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Wednesday, August 24, 2016

長崎原爆朝鮮人被爆者追悼早朝集会メッセージ:高實康稔 Remembering Korean Victims of Atomic Bombs: Yasunori Takazane's Speech in Nagasaki

今年も「原爆投下」を記憶する広島と長崎の日が終わった。 今年は思うところがあって市の公式の式典には行かなかった。日本を戦争に導こうとする好戦的政治家が「核廃絶」などと心にもないことを述べる場にいるのは虫唾が走る。何より今年は、この10年、朝鮮人被爆者を無視・軽視する式典に平気で出られていた自分を恥じる機会があった。今年は、日本人として、朝鮮人被爆を招いた日本の植民支配と侵略戦争に対し謝罪と反省の気持ちをこめて、朝鮮人被爆を記憶する場所で8月6日の午前8時15分と8月9日の午前11時2分を迎えることにした。8月6日の朝は、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」の前にいたら、朝日新聞の記者に取材を受け、なぜそこにいるのかと聞かれたので上記のような思いのたけを伝えた。記者は熱心に話を聞いていたが結局記事になることはなかった。8月9日は毎年長崎の朝鮮人被爆者追悼碑の前で行われている「長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼 早朝集会」に出た。「黙祷」のかわりに「沈黙」という言葉を使うなど、宗教色を排した進行に感銘を受けた。今年もこの集会で「メッセージ」を述べた高實康稔氏のスピーチテクストを、許可をもらって転載する。@PeacePhilosophy

 
 長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼早朝集会メッセージ 

 米軍がこの長崎の街にブルトニューム原子爆弾を投下したあの日から七一年目の朝を迎えました。私たちは朝鮮人原爆犠牲者に思いを馳せて追悼碑の前に集っています。どれほど無念であったことでしょう。この追悼碑は牧師で市議会議員でもあった岡正治先生の尽力によって一九七九年八月九日に建立されましたが、「無論、このささやかな追悼碑の建設によって、かつて日本帝国主義が、朝鮮を武力で威嚇し植民地化し、その民族を強制連行し、これを虐待酷使し、強制労働に従事させ、遂にはあの悲惨な原爆死に至らしめた戦争責任は決して消滅するものではない」、「さらにこの地上から核兵器が絶滅されるように積極的に行動する決意を新たにするものである」と述べられた建立式式辞をあらためて思い起こします。以来三七年、日本の戦争責任を追及するとともに核兵器の廃絶を願った岡先生のこの思いはどれほど達成されたでしょうか。

 九死に一生を得て帰国した韓国・朝鮮人被爆者の援護にしても、日本政府は国内被爆者との平等な待遇を拒み続け、在韓被爆者の積年の裁判闘争によって、不完全ながら被爆者援護法の適用が実現したのは二〇〇三年のことでしたし、医療費の平等支給が最高裁判決によって実現したのは戦後七〇年を過ぎた昨年九月のことでした。しかも朝鮮民主主義人民共和国の被爆者は未だに何の援護も受けられず完全に見捨てられています。加えて、被爆者健康手帳の取得に証人もしくは証拠資料を求め続け、本人の証言がどれほど信憑性が高くても、手帳の交付申請を却下する事例が跡を絶ちません。韓国の政府機関である強制動員被害調査委員会が動員と原爆被爆を認定していても何ら考慮されません。時の壁のみならず、日本の戦争責任という朝鮮人被爆者の歴史的背景を無視した暴挙といわざるを得ません。因みに申請者の証言数例が長崎在日朝鮮人の人権を守る会発行の『原爆と朝鮮人』第7集にあります。

