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Tuesday, May 28, 2019

元カナダ兵日本軍捕虜 ホラス(ジェリー)・ジェラード氏を偲ぶ Remembering Horace (Gerry) Gerrard (January 19, 1922 - May 22, 2019), a Canadian Hong Kong Veteran

日本が1941年12月8日未明、マレー半島上陸続いて真珠湾攻撃によって「太平洋戦争」を開始した、その数時間後に大陸側からの日本軍の攻撃で始まった香港における英国軍との戦い(現地時間8日午前7時開始)については知らない人が多いのではないだろうか。英国側は14,000人(植民地インド兵、現地兵を含む)に対し日本側はその3倍以上という、圧倒的な兵力の差と英国側の装備不足や戦略のまずさもあって、12月25日英国軍は降伏した。

英国軍のうち1,975人は、英国の求めに応じてカナダ政府が派遣した二大隊であった。香港は実際に戦争になったら守り切れないということは明白であったが、駐屯軍を増強して蒋介石や米国に対し香港防衛の意思を示すといった、軍事よりも外交政治的動機による決定だった。宗主国の体裁や面子のために若きカナダ兵たちは太平洋を越えて絶望の待つ任務に就くことになる。

結果、1,975人のうち、290人が戦闘で死亡、生き残った者は捕虜として、3年8カ月の過酷な奴隷労働生活を強いられた。飢えと病気と暴行の日々の中で267人が死亡、合計死傷者は1,050と全体の半数を超え、第二次大戦におけるカナダ軍で最も高い死傷率だった。帰還した者も戦後心身の傷に苦しみ続けその影響は子や孫の世代にまで及ぶ。(カナダ政府退役軍人省のサイト  Canadians In Hong Kong を参照)

ジェリー・ジェラード氏(2016年10月6日、バンクーバー島のジェラード氏の自宅で。筆者撮影)

2016年10月6日、その時点で生存していた十数名の元カナダ香港戦参戦兵の一人、ジェリー・ジェラード氏(94歳)をバンクーバー島ビクトリア市郊外の自宅でインタビューし、『週刊金曜日』2017年2月10日、17日号にわたって掲載された。
(記事はここに転載してある。「知られざるカナダ兵日本軍捕虜の歴史」まだの人はぜひ読んでほしい。)

そのジェラード氏がさる5月22日に、ビクトリア市内のホスピスにて亡くなったという報せが届いた。享年97歳。Canadian Hong Kong Veterans (カナディアン・香港ヴェテランズ)と呼ばれる人たちで、2016年10月の時点で、生存していた18人のうち、証言できるほどの体力のある人はもう西海岸に一人、東部に一人しかいないと言われていた。ジェラード氏はその西海岸の人であった。

ジェラード氏のストーリーをここで読んで欲しいが、氏はは1941年12月25日の敗戦で捕虜になった後、最初の一年は香港の収容所で栄養失調や病気に悩まされながら強制労働させられ、1943年1月に船で日本に護送された500人の連合軍捕虜のうちの一人であった。横浜の、日本鋼管鶴見造船所東京第三派遣所に配置され、ここでも虐待と寒さ、脚気に耐えながらの奴隷労働の日々を送る。1945年3月10日未明の東京大空襲の際は、収容所内の防空壕で、閃光と爆音の中で一晩を過ごす。その後岩手県の釜石にあった日本製鐵大橋鉱業所(仙台俘虜収容所仙台第四分所)に移送、そこで8月の日本敗戦、つまり解放の時を迎える。かの地でもう一度冬を越すなど考えられなかったジェラード氏は「これで生きて帰れる」と実感したという。
体験を語るジェラード氏(右)。左は元捕虜2世で、
取材に同行したリー・ネイラー氏(左)。筆者撮影

氏は、横浜の収容所のとき、赤十字が来たとき一度だけ僅かばかりの給料をもらった(それも食事代を引かれた!)だけで強制労働に対する対価はなかった。日本政府は責任は取らず、1998年にカナダ政府が肩代わりという形で元捕虜一人に24000ドル(約200万円)支払った。

2011 年、民主党政権時代に、日本政府は、カナダ元捕虜たちにもうしわけ程度の謝罪をした。それも、この記事を読んでくれればわかるように、謝罪とはいえない屈辱的な形であった。なにが一番屈辱的だったかといえば、密室で行われ、総理が署名した正式文書もなく、日本メディアも一切取り上げなかったことだ。日本の人たちが知り得なかった「謝罪」だったのだ。

口先だけのお詫びの言葉や僅かばかりの見舞金などよりも、加害国の一般市民がその歴史を知り、後世に語り継ぎ、その国の子どもたちの教育に生かすことができてこその「謝罪」であると思う。それを日本政府は全くやっていない。

だからこそ、ジェラード氏の体験を、一市民として聴き取り、日本語で日本の媒体に届けることができたことは貴重であったし、この機会をくれた『週刊金曜日』と担当編集者の成澤宗男氏、そしてジェラード氏を紹介してくれたリー・ネイラー氏(彼も元カナダ兵捕虜の二世)に感謝している。ジェラード氏は、「あなたたちはこの歴史を明るみにしてくれて有難いと思う」と言ってくれた。できれば日本の製品は買いたくないと思っていた氏が、日本人の私に会ってくれたのも、決して気持ちのいい体験ではなかっただろうが、最後に一緒に写真も撮ってくれた。
ジェリー・ジェラード氏と筆者。(2016年10月6日、バンクーバー島のジェラード氏の自宅で。リー・ネイラー氏撮影)

特に最後、「日本政府には、あなたたちは自国の人たちに謝罪はしたのですか、と問いたかった」と言っていたのが心に残る。自分や仲間たちの苦しみを背負いながら、日本の戦争被害者にまで思いを馳せていたジェリーさん。それを思い出すと、ジェリーさん亡き今、この歴史を語り継ぐ責任を痛感する。

ジェリーさんに感謝と、追悼の気持ちを届けたく思います。

2019年5月28日 乗松聡子


バンクーバー島の新聞、Times Colonist に出たお悔み記事。

Horace (Gerry) Gerrard (January 19, 1922 - May 22, 2019)
https://www.legacy.com/obituaries/timescolonist/obituary.aspx?n=horace-gerrard-gerry&pid=192995245 

お薦めサイト:POW研究会 

お薦め映画:
ジョナサン・テプレツキ監督、コリン・ファース、ニコル・キッドマン主演レイルウェイ・マン」(2013年)

★アンジェリーナ・ジョリー監督アンブロークン」(2014年)

このサイト内の関連記事:

知られざるカナダ兵日本軍捕虜の歴史-『週刊金曜日』より An Interview with Gerry Gerrard, a Canadian Hong Kong veteran (Weekly Kinyobi) 

週間金曜日より―「アンブロークン」は、47日間の漂流と2年の過酷な捕虜生活を生き抜いた男の物語 From Shukan Kinyobi: Film/Book UNBROKEN


Monday, May 20, 2019

『月刊イオ』2019年6月号インタビュー「ジャーナリストの目」A Journalist's Eyes: From Monthly IO

月刊イオ』2019年6月号に掲載されたインタビュー記事を許可を得て転載します。
説明を追



【訂正】2ページ目左側の写真のキャプションで「南京大虐殺を記憶する日」としてカナダで提案されていたのは「2月13日」ではなく「12月13日」です。

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Tuesday, May 07, 2019

ジョン・ピルジャー「アサンジ逮捕は歴史からの警告だ」John Pilger: The Assange Arrest is a Warning from History (Japanese Translation)


当サイトでも何度も翻訳で紹介したジャーナリスト、ジョン・ピルジャー氏の4月13日記事を紹介します。(注:翻訳はアップ後微修正することがあります。)

