は米国太平洋艦隊を破壊するためこの攻撃を承認した。日本が東南アジアの資源を利用するのをこの艦隊が阻む可能性があったからだ。

しかし真珠湾攻撃の成功は部分的でしかなかった。日本軍は米国艦隊に著しい損害を与え2335人の米国兵士と68人の民間人を殺害したとはいえ、日本の攻撃は致命的なものではなかった。米国艦隊の3隻の空母は攻撃が起きたとき真珠湾にはなく、損傷した艦船と航空機の多くは修復可能だった。このことが翌年6月には日本に仇(あだ)となって帰ってくる。それら空母の2隻を含む米軍が、ミッドウェー海戦で日本の空母4隻を沈め、太平洋戦争を米国の優勢に転じた。

この日本の攻撃が、米国参戦のためルーズベルト大統領の求めていた口実を与えてしまった。アメリカ人は忌み嫌うナチスより連合国を圧倒的に支持し、日本から非人道的な扱いを受けた中国の窮状に同情したのかもしれないが、再び戦争に引き込まれたいと望む者はほとんどいなかった。第一次世界大戦の後味は苦いものだった。それは「全ての戦争を終わらせるための戦争」や「民主主義にとって安全な」世界を作るための戦争などではなかっただけでなく、強欲な銀行家と武器製造業者(いわゆる「死の商人」)を肥やしただけで、植民地搾取を終わらせることにはならなかった。

1941年までに、ルーズベルトは米国が日独両国と対立するよう秘かに誘導した。ドイツはヨーロッパのほとんどを征服しており、日本は満州とインドシナを占拠し中国に卑劣な戦争を仕掛けていた。ニューファンドランドで1941年8月に、ルーズベルトは「戦争を仕掛けるが、宣戦布告はしない」、そして「戦争につながるような『事象』を引き起こす」ためにあらゆる手立てを講ずるとチャーチルに語った。ルーズベルトはイギリスがドイツに敵対するのを公然と支持し、日本が切実に必要としていた石油、金属などの資源の輸出停止を決定したが、結果的にこれで十分だった。

真珠湾攻撃の1日後、ルーズベルトが演説した議会で、戦争決議案は反対票1票で承認された。その3日後、日本の同盟国であるドイツとイタリアが米国に宣戦布告した。

これによって大戦は後戻りできない状況となり、その後の世界は変わった。しかし次のようなシナリオもあり得たかもしれない。

何年も前から衝突する運命にあった米国と日本

真珠湾攻撃はいくつかの理由でアメリカ人の心象の中に大きな位置を占めてきた。

日本が米国に宣戦布告していなかったので、アメリカはこの攻撃を卑劣な「だまし討ち」と見なした。アメリカの領土が攻撃され(米国は1898年に強制的にハワイを併合していた)、米国の諜報活動の驚くべき失敗が明らかとなり、危険な世界で米国が無防備であることへの恐怖が高まった。またこの攻撃は米国内の日系アメリカ市民と日本人移民に対する醜い差別を引き起こした。12万に近い日本人と日系アメリカ人が集められ、戦争の終わりまで強制収容所に収監された。

だがもし日本が真珠湾を攻撃していなかったとしても、太平洋戦争はほとんど同様の経過をたどっただろう。何年とは言わないまでも、何ヶ月も前から米国と日本は衝突する運命にあった。真珠湾攻撃があろうとなかろうと、この2カ国は戦争に向かっていた。

ほとんどのアメリカ人が忘れていることは、1941年12月7日に日本が攻撃したのは真珠湾だけではなかったことだ。ルーズベルトが12月8日に議会で話したように、日本は真珠湾以外にも、イギリス植民地の香港とイギリス領マラヤ、フィリピンの米国植民地と、グアム、ウェーク島、ミッドウェー島の米国保有地を攻撃した。実際、イギリス領マラヤへの攻撃は真珠湾への襲撃に1時間以上先だって行われた。さらに、ルーズベルトは言及しなかったが、日本はタイに侵攻した。日本は当時イギリス領マラヤの一部だったシンガポールも攻撃した。

米国当局は1940年8月の日本の外交暗号を解読し、日本の戦争計画の監視が可能になっていた。攻撃が迫っていることは分かっていた。思いもしなかったのは真珠湾が攻撃されることだった。想定していた最も可能性の高い攻撃目標は、石油資源が豊富なオランダ領東インド(インドネシア)、イギリス領マラヤ、フィリピンだった。

日本がフィリピン、グアム、ウェーク島、ミッドウェー島の米軍基地を攻撃したことは、米国を参戦させたがっている米国大統領にとって十分すぎるほどの挑発だったはずだ。フィリピンだけでも、アメリカの敗北の損害は膨大なもので、2万3000のアメリカ人と、おそらく10万のフィリピン人の軍人が戦死または捕虜となった。

ソビエトは欧州戦線勝利の最大の功労者に値する

太平洋戦争では連合国の勝利のため米国の参戦が絶対的に重要だったのに対し、ヨーロッパで枢軸国を打ち負かしたことへの米国の関与はそれほど重要ではなかった。実際、もし米国が欧州戦線に参戦しなかったとしても、結果は同じだっただろう。ルーズベルトがヨーロッパ第二戦線への参戦を公表してから1年半後に、米国とイギリスがようやくフランスの西部戦線で口火を切ったとき、ロシアはすでに形勢を逆転しドイツ軍はヨーロッパ全土で全面撤退中だった。

その時点までに、米国とイギリスは合計約10のドイツ師団と対決していたが、ソビエトは自力で200近い師団と対決していた。ドイツを2つの戦線で戦わせることで戦争の終結を早めたのは確かだが、結果が変わったわけではない。

アメリカの神話とは反対に、ソビエトこそヨーロッパでの勝利の最大の功労者に値する。またソビエトはこれを実行するために膨大な犠牲を払った。ドイツの手によって命を落としたソビエト人の2700万人という数字は、9.11が毎日続けて27年間起きるのに等しい。またこれは真珠湾攻撃が毎日続けて30年間起きるのに等しい。

チャーチルがボルシェビキ思想を忌み嫌っていたにもかかわらず、イギリスはソビエトに多大な恩を受けており、ソビエトがいなかったらイギリス人は現在ドイツ語を話していたかもしれない。イギリスはアメリカにも多大な借りがあり、アメリカがいなければイギリス人はロシア語を話していたかもしれないのだ。

米国が実際に参戦することなく連合国陣営の「兵器庫」に留まっていたら、ヨーロッパの様相がどのように違っていたかを考えてみるのは興味深い。ドイツとイタリアが1941年12月11日に米国に宣戦布告したのは思いがけないことで、これがなければルーズベルトはアメリカの参戦に別の理由を見つける必要があっただろう。

もし米国が欧州戦線に参戦しなかったら、ソビエトと西側諸国の境界線はどこに引かれていただろうか? 西ドイツとフランスが持つ大きな潜在的資産を、もしソビエトの指導者たちが利用できたら、ソビエト経済はどのように発展していただろうか? 不況と戦争で破壊された資本主義経済の再建を、もし米国が支援する立場になかったら、社会主義は戦後世界でより実行可能性のある選択肢と映っただろうか?

もしルーズベルトがヘンリー・ウォレスを副大統領に留めていたら?

第二次世界大戦に関して検討に値する興味深い「もしも」は他にもいくつかあり、その中にはドキュメンタリー映像と書籍シリーズ『語られないアメリカ史』で取り上げたものもある。

もしルーズベルト大統領が1944年の4選出馬の時に、非常に狭量なハリー・トルーマンではなく、先見の明をもち論争をいとわないヘンリー・ウォレス副大統領を公認候補者リストに留めていたら、何が起こっていただろうか?

保守的な民主党の指導者たちが反対していたにもかかわらず、ルーズベルトは、自分の妻と子供たちや大多数のアメリカ人が望んだように、ウォレスを公認候補者リストに留任させるよう強く主張しうる道徳的権限と政治的影響力を持っていた。

1944年7月20日、シカゴで開催された民主党大会の初日に発表された米国のギャラップ世論調査は、民主党有権者の65%が圧倒的に人気の高いウォレスを副大統領として公認候補者リストに戻すことを望んでいると報じた。トルーマンを望んでいたのは2%だった。トルーマンの選出につながった党内部の陰謀は、ほとんどのアメリカ人には馴染みのない下劣な話だ。

1945年4月にルーズベルトが死んだとき、もしトルーマンではなくウォレスが大統領になっていたら、日本への原爆投下はなく、おそらく冷戦もなかっただろう。

ウォレスが思い描いていたのは、米ソ間の友好と両体制間の健全な競争で、自分たちの方が人類の要求を満たすのに適していることを示そうと各々が競い合う姿だった。ソビエトのほとんどを荒廃させた戦争から再建を支援するためルーズベルトがちらつかせていたソビエトへの100億ドルの貸付を、ウォレスは実行しただろう。このことがソビエトの占領したヨーロッパに与えたかもしれない好影響は計り知れない。


もう一つ注目に値するのは、ウォレスは植民地主義の猛烈な反対者だったことだ。ウォレスは英仏の植民地帝国を公の場で痛烈に非難したので、イギリスのチャーチル首相とフランスはルーズベルトにウォレスを公認候補者リストから外させようと圧力をかけた。ルーズベルトは植民地帝国に関してウォレスの見解に大筋で一致していた。ルーズベルトはイギリスのガンビア支配を非難し「私の人生で見た中で最も悲惨なもの」と呼んだ。彼はオランダ領東インドの搾取とフランスのインドシナ支配も同様だと感じ、戦後にフランスを復帰させないと主張した。

ルーズベルトは、「仏英蘭の近視眼的な強欲のためにアメリカ人が太平洋で死ぬなどと、一瞬たりとも考えるな」と私的な所感を述べたことからも、太平洋戦争が帝国主義競争に根ざしていることをある程度は理解した。フィリピンから日本軍を追い出したら「即刻」独立させると彼は死の直前に約束した。

ルーズベルトはこの問題で立場が揺らぐことが多かったが、ウォレスは一貫していた。植民地搾取とそれを正当化した人種差別主義に対するウォレスの憎悪は確固としたものだった。もし戦争の直後に植民地主義を平和的に終わらせることができたら、どれだけの命が救われ、どれだけの苦難を避けることができただろう。

