太平洋戦争の開戦通告が遅れたのは、ワシントンの在米日本大使館の怠慢だったとする通説を覆し、陸軍と外務省は大使館をも欺いていたとする説が浮上している。米国に対する宣戦布告だけが注目されがちだが、日本は真珠湾攻撃に1時間以上先だってマレー半島のコタバルを攻撃しており、日本にとっては資源の獲得が目的だったことを考えると、こちらの方が直接的な攻撃目標だったはずだ。その4年前から続いていた日中戦争と同様に、米英への攻撃も宣戦布告なしで行われた。輸入資源の首根っこを押さえられていた米国からの経済制裁を避けるため、形式的には戦争状態にないと強弁してきたものが、大陸への侵略戦争を続行するために、ついに米国を相手に戦争を仕掛けたのだ。
またこの戦争を終わらせたのが原爆だったという通説も、ストーン監督とカズニック教授の『語られないアメリカ史』が描き出すように、実は膨大な犠牲を払ってナチスドイツを打ち負かしたソビエトが、次に日本相手に参戦したことが決定的な理由だったという反証が加えられている。原爆は戦争を終わらせるためではなく、トルーマンが東西冷戦への布石として投下したものだった。トルーマンは、フランクリン・ルーズベルト大統領4期目の副大統領から、ルーズベルトの死去により大統領に昇格した。『語られないアメリカ史』の大きなテーマのひとつは、前年の民主党大会で4期目の副大統領候補としてヘンリー・ウォレス続投が決まっていたら、ルーズベルト死去の時点でトルーマンではなくウォレスが大統領に就任していたはずであり、世界はずいぶん違ったものになったであろうということだ。
現実には、戦争は原爆投下で終わらず、冷戦となって継続した。そのときソ連の影響力が増していれば日本が朝鮮戦争の戦場になっていたであろう。日本が戦場になることを望むわけではないが、朝鮮が、日本の植民地化を受けてさんざんな目にあった挙句、解放された後にさらに戦場にされた不当を、私たちはどう理解すれば良いのだろう。分断統治と代理戦争が起きるとすれば、ドイツがそうであったように、それは戦争を仕掛けた側が受け止めねばならない苦難だったのではないか。
真珠湾から75年目に、ストーン監督とカズニック教授がアメリカCNNに寄稿した文章を翻訳して紹介する。
原文:http://edition.cnn.com/2016/12/08/asia/pearl-harbor-75-anniversary-essay/
前文・翻訳:酒井泰幸
2016年12月9日 CNN
真珠湾から75年目となる日に、もし日本が1941年12月7日に米国艦隊への攻撃を行わなかったら何が起きていたかを考えて欲しいと依頼を受けた。
前文・翻訳:酒井泰幸
真珠湾攻撃がなければ世界は違っていたか?
オリバー・ストーン、ピーター・カズニック共著2016年12月9日 CNN
真珠湾から75年目となる日に、もし日本が1941年12月7日に米国艦隊への攻撃を行わなかったら何が起きていたかを考えて欲しいと依頼を受けた。
日本が軍隊の復活を遂げつつあり、アメリカの挑発的なアジア「基軸」戦略を気まぐれなトランプ次期政権が再検討している中で、この疑問は興味深いとともに今日的な意味を帯びている。中国、日本、韓国についてのトランプの軽率な発言は、既にこの地域全体をかき乱している。
米国が第二次大戦に参戦した口実
真珠湾への襲撃は無謀だっただけではなく、最終的には自殺行為となるものだった。海軍史家のサミュエル・エリオット・モリソンは「戦略的愚行」と断じた。
日本人の多くは、攻撃の1週間前に昭和天皇・裕仁と面会した9人の首相経験者の大半も含め、攻撃には反対だった。だが東條英機首相の内閣は米国太平洋艦隊を破壊するためこの攻撃を承認した。日本が東南アジアの資源を利用するのをこの艦隊が阻む可能性があったからだ。
