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Saturday, June 16, 2018

『月刊イオ』寄稿 「”蚊帳の外”・日本はどうする」 What should Japan do in the peace process of Korean Peninsula?

月刊イオ』7月号に掲載された記事を許可を得て転載します。これは、5月末に書いた記事です。あれから米朝首脳会談が6月12日にシンガポールで開催され、トランプ大統領は記者会見で在韓米軍の撤退や米韓軍事演習の中止に言及しました。この記事で提案した2.(米韓日の軍事的脅威の削減)については米国側からぐっと前進したのではないかと思います。いっぽう日本は相変わらず、政府もメディアも「拉致問題」の連呼を続け、軍事演習についても、小野寺防衛相は「その重要性に変わりはない」といった発言で、和平を妨害するような行動が目立ちます。

★この記事の拡散はこの投稿のURL
http://peacephilosophy.blogspot.com/2018/06/what-should-japan-do-in-peace-process.html
の共有でお願いします。記事画像を取り出して転載することは、著者と、『イオ』の許可なしにはできません。

★この記事の最後に触れている、朝鮮学校差別に反対するカナダ市民の声明はここにあります。

画面をクリックすれば拡大できます。

仲宗根勇「12・26とは何か 〜翁長知事が招いた辺野古裁判敗訴の分水嶺〜」

元裁判官の仲宗根勇氏は辺野古の現場での闘いの最前線に身を置きながら基地阻止のための建設的問題提起を続けている。氏が6月15日に自らのフェースブックに綴った文は仲井眞前知事の埋め立て承認時から現在までの経緯を振り返る貴重な記録であると同時に、翁長知事の「撤回」が待たれる中、辺野古側の護岸工事がもうすぐ終了し、土砂の投入を待たずとも、囲まれた海の生物多様性が重大な危機にさらされるという状況下、疑問を持つ県民も多い中で見切り発車した「県民投票」に揺れる運動現場からの声である。

K4護岸 ②工区側 あと100メートルほどでつながってしまう
(6月13日 乗松聡子撮影)


本文より:
知事就任から3年余を経過した現在においてなお、撤回原因を法的に検討すると主張して、翁長知事が承認撤回を逡巡する真の理由は何なのか。県民の間で大きな疑問が持たれている。安倍政権下の三権分立に幻想を抱き、裁判における「民意」の効力を法的根拠なく安易に過大評価する県民投票実施論は、辺野古新基地建設阻止を目的とするものとは思えず、翁長県政継続に何らかの「既得権益」をもつ特定の党派・団体・個人が、撤回を逡巡して窮地に立っている翁長知事の再選戦略をカムフラージュする政治的主張に他ならないと考える。


12・26とは何か  
〜翁長知事が招いた辺野古裁判敗訴の分水嶺〜

法的・政治的思想なき県民投票の流れを撃つ

仲宗根勇(元裁判官・うるま市「島ぐるみ会議」共同代表)

仲井真弘多前知事は、怪しげな面会謝絶の東京都内病院入院後、再選時の普天間基地県内移設反対の公約を破り、2013年の御用納めの前日12月27日にあたふたと辺野古埋め立てを承認した。2014年11月16日の県知事選挙では、県内移設容認に転じて三選を目指した仲井真知事に約10万票の大差をつけて辺野古新基地反対を掲げた「オール沖縄」の翁長雄志氏が当選した。その後の辺野古埋め立て工事は、2度(2015年8月10日からの1か月間、和解が成立した2016年3月4日から承認取り消しを取り消した2016年12月26日までの間)の工事中止を挟み、着々と進められた。完成近いK4護岸とすでに完成したN5護岸・N3護岸に囲われる水域に8月17日にも土砂が投入される事態にまで立ち至っている。

引き返し不可能な時点が近づくこうした現在の緊迫した状況下で、昨年から各所の論争で現れては消えていた、辺野古新基地建設の是非を問う県民投票実施論が県民投票に消極的な「オール沖縄」から脱退した「かねひで」、「かりゆし」など経済人らの主導で息を吹き返した。それまでは、「オール沖縄」はじめ県内世論の主流は県民投票に否定的であった。しかるに、あろうことか社民党県連が口火を切り社大党そして共産党までも流れに乗って、県政全与党が県民投票推進に全面協力する県民投票推進陣営に鞍替えした。6月15日には自治労県本部まで県民投票に協力する決定をした。

しかし、今や、知事就任以来、かくも長き翁長知事の不可思議な「承認撤回」不在に対し、翁長氏を知事に押し上げ辺野古の反対現場で戦う多数の県民は県政=翁長知事に不信感を隠さず、同時に党利党略で県民投票推進論者に豹変した思想なき「革新」政党、労働団体に対する政治不信が広がっている。日頃のゲート前には姿を見せず、県民多数が集結する大きな集会には顔を出して演説をし、いつの間にさっさと現場から姿を消す議員先生やダラ幹たちに、本当に辺野古新基地を阻止する気があるのか。

この時点での県民投票の持つ諸々のリスク(稚拙な県民投票運動組織・投票率50パーセント以下となった場合の投票の無意味化・投票結果の勝敗リスクの不確実さ=基地建設賛成が多数となった場合の反対運動への壊滅的影響・その責任は誰がとるのか、反あるいは非翁長派首長自治体=「チーム沖縄」の投票実施への非協力・意識的投票棄権運動の恐れや条例制定までの5〜6億円の県予算措置の必要性・権力私物化が強く疑われる森友問題などについて関係者全てを不起訴にした特捜検察も含め、安倍政権下で行政に従属する司法に見られる三権分立崩壊の現実など)を十分に考えての「変身」なのか。

県民投票のデメリットはあまりに多く、県民投票は、政府の思う壺である工事の進行を投票結果が出るまでの5〜6か月以上も進行させる結果を招く。投票結果が「建設反対多数」の民意であっても、それに法的拘束力はなく裁判上の決定的効力はないのに、「裁判所はこれを無視できず」(「辺野古」県民投票の会の広報紙)などというのは、「県民が必ず責任ある1票を投じるはずである」とのたまうさる大学教授に代表される県民投票論者の、法的根拠のない無責任な希望的観測ないしは幻想にしか過ぎない。

投票率が50パーセント以下の極端に低い結果に終った場合や、県民投票推進運動が運動途中で頓挫し、たとえ、県民投票実施まで至らなくても、それまで無駄に空費された時間とエネルギーは辺野古新基地阻止運動のエネルギーを分断・消耗させ、さらなる工事強行の絶好の口実を政府に与え、これまでの数多の選挙で示してきた辺野古新基反対の沖縄の圧倒的民意をも覆滅しかねない危険な愚挙以外のものではない。新基地建設工事が機動隊に守られて粛々と進む辺野古現場の状況を知らず、安倍政権下の三権分立に幻想を抱き、投票結果である「民意」の効力を法的根拠なく裁判において過大に働くと素朴に評価する県民投票実施論者の実体は、辺野古新基地建設阻止を本来の目的とするものとは思えず、翁長県政継続に何らかの「既得権益」をもつ特定の党派・労組・団体・個人が、撤回を逡巡して窮地に追い込まれている翁長氏の今年11月の知事再選戦略をカムフラージュする政治的主張に他ならないと考える。

