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Sunday, November 05, 2017

ジェレミー・コービンへの期待と不安:ジョン・ピルジャー「英国『新政治』の台頭」 John Pilger: The Rising of Britain's 'New Politics' - Japanese Translation

どのように既存勢力に抗って民衆の支持を得た指導者といえども、いったん権力の地位につくと軍産複合体の重圧に勝てなくなるのだろうか-気鋭のジャーナリスト、ジョン・ピルジャーが、躍進を続け期待のかかる英国労働党のジェレミー・コービン党首について抱く不安である。コービンの外交政策は不明のままだが、彼の「影の内閣」の外相は「人権を英国外交政策の中心に取り戻す」「英国を再び世界における善の勢力とする」などと言っている。ピルジャーはそれを「帝国の懐古趣味」とし、英国が「人権」を外交政策の中心にしていたことなど一度もない、と数々の実例で反証する。コービンは歴史を変えられる「本物」なのか、それとも、労働党大会におけるBAEシステムズの展示に象徴されるように、結果的には権力の「代償」として軍産複合体に服従させられるのかーーー考えさせられる記事、総選挙後の日本にも届けたいと思い、日本語で提供する。@PeacePhilosophy 

(注:翻訳はアップ後微修正することがあります。)

原文:
THE RISING OF BRITAIN'S 'NEW POLITICS'
http://johnpilger.com/articles/the-rising-of-britain-s-new-politics

英国「新政治」の台頭

2017年10月6日
ジョン・ピルジャー

翻訳:酒井泰幸(協力:乗松聡子)

 イギリス海岸の街ブライトンで先日開かれた労働党大会に出席した代議員たちの中に、その正面入口で上映されていた映像に気を留めた人はいなかったようだ。サウジアラビアに納入している世界第3位の兵器メーカー、BAEシステムズが、自社の銃、爆弾、ミサイル、軍艦、戦闘機を宣伝していた。

 それは、今や何百万もの英国人が政治的な望みをかけている党の、背信の象徴に見えた。かつてのトニー・ブレアの縄張りを現在率いているジェレミー・コービンの経歴は、ブレアのものとは非常に異なり、英国の政治支配者層では希なものだ。

 労働党大会で演説した運動家のナオミ・クラインは、コービンの台頭をこう表現した。それは「世界的現象の一部です。米国大統領予備選でのバーニー・サンダースの歴史的な選挙戦で私たちはこれを目にしました。それを支援していたのは、無難な中道政治が無難な未来をもたらすなどあり得ないと知っているミレニアル世代でした。」

 実際には、昨年の米国大統領予備選の終わりに、サンダースは、彼の支援者たちを、民主党で長く続いてきたリベラルの戦争屋、ヒラリー・クリントンの手に委ねた。

 オバマ大統領政権の国務長官として、クリントンは2011年のリビア侵攻を取り仕切り、その結果ヨーロッパに難民が殺到した。リビアの大統領が惨殺されるのを彼女が満足げに眺めたことは良く知られている。彼女はその2年前、民主的に選ばれたホンジュラスの大統領を打倒するクーデターを承認した。彼女が10月14日にウェールズに招かれスウォンジー大学から名誉博士号を授与された理由に、彼女が「人権の代名詞」だとされたことは、全く理解に苦しむ。

 クリントン同様、サンダースは冷戦の戦士で、米国以外の世界を所有しているような見方を持った「反共」の偏執狂だ。彼は、1998年にビル・クリントンとトニー・ブレアが行ったユーゴスラビアへの不法な攻撃と、アフガニスタン、シリア、リビアへの侵攻、さらにバラク・オバマのドローンによるテロ攻撃作戦も支持した。彼はロシアの挑発を支持し、内部告発者のエドワード・スノーデンを裁判にかけるべきだということに同調している。何度もの選挙に勝利した社会民主主義者の故ウゴ・チャベスを、サンダースは「死んだ共産主義の独裁者」と呼んだ。

 サンダースはよくいるようなリベラル政治家だが、コービンは実際に「現象」となるのかもしれない。彼は米英の植民地進出の犠牲者や民衆抵抗運動を根強く支持している。

 たとえば、1960年代と70年代に、インド洋の英国植民地のチャゴス諸島住民は、労働党政権によって祖国を追われた。全住民が拉致されたのだ。この目的は、本島のディエゴガルシア島を米軍基地のために明け渡すことだった。英国への「補償」は、ポラリス原子力潜水艦の価格を1400万ドル値引きするという秘密の取引だった。

 私はこれまでチャゴス諸島住民と深く関わってきた。モーリシャスとセイシェルで追放の身となって暮らしている住民たちを撮影した。彼らはそこで嘆き苦しみ、「悲しみのあまり死んだ」者もいたと私は聞いた。彼らは国会の労働党員、ジェレミー・コービンという人物に政治的指導者を見出した。

 パレスチナ人も同様だった。2003年に当時の労働党首相[ブレア首相]による侵略で恐怖に陥ったイラク人も同じだった。西洋大国の陰謀から逃れようと苦闘している他の国々も同じだった。米国巨大企業によって破壊された数々の社会に希望以上のものをもたらしたウゴ・チャベスのような人物を、コービンは支持した。

 一方、今やコービンはかつて想像したこともないほど権力の座に近付いたが、彼の外交政策は秘密のままだ。

 秘密というのは、聞こえの良い言葉以外ほとんど何もなかったということだ。「我々は価値を外交政策の中心に据えなければなりません」とコービンは労働党大会で発言した。だがこの「価値」とはいったい何のことなのか?

 1945年以来、保守党同様、英国労働党は帝国の政党で、ワシントンに追随し、チャゴス諸島での犯罪行為のような過去を持っている。

 何が変わったのか?ジェレミー・コービンは、米国の戦争機構やスパイ組織、経済封鎖といった人間性に背く政策から労働党が手を引くとでも言うのだろうか?

 コービンの「影の政府」の外相であるエミリー・ソーンベリーは、コービンが政権を取ったら「人権を英国外交政策の中心に取り戻します」という。だがパーマストン子爵(ヘンリー・ジョン・テンプル)が19世紀に言明したように、人権が英国外交政策の中心にあった試しはなく、あったのは「利益」だけだ。英国社会の頂点にいる人々の利益だ。

 ソーンベリーは1997年に、トニー・ブレア政権の最初の外相であった故ロビン・クックを引用し、「英国を再び世界における善の勢力とする…、倫理的な外交政策」を誓った。

 歴史は帝国の懐古趣味に寛大ではない。1947年に労働党政権が行ったインド分割を記念する催しが先日あった。国境線を性急に引いたのは、ロンドンの法廷弁護士シリル・ラドクリフで、それ以前にインドに行ったことはなく、その後にインドから戻ることはなかった。彼が引いた国境線は大量虐殺と呼べるほどの流血を招いた。

ひとり籠もった邸宅には、守衛が昼も夜も 
刺客を寄せ付けぬよう庭園を巡り、 
彼が着手したのは、運命を定める仕事 
何百万人もの運命。彼の手にあった地図は時代遅れで
国勢調査の報告書は、ほぼ確実に間違いだったが、
確認する時間はなく、調査する時間はなかった 
争いの舞台を。気候は恐ろしいほどに暑く、 
赤痢の発作で下痢は絶え間なく続いたが、 
それは7週間で完成し、国境が定められた、 
大陸は良くも悪しくも分割された。 
-「分割」W・H・オーデン

 現代の基準からすれば「急進的な」クレメント・アトリー首相が率いる、同じ労働党政権(1945〜51年)は、イギリス帝国陸軍をサイゴンへと派遣した。司令官はダグラス・グレーシーで、ベトナム民族主義者が自国を解放するのを防ぐため、敗北した日本軍将兵を再軍備する命令を受けていた。こうして、20世紀で最も長い戦争[インドシナ戦争]の火蓋が切られた。

 労働党[アトリー政権下の]のアーネスト・ベヴィン外相こそ、世界、特に中東で、最も悪意ある専制君主の何人かと「相互依存」と「協力関係」を結ぶ政策によって、現在も持続する関係を構築した人物で、しばしば地域や社会全体の人権を脇に追いやり押し潰した。その動機は英国の「国益」、つまり石油と権力と富だった。

 「急進的な」1960年代に、労働党のデニス・ヒーリー国防大臣は、武器取引を促進し殺傷兵器を世界に売って金を稼ぐことを明確な目標とする、国防販売支援機構(DSO)を設立した。ヒーリーは国会で、「軍備管理と軍縮の分野での進展を図ることを最重要目標とする一方で、我が国がこの価値ある市場で正当な分け前の獲得に失敗しないようにするため、我々は取り得る実務的な手順をも踏まなければなりません」と発言した。

 二重思考は労働党の得意とするところだ。

 私がのちにこの「価値ある市場」についてヒーリーに尋ねたとき、彼の決定は武器輸出の量に何の影響ももたらさなかったと彼は主張した。しかし実際には、武器市場での英国のシェアは、ほぼ倍増した。現在、英国は世界第2位の武器販売国で、武器、戦闘機、機関銃、「暴動鎮圧用」車両を、英国政府が人権侵害国家と名指しする30カ国のうち22カ国に売っている。

 このようなことがコービン政権下で終わりを迎えるのだろうか?コービンがお手本としているようであるロビン・クック[ブレア政権の外相]の「倫理的外交政策」が何だったかを調べればわかってくる。ジェレミー・コービンと同様に、クック[庶民院初当選1974年]は武器取引に批判的な一般代議士として名声を築いた。「武器が売られるところはどこでも、戦争の現実を隠蔽する暗黙の謀略が存在」し、「過去20年のあらゆる戦争は、豊かな国が供給した武器で貧しい国々が戦ったということは自明の理だ」とクックは書いていた。

 クックは英国のBAEホーク戦闘機のインドネシアへの売却を「特に憂慮すべき」だと指摘した。インドネシアは「弾圧的なだけでなく実際に2つの戦線で戦争をしている。東ティモールではおそらく人口の6分の1が虐殺され…、西パプア州では先住民の解放運動と対峙している」。

 外相として[ブレア政権下で1997-2001年]、クックは「武器販売の全面見直し」を約束した。のちにノーベル平和賞を受賞した東ティモールのカルロス・ベロ司教は当時、クックに直訴した。「どうか、お願いですから、これ以上紛争を継続しないで下さい。この武器販売がなければ、そもそも争われることはなく、これほど長期にわたることもなかったでしょう。」彼が言っていたのは、インドネシアが英国のBAEホークを使って行った東ティモール空爆と、英国の機関銃を使った東ティモール人民の虐殺のことだった。これに対する回答はなかった。

 その翌週、クックは記者たちを外務省に呼び、「新世紀における人権」に向けた彼の「任務声明」を発表した。この宣伝イベントにはBBCなど一部の記者との恒例の私的懇談も含まれ、そこで外務省担当者は、英国のBAEホーク戦闘機が東ティモールで作戦投入されたという「証拠はない」と、虚偽の発言をした。

 数日後、外務省はクックの武器販売政策「全面見直し」の結果を発表した。「労働党が選挙に勝ったときに有効で実施中だった販売免許を取り消すことは、現実的でも実務的でもなかった」とクックは書いた。スハルト政権のエディ・スドラジャト国防大臣は、さらに18機のBAEホーク戦闘機の購入に向けて、英国との交渉が進行中だと語った。「英国の政治的変化が我が国の交渉に影響を与えることはないでしょう」と彼は言った。そしてそれは本当になった。

 現在の場合では、インドネシアをサウジアラビアに、東ティモールをイエメンに置き換えればよい。保守党と労働党の両政権の承認を得て販売された英国の軍用機は、労働党大会では最高の場所で宣伝映像を流していた企業が製造したものだ。世界で最も貧しい国の一つ、イエメンでは、その飛行機による空爆で人々は焼け出され、子どもの半数は栄養不良で、現代では最大規模のコレラ大流行が発生している。

 病院、学校、結婚式、葬式が攻撃対象になった。リヤドでは、英国軍人がサウジアラビア人に標的の選び方を教えていると伝えられている。

 労働党の2017年選挙公約では、ジェレミー・コービンと彼の党員は次のように約束した。「労働党は、包括的、独立、国連主導の調査を要求する。その対象は、サウジアラビア主導の連合軍が行ったイエメンの市民に対する空爆など、違反が疑われる事件だ。我々は、この紛争で使われる武器のさらなる販売を、調査の結論が出るまで即時保留する。」

 だがイエメンでのサウジアラビアの犯罪の証拠は、すでにアムネスティなどよって記録され、英国人ジャーナリスト、アイオナ・クレイグの勇気ある報道は特筆すべきものだ。調査書類は膨大な量に上る。

 労働党はサウジアラビアへの武器輸出を停止するとは約束していない。英国がイスラム聖戦思想の波及に手を貸している政府への支持を撤回するとは言っていない。武器取引を廃絶するという約束はどこにもない。

 選挙公約は次のように述べている。「共有する価値に基づく(米国との)特別な関係があるが…、現トランプ政権があえてこれを無視するなら、…我が国は恐れることなく異議を唱える。」

 米国と渡り合っていくのは単に「異議を唱える」ことではないことを、ジェレミー・コービンは知っている。米国は強欲で身勝手な大国で、大統領がトランプか他の誰かであるかに関わらず、人権を擁護する国家の自然な同盟国と見なされるべきではない。