この日本の攻撃が、米国参戦のためルーズベルト大統領の求めていた口実を与えてしまった。アメリカ人は忌み嫌うナチスより連合国を圧倒的に支持し、日本から非人道的な扱いを受けた中国の窮状に同情したのかもしれないが、再び戦争に引き込まれたいと望む者はほとんどいなかった。第一次世界大戦の後味は苦いものだった。それは「全ての戦争を終わらせるための戦争」や「民主主義にとって安全な」世界を作るための戦争などではなかっただけでなく、強欲な銀行家と武器製造業者(いわゆる「死の商人」)を肥やしただけで、植民地搾取を終わらせることにはならなかった。
1941年までに、ルーズベルトは米国が日独両国と対立するよう秘かに誘導した。ドイツはヨーロッパのほとんどを征服しており、日本は満州とインドシナを占拠し中国に卑劣な戦争を仕掛けていた。ニューファンドランドで1941年8月に、ルーズベルトは「戦争を仕掛けるが、宣戦布告はしない」、そして「戦争につながるような『事象』を引き起こす」ためにあらゆる手立てを講ずるとチャーチルに語った。ルーズベルトはイギリスがドイツに敵対するのを公然と支持し、日本が切実に必要としていた石油、金属などの資源の輸出停止を決定したが、結果的にこれで十分だった。
真珠湾攻撃の1日後、ルーズベルトが演説した議会で、戦争決議案は反対票1票で承認された。その3日後、日本の同盟国であるドイツとイタリアが米国に宣戦布告した。
これによって大戦は後戻りできない状況となり、その後の世界は変わった。しかし次のようなシナリオもあり得たかもしれない。
日本が米国に宣戦布告していなかったので、アメリカはこの攻撃を卑劣な「だまし討ち」と見なした。アメリカの領土が攻撃され(米国は1898年に強制的にハワイを併合していた)、米国の諜報活動の驚くべき失敗が明らかとなり、危険な世界で米国が無防備であることへの恐怖が高まった。またこの攻撃は米国内の日系アメリカ市民と日本人移民に対する醜い差別を引き起こした。12万に近い日本人と日系アメリカ人が集められ、戦争の終わりまで強制収容所に収監された。
だがもし日本が真珠湾を攻撃していなかったとしても、太平洋戦争はほとんど同様の経過をたどっただろう。何年とは言わないまでも、何ヶ月も前から米国と日本は衝突する運命にあった。真珠湾攻撃があろうとなかろうと、この2カ国は戦争に向かっていた。
ほとんどのアメリカ人が忘れていることは、1941年12月7日に日本が攻撃したのは真珠湾だけではなかったことだ。ルーズベルトが12月8日に議会で話したように、日本は真珠湾以外にも、イギリス植民地の香港とイギリス領マラヤ、フィリピンの米国植民地と、グアム、ウェーク島、ミッドウェー島の米国保有地を攻撃した。実際、イギリス領マラヤへの攻撃は真珠湾への襲撃に1時間以上先だって行われた。さらに、ルーズベルトは言及しなかったが、日本はタイに侵攻した。日本は当時イギリス領マラヤの一部だったシンガポールも攻撃した。
米国当局は1940年8月の日本の外交暗号を解読し、日本の戦争計画の監視が可能になっていた。攻撃が迫っていることは分かっていた。思いもしなかったのは真珠湾が攻撃されることだった。想定していた最も可能性の高い攻撃目標は、石油資源が豊富なオランダ領東インド(インドネシア)、イギリス領マラヤ、フィリピンだった。
日本がフィリピン、グアム、ウェーク島、ミッドウェー島の米軍基地を攻撃したことは、米国を参戦させたがっている米国大統領にとって十分すぎるほどの挑発だったはずだ。フィリピンだけでも、アメリカの敗北の損害は膨大なもので、2万3000のアメリカ人と、おそらく10万のフィリピン人の軍人が戦死または捕虜となった。
その時点までに、米国とイギリスは合計約10のドイツ師団と対決していたが、ソビエトは自力で200近い師団と対決していた。ドイツを2つの戦線で戦わせることで戦争の終結を早めたのは確かだが、結果が変わったわけではない。