原爆投下がなかった世界

第2の「もしも」は、広島と長崎に原爆を使うことなく第二次世界大戦が終わっていたら何が起きただろうかというものだ。

アメリカの神話では、2発の原爆が戦争を終わらせ、アメリカの日本本土侵攻を未然に防ぐことで人道的に何百万ものアメリカ人と日本人の命を救ったと考えられている。原爆投下を擁護する人々によれば、1950年までに死亡した広島の20万人と長崎の14万人は、小さな代償だったという。

しかし圧倒的な証拠を元に『語られないアメリカ史』で描いたように、戦争を終わらせたのは、満州、南樺太、千島列島、朝鮮半島へのソビエトの侵攻で、これが1945年8月8日の真夜中に始まって日本を降伏に追い込んだのであって、原爆の結果ではなかった。

米国の諜報機関はこのような結末を何ヶ月も前から予測しており、ソビエトの参戦が決定打になることをトルーマンは認識していた。7月17日のポツダムで、トルーマンは日記にこう書いている。スターリンは「8月15日にジャップと戦争を始めるだろう。そうなればジャップは終わりだ」。トルーマンは7月18日に傍受した電文を「和平を求めるジャップの天皇からの電報」と見なした。終戦の時は近づいており原爆は必要ないことをトルーマンは知っていた。

もし原爆がこの戦争で使われていなかったら、この原爆投下が引き起こした核軍拡競争を米国とソ連は避けることができただろうか? ソビエトの指導者は原爆が日本を打ち負かすのに必要なかったことを十分理解していたので、原爆の使用をソビエトへの警告と解釈した。つまり、もしソビエトが米国の戦後計画に干渉した場合、米国がソビエトに与えるであろう破壊を示したのだ。それ以来ずっと私たちは地球上の全生命絶滅の脅威とともに生きている。

ワシントンD.C.の米国海軍博物館が公式に認めるように、日本の運命はソビエトが侵攻したときに封じられた。日本は可能性が残っている間にアメリカに対して降伏することを急いだ。ソビエトに奪取されたら天皇制だけでなくこれを支える資本主義も終わると知っていたからだ。最初は、米国の占領は比較的柔和で、ある意味では見識あるものだった。米国は日本に平和憲法を課し、これが国権の発動としての戦争を否定し、攻撃用軍事力の保有を禁じた。いま安倍晋三政権が骨抜きにしようとしているのは、これら先進的な考えをもつ原則なのだ。

もしソビエトが日本占領にもっと大きな影響力を持っていたら、日本は朝鮮半島のように冷戦の戦場となっていたかもしれない。ロシア人はドイツで直面したように日本の再建と獲得という矛盾する圧力の間で引き裂かれていただろうか? ロシア人が日本人に対して抱いていた敵意は、ドイツ人への憎悪と不信に比べれば色あせて見える。ドイツ人の手には大量のソビエト人の血が付いていたからだ。私たちが知っているように、米国は戦後日本への進歩的な展望を急速に捨て去り、不安定なアジア太平洋地域で西側資本主義権益の軍事的・経済的な前哨基地として日本を再建することを目指した。どちらにしても、日本の自動車が世界を運び、日本の電子機器が世界を繋ぎ、寿司が世界の腹を満たすよう運命づけられた。しかし、日本の軍国主義の再興を阻止するか、もっと遅らせることができれば、世界はもっと良い状態になるだろう。

第二次世界大戦とそれに伴う膨大な殺戮、信じがたいほどの人命の損失、殺人と破壊を最大化する技術の投入、そして人種差別主義、外国人嫌悪、民族・宗教的な偏見に充ち満ちた人間性の醜悪な側面の誇示は、恐怖と憎悪と国家主義の力を解き放ったときに何が起きるかを示す教訓となる。

その同じ力のいくつかが、現在の世界に蔓延している。真珠湾はこれを思い出させてくれる。だが75年以上前に地球を覆い尽くしたこの恐怖が繰り返されることを防ぐためにも、私たちはこの歴史から注意して正しい教訓を引き出す必要がある。

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 オリバー・ストーンはアカデミー賞を受賞したハリウッド作家で映画監督。ピーター・カズニックはアメリカン大学歴史学部教授、核問題研究所長。二人は共同で『語られないアメリカ史』と題したドキュメンタリー番組を制作し、同名の本を出版した。[日本での題名は『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』]。ここに記された見解は著者のみのものである。(CNN注)
(翻訳終わり)

参考リンク:
オリバー・ストーン監督、米日韓加中英豪沖台の専門家など53名 真珠湾訪問に際し安倍首相の歴史認識を問う

安倍首相による戦争被害者の政治利用は許さない!-日本の専門家たちの声

Thursday, July 07, 2016

琉球新報連載「正義への責任―世界から沖縄へ」のブックレット第二集のお知らせ Ryukyu Shimpo Series "Responsibility for Justice - From the World to Okinawa" Booklet No.2

★7月26日追記。この本は沖縄県外からも e-hon で買えます。ここをクリック


2014年から『琉球新報』に月1-2回のペースで連載している「正義への責任―世界から沖縄へ」のブックレット第1集(昨年12月刊)に続き、このたび第2集が出ることになりました。
7月8日『琉球新報』社告より

『正義への責任―世界から沖縄へ②』

琉球新報社編  監修・翻訳 乗松聡子 発行 琉球新報社



今回は第13回から28回までと特別篇一篇を加えた、2015年4月から2016年4月までの掲載分を収録してあります。

執筆陣は、


  • ローレンス・レペタ Lawrence Repeta (明治大学法学部特任教授)
  • ジーン・ダウニーJean Downey(弁護士、著述家)
  • ジョン・フェッファーJohn Feffer (米シンクタンクディレクター)
  • ジャン・ユンカーマンJohn Junkerman (映画監督)
  • デイビッド・バインDavid Vine(アメリカン大学准教授)
  • クーハン・パークKoohan Paik(ジャーナリスト)
  • オリバー・ストーンOliver Stone(映画監督)&ピーター・カズニックPeter Kuznick(アメリカン大学教授)
  • ジョン・レットマンJon Letman(ジャーナリスト)
  • ロジャー・パルバースRoger Pulvers(作家)
  • チェ・ソンヒ 崔誠希(平和運動家)
  • シーラ・ジョンソンSheila Johnson(人類学者)
  • カイル・カジヒロKyle Kajihiro(活動家・研究者)
  • デイブ・ウェブDave Webb(リーズ・ベケット大学名誉教授)
  • ブルース・ギャグノンBruce Gagnon(平和運動家)
  • クォン・ヒョクテ権赫泰(韓国・聖公会大学教授)
  • 乗松聡子(のりまつさとこ)(『ジャパン・フォーカス』エディター)


の17人となります。それぞれの「沖縄への向き合い方」を示しています。ぜひお読みください。

この本は沖縄の書店に並び、アマゾン、ジュンク堂のネット書店などで購入できるようになる予定です。このページにまた具体的な案内を出します。

乗松が参加する7月30日の東京イベント(「7・30ニッポン診断―沖縄米軍基地という日本問題を考える」開場1時半、午後2時から5時まで、水道橋東口徒歩5分の「スペースたんぽぽ」で開催―前田朗、デイビッド・マクニール、乗松聡子の対談)でもこの本を紹介いたします。

★「正義への責任」は現在も『琉球新報』で連載中です。


@PeacePhilosophy 乗松聡子




琉球新報連載「正義への責任―世界から沖縄へ」のブックレット第二集のお知らせ Ryukyu Shimpo Series "Responsibility for Justice - From the World to Okinawa" Booklet No.2

2014年から『琉球新報』に月1-2回のペースで連載している「正義への責任―世界から沖縄へ」のブックレット第1集(昨年12月刊)に続き、このたび第2集が出ることになりました。

『正義への責任―世界から沖縄へ②』

琉球新報社編  監修・翻訳 乗松聡子 発行 琉球新報社



今回は第13回から28回までと特別篇一篇を加えた、2015年4月から2016年4月までの掲載分を収録してあります。

執筆陣は、


  • ローレンス・レペタ Lawrence Repeta (明治大学法学部特任教授)
  • ジーン・ダウニーJean Downey(弁護士、著述家)
  • ジョン・フェッファーJohn Feffer (米シンクタンクディレクター)
  • ジャン・ユンカーマンJohn Junkerman (映画監督)
  • デイビッド・バインDavid Vine(アメリカン大学准教授)
  • クーハン・パークKoohan Paik(ジャーナリスト)
  • オリバー・ストーンOliver Stone(映画監督)&ピーター・カズニックPeter Kuznick(アメリカン大学教授)
  • ジョン・レットマンJon Letman(ジャーナリスト)
  • ロジャー・パルバースRoger Pulvers(作家)
  • チェ・ソンヒ 崔誠希(平和運動家)
  • シーラ・ジョンソンSheila Johnson(人類学者)
  • カイル・カジヒロKyle Kajihiro(活動家・研究者)
  • デイブ・ウェブDave Webb(リーズ・ベケット大学名誉教授)
  • ブルース・ギャグノンBruce Gagnon(平和運動家)
  • クォン・ヒョクテ権赫泰(韓国・聖公会大学教授)
  • 乗松聡子(のりまつさとこ)(『ジャパン・フォーカス』エディター)


の17人となります。それぞれの「沖縄への向き合い方」を示しています。ぜひお読みください。

この本は沖縄の書店に並び、アマゾン、ジュンク堂のネット書店などで購入できるようになる予定です。このページにまた具体的な案内を出します。

乗松が参加する7月30日の東京イベント(「7・30ニッポン診断―沖縄米軍基地という日本問題を考える」開場1時半、午後2時から5時まで、水道橋東口徒歩5分の「スペースたんぽぽ」で開催―前田朗、デイビッド・マクニール、乗松聡子の対談)でもこの本を紹介いたします。

★「正義への責任」は現在も『琉球新報』で連載中です。


@PeacePhilosophy 乗松聡子




Tuesday, July 07, 2015

『よし、戦争』本が生活クラブ生協「本の花束」に紹介されました

オリバー・ストーン、ピーター・カズニックとの共著『よし、戦争について話をしよう。戦争の本質について話をしようじゃないか!ーオリバー・ストーンが語る日米史の真実』(金曜日、2014)が、生活クラブ生協「本の花束」(2015年380号)で紹介されました。

他にも、子どもへの読み聞かせで懐かしく思い出す『だるまちゃんとてんぐちゃん』などのシリーズ作者のかこさとしさんへのインタビューや、素敵な本がたくさん紹介されています。私が気になったのは『50からの老いない部屋づくり』(部屋を考える会 著 KADOKAWA)!くわしくはこちらを。@PeacePhilosophy