 エミリー・ソーンベリーがベネズエラとフィリピンを結び付けて「ますます独裁的になりつつある体制」と言ったとき、(これはベネズエラでの政権転覆に米国が果たした役割を無視した、文脈上の真実を奪われたスローガンに過ぎないのだが、)彼女は意識的に敵の面前で演じていたのだ。これはジェレミー・コービンが熟知することになる戦術だ。

 コービンが政権を執れば、チャゴス諸島住民に帰還の権利を認めるだろう。だが労働党は、英米間で50年目の更新に署名したばかりの合意を再交渉するとは言っていない。この合意はディエゴガルシア島の基地の使用を許可するもので、ここから米国はアフガニスタンとイラクを空爆した。

 コービンが政権を執れば、「パレスチナ自治政府を即時承認」するだろう。だが、英国がイスラエルに武器供与を続けるかどうか、イスラエルの違法な「入植地」での違法な取引を黙認し続け、イスラエルを米英に免責された歴史的な迫害者としてではなく単に戦争当事者として扱い続けるのか、労働党は沈黙している。

 NATOが現在進めている戦争準備を英国が支持していることについて、NATOに対して「前回の労働党政権はGDPの2%という基準以上に支出した」と労働党は自慢する。労働党によれば、「保守党の支出削減により英国の安全保障は危険にさらされて」おり、英国の軍事的「責任」を強化すると約束する。

 実際には、英国が軍に現在支出している400億ポンドのほとんどは、英国の領土防衛のためではなく攻撃目的で、ジェレミー・コービンを非国民として中傷しようとする人々が定義するような「国益」のためだ。

 国勢調査が信頼できるとすれば、英国人のほとんどは自国の政治家たちよりずっと進んでいる。公共サービスを充実させるため高い税率を受け入れ、国民保健サービスを健全な状態に再建することを求めている。まともな仕事と給料、住宅と学校を求めている。外国人を憎んではおらず、搾取的労働に憤っている。太陽の沈まない帝国を懐かしく思ってはいない。

 英国が他国を侵攻することに反対し、ブレアを嘘つきと見なす。ドナルド・トランプの台頭は、自国を引きずる米国がどれほどの脅威となり得るかを思い起こさせた。

 労働党はこの雰囲気の恩恵を受けているが、その約束の多くは(外交政策では確かに)制限され譲歩したもので、多くの英国人にとっては、以前と同じだと映る。

 ジェレミー・コービンの誠実さは多くの人が認めるところだ。彼はトライデント核兵器システムの更新に反対し、労働党はそれを支持している。だが彼が影の内閣の役職に据えたのはブレア主義を支持する戦争推進の議員たちで、彼を「選出の見込み無し」と罵り退陣させようとしたような者たちだ。

 「我々は今や政治的主流派だ」とコービンはいう。そう、だがその代償は何だろうか?


著者のジョン・ピルジャー(John Pilger) は、1939年オーストラリア生まれ、ロンド ン在住のジャーナリスト、ドキュメンタリー映画作家。50本以上のドキュメンタ リーを制作し、戦争報道に対して英国でジャーナリストに贈られる最高の栄誉「ジャーナリスト・オブ・ザ・イヤー」を2度受賞、記録映画に 対しては、フランスの「国境なき記者団」賞、米国のエミー賞、英国のリチャード・ディンブルビー賞などを受賞している。ベトナム、カンボ ジア、エジプト、インド、バングラデシュ、ビアフラなど世界各地の戦地に赴任した。邦訳著書には『世界の新しい支配者たち』(井上礼子訳、岩波書店)がある。また、過去記事は、デモクラシー・ナウやTUPなどのサイトにも多数掲載されている。

ジョン・ピルジャーのウェブサイトはこちら。www.johnpilger.com

当ブログの過去のピルジャー記事翻訳:

ジョン・ピルジャー『きたる対中戦争』

ジョン・ピルジャー:なぜヒラリー・クリントンはドナルド・トランプよりも危険なのか 

ジョン・ピルジャー「今なぜファシズム台頭が再び問題になるのか」




Tuesday, October 24, 2017

総選挙の後に:2017年長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼早朝集会メッセージ A message for Korean victims of the Nagasaki Atomic Bomb, August 9, 2017

日本の植民地支配、侵略戦争、朝鮮人被爆への責任に真摯に向き合うための歴史を展示する「岡まさはる記念長崎平和資料館」理事長の高實康稔氏は今年の4月、亡くなられました。高實さんは毎年8月9日、長崎原爆の朝鮮人被爆者を追悼するための早朝集会でメッセージを読んでいましたが、今年は、「長崎在日朝鮮人の人権を守る会」の柴田利明さんがメッセージを読みました。ここに紹介します。日本は、安倍首相が初めて改憲を公約に掲げたとする総選挙で自公連立政権が3分の2の議席を再び確保しました。日本の侵略戦争の歴史を否定する動きも止まる気配がありません。「北朝鮮」の脅威を煽り憎しみと戦争への欲望を駆り立てる政府やメディアの風潮も収まる気配がありません。この12月は、南京大虐殺の80周年を迎える年でもあります。総選挙の暗澹たる結果を受けて、いまここに歴史を心に刻み隣国の人々との友情を築き、再び戦争をさせないための役割を果たしていくことを誓いたいと思います。どんなに少数派となっても、自分の子どもに恥じない生き方をしたい。 @PeacePhilosophy 乗松聡子

2017年長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼早朝集会メッセージ
早朝集会メッセージを読み上げる柴田利明さん

 岡正治先生が長崎原爆朝鮮人犠牲者を追悼する碑を建立されたのは1979年8月9日でした。その時以来、長崎在日朝鮮人の人権を守る会は、朝鮮人犠牲者を追悼する早朝集会を開催して参りました。そして、1994年に岡先生が急逝されたあと、私たちは高實康稔先生と共に追悼碑とこの早朝集会を引き継いで参りましたが、非情にも高實先生は既にここにはおられません。

 まず、追悼碑が周囲の碑に比べ特に小さく、平和公園の片隅に建てた理由について、皆さまに申し上げます。

 朝鮮人民は日本帝国主義の朝鮮侵略と1910年の植民地化によって、祖国を奪われ、土地を奪われ、生活の糧まで奪われ、敵地である日本に渡ってこざるを得ませんでした。さらに日本帝国主義は中国侵略戦争、アジア・太平洋戦争へと戦場を拡大し、労働力不足、兵士不足が露わになると、朝鮮人への戦時強制動員、徴用、徴兵を進め、朝鮮民族全体を日本の帝国主義戦争に引きずり込みました。1945年当時、長崎市とその周辺には約3万人の朝鮮人が居住することになりました。長崎市では三菱財閥系、川南工業系の軍需工場と、それに付随する土木作業に朝鮮人労働者とその家族が動員されました。1945年8月9日、アメリカ軍の原爆投下によって長崎市が惨劇の街となったとき、約2万人の朝鮮人が被爆し、そのうち1万人が非業の死を遂げたのです。戦後さらに、日本政府は朝鮮人被爆者に対して差別抑圧の政策を続けました。政府及び長崎市は戦時強制動員ゆえの被爆である事実を認めようとせず、あまつさえ、長崎原爆死者数を1200人と実数から大幅に減じた数を公表しています。岡正治先生は、理不尽極まる朝鮮人被爆者の非業の死を前にして、日本帝国主義足下に生きる一日本人としての責任を自らに課し、市民からの募金を得て、贖罪の思いを込めて、この追悼碑を建立しました。

 一昨年より、韓国を始め世界各地から追悼碑を訪れる方が増加しております。その中に碑の場所と小ささを韓国・朝鮮人に対する差別ではないかという疑念が生じるのはやむを得ないことです。しかし、追悼碑は建立後に公園整備の関係で、数度移動と立て替えを行いましたが、その都度、岡先生と高實先生は、日本人としての贖罪の思いは目立たず密やかであるべきだとのお考えで、このような小規模な形となっております。

 昨今、日本政府に煽られた一部の人間による差別排外主義が高まっております。この小さな碑にも撤去を求める蠢動が出ております。それに対してきょうのように、世界各地から自主的に集まられた皆さんがこの小さな碑を囲み、朝鮮人原爆犠牲者の追悼のひとときを共有しているのは希有なことには違いありません。その上で、日本の過去の侵略と戦争に対する深く正確な歴史認識に基づいた名もなき市民一人一人の贖罪の意志こそが、一見孤立し小さく見えるようとも、歴史の逆流に対峙したとき堅い防波堤の連なりになるというのが岡、高實両先生のお考えであり、私たちも続いていきたいと思います。

 高實先生は、端島=軍艦島の世界文化遺産化問題にたいして、安倍内閣は近代日本の優越性を内外に誇示しようとする狙いがあり、さらに日本近代史が朝鮮侵略と戦争そして長崎原爆投下にまで行き着いた歴史は隠蔽しようとすることに本質があることを見抜き、端島に強制連行された朝鮮人・中国人の歴史の真実を明らかにすべく「軍艦島に耳を澄ませば」の編集に渾身の力を注ぎました。そして昨年秋に「軍艦島に耳を澄ませば」の韓国語訳出版の提案があり、意義深いことだと感激し、病床にありながら韓国での出版を心待ちにされました。韓国語版「軍艦島に耳を澄ませば」が、映画「軍艦島」の柳昇完(リュ・スンワン)監督からの推薦も受け、二人の翻訳者によって7月31日に出版されたことをご報告いたします。

 アメリカ軍が長崎に投下した原子爆弾は防御不可能な無差別大量殺戮兵器でした。核兵器廃絶は世界人類にとって絶対的課題であるべきことは何者も否定できません。2017年7月7日、国連本部で「核兵器禁止条約」が採択されましたが、日本政府は核兵器保有国とともに条約参加を拒否しました。広島・長崎の被爆者から安倍首相への非難が一層強まったのは当然のことです。

 日本政府は唯一の被爆国という仮象を国際外交で謳ってきました。一方で韓国人被爆者にたいして厚生労働省の指導を通して手帳の交付申請を却下する姿勢を強めています。韓国・朝鮮人被爆者の存在を否定する排外主義の強まりを懸念せざるを得ません。「原爆と朝鮮人」第7集に三菱長崎造船所に動員され被爆した韓国人の証言を掲載しました。その証言も添えて被爆者手帳交付申請をしましたが却下されました。結局韓国人被爆者は裁判を起こしましたが、長崎市は却下理由の資料として1981年6月に作成した「朝鮮人被爆者一覧表」に原告の名前がないという荒唐無稽な弁論をしてきました。この「朝鮮人被爆者一覧表」という文書は長崎市(本島市長当時)が朝鮮人被爆死者数を1200人以下に留めたいという思惑のために捏造した文書であり、高實先生が壊滅的批判を加えてきたものでした。長崎市は韓国・朝鮮人被爆者に対して、恥ずべき民族差別の罪悪を重ねています。

 朝鮮学校に対する高校無償化をめぐって、7月19日広島地裁は無償化からの適用除外を認めました。ところが7月28日大阪地裁では除外処分を取り消し、無償化の適用を命じる全く相反する判決が出されました。高校無償化の法の趣旨に即せば広島地裁の判決は不当であるばかりではなく、地裁の訴訟指揮自体が偏見と民族差別に満ちていたことが指摘されています。政府は大阪地裁判決に従い、朝鮮学校に対する無償化を果たさなければなりません。

 安倍政権の発足から韓国・朝鮮人への差別排外行政が強まったのは確かです。ヘイトスピーチなどの民間における民族差別思想、排外行為の横行も安倍政権が勢いづかせたのは間違いないことです。民族差別、排外主義を安倍政権と共に終わらせなければなりません。

 最後になりましたが、早朝にもかかわらず、多数ご参集くださいましたことに厚く御礼を申上げます。

2017年8月9日

長崎在日朝鮮人の人権を守る会 柴田利明



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Wednesday, October 11, 2017

日系カナダ人作家ジョイ・コガワ氏によるオンタリオ州「南京大虐殺を記念する日制定法案」への支持表明 Japanese Canadian author Joy Kogawa supports Ontario's Bill 79, Nanjing Massacre Commemorative Day Act

Joy Kogawa
(2009年5月15日、トロント大学での
憲法9条についてのイベントで講演)
See below for Japanese translation of Joy Kogawa's statement to support Bill 79. The original English version appeared in the Toronto Star on September 15. Please leave a comment in the comment section below to express your support to Joy and Bill 79.