 非人道的な兵器として核兵器の廃絶を訴える国際世論は高まりつつありますが、核兵器保有国の反対のみならず、日本政府もこの国際世論に背を向けて米国の核の傘に依存し、核先制不使用宣言の検討にさえ異議を唱えました。被爆国日本に対する内外の批判と失望はもとより避けられません。本年五月二七日、米国のオバマ大統領が広島を訪問して長文の所感を表明しましたが、原爆投下に対する謝罪はなく、「核兵器のない世界を目指す勇気」を表明したのみで具体的な対策が示されなかったことは衆目の一致するところです。「落胆した」という率直な感想が内外の被爆者から寄せられました。また、オバマ大統領は日本人被爆者と会い抱擁しましたが、そこには韓国人被爆者の姿はありませんでした。「現地を訪問した韓国人被爆者たちは、オバマ大統領が『韓国人原爆犠牲者慰霊碑』を訪問しなかったことについて、残念な気持ちを隠せなかった」とハンキョレ新聞は速報で伝えるとともに、「韓国人被爆者に言及したのは不幸中の幸い」としつつも、「今日のオバマ大統領の訪問式典に韓国人被爆者は一人も入れなかった。今朝、あまりにも悔しいので広島市長に電話して、なぜ入れてくれないのかと抗議した」という広島での被爆者の声を報じています。「韓国人被爆者が一人も入れなかった」のは、広島市長の独断ではなく日本政府が「入れさせなかった」からに違いありません。韓国原爆被害者協会がオバマ大統領に「慰霊碑への献花」を事前に要請していただけに、日本政府はこれをも阻止した疑いがあります。韓国政府も同様の要望を「外交チャンネルを通じて米国政府側に伝えた」(同紙)とのことですが、韓国からの要請の有無にかかわらず、三万人もの朝鮮人が広島原爆の犠牲となったそもそもの原因を思えば、安倍首相こそはオバマ大統領と共に「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」に赴いて謝罪すべきであったと確信します。それは一昨年八月に長崎を訪問したオリバー・ストーン監督が、「米国の原爆投下の失敗は無差別大量虐殺の国際法違反というだけではなく、日本国民に被害者意識を植えつけ、加害国日本を被害国に変貌させたことにある」と語ったことを彷彿とさせるからです。さらには、ノーベル平和賞を受賞したパグウオッシュ会議のジョゼフ・ロートブラット会長(当時)が長崎での講演(一九九五年夏)で、「マンハッタン計画は当初からソビエトが敵であり、ソビエトを打ち負かすために始められたものだということを最高責任者グローヴズ将軍から直接聞いた」、「従って、広島・長崎の破壊は第二次世界戦争の終結というよりも、冷戦の始まりを意味する」と語ったことからも明らかなように、原爆投下の目的が当初から対ソ戦略の一環であったことをオバマ大統領が知らないはずはないからです。

 以上の見地に立って、私はつぎのとおり、日本政府に要求します。

一、被爆者健康手帳の申請には最大限本人の証言を重視して対応すること

一、朝鮮民主主義人民共和国の被爆者に被爆者援護法適用の道を開くこと

一、安全保障関連法を廃止し、憲法九条を厳守すること

一、日朝ピョンヤン宣言に基づき、朝鮮民主主義人民共和国と国交を正常化すること

   最後になりましたが、早朝にもかかわらず、多数ご参集くださいましたことに厚く御礼を申し上げます。

  二〇一六年八月九日 


長崎在日朝鮮人の人権を守る会代表 髙實康稔


2016年8月9日 早朝集会

朝鮮人原爆犠牲者追悼碑の裏面の文言。

朝鮮人原爆犠牲者追悼碑横の説明版。

Saturday, August 13, 2016

終戦記念日に寄せて―被害者であるまえに加害者だった―: 小林はるよ Haruyo Kobayashi: Commemorating August 15 - Japan was First and Formost the Victimizer of the War