翁長知事就任から承認撤回を未だにしない現在までの辺野古新基地建設問題をめぐる国と沖縄県との間の法律関係と裁判の経過を時系列で追ってみると、知事が埋め立て承認取消しを取り消した(取消処分の取り消し)2016年12月26日が辺野古裁判の勝敗を分かつ分水嶺となったことが明白となる。取消処分の取り消しにより前知事の埋め立て承認が復活し、翌日12月27日から工事が再開され現在に至っているからである。時系列の大略は、次のとおりである。

2013年12月27日・仲井真弘多知事が辺野古埋め立てを承認→2015年7月16日・第三者委員会が承認の法的瑕疵を検証した報告書を翁長雄志知事に手交→2015年8月4日政府が8月10日から1か月間工事を中断し県と集中協議をすると発表(5回にわたる協議は不調)→2015年10月13日・第三者委員会の検証結果に基づき知事が承認を取り消す→2015年10月27日・行政不服審査法に基づき国交相が知事の取消処分の執行を停止→2016年3月4日・代執行訴訟で和解成立・同時に工事中止→2016年3月7日・和解条項に基づき国が知事に対し取消処分の是正を指示→2016年3月23日・県が国地方係争処理委員会(係争委)に是正指示の審査申し立て→2016年6月17日・係争委が是正指示の適法違法の判断を回避し双方に「真摯な協議」を求める決定→係争委の決定に従い、県は、和解条項第5項、第6項に基づく1週間以内(地方自治法上は国の関与があった日から30日以内)の地方自治法所定の是正の指示の取消訴訟を提訴せず→2016年7月22日・国が是正指示の不作為違法確認訴訟を福岡高裁那覇支部に提訴→2016年9月16日・同支部で県敗訴判決→2016年12月20日・最高裁で県の上告棄却判決(=高裁判決の確定)→2016年12月26日・知事が埋め立て承認取消しを取り消す→承認が復活し、翌日12月27日から工事が再開された。

こうして、翁長知事就任後の新基地問題をめぐる県と国との法律関係は、知事の2016年12月26日の承認取消しの取り消しの結果、3年前の2013年12月27日の時点の出発点に戻り、前知事当時の県と国との法律関係に復帰し埋め立て承認が復活した。その結果、翁長知事の承認取り消しに端を発する沖縄県の国との法廷闘争の結果はゼロと化し、知事就任後3年余という歳月だけが無意味に流れた。すなわち、公有水面埋め立て承認手続に関する第三者委員会が前知事の承認処分の法的瑕疵を約半年間もかけて検証し瑕疵の存在を指摘した報告書並びに工事中止に目がくらみ和解条項(特に第9項に潜むワナ)を十分吟味せず「和解に県のデメリットはなく県の勝訴と同然」と和解に秘められた安倍官邸の思惑に深く考慮をめぐらさず、あたふたと成立させた代執行訴訟での和解成立に有頂天になっていた県の訴訟代理人たちの自画自賛もすべて白日夢と化した。

最高裁の判決前から翁長知事は、判決後に承認取消しの取り消しをするという発言を繰り返していた。これを問題視する団体はオール沖縄の中にはなく、唯一、私(たち)の運動体のみが早くから高江の集会現場で訴え、那覇市内で承認取消しの取り消しをするな、との反対ビラを撒き、私(たち)に呼応して2016年12月26日の早朝に県庁ロビーや知事公舎前に集結した100人足らずの仲間たちが、承認取消しの取り消しをする法的理由はないと知事に訴え、同時に適時の承認撤回も要請した。私たちが、12月26日に県知事に提出した要請書の要請理由は、最高裁判決により確定した福岡高裁那覇支部の確認訴訟判決に執行力はないこと、辺野古新基地建設問題をめぐり敗訴した確認訴訟は3月4日に成立した和解とは関係ない訴訟であり、したがって管官房長官がしきりに主張する和解条項第9項の適用の根拠はないこと、その確認訴訟の敗訴判決からは承認取消しを取り消す法的義務は生じないこと、「判決に従う」旨の知事の法廷での陳述は承認取消しの取り消しの理由にはならないこと、承認取消しの取り消しの法的効果は即時に前知事の承認を復活させ工事再開に結びつき工事阻止を最終的に不可能にするほど絶大なものであること、和解条項第9項の義務を指摘していた確認訴訟提訴までの政府の声明や対応を考えると、今後の知事の諸種の権限行使を有名無実化ないし無効にして工事を強行する政府の策動が危惧される、というものであった。
 
承認取消しの取り消しは、前知事の埋め立て承認に法的瑕疵はなく適法であると翁長知事が積極的にその正当性を認めたことを意味する。したがって翁長知事は、辺野古新基地建設阻止のための諸種の知事権限(岩礁破砕許可の更新許可、サンゴ類の特別採捕許可、設計概要の変更の承認など)の行使にあたり、前知事の埋め立て承認の正当性を大前提にしなければならないことになった。その結果が、2017年からの辺野古新基地建設のための本部港(塩川地区)などの港湾の使用許可決定や、2018年2月16日の絶滅危惧種オキナワハマサンゴの特別採捕許可決定である(ただ、防衛局の同採捕許可の期間延長申請は3月1日県の不許可で失効した。また、防衛局の絶滅危惧2類のオキナワハマサンゴ8群体、準絶滅危惧のヒメサンゴ2群体の計10群体についての2018年1月24日と同年3月2日の特別採捕の各許可申請は、3月9日県が不許可としたが、防衛局は、4月5日オキナワハマサンゴ8群体の特別採捕許可の再申請をした。今後の再申請に対する県の対応は不透明である。)

こうして、あらゆる手段で辺野古新基地を阻止するはずの翁長知事は、知事権限の行使にあたり、2016・12・26の知事自らの承認取消しの取り消しをした行政行為によって自縄自縛状態の窮地に陥ってしまった。承認取消しの取り消しをしていなければ、工事を中止させたままの状態で、県は国が次々繰り出す法的手段に対し有効適切な法的対抗をすべき十分な時間的余裕が持てたはずである。翁長知事の2016年12月26日の承認取消しの取り消しこそが現在に至るまでの辺野古裁判の帰趨を決する分水嶺となっている事実は繰り返し確認されるべきことである。