「ウィキリークス」を利用したのは日本の媒体にしても同じです。朝日新聞も2011年5月、大特集を組みました。私も一人の書き手として、著書に「ウィキリークス」からの引用を行いました。「ウィキリークス」があったからこそ、(普天間飛行場の移設問題について)「最低でも県外」を訴え2009年9月首相になった鳩山由紀夫氏に対し、鳩山氏自身の内閣の閣僚を含む民主党内部の政治家やワシントンのジャパン・ハンドラーたちとそれと結託する日本の外務、防衛官僚たちがどれだけの裏工作をして鳩山氏を追い詰めていったかがわかったのです。詳しくはガバン・マコーマック、乗松聡子著『沖縄の〈怒〉日米への抵抗』法律文化社、2013年の第5章「鳩山の乱」を見てください。鳩山氏は「正直に申し上げて、ウィキリークスの公開した文書を含めて、私自身の知らなかった事実もあり、」とコメントしています(鳩山氏コメントの全文はここを見てください)。ピルジャー氏が言うようにジャーナリズム自体が犯罪とされているこのアサンジ氏の逮捕および米国への身柄引き渡しの危機を、世の中のあらゆる発信の仕事をしている者たち、発信者の情報を受け取る者たちが自分の問題として捉え声を上げることが必要と思います。(前文:乗松聡子)

THE ASSANGE ARREST IS A WARNING FROM HISTORY
http://johnpilger.com/articles/the-assange-arrest-is-a-warning-from-history


アサンジ逮捕は歴史からの警告だ


2019413

ジョン・ピルジャー

翻訳 酒井泰幸 翻訳協力 乗松聡子
ジョン・ピルジャー

ジュリアン・アサンジがロンドンのエクアドル大使館から引きずり出される光景は、この時代を象徴するものだ。権利に対する権力。法に対する暴力。勇気に対する下劣さ。警察官6人に連行される病気のジャーナリストは、約7年ぶりに見る外の光のまぶしさに目を細めていた。

この暴挙が、マグナ・カルタの地であるロンドンのど真ん中で起きたということこそ、「民主的」社会を憂える全ての人々を恥じ入らせ憤らせるはずだ。アサンジは国際法で保護される政治難民で、英国も調印している厳格な協定の下に庇護を受けている。このことを国連は「恣意的拘禁に関する作業部会」の裁定で明らかにした。

だがそんなのは知ったことではない。悪党どもの登場だ。トランプ政権内のファシストまがいの者たちが糸を引いて、腐った自らの政権を偽装しようと企むラテンアメリカのユダであり嘘つきのエクアドル大統領レニン・モレノと結託した英国の支配層は、公平と正義という大英帝国最後の神話を捨て去った。

想像してみると良い。トニー・ブレアが、ロンドンのコノート・スクエアにある数百万ポンド[数億円]は下らないジョージ王朝風の自宅から、手錠をかけられ引きずり出され、ハーグの国際司法裁判所へ送られようとするのを。ニュルンベルク裁判の基準に従えば、ブレアの「最重要犯罪」は百万人のイラク人を死に追いやったことだ。それに比べアサンジが何の罪に問われているのか。ジャーナリズムだ。彼は強欲な人々の責任を問い、嘘を暴露し、真実で世界中の人々に力を与えた。

アサンジの衝撃的な逮捕から伝わってくるのは、詩人オスカー・ワイルドが書いたように、「文明の進歩には欠かせない不満の種をまく」人々全てに対する警告だ。とりわけジャーナリストにとってこの警告は明らかだ。ウィキリークスの創設者・編集長の身に起きたことは、新聞に書き、テレビ、ラジオに出演し、ポッドキャストを配信するあなた自身にも起きるかもしれない。

アサンジへのメディア攻撃で先頭に立っている『ガーディアン』紙は、闇の政府への協力者だが、今回の事件を受けて出した今週の社説はこれまで以上にずる賢い内容で、同紙のいら立ちの度合いが見て取れる。『ガーディアン』は、前編集長が「この30年で最大のスクープ」と呼んだように、アサンジとウィキリークスの業績をさんざん利用してきた。同紙はウィキリークスが暴露した事実から甘い汁を吸い、称賛と収益をわが物にした。

ジュリアン・アサンジやウィキリークスには一銭も払われなかったが、鳴り物入りの『ガーディアン』の本(訳者注:日本語訳は『ウィキリークス Wikileaks アサンジの戦争』講談社、2011年)はハリウッドで映画化され大当たりした。本の著者、ルーク・ハーディングとデヴィッド・リーは、情報源であるアサンジを敵に回し、アサンジが同紙に内々で渡していた秘密のパスワード(漏洩された米国大使館の電報を含むデジタル文書ファイルを保護するため)を、彼を裏切って公表した。

アサンジがエクアドル大使館の中で幽囚の身となると、ハーディングは外で警察と手を結び、「最後に笑うのはスコットランド・ヤード(訳者注:ロンドン警視庁)だろう」とブログで嘲笑した。これ以来、『ガーディアン』はアサンジについての虚偽の記事を次々と掲載し、ロシア人の一団とトランプ側近のポール・マナフォートが大使館にいるアサンジに面会したという、疑わしい記事まであった。実際そのような会合が持たれたことはなく、フェイク・ニュースだった。

だが、今になって論調が変化した。「アサンジの一件は道徳的な面で複雑に絡み合っている。公表すべきでない物事を公表することの正当性を彼(アサンジ)は信じているが、けっして隠蔽されるべきではない物事に、彼は常に光を当て続けてきた」と同紙は見解を述べた(訳者注:先述の月9社説)。

これらの「物事」とは、米国が植民地戦争を遂行する際の殺人的な方法についての真実であり、チャゴス諸島住民のように弱い立場にいる人々の権利を否定している英国外務省の嘘であり、中東聖戦主義(ジハーディズム)の支援者であり受益者であるヒラリー・クリントンの暴露記事であり、米国大使が詳細に記述したシリアとベネズエラの政権を転覆させる方法、などなどだ。全てウィキリークスのウェブサイトに公開されている。

『ガーディアン』が神経をとがらせているのは理解できる。秘密警察はすでに同紙を捜索し、ハードディスクを破壊する儀式を行うよう求め、実施した。このことについて、同紙にはお決まりの手順がある。1983年に外務省職員のセーラ・ティズドールは、米国の巡航核ミサイルがいつヨーロッパに到来するかを記した英国政府の文書をリークした。『ガーディアン』には称賛の嵐が寄せられた。

裁判所の命令で情報源を明かすように求められたとき、情報源の保護という根本原理に基づいて編集長が投獄されるかわりに、ティズドールは裏切られ、起訴されて6カ月の刑に服した。

もしもアサンジが、『ガーディアン』のいう本当の「物事」を報道したという理由で米国に引き渡されるなら、何が現編集長のキャサリン・ヴァイナーをして、当時の編集長や、、前編集長アラン・ラスブリッジャー、プロパガンダ流布に余念がないルーク・ハーディングのような者たちの轍を踏むことを止めさせることができるのだろうか?

ウィキリークスに端を発する真実の数々を公表した『ニューヨーク・タイムズ』や『ワシントン・ポスト』の編集長、スペインの『エル・パイス』、ドイツの『デア・シュピーゲル』、オーストラリアの『シドニー・モーニング・ヘラルド』の編集長にとっても、何が歯止めになるというのだろうか。このリストは延々と続く。

『ニューヨーク・タイムズ』の弁護団長デイビット・マクロウはこう書いた。「(アサンジの)訴追は出版者にとって非常に悪い前例となると思う。私の知る限り、彼は昔ながらの出版社と同じような立場にあり、ニューヨーク・タイムズとウィキリークスを法律が区別するのは非常に困難となるだろう。」ウィキリークスの漏洩文書を公表したジャーナリストが米国大陪審に喚問されないとしても、ジュリアン・アサンジとチェルシー・マニングに対する脅迫だけで十分だ。真のジャーナリズムは悪党どもの手により衆人環視の中で犯罪化されている。異議を唱えることは身勝手な道楽になってしまった。

オーストラリアでは、貧しい小国からティモール海の石油天然ガス資源の正当な取り分を騙し取るという明確な目的のため、オーストラリア政府のスパイが東ティモール新政府の閣僚会議を盗聴したことを暴露した2人の内部告発者を、米国に心酔した現政権が告訴している。裁判は非公開で行われる。オーストラリアのスコット・モリソン首相は太平洋のナウル島とマヌス島に難民強制収容所を設置したことで悪名高いが、そこでは子供たちが自傷行為や自殺に追い込まれている。2014年に、モリソンは3万人を収容する大規模仮収容所を提案した。

真のジャーナリズムが敵とするのはこのような不名誉だ。10年前、ロンドンの英国国防省が作成した機密文書には、社会秩序に対する「主要な脅威」が3つあると述べられていた。テロリスト、ロシアのスパイ、調査ジャーナリストの3つ。調査ジャーナリストは重大な脅威に指定された。

その文書はしかるべくしてウィキリークスに漏洩され、そこから公表された。「他の選択肢は無かった。非常に単純なことだ。人々には知る権利があり、権力を問いただし異議を申し立てる権利がある。それが真の民主主義だ」とアサンジは私に語った。

もしアサンジとマニング、そして後に続く人々(そのような人々が出てくるとしたら)が沈黙させられ、「知る権利と、権力を問いただし異議を申し立てる権利」が奪われたらどうなるだろう?