日本で「終戦記念日」と呼ばれる8月15日を前にして、当ブログに前回「私にとっての中国 日本にとっての中国」というエッセイを提供いただいた長野県の有機農業家、小林はるよさんに再登場してもらいます。1945年8月15日は天皇裕仁がポツダム宣言受諾、つまり大日本帝国の米英中への降伏を国民に知らせた日です。一般には「戦争時の苦労を振り返り、平和を祈り願う日」と理解されているようですが小林さんの一文はそのような曖昧で無責任な認識から踏み込み、「国家的記念日」とされている8月15日の意味を問い直すことを日本人に求めているものと思います。8月15日は日本に植民支配・侵略された国や地域にとっては「独立」「解放」を象徴する日―連合軍の捕虜を含めて、「命が助かった日」なのです(もちろんそう思った日本人も多い)。やられた側に立って考える―それが日本人が本当に平和を創る当然の第一歩であり、「戦後」あまりにも軽視されてきた姿勢ではないかと思います。@PeacePhilosophy



終戦記念日に寄せて

― 被害者であるまえに加害者だった -

小林はるよ

 日本で国家的な行事が行われる記念日は、しばらく前までは、原爆記念日と終戦記念日でした。記念日は、単に国家的であるだけでなく世界史的な意義を持つ日であるために、国家的記念日になるのでしょう。東日本大震災の起きた311日も、国家的な記念日になりつつあります。

 東日本大震災の被害が地震と津波だけであったなら、国家的な記念日にはならないでしょう。東日本大震災は、これから何百年ものあいだ、世界中に影響を及ぼす歴史的な事故である福島の原発事故のきっかけとなったために、国家的記念日になろうとしています。ところがふしぎなことに、311日のころのマスメディアは、原発事故についてはほとんど報道しません。津波の被害がいかに悲惨だったか、いかに地域が悲劇にくじけることなく、「元のように」復興しつつあるかが、当事者、支援者によって語られるのです。

 こうした東日本大震災の記念日のあり方は、原爆記念日と終戦記念日のあり方と、よく似ています。どの記念日も、毎年その日になると、日時も式次第も、例年どおりの式典が行われる年中行事、季節の行事になっている感があります。私は現在の日本の国家的記念日の式典は、基本的に災害被害者の追悼式だと思います。

外国の国家的な記念日は、独立記念日とか戦勝記念日、革命記念日等、その国の現在の体制の出発点になった日を記念して祝い、これからもこの体制を発展させましょうとの、思いを、国民的に新たにするという主旨のようです。そして、こうした主旨には、記念日以前の国家的状況が、歴史的に倫理的にまちがったものであり、現在の体制がより良いもの、進歩したものだという認識が含まれていると思います。

原爆記念日と終戦記念日も、その出発の時点では、それまでの日本の国家体制と侵略戦争への反省をふまえて、日本がこの日を機に平和的な民主的な国になる、そのうえで、二度と核兵器の被害をこの世に起こさせない国になるという主旨を持っていたはずでした。少なくとも日本の侵略の犠牲になったアジア諸国の人々は、当然、これらの国家的記念日は、そうした主旨に基づいているものと思っていたでしょう。

けれども日本国民の多数は、日本の核武装を主張する閣僚がいる政権の成立を許してしまいました。その政権はなるべく早い機会の改憲も意図しています。要するに、原爆記念日と終戦記念日はどちらも、当初の主旨を実現していないのです。(東日本大震災の記念日は、原発事故が起きた日であることを隠して、津波の被害者を追悼し、地域の復興を讃える記念日になっています。)

いろいろ妨害要因はあったにしても、けっして少なくない人々が、日本という国は終戦を機に平和的な国、民主的な国として再出発するという主旨の実現を目指して、それぞれ努力してきたはずです。そうした努力にはいったい何が欠けていたのだろう。何がまちがっていたのだろう。結論としては、終戦のその日までは、日本がアジア諸国に対する侵略国であったという認識、それゆえに、日本はアジアの諸国に対して一方的な加害国だったという認識が、完全に欠けていたのです。

敗戦を機に、日本が平和的な民主的な国として再出発するという主旨にとっては、現憲法が公布された日(1946113日)のほうが、よりふさわしかったはずです。けれど、それは祝日にはなりましたが、国家的記念日にはされずじまいでした。