このことを明確に認識している者は識者の中でも極めて少なく、新聞の署名入りの解説記事でも12月27日の「工事再開は最高裁判決の結果」と堂々と書く記者がいる。承認取消しを取り消した知事書面が沖縄防衛局に送達されて取り消し処分の行政行為の効力が発生した12月27日から工事が再開されついに2017年4月25日、政府は埋め立て工事を開始した。辺野古海上やゲート前で建設反対の意思表示をする県民を海上保安官・機動隊が実力排除する中でK9護岸工事が始まり、反対側のK1護岸〜K2護岸〜K3護岸とN5、N3護岸建設は予定の長さまですでに完成されて 2018年6月初旬現在、全長1029メートル予定のK4護岸の完成まで数百メートルを残すのみとなり、現場の報告では1か月以内に完成するのではないかと推定されている。

安倍内閣は、K4〜N5〜N3の護岸完成で囲まれる海域にこの夏7月から土砂投入を始める方針だと4月8日の「共同通信」が報じている。また、6月7日付読売新聞電子版の紙面トップで、政府が8月中旬にも埋め立て区域への土砂投入に踏み切り、本格的な埋め立て工事に着手する方針を固めたことが報道されたが、6月12日沖縄防衛局は、8月17日から土砂投入をすると、沖縄県赤土等流出防止条例に基づき県に通知した。辺野古新基地問題についてまさに急迫した事態が迫っている。

仲井真弘多前知事の一応有効な埋め立て承認の行政行為について、その成立に瑕疵があることを理由としてその効力をはじめに遡って失わせた翁長知事の承認取消を巡る裁判のプロセスは不作為違法確認訴訟で県敗訴が確定したことにより一応終止符が打たれた。その終止符と法的関係のない12・26の知事の任意の承認取り消しの取り消しにより、有無を言わさぬ国の工事強行に対し県は打つ手を封じられている現在、あらゆる手段での建設阻止を叫ぶ県政を支持してきた新基地反対の県民の間に諦めに近い閉塞感が広がっている。

この窮境を打開する手段は、知事が、これまでの「行政行為の取り消し」とは異なる「行政行為の撤回」を一日も早くする以外に道はない。それはつまり、埋め立て承認という前知事の有効な行政行為について、新たな事情が発生したためにその行政行為の効力を将来に向かって消滅させることであり、県は、その撤回カードをいまだ行使していない。県がいつ撤回という新たな行政行為(撤回行為)に踏み込むのかが、現在の翁長県政の焦眉の問題になっている。前知事の埋め立て承認後に事情の変遷があり、または新たな事由の発生があって承認処分を存続させることがもはや公益に適合しなくなったとしたら、翁長知事が、公益に適合させるため前知事の埋め立て承認の撤回をなし得ることは行政上・行政法の講学上自明のことである。

翁長知事は、就任以来記者会見などで何度も「承認の撤回も視野に入れている」と表明し、毎年の新年の年頭挨拶の中でも新基地建設阻止を県政の柱と宣言し、知事として初めて参加した2017年3月25日の辺野古集会では「力強く撤回を必ずやる」と公言し聴衆の喝采を浴びた。辺野古新基地建設が日ごとに進む一方で、選挙公約でもあり辺野古新基地建設をあらゆる手段で阻止すると表明してきた翁長知事が、多くの県民・市民団体が要請した承認撤回を逡巡するばかりか、建設阻止と矛盾する行動をとり続けていることに対する県民の苛立ちと不信感が2018年2月4日の名護市長選挙での現職敗退の一因となった。

前知事は2014年8月28日に沖縄防衛局の岩礁破砕等の許可申請を9項目の条件を付して許可した。防衛局が2017年3月31日までの許可期限が経過した4月25日に許可なく本体工事着工を強行したので、同年7月24日に県は岩礁破砕の工事差し止めを求める訴訟提訴と工事中止の仮処分申請をした。私は、この訴えは辺野古新基地阻止に有害・無益な訴えであると論じた(2017年8月4日付け琉球新報)。予想したとおり、仮処分申請についての判断は申請後速やかには出されず、本案(岩礁破砕の工事差し止めを求める訴訟)の判決まで先送りされた。本案の審理から判決までの間、工事は止まることなく粛々と進められ、審理期間は予想通り長期に及び提訴から約8か月後の2018年3月13日に本件各訴えはいずれも裁判所法3条1項の「法律上の争訟」に当たらず不適法であるとして却下判決が言い渡された。本訴の審理期間中工事は進み既成工事量が増大したのみでなく、防衛大臣は早速、勝訴判決は工事の後押しになると勝ち誇った。3月23日、県は控訴した。また、2018年2月の名護市長選挙では、政府・自民党と公明党などが支援する新人候補が辺野古新基地の賛否を明らかにしない理由を「県と国の係争中の裁判の結果を注視」するためとされた。訴訟の客体(訴訟物)の内容からして理由にならない逃げ口上にその訴訟提起が利用される羽目となった。県の最後の切り札であり将来起こる撤回裁判を県に有利に展開するためには、工事の差し止め訴訟提訴と工事中止の仮処分の申請及び予備的に提訴した本件確認請求に係る訴えは、結果的に長い審理期間中工事を止め得ず進行させただけの有害にして無益の訴訟でしかなかったことが明らかになった。

「うるま市島ぐるみ会議」は、知事に対し2017年1月13日から12月1日まで4回にわたって埋め立て承認撤回の要請をした。2018年6月9日の総会において、沖縄県知事に対し、5回目の撤回要請をすべきだと決議され、県庁において6月13日知事要請行動を行ったその報告は、翌日私のFBにアップした。)。1月の撤回要請に応対した謝花喜一郎知事公室長(現副知事)は、「要請の思いを強く受け止めている。しっかりと知事に要請内容を伝え、県民の思いに応えたい」と述べた。それ以後の要請における県の担当部局の説明でも、撤回理由について法的検討を続けており、今後の工事の推移も見ながら検討するとのことであった。だが、前知事の「承認書」に付された留保事項に違反し、防衛局に対する翁長知事のたび重なる指示を無視し、和解条項や係争委が求めた協議に国が応じなかったことなど違法な工事を進めている国に対して、埋め立て承認を撤回する正当な撤回原因はすでに多数発生しており、2014年11月16日大差で翁長雄志氏が県知事に当選した時点から「民意」を理由とした撤回原因も生じ、撤回は、知事就任後いつでも可能であった。

しかし、知事就任から3年余を経過した現在においてなお、撤回原因を法的に検討すると主張して、翁長知事が承認撤回を逡巡する真の理由は何なのか。県民の間で大きな疑問が持たれている。安倍政権下の三権分立に幻想を抱き、裁判における「民意」の効力を法的根拠なく安易に過大評価する県民投票実施論は、辺野古新基地建設阻止を目的とするものとは思えず、翁長県政継続に何らかの「既得権益」をもつ特定の党派・団体・個人が、撤回を逡巡して窮地に立っている翁長知事の再選戦略をカムフラージュする政治的主張に他ならないと考える。