1970年代に、私はアドルフ・ヒトラーの親友、レニ・リーフェンシュタールに会った。彼女の映画のおかげでナチの呪文がドイツ全土に振りまかれた。

彼女の映画のメッセージ、つまりプロパガンダが依存していたのは、「上からの命令」ではなく、彼女が大衆の「服従的虚無」と呼ぶものだったと、彼女は私に語った。

「この服従的虚無にはリベラルで教養あるブルジョアも含まれていたのですか」と私は彼女に尋ねた。

「もちろんです。特にインテリ層です。…もう真面目な質問をしなくなった人々は、服従的で従順です。どんなことでも起きる可能性があります」と彼女は言った。

そして実際に起きたのだ。

彼女なら言い添えていたかもしれない。「それ以降のことは周知の通りです。」

(終)

このサイトの過去のジョン・ピルジャー記事の翻訳はここを見てください

Saturday, April 13, 2019

『週刊金曜日』4月15日号特集「広河隆一氏による性暴力・パワハラと『DAYS JAPAN』最終号を考える」Shukan Kinyobi's special on DAYS JAPAN's last issue --- on photojournalist Hirokawa Ryuichi's sexual assault and power abuse

4月12日号『週刊金曜日』に、「広河隆一氏による性暴力・パワハラと『DAYS JAPAN』最終号を考える」という特集が出ました。以下の3本の記事で、当ブログの運営人も参加しています。

渡部睦美「扱われなかったパワハラと劣悪な労働環境の問題」
角田由紀子「加害の事実認定なしのまま、なぜ『報告』できるのか」
乗松聡子「広河氏の言いたい放題を許した最終号の責任」


渡部睦美氏の記事で注目の点は、いろいろありますが、敢えて3点挙げると、

★2018年の夏から最終号発行までの時系列が丁寧に示されています。私は前回のブログで、1月20日発売の2月号で、横溝氏含む3人の編集部員が最終号での真相究明への固い決意を語っているのにその3人が全員、最終号編集から除外されているのを、外部から招かれた編集者はなぜ疑問に思わなかったのかと問いました。今回の記事によると、横溝氏の辞任が1月28日。外部編集者が打診を受けたのが1月末。残る2人の編集部員はその後2月7日に退職合意書にサインさせられています。2人の退職は2月末でした。編集部員が辞めたから外部の編集者が招かれたわけではなく、会社にとって都合の悪いことも含め最終号にしっかり真実を書こうとしていた編集部員を排除するプロセスの進行中に、外部の編集者を招き入れていたのです。

★広河氏は数々の「パワハラ」告発にこれまで応答してきていないですが、この記事でも、「突然、怒りを爆発させ怒鳴り声を上げることが日常茶飯事」などいくつもの証言が出ています。デイズジャパンは会社としても12月31日発表のコメントで広河氏のパワハラを認めていますが、今回の金曜日の元スタッフへの取材では、パワハラについての会社の対応は、役員から「広河氏が被害者であるかのような対応をされた」、「役員や上司に相談したが聞く耳を持ってもらえなかった」といった、被害者中心の対応とは言えなかったようです。

★『週刊文春』でライターの田村栄治氏は、1月3&10日号の7人の告発に続き、2月7日号では海外出張先で広河氏に2週間も性暴力を受け、その後も望まぬ性を強いられたり写真やビデオを撮られたりした女性の証言を掲載しました。この被害者について広河氏は沈黙を保ってきましたが、今回初めて金曜日の取材に対し広河氏の代理人は「『週刊文春』2月7日号の記事については、間違いが多くあると考えています。その報告は検証委員会に提出しますので、検証委員会の判断を待ちたいと思っています」と返答しています。広河氏は1月3&10日号で告発した人たちについては「一部は事実」、会社は「おおむね事実である」と認めています(1月16日毎日新聞配信)が、この2月7日号の被害者証言について広河氏は初めて、「間違いが多くある」という踏み込んだ否定をしました。

『文春』2月7日号の被害者の証言は、広河氏による脅迫を伴う性の強制に加え、行為中に被害者の非合意を認識した上で非合意の禁止、つまり合意の強要まで行ったことを示唆する大変深刻な内容です(もちろん1月3&10日号の証言も大変深刻です)。これを認めたら、広河氏の、自分の権力に無自覚であったとか、合意があったと思っていたとか、暴力がなかったとかの主張が崩壊することになります。だから否定しているのか?と思わざるを得ません。

★★★

角田由紀子弁護士の記事では、被害者の聴き取りがなく、加害の事実認定のない「検証」など考えられず、「被害者の救済は念頭にないのでしょうか」と問い、検証委の「報告」は「結果として広河氏に弁明の場を与え、株式会社デイズジャパンを免罪しただけで、得をしたのは広河氏とデイズジャパンのみです」と述べています。第二部については「付録」に過ぎず、いま話すべきは広河氏とデイズジャパンについてなのにこのような「付録」は会社のアリバイ作りにしかならず、「会社の責任を置き去りにして、広河氏の弁明とともに出すべきではなかった」と。

また角田弁護士は、「検証委員や第二部に関わった人ちの中には知り合いが多くいますので、このような批判的意見を述べることに躊躇しなかったわけではありません。でも、仕事の内容への批判は、個々人の関係とは別物だと思っています。日本社会では仕事を批判すると、その人間を否定したかのように受け取られてしまう。そうではないということが通用する社会になってほしい」と述べており、その通りと思います。

私の記事では、性暴力の加害者を利する「暴行・脅迫要件」を持つ日本の刑法を利用するかの如く広河氏が暴行の不在と合意を主張し続けていることに触れ、この事件についての語り方は月刊誌『世界』で加害者が語る重要さを説いた金子雅臣氏が検証委を率いることになったことで、「加害者に語らせ、個別の責任追及を避けるかの如く『構造問題』に飛ばす路線」を辿ることになったとの見方を示しました。第二部についてはその内容と構成に疑問を呈し、角田弁護士と同様、「全体的に個別責任を拡散し、広河氏や株式会社デイズジャパンの責任逃れに加担した結果になった」と述べました。

ぜひ『週刊金曜日』4月15日号を手に取ってお読みください。

この特集や私の記事についてもご感想やご意見がありましたら、下のコメント欄で受けつけます。ツイッター@Peacephilosophy でも受けつけます。

最後に、この特集全体を通して訴えたのは、包み隠さず、一般論で薄めず、広河氏による性暴力、セクハラ、パワハラの事実を明らかにし、広河氏と会社の責任を追及することこそが、被害者に正義をもたらす一歩となるのではないか、という問題意識であると思います。一緒に考え、行動しましょう。

乗松聡子

Monday, March 25, 2019

DAYS JAPAN 最終号 「第二部」の「責任編集」者、林美子氏が、引き受けた背景として「これまでの編集部員はすでに全員が辞めている」と述べた点について -会社が自らの「検証」を阻んだ「検証号」に加担した責任を問う-

DAYS JAPAN 最終号「第二部」の「責任編集」者、林美子氏が、引き受けた背景として「これまでの編集部員はすでに全員が辞めている」と述べた点について

-会社が自らの「検証」を阻んだ「検証号」に加担した責任を問う-

乗松聡子


DAYS JAPAN 最終号

320日に発売となった 『DAYS JAPAN34月号。昨年末から今年初頭にかけて週刊誌や新聞等で被害者の証言が続出した、元発行人広河隆一氏の性暴力・セクハラ・パワハラの告発を受けて、昨年11月にすでに休刊を発表していたDAYS JAPAN が、最終号を最初から最後までその「検証」に費やすと約束したその号が出た。これについては、私は、出てすぐツイッター(@PeacePhilosophy)でこう批判した。