降伏した日を国家的記念日として、現憲法公布の日を国家的記念日にしなかったのは、日本政府にも、そして大多数の日本人にも、終戦であれ敗戦であれ、戦争とはアメリカとの戦闘のことだという理解しかなかったことの表れです。ポツダム宣言は、アメリカだけではなく英国と中華民国への無条件降伏を求めており、日本の世界征服の企ての停止を求めていました。無条件降伏が文字どおりの無条件であるならば、「国体の護持」も降伏の条件にはならないはずでした。それを降伏の条件のように了解し合っていたのは、日本とアメリカだけでした。

降伏した日、屈辱の日であるはずの日を国家的記念日にするふしぎ。そのふしぎは、現憲法公布の日を国家的記念日にせず、終戦記念日を国家的記念日にした日本政府にとって、その日はアメリカによって国体が護持された日、国体が「安堵」され、国体が存続しうることになった日だったからと考えるとつじつまが合います。

アジアの人々が日本の侵略によって被ることになった被害や屈辱の認識は、正直に言えば私自身にも、せいぜい、この二十数年来のこと、日本の右傾化がますますはっきりしてきてからのことです。それまでは私も、反戦・平和の運動とは、自分たちの被った被害の悲惨さを確認し合うこと、語り継ぐこととばかり、思っていました。そうしていれば、「あんな悲惨な体験をすることには二度となってほしくない」と誰でも思うに決まっていると思っていたことになります。

平和教育にしても、子どもたちにも被害者としての悲惨や悲劇を語り継ぎ、疑似体験させていれば、自分たちはそんな目に合いたくないと考えるようになるはずと思ってきたことになります。日本でも平和教育はされてきたのです。原爆ドーム、ひめゆりの塔への修学旅行も、語り部の悲惨な体験談を聞かせることも、盛んに行われてきました。教科書にも採択されている童話「一つの花」や「ちいちゃんのかげおくり」も、戦争の究極の被害者、子どもの悲劇、戦争のもたらす悲劇を描いています。

それなのに、若者のあいだの改憲支持者の率は高いようです。日本の平和教育は、まちがっていたのです。「一つの花」も「ちいちゃんのかげおくり」も、どちらも、出征兵士の父を送り、その父を失う子どもたちの悲劇。でも、自分たちの家や土地を奪い、抵抗する者を殺したり強姦したりする兵士たちが送られる先にいる子どもたちの悲劇は、物語にはできないほど、悲惨でしょう。日本の反戦童話は、兵士が送られた先の人々に読ませられる物語ではありません。

日本には今、就業や結婚のためたくさんのアジア諸国出身の人々が暮らしています。その子どもたちは、日本の学校に通い、教科書でこうした「反戦童話」を読むことになります。先生たちは、出征する父親が、どこへ何をしに行ったのか、子どもたちに話せるのでしょうか。

私が子どものころから反戦派のつもりだったのは、フィリピンに終戦のほぼ1年前に召集されて従軍した父の影響です。父は、「アメリカとの戦争は負けだ」と、同僚と激論したことがあると言っていました。その父にとっても、戦争は、フィリピンを舞台にアメリカとしたもの、でした。フィリピンは戦争の舞台にすぎなかったのです。父は「フィリピンゲリラ」という言葉をときどき使いました。それで私は「ゲリラ」という言葉を憶え、フィリピンをジャングルの中に「ゲリラ」が出没する、未開な地域であるようにイメージしました。日米戦争は侵略国同士が、侵略した地域を蹂躙して争った戦闘だったことを知ってから、「リベラル」を自認していた父の、アジアの国々と人々についての見方の限界を知るようになりました。そして私がその父の見方の限界を受け継いでいたことも。