K1護岸〜K2護岸〜K3護岸〜K4護岸とN5護岸、N3護岸が完成して繋がれて囲まれる埋立て区域に、この夏にも土砂の投下がされる予定と言われてきた。その時点では原状回復は不可能となり、その後に撤回しても、その撤回は事実上法的効果を失い、単なる知事選挙有権者向けの政治的パフォーマンスの意味しかないことになろう。現在、辺野古現場に集まる県民の数は減少傾向にあり、非暴力の県民が沖縄県の所轄の下にある県公安委員会が管理する県警の機動隊に暴力的に排除=ゴボー抜きされ、負傷させられて、多い時で一日300台を超える石材など建設資材満載のダンプトラックは辺野古ゲート前では1台さえも止められず基地内に入って、工事は進められている。

多くの県民、とりわけ辺野古現場で体を張って抵抗している県民の危機意識は強く、翁長県政への不信・怒りの声が地下水脈のように広がっている。高江現場における楽観論(「ヘリパット工事は政府の主張通りには進んでいない、政府が主張する2016年の年内完成は不可能」との主張)が結局、戦いの成果を強調したい者たちの希望的観測に基づく虚構でしかなかったように、移設する海底地盤の脆弱性や活断層の存在の問題等で工事はいずれ頓挫するとする工法・技術論に基づく楽観論は、安倍官邸の無法、悪辣さの前には解決不可能な建設技術はないとの悲観論へ視覚転換すべきものであると思う。新基地建設の現場工事の進行は早く、我々は、ポイント・オブ・ノーリターンの地点に限りなく近づいている危機的現実を率直に認めるべきだと思う。工事の引き返しがまだできるという論者は、辺野古現場に身を置かず、現場を知らず自己欺瞞の阿呆陀羅経を唱えているにすぎない。

結局、辺野古新基地工事が決定的な局面を迎えている現時点以降の県民投票は、「主権者としての働きかけが可能となる」というような呑気な民主主義一般論にすぎず、県民投票にかまけている5〜6か月以上の間に国に膨大な工事をさらに進めさせることを許し、仮に、県民投票の結果、建設反対の民意が明らかになっても、工事の既成事実の累積の一層の増大によってその後の撤回裁判においては、今すぐ民意以外の留保条項違反などの理由で撤回するよりもはるかに敗訴の確率が高くなる。沖縄の「民意」はすでに過去の数多の選挙で明らかになっており、過去の裁判で、安倍政権に忖度し操縦されている裁判所に一顧だにされなかったのに、今度の県民投票の民意だけが「裁判所に重視されるはずだ」とのたまう、「はずだ投票論者」の思考は根拠のない幻想に過ぎない。すでに私自身の論考(月刊誌「琉球」5月号)で明らかにしている多種、多数の撤回原因と「民意」を理由とする撤回原因は裁判上の効力に優劣はない。

翁長知事は、承認撤回を公約にしながら、だらだら撤回を先延ばし、2015年10月13日自らした承認取り消しを2016年12月26日に取り消して前知事の埋め立て承認を復活させ、港湾の使用許可を出し、一度は特別採捕許可をするなど「あらゆる手段で辺野古新基地建設を阻止する」という公言に矛盾する行政行為を重ねてきた。県民投票実施論はこのような翁長知事の公約違反を押し隠し、2014年11月の知事当選後すぐにでも可能だった承認撤回を引き延ばしてきた翁長知事の免責運動でもあると思う。翁長県政各与党が揃って県民投票に協力することを今頃になって明言するに至っているのも、辺野古阻止のためではなく、彼らの議員生命延命の党利党略の選挙運動に利用せんとする政治的策動にすぎないであろう。前知事の承認埋め立て後の全ての選挙、世論調査、意識調査で新基地建設反対が過半数をしめた沖縄の民意に変化はないのに、更に長い時間をかけて民意を問う県民投票論者たちの前提となっていると思われる、翁長県政の検証を抜きにした翁長知事再選戦略は、今年11月の知事選において、現時点では展望できないいかなる想定外の事態を生み出すであろうか。(6月16日記)


このブログの過去の仲宗根勇氏関連の投稿はここを

キャンプ・シュワブゲート前、トラックによる資材搬入を遅らせようと座り込む市民たち
(6月14日 乗松聡子撮影)


     

Monday, May 21, 2018

自らの植民地主義に向き合うこと―カナダから、沖縄へ:『ヘイト・クライムと植民地主義』(三一書房)から転載 Facing my own colonialism - from Canada to Okinawa: Satoko Oka Norimatsu

今年1月に三一書房から刊行『ヘイト・クライムと植民地主義 反差別と自己決定権のために』(木村朗・前田朗共編)に書かせていただいた一章「自らの植民地主義に向き合うこと―カナダから、沖縄へ」(94-112頁)を、許可をいただいて転載します。
はしがきより: 
朝鮮半島、及び在日朝鮮人に対する差別とヘイトはもとより、特に先住民族アイヌと琉球(沖縄)に対する民族差別問題、「沖縄ヘイト」、米軍基地問題をめぐる「構造的差別」などの問題を「反差別、反ヘイト、自己決定権」の視座から問い直すことが本書の課題である。
アイヌモシリ及び琉球は、近代史を見るならば典型的な植民地である。にもかかわらず、日本ではそのことさえまともに認識されていない。アイヌモシリ併合及び分割や琉球併合及び分割は、イギリスによるアイルランド分割・北アイルランド併合と同じで、植民地の代表例である。植民地化に続く構造的差別の根源を解明しつつ、現在のアイヌ差別や琉球差別を照らし出すことが必要となる。東アジア全体の文脈に照らして日本植民地主義とは何だったのかを問う必要がある。。。。

本の紹介、書評、目次などは三一書房のウェブサイトで見てください。

(転載ここから)


自らの植民地主義に向き合うこと ―― カナダから、沖縄へ

乗松聡子

トゥルードー首相、異例の演説

20179月下旬にニューヨーク国連本部で開催された第72回国連総会での各国指導者による演説は、日本のメディアにおいては朝鮮民主主義人民共和国を「破壊する」と喝破した米国のトランプ大統領や、最初から最後まで同国の非難に終始した日本の安倍首相のものに注目が集まる傍ら、921日、カナダのジャスティン・トゥルードー首相が自国の植民地主義に正面から向き合った演説が脚光を浴びることはなかった。