DAYS JAPAN 最終号、広河隆一性暴力事件を「検証」するとされる号がきょう発売。その内容と構成は、性暴力と合意の不在を認めない「創」のセカンドレイプ手記を増幅し、それに「権威」を与えてしまうかの如くの、被害者置き去り、加害者に一方的にしゃべらせる内容だった。

第二部の識者コメントの文集は、内容はいいものがあっても、これらは「検証」ではなく、水増しの役割しか果たしていない。この号は「中間報告だ」とあちこちで言い訳しているが、被害者を傷つけるものを出すことには言い訳は通用しない。

一体誰を、何を守るための「検証」なのか。検証委員会までもがセカンドレイプをやるとは。ただただ絶句だ。

いくら「中間報告」といっても、購読者が最後に手にする最終号で、被害者不在のまま広河氏に一方的に「暴力はなかった」「合意だと思っていた」「権力に気づいてなかった」「女性の言い分が私の記憶と合わない」などとと言わせ続け、批判的な「考察」を加えたにしても広河氏の返答を求めるわけでもなく、これまで出てきた証言の中には広河氏が脅迫や威嚇を用いて性を強いたり(自分の権力を知らない人間ができるはずがない)、パワハラと過酷な労働で社員を追い詰めたことを告発するものがあるにもかかわらずそれらについて一つも問いただすこともなく、広河氏は結果的に自分のしたことを明白に性暴力と認めないまま、合意がなかったことを認めないまま終わってしまった。これ一つを取ってもセカンドレイプである。

「第二部」の識者インタビュー集については、「検証」がまったくできていないという中で、広河事件の検証ではない内容で「検証号」64ページのうち45ページ、つまり7割もの量を占めるということ自体が大きな欺瞞、ペテンともいえる仕業となってしまっている。とりわけ、今回の広河事件の「検証」には全く必要がないのに、広河事件の被害者でもない他の性暴力事件の被害者に、自らの辛い体験を語らせている「声なき声の当事者たち」という、岩崎眞美子氏が担当した部分には、「どうしてこの広河事件の検証号にこの部分が必要だったんですか。この人たちにここまでの負担を負わせて。」と問いたくなる。

以上の点についてはもっと詳しく批判したいと思っているが、きょうは、第二部、とくに、「責任編集」の林美子氏の文「広河氏の性暴力をどう考えるか」の前半部分の、林氏がどうしてこの「検証」に関わることになったのかの経緯の部分に、この「検証」のはらむ欠陥についての根本的な問いを問う糸口があったと思うので、そこに特化して書きたい。(後半の林氏の性暴力についての議論は、氏自身が触れているように、「検証委員会」の「考察」と共通点が多いのでここではコメントを省く。)

林氏は、「最終号を編集する私の立場を明らかにする」というこの一文において、氏が「なぜ最終号に携わることになったかを、読者と、特に広河氏から被害を受けた方々に理解していただく必要があると感じている」と冒頭に述べている。

しかしその直後、林氏は、3段落に及び、広河隆一氏を、傍観者にはならずに被害者の救済に関与するジャーナリストとして賛美している。私は読んでいて、そうなのか、林氏は朝日新聞記者時代にここまで広河氏を取材し、原発事故の避難者である母親が広河氏に涙を浮かべて話すような場面にも同席していたのかと、意外だった。そのような人が、広河事件の「検証」号の「責任編集」者になるのはそもそも適切なのか?という素朴な疑問が湧いた。

私の答えはNOだ。冒頭で3段落も、必要もない広河氏賛美をやることからして、これを読む被害者の心情を考慮しているとは思えない。ご自分の書いたものを、被害者になった気持ちで一度でも読み返しただろうか。私がもし被害者だったら、林氏の文は、2ページ目までにたどり着く前に読み続けることが難しくなると思う。特に、「被害を受けた方々に理解していただく必要がある」という、「理解する」以外の選択肢を与えない言い方には大変ひっかかる。

この林氏の文はほかにも疑問が残るところがある。「広河氏による性暴力の情報を初めて聞いたのは、18年の秋ごろだったと思う」と言っている。ということは週刊文春の報道が出る1225日前に情報を掴んでいたということになる。これを言いながら、その後その内容について全く触れていないのは疑問に思った。この情報を得て、氏は何をしたのだろうか(しなかったのだろうか)。

さて、林氏は、ご自分が最終号の編集を引き受けた経緯として、「これまでの編集部員がすでに全員が辞めている」、「検証委員には私が信頼する金子雅臣さんと太田啓子弁護士が就いた」ということを「自分には断る選択肢がないと思った」背景として述べている。

ここで問題視したいのは、前者の理由である。林氏は、「これまでの編集部員がすでに全員が辞めている」ということに全く疑問を持たなかったのか。

ジャーナリストであれば、ご自分が依頼を受けたとき、1月20日発売のDAYSの2月号で、

…最終号は、これまでのようなフォトストーリーを掲載せず、全ページを「性暴力」事件やパワーハラスメントの真相解明とその報告、それに対するDAYS JAPANとしてのメッセージ、有識者の意見の掲載などにあてることを編集部として決定いたしました。そして調査の報告に関しては、編集部が責任を持って誌面づくりを進めることが必要だと考えています。
徹底した自己批判を通じて、こうした過ちが二度と起きないよう、教訓や助言をひとつでも残すことができればという思いです。
ただ、全ては真相の徹底究明から始まります。
(『DAYS JAPAN』2019年2月号8-9ページ「編集部の今後の方針と次号について」)

とまでの決意を宣言をした、その時点では編集長であったジョー横溝氏と、編集部であった小島亜佳莉氏と、金井良樹氏がなぜ辞めなければいけなかったのかを調べるために3人にアプローチするのが自然な発想ではないのか。それをやらずに、「すでに全員が辞めている」のひと言で済ませたのか。

実情はどうだったのか。322日に発足した「DAYS元スタッフの会」の「会発足の経緯」には、

…しかし、1226日の文春報道後に同社から依頼を受け、当該の検証責任者として動いていた馬奈木厳太郎弁護士は、20191月半ばに、「会社の利益を第一に考えていない」ことを理由に代理人を解任されました。 

当時のジョー横溝編集長は、馬奈木弁護士解任後も「社員と役員の聞き取り調査を行い、内容をそのまま誌面に掲載すること」を役員・株主に要求し、それが拒否されたため、編集長を辞任、退職しました。

とある。上で触れた、2月号の横溝、小島、金井3氏の署名記事で、「現在DAYS JAPANでは、今回の報道を機に就任した代理人とともに、広河氏を絶対化させてきた会社の構造・体質についても、役員など関係者への聞き取りなどの調査を行っています」とあるが、検証号で、この「会社の構造・体質」に踏み込むことが不可能とわかったから代理人の弁護士も、横溝編集長も辞めたということだ。

残った二人の編集部員についても、「会発足の経緯」に、

2月中旬より、検証委員会からこの会の発起人となる元スタッフ数名に対し、調査への協力の意思を問う依頼文書が届きました。しかし、上記のような事情があったため、自分たちの証言が意図的に改変、もしくは隠蔽されることを懸念し調査への協力を拒否、または依頼文書の受け取り自体を拒否しました。 
「最終号の内容はすべて検証委員会によって作成する」ことを理由に、今まで「DAYS JAPAN」に関わってきた編集部員を含む当時の社員は2月末での退職を余儀なくされ、最終号に一切関わることができなくなったという点も、調査を拒否した一因です。

とある。林氏の文では、編集部員が「すでに全員が辞めている」というような書き方であるが、残った小島氏、金井氏も、会社から、検証号に関わることを阻まれていたのである。また、林氏は「19年2月に広河氏と3回会い、事件についてやり取りをした」と言っているところからすでに2月にはこの「検証号」への関与が始っていたことは明らかであるが、小島・金井両氏が退職したのは上にあるように「2月末」であった。林氏がこの「検証号」の編集を引き受けたとき、まだ、残った2人の編集部員は「辞めて」いなかったのである。したがって、林氏が「すでに全員が辞めている」と書いたのは誤りでもある。これを林氏はどう説明するのか。何よりも、真相究明へのあれだけの熱意を示していた3人の編集部員が辞めた理由を調べようとはしなかったのか。「検証号」が、会社に都合の悪いことは出さない「検閲“検証”号」になる可能性が高いということを知っていて引き受けたのか。引き受けた後にそれがわかっても撤退しなかったのか。だとしたら「隠蔽への加担」とは思わなかったか。