今も815日が近づくと、平和を願い、不戦を祈る集いが催され、戦争の悲惨、悲劇が語られます。「こんなご時世だから」なおのこと、心してそうした集いをせねばとお誘いの文が呼びかけてきます。空襲被害の悲惨、飢え、物資の不足、家族の戦死・・・それらの経験は悲劇には違いありませんが、そうした被害は、日本が加害に乗り出していなかったら、ありえなかった被害です。日本は明治維新以来、ほんの最近まで、日本がアジアでは唯一の加害国であったことを自覚できていませんでした。今も、国家としては侵略加害を否定し続けています。まず加害があっての被害だったことを自覚しない反戦、非戦の訴えは、国内の反戦派を増やすこともできず、子どもたちを反戦・平和の担い手に育てることもできませんでした。戦争被害体験を聞く私は、加害があっての被害だったことを、気まずい沈黙をもって終わることになっても、経験していない人にはわからない、と非難の目を向けられても、語らなければならなかったと、悔いとともに思います。

戦争に反対するということは、平和を願ったり、戦争がないようにと祈ったりすることではなく、戦争の悲惨や悲劇を語り合うことでもなく、自分たちの政府が戦争を起こすことを止めさせることであり、自分たちの政府が戦争を企てることに反対することなのです。


こばやし・はるよ
岡山県出身。無農薬栽培「丘の上農園」経営。「言葉が遅い」問題の相談・指導に携わってきた。長野県在住。

小林はるよ氏の前回の投稿(6月22日)
私にとっての中国 日本にとっての中国

関連投稿(2015年8月15日)
乗松聡子「降伏70周年の日に―内向きの戦史観からの脱却を

Saturday, August 06, 2016

ヒロシマの日に―被爆者・米澤鐡志のオバマ広島訪問批判 Hibakusha Yonezawa Tetsushi's Criticism of Obama's Visit to Hiroshima

今日は広島原爆71周年の日。ブログ運営者は、例年のようにアメリカン大学と立命館大学合同の広島・長崎平和学習の旅の仕事で広島に来ている。この旅でいつも被爆証言をしてくださる広島被爆者で『ぼくは満員電車で原爆を浴びた』(小学館、2013年)の著者、米澤鐡志さんに、オバマ大統領の広島訪問にあたって書いた文の掲載を許可いただいた。@PeacePhilosophy 
米澤さんの本



オバマの広島訪問について 


私はオバマ大統領の被爆地広島訪問がきれいごとで済まされ、安倍のアジア侵略の否定とオバマの世界戦略が組み合わさる忌まわしい同盟が日本のマスコミをはじめとして、日本の戦争責任やアメリカの人類に対する犯罪を、歴史から葬り去ろうとする流れが許されないと思った。

今回のオバマ訪問についてマスコミは歓迎ムードを作り出した。安倍はその失政を覆い隠すためにサミットと広島開催を最大限に利用した。

残念ながら、日本の戦争責任、なかんずくアジア侵略を批判、反省しながら、アメリカの原爆投下の誤りを指摘して反核運動を続けその軸になって、「核と人類は共存できない」と訴えてきた、多くの指導者が鬼籍にはいってしまった。

そのため多くの被爆者が有名無名を問はず、オバマの広島訪問を歓迎、ないし好意をもって対処していた。「はだしのゲン」の中沢啓治夫人は、中沢が生きていたらオバマ来広を喜び、「謝罪してほしい」と思っただろう、と談話している。中沢は作品の中で原爆投下をナチのホロコートと同じと言っていた。

しかし他の被爆者や遺族はやはりマスコミが作りだす歓迎ムードの誘導に乗せられている。

式典の後のオバマ大統領と被爆者坪井との握手も私には空々しく感じられたが、直後に抱擁し涙を流していた森重昭という人はアマチュアの歴史家で、被爆死をした米軍捕虜の研究をしていた人らしい。一般には知られておらず、一部の米空軍関係者しか知られていないようだ。最初は当時の米軍捕虜を式典に招くという構想だったらしいが、前記森氏が被爆者であったこともあり,登場したようだ。安倍の配慮かアメリカ側の要求かはわからないが、謝罪を拒むアメリカ側をどうしても、広島に連れていきたかった安倍の意向が伺われる。

