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Friday, November 15, 2013

『けーし風』から転載: オリバー・ストーン監督の辺野古訪問

「けーし風」80号
「けーし風」(けーしかじ)は1993年12月に創刊された季刊誌。その80号(2013年10月)に、映画監督のオリバー・ストーン氏と歴史家のピーター・カズニック氏が沖縄を訪問した(8月13-15日)ときの特集記事が二つ掲載されました。名護市議の東恩納琢磨氏によるオリバー・ストーン辺野古訪問の記事と、ピーター・カズニック氏のインタビューです。編集部の許可をいただいて転載します。まずは東恩納氏の記事から。

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(文中の写真は「けーし風」に掲載されたものではなく、文章の内容に合わせてブログ運営人の乗松聡子が挿入したものです。文中写真はすべて琉球新報社提供。)


オリバー・ストーン監督、大浦湾をゆく

 
東恩納 琢磨
 
 今年の八月、映画監督のオリバー・ストーンが沖縄に来ると新聞報道で知って、これは辺野古・大浦湾まで足を伸ばして欲しいと思い、同行される乗松聡子さん(ピース・フィロソフィー・センター、 在カナダ)に連絡をとりました。乗松さんから、琉球新報の主催で講演をするので、新報の松元剛さんに連絡をとるようアドバイスをいただきました。松元さんは「自分もまさにそう思っていた、船の手配などをどうしたらいいのか相談していたところだ」ということなので、「じゃあ僕が船を出します、ぜひ辺野古・大浦湾までいらしてください」と志願しました。それで段取りをしていただき、「せっかくこちらまでいらっしゃるならば稲嶺名護市長にも表敬訪問を」と言うとすでに秘書課と調整しているところだということで、実現して欲しいと願っていました。
名護市長の稲嶺進氏を訪問。

 ストーン監督の名護滞在は、稲嶺市長への表敬訪問からスタートしました。僕は市長室前でストーン監督一行をお待ちし、末席で同席させていただきました。稲嶺市長との面談は四〇分くらいで、結構じっくり話をしていました。日米政府に抵抗していることに感謝する、歴史を学ばなければ駄目だ、歴史から教訓を得なければ、と話す監督に、市長もまったく同感だと話していました。初対面にもかかわらず、なにか長年一緒にやってきたかのような、フレンドリーな感じで話をされていましたね。

 その後、大浦湾・辺野古と廻りました。当初は辺野古から船を出そうと考えていましたが、限られた時間を有効に使うために北の汀間漁港から船を出し、大浦湾を縦断してキャンプシュワブを海から眺めて辺野古へ廻る四〇分くらいのコースで、辺野古の海や大浦湾の海を十分に体感していただいたと思います。

 漁港から沖へ出ると監督は直ぐに「ジュゴンはどこにいる!?」と(笑)。私は、「ジュゴンは、昼は沖にいて朝夕人間の活動が静かになった頃、沿岸に近づいてきます。今日のように四隻の船が出ていると近づいてこない、そおっと来ないと見れませんよ」と話すと、私に、「見たことあるか?」と訊くので「ありますよ!」(笑)、ヘリから見たジュゴンの話をしました。

左から筆者の東恩納琢磨氏、通訳を務めた琉球新報記者の与那嶺路代氏、オリバー・ストーン氏。


 シュワブに近づくにつれて、ストーン監督は「あの建物は何だ!? この風景には似合わない建物だ!」と怒っていたのが印象的でした。

 僕は船上で船を誘導しながら、要所要所で船を止めて説明したんですが、とても気さくで、ざっくばらんに会話をされる良い方でした。

 アオサンゴ群落も当初はコースに入れていたのですが、残念ながら時間が押して見てもらうことはできませんでした。「ここから埋め立てる計画になっていますよ」と、埋め立て計画の境界線、位置関係を確認していただく形で案内しました。当日は海の透明度もたいへん良くて、ストーン監督以外にも、乗っている人たちや、メディアのみなさんもそろって「綺麗だ!」「素晴らしい!」と大変感激していました。ゆっくり走らせると一四、一五メートル下の海底がはっきり見え、「そこにジュゴンが食べる海草が繁茂しているんですよ」と説明しました。「こんな美しい海を埋めるなんて」と、マスコミの方も含めてみんな驚いていました(特に取材で本土から来たマスコミ)。