この「検証号」の最後の文芸評論家・斎藤美奈子氏のエッセイ(この記事だけ、従来からの氏の連載の形式を踏襲している)は、「事件発覚後のデイズジャパンの対応がきわめて不可解だった」ことを指摘し、

謝罪文と検証予告が載った前号の後、ジョー横溝編集長から辞職の報せが届いたのが1月末、残る2人の編集部員が退社したのが2月末。3人は最終号で徹底検証、徹底報告すべきだと主張したが、会社側が了承せず、やむなく退社に至ったと聞く。早々に検証に乗り出した弁護士の解任も不信の念を抱かせる。この期に及んで事実の解明と公表を、まさか経営陣が拒んでいるのか。

と言っている。この斎藤氏のコラムが検証号の一部を成しているという事実一つを取っても、この検証号に関わった人たち――林氏だけではなく、検証委員会の金子雅臣・上柳敏郎・太田啓子各氏と、もう一人の外部編集者である岩崎眞美子氏――は、この検証号が、第一部の「検証委員会報告」(4-5ページ)にあるような、「原稿の内容には同社は一切関与しない」「(株)デイズジャパンが検証委員会による検証内容に一切干渉せず、会社から独立して行う」ような性質のものにはならないことがわかっていた上で、「検証号」づくりを行っていたことがうかがい知れる。

もちろんこの検証号が出る前にも、DAYSの編集委員であった、おしどりマコ氏が「DAYS最終号に関して」という文を2月28日に発表し、事件発覚を受けて「なぜこのような問題がDAYS JAPANで発生したか、広河個人の問題として片付けることなく、できるだけ調査・検証をすべきだ」との問題意識の下、全ての関係者に聞き取りを行い、最終号で厳しい調査報告を出す方向性であったのにもかかわらず、以下のようなことが起こったことを明かしている。

●「12月末から1月にかけて、夜通し何度も行われたミーティングで決まった内容を、翌日には一部の会社役員の判断だけで覆そうとする」ことが続き、
●「そのたびに馬奈木厳太郎弁護士やジョー横溝編集等らが抗議し、ミーティングで決まった内容に結論を戻すということが繰り返」され、
●その上、「113日に、馬奈木厳太郎弁護士が、DAYS JAPANから解任されたと馬奈木氏から連絡が」来て、「解任を受けて、調査・検証は止まってしまい」、
●「ジョー横溝編集長は、会社側に2つ要求
-役員への聞き取り内容を誌面で発表すること
―最終号の発行時期を一カ月繰り下げること」を出し、
「それを了承してもらえなければ辞任する、という交渉をし、その結果、要求が受け入れてもらえなかったため、1月末に辞任」した。
●「馬奈木弁護士、ジョー横溝編集長とは、性被害だけではなく、パワハラの問題も調査・検証の対象とし、最終号でもページを割いて取り上げる、との結論になっておりましたが、現時点で、私が知り得た情報によると、最終号ではパワハラの問題にページを割かず、当初の聞き取り調査報告のページ数も削減された」

と、総合すると、会社側、つまり役員たちが、つまびらかな検証を妨害してきたのではないかという疑惑を持つような内容である。

また、『週刊文春』の1613日号、27日号で、広河氏の性暴力の被害者の証言を伝えたライターの田村栄治氏も、214日の『文春オンライン』の記事「8人の女性が被害告発 広河隆一氏『性暴力検証』は崩壊状態」で、ジョー横溝氏は自分が辞めた理由について

「なぜ15年間みんな黙ってきたのか、掘り起こさないといけないと言ったんですが、それが上に通じず、僕はDAYSを去ることになりました」。

と語ったと報じている。どうやらこのDAYS JAPANという会社には、「検証」されたら困る事実が相当あるように見える。それこそが、おしどりマコ氏や、パージされた弁護士や編集部員が「広河氏個人の問題として片づけてはいけない」との問題意識の下に明らかにしようとしていたことではないのか。

しかし今回の検証号では、この「広河氏個人の問題にしてはいけない」という、本来は会社自身の問題を示唆する言葉が、全く別の文脈で登場する。「第二部」の冒頭に、「はじめに」として「株式会社デイズジャパン」がこの部を紹介しているが、その中に、「林さんの、『この性暴力問題を広河さんだけの問題として終わらせてはいけない』という思いに、多くの方が賛同してくださったことを私たちは知ります」とあるので私は一瞬びっくりした。会社自らが、広河氏だけではなく会社自身に大変問題があったことを認めているのかと???

しかし林氏の本文(検証号20-25ページ「広河氏の性暴力をどう考えるか」)を見たら私の一瞬の希望は間違いであったことがわかった。林氏は、25ページで、「最後に、今回の事件は、広河氏個人を糾弾して終わりではないことを強調したい。広河氏が選び取って起こした加害行為ではあるが、大きな社会構造の一部として起きたことである。その社会構造とは、権力関係を利用して他の人の尊厳を踏みにじる行為を容認し、逆に被害者をバッシングするような構造である。」と述べている。

なんだ、会社も、林氏も、「性暴力問題は広河氏の問題だけではなく社会全体の問題である」という当たり前のことを言っていただけだった。この号は、広河事件という特殊な事件について徹底的な真相究明を行う「検証号」であったはずだったのに、その問題を「大きな社会構造」に飛ばせてしまうことで会社の具体的な責任をスルーしている。上記の会社の「第二部」紹介は、それに対して会社が手放しで喜んでいる姿だったのだ。

会社自体が組織的に、広河氏のセクハラ、性暴力とパワハラを容認し、隠蔽してきたのではないか。だから斎藤氏が言うように、「徹底検証、徹底報告すべき」と主張した編集部3人に対し、「会社側が了承せず」、3人はパージされたのではないか。

「検証号」の最後の最後(56ページ目)に唯一すべり込んだ、斎藤美奈子氏によるこの根本的な問いは、この号の中では結局は誰も答えることがなく、直後の57ページ以降の、取ってつけたような「世界のMETOO」の写真の中でかき消されてしまったように見える。象徴的な構成だ。

デイズ・ジャパン社、検証委員会、外部編集チームをはじめ、この最終号を作った人たちには猛省を促す。

「“広河事件”当事者たちの声なき声」を隠さず拾い集める、本当の「検証」と、責任追及が必要である。

(以上)

参考記事

琉球新報<乗松聡子の眼> 広河隆一氏の性暴力 女性差別抜け落ちた「人権」

『ふぇみん』2月25日号「広河隆一性暴力事件が突きつけるもの」

『創』4月号の広河隆一氏の「手記」は、自らの性暴力を認めたものではなく、セカンドレイプに他ならない

『ふぇみにすとの論考』雑誌『DAYS JAPAN』最終号の感想


Saturday, March 23, 2019

『歴史地理教育』連載「“カナダの一日本人”の目線」①~⑥ "History and Geography Education" Journal column series

歴史地理教育 2019年3月号
(3月25日、団体紹介の引用部分を変更しました)
70年の歴史を持つ「歴史教育者協議会」のHPにおける団体紹介より:


 歴史教育者協議会は1949年7月14日に誕生しました。その後、60年を超える歩みをへて、2011年4月1日に、「一般社団法人 歴史教育者協議会」へ移行しました。全国の都道府県組織と地域・学園ごとに支部組織をもち、1600ほどの会員と、2000を超える月刊誌『歴史地理教育』の読者をもち活動しています。『歴史地理教育』は年3回、増刊号も発行しており、2018年3月号で通巻876号となりました。歴教協では、すべての子どもたちが主権者として育っていけるような、楽しくわかる社会科の授業づくりに取り組んでいます。また、地域の民衆の生活と歴史を掘りおこし、深く歴史と現代を学ぶ活動をすすめています。会員には、幼稚園から大学までの教員をはじめ、歴史教育や歴史の学習・研究に関心をもつ多くの市民が加わっています。

歴史地理教育』に2018年10月号から2019年3月号まで、「世界を歩く」というシリーズの一環として「”カナダの一日本人”の目線」というタイトルで6回連載させていただきました。許可を得て、ここに一挙転載します。