アメリカの神話とは反対に、ソビエトこそヨーロッパでの勝利の最大の功労者に値する。またソビエトはこれを実行するために膨大な犠牲を払った。ドイツの手によって命を落としたソビエト人の2700万人という数字は、9.11が毎日続けて27年間起きるのに等しい。またこれは真珠湾攻撃が毎日続けて30年間起きるのに等しい。
チャーチルがボルシェビキ思想を忌み嫌っていたにもかかわらず、イギリスはソビエトに多大な恩を受けており、ソビエトがいなかったらイギリス人は現在ドイツ語を話していたかもしれない。イギリスはアメリカにも多大な借りがあり、アメリカがいなければイギリス人はロシア語を話していたかもしれないのだ。
米国が実際に参戦することなく連合国陣営の「兵器庫」に留まっていたら、ヨーロッパの様相がどのように違っていたかを考えてみるのは興味深い。ドイツとイタリアが1941年12月11日に米国に宣戦布告したのは思いがけないことで、これがなければルーズベルトはアメリカの参戦に別の理由を見つける必要があっただろう。
もし米国が欧州戦線に参戦しなかったら、ソビエトと西側諸国の境界線はどこに引かれていただろうか? 西ドイツとフランスが持つ大きな潜在的資産を、もしソビエトの指導者たちが利用できたら、ソビエト経済はどのように発展していただろうか? 不況と戦争で破壊された資本主義経済の再建を、もし米国が支援する立場になかったら、社会主義は戦後世界でより実行可能性のある選択肢と映っただろうか?
もしルーズベルト大統領が1944年の4選出馬の時に、非常に狭量なハリー・トルーマンではなく、先見の明をもち論争をいとわないヘンリー・ウォレス副大統領を公認候補者リストに留めていたら、何が起こっていただろうか?
保守的な民主党の指導者たちが反対していたにもかかわらず、ルーズベルトは、自分の妻と子供たちや大多数のアメリカ人が望んだように、ウォレスを公認候補者リストに留任させるよう強く主張しうる道徳的権限と政治的影響力を持っていた。
1944年7月20日、シカゴで開催された民主党大会の初日に発表された米国のギャラップ世論調査は、民主党有権者の65%が圧倒的に人気の高いウォレスを副大統領として公認候補者リストに戻すことを望んでいると報じた。トルーマンを望んでいたのは2%だった。トルーマンの選出につながった党内部の陰謀は、ほとんどのアメリカ人には馴染みのない下劣な話だ。
1945年4月にルーズベルトが死んだとき、もしトルーマンではなくウォレスが大統領になっていたら、日本への原爆投下はなく、おそらく冷戦もなかっただろう。
ウォレスが思い描いていたのは、米ソ間の友好と両体制間の健全な競争で、自分たちの方が人類の要求を満たすのに適していることを示そうと各々が競い合う姿だった。ソビエトのほとんどを荒廃させた戦争から再建を支援するためルーズベルトがちらつかせていたソビエトへの100億ドルの貸付を、ウォレスは実行しただろう。このことがソビエトの占領したヨーロッパに与えたかもしれない好影響は計り知れない。
もう一つ注目に値するのは、ウォレスは植民地主義の猛烈な反対者だったことだ。ウォレスは英仏の植民地帝国を公の場で痛烈に非難したので、イギリスのチャーチル首相とフランスはルーズベルトにウォレスを公認候補者リストから外させようと圧力をかけた。ルーズベルトは植民地帝国に関してウォレスの見解に大筋で一致していた。ルーズベルトはイギリスのガンビア支配を非難し「私の人生で見た中で最も悲惨なもの」と呼んだ。彼はオランダ領東インドの搾取とフランスのインドシナ支配も同様だと感じ、戦後にフランスを復帰させないと主張した。
ルーズベルトは、「仏英蘭の近視眼的な強欲のためにアメリカ人が太平洋で死ぬなどと、一瞬たりとも考えるな」と私的な所感を述べたことからも、太平洋戦争が帝国主義競争に根ざしていることをある程度は理解した。フィリピンから日本軍を追い出したら「即刻」独立させると彼は死の直前に約束した。