 辺野古漁港に着くとヘリ基地反対協の安次富浩さんが出迎え、座り込みのテント村に案内しました。辺野古のおじい、おばあがそろって待っていて、監督は着いたとたんにみなさんと握手を交わしていました。「よくぞ生き残ってくれましたね」という会話から始まって、みなさん喜んでいました。「ぜひ辺野古のことをアメリカに伝えて欲しい」と嘉陽のおじいが頭を下げるようにして訴えていました。アメリカ市民に伝えて欲しい、伝えればわかってもらえるはずだ、と。
座り込みテントで辺野古の市民と交流。

 ストーン監督が沖縄に来ることは、当初は広島、長崎を訪問する予定に、どうしても沖縄まで連れて来たいという人たちの強い思いがあって実現したことですよね。行動を共にされていた乗松聡子さんは、僕も訪米団でワシントンを訪ねた時にとてもお世話になりました(二〇一二年一月、「アメリカに米軍基地に苦しむ沖縄の声を届ける会」が総勢二四名で上下院議員やシンクタンクにロビー活動を行った。乗松さんは通訳としてカナダから参加)。沖縄にも何度も来られて沖縄のことをよくわかっている方ですから、彼女がストーン監督やカズニックさんに働きかけるなかで実現したのではないかと、僕は想像しています。

 カズニックさんは歴史家ですよね。真実の歴史に目をむけることの重要性、という話をされていたのが印象的でした。権力者はいつも歴史を曲げる、歴史を曲げなければ権力は維持できないのだという意味のことを仰っていて、まさにその通りだと思いました。権力者は歴史を曲げる、自分たちは歴史を正しく認識しないと権力者に利用される。権力者に抵抗するには歴史を学ばなければいけない、歴史に学べば権力者の嘘が見えてくるのだ、と。

 ベトナム戦争にしても、あれだけ何百万という人が死んで何が残ったのか、誰が利益を得たのか。いまアメリカ人もベトナム戦争を美化しようとしているそうですが、それは日本も同じで、歴史の検証をやらなければ再び同じようなことが起こる。僕らは親たちから戦争の話を聞いていて、戦争は他人事ではないと感じるけれど、そこから離れた人たちにとっては、戦争が何か美化され英雄扱いされて、「悪いヤツらがいたらまた戦争してもいいんだ」という風潮になってきているので、もう一回本当に歴史を学ばなければいけないのがいまの時代だろうなと思います。

 僕はストーン監督に、沖縄戦がなぜ起こったのか、沖縄の島がどのように要塞化されてきたのか、日米政府が密約を交わしながら沖縄の人間を騙してきたということも含めて、そうしたことを曝くドキュメンタリー映画を作ってもらえたら、もっと理解する人たちが世界中で増えるのではないかと願っています。商業映画として多くの人に訴える力と、真実の追究、その両方をできるのがストーン監督だと思います。歴史家のカズニックさんとのタッグというのはすごいコンビですよね。

 九月の市議会では、僕と仲村善幸さん、具志堅徹さんの三人が、ストーン監督との関係で一般質問したんですが、徹さんが、「壁の向こうに味方を作る」という表現ですごく評価をしていて、要するにアメリカ人は敵ではなく、敵の向こうには味方がいるのだ、と。ぜひ、今後なんらかの形で、沖縄を扱った映画を撮って欲しいですね。市長も後日監督に手紙を送ったと答弁していました。壁の向こうに味方をどんどん作っていきましょう。

(談・名護市議/沖縄ジュゴン環境アセスメント監視団団長)

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