Thursday, November 14, 2013

『けーし風』から転載: オリバー・ストーン監督の辺野古訪問

「けーし風」80号
「けーし風」(けーしかじ)は1993年12月に創刊された季刊誌。その80号(2013年10月)に、映画監督のオリバー・ストーン氏と歴史家のピーター・カズニック氏が沖縄を訪問した(8月13-15日)ときの特集記事が二つ掲載されました。名護市議の東恩納琢磨氏によるオリバー・ストーン辺野古訪問の記事と、ピーター・カズニック氏のインタビューです。編集部の許可をいただいて転載します。まずは東恩納氏の記事から。

「けーし風」バックナンバーはは沖縄の書籍のネットショップ Books Mangroove で購入できます。こちらのリンクに行ってください。
http://mangroove.shop-pro.jp/?mode=cate&cbid=102189&csid=0&sort=n
「沖縄の"いま"を読み解くための必読書」である「けーし風」、定期購読の案内はここにあります。http://mangroove.shop-pro.jp/?mode=f1

(文中の写真は「けーし風」に掲載されたものではなく、文章の内容に合わせてブログ運営人の乗松聡子が挿入したものです。文中写真はすべて琉球新報社提供。)


オリバー・ストーン監督、大浦湾をゆく

 
東恩納 琢磨
 
 今年の八月、映画監督のオリバー・ストーンが沖縄に来ると新聞報道で知って、これは辺野古・大浦湾まで足を伸ばして欲しいと思い、同行される乗松聡子さん(ピース・フィロソフィー・センター、 在カナダ)に連絡をとりました。乗松さんから、琉球新報の主催で講演をするので、新報の松元剛さんに連絡をとるようアドバイスをいただきました。松元さんは「自分もまさにそう思っていた、船の手配などをどうしたらいいのか相談していたところだ」ということなので、「じゃあ僕が船を出します、ぜひ辺野古・大浦湾までいらしてください」と志願しました。それで段取りをしていただき、「せっかくこちらまでいらっしゃるならば稲嶺名護市長にも表敬訪問を」と言うとすでに秘書課と調整しているところだということで、実現して欲しいと願っていました。
名護市長の稲嶺進氏を訪問。

 ストーン監督の名護滞在は、稲嶺市長への表敬訪問からスタートしました。僕は市長室前でストーン監督一行をお待ちし、末席で同席させていただきました。稲嶺市長との面談は四〇分くらいで、結構じっくり話をしていました。日米政府に抵抗していることに感謝する、歴史を学ばなければ駄目だ、歴史から教訓を得なければ、と話す監督に、市長もまったく同感だと話していました。初対面にもかかわらず、なにか長年一緒にやってきたかのような、フレンドリーな感じで話をされていましたね。

 その後、大浦湾・辺野古と廻りました。当初は辺野古から船を出そうと考えていましたが、限られた時間を有効に使うために北の汀間漁港から船を出し、大浦湾を縦断してキャンプシュワブを海から眺めて辺野古へ廻る四〇分くらいのコースで、辺野古の海や大浦湾の海を十分に体感していただいたと思います。

 漁港から沖へ出ると監督は直ぐに「ジュゴンはどこにいる!?」と(笑)。私は、「ジュゴンは、昼は沖にいて朝夕人間の活動が静かになった頃、沿岸に近づいてきます。今日のように四隻の船が出ていると近づいてこない、そおっと来ないと見れませんよ」と話すと、私に、「見たことあるか?」と訊くので「ありますよ!」(笑)、ヘリから見たジュゴンの話をしました。

左から筆者の東恩納琢磨氏、通訳を務めた琉球新報記者の与那嶺路代氏、オリバー・ストーン氏。


 シュワブに近づくにつれて、ストーン監督は「あの建物は何だ!? この風景には似合わない建物だ!」と怒っていたのが印象的でした。

 僕は船上で船を誘導しながら、要所要所で船を止めて説明したんですが、とても気さくで、ざっくばらんに会話をされる良い方でした。

 アオサンゴ群落も当初はコースに入れていたのですが、残念ながら時間が押して見てもらうことはできませんでした。「ここから埋め立てる計画になっていますよ」と、埋め立て計画の境界線、位置関係を確認していただく形で案内しました。当日は海の透明度もたいへん良くて、ストーン監督以外にも、乗っている人たちや、メディアのみなさんもそろって「綺麗だ!」「素晴らしい!」と大変感激していました。ゆっくり走らせると一四、一五メートル下の海底がはっきり見え、「そこにジュゴンが食べる海草が繁茂しているんですよ」と説明しました。「こんな美しい海を埋めるなんて」と、マスコミの方も含めてみんな驚いていました(特に取材で本土から来たマスコミ)。

 辺野古漁港に着くとヘリ基地反対協の安次富浩さんが出迎え、座り込みのテント村に案内しました。辺野古のおじい、おばあがそろって待っていて、監督は着いたとたんにみなさんと握手を交わしていました。「よくぞ生き残ってくれましたね」という会話から始まって、みなさん喜んでいました。「ぜひ辺野古のことをアメリカに伝えて欲しい」と嘉陽のおじいが頭を下げるようにして訴えていました。アメリカ市民に伝えて欲しい、伝えればわかってもらえるはずだ、と。
座り込みテントで辺野古の市民と交流。

 ストーン監督が沖縄に来ることは、当初は広島、長崎を訪問する予定に、どうしても沖縄まで連れて来たいという人たちの強い思いがあって実現したことですよね。行動を共にされていた乗松聡子さんは、僕も訪米団でワシントンを訪ねた時にとてもお世話になりました(二〇一二年一月、「アメリカに米軍基地に苦しむ沖縄の声を届ける会」が総勢二四名で上下院議員やシンクタンクにロビー活動を行った。乗松さんは通訳としてカナダから参加)。沖縄にも何度も来られて沖縄のことをよくわかっている方ですから、彼女がストーン監督やカズニックさんに働きかけるなかで実現したのではないかと、僕は想像しています。

 カズニックさんは歴史家ですよね。真実の歴史に目をむけることの重要性、という話をされていたのが印象的でした。権力者はいつも歴史を曲げる、歴史を曲げなければ権力は維持できないのだという意味のことを仰っていて、まさにその通りだと思いました。権力者は歴史を曲げる、自分たちは歴史を正しく認識しないと権力者に利用される。権力者に抵抗するには歴史を学ばなければいけない、歴史に学べば権力者の嘘が見えてくるのだ、と。

 ベトナム戦争にしても、あれだけ何百万という人が死んで何が残ったのか、誰が利益を得たのか。いまアメリカ人もベトナム戦争を美化しようとしているそうですが、それは日本も同じで、歴史の検証をやらなければ再び同じようなことが起こる。僕らは親たちから戦争の話を聞いていて、戦争は他人事ではないと感じるけれど、そこから離れた人たちにとっては、戦争が何か美化され英雄扱いされて、「悪いヤツらがいたらまた戦争してもいいんだ」という風潮になってきているので、もう一回本当に歴史を学ばなければいけないのがいまの時代だろうなと思います。

 僕はストーン監督に、沖縄戦がなぜ起こったのか、沖縄の島がどのように要塞化されてきたのか、日米政府が密約を交わしながら沖縄の人間を騙してきたということも含めて、そうしたことを曝くドキュメンタリー映画を作ってもらえたら、もっと理解する人たちが世界中で増えるのではないかと願っています。商業映画として多くの人に訴える力と、真実の追究、その両方をできるのがストーン監督だと思います。歴史家のカズニックさんとのタッグというのはすごいコンビですよね。

 九月の市議会では、僕と仲村善幸さん、具志堅徹さんの三人が、ストーン監督との関係で一般質問したんですが、徹さんが、「壁の向こうに味方を作る」という表現ですごく評価をしていて、要するにアメリカ人は敵ではなく、敵の向こうには味方がいるのだ、と。ぜひ、今後なんらかの形で、沖縄を扱った映画を撮って欲しいですね。市長も後日監督に手紙を送ったと答弁していました。壁の向こうに味方をどんどん作っていきましょう。

(談・名護市議/沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団団長)

Wednesday, October 30, 2013

「語られないアメリカ史」の作者オリバー・ストーン、「語られない日本史」を展示する資料館を訪問 (高實康稔館長による報告) Oliver Stone, coauthor of "Untold History of the United States" visits museum of "Untold History of Japan" (Yasunori Takazane)

「岡まさはる記念長崎平和資料館」のニュースレター「西坂だより」の2013年10月1日号(第71号)に、館長高實康稔氏による、この夏オリバー・ストーン監督が資料館に訪れたときの報告が巻頭文として掲載されています。高實氏の許可を得てここに掲載します。当ブログ運営人の私(乗松聡子)はオリバー・ストーンとピーター・カズニック2013年の夏の来日、来沖を企画・同行しましたが、この資料館は日本の歴史記憶の中で欠けがちである日本の侵略と植民地支配の歴史、被爆都市長崎における朝鮮人被爆者の被害の記録、朝鮮人強制連行労働者たちの苦悩の記録を記しているところです。私は2007年に初めて訪れて以来会員となり、民間の寄付と入場料だけで成り立っているこの孤高の資料館を応援してきました。日本人なら誰でも一度は訪れるべき場所と思っています。「語られないアメリカ史」The Untold History of the United States という大作(ドキュメンタリー映像シリーズと本)を昨年から今年にかけて世に出したオリバー・ストーン監督とピーター・カズニック教授にとって、この「語られない日本史」を地道に語る資料館こそ長崎で訪問するにふさわしい場所ではないかと思って勧めました。オリバーは猛暑と多忙な日程の中で予定を調整したり体調を整えたりしながらスケジュールをこなしていましたが、この資料館の話を私から聞いたときから「ここだけは絶対行きたい」とずっと楽しみにしていました。「Oka Masaharu」という日本語の名前は覚えにくく、彼の中では Atrocity Museum (アトロシティー・ミュージアム「虐殺資料館」)という理解になっていました。訪問したのは8月10日だったのですが、8月8日に日テレの「ニュース0」の村尾キャスターとの対談を行った長崎港のターミナル近辺に長崎市の主要観光地の地図があり、それを見て私に「今度行く虐殺資料館はどこだ」と訊ねました。私は「残念ながら公共のマップにこの資料館が出ていることはまずありません」と答えざるを得ませんでした。この資料館は多くの観光客が訪れる「26聖人殉教地」のすぐ近くにあります。長崎駅から歩いて5分ほど。地図はここ。オリバーが訪問したことを長崎新聞、NHKワールド、朝日新聞などが取り上げ、オリバーもことあるごとにインタビューなどで触れているので問い合わせが増え、来訪客も増えたようです。これを読む皆さんも長崎でぜひ行って見てください。オリバーはいまだに名前がなかなか言えず、「長崎に小さいが大変重要な資料館がある」としか言わないのですが、名前は「岡まさはる記念長崎平和資料館」です。@PeacePhilosophy
 