ルーズベルトはこの問題で立場が揺らぐことが多かったが、ウォレスは一貫していた。植民地搾取とそれを正当化した人種差別主義に対するウォレスの憎悪は確固としたものだった。もし戦争の直後に植民地主義を平和的に終わらせることができたら、どれだけの命が救われ、どれだけの苦難を避けることができただろう。
アメリカの神話では、2発の原爆が戦争を終わらせ、アメリカの日本本土侵攻を未然に防ぐことで人道的に何百万ものアメリカ人と日本人の命を救ったと考えられている。原爆投下を擁護する人々によれば、1950年までに死亡した広島の20万人と長崎の14万人は、小さな代償だったという。
しかし圧倒的な証拠を元に『語られないアメリカ史』で描いたように、戦争を終わらせたのは、満州、南樺太、千島列島、朝鮮半島へのソビエトの侵攻で、これが1945年8月8日の真夜中に始まって日本を降伏に追い込んだのであって、原爆の結果ではなかった。
米国の諜報機関はこのような結末を何ヶ月も前から予測しており、ソビエトの参戦が決定打になることをトルーマンは認識していた。7月17日のポツダムで、トルーマンは日記にこう書いている。スターリンは「8月15日にジャップと戦争を始めるだろう。そうなればジャップは終わりだ」。トルーマンは7月18日に傍受した電文を「和平を求めるジャップの天皇からの電報」と見なした。終戦の時は近づいており原爆は必要ないことをトルーマンは知っていた。
もし原爆がこの戦争で使われていなかったら、この原爆投下が引き起こした核軍拡競争を米国とソ連は避けることができただろうか? ソビエトの指導者は原爆が日本を打ち負かすのに必要なかったことを十分理解していたので、原爆の使用をソビエトへの警告と解釈した。つまり、もしソビエトが米国の戦後計画に干渉した場合、米国がソビエトに与えるであろう破壊を示したのだ。それ以来ずっと私たちは地球上の全生命絶滅の脅威とともに生きている。
ワシントンD.C.の米国海軍博物館が公式に認めるように、日本の運命はソビエトが侵攻したときに封じられた。日本は可能性が残っている間にアメリカに対して降伏することを急いだ。ソビエトに奪取されたら天皇制だけでなくこれを支える資本主義も終わると知っていたからだ。最初は、米国の占領は比較的柔和で、ある意味では見識あるものだった。米国は日本に平和憲法を課し、これが国権の発動としての戦争を否定し、攻撃用軍事力の保有を禁じた。いま安倍晋三政権が骨抜きにしようとしているのは、これら先進的な考えをもつ原則なのだ。
もしソビエトが日本占領にもっと大きな影響力を持っていたら、日本は朝鮮半島のように冷戦の戦場となっていたかもしれない。ロシア人はドイツで直面したように日本の再建と獲得という矛盾する圧力の間で引き裂かれていただろうか? ロシア人が日本人に対して抱いていた敵意は、ドイツ人への憎悪と不信に比べれば色あせて見える。ドイツ人の手には大量のソビエト人の血が付いていたからだ。私たちが知っているように、米国は戦後日本への進歩的な展望を急速に捨て去り、不安定なアジア太平洋地域で西側資本主義権益の軍事的・経済的な前哨基地として日本を再建することを目指した。どちらにしても、日本の自動車が世界を運び、日本の電子機器が世界を繋ぎ、寿司が世界の腹を満たすよう運命づけられた。しかし、日本の軍国主義の再興を阻止するか、もっと遅らせることができれば、世界はもっと良い状態になるだろう。
第二次世界大戦とそれに伴う膨大な殺戮、信じがたいほどの人命の損失、殺人と破壊を最大化する技術の投入、そして人種差別主義、外国人嫌悪、民族・宗教的な偏見に充ち満ちた人間性の醜悪な側面の誇示は、恐怖と憎悪と国家主義の力を解き放ったときに何が起きるかを示す教訓となる。