通算22年カナダに住む私の経験では、カナダは一般的に多様性を認め合い人種差別も少なく、人々は気が優しく住みやすいというイメージを持っている人が多いようだ。私は、そのようなイメージの陰で見えなくなりがちな、この「カナダ」と呼ばれる地の史上最悪の人権侵害といえる先住民問題がもっと知られるべきだと思っていたが、まさかこの国の首相が、世界の檜舞台ともいえる国連総会での演説30分の大半を、自国の汚点をさらけ出すことに費やすとは予想もしていなかった。[1]

トゥルードー首相は冒頭から、「カナダはおとぎの国ではありません」と言い、今日はカナダが犯した過去の過ちから得た厳しい教訓について話したい、と切り出した。以下、抜粋する。

・・・カナダは先住民の先祖代々の土地にできた国ですが、残念なことに、最初からそこにいた人たちの意味ある参加なしに成立した国でもありました。先住民族とカナダの間のしっかりした関係を築くために条約が締結されましたが、それらの条約は約束通り施行されないできました。(中略)これらの初期の植民地的関係性は、多様性を強みとしたりお互いの相違を称賛したりといったものではありませんでした。カナダの先住民の人々にとって、一連の体験はほとんどが屈辱、無視、虐待に値するものでした。

先住民の人々は自分たちの伝統、自分たちの性質、自分たちの政治のやり方を尊重しない政府の被害者であり、自分たちを否定し、自分たちの権利と尊厳をないがしろにする法律の被害者でした。先住民の人たちは、植民者の習慣ややり方を強要することによって自分たちの歴史を書き換え、自分たちの言葉や文化を根絶やしにしようとした政府の被害者でした。先住民の人たちは、自分たちが認めていた土地や水域を守ること、そして、自分たちが受け継いできた、いつも7世代先のことまで考えるという原則を守ること政府は拒絶しました。つまり、私たちは、この間を通じて、代々の先住民の人たちが自分たちのことは自分たちで決め、尊厳と誇りをもって生きるという概念自体を否定したのです。(中略)歴代のカナダ政府がカナダの先住民族の権利を尊重することができなかったことは非常に恥ずかしいことです。そして今日も、多すぎるといえる先住民の人たちにとって、この尊重の欠如は現在においても続いているのです。

・・・幸いなことに寄宿学校はもう過去のものになりましたが、いまだにあまりの多数の若者たちが、ほとんどのカナダ人にとって当然と思うような基礎的教育を受けるために家族から遠く離れなければいけないのです。そしてあまりの多数のカナダ先住民の女性たちが、暴力の恐怖の中で暮らしており、暴力があまりにも過酷で頻繁なことからアムネスティー・インターナショナルは「人権危機」と呼ぶほどです。これがカナダの植民地主義の遺産なのです。父権主義的な「インディアン法」の遺産なのです。(中略)5歳からの小さい子どもたちまでをも家族から引き離し、自分たちの言葉を話したら懲罰を下し、先住民の文化を完全に廃絶しようと試みた寄宿学校の遺産なのです。[2]

このような姿勢は日本だと保守派から「自虐史観」と叩かれる類のものだが、案の定、カナダの公共放送CBCは「おかしな動き」と言い、国連安全保障理事会の座席をねらうカナダが国内問題に終始したことを否定的に報じた。[3]首都オタワの新聞には「“全て私たちが悪うございました”手法」と書かれている。[4]トゥルードーは国内から出る批判は想定内であったようで、記者会見では、他国の過ちを指摘する前に自らの過去の過ちに向き合う重要さを強調した。[5]世界の人権問題は足もとから始まる、という考えである。トゥルードーは、全国が祝賀ムードに包まれた連邦化150周年の「カナダデイ」(71日)のときも、「先住民の抗議を尊重しなければいけない」と発言し、[6]先住民の抗議テントに自ら入って30分間過ごすという姿勢を見せている。[7]


カナダの「植民地責任」への取り組み

しかしカナダの先住民問題は「国内問題」だけではない。トゥルードーは、ちょうど10年前の20079月に採択された「先住民族の権利に関する国際連合宣言」に対するカナダの責任を語っていたのだ。カナダは当初、米国、オーストラリア、ニュージーランドとともにこの「宣言」に反対票を投じていたが昨年正式に立場を改め、条件つきではない完全な支持を表明した。今回は国連総会の場でトゥルードー首相が自ら、先住民諸部族とのパートナーシップのもとにこの宣言を実行していくことを誓ったのである。「植民地主義的な官僚的機構を解体」し、先住民の生活や雇用、教育機会の改善、言語の保護、女性の機会向上などの施策とともに、各部族のカナダ政府との関係構築の選択を尊重し、「自己決定権の表現としての自治」を実現していく「前人未踏」の道を歩むと。

『「植民地責任」論―脱植民地化の比較史』(青木書店、2009年)で永原陽子は、「ナチズムを経験し『人道に対する罪』概念を生み出した欧米諸国が、同じ基準を自らの行った植民地支配やそれと不可分の奴隷貿易・奴隷制の歴史にあてはめて論じることは、少なくとも公の場面では、20世紀の間には一度たりともなかった」とする。[8]それだけに、2001年に南アフリカのダーバンで開かれた国連主催の「人種主義、人種差別、排外主義、および関連する不寛容に反対する世界会議」(通称「ダーバン会議」)が「従来の国際社会の常識を破るもの」[9]だったという。その歴史に照らし合わせると、カナダ首相の今回の演説は、2007年の「先住民族の権利に関する国際連合宣言」を受けた英国連邦の一国として、加害側の代表者が積極的に植民地責任を果たす宣誓をした、ひとつのマイルストーンと呼べるのではないか。


「私」の責任

私はこのスピーチを聞くにつけ、これがもし、日本の首相が国連演説の場でこのように、日本が植民地支配してきた地域や民族に対して行った演説だったらという想像をせずにはおられなかった。私がこれを日本語にしなければという強い動機を感じたのは、大日本帝国が植民地支配、そして現在の日本が植民地主義を行使している土地の人や民族に対して自分は責任を負うからだ。同時に、物心ついてからの人生のうちの半分近くをカナダで生きた人間として、トゥルードーが代表して話す先住民への責任の一端も私は担うのだ。

ハンナ・アレントは『責任と判断』において、個別の「罪」はあくまでも個人の問題であり、自分の犯していない罪について罪を感じるのは比喩的な意味においてだけであるはずで、道徳的または法的な個人の罪と、政治的な集団の責任を区別することが大事だとしている。このような考え方からは、私が担うのは、自分が所属する「日本」「カナダ」という政治的共同体が担う「集団責任」である。[10]また、アイリス・マリオン・ヤングが『正義への責任』で提唱する「責任の社会的つながりモデル」、つまり「社会の構成員はみな自分たちの行為によって構造的不正義の生産と再生産に貢献しているという事実のために、その不正義を是正しなければならないという、分かち合うべき責任」という意味での責任でもある。[11]野村浩也が『無意識の植民地主義』で強調した、日本の民主主義が容認する米軍基地を琉球/沖縄に押し付ける、という植民地主義を行使する日本の人間の「ポジショナリティ(政治的権力的位置)」を自覚してそれを動かしていく、つまり基地を本来あるべき日本に戻して植民地主義をやめていく責任にも通じる。[12]これらの学者の「罪」と「責任」についての考えとその相互関係をここで精査することはできないが、植民地主義における「私の」責任は何なのかという問いと共に読み、考え続けなければいけないと思っている。