 
8月10日、資料館にて、左からオリバー・ストーン監督、館長の高實康稔氏、
同行・通訳を務めたピースボート共同代表の川崎哲氏。(写真は川崎氏提供)
 
 
 
評価された資料館の存在

―オリバー・ストーン監督が残した言葉―
 

岡まさはる記念長崎平和資料館理事長 髙實康稔

 

大盛況のシンポジウムにて

 本年8月8日、長崎ピースウィーク実行委員会の主催でオリバー・ストーン監督・ピーター・カズニック教授が語る「アメリカ史から見た原爆投下の真実」というシンポジウムがありました。勤労福祉会館講堂が満席のうえに大勢の立ち見が出るほどの聴衆を前に、ストーン監督とカズニック教授(アメリカン大学)は、「原爆投下は日本を降伏させるために必要であった」とか「降伏を早めて100万人もの人命を救った」とか言う今なお根強い正当化の主張を「神話にすぎない」と断じ、ソ連に対して核兵器の脅威と軍事力の優位を見せつけることこそが最大の目的であったと、詳細な論拠を挙げて力説しました。また、日本の降伏を決定づけたのは原爆投下ではなく、ソ連の参戦であったことも指摘しました。これは決して新しい見解ではなく、歴史学の上ですでに実証されていることですが、原爆投下の誤った見方に対する強い警鐘であったといえるでしょう。長崎への原爆投下は、その照準店が都心の常盤橋であったことから、無差別爆撃によるプルトニウム原爆の破壊力テストであったことも明らかです。「日本人は戦時中の加害の真実をよく見るべきだ」というカズニック教授の要請と、「日本人は芸術性も高い民族なのに、戦時中なぜあれほど残虐になれたのか」というストーン監督の質問が印象に残りましたが、「オリバー監督が長崎で行きたがったところは、原爆の犠牲になった朝鮮人や中国人の追悼モニュメントでした。岡まさはる記念館も見たいと言っていますが、長崎市の観光マップには載っていません。」というパネリストの乗松聡子さん(バンクーバー在住、ピース・フィロソフィー・センター代表)の発言には、会場がどっと沸きました。

オリバー・ストーン監督が資料館を訪問!

 8月10日、ストーン監督が来館され、私が案内役を務めました。通訳はピース・ボート代表の川崎哲さんが引き受けてくださいました。ストーン監督は入館して正面の朝鮮人被爆者の展示を一瞥するや否や、緊張した面持ちでした。まず、資料館の設立の経緯と趣旨を簡潔に述べ、14歳で端島(軍艦島)に強制連行された徐正雨さんのことを象徴的な事例としてお話しし、模型の飯場で劣悪な衣食住と過酷な労働現場について説明しました。次いで1万円札の拡大カラーコピーを前に、福沢諭吉の朝鮮・中国侵略思想を読み上げると、ストーン監督は頷きながらじっと見入っていました。階段部分の展示説明では、時間の関係で大雑把にならざるを得ませんでしたが、731部隊のところで「被害者のなかに生存者はいるか」と問われましたので、私は即座に「一人もいません。撤退時に全員殺したと、元隊員から直接聞いた。」と答えました。「日本はアジアで何をしたか」の大パネルでは、フィリピンについての質問の後で、餓死寸前のヴェトナムの少女の写真に説明を求められたので、「ジュート=麻の栽培だけをさせて米を作らせなかったので200万人も餓死した」と説明すると、悲憤を噛みしめておられるようでした。2階のメイン展示場では、「慰安婦」コーナーで、広大な日本軍占領地と「慰安所」の所在地を示す地図の前でしばし立ちつくしておられましたが、日本軍の傀儡(かいらい)軍である「満州国軍」に少年義勇兵を殺害させている写真と日本兵自身が中国人を殺害して微笑んでいる写真の説明として、「戦場での日本兵は天皇制軍国主義教育によって日本を神の国と信じ、徹底的に異民族を蔑視していた」と述べると、無言のうちにも納得されたように感じました。そして、時間に追われながら、最後に常石敬一著「標的・イシイ」を示して、「米国が731部隊の戦争犯罪を免責したのは、マッカーサーとウィロビーとサンダーソンの3人が決めたことに始まる」と告げると、「イエス」と応じて深々と頷かれました。この件についても敢えて触れたのは、「731部隊罪証陳列館」と友好館提携を結んでいる資料館の使命でもあるとの思いからでしたが、『オリバー・ストーンが語るもう一つのアメリカ史』を著された方だけに十分承知しておられ、その歴史認識に改めて敬意を抱かずにはいられませんでした。

 ストーン監督が資料館を去るに当たって、長崎新聞の石田謙二記者らが感想を求めると「東京にもなければならない」と答えられ、居合わせたスタッフ一同感激しました。石田記者の記事は翌日の長崎新聞に掲載され、大きな反響を呼びました。

NHKの国際放送ニュースラインでも紹介

 私は8月12日から17日まで南京を中心に訪中しておりましたが、その間にNHKからストーン監督の資料館訪問の写真を求められ提供したことを帰国後に知りました。その写真を使ったニュースラインの映像もウェブリングで見ました。ストーン監督の訪問を報じたものとはいえ、資料館の存在を世界に紹介した意味も大きいと思います。

NHKのBS深夜放送でもストーン監督が一言

 8月25日午前0時から2時間、NHKのBS放送で「オリバー・ストーン監督がスタジオで直言―原爆×戦争×アメリカ、歴史を直視する時」という番組があり、ストーン監督とカズニック教授が大学教授や学生、市民と対話しました。『プラトーン』を初め、ストーン監督の作品を織り込みながら、じっくり語り合う啓発に富んだ番組でしたが、その最後の場面でストーン監督が「長崎には日本の加害責任を問う民間の歴史資料館があった。あまりお金はないようだったが。東京では無理なのだろうか。」とさりげなく語られ、資料館訪問の印象が悪くなかったことに安堵するとともに、資料館の存在を評価してくださったことに感激一入でした。また、番組(録画)を見終わって、設立18年にして今やストーン監督に評価されるに至った資料館も岡先生の発意がなければ存在しないことをふと思い、今後ともその先見の明を肝に銘じて維持していくことを心に誓いました。

(たかざね・やすのり)
 
 
熱心に説明をきくオリバー。(写真は川崎哲氏提供)
 

Monday, October 07, 2013

Oliver Stone and Peter Kuznick interview in Tokyo reposted widely 「米国はベトナムで化学兵器を使った」-ストーン&カズニック東京でのインタビュー記事、米国のオンラインメディアに次々と転載。


The Asia-Pacific Journal: Japan Focus and Shukan Kinyobi interview on August 11 in Tokyo with Oliver Stone and Peter Kuznick, co-authors of the Untold History of the United States, a 10-part documentary series and the companion book, has been reposted/reprinted on:
週刊金曜日9月6日号
東京で8月11日、日本の週刊誌『週刊金曜日』とオンライン英字ジャーナル『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』合同で『The Untold History of the United States』(ドキュメンタリーと本、日本語版はNHK放映、早川書房出版の『もう一つのアメリカ史』)共作者、オリバー・ストーンとピーター・カズニックのインタビューを行った(聞き手は『金曜日』から成澤宗男、『ジャパンフォーカス』から乗松聡子)。週刊金曜日では9月6日の特集記事「オリバー・ストーン&ピーター・カズニック 戦争と歴史を語る」として発表。英語版は9月26日『アジア太平洋ジャーナル:ジャパンフォーカス』で発表した。その後米国のプログレッシブなオンラインメディア、『トゥルースアウト』、『ヒストリー・ニュース・ネットワーク』、『カウンターパンチ』に転載されて世界中に読まれている。英語版の記事は、オリバーの言葉からタイムリーなものを選び、「”米国は化学兵器をベトナムで使用した”-語られない歴史を語ることが世の中をよくする」とした。このインタビューはオリバー自身が「日本で行ったインタビューでベストのものの一つ。自身のフェースブックで「長編で、広範囲なトピックを扱い、内容は正確である」とコメントしている。以下、各掲載先のリンク。

TruthOut,
"We Used Chemical Weapons in Vietnam": Oliver Stone and Peter Kuznick Explain How Telling the Untold History Can Change the World for the Better
http://truth-out.org/news/item/19258-we-used-chemical-weapons-in-vietnam-oliver-stone-and-peter-kuznick-explain-how-telling-the-untold-history-can-change-the-world-for-the-better


History News Network,
Oliver Stone and Peter Kuznick: The United States "is the Roman Empire" [INTERVIEW]
http://hnn.us/article/153509

and

Counterpunch.
"We Used Chemical Weapons in Vietnam"
An Interview With Oliver Stone and Peter Kuznick
http://www.counterpunch.org/2013/10/07/an-interview-with-oliver-stone-and-peter-kuznick/

Oliver Stone says on his Facebook about the article, "Just published was one of the best interviews we did in Japan. It’s extensive, but thorough and accurate."