その同じ力のいくつかが、現在の世界に蔓延している。真珠湾はこれを思い出させてくれる。だが75年以上前に地球を覆い尽くしたこの恐怖が繰り返されることを防ぐためにも、私たちはこの歴史から注意して正しい教訓を引き出す必要がある。
----------------------------------------
オリバー・ストーンはアカデミー賞を受賞したハリウッド作家で映画監督。ピーター・カズニックはアメリカン大学歴史学部教授、核問題研究所長。二人は共同で『語られないアメリカ史』と題したドキュメンタリー番組を制作し、同名の本を出版した。[日本での題名は『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』]。ここに記された見解は著者のみのものである。(CNN注)
参考リンク:
オリバー・ストーン監督、米日韓加中英豪沖台の専門家など53名 真珠湾訪問に際し安倍首相の歴史認識を問う
安倍首相による戦争被害者の政治利用は許さない!-日本の専門家たちの声
しかし真珠湾攻撃の成功は部分的でしかなかった。日本軍は米国艦隊に著しい損害を与え2335人の米国兵士と68人の民間人を殺害したとはいえ、日本の攻撃は致命的なものではなかった。米国艦隊の3隻の空母は攻撃が起きたとき真珠湾にはなく、損傷した艦船と航空機の多くは修復可能だった。このことが翌年6月には日本に仇(あだ)となって帰ってくる。それら空母の2隻を含む米軍が、ミッドウェー海戦で日本の空母4隻を沈め、太平洋戦争を米国の優勢に転じた。
この日本の攻撃が、米国参戦のためルーズベルト大統領の求めていた口実を与えてしまった。アメリカ人は忌み嫌うナチスより連合国を圧倒的に支持し、日本から非人道的な扱いを受けた中国の窮状に同情したのかもしれないが、再び戦争に引き込まれたいと望む者はほとんどいなかった。第一次世界大戦の後味は苦いものだった。それは「全ての戦争を終わらせるための戦争」や「民主主義にとって安全な」世界を作るための戦争などではなかっただけでなく、強欲な銀行家と武器製造業者(いわゆる「死の商人」)を肥やしただけで、植民地搾取を終わらせることにはならなかった。
1941年までに、ルーズベルトは米国が日独両国と対立するよう秘かに誘導した。ドイツはヨーロッパのほとんどを征服しており、日本は満州とインドシナを占拠し中国に卑劣な戦争を仕掛けていた。ニューファンドランドで1941年8月に、ルーズベルトは「戦争を仕掛けるが、宣戦布告はしない」、そして「戦争につながるような『事象』を引き起こす」ためにあらゆる手立てを講ずるとチャーチルに語った。ルーズベルトはイギリスがドイツに敵対するのを公然と支持し、日本が切実に必要としていた石油、金属などの資源の輸出停止を決定したが、結果的にこれで十分だった。
真珠湾攻撃の1日後、ルーズベルトが演説した議会で、戦争決議案は反対票1票で承認された。その3日後、日本の同盟国であるドイツとイタリアが米国に宣戦布告した。
これによって大戦は後戻りできない状況となり、その後の世界は変わった。しかし次のようなシナリオもあり得たかもしれない。
何年も前から衝突する運命にあった米国と日本
真珠湾攻撃はいくつかの理由でアメリカ人の心象の中に大きな位置を占めてきた。日本が米国に宣戦布告していなかったので、アメリカはこの攻撃を卑劣な「だまし討ち」と見なした。アメリカの領土が攻撃され(米国は1898年に強制的にハワイを併合していた)、米国の諜報活動の驚くべき失敗が明らかとなり、危険な世界で米国が無防備であることへの恐怖が高まった。またこの攻撃は米国内の日系アメリカ市民と日本人移民に対する醜い差別を引き起こした。12万に近い日本人と日系アメリカ人が集められ、戦争の終わりまで強制収容所に収監された。