第一回 バンクーバーで子育てをして 

私は高校時代の二年、そして、就職・結婚した後、大学院留学をきっかけに、夫とともに一九九七年バンクーバーに渡って以来、通算二三年カナダの西海岸に住み、二人の子どもをこちらで産み、育ててきました。

 二一年前、カナダに入国したとき、上の子(現在は大学生)はお腹の中にいました。妊娠期の前半は日本、後半はカナダと分けて過ごしたため、「妊娠・出産」についての両国の姿勢の違いを肌で感じました。

例えば、産前教育のことを、日本では「母親学級」と呼び、妊娠した本人を対象としていたのに比べ、カナダでは「プリネイタル・クラス」と称し、お産を一緒に行うパートナーと参加することが前提でした。その「パートナー」も、赤ちゃんの父親であるときが多いですが、それが同性愛のパートナーだったり、シングルマザーの場合は女友だちであったりします。

 私の夫は、私と出会うまでは海外に行ったこともなかった日本人男性ですが、カナダで出産・子育てを共に経験することで、日本に根強い「出産や子育ては女の役割」という考えを自然に取り払うことができたようです。もちろんそれは性差や役割分担の否定ではありません。母乳育児を重視した私は、ときには哺乳瓶でミルクをあげたかった夫の期待をよそに(笑)、「ラ・レチェ・リーグ」という、米国発で世界に広まった母乳育児運動のグループに参加して、上の子も下の子も合計三年半ずつ母乳を与えました。

 お産自体も、医療主導のお産を拒み、主体的なお産を求める母親たちに影響を受け、下の子(現在は高校生)のときは独自の「バース・プラン」を実行しました。

好きな音楽をかけて好きな香りを焚いて、そのときの自分に合う体位で産むなど細かい計画を作り、医療的介入はどのような場合にどう受け入れるかの希望を、あらかじめ担当医と話し合った上で合意しておくのです。

 教育においても、カナダでは「不登校」といったスティグマは存在せず、ホームスクールなどの多様性が認められているのは知っている人もいるかと思いますが、先に触れた母乳育児運動の親たちが、独自グループを作り、地元の教育委員会に承認させ、予算まで獲得し、事実上自分たちだけのミニ学校を作っていたのにはさすがに感服しました。

このような社会の中で私が身に着けていった姿勢は、 What works for you is the bestということです。社会的規範にとらわれず、自分に合った方法を求め実践していくという勇気と自信をつけたと思います。

(2018年10月号掲載)


第二回 移住したのは植民者の国

  二〇〇七年、「ピースボート」に招かれて、メキシコのアカプルコから地元バンクーバーまで、一週間船上講師を務めたことがあります。講座の一つとして「カナダの多文化主義」について話しました。イギリス系とフランス系の共存を目指した二言語・二文化主義が発展し、一九七一年に世界初、多文化主義を国の政策として掲げた歴史を話し、カナダを多文化・多言語が比較的平和的に共存する国として、半ば自慢げに話していたと思います。

 しかし同じ船上でその後、同じブリティッシュ・コロンビア州から来ていた先住民ストーロ族の若者グループによる民族の迫害の歴史を語る発表を聞いて、頭を殴られたような気持ちになったことを覚えています。

西海岸の先住民は18世紀後半以降のヨーロッパ人入植者との接触以来、持ち込まれた天然痘などの伝染病により人口が激減、土地を奪われ、同化政策によって言語、文化、誇りを奪われるといった歴史をたどりました。そのことは知識としては持っていました。

しかし、自分の中ではなぜかその歴史が、現在のカナダの多文化共存というイメージと乖離していたのです。自分の講座では、自分はカナダにおけるアジア系の少数派の一員という認識で話しましたが、ストーロ族の若者の涙を見て、先住民の問題は現在進行形であり、自分は先住民の土地の上に住む後発の植民者に過ぎないということを自覚したのです。

 今も、先住民は、貧困、アルコールやドラッグ中毒、高い自殺率や犯罪率(被害と加害の両方)などの社会的問題を抱えています。特に、一九世紀の半ばから一世紀余にわたり、先住民の子どもたちを親元から引き離し、キリスト教会が運営する寄宿学校に入れ、精神的、物理的、性的虐待を加えました。この制度の被害者とその子孫に引き継がれるトラウマは根深いものがあります。最近の移民だから関係ないということは許されず、カナダの住民である限り、先住民の問題は自分の責任として取り組まなければと思います。

 カナダを自然豊かで人々は優しく、平和な国と思っている人もいるかもしれないですが、この国は実は、先住民の命と誇りを踏みにじって建国した植民地主義の国なのです。ジャスティン・トルドゥー首相は昨年(二〇一七年)の国連総会演説で、先住民をカナダ政府の「被害者」であると明言し、先住民の権利を守り自己決定権を実現できるようにしていくことを誓いました。まだまだ道のりは遠いですが、カナダ社会の一員としてできることをしていきたいと思っています。

(2018年11月号掲載)


第三回 カナダ留学で知った日本の歴史

私は異文化間コミュニケーションを大学で教えていたこともあり、今でも時折、日本から短期留学で来ている中高生グループに、ワークショップをすることがあります。

二年ほど前、関東地方のある高校向けのセッションで、生徒に、「世界地図を書いてみてください」と紙を渡したら、太平洋と日本を中心に書くようなパターンが多かったですが、一人の男子生徒の「世界地図」には驚きました。紙一杯に日本列島が描いてあったのです。受け狙いかと思ったら、彼は大真面目で、これが本当に「世界」だと言い、おまけに、「竹島」と「尖閣諸島」を、強調していました。

その開き直った日本中心主義には驚きを隠せませんでしたが、ふり返ってみれば、この生徒と同い年ぐらいの17歳で初めてカナダの地を踏んだ自分も大差なかったのかもしれません。私は高校二年、高校三年を、今住むブリティッシュコロンビア州の州都であるビクトリアにある学校で、五大陸、七〇か国から来た二〇〇人の学生とともに寮生活をしました。そこで学んだのは、自分の知らなかった日本の歴史でした。

同部屋だったシンガポールのヘレンは、仲良くなったあと、戦争で日本軍がやってきて、赤ん坊を銃剣で突き刺して放り投げたというようなことを私に語りました。初めての彼氏だったフィリピンのイギーは、私に、「日本人でもいい人がいるんだと思った」と言いました。すでに自国で作家活動をしていたインドネシアのレイラは、私に、「ロウムシャ」という言葉はインドネシアの人は皆知っているよ、と教えてくれました。

日本にいたころは歴史に興味があり、カナダに行ったら、広島・長崎の原爆投下や被爆者の苦しみについて伝えなければいけないといった純粋な気持ちがありましたが、大日本帝国軍が他国にした加害行為というのは全く日本の学校で学んでおらず、初めての先生は、この東南アジア出身の友人たちだったのです。

この時の経験が、いまの自分の基礎になっていると思います。日本人というよりはアジア人というアイデンティティに親近感を感じますし、カナダに通算二三年住んでいるので「カナダ人」であるという感覚も持つようになりました。そして、この国でマイノリティの一員となり、日本で日本人をやっていたときにはわからなかった、在日コリアンや、沖縄、アイヌの人たちが置かれてきた立場というものに思いを寄せるようになりました。

このような自分になれたことが、長いカナダ生活の一番のギフトであると今は思っています。

2018年12月号掲載)


第四回 いじめているのは誰?