幼いとき戦時日系カナダ人収容を体験し、戦後そのときの体験をもとに書いた小説 Obasan (日本語訳は『失われた祖国』として二見書房から1983年、中公文庫から1998年に出ている)でカナダの代表的作家の一人となったジョイ・コガワ氏。先日からこのブログで、オンタリオ州議会で審議されてきた「南京大虐殺を記念する日」を設ける法案(Bill79)について情報を提供してきているが、さる9月15日、コガワ氏は地元紙『トロント・スター』に、この法案への支持を表明する記事を発表した。

Why I Support the Nanjing Massacre Commemorative Day Act: Joy Kogawa
https://www.thestar.com/opinion/commentary/2017/09/15/why-i-support-the-nanjing-massacre-commemorative-day-act-joy-kogawa.html

ここに日本語訳を紹介する。(注:訳はアップ後微修正することがあります)。

★コガワ氏に賛同する人はこの投稿のコメント欄に賛同コメントをしてください。


なぜ私が南京大虐殺を記念する日法案」を支持するか

-大規模な歴史上の暴力は、その歴史が繰り返されない為に、
周知され研究されるべきである-

2017年9月15日
ジョイ・コガワ

私は、カナダで生まれた日系人として、カナダと日本の両国を愛している。しかし、第二次世界大戦中の幼年期、収容所のあったブリティッシュ・コロンビア州・スローカン市で、土曜日の夜にオッドフェローホールで上映されていたニュース映画を通じて、日本の残虐行為について知ることとなった。日本の数々の素晴らしい側面に対しての誇りを持ちながらも、今日でも私は、日本の軍隊の歴史の重みを感じ、それによって未だ苦しみ続けているアジア全域の被害者とその家族が求めているものに対しても重い気持ちを抱いている。私は、深い傷を負い続けている人々が癒され、その歴史の恥を代々受け継いでいる人々の心の安らぎを願ってやまない。私たちはお互いが傷つけられやすい状況にあることを認めることで、私たちを隔てる原因となる恐怖や憎しみを乗り越えることができると信じている。

Gently to Nagasaki(仮訳:『長崎に優しく』)という著書を執筆しながら、1937年の南京大虐殺について学ぶこととなり、言葉を失うような資料画像を見て身動きが取れない様な感覚に陥った。大日本帝国軍は、数週間の間に、南京を占領し、数え切れない数の捕虜と市民を殺害したのだ。[1]今、サーベルや銃剣の世界を超えた時代において当時と同じような戦争への欲望に我々が直面するにあたり、過去の戦争の悲惨さを明確に記録していくことが重要だ。[2]

ここに、私がアジア系カナダ人と共にBill79“南京大虐殺を記念する日法案”を支持する10の理由を記す。

1)      大規模な歴史上の暴力は、その歴史が繰り返されない為に、周知され研究されるべきである。欧州のホロコーストについては、その歴史は教えられ、人々の心に刻まれているが、アジアの歴史上の大規模な残虐行為についてはそうではない。

2)      現在、排外主義・虚偽報道・歴史修正主義が横行し、ホロコーストの被害者でさえ再び平気で侮辱されてしまう時すらある時代において、Bill 79法案を通過させるような動きは、私達の人間性は、自らが蛮行を犯してしまう能力を有することを認められるかどうかにかかっている、という新たな喫緊の課題を提示する。

3)      私は日系カナダ人として、日系カナダ人に対する補償を求めた長期に渡る闘いに連帯してきてくれたアジア系カナダ人コミュニティを支持する。私達日系カナダ人が支援することによって、アジア系カナダ人コミュニティと今後も良き関係を築いていく礎となる。逆に私たちが支援しなかったりや反対したりすることは、コミュニティ内での分裂と、日系カナダ人に対する敵対心につながる裏切り行為となるだろう。

4)      オンタリオは、多種多様な文化的背景の人々が暮らしていることで知られている。この国はお互い礼をもって接するような姿勢で高い評価を得てきているが、その模範と言えよう。Bill79を通過させることは、混乱の中で希望を渇望している世界に、更なる進化と歩むべき方向性を示すことになる。
                                                                                               
5)      真実の認識なくして、和解はあり得ない。Bill79は、南京の歴史的真実を認める努力を通じて、和解への道に繋がるだろう。この一歩を踏み出すことで、オンタリオは、歴史を修正したり、曖昧にしたり、否定したりする人達とではなく、世界の歴史学者達と共に歩むことができる。

6)      実際に苦しみの中にいる人達の立場に立って、その人たちの口から真実を聞くことが、彼らの苦しみを軽減していく助けとなる。それらを否定し、過小評価しようとすれば、苦しみはさらに長引き、過去の過ちに対して更なる過ちを加えることになる。

7)      Bill79は、かつて罪なき日系カナダ人が日本の罪を代わりに背負わされ、苦しんできた強制収容の歴史を広く認知させることに繋がる。これは現在もこのようにスケープゴートにされている人たちがいるということを社会に知らしめる教育的手段となることであろう。

8)      Bill79の通過は、歴史の真実に向き合う日本の勇気ある教育者に対する激励のメッセージになる。日本の若者たちは、外国で初めて真実を知り衝撃を受ける、というのではなく、母国で自分たちの国の歴史を学ぶ機会があっていいはずだ。

9)      第二次世界大戦から40年が過ぎた1988年9月22日に、カナダ政府が議会の全面的な承認の下、罪なき日系カナダ人に対する加害を認めたことは、真実と和解の勝利であった。アジアの国際的緊張感が高まっている昨今、Bill79の通過は、連帯行動になると共に、アジアの真実・和解・平和・繁栄への希望を与えるものになる。

10)日系カナダ人として、日本が、世界の道義的なリーダーシップを示す国々と並び称されるようになることを願っている。Bill79の通過が、その様な方向へ拍車をかけていくことが私の願いである。



[1] 原文には soldiers とありそのまま訳すと「兵士」であるが、正確に言うと大量虐殺されたのは捕虜であり、筆者に確認した上で「捕虜」と訳した。

Monday, October 09, 2017

琉球新報連載『正義への責任』完結(総括文)"Responsibility For Justice: From the World to Okinawa" Series Concludes

『琉球新報』で2014年10月から3年間連載した『正義への責任 世界から沖縄へ』、10月7日に38回目(11面掲載)をもって終了しました。この最終回の「総括文」を琉球新報社の許可を得て転載します。The international article series Responsibility for Justice: From the World to Okinawa, which lasted for three years since October 2014, concluded with the wrap-up essay by Satoko Oka Norimatsu, reprinted with Ryukyu Shimpo's permission. Below the article is the complete list of thirty four authors.

琉球新報社提供
ここにもう一度筆者全員を紹介します。Here are authors of the series.

1. Satoko Oka Norimatsu 乗松聡子(のりまつ・さとこ)
2. Peter Kuznick ピーター・カズニック
3. Steve Rabson スティーブ・ラブソン
4. Gavan McCormack ガバン・マコーマック
5. Alexis Dudden アレクシス・ダデン
6. Katherine Muzik キャサリン・ミュージック
7. Joseph Gerson ジョセフ・ガーソン
8. Paul Jobin ポール・ジョバン
9. Mark Ealey マーク・イーリー
10. Herbert P. Bix ハーバート・B・ビックス
11. Christine Ahn クリスティーン・アン
12. Catherine Lutz キャサリン・ルッツ
(以上1-12回は『正義への責任 ①』として小冊子発売中。Above 12 articles have been published as Seigi e no sekinin booklet No.1.)

13. Lawrence Repeta ローレンス・レペタ
14. Jean Downey ジーン・ダウニー
15. John Feffer ジョン・フェッファー
16. John Junkerman ジャン・ユンカーマン
17. David Vine デイビッド・バイン
18. Koohan Paik クーハン・パーク
19. Oliver Stone & Peter Kuznick オリバー・ストーン&ピーター・カズニック
20. Jon Letman ジョン・レットマン
21. Roger Pulvers ロジャー・パルバース
22. Choi Sung-Hee チェ・ソンヒ(崔誠希)
23. Sheila Johnson シーラ・ジョンソン
24. Kyle Kajihiro カイル・カジヒロ
25. Dave Webb デイブ・ウェブ
26. Bruce Gagnon ブルース・ギャグノン
27. Kwon Heok-Tae クォン・ヒョクテ (権赫泰)
(以上13-27回『正義への責任 ②』として小冊子発売中。Above 13-27 articles have been published as Seigi e no sekinin booklet No.2.)

28. George Feifer ジョージ・ファイファー
29. Richard Falk リチャード・フォーク
30. Ann Wright アン・ライト
31. Regis Tremblay レジス・トレンブレー
32. Marie Cruz Soto マリー・クルーズ・ソト
33. Tim Shorrock ティム・ショロック
34 - 37. John Dower ジョン・ダワー
38. Satoko Oka Norimatsu 乗松聡子(総括文 a concluding article)

近日、ブックレットの第③巻を刊行予定です。Booklet No. 3 containing above articles 28-38 will be published soon.

ありがとうございました。 Thanks so much,
乗松聡子 (監修・翻訳・執筆担当)
@PeacePhilosophy Satoko Oka Norimatsu (editor, translator, author of Responsibility for Justice series)

Saturday, October 07, 2017

ミャンマー:でっち上げられたロヒンギャ過激派 Myanmar: The Invention of Rohingya Extremists, Joseph Allchin

 ミャンマー・バングラデシュ国境のロヒンギャ難民問題が深刻化している。ミャンマーを追われてバングラデシュ側に流れ込む難民の数が急増しているのだ。
 約3000の仏塔が建ち並ぶバガン仏教遺跡で知られるミャンマーは、仏教徒が多数を占める国だ。その西辺にあるラカイン州(旧アラカン州)には、イスラム教を信仰する少数派のロヒンギャが暮らしている。
 ここに国境を接しているバングラデシュは、英領インドから東パキスタンを経て独立し、イスラム教徒が多数の国だ。ベンガル湾東部の港湾都市チッタゴンの周辺には、仏教を信仰する少数派が暮らしている。仏教発祥の地に近いのはバングラデシュの方で、世界遺産に指定されたパハルプールなどいくつかの仏教遺跡もある。
 陸続きで国境を接するこの地域では、歴史的に様々な民族や宗教が行き交ってきた。ミャンマーもまた、英領インドの一部だった。現在の国境線はイギリス植民地政策の名残という性格が強い。ここから独立した国々は、歴史、言語、文化、宗教を共有する単民族の国民国家を作ったはずだったが、この観念は最初から現実と一致していない。異なる宗教を持つ少数派がある程度の緊張関係を持ちながら共存しているという姿が、どの国にも見られる。
 ロヒンギャ問題が混迷を深める中、バングラデシュ側では仏教徒少数派に対する焼き討ちが発生している。ミャンマーでのロヒンギャ弾圧がバングラデシュのイスラム教徒の感情を煽れば、バングラデシュ側での少数民族問題を悪化させる可能性もある。
 ミャンマー軍政が同国内のイスラム少数派ロヒンギャを国際テロ組織や対テロ戦争と結び付けて迫害している理由の一つは、制裁措置を科していたアメリカ政府との関係改善をめぐる駆け引きだった。このような背景が日本で報じられることは少ない。

ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックスのブログ版に掲載されたジョセフ・オルチンの論説を翻訳して紹介する。

(前文・翻訳:酒井泰幸)

原文:http://www.nybooks.com/daily/2017/10/02/myanmar-the-invention-of-rohingya-extremists/

ミャンマー:でっち上げられたロヒンギャ過激派

ジョセフ・オルチン、2017年10月2日


チッタゴンの海岸で銃を手に入れるのは難しいことではない。少なくとも私はそう聞いた。バングラデシュ南部の漁村シャムラプールにある家の外、頭上を覆う樹々の木陰で、私はある男にインタビューした。彼の部下は傍らにじっと立って、彼に紙巻きタバコを差し出し、彼のお喋りに合わせ従順に笑っていた。私の知人が警察と闇の世界の両方に持っていた人脈は、この西部開拓時代のようなバングラデシュ辺境地帯では、世界を動かすのに欠かせないものだ。ここでは密輸が最も大きな収入と権力の源だ。彼はこの地域の新しい現象を反映していた。悲惨にも難民となったロヒンギャが、国境の向こうの祖国ミャンマーでの軍による迫害に異議を申し立てるため、武装抵抗運動を開始する可能性が出てきたのだ。

8月25日に、アラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)という寄せ集めの集団が暗闇の中から現れ、主にこん棒と山刀で武装して、ミャンマー西部のラカイン州(旧アラカン州)で約30カ所の警察派出所を急襲し、12人ほどのミャンマー人警備員を殺害した。ミャンマー軍は圧倒的な武力と残虐行為で対抗し、民間人を無差別に殺害し性的暴行を加え、村々を焼き払ったと報じられた。それから数週間のうちに、軍は50万人以上のロヒンギャを国境の向こうのバングラデシュへと追い出したが、その口実は、バングラデシュから不法に移民してきて過激派やテロリストをかくまっていると軍が難癖を付けた人々に対し「掃討作戦」を行うというものだった。バングラデシュで彼らが合流したのは、この数年に繰り返されてきた大虐殺とアパルトヘイトのような状況を脱出した、さらに50万人ほどの人々だった。

ミャンマー政府は数多くの民族的反政府運動に直面してきた。たとえば、同国北部の中国に近い国境地帯では、カチン独立軍がはるかに良い装備で反政府運動を戦っている。しかしカチンの人々はキリスト教徒が多く、大規模な民族浄化作戦の対象になったり、信仰のせいでテロリストと非難されることはなかった。違っているのは、ロヒンギャの人々の多くがスンニ派イスラム教徒だということだ。ミャンマーの軍部指導者は長らく、ロヒンギャをアルカイダと繫がった危険なイスラム教徒過激派の第5列に見立てようとしてきた。