私は日本人として、アイヌ、琉球/沖縄、朝鮮、台湾、樺太、南洋諸島、満州など日本が植民地化および侵略、占領、戦場化した数々の地域や民族に「集団責任」を担うと思うが、それを明確に意識するようになったのは琉球/沖縄を通じてである。それは自分が関わっていた憲法9条を守る活動の中で、日米安保と9条の矛盾が押し込められている琉球/沖縄に責任を果たさなければ9条の活動自体が大きな欺瞞をはらむとわかったからである。[13]その過程において自らの植民地主義の気づきや、日本の琉球/沖縄に対する歴史的植民地支配の責任、戦争責任、戦後から現在にいたる米国との共謀による軍事的搾取に対する責任をより深く認識するようになり、同時に日本が植民地責任を負う他の地域や民族への問題意識も広がっていくようになった。


「植民地責任」の認識欠如

以上のような立ち位置から見ると、日本では「戦争責任」は語っても「植民地責任」を語る人はあまりいないことに気づく。「日本の加害」に向き合う人も日本の満州武力侵攻以降の「15年戦争」という枠組みに留まり(もちろんそこにも満州植民地支配があるのだが)大日本帝国の成立時から始まっていた植民地支配には目がいかない人が多いのだ。むろん植民地支配は武力による威嚇、武力行使、侵略戦争を伴うものなので切り離せるものではなく、日本の「戦争」が「15年戦争」という認識以上に広がらない口実にはならない。実際おおかたの日本人は「15年戦争」にさえも思いが至らず、日本の戦争は1941年末以降大国の米国を相手にしてしまったから間違ったのだ(その時点までは間違っていなかった)といった理解、約310万人という「日本人」の戦争死者だけを意識するような自国中心主義的な歴史認識を持つ。[14]朝鮮半島での権益を拡大するための戦争であった日清、日露戦争を「勝利」したからといって「古きよき時代」の象徴とし、福沢諭吉や吉田松陰[15]のような侵略思想の持ち主を英雄視し、大日本帝国の歴史を通じた侵略と植民地支配の長い歴史に目をつぶるのである。成澤宗男は、12年続いたナチス・ドイツと比べ大日本帝国の侵略の歴史は77年という長さであったと指摘する。[16]永原陽子は「敗戦と同時に植民地を失ったために、日本の戦争責任論においては当初より植民地支配の責任への視点が欠落していた」と分析する。[17]高橋哲哉は、1874年の台湾出兵にはじまる日本の植民地獲得のための戦争における戦死者を顕彰・合祀している靖国神社の本質を踏まえ、満州侵攻以降の戦争を扱う「戦争責任論」という枠組みだけでは「歴史認識の深化を阻む」と問題提起する。[18]


残る差別の火種

植民地責任に目を向けない日本人の傾向は、上記のような背景に加え、根本的には、「琉球は長男、台湾は次男、朝鮮は三男」[19]というような植民地支配における差別ヒエラルキの頂点としての「天皇制」が戦後排除されず、新憲法で「象徴」と再定義されたにもかかわらずいまだに事実上「神聖にして侵すべからず」存在のように扱われている(メディアでは一切批判もされないタブー化、尊敬語の使用、批判する者への国粋主義者によるテロの脅威など)ことと無縁ではないと思う。植民地主義を振り返らない姿勢と、天皇を戦前と同じように押し頂く姿勢は同根ではないか。

ついでに指摘すれば、天皇制の中で制度的女性差別が公然と行われているのも、皇室タブーのもとに家父長制が守られているからである。天皇と女性の地位は新憲法制定のときにもっとも日本側の抵抗を受けた点であったと憲法起草に関与したベアテ・シロタ・ゴードンは証言している。[20]そして、放置された天皇制と家父長制のもと、植民地主義的差別も女性差別も、戦後日本が克服することを拒絶してきたために残ってしまった。
ヘイトスピーチや嫌中、嫌韓「ブーム」を近年の現象として憂えている人がいるが、戦後日本人はアジア隣国に対する植民地主義を意識的に乗り越えようという努力をしなかったせいでヘイトの火種は多くの人の心の中に残存し、それが戦後世代にも引き継がれたのではないか。アメリカのトランプ政権のもとで人種主義者が勢いづいたのと同様、第二次安倍政権が12年末に誕生した頃から日本人の差別の火種に火がついてネトウヨ、ヘイトデモといった形で顕在化の度合いが強まったということではないだろうか。

『植民地主義再考-民族差別なくすため』を書いた小林たかしは言う。

日本の植民地主義は、大日本帝国降伏の日に終わったわけではない。植民地主義は、いまでも日本人一人ひとりの感性の中に支配者意識を育てている。それは、侮辱を侮辱と感じない侵略者の感性であり、イデオロギーとして歴史的に形成されてきたものである。その恥ずべき感性は、実際の侵略、実際の植民地がなくなったからといって、日本人のなかから消滅はしない。それどころか、それは日常的に生産されている。[21]

ヘイトスピーチを批判したり分析したりしている私たち日本人一人一人は心の中に差別やヘイトの火種を持っていないのか。私は「北朝鮮」の悪魔化や、日本軍「慰安婦」を記憶するための少女像を忌み嫌う傾向、在日コリアンへの差別や無関心などを見るにつけ、根強い差別の種が右、左を問わず広範囲で共有されていることを感じ取る。そしてその種は自分自身の中にも見え隠れしていることを感じる。差別との闘いは、自分との闘いだ。


日本の侵略戦争は琉球強奪から始まった

日本の植民地責任の中でもとりわけ不可視化されている現在進行形の植民地主義の対象の一つとして、琉球/沖縄があるのではないか。琉球/沖縄が植民地であると認識していない日本人は多いようだが、琉球/沖縄が日本により植民地支配を受けてきたことは疑いようのない史実・現実である。大田昌秀の『沖縄差別と平和憲法』で、伊波普猷を引用しながら、1609年の薩摩侵攻以前の琉球人は以降に比べると別人種ではないかと思うほど「自主の民」として能力を発揮していたが、それ以降は「奴隷的生活に馴致された結果、致命傷を受け、独立自営の精神が甚だしく減退」させられたと述べる。漢文や琉球文で石碑の碑文を書くなど豊かだった書き言葉の文化も、島津氏に征服されて以来日本文を採用することを強いられ、自国語を使わなくなっていった。大田は、薩摩支配下で琉球は全収入の10%に相当する土地税を収奪されたという説もあると記述している。[22]琉球/沖縄は、1872年の琉球王国への抜き打ち的な「琉球藩」との通達から79年の「廃琉置県」による王国取り潰しにいたるまで、武力をともなう方法で日本に強制併合された。[23]それは上記のようにそのはるか前から植民地支配を受けてきた上でのことであった。