 最近、吹田市の中学校教員が授業で日本軍「慰安婦」問題を取り上げていることで激しいバッシングを受け、保守系の大阪府議や大阪市長までもがその教師を問題視するような発言をしているということを知り、背筋が凍りました。日本は今、教室で過去の日本の加害行為を教えたら官民の圧力にさらされるような状況なのです。

 私の子どもたちは、アジア系移民の多いバンクーバーで、華人系、コリア系、インド系、フィリピン系などの子どもたちに囲まれながら、日系カナディアンとして育っています。

教室では、カナダ植民者が先住民にしたこと、戦時中の日系カナダ人強制収容なども学びます。歴史はその暗部も含めて学ぶのがカナディアンとしての責任ですし、ましてやそれで教師が脅迫を受けるようなことはありません。

公立高校の社会科の選択科目として「先住民学」もあります。自国の植民地主義の歴史を教えるわけですから、日本の高校で、アイヌ、朝鮮、琉球等の植民地支配の歴史を学ぶ科目があるようなものでしょう。いま高校三年の娘が取っている社会科科目は、「Social Justice(社会正義)」と「Asian Studies (アジア学)」です。

娘は先日、社会正義の授業でエスノセントリズム(自民族中心主義)について発表をすることになり、私が前回の記事で触れた、「世界地図を書くように言われ日本地図を紙一杯に書いた日本の高校生」の話を例として挙げたそうです。「アジア学」は、アジア全般の歴史や社会を学ぶ講座ですが、先日娘はその日教わった「731部隊」の話を夕食中にし始めて、かなり詳しく教わっていたので感心しました。

そこで思い出したのが、二〇一五年当地で起こった「慰安婦像」を巡る議論でした。隣町のバーナビー市が、韓国の姉妹都市との交流の一環として、日本軍「慰安婦」の歴史を記憶するための「平和の像」を公園に建てようとしたところ、日本の排外主義者の影響を受けた地元の日本移民らが「日本人や日系人の子どもが学校でいじめられる!」と言って反対運動を展開しました。

しかし、娘のアジア学のクラスは娘以外はほとんど華人系と聞いていますが、「731部隊」を勉強して日系の娘がいじめられるようなことはありません。息子も大学で日本と中国の近現代史を勉強しており、友人は中国、台湾、ベトナム系などアジア系ばかりですが、歴史問題でいじめられたことなどありません。

私も、地域で、日本軍「慰安婦」や「南京大虐殺」を学ぶような会に参加しても、感謝されこそはすれ、いじめられるようなことは一切ありません。逆に、私を「反日」といってバッシングしている人たちの言動のほうがよほど「いじめ」に近い。冒頭の吹田の先生に対する攻撃もそうでしょう。いずれも、歴史を語らせまいとする、日本人による「いじめ」なのです。

(2019年1月号掲載)


第五回 カナダで記憶する日本の戦争

ここ数年、バンクーバーの日本移民、日系人は、日本で「南京大虐殺はなかった」「“慰安婦”に強制がなかった」等の主張をする人々が呼ぶところの「歴史戦」に巻き込まれています。二〇一五年には「慰安婦」の歴史を刻む「平和の像」建立に、そして二〇一八年には地元選出の国会議員ジェニー・クワン氏が提唱する「南京大虐殺の日」に対し、日本政府や右派の影響を受けた現地の日本移民・日系人中心に、反対グループが結成され、地元の日本語媒体が毎号のように「南京大虐殺記念日制定反対」特集を組んでいます。その中には、史実自体を否定する言説が頻出しています。

 私は、たとえば「ホロコースト」を記憶する行為にドイツ系の人間が反対するのがおかしいように、このような動きに日系人が反対するのはおかしいのではないかとの思いから、反対運動を批判してきました。戦時日系カナダ人強制収容の体験を基に書いた『OBASAN』という作品で有名な作家ジョイ・コガワ氏も、記念日に賛同していることから、反対派の人たちは、コガワ氏や私を標的にした非難、中傷にも余念がありません。

 しかし、私にとって重要なのは、記念日の制定よりも、広島と長崎の原爆の被害者を悼むのと同様に、南京大虐殺の歴史を学び、被害者に思いを馳せ、このような歴史を二度と繰り返さない決意を新たにすることです。そのような意味を込めて、一二一一日、日系、華人系、ヨーロッパ系など多彩なカナダ人の仲間たちと南京大虐殺追悼集会を行いました。

一一月二八日、ジェニー・クワン議員は連邦議会で「南京の日」の動議を出しましたが、必要とされた全会一致は得られませんでした。しかしジャスティン・トゥルードー首相はこのような発言をしたのです。

「議長、もちろん私たちは南京で八〇年前に起こった恐ろしい出来事の数々を強く非難する気持ちがあります。これだけ多くの非戦闘員が被った命の損失や暴力を決して忘れてはいけないということは全てのカナダ人が賛成できることでしょう。私たちはこれらの恐るべき行為をこれからも決して忘れません。被害者と生き残った人々をどう記憶していくかは、真の和解の精神に基づいて取り組まなければいけません。」

当事国の中国や日本ではない、第三国の首相が、国会において南京大虐殺の史実を認め、記憶継承の重要性を語ったことは画期的でした。カナダはすでに、国外で起きた大量虐殺事件を五件、国会で承認しています。人権侵害を世界規模で捉えるという姿勢なのです。

(2019年2月号掲載)

第六回 大胆不敵な博物館

 二〇一八年七月、マニトバ州の州都ウィニペグにある「国立カナダ人権博物館」を初めて訪問しました。二〇一四年にオープン、首都オタワ以外に位置する初めての国立博物館で、その目的を、「特にカナダ国内、しかしそれに限らず幅広く人権問題について探索し、人権についての公衆の認識を高め、他者の尊重、そして内省と対話を奨励する」としています。

 総予算約三〇〇億円、総床面積二万四〇〇㎡の博物館は外から見ると巨大なリンゴのような建築で、七階建ての一番下から、フロア間をつなぐランプを上りながら一三にも上るギャラリースペースを見学します。最後は高さ一〇〇mの、創始者である弁護士・実業家のイズラエル・アスパー氏(故人)の名を冠した「希望の塔」を上って博物館体験を締めくくる仕組みになっています。

 アートとマルチメディアをふんだんに使った展示内容は、「人権とは何か」、「先住民の視点」、カナダの人権問題を扱う「カナディアン・ジャーニー」、「ホロコーストを知る」、「国連人権宣言とその後の歩み」、世界中の人権問題を扱う「沈黙を破る」から、終盤は現在・未来志向の行動を促進する内容となっています。

 国内問題は、先住民迫害を筆頭として、女性、性的少数派、障がい者、日系カナダ人強制収容など人種差別政策等を展示。国外では、ホロコースト、アルメニア人虐殺、ホロモドール(旧ソ連下のウクライナ人居住地域の大飢饉)、ルワンダ大虐殺、スレブレニツァの虐殺(ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争におけるムスリム大量虐殺)という、カナダ議会で承認した国外の事件を重点展示していました。それに加え、インテラクティブ・マップで世界中の人権侵害を紹介しており、その中には日本軍「慰安婦」問題もありました。

 私はここで二日間過ごしましたがそれでも見足りませんでした。しかし、私が博物館の規模以上に圧倒されたのは、その大胆不敵とも言える、国内外の人権問題網羅の試みでした。これだけの多民族社会において、どの民族の歴史をどのように展示するかなど、コンセンサスが取れるはずはありません。案の定、計画の段階から今に至るまで、展示の「偏り」については様々なな批判や論争があるようです。私も見ながらいろいろ不満を感じました。

 みなさん、それらが何か知りたいですか。ぜひカナダに来てこの博物館を見てください。そして何がいいのか、何が足りないのか、大いに語り合いましょう。それこそがカナダ体験の醍醐味と言ってもいいのかもしれません。(終)

(2019年3月号掲載)

カナダ人権博物館 外観


カナダ人権博物館「沈黙を破る」(Breaking the Silence)セクション
カナダ人権博物館「カナディアン・ジャーニー」セクション


Sunday, March 17, 2019

野平晋作「朝鮮半島の非核化と日本の責任」Nohira Shinsaku: Denuclearization of Korean Peninsula and Japanese Responsibility

ピースボート」共同代表の、野平晋作さんが『子どもと教科書 全国ネット21NEWS』124号(2019年2月15日発行)に寄稿した「リレートーク 朝鮮半島の非核化と日本の責任」を、許可を得て転載します。

報道では、朝鮮と米国は「“北朝鮮”の非核化」と「制裁解除」の駆け引きをしているかの如くの印象操作がありますが、実際はここで野平さんが述べるように非核化しなければいけないのは朝鮮半島全体です。また、朝鮮が必要としているのは、何よりも「安全の保障」です。在韓、在日米軍の存在や、軍事演習によって朝鮮に威嚇行為を続け、安全を脅かし、朝鮮戦争終結を阻んでいるのはまさしく米国であり、「安全の保障」を、圧倒的軍事力を持つ米国が提供しない限り(いつでもお前の国を破壊する準備があるという敵対姿勢を変えない限り)、朝鮮は自分たちだけが核兵器を手放すなどするはずはありません。朝鮮半島非核化に責任を負う一番の主体は、米国、そして、米国の同盟国となっている、日本、韓国です。