このイスラム教徒少数派を「過激派」や「テロリスト」として悪魔化することは、ミャンマーの仏教徒多数派の側にいる国家主義の政治家たちにとっては、役立つものだと分かった。だがこのようにロヒンギャを他者化することは、今や危険な二次的影響のリスクをはらんでいる。それは主に、イスラム聖戦士反政府運動の亡霊を政府が呼び出せば、それが現実化するかもしれないことだ。さらに、辛苦をなめ先鋭化した離散ロヒンギャが、銃剣で脅され国境を越えてバングラデシュに流れ込んだ。そこでは「ヒズブアッタハリール(イスラム解放党)」のようなイスラム過激組織が一般大衆の感情を煽って、ロヒンギャの大義を自分たちの政治目的のために使っている。

ロヒンギャをイスラム教徒テロリストの脅威として描写することには根深い背景がある。ミャンマーが民主制に移行する前の10年間、ミャンマーの情報関係者は「対テロ世界戦争」に好機を見出した。2002年10月10日、サダム・フセインがアルカイダと繋がりを持ち大量破壊兵器を保有しているという偽りの根拠に基づいて、米国上院がジョージ・W・ブッシュの不運なイラク戦争を承認したのと同じ日、米国国務省がヤンゴンに派遣した特使から受け取った電報は、ミャンマー政府から情報共有の希有な申し入れを伝えるものだった。当時ミャンマーには厳しい制裁措置が科されており、ミャンマー全体が国際社会から隔絶されていたので、この協力は極めて希な出来事だった。

ミャンマーが提供した情報によれば、ロヒンギャ連帯機構(RSO)とアラカン・ロヒンギャ民族機構(ARNO)という今は活動していない2つの団体が、アルカイダ工作員と面会し訓練を受けていたとされていた。この外電は、2つのロヒンギャ団体がタイ国境に本拠を置く他のビルマ民族反政府団体との関係を構築しようとしていたことも報告していた。米国大使館が確信していたのは、ミャンマー将官らの望みは「(対テロ)最前線で協力して功績を認められることで米国との関係を下支えする」ことにあり、アルカイダに援助を求める団体との関係を理由に他の民族的反政府団体の評判を傷つけようともしていることだった。民族的反政府団体の多くは軍に対して共に闘っていたので、民主化活動家と親密な関係にあった。歴史的にミャンマー国軍は、反対勢力や権利を剥奪された少数派を弱体化さるため、分割統治戦術を使ってきた。

だが、ロヒンギャ団体がミャンマー国内での作戦のためにアルカイダとの関係を構築できていたという証拠は全くない。オサマ・ビンラディンと面識があったと噂されるロヒンギャの一人、サリム・ウッラーという活動家は、こう私に語った。ミャンマーでイスラム教徒が銃を取ればテロリスト扱いだが、仏教徒がそうすれば自由を求める叫びを上げていることになる。ロヒンギャに対する偏見が、他の民族的武装団体を支持する多くの人々や仏教徒多数派の中に植え付けられた。多くの元民主化活動家でさえ、軍がロヒンギャ全体をテロリストと呼ぶことを認めた。

多数派とイスラム教徒少数派の間の緊張を、ミャンマーの超国家主義的な仏教僧が、さらにかき立てた。この敵意が国外のイスラム教徒からネット上の反応を誘発した。アルカイダ傘下の団体や他のイスラム聖戦士運動は現在、自分たちのイスラム教徒迫害の物語を広めるために、ロヒンギャの窮状を利用している。

最近まで、このような聖戦士プロパガンダのほとんどは、ミャンマーで多くのロヒンギャイスラム教徒が昔から暮らしてきたアラカン州の「解放」を非現実的な目標ととらえ、それは隣国バングラデシュを「征服」し、そこにカリフ政権を樹立したら考えることだと見ていた。だが今は、アルカイダのような団体がもっと直接的にロヒンギャの大義を支援しているようだ。9月半ばのアルカイダの声明は、「バングラデシュ、インド、パキスタン、フィリピンの全ての聖戦士兄弟たちに、ビルマ(ミャンマー)に向かって旅立ち、イスラム教徒の兄弟たちを助ける」ように呼びかけた。

ロヒンギャ反政府団体が外部のイスラム聖戦士団体と同盟を結んだという兆しはまだない。じっさい、ARSAは3月にアラビア語の名前を廃止して、より世俗的な響きを持った英語の名前への変更を決定したが、これはARSAが多国籍イスラム教徒過激派組織に取り込まれていないことを示すものだ。この団体のカリスマ的指導者アタ・ウッラーは、パキスタンとサウジアラビアの両方に人脈を持ち、アルカイダ指導者のアイマン・アッ=ザワヒリが匿われているとされるパキスタンの港湾都市カラチで育った。だがARSAには能力も武器もあまりないことから明らかなように、アタ・ウッラーがいくらラシュカレ=トイバやタリバンのような団体から支持を得ようと努力しても、現在のところ実を結んでいない。

しかし、掃討作戦や大量のロヒンギャ民間人が集団脱出したことへの怒りが大きく盛り上がったので、この状況は変化するかもしれない。すでに、エジプトの過激派がカイロのミャンマー大使館で爆弾を爆発させた。バングラデシュの対テロ責任者モニルル・イスラムは、私がシャムラプールで接触した男が語ったのと同じことを繰り返した。「銃は手に入る。ミャンマーやインドからバングラデシュに密輸されている。」AK-47の模造品はブラックマーケットで1000ドル少し出せば買うことができ、ピストルなら200〜300ドルだろうとモニルル・イスラムはいう。武器の出所を突き止める努力が、過激派団体を現地情報機関の監視の下に引き出すだろう。バングラデシュではこのような運動は注目を避けるため有力者の支援に頼ることが多い。

バングラデシュ人イスラム教徒は、この危機を信仰と不信仰の2つの力による預言された壮大な紛争として描き、ロヒンギャの窮状を積極的に利用しようとしてきた。ARSA自体はこの反乱にバングラデシュ大衆の支持を得ようともしてきた。じっさい、ロヒンギャ支援には幅広い合意が形成されたが、以前は自分勝手な侵入者として無視されていた。バングラデシュのシェイク・ハシナ首相が示した慈悲心は、大きな喝采を受けた。イスラム教徒が大義に飛びついた声の大きさを考えれば、彼女の動きは政治的に必要だったようにも見える。

ARSA司令官と噂される人物が最近このように主張した。ミャンマー軍が「我々を毎日拷問にかけていたので、他に選択肢はなかった。だから我々は(8月25に)行動を起こした…。こうなることを我々は分かっていた。」不可避の紛争と存在をかけた闘いというこのメッセージは、多くのロヒンギャの人々に共感を呼び起こした。私がバングラデシュ南部でインタビューした女性でさえ、できるなら戦うと、私に促されるでもなく言った。彼女たちの手には何も残されていないのだ。ARSAが宣言した1カ月の停戦は10月10に終わる。ARSAは低強度の攻撃を再開する可能性が高い。もしそうなれば、今もミャンマーに残るロヒンギャの村人たちは、軍からのもっとひどい実力行使を覚悟しなければならない。

ブッシュ政権の見当違いの対テロ戦争が世界中でイスラム急進思想を助長したように、ミャンマー将官たちがロヒンギャ反乱者と国際イスラム聖戦士団体とのほとんど空想上の関係を意図的に誇張したので、同様の望ましくない結果になるかもしれない。もともとミャンマー軍は他の反政府・民主化・民族団体との同盟を防ぐため、歴史的な恨みを刺激してロヒンギャ反乱者とは分断しようとしてきたが、この政策の結果として、ARSAであれ、もっと恐ろしい怒りの表現の形であれ、ロヒンギャの闘士たちを本当の過激派の手中に追いやるだろう。

(本文終わり)

筆者:ジョセフ・オルチンは『エコノミスト』と『フィナンシャル・タイムズ』などの出版物でベンガル湾地帯を取り上げてきたジャーナリスト。近刊書『Many Rivers, One Sea: Bangladesh and the Challenge of Islamist Militancy(多くの川、一つの海:バングラデシュと好戦的イスラム教徒の挑戦)』の著者。



Tuesday, September 26, 2017

歴史否定派勢力に妨害される オンタリオ州・南京大虐殺を記憶する日の制定法案 (田中裕介 寄稿)Ontario's Bill 79 Attacked by Japanese Right Wing

カナダ・オンタリオ州で12月13日を「南京大虐殺を記憶する日」と制定する Bill 79という法案が、世界各地への「慰安婦像」への妨害と同様、日本の右派(政府を含む)や右派からの影響を受けた現地の日本移民などからの妨害を受けている。この件についての、トロントのライター田中裕介氏に記事を提供していただいた。これより短い記事は9月22日『週刊金曜日』にも掲載されている。
(9月30日追記。金曜日の許可があったのでこの記事も下方に貼り付けました。)

この法案については日系カナダ人を代表する作家ジョイ・コガワ氏が地元紙「トロント・スター」で支持を表明し、日系の若い世代がリーダーシップを取って「強制収容という迫害の歴史を経てきた日系こそ支持をするのが当然である」という声明を出したりしてきた。長年トロントでアジア系カナダ人同士の連帯をつぶさに見てきた田中氏のメッセージ:
カナダの日系社会は日本から押し寄せるナショナリズムの波にのまれつつある。多民族社会で育った若者たちの「共生の論理」に学ぶ時がきたのだと思う。
を心に刻みたいと思う。

バンクーバーでも歴史否定派のネトウヨが日本からわざわざ来て地元イベントに潜入し、産経新聞や「桜」チャネルなどで、あることないことを言いふらしているようだ。そういう人に伝えたいが、「歴史戦」とか称して海外にまで来て、恥の上塗りをするのはやめなさい。まず外国語を勉強して、日本語以外の本や記事を読みなさい。いろいろな国の人と話して視野を広げなさい。@PeacePhilosophy  乗松聡子

以下、田中氏の記事です。

オンタリオ州議会に提出された第79「南京虐殺事件記念日制定」法案


一部日系人やそれに呼応する本国の右派勢力が強行に妨害


田中裕介

 今を去ること1992年10月、戦後初の天皇訪中はまた国交正常化20周年の年だった。天安門事件の傷も生々しいこの時期に、中国政府の招待に応じた日本の象徴が何を語るのか。世界が注目した。

 ここカナダのトロント市では、中国系、韓国系を中心に、日系の代表を交えた200余名による、戦時中の日本軍による戦争犯罪に対する正式謝罪その他を要求する集会とデモがあった。天皇訪中に対する4項目の要求(南京虐殺の真相究明、正式謝罪、教科書へ侵略の記載、補償支払い等)が12000名の署名とともに日本総領事館員に手渡された。

 この時、カナダのアジア系コミュニティと南京虐殺事件との接点が生まれたのだと思う。当時は、トロントの中華街を歩くシニアの多くが、日本の侵略の生々しい証言者だった。

 そして25年が経過した。8月20付けの日本経済新聞に「南京大虐殺巡りカナダ州議会に意見書 自民有志14人 」という見出しの記事があった。「関係国間で好ましくない論争を引き起こす可能性がある」と自民党議員らがオンタリオ州議会に意見書を送った。また、「日本政府が前面に出ると、中国もこれに対抗して州議会への根回しを活発化させる恐れがある」と懸念してもいる。

 これはスー・ウォング議員がオンタリオ州議会に提出した「12月13日」を「南京虐殺記念日」に制定する「B79法案」のことだ。カナダに30年住み、日系コミュニティ新聞の編集者として人権問題と取り組んできた一日本人から見ると、これら自民党議員たちは、多民族社会の実相と共生の論理が全く見えていないのだと思う。

 「原爆記念日」、「関東大震災の日」など負の歴史を次世代に伝えるのが日本の親たちの責任であろう。当地にも「先住民の日」があるし、1998年にユダヤ系が被った「ホロコースト」、2009年に旧ソ連内で人工的とされる飢餓で多数のウクライナ系住民が死亡した「ホロドモール虐殺記念日」も制定されている。一方、日本は未だにアイヌを先住民族として認定していない。小池東京都知事に至っては、関東大震災での朝鮮人虐殺の追悼文を取り止めるという逆方向に舵取りをした。他者の存在を見ようとはしていない。

 トロント市役所前には、広島の灯と長崎の水を湛えた平和庭園がある。恒例の原爆記念式典で黙祷を捧げる200人ほどの出席者は約8割が非日系人だ。多民族社会では他者から学ぶという姿勢が必要なのだ。

 「B79法案」に話を戻すと、既に昨年12月にトロント市議会では、ギリシャ系のジム・カリギニヤス市会議員が提出した「南京虐殺80周年」を記念する決議をしている。カリギニヤス議員は、「ギリシャも同様の虐殺の負の歴史を抱えている」と祖国の例を出して記憶することの大切さを語った。

 一方、カナダの学校で学ぶ歴史は今もヨーロッパ史が中心だ。アジア系が40%を占めるトロントでは、教育者はアジア史を教える必要性を痛感している。

 前出の自民党議員の本音は、彼らの「歴史認識」の輸出をしたいということだろう。これらの議員は、南京大虐殺を過小評価し、「慰安婦」問題は朝日新聞が捏造したといった偽りの情報を国内で流布し、日本人の歴史認識を塗り替えようとする保守派の「歴史戦」に、国内的には既に勝利したと思っている。 