The original article was posted on:

The Asia-Pacific Journal: Japan Focus
“We used chemical weapons in Vietnam”: Oliver Stone and Peter Kuznick explain how telling the untold history can change the world for the better
http://japanfocus.org/events/view/197 

Monday, September 30, 2013

オリバー・ストーンとピーター・カズニック来日総括の寄稿「日米は歴史偽造のパートナーである」(ハフィントン・ポスト) Oliver Stone and Peter Kuznick, The U.S. and Japan: Partners in Historical Falsification (Huffington Post)

オリバー・ストーンとピーター・カズニックが8月の日本訪問の総括として『ハフィントン・ポスト』Huffington Post に寄稿した記事の和訳を紹介する。「語られないアメリカ史 The Untold History of the United States」を語り続ける二人の来日の結論が「米国と日本は歴史偽造においてもパートナー同士である」であるとしたら、日本人としては自らを省みらざるを得ない。日本でも「語られない日本史」を語らなければいけないのだ。@PeacePhilosophy   

★写真は翻訳記事に独自につけたものです。★リンク拡散歓迎ですが、写真も含め転載はお控えください。★翻訳は投稿後微修正することがあります。


オリバー・ストーンとピーター・カズニック、長崎の爆心地に献花する(2013年8月8日)

The U.S. and Japan: Partners in Historical Falsification
http://www.huffingtonpost.com/oliver-stone/the-us-and-japan-partners_b_3902034.html

アメリカと日本:歴史偽造のパートナー
2013年9月10日

オリバー・ストーン、ピーター・カズニック

翻訳 酒井泰幸 翻訳協力 乗松聡子

 私達は先日、広島、長崎、東京、沖縄を巡る12日間の講演ツアーから戻った。8月6日の記念式典の前に広島で合流したのだが、その前にオリバーは、上海から500キロメートルたらずの距離にある韓国の済州(チェジュ)島で、工事が進む韓国海軍基地に反対している活動家たちを応援してきた。ピーターは、アメリカン大学の核問題研究所が行う毎年恒例の日本スタディーツアーの参加者たちと京都にいた。原爆投下の記念日の前後に広島と長崎にいるということは、私達二人にとって強烈な体験だった。と同時に、現代における帝国存続のためには、過去の過ちを隠して取り繕うことがいかに不可欠であるかということを再認識させられた。これは日米両国が過去68年にわたって力を合わせてきた企てなのである。

 両国の支配層がこの共生関係から利益を得てきたことは疑いようもない。日本が先ごろ中国にその座を追われるまで、アメリカと日本は世界の経済大国トップ2だった。両国は、世界で軍事支出が最も多い5カ国の中に入る。第二次世界大戦が終わって以来、日本はアジアにおけるアメリカ政策の要であり、現在でもそれは続いている。

  私達の今回の訪日に先立って、10部からなる映像ドキュメンタリー・シリーズ『オリバー・ストーンが語るもう一つのアメリカ史』がNHKで放映され、好評を博した。その書籍は今年前半に日本で刊行され、すでに5万部近くを売り上げている。広島の原爆資料館では時間外特別見学を許されたのだが、到着したときゆうに100人は超える記者とテレビカメラに取り囲まれた。世界的な防衛至上主義国家となっている米帝国に対する私達の批判が、日本でどれほどの関心を呼びおこしたかをはっきり認識したのはそのときだった。

8月4日、広島平和資料館の時間外開館で被爆者
近藤紘子氏(オリバーとピーターの間)の説明を受ける。
(写真:朝日新聞社)
広島からこの旅を始めたのは良いことだった。ピーターは1995年いらい京都の立命館大学と共同で毎年夏に学生を連れて広島を訪れていた。オリバーにはこれが初めての広島だった。ピーターは20年にわたり原爆投下について研究と執筆を続けてきた。オリバーは『もう一つのアメリカ史』へと実を結んだ5年間の調査研究の一環として、学術文献と映像資料の収集に没頭した。しかし、どれほどの予備知識があっても、広島を訪れると激しく感情を揺さぶられる。

 私達は、戦後アメリカ帝国を分析するうえで、1945年8月の原爆投下を中心に据えた。核の専売特許によって、アメリカは自国の意思を世界の他地域に押し付ける自信を得た。原爆投下後、アメリカ政府の高官は、これらの野蛮な行為を正当化する物語、真実とは似ても似つかない物語を、急いで紡ぎ出した。大衆には、原爆は戦争を早急に終わらせるために狂信的な日本人の上に慈悲深くも落とされたと伝えられた。原爆はまた本土侵攻を避けることによって人命が救われたとされ、トルーマンによると50万ものアメリカ人が命びろいしたということにされている。アメリカに他の選択肢はなく、原爆投下という行為は、正当化されただけではなく、人道的であったとされた。本土侵攻で命を落としていたであろう全ての日本人のことも考えてみよというわけだ。

 この歴史の言説からは、不都合な事実がいくつか抜け落ちている。日本の命運はすでに尽きようとしていて、5月以降は受け入れ可能な降伏の方法を模索していた。ダグラス・マッカーサー将軍は、[ドゥワイト・]アイゼンハワーと[ヘンリー・]アーノルドの2人の将軍、[ウィリアム・]リーヒ、[アーネスト・]キング、[チェスター・]ニミッツの3人の元帥など、戦後原爆投下を否認した要人に名を連ねるが、そのマッカーサーは、もしアメリカが天皇制維持を保証したなら、日本は5月には降伏していただろうと主張した。傍受された日本の電文からは、これが事実であったことが確認されている。トルーマンは7月18日の電文から「日本の天皇が電報で和平を求めている」と述べた。トルーマンはソビエト連邦が間もなく参戦することを知っていたし、そのソ連の侵攻を日本が最も恐れていたことも知っていた。5月に日本の最高戦争指導会議は、「ソ連の参戦は帝国にとどめの一撃を加えるだろう」と言明した。ポツダム会談で、トルーマンはソ連が太平洋戦争に間もなく参戦するという確証を得て、「そうなればジャップは終わりだ」と書き記した。彼は妻に、これで戦争は1年早く終わるだろうと語った。1945年7月6日に、連合諜報委員会(Combined Intelligence Committee)は、「ソビエト連邦の参戦で、日本は完全な敗北が避けられないことを納得するだろう」と報告した。

 8月9日、日本が占領していた満州国にソ連が侵攻し、戦争は急速に終結へと向かった。その同じ日、アメリカは長崎を破壊した。日本の指導者にとって、この無感覚で恐ろしい行為によって何かが根本的に変わるということはなかった。その年の3月以来、アメリカは合わせて100以上もの日本の都市を焼夷弾で爆撃し破壊していたのである。広島と長崎はこれに新たな2つを加えただけだった。しかし、ソ連の満州侵攻によって、鈴木貫太郎首相らは、ソ連に降伏するぐらいなら、可能なうちにアメリカ人に降伏するほうが良いと悟った。原爆投下は、ソ連が日本に侵攻し、ヤルタ会談で連合国がソ連に約束した戦利品を受け取る前に戦争を片付けるために、アメリカが企んだことであった。そして人類の歴史上さらに重要なことは、日本が戦争を終わらせようと躍起になっていたことを熟知していたソ連に対して、アメリカは「国益」を守るためなら完全に無慈悲になることを示すために、原爆を投下したということなのだ。
O. Stone and P. Kuznick,
The Untold History of the United States
(Simon & Schuster, 2012)

 この凶暴の物語をアメリカの慈悲心の物語へと作り替えるには並はずれた巧みさと、言いなりのマスコミ、そして無批判の教育機関の支配層を総動員する必要があったが、トルーマンと彼の擁護者たちはこれを見事にやってのけた。第二次大戦を「善い」戦争(確かに必要な戦争ではあった)として神聖化し、誰も口を挟むことができないようにしてしまった。アメリカ例外主義の神話、つまり自由を愛するアメリカ特有の優しさと利他的犠牲の精神の物語についても同様であった。

 第二次大戦に関する第二の根本的な神話は、アメリカがヨーロッパ戦線で勇敢に戦って勝利したというものだが、チャーチルが認めたように、「ドイツ軍事力のはらわたを切り裂いた」のは、実はソ連だった。ソ連はこの戦争のほとんどの期間で200ものドイツの師団に立ち向かったが、アメリカとイギリスを合わせても相手にした師団の数は10にしかならない。実際、[ジョージ・]マーシャルとアイゼンハワーの2人の将軍は、アメリカはノルマンディー上陸作戦までドイツと正面から対戦せずに、北アフリカ、地中海、その後ビルマでの大英帝国の国益を援護し、「端の方を小突いていただけ」だったと憤慨していた。アメリカの物語は決まったように、そして紛らわしくも、ソ連が戦局を逆転させたずっと後のノルマンディーから始まるのだ。

 そしてこの戦争の第三の神話は、冷戦はソ連の領土拡張主義と西側資本主義勢力への敵意によって生み出されたというものだ。実は、アメリカとソビエト連邦が協力し指導力を分担する多極的な世界というルーズベルトの構想を、トルーマンは就任後2週間もたたないうちに根本的に切り崩し、不信と敵意の政策を始めた。

したがって私達は、戦争についてアメリカ人が学ぶことはほとんど全て、実際に起こったこととは正反対であると主張する。驚くことに、日本の生徒に教えられている第二次大戦の歴史は、同様に偽りに満ちた不誠実なものだ。今日の日本で、南京大虐殺と朝鮮人女性の性奴隷化については、ある程度知られており論争もあるが、アジアの他地域における戦時日本帝国の猛攻撃に伴う残虐行為と無慈悲な殺戮についてはほとんど議論されることがない。日本による短い統治の間に百万人をゆうに超えるベトナム人が死んだことや、インドネシアやマレー半島、フィリピン、台湾、ビルマなど戦地のいたる所で、男女かまわず行われた残虐行為について、知る人はほとんどいない。そして日本の降伏そのものが、哀れみ深い天皇が臣民をこれ以上苦しませないために自らを犠牲にする思し召しという無意味な話で包み隠された。
8月10日、「岡まさはる記念長崎平和
資料館」で高實康稔館長(左)から説明
を受ける。(写真提供:川崎哲)

 この口実は戦後も続いた。極東国際軍事裁判では、日本が中国人その他の民間人を空襲で殺害したことに対して、日本の指導者たちは何の罪も問われなかったが、これはアメリカが日本の民間人を焼夷弾で焼き殺したことや、原爆投下というもっと深い戦争犯罪と比較されないことを確実にしておくためだった。焼夷弾攻撃について、陸軍長官のスティムソンはトルーマンに、アメリカが「残虐行為ではヒトラーの上を行ったという評判」を得ることは望まなかったと告白した。また原爆投下について、トルーマンの個人的な参謀長であったウィリアム・リーヒ元帥は、「日本は既に敗北し降伏の用意があった」と宣言し、アメリカの指導者たちは軍事目標を攻撃するのだと主張したが、「それを通り越して、可能な限り多くの女子供を殺した。これこそ彼らがずっとやりたかったことだった」と、トルーマンの伝記作者のジョナサン・ダニエルズに対して1949年に語った。アメリカは実際には何十人ものA級戦犯を不起訴にして釈放し、恩赦もした。その多くは戦後アメリカの命令に従った。その中に、日本テレビの創設者で、現在日本最大の新聞である読売新聞の社主だった正力松太郎がいる。核兵器の使用を正当化するため原子力の平和利用を売り込むアイゼンハワーの働きかけの一環として、彼はCIAや米国海外情報局と緊密に連携し原子力を日本に導入した。アイゼンハワーこそが、大量の核兵器を蓄積し(就任時には約1000発だった核兵器が、彼の予算が執行され終わる頃には3万発になっていた)、トルーマンがちらつかせたオムニサイド(皆殺し)の可能性を、それ以後の人類を悩ませ続ける現実に変えた張本人である。