1875年の江華島事件を明治日本の侵略戦争の開始と捉える人もいるが、1871年、宮古の船が台湾に漂着し原住民に多数の人が殺されたことを日本が利用し74年に台湾に出兵、そのときの清国の対応を琉球の日本帰属という理解にこじつけた。そのことから、大日本帝国の最初の侵略戦争は、この琉球を獲るための1874年の台湾出兵といえるのではないか。その2年前の騙し討ちともいえる琉球藩設置もまさしく侵略行為だという見方からは1872年であるともいえる。近代日本の侵略と植民地支配の歴史は琉球の強奪とともに始まっている。


違法の併合から軍事植民地へ

その併合の過程は、上村英明や阿部浩己[24]ら専門家は国際法違反だと言っており、各国と修好条約も結んだ主権を持つ王国の転覆であった。琉球への植民地責任の不可視化の克服には、これらの史実の認識を共有することが不可欠だ。もちろん、知念ウシが言うように、植民地とは公的、学術的に認められて存在するものというよりも、「植民地主義を行使されている側が気づき、発見し、告発する」ことにより存在させ得るものであると思う。[25]

琉球併合の際、中国の外務相の李鴻章が、日本がこのように琉球を取るのなら次は台湾を取るだろう、そしてその次は朝鮮、はては中国も侵略するかもしれないとの懸念を持っていたが、その後本当にそうなってしまった。[26]琉球を侵略の第一歩として膨張し切った大日本帝国が「沖縄戦」で琉球を戦場化することによって壊滅的な被害をもたらし、敗戦とともに帝国が崩壊した後は、米国がアジアの侵略拠点として琉球/沖縄を軍事植民地として引き継ぎ、今にいたることは言うまでもない。[27]現在、「切れ目ない」一体運用が進んでいる米日軍事同盟は中国への威嚇の牙を剥き出しにし、辺野古、高江、伊江島をはじめとする米軍基地強化に加え事実上の日本軍である自衛隊の攻撃基地まで琉球弧全体に配備しようとしている。

日本が琉球/沖縄に対して担う植民地責任の対象は、17世紀初頭の侵略以来の同化政策による社会体制、文化や言語の剥奪、強制併合から現在に至る主権剥奪状態の継続、沖縄戦での大量虐殺、年少者の不法徴兵、奴隷的労働、強制移住(マラリア被害を含む)、戦後の米軍による支配と「復帰」以降日米が過重に押し付ける基地に起因する犯罪、継続する植民地主義によるヘイトスピーチなどの差別行為すべてといえる。[28]

これらの具体的な罪を法的、政治的、社会的方法で裁き、償い、現行の罪はやめさせていくたゆまぬ努力が必要だ。と同時に、琉球/沖縄を差別していることを認識さえしない、どこかで知っていても知らぬふりをしたり[29]、「無意識の植民地主義」を実践したりする日本人[30]、つまりわれわれ一人一人が目を向けたくない植民地主義の罪と責任に敢えて目を向けて取り組んでいかなければいけない。


植民地責任の取り方としての「基地引き取り」

このような琉球/沖縄への植民地責任の取り方の一つとして、私たちが沖縄に置いている基地を本来の場所、日本に戻すという、いわゆる「基地引き取り」(「県外移設」)と言われている方法論は、琉球/沖縄の脱植民地化の道筋をつけるために大変重要であると私は思っている。私にとっては、沖縄への差別をやめるため、日本市民の大半が置くことを容認している基地を日本に置き直すということは当然に思えるが、これについては反発や怒りを表現する人が少なくない。日頃は日本の戦争責任や朝鮮半島などへの植民地責任を真剣に感じ考える人でも、こと琉球/沖縄のこととなると態度が変わるときがある。私には理解し難いが、思うにそのような人にとっては、朝鮮半島などと比べ、琉球/沖縄に対しては日本が植民地化してきたという歴史認識が薄く、また植民地主義が現在進行中のものであるということから、否応なしに加害側のポジショナリティを有するという自分を認識することに抵抗があるのではないか。

「基地引き取り」については、高橋哲哉の『沖縄の米軍基地 「県外移設」を考える』(集英社新書、2015年)に主要論点は提示されている。しかし私は今年になって、ある沖縄の人から、「“引き取り論”は高橋さんが言っていることという風にしてほしくない」と言われ恥じ入る気持ちになった。だから私はこの小文をきっかけにして、日本人が植民地主義に向き合い、その責任を担っていくということはどういうことなのかということをもっと自分の言葉で問い、考え、発信していきたいと思ったのである。「引き取り」という方法論を議論するだけでなく、その背景にある日本の琉球/沖縄に対する歴史的植民地主義と、現在の日米安保支持派が圧倒的多数である日本の民主主義下でどのように具体的に植民地責任を果たしていくのか、という文脈で「引き取り」について共に考えていきたい。

むろん、世界一の戦争国家である米国と手に手を取る安保体制自体の絶対悪はどこかに移動して済むものではない。[31]世界中の無辜の市民を殺し続ける米軍の基地を日本に置く日米安保を私は容認しない。「米軍基地はどこにあっても悪い」の原則は日本や琉球/沖縄、韓国だけでなくどこにも適用する。米軍基地を日本に引き取ることは当然と思う私たちも、米国が世界中で起こしている大量破壊行為に目を向けることを怠ってはいけないと。それはすなわち、自分たちが引き取ろうと言っている「米軍」がいかに恐ろしいものなのか、そしてむろんそれを沖縄に押し付けている自分たちこそがいかに罪深い存在なのかという、血のにじむような苦しい問いを自らに問うということだ。そういう意味では、日米安保をそもそも容認している人が米軍の暴力や植民地主義を真剣に考えることなしに、容易にこの「引き取り」論に賛同できてしまうのだとしたら、私たちはその容易さに便乗してはいけないと思う。さらに、米日の軍事統合がますます進む今、自衛隊を聖域化して米軍問題だけを扱うことも意味を為さない。私も参加している「沖縄の基地を引き取る会・東京」も、米軍も自衛隊も沖縄に押し付けてはいけないという意味で、「基地」としたと理解している。