 ここで憂慮すべきは、カナダの親日派の学者たちがこの意図を見抜けずに「日本はもう十分謝罪してきた。もっと前向きになるべきだ」と、歴史を抑え込もうとする日本側の肩を持つような発言をしていることだ。「B79法案には反対だ。これは虐殺された無辜の民を悼むものではなく、日本を悪魔に仕立てる愚劣な政治目的に使われるものだからだ」とカナダの政策を論ずるサイトで主張するのは、トロント大学のデビッド・ウェルチ政治学教授だ。「中国政府はメディアを使い反日感情を煽り続けている。B79法案はそれを裏付けるもので、カナダ社会に亀裂を生むだけだ」と断言する。これに呼応するように地元の日本関係の学者たちは一切口を閉ざしてしまった。     
 
 全カナダ日系人協会(NAJC)や日系文化会館(JCCC)に依拠する移住者たちは、真珠湾攻撃の後、自分たちが差別の対象となったことを忘れるな、これは中国と日本の間の問題でありカナダ市民とは関係がないのだと反対する。

 そして、差出人不明のハガキが日本からオンタリオ州の議員全員に届いた。全て同じ文面で、「1937年12月から翌3月まで南京市内の推定人口」と題して、幾つかの文献から引用し、虐殺があったとされる時期に、「国際安全区には20万から30万まで人口が増えてさえいる」としている。
(写真説明:日本からオンタリオ州議会議員の全員に送られてきた、
歴史修正主義者が作成したと思われるハガキ。南京虐殺があったとされる1937年12月末の南京市の人口は推定25万だったが、翌3月末には推定27万人に増加していると記されている。これは国際安全区とその周辺のみのサンプル統計から類推された数字を南京市の総人口だと拡大解釈したもので、近郊6県を含む広大な首都南京市の人口とはおよそかけ離れた数字だ。)

 これは、灘高校の歴史教科書の使用に抗議するハガキと同じ趣旨だ。いわゆる「大東亜戦争肯定史観」なのである。

 「愚劣な政治目的」とは、このような策動を言うのではないか。今年、ウェルチ教授は日本政府が500万ドル(約5億円)を寄付してトロント大学に新設させた「グローバル・ジャパン」学科の主任に就任した。
 
● エスニック人権運動の成果
 1988年、NAJCは、第二次大戦中の強制収容、財産没収に対してカナダ政府から謝罪と賠償を獲得した。40数年間執拗に訴え続けた成果だった。

 この日系リドレス運動の経緯は拙訳のマリカ・オマツ著「ほろ苦い勝利」(1994)に詳しい。それによると、最終局面で日系人のリドレス運動を躍進させたのは、先住民、ユダヤ系、中国系、韓国系、ウクライナ系カナダ人などエスニック・マイノリティ22団体の連帯表明だった。
 特に、香港移民の若者たちは、1970年代から今日までカナダの人種差別と果敢に戦ってきた。      

 一方、韓国系移民は、ベトナム戦争で米軍が敗退すると即座に大量に流れ込んできた。北朝鮮の脅威が背後にあった。元慰安婦の金学順が証言者として出現した1991年からキリスト教会や韓国系女性協会が先頭に立ち、女性に対する暴力として「慰安婦」問題と取り組みだした。

 それと並行して、中国系カナダ市民協進会(CCNC)は、1992年の天皇訪中を機に「南京虐殺」運動を開始した。今般のB79法案は、こうした日系リドレス運動から続くカナダの人権運動の一つの成果だった。

 当然にもNAJCは、これら韓国系の慰安婦問題、中国系の南京虐殺問題を支援した。それは、2007年、「慰安婦」が日本帝国による性奴隷制度であったことを認め、教科書にその事項を記載し、真摯な謝罪を行うようにとの日本政府への提言を連邦議会で採択する頃まで続いた。ところが、その後は急激に退潮して行った。これは、日本と中国、韓国の領土問題、教科書問題の影響が移民地にまで及んだことを意味する。
 (写真説明:7月24日、トロント市内でB79法案を支援する記者会見が行われた。中央でマイクを持つのがスー・ウォング州議会議員。その右隣がアルファのジョセフ・ウォング医師。右端二人は、日系人側の支援者代表で作家のジョイ・コガワと日系人ユース・グループのレン・イトー。)

B79法案を推進してきたのは、アジア太平洋戦争史を理解し保存するNPO団体のアルファ(ALPHA)で、その中心になっているのは、こうした香港移民である。その一人、トロント・アルファのリーダーで内科医のジョセフ・ウォング(66)は、1970年代から人種差別反対の先頭に立ち、さらに、90年代に高齢化する同胞社会のために長期ケア施設を設立した。そして、その一部を日系人に提供している。今も無償で会長を務め、内科医の仕事と両立させている。 

 ところが、2009年に日系人が共著で出した、カナダの産業スパイの実態を暴いた「Nest of Spies」という本に、アルファが中国政府のエージェントであると匂わす記述があった。途端に、噂は日系社会に広まり、日系のリーダーたちが、「アルファに近寄るな」と触れ回った。

 日本国領事が、筆者の編集室に真偽をただしに来たこともある。こちらの答えはこうだ。香港移民たちは中国本土から来た移民とは、民族主義に温度差がある。1989年の天安門事件が起きた6月、中国総領事館に抗議に押し寄せたのは香港移民だった。ジョセフ・ウォングもその一人だ。純然たる人権活動家なのだ。

 前述の「Nest of Spies」の出版社は、事実無根であるとして名誉毀損でアルファに訴えられ、高額の慰謝料を課された。だが、燎原の火となって広まった「噂」は未だに消えない。

●今こそ「共生の論理」に学ぶ時
 9月、オンタリオ州議会が始まり、10月中にはB79法案の成否が決まる。だが、ここへきて前出の日系社会の重鎮でオンタリオ州法廷の裁判官マリカ・オマツが「反対」を表明した。「自分たちが人種差別の標的になったことを忘れるべきでない。日系カナダ人と日本人を区別していないB79法案は受け入れられない」という。ここにあるのは他者への共鳴ではなく、他者への恐れと自己防衛の論理だ。

 かつて彼女の著書を和訳し、そこから人権思想を学んだ筆者は戸惑いを覚えた。明治以来の日本のアジア侵略は人種差別の歴史そのものだった。マリカは、犠牲となったアジア諸国民の傷の深さに思いが至らないのか。リドレス勝利から29年。これからは他の少数者の正義を求める闘いを支援すると約束した、あの崇高な人権意識の風化を思い知った。

 一方、希望も見えた。日系の若者たちが立ち上がったのだ。アジア系人権運動の一環としてB79法案を支持するのは当然であり、州議会に宛てたB79法案反対の声明を撤回しろという抗議文をNAJC上層部に送った。この若者層を支持する作家ジョイ・コガワ等かつてのリドレス活動家も声を上げた。更に、中国系、韓国系の若者たちが広島長崎記念日に参加し、亀裂どころか連帯を強化している。

 一方、カリフォルニア州の日系人権団体NCRRは、地元の慰安婦像設置運動を支援してきた。そして、「それによって日系人が差別の対象になったというケースはない」と断言している。

 昨年、「親学」の高橋史朗が「トロント正論の会」の招きで日系会館で講演した。集まったのは50名ほどの高齢の移住者だった。「子どもの発達障害は伝統的な子育てで防げる」といった非科学的な理論で批判を浴びている「親学」を提唱する高橋史郎が日本語で語る、国際人となるための日本の伝統的な子育て方法が北米でいかほどの意味があるのか。しきりに頷き聴き入るシニアたちの肩越しに見えてきたのは、「美しい祖国日本」への郷愁だ。そして、それは冒頭の自民党議員たちが共有する「大東亜戦争肯定史観」に重なってゆく。危険だと思う。

 今、カナダの日系社会は日本から押し寄せるナショナリズムの波にのまれつつある。多民族社会で育った若者たちの「共生の論理」に学ぶ時がきたのだと思う。自分たちの祖先に大きな刻印を残した南京虐殺事件を平和を願う記念日とすることで、「亀裂」を乗り越えて「和解」へ向かう第一歩としてほしいと思う。


たなかゆうすけ:元日系ボイス・マネージングエディター。フリーランス・ライター。和訳書に「ほろ苦い勝利」(1994)、「暗闇に星が輝くとき」(1999)等。

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カナダ・オンタリオ州議会の「南京大虐殺を記念する日」制定への日系人団体の反対に対する日系人の批判

日系カナダ人からオンタリオ州ウィン首相への手紙:私たち日系カナダ人は、オンタリオ州議会のBILL79(南京大虐殺を記憶する日の設立)を支持します。

田中裕介氏の過去の投稿
歴史に何を学ぶか ­– 80年後に甦った「石の声」

★週刊金曜日9月22日号の田中裕介氏の記事です。
注:金曜日の記事は記者会見の写真キャプションが誤っています。以下訂正します。
7月24日、トロント市内でB79法案を支援する記者会見が行われた。中央でマイクを持つのがスー・ウォング州議会議員。その右隣がアルファのジョセフ・ウォング医師。右端二人は、日系人側の支援者代表で作家のジョイ・コガワと日系人ユース・グループのレン・イトー。」



Monday, September 25, 2017

Satoko Oka Norimatsu: What We’re Forgetting in March to War with North Korea (Repost from Antimedia.org)

9月19日版の琉球新報の記事「偏向する北朝鮮報道 米日こそ自制を」の英語版が22日、独立系メディアのAntimedia.org に掲載されました。URL:
http://theantimedia.org/ignoring-millions-korean-lives-war/
許可を得てここに転載します。

What We’re Forgetting in March to War with North Korea

Reposted from Antimedia.org
September 22, 2017
Editor’s Note: The following is an English translation of an article that appeared in the September 19 edition of the Okinawan daily newspaper Ryukyu Shimpo. It was written by Satoko Oka Norimatsu, editor of the Asia-Pacific Journal: Japan Focus. Norimatsu is also the Director of Vancouver, BC, Canada-based Peace Philosophy Centre. 


This article, which the author translated into English herself, has been reposted with permission from Ryukyu Shimpo and lightly edited for clarity.
(ANTIMEDIA)  In a joint media conference with the Korean president Moon Jae-in on September 6, Russian President Vladimir Putin raised concerns over the possible impact of a total oil embargo (endorsed by the U.S., South Korea, and Japan) on civilian life in North Korea, including the negative effects on hospitals and other vital infrastructure.
Thankfully, the new set of sanctions that was subsequently approved by the United Nations Security Council approximately a week later did not include the total embargo, yet almost all Japanese media reported this as disappointing news.
Do Japanese people not care if innocent civilians freeze to death in North Korea, where the average temperature during the winter months is below zero?
Japan, hand in hand with the biggest nuclear power in the world, continues to threaten North Korea on a daily basis with their military bases and joint military exercises. Through this provocation, they also threaten Russia and China. The U.S. and its allies call their superpower threat “deterrence,” and, by comparison, they call the small and isolated country’s desperate effort to protect their sovereignty “provocation.” Mentions of severe sanctions and military force are made with ease and without any objection. Clearly, the Japanese government, media, and its people do not seem to consider the lives and livelihoods of the people on the Korean Peninsula — whether North or South — as important or noteworthy.
Even U.S. chief strategist Steve Bannon expressed major concerns over the 10 million people expected who could be killed in Seoul by conventional weapons in the first thirty minutes of a pending war with North Korea, alone, concluding “there is no military solution,” in an interview published on August 16. He was fired immediately after this.
Japan’s colonial mentality seemingly prevails in Japanese society 72 years after the country’s defeat in WWII. This can be seen in the discrimination toward Korean schools by excluding them from the public subsidy program and in Japan’s rising denial of the history of mass slaughters of Koreans in the aftermath of the Great Kanto Earthquake of 1923.
Perhaps, with this continuing historical prejudice added by their post-war blind subservience to the U.S., Japanese media from right to left are extremely biased when anything regarding the Korean Peninsula is concerned. They assume and portray North Korea as a villain while treating Russia and China – who seek political and diplomatic solutions – as if they are a nuisance.
Daniel Ellsberg, a whistleblower known for the leak of Pentagon Papers during the Vietnam War, said in an interview last year: “To avoid nuclear war, it is critical for the United States to declare no first use of nuclear weapons, and Japan should urge the U.S. to make that pledge.”
After Barack Obama visited Hiroshima in May last year, the former president seriously considered the no first use policy but did not follow through, partly because the Abe administration opposed it. If Obama had managed to make that pledge, the nuclear crisis we have seen unfolding this year would have had a very different outlook. Japanese people should be aware of their own country’s responsibility in inviting this current crisis. Abe, having fanned fear the way he has, said on August 29 that the situation “is a serious and grievous one that we have never seen before.
We cannot allow this farce to continue.
At the beginning of this month, a group of activists, scholars, and journalists, mostly based in North America, held a phone conference led by Peace Action’s Kevin Martin regarding the nuclear crisis. I also participated in this call. One of the topics discussed was the “double-freeze” solution proposed by China and endorsed by Russia, which would essentially have North Korea freeze its nuclear program and missile testing in exchange for the U.S. and South Korea freezing their military exercises. North Korea itself has made such proposals in the past, and the U.S. has consistently rejected them.
Many experts believe this proposal will open a door for dialogue, but the U.S. ambassador to the U.N., Nikki Haley, dismissed the notion outright, calling it “insulting.” That being said, there does not seem to be any serious consideration of this proposal in the Japanese media, either.
Now, more than ever, the media bears a heavy responsibility for preventing war.
Reposted from Antimedia.org