だがもし日本が真珠湾を攻撃していなかったとしても、太平洋戦争はほとんど同様の経過をたどっただろう。何年とは言わないまでも、何ヶ月も前から米国と日本は衝突する運命にあった。真珠湾攻撃があろうとなかろうと、この2カ国は戦争に向かっていた。
ほとんどのアメリカ人が忘れていることは、1941年12月7日に日本が攻撃したのは真珠湾だけではなかったことだ。ルーズベルトが12月8日に議会で話したように、日本は真珠湾以外にも、イギリス植民地の香港とイギリス領マラヤ、フィリピンの米国植民地と、グアム、ウェーク島、ミッドウェー島の米国保有地を攻撃した。実際、イギリス領マラヤへの攻撃は真珠湾への襲撃に1時間以上先だって行われた。さらに、ルーズベルトは言及しなかったが、日本はタイに侵攻した。日本は当時イギリス領マラヤの一部だったシンガポールも攻撃した。
米国当局は1940年8月の日本の外交暗号を解読し、日本の戦争計画の監視が可能になっていた。攻撃が迫っていることは分かっていた。思いもしなかったのは真珠湾が攻撃されることだった。想定していた最も可能性の高い攻撃目標は、石油資源が豊富なオランダ領東インド(インドネシア)、イギリス領マラヤ、フィリピンだった。
日本がフィリピン、グアム、ウェーク島、ミッドウェー島の米軍基地を攻撃したことは、米国を参戦させたがっている米国大統領にとって十分すぎるほどの挑発だったはずだ。フィリピンだけでも、アメリカの敗北の損害は膨大なもので、2万3000のアメリカ人と、おそらく10万のフィリピン人の軍人が戦死または捕虜となった。
ソビエトは欧州戦線勝利の最大の功労者に値する
太平洋戦争では連合国の勝利のため米国の参戦が絶対的に重要だったのに対し、ヨーロッパで枢軸国を打ち負かしたことへの米国の関与はそれほど重要ではなかった。実際、もし米国が欧州戦線に参戦しなかったとしても、結果は同じだっただろう。ルーズベルトがヨーロッパ第二戦線への参戦を公表してから1年半後に、米国とイギリスがようやくフランスの西部戦線で口火を切ったとき、ロシアはすでに形勢を逆転しドイツ軍はヨーロッパ全土で全面撤退中だった。その時点までに、米国とイギリスは合計約10のドイツ師団と対決していたが、ソビエトは自力で200近い師団と対決していた。ドイツを2つの戦線で戦わせることで戦争の終結を早めたのは確かだが、結果が変わったわけではない。
アメリカの神話とは反対に、ソビエトこそヨーロッパでの勝利の最大の功労者に値する。またソビエトはこれを実行するために膨大な犠牲を払った。ドイツの手によって命を落としたソビエト人の2700万人という数字は、9.11が毎日続けて27年間起きるのに等しい。またこれは真珠湾攻撃が毎日続けて30年間起きるのに等しい。
チャーチルがボルシェビキ思想を忌み嫌っていたにもかかわらず、イギリスはソビエトに多大な恩を受けており、ソビエトがいなかったらイギリス人は現在ドイツ語を話していたかもしれない。イギリスはアメリカにも多大な借りがあり、アメリカがいなければイギリス人はロシア語を話していたかもしれないのだ。
米国が実際に参戦することなく連合国陣営の「兵器庫」に留まっていたら、ヨーロッパの様相がどのように違っていたかを考えてみるのは興味深い。ドイツとイタリアが1941年12月11日に米国に宣戦布告したのは思いがけないことで、これがなければルーズベルトはアメリカの参戦に別の理由を見つける必要があっただろう。
もし米国が欧州戦線に参戦しなかったら、ソビエトと西側諸国の境界線はどこに引かれていただろうか? 西ドイツとフランスが持つ大きな潜在的資産を、もしソビエトの指導者たちが利用できたら、ソビエト経済はどのように発展していただろうか? 不況と戦争で破壊された資本主義経済の再建を、もし米国が支援する立場になかったら、社会主義は戦後世界でより実行可能性のある選択肢と映っただろうか?