 岸信介も釈放された戦犯の一人だった(訳者注:原文では「恩赦 pardon」という言葉になっているが、岸は不起訴で釈放されているので「釈放」と訳している)。彼は1957年に日本の首相になり、歴史捏造者の家系を築くことになった。岸は、広く「安保」として知られている相互協力及び安全保障条約を押し通した。この条約は日本における米軍基地の駐留を認めたものである。岸は、大衆による激しい反対運動のために辞任に追い込まれた。岸はすでに、日本の憲法は核兵器の開発を禁じていないと主張して大衆の怒りを買っていた。これは、アメリカが起草した平和憲法の反軍事的な第9条を圧倒的多数が歓迎した国にあっては異端の説であった。憲法9条は、「日本国民は国権の発動たる戦争を永久に放棄」し、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない」と規定する。朝鮮戦争以後、アメリカの指導者は、日本が憲法9条を無効化し、地域防衛でより大きな役割を果たすように圧力をかけていた。岸政権は、核兵器を搭載した米軍艦が日本の港に入ることを白紙委任する「密約」を交わして大衆を欺いた。
早川書房刊日本語版、第一巻。

 岸の弟、佐藤栄作は1964年に首相になり、日本が独自の核兵器計画を開始することを個人的に支持した。彼は1967年に、日本は核兵器を作らず、持たず、持ち込ませないという「非核三原則」を打ち出した。後に佐藤は、アメリカ大使を相手にこの宣言を「ナンセンス」だと述べ、非核原則違反を継続した。1971年に、彼の政権は沖縄を日本に返還する条約を調印したが、アメリカは沖縄の軍事基地を維持することが明記された。1969年に彼は、沖縄が1972年に返還された後も、緊急事態の場合はアメリカが沖縄に核兵器を持ち込むことを許す密約を交わした。前年のヘンリー・キッシンジャーに続き、1974年に彼がノーベル平和賞を受賞したことは、国際危機の平和的解決を見出す努力をさらに愚弄するものとなった。

 岸の孫である右翼の安倍晋三が、2012年12月の選挙で当選したことで、この嘘と欺瞞の環が一周した。安倍は以前にも総理大臣を1年間つとめたが、不興をこうむって辞任している。彼は歴史を否定することで悪名高く、中国に対する日本の残虐行為の真実性に疑問を呈し、日本軍兵士への性の提供を強制された女性たちに対する日本の謝罪を取り消すことをほのめかした。

 3年間の民主党政権が失敗に終わった後、安倍自民党は権力に復帰した。民主党の敗北は、日本国民の改革への希望に悲惨な一撃を加えた。民主党の鳩山由紀夫は2009年9月に首相に選ばれ、数十年間ほとんど絶えることのなかった自民党支配を終わらせた。彼は、沖縄県内の大規模なアメリカ海兵隊基地を普天間から辺野古に移転する計画を阻止し、完全に沖縄県外へ移転することを約束した(訳者注:原文では「国外」とあるが、鳩山の公約「最低でも県外」に合わせて「県外」と訳してある。著者の了解済)。普天間とその他の米軍基地は、米帝国の活動にとって非常に重要であるが、小さな沖縄県には在日米軍基地の74パーセントが集中し、沖縄の人々は心底これを嫌っている。鳩山の抵抗はノーベル賞を受賞したバラク・オバマによって潰され、鳩山政権は崩壊へと転落していった。『もう一つのアメリカ史』を熱心に推薦した鳩山に私達が会ったとき、私達が見たのは、侵略を続ける米軍基地の帝国に抵抗を試み、道半ばで潰された男の姿だった。

8月12日、鳩山元首相との面会。左から、藤田幸久参議院
議員、鳩山氏、オリバー、ピーター、乗松聡子。
(写真:鳩山由紀夫事務所)
オバマは、人間の品格と社会正義、沖縄の人々の意思よりも、アメリカ帝国の維持が優先されると明確に示した。歴代大統領の中でこの姿勢に例外が生じたのはジョン・ケネディーと、ほんの束の間ではあったがジミー・カーターのときだけであった。沖縄の人々は新たな海兵隊基地の建設に反対し、自分たちの土地が、朝鮮戦争をはじめとする米国のアジアでの戦争の全てで発進基地として使われることに反対して力強く戦ってきた。オバマのいう「アジア回帰」、つまり米国とその同盟国による「防衛」費膨張の口実である新しい冷戦の中で中国を「封じ込め」る計画の中、沖縄は同様の役割を果たすように仕向けられている。

 アサド政権が化学兵器を使用した疑いを、超えてはならない「一線」と捉え、アメリカはシリアへの攻撃を準備しているが、アメリカがこのような問題を大量破壊兵器の使用と関連させるのは、アメリカの国立航空宇宙博物館が広島への原爆投下で大量破壊兵器時代の幕開けを告げた飛行機であるエノラ・ゲイを誇らしげに展示していることを考えると、非常に奇妙なことに思えるだろう。ここには、自国の歴史を捨て去る国でだけ見えなくなる皮肉がある。キング牧師の言葉では「世界最大の暴力提供者」であるにもかかわらず、独善的に世界の警察官という役割を自認する国なのだ。ウッドロウ・ウィルソンが1世紀近く前に言った。「アメリカは世界の救い主」だとアメリカの指導者たちが信じているかぎり、外交のかわりに武力を用い、アメリカは1945年の原爆投下で全面的に非難されることを回避したという事実に裏打ちされた「力は正義なり」という信念に固執し続けるだろう。元国務長官のマデレーン・オルブライトが全く臆面もなく宣言したように、「もし我が国が武力を使わねばならないとしたら、それは我々がアメリカだからだ。我が国は無くてはならない国なのだ。」 

 世界の他の地域がアメリカによるシリアでの軍事行動をどのように見ているかを理解するために、意外な人物の言葉が役に立つ。サミュエル・ハンティントンはこう書いた。「西側諸国は思想や価値観、宗教の優越性で勝利したのではない…むしろ、組織的暴力の行使における優越性によって世界の中で勝利したのだ。西側の人々はしばしばこの事実を忘れる。西側以外の人々は決してこのことを忘れない。」


「語られないアメリカ史」The Untold History of the United States は10月15日、 Warner Brothers 社からDVDが発売、Simon & Schuster 社からペーパーバック版の本が出る予定である。(訳者注:日本では、「オリバー・ストーンが語るもう一つのアメリカ史」という題で、本は早川書房から1-3巻発売中。NHK BS1で今年放映された。今後DVD発売予定。)


(翻訳 以上)


8月14日、沖縄・名護市で海兵隊新基地建設に反対する稲嶺進市長を訪問、応援。
(写真:琉球新報社)

Thursday, September 26, 2013

『広島ジャーナリスト』から転載:「原爆投下正当化論が戦後米国の神話形成」-オリバー・ストーン、ピーター・カズニックを迎えた広島でのシンポ報告

広島ジャーナリスト」9月15日号に掲載された、8月5日に広島で開催されたオリバー・ストーン、ピーター・カズニックを迎えたシンポジウムの報告記事を許可をもらった上で転載します。


原爆投下正当化論が戦後米国の神話形成

ストーン&カズニック、広島で語る

 「オリバー・ストーンが語るもう一つのアメリカ史」(早川書房、全3巻)と、それに基づくドキュメンタリー映像で現代歴史観の虚構性を暴いた映画監督オリバー・ストーンさんとアメリカン大准教授ピーター・カズニックさんが今夏、日本を訪れ広島、長崎、東京、沖縄で発言した。このうち、田中利幸・広島市立大広島平和研究所教授、平和運動家乗松聡子さんと臨んだ8月5日のシンポジウム「アメリカ史から見た原爆投下の真実」の議論の要旨を掲載する。ストーン監督らは「原爆投下正当化論が第2次大戦後のアメリカの『神話』を形成している」と強調、米ソの覇権争いが原爆投下の背景にあるとした。「8・6ヒロシマ平和へのつどい2013実行委員会」主催。広島市中区で開かれ、約300人が聴き入った。(文責・「広島ジャーナリスト」編集部)



投下直後は米世論の85%「支持」
田中利幸 オリバー・ストーン監督です。それから、ピーター・カズニック先生。乗松聡子さん。広島、長崎への原爆投下が戦争終結に決定的役割を果たしたといわれる。原爆投下がなければ戦争はさらに長期化し、100万人は死んだであろうという神話が今もアメリカでは支配的だ。こうした神話を打ち崩すにはどうしたらいいか。そのために私たち日本人、とりわけ広島市民に何ができるか。

ピーター・カズニック 原爆投下に関する神話は冷戦下のアメリカの理想主義の根幹にあるもので、トルーマンは皆さんご存じのように原爆投下を正当化している。終戦直後に行った世論調査【注1】では85%が原爆投下を支持すると答え、23%に至っては、日本の降伏がもっと遅ければアメリカはもっと原爆を落とすことができたと言っている。この原爆投下の神話は、アメリカが自国を特別な存在であるという例外主義、そしてアメリカそのものを支えている神話につながっている。この神話とは、自分たちは他の国々とは異なっている、世界のために良いことをするのだ、自分たちの国は善良な国だと考えている、という神話だ。他国が他国に侵攻するのは欲にまみれ領土拡大のためだが、アメリカだけは自由と民主主義のためにやっている、という神話がアメリカを支えている。
 原爆投下を、人道に対する罪だとか戦争犯罪だとか、そう見ることはアメリカの意図を拡散させることになるだろう。戦争を終わらせるために原爆が使われたという見方がアメリカではまだ中心的で、何百万人もの日本人の命を救ったのだ、とも言っている。アメリカだけでなく二つの国にまたがって神話化を進めていくことは、原爆が善良なものであり恐ろしい破壊兵器ではなかったと考えることにつながる。原爆を落としたのがドイツだったら、戦略的にも倫理的にもひどいと見られただろうが、アメリカが行ったということで神話が生まれた。