Friday, September 22, 2017

北朝鮮報道、日本政府や大新聞に欠けている視点:「レイバーネット」より転載 

本ブログから「レイバーネット」で紹介された記事の逆転載のようになりますが、「レイバーネット」で私の文を紹介してくれた長谷川澄さんのコメントごとここに紹介します。こちらこそ「レイバーネット」と長谷川さんに感謝します。

(以下、転載)
URL: http://www.labornetjp.org/news/2017/0921norimatu

北朝鮮報道、日本政府や大新聞に欠けている視点~コラム「乗松聡子の眼」


 長谷川 澄
 バンクーバーのピースフィロソフィーセンターの乗松聡子さんが、『琉球新報』に連載している「乗松聡子の眼」というコラムの9月19日に「偏向する北朝鮮報道、米日こそ自制を」と題する文が出ている。これを読んで、私はこれこそ、今の日本政府、日本の大新聞の朝鮮関係報道に最も欠けている視点だと感じた。つまり、朝鮮、韓国に住む、何千万の、政治に関係のない一般市民を思いやる視点、その人たちの生活を脅かしたくないという視点だ。ロシアやアメリカの政治家にさえある、その視点が、安倍首相やその周りから、一度でも表明されたことがあるだろうか。新聞も制裁を間違いなく遂行するために抜け道だらけの中国を監視すべきなどと、日本にどんな権限があって、どこで監視するのかと聞きたいようなことを書いている。
 日本だって、大部分の人が何はともあれ、外交交渉によって、現状を解決してもらいたい、武力衝突など真っ平と思っているはずなのに、日本が率先して、米朝を話し合いのテーブルにつかせるべきなどという意見はタブーのように新聞は書かない。それと正反対の米国の武力行使を煽るような意見さえ出ている。
 そもそも、日本が朝鮮半島を植民地支配することがなかったら、半島は南北に分かれてはいなかったはずだ。その植民地支配が原因で、日本に住むことになった人たちの子孫が周りにも居るだろうに、その人たちがどんなに平和的な解決を望んでいるか想像できないのだろうか。こんなに酷薄な政治家が権力を持っていたり、新聞にそれを批判する論調が殆どないことの恐ろしさに、日本の人はもっと危機感を持ってもらいたいと思う。
 『琉球新報』が乗松さんの意見を掲載したことに敬意を表したい。そして、レイバーネットに何とか記事を転載したいという私の願いを聞き入れて、自分で許可をとり、ブログに転載して、アクセスを可能にしてくれた、乗松さんに心から感謝します。
*写真=乗松聡子さん(ピース・フィロソフィー・センターHPより)

●「偏向する北朝鮮報道ー米日こそ自制を」(琉球新報から転載)
http://peacephilosophy.blogspot.ca/2017/09/it-is-us-and-japan-that-need-to.html

以上、「レイバーネット」(labornetjp.org)から転載しました。

Tuesday, September 19, 2017

「偏向する北朝鮮報道ー米日こそ自制を」(琉球新報から転載)It is the U.S. and Japan that need to restrain themselves --- Biased Reporting of North Korea in Japanese Media: from Ryukyu Shimpo

An English version of this article is posted at Antimedia.org. 
http://theantimedia.org/ignoring-millions-korean-lives-war/

9月19日『琉球新報』3面に掲載されたコラムを、許可を取って転載します。読んだ人から、

―――今、日本のメディアにも、日本の人たち自身にも、一番必要とされている視点だと思います。

といったような声をもらい、拡散したいがどうすればいいかという問い合わせがあったので転載許可を取りました。琉球新報に感謝します。

共有はこの投稿のURL
http://peacephilosophy.blogspot.ca/2017/09/it-is-us-and-japan-that-need-to.html
を広めることでどんどんしてください。
★記事画像だけ取り出して使用することは琉球新報の許可なしにはできません。

琉球新報社提供
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関連記事:
「北朝鮮」を悪魔のように言う日本の人たち、この歴史を知っていますか:ブルース・カミングス「朝鮮半島の血塗られた歴史」

ティム・ショロック「北朝鮮との外交は可能」


Monday, September 18, 2017

ティム・ショロック「北朝鮮との外交は可能」Tim Shorrock: Diplomacy With North Korea Has Worked Before, and Can Work Again

 1990年代初頭に始まった北朝鮮核開発疑惑が、1994年の米朝枠組み合意、1997年に始まるミサイル実験、2003〜2007年の六者会合、2006年から始まった核実験を経て、現在の危機的状況に発展するまで、米国と北朝鮮の間ではどのような交渉が行われていたのだろうか。この間に北朝鮮は金日成から金正日、金正恩と指導者が交代し、米国はクリントンからブッシュ、オバマ、トランプと大統領が代わった。クリントン政権下の枠組み合意にはカーター元大統領の外交も関わっている。北朝鮮が一貫して求めてきたのは、敵国扱いを止めて関係を正常化することだった。この外交交渉は成功の一歩手前まで到達していた。枠組み合意は実際に北朝鮮の核開発活動を10年以上にわたって止めていた。しかしアメリカが石油支援を予定通り実行しなかったことで北朝鮮はミサイル実験を開始した。ミサイル協定を調印するはずだったクリントンは、ブッシュ対アル・ゴアの大統領選で米国に釘付けされてしまった。ブッシュ政権以降のネオコンの台頭で「悪の枢軸」と名指しし、北朝鮮の核実験に米韓軍事演習で対抗して関係はこじれていく。オバマの戦略的忍耐はさらに状況を悪化させただけで、トランプはこの全ての結果に向き合っている。ここまで関係が悪化した責任の半分は米国にある。いま、北朝鮮を一方的に敵視するのではなく、交渉が成功していた過去の歴史に学ぶ必要がある。
 米国のジャーナリズムの中でこの問題について十分な情報と現地での観察をもとにバランスの取れた発言を続けるティム・ショロック氏が、『ザ・ネイション』に寄稿した記事を翻訳して紹介する。

原文:https://www.thenation.com/article/diplomacy-with-north-korea-has-worked-before-and-can-work-again/

(前文・翻訳:酒井泰幸)

★翻訳はアップ後、修正する場合があります。


過去に成功していた北朝鮮との外交、再び成功の可能性はある

1994年枠組み合意のような過去の交渉が効果を上げなかったというタカ派の言説は誤りだ。


ティム・ショロック著
2017年9月5日

2017年8月は、最も恐ろしく危険な冷戦の日々を思い起こさせた。この1カ月というもの、ドナルド・トランプと金正恩(キム・ジョンウン)は激しい舌戦を繰り広げ、これが報復的な軍事力の誇示へと発展し、最後には互いに大量破壊を行うぞと脅した。この緊張が頂点に達したのは9月3日、北朝鮮が6度目で過去最大の核実験(今回は強力な水素爆弾)を実施し、大陸間弾道ミサイル(ICBM)に核爆弾を搭載する能力を手にしたという驚くべき発表だった。危機は制御不能となって、ここ数ヶ月トランプの外交政策チームが約束していた外交と交渉のチャンスは、日に日に遠ざかっていくように見えた。

皮肉にも、事件の連鎖は8月15日の明るい兆しから始まった。このとき金正恩(キム・ジョンウン)は、米軍が駐留するグアム島に向けて弾道ミサイルを打ち上げるという大々的に報道された計画を、柄にもなく撤回した。金正恩の突然の決定は、トランプだけでなく米国の外交提案の最前線にいるレックス・ティラーソン国務長官からも、賛意を引き出した。ティラーソン国務長官は、金正恩の「自制」が米国の出した対話の条件(核爆弾とミサイルの実験停止)を満たすかもしれないと提案した。この条件は、ティラーソン国務長官が最近ウォール・ストリート・ジャーナルに寄稿した、ジェームズ・マティス国防長官と共著の論説で明らかにしたものだった。

だが金正恩(キム・ジョンウン)は、米国が「敵視政策と核による脅し」をやめなければ交渉に応じないと言い、「もしもヤンキーどもが極めて危険で無謀な行為に固執するなら」ミサイル実験を再検討すると警告していた。彼が言っていたのは8月21日に開始された米韓軍事演習のことで、報道によれば、そこには北朝鮮に対する先制攻撃の予行演習と、コンピューター上の核戦争ゲームが含まれていた。この威嚇行動に対抗するため、北朝鮮は短距離ロケット3発の試射に続いて中距離ミサイルを1発、北海道を飛び越えて発射した。

案の定、金正恩(キム・ジョンウン)の行動は米国の対抗措置に拍車をかけ、グアムに配備されたB1-Bランサー超音速爆撃機が、日本の米国海兵隊岩国基地から飛び立った4機のF-35B新型ステルス・ジェット戦闘機に護衛されて、朝鮮半島上空で爆撃演習飛行をした。数日後、北朝鮮はICBMに搭載可能な水素爆弾を開発したと発表し、予告通りすぐにそれを実験して大規模な地下爆発を起こした。トランプはツイートで北朝鮮を「ならず者」国家と非難して応酬した。続いてトランプは文在寅(ムン・ジェイン)大統領が北朝鮮との関与(エンゲージメント)を優先する姿勢を「宥和政策(ゆうわせいさく:譲歩することで摩擦を回避する外交政策)」と呼んで韓国を侮辱し、文大統領の側近が模索する外交を明らさまに妨害した。

マティス国防長官はその前の週に「我々は決して外交的解決策が尽きてしまったわけではない」と記者らに語っていたが、すぐに朝鮮半島問題では米政権の足並みは揃っていると請け合った。9月3日に行われたホワイトハウスでの緊急会合のあと、マティス国防長官はカメラの前に立ち、トランプはさらなる脅威に「大規模な軍事行動で対応」し、それは「効果的かつ圧倒的」なものになるだろうと言った。米国は北朝鮮の「完全な壊滅を望んでいるわけではなく」、核開発計画を終わらせたいだけだと、マティス国防長官は不吉に言い添えた。これを受けてニッキー・ヘイリー国連大使は9月4日に、北朝鮮は「戦争を請い願って」いるので、「可能な限り強力な制裁措置」を受けるべきだと、国連安全保障理事会で演説した。だがヘイリー国連大使は対話の門戸を閉ざすことはせず、「我々は遅きに失する前に持てる全ての外交的手段を最後まで使う時が来た」と語った。

状況の重大さが米国政府に理解され始めるにつけ、マティス国防長官とヘイリー国連大使による言葉はあまり頼りにならないとは言え、外交と交渉のが僅かにでも開いていることを示しているように見えた。「現政権がイデオロギー的に交渉に反対しているとは思わない」と、ブッシュ政権の元当局者でソウル駐在米国大使に間もなく指名されるビクター・チャは、9月5日にザ・ネーションに語った。だがそこにあるのは大きなジレンマだ。

北朝鮮との対話は、米国政府では無理な相談なのだ。多くの当局者や専門家の間で支配的な見方は、北朝鮮は信用できないから直接交渉は悪い考えだというものだ。このような否定論者が真っ先に口にするのが、悪評高い「枠組み合意」だが、ビル・クリントン大統領と金正恩(キム・ジョンウン)の父である金正日(キム・ジョンイル)との間で交わされたこの合意は、北朝鮮との最初の核危機を1994年に終結させた。64人の民主党議員が先ごろティラーソン国務長官に送った書簡では、将来の対話の模範として引き合いに出された

「クリントン政権はこの協定を交渉したが、北朝鮮政府はすぐにこれを破ったのだ」と、CNNのジョン・キングが視聴者に向けて自信たっぷりに説明したのは、北朝鮮が米国を攻撃できるICBMを試射した直後の7月5日のことだった。キングが一片の証拠も示さずにその日何度も繰り返したこの見解が、CNNやその他のネットワーク系テレビ局での基本路線となり、関与が過去に成功していたという声を一貫して遮っている。この見解は、厳しい制裁措置と政権交代を支持する人々の合言葉にもなった。

「関与ですって?私はそこにいて、それを実行し、Tシャツをもらったけれど、全ては失敗でした」と、元CIA当局者で右派ヘリテージ財団のブルース・クリンガー北東アジア担当上級研究員は、ワシントンで先月開かれた公開討論会で、北朝鮮当局者との短時間の接触について語った。2007年から2008年の「六者会合」でブッシュ政権側に立って交渉したクリストファー・ヒル元ソウル駐在米国大使でさえ、対話否定派の論陣に加わり、これ以上の交渉は「ならず者政権の支配力を強化する」だけだと宣言した。同様の主張を、米国元当局者3人が先週のニューヨーク・タイムズとの対談で行った。

だがもしこの予測が正しくなかったら、もし公式な筋書きが間違いだったらどうだろうか?枠組み合意がなし得たことは一体何だったのか、なぜどのように壊れてしまったのか?いま多くの共和党議員が主張するように、本当にクリントン大統領の合意が北朝鮮に核爆弾を与えたのか?64人の民主党議員が、合意の成功を「再現するために誠心誠意努力する」ようティラーソン国務長官に訴えたとき、何を意図したのだろうか?1994年合意と、北朝鮮政府との交渉で幅広い経験のある米国元当局者らへの聴き取りを注意深く見直すと、合意が崩壊した責任は米国と北朝鮮が等しく負うべきものだということが明らかになる。これは一般的な見方ではないが、今我々が直面するリスクはあまりにも高いので、この枠組み合意をめぐっては正しい理解をすることが重要だ。