私も複数のマスコミ取材を受けたが、その中で述べたのは、戦争終結のための原爆使用説は、当時の敗戦必至の日本の状態を見ればウソであることは明らかであり、本当のことはトルーマン大統領が戦後政治を見据えた使用であったということだ。

しかし「核」の管理が現在でもできないことを考えれば、この原爆使用は明らかに人類や地球に対する「犯罪」であり、未来永劫批判されなければならない。その後「核」をもって世界支配を目論んだアメリカ政府の歴代の大統領も同罪に近い。

オバマが登場間もなくプラハで核廃絶の演説を行ったとき、歴代大統領と違い、核廃絶の具体的処置に着手するであろうと歓迎した。しかしIAEAという五大核保有国を軸にしたダブルスタンダードの核廃絶の障害になる制度を支持したし、核弾頭削減も全く行詰まり、それどころかイスラエルの核保有を黙認し、イン・パの核保有を認めて来た。 

私が中学生時代、被爆2年後には、あのT字型の相生橋の下の川の中にはまだ骨が散乱していた。広島の土の下には、特に爆心近くには無数の骨肉が埋まっている。米軍最高司令官が謝罪なしにそこを土足で、まして岩国基地で米兵を激励した後、オスプレイまで動員して下り立つことは死者に対する冒涜以外のなにものでもない。先日もある広島の友人と話していたら「トルーマンは悪いがオバマはその時はまだ生まれとらんのじゃけん、わしらに戦争責任を問うのと同じで納得できん」と言っていた。日本人の感覚には、自分の父や親せき.兄が犯したアジアの人々に対する戦争犯罪を、終わったことにしようとする風潮が多いが、こうした考えが安倍を生み出し、ヘイトスピ-チを生み出している。

ともあれオバマは、日米同盟の強化とアベノミクスの失敗を糊塗するために来日したと思って間違いないだろう。

今回のオバマ日程を見てみよう。先述したように、基地岩国から広島に入り慰霊碑に献花した。これも外来者の儀礼的のもので、マスコミや一部の評論家が言う哀悼、謝罪ではない。その後、原爆資料館を視察した。これは被爆者の多くが一番望んでいたことであり、それはあの残酷と悲惨を見ればどんな人でも、核の恐ろしさを認めるだろうと思ったからだ。しかし滞在したのはわずか10分、模型の地図を見る時間もないぐらいの短時間であった。被爆者との面会とやらも、屋外でハグし合う程度でまったく素通り状態であった。

オバマの声明も具体的なものはなく、彼自身が認めているように「核のない世界の実現は私の生きているうちは難しい」とは、私のように反核運動を65年以上続けた老人が言うならまだしも、世界最強の大国で最初の原子爆弾を落とした国の、最高の権限を持つ人間の言葉とは思えない。これは「核廃棄は見込みありません」と正直に告白したとしか思えない。

謝罪については、アメリカの世論について云々があるが、先述したように原爆投下正当化は米国の犯罪を隠蔽させたものだ。最近では、原爆投下が間違っていたか否かの世論は六分四分ぐらいになっている。アメリカン大学のピーター・カズニックのように数十年前からトルーマンの犯罪と告発している歴史家もおり、映画監督のオリバー・ストーンや多くの著名人がその意見を支持している。オバマ自身がその気になれば、謝罪できることである。

核と言えば原発もしかりで、かつてアメリカのアイゼンハワー大統領が「核の平和利用」を唱えたが、それも原発をはじめとする膨大な軍事産業を輸出させるための「核拡散」であった。

原爆も原発も人類破滅の恐ろしい凶器であり、最初に使用した道義的責任というのなら、自ら率先し、具体的行動として「核」の完全廃棄を行うべきである。

日本の平和憲法のように!