ソ連の日本侵略を恐れる
オリバー・ストーン アメリカはソ連による満州、韓国への侵略を恐れていた。最も恐れていたのが日本への侵略だ。原爆を落とさなかったら、ソ連は数日で日本を侵略していただろう。今日、被爆者の1人である沢田昭二さん(名古屋大名誉教授)【注2】とランチをともにした。彼は13歳か14歳で広島で被爆した。彼が言うには、日本人は当時、ソ連に侵略されることを恐れていて、原爆が落とされるとは夢にも思っていなかった。ソ連がドイツに対して残虐行為をしていて、それに恐れを抱いていた。ポツダム宣言を出す前に、アメリカ軍は日本が降伏したがっていることを知っていた。それでも二つの原爆を落とした。落とさなければ11月までにソ連は日本を侵略すると分かっていたからだ。原爆投下でソ連との冷戦が始まった。
 アメリカはその際、日本との戦争を終わらせるため原爆を落とした、落とさなければアメリカの犠牲者が増えた、と言った。日本の犠牲者には触れなかった。原爆を二つ落とすことでソ連の侵攻を止め、日本の犠牲者をつくった。第2次世界大戦の一番の犠牲者は日本だったと考えられるが、アメリカではそれが通説にはなっていない。

カズニック ストーン監督が言ったことを興味深く聞いた。やはり映画監督だ。戦争の終わり方を考える時、映画の終わり方が念頭にあっての発言と思う。「サベージ」【注3】という映画で、オリバー監督は二つの終わり方を用意していた。一つの終わり方は「失望した」という評価だったが、二つ目は「満足した」という反応だった。私たちがアメリカ史のドキュメンタリーでやろうとしたのは、やはりこのような二つの終わり方を考えることだった。
一つ目の終わり方は今まで信じられてきた、トルーマン大統領らが考えた戦争の終わり方だ。バッドエンドであり大きなウソだった。アメリカの学者はそれをウソと知りながらも戦争の結末と教えられてきた。
 私たちが提供したのは二つ目の終わり方だ。決してうれしいものではないが、本当の歴史だ。戦争の終わりは原爆投下によってもたらされたものではなかったということをもう一度言っておきたい。アメリカは日本の都市を1945年3月から空襲したが、その数を64から66と長く言ってきた。田中教授が明らかにしたのは、空襲で被災したのは100以上の都市ということだった。政治家たちはこのように簡単に事実を変えてしまう。日本の都市をひどく爆撃して焼き尽くし、原爆を落とすまでもなかったということすらも変えてしまう。オリバーと私は、今まで言われてきた戦争の終わりに対してそうではないと、ソ連の侵攻を変えるためだった、さらにいえば日本の外交政策を変えていく意図があっての戦争の終わり方だったということを提示した。
 歴史についての問いかけは重要だ。ナポレオンが言ったのは、歴史はみんなで作り上げたウソの集合体、ということ。このウソはだれのウソか。勝者のウソだ。アメリカの学生が信じている神話を一つ紹介する。原爆が太平洋戦争を終わらせ、アメリカはほぼ単独でヨーロッパの戦争を終わらせたというものだ。ヨーロッパの戦争はソ連こそが終わらせたということは、だれ一人教えられていない。米英は第2次世界大戦の中でドイツ軍の10の部隊と戦ったが、ソ連は一国で200もの部隊と戦った。だから2700万人もの戦死者を出した。アメリカ、イギリスはそれぞれ30万人の死者ですんでいる。このような神話は冷戦をつくりだす意図に結びついており、アメリカ帝国の根幹をなしていると考えると、どれほど危険なことか分かると思う。広島、長崎の原爆投下から68年間続くアメリカ中心主義の根幹にあるのは、このようなウソだ。

田中 乗松さんはカナダ在住で、カナダも実は原爆開発計画に参加した。カナダにも原爆投下正当化論を言う人は多いと思う。

「加害」を問わぬ反核には限界
乗松聡子 カナダの人はアメリカ人と違って、自分たちは平和的で優しいという自己イメージを持つ人が多い。日本に落とされた原爆のウランが自分たちの国からきていることとか、現在も世界有数のウラン産出国の一つで加害側に立っていることとか、そういう認識があまりない。現在のハーパー政権【注4】はブッシュ寄りだった。戦争参加、環境破壊という意味でも非常に右寄り、財界寄りの政策をとっている。
 私はこの10年間、カナダで平和、反核活動をしていて難しいと感じるのは、アジア系の人が大変増えている中で広島、長崎だけを扱っても、来るのは白人と日本人だけだ。原爆投下によって解放されたという、アジアで日本によって侵略された側のセンチメント(感情)はやはりある。原爆関係のイベントをやってほしいと要請があるが、限界がある。アジア化している北米で、従軍慰安婦問題とか南京虐殺とか、日本がやってきた加害や侵略、植民地主義としっかり向き合わずに反核運動をしても限界がある。これは広島、長崎の活動にも言えることではないか。

田中 カズニックさんが、勝者はいつもウソをつくという。実は、負けた方もウソをつく。戦争が終わった時、天皇詔書(いわゆる玉音放送)【注5】で言ったのは、このまま戦争を続ければ原爆という新しい兵器によって日本の人間はみんな死んでしまうだけでなく、人類そのものが存続しなくなる。だから戦争をやめる。それにつけては一緒に戦ってくれたアジアの人たちに申し訳ないと言っている。それで、中国や東南アジアでやった戦争犯罪をうやむやにしてしまう。これはウソだ。アメリカの神話化と同時に日本の神話化がある。我々はアメリカには負けたが中国には負けてないと言っていて、それが今まで続いている。
原爆投下という歴史的事実と、現在の核兵器保有の正当化、この二つが頭の中でつながっていない。切り離している。アメリカはいま核兵器を持つから、原爆投下も正当化しないといけない。密接につながる。福島原発事故と核兵器の問題も密接に関連しているが、これも分離してしまっている。この三つをどう関連付け、解決するか。

カズニック 広島、長崎への原爆投下とアメリカの核兵器大量生産がつながっているというご指摘と思う。核兵器が抑止力を持つというセオリー自体、私はウソだと思っている。それは第2次世界大戦そのものの正当化に基づいている。戦後の正当化は、アメリカの日本占領時代にもつながる。終戦から1952年までの間、日本国内で原爆に関する研究や議論は禁止された。しかし、アメリカは日本が原爆に対してある見方を展開させることに反対はせず、むしろ推進した。日本を同盟国としてキープしておきたかったからだ。原爆投下に関する神話を裏打ちしていくということは、一つには天皇制を保持していくということでもあった。どれほど危険であっても、アメリカは天皇制を保持したかった。治安維持につながるからだ。
 アメリカは50年代に「アトムズフォーピース(核の平和利用)」【注6】を打ち出した。日米が同盟国として進む中で、岸信介【注7】はA級戦犯として処刑することなく政治的リーダーとして復権するよう働きかけたし、正力松太郎に関しては核の平和利用を推し進めていく力として戦争責任を免責させた。岸の家系、例えば弟の佐藤栄作【注8】や孫の安倍晋三(首相)のラインは歴史のウソの解釈を残していくためのラインだ。安倍が最初に首相になった時、しようとしたのは、アメリカが持っているウソの歴史と共鳴するよう日本の教科書を書き換えることだった。
 日本はアメリカにとってどんな国か。中東のイスラエルのような位置づけだ。日本はアジアの中で、アメリカと一緒に歴史を紡いでいく仲間だと見られている。私たちはこのような見方に異議を申し立てるため、ドキュメンタリーをつくった。いま歴史が進んでいる方向を変えたい、人間として歴史の中での選択について異議を申し立てるため、このドキュメンタリーをつくった。
 もう一つ付け加えたいのは、歴史を語るというのは、アメリカもしくは日本のどちらかの見方で成り立つのではない。戦争の被害者の視点を忘れてはならないということだ。南京虐殺であったり、日本のアジアへの侵略であったり、その中での中国、韓国の犠牲者を私たちは忘れてはいけない。彼らの視点を入れることが、歴史の見方の構築のための本質的な問題だと思う。勝者だけでなく敗者も時にウソをつく。さまざまな視点を入れたものが必要だ。

ストーン 一点付け加えたい。1931年に日本が満州を占領して45年に戦争が終わるまでの14年の間、満州には安倍の祖父・岸もいて彼はA級戦犯だったが、満洲国はすごく皮肉な存在だった。第2次世界大戦でアメリカはナチスや共産主義者と戦ってきたが、安倍は今、朝鮮人慰安婦を認めないとか南京大虐殺を認めないとか、犠牲者の立場からものを見ることをしていない。安倍や日本政府のそうした言動は奇妙なことだ。犠牲者がいるのにその視点から見ないというのはおかしなことだ。
 
田中 慰安婦問題や侵略戦争はなかったと安倍は言う。最近は吉田首相の孫がワイマール憲法について馬鹿な発言をしたが【注9】、日本政治家のあまりにも低劣な歴史認識を露呈する発言が続いている。日本の歴史教育の貧困さと同時に、歴史教育の重要性を痛感する。ハワード・ジンさん【注10】は「民衆のアメリカ史」という本を書いた。アメリカ史を批判的に見る本や映画がベストセラーになるにもかかわらず、アメリカ市民の支配的な歴史観を形成するに至らない。いまだに原爆投下は正しかったという見方が支配的だ。なぜあなた方の考え方が浸透していかないのだろうか。

ウソと向き合う不快さ
ストーン 私たちが作った本やドキュメンタリーはベストセラーだと言ってくれたが、残念ながら私たちの本やドキュメンタリーはメーンストリーム(主流)ではない。というのも、アメリカ政府は、私たちが歴史のウソについて書いていることをすごく不快に思っていて、それを認めたくない。戦後68年で人々はウソに慣れてしまい、そのウソの中で歴史を認識していくことが心地いいのだ。だからそれを今変えようと訴えたとしても、そのウソと向き合うことが不快なのだ。私もそのように歴史を教えられ、認識を変えていくのに40年はかかった。時間がかかることだと思う。