もしルーズベルトがヘンリー・ウォレスを副大統領に留めていたら?
第二次世界大戦に関して検討に値する興味深い「もしも」は他にもいくつかあり、その中にはドキュメンタリー映像と書籍シリーズ『語られないアメリカ史』で取り上げたものもある。もしルーズベルト大統領が1944年の4選出馬の時に、非常に狭量なハリー・トルーマンではなく、先見の明をもち論争をいとわないヘンリー・ウォレス副大統領を公認候補者リストに留めていたら、何が起こっていただろうか?
保守的な民主党の指導者たちが反対していたにもかかわらず、ルーズベルトは、自分の妻と子供たちや大多数のアメリカ人が望んだように、ウォレスを公認候補者リストに留任させるよう強く主張しうる道徳的権限と政治的影響力を持っていた。
1944年7月20日、シカゴで開催された民主党大会の初日に発表された米国のギャラップ世論調査は、民主党有権者の65%が圧倒的に人気の高いウォレスを副大統領として公認候補者リストに戻すことを望んでいると報じた。トルーマンを望んでいたのは2%だった。トルーマンの選出につながった党内部の陰謀は、ほとんどのアメリカ人には馴染みのない下劣な話だ。
1945年4月にルーズベルトが死んだとき、もしトルーマンではなくウォレスが大統領になっていたら、日本への原爆投下はなく、おそらく冷戦もなかっただろう。
ウォレスが思い描いていたのは、米ソ間の友好と両体制間の健全な競争で、自分たちの方が人類の要求を満たすのに適していることを示そうと各々が競い合う姿だった。ソビエトのほとんどを荒廃させた戦争から再建を支援するためルーズベルトがちらつかせていたソビエトへの100億ドルの貸付を、ウォレスは実行しただろう。このことがソビエトの占領したヨーロッパに与えたかもしれない好影響は計り知れない。
もう一つ注目に値するのは、ウォレスは植民地主義の猛烈な反対者だったことだ。ウォレスは英仏の植民地帝国を公の場で痛烈に非難したので、イギリスのチャーチル首相とフランスはルーズベルトにウォレスを公認候補者リストから外させようと圧力をかけた。ルーズベルトは植民地帝国に関してウォレスの見解に大筋で一致していた。ルーズベルトはイギリスのガンビア支配を非難し「私の人生で見た中で最も悲惨なもの」と呼んだ。彼はオランダ領東インドの搾取とフランスのインドシナ支配も同様だと感じ、戦後にフランスを復帰させないと主張した。
ルーズベルトは、「仏英蘭の近視眼的な強欲のためにアメリカ人が太平洋で死ぬなどと、一瞬たりとも考えるな」と私的な所感を述べたことからも、太平洋戦争が帝国主義競争に根ざしていることをある程度は理解した。フィリピンから日本軍を追い出したら「即刻」独立させると彼は死の直前に約束した。
ルーズベルトはこの問題で立場が揺らぐことが多かったが、ウォレスは一貫していた。植民地搾取とそれを正当化した人種差別主義に対するウォレスの憎悪は確固としたものだった。もし戦争の直後に植民地主義を平和的に終わらせることができたら、どれだけの命が救われ、どれだけの苦難を避けることができただろう。
原爆投下がなかった世界
第2の「もしも」は、広島と長崎に原爆を使うことなく第二次世界大戦が終わっていたら何が起きただろうかというものだ。アメリカの神話では、2発の原爆が戦争を終わらせ、アメリカの日本本土侵攻を未然に防ぐことで人道的に何百万ものアメリカ人と日本人の命を救ったと考えられている。原爆投下を擁護する人々によれば、1950年までに死亡した広島の20万人と長崎の14万人は、小さな代償だったという。
しかし圧倒的な証拠を元に『語られないアメリカ史』で描いたように、戦争を終わらせたのは、満州、南樺太、千島列島、朝鮮半島へのソビエトの侵攻で、これが1945年8月8日の真夜中に始まって日本を降伏に追い込んだのであって、原爆の結果ではなかった。