この文で論じてきた「植民地責任」という観点から、すでに日本が何百年も植民地支配をした上、沖縄戦や米軍占領時代、「復帰」後を通して日米が軍事的搾取をしつくしてきた琉球/沖縄に基地を置き続ける理由は全く存在しない。日本の民主主義が米国の覇権主義と明確に線を引いて日米安保を撤廃できるようになるまでは日本にあるのが当然であり、琉球/沖縄に対する脱植民地化の責任を果たす最低限の要件であると思う。

私たちはここで脱植民地と脱軍事が相反する選択を迫られているように見えるかもしれないが、軍事主義が常に植民地主義と一体化してきた歴史と現状を踏まえると、脱植民地化を後回しにした脱軍事化などはあり得ない。逆も然りと私は考えるが、沖縄に対する長年の基地押し付けを含む日本の沖縄に対する歴史的植民地責任を考えると、日本全体を非軍事化するのに優先して何よりも先に沖縄を非軍事化しなければいけないと思う。
ここを起点に今後も積極的に議論に参加していきたい。



[1] “Justin Trudeau at the United Nations | Full UN speech from Canada's prime minister,” CBC News. https://www.youtube.com/watch?v=20QqRtLoLFw (accessed September 24, 2017)
[2] カナダの先住民寄宿学校制度とその影響については、乗松聡子「政府と教会による民族抹殺政策『先住民寄宿学校制度』-和解は可能か」を参照。http://peacephilosophy.blogspot.ca/2013/10/blog-post_10.html 
[3] “The National,” CBC, September 21, 2017. https://www.youtube.com/watch?v=ysHadcw4J_s&t=1290s (Accessed September 24, 2017)
[4] Lorne Gunter, “Trudeau’s UN address makes tackling First Nations problems even harder,” Ottawa Sun, September 23, 2017 http://m.ottawasun.com/2017/09/22/trudeaus-un-address-makes-tackling-first-nations-problems-even-harder (Accessed September 25, 2017)
[5] Bruce Campion-Smith, “Canada struggles to improve conditions for Indigenous people, Trudeau tells the UN,” The Star, September 21, 2017. https://www.thestar.com/news/world/2017/09/21/trudeau-to-use-un-speech-to-address-struggles-of-canadas-indigenous-peoples.html (Accessed September 24, 2017)
[6] “Justin Trudeau says respect indigenous people who won’t celebrate Canada 150,” Global News, June 29, 2017. https://globalnews.ca/news/3565693/justin-trudeau-indigenous-people-canada-day/ (Accessed September 26, 2017)
[7] “Trudeau sits down with Parliament Hill teepee protest ahead of Canada 150 celebrations,” Toronto Sun, June 30, 2017. http://www.torontosun.com/2017/06/30/watch-trudeau-sits-down-with-parliament-hill-teepee-protest-ahead-of-canada-150-celebrations (Accessed September 26, 2017)
[8] 永原陽子「序『植民地責任』論とは何か」永原編『「植民地責任」論-脱植民地化の比較史』、青木書店、2009年、10頁。
[9] 同上
[10] ハンナ・アレント著、中山元訳『責任と判断』、筑摩書房、2007年、196207頁。
[11] Iris Marion Young, Responsibility for Justice, Oxford University Press, 2011, p.173.
[12] 野村浩也『無意識の植民地主義 日本人の米軍基地と沖縄人』お茶の水書房、2005
[13] 筆者と琉球/沖縄のかかわりについては「日本は『愚者の楽園』のままでいるのですか?」『沖縄の〈怒〉-日米への抵抗』、法律文化社、2013年、2614頁、乗松聡子『沖縄と九条-私たちの責任』、東アジア共同体研究所 琉球・沖縄センター紀要第2号、20161025日、4350ページ、「乗松聡子の眼 忘れない植民者の立場」、「琉球新報」20175163頁を参照。
[14] 乗松聡子「内向きの戦史観から脱却を」木村朗・高橋博子編著『核時代の神話と虚像』明石書店、2015年、120122頁。
[15] 福澤については安川寿之輔の著書や、雁屋哲作・シュガー佐藤画『マンガ まさかの福澤諭吉』(上、下)遊幻舎、2016等、吉田については纐纈厚「吉田松陰は『偉人』なのか」、『週刊金曜日』2015731日、2223頁を参照。
[16]成澤宗男「戦後69年の『過去の克服』という課題」Peace Philosophy Centre, May 9, 2014 http://peacephilosophy.blogspot.ca/2014/05/blog-post_10.html
[17] 永原、11頁。
[18] 高橋哲哉『靖国問題』、ちくま新書、2005年、8096頁。
[19] 1910年朝鮮強制併合の際、歴史家の比嘉春潮が日記に「知りたきは、わが琉球史の真相なり。人はいわく、琉球は長男、台湾は次男、朝鮮は三男と。ああ、他府県人より琉球人と軽侮せらるる、また故なきに非ざるや」と書いた。出典は琉球新報社・新垣毅編『沖縄の自己決定権 その歴史的根拠と近未来の展望』、96頁。
[20] NHKスペシャル『日本国憲法誕生』、2007429日総合テレビ放映、ベアテ・シロタ・ゴードン『1945年のクリスマス』柏書房、1995年。
[21] 小林たかし『植民地主義再考―民族差別なくすため』績文堂、2016年、26頁。
[22] 大田昌秀『沖縄差別と平和憲法 日本国憲法が死ねば「戦後日本」も死ぬ』、BOC出版、2004年、2123頁。
[23] 前掲『沖縄の自己決定権』4584頁。
[24] 同上、100109頁。
[25] 知念ウシ『ウシがゆく 植民地主義を探検し、私をさがす旅』、沖縄タイムス社、2010年、23頁。
[26]「『壁の向こうに友人を作る』-大田昌秀元沖縄県知事インタビュー」、Peace Philosophy Centre, June 9, 2017
[27] 吉田健正『「軍事植民地」沖縄 日本本土との〈温度差〉の正体』(高文研、2007年)には米軍による沖縄統治、サンフランシスコ平和条約や日米地位協定の「植民地性」が詳しく解説されている
[28]永原の前掲論文(2327頁)では、「植民地責任」論が扱う対象を、「①直接の当事者が現存する個別事件としての「植民地犯罪」とその被害、②直接の当事者の存在しない、過去における個別の「植民地犯罪」とその被害、③植民地体制下の政策等に発する世代を超えた被害、④歴史・文化の剥奪とその被害」と分類している。ここでいう沖縄の植民地責任はこのモデルを念頭に置いて記述した。
[29] 知念ウシ『シランフーナーの暴力』未來社、2013年。
[30] 前掲『無意識の植民地主義』
[31] 乗松聡子監修・翻訳『正義への責任 世界から沖縄へ ①~③巻』(琉球新報社)参照。

(転載ここまで)

『ヘイト・クライムと植民地主義』三一書房刊
  ISBN978-4-380-18003-3
Copyright © 2018 乗松聡子