1994年合意で米国が対応しようとした地域政治的危機の発端は、その年に北朝鮮が核拡散防止条約から脱退する意思を表明したことだった。この条約は核兵器の開発や取得を決して行わないという同意を非核国に求める。北朝鮮は核兵器を保有していなかったがプルトニウムを製造しており、このことで米国はプルトニウム施設に対する先制攻撃を開始する寸前まで行っていた。

この戦争を回避したのは、ジミー・カーター元大統領が平壌を電撃訪問し、北朝鮮の創始者で当時の指導者、金日成(キム・イルソン)に面会した時だった。(金日成はその数ヶ月後に死去し、権力は息子の金正日(キム・ジョンイル)が世襲した。)合意枠組みは1994年10月に調印され、「非難の応酬と、膠着状態、瀬戸際外交、武力による威嚇、軍事的圧力、張り詰めた交渉が、断続的に続いた3年間」が終結したと、パク・クンヨン教授(韓国カトリック大学校で国際関係が専門)は2009年に出した交渉史の中で書いた。

この合意では、寧辺(ニョンビョン)で運転中だった北朝鮮で唯一の原子炉を閉鎖するとともに、北朝鮮は大型原子炉2基の建設も中止したが、「これら合計で毎年核爆弾30発分のプルトニウムを作り出す能力があった」と記すのは、1994年枠組み交渉を支援したレオン・V・シーガル(国務省の元当局者)で、彼はニューヨークの社会学研究委員会で北東アジア安全保障プロジェクトを指導している。この合意において米国にとって最も重要だったのは、北朝鮮が核拡散防止条約に留まることだった。

北朝鮮の譲歩と引き替えに、米国は毎年50万トンの燃料用重油を北朝鮮に供給するとともに、北朝鮮が使っていたソビエト時代の重水炉施設よりも「核拡散しにくい」と考えられる商用軽水炉2基を提供することに同意した。新たな原子炉は朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)と呼ばれる日米韓の共同事業体によって2003年に建設される予定だった。(しかし、この原子炉が完成することはなかった。)

ソビエト連邦崩壊後に経済が荒廃していた北朝鮮政府にとって最大のご褒美は、米国が北朝鮮を敵国のように扱うのを止めると約束したことだった。具体的には、両国は全面的な外交経済的正常化に向け可能な限り速やかに行動することを合意した。実際の展開は次のようなものだった。

第一に、枠組み合意は北朝鮮のプルトニウム型核兵器計画を10年以上にわたって停止させ、核爆弾100発分以上のウラン濃縮を諦めさせた。「よく知られていないのは、北朝鮮は1991年から2003年までいかなる核分裂性物質も作らなかったことです」とシーガルはいう。(国際原子力機関(IAEA)は1994年に、北朝鮮が3年前からプルトニウムの製造を停止していたことを確認した。)北朝鮮をめぐる「この一連の経緯のかなりの部分が空想とされているのです」と、シーガルはため息交じりに付け加える。

第二に、枠組みはブッシュ政権になっても効力を保っていた。1998年に米連邦議会で、国務省のラスト・デミングは「枠組み合意のどの面でも基本的な違反は無かった」と証言し、4年後にブッシュ政権当時のコリン・パウエル国務長官が同様の宣言をしている。「米連邦議会の人々が、合意にはそれが印刷されている紙ほどの価値も無いと言うのを聞くと、私は本当に腹が立つ」と語るジェームス・ピアースは、ロバート・ガルーチ北朝鮮核問題担当大使が率いる国務省のチームで枠組み交渉を担当した。「結論を言えば、1994年合意には有効だった部分がたくさんあり、長年にわたって継続しました。それを北朝鮮がすぐに破ったという主張は、いまや金科玉条となっていますが、断じて真実ではありません。」

第三に、枠組みとその結果生じた継続的な関与のおかげで、ウィリアム・ペリー国防長官が率いるクリントン政権は、一連の目覚ましい対話を開始することができ、北朝鮮との関係を打開する寸前まで行っていた。交渉が進展すると、金正日(キム・ジョンイル)は驚くような提案をした。敵視政策を止めることと引き替えに、北朝鮮は全ての中長距離ミサイルの開発、実験、配備を中止する用意があるというのだ。だが合意が完遂されることはなかった。(マデレーン・オルブライト国務長官の下で参事官を務めたウェンディ・シャーマンは、両国は「じれったいほど接近していた」と後に書いた。)「実際、彼らは(米国との)関係改善のためならミサイル計画を引き替えにしても良いと思っていました。そして、これは北朝鮮が核を持つ前に起きたことなのです!」とシーガルは私に語った。

第四に、北朝鮮にとって合意の最も重要な部分だった、米国からの石油の供給と政治経済的関係の全面的な正常化を遅らせたことで、米国自身が枠組みに違反した可能性がある。米国が約束した石油の供給が遅く、敵視政策を止めるという誓いは立ち往生しているとして、北朝鮮は1997年までに激しく苦情を申し立てていたとシーガルは回想する。米国によるそれらの約束が、そもそも金正日(キム・ジョンイル)が合意に署名した理由だったからだ。1998年の下院公聴会でガルーチ北朝鮮核問題担当大使は、米国政府が石油供給について「やると言ったことを、責任を取って」やらなければ失敗すると警告した。「北朝鮮が1998年に(他の軍事的選択肢を)模索し始めたのは、このような背景によるものだった。米国は約束を果たしていないという北朝鮮政府の確信が高まったのだ」と、元CNN記者で『メルトダウン:北朝鮮核危機の内幕』の著者マイク・チノイは、先日『ザ・サイファー・ブリーフ』の痛烈な記事に書いた

最後に、枠組みが2003年に崩壊したのは、合意について重大な疑いを持って就任したブッシュ政権が、1990年代の米国機密情報を蒸し返し、北朝鮮が原爆への第二の手段として高濃縮ウラン計画を開始していたと非難した後だった。(北朝鮮は後に使うために濃縮装置を世界中で探し回っていたが、実際にはまだ持っていなかった。)ブッシュは枠組み合意を破棄し、1年前の2002年1月に彼が北朝鮮を「悪の枢軸」の一翼と名指しして火が付いた関係悪化を、さらに深刻なものにした。これに対抗して北朝鮮はIAEA査察官を国外追放し、同国初の核爆弾の製造を開始して2006年に完成させ、今日まで続く第二の核危機を引き起こした。「北朝鮮は(我々を欺いて)両面作戦をとっていたのだと思います。なぜなら我々も北朝鮮を欺いていたからです」と、2002年にコリン・パウエル国務長官の首席補佐官だったローレンス・ウィルカーソンは、先日リアル・ニュース(テレビ放送ネットワーク)で語った

言い換えれば、この話の全体像は複雑で、責任はどちらの側にもあると言うことができる。だがその結果は悲惨なものだったと、元国務省当局者のシーガルが、彼の見事な米朝交渉史の中でまとめている。(これは韓国統一研究院とコロンビア大学ロースクールから昨年出版された。)

「ブッシュ大統領が就任したとき、それまでの外交が成果を上げて、北朝鮮は長距離ミサイルの実験を停止していた」とシーガルは書いた。「核爆弾1発分以下のプルトニウムしか持っておらず、もう製造していないことは検証されていた。その6年後、米国の約束違反と金融制裁の結果、核爆弾7から9発分(のプルトニウム)を保有し、長距離ミサイルの試射を再開し、思う存分核兵器の実験を行った。」そのとき以来、「どちらの側も誓約を守らず交渉を継続しなかった」ので「どんな成果も長続きしなかった」と、彼は先日の解説で指摘した

2008年の大統領選でオバマは北朝鮮の指導者と対話すると公約したにもかかわらず、交渉を再び軌道に乗せることをしなかったので、実際にはオバマ政権下で状況は悪化した。トランプはこれらの失策が残したものに取り組んでいるのであり、8月9日に直接対話の考えをしぶしぶ支持したとき、彼はこのことを理解していたようだった。トランプは記者たちに向かってこう言った。「これまで25年間交渉してきました。クリントンをご覧なさい。彼は交渉に負けたのです。彼は弱腰で無能でした。ブッシュ政権で起きたことを、そしてオバマ政権で起きたことをご覧なさい。オバマは、これを口に出すことさえ望みませんでした。でも私は話します。タイミングの問題です。誰かがやらなければならないのです。」

トランプの言う事実はいつものように的外れだが、対話が必要だという彼の結論は妥当なものだ。しかし、それを実行するためには、彼の政権は枠組み合意を沈没させたのと同じような政治的攻撃に対処しなければならない。そして今回は、北朝鮮との外交が成功したことなど一度もないと信じる外交政策の強硬派から反対が出てきそうだ。

枠組み合意を語る歴史の多くは、ある重要な事実を見逃している。調印の1ヶ月後、共和党が40年ぶりに米連邦議会で多数を占めたのだ。「合意が締結されるや否や共和党が上下院を掌握し、合意を危機にさらした」と、シーガルは米朝交渉史に書いた。署名のインクも乾かないうちに、ニュート・ギングリッチら共和党指導者、特にジョン・マケイン上院議員が枠組みを攻撃し、これが本質的には核拡散に関する国際法に従うよう北朝鮮に賄賂を渡して米国をさらなるリスクにさらす裏切り行為だと非難した。「カーター大統領時代の、宥和(ゆうわ)政策に逆戻りしているのです」と、マケインは1994年10月にPBSテレビのマクニール・レーラー・ニュースアワーで語った。

合意の過程で、共和党はKEDOと燃料油の鍵となる資金提供を遅らせたので、クリントン政権は他に資金源を探さざるを得なくなり、供給の遅れは著しく、「ときには数年」にもなったと、元CNN記者のチノイはいう。このことで、合意の条件を実行に移すため北朝鮮と直接向き合った米国外交官は困難に直面したと、ピアースは回想する。彼は長期間を平壌で過ごし、北朝鮮に到着した燃料油がどこへ流れていくかを、北朝鮮当局者と共同で監視した。「我々が(資金を)かき集めたのは、米連邦議会から追加の予算はこれ以上もらえないことが分かっていたからです。それでも自力で引き渡すほかありませんでした」と彼はいう。

米国の連邦議会と行政府が対等な力を持っていることを良く心得ていた北朝鮮政府は、この遅れを1994年に締結した合意の破棄とみなした。その怒りにもかかわらず、父の死から間もなく権力基盤を固めた金正日(キム・ジョンイル)政権は、IAEA査察下で寧辺(ニョンビョン)に貯蔵されていた使用済み燃料の再処理や、原子炉の再稼働を試みることはなかった。だが防衛手段として北朝鮮が開始した中長距離ミサイルの建造は、それまでの交渉に含まれていないものだった。1997年までに北朝鮮は2発を試射し、米国防省は恐怖に身を震わせた。

1998年に、米国の敵視政策を終わらせるよう説得する必死の試みで、北朝鮮はミサイル計画を交渉のテーブルに乗せることを提案した。クリントンが難色を示すと、北朝鮮政府はテポドンと呼ばれる3段式ロケットを打ち上げ、人工衛星を宇宙に送ろうと試みたが失敗した。これが引き金となって、クリントンはペリー国防長官を平壌への特命使節に指名してミサイル交渉を開始し、膠着状態を脱する寸前まで行った。

再び交渉に入るという金正日(キム・ジョンイル)の決断の鍵となった要因は、韓国の大統領、金大中(キム・デジュン)との緊張を緩和する努力が実を結んでいたことだった。韓国野党の元指導者が1996年に政権について以来、北朝鮮に向けた新たな「太陽政策」を支持し、朝鮮半島の分断を政治・経済・文化的関与を通じて解消することを目指した。2000年に、非武装中立地帯(DMZ)の両側に住む何千万人もの韓国朝鮮人に希望を与えた類い希な光景の中、2人の金(キム)は史上初の南北首脳会談で面会し、朝鮮半島を非核化すると宣言した。

これらの展開が米朝の対話に弾みを付けた。南北首脳会談から程なく、北朝鮮の高官で金正日(キム・ジョンイル)の副司令官だった趙明禄(チョ・ミョンロク)元帥は、ワシントンD.C.を訪れ、クリントン大統領や他の米国高官とホワイトハウスで面会した。シーガルによれば、二人は米朝の緊張を完全に終わらせることを意図した共同声明に調印し、朝鮮戦争を終結させた1953年の停戦協定を「恒久的平和協定」に転換することを含め、二国間関係を「公式に改善する」ために対話を開始することを誓った。その後間もなく、オルブライト国務長官が平壌に飛び金正日と面会した。

このミサイル協定には、全ての製造と実験を中止する金正日(キム・ジョンイル)の約束が含まれていたが、クリントン自身が平壌を訪問して締めくくる予定だった。だが彼はこの訪問を行わなかった。その理由で最大のものは、民主党のアル・ゴアと共和党のジョージ・W・ブッシュが争って紛糾した2000年の大統領選をめぐる、アメリカを揺るがした法的混迷の間、クリントンの顧問が彼をワシントンに引き留めたからだった。北朝鮮ミサイル計画の一時停止措置は2007年まで続いたが、合意が調印されることはなかった。「あの時が、全てが違う方向に進むかもしれないと思われた瞬間でした」と、ペリー元国防長官は1999年対話についての先日のポッドキャストでニューヨーク・タイムズに語った