米国の諜報機関はこのような結末を何ヶ月も前から予測しており、ソビエトの参戦が決定打になることをトルーマンは認識していた。7月17日のポツダムで、トルーマンは日記にこう書いている。スターリンは「8月15日にジャップと戦争を始めるだろう。そうなればジャップは終わりだ」。トルーマンは7月18日に傍受した電文を「和平を求めるジャップの天皇からの電報」と見なした。終戦の時は近づいており原爆は必要ないことをトルーマンは知っていた。
もし原爆がこの戦争で使われていなかったら、この原爆投下が引き起こした核軍拡競争を米国とソ連は避けることができただろうか? ソビエトの指導者は原爆が日本を打ち負かすのに必要なかったことを十分理解していたので、原爆の使用をソビエトへの警告と解釈した。つまり、もしソビエトが米国の戦後計画に干渉した場合、米国がソビエトに与えるであろう破壊を示したのだ。それ以来ずっと私たちは地球上の全生命絶滅の脅威とともに生きている。
ワシントンD.C.の米国海軍博物館が公式に認めるように、日本の運命はソビエトが侵攻したときに封じられた。日本は可能性が残っている間にアメリカに対して降伏することを急いだ。ソビエトに奪取されたら天皇制だけでなくこれを支える資本主義も終わると知っていたからだ。最初は、米国の占領は比較的柔和で、ある意味では見識あるものだった。米国は日本に平和憲法を課し、これが国権の発動としての戦争を否定し、攻撃用軍事力の保有を禁じた。いま安倍晋三政権が骨抜きにしようとしているのは、これら先進的な考えをもつ原則なのだ。
もしソビエトが日本占領にもっと大きな影響力を持っていたら、日本は朝鮮半島のように冷戦の戦場となっていたかもしれない。ロシア人はドイツで直面したように日本の再建と獲得という矛盾する圧力の間で引き裂かれていただろうか? ロシア人が日本人に対して抱いていた敵意は、ドイツ人への憎悪と不信に比べれば色あせて見える。ドイツ人の手には大量のソビエト人の血が付いていたからだ。私たちが知っているように、米国は戦後日本への進歩的な展望を急速に捨て去り、不安定なアジア太平洋地域で西側資本主義権益の軍事的・経済的な前哨基地として日本を再建することを目指した。どちらにしても、日本の自動車が世界を運び、日本の電子機器が世界を繋ぎ、寿司が世界の腹を満たすよう運命づけられた。しかし、日本の軍国主義の再興を阻止するか、もっと遅らせることができれば、世界はもっと良い状態になるだろう。
第二次世界大戦とそれに伴う膨大な殺戮、信じがたいほどの人命の損失、殺人と破壊を最大化する技術の投入、そして人種差別主義、外国人嫌悪、民族・宗教的な偏見に充ち満ちた人間性の醜悪な側面の誇示は、恐怖と憎悪と国家主義の力を解き放ったときに何が起きるかを示す教訓となる。
その同じ力のいくつかが、現在の世界に蔓延している。真珠湾はこれを思い出させてくれる。だが75年以上前に地球を覆い尽くしたこの恐怖が繰り返されることを防ぐためにも、私たちはこの歴史から注意して正しい教訓を引き出す必要がある。
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オリバー・ストーンはアカデミー賞を受賞したハリウッド作家で映画監督。ピーター・カズニックはアメリカン大学歴史学部教授、核問題研究所長。二人は共同で『語られないアメリカ史』と題したドキュメンタリー番組を制作し、同名の本を出版した。[日本での題名は『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』]。ここに記された見解は著者のみのものである。(CNN注)
(翻訳終わり)
参考リンク:
オリバー・ストーン監督、米日韓加中英豪沖台の専門家など53名 真珠湾訪問に際し安倍首相の歴史認識を問う
安倍首相による戦争被害者の政治利用は許さない!-日本の専門家たちの声
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