野平さんに、「決裂」と言われた直近の第二回米朝会談についての追加コメントを求めたら、

2月28日のハノイ会談以降、米朝交渉は進展をみせていません。しかし、これを単に論評したり、今後を予測するのではなく、朝鮮戦争の終結と朝鮮半島と日本の非核化のために自分が何をすべきかということを考えることが大切だと思っています。
という言葉をくれました。日本が朝鮮半島和平の道を邪魔しないこと、邪魔しないだけではなく、朝鮮敵視政策をやめ、核兵器禁止条約を批准し、「日本の非核化、非軍事化」こそが、朝鮮半島の非核化、ひいては東アジアのの安全と平和構築につながるという正当な主張であると思います。そのためには、「核の傘」と直結している日米安保を見直していくことは当然であり、辺野古の基地はむろん、南西諸島全体の要塞化を中止することが必須と思います。日本の人は、自分たちが朝鮮に対する核の脅威の一端を担っているということをまず明確に自覚するべきでしょう。(前文 乗松聡子)




朝鮮半島の非核化と日本の責任

野平晋作(ピースボート共同代表)
野平晋作さん

問われる日本の主体性
 「南北首脳会談と米朝首脳会談が行われたけど、どうなるのかな」「そもそも朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)って、信用できるのかな」。これが日本で最もよく聞かれる意見です。あまりに当事者性のない、他人事のような意見をよく耳にします。一方で、一連の外交交渉において日本はまったく「蚊帳の外」ではないかというメディアの批判に対して、安倍首相は、「米朝首脳会談で、トランプ大統領に拉致問題を話題に取り上げてもらった」ということを自慢げに語る始末です。今の安倍首相に「蚊帳の外」であることを批判することは、果たして良い効果をもたらすのか疑問に思うほどです。北朝鮮への制裁の継続を主張し、せっかくの融和ムードを壊さないでくれ、「蚊帳の外」にいて、せめて歴史的会談の邪魔だけはしないでくれと、むしろ私は思っていました。

   日本は植民地支配により朝鮮半島の南北分断のきっかけをつくりました。その後も米軍とともに朝鮮戦争を初めとして南北の分断、対立に加担し続けてきた国です。さらに広島、長崎への原爆投下を経験した戦争被爆国であり、核兵器の非人道性を世界に訴える責任のある国です。そのことを踏まえるなら、南北、米朝首脳会談の今後の見通しについて、日本の市民が他人事のような発言をすることは非常に恥ずかしいことだと私は思います。朝鮮半島の情勢は自分と関係のないところでつくられるのではなく、日本の動きと連動してつくられていくものだと考えるからです。

分かれる米朝首脳会談の評価
 米朝首脳会談の評価は、日本のみならず世界においても、その評価は大きく割れています。ひとつは、朝鮮半島の非核化に向けて何も具体的なことが決まらなかったという厳しい評価。もうひとつは朝鮮戦争の終結に向けた初めの一歩としての肯定的な評価です。米国の主流メディアの評価も「実りがない」「朝鮮に媚びへつらった」など厳しい批評が目立ちました。米朝首脳会談後、米国で行われたトランプ大統領の記者会見の模様が日本でも報道されました。北朝鮮の人権侵害状況を問いただし、北朝鮮の核廃棄をどう信じられるのかと執拗に問い続ける記者が多く見受けられました。北朝鮮国内の人権問題には関心はあっても、非人道的状況を再生し続ける朝鮮半島の分断と対立という暴力自体には、米国がこの暴力の当事者であるのも関わらず、多くの記者が関心を持っていないようでした。北朝鮮が約束を反故にした場合どのような軍事オプションがあるかと尋ねられたトランプ大統領は、「朝鮮半島で戦争をしたくない」と、ニューヨークの人口まで引き合いに出しながらとうとうと述べました。当然背景に、文在寅大統領からの教育効果があったと推測できます。トランプ大統領が具体的に戦争が起きた時にどれだけ朝鮮半島で人が死ぬかを語り、そんなことはしたくないと世界に向かって言語化したのは、韓国の人々にとってとてつもないインパクトがあったはずだと在日コリアンの友人が教えてくれました。軽々と「約束を破ったらどんな軍事的対価を?」と口にできる米国主流メディアの「人権感覚」こそ朝鮮半島の人間にとって脅威だと彼女は述べていました。 

拳を振り上げたままで対話はできない 
   反核・平和運動に関わる日本の市民の間においても、朝鮮戦争の終結と朝鮮半島の非核化という二点を目指すことは合意できても、どのような手順でそれを進めるのか、また、日本政府、日本の市民社会が主体的に何をすべきかということについては議論を深められていません。

 私は1998年、インド、パキスタンが核実験を行ったときのことを思い出します。ピースボートはこれまで世界各地で、広島、長崎の原爆投下に関する写真展を行ってきました。1998年には、パキスタンのラホールとインドのニューデリーで写真展を行いました。パキスタンでは、路上で一般の市民に囲まれ、なぜパキスタンでこんな写真展を行うのかと詰問されました。写真展をやるならインドでやれ。自分たちはインドの脅威に日々さらされている。インドが核兵器を持つ以上、自分たちも持たざるを得ないんだ。そのような主張でした。パキスタンに核実験をやめてもらうためには、どのようにしたらインド・パキスタンの関係がよくなるかを同時に考え、国際社会もそのために動かなくてはダメだと思いました。また、インドでは、国連安保理の常任理事国の5大国は核兵器の保有が認められているのに、なぜ大国で民主主義国家のインドが核を持つとダメなのか。日本は米国の核の傘に入っているにもかかわらず、君たちがインドに来て、核実験反対を訴えるのは欺瞞的だと言われました。日本が他国にとって、どのような存在として見えているかを自覚しなくては、核実験に反対することも説得力を持たないことを実感しました。

 朝鮮半島の非核化については、私は今一番優先すべきことは、北朝鮮にとって脅威とは何かということを考え、その脅威の除去を実現していくことだと思います。北朝鮮政府は米政府から体制保証の約束を取り付けたいと考えています。何とか米政府を交渉のテーブルにつけさせるため、核兵器を保有し、米国本土にまで届く弾道ミサイルの開発を進めました。したがって、米政府が体制保証をし、朝鮮戦争の終結宣言に合意し、米朝国交正常化を行えば、北朝鮮は核を保有する必要はなくなります。韓国もそれを望んでいると言えるでしょう。北朝鮮政府は常々、「段階的かつ同時行動の原則」を主張しています。米政府が北朝鮮政府に対して、「完全かつ検証可能で不可逆的な非核化」(
CVID)を体制保証の前提条件にしたら、非核化の交渉は決裂するのではないでしょうか。

 もうひとつ重要なことがあります。非核化が求められているのは北朝鮮だけでなく、朝鮮半島全体であるということです。日本の市民はこのことをさらに主体的に受け止め、日本の非核化も求められていると考えるべきではないでしょうか。朝鮮半島が完全に非核化されても日本に核が持ち込まれたら、北朝鮮は安心できません。米軍基地の存在についても同じことが言えます。トランプ大統領は記者会見にて、在韓米軍の撤退にも言及しました。もし仮に、朝鮮戦争が終結し、休戦協定が平和協定に変換されたら、少なくとも朝鮮戦争を前提としていた国連軍は不要となります。国連軍の基地ということを名目にしていた7つの在日米軍基地の見直しを迫られるはずです。在韓米軍が縮小しても、在日米軍が強化されるようなことになったら、北朝鮮にとっての脅威は小さくなったことにはなりません。北朝鮮への脅威を減らすことで、朝鮮半島の非核化が促進される状況をつくるべきです。具体的には、日本も韓国も核兵器禁止条約に批准すること。そして、在韓、在日米軍の縮小をはかることが必要です。朝鮮半島情勢の変化は、日本にとって辺野古新基地建設の中止はもちろんのこと、在日米軍基地の見直しをはかるチャンスでもあります。逆に言えば、このチャンスを活かすことができなければ、在韓米軍基地の縮小にともない、代わりに在日米軍基地を増強せざるをえない状況になりかねません。この好機を活かし、日本の非核化、非軍事化を進めることこそが朝鮮半島の非核化を促す道だと私は考えています。

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