カズニック ストーンさんの見方は映画監督としての見方であり、私はアカデミックな歴史家としての異なる見方を持っている。このプロジェクト(「アメリカ史」の出版とドキュメンタリー制作)への反応は、これまでのものとはかなり違う。これは私たちの努力の始まりに過ぎない。この努力は多くの友人、多くの人々によって支えられている。例えば田中さんはこれまでも歴史について重要な問題を扱ってこられた。原爆投下、慰安婦問題もそうだ。乗松さんは沖縄についての本を出された。二人が提示された見方は多くのアメリカ人、日本人も知らないのではないか。私たちが伝えたかったのは、進歩的な歴史の見方であり、進歩的な活動家の人たちにも私たちの考えることを伝えたかった。そのためには皆さんのサポートが必要だ。

ストーン 第2次大戦のノルマンディー上陸作戦を舞台にした映画「プライベート・ライアン」【注11】は皆さんに見てもらった。そのぐらいになればいい。人の心理として誰も負けたくない、誰もが勝ちたいという心理があり、日本でもアメリカでもそうした心理が働く。そこが問題ではないか。
田中 日米安保や集団的自衛権の問題が日本でも浮上している。沖縄の基地の在り方、日米関係の在り方、米中・日韓関係の在り方が非常に重要になっている。日本は核の傘の下にあるが、これをどう考えるか。

広島・長崎・沖縄はつながる
乗松 広島、長崎と沖縄は別ものではなく一連のものとして考えたい。日本の平和運動とか憲法9条を守る運動とか反核運動とか、これらは非常に矛盾に満ちたものだと、特に沖縄のことを扱うようになって思う。4月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議準備委員会(ジュネーブ)で、南アフリカなど非核保有国が「いかなる状況下でも核兵器が使用されないことが人類生存のためになる」という「核兵器の人道的影響に関する共同声明」を出したが、日本政府は賛同しなかった。これに対して平和運動家やNGOが怒りを表明したが、そういう時こそ私たちは自らを振り返らないといけないのではないか。日本政府は米軍基地と核の傘の幻想のもとに安全保障策をとっている。それに対して日本の人たちは7、8割が安保を認めているというデータがある。沖縄では10%以下だ。
 安保を認めながら反核とか9条を守れとか、どうして言えるのか。日米が一体と考えるなら、日本は北朝鮮やイランの核保有を責めるのではなく、アメリカを責めないといけない。アメリカと同盟を組んでいる自分たちを責めないといけない。日米安保をやめよう、アメリカの軍事覇権に引きずられないような新しい日米関係を築こうという形で運動しないといけない。安保を温存しておいて、その中で唯一の被爆国とか反核とか言っても説得力がない。自戒を込めて言っている。どうして私たちはそういう(矛盾した)ことを言っていられるか。ほとんどの安保のつけ、米軍基地被害を(沖縄に)押しつけたままでいられるからではないか。
 広島、長崎と沖縄をつなげて考えてほしい。岩国、呉、佐世保の基地の存在を考えると、今でも広島、長崎は大軍事拠点だ。それが分かっていて、どうして広島、長崎で反核とか平和とか言えるのだろうか。日米軍事同盟が沖縄に押し付け続けている基地被害を直視してほしい。

田中 ヘンリー・ウォレス【注12】のような真の民主主義者が有力な政治家となれるような社会環境は戦後、アメリカ、日本のみならず世界中でほとんど失われているのではないか。無能な政治家が次から次へと出てくるが、日本でも例外はあった。石橋湛山【注13】だ。この人はヘンリー・ウォレスを想起させる。最近では南アフリカのネルソン・マンデラ【注14】。ウォレスのような倫理的想像力を備えた政治家が活動できる社会を再びつくり上げるにはどうしたらいいか。もちろんアメリカでは軍産複合体制があり難しいが。

抵抗することの重要性
カズニック 単純な答えが存在しないような複雑な問いだ。ヘンリー・ウォレスは人物だったが、同時にとてもアメリカ人でもあった。名前が挙がらなかった中に、勇気と実行力、決断力を持った政治家としてゴルバチョフ【注15】がいる。彼はオバマ大統領に対して、理論と決断力をバックボーンに持つ人が出て来たと言っていたにもかかわらず、オバマは決して今そうなってはいない。むしろ反対の方向で存在している。
質問自体も二つの側面があると思う。例えばアメリカの公民権運動で有名なのはマーチン・ルーサー・キング【注16】だが、歴史家としていうとキングが公民権運動をつくったわけではない。公民権運動自体がマーチン・ルーサー・キングをつくったと思う。リーダーに力と決断力を与えるのは人びとだ。
 人びとがリーダーをつくると言っても、例えばアメリカの学生でヘンリー・ウォレスを知らない人が非常に多い。彼のようなビジョンを持つ人というのは歴史から消されてしまいがちだ。だからこそ私たちのドキュメンタリーは「The Untold History of The United States(語られなかったアメリカ史)」というタイトルを付けた。語られない側面を持つもう一人はジョン・F・ケネディ【注17】だ。強硬派として政治活動を始めたが1962年のキューバ危機を経て大きく転換した。世界がどれほど核戦争に近いかをみて、彼の方向は一気に変わった。政治家として、スタートした時のケネディと63年に暗殺された時のケネディは非常に異なっている。亡くなる直前は、ベトナム戦争を終わらせようとしたり、核実験禁止条約を導入しようとしたり、宇宙開発競争を止めようとしたりした政治家だった。
しかし、ドラマチックな方向転換は反対の方向に起こることがある。カーター大統領が一例だ。当初はみんな期待したが、大統領としての責務や軍産複合体からのプレッシャーで変わってしまった。オバマ大統領もそうなりつつあるのではないか。
 これまで語られなかったヒーローを歴史の中で伝えていくことのほかに、人々の抵抗の歴史を教えていかなくてはいけない。権力に対して、軍産複合体に対して、抵抗を続けてきた人たちがこれほどいるということを。私たちがドキュメンタリーを通して伝えたかったのは、歴史はもしかしたら違っていたかもしれない、ということだ。あともう少しで全く違った歴史になったかもしれないということを伝えたかった。人々に希望を与えたい。私たちは歴史を変えることができる、その可能性があったことを伝えたい。ベトナム戦争も、もっと早く終わらせることができた。抵抗していなければもっとひどいことになったことも、歴史の中にたくさんある。そこで抵抗していくことの重要性を伝えていかなくてはいけない。抵抗することは必要だ。世界中で抵抗している人たちを支えていきたい。

【注1】1945年8月のギャラップ世論調査。
【注2】さわだ・しょうじ 1931~。広島市出身の理論物理学者。名古屋大を退職後、原爆症認定集団訴訟の原告側証人。2007年に原爆残留放射線による内部被曝に関する論文を発表。福島原発事故でも、内部被曝への警鐘を発し続けている。原水爆禁止日本協議会代表理事。
【注3】「SAVAGES」 2012年製作。3人の男女が巨大麻薬組織を相手に闘う。
【注4】Stephen Joseph Harper 1959~。カナダ保守党党首。2006年に少数与党として政権を握る。11年の総選挙で過半数を獲得。
【注5】天皇詔書で該当する部分は以下のとおり。
 加之、敵は新に残虐なる爆弾を使用して、頻に無辜を殺傷し、惨害の及ぶ所、真に測るべからざるに至る。
 而も尚交戦を継続せむか、終に我が民族の滅亡を招来するのみならず、延て人類の文明をも破却すべし。
 斯の如くむは、朕何を以てか億兆の赤子を保し、皇祖皇宗の神霊に謝せむや。
 是れ朕が帝国政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり。
 朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるを得ず。
【注6】Atoms for Peace アイゼンハワー大統領が1953年の国連総会演説で表明した。国際原子力機関(IAEA)設立にもつながった。
【注7】きし・のぶすけ 1896~1987。山口市出身(本籍田布施町)。満州国国務院で要職を歴任、満州開発5カ年計画を手掛ける。東條内閣で商工相。戦後A級戦犯容疑で逮捕、不起訴。公職追放解除後に政界復帰。保守大合同で自由民主党の初代幹事長。石橋内閣総辞職後に政権を握る。60年に国民的大闘争の中で日米安保条約改定を強行した。
【注8】さとう・えいさく 1901~1975。山口県田布施町出身。岸信介の実弟。64~70年まで首相。67年に衆院予算委で非核三原則を表明。72年沖縄返還の日米交渉の過程で「沖縄への有事核持ち込み」を認める密約を結んでいたことが、交渉の密使だった若泉敬氏に暴露された。裏付けとなる合意議事録が佐藤の遺族によって保管されていたことが2009年に報道された。
【注9】麻生太郎副総理兼財務相は7月29日、都内であったシンポジウムで次のように話した。「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」
【注10】Howard Zinn 1922~2010。ニューヨーク市出身の歴史家。ボストン大名誉教授。「民衆のアメリカ史」のほか「反権力の世代」「テロリズムと戦争」など。
【注11】原題は「Saving Private Ryan」。1998年公開。スティーブン・スピルバーグ監督。主演はトム・ハンクス。ノルマンディー上陸作戦で、1兵士の救出に向かうストーリー。救出されるライアン2等兵役にマット・デイモン。
【注12】Henry Agard Wallace 1888~1965。アイオワ州出身。1941~45年、ルーズベルト政権で米副大統領。33~40年農務長官、45~46年商務長官。
【注13】いしばし・たんざん 1884~1973。東京都出身。ジャーナリストから46年に第1次吉田内閣の蔵相。54年に第1次鳩山内閣で通産相。56年、岸に競り勝って首相。脳梗塞で自宅で倒れ、在任65日で退陣した。
【注14】Nelson Rolihlahla Mandela 1918~。反アパルトヘイト運動で27年間投獄。90年に釈放後、アフリカ民族会議副議長。93年にノーベル平和賞。94年から99年まで南ア大統領。
【注15】Mikhail Sergeevich Gorbachev 1931~。1985年ソ連共産党書記長。ペレストロイカ(再建)とグラスノスチ(情報公開)を推進。90年ソ連大統領。翌年、ソ連は崩壊した。
【注16】Martin Luther King 1929~68。非暴力抵抗による公民権運動で64年にノーベル平和賞。68年、テネシー州メンフィスで暗殺された。
【注17】John Fitzgerald Kennedy 1947~63。61~63年アメリカ大統領。テキサス州ダラスで暗殺された。
【写真は、左から田中利幸、O・ストーン、1人おいてP・カズニック、1人おいて乗松聡子の各氏】

※「広島ジャーナリスト」は日本ジャーナリスト会議広島支部が年4回発行。B5判130㌻前後、1部500円。電話・ファクス082-231-3005。この記事は9月15日発行の「広島ジャーナリスト」14号に掲載。