次にネオコンが現れ、対話はすっかり消え失せた。「ブッシュ大統領の下で、時計の針は戻され、(枠組み合意は)クリントンの過ちということになり、無効化し撤廃すべきものということになった」と、韓国カトリック大学校で国際関係が専門のパク教授は書いた。

枠組み反対派の代表格はブッシュ政権の国防長官ドナルド・ラムズフェルドだった。クリントン時代には、彼が議長を務める連邦ミサイル防衛委員会は北朝鮮とイランを危険な「ならず者国家」と特定し、強圧政策と、当然ながら堅固なミサイル防衛システムが必要とされた。その一方で、国務省では強硬な反対派のジョン・ボルトンが軍備管理担当国務次官として枠組みの条件を激しく批判した。(彼は現在、米国が北朝鮮の核開発計画を廃絶することは「北朝鮮を抹殺する」ことによってのみ可能だと言っている。)

政権初期にホワイトハウスで金大中(キム・デジュン)と面会したとき、ブッシュはクリントンの朝鮮半島外交に対して不快感を示した。まだ2000年の金正日(キム・ジョンイル)との南北首脳会談の満足感にひたっていた金大中は、交渉を継続すべきことをブッシュに説得できると期待していた。だが金大中は屈辱を受けた。ブッシュは、北朝鮮を信用せず金大中の「太陽政策」を支持するつもりはないと、テレビ生放送で告げたのだ。

数ヶ月後、コリン・パウエル国務長官の下、国務省の現実主義者が再検討の後で北朝鮮との対話の再開を決断したとき、ボルトン国務次官が率いる強硬派が枠組みの沈没を狙って、1998年のウランの「発見」に飛びついた。「枠組み合意は死んだという決定的な結論が欲しかった」と、ボルトンは後に説明した。

2002年10月に、ブッシュはジェイムズ・ケリー国務次官補を平壌に送り、北朝鮮に最後通牒を渡した。ケリーはディック・チェイニー副大統領とボルトン国務次官からいかなる交渉にも応じないよう厳命されていた。北朝鮮の対談者たちはウラン計画を実施中であるとの疑いは否定したが、その非難については議論しようと提案した後でさえ、ケリー国務次官補はこの命令に従った。「ケリーには副大統領事務局とジョン・ボルトンの参謀の両方から目付役が付いていました」と、国務省情報研究局の元北東アジア課長ジョン・メリルは回想する。「ケリーはこの問題について最初から調べにいくようなつもりはありませんでした。彼は北朝鮮の発言がウラン計画の存在を認めたものと決めつけて帰国しました。」

この説明によれば、北朝鮮はウラン計画の「権利」を有するが、ミサイルについては、より広い交渉の一部としてこの問題を議論する意思があると、ケリーに語った。だが、政権内の強硬派はこの提案を拒否し、枠組みの打ち切りを決定した。数ヶ月のうちに、北朝鮮はIAEA査察官を追放し、核拡散防止条約を脱退し、寧辺(ニョンビョン)核施設を再稼働させ、最初の核爆弾に向けて突き進んだ。

コンドリーザ・ライス元国務長官はブッシュ政権での自らの経験を綴った回顧録で、米国が高濃縮ウラン計画について北朝鮮との対話を拒否したことは、大きな間違いだったと記した。「(ケリーの)指示があまりにも拘束的だったので、ジミー・カーター元大統領は(核)計画を交渉のテーブルに載せるとしたら突破口は何なのか十分に探ることができなかった」とライスは書いた。後の2008年にヒラリー・クリントンが大統領に立候補したとき、彼女はこのことに気付き、ブッシュ政権が高濃縮ウラン計画を枠組み合意無効化の口実に使ったことを激しく非難した。「(枠組みが)破棄されると、全てを帳消しにされた北朝鮮が猛烈な勢いでプルトニウムの処理を始めたことは、議論の余地がありません」と彼女はワシントン・ポストに語った。

それ以来、2002年に北朝鮮が実際に本格的なウラン型核兵器計画を持っていたかどうかについて、多くの分析家が疑問を投げ掛け、むしろ本当にあったのはウラン濃縮の実験計画で、「したがって米国の安全保障に深刻で差し迫った脅威を与えることはなかった」ことを示唆したと国際関係学者のパク教授はいう。ウラン計画の存在についてCIAは「中程度の確実性」しか持っていなかったと2007年に米情報機関高官が米連邦議会で語ったことで、このことは裏付けられたようだった。(最終的に北朝鮮は核兵器を開発し、2010年には核施設を米国の科学者に公開した。)

それでも、北朝鮮はあきらめなかった。2003年10月にクリントンやペリー国防長官とともに練り上げたのと同様の文言を使った不可侵条約に、もし米国が調印するなら、北朝鮮は核兵器計画を放棄すると提案した。だがこれはブッシュにとって遠すぎた橋だった。「我が国は協定を結ばない。それは交渉の対象外だ」と彼は言った。2006年までに、北朝鮮は核爆弾を作るのに十分なプルトニウムを処理し、同年には初の核爆発装置を起爆させた。(米朝対話の詳しい経緯は、軍縮情報機関のアームズ・コントロール・アソシエーションが公表した年表を参照。)

だがブッシュ政権下でネオコンが非常に大きな影響を持っていたにもかかわらず、北朝鮮との対話は米国だけでなく、六者会合のもと中国、ロシア、日本、韓国との間でも継続した。驚くべきことに、1980年代から米国が食い止めようとしてきた「レッド・ライン」である核実験を2006年に北朝鮮が実施した3週間後に、ブッシュは六者協議の一環として北朝鮮との直接対話の開始に同意した。

この対話は、特定の条件が満たされれば北朝鮮は核兵器を放棄し核拡散防止条約に復帰する用意があるという、2005年の宣言の結果だった。膠着状態と危機が2006年の核実験に至った後、2007年2月に北朝鮮は核実験を停止し原子炉の運転を止めた。その数ヶ月後、北朝鮮は寧辺(ニョンビョン)のプルトニウム施設の無効化に同意した。これと引き替えに、米国は制裁措置を緩和し北朝鮮をテロ支援国家のリストから外すことを約束した。だが、北朝鮮政府のウラン濃縮とプルトニウム処理活動の検証の問題をめぐって、この合意は間もなく破綻した。

クリントンの2000年合意と同様に、ブッシュの交渉は2007年10月に行われた2回目の南北首脳会談など朝鮮半島内での進展に助けられた。だが首脳会談から間もなく、韓国では革新派の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領に代わって、太陽政策に断固反対する右派の李明博(イ・ミョンバク)が就任した。李明博を支援した日本の新たな保守政権も関与を拒否し、李明博は書面による検証制度を要求し、これをブッシュはすぐに承認した。

しかし北朝鮮はこの要求が盧武鉉(ノ・ムヒョン)政府の調印した2005年協定に違反しているとして激しく反発した。これに対抗して、日韓両国は北朝鮮へのエネルギー支援を打ち切ったので、六者会合は宙に浮いた。(李明博の強硬政策は、後継者の朴槿恵(パク・クネ)にも引き継がれたが、北朝鮮との緊張を大幅に高めて現在の危機の到来を招いたと、現在の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は5月に『ザ・ネーション』の対談で私に語った。)

しかし、六者会合はオバマ就任後の数ヶ月まで崩壊しなかった。シーガルの詳細な交渉史によると、オバマ大統領とアジア担当最高顧問のジェフリー・ベイダーは2009年に、北朝鮮に要求している検証計画を受け入れさせるため、エネルギー支援の差し止めを圧力として使うという李明博(イ・ミョンバク)大統領の提案を受け入れることを決定した。李明博はオバマ大統領との緊密な友好関係という強みもあったが、ニューヨーク・タイムズはこれを「大統領レベルのマン・クラッシュ(男同士の憧れの感情)」と見なした

オバマは2008年大統領選で支持していた北朝鮮との直接対話という考えを捨て去った。シーガルによれば、米国の政策は「交渉のない圧力だけの政策」となった。公式には、この政策は「戦略的忍耐」として知られているが、その背後にあったのは北朝鮮が崩壊に向かっているという前提だった。オバマと李明博(イ・ミョンバク)の圧力戦術は緊張を高めただけで、その結果、北朝鮮はさらに核爆弾とミサイル実験を行っただけでなく、2010年には危うく軍事衝突に発展しそうになった砲撃事件も発生した。

状況が悪化すると、オバマは韓国と一連の軍事演習に乗り出し、その規模と頻度はオバマ政権の間に増大して、現在では金正恩(キム・ジョンウン)との緊張関係の中心になっている。それでもなお、対話はシーガルなど米国元当局者のルートを通じて散発的に続いている。

2010年に、米国が北朝鮮に対し「敵意を持たない」ことを誓うことと引き替えに、北朝鮮は兵器級のプルトニウム製造の主原料である核燃料棒を第三国へ搬出することを、このルートを使って提案した。だがオバマ政権は「聞く耳を持たなかった」と会談に参加した元交渉担当者のジョエル・ウィットはいう。2015年に、敵対に終止符を打つ平和条約に向けた包括的提案を北朝鮮が行ったが、これも直ちに拒絶された。

デイビット・サンガーがタイムズ紙の年代記に書いたように2016年末までに、オバマは電子的攻撃を使って北朝鮮のミサイルとその供給網を「妨害する」攻撃的なサイバー戦略を決定した。オバマが退任してトランプがホワイトハウスに来たときには、関係はほとんど修復不可能なまでに悪化していた。

今年の4月に、一連のミサイル実験を受けてトランプは勢いを増し、それからの緊張は天井を突き破った。しかし、私が『ザ・ネーション』で報告したように、北朝鮮は米国が、1994年枠組み合意で捨てると言っていた「敵視政策」を捨てなければ交渉は不可能だという考えにしがみついている。

現在、トランプ政権は北朝鮮に対する制裁措置を中国への圧力と組み合わせ、北朝鮮を交渉のテーブルに着かせようとしている。これはある程度まで成功したかもしれない。8月14日に金正恩(キム・ジョンウン)が身を引いたのは、中国政府が北朝鮮からの石炭、鉄鋼、海産物の輸入を即時禁止すると発表した数時間後のことだった。この決断は中国が8月に国連安全保障理事会が課す厳しい制裁措置に異例の支持票を投じたことを受けたものだった。

だが、ジェームス・クラッパー元米国国家情報長官など米国元当局者が提唱したように、ある時点で米国は金正恩(キム・ジョンウン)の代表者たちと交渉のテーブルに着き、北朝鮮を非核化への道に乗せるため何らかの合意を目指す必要に迫られるだろう。さもなければ、北朝鮮を核兵器保有国と認め、北朝鮮の計画の沈静化を目指すことになる。(過去の交渉担当者の中には意見を異にする者もいる。)北朝鮮は米国が核開発計画を承認すれば外交の道が開けると語ったことを、先週CNNのウィル・リプリーが報告した

今週、国連で中国とロシアが再び主張したのは、北朝鮮をここまで激怒させた大規模な米韓軍事演習を停止または規模縮小するかわりに、北朝鮮が核爆弾とミサイルの実験を停止するという、「凍結には凍結を」政策こそ、対話を開始する最も良い方法だということだ。この交換条件をトランプ政権は拒否した(ヘイリーはこれを「侮辱的」と呼んだ)が、米国の元交渉担当者は、クリントンが韓国での米国「チームスピリット」演習を停止したことが、枠組み合意を承認させる上で「不可欠」だったということを、先日行われた秘密の電話会談で朝鮮半島問題専門家たちに思い出させた。同時に、先日の世論調査では、米国民の60%が北朝鮮との交渉による解決に賛成であることを示している

1994年の時点で、妥協点は敵対関係を終わらせることと平和を見出すことの間に来るはずだった。この交渉史のどこかに、ティラーソン国務長官とトランプ大統領は、1945年の冷戦の夜明けまで遡るこの紛争を解決する鍵を見つけるかもしれない。だがそれは、文在寅(ムン・ジェイン)大統領が何度もトランプに念を押しているように、韓国の全面的強力を得て行わなければならない。「だれも韓国の合意なしに朝鮮半島で軍事行動を行う決断を下すことは許されるべきではない」と文在寅は珍しく率直な8月15日の声明で宣言した。制裁措置と圧力の目的は「北朝鮮を交渉のテーブルに着かせることであり、軍事的緊張を高めるためではない」と彼は付け加えた。

盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権で韓国外交通商部の長官として文在寅(ムン・ジェイン)とともに働いた尹永寛(ユン・ヨングァン)は、9月5日にワシントンで行われた米韓関係に関する会議で、この意見を補強した。現在のような緊張が続く間は、「我々は外交ルートを開いておき、可能なことを模索しなければならない」と彼は言った。

彼は、米朝の政治経済的関係の正常化に関する1994年枠組みの条項を指していた。「北朝鮮はそれを強く期待していた。我々は彼らに(交渉の)動機を何か与えなければならない」と彼は言った。歴史家のブルース・カミングスが数週間前に思い起こさせたように、トランプが周知の通り8月9日に脅したような「炎と怒り」の戦争が再び起きることは、問題外なのだ。

(本文終わり)

著者:
ティム・ショロックはワシントンD.C.に本拠を置くジャーナリスト でSpies for Hire: The Secret World of Intelligence Outsourcing (『雇われるスパイ:諜報活動の密かな外注化』)の著者。


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