2016年5月27日     

原子爆弾被爆者 米澤鐡志


よねざわ・てつし

1934年8月生。45年8月、広島にで爆心地から750メートルのところで被爆。原爆症で母と妹を失う。自身も頭髪が全部ぬけ、40度以上の高熱が2週間続くも、奇跡的に回復。戦後は原水禁運動に参加。立命館大学卒業後、病院事務職に就く。69-94年まで(財)高雄病院事務長。現在も各地で積極的に被爆証言、平和活動を行う。京都府宇治市在住。米澤さんのHPはここ


Wednesday, July 27, 2016

7月30日東京でイベント「沖縄米軍基地という日本問題を考える」with 前田朗&デイビッド・マクニール&乗松聡子 A July 30 Event in Tokyo: Thinking About "U.S. Military Bases in Okinawa" as a Japanese Problem - with Akira Maeda, David McNeill, and Satoko Oka Norimatsu

7月30日東京でこのようなイベントを行います。どうぞお越しください。Akira Maeda, professor of Tokyo Zokei University and an expert of international human rights law, will host a talk event with Tokyo-based Irish journalist David McNeill and Vancouver-based Japanese writer Satoko Oka Norimatsu. We will discuss issues surrounding the U.S. military bases in Okinawa, and various other issues facing current Japan, including historical issues such as the Japanese military "comfort women," and Fukushima nuclear crisis. The event will be held in Japanese. 


Friday, July 08, 2016

琉球新報連載「正義への責任―世界から沖縄へ」のブックレット第二集のお知らせ Ryukyu Shimpo Series "Responsibility for Justice - From the World to Okinawa" Booklet No.2

★7月26日追記。この本は沖縄県外からも e-hon で買えます。ここをクリック


2014年から『琉球新報』に月1-2回のペースで連載している「正義への責任―世界から沖縄へ」のブックレット第1集(昨年12月刊)に続き、このたび第2集が出ることになりました。
7月8日『琉球新報』社告より

『正義への責任―世界から沖縄へ②』

琉球新報社編  監修・翻訳 乗松聡子 発行 琉球新報社



今回は第13回から28回までと特別篇一篇を加えた、2015年4月から2016年4月までの掲載分を収録してあります。

執筆陣は、


  • ローレンス・レペタ Lawrence Repeta (明治大学法学部特任教授)
  • ジーン・ダウニーJean Downey(弁護士、著述家)
  • ジョン・フェッファーJohn Feffer (米シンクタンクディレクター)
  • ジャン・ユンカーマンJohn Junkerman (映画監督)
  • デイビッド・バインDavid Vine(アメリカン大学准教授)
  • クーハン・パークKoohan Paik(ジャーナリスト)
  • オリバー・ストーンOliver Stone(映画監督)&ピーター・カズニックPeter Kuznick(アメリカン大学教授)
  • ジョン・レットマンJon Letman(ジャーナリスト)
  • ロジャー・パルバースRoger Pulvers(作家)
  • チェ・ソンヒ 崔誠希(平和運動家)
  • シーラ・ジョンソンSheila Johnson(人類学者)
  • カイル・カジヒロKyle Kajihiro(活動家・研究者)
  • デイブ・ウェブDave Webb(リーズ・ベケット大学名誉教授)
  • ブルース・ギャグノンBruce Gagnon(平和運動家)
  • クォン・ヒョクテ権赫泰(韓国・聖公会大学教授)
  • 乗松聡子(のりまつさとこ)(『ジャパン・フォーカス』エディター)


の17人となります。それぞれの「沖縄への向き合い方」を示しています。ぜひお読みください。

この本は沖縄の書店に並び、アマゾン、ジュンク堂のネット書店などで購入できるようになる予定です。このページにまた具体的な案内を出します。

乗松が参加する7月30日の東京イベント(「7・30ニッポン診断―沖縄米軍基地という日本問題を考える」開場1時半、午後2時から5時まで、水道橋東口徒歩5分の「スペースたんぽぽ」で開催―前田朗、デイビッド・マクニール、乗松聡子の対談)でもこの本を紹介いたします。

★「正義への責任」は現在も『琉球新報』で連載中です。


@PeacePhilosophy 